最近の記事
カテゴリー
過去ログ
検索


このサイトについて
このサイトは、ゲーム開発、およびゲーム周辺の周辺技術や動向について日々考察し、毒舌的に物を書き続けることを通して、「ゲームの未来形」という大テーマに対して、何か考えを深められるといいなあ・・・・・・というサイトです。

2006年12月24日

世界初のお母さん向け情報端末登場

年内はライトノベルの感想だけにして、ゲームの話はやめようかなと思っていたのですが、Wiiの「お天気チャンネル」「インターネットチャンネル」が配信され、大きく話題になってるので、少し書きます。つってもタイトルの通りなんですが。

お母さんのニーズに応える機能が続々と

他:Wiiの勝利を支えるのはお母さん達かもしれない (Nao_uの日記さん経由)

この調査によると、30歳〜40歳の専業主婦層では地上デジタル放送について「詳しい内容は知らない」という回答が56.0%だったそうです。そこで次に地上デジタル放送の機能概要の説明をして利用意向を尋ねると、専業主婦層の利用意向が87.0%と最も高いものになった、と記事は伝えています。

注目すべきなのは、専業主婦層が最も興味を持った機能が、「最新のニュースがいつでも見られること」、「番組で紹介された料理レシピがいつでも見られること」、「地域ごとの天気予報を見られること」だった事です。
記事中では、「画面操作が難しく使いこなせるか不安」と回答した人が 46.0%だった事も伝えられています。

地デジの機能が主婦層に全然浸透していないという話。ちなみに恥ずかしながら、ボクもほとんど知らなかったんですけどね。テレビにそんな機能を期待してなかったといいますか。何でもできる機械になればなるほど、何ができるかユーザーに理解されなくなるというジレンマ。

PCが実質Web専用機になって、それに「年賀状を書く」「デジカメの写真を整理する」需要がちょっとくっついてるのと同じようなもんですね。ちなみにPS3で年賀状作成ソフトを出したら?と思ってるんですが、そういうこと真顔で言えない雰囲気がPS3の一番の問題ですよね。

Wiiで配信開始された「お天気チャンネル」はモロにお母さん需要を狙ったサービス。かなり受動的なユーザーを対象にしていると思います。「インターネットチャンネル」があるからWebブラウザで天気予報を見ればいい、と考えずに、わざわざ専用のサービスとして切り出しています。また「ニュースチャンネル」も同様で、Webブラウザでヤフーニュースを見ればいいという発想ではありません。お母さん向けのニーズはそれぞれ独立したチャンネルにし、能動的に情報を求める人には「インターネット」を見てくださいと提示しています。

家庭内の情報格差にきわめて意識的な設計といえます。同じような指摘はいくつかのブログでなされています。

おそらく任天堂としては「家族の前で見られるサイトだけ見られれば十分」なのだろう。(中略)操作するのもお母さんというより、少しはパソコンが使えるお父さん、というイメージなのでは?
パソコンが苦手でアレルギーの強そうなお母さんには「お天気チャンネル」や「ニュースチャンネル」で情報を提供するつもりなのだろう。つまりWiiを使う家族の間でのデジタルディバイドも、視野に入っているわけだ。
任天堂という企業が考え抜いた、インターネットに対しての回答の結集。いや、それでも表現としては十分と言えない。コンピュータの発達によって年齢差によって起きているデバイド=格差を完全に解消するための解答。
若者向け、お父さん向けの情報端末は過去に例がありますが、お母さん向けをここまで強く打ち出した情報端末は、ひょっとすると世界初なんじゃないかと思います。PS3やXBOX360が男性向けのマッチョなイメージが強いのに比べて、WiiはPCの主要ユーザーと被らない、PCが取りこぼしている層を狙っていますね。


ゲームの外の経験値が活かせる→お母さんが対等に遊べるゲーム機

Wiiに賭けた「母親の復権」

嫌われないどころか,筆者の感覚では「お母さんをとりこにするゲーム」なのである。巷では,子供と母親のリモコンの奪い合いが始まっていると聞く。何を隠そうわが家も同じ状況だ。
 「親が子供に勝てる初めてのゲーム機」,それがWiiだ。
(略)
このように母親がゲームを嫌う理由の一端には,ゲームの内容に興味が持てないことのほかに,子供と対戦しても絶対に勝てないくやしさも潜んでいる。その点,Wiiの「操作が簡単」「経験が生かせる」という要素は大きい。
ゲームの外の経験値についての指摘が面白いです。
DSのトレーニング系ゲームにもそういう側面はあったわけですが、Wiiはそれをさらに推し進めたゲーム機といえます。以前にも「麻雀」「将棋」「囲碁」ゲームのように、ゲーム外の経験値を活かせるゲームは存在しましたが、男性向けに特化していて、俗に「親父ゲー」と呼ばれていました。DSとWiiでは女性ユーザーの比率が高いと言われていますが、今後は「お母さん」「お姉ちゃん」「おばさん」ゲームというジャンルが開拓されていくのかもしれませんね。

女性および中高年ゲームユーザーが急増中 - 英国でも任天堂のDS効果
英国でもDS効果によって女性ユーザーが急速に増加しているようです。海外でも「お母さん」マーケットの拡大が期待できそうです。まぁ人類の約半数は女性ですし、それに関しては日本も欧米も無いですからね。日本の女性と海外の女性が同じ嗜好を持つとは限りませんが、女性市場への注目が高まっているのは全世界的な現象です。

日本ではここ数年『おしゃれ魔女ラブ&ベリー』『たまごっちのプチプチおみせっち』『nintendogs』『どうぶつの森』とヒット作が続き、女児〜大人の女性向けマーケットが賑わっています。女性をターゲットにしたゲームデザインではかなり先行しているといえるでしょう。

Wiiの体験ゲームは身体を動かすものが多いため、長時間遊ぶには適さず、時間をかけてゲーム内に経験値をコツコツ蓄積するゲームデザインよりも、「ゲームの外の経験値」を短時間で発揮する設計のほうが向いています。また、ゲームの短時間性により、適度なスパンで交代して遊ぶことが多くなるでしょうから、家族のメンバー全員に遊ぶ機会が均等に回ってきやすいです。

(反面、ゲーム内に経験値を蓄積するタイプというか、1人用のゲームはあまり面白くないですね。Wiiのローンチソフトの大半を遊びましたが、PS2とDSでいいやというのが率直な感想です。)


補足1:Wii向けサイト作成ブーム?

この記事の主題からは逸れるのですが、インターネットチャンネルが配信されたばかりにも関わらず、Wii向けに特化したデザインのサイトを作っている人が続々と現れています。ブームになるかどうかはよくわかりませんが、Wiiの場合、DSと違って本体に内蔵されるわけで、本体装着率は桁違いに高いでしょう。

それとWiiで動作するFLASHゲームが紹介され始めているので、FLASHゲームを作っている職人の人には、新しいユーザーに遊んでもらい、脚光を浴びるチャンスになりそうですね。
Wii向けにデザインされているわけではありませんが、有名なFlashゲームサイトのGAME DESIGNさんの熟語ゲームや4BALLSなどはWiiでも遊べました。


補足2:Wiiと大画面テレビの親和性

ゲーム業界人の「PS3&360=HDTV、Wii=SDTV」という思い込みとは裏腹に、「Wii=薄型大画面テレビ」という意見が日増しに増えています。後藤氏はゲーム業界に片足突っ込んでるとしても、家電メーカーのwaren氏や、放送コンサルティングの江口靖二氏といった、ゲームの外の人のほうが常識にとらわれずに、素直に実情を指摘しておられます。

Posted by amanoudume at 03:09 個別リンク | Comments (12) | TrackBack(0)

2006年12月19日

『漢検DS』がブロガー向けマーケティングに熱心な件

カイ氏伝:「ブロガー対抗 漢字力テスト」行ってきました
「ブロガー対抗 漢字力テスト」というイベントが開催されていたようです。いくつかのブログでこのイベントの記事を目にしました。参加者には自分の漢字力を痛感してもらい、かつ『漢検DS』をお持ち帰りしてもらったようです。

PCの普及で文字を書かなくなっている人が多い昨今、中でもPC依存度が高いであろうブロガーは「きっと漢字が書けないのではないか」という雑談からスタートしたというこの企画。DSソフト「漢検DS」のバックアップを受け、ブロガーを集めたこの企画が12月12日という漢字の日に行なわれたという次第です。
『漢検DS』のプロモーションでは、専用のブログパーツを提供していて、しかも完成度が高い。漢字力を試すだけではなく、漢字力の高さが都道府県別にされるので、競争心が刺激されます。DS Liteが開くアニメーションも凝っています。設置者が自分のアフィリエイトを設定できるのも良い心づかい。

『漢検DS』は55万本を突破した大ヒットソフト。
開発元のロケットカンパニーは、地味ながら評判のいい『みんなのDSカーリング』や、テレビ番組とのタイアップ企画である『東京フレンドパークII』を開発するなど、最近DS市場で活躍中です。漢字の日にあわせて積極的に話題を作ったり、秀逸なブログパーツを配布したりと、小回りよく話題を提供し、DS市場の盛り上がりにうまく乗っています。
漢検DS、漢字の日で“日本人の漢字力調査”を発表

アイデア重視とされるDS市場では、小回りの良い中小企業のほうがうまく利益につなげています。複数のプラットフォームに手を出して、DSで稼いだ利益を他のハードで捨てている大手企業とは対照的です。ぶっちゃけ、知育系ゲームが嫌いで、イヤイヤ作っている開発者もいると思いますが、もったいないなーと思う次第。まぁモチベーションの持ち方はそれぞれなんですけど。どこの世界でも、何事においても、チャンスを見出してどんどん積極的に攻めていく人たちと、消極的で停滞する人たちの差はとても大きい。

Posted by amanoudume at 22:05 個別リンク | TrackBack(0)

2006年12月01日

美少女ゲーム2.0登場

ちょっと古い話題ですが。

美少女ゲームの素材(立ち絵・イベントCG・背景・音楽・SE等)をユーザーが自由に組み合わせて、オリジナルのシナリオを作ることができ、作ったシナリオをネットにアップして公開できる美少女ゲームです。当然、他のユーザーがアップしたオリジナルシナリオをダウンロードして読むことができます。

公式サイトの「ダウンロード」にシナリオ作成のチュートリアルムービーが掲載されています。新規シナリオを作成するまでの一連の流れをオルトとコピペの2人がわかりやすく解説しています。また素材のバリエーションがどれぐらい用意されているかを知りたい人は、「オンラインマニュアル」のページに素材カタログがアップされています。素材は今後も追加されるらしく、「アップデート情報」のページで紹介されています。

美少女ゲームオンラインの第1弾は『家族交感〜ANOTHER ONLINE〜』で、11月22日に発売済みです。
以前に発売されている『家族交感 姉・母・妹』を本編とし、シナリオ作成用のエディタが付加されているみたいです。発売メーカーはアーカムプロダクツですが、開発のメインスタッフとして同人サークル・トリニトロンCGが参加しているそうです。
トリニトロンCG (公式)
ここの『逆転陵辱エンジェルオンライン』が同様にシナリオのアップロード、ダウンロードが可能な同人エロゲーなようです。
で、最初のシナリオというか本編シナリオの出来は・・・・検索して調べてみるとチト微妙な感じ。

これって要はノベルゲームのMODなんですよね。日本ではあまり浸透していない仕組みですが、2次創作系のユーザーを取り込めれば・・・・。このシステムの可能性を簡単に検討してみると、

  • 細分化&先鋭化した嗜好のマイナーゲームがこのシステムを採用する。先鋭化した嗜好ジャンルのため、多数の商業作品が望めない。したがって数少ない作品をベースに、ユーザー同士が改変して楽しむ余地がある。
  • 有名人気作品がこのシステムを採用して、2次創作ノベルゲームを促進する。商品寿命が伸ばせるし、公式アンソロジーノベルゲームを出したり、新しい商売を開拓する余地もあるかも。
ただ、エディタとビューワーがゲームと一体になってるんで、そこが問題ですね。ビューワー側が無料で配布できないと、なかなか世界が広がりませんから。どちらかというと、メーカーと「2次創作」の間を、もっとビジネス的に結合するための手段でしょうかね。今作にしても、エディット機能がショボいので、元々あった作品を改変する使い方が主でしょうし。

Posted by amanoudume at 05:37 個別リンク | TrackBack(0)

2006年11月28日

100人の企画がいたら、100人が言うような企画

読んだ感想としては、いわゆる1つの「100人の企画がいたら、100人が言うような企画」の話なのかな、と。


一般論として

まぁこの手の「100人の企画がいたら、100人が言うような企画」は、雑誌に限らず、ゲームでも色々とあって、例えば、オンラインゲームで出会い系をやるとか、MMOで賭場を作って公認RMTでウハウハとか、耳タコなぐらい色んな人間から同じような話を聞かされることがあります。100人いたら100人が言うような企画は、それだけ大勢の人間が言うわけだから、需要そのものは存在するのでしょうが、しかし同時に、100人が言うような企画なら、とっくの昔に商品化されてるはずですし、ヒットしているはずなのですね。

じゃあなんで、商品化されてなかったり、ヒットしてなかったりするのか?
というと、問題があるからです。どういうオブラートにくるむかというパッケージの問題、法律的な問題、ブランドイメージとの兼ね合いの問題、インフラの問題、ハードの機能/性能の問題、・・・・などなど、ケースバイケースです。その問題の解決手段を示せるかどうかが、企画者にとって肝心な所で、世に出るか/出ないか、ヒットするか/しないかは、結局そこで決まると言ってもいいでしょう。

女性向けエロ需要について

ニーズそのものは存在すると思いますが、男性よりもずっと体面を気にするというか、クローズドな空間を作ってあげたり、オブラートでくるまないといけないんでしょうね。そういう意味では雑誌でやるの?って感じは確かにします。

ついでに思い出した話として、ケータイ小説で人気があるのは恋愛話とエロい話ばっかりというのは今でも聞きますね。毎晩、夜寝る前に布団の中で読んでいるとかなんとか。エロ需要は、ケータイ小説やレディースコミックや色々なメディアに分散してるのかなー、と。エロって男性向けの方が堂々としてますし、直球ですよね、基本的に。生物学的な欲求ではなく、社会的・文化的な立ち位置の問題でしょうけど。


こっそりオタ趣味需要

以上のような話を昨日某氏と雑談していたんですが、男性オタクにしても隠したい欲求があって、特に結婚したり、さらに家族ができると、オタ趣味を続けるのが難しくなりますよね。相手に理解のある場合もあるんでしょうが、「結婚前は許すけど、結婚したら全部捨ててね」的な話は割りとよく聞きますよね。

最近話題になったこのスレとか。
⊂⌒⊃。Д。)⊃カジ速≡≡≡⊂⌒つ゚Д゚)つFull Auto | 嫁にエロゲ焼かれた
焼かれるというのは、酷すぎる例ですが、制限を受けるという話はザラにありますよね。ゲームは1日15分とか、1時間とか。会社でも、自分の席にフィギュアや漫画を積んでも、家には持ち込まないという家族持ちの同僚がいます。

そういう意味では、家族に対してゲーム機を買う言い訳を作ったDSは健全だと思います。DSの場合は、家族の抵抗感をなくした上で、携帯ゲーム機の論理「やっぱ1人1台だよね」で、自分専用の機械を堂々と買えますし、あるいはこっそり買うことも可能です。

敵視されないことを目指したWiiも同じなんですが、でもWiiはユーザーアカウント無いし、プレイ時間が残るらしいから、その「家族内では秘密は無しよ。プライバシーも無しよ。 by かーさん」的なオープン性は、どうなんでしょうかね? 「言い訳」は作れても、「こっそり」系は満足できないのが、実はWiiの一番の問題点なんじゃないか、と思ってたりします。家族をつなぐとか、確かにその光景はキレイなんだけど、ちょっと眩しすぎませんか?的な。

話が脱線しましたが、そういう意味ではこっそり需要を満たすのは将来的には、携帯ゲーム機なのかなあ、と思います。携帯電話だとさすがに画面が小さすぎて、オタ趣味には不釣合いな気がしています。この辺の「最低限これぐらいは必須」という欲求は、歳を取っていくと、だんだん枯れていくと思うので、デスクトップPC→ノートPC→携帯ゲーム機→携帯電話みたいな流れで、徐々に小画面なデバイスに「こっそりオタ趣味」需要が推移していくんじゃないか、と勝手に想像しています。

(PSPは中高生のこっそりエロ需要は満足しましたが、大人のこっそりオタ趣味需要は満たしてないと判断しています。普及台数や購入者分析から考えて。その辺のニーズが拡大するのは今後、まぁ次世代でしょう)

PC用美少女ゲームのダウンロード販売が急増、警察庁の研究会で報告

2004年度のダウンロード販売数は2万345本だったが、2005年度は17万5,420本、2006年度は上半期だけで16万7,829本と前年1年間の販売数にほぼ並んだ。
エロゲーのダウンロード販売が増加している背景には、価格の安さの他に、省スペース志向という、ある意味オタクとは真逆なニーズが存在していると思います。また、単純にスペース減らしたいというだけでなく、パッケージが残らなければ、パソコン詳しくない嫁にはバレないだろ的なこっそり需要もあるのかな、と。

いや、それを言うなら、エロゲー以前に、PCベースのエロ動画ダウンロードや共有は「こっそり需要」を満たしていただろ、と突っ込まれそうですが。まったくその通りですね。まあ、何を隠したいか、こっそり楽しみたいかは、人それぞれあると思いますが、「自分専用のこっそり空間」というニーズは団塊ジュニア世代の年齢上昇と共に高まるんじゃないでしょうか。

あ、ちなみに、これは考察というより、雑談ログ程度と思って読んでください。あんまり深く考えてません。

Posted by amanoudume at 21:43 個別リンク | Comments (8) | TrackBack(0)

2006年11月24日

毎日ゲーム機に電源を入れるゲーム

受動的=テレビ番組的なゲーム

PS3がほとんど稼動していないわけですが、そんな中、一番起動しているゲームが『まいにちいっしょ』です。PSストアにて無料でダウンロードできます。360は発売から数ヶ月の間『Geometry Wars』が一番面白いと言われていましたが、PS3は『まいにちいっしょ』が一番面白い(マシ)です。

YouTube: PS3 まいにちいっしょ
YouTubeに動画が上がっているようなので、そちらを観ていただくと大体流れがわかると思います。トロとクロの2人が毎日「トロステーション」というニュース番組をするという内容で、クイズに答えることもありますが、基本はニュース番組を観ること。他にはトロが部屋の中で生活している様子を眺めるぐらい。全体的にかなり受動的=テレビ番組的なゲームです。

プレイヤーからトロの生活に干渉できることは限られていて、今の所トロに食べ物を贈るぐらいです。おいしそうに食べるんだな、これが。贈り物をあげるとトロの行動が増えるようで、思ったよりバリエーションが多いですね。無料ソフトなのになあ。観ることが主体になると、バリエーションを作らないといけないから、大変です。


鮮度を保ち続けるゲーム

「トロステーション」は、毎日ネットから配信データを拾ってくるというのがポイント。PS3本体の紹介や、PSに関連するイベントの報告、一般的な行事の説明を、トロとクロがニュース形式で語ります。トロとクロの掛け合いがなかなか良くできていて、これを毎日配信するのは労力的になかなか面倒だろうなあと思います。PS3はゲームからWebブラウザを起動できるので、ファミ通.comの該当記事や、有名人のブログを表示することもあります。

これまで流れた番組の内容を簡単にリストアップしてみました。時事ネタを拾いながら、話題は多岐にわたっています。たまにPS3関連の情報を流している感じです。

  • 第1回  11月11日は世界平和記念日 なんだけど、PS3の発売日。色んな三部作を紹介。大林宣彦監督の尾道三部作は?・・・・。
  • 第2回  PS3豆知識 オンラインネーム、ゲームの終わらせ方、コントローラの充電。
  • 第3回  10回クイズ大会 「ヒマだにゃって10回言ってみ?」→「世界一高い山は?」・・・・。
  • 第4回  PS3ソフト紹介 『リッジレーサー7』
  • 第5回  おでんのおいしい季節ですが、おでんのカロリーはどれぐらい?
  • 第6回  PSストアで体験版を落とせます クロはシューター
  • 第7回  PS3の発売日の様子はどうだったかな? 行列の様子を写真で紹介・・・・この行列は・・・・実は? (ファミ通.comの該当記事を表示)
  • 第8回  トロ君、今回の任務は・・・・BD『ミッションインポッシブル3』の紹介
  • 第9回  シャア・アズナブルさんの誕生日なので、クロが飲み会に出かけています 一人で中華まんの人気ランキングを紹介
  • 第10回  11月11日に岩手県で全日本わんこそば選手権がありました 明日はお休みです
  • 第11回  今日はお休み・・・・なのを忘れてたニャ・・・ アメリカンジョーク教えて
  • 第12回  大相撲九州場所の9日目 海外出身の力士が一番多い出身国はどこ? ブログ力士「普天王」さんのブログへ
  • 第13回  寒い季節なので暖房器具を通販番組風に紹介 猫と言えばこたつ
  • 第14回  麻雀大会犬両匆陝)秧博物館(のサイト紹介)
  • 第15回  今日はゲームの日・・・・一般的には勤労感謝の日 なりたい職業ランキング トロは何になりたい?
  • 第16回  あるなしクイズ 「苦労」にあって「疲労」にない、「ろくろ首」にあって、「カッパ」にない、「ドクロ」にあって「ガイコツ」にない。では「サイクロン」「タイフーン」「ハリケーン」のうち「ある」のはどれ?
番組中にアンケートの質問があったり、クイズが出題される他、番組を「面白い/まあまあ/つまらない」の3段階で評価できます。番組の最後にはルーレットがあり、当たるとアイテムがもらえます(アイテムをトロに贈り物としてプレゼントできます)。

試みとしてはなかなか面白い。もっともこれをどれぐらい続けられるかが大切で、最低1年ぐらいはやらないと・・・・って考えると、気が遠くなる量ですね。


毎日ゲーム機に電源を入れるというテーマ

ゲーム機がネットワークに繋がっていることが大前提の企画で、こういう軽めのものが出てきたのは大いに歓迎したいです。ネットワークゲームはいまだに重めの企画が多くなりがちですから。無料ということもありますが、ネットを見る限り、PS3所有者の間では割と評判が良いように思えます。

Web2.0的なゲームというとそれまでですが、ネタとしてはおそらく誰もが1度は考えそうなことをやっているので、この手の企画に関心のある人なら、1度ぐらい遊んでみてもいいかもしれません。毎日PS3に電源を入れて……はいないのですが、3日に1度ぐらい電源を入れる理由にはなっています。毎日少しずつ変化があるというのは、ゲームにとって良い効果をもたらすという証明ですね。

あれ、どこかで聞いたような話だぞ、という気もしますが(笑
PS3の中でWiiのコンセプトを全力で宣伝しているような感じでしょうか。でも現時点で公開されている情報を見る限り、Wiiのローンチソフトで「毎日電源を入れる」というテーマでWiiConnect24を活かしたゲームは特に見当たりません。どちらかというと、ゲームではなく、お天気チャンネルやニュースチャンネルが対応しているのかな?

ゲーム機に毎日電源を入れるというテーマにおいて、任天堂が非ゲーム的なアプローチ(ニュース、天気予報など)を取って、SCEがゲーム的なアプローチ(まいにちいっしょ)を取っているのはなかなか面白い。DSとPSPの時もそうでしたが、10年前と逆転してますね。


そんなにインタラクティブじゃなくたっていいじゃない

ただ、トロを遊んだ印象では、最初はあまりゲーム的に作らない方がいいような気がしました。面白さの本質がボケるんじゃないかな、と。ゲーム性は正直、クイズゲームぐらいで十分かもしれません。「マジックアカデミー」的なものでもいいし、俗っぽくなるかもしれませんが、「クイズ$ミリオネア」のように賞金があってもいいですよね。

テレビ番組をゲーム化するという発想は悪くないと思います。定期的にネタを供給して飽きさせないという点に関しては、テレビはネタの宝庫です。もっとも観るコンテンツという点では、テレビにはなかなか勝てないので、どの部分でインタラクティブなメディアとしての優位性を発揮するかですね。

ゲームって年々面倒くさくなっていて、まぁそれがインタラクティブだ!と言われれば仕方ないんですが、年を取ってくると面白い/面白くない以前に、面倒くさいと遊ぶ気がしないんですよ。プレイ時間も書いておいてほしいですよね。小説はページ数で大体わかりますし、映画も上映時間がわかるじゃないですか。ゲームぐらいなんですよ、買う前にどれぐらい時間がかかるかわからないのって。いまだに「全部遊びつくすのに○○時間かかる」的な煽りをするゲームもあるじゃないですか。かかる時間の長さを競うって、10年前の発想ですよね。

率直にいって、面倒くさくないゲームがいいです。行き過ぎてゲームの優位点を失うと、なんだかよくわからなくなっちゃうんですが。「面倒くさいかもしれないけど、面白いよ!」なんてゲームは遊ぶ気が起きません。だって面倒くさくなくて面白い物がいっぱいあるんですから。日本のゲーム市場の中心は団塊ジュニア世代ですが、この層が年を取っていくにつれて、たぶん面倒くさいものは生き残るのが難しくなっていくと思います。そういう流れの中で、ゲームがどう変わっていくか、インタラクティビティーがどう変わっていくかに注目です。

参考
人口ボリュームで考える大作路線の未来
フォアグラウンドとバックグラウンド

Posted by amanoudume at 00:10 個別リンク | Comments (8) | TrackBack(0)

2006年11月09日

テレビ画面のあちら側の進化まとめ

勢いのある、テレビ画面のこちら側のゲームデザイン

ここ最近のゲームの変化を「ゲーム2.0」と呼ぶとすると、それは主にゲームの外側、テレビ画面のこちら側で起きたゲームデザインの変化です。こちら側のゲームデザインとは

  • プレイヤーの遊んでいる姿を重視する(→周囲の人間に自分も遊んでみたいと思わせる)
  • プレイヤーとプレイヤー以外のコミュニケーションの促進(→周囲の人間と話題にしやすい)
  • ゲームを遊ぶ事の実用的な効能(→時間の無駄ではない)
  • ゲームの外でゲームプレイを評価する(→ゲーム内の評価では広がらない)
といった事です。

テレビ画面のあちら側のゲームデザインは急速に支持を失っています。
ゲーム内の世界をより大きく、深く、精緻に作りこむことで、開発費が高騰し、ソフトの価格が上昇して敷居が高くなりました。またゲーム内で消費する時間が多くなり、より深く遊ぶゲーマー以外は入り込みづらくなりましたし、年齢が上昇して時間の無い大人ユーザーは手を出しにくくなりました。

ゲーム内の箱庭世界を作りこんでいけば、ゲームはより面白くなる、だから表現力を増やすためにプロセッサの性能を高めよう、ゲーム開発者はプロセッサ性能を限界まで引き出すべき、という「プロセッサ性能至上主義」は崩壊しました。実際、表現力のチープなDSが大成功し、PSPが成功しました。日本だけの局所的な現象ではなく、日本→欧州→北米と変化は伝播し、もはや全世界の携帯ゲーム市場で、DSがPSPを圧倒しています。

このブログの関心は主に「テレビ画面のこちら側のゲームデザイン」に向いていますが、たまには「テレビ画面のあちら側のゲームデザイン」についても触れてみたいと思います。


テレビ画面のあちら側の進化

欧米のゲーム開発者は直球の進化を好みます。力技というか。箱庭の中での自由度を高める、多彩な乗り物を制限なく乗り回す。その方向を推し進めると、必然的に向かう方向は同じような物になっていきます。またゲーマー大国の北米のユーザーは、据置ゲームでは、まだまだゲーム内世界を作りこむ路線を支持しています。実際、Wiiについても、前人気の高さの要因は『ゼルダ』にあると思います。

PC、PS3、XBOX360はいずれも豊富なメモリ空間をもっているため、より広大な空間をゲーム機内に再現できます。現世代機では1つの街をゲーム内に再現していましたが、次世代ではより広い地域を丸ごと再現しつつあります。また、高い描画性能をもつため、一度に多数の建造物や地形を表示でき、地上を歩くだけでなく、フライトシミュレータ的に空を飛び、グーグルマップ的にスムーズに俯瞰視点に移動できます(それでもLODは当然必要ですが)。

最近の欧米ゲーム界の話題作は、こうした特徴を備えつつあります。『Test Drive:Unlimited』や『Just Cause』は次世代の箱庭ゲームがどういうものかを端的に示しています。今後のトレンドになる可能性は高いです。

『Test Drive:Unlimited』はハワイのオアフ島をほぼ完全に再現したMMOカーライフゲーム。俯瞰マップはグーグルマップ気分を味わえる出来(ただし、俯瞰マップ上で離れた別の地点に移動する時はさすがにロードが発生しますし、俯瞰マップと走行マップは別で、シームレスではありません)。XBOX Live!で体験版がダウンロードできます。製品版の数十分の一にすぎませんが、それでも現行機〜少し上程度の広さは備えていますし、片鱗を体感するには十分です。

『Just Cause』は上空を飛行し、パラシュートで降下。フライトシミュレータシミュレータ的な視点から、GTA的な視点までシームレスにつながります。こちらは体験版はありませんが、多数のムービーがXBOX Live!に上がっています。

まぁここまでくると、「箱庭」という言葉はおかしくて、どっちかというと「グーグルマップ感」という言葉でくくるべきですね。


「王道」と「邪道」

ただ、個人的には、オアフ島や南米の島国にそこまで魅力を感じません。
これがドラクエなら最後まで遊ぶんでしょうけど。
『ドラクエ8』を遊んだ時に素直に思ったのは、次はシームレスに空を飛びたいよね、ということ。地上はシームレスでしたが、船移動のマップとラーミアのマップは別マップでしたからね。鳥に乗って地上に近づいていくと、森が木の集まりになり、木々一本一本が見えてきて、そして枝の一本一本が見えてきたところで地上に降りる。もちろん逆もしかり。

次はこのまま空を飛びたいよね。『ドラクエ8』のような現行機の箱庭ゲームを遊んだ開発者なら、おそらく誰でも考えることです。直球進化ですから。広大な空間+スムーズなスケール移動+オンラインがそろう。これが箱庭ゲームの「次」でしょう。もっとも時間を大量に消費する方向になりかねないんで、そこに注意が必要ですけど。

PS3でもXBOX360でもPCでもいいんで、そういう王道のドラクエを遊びたい。
Wiiで外伝出すのはかまわないけど、剣振るだけのドラクエなんて邪道。正当進化とは思いません。そんなこと真顔で言ってるのはハード戦争というメタゲームに興じている人間だけでしょ。300万、400万のユーザーは支持しないよ、そんなの。
もちろん、たまには飛び道具的な、邪道な商品もありだと思います。ドラクエでチャンバラごっこしたい人もいる事はいるでしょうし(剣神の売上は30万でしたっけ?)。

ゲーム2.0というか、テレビ画面のこちら側のゲームデザインに注目が集まっているのは確かです。けれどもどこまで行っても、ドラクエは結局テレビ画面のあちら側に比重をおいたゲームでしょう。

一方で、最近のWiiのCMを見て思うのは、スポーツなんかは両手型のコントローラをにぎってスティック倒したりボタン押すより、リモコン振った方が王道に感じますね。今さら古いコントローラには戻れないよな、と。もちろん監督になってチームに指示を出すというゲームなら、また話は別です。要はゲームの面白さの本質がどこにあるかという事。それぞれのゲームにとって、どういう進化が「王道」か「邪道」か、クリエイターは見極める必要があります。まぁ「王道」を歩んだ結果、ユーザーが減ってしまうこともあるかもしれませんが、それはもう種としての寿命じゃないかなあ。

Posted by amanoudume at 01:01 個別リンク | Comments (3) | TrackBack(0)

2006年09月24日

草の根映像の今後?

FLASH制作ブームが沈静化したのではないか?という点について、ネット上で興味深い話題が盛り上がっています。

複数のブログが言及していて、いくつかの理由が挙げられています。
中でも大きいのは、見る側の目が肥えてきて、新しい人にとって敷居が上がってしまった事です。FLASHアニメがテレビで放映されるなど、世間的な認知や評価が上がる一方で、草の根っぽさ、良い意味での素人文化が少し失われてきたのかもしれません。

ぶっちゃけ、ボクも最近はFLASH映像を見る頻度は減っていて、特にクオリティが高い物だけ観ています。
見る側として素直に感じるのは、作品を表現するメディアとしてのFLASHが増えていくにつれて、ネタを楽しむメディアとしてのFLASHが減ってきたことです。

そういう意味では、YouTubeの登場も大きいですね。違法性をあまり意識しない形で、みんなが気楽に動画をアップできるようになりました。ネタは鮮度が命ですから、ニュース番組や過去の映像を切り貼りする方がFLASHアニメを作るよりも手早いです。皆さんも時事ネタ等のFLASHを見る機会が減っていないでしょうか? 鮮度命の映像はほとんどYouTubeで済ませられるようになりました。

またアニメのパロディについても同様で、異なる作品の映像と音楽を編集で組み合わせたMADアニメの方が品質の点で優れていますし、オタク受けもします。以前はアニメのオープニングシーンをFLASHで再現した職人さんが注目を集めていました。FLASHでここまで出来るのか!という事自体が新鮮で、興味を持たれたわけです。でもそれもいつのまにか、当たり前のことになってしまいました。

ネットユーザーの大多数は、ネット上のコンテンツに「鮮度」以外の価値を見出していません。その場限りの、せいぜい1週間も持てばいいものです。著作権的にはより黒い方向に近づいたものの、見る側は気にしていません。何というか、もはやユーザーにとって、クリエイターは多くは必要ないのかもしれません。いや、それは言い過ぎなのですが、クリエイターとユーザーの間にいくつか段階があって、その途中の段階の人たちがたくさんいれば、それで回ってしまう。

例えば、
    1次クリエイター
    2次クリエイター (インスパイア、模倣、パロディ、・・・・)
    N次クリエイター?
    ネタFLASH系
    ネタ動画編集
    話題になった動画をアップする人
    YouTubeの動画にリンクを貼って紹介する人
    視聴者
って感じですかね。

「作者」が存在しない方が広まりやすいという意見もあって、なるほど納得です。まぁクリエイティブで飯を食っている人間にとっては、厳しい話ではあるんですが。そこに適応してこそ、ですけどもね。
なぜYouTube動画は伝播するのか?GilCrowsの映像技術研究所

・「〜〜が作った」という情報は無いほうが広がりやすい気がする
  →匿名動画だと無駄な嫉妬、やっかみ、叩きも起きない
・作者のもとを離れた動画は拡散しやすい
  →バイラル広告と同じで作者の意図が見えないほうが拡散しやすい?
  →むしろAAや画像のようにブログや2ちゃんねるなどで共有されてこそ広がる

参考:You Tubeで花開くMADアニメ

Posted by amanoudume at 02:50 個別リンク | Comments (6) | TrackBack(0)

2006年09月15日

2006年は「テレビ2.0元年」

テレビの周辺を巡る議論や競争がにわかに慌ただしくなってきました。ちょっとここらで、簡単にまとめておきたいと思います。

1.YouTube
最大の変化はYouTubeの浸透。テレビ放送という概念を大きく揺さぶっただけでなく、YouTubeを観るデバイス(つまりPC)をテレビに近い地位に引き上げる勢いを感じます。PCの画面を家族でいっしょに観る習慣は無いため、いきなりテレビを置き換えることはないものの、個人向け、独身向けであれば、十二分に置換可能なポテンシャルを持っています。

2.iTV
そして次はアップルのiTV発表。今週最大のトピックと言っても良いでしょう。iPodとPCで育て上げたiTunesサービスを大画面テレビに接続する製品であり、アップルのリビング攻略の第一歩です。全貌は明らかになっておらず、発売も来年ですが、あえてこの段階で発表したという事実が、ジョブズ氏の「時は来た!」という思いを表しているのでしょう。いわゆる10フィートUIは、Apple RemoteとFront Rowでくると思われます。
CNET Japan Blog - 中島聡・ネット時代のデジタルライフスタイル:着実にコマを進めるApple

3.Wii
さらに次も今週の話題で、任天堂のWii。テレビにチャンネルを増やす機械という説明と共に、Wiiチャンネルを発表。ネット上の意見を見ると、ゲーマーの間には少し微妙な空気が漂っている一方、IT系やネットサービス系の観点で語っている人たちが激しく興奮しているようです。

 任天堂という企業が考え抜いた、インターネットに対しての回答の結集。いや、それでも表現としては十分と言えない。コンピュータの発達によって年齢差によって起きているデバイド=格差を完全に解消するための解答。それでも、説明ができているとは思えない。それだけ懐が深い、イノベーティブなハードであるということだ。
(略)
今回の発表で痛感させられたのは、今コンピュータの技術革新で求められているのは機能の高度化ではなく、いかに多数の人が、いかに簡単にインタラクティブな環境に触れることを可能にするかというインターフェイスの問題だということだ。パソコン嫌いの高年齢の人でも、即理解し習得できる優れたインターフェイスを生み出すことの方が、ハイエンド商品を作るよりもはるかに難しいのだ。

4.PS3
そして来週はいよいよ東京ゲームショウ。最大の話題は当然PS3。ゲーマー的にはハードが高い、ソフトが高い、高い、高い、高い、という点に目が行きがちですが、注目すべきはそこにあらず。なにしろソニーはずっと「ゲーム機じゃない」と言い続けてきましたし、特にここ数年は継続してゲーム機の家電化を模索してきました。その集大成であるPS3にどんな機能が秘められているのか、大いに気になる所です。

本体にどのような機能が組み込まれているかも興味がありますが、やはり何といっても最大の関心事は「10フィートUI」でしょう。PS2のコントローラが家電のUI足りえないことは、ソニー自身が嫌というほど知っているはず。EyeToyベースの技術を使うつもりなのか、それとも家電的な操作を行うためのリモコンを付けるのか。あるいはPSプラットフォームの力を信じて、両手型のワイヤレスコントローラで勝負するのか。

5.Tナビ
UIといえば、忘れてはいけません。松下とスクウェアエニックスの提携も今年の話題でした。目の付け所は良く、ビジネスの準備も素早い。UIEvolutionを擁して、技術的な下地も十分。テレビ2.0時代の到来に向けて、早々と動き出していたのもさすが。

ただ、懸念されるのは、実際のサービスがなかなか出てこないことです。あれだけオンライン、オンラインと連呼していたのに、アバター型オンラインサービスはいまだに手つかず、Web2.0型オンラインサービスではテクモに先んじられています。インパクトのあるサービスをどのタイミングで発表できるかで、テレビ2.0時代の最有力トップランナーになるか、周回遅れになるか、明暗が分かれると思います。


YouTube(を密接に利用するデバイス)、アップルのiTV、任天堂のWii、ソニーのPS3、松下&スクウェアエニックスのTナビ。どこが勝つか負けるかという、無粋きわまりない議論はとりあえず置いておきましょう。まずは2006年がテレビ2.0元年となった事実をふまえつつ、新しいリビングエンターテインメントの幕開けに素直に心躍らせたいものです。

Posted by amanoudume at 23:44 個別リンク | Comments (3) | TrackBack(0)

2006年09月14日

「汎用機」の時代から「複数の専用機」の時代へ

アップルの新iPod発表

ジョブズキーノート "It's Showtime" - Engadget Japanese
アップルの新iPod発表会が開催され、同日iTunes Storeにてゲームと映画のダウンロード販売が始まりました。iPod向けゲームの配信が始まることは、多くの人が予想していたと思います(マイクロソフトのZuneも少し刺激になったのかもしれません)。iPodや携帯ゲーム機のような「専用機」がPCと携帯電話のような「汎用機」に吸収されてしまうという予想に反して、ここ2〜3年、専用機がやたらと元気です(発熱地帯: 専用機の見直しが進んでいく時代)。


プロセッサの進化も「汎用機」から「専用機」へ

製品の中にどんなプロセッサが入っていて、それがどんな汎用的な処理ができるのか、ではなくて、製品の大きさや形やインターフェース、快適さといったものが重視されるようになってきました。プロセッサベースで考えると、このチップはあれもこれもできるから、それならあの製品とこの製品を統合してしまおう、という考え方になりがちなんです。けれども今みたいに、プロセッサ性能がある一線を越えてしまった時代になると、中身は大体同じだけど、異なるパッケージ、異なるインターフェースをつけて、異なる製品にした方が便利なんじゃないか、という考え方になってきます。あの「ユビキタス」も考え方として似ていますね。

PCは汎用機の代表格ですが、低価格製品群やファミリー向けの製品群を中心に、Web専用機化が進んでいくと思います。ウルトラヘビーゲーマーはハイパフォーマンスPCを支持し続けると思いますが、Web専用機PCと比べて、圧倒的にボリュームが小さいでしょう。

またCPUも、技術的にはそちらに向かいつつあります。CPUのメニーコア化が進んでいるという記事を読むと、あたかもパフォーマンス追及のためだけに行われているように読めるかもしれませんが、じつはそうではありません。マルチコアになることで、バリエーションが広がるんです。
消費電力が大きいものの性能を重視した「多数のコア」版のCPUが作れるし、消費電力を極端におさえた「少数のコア」版のCPUも作れるんです。シングルコアのプロセッサの場合、色々な製品が1種類の製品に統合された方が都合が良かった。けれどもマルチコア、メニーコアになると、色々な製品の中に色々なコア数で入れることができます。

インターネットブームが起こり、常時接続が当たり前になり、ブロードバンドが浸透したこの10年の変化はとても大きいです。しかしその10年をもってしても、PCがリビングに進出することはついに叶いませんでした。それだけインターフェースやユーザーの生活習慣は強固なのです。無理に単一の汎用機をあちこちに押し込むよりも、複数の専用機にプロセッサを押し込むほうが手っ取り早い。とプロセッサ産業が考えるのは自然なことです。


機能の幅を広げている専用機

iPodのゲーム機能(以前もちょっとしたゲームは遊べましたが)、DSやPSPの高機能化(Webブラウザなど)など、専用機が専用機能にこだわらず、色々な機能を取り込み始めているのも興味深い現象です。使い勝手を重視すると、「汎用機→専用機」の流れになるといっても、一方で持ち歩くものは数少なく、置く物はコンパクトに、という欲求もあいかわらず存在します。

そのため「複数の専用機」の時代には、1つ1つの専用機が本来の機能を失わない程度に、周辺の機能を取り込んでいきます。その方が他のカテゴリーの製品に対して、競争力を持つからです。例えば、iPodはゲームを遊べる機能を持つことで、音楽が聞ける携帯ゲーム機への競争力を持ちます。逆に携帯ゲーム機は音楽を聴く機能をもつことで、ゲームの遊べるiPodへの競争力を持ちます。

PCはWeb専用機へと転じつつあります。このようにして、「汎用機」の時代から「複数の専用機」の時代へと移り変わりつつあります。どれか1種類か2種類のハードウェアが他のすべてのハードウェアを飲みつくす「王様のハードウェア」は存在しません。


さて。

さて、ではこのような時代に、ソフト開発者はどのようなソフトを企画し、制作していけばいいのでしょう?
ちょっと時間が無いので、くわしく書けませんが、ボクは2つの事が重要だと思っています。

1つは「カタチ」(インターフェース、使われる場所や環境、ユーザーの生活習慣)を熟慮した商品企画。成功するかどうかはわかりませんが、このフィギュア型メディアはそうした商品の1つといえるでしょう。

もう1つは「ハードウェアを越えた付加価値」を育てることに注力し、その付加価値の自然な要請にしたがった戦略を取ることです。ジョブズの講演の中の台詞がその良い例です。

iTunesであらゆる種類のコンテンツが買える。PCでもMacでもiPodでも楽しめる。でも大画面テレビでは?
iTunesというハードウェアを越えた付加価値を育て上げたアップルが次にどんな製品を出すべきか。それは、iTunesに繋がっていない機械はどこにある?というシンプルな疑問から、簡単に答えを出せます。育て上げた付加価値が自然と、次の入口と出口を決めるのです。

Posted by amanoudume at 03:19 個別リンク | Comments (4) | TrackBack(0)

2006年09月09日

ゲームメディアにも意識の変革が広がっている

最近、ゲームメディアの未来について書いた記事をいくつも見かけます。 問題意識を抱いている人は以前からいたのでしょうが、ようやく公言しやすい状況になってきた、という事ですね。「そう考える」→「そう公言する」の間には、かなりタイムラグが空くものです。野安氏と小野氏に共通するのは、紙メディアは限界にきており、ソフト会社は雑誌を救ってくれるわけではないので、ビジネスモデルの転換をメディアの人間自身が考えなければいけない、という認識です。

やはり大きいのは、企業が商業メディアを通さずに情報発信できるようになった事です。従来であれば、企業は1次情報を商業メディアにのみ落としていました。ユーザーは商業メディアの書いた記事について、あれこれ書いているだけだったわけです。商業メディアと個人メディアの最大の違いは、書いている人間の文章力でも、専門知識でもなく、1次情報にアクセスできるかどうかでした。

しかし企業が1次情報を公開するようになると、商業メディアの優位性はかなり失われてしまいます。もちろん個人メディアの質が必ずしも高いわけではありません。けれども個人メディアは商業メディアに比べて制約が少ないですし、数が多い。玉石混交でも、その玉が商業メディア以上のクオリティであれば、あとはグーグルやネット上の評判などで選別され、良い記事を書きつづける個人メディアに読者が集まってきます。

ユーザーも、今は商業メディアを介した情報は信用しなくなって、企業からの直接的な「生の情報」のほうを重視するようになっています。企業の広報は明らかに変わってきているし、個人メディアと商業メディアのパワーバランスもますます変わってきています。最終的にどのような形に落ち着くのかはまだ不透明ですが、「信頼」がきわめて重要になっているのは確かでしょう。

  • 「信頼」をどう担保し、高めていくかが重要。メディアやライター自身がレビュー(評価)の対象になる。
  • ボクはずっと言っているが、ライターは商業メディアの補完として自分のブログを持つべき。
  • メディアは読者のコミュニティを育てるという意識を「より強く」もつ必要がある。
  • メディアはソフトメーカーと一緒にコミュニティ形成すべきかも。例えば、電撃プレイステーションがファミ通の取り上げないようなメーカー(日本一ソフトウェア)と一緒にメーカーのファンを育てていったように。

Posted by amanoudume at 01:54 個別リンク | Comments (4) | TrackBack(0)

2006年08月27日

21世紀なんだからクリエイティブの概念も変わるよな。

子供が楽しめれば、それでいいんじゃないの?

島国大和のド畜生 「ドラえもん2.0に透けるコンテンツ化」
妙に反動的な事を書いてらっしゃるなあ、というのが第一印象。
2.0云々などとよくわからない事を書いておられますが、子供向けの作品ではこの手の「読者からのアイデアを募集」「そして作品に登場」なんて企画はよくある話でしょうに。

ボクがコロコロでドラえもんを読んでいた子供の頃にも、誌面でこういう募集はあったような気がします(アイデア募集→発表で終わっていたか、作品に登場までやっていたかは記憶があいまい)。子供心にハガキを書いた記憶が。いや、もう昔の事なんで、別の作品と勘違いしてるかもしれませんが・・・・。マンガでなくとも、ゲームだって、ファミコンの頃にはゲーム専門誌でアイデア募集というのは、割とよくやっていたはず。

そこにヤフーが絡んでくるあたりが現代的といえば現代的かもしれませんね。
子供が楽しめれば、それでいいんじゃないのかな。まぁ、この企画に胸躍らせてたくさん応募しまくるのが大人ばかりで、作品をいじりやがって!と眉間にしわを寄せるのも大人ばかりなら、なんともシュールな光景ですが。

ネットが普及して、子供向けのメディア展開もネット上で行われるようになると、それが「ナントカ2.0」に見えちゃう罠。「ナントカ2.0」というものに拒否感を抱くクリエイターがいるのはわかりますが、そもそも実際には昔からやっている事のネット版だったり、子供向けの手法の大人版にすぎなかったりします。ボクはガキの時分に、この手の企画を楽しんだ人間なんで、それを今の子供から奪おうとは思いません。いや、もしかすると、今どきの子供の中には「俺の心の名作をいじくりやがって、許せん!」と怒る子がいるのかもしれませんが。

メインユーザーが誰かっていう話でしょ。かつて子供だった大きい人たちを喜ばせるのと、今の子供たちを喜ばせるのと、どちらが大事なんでしょうかね(子供と書きましたが、かつてドラえもんで育った親と子供がいっしょに楽しめるようにという意図もすね。子供向け企画では、親を味方につけるのが常道です)。
ドラえもんの企画についての感想は以上です。『ガンダム』はそこまで愛着無いので、ノーコメント。


オールドクリエイティブっつーと、煽りすぎですが

そもそも作者という概念にしても、昔から今のような形だったわけではないですし、著作権なんて昔はなかったわけです。20世紀には作者とユーザーが分離しているという形態が主流でしたが、それも永遠のものではありません。21世紀には違う形になるでしょうし、実際なりつつあるという実感を抱いている人は少なくないでしょう。

最近の動向を見ていると、徐々にクリエイター=作品の創造者から、クリエイター=祭りの主催者という形に移行してきているのを感じます。同人やネット上でのクリエイティブ、ブログなんかはもうすでにそういう感じですから。そういうスタイルが好きか嫌いかは人それぞれでしょう。世代によっても受け止め方はさまざまでしょうし。別に20世紀的な作者像がいかんという事ではありません。ただ、市場原理が働いた結果、自然と食えなくなっていく可能性はあります。それは仕方ない。

ユーザー参加なんてものは、ネットが普及する前、まだ雑誌が力を持っていた時代からあったんですけどね。ただ、ネットの普及によってユーザーの力が促進されるにつれ、クリエイターとのパワーバランスが変わってきているのは確かでしょう。今は過渡期です。ボクにしたって、20世紀的なクリエイティビティーに浸っていた時間のほうが長いわけで、10年後、20年後の新人からすれば、クラシカルな認識をもったジジイにすぎません。

結局、オールドクリエイティブとニュークリエイティブのどちらが好きか?という事かもしれません。20年後ならニュークリエイティブはただの常識ですが、現時点ではどちらに身を置くか選択できるわけです。選択といっても結果が保証されるわけではありませんが。ボクがどちらを好むかは、このブログの読者なら、すぐにおわかりでしょう。もちろん後者です。

(もし仮にボクがオールドクリエイティブを支持するとしても、ボクぐらいの年齢だと、オールドクリエイティブで引退まで逃げ切れるかという問題があります。うーん、ちょっと逃げ切れないかな、というのが予想。今40代ぐらいのクリエイターなら逃げられるかなと思いますが、30代ではギリギリ逃げられるかどうか怪しい。20代は完全に不可能ですね。)

Posted by amanoudume at 23:38 個別リンク | Comments (12) | TrackBack(0)

2006年08月26日

日本市場の変化、さらに進む

誰もが公に認めざるを得なくなりつつある変化

北米のゲームバブルが急速に崩壊しています。その一方、日本のゲーム市場は世界に先がけて「据置→携帯」シフトが鮮明になっていて、世界のアンテナ市場として重要性を増しています。

夏商戦ではPS2のソフト市場が4割減、DSのソフト市場が200%増。「据置→携帯」の流れが鮮明になりました。春商戦では「DSが売れまくっているだけで、PS2市場が縮小しているわけではない」と分析していた電撃編集部も、いまや「据置→携帯」シフトを全面的に肯定しています。

電撃オンライン調べによる8月14日〜8月20日の週間販売データ

ソフトに関しては、これまで市場の中心だったPS2が42.8%減の296.3万本と大きく落ち込んだものの、DS(216.4%増の473.9万本)とPSP (263.1%増の125.9万本)、両携帯ソフトの活躍で前年同時期を上回る数字を残しています。ちなみに、前夏商戦と今夏商戦の売り上げ上位3タイトルを見ると、昨年は1位『〜ウイニングイレブン9』(PS2/期間内販売数78.0万本)、2位『第3次スーパーロボット大戦α』(PS2/55.7万本)、3位『実況パワフルプロ野球12』(PS2/41.8万本)とPS2が上位を独占していましたが、今年は1位『New スーパーマリオブラザーズ』(DS/81.3万本)、2位『たまごっち〜ごひーきに』(DS/40.0万本)、3位『もっと脳を鍛える大人のDSトレーニング』(DS/38.1万本)とDSが独占。次世代機の発売前という状況ではありますが、据置機から携帯機へという今の市場の流れがはっきりと表れる結果となったと言えるでしょう。
ユーザーやゲーム業界人のブログでは、とっくの昔に常識になっていた事ですが、メディアはようやく公に認め始めたわけです。誰にとっても当たり前のことでも、メディアに載せるとなると、慎重な態度を取ってしまう。それがメディアの鈍さです。

しかし日本市場の変化は、もはや頑迷なメディアの古い認識さえ、あっさり覆しました。それだけ変化が巨大なんですね。またゲームクリエイターも、これまでは実用ソフトについて肯定的なコメントを避けていた感がありますが、公に肯定する人が現れ始めました。
「しゃべる! DSお料理ナビ」で考えるゲームの皮を脱ぎ捨てる動き - ゲームデザイナーが斬る話題のゲーム -

個人的に筆者は、理念先行型でないのなら、ゲーム機用にゲーム以外のエンターテイメントソフトや、お役立ちソフトを出していくのは有意義だと思っている。ハードの可能性も広がるし、めぐりめぐって、ゲームソフトのあり方にもよい影響を与える可能性があると思うからだ。

ゲームのマンネリが言われて久しい。「いわゆるゲーム」にとらわれることから脱却することが、ますます重要になってきている。新しいムーブメントは、意外とこういった方向からじわりと押し寄せてくるのかもしれない。

ゲームクリエイターはゲームらしいゲームを誉めるが、実用ソフトはスルーする、というような姿勢はユーザー無視、市場無視の倣岸な態度です。麻野氏のように新しい流れ、より良い未来につながる流れを素直に肯定する人が増えた方がいいですね。


経営者が何をわめいても答えを下すのはユーザー

『FF3』が非常に良いスタートダッシュを切った模様。
DS版「FF3」発売初日で30万本を超える大ヒットに|忍之閻魔帳

発売初日だけで30万本を超える数字を叩き出し、市場を席巻している。
数字の割に消化率が低迷し、結果的に値崩れしてしまった
「FF12」と違い消化率も上々で、むしろ全く足りていない状態。
ゲームらしいゲームが低迷する中、DSでの「ファミコン時代の名作の復活」は1つの成功方程式なのでしょうね。『Newスーパーマリオ』もうまくファミコン世代の初代スーマリ経験者を取り込んでいました。かつてのファミコン世代がDSで任天堂ハードに戻ってきた、という市場特性と一致する結果です。
  • ファミコン世代の思い出に残っているため、話題性がつきやすく、認知されやすい。
  • 単純な移植よりも、リメイクや、懐かしさを適度にくすぐる新作の方が良い。
  • 映像大作主義である必要はまったくないが、絵は綺麗。(『Newマリオ』『FF3』ともDSにおける絵的な水準は高い)
  • 遊びやすくなっている。
  • 携帯ゲーム機で(かつての)据置ゲームクラスのゲーム。
PS2市場が急激に縮小しているため、ソフトメーカーにとってDS市場は砂漠のオアシスのようなもの。ファミコン時代のなつかし作品のリニューアルや新作投入が活発になるかもしれません。開発費の高い次世代据置ゲーム機に集中しすぎるのは危険で、携帯ゲーム機のラインナップを増やすべきというのが、昨今の常識的な経営判断です。実際、東京ゲームショウのプレイアブル出展タイトルを見ても、SCEの比率がかつてないほど高く、ソフトメーカーが及び腰なことがうかがえます(各社とも、XBOX360向けのタイトルと大差ない内容)。

さて、スクウェアエニックスといえば、経営のトップである和田社長が最近トンデモ発言を連発している事で知られています。プロセッサ性能至上主義が崩壊したにもかかわらず、プロセッサ性能を肯定する発言を連発。プロセッサ屋さんのイベントの席上とはいえ、時代、ユーザー、市場から目をそらした言葉の数々には、心あるゲーマーの人たちが大いに嘆いたものです。

しかし経営者が何を言ったところで、時代の趨勢は変わりません。プロセッサ性能至上主義をどれだけ礼賛しようとも、実際に売れるのはプロセッサ性能の低いDSのソフトです。ユーザーが判断し、ユーザーが選択し、ユーザーが結論を出す。『FF12』は評判が2分し、E3で『FF13』をPS3向けに発表して以降、株価と評判は下がりまくり。それでもまだユーザーはスクウェアエニックスという会社に期待しているわけです。だから正しい選択をした時には、激しくポジティブな反応をします。経営陣がズレた発言をしても、正しい方向はこちらじゃないかな?と導いてくれるのですね。

「据置→携帯」シフト、プロセッサ性能至上主義の崩壊、日本の変化が欧米にも拡大。こうした変化を素直に認めて、素直に経営し、素直に発言することが大切。ユーザーに背を向けず、市場の結果を正しく受け止めて、王道の経営に立ち返っていただきたいものです。


もはや何の言い訳も要らない

DSを中心にした新しい変化に対して、「そうは言っても、任天堂以外の会社は成功してない」「サードパーティのソフトが売れない」などとくだらない言い訳を並べて、変化から逃げている人たちがいます。実際は『たまごっち』がミリオンを突破していますから、女児向けの市場がとても大きいことは誰の目にも明らかでした。でも彼らは女児向けの市場を過小評価し、現実逃避の言い訳にしていました。しかし『FF3』の成功によって、彼らの言い訳はこっぱみじんに打ち砕かれました。

でもきっと彼らはまたも言い訳を探すのでしょう。「DS市場では任天堂以外のソフトは売れない」→たまごっちがミリオン突破→「たまごっちは普通のソフトとは違う。数に入らない」→『FF3』が成功→「FF3は・・・・」。次はどこへ逃げるんですか? いつまで逃げ続けるんですか?

Posted by amanoudume at 01:41 個別リンク | Comments (13) | TrackBack(0)

2006年08月22日

プレイに制限をかけるゲームが増えている

かなり前の話になりますが、ABAの日誌さんのこの記事を読んで、なるほどなと思った箇所がここ。

脳トレとかもそうだけど、こういった極端な緩急をシステム側から強制的にプレイヤーに与えるのが、昨今のゲームの流行りなのかなあ。カルチョビットは脳トレと違って日ごとの制約などはないけども、プレイヤーからのインタラクションを積極的に禁止するという点ではさらに進んでいる。
旧来のゲームは基本的に、ユーザーがゲームを買った後はぶっ通しでクリアしても、ちまちま進めてもかまわない、勝手にしてください、という作りでした。一方、『脳トレ』や『nintendogs』はプレイヤーに制限を課す作りになっています。一度に数十時間、連続プレイして、ゲームを攻略し終える、という構造ではありません。

もう1つ、プレイヤーに制限をかけたゲームとして、『ひぐらしのなく頃に』を挙げたいですね。4編の出題編と4編の解答編から成り、ゲーム中には基本的に選択肢はなく、したがって何をどうしようと、否、何をどうしようもない。プレイヤーはほぼ半年ごとに発売される新作が出るまでの間、推理しているしかない、という構造。最初から出題編と解答編が一緒になっていたなら、つまり普通のノベルゲームだったなら、『ひぐらしのなく頃に』はここまでヒットすることはなかったでしょう。

『脳トレ』の例と『ひぐらし』の例では、それぞれ目的も効用も異なっていますが、どちらもここ最近のゲームの潮流を体現しています。一度の連続プレイでクリアされないような、かつそれが自然にプレイヤーに受け入れられ、その構造が楽しさを提供する。非ストーリー系ゲームとストーリー系ゲームの両方で、具現形が生まれているのが興味深いですね。

プレイに制限をかけるゲームは、制限のかわりに何をプレイヤーに提示しているのかというと、遊び方です。これらのゲームはプレイに制限をかけることで、プレイスタイルを「提案」しているのです。人々の生活が多様化し、ゲームの楽しみ方も多様になってきた時代だからこそ、「このソフトはこういう風に楽しむものです」という事を自然な形で(強制と感じさせずに)提案するソフトがヒットしやすいのかもしれません。プレイスタイル提案型というと、Wiiも遊ぶ姿を強く意識したゲーム機で、それが期待感を集めているのは面白いですね。


(それにしても『脳トレ』の大きな特徴は、脳を鍛える生活というスタイルを提案した事にあるにも関わらず、単純に昔ながらのIQ系ゲームをDSに移植するゲーム会社が後を絶たないのは・・・・。IQ系ゲームなんて昔からあるわけで、しかし『脳トレ』で急激にブレイクした原因はどこにポイントがあったのか。その部分の分析をまるでしていないんですよね。結局、表層だけを見ている制作者が少なくないという事なんでしょうね。)

Posted by amanoudume at 01:38 個別リンク | Comments (2) | TrackBack(0)

早くも常識となりつつある「E3縮小は北米ゲームバブル崩壊の象徴」

この話題しつこく書いてますが(笑、ゲーム系アナリストの平林久和氏も同じような認識を述べておられますね。
「E3縮小=北米ゲームバブルの崩壊の証」という意見が短期間のうちに増え続けています。逆の意見はまったくといっていいほど見当たりません。去年の日本に続いて、北米でも今年大きな変化が起こりつつある、と日本のゲーム業界人は察知し始めました。もはや去年までの「北米のゲーム業界はずっと成長する。日本のゲーム業界は北米を見習うべき」という電波理論はズタボロの完全崩壊。日本のゲーム市場はいまや、最先端の変化を表すアンテナ市場として機能しています。

羽振りがよくて豪邸に住んでいるけど、借金だらけの芸能人みたいになりつつあるアメリカゲーム市場を予感させます。
アメリカの日本化が進んでいるのではないかと。以前、こんなことを書いたことがあるんですが、簡単に言うとアメリカのゲームソフト市場はバブルだったんですね。
(略)
かつて日本が経験した5つの苦しみはアメリカ産業界を襲うはずです。

また、新清士氏がE3縮小と世界各地の展示会の競争について、簡潔にまとめています。E3の後釜に座るのがどこの展示会かはわかりませんが、日本のCEDECはますます成長し、東京ゲームショウも注目度が高いです。
「E3」縮小につけこめるか――世界的に激戦化するゲーム展示会

「CEDEC」が大規模化を進めている。参加者は約1800人と日本ローカルなカンファレンスでありながらも、数年前に比べ倍増し、世界のゲームカンファレンスの中で、最も大きなものの一つと考えていい存在にまでなってきた。
 今年9月に行われるTGSについて言えば、E3縮小とは関係なく盛況だろう。任天堂の「Wii」の詳細のプレス発表は9月に予定されており、TGSでは「PS3」についての基調講演がある。CEDECからTGSまで、日本のゲーム業界に世界の注目が集まる熱い月がやってくるのは間違いないからだ。
来年からは他のイベントと統合することで、さらに国際競争力をもったイベントに成長するわけで、誰が見ても「拡大」なのは明らかです。

もちろん世の中には、強化策を弱体化といい、合併を縮小といい、統合を縮小というような感性も存在するのでしょうね。はてなブックマークを見ると、あのRanTairyu氏が「縮小だと思うけど、俺は」と書いておられます。便利ですね、主観的な言い方って。DSは欧州でも北米でも売れているわけで、データが出てきているにもかかわらず、「DS海外は売れるかどうか個人的に不明」という表現も素敵きわまりない。客観的なデータなど知らない、俺は知らない、と書けば、そりゃ何でも書けますから。結局、DS路線が全世界で成功しつつある今、客観的なデータでは議論できないわけで、「俺は思う」「個人的に不明」という主観的な言説を述べるしか方法が無いのでしょう。

何の根拠も無い言説なんて、所詮そんなもんです。
まぁはてなブックマークの一部に見られる、超主観的ゲーム業界分析はまだ可愛げがあります。
しかし、急速に常識が塗り替えられているとはいえ、ゲーム業界にもいまだ、そのような人物はいるでしょうね。大きな変化が起こる時、変化についていけずに、旧来の考え方にしがみつく人というのは常に存在します。ある時点までは、それは仕方ない事とみなされます。変化はあまりに急激だからです。しかしある程度時間が経過して、それでもなお変化に背を向けるなら、そういう人が、部署が、会社が、業界内でどのような末路をたどるか。最後まで語るまでもないでしょう。

参考

Posted by amanoudume at 00:43 個別リンク | TrackBack(0)

2006年08月19日

日本発の新しい変化が全世界を覆い尽くす

E3の縮小=北米ゲーム産業のピークアウト

「北米ゲームバブルの崩壊の序曲」「欧米にも広がるプロセッサ性能至上主義の崩壊」で書いてきたように、日本発の変化が全世界に広がっています。DSは日本で空前の大成功をおさめ、欧州でもTouch Generations!のソフトが大ヒットし、北米でも『脳トレ』がじわじわ売れています。

こうした現状認識が日本のゲーム業界内に浸透しつつあります。ゲーム開発者のあれれさんや、ゲーム系ライターの野安ゆきお氏も同じようなことを書いておられます。
ゲームのマボロシ: E3大幅規模縮小から考える

北米ゲーム業界にとって、日本のゲーム業界には北米追従路線で居てもらった方が、自分の土俵で戦える訳ですから、有利だったはずです。しかし日本のゲーム業界が素直に日本市場で受けるソフトを作り始めたら、逆説的に再び北米を制することになるかもしれません。今年の年頭にも書きましたが、日本のゲーム事情は、北米より数年先行している可能性があるからです。
(略)
少なくとも今、ゲームのイノベーションは北米ではなく日本で起こっていると言い切ってしまって良いと思います。

ゲームは、10年周期で変化する〜E3の縮小と、DSの大ヒットが意味するもの (デジタルエンタメ天気予報)

日本では、すでに変化が起き始めたようです。ヨーロッパでも、日本と同じように、じわじわとDS用ソフトがビッグヒットを記録するようになり、変化の波が訪れている模様。いずれ北米地区でも、似た状況になるでしょう。2〜3年後には、ゲームが新しい時代に突入したことを、全世界が理解すると予想されます。
ボクも、あれれさんも、野安氏も、共にE3の縮小を変化の象徴として捉えています。同じ会社の人との雑談でも、他社の知人との雑談でも話題にのぽりましたが、E3の縮小を北米ゲームバブルのピークアウトと認識している人はかなり多いようです。もちろんゲーム業界人の間で投票をしたわけではないので、この見解が圧倒的多数かどうかはわかりませんが、認識が広がっている確かな実感があります。


日本のユーザーは世界最先端のアンテナ

市場で目立っているのは任天堂ですが、最近はセガもかなり変化を見せつつあり、セガトイズとゲーム部門の連携がはっきり感じられるようになってきました。家庭用ゲーム部門には、まだまだ変化への抵抗勢力は存在すると思われますが、変化に乗った人たちが成功すれば、遠からず変化は全社に広がるでしょう。

今回の市場拡大にもっとも大きな貢献をしたのは任天堂ですが、そもそも日本のユーザーと市場が新しい変化を受け入れたという事が基本にあります。いや、より正確にいえば、ユーザーの変化に一番最初に対応したのが任天堂だったという事です。
まず任天堂ありきで市場があるのではなく、まず市場ありきです。すなわちこの変化は、日本のユーザーの変化です。日本のユーザーや市場は、世界中のユーザーに起こる最先端の変化をとらえるアンテナとして機能しています。

数年前に最初の変化が起こった時、少なくないゲーム業界人は「ユーザーが保守的」「ユーザーが悪い」と言い出しました。そして新しい変化に背を向けて、変化の遅い地域である欧米に逃げ出そうとしたのです。しかし今や、DSを中心とした変化は欧州に広がり、『nintendogs』が300万本以上売れていますし、『脳トレ』も着実に広がっています。また北米でも『脳トレ』はしっかりジワ売れしていますし、DS Lite以降、ハードの販売台数はPSPを一気に引き離しました。

この変化を目の当たりにしたEAは、PSPからDSへの重心シフトを表明。 E3以降は、欧米のパブリッシャーが続々、Wiiへの注力を打ち出しました。それがいわゆる「Wii60」路線です。欧米は日本よりも変化が遅いため、新しい変化と従来のやり方の二股をかけなければいけないのですね。

もし北米がゲームの中心地であり、日本の変化がローカルの現象に過ぎないなら、「Wii60」ではなく、「XBOX360」路線で十分です。もしプロセッサ性能市場主義がゲーム業界で強く支持されているなら、PS3とXBOX360をサポートすれば十分のはずです。しかし現実にはWiiの存在感が急激に高まっています。

まぁここまで状況が進んでも、変化に背を向ける人はいらっしゃるでしょう。
一昨年の年末、DSが売れ、PSPが初期不良騒動を起こしても、「ガタガタ騒ぐのはネット上だけ。ユーザーはすぐに忘れるよ。ハードの欠陥もソフトのバグも仕様、仕様。タッチペンなんてすぐに飽きるよ。やっぱグラフィックでしょ」と言っている人たちがいました。
去年の年末、DSが日本で大ヒットしても、「しょせん日本の出来事。これからは欧米の市場が中心。欧米ではPSPが売れている。やっぱりグラフィックだよ」と言っている人たちはいました。

そういう人たちは今、どんな言い訳を並べるのでしょうか。日本の次は欧州、欧州の次は北米、さあ次は? 中国ですか、韓国ですか。新しい変化が地球上のあらゆる地域を覆い尽くすまで、続けるつもりなんでしょうか。最後は宇宙旅行か、時間旅行でもするつもりかな(笑
もう好きにしてください。


オマケ
以前のエントリーに対するはてなブックマークのコメントを見ると、E3の縮小と東京ゲームショウの変化を混同している人がいらっしゃいました。RanTairyu氏ですね。RanTairyu氏はボクのエントリーに対して、なかなか鋭いコメントをしてくださることも多いのですが、一方で不十分な知識や事実誤認に基づいたコメントをすることもしばしば。

東京ゲームショウは縮小するわけではなく、東京国際映画祭や東京国際アニメフェアと統合することで、海外へのコンテンツ発信力を強化する目的。経済産業省の主導によるコンテンツ強化の国策です。 E3縮小とは真逆の出来事。
東京ゲームショウ、来年より「国際コンテンツカーニバル」に統合か

しかしあの記事は、ちょっと煽り気味に書いたのですが、案の定、釣れるべき人たちが釣れた感じでしょうか(笑
とはいえ、北米ゲーム業界のピークアウトは現実の出来事。積み上げられた現実を認めるのを拒むとすれば、事実誤認に走るか、皮肉でも書くしかありません。いやはや。

それにしてもkanose氏の、WiiはPC-98となるかもしれない、日本のゲーム業界は孤立するかもしれない、という主張の続きが読みたいもの。まぁオンラインゲームについての記事で、WiFiコネクションで注目を集めた任天堂が抜け落ちているなど、ゲーム業界にうとい部分が見られますから、ゲーム業界の潮流とはかけ離れた認識をお持ちだと思いますが、逆にいえばユニークな視点ともいえるわけで、少し興味があります。

Posted by amanoudume at 01:08 個別リンク | Comments (5) | TrackBack(0)

2006年08月13日

あー、俺も買わないと。

『メルティブラッド・アクトカデンツァ』が素晴らしい売上のようで。

TYPE MOONブランドのパワーを見せつけ、PS2の「メルティブラッド」が発売初日から猛ダッシュ、2D格闘ゲームとは思えない勢いで品切れが続出している。初回出荷約7万本は既にほぼ完売状態
PS2版メルブラ完売 「・・・恐るべし秋葉原と月姫パワー」
秋葉原では、初日に完売していたゲーマーズ本店に続き、発売2日目の11日では、とら1号店3F同人フロアでの販売分・アソビットゲームシティで完売していて、夕方のとら本店でも平台に並んでいたPS2版メルブラ【AA】が減り10コくらいだった感じ。アソビットゲームシティでは『売り切れました!・・・マジたくさんあったのに・・・恐るべし秋葉原と月姫パワー』としていた。
遊ぶ時間は全然ないけど、とりあえず俺も買っとかないと!
2Dゲーム(2D格闘、2Dシューティング、ノベルゲーム、パズルゲーム)のように枯れたジャンルは、もはや同人ゲームにホットスポットが移ってしまった感がありますね。同人市場での人気をてこに、商業市場を活性化させているような状況。昨今の「萌え」シューティングの増加も普通の光景に見えてしまいます。

横スクロールアクションゲームにしても、『マリオ』を始めとする任天堂作品と『ロックマン』は生き残っているものの、残りは・・・・。『悪魔城ドラキュラ』シリーズも厳しくなってきてますし、『極魔界村』はやっぱり懐古ファンが少し動いた程度。2Dアクションゲームも(任天堂とロックマンを除けば)完全に枯れたジャンルで、そのうち萌えアクションゲームが出まくったりして・・・・。同人ゲームでは、評判の良い物が出てきてますしね。

Posted by amanoudume at 00:00 個別リンク | Comments (2) | TrackBack(0)

2006年08月12日

回転が加速していく小さな歯車とサビついてきた大きな歯車

マスプロモーションとネットパワーを巡る議論

最近、マスプロモーション対ネットの口コミパワーという構図の議論が盛り上がっているようです。でも実は、状況の認識はさほど違ってないように思えます。要するに立場や嗜好におうじて、最終的な結論をどっちに持っていくかを変えているだけなんですよね。

ネットユーザーはマスメディア嫌い(不信の)人が多いため、マスプロモを否定して、ネット上の評判を重視する傾向が強いです。最も代表的な意見はデジモノに埋もれる日々さんのこの記事でしょうか。
デジモノに埋もれる日々: 「亀田」と「時かけ」 - メディアの扇動力がネットに圧される時代
実はこの記事は、評判という点を軸に勝敗を判断していて、『ゲド戦記』と『時かけ』でどちらが興行収入が上かという評価軸は、意図的に無視しているんですよね。そりゃさすがに結果は見えてますから。

似たような状況認識にもかかわらず、ビジネスの視点で冷静に数字を追いかけているのが切込隊長。
切込隊長BLOG(ブログ) - 『ゲド戦記』が不評のようなのに商売人根性が炸裂し興行成績は優秀な件についての考察
「瞬間風速型大作志向」はまだ有効だし、ぶっちゃけ、”大きな歯車を回す”ためのそれ以外の手法が出てきてない。けれどもマスプロモ型の手法では、長期間にわたって売れ続けさせるのは難しいので、ますます焼き畑的なプロモーションに頼るようになっていく。しかし焼き畑的な手法では長期的にはジリ貧になる懸念も拭えない。

課題は、これらの話趨性を伴うコンテンツが、質的評価を伴わなかったが故に、長く語り継がれる作品として世間に定着しなくなることにある。むしろ、最近の商業コンテンツで十年どころか数年に渡って消費者のなかにあり続けた作品が見当たらないことが問題だと思える。
 (略)
なかぱ強引に作品を調達した結果、知名度や話題性と釣り合わないクオリティの作品が毎年各季節に投入されてしまう結果になってしまうことは遺憾である。まるで決算時期に大量投下されるPS2ゲームタイトルみたいだ。
デジモノさんが追記に書かれているとおり、状況認識はさほど違いません。デジモノさんは「このままでは・・・・」という変化の部分を強調する立場で、切込隊長は現在形でのビジネスの現実を冷静に書いている立場。


マスプロモーションとネットパワーに対する企業の認識は?

マスプロモーションの効果が薄れているという実感は、大なり小なり誰しもが抱いていることでしょう。

マスプロモーションの衰退はすでに仮説の域を超えて、現実のビジネスの中で真剣に検討されています。また大企業やメディアの側も、ネット上のロコミパワーを決して軽視していません。

「ボクシングの亀田興毅」「ゲド戦記」を巡って、ネット上に不自然な擁護意見が見られるという記事で、なかなか興味深い。あえてネットの多数派の意見と違う立場を取ることで、自分の存在感をアピールしようとしている人もいらっしゃるとは思うものの、それにしたって妙に擁護的な意見を取る人が多い、と感じていました。

ネット上の口コミには、正の話題の広がりと負の広がりがあります。企業にとって正の話題の広がりはまだ信じられるレベルに達していないのかもしれませんが、負の広がりはハッキリ脅威と感じているんでしょうね。どうやって「火消し」するかが企業にとって課題になっています。しかし「目には目を、歯には歯を」では、さらなる疑惑の種を将来に残すと思いますが・・・・。


「瞬間風速型大作志向」が破綻し始めたゲーム業界

こうした諸現象がいち早く顕在化したのがゲーム業界です。切込隊長が指摘している「瞬間風速型大作志向」の限界もすでに見えつつあります。
『戦国無双2』の売上半減のようなPS2市場の衰退、『LocoRoco』のプロモーションの盛大な失敗は、焼き畑的な手法が長続きしなくなる良い証拠です。ゲームはパッケージメディア主体のビジネスなので、消費者のリスクが高く、焼き畑的な手法の効力がいち早く弱まりました。

「瞬間風速型大作志向」の代表ともいえる『FF12』はネット上で評判が2つに分かれ、200万本こそ越えたものの、PS2の普及台数がかなり低かった時期に発売された『FF10』並みの売上でした。「かろうじて判定勝ち」(判定負け?)という感じ。スクウェアエニックスの昨年度の決算の悪さにもつながりました。FF出てこの決算かよ、みたいな。

大量投下プロモーションの権化だったSCEは完全に失墜しました。PSPの初期不良への対応を誤り、「それがPSPの仕様だ」発言で、久多良木氏は多くのユーザーから嫌われ、それが現在のSCE(PS3)批判の土壌を作りました。当時、ネットの初期不良騒動はPSPの販売に影響しない、などと馬鹿げた業界人論理をふりかざす人もいましたが、今となってはユーザー無視の姿勢が根本的な誤りだったことは明らかです。


現時点でのまとめ

現時点では、以下のようにまとめるのが妥当でしょうか。

特定の層に限定した場合

  • 特定の層に限定すると、マスプロモーションは非常に効きにくくなっている。口コミパワーの影響もかなり強く現れる。
  • キーワードは「信頼」と「良質感」。
  • 点火した時によく燃えるためにはある程度の話題の「種火」が必要。
  • 最初の火の勢いも大切なので、ゲームの場合は初期出荷数がある程度ほしい。5〜10万本程度が目安?
  • 火が燃え広がるには、コンテンツヘのアクセス容易性がポイントになる。多少の障害があった方が「観たい」という気持ちが強まる効果はあるかもしれないが、障害が大きいと火を消してしまう。ゲームソフトの場合は価格。『ハルヒ』はテレビ放送を見逃した人でもYouTubeで観られたのが大きい。『時かけ』は上映館数が少なすぎるので、話題になってるけど観ないでもいいか、と思った人も多いのでは。
  • ネットでの話題性が現実の売上につながるかどうかは、話題がホットなタイミングで商品を出せるかどうかが重要。DS『きみ死ね』は、FLASHが一番多く作られ、話題性がピークだったのは発売1ヶ月前。発売された時には話題が消化されてしまっていた。『ハルヒ』は例えば、「ライブアライブ」が放映されて、劇中歌が話題になった週にCDが発売されて、売上に大きく貢献した。

ある範囲を超える場合

  • ある範囲を超えた広い層を相手にする場合、ロコミパワーの影響が限定的。ロコミはその性質上、興味や思考を同じくする者同士で伝播するため、その範囲を越境する時に大幅に「減衰」する。
  • 旧来のマスプロモーションの効果は年々低下しているが、他の有効な手段が見つかっていない。
  • そのためコンテンツ業界の焼き畑化がますます加速している。ブランドの低下など、長期的なスパンでのジリ貧化をもたらす。

全体的な状況

  • 嗜好の細分化が進んでいる。ネット普及以前は、最大公約数的なアプローチが有効だった。しかしネット普及以後は、あるマイナーな嗜好でも、かき集めれば全国で数千人、数万人、数十万人の規模になり、ビジネスにしやすくなった。
  • ただし数百人ぐらいでは、さすがにビジネスにはならない。敷居は下がったが、やはり存在する。
  • 当然プロモーションの方法は異なるし、より口コミシフトが進んでいく。
  • 嗜好の細分化が進むことで、結果的に「特定の層」という集団が増えていく。供給側のリサーチとユーザー側のサーチが上がっていくので、従来よりも多数の「特定の層」が浮かび上がる。
  • ロングテールの議論と似ている。
  • マスプロモーションの必要性が薄い、特定の層向けのコンテンツ供給がより低コストで可能になる。
  • しかしこのビジネスでは「大きな歯車」は回らない。大きな歯車に乗っかっている人たちが「あれは小さな歯車」と小馬鹿にしている間に、大きな歯車のシェアは低下していく。
元気な「小さな歯車」に対して、弱っていく「大きな歯車」というのが基本構図。「大きな歯車」に乗っている人たちが全員、「小さな歯車」に乗っかれるわけではなので、「大きな歯車」を回す新しい仕組みが求められています。でもなかなか見つからないので、「コンテンツ業界はお先まっ暗じゃね?」「強くなるユーザー。弱くなるコンテンツ供給者」なんて、言われちゃってるわけですよね。


補足: 『ハルヒ』と『時かけ』

個人的には、『ハルヒ』と『時かけ』を同列に並べたデジモノさんの記事には違和感をおぼえました。ネット上で評判が良かったことや、その割に観られない人が多いことなど、確かに共通点はあります。しかし実際に文庫本、DVD、CDの売上につながった『涼宮ハルヒの憂鬱』と、上映館数が増えているとはいってもまだ非常に少ない『時かけ』は違うもの。

多少評判が良いぐらいの作品は、それこそ季節ごとに現れているような気さえします。問題は『ハルヒ』がその中で頭1つも2つも抜け出た理由。いくつか挙げられるでしょうが、大きいのは『ハルヒ』にはYouTubeがあったが、『時かけ』には無かったということです。実の所、ボクは『時かけ』はいまだに観ていません。近所でやってたら行ったかもしれないけど、遠いんで。あれぐらいの評判の良さでは、この距離は越えられません。
『時かけ』はYouTubeが存在しなかったifの世界の『ハルヒ』に似ている、というのがボクの印象です。

Posted by amanoudume at 00:00 個別リンク | Comments (9) | TrackBack(0)

2006年08月11日

最近のメモ。DivX Stage6と携帯電話と。

DivX Stage6

YouTubeを追いかける動画投稿サイトの中で、一気に有力候補に躍り出た? コーデックを作っている会社だけに、軽さではなく、画質の面で競争をしかけた点が面白い。サーバーコスト大丈夫か?という突っ込みもありますが・・・・。渡辺聡氏が分析しているように、YouTubeを脅かすというより、テレビを脅かすかも。Gyao要らねーとか(笑

携帯電話

携帯電話向けのコンテンツ市場は伸び続けていますし、電子書籍の市場も成長が持続しています。ゲームに限定すると最近元気が無いなと感じますが、広くコンテンツと捉えれば、市場の成長はまだまだ止まりません。ゲーム会社が自社の扱う「ゲーム」の定義をどれだけ拡大できるか。

もう1つは、Mbit級の通信速度の3.5Gが立ち上がるため、プロセッサ性能を活かすコンテンツよりも、通信の高速化を活かすコンテンツの方が有望ということ。プロセッサ性能の向上にあわせて、ゲームデザインを変化させてきた日本のゲーム制作者も頭を切り替える時期がきています。

BlackBerryやSideKickについては、リンク先の記事は米国式をやや理想化しすぎていると感じます。日本には日本の、米国には米国の方法論があります。Web2.0の影響にしても、日本ではケータイブログ、ケータイSNSという形で盛り上がっているわけです。しかし興味深いのは、PCべったりだった米国でさえ、PC→SideKickという流れが強く現れていること。据置タイプ→携帯タイプのシフトは、結局どこの市場でも起きているんですよね。

Posted by amanoudume at 01:28 個別リンク | Comments (6) | TrackBack(0)

2006年08月09日

北米ゲームバブルの崩壊の序曲

狭い人たちの祭りは終わる

少し前の話になりますが、E3が大幅縮小するというニュースが話題になりました。ボクはゲーム系ブログのくせに、今年のE3は完全スルーしたぐらいですから、個人的には「さもありなん」という感じ。でも意外な展開だと思っている人もいらっしゃるのでしょうね。

「今年は過去最大のE3だね!」「次世代機が揃い踏みして、盛り上がったね!」などと浮かれポンチのように書き立てていた方々もいらっしゃいましたし。そういった感想を書いていた方々がどういうコメントをするのか、非常に楽しみでなりません。

本来はビジネス的なイベントだったはずなのに、いつの間にかゲーマーのゲーマーによるゲーマーのためのイベントになっていた節があります。ゲーム業界人が集まるといっても、実際はコアゲーマー的な視点だけを持った人が多く集まり、ライターの人たちもコアゲーマーで、熱を込めて記事を書くのはゲーマー好みのゲームばかり。 E3で話題になろうが、アワードをもらおうが、現実の広大な市場とはまったく関係ない。E3なんてそんなもんです。

E3が縮小した理由はいくつか噂されていますが、例えばこちらの海外サイトでは10個の理由が挙げられています。

  1. E3が肥大化し、多額の経費がかかるようになり、費用を出す各パブリッシャーにとって費用対効果が見えにくくなった。
  2. 任天堂、ソニー、マイクロソフト、EAといった超大手企業がE3への不参加を決めたため。超大手同士が軍縮(費用削減)に合意した。
  3. メディアがE3を取り上げても効果的ではない。
  4. コンテストでもないのに、メディアは「E3の勝者」を決めたがる。茶番劇だ。(2005年はソニー、2006年は任天堂)
  5. パブリッシャー単独のイベントが増えてきた。
  6. 常識的な判断。例えば任天堂ブースでは、2時間も3時間も行列に並ばせてしまっている。もっと良いやり方はあるはず。
  7. ネットが普及して、わざわざ行かなくても動画や体験版を配信できるようになった。
  8. コンベンションセンターを借りるのは高い。
  9. E3の準備に莫大な労力がかかる。開発チームもゲーム制作の途中でE3用に特別なバージョンを作らなければならない。
  10. 巨大ショウという発想が古臭い。
こうした理由はどれももっともらしい物ですが、根本的には余裕が無くなったからでしょう。日本でも東京ゲームショウは年2回開催でしたが、ゲーム市場の縮小が進み、各社の余裕が無くなってくると、年1回開催に縮小されました(2002年以降)。


崩れ始めた「日本孤立論」と「北米優位論」

北米のゲーム市場の縮小がついに始まったことと合わせて考えれば、北米のゲームバブルがいよいよ崩壊し始めたと判断していいでしょう。各パブリッシャーの赤字も拡大しています。
米ゲームソフト大手の4−6月、赤字幅が軒並み拡大 デジタル家電&エンタメ-ゲーム:IT-PLUS

面白いことにE3以降、欧米パブリッシャーのWiiへの評価が急激に高まり、当初の計画より多くのラインナップを投入し始めています。XBOX360が日本で大失敗したことは周知の事実ですが、XBOX360ファンのブログの一部では、「日本孤立論」のようなトンデモ理論を唱える人がいらっしゃいました。また同じようなことを書き散らしていた欧米マンセー主義者もいましたね。

日本では軽いゲームが勢いをもち、Wiiが高いシェアを握る。一方で海外では、より映画的なゲームが伸びていき、XBOX360がシェアを握る。そしていずれはマイクロソフトが海外の巨大市場を背景に、日本も攻め落とすだろう・・・・。まぁ「僕の大好きな欧米ゲームを受け入れない日本人は、しょせん世界的には非標準なんだよ。いずれは世界標準のゲームに市場を支配される運命さ。僕って、先見の明があるよね」というような気持ちがどこかにあるんでしょうね。そのために感情論に満ちた、冷静さを欠いた理論を唱えてしまう。滑稽、滑稽。

しかし実際には、日本のゲーム市場では最先端の現象が起きていただけです。

  • 北米ゲーム市場も日本のように縮小が始まりました。
  • 東京ゲームショウが縮小されたように、E3も縮小されました。
  • 欧州ではDSの新規ソフトが大成功をおさめ、北米でもDS Lite が売れ始めました。
  • E3後、欧米のパブリッシャーが続々とWiiに力を入れ始めました。
欧米マンセー主義者の「日本ゲーム業界孤立論」はあっさり崩壊したのです。日本のゲーム開発者のごく一部は、「日本が特殊な市場」「ゲーム離れは日本特有の現象。海外ゲーム業界は繁栄が続く」などという、一部の欧米マンセー主義者のデマに流されてしまいました。その結果はおのずと今のゲーム業界に現れていると思います。

ゲーム開発者のみなさん、あなたがたが機会損失をしたのは、いったい誰の言葉を真に受けたからですか? あなたがたが耳を傾けておけばよかったと後悔しているのは誰の言葉ですか? 別に誰が詐欺師だとか、戦犯だとか言うつもりはありません。どのライターがどんなアレげな事を書いてきたか、当然記憶にも記録にも残していますが、あえて過去を指摘するつもりも今はありません。大切なのはこれからです。

「日本のユーザーは保守的」という誤った認識は、すでに過去の妄言であることが露呈しています。ユーザーに媚びる必要はありませんが、「ユーザーを信じる」ことが大切。ユーザーを信じるから、ユーザーから信じられる。それが娯楽の基本ですし、Web2.0の基本精神にも通じるところですね。


補足: E3後の欧米ゲーム業界の動向

参考までにE3後の欧米のゲーム業界の動きを簡単に挙げてみます。

E3で海外パブリッシャーのWiiに対する見方が一気に反転。もともと親任天堂のUbiSoftを除いたパブリッシャーは慌ててWii向けラインナップを急増させています。実際に市場に出てみないと結果はわかりませんが、Wiiに大量投入するUbiSoftが賭けに勝つかもしれません。

Wiiへの期待感が大きいだけでなく、PS3への失望も大きかったからでしょうね。海外では「Wii60」という造語があります。PS3を買う金があれば、WiiとXBOX360を買えてしまう。この2つのハードがそれで十分じゃないか、という意味です。そして実際、海外勢は(少なくとも今年度については)Wii60に注力しつつあります。

Posted by amanoudume at 01:43 個別リンク | Comments (10) | TrackBack(0)

2006年08月06日

日本のゲーム業界の3つの生態系

ネット企業によるゲーム機業界の解体進む

少し前に、キャメロットが任天堂陣営から離れて、ソフトバンク陣営に移行するというニュースが話題になりました。他のゲーム機陣営に移るのではなく、ネット企業に移行するという点が興味深いところです。もっとも、ドワンゴによるチュンソフト買収など、ネット企業が中堅クラスの開発スタジオを取り込むケースは最近増えています。資金力を誇るネット企業がゲーム機業界を解体にかかっている、という図式は、もはや多くの人の共通認識でしょう。

Web2.0への注目が一段と高まっているのも、ネット企業のそうした動きを察知してのこと。開発スタジオにしても、いつまでも続編の仕事を続けているだけでは、という思いはあるでしょうし、当然自社のキャラクターや権利でゲームを作りたいと考えるのは自然なことです。据置ゲーム機の先行きが不透明な中、より有利な立場でパートナーシップを結ぶチャンスに飛びつくのは当然の判断。
キャメロットのチャレンジ精神に惜しみない拍手を送りたいですね。


日本のゲーム業界の現状を整理

日本のゲーム業界には今3つの生態系が生まれつつあります。オンラインゲームを中心とした生態系、携帯ゲーム機を中心とした生態系、据置ゲーム機を中心とした生態系です。今回はその辺りを整理してみたいと思います。

1.ネット企業を中心としたオンラインゲーム業界

ネット企業がオンラインサービスの一環としてオンラインゲームを運営するケースが多いです。
一方、スクウェアエニックスやコーエーなど、PCでのオンライングームに積極的なゲーム機系のパブリッシャーもいます。しかし軸足がゲーム機市場にあるため、PCに特化している企業に比べて、戦略が甘い傾向があります。スクウェアエニックスにしても、『FF11』以外のタイトルが育たず、噂されている『FF11』の次の作品も、『FF11』のユーザーを移行させられるのか、そもそも同じパイの取り合いではないか、という問題が指摘されています。

マイクロソフトや任天堂など、ゲーム機メーカーが急速にオンラインゲームサービスを立ち上げていて、またたく問に一大勢力を築きつつあります。加野瀬未友氏のこの記事は、なかなかよく整理されていますが、WiFiコネクションで一躍、注目を集めた任天堂が抜け落ちているなど、ゲーム業界にうとい部分が見られますね。

2.携帯ゲーム機を中心とした新市場

PCや携帯電話から実用ソフトを貪欲に取り込みつつ、すさまじいスピードで莫大なユーザー数を獲得しています。ゲーム機に特化していたゲーム会社がWeb連携を重視してPCや携帯電話に進出していく一方、実用ソフトを抱えるソフト会社がゲーム機の世界に飛び込んでくるという逆の流れが面白い。

DSによるボイスチャットは子供にとっての携帯電話といえますし、『どうぶつの森』はmixiに匹敵する成功をおさめています。携帯ゲーム機のコミュニケーションツールとしての長所をうまく伸ばしています。Web2.0時代の特徴として、ネット社会とリアル社会の距離感が近づいた、という点が挙げられます。mixiや『どうぶつの森』のように、完全な仮想社会でのコミュニケーションだけでなく、リアルでの人間関係を取り込める形のサービスが成功しています。そういう意味では、持ち運びできないPCよりも、ネットにも繋がるし、持ち連んでリアルで集まれる携帯ゲーム機の方が将来の可能性はあるといえます。

3.据置ゲーム機を中心とした衰退する世界

日本市場では「据置→携帯」シフトが鮮明になりました。またPS2時代とは異なり、1つのプラットフォームが世界の全ての地域でトップになる事はない、と予想されています。据置ゲーム機はグローバルプラットフォームからローカルプラットフォームになりつつあります。

PCとの差別化が最大の課題ですが、PCはそこそこの3D性能を持ったWeb専用機になり、ハイエンドの据置ゲーム機は映像体験を重視したハイエンドゲーム端末になっていくでしょう。というのはPCが廉価になっていても、ハイエンド環境を整えるには、けっこうな金がかかるので、ハイエンドゲームを好むユーザーはPS3やXBOX360に移行していき、一部のウルトラハイエンドゲーマーだけがハイエンドPCを好んで購入するという分化をすると思います。大部分のPCユーザーはWebサービスと密結合したカジュアルゲームを楽しむでしょう。

PCと据置ゲーム機の一番の違いは設置場所。テレビゲーム機は違和感なくテレビに接続する人が全世界に1億人弱存在します。一方、中身がほとんど同じなっても、PCをリビングに置く人はほとんどいません。
この辺りは、例の経路依存の話と似ていますが、ユーザーはずっと「リビングで遊ぶ機械としてゲーム機を買ってテレビにつなぐ」ことに慣らされてきました。中身がどうなっているか、PCと同じかどうかなんてことは、実は大きな意味がなく、習慣効果のほうがはるかに大きな意味を持ちます。

リビングでPCとゲーム機のどちらを使うかはユーザーが決めること。ソフトメーカーが決めることではありません。テレビでWebを見たいかというと見たくない。テレビは複数の人間が見るもので、Webは基本的に個人で見るものです(ただしYouTube型の動画共有サービスは別かも)。

そこがゲーム機の防衛ライン。リビングコンピュータとしてどういう付加価値を提供していくかが重要。それができれば生き残れるし、できなければ生き残れません。PCと据置ゲーム機が住み分けられるかどうかは、性能の問題ではありません。ユーザーの使用環境、インターフェイス、習慣で決まるものです。

ただし、据置ゲーム機がPCと携帯ゲーム機に食われて、市場のボリュームが小さくなるのは避けがたいです。設置場所は住み分けられても、時間は奪い合いますから。また独身層ならPCでもゲーム機でも、どちらでもいいです。その結果、はたしてどれぐらいの台数が残るのか。基本的に縮小は避けがたいので、さっさと見切りをつける会社が出てくるのも当然ですし、素直な判断でしょう。


補足

『マリオテニス』にしても、『マリオゴルフ』にしても、N64→GCで大きく売上を下げています。任天堂は古くから、「マリオ」という親しみの持てるキャラクターを入口にして、幅広いユーザーに遊んでもらうという戦略を取ってきましたが、その戦略の効果が薄れてきています。今は逆にマリオが付くことで「子供っぽい」と判断され、ユーザーを限定してしまう可能性があります。      
(Newマリオは2Dのマリオなのでファミコン世代に受けるものの、だからといってマリオタイトルすべてに同じ効果が働くわけではありません)

実際、Wiiの初期タイトルとしてE3で発表されたラインナップには、マリオ系スポーツゲームが1本も並んでいません。キャラクターに頼らなくても、間口を広くすることができることを証明するのかもしれません。そもそも「マリオなんちゃら」ばかり並べるようでは、何のためにハードの名称を「Wii」にしたかもわからないですからね。まぁファンがいるタイトルなので、何らかの形で出した方がいいのかもしれませんが、プラットフォームにおける重要度は格段に下がっている、と言っていいでしょう。

Posted by amanoudume at 05:12 個別リンク | Comments (5) | TrackBack(0)

2006年08月05日

専用機の見直しが進んでいく時代

Life is beautiful 「組み込みLinuxで遊ぶ」のコメント欄の議論がとても面白いです。

ヨドバシカメラに行くたびにPDA売り場が狭くなって行くのを見ていると、やはり、携帯電話、iPod、電子辞書、のように一つのことをキチンとこなすデバイスの方がユーザー・エクスペリエンスの面で優れているのだな、とつくづく思う。
という中島さんの感想に対して、
私の勝手な妄想ですが、電子辞書の流れや市場の拡大を見ていると、そろそろ新世代ワープロ (ワープロ 2.0?)というものが出てくる土壌が整いつつあるような気がしています。
という意見が。それからいくつかやり取りがあって、
「ネットワークに繋がったユビキタスデバイスの時代だからこその専用端末」というのはありかもしれませんね。実際のコンピューティングやソトレージはすべてサーバー側で分散して担当し、逆に人間が触れる端末は、電話をかける、文書を作る、映像を見る、魚釣りゲームをする、などの人間の行動に最適化された専用入出力装置を使うんです。いわゆるデバイス・コンバージェンスとは全く逆の方向ですが、私にはこっちの方がずっとしっくりと来ます。
と1つの方向性を予感させる締めに。

ここでも専用機の見直しが起きていますね。キーとなるのはインターフェイス。そしてネットワークとソフトウェア。
従来の「専用機が汎用機の中に飲み込まれていく」という考え方は、ある時点までは有効だったと思うんですが、iPodとDS以降はちょっと崩れてきた感じですね。技術、特にプロセッサ関連の技術の進歩を考えれば、長期的には「集約」へ向かうのはわかります。問題は「集約」した結果、インターフェイスが悪くなったり、快適さが落ちる事があるということ。
実は「集約」されるかどうかはプロセッサの問題ではないんでしょう。

1.「集約」してもインターフェイスが悪くならないし、快適さが落ちない
かつてのワープロ専用機はこのパターン。キーボードを持つPCに飲み込まれてもインターフェイスへの影響は軽微でしたし、作成した文書データの取り扱いや、動作の快適さ、データの受け渡しの便利さという点で、集約した方が快適でした。

2.「集約」する対象そのものの価値が低い
こっちの例は、携帯電話に飲み込まれた腕時計かな。「価値が低い」というのはちょっと違うか。どっちでも大差ない、という意味です。

据置ゲーム機がPCに飲み込まれるとか、携帯ゲーム機が携帯電話に飲み込まれるという議論をするときには、プロセッサだけでなく、箱(インターフェース、設置場所、使用条件)についても検討する必要があります。プロセッサ性能よりインターフェイス性能の時代。そもそも汎用機=PCだって、実質的にはWeb専用機になってきてるわけでしょう。実は汎用機って幻想だよね、っていうぐらい大胆な視点で、1回物事を整理してもいいかもしれません。

専用機の見直しについては、過去の記事でも書いています。

ところで、今の電子辞書市場の広がりを考えて、それでもDSの『楽引辞典』が『お料理ナビ』ほど売れなかったのは、仕事場でゲーム機を取り出して辞書を引くのはさすがに無理があるとか、色々理由はあるんですけど、やっぱり根本は「不便」だからじゃないかと思います。面白いかどうかってのは、ゲーム屋的なこじつけでしょう。電子辞書という専用機相手では、DSのソフトではさすがに勝てなかったという理解が一番素直かな。手書きも認識率やスピードを考えると微妙ですし。キーボードなら、ハードウェアキーボードのほうがやっぱりいい。

DSブラウザーは試みとしては面白いです。が、実質的なWeb専用機であるPCや、専用機に近い機能を持ちつつある携帯電話には全然およびません。玩具として買う人はいると思いますが、そこ止まりですよね。で、それはやっぱり面白いかどうかなんて事じゃない。単に快適か不便かという話なんだと思います。

他に専用機があるかどうか、一番優れた専用機を作れるかどうか。そういう視点で整理すると、実用ソフトの方向性を検討しやすいかもしれません。『脳トレ』を買ったユーザーにしてみたら、DSは「脳トレ専用機」でしょう。セガトイズの脳トレ玩具はありましたが、使い勝手も快適さも機能もDSの方が格段に優れていますからね。『えいご漬け』や『お料理ナビ』も同様ですね。

元々カートリッジ方式というのは、1ゲーム1ハードに対して、カートリッジを差し替えれば、「別の専用機」になりますよ、というコンセプトでしょう。ソフトを作っているという考えじゃなくて、専用機を作っているんだぐらいの意識で作らないといけないんじゃないかなあ。そう考えれば、単にPCの実用ソフトを移植するだけでは済まない、と誰でもわかりますしね。

Posted by amanoudume at 01:39 個別リンク | Comments (9) | TrackBack(0)

2006年07月29日

ファミコンはPCからゲームを奪った。ではDSは何を奪うのか?

『しゃべる!DSお料理ナビ』が非常に好調に動いているようで、それについて書こうと思います。

ゲーム機衰退論の今

ここ数年、ゲーム機衰退論が勢いを増していました。
携帯電話でもゲームが動くようになったり、PCとゲーム機の基礎技術が似通ってきたり、据置ゲーム機にネット接続機能が無く、オンラインゲームを展開するならPCが最善のプラットフォームだったからです。ソフトメーカーにとっても、ロイヤリティ制のないプラットフォームは魅力的に見えたのでしょう。例えば、DSとPSPが発売された2004年の年末頃にも、「DSとPSPのどちらが勝つかという議論で盛り上がってるけど、真の勝者は携帯電話」という意見がありました。

長期的な視点で考えれば、その理論は間違いではないでしょう。実際、PCと携帯電話はもはやユーザーの日常に溶け込んでいます。しかし2大プラットフォームの成長で最も伸びたのは、いわゆるゲーム業界ではなく、Web業界でしょう。ゲーム業界がヘビーユーザーに特化したMMORPGの開発に熱中している間に、Web業界の人たちは幅広いユーザーに使ってもらうサービスを開発し続けました。その差が如実に現れています。ゲーム業界でも、遅まきながら反省が始まっていて、素直に「Web2.0的なゲーム」に取り組む動きがようやく活発になってきました(線を引いているのはいつだって業界人の側)。

去年あたりから携帯電話の進化にブレーキがかかってきたような印象があります。1つはバッテリーの問題があるためです。携帯電話はもはやライフラインに等しいものですから、付加的な要素を詰め込みすぎてバッテリー消費が大きくなり、ちょっと使ったらメールが受信できなくなった・・・・では困るのですね。もう1つはナンバーポータビリティの導入によって、携帯キャリア間の競争が激しくなるため、端末コストを抑えたいという思惑が出てきたからです。共通の機能は最低限におさえて、端末ごとに個性を打ち出していく流れが強くなるでしょう。
神尾寿の時事日想 「au夏モデル、ラインアップを見渡すと……」

各キャリアは料金値下げやインセンティブの積み増しなど消耗戦は避けたいと考えているが、MNPの際は価格競争を余儀なくされる。特に端末は、いわゆる「1円端末」という形で投げ売りされるだろう。今年の春・夏モデルは、秋には安売りされる運命にある。その中で、ドコモよりも資金力で劣るauは、少しでも消耗戦の“痛み”を抑えなければならない。そのためには、今年の必須機能の1つであるモバイルFeliCaですら、コスト削減の対象にせざるを得なかったのだろう。
結果的に、タッチパネルを搭載したDSや、iPodのような携帯オーディオプレイヤーは、携帯電話の中に吸収される恐れが遠のいています。


専用機の再評価

専用機が汎用機に吸収されていく、専用機が必需品の中に飲み込まれていく、という理論はとても説得力があります。ワープロが良い例ですし。ただ、子供でもわかるような理論というのは、深く考えずにそこで思考停止に陥るという罠がつきものです。

むしろ最近では、iPodの成功にともない、専用機の再評価が起きていると思います。
本田雅一の「週刊モバイル通信」: PC業界がAppleに学べること

ここまではAppleをつぶさないためにどうするかの話だったが、さらに成長戦略を練るには、もちろん先を読んだ製品計画が重要だ。ここでも興味深いことに、ジョブズとその側近たちは「汎用コンピュータを使う時代から、コンピュータを応用して特定の目的に使う専用機が主流になっていく」と読み、現在へと続く製品企画の基本的なポリシーになっているという。
PC業界、AV家電業界には利口な人たちが大勢いたわけで、けれども思考停止の落とし穴に嵌まってしまいました。それを突きつけたのがアップルでした。似たようなことがゲーム業界でも起きたと思います。確かに携帯電話はゲーム会社のビジネスの幅を広げました。携帯電話に手を広げるのは正しい戦略です。しかし「正しすぎる」がゆえに、専用機である携帯ゲーム機への注力を怠ってしまいました。いずれ消えていくもの、と思ってしまい、関心が足りなかった。その結果、「据置→携帯」という流れに乗り切れず、任天堂の一人勝ちが起きたわけです。利口がゆえに正しすぎる。正しすぎるがゆえに穴に落ちる。

その最たる例がスクウェアエニックスでしょう。
スクエニ和田社長に聞く、ネットの未来予想図 (デジタルエンタメ天気予報):NBonline
PCや携帯電話を含むマルチプラットフォームを目指す。もはや特定のプラットフォームが支配的になる時代ではありません。それは正しい。けれども正しすぎるがゆえに穴に落ちる。スクウェアエニックスは携帯電話ゲームを重視したため、DSにもPSPにも積極的ではありませんでした。「DSか?PSPか?」ではなく、「携帯電話だ」というのが答えだったのでしょう。実際、対応タイトルがほとんど出ていません。RPGは開発期間がかかるという事情もあるのでしょうが、『FF3』『ドラクエモンスターズ・ジョーカー』のような有力タイトルが出揃うのは、今年になってからです。
しかし実際には、利口なはずの人たちの予想を裏切って、DSはファミコン以来の大ヒットになりました。去年からソフトメーカーは大慌てで、路線転換を始めています。


ゲーム機がPCと携帯電話に追いついてきた

ゲーム機はPCと携帯電話に一気に追いついてきました。ゲーム機メーカーもPCと携帯電話の普及に対して、危機感を募らせていたのでしょう。専用機のいいところは、ゲーム機メーカー1社が主導権を握っているため、その気になれば新ハードの投入によって、短期間で方向転換しやすいことです。据置ゲーム機の場合は、一度ハードを出してしまうと5年間は縛られるのですが、携帯ゲーム機の世代交代のスパンは短く、GBA→SP、DS→DS Liteのように上位機種の投入も当たり前になってますから、キャッチアップの速度は上がっています。

  • DSやWiiに見られる片手系インターフェースへの取り組み (マウスや携帯電話のように、「ながら」的な楽しみ方ができるプラットフォームでは片手系インターフェースが基本)
  • オンライン機能の標準搭載 (DS、PSP、XBOX360、Wii、PS3すべてオンライン機能を標準搭載)
  • Webブラウザの搭載 (PSPは標準、DSは別売)
  • ライトユーザーの開拓
  • DSのボイスチャット (参考:ニンテンドーDSが携帯電話になる日
  • 実用ソフトの積極的な展開
『ポケモン』の新作では、ボイスチャットをしながらオンラインプレイが楽しめるわけで、携帯電話の所有率が低い子供たちにとっては、非常に画期的なプラットフォームになります。無線LANルータを子供にせがまれる親も全国にたくさんいることでしょう。無線LANの普及率を底上げする起爆剤になるかもしれませんね。

またPCで20万本売れた『えいご漬け』がDSでは100万本を越えたのも見逃せませんし、『しゃべる!DSお料理ナビ』が初週12万本以上という好調な滑り出しを見せたのも画期的な出来事です。実用ソフトがこれだけ売れたのは、ゲーム機史上初めての現象です。特に『お料理ナビ』の成功は、非常に面白い可能性を切り拓いたといえます。


お料理ナビの成功が示す20年前の再来

長期的に売れると予想した人はいましたが、ここまでのスタートダッシュを切ると予想していた人はほとんどいなかったと思います。忍之閻魔帳の忍さんは「異例づくし」「ゲーム色の薄いツールソフトがこれだけの初動を叩き出すのはDS登場以前には考えられなかったこと」とコメントしています。また、ゲームのマボロシのあれれさんの予想とは、180度反対の結果になっています。実用ソフトが売れるのに必要なのはゲーム的な「面白さ」ではないという事です。ジョークに突っ込むのは野暮ですが、牽強付会なこじつけをしなくても(笑
(作った料理を写真に撮って画像掲示板に投稿していたり、音声合成に色々な文章をしゃべらせたり、積極的に遊んでいるユーザーがいるのは確かですが。)

『お料理ナビ』は、ゲーム業界人がいま一番注目すべきソフトだといっても過言ではないでしょう。いまDSのマーケットで何が起こっているのか、それをより正しく認識するチャンスだからです。この現象を現時点でもっとも良く説明できるのは、新清士氏のこの記事でしょう。
ニンテンドーDSが携帯電話になる日

経済学に「経路依存性」という考え方がある。一旦、消費者に学習された購入の仕方が、その後の消費者の購買行動にも大きく影響を与えるという考え方である。パソコン版の「えいご漬け」の完成度は十分で、パソコンユーザーであればわざわざDS版を買う必要はないだろう。また、同様のソフトはパソコン向けに限らず、携帯電話向けにも無数に発売されている。

 それにもかかわらず、DS版を購入するのは、すでに購買行動としてゲーム機のハードウェアとソフトウェアの両方を購入する習慣が日本の消費者に定着しているからだ。すでに過去に体験したことのある購買行動が学習されているからこそ、拡散していた英語学習用ツールの潜在需要を一気に集約化できたのだ。これが、「えいご漬け」ヒットの理由でもあり、今のDSの大ヒットにも通じる要因ではないだろうか。

これと同じ事が20年前にも起こりました。ファミコンの大ヒットによって、パソコンでゲームを作っていた人たちが一斉にゲーム機に雪崩れこんできました。ゲーム機業界は、玩具とアーケードとパソコンゲームからの参入によって形成されたのです。

現在ではPCゲームというと、濃いオタクの遊ぶものというイメージが普通です。しかし当時はまだパソコンゲームの方が先端的で高度だという認識が強く、「ファミコンはお子様の玩具。大人の楽しむアドベンチャーやロールプレイングはパソコンが主流」という論調が存在しました。

しかしディスクシステムの登場や、『ポートピア』『オホーツク』『ドラゴンクエスト』によって、パソコンゲームの主要な遊びは、ファミコンでも楽しめるものになりました。その後、パソコンにこだわった会社は経営が厳しくなり、多数の会社が消えていきました。一方、早々とゲーム機に移行した会社は、今や世界有数のソフトメーカーに成長しています。スクウェアエニックスやコーエーがいい例でしょう。


ファミコンはPCからゲームを取り込んだ。ではDSは何を取り込むのか?

大雑把にいえば、ファミコンはPCからゲームを取り込みました。では、ファミコンに匹敵する大ヒットを起こし、多数の中高年ユーザーを獲得したDSは、いったいPCと携帯電話から何を取り込むのでしょうか? それは、実用ソフトなのではないか、と思うのですが、どうでしょうか?

ワープロなどは別にゲーム機を使う必然性はありませんが、PCも仕事ではなく家庭で使う用途が増えてきましたから、その部分はゲーム機に取り込めるでしょう。ゲーム機の優位性が発揮できるアプリケーションが成功しやすいのは確かです。「お料理ナビ」はPCと台所の距離を考えれば、優位性が発揮できますし、携帯電話では画面が小さすぎ、違和感も強いでしょう。電子辞書はすでに強力な商品が多くあり、優位性は安さぐらいで、機械的なキーボードが無い点でDSが弱いです。というか、辞書は仕事で使う人も多いので、さすがに仕事でゲーム機を出す気にはなれないでしょう。DSの実用ソフトは、家庭や電車の中で使う物が当たっています。

もちろん単純に、PCの実用ソフトを移植しても売れないでしょう。ファミコン当時も、パソコンからそのまま持ってきても上手くいきませんでした。堀井雄二氏も、スクウェアも、パソコンゲームのエッセンスをファミコンの流儀に合わせて再構築したから成功しました。現時点で一番巧みなのが任天堂だから、任天堂の実用ソフトが売れているんです。

他のソフトメーカーは、PCや携帯電話の脳トレソフトからの単純な移植が多すぎます。ファミコン世代のゲーム開発者の人は、子供の頃を思い出してください。RPGブームの中、パソコンゲームの単純な移植はクソゲーばっかりだったじゃないですか。同じ過ちがくり返されています。また、ナムコは「とりあえず右脳を付けとけ」という感じが強すぎます。20年ぶりの大チャンスを自ら捨てているように見えて仕方がない(笑

セガだけはちょっと姿勢が違う印象があって、期待できるかもしれないと見ています。『アタマスキャン』が売れるかどうかはわかりませんが、セガトイズの玩具版と同時展開という点が興味深い。これは今まで無かった動きで、セガトイズが脳需要に気づいていたのに、ゲーム部門が見落としていたことを素直に反省したのでしょうね。ソフトメーカーでいま一番面白いのはダントツでセガです。

実用ソフトのヒットについて、プロモーションの効果がまったく無いとは言いませんが、20年前に「ドラクエが売れたのはプロモーションのおかげ」と言ったら笑われますよね。ああ、でも、「ドラクエとFFはジャンプと組んでいるから、勝てるわけがない」と言っていた業界人って、いた気がするな(笑 牙城が築かれるまで、チャンスを見逃していたのはどこの誰なんだ?って、子供心に思ったものですが。

そういう意味では、こちらのコメント欄に書いたのは本気の本気ですよ。

そもそも、ファミコンブームの頃にはスクウェアって小さな会社だったじゃないですか。それが大きくなったわけで。今はDSの勢いがあって、ファミコン以来の規模な訳です。もう一度ファミコン20年を生み出せる機会が目の前にあるのに、旧ファミコン企業を取り込む事に必死になるようなら、愚劣の極みでしょう。

今のスクウェアなんてソニーやMSと心中してもらって構わないわけでしょ(笑 これから新しい「スクウェア」が生まれるんだ。ぐらいのビジネスを立ち上げなければいけないわけで。本気で一緒にやっていこうという同志の企業が現れて、一緒にやっていったら、結果としてかつてのスクウェア規模に成長する、というような事がポテンシャルとしてあるわけです。信じられませんか? でもネット企業だって昔はそういわれたでしょうね。あのグーグルだってね。

スクウェアエニックスはあれだけ理屈は語れるのに、うまく動けていません。大体、あの立ち位置なら「DSのボイスチャットと携帯電話のゲームをつなぐ。子供が友だちの家でDSのドラクエやFFを遊んでいると、親から『そろそろ帰ってきなさい』と電話がかかってくる、なんて事もマルチプラットフォームのうちなら実現できるわけです(笑」ぐらいのことは最低限、言ってほしいもの。カジュアルゲームを携帯電話や家電に移植しました程度では、誰もわくわくしませんよ。

Posted by amanoudume at 20:29 個別リンク | Comments (25) | TrackBack(0)

2006年07月28日

日本人はもっと自分の感覚に自信を持っていい

DSが全世界で圧勝開始

全世界的にDSが圧勝しつつある状況が見えてきました。ソニーの第1四半期決算が発表され、ついに公式に「DSに苦戦」しているとのコメントがあった模様です。
PSP販売「DSに苦戦」認める・ソニー決算会見

ソニーが27日発表した2006年4―6月期連結決算(米国会計基準)でゲーム事業の売上高は前年同期比29.1%減と落ち込んだ。携帯ゲーム機「プレイステーション・ポータブル(PSP)」の日本やヨーロッパでの販売不振と、家庭用ゲーム機「プレイステーション2(PS2)」用ソフトの販売数量低下と単価の下落による。
日本だけでなく、欧州での苦戦も、もはや隠し通せないレベルに達しています。
発売直後こそメディアプレイヤーとして評価され、売上は好調でしたが、iPod旋風にその勢いをかき消されましたからね。また『nintendogs』の欧州での大ヒットによって、DSが新しいユーザー層を獲得し始めたことも大きい。『nintendogs』が最も売れている地域は実は欧州なんですよね。また『脳トレ』も、日本で発売された当初のように、じわじわ売れているようです。欧州でも日本のように、ゲームに慣れていない人たちを掘り起こせるか注目です。

例えば、フランスのゲーム販売集計を見てみましょう。1位〜4位までを任天堂のDSタイトルが独占し、トップ10のうち7本がDSタイトルです。『脳トレ』が2位、『nintendogs』のダルメシアン・バージョンが3位に入っています。あれ? これ、どこかで見たことないですか? そうです、日本の週間販売トップ10とよく似ていますね。フランスは欧州の中で最も日本のアニメやゲームの人気が高い国だという点は考慮しなければいけませんが、日本の圧倒的大多数のユーザーに支持された路線が欧州でも徐々に支持を集めてきています。


北米でもDSがPSPを引き離し始めた

では次に北米の状況を見てみましょう。北米はGBAがいまだに根強く売れている地域です。去年一番売れた携帯ゲーム機はGBAだった程です。北米の売上集計では、NPDのデータがよく引用されます。NPDの集計は、海外の掲示板によく投稿されていて、2chの海外売上スレなどでログを残してくれています。
北米NPD売上集計

去年のある一時期、「海外ではPSPがDSに勝っている」というようなデマが流れたことがあります。実際には累計普及台数でDSが負けたことはありませんでした。発売当初のPSPの追い上げが凄かったことや、日本より販売が好調だったせいで、そういう誤ったイメージが広がったんですね。ここ半年の月間販売台数を見ると、5月まではほぼ互角で揉み合っていることがわかります。差がついたのは6月です。DSが59万3000台、PSPが22万1000台と圧倒的な差が付きました(NPD6月分の売上データが投稿されたのは海外のこちらの掲示板)。

いったい何が起きたのでしょうか? 簡単すぎますね。
そう、DS Liteが北米で発売されたのです。北米ではGBA SPが非常に人気が高く、そのデザインの流れをくんだDS Liteが売れるのは自明でした。また欧米人の手には小さすぎたタッチペンも、DS Liteでは長く太くなっています。ボクに限らず、多くの日本人ゲーマーが「DS Liteが出れば、北米では決着がつく」と予想していたと思いますが、まさしくその通りの結果に落ち着きそうです。


UMDビジネス崩壊

PSPの問題点は2つあります。
1つはソニーがPS3とPSPの2正面作戦を始めてしまったこと。PS3という多大な開発リソースを要するハードを立ち上げる以上、PSPに自社の有力タイトルを供給するのは難しくなります。実際、PSPの発売前からアナウンスされていた『GT Mobile』はいつまで経っても、影も形も出てきません。
もう1つは北米でのPSPを下支えしていたUMDビジネスが崩壊し始めたことです。

ウォルマートの広報はコメントを拒否しているものの売り場面積はかなり縮小しており、映画スタジオ関係者によれば(そもそも映画ソフトがなくなるので) 「完全撤退も目前」。ユニバーサルスタジオ・ホームエンターテインメントの幹部によれば「(UMDの売り上げは) ひどい。ほとんどゼロに近い。これはソニー爆弾だ」。ユニバーサルはUMDでの新規リリースを全面的に中止、またソニー・ピクチャーズもタイトルをもっと「厳選する」とのこと。
まぁ日本のユーザーの感覚からすれば、今まで売れていたのが不思議なぐらいです。UMDなんていう円盤は、先進的な日本のユーザーの目には原始的なメディアに映りました。北米のユーザーは認識が遅れていたようですが、ビデオiPodが登場し、YouTubeが爆発的な成功をおさめている状況ですから、さすがに「こんな原始的なメディア要らないね、未来は無いね」と気づき出したのでしょうね。
ここでも、日本のユーザーが鋭く最先端の動向を察知し、遅れて欧米のユーザーが付いてくる、という流れが確認できます。


過度に自信を失ったゲーム開発者は迷走を始める

2002年〜2004年頃、日本のゲーム市場が縮小し、欧米でのシェアも低下したため、欧米ゲーム開発優位論がはびこりました。たった1、2年現場にいただけの人間、一度もゲームを作ったことのない人間がもっともらしく、「欧米のゲーム開発はすばらしい。日本のゲーム開発は時代遅れ」「欧米こそゲームの中心。日本のユーザーは保守的。欧米のユーザーこそ、真のゲーマー」などと、わめき散らしていました。冷静に考えれば、失笑極まりない。けれども当時はゲーム業界に危機感が広がっていたので、真に受けてしまう人たちもいらっしゃいました。

しかし実際には、日本のゲーム市場の新しい流れが欧米にも広がりつつあります。一方、単純に欧米市場に乗り出したゲーム会社は、欧米のパブリッシャーとの競争で苦戦しています。それもそのはず。自分の好きでもない物を、違和感をおぼえるやり方で作る羽目になれば、結果など知れたものです。中途半端に欧米市場を意識して、日本のユーザーからもそっぽを向かれたゲームも出てきました。

例えば、旧ナムコの開発した『ガンダム』がいい例だと思います。おそらく欧米市場を意識して、TPS的な要素を入れたんでしょうが、そこが日本のユーザーに不評で、目標の100万本にまったく届かない売上で終わりました。また、Unreal Engineを採用した『フレームシティ』は開発中止が発表されました。欧米のゲーム開発の方法論を、よく吟味もせずに取り入れて失敗した代表例です。率直にいって、最近のナムコは欧米マンセー主義者に騙されたとしか思えない、安直な動きが多すぎました。日本有数のゲーム会社の自信はどこに行ったんでしょうか?


日本のコンテンツが再び世界を席巻する

10年前、『ポケモン』が海外進出する際、「あんな日本的な感性の作品が海外で受けるはずがない」と声高に主張した人たちがいました。ところが結果はどうでしょう? ゲームは全世界の子供たちから支持されましたし、アニメも北米で最も成功した作品となりました。

20年前、ファミコンが日本で成功し、北米に進出する際も、「コンピュータゲームの本場はアメリカ。日本の玩具が通用するはずがない」と主張した人たちがいたのかもしれません。もし任天堂がその一見もっともらしい理屈に従っていたら、今の家庭用ゲーム機の世界的市場は存在しなかったでしょう。

同じような例はいくつも挙げられます。全世界で600万本以上の出荷を達成した『nintendogs』もその1つでしょう(任天堂2006年3月期決算説明会資料)。日本でミリオンを越え、北米ではさらに売れ、欧州ではさらに驚異的な売上で、今なお売れ続けています。欧州でじわ売れしている『脳トレ』の動向も気になるところです。

日本のユーザーから支持された新しいコンテンツが全世界に広がっていく。ファミコンだってそうでした。慢心は危険です。けれども自信を失い、自分たちの立つ場所を見失うのも非常に危険です。ボクはある時期、日本のゲーム開発者は自信を失いすぎたと思います。そのせいで、おかしな欧米ゲーム開発優位論に惑わされてしまいました。ソフトが売れない時期が少々長く続いたからといって、「市場が保守的。日本のユーザーが悪い。欧米市場マンセー」などと叫び出す。その末路は知れたものです。

巨大な欧米市場は魅力的です。しかしだからといって、日本のゲーム開発者が欧米ゲームの劣化クローンみたいなソフトを一生懸命作っても仕方ないんです。自分たちが信じる、素直に感じられるものを、全世界で売れるように作り上げることが大切です。

ユーザーは適切な方向が見えているのに、一部のゲーム開発者は「見えない、俺には見えない」と叫んでいるのです。目の前にユーザーがいるのに、目をそむけています。滑稽な話です。彼らのすべき事はただ1つです。まっすぐ前を見ろ。たったそれだけで、混迷から脱け出すことができるはずです。

Posted by amanoudume at 08:50 個別リンク | Comments (7) | TrackBack(0)

2006年07月24日

線を引いているのはいつだって業界人の側

ゲーム業界でも「Web2.0」という言葉を抵抗感なく受け入れていく人々が目立ってきました。

1.BBAのSIG-OG第9回はWeb2.0をメインテーマに

ブロードバンド推進協議会(BBA)のオンラインゲーム専門部会(SIG-OG)が第9回研究会を開催。Web2.0時代のオンラインゲームがメインテーマだったようです。
オンラインゲームはWEB2.0をめざすのか? SIG-OG第9回・山口浩氏講演

山口氏は最初に、オンラインゲームはウェブサービスである、という視点を提示した上で、WEB2.0の特徴である「チープ革命」「総表現社会」「マス・コラボレーション」という現象が、オンラインゲームにどのような影響を与えるについて論述した。

韓国MMORPGの行き詰まりは日本の未来を示すのか SIG-OG第9回・魏晶玄氏講演

魏氏はWEB2.0の特性を「開放性」「参加」「共有」「連結」という4つのキーワードで説明。実例として、韓国の検索ポータル「Naver」における「知識in」(チシギン)サービスについて紹介した。

また記事の締めくくりとして、ゲームライターの小野憲史氏が両氏の講演内容をうまくまとめています。

今回の両氏の講演は、共にオンラインゲームを「ゲーム」としてだけ捉えると、視野狭窄を招いてしまう、という点で共通していた。一方でテレビゲームを「ゲーム」としてだけ捉えると、縮小再生産に陥ってしまう、というのは日本のゲーム開発者の共通意識だったはずである(「脳トレ」などのヒットも、こうしたゲームデザインにおけるラジカルな思想が背景にある)。伝統的なコンソールビジネスがオンラインで「テレビゲーム2.0」になりえるか。大きな課題だろう。
みなさんもご存知のとおり、任天堂のTouch Generations!、Web2.0のゲームへの取り込み、シリアスゲームへの注目など、ゲームの定義を幅広く捉え直そうという動きがゲーム開発者の間で活発になっています。また、そうしたゲームの定義を広げるようなソフトの中から、市場で大ヒットを飛ばす例が目立ちます。ユーザーもゲームの拡大を歓迎している証左でしょう。


2.Game Watch編集部もWeb2.0時代のオンラインゲームを特集

SIG-OGだけでなく、メディアの側にもWeb2.0への敏感な反応が見られます。Game Watch編集部がWeb2.0時代のオンラインゲームについての連載記事を始めました。色々と模索はあるかもしれませんが、新しい動きに素直に反応しようという姿勢は大いに賞賛すべきでしょう。
アラン・ブラフォードの「OnlineGame 2.0」論

ゲーム系メディアはこれまで、ややゲーム業界用語にこだわりすぎた感があります。そのせいで、世の中の人たちからゲームは特殊だねと思われる反面、時代遅れだね、ビジネスにならないね、無関心でも構わないね、何してるかよくわからないね、と負のイメージが広がっていきました。

世間の人たちに受け入れられている新しい言葉を素直に使ったほうがいいでしょう。最近では、ゲーム開発者も、ゲームメディアも、最近はゲームの外へ向かっていく動きが顕著になってきました。ゲームとそれ以外のメディアの間に、勝手に線を引いていたのは業界人の側なんです。


関係ないけど
「マスプロモーション衰退後の世界」の後編を早く書け!とツッコまれそうですが、それはさておき、

こういうのを見ていると、もっともらしいプロモーション論がえらく遠くの言葉に聞こえてくるから不思議です。アキバに限らず、ショップのPOP文化は、いつも軽快で良いですな。ジャンルだの、ユーザーだの、嗜好だの、企業の側が勝手に引いた境界線を軽々と飛び越える。線を引いているのは、いつだって業界人の側なんだよな。

Posted by amanoudume at 23:43 個別リンク | Comments (10) | TrackBack(0)

2006年07月16日

実は俺、プロモーションって言葉が大嫌いなんだよ

ゲームのマボロシ 「生活浸透型ゲーム(3)これからどんなゲームを作るべきか」
あれれさんがひさしぶりに更新しておられました。おおむね同意できる、よくまとまった記事だと思います。ボクみたいに煽らないし(笑、この内容と書き方なら、スッと納得できるという人も多いのではないでしょうか。
内容についてはリンク先をご一読いただくとして、これから先は本筋に関係の無いツッコミです。

(なんか誤読する人がいたようなので一応断っときますが、あれれさんの記事の大意には同意していて、瑣末の部分にすげー違和感をおぼえてるわけです。で、同意の部分は「禿同」の一語で済むんですが、違和感のある部分は長くなっちゃうんですね。)


比較する意味がわかりません

なぜ興味深いのかと言うと、一般に本編マリオよりも、マリオカートの方が売れるのが、過去のプラットフォーム(SFC、N64、GBA、GC)での実績だったからです。ですので今までの傾向に基づくと、Newスーパーマリオの売上は、マリオカートDS並に落ち着いていたはずです。そして実際遊んでみても、NewスーパーマリオとマリオカートDSは、ほぼ同レベルの仕上がりだと感じます。
■売れるソフトの要因その1:プロモーション 僕は両者の違いの1つはプロモーションだったと考えています。特に松島奈々子を起用したCMです。恐らくCM投下量も両ソフトには差があったはずです。
すげー違和感。 ジャンルも、1人用メインか対戦メインかも異なる「マリオ」と「カート」を比較。あれこれ語って、結論がプロモーション。それって、どうなんですか? まさか「Newマリオ」と同規模のプロモーションを打てば、「マリオカートDS」も「Newマリオ」と同じだけ売れた、という見解なんでしょうか?

大体、その「実績」と称された恣意的なデータは何ですか? 「Newマリオ」に関して本編マリオを持ち出すなら、そのコンセプトから言って、初代も持ち出さなければ無意味です。もっともファミコン時代にはマリオカートはまだ存在していませんが。だから比較は無意味なんですよね。

比較するなら、同じシリーズで比較した方が健全だと思います。初代とマリオワールドを比べて、「何故お客さんが半分になったんだろう?」とか、「Newマリオはマリオワールドぐらいまでお客さんが戻ってきそうだ」とか。マリオでいえば、最初はただ右に行くだけで良かったゲームが左へ戻れるようになったり、アクションが複雑になったり、わかりにくい物になっていましたよね。2D→3Dでは別物になりましたし、ついていけないユーザーも多かった。そういう所を謙虚に見返したから、2Dゲームで気合いの入った新作を出すという、あまりゲーム業界では類例の無いことをやれたのだと思いますし、操作も思い切ってシンプルに出来たのでしょう。

「カート」でいえば、「何故N64版はSFC版の半分になったんだろう?」とか、「GC版はN64版の半分になったんだろう?」と考える方が健全だと思います。例えば、GC→DSにおける、WiFiへの対応とミッションランはおそらく、そうした流れで出てきたものと推測できます。大人のユーザーは誰かの家に集まってゲームするなんて、なかなかできませんから。

ただ、SFC版との比較でいえば、あれれさんも指摘している女性ユーザーの取り込みが大きいのかもしれません。「女性のユーザーが友達と遊ぶ時の接待ゲーム」としては、今は「マリオパーティ」がありますから。ゲーマーにとっては退屈な作りだと思いますけど、誰でも遊べるという点では優れた面が多々あります(でも最近出しすぎですが)。

DS市場全体のトレンドを言うなら、実はDSで売れているゲームって、基本的に「1人用主体のゲーム」だってことも忘れてはいけませんよね。『nintendogs』『脳トレ』『Newマリオ』『テトリスDS』『ぷちぷちおみせっち』・・・・。携帯ゲーム機って個人の機械、プライベートなものだから、当然といえば当然なんですけど。『どうぶつの森』にしても、あのゲームは本来、タイムシフトのゲームで、異なる生活時間をもった家族がゲームを通してやり取りできる、家庭内掲示板のようなものでしょう。『おいでよ』でWiFiが入ったから、その点が少しぼやけてはいるものの、時間拘束型の対戦ゲームとは違い、同じ時間帯ずっと一緒にいなくてもいいわけです。

DSはコミュニケーション性がクローズアップされがちですが、ゲームデザインの基本構造は多人数同時参加型ではありません。もっとも、それって、ゲームに限りません。電話よりメール。若い世代では、自分だけの時間が欲しいという人が増えている。テレビ番組だって好きな時間に観たい。コミュニケーションもコンテンツもサービスも、時間拘束型よりはタイムシフト型が受け入れられています。


実は俺、プロモーションって言葉が大嫌いなんだよ

あれれさんに限らず、最近ゲーム開発者のブログを読んでいて気になるのは、成功の原因をプロモーションに求める論調が強くなってきたことです。DS、Touch Generations!、脳トレ、Newマリオ、たしかにどれもプロモーションは上手かったと思います。また、あの任天堂のプロモーションが上手くなったという事が、日本のゲーム会社にとって、どれほど驚異的な(脅威的な)ことかはよくわかります(笑

でも、俺、「プロモーション」って言葉、大嫌いなんだよね。うちのブログも、たくさんの記事がありますけど、プロモーションって言葉そんなに出てこないでしょう。開発者がその便利な言葉を使いすぎるのは危険じゃないですか。例えば、僕はNewマリオを女性ユーザー向けにプロモーションするのは違和感がありませんけど、カートDSを女性ユーザー向けにプロモーションしても、Newマリオほどの効果があったとは到底思えません。

何年か前に、コナミの上月社長が東大でゲームビジネスについて講演した事があって、1ついい事を言っていました。SCEや任天堂のようなプラットフォームホルダーとコナミのようなソフトメーカーのプロモーションの予算は全然違う。でもプロモーションは万能ではない。売れるソフトをもっと売れるようにする効果はあるけど、売れないソフトを売る力は無い。

例えば、『もっと脳トレ』は松島奈々子さんのCMが印象的でした。けれどもそれ以前に『脳トレ』は半年以上にもわたって売れ続けていたわけですよ。じわじわ浸透してきた土壌があって、あるタイミングで派手なことをやると、売上が一気に拡大する。これはよく知られた現象です。口コミで広がったゲームの続編が一気に売れるというケースもあります。『三國無双2』が口コミで伸びた後に、『三國無双3』が出ると、そのタイミングでさらに売上が伸びて100万本を超えました。

『脳トレ』の最初の半年間をロケットの第1段点火、松島奈々子さんのCMを第2段点火とみなすのはわかります。けれども、後から『脳トレ』に注目した人の中には、第1段点火のことを見逃している人がいるわけです。そして「松島奈々子のCMのおかげでしょ。結局、金かけてCMすれば売れるんだよ」と真顔で言う。やー、金かけても売れないもんは売れない例は、去年の年末、ソニーが証明してくれたと思うけどな。


オシマイの言葉

確かに今のゲームビジネスでプロモーションを無視することはできません。開発者が作ったものをただ出荷すればいいわけじゃない。けどね、百万言のプロモ言葉を並べようとも、無から有が生まれる事はありません。もし生まれると言うなら、それはクリエイティブじゃなくて、詐欺師の論法ですよ。

まー、ボクも作り手だから、作り手がプロモーションのせいにしたがる気持ちはわからなくもない。特に、売れない時にそういう誘惑にかられますよね。けど、それをやったらオシマイだよ、終わりの終わり。最低の最低。最悪の最悪。
ボクの身の回りでも、ソフトの売上が芳しくない例は過去にあって。で、そういう時に「プロモーションが良くなかった」「プロモーションが少なかった」「会社が売ってくれなかった」という開発者がたまにいるんです。ボクはそういう人たちが実に大嫌いで、一言でいえばヘドが出ます。そういう連中を見ると、「水でも砂でもぶっかけてやりたく」なります。

でも仮にプロモーションしやすい、売りやすいソフトを作るべきなんだとしても、「作る」のは開発の仕事です。開発と広報と営業が協力した方がいいのは確かです。3者が違う方向を向いていたら、うまくいくものもいきません。けれども最終責任は開発が負うんですよ。いくら今が混迷の時期だといっても、そんなことも見失っている人間が少なくないのだとしたら・・・・怖気が走ります。

以前、鶴見さんも同じようなことを書いておられたのを思い出しました。

やっぱり、メーカー/パブリッシャーは、流通関係の方に「強力な武器(商材)を渡している」ように確信させねばならんのだなあ、と、改めて気付かされた次第(もちろん、我々制作に関わる人間は、PR/マーケティングの人間に対して同様に「強力な武器(ゲーム素材)を渡している」ように思わせねばならない――というのは実は、この業界で尊敬する上司2人のうちの1人が云った言葉)。
そういえば、ボクの尊敬する上司も同じような姿勢を貫いています。売れなかった時に開発の責任だと認められること。売れなかった時にプロモのせいにしない。開発がユーザーに届かなかった、と考える。どこの職場でも、尊敬に値する人物は、根幹に通じるものがあるのかもしれませんね。クリエイターの矜持。やっぱり世の中には、どれだけ誘惑にかられたとしても、言ってはいけない、言ったらオシマイになること、作り手としての最終防衛ラインはあると思うんですよ。

最近のDSの大ヒットを取り巻く言説を読むと、10年前のSCEJを思い出します。SCEJはPSバブル→PS2で、最も売上の落ちた会社の1つです。売れていた頃、彼らのゲームには2つの評価がつきまとっていました。「宣伝がうまいから売れているだけ」「遊びやすい、お手軽な感じ。また普通のゲームとは違うゲームも、感性やアイデアが新鮮」。まぁ色々な評価があるとは思いますが、少なくともボクは後者の評価でした。パラッパやクラッシュが宣伝だけで売れたとは思いません。

では何故、今のSCEJは見る影もなく、売上が落ち込んでいるのか。それは、外野のノイズに負けてSCEJ自身が「宣伝が良かったから売れた」と信じてしまったからです。裏を返せば、「売れないのは宣伝が悪い、流通が悪い、ユーザーが悪い」という事になります。

世の中は常に変化しています。売上が落ち込んだり、思ったほど売れなかったり。そういう事はよくあります。百戦して百勝とはいきません。そういう時に、開発者サイドに正しくフィードバックがかかるかどうかが重要。PS2になって、最初つまずいた。それは仕方ない。ただ、もしもそこで「宣伝が悪い」とか「ユーザーが保守的」という理解をしたのだとしたら、そりゃズレはなかなか埋まらないでしょうね。

もし任天堂が同じ愚をおかせば、数年後の末路は知れたものです。成功こそ最上の猛毒の実例となるでしょう。SCEと任天堂以外の大多数のソフト会社、多くのゲーム開発者にしても、「プロモ」「プロモ」と念仏のように唱えるだけなら、そりゃたどり着くのは極楽浄土ならぬ、何とやらでしょうね。いやはや。

Posted by amanoudume at 14:12 個別リンク | Comments (14) | TrackBack(0)

2006年07月13日

急速に進むゲームとWeb2.0の連携

まだまだ試行錯誤の段階とはいえ、ゲーム業界は急速にコミュニティ重視になり、Web2.0との連携を深めています。例えば、XBOX Friendsは米国主導の展開が目立つXBOXでは珍しく、なんと日本独自のサービス。

昨年末はWeb業界の人たちが任天堂のWiFiコネクションに注目していました。ゲームからWeb2.0への注目、Web2.0からゲーム2.0への注目。最近しつこく、しつこく書いてますが、今はゲーム屋とWeb屋がお互いに学び、協調し、競争する時代です。そういえば、この間こんな記事が出ていましたね。
鈴木貴博のビジネスを考える目 「どうぶつの森オンライン」がもし始まれば!? 」

また、アニメとYouTubeが結果的に連動し、『涼宮ハルヒ』がWebマーケティングの大成功例として注目される時代です。Web2.0のセミナーの中で、ハルヒが引き合いに出されるわけです。もはや境界はありません。
涼宮ハルヒのWeb2.0的成功要因分析、ウルシステムズ

Posted by amanoudume at 23:10 個別リンク | Comments (1) | TrackBack(0)

2006年07月11日

ゲーム1.0→ゲーム2.0の大きなポイント

うーむ・・・・

今さらですが、7月2日の日曜日からアクセス解析の設定を変えました。今までは割とズサンで、トップページへのアクセスのみを集計/解析してました。なので、はてなブックマークやニュースサイトから個別の記事に直接飛んできて、その記事を読んで帰った人はまったく捕捉していませんでした。言ってしまえば、常連の読者の人数だけを把握していたわけです。

しかし最近、はてなブックマークの「人気エントリー」に取り上げられる記事が増えていることもあって、1度ちゃんと調べてみたわけですが・・・・トンデモねー! 思った以上に「注目された個別の記事だけを読む人」が多いですね。そっかー、ボクのブログ、こんなに読者いたんだ、って感じ。何を今さらなことを言ってるんだろうね、ボクはorz

特に『ハルヒ』関連がえらい事になってました。もう、うちはゲーム系ブログじゃないな・・・・。ハルヒは別格とはいえ、かけている労力に対するリターンが違いすぎ。うーむ。E3特需(E3の時期になるとゲーム系サイトへのアクセス数が増える)の比じゃないぞ、これ。もうゲーム系ブログやめていいですか?


仮想現実なんぞより、半現実や現実の方が面白い

それはそうと、春以降、ハルヒとゲームの両方を取り扱っていてハッキリ感じたのは、ゲームって今マニアの間での話題作が無いなあ、ってこと。市場全体でいえば、DS Liteが馬鹿みたいに売れてるし、『Newスーパーマリオ』『テトリスDS』とゲームらしいゲームも好調に売れているんですが、マニア発の話題作が全然見当たりません。ごく一部の間で評判がいいソフトはありますが。それがホントにミニマムなんですよね。すげー小さい固まりがあちこちにバラバラに散らばっている感じ。

いや、別にさ、『ハルヒ』だって一般に届くとは微塵も思わないんですよ。でもアニオタの間では独占的・圧倒的に話題になりました。ポストエヴァかどうかの論争はさておいても、00年代の代表的な作品にはなったし、少なくともマニア層は「席巻した」。『ハルヒ』以前/以後という認識さえ生まれるかもしれない。

今そういうものがゲームにあるのか、というのが疑問なんです。去年の『ワンダ』も『ICO』のファン+α止まり、『FF12』にしても、話題だったかというと疑問です。いや、市場規模は『ハルヒ』より断然大きいはずですが。ゲーオタ界を席巻したという感じは全然ありません。ネットの一部で評価について論争があったし、擁護派の人がクリアしたら「なんだ、あの中途半端なストーリーは!」とコロッと転じたり、微笑ましい一幕はあったけどさ。

まあ理由は色々とあるんでしょうね。
ハードの交代期だから注目作が出てきにくいとか、ソフトよりハードの方が話題になってるとか。
つーか、良くも悪くもクタタンやイワっちほど立ってるキャラって、今のマニア向けゲーム市場に存在するの? まー、ぶっちゃけ、ゲームやるよりゲーム機戦争というメタゲームの方がずっと面白いんだろうね。クタタンより面白いキャラなんて、テレビゲームの中には存在しないよね、みたいな。こういったブログを見ても思いますが、ネタが尽きないあたり、ライブ感もばっちりですよね。

結局、ネット時代のユーザーの、しかもマニア層の需要を満たすほど、ゲームが話題を創出できていないんですよね。すぐに消費されてしまうし。仮想現実なんぞより、半現実や現実の方がよほど面白い。そう言われても仕方ない現状。鮮度不足、ライブ感不足。ディスクに焼いただけの中身ではユーザーの消費速度にはるかに及ばない。MMORPGがどうの、対戦がどうの、という以前に、もっと単純な話として、鮮度不足を補う手段としてネット対応が必要になってきた。そこがポイント。MMORPGや対戦マッチングなんて、じつはどうでもいい各論。


「鮮度」と「ライブ感」がゲーム2.0の特徴

「10年前の状況と似てきましたね」のコメント欄でボクが書いたことを再掲します。

>なにかこう、他業種にも参考になるような気がしましたので。

ゲームというのは元々少ないリソースで何度も反復して遊ばせるという事をやってきたメディアですから、その辺りのノウハウはやはりかなりの物があると思います。10年前に、ゲームらしくないゲームの一大ブームが起きたのですが、ディスク内のリソースで楽しませるという点では、やっぱり「いわゆるゲーム」にはなかなか勝てなかった。2、3年もしたら飽きられてしまいました。

今は、ネットの常時接続が当たり前になってきて、継続的に内容が更新されるようになったため、Web上のさまざまな娯楽に対して、「限定されたリソースで最大限楽しませる」というゲームの優位性が薄らいでいる状態です。

しかし、ゲーム開発者も学んでいますから、今後オンライン対応が進むことで、ゲームが巻き返していくのかな、と思います。また同時にWeb上のサービスもゲームから「ゲームデザイン」を学んでいくのかな、と思います。
ゲームも謙虚にWebサービス等他業種から吸収すべきノウハウがありますし、同時にWebサービス等の他業種もゲームから謙虚に学ぶことがあるのでしょうね。

例えば、ゲームウォッチの頃を思い返してみてください。容量が無かったため、多くのゲームは内容が短く、同じステージをくり返していました。そこで敵のスピードや出現頻度を徐々に上げていくことで、変化を作りました。難易度変化は単調上昇ではなく、ある周期で上昇しては一度低下し、しかし長期的には上昇している、という緩急がついていました。グラフィックを増やさないで変化をつけることに工夫があったわけです。

しかしユーザーの消費の速度が上がったため、ゲーム開発者の持つノウハウの優位性は今や急速に瓦解しています。また「より少ないコストで鮮度を保ち続ける」ノウハウを、ゲーム開発者はほとんど持っていません。オンラインゲームでさえ、まだまだ稚拙な段階にあります。雑誌、テレビ番組、Webサービスといった産業の持つノウハウには全然及びません。また、鮮度を保つためのあらゆる努力を供給者が行うのは無理があります。そこでユーザークリエイションが重要になるわけで、ゲーム業界の中から「Web2.0」という言葉が飛び出してくるのも自然なことです。

平たく言えば、
  ゲーム1.0時代のノウハウ = 限られたリソースで最大限ユーザーを飽きさせない
  ゲーム2.0時代のノウハウ = ユーザーコミュニティによって鮮度を保ち続ける
という事です。ゲーム屋はWebから鮮度の技術を学び、Web屋はゲームからインタラクティブの技術を学ぶ。お互いに学びあい、協調しあい、そして競争する。今はそういう時代です。


補足:YouTubeの足元にも及ばないゲーム業界

今回の内容は「You Tubeで花開くMADアニメ」の続きと言えます。さて現状、ゲーム業界はYouTubeの足元にも及びません。

というのは、話題そのものに加わるための敷居を下げる必要があるからです。MMORPGが伸び悩むのも当然です。参加者の間でしか話題が回らず、しかも参加する敷居が高いんですから。有料課金もそうだし、アイテム課金制にしたって始めるの面倒でしょ。MODにしても、改造というコンセプトに立つがゆえに、ソフトを買わなきゃ動かせません。でも、それってホントは論外なんですよね。海外ではそれでも成り立っちゃって、所詮あんな程度で満足しちゃいました。で、それを見てマンセーしてる日本人もいるわけ。信じられない。

例えば、『ハルヒ』のDVDを買わなければ、YouTubeで『ハルヒ』の動画を観られないし、『ハルヒ』のMADアニメも観られない、なんて馬鹿げてるでしょ。ところがゲームの世界では、そういう比較をできない人が結構いる。そういう事をやったら駄目だと最初から思ってるんです。「Web2.0なんてPCゲームはとっくにやってる。MODがある」とか真顔で言っちゃう。あれだけ長いことやってて、あんな程度にしか広がらないことに、疑問を持たない。もっと広がるはずだよね、とは思わない。

それが今のゲーム業界の病気なんです。
複雑な仕掛けと大量の仕込みで物事を動かすのが当たり前になっちゃった。だからWeb2.0が注目されても、「ゲームの方がWebより歴史が長いんだ。あんな単純な仕組みから学ぶ事なんて無い」などと真顔で書くゲームデザイン学生が湧いてきちゃう。単純な仕組みでゲームの何倍もの参加者を動員できるなら、そこは大いに尊敬するところでしょうに(笑 いつのまにか、複雑な仕組みを作ったらエラいとか、たくさんの人間がかかわって一緒に汗を流すのが美しいとか、そんな価値観がはびこっちゃった。今のライトゲームブームにしても、ゲーム業界の「複雑な仕組みを考えた俺は天才。ついてこれないユーザーが悪い」「作り手の流した汗は聖水」という歪んだ考え方へのカウンターと言えるんですがね。

Posted by amanoudume at 08:30 個別リンク | Comments (6) | TrackBack(0)

2006年07月10日

「鮮度」「ライブ感」の時代

テレビ番組的ということ

最近のゲーム市場の大変化について、ボクは色々な表現をしてきました。
いわく、ゲーム業界2.0である。
いわく、DSにおいて電子書籍の市場が急速に広がっている。
いわく、「求心力→遠心力」の時代である。
いわく、「映画→テレビ」に匹敵する歴史的転換期である。

DSやWiiをテレビ番組にたとえる人は少なくないと思いますが、著名なゲーム制作者では小島氏です。
「Wiiはテレビ、PS3は映画」 by 小島秀夫氏

DSやWiiのゲームは今のTVのよう。人気があるからと言ってバラエティ番組ばっかりでいいのか。もっと映画的なものを目指さないと。
DSの『脳トレ』などをツール系と称す人もいますが、面白さと実用性のバランスを考えると、テレビのバラエティ番組に近いと思います。実際、『楽引辞典』のようにツールに近づけば近づくほど、売れていないからです。他の人も同じような認識を持っているらしく、例えばあれれさんもTouch Generations!の成功作と失敗作を比較して、その結論を導き出していました。クソ真面目に、自己研鑽のためだけにDSを買ったり、プレイしている人は少ないでしょう。そういう意味では、どれだけ従来のゲームらしいゲームと異なっていても、娯楽はやはり娯楽なんです。

最近のテレビ番組とライトユーザー向けのゲームは、傾向がよく似ています。わかりやすさ。適度に役に立つ感じ。できて自慢するよりもできなくて恥ずかしい感じ(脳年齢もそうですね)。「ながら」が可能。軽い。ネタ重視。
TV LIFE ソフィーの業界 最近のクイズ番組って、なぜあんなに問題が簡単なの?

テレビを見てる人も含めて、参加するのがクイズ番組だった。家族が食卓を囲みながら、真剣にクイズに答えるなんて図が、日本のどこの家庭にもあったのだ。
 対して、今やテレビに対しての視聴者の温度はかなり下がっている。スポーツでもドラマでもバラエティでもとにかく分かりやすく、が第一。だからスポーツ中継やバラエティの画面はテロップだらけになり、ドラマはベタな話が多くなる。クイズ番組も同じだ。
 難しい問題の答えを知識として蓄えたり、それに正解してカタルシスを得るというクイズ番組のスタイルは、今や、誰でも知ってる常識問題を答えられない芸人やアイドルを笑うというスタイルへと変化してしまった。
またPS2、PSPでは続編が非常に多いわけですが、バラエティ番組に押されて視聴率で苦戦が続いているテレビドラマに似ています。(TV LIFE ソフィーの業界 新鮮なドラマが見たいのに、最近のドラマは続編ばかり…


あらゆる世界で起きている変化なんだという感覚

ボクが思うに、ゲーム業界の人間の悪癖の1つは、ゲームを特別なメディア、ゲーム産業を特殊な産業、ゲーム市場を特異なマーケットだと考えすぎていることです。その結果、世の中の変化とゲーム市場の変化を結びつける発想がとても薄いのです。ゲーム離れにしても、ライトゲームの成功にしても、その他のあらゆる現象をゲームの言葉、ゲーム業界の常識、過去の出来事との比較で理解しようとします。

また、Web、携帯電話、テレビ、本といった他のメディアで起きた現象がゲームでも起こる、という当たり前の感覚を理解できない人もいます。たとえば、去年ボクがWeb2.0とゲームについての記事を書くと、「そんなのはバブルだ。ゲームとは関係ない」とか、「ゲームの専門用語を使え」などと批判する人たちが現れました。

Web2.0という形でWebサービスがより深く人々の生活に浸透して、楽しさを提供している。だから競合するゲームも変わらなければならないし、ユーザーの変化にゲームデザインを適応させたゲーム群「ゲーム2.0」がヒットしている。あらゆる娯楽が人々の時間を奪い合い、生活により深く浸透しようとしている中、ゲームが生き残るための変化を模索しましょう。・・・・と書いただけなのに、「Webの流行を安易に取り入れてうまくいくわけがない」「ゲームの方がWebよりも歴史が長い。学ぶ事がどれだけあるのか」などと批判するわけです。

正直ボクには、どうして彼らがそこまでゲームを聖域化するのか、理解できませんでした。彼らがブログを書かず、ヤフーもグーグルもWikipediaも知らないなら、まだわかります。でも彼らは日常の中で、ブログを書いていたりするわけです。つまり生活とゲームが乖離していて、しかもその事に無自覚なんです。

ゲームで起きていることは他のメディアでも起こりえるし、他の多くの世界で起きていることはゲームでも起こるのです。例えば今、ゲームの世界ではライトゲームが支持されています。けれどもこれは、単にゲームの中だけの話ではありません。同じような傾向が、テレビ番組、本、Webといった他のメディアでも現れています。そうした広い視点で見れば、この現象がどれぐらいのスパン続くものなのか、1年程度で消えるものなのか、それとも5年なのか、あるいは10年続く長期傾向なのか、理解できるはずです。


強度より鮮度

ガガガトーク 第1回 冲方丁 - 神山健治(4)

神山:しかし、これっていうのは、もはや創作する根拠があったから作家になった、ということでもなくなりつつあるってことでしょう。いよいよ意味わからなくなってくるよね? なんかもう、とりあえず世の中に活字を垂れ流さなければならないんで、そのシステムに乗っかる人間をさらってこい、みたいな話になってきますよね。
(略)
神山:ハリウッドだって、すごい映像をつくるための便宜上として脚本があるんだよ? あのすごいインフラを使い続けなければならないから、物語を捻り出してるわけで。だから、どんどん過去の作品を焼き直したりしてるわけででしょう。
(略)
神山:ケータイやブログとかノンフィクション性があるものは、情報の鮮度が高い。これは、刺激が強いから魅力的ですよね。フィクションは、そういうものに勝っていかなきゃいけないんですよ。ちょっとくらいのどこかで見たことある風景だったら見向きもされない。相当強固な“見たことある”でなくちゃいけなくて、さらにやっぱり何度見てもいいなーってものじゃないと勝てない。でも今はそういう強度のある作品が少ないんだと思うよ。
この記事の「鮮度VS強度」という対立軸は、非常に鋭い視点だと思います。これは、「遠心力VS求心力」「テレビVS映画」「バラエティVSドラマ」と言い換えてもいいでしょう。ライトゲームが売れる、ストーリー系ゲームの元気が無い、といったゲーム市場で起きた変化は、Webでも、携帯電話でも、テレビでも、ライトノベルでも起こっているんです。

すなわち今は「強度より鮮度」の時代です。
かつてテレビは映画からユーザーを奪い、コンテンツ産業の中心の座に落ち着きました。そして今テレビを脅かしているのがYouTubeです。鮮度という点でいえば、YouTube>>テレビ>>映画です。より鮮度、ライブ感のあるメディアやフレームワークがユーザーの支持を集めています。このブログの『ハルヒ』関連記事をお読みになってきた方々には同意していただけると思いますが、『涼宮ハルヒ』の大ヒットも「ライブ感」がとても大切なポイントになっています。

ゲーム機はパッケージメディアで、その上リリーススパンが長くなっていたため、鮮度という点で最悪のメディアになっていました。「据置→携帯」のシフトも、携帯ゲーム機のほうが鮮度が優れているのが一因です。次世代据置ゲーム機はすべてオンラインに標準対応します。そこで重要なのは鮮度(ライブ感)です。ようやくゲーム機はライブ感を演出する強力な手段を手にすることができるのです。

Xbox360、PS3、Wiiすべてに同じことが言えますが、現時点では特にWiiの「Wii Connect24」に注目が集まっているようですね。

鮮度、ライブ感という点で、ゲーム機はやっとWebサービスに追いつくことができるのかもしれません。
ゲーム機は今「映画→テレビ」に差し掛かっている段階です。一方、Webの世界はすでに「テレビ→YouTube」の段階。圧倒的に差がついています。しかし3年後には、ゲーム機もまた「テレビ→YouTube」の転換を迎えているのかもしれません。時代の変化に付いていけるなら。

Posted by amanoudume at 23:24 個別リンク | Comments (6) | TrackBack(0)

2006年07月06日

ゲームデザインの構造的変換を示す「遠心力」というキーワード(後編)

ゲームデザインの構造的変換を示す「遠心力」というキーワード(前編)の続きです。

過度の「求心力」が「拘束力」になり、今カウンターが起きている

ファミコン世代の方々は、おそらくゲームで徹夜したことのある人も多くいらっしゃると思います。ゲームにはそういう「ハマる」魅力がありますし、実際ゲームの作り手はハマるゲームを作るように努力してきました。プレイヤーを熱中させ、テレビ画面の向こう側に吸い込んでいくようなゲームが名作と賞賛され、歴史に残ってきました。そうやってハマった経験をもつユーザーは、ヘビーユーザーになる人も多く、ファミコンブームが去った後もゲームを熱狂的に支持してくれました。その中から、ゲーム開発者になった人もいると思います。いや、まー、ボクもその1人だったりしますが(笑

それは決して間違いではありません。ただ、ある時点から、ゲームはその求心力があまりに強くなり過ぎたのではないか、と思うのです。求心力はいつしか拘束力になりました。強制される長いデモムービー、ムービーとムービーの間をつなぐ作業にも似た長時間プレイ、長ったらしいローディング、無意味なまでに冗長なレベル上げ、・・・・。ゲーム内の表現力が高まるにつれて、徐々にプレイヤーをゲームに縛り付けるような作りになっていったのです。

そのため、ゲームの求心力に引き寄せられた人たちと引き寄せられない人たち(求心力に恐れや嫌悪をおぼえる人たち)の間の距離がどんどん開いていきました。それはゲーム離れという形で市場に現れました。また、暴力ゲームへの批判、ゲームレーティングへの批判、「ゲーム脳」のようなトンデモ理論の広がり、MMORPGの廃人問題などが持ち上がりました。これらの批判は個別に議論すべきですが、大枠としては強くなり過ぎた「ゲームの求心力」に対して社会の側から反発が起こった、と捉えられます。

昨今ライトゲームが大変盛り上がっていますが、ライトゲームの手軽さとはプレイヤーをゲームに拘束する時間が短いことです。やや乱暴にいうなら、「求心力」が弱い。ソリティアを何時間も遊び続ける人もいるので、この言い方は正確ではないかもしれません。より正確にいうと、「拘束力」が弱い。すぐに始めて、すぐに終われるゲームが支持されています。


「遠心力」のゲームデザインがコミュニケーションツールとしてのゲームを復活させている

ここでゲーム開発者の鶴見六百氏の興味深い記事を参照します。
六百デザインの「嘘六百」: 又も綴る「子供にゲームをさせよ論」のコト[後編]

「ひとつは、『長時間遊んでいたコト』。これは問答無用にそうですよね。短時間遊んでいただけでは、それに依存するはずもありません。ただし、その内容を詳しく思い出してみると、『1回に長時間、遊んでいたコト』これがマズかったのではないかと考えます。

「そしてもうひとつあります。『実生活とのリンクの仕方』がマズかったのです。先ほど、快感によって脳味噌の『創造力』が活性化されると申しましたが、じゃあそこで生まれた創造力がどこへ向かうのか…これがゲームの中だけで閉じていたらマズいコトになります。

この記事を読んでボクの頭に浮かんだのは、『脳トレ』が「依存」を抑制する方向のゲームデザインになっていることです。つまり1回に長時間遊ばないような作りになっていて、実生活とリンクしています。

ポップ・コラム:日本人だけに許された脳力鍛錬アイテム 『もっと脳を鍛える大人のDSトレーニング』
脳トレの分析はこのコラムがなかなか的確です。1日に何時間も続けて遊ぶような作りではなく、毎日少しずつ遊んでもらう設計ということがわかります。

  • 脳年齢の測定結果が記録に残るのは1日1回だけ。繰り返しプレイしても練習にはなるが、記録は残らない。
  • ゲームを何時間遊んだかではなく、何日遊んだかで、ゲーム内の要素がオープンされる。毎日遊んでスタンプを溜めると、トレーニングが増える。
  • 普通のゲームは遊び続ければゲームが変化するが、時間を置かないとゲームが変化しない(教授のメッセージその他)
また実生活とのリンクについても、「脳年齢」は他人との話題にしやすく、事実『脳トレ』に代表される脳ブームは口コミで広がっていったわけです。

『脳トレ』のみならず、ゲーム2.0と呼ばれるゲームがどれも、いわゆるWeb2.0と共通した部分をもち、コミュニケーションツールとして機能している点は見逃せません。まぁ考えてみれば、何時間もゲームに没頭し続けていたら、そりゃコミュニケーションする時間は無くなります。そのゲームの中で閉じた評価(レベル、ゴールド、レアアイテム、・・・・)では、いくらスコアを上げても、そのゲームを知らない人とは共通の話題にしにくいです。

しかし本来、ゲームはコミュニケーションツールとしても機能していました。ファミコンブームを思い出してください。子供たちは高橋名人にあこがれ、必死に連射の練習を繰り返しました。ドラクエの攻略はクラスの大きな話題になり、ドラクエを買ってもらえないとクラスで孤立すると泣き喚く子供のため、親が長い行列に並びました。子供たちは攻略法や裏技について情報交換し、雑誌にはそうした情報がぎっしり載っていました。当時は「求心力」と「遠心力」のバランスがうまく取れていたのだと思います。
今のDSブームは、「求心力」に傾きすぎた状態からの揺り戻し、と言えます。かつてのファミコンブームに類似しているのも自然なことです。

今回はここ数年の諸現象を「求心力」と「遠心力」というキーワードで説明してみました。もちろん大雑把な議論であることはボクも承知しています。ただ、1つ1つの現象に目を奪われて、大局を見失ってしまった方々には、このような整理の仕方は有用なのではないか、と思います。

Posted by amanoudume at 22:54 個別リンク | Comments (5) | TrackBack(0)

2006年07月05日

ゲームデザインの構造的変換を示す「遠心力」というキーワード(前編)

発熱地帯:ゲーム業界の構造的変換を示す「遠心力」というキーワード
↑の記事は3年前に書いたもので、実はこのブログを始める前、BBSをやっていた頃に書いた文書です(BBSに投稿したのはたしか2003年の10月頃だったと記憶しています)。それから時間が経ち、ゲーム業界は大きな変化を迎えました。「据置→携帯シフト」や「プロセッサ性能市場主義の崩壊」など、ゲームの受容のされ方、ゲームデザインにまで変化は及んでいます。それをどういう風にとらえるのか、頭を抱えている人も結構いらっしゃるのではないでしょうか。今回の記事は、そういう人たちの頭の整理のために書きました。


「求心力」→「遠心力」

大雑把には「求心力」の時代から、「遠心力」の時代に変わってきたのだと思います。
「求心力」というのは、画面のあちら側、ゲームの内部の表現世界を高めていくことで、ゲームの価値が高まるという考え方です。小さなスプライトから大きなスプライトへ、1枚のBGから多重BGへ、2Dから3Dへ、ローポリゴンからハイポリゴンへ、ただのムービーから映画的なムービーへ。プロセッサ性能が上がれば、新しいゲームが生まれると素朴に信じられ、新しい世代のゲーム機にはより高性能のプロセッサが搭載されてきました。

またゲーム会社はゲーム機、しかもトップシェアのゲーム機に技術と労力をつぎ込むのが正しい戦略でした。ゲーム開発者は厳しい機密保持契約の壁に囲まれ、お互いの情報交換など、あり得ない話でした。ゲーム機は独自規格を採用することが多く、周辺機器はそのゲーム機でしか使えないのが当たり前。セーブデータをPCに持っていくことなど、ほぼ不可能でした。

しかし今や、そのほとんどが逆転しています。
プロセッサ性能至上主義は崩壊し、これまで性能にこだわってきたクリエイターが次々と別の路線への転換を口にしています。たとえば、性能至上主義の権化ともいえる、あの鈴木裕氏でさえ、技術はもう十分と語っています。DSは画面のこちら側、インターフェースの革命によって、ユーザーに新鮮な楽しさをもたらしました。その成功は誰の目にも明らかです。実際、去年の年末に500万台達成したばかりなのに、すでに900万台を突破しています。

ソフトメーカーはマルチプラットフォームが当たり前になり、ゲーム機に限らず、PCと携帯電話にも積極的にマルチ展開するようになりました。ゲーム開発者の技術交流、情報共有はまだまだ課題は多いものの、ここ数年で一歩も二歩も前進しています。PSP、Wii、PS3は、メモステやSDカード、USBなどの標準的な規格を採用しているので、セーブデータをPCに持っていったり、ゲーム機以外の周辺機器を接続しやすくなっています。


ゲームデザインにおける「遠心力」

ゲームデザインのトレンドも大きく変わりました。関連する記事を5つ挙げておきます。

個々の議論については、それぞれの記事をお読みいただくのが一番だと思います。特徴的なのは「外部化」です。ゲームの中の機能・要素をゲームの外に持っていくことで、1つ1つのソフトウェアの規模が軽くなると同時に、コミュニケーションツールとしての機能が高まっています。

1.評価の外部化
プレイヤーのプレイを評価し、ごほうびを与える部分のコストが上がりすぎました。ストーリーと付随するムービー、アイテムやステージや隠しキャラなどのやりこみ要素。ある時点において、こうしたボリューム感は市場で成功するために必要でした。しかし今や、ボリューム感は疲れたゲーマー、時間の無いゲーマーにとって、マイナスに働くことさえあります。

その一方、評価を外部化することで、ゲーム内の評価を簡略化したソフトが成功をおさめています。例えば、『DSトレーニング』の脳年齢は、ゲーム内の仕組みとしては昔ながらのただのスコア制です。ただし川島教授によって、脳年齢という数値に「ただの数値じゃないよ」という保証が与えられています。そこの部分が外部化されているから、ゲーム内は極めてシンプルなのですね。今時ゲームを練習して、ハイスコアを取ることに夢中になる人はほとんどいません。しかし脳年齢なら、毎日プレイします。

2.プレイデータの外部化
1個のゲームのセーブデータを複数のソフトで共有しようという流れです。『ポケモン』のデータを『ポケモンスタジアム』に持っていくと3Dの迫力ある戦闘が楽しめたり、『ポケモンダッシュ』に持っていくとマップが増えたり。また古くはファミコンの『ウィザードリィ』で、ターボファイルを使ってセーブデータを引き継げました。1つのセーブデータとそのデータを利用する複数のユーティリティアプリという構造は、1個の巨大なソフトウェアを作るよりも開発のリスクが小さく、より短期間に小回りの利く対応が可能でしょう。

自分のアバターを使って複数のゲームを遊ぶことができるスタイリアのようなオンラインサービスはその発展形といえます。オンラインゲームの主流がMMORPGから「アバター+アイテム課金」型に移行しているのも、興味深い傾向です。1個のデータと小さな多数のソフトウェア。これはWeb2.0にも通じる発想です。

3.ストーリーの外部化
ゲーム内で濃厚なストーリーを語らず、ゲームの外のメディアでストーリーを補完するという流れです。ゲームは世界そのもの、場を表現するのに適したメディアのため、世界観の共有とコミュニケーションの機能を重視し、物語はゲーム以外のメディアに任せます。こうすることで、ゲーム性とストーリーの衝突を回避することもできます。(参考:瞬発力と持続力(2) ゲームの「持続力」

実際、『FF11』や『ラグナロクオンライン』のような大人気MMORPGでは、ゲーム内のストーリーは薄く、プレイヤー同士が共有する世界観が大切。そしてアンソロジーがストーリーの補完の役目を果たしています。『ポケモン』もRPGでありながらシナリオは重要ではなく、アニメによって世界観やストーリーの補完を行っています。『どうぶつの森』もゲーム内部のストーリー性は薄いものの、年末に劇場アニメが公開されます。


前編では、ここ数年のゲーム産業の環境変化、そしてゲームデザインのトレンドの変化を、「求心力から遠心力への変化」としてまとめてみました。後編では、何故このような変化が起きてきたのかについて書いてみたいと思います。

Posted by amanoudume at 20:40 個別リンク | Comments (3) | TrackBack(0)

2006年07月03日

ゲーム業界に広がる「映画的ゲーム→テレビ的ゲーム」という認識

小島監督も認識した「映画的ゲーム→テレビ的ゲーム」への大変化

DSを震源地としたライトユーザーブームはただのブームではなく、大きな地殻変動であり、それはかつて映像メディアで起こった「映画→テレビ」の歴史的転換期に匹敵する。過去の2つの記事で書いてきたこのビジョンが、急速に日本のゲーム業界人の共通認識になりつつあります。

たとえば、コナミの小島監督も同じような認識を持っておられるようです。テレビ的、テレビのバラエティ番組的な軽さと日常性を追求したDSやWiiが多くのユーザーから支持を集めることは、皮膚感覚として感じ取っているみたいですね。世の中の変化についていけず、本質的な変化を「一過性のブーム」と断じるゲーム開発者が少なくない中、変化を鋭敏に察知するセンスはさすがの一言。

けれども小島監督は周知のように大の映画好きで、映画的なゲームの制作者です。『MGS4』をPS3向けに制作している小島監督にしてみると、現在のPS3不利の状況、「映画→テレビ」への大転換は好ましいとはいえません。そのため、たとえ世の中の状況がどうあっても、映画的なゲームを作り続けたいという決意を宣言したようです。
わぱのつれづれ日記: 「Wiiはテレビ、PS3は映画」 by 小島秀夫氏

* PS3は映画館、Xbox360はDVD、WiiはTV。
* DSやWiiのゲームは今のTVのよう。人気があるからと言ってバラエティ番組ばっかりでいいのか。もっと映画的なものを目指さないと。
* PS3バッシングがあるが、それでみんな本当にいいのかと。PS3みたいな道を切ってしまうと、もう伸びない。
* 映画業界でも、昔お金をかけた大作が売れない時代があった。そんな状況でポセイドン・アドベンチャーは大作として作ろうとして反対されたが、自ら資金をかき集めて作り、大成功した。そういう例もある。
* ただし、現時点ではPS3は高い。アンケートの反応を見ても厳しそう。
『ポセイドン・アドベンチャー』の例を出しているように、自ら資金をかき集めてでも作りたい。その意志はさすが。日本の映画産業人も、かつてテレビが台頭してきた折、このような境遇に陥ったのだと思います。そしてテレビを批判し、映画に金をかけようと必死に訴えたのでしょうね。しかし大多数の日本人がどちらを選んだのか。ボクたちはその結果を知っているわけです。


必死に泣き叫ぶも、離れていく人々は振り返らず

これから日本のゲーム開発者は、一時的に「映画派」と「テレビ派」に分裂していくのかもしれません。
そして急速にユーザーの支持を失いつつある「映画派」のクリエイターは必死になって「テレビ派」を批判するようになるでしょう。かつての歴史を知るボクたちは、その悲しい末路を予想済みです。おそらく彼らも悟っています。だから余計に、必死に、噛み付くのです。先月、とあるゲーム開発者が「岩田社長は胡散臭い」だの、「岩田社長は秋元康」だの、何の論理性もない批判を行いました。そのブログのコメント欄には、批判が殺到し、一晩で文面は180度正反対なものに書き換えられました。書き換えられる以前の文章の一部を引用します。

だいたい、最近、岩田発言が胡散臭い。まったく新しい体験だとか、ゲームの未来とか、ゲーム人口拡大だとか、胡散臭いことこの上ない。なんだそれ。あーあれか、あなたは秋元康か?

ボクが言いたいのは1つです。
かつて映画人がどれだけテレビを批判しても、大多数のユーザーはテレビを支持しました。そして口から唾を飛ばし、必死にテレビを罵る彼らは、尊敬を失い、ますます自分たちの拠り所を失っていったのです。日常的な映像娯楽として、人々の間に浸透していくテレビ。それに対して彼らがすべきことは、ただ素晴らしい映画を生み出すことだったはずです。それができないなら、泣き喚くよりは沈黙のほうがまだマシでしょう。

去年顕著になった「据置→携帯」へのシフトも、たまたまDSが存在しているからそう言えるのであって、もし無かったら「ただの第2次アタリショック」だったわけです。据置ゲームに飽きた人は携帯ゲームが無ければ、単にゲームそのものから離れていくだけです。「ゲーム離れ」とはそういうものです。PS3が支持を失っているのはPS3の問題であって、DSやWiiやXBOX360が原因ではありません。他のゲーム機があっても無くても、ユーザーは欲しくなければ買いません。そんなこともわからないゲーム開発者は、ゲーム機が注目されていた10年前の感覚を引きずっているのでは? 時代錯誤もはなはだしい。


日本のコンテンツの中心はテレビ的なるもの

米国のメディア産業の中心はハリウッドの映画産業、日本はテレビ局、とよく言われます。これはそれぞれの地域の消費者の特性を表しているのかも知れません。日本では「据置→携帯」シフトが鮮明になり、インタラクティブな映像メディアであるゲームもテレビ的な方向へ大きな一歩を踏み出しました。

その特性を挙げてみましょう。

  • 話題性を提供し、話題性を重視する内容
  • 毎日触れるメディア
  • 安価あるいは無料なメディア
  • 日常的にコンテンツが更新される
  • 気楽に楽しめる
  • 「ながら」で楽しめる
  • 家庭の中心であり、個人にもっとも近いメディア
  • 制作費が(映画に比べると)安い
  • 短期間、低予算、ネタ重視のコンテンツ制作
  • 地域色が強く、海外との競合が(映画と比べると)相対的に少ない
  • ユーザー数はパワーという論理
  • 大多数のユーザーに支持されている
これらの特性は、テレビと携帯ゲームの両方に共通しています。またいわゆる「ゲーム2.0」(脳トレ、nintendogs、どうぶつの森、・・・・)における諸々のポイントにも合致します。さらにいえば、ハンゲームに代表されるミニゲーム+アバター。またWeb2.0とオンラインゲームの融合も、こちらの方向性です。

このブログを読んでいらっしゃる方は多岐に及びます。ゲームではなく、アニメやライトノベルに興味のある方、ゲームが大好きな方、ゲーム業界の人々。そして中には、ゲーム会社や開発スタジオの経営者やマネージャー、アナリストの方々もいらっしゃいます。そうした方々からメールをいただくこともあります。日々このような拙文をご愛読いただきありがとうございます。さて、皆様方に申し上げたいのは、もはやゲーム産業の未来は示されつつあるということです。

日本のコンテンツ産業の中心は映画会社でしょうか、テレビ局でしょうか? これからTBSに、日テレに、フジテレビになるのは一体どこのゲーム会社でしょうか? かつて日本のゲーム会社(旧スクウェア)は映画に多大な資金を投入して経営破たんを起こしましたが、映画的なゲームの制作に熱心な会社に投資すべきでしょうか、それともテレビ的なゲームに路線変更した会社に投資すべきでしょうか?
勘のいい方はすでに感じ取っていることと思います。まさしく2006年こそ、ゲーム産業2.0、ゲームビジネスの新しい始まりの年なのです。


補足

ところで「映画派」のゲーム開発者は、多大な資金を使い、結局は日本映画のように衰退するのでしょうが、それでオシマイなのでしょうか? いいえ、そうではありません。今、日本の映画界が少し元気を取り戻していますね。テレビ局主導の映画作りによって日本映画が復調しつつあるように、いずれは「テレビ派」のゲームが、ゲーム会社が、ゲーム制作者がその骨を拾い、残骸を乗り越え、未来を切り拓いていくことでしょう。映像メディアの過去から現在に至る歴史が、ゲーム産業の未来を指し示しているのです。

Posted by amanoudume at 21:57 個別リンク | Comments (25) | TrackBack(0)

2006年07月01日

今週のファミ通は必読かも (コメント欄にも色々と)

(コメント欄の方もずいぶん色々と書いていますので、ぜひご一読を)

今週のファミ通は、スクウェアエニックスの和田社長と浜村通信氏の対談、宮本茂氏へのインタビュー、となかなか読み応えがある内容ですね。宮本茂氏のインタビューは、カートリッジ型のゲーム機が登場する以前から現在までのゲーム開発の歴史を振り返る内容。まさしく簡にして要を得るという感じです。必読級。

またスクウェアエニックスの和田社長が、これだけ長く熱く語るのはなかなか珍しい。これも過去からの発言の総括として読み応えがあります。ただ、同時に「やっぱり開発に理解されてないんだな〜」というのがよくわかります。ボクは以前から、スクウェアエニックスは経営と開発がズレているように見える、と書いていますが、問題を再確認できましたね。対談の中でも、理解されないもどかしさや、ゲーム開発者の頑固さに苦労している様子がうかがえます。

んー。厳しい言い方をすれば、社員を説得するのは経営者の重要な仕事なんです。でもそうは言っても、和田社長は開発者出身ではないですし、古くからいた人でもないので、説得に時間がかかるのは仕方ないんでしょう。無理に説得はできない、自分自身で気づかせるのが大切、という言葉通りでしょうね。

確かあれれさんも以前指摘しておられましたが、旧スクウェアが開発の暴走で経営破たんしたため、結果的にチーフ・クリエイティブが不在なのが尾を引いていますね。例えば、最近上り調子の任天堂にしたって、岩田社長と宮本茂氏の仲が悪かったら、とっくの昔に空中分解してるでしょう。経営と開発の歯車が一致して、うまく回り出すまでにあと何年かかるか? 成果が出てくるまでに仮にあと3年かかるとすると、かなりギリギリなんじゃないかな・・・・。

それはともかく、ちゃんと語るのはいいことですね。というのは、傍から見ていると、どうも発言がちゃんと伝わってないですし。メディアを通して記事になる過程で、発言が適当に要約されちゃうんですよね。これはもう、仕方のないことです。株主総会のレポートがネットに上がるぐらい、熱心なファンがいる会社ですし、任天堂みたいに発言をどこかにアップしたらいいんじゃないの、と思っちゃいます。

わかりやすい例なので、よくスクウェアエニックスを持ち出すんですけど、これってゲーム会社すべてに共通する課題です。「クリエイティブマネージメント」というのが非常に重要な時代になっているんです。何となく大切なことはみんなわかってるんですが、数字にしにくいから難しい。本当は「コストマネージメント」「リソースマネージメント」と肩を並べるぐらい大切。経営に近い部分で、どういう方面へ打って出るかという部分も含むし、モチベーション管理もそうですし、人材の育成も包含します。もちろん小野憲史氏の言うような「日本人によるノウハウの蓄積」も含むでしょうね。

Posted by amanoudume at 05:40 個別リンク | Comments (3) | TrackBack(0)

2006年06月26日

本格化しつつあるゲーム版Web2.0 -ユーザークリエイティビティ編-

言いすぎかも(笑
ゲームにおけるWeb2.0の代表例としてよく挙げられるのは『Second Life』でしょうか。
またハンゲーム的なアバタービジネス、mixi的なポリシーを貫くDSのWifiコネクションも含めていいでしょうね。そもそも、去年散々書きましたけど、オンラインゲームとWeb2.0は類似性、親和性の高い概念ですが。

新清士のゲームスクランブル:オンライン化する次世代機にゲーム版「Web2.0」の片鱗を見る

しかし、一般からのデータ収集には苦労した点も多かったようだ。そもそも、ユーザーがPS2でデータを作成しても、インターネットに接続されているわけではないので、自由に配信できない。スパイクはユーザーから自作の「任務」を収録したメモリーカードを郵送してもらい、データを取り出したあと返却するといった面倒な作業を強いられた。
スパイクの『忍道 戒』には「Mission Editor 匠」というゲーム内の任務をエディットできる機能が付いているのですが、スパイクはユーザーが作った任務を130種類以上集めた『忍道 匠』を今年の3月に発売しています。ユーザーにカスタマイズ機能を開放して、ユーザーのクリエイティビティーを集め、それを販売につなげる。欧米で盛んなMODビジネスと同じですし、今流行の言葉でいえば、「Web2.0」。

PCゲームの世界ではそれこそ80年代から存在しますし、ファミコンの『ロードランナー』『ナッツ&ミルク』『ファミリーベーシック』にも通じるところがあります。また欧米のFPSにおけるMODビジネスの隆盛は、欧米のゲーム産業の成長の一因となった、という見方もあるほどです。
けれども日本のゲーム業界は、ゲーム機を中心に回っていたため、こういう仕組みを本格的にビジネスにつなげていくのはまだこれからの話です。とはいえ、次世代ゲームの1つのポイントになるでしょうね。

(日経はビジネス色の強いメディアですから、記事中で「Web2.0」というネットビジネスでの流行り言葉を使ったのは適切な判断。ゲーム系のライターは「Web2.0」という言葉を使う人はあまりいないんですよね。一般にPCゲームに詳しい人ほど、「Web2.0? ゲーム2.0? なんだ、その浮わついた言葉は。そんなの昔からPCゲームでは当たり前だよ」って態度を取りがち。幼稚な知識自慢というか。素直に言葉を使う人は希少。)

PSP『ロックマンロックマン』が「殿堂入りステージ」を大発表!
『ロックマンロックマン』にもステージエディット機能がついていて、PSPの無線LANでアップロードできます。ていうかPSPソフトのネットワーク対応は、『鬼嫁日記』もそうですが、このアップロード型が主流なんですよね。対戦マッチングが主流のDSのWiFiコネクションとは方向性がかなり異なっています。ソニーと任天堂の性格の違いがよく表れていますね。PSPのネットワーク対応は全然話題になってないのが、ちょっと物悲しいですけども。

メモステ対応していることで『アドベンチャープレイヤー』が出てきた事といい、PSPはエディター機能を備えたゲームが全般的に多い気がします。ゲーム機メーカーは伝統的に、ゲーム機独自の規格を使いたがる閉鎖的な考え方をしていましたが、最近はメモステ、SDカード等のPCやデジカメでも使える規格を積極的に採用しています。この点ではソニーが最も先行していますね。

DSはせっかくタッチペンがあって、エディタと親和性が高いハードなのに、SDカードに対応していないため、データがROMカートリッジの中に閉じがちです。『おいでよ どうぶつの森』のような万人ができそうな「軽いユーザークリエイティビティー」は十分なんですが、PSPのような「濃いユーザークリエイティビティー」は実現できていません。

■同人ゲームとPSP
Web2.0というわけではありませんが、同人ゲームとゲーム機について。日本ではゲーム機が最大にして標準のゲームプラットフォームです。しかし過去20年以上にわたって、ユーザーに開発の自由が与えられてきませんでした。これは、任天堂が始めて、ソニーが受け継いだロイヤリティービジネスの悪しき側面です。この部分をどう修正して、より開放的なビジネスを打ち立てるか。そこが次世代ゲームビジネスの1つの焦点になるでしょう。最近は実用ゲームブームもあって、ゲーム業界外からの関心が集まっていますし、同人ゲームやフリーゲームも育ってきていますからね。

PSPは同人ゲームとの親和性は良いようですね。

ユーザーに勝手アプリを許すという話があったPS3は、積極的に同人ゲームを取り込んでいったらいいと思います。例えば、DVDやブルーレイで焼いたゲームはロイヤリティを徴収し、メモステやHDDで起動するアプリはロイヤリティ無し(ただしSCEのコンテンツ配信サービスを使う場合は手数料をとられる)。まぁそれぐらいのこと、ソニーもスタート時から考えてますよね? あれだけコンピュータ、コンピュータ連呼してるんですから。


とりあえずここまで。
・・・・って、話題が全部PS系になっちゃいましたね。
なんつーか『ピクトチャット』やWiFiコネクションのようなライト&カジュアルなコミュニケーション(クリエイティビティー)は任天堂が圧倒的に強くて、ヘビー&ディープなクリエイティビティーはソニーが強い感じです。両者の方向性の違いが面白い。まぁ任天堂は山内氏が始めたビジネスの枠をなかなか脱せないし、ソニーはハードが売れればそれでいいやという考えが強くなってますからね。

Posted by amanoudume at 07:24 個別リンク | Comments (2) | TrackBack(0)

2006年06月19日

日本のゲーム界は「映画→テレビ」に匹敵する歴史的分岐点を迎えている

今回の記事は「ゲーム言説界の性質」の続きのつもりで書きました。

プロセッサ性能至上主義の崩壊がもたらすもの

ゲームは過去数十年にわたって、技術の進化と共にゲームデザインを変化させてきたメディアです。実際、次世代ゲーム機が出れば、その性能を活かした次世代ゲームが生まれることが期待されてきました。性能向上がゲームを面白くし、ゲームユーザーに支持され、売上も市場も業界も成長するという、素朴な楽観主義が信仰されていたのです。

しかしこの特性は、これから変化していく可能性が高いです。というのは、今やプロセッサ性能至上主義の崩壊が誰の目にも明らかになったからです。それはDSが証明しましたし、今年のE3で多くの業界人が認識したことでしょう。今週のファミ通(P.21)ではなんと、あの鈴木裕氏がプロセッサ性能至上主義が終わったと語っています。

技術が上がれば上がるほど、ゲームがおもしろくなって伸びていった時代。でも、いまはそうじゃない。技術はユーザーにとってもう十分満足する状態にあって、成熟期ですよね。DSを成功を見ても、ユーザーはもっと種類の違う遊びを求めているように思います。映像表現という部分では、もう「映画を目指せばいい」っていう時代じゃない。
鈴木裕氏といえば、ある意味、性能至上主義の権化ともいえるゲーム制作者でした。そういう人でさえ、プロセッサ性能至上主義の崩壊を認めているのです。

プロセッサ性能至上主義の崩壊は、大勢の人たちの共通認識になりました。ではゲーム産業にどんな影響が現れるのか。それは、単にPS3とWiiのシェアがどうなるか、などというちんけな話に留まりません。ゲーム会社の経営は? 開発手法は? 作家性は? 消費のされ方は? あらゆることに変化が波及するでしょう。

今、日本のソフト市場は大きく偏っています。PS2市場が急激に落ち込んで、DS市場が急拡大しています。
それはDSがPS2からお客を奪ったんじゃないんですよ。欲しい物が無ければ、ユーザーは離れていきます。いわゆる「ゲーム離れ」現象をくぐり抜けることで、日本のゲーム業界人はそれをイヤという程知っています。つまりもしDSが無ければ、アタリショックとはいかなくても、歴史的な市場変動が起きていたんです。それぐらい大きな変化ですから、ついていくのは大変かもしれません。ここを乗り切るためには、市場の変化がどういう物なのか、より多くの業界人が「認識を共有」することが大切です。


技術の進化がゆるやかになるとどうなるのか

ゲーム業界では、技術の進化によってゲームデザインが変化し続ける、という考え方が根強いです。そこがゲームというメディアの特異性の1つだと考えられてきました。逆にいえば、性能進化が非常にゆるやかになった時、いったい何が起きるのでしょうか? それについても、昔から議論はあったのです。その一例を挙げます。Classic 8-bit/16-bit Topicsの過去の記事で見つけたのですが、97年の時点のfjでの議論です。

洗練されるから進歩が止まるのではなくて、技術革新が起こらなければ進歩止まって、洗練が始まるのだと思います。映画で良く言われますが、今の映画は白黒映画の最後の頃の洗練には未だ到達していないとか、そういう事なんじゃないかと思います。
#SFXやCG技術が出なければ、とか色々想像出来ますよね。

だから、ゲームも技術革新が止まらない限り、永遠に洗練はされないのでは、と僕は思います。

このように、議論そのものは昔からありました。しかし実際にその日がいつ来るかは、人によって意見が異なっていたと思います。そして現在、実にたくさんの人たちがその認識を共有しています。

ノベルゲーム、パズルゲーム、2D格闘ゲーム、2Dシューティングといった「枯れたジャンル」は、同人ゲームやフリーゲームでも多く作られていて、ゲーム会社という商業土壌の優位性が失われつつあります。ノベルゲームの『月姫』『ひぐらしのなく頃に』、2Dシューティングの『東方』は、制作者の認知度や、作家のカリスマ性という点で、多くの商業作品をはるかに凌駕しています。制作者とユーザーの距離が近いのです。制作者の名前ではなく、会社の名前で買われるのが当たり前のコンシューマ市場とは異なる文化が定着しています。
(以前の記事でより詳しく触れていますので、興味をお持ちの方はご一読ください。発熱地帯「ゲームの二極化の果てはパブリッシャー/スタジオ/作家の3階層モデル?」

ここでいう「枯れた」とは製作技術的に「枯れた」という意味で、人気が無いという意味ではありません。しかしゲーム機のソフト市場では、枯れたジャンル=売れないジャンルだったのも確かです。かつてのゲーム市場は「プロセッサ性能至上主義につき従ったゲーム」+「枯れたジャンルのゲーム」でした。しかし今や、ゲーム市場は「大多数のゲーム」+「一部の従来路線の大作ゲーム」になりつつあります。


「映画→テレビ」に匹敵する歴史的分岐点

技術の進化がゆるやかになるということは、アニメ、テレビドラマ、バラエティ番組、コミック、小説に近づいていくということです。ここ最近の「据置→携帯」の流れで顕著なのはゲームの日常化です。月に1回か2回、高い金を出して、非日常的な体験をするメディアではなく、手頃で気楽で身近で毎日遊べる娯楽が受け入れられているわけです。ゲームは映画的なものとテレビ番組的なもの、2つに分化していくと思います。

テレビ番組的な路線に進むゲームは
    ・ゲームの低価格にともない、低予算・短期間での開発が求められる。
    ・映像的なクオリティはそこそこで良く、テーマ性(実用性やブーム性)を重視したものがヒットする。
    ・低価格化の流れの中で、ダウンロード販売にもスムーズに乗っていく。
    ・広告費でソフトの制作費をまかなうビジネスモデルが台頭してくる。ますますテレビ的。
       - マイクロソフトがゲーム内広告のMassiveを買収している
       - Windows Live等のLive戦略を考えれば、XBOX Live!も広告ビジネスが載ってくる
         と見ていい
       - Gyaoでも一部だがゲームを掲載している
    ・放送と通信の融合に、ゲームのダウンロード配信とアバタービジネスが載ってくる。
    ・コンテンツも、1から作るというより、フォーマットの中に絵や音を入れていく形のものが増えていく。
       - PCのノベルゲームをイメージするとわかりやすいかもしれない。
         エンジンがあって、テキストと絵と音を少人数で作って、一定の品質の物が制作できる。
    ・映画が時間を置いて、テレビでも放映されるように、映画的な路線のゲームが時間をおいて
     テレビ的な路線のゲームの価格帯で発売されることもある。今の廉価版商法を考えれば自然。
    ・携帯、PC、携帯ゲーム機、据置ゲーム機、すべてネットワークサービスを重要視している。

ゲーム=インタラクティブメディアも、映像メディアと同じような歴史をたどっていると言えます。映像メディアは映画から始まって、やがて通信の技術の発達と共にテレビが現れ、大衆娯楽の地位を映画から奪い取りました(映画が消えてなくなったわけではないし、人々が映画を観なくなったわけでもありませんが)。テレビが出てきた時、映画を作っていた人たちは馬鹿にしたかもしれませんし、あんなにショボいものに負けるはずがないと思ったかもしれません。しかし両者の関係がどうなったか、ボクたちはよく知っています。

今、ライトゲームの隆盛について、あれこれ否定的なことだけを言っている人たちがいますが、もしかすると彼らは「かつてテレビを批判した映画人」のようなものなのかもしれません。今この時代は、10年前のブームの再生にすぎない懸念はありますが、しかし大衆娯楽が映画からテレビへシフトした時のような歴史の分岐点なのかもしれません。

例えばライトゲームはコストの安さが求められるので、コスト勝負では中国や韓国に勝てないという意見があります。しかし、では日本のテレビ番組は中国や韓国に乗っ取られてしまうのでしょうか。まぁ現実には放送の囲い込みがありますが、仮にそれが無かったとしても、日本の消費者が中国や韓国のバラエティ番組を支持するとは思いません。韓流ブームがあったとしても、「日本のドラマは韓国に潰される」などと真顔で言っている人はいなかったはずです。もし今のライトゲームにそのような不安があるのだとしたら、コンテンツの日常化がテレビ番組に比べて、圧倒的に足りていないだけなのです。

今、据置→携帯の流れについていけない会社(や人々)は、色々なことを言うわけです。「ショボい」「安くていいのか」「俺はそんな単純なものを作るために働いてるんじゃない」「アイデアが尽きたら、結局グラフィック競争になるよ」・・・・。要するに、映画スタジオでテレビ番組を作ろうとしているようなものです。それで作れないだの、大変だの、と言っているわけで、そりゃ当たり前です。発想の転換ができていないのですから。

いま日本のゲーム業界で起きている地殻変動は、「映画」の時代から「テレビ」の時代への移行のようなもの、と捉えると、概ね納得できると思います。

Posted by amanoudume at 15:01 個別リンク | Comments (7) | TrackBack(0)

2006年06月17日

ゲーム言説界の性質

なんでゲームは映画のようにならないのか問題

でも、なぜかゲームは、やたらと「これが本流! これにのれない制作者や
ユーザーは時代にのれてない!」とかって煽りが出る。
枯れた知識の水平思考さんが指摘しておられるように、業界人の主張とユーザーの論理、2chレベルの煽りは分けて考えた方がいい気がします。ボクはゲーム開発者ですので、ゲーム業界の特性について少し書いてみます。

1.ゲームには技術に強く依存した部分とそうでない部分がある
アニメや映画も技術の進化はありますが、ゲームほど技術に依存していませんし、技術の進化の速度がゆるやかです。ゲーム業界には「技術が進歩すればゲームデザインも変化するのが当たり前だ」という考え方があります。2D→3Dのようにゲームは技術の進化と共に、ゲームデザインの変革を行ってきたメディアだからです(逆に技術が進化したせいで、ゲームがつまらなくなったという意見も出てきます)。

ゲームの世界では、次世代ゲーム機が出ると当然のように「次世代機ならではの次世代のゲームの登場が待たれる」と言われます。そもそも「次世代ゲーム」という言い方が不思議なわけです。次世代小説とか、次世代映画なんて言葉は聞いたことがありませんよね。

2.技術の進化についていけないと、仕事が無くなるという危機意識がある
ゲーム開発者は技術の変化についていく必要があります。特にプログラマーは危機意識が高いでしょう。新しいハードが出るたびに、新しい技術が出てきますし、年々技術は専門化・高度化していますし、新しいハードではライブラリが変わってしまうため、毎回覚えなおさなければなりません。

デザイナーも同様で、2D→3Dに移行によってドット絵の仕事が減っていき、3Dデザイナーの仕事が増えていきました。そこまで大きな変化でなくても、5年ごとに性能が大幅に向上するため、ツールの新機能を使い、新しい表現を身につけていかなければなりません。

ゲーム機は新しい世代のハードが出ると、数年後には古い世代のハードの市場が無くなってしまいます。すぐに付いていくか、ゆっくり対応していくかはともかく、新しいハードを無視していては、ビジネスも仕事も成り立だないのが現状です。

ゲーム開発者は時流に乗り遅れることに漠然とした危機感を抱きがちです。そのため、ゲーム開発のトレンドが意識されやすいのです。流れに乗り遅れた(と感じた)人が「そんなもん一過性のブームだ!」とか「知ったことか!」と反発する事もあります。しかしそれって結局、ついていけない側が勝手に疎外感をおぼえて叫びだしているだけなんです。だって、ついていっている人たちはついていけてない人なんて、見向きもしませんから。振り向いてほしくて、なんか暴言めいた事を叫ぶんですよね。微笑ましい光景です。

3.プラットフォームを乗り間違えた時のリスクが大きい
ゲーム機の市場は、一番のハードに普及台数が一極集中する傾向があり、当然ソフトの売上も勝ったハードに集中します。ソフトメーカーにとってプラットフォームの選択は死活問題です。実際、スクウェアが任天堂からソニー陣営に移った時は、多くのソフトメーカーがサターンやN64向けに動かしていた開発ラインを一気にPS向けに移しました。ハードの勢い、時流を見極めるのが重要とされ、乗れない会社は負け組とみなされがちです。

例えば、コーエーはPS1対SSの頃にセガ寄りでチャンスロスが多かったのですが、その反省を活かして、PS2では初期から注力し、『三回無双』シリーズの立ち上げに成功しました。もちろんソフトの出来は大前提ですが、投入が遅れていたり、他のハードに出していたら、『無双』シリーズの隆盛は無かったでしょう。

経営判断として、メインプラットフォームには実績のある開発チームを割り当てることが多いため、あまりいい表現ではないのですが、マイナープラットフォームを担当する開発チームを「二軍」扱いするような空気が存在する会社もあるわけです。「もある」というか、そういう話はあちこちでよく聞きましたが。
近年はマルチプラットフォーム化の流れが顕在化しつつありますが、日本国内では実際にはマルチタイトルはまだまだ少ないのが現状です。

4.ゲーム業界は「売ったもん勝ち」の論理が根強い
ゲーム業界は平たく言えば、売上至上主義の伝統があります。集団制作でコストがかかり、しかもその制作費をすべてパッケージ販売で回収しなければならないため、売上本数という数字は長い間、影響力を及ぼし続けています。ヒットが出れば、続編が出ますし、似たようなソフトが乱発される。この傾向はいまだ変わりません。ゲーム会社の経営は、なんだかんだでヒットに依存した体質が慢性化していることも「売上至上主義」の一因です。

ゲーム業界の歴史を振り返れば、ゲーム会社は一部を除いて制作者の名前でソフトを売ろうとしてきませんでした。どちらかといえば、流行りやブームに乗りながら、ヒット作を生み出し、売上を拡大し、会社を大きくし、さらに欧米市場にもシェアを拡大していきました。ゲームがアニメ、コミック、映画と異なり、全世界を席巻した最大の要因は、もちろん面白いのは当然ですが、しかし結局の所、日本のゲームが売れたからです。

5.ゲーム業界は作家の名前でソフトが売れない
ゲームの世界はいまだ制作者の名前でゲームが売れません。ブランドはタイトルや会社にくっついています。
あたかも会社に人格があるかのような語られ方がするのがゲーム言論界の不思議なところです。それがいわゆる信者論争の起きやすさにつながっているのでしょう。
ポップ・コラム:ナムコ、「ゲーム性中心主義」に回帰

ゲーム会社というのはあくまでも集団組織である。しかし、映画会社やテレビ局よりも「作家性」のようなものを期待されることが多い。任天堂やナムコやカプコンといったメジャーですら、あたかも一個人作家みたいに扱われることも珍しくないのである。おかしな話だが、映画やテレビに比べてゲームの歴史がまだ浅いことと関係しているのかもしれない。
こういう「会社=人格」という考え方に加えて、ファミ通や電撃、メディアクリエイトの売上集計をユーザーが簡単に閲覧できるため、煽りあいが起きやすいのかもしれません。ユーザーの手による売上累計サイトは珍しくありません。

10年前のPS1ブームでは「ゲームクリエイター」ブームが起きて、若いクリエイターが雑誌やテレビに登場し、ゲームについて語ったりしていました。クリエイターに脚光が当たった良い時期でしたが、開発者の力が強くなった結果、利益に対する開発費が増大し、経営が悪化する会社が増えて、多くの会社がマネージメント重視に転じていきます。スクウェアの経営危機と坂口博信氏の退陣は有名な事例でしょう。ここ数年、日本のゲーム会社はマネージメントの論理が強くなり、スケジュール、開発費、売上見込みについて厳しくなっています。

番外:枯れたジャンルは単館上映に近いかも

しかし2Dシューティングの制作者とユーザーの現状を見ると、単館上映に近いものを感じます。「好きだから作る」と「好きだから遊ぶ」の均衡。とはいえ、やはり完全な均衡はないようです。新規ユーザーが増える見込みがほとんどなく、さらなる縮小に向かって微減し続けていたため、良くも悪くも少し売ることに傾いて、結果的に2Dシューティングが萌えまくりになっていますね。

ノベルゲーム、パズルゲーム、2D格闘ゲーム、2Dシューティングといった技術の変化の速度やその影響がゆるやかになったジャンルほど、単館上映のような世界が生き残りやすいのかもしれません。

Posted by amanoudume at 14:00 個別リンク | Comments (2) | TrackBack(0)

2006年06月12日

先鋭的なまでのオープン主義

どんどんオープンになる

正直、びっくりしました。
何がかといえば、任天堂の情報公開ぶりに。

経営方針説明会の岩田社長のスピーチの動画をネットで観られるようにしたうえ、スピーチ後の質疑応答の議事録まで公開しています。任天堂は最近、機会があるたびに、スピーチを公開しているので、そこまでは予想していたんですが、質疑応答のテキストまで公開するとは・・・・。自分たちの伝えたい事をしゃべれるスピーチはともかく、質疑応答というのは、当然突っ込まれたくない質問、嫌な質問も出てきますから、普通はあまり公開したくないものです。「ミクロ売れなかったよね?」とか、「DSにおける任天堂のシェアが高すぎる」とか、そういう質問にきちんと答えているのが印象的です。

ふーむ。アナリストでもなくても、同じような疑問を抱いている人はいるだろうから、きちんと答えておきたい、という事ですか? 実際、ここに上がっている質問は、ネットの掲示板やブログで、話題になっていた事が多く含まれていますね。

はてなブックマークのコメントを見ると、「はてな並の情報公開だなあ」といった感想も。社内の会議の様子をポッドキャスティングしたはてなにはさすがに及びませんが、一部上場の大企業という事を考えると、確かに「はてな並み」と感じるのもわかります。

広報以外でも、オープン化は進んでいるようです。ここ数年は毎年、GDC(ゲーム開発者会議)に自社の開発者を講師として派遣しています。また毎年ゲームセミナーを続けるなど、ゲーム制作のノウハウを若い世代に伝えていこうとする姿勢を鮮明に打ち出しています。ゲームセミナーの学生の作品を、WiFiステーションで配信するという事もやっていて、プロのクリエイターがうらやましがるほど。いや、まー、ボクも色んな会社の人と飲んでいると、「学生になってセミナーを受けてみたいなあ」と言う人を結構見かけます。


メディアバイアスを避ける

最近の任天堂は、ユーザーに直接生の情報を届けることを重視していますね。メディアを通すと、内容を簡潔にまとめてもらえる効用はあるものの、場合によってはよくわからないバイアスがかかる事があります。広報面で長い間苦労し続けてきただけに、メディアバイアスに神経質なのかもしれません。

メディアバイアスの一例は、「任天堂は子供向け」という印象操作です。実際に今のDSの状況を見れば、それが根拠の無い言いがかりにすぎない事は明らかです。「DSは子供向け、PSPは大人向け」というのも作られたイメージ。実際にはPSPは中高生に強いハードで、すなわち「大人になりたい」「背伸びしたい」層に売れています。可哀相なのは、メディアの印象操作に踊らされてしまった会社で、『鬼嫁』『みんなの地図』など、明らかにDS向きのソフトをPSP向けに投入してしまいました。踊らされるのが悪いといえばそれまでですが、中小規模の会社ではなかなか独自に大規模なマーケティング調査をする予算も無いでしょうから、彼らは被害者といえます。

もう1つ例を挙げます。山内氏時代の強烈なイメージが強く残っているせいか、いまだに「クローズド」「保守的」「老舗(暗にあまり科学的、現代的でないと皮肉も)」という表現を使っているライターが根強くいます。むしろ、ゲーム業界以外のライターやアナリスト、あるいはもっと直接的にやり取りをしているソフトメーカーの人たちの方が、社長交代後の変化を正しく理解しているかもしれません。

そうそう、スピーチで積極的にマーケティングデータを提示しているのも変化を感じる所です。資料に必ず情報ソースが書かれていることも大きなポイントです。これは任天堂の独自集計、これはクラブニンテンドーの集計、これは第3者機関のメディアクリエイトの集計、これは第3者機関のNPD Groupの集計、・・・・。
ゲーム業界の一部には、自分に都合のいい数字ばかりを発表する会社があって、情報ソースを出さずに自称マーケティングデータを乱発しています。そのせいで企業が公式に発表したグラフはすべてうさん臭いく思われがちです。多くのゲーム会社にとって、いい迷惑ですよね。あたかもゲーム産業全体が嘘つき集団のように思われてしまいます。

今の時代、多くのネットユーザーは企業の公式情報やマスメディアの情報に強い不信感を抱いています。徹底して情報ソースを明示する姿勢は、そういう空気をきちんと読んでいますね。ゲーム会社の広報ならびに経営者にとって、参考になる方法論ではないでしょうか。


内容についての感想も少し

さて、この中で興味深い発言はいくつもあると思うのですが、例えば、竹田玄洋氏の以下の発言(Q13)。内容はいわゆるプロセッサ性能至上主義の崩壊という事なんですが、その認識に至るまでの、技術屋としての率直な気持ちと感慨を述べているのが目を引きます。「当たり前のことに気がつくのにものすごく時間がかかった」「ある意味では目が晴れたというか、見通しがたったというか、そういう気持ち」。

技術屋というのはどうしても、よりすごいもの、より早いもの、より最先端をというそういう形を望むのは当然なんだけれども、色んな技術が色んな方向に向かって、色んなものがあるんだと、色んな方向に技術っていうのはあるんだよ。特に遊びの分野でエンターテインメントっていうのは同じ方向の一直線上のいわゆる半導体の「ムーアの法則」に従った形で、一直線上に行った場合はやっぱり飽きてしまうんだよね、別に新しくも何もないんだよねと当たり前のことに気がつくのにものすごく時間がかかったっていうのが現実です。そこを越えた以上はこれから本当にあらゆる方向にあらゆる楽しいことを実現させるための技術をもとに実現していきたいという、ある意味では目が晴れたというか、見通しがたったというか、そういう気持ちで、今おります。

もう1つは、岩田社長の以下の発言(Q8)。

あとインターネットに関しては、最近インターネットを見ていますと、例えば「Web2.0」なんていう言葉が非常によく使われるようになっていて、インターネットの世界も新しいフェイズに入ったと、去年ぐらいからハッキリ言われるようになりました。
そういう環境の中で、「5年前10年前からあった『インターネットに繋いで人と競争するんだ』という遊びの提案だけで良いんだろうか?」という認識があるものですから、私たちは例えばWiiConnect 24を作り、人と人とが情報をシェアしていくような遊び方があるんじゃないかと。
興味深いのは、Web2.0という環境変化に対してWiiConnect 24を打ち出そうとしている、という発言です。詳細はまったく不明なものの、WiiConnect 24は任天堂版Web2.0とも取れるわけで、色々と想像をかき立てられます。昨年末のWiFi Connectionと『おいでよ どうぶつの森』はWeb2.0関係の人たちの間でも、大変話題になったようで、mixiと比較されたりしていましたが、WiiConnect 24もWeb屋さんから大きな注目を集めるのかもしれません。


補足
ネットマーケティングの事例として、アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』が話題になる現在、もはや「ここからはアニメの話」「ここからはゲームの話」「ここからはWebの話」という区分けは無意味になりつつあります。ちなみに、今時Web2.0という言葉を一度も聞いたことが無いというゲーム開発者は、いないとは言いませんが、さすがに少ないはずです。あえて口にする人は少ないんですけどね。

携帯ゲーム機はDSもPSPもネットに繋がりますし、仮に自宅に環境が無くてもホットスポットまで運んでいけば使えます。次世代据置ゲーム機も、オンラインに標準対応しています。そういうご時世に、インターネットの地殻変動である「Web2.0」を見た事も聞いた事もないというのは、ちょっとありえません。Web2.0という言葉はWeb屋さんの言葉で、ゲーム開発用語ではありませんから、企画書や仕様書にはふつう出てきません。ですが、目の前で起きている変化ですから、意図的に目をつぶろうとしなければ、何らかの形で目にします。

Posted by amanoudume at 01:02 個別リンク | Comments (4) | TrackBack(0)

2006年06月11日

瞬発力と持続力(2) ゲームの「持続力」

ゲームそのものが新鮮だった時代

ゲームウォッチ〜ファミコンの頃、ゲームを続けさせる仕組みは「スコア」と「難易度」でした。容量が無かったため、多くのゲームは内容が短く、同じこと(ステージ)をくり返していました。そこで敵のスピードや出現頻度を徐々に上げていくことで、変化を作りました。難易度変化は単調上昇ではなく、ある周期で上昇しては一度低下し、しかし長期的には上昇している、という緩急がついていました。グラフィックを増やさないで変化をつけることに工夫があったわけです。
ABAの日誌 「単調シューティングをランクで味付け」

1つ参考になるのは、やはりゲーム&ウォッチかなあ。ゲームウォッチはだいたい100点単位でランクが上昇し、100点を越えるとがくっとランクが落ちるという作りになっている。ただし100点ごとの上昇量は得点が増えるほど増す。こうすることでゲームに絶妙な緩急がつき、あの単純なゲームでも楽しく遊ぶことができたわけだ。

技術の進歩、グラフィックの進歩にともない、同じステージがひたすらくり返すエンドレスゲームは減り、ステージクリア型のゲームが増えていきました。また、固定画面のゲームは減り、スクロール型のゲームが増えました。ゲームが進んでいるということを、スコア以外の数字で表現するようになったのです。

それにともない、ゲームに世界観やストーリーが導入されていきました。『ゼビウス』は良い例でしょう。しかし当時は余分な容量は無いため、明示的に物語を語ることはなく、敵の挙動やデザインで表現されていました。それを読み取れる人ばかりではないので、説明書にちょっとした物体設定やストーリーを書いて、補完することが多く、パッケージのイラストもプレイヤーの想像力を刺激する大きな材料でした。

しかしこの時代はまだ、「ゲームが上手くなること」がゲームを続けるモチベーションでした。ジャンルで言えばシューティングゲームに勢いがあり、「名人」というヒーローが子供たちから支持され、名人は映画になり、ハドソンの夏のキャラバンはたくさんの子供を集めました。「ゲームが上手いヤツはスゴい、カッコいい、エラい」という価値観が実在していたのです。この価値観は、日本では一過性のブームで終わり、対戦格闘ゲームが盛り上がった頃に一度再燃しましたが、長期的には衰退しています。

ゲーム自体が新しくて、みんなに興味を持たれていたからこそ、こういう文化が成り立っていました。新鮮味が薄れてくると、「別にゲームが上手くたってしょうがないよね」という風になって、ユーザーが減り、ゲームが上手いことが評価されなくなります。

(海外では今でもこの文化が残っています。賞金をかけたゲーム大会が定期的に行われたり、達人ゲーマーが他のゲーマーから尊敬され、アイドル、ヒーローとして扱われます。プロゲーマーという職業が成り立っている程です。北米発のXBOX Live!にもこの思想は色濃く受け継がれていて、オンライン対戦でランキング上位のプレイヤーの走りを、テレビ観戦するというモードが提供されていたりします。)


「誰でも最後まで行ける」時代

当初、ゲームは「プレイヤーの腕前を評価する」ものでした。しかしゲームが上手い人、下手な人の差が大きくなると、1本のゲームの中で両方の層をカバーするのが難しくなってきました。できる限り広い範囲をカバーするため、2Dシューティングゲームは難易度についての数多くのシステムを生み出してきました。しかし、それでも2Dシューティングゲームは全体として、マニアックなジャンルになっていきました。なぜなら、2Dシューティングゲームは、「狙って撃つ」「弾を避ける」というシンプルな遊びのため、操作/遊び/難易度に冗長性がないからです(冗長性を許容しにくい)。

処理性能が進化するにつれて、表現力が必要で、シューティングよりも冗長性の高い他のジャンルが盛り上がってきました。『スーパーマリオ』を代表とする2Dアクションでは、スコアは半ば形骸化し、限られた残機数の中でどこまで先に進められるかを目標とします。ステージクリア型のゲームは、明示的な「終わり」を提示してしまいます。そこが欠点ではあるのですが、逆に多くの人にとって、無限に続くというのは苦痛でもあります。また終わりがあった方が、目標としてはわかりやすい。

「続きを見たい、知りたい」「先へ進む」というのは、プレイヤーにとって大きなモチベーションです。そして、ディスクシステムによって花開いたアドベンチャーゲーム、そして『ドラクエ』から始まる和製RPGの登場で、ゲームに本格的に「ストーリー」が持ち込まれます。当時はまだ表現力が乏しく、ゲームで物語を作るなんて不可能だと思っていた人は大勢いました。しかし『ドラクエ』の国民的ヒットによって、あまりゲームに詳しくない人も、ゲームでストーリーを語ることの可能性を認めるようになり、糸井重里氏を始め、ゲーム業界の外からシナリオを書く人材がやってくるなど、物語メディアとしてのゲームは一気に盛り上がりました。さらにスクウェアの『FF』シリーズの台頭、PS時代のプリレンダ・ムービーの導入もあり、物語メディアとしてのゲームは10数年にもわたって、繁栄しつづけました。

また、RPG以外のゲームにも、RPGのような成長要素とストーリーが持ち込まれるようになりました。今や3Dアクションゲームでも、武器、成長するライフ、ストーリーは珍しくありません。RPGが日本で繁栄した最大の理由は、プレイヤーの操作の腕前によらず、誰でも最後までいけるからです。海やダンジョンで迷って、攻略本を買う人はいましたし、友達に情報を聞く人もいました。しかし情報さえもらえれば、操作の腕が関係ないので、誰でも最後までいけます。戦闘だって、レベルを上げまくれば、ラスボスにも必ず勝てます。

この仕組みは、プレイヤーと作り手の両方にメリットがあるものでした。シューティングやアクションゲームでは、下手なプレイヤーは最後までたどり着けませんでした。お客さんに最後まで見てもらうという、他のメディアでは当たり前のことが、「難易度」のせいで難しいのです。グラフィックが高度になり、ストーリーが入ってくるにつれて、作り手もプレイヤーも「最後までたどり着けるのがいいことだ」と考えるようになりました。また、ゲームソフトの価格が上昇し、ソフトの種類が増えるにしたがい、中古販売が盛んになっていきました。そのため、ビジネスとしても、ゲームを途中で投げ出されると不都合でした。(参考:ゲームはなかなか最後まで遊んでもらえないメディア


ストーリーとゲームデザインの融合と乖離

『ドラクエ』の堀井雄二氏は、堀井節の作る雰囲気やシナリオで評価されがちですが、日本の誇るトップ・ゲームデザイナーの1人です。『ドラクエ1』では、王様のいる最初のフロアから出るまでの間に、基本コマンドをすべて使う作りになっています。自然にチュートリアルになっているのです。また、プレイヤーが最初に出会った女の人に話しかけると、「いえ わたしは ローラひめさまではありません」という台詞が返ってきます。他にも、サマルトリアの王子との出会いの場面など、ドラクエ3部作では、プレイヤーの心理を読みきった台詞回しが多く見られます。草原、森、山でそれぞれ敵の出現率が違うこと、橋を渡ると敵が1ランク強くなる法則、呪文のダメージ設定(全き心の鏡「メラのダメージはなぜ10なのか?」)、色違いモンスター、・・・・。堀井雄二氏は、国民的ストーリーゲームのシナリオライターではなく、「仮想世界の主人公として冒険を体験できるゲーム」のゲームデザイナーです。

初期のRPGはストーリーとゲームデザインがきちんと密接に結びついていました。しかし表現力が高くなるにつれて、RPGという形式が当たり前のものになるにつれて、ストーリーとゲームデザインは乖離していきます。ストーリーとゲームデザインが密接に結びついていた最後の例は、色々な意見があるかもしれませんが、ストーリーとゲームバランスの連携があった『天外魔境2』でしょうか。PSが登場して、プリレンダ・ムービーが導入されると、その傾向に拍車がかかります。当時の容量では、すべてのイベントシーンをプリレンダムービーに収めるのは難しく、必然的に豪華なムービーシーンと、その間を埋めるイベント、それをつなぐ戦闘と探索、という作りになっていきました。

そしてRPGは豪華なムービーシーンを見るためだけに、その間の作業を強いられるジャンルになっていきました。ムービーという一見、究極な表現を手に入れたため、ゲームデザインの進歩もほとんどなく、ムービーとムービーをつなぐ部分も、発展が無くなりました。そのため、時間の無くなってきた大人のユーザーが徐々に離れていきました。今や、ほとんどの続編が前作よりも売上を落としている状態です。「ムービーだけ観られればいいや」という意見をもつユーザーも増えていました。そしてついに「ムービーだけのFF」である『FF7 アドベントチルドレン』が発売されると、100万枚の大ヒットを達成するに至りました。(参考:ストーリー神話の崩壊とゲーム業界の「ストーリー病」

また、10年前に映画とゲームの融合が叫ばれて以来、アクションゲームにもムービーシーンやRPGのような育成要素が導入されています。ここでも、アクションゲームとしての楽しさよりも、ムービーの豪華さや、ストーリーの都合が優先される傾向が目立つようになり、ユーザーの変化(時間が無い、さっさとストーリーだけ知りたい)に合わなくなっていきました。例えば、『バイオ』『鬼武者』は、数年前には100万本を越えていましたが、今や見る影もありません。

ゲームプレイを中断するデモとゲームプレイの相性は極めて悪く、今やその2つを分離させる流れが台頭しています。ムービーだけの『アドベントチルドレン』が大ヒットし、ノベルゲームは選択肢をなくした『ひぐらしのなく頃に』が注目を集めました。『FF12』が発売されると、YouTubeでムービーだけ観ればいい、という意見を掲示板などでよく見かけました。あらすじだけわかればいいやという人が増え、ストーリーを教えてもらうスレッド保管庫なんてものができています。一方でライトゲームの人気が高まり、プリミティブなゲームが再び支持されるようになってきました。
シナリオ成果方式とシューティングゲームに関する妄想

結局のところ、ストーリーはゲームを構成する重要な要素ではあっても、その本質にはなり得ない。人間は楽な方に流れる動物だ。よりストレス無くストーリーを消費するため、やがてノベルゲームよりはノベルが、フリーシナリオよりはただのシナリオが求められるようになる。やがてこれらの欲求は小説なり映画なりで代替されるようになり、ゲームを求める者はよりプリミティブなゲームへと回帰していくのだろう。最近のカジュアルゲームの台頭にはこういった背景があるのではないかと思うし、任天堂「レボリューション」の仕様はこの流れを読み切っているとも感じられる。

今後のトレンドとしては、MMORPG、『ポケモン』、『どうぶつの森』のようにゲーム内でストーリーがほとんど語られず、ゲームの外で物語が展開されて、プレイヤー同士の体験の共有を補完・強化するケースが増えていくと思います(参考:「ゲームとストーリーの幸せな未来?」)。


ストーリに代わる「持続力」はあるのか?

「ストーリー」は以前ほど持続力を発揮しなくなりました。
ではそれに代わる「持続力」は何かあるのか、というのが問題です。「瞬発力」だけでゲームを売ることはできますが、すぐに遊びつくされ、飽きられて、「所詮、こんな物か」と言われ、ゲームから離れる人が増えていくでしょう。

2006年におけるゲームデザインの最大の課題はこの1点に尽きる、と言っても過言ではない、とボクは思います。なにしろ、ストーリーはこの10数年もってきた、非常に有力な仕組みなのです。突然、使い物にならなくなった、と言われても、みんな困るでしょう。実際、「俺はまだストーリーの力を信じる、映像の力を信じる、それが面白いゲームの条件なんだ、一緒に信じてくれるユーザーだけが俺の仲間、俺のお客、俺の同志」と考えている開発者は、まだまだ少なくないと思います。言い方の強弱はあれ、ボクは自社他社の色々な開発者と話した中で、そういう人たちを見ています。それも仕方ない。だって、まだ次の仕組みがありませんから。だから、今ある仕組みに必死にしがみつく他ありません。

「ストーリー」の持続力低下を穴埋めする、汎用的な方法論。それはまだ完全には見つかっていません。しかし手がかりのような物はあります。例えば、『nintendogs』『脳トレ』『どうぶつの森』といった、毎日電源を入れて遊ぶソフトのゲームデザイン。それらは、特定のゲームでは有効に機能した仕組みです。意識の高い企画者は、「ゲーム2.0」とも言える最近の流れに敏感に反応し、水面下でゲームデザインの検討を続けておられることでしょう。(参考:ポップ・コラム「日本人だけに許された脳力鍛錬アイテム『もっと脳を鍛える大人のDSトレーニング』」

最近の流れを見ると、「持続力」の意味が少し変化しています。
「持続力」とは、平たく言えば、ゲームを続けさせる要素のことです。プレイヤーに提供されたモチベーションのことです。しかしゲームを続けるとひと口に言っても、何時間も続けてそのゲームを遊び続けること、ゲームを途中で投げ出さずに最後まで遊ぶこと、毎日そのゲームを遊び続けること、どれも意味が違います。

そして、時間に余裕の無いユーザーが増え、時間を長く拘束するタイプの娯楽が好まれなくなり、すぐに始めてすぐにやめられる事が望ましい、とされます。最近、毎日少しずつ遊ぶゲームが大ヒットしているのは、ユーザーの変化を考えれば、自然なことです。


もう1つのアプローチ

「ストーリー」の持続力が弱くなったと書きました。ゲームプレイとストーリーの相性が悪くなったと書きました。
しかし勘違いしてほしくないのですが、最初から相性が悪かったわけではありません。『ドラクエ』が良い例です。元々、ゲームデザインとストーリーの相性は良かったのです。要は、ゲームデザインが世の中の変化、ユーザーの変化に対応できなかった、進化できなかったにすぎません。ですから、もしも、これから再びゲームデザインの進化が起きて、ユーザーの変化に対応できれば、ゲームとストーリーの蜜月時代がまたやってくると思います。

ボクは2つのアプローチが必要だと考えています。
1つは「ストーリー」に代わる「持続力」の仕組みを作ること。しかもそれが「ストーリー」のように色々なゲームに使えて、長持ちすれば、言う事はありません。そしてもう1つは、ゲームデザインの目立った進化の無いストーリー系ゲームのゲームデザインを進化させ、時代の変化に合ったフォーマットに作り直すことです。

こう書くと、勘のいい人は、このブログの内容が今年に入って、大幅に変わった理由がピンときたかもしれません。という所で、またも次回に続きます。ただし、その前に他のエントリーが入ってくるかもしれません。他に書きたい事もあるので。・・・・今回は持続力の歴史を振り返ることに、ちょっとテキストを割きすぎちゃいましたね。

Posted by amanoudume at 13:54 個別リンク | Comments (3) | TrackBack(0)

2006年06月10日

瞬発力と持続力(1) ゲームの「瞬発力」

代表的な「瞬発力」はグラフィック

「瞬発力」というのは、パッと見て読んで触って、すぐに夢中になる、興奮する、価値がわかる、魅力的と感じる要素のことです。ゲームにおいて、一番わかりやすい「瞬発力」の例は、グラフィックでしょう。凄い映像というのは、誰が見てもパッと魅力がわかります。3DCGムービー全盛期はこの「瞬発力」が非常に持てはやされましたし、2Dの頃でさえ、巨大なスプライトのボスが派手に登場したり、無数の弾が飛んできたり、スクウェアのドット絵世界に多くのゲーマーが夢中になったものです。また、美少女ゲームの場合は、キャラクターデザインです。

グラフィックの強みは、写真やビデオでも魅力が伝えられることです。ゲームは実際に触らないと面白さがわかりにくい性質があります。しかしそれでは宣伝しにくいし、売りにくいので、ゲーム業界が伝統的にグラフィックの力に頼ってきました。

とはいえ、3DCGが高度になってきて、一般の人には違いがわからなくなった、と最近よく言われます。北米はまだグラフィックを重視するコアゲーマーが多いものの、日本では以前ほど、惹きつける力がなくなってきたのかもしれません。では、グラフィック以外の「瞬発力」にはどんな物があるでしょう?


もう1つは「体感性」

1つは「体感性」でしょう。アーケードゲームの歴史を振り返っても、体感ゲームは幅広いユーザーを呼び込むヒットをいくつも生み出してきました。乗り物系の体感ゲームは、家庭では絶対に味わえない興奮をもたらしてくれます。『太鼓の達人』などの音楽ゲームは、遊んでいる姿がとても楽しそうで、自分もやってみたいと感じさせる力があります。

PS2時代、国内のゲーム市場は縮小していました。そして一時期、Xavixのような体感玩具がとても注目を集めました。コナミは玩具に力を入れていましたし、スクウェアエニックスも『剣神ドラゴンクエスト』を発売しました。また据置ゲーム機でも、『太鼓の達人』やその派生の『ドンキーコンガ』が登場し、ヒットを飛ばしました。

据置ゲームにおける「体感ゲーム」は基本的に1ゲーム=1コントローラのため、大きくてかさばって場所を取るのが問題でした。任天堂のWiiのコントローラは、体感玩具に比べると専用性・特殊性が落ちるものの、汎用的に使えるという点で画期的な提案でした。あのコントローラ1本で、テニスのラケットを振り、銃を撃ち、料理をし、ゴルフや野球をすることができます。従来なら、ラケット型コントローラ、光線銃、調理器具型コントローラ(?)、ゴルフクラブにバット型コントローラが必要でした。この進化はちょうど、1ハード=1ゲームだったゲームウォッチから、1ハード=マルチゲームのカートリッジ方式への移行によく似ています。

実際、E3で任天堂のブースは大盛況だったようですし、E3前後でWiiに対する期待感は爆発的に上昇しました。また、身体を動かすのが好きなアメリカ人だけでなく、日本人にもハッキリ魅力が感じられたようです。
ファミ通.com 「スーツ姿のおじさんたちが笑みをこぼしながらプレイ?」
E3でも経営方針説明会でも特徴的なのは、スーツ姿の人が楽しそうに遊んでいた事です。普段は自分では手にとってゲームを遊ばない、見ているだけか、若い部下にプレイさせて感想を聞くだけのスーツのおじさんたちが何人も、楽しく遊んでいたわけです。

けれども「体感性」は、写真やビデオではなかなか魅力を伝えにくい、という弱点があります。実際に遊んでみないと、なかなか良さがわかりません。DSでタッチペンを導入し、空前の大成功をおさめた任天堂は、プロモーションにおいて、ゲーム画面よりも遊んでいる人の姿を映すこと、できるだけ体験の機会を増やすことを重視しました。また、ネットの普及にともなって、ユーザーが自分の体験を他の人に伝えやすくなり、口コミ網が形成されていたことも、DSの成功を後押ししたと思います。グラフィック程ではないものの、昔に比べれば「体験性」は伝えやすくなりました。


ゲームにおけるギャグ漫画の誕生

さて、「グラフィック」と「体験性」以外の「瞬発力」はないでしょうか?
もちろんあります。1つの例が『メイドインワリオ』でしょう。5秒間で1つのプチゲームをこなすというゲーム性に加えて、どんなゲームかを瞬間的に判断するというメタなゲーム性もあり、ゲームプレイそのものが「瞬間」の連続といえるゲームです。そのため、必然的にゲームのネタ(遊び)と笑いも、瞬間的にわかり、面白いものになっています。特に、『まわるメイドインワリオ』以降は新しいデバイスと一緒に登場するようになり、より「瞬発力」を増しています。

『メイドインワリオ』のゲームデザインは多くのゲーム開発者に評価されています。理由はいくつもありますが、その1つが「グラフィック」と「体感性」以外の「瞬発力」を生み出したことだと思います。もちろん、そのために掛かっているアイデアの労力は並大抵ではないでしょう。なにしろ200以上のネタを毎度詰め込んでいるのですから。

そのアイデアの詰め込み方は、ギャグ漫画に似ています。思うに、『メイドインワリオ』は漫画において初めてギャグ漫画が誕生した時に匹敵するインパクトです。俗に、漫画家の中でも特にギャグ漫画家は磨耗しやすいと言われますが、このシリーズを長く続けるのは、恐ろしく大変なことだと思います。そういう点では、新しいデバイスと共に新作を出すスタイルは良い方法論です。


「瞬発力」は持続しにくい

一般的に「瞬発力」は持続しにくいものです。例えば、全編を通して見せ場しかない映画というものはありません。あのハリウッド映画にしたって、全体の長さを計算した上で、徐々に盛り上げる場所、静かに溜める場所、一気に盛り上げる場所を作るわけです。ずっと凄い映像が続くというのは、すなわちずっと退屈だという事です。同じように、どれだけムービーばかりのゲームでも、凄い迫力の映像だけをつなぐことはありません。全編、派手なボスだけのゲームも、普通はありません。また全編凄いグラフィックにするのは、制作コストがかさむという問題もあります。

「体感性」も同様です。身体を動かすのは楽しい反面、疲れやすいからです。Wiiについても、ネット上ではその点を懸念している人を見かけることがあります。『メイドインワリオ』も瞬間というか非常に短い時間を切り取っているから、成り立つわけです。長く遊ばせようとすると、大量にネタを詰める必要があります。

ゲームに限ったことではないのですが、大抵、「瞬発力」の高さと「持続力」の高さは両立しません。「瞬発力」が高い商品(作品)はその分、持続力が弱く、飽きられやすく、やめられやすいです。「持続力」が高いものは、地味だったり、キャッチーでなかったりします。しかしそれでは困るわけです。そこで長らく、ゲーム業界が頼ってきたのは、ストーリーです。ストーリー、とりわけ映像とストーリーの組合せが、「瞬発力」と「持続力」を共に高くする方法だと考えられてきましたし、実際そういう効果をもたらしてきました。

しかし最近、そのストーリーの効果がうまく働かなくなってきました。では「ストーリー」に代わるほどの「持続力」は何か見つからないのでしょうか? あるいはストーリーのもつ「持続力」を再び高めることはできないのでしょうか? という所で、次回「ゲームの持続力」に続きます。

Posted by amanoudume at 03:58 個別リンク | Comments (1) | TrackBack(0)

2006年06月09日

ゲーム業界は10年のループを抜け出せるのか?

10年前の光景、ふたたび

去年の11月に「2005年は第2次ライトユーザーブーム元年だった」と指摘し、今年の2月には10年前の状況との類似性を多少の危機感をもって語りました。そして、ますます10年前と似てきたなあ、と思う現象が起きています。

GAME NEVER SLEEPS 「開発者は岩田発言に釣られるな」

俺が絵画を鑑賞できないように、ハリウッド映画しか観ない人がいるように、ゲームを楽しめない人は、どこまでいってもゲームを楽しめないと思う。ゲーム人口拡大も結構だが、軽薄なブームで拡大するのは、流行と広告に左右される、はなはだ不安定なゲームファンだということを忘れてはいけない。
(略)
たとえ、その結果できたものが「大作主義」と揶揄されるものであろうとも、ゲームを支えて来た、そしてこれからゲームを支えるであろう、「ゲームを楽しめる人たち」は、きっと、認めてくれる、答えてくれると信じてゲームを開発していこうと思う。

SFから愛をこめて 「ゲーム開発の個人的な夜明け」

しかし、俺は、どんなにイノベーションのジレンマだの、レッドオーシャンだの言われても、最新の技術をつかって、面白いゲームで、驚くような映像を造りたいという欲望を無視できない。

時代錯誤だと思われてもかまわない。まだ小学生で、ドキドキしながら入ったゲームセンターで見た「ファンタジーゾーン」の美しさに感動し、口がめくれて裏返る「エイリアンシンドローム」のボスに恐怖し、「アフター・バーナー」に小便ちびるほど興奮したあの頃の俺。あの感動に対する恩返しを、同じような感動で返したいと思うのは俺にとって不自然でもなんでもない。

率直にいって、こういう意見のゲーム開発者は他にもいるでしょう。
興味深いのは、たまたまかもしれませんが、最近になって少し声が大きくなってきたことです。つまり、叫ばずにはいられない人が現れ始めた、という事です。なぜかといえば、「ライトユーザー」とか「誰でも遊べるゲーム」とか「ゲーム2.0」という言葉が世の中に浸透し、しかも言葉が広がるだけでなく、市場の結果がついてきたからです。

国内の市場を見ると、据置ゲーム→携帯ゲームのシフトが鮮明になっていて、PS2のソフト市場が急速に冷え込んでいます。据置の市場がそのままで、携帯の市場が大きくなったのなら、理想でした。しかし現実には、古いマーケットが恐ろしい勢いで縮小しています。そのため、何か取り残されたような気持ちになる人も出てくるんでしょうね。しかしこれって、10年前、PS1バブル、第1次ライトユーザーバブルの時にも起きたことなんですよね。

それについては、あれれさんのブログの記事が詳しいので、一読をオススメします。
ゲームのマボロシ 「レイディアント シルバーガン」

頑固一徹に「ゲームらしい骨太なゲーム」を作り続けてきたトレジャーの開発者たちにとって、まさに「時代にとり残された」と身につまされる時代だったのだろうと思います。
(略)
ゲーム業界を閉塞状況から救ったのは、ゲームらしいゲームのクローンではなく、従来のゲーマー層以外をターゲットにした、ライトユーザー向けのゲームだったということです。


いっそゲーム業界2.0?

電撃編集部の分析によれば、ソフト市場の寡占化が進んでいるようです。

結果、上位200作品市場における2006年度のメーカー構成比で任天堂は、前年同時期の20.4%から46.4%へと大幅にシェアを拡大。1社で市場全体のおよそ半分を占めている状況です。ちなみに、上位4社(任天堂、コナミデジタルエンタテインメント、バンダイナムコゲームス、スクウェア・エニックス)の顔ぶれは、順位変動こそあるものの前年度と同じという結果になっていますが、4社合計の販売構成比は59.5%から 76.3%へと急伸。ソフト市場は数字だけを見ると4月期が前年同期比59.3%増、5月期が同117.8%増と好調に推移していますが、その一方で、業界の寡占化がこれまで以上に顕著に表れてきているのは非常に気になるところです。
会社という単位で考えると、「任天堂」という名前が目立ちやすいですし、ネット上の一部の人たちは「今のゲーム業界は任天堂とその他だ」などと書いていますが、ボクはそうではないと思います。今はおそろしく変化が速いので、1つの会社の中でも、変化についていっている人たちと変化に戸惑って足踏みしている人たちがいます。

例えば、セガの『ムシキング』や『ラブ&ベリー』のチームは、元々は窓際というか傍流でした。しかし彼らは新しいユーザーを呼び込み、女の子と母親が一緒に楽しめる娯楽を広め、セガの可能性を大きく広げました。今やセガの業績に大きな貢献をしています。(デジタルエンタメ天気予報 「女の子が列をなすあのゲームは何だ?」

また、スクウェアエニックスもオンラインゲームこそ、『FF11』に続く柱を生み出せずに苦しんでいますが、新しいビジネスの「種」を積極的に蒔いています。なかなか「芽」が出ていないのも確かですが、意欲的に自分の体質を改善しようと試みています。例えば、ブログLife is beautifulの中島聡氏のUI Evolution。「ゲーム業界とイノベーションのジレンマ」といえば、このエントリーです。(とはいえ、ミドルウェアの分野では次々に成功をおさめているものの、娯楽サービスの実績という点では、業界が注目する結果はいまだ出ていません)

大手ソフトメーカー以外にも、もっと小規模の会社でも変化は起きています。モバイル&ゲームスタジオは、携帯電話やDSを軽々と渡り歩き、ユーザーの需要をとらえた商品企画で新しいユーザーを獲得しているようです。『脳トレ』ブームが起きるはるか前に、『右脳パーティ』を携帯電話で開発し、その後シンプルシリーズでもリリースしています。着眼点が良く、フットワークも軽いと思います。
モバイル&ゲームスタジオ 遠藤雅伸氏インタビュー(前編)
モバイル&ゲームスタジオ 遠藤雅伸氏インタビュー(後編)

中小規模のゲーム会社の例はまだまだ挙げられますが、さすがに紹介しきれませんので、これぐらいで。ゲーム機市場に限らず、アーケード、PC、携帯電話、家電を俯瞰したとき、新しい変化の先端を走っている会社がいくつも浮かび上がってきます。また、会社全体としては古い体質のままでも、その中で新しい変化に乗った開発チームは当然存在します。会社単位で物を見ると、そういう開発者集団を見逃してしまいます。

そうした人たちをすべてひっくるめて、あえて「ゲーム業界2.0」というのも一興でしょう。今は「ゲーム業界1.0」と「ゲーム業界2.0」が混在している状態です。いま日本では「業界1.0」の市場が急速に縮小しています。すると例えば、ある会社では、「俺はゲーム大好き人間にだけ作るぜ。ライトユーザー、知らねえよ」と言って多額の資金を垂れ流すチームの赤字を、「僕たちの大好きなゲームを、もっともっとたくさんの人に知ってほしい。遊んでほしい」と言って利益をあげたチームが穴埋めする、なんて事が起きてくるわけです。それはとても不健全です。


10年のループを脱け出そう

10年前のライトユーザーバブルの時も、同じような現象が起き、新しい変化に反発するゲーム開発者が現れました。それは個人の考え方の多様性です。しかし残念なことに、いま起きている諸現象は、去年ライトユーザーブームが起きていると書いた時点で、すべて予想した範囲です。所詮10年前の繰り返しにすぎません。正直、ボクは「10年前の繰り返し」「ただのループ現象」を相手に議論するつもりは毛頭ありません。

ボクが危機感をもつ問題は1つです。
かつてゲーム業界は、ライトユーザーブームの後、狭い世界へ突き進んでしまい、国内のゲーム市場が縮小してしまいました。そして開発資金に余裕をなくした各社が続編を短期間に乱発し、新規企画が通りにくくなり、欧米に開発力で追いつかれました。欧米市場での競争力は、劇的に低下しました。この10年で多くの会社が体力を失いました。消えてしまった会社は少なくありません。

またPS2の5年間は、日本において、ゲームデザインの画期的な進歩があまり無かったと言われています。多くのライトユーザーが集まってきた5年間と、ライトユーザーが去っていった5年間、どちらが実りある期間でしたか? 新しい変化を「ただのブーム」と一蹴し、ゲームデザインの変化を恐れて、進化のスピードをゆるめた後半の5年間、日本のゲーム業界はどれだけ多くのものを失いましたか? 成功の甘い蜜を忘れられず、ゲームデザインの検討を怠り、ユニークゲームと自称するデッドコピーを乱発した5年間で、ソニーはどれだけの信頼を失いましたか?

さて、ここで考えてみてください。今年は多くのゲーム会社がDSに集結してライトユーザー市場を大いに盛り上げることでしょう。さながら祭りのように。そして絶頂期を越え、2〜3年経つとブームとして終わりを迎えるのかもしれません。そして再びPS2時代のような市場縮小の時期が数年間やってくるのかもしれません。そんなふうに10年を無駄に、同じようにループした時、はたしてどれだけの会社が消えているのでしょうか? 日本のゲーム会社の国際競争力はどれだけ低下しているのでしょうか? ボクは同じ10年をくり返すことを強く恐れます。今度のループは、日本のゲーム業界にとって、ひどく致命的なものになりかねません。

新しい変化に乗り、ゲームデザインを革新し、ゲーム開発者とユーザーと業界がいっしょに次のステージへ進む。多くのユーザーを獲得したソフトを、ただのブームと切り捨てていては、ゲームの進歩は厳しいでしょう。それは10年前におかした過ちです。同じ失敗を繰り返すのは、さすがにみっともないです。前進を、常に前進を。志のある方々、いっしょに前進しましょう。

Posted by amanoudume at 00:56 個別リンク | Comments (16) | TrackBack(0)

2006年06月06日

ノートPC購入

バッテリー時間の長さにひかれて、Let's note T5を購入。
軽さと小ささのR5にもひかれる物があったんですが、ボクの使い方だと、キーボードの打ちやすさを軽視するわけにはいかないので。基本的にテキスト書き用ですし。それにしてもレノボの新機種と比べて価格が倍違うんだからすごい。軽さとバッテリーは、性能なんぞよりはるかに、高価格なんですよね。

以前からプロセッサ性能至上主義が崩壊したと散々書いてきたわけですが、去年に引き続いて、変化が一段と顕在化してきた感じ。月刊アスキーが休刊したり、PCWatchがネタ不足なのかついに家電についての記事を掲載し始めたり、Robot Watchなんて始めたり。身の周りでは、ゲームを見限って、ロボットベンチャーに移っていったゲーム開発者もいたり。

なんとなく安定期に入ってしまった感のあるPC業界に比べて、家電業界が熱い。
 他社の製品との差別化を図るために、新しいアイデアや技術が惜しみなく投入され、興味深い製品が次から次へと登場している。そういう新技術を搭載した製品を総称する「新家電」という言葉も普及し始めている。

今は2006年。ローカル端末の性能がそろそろ十分になっていて、あとは邪魔にならない大きさと静けさとデザインになってくれればよくて、使い勝手が良くなって、ネットワークサービスに接続されていて、コミュニケーションツールとして機能してくれればいい。という認識はかなり浸透しています。というか、もうそれは大前提でいいと思うんですね。一般メディアでさえ、性能至上主義への疑問を記事にしちゃう現在ですから。

E3以降、北米ではXBOX360が優位で、日本ではWiiが優位という意見が非常に増えています。興味深いのは、どちらのハードも、1)プロセッサ性能を第1の売りにしていないし、2)ネットワークサービスを重視しているということです。XBOX Live!を掲げるXBOX360も、Wii CONNECT24を掲げるWiiも、ある部分では、同じ方向を向いています。

問題はテレビのHD化にどう対応するかで、仮にテレビがHD化しないのであれば、XBOX360はあそこまで無理して性能を上げる必要はなくて、本体をもっと軽く小さくできたはずです。XBOX360は、北米発のゲーム機ゆえにグラフィックを重視しがちなアメリカのゲーマーの意向を無視できません。一般層からゲーマー層まで広く取っていたPS2と違い、初代XBOXを支えていたのはゲーマー層なので、彼らを無視しては360も立ち上がりません。もちろん、そのままでは初代と同程度で止まってしまうのは見えているので、一般層を取るべく、『あつまれ!ピニャータ』のようなソフトを準備したり、カジュアルゲームをXBOX Live Arcadeに取り込んでいるわけです。米国本社の連中は、市場と時代をしたたかに理解しているんですね。

日本のマイクロソフトは、XBOX Live!を売りにするより、「ハイデフ」というキテレツ語を押し出して、あっさり大失敗しましたが、そもそも商品の最大のコンセプトを売っている本人が理解していないのだから、仕方ないです。ソニーだけがXBOX Live!の後追い的なネットワークサービスを掲げるだけで、ひたすらプロセッサ性能だの、ディスク容量だのに拘泥しているという構図。

いや、本音ではもうそういう時代ではないとわかってるんでしょうけどね。だからHDDを標準搭載したわけですし。ディスクで供給するより、ネットワーク経由でソフトウェアをアップデートしたり、コンテンツやデータを販売した方がいいというのは、誰でもわかる話です。ただ、過去のしがらみだの、作ってしまった半導体工場だの、ソニーグループから課せられた重荷が大きすぎるだけなんでしょう。

未来は見えていて、あとは距離感の問題。1年後か、3年後か、5年後か、10年後か、というただそれだけの違い。クールに素直になるか、素直になれずにツンな態度で身を固めるかというただそれだけの違いなんでしょう。まー、これが女の子だったら、かわいいんですけどねえ。

Posted by amanoudume at 21:44 個別リンク | Comments (4) | TrackBack(0)

2006年06月05日

3つの不等式の話

デジモノに埋もれる日々:ネタを積み上げろ! - 「涼宮ハルヒ」と「ぱにぽに」に見るネットマーケティング
『ハルヒ』と『ぱにぽに』という2つのアニメを事例に、ネットマーケティングの成功要因を分析しておられます。『ハルヒ』はネットマーケティングの成功例として、着実に認知されつつありますね。ボクも少し思う所を書きます。『ハルヒ』では、公式サイトのような小ネタが継続して出てきたことが話題性につながりました。けれども供給側が用意したネタは全体の一部にすぎません。

『ハルヒ』の口コミでは、MADアニメはユーザーが勝手に作ったものですし、ハルヒを巡る議論の半数以上はユーザーが勝手にテーマを見つけて語り出したものです。公式サイトや、毎週変わる長門の読んでいる本のような小ネタは、どこかのブログに掲載されるニュース的な情報にはなったものの、逆にいうとそれ以上の広がりをもたらすものではなかった、と思います。最も広がりをもったのは、「供給側が直接仕掛けたネタ」ではなく、「ユーザー側が発見し、妄想し、提案したネタ」の方です。これを1つの不等式で表します。

  不等式1:
  供給側が直接仕掛けたネタの持続時間  << ユーザーが発見/妄想/提案したネタの持続時間

ネットでの口コミを期待する場合、小ネタをたくさん仕込むのは常道です。それはアニメに限らず、小説やゲームでもそうです。ボクも自分の関わったゲームで、そんな仕込みをしたことがあります。それなりに効果がありました。しかしあらかじめ大量のネタを仕込んでおくという手法は結局、限界に到達しやすいのです。情報を小出しにしているだけですから。クリエイターの側が用意できるネタの量には自ずと限界があり、1日、2日の話題が1週間ぐらいに延命するかもしれませんが、せいぜいその程度だと思います。
ではどうしたらいいかというと、ユーザーの側に勝手にネタを作ってもらえればいいんです。そうすれば、供給側の制作限界や、更新頻度の限界をこえて、ネタが増殖します。

  不等式2:
  供給側のネタ生成能力および供給頻度  << ユーザーのネタ生成能力および供給頻度

2つの不等式を前提とした時に見えてくるのは、もはやコンテンツの制御権はかなりの部分、ユーザーの手に渡っている、という理解です。

供給側、クリエイターがたくさんのネタを用意して、それを小出しにしていくという方法は、つまるところ供給側、クリエイターの側に主導権があるという考え方です。初期の口コミマーケティングにおいては、こういう考え方でも十分でした。仮に数字にするなら、主導権は「供給(クリエイター)側:ユーザー側=8:2」だったんじゃないか、と思います。まぁこの数字は、感覚的なものをわかりやすく表したものと思ってください。

最近は「供給(クリエイター)側:ユーザー側=6:4」ぐらいになってきた、という印象があります。いやいや、素直に認めましょう。すでに逆転しつつあると思います。これは、供給側の人間にとっては、必ずしも大喜びできる事態ではありません。しかし望むと望まざるとに関わらず、この第3の不等式は徐々に浮かび上がっています。

  不等式3:
  クリエイターのコンテンツに対するコントロール  << ユーザーのコンテンツに対するコントロール

例えば、本来男性オタク向けに書かれたわけではない『マリみて』を萌えられる百合小説として勝手に解釈し、妄想し、消費した事例は、非常に面白い現象でした。女性読者はともかく、男性読者については、もはやコンテンツのコントロールの大部分は作者の手を離れていたと思います。

では、この「作者の思惑・狙いを越えた動き」をどのように供給側は仕掛けたらいいのでしょうか? 狙いを越えたものを狙うという矛盾した概念を、方法論として見出さなければならない。それがマーケティングとコンテンツの最先端の課題になりつつあります。

Posted by amanoudume at 23:59 個別リンク | Comments (4) | TrackBack(0)

2006年05月24日

ゲームとストーリーの幸せな未来?

ポケモンとどうぶつの森の共通点

国内で300万本売れた『どうぶつの森』が劇場アニメ化されるそうです。『どうぶつの森』は世界観やゲームの雰囲気が非常にしっかりしていますが、ストーリーらしいストーリーはありません。大抵の場合、ストーリーやキャラクター性の高いゲームのほうが他メディア展開されやすいのですが、なかなか珍しい例ですね。
同じような例は、約10年前の『ポケモン』にさかのぼります。ジャンルはRPGですが、シナリオで楽しませるゲームではなく、ポケモンの収集と交換、対戦というコミュニケーションの部分を楽しむゲームです。

    1.世界観や作品の雰囲気が非常にしっかり作られていて、多くのユーザーに共有されている。
    2.「わたしの」「ぼくの」キャラクターがいる。
    3.コミュニケーションの部分にゲームデザインの比重が置かれている。
      ユーザー同士のコミュニケーションツールとして機能している。
    4.ゲーム内に特別なキャラクターはいない(または少数)。
    5.シナリオは無いか、非常に薄い。
    6.数百万人という膨大なユーザーに支持されている。

『ポケモン』のアニメが成功した1つの要因は、アニメがゲームで表現しきれない部分を補完する役割を果たしたことです。また、シナリオやキャラ設定は無いかわりに、多くのユーザーが抱いているポケモン世界へのイメージをうまく捉えました。

ストーリの無いゲームのほうがアニメ化の効果が大きいのかもしれない

また他の例を挙げると、MMORPGも明確なシナリオが無く、まず世界があって、多くのユーザーが体験を共有するコミュニケーション型のゲームです。『FF11』や『ラグナロクオンライン』などは、多数のアンソロジーが発表されていて、熱心なファンの支持があるようです。

ゲームのアニメ化は実の所、あまり成功例がありません。ストーリー性の強いゲームをアニメ化しても、ゲームもまた映像表現の強いメディアのため、補完効果を発揮せず、むしろファンがその出来に失望するケースがかなり多いです。(ノベルゲームは比較的マシなのですが、それはノベルゲームが小説に極めて近いことや、オタク向けに特化しているためでしょう。しかしやはりファン泣かせのアニメ化が後を絶ちませんが)

逆に、ストーリー性の薄い「体験共有型のコミュニケーション型ゲーム」を1次メディアとして、他のメディアへ展開した方が良い補完関係を築きやすい、といえそうです。

ゲームが1次メディアとして復権する可能性だが・・・・

しかし現状では、「ストーリー性の強いゲーム」を1次メディアとして、他のメディアへ展開しようと考えるケースがまだまだ多いと思います。例えば、オンラインゲームでは国内有数のスクウェアエニックスも、ストーリー性の強いゲームを主軸にコンテンツ戦略を進めています。

ポリモーフィックコンテンツとして展開された『コードエイジコマンダーズ』、コンピレーション・オブ・FF7として展開された『FF7 アドベントチルドレン』と『FF7 ダージュ・オブ・ケルベロス』、そして3本発表された『FF13』。いずれも複数のゲームをつなぐ展開で、世界観を生み出すプリプロダクションのコストを低減する効果はありますが、ゲーム以外のメディアに幅広く拡大していく感じはありません。

MMORPGにも問題があります。1つはユーザーの時間を大量に奪うことで、そのためにメディアミックスにつき合う時間を制限してしまいます。もう1つは『World of Warcraft』という例外を除けば、MMORPGは会員数が限定されていて、母集団が小さいためになかなか大きなマスパワーにつながらないことです。

すると、単純に言ってしまえば、「軽」〜「中」ぐらいの遊びの規模で敷居を下げて、できる限り幅広いユーザーを取り込み、1から10までをゲーム内で表現するのではなく、プレイヤーの想像力とコミュニケーションにまかせたゲームの方が、コミックやアニメのような他のメディアによる補完効果が大きく、成功しやすいのでしょう。


補足: ゲームとストーリーの未来

ここ最近、ストーリー性の強いゲーム、特にRPGの売上が落ち込んできています。ゲームの遊びの部分とデモムービーの相性が悪く、デモムービーの続きを見るためだけに数十時間のプレイを強制されるゲームは次第に敬遠されるようになっています。デモムービーだけで出来ている『アドベントチルドレン』が100万本を越えていることも、今の時代をよく表しています。
    ・ストーリー神話の崩壊とゲーム業界の「ストーリー病」
    ・ストーリー神話の崩壊を裏づける? アドベントチルドレンの大成功

今後、ゲームとストーリーの関係はどうなっていくのでしょうか。ボクは主に3つの流れがあると予想しています。

1.従来のストーリ性の強いゲーム
より映画チックになり、開発費が高騰するため、制作できるのは少数のスタジオだけでしょう。ゲームプレイとデモムービーの相性の悪さをどう解決するか、というゲームデザイン上の問題もあります。
またゲーム自体の映像表現が高度なため、他メディア展開した時の補完効果は薄いです。資金力のない会社はアニメやコミック、小説などの版権タイトルを元にゲームを制作するでしょう。1次メディアとしてのゲームの地位がますます地盤沈下を起こす路線です。

2.ストーリー性が薄く、世界観や雰囲気がしっかりしていて、コミュニケーション主体のゲーム
実例は、MMORPGのアンソロジー、『ポケモン』のアニメ化など。ゲームで表現しない部分を他のメディアで語る、という良い補完関係にあります。ゲーム内でストーリーをほとんど語らないので、ゲームプレイとストーリーの衝突を起こさなくてすみます。

ゲーム1.0は「ゲームへの求心力」という考え方に基づいていました。さまざまな要素をゲーム内で表現/評価しようとします。一方、ゲーム2.0は「ゲームからの遠心力」という考え方に基づいています。表現や評価をゲームの外部に持っていくことで、コミュニケーションツールとしての手軽さと機能を高めようとします。ストーリーを外部化するのはきわめて2.0的です。

3.インタラクティブな映像表現と草の根映像
ノベルゲーム、FLASHアニメ、MADアニメ、YouTube、電子書籍といった一群。
作家性が強い作品を少数の人間が生み出して流通させていく路線。基本的にPCや携帯電話で発展してきた文化で、草の根パワーが参加できない家庭用ゲーム機では全然発展していません。メディアを越境する個人クリエイターは今後増えていくと思います。個人のクリエイティブの世界では、この線からこっちはゲーム、そっちはアニメ、というような線引きは曖昧で、あまり意味を持たないでしょう。

メディアを越えた影響の実例を1つ。
元々「小説→ゲーム」という形で始まったノベルゲームが、2000年の『月姫』以降、「ゲーム→小説」という逆の流れで影響を与えるようになりました。例えば、その結果、「現代学園異能」というジャンルが誕生しつつあるわけですが、それについては限界小説書評第17回あるいははてなの「学園異能」の解説が詳しいです。

基本的には伝奇をはじめとする少年ジャンプ的な物語(バトルもの)を、どのように美少女ゲームという終わらない学園という舞台(萌え)に組み込むかという点から必然的に導き出された形であり、そのエポックメイカーがTYPE-MOONなのだ。たとえば佐藤心は『月姫』が伝奇的なストーリーを展開しながらも、美少女ゲームに特徴的な「日付カレンダーシステム」を採用しているところに注目している。日付カレンダーシステムを採用されたために、同じ一日の繰り返しが物語形式の基本となり、幼馴染が寝坊がちな主人公を起こしにくる朝→通学路→学校での授業→放課後の個別イベントという『To Heart』的美少女ゲーム形式と、街で起こる吸血鬼事件を描く伝奇的物語がスムーズに融合したというわけだ。

Posted by amanoudume at 00:20 個別リンク | Comments (5) | TrackBack(0)

2006年05月16日

YouTubeの成長と外からつながる重要性

すさまじい成長のYouTube

動画共有サイト「YouTube」、日本から212万人が訪問--利用率は米国内に匹敵
YouTubeの成長がすさまじいです。2005年12月には約20万人だった日本からのユーザーが2006年3月には200万人以上。海外サイトにも関わらず、ここまで短期間に利用者が増えたのはやはり2ch、ブログ、SNSからリンクが張れるからでしょうね。読者はリンクをクリックすれば、目的の動画に確実にリーチできるので、たとえ海外サイトでも言葉の問題は起きません。URLのコピー&ペーストで済むので、口コミで広がるスピードも高速です。

そういえば、ブログが流行り始めた頃に言われたことですが、ブログはRSS云々よりも記事ごとにparmalinkが作られ、リンクを張れるのが便利です。個人サイトの時代には、管理人が新しい記事を掲載するには、トップページに最新の記事を書き足し、古い記事を過去ログページに移動させていました。面倒なこの上ないです。またリンクを張る側にしても、サイトの管理人がきちんとアンカータグを張っていないことも多かったので、1つ1つの記事に直接リンクを張れないことがたびたびありました。

Web2.0というと、ご大層な7か条が引用されることが増えましたが、1つ1つのコンテンツにリンクを張れるというごく当たり前の機能がベタに重要なんでしょうね。テキストコンテンツ(ブログ)でも、動画コンテンツ(YouTube等)でも同じこと。そしておそらく、ゲームデータも同じなんじゃないかと思います。単純にいって、Webからアクセスできることが重要です。

外からつながるのが大切

例えば、オンラインゲームサービスの頂点ともいえるXBOX Live!はクローズドなネットワークです。サービスの品質を維持したり、不必要なアクセスを排除してサーバー負荷を軽減するにはクローズドなネットワークのほうが都合がいい。でも結果的にXBOX Live!は、XBOXユーザーだけが密につながる狭い世界に留まっています。プレイヤーが普通にオンラインゲームで対戦したり、ゲームをダウンロードする分にはそれでいいのですが、話題性という点では広がりが出にくいです。サービスの完結性の高いXBOX Live!よりも、完結性の低いWiFiコネクションの方が話題になりやすいというのは、皮肉なことです。

XBOX Live!でE3を体験できるというイベントも試みは面白いものの、今ひとつ話題性につながりません。なぜならXBOX Live!でダウンロード可能な予告編ムービーの数々にはWebからリンクを張れないからです。「○○○○のムービー観た? すごいよね。いやー、そろそろ海外勢は使いこなしてきたねえ」などと掲示板に書いても、リンクを張れません。XBOX360ユーザーが自分のブログに紹介を載せていても、そこからリンクを張れません。こういうクローズな世界では、XBOXの所有者から非所有者につながることができませんし、逆からつながることもありません。

今後、さらに各ゲーム機のオンライン対応が進んでいくはずですが、部分的にはWebと相互にアクセスできた方がいいでしょうね。特にユーザーの作ったデータをアップロードし、共有するタイプのサービスでは。そのハードをもたずとも、そのゲームをもたずとも、ある程度閲覧できるとなお良いですね。例えば、ユーザーの作ったアイテムや生物、惑星の3Dモデルは、ゲーム機からのアクセスでないと意味を持たないが、Webからそれらの画面写真を眺められるとか。無茶なことをいえば、MMORPGを遊んでいると、そのプレイ動画がずっと録画され続けていて、会員でない相手にも自由に見せられるとか。
あるいは極端な話、完結性の高いサービスなんて要らないのかもしれない、とさえ思います。逆効果なんじゃないか。
(参考:画質なんかより、話題の共有の方が何倍も重要


補足

体験版はXBOXでしか動かないんだからしょうがないだろ、というツッコミもあるかもしれませんが、XBOX Live!経由で落とせる圧倒的大多数はただの動画で、体験版はほとんどありません(カプコンの『ロストプラネット』はよく頑張ってました)。まぁXBOX Live!=XBOXユーザーしかアクセスしない世界だからこそ、アクセス数が制限され、比較的快適にサーバーからダウンロードできるのかもしれませんが。

しかしE3というお祭りなのに、XBOXユーザー同士でしか共有できない、外からは見えないというのは、広報戦略としてはちょっとイマイチ。「E3をリビングで体験できる」というぜいたく感(?)は評価したいところですが。でも動画だったら、PCでいいし。やはり会場に出展されたプレイアブル・タイトルの1/3〜半分ぐらいは体験版としてダウンロードできないと。まぁ今回は可能性の片鱗を見せてくれたということかな。

Posted by amanoudume at 00:04 個別リンク | TrackBack(0)

2006年05月11日

インタラクティブ産業は「本」の市場を取り込むのか

DSで花開くか、「本」ゲーム

メディアワークス、DS電撃文庫 『アリソン』を発表
ブラヴォォー!!
ライトノベル市場で人気の高い時雨沢恵一&黒星紅白のコンビが手がける『アリソン』がついにインタラクティブな電子書籍に。DS電撃「文庫」という名称が「アリソン1発ではありませんよ。これから電子本を出していきますよ」といっている気がして、興味をそそられます。

税込3360円とお手頃感のある値段も好感。ライトノベルが500〜600円、ビジュアルブックが約1400円、ハードカバーが1200〜1600円、ドラマCDが約3150円という価格帯なので、ファン向けのアイテムとして違和感はありません。

DSではタッチペンを活かしたアドベンチャーゲームが多く、『逆転裁判』『探偵・癸生川凌介 仮面幻想殺人事件』など、ネットで評判の良い作品も集まっています。一方、ノベルゲームはPSPの方が多いというのが現状です。古いDSは画面が暗いため、テキスト中心のゲームは若干つらいですし、大容量なPSPの方が素直に移植しやすいのでしょう。例えば、チュンソフトもサウンドノベルをPSP向けに発売しようとしています。

しかしDS Liteは画面が明るくなりましたから、文字を読みやすいですし、イラストも素直に色が映ります。またLiteの方が従来機にくらべて、本のようにして持ちやすいデザインです。PSPのように起動まで時間がかかる事もありませんし、普通のソフトなら本体を閉じればレジュームが効くので、気軽に中断と再開ができます。ノベルゲームを非常に出しやすくなったと言えます。

小説のメディアミックスというと、コミック、アニメ、ゲームが挙げられますが、実はライトノベルのゲーム化はあんまりうまくいってません。価格が高くて、ファン向けのアイテムとして手を出しにくいこと、ぬいぐるみやフィギュア等の実物系コレクターアイテムと比べてコレクター魂をくすぐりにくいこと、しかし一番の問題は買う前からクソゲーだと思われていることでしょう。
そういう悪いイメージを払拭していけるかという点も、注目していきたいですね。


急速に拡大する電子書籍マーケット

携帯版の成長で電子書籍は45億円市場に
ここ数年、電子書籍のマーケットが急速に拡大しています。ケータイに慣れた若い年代を中心に、携帯電話で本を読む人は増えていますし、定額制の導入で小説やコミックを購入する人が増えたためです。ケータイ小説の新人賞も増え、一定の盛り上がりをもっています。

また、出版界の電子書籍の売上には含まれていないでしょうが、DSで大成功をおさめたダブルミリオンソフト『脳トレ』『もっと脳トレ』も、川島教授の『脳ドリル』の電子書籍化、と解釈できます。遊ぶ時のDSのもち方はまさに「本」そのものです。また『楽引辞典』や『指さし手帳』は、まさに本をそのまま電子化したものです。

PS1→PS2ときて、ゲームは「映画」のように進化していくものだと思われていました。しかしDSの登場で「本」のように進化していく道筋が切り拓かれつつあります。手頃な値段、興味をひくテーマ、実用性、手軽さ、身近さ、扱いやすさ。「本」の優れた長所とDSの大成功ソフトの長所は一致しています。また長い期間をかけて売れる傾向や、パッケージの重要性の高まり、口コミ型マーケットの形成など、「本」の売り方を参考にできる部分が大いにあります。(参考:ゲームソフトも本の売り方を見習ってもいい

ゲーム機の世界もいよいよダウンロード販売が当たり前になるため、ますます「本」のマーケットに近づいていきます。ダウンロード販売の可能性は主に3つです。

    1.エミュレータ技術によって、過去のソフトの再販売がしやすくなる。
      (ゲームソフトのロングテール販売)
    2.追加アイテムや追加エピソードなど、パッケージの寿命を伸ばしやすい。
      (発売日前後に集中する短期型販売戦略からの脱却)
    3.在庫リスクとメディアコストが無いため、低価格で多様性のあるコンテンツを提供できる。
      (企画の小回り、作家性を発揮しやすい市場。プロとアマの境界の曖昧化)

特に3番において、インタラクティブな電子書籍というのは、有力なジャンルになり得ます。過去の資産が豊富にあり、インタラクティブ性を付加した場合のメリットがわかりやすく、比較的低コストで作れるからです。ノベルゲームは昔からフリーのゲームエンジンが存在しましたし、それによって同人ゲーム市場が活性化してきました。図鑑や事典も、ある程度フォーマットを決めて1度エンジンを作れば、スキャニングやデータのコンバートで通常のゲームよりもはるかに低コストで制作可能なはずです(多少の調整は必要でしょうが)。


補足1

電子書籍を携帯ゲーム機で展開するのはなかなか理にかなっています。『脳トレ』効果で中高年の人も手にとっていますから、一般の書籍を持ってくるなら圧倒的にDSが正しい選択でしょう。実際、選択を誤ったゼンリンの地図帳や、『実録鬼嫁日記』は発売したことさえ認識されないまま、消えていきました。彼らは大人がPSPを買っていると勘違いしてしまったのでしょう。きっと脳内でしかマーケティングしてないんですね。

DSは中高年、ファミコン世代、大人の女性、子供に強いのですが、中学生・高校生には弱いです。一方、PSPは中学生・高校生の「背伸びアイテム」として売れていて、この層が『モンスターハンター』を支えていると言われています。SFCに対するPC-Engineやメガドライブのようなものです。本当の大人ではなく、早く大人になりたい人のためのゲーム機です。

そのため、ライトノベルに関しては、DSとPSPのどちらで出すかは微妙なところです。というのは、ライトノベルの読者層は中高生とかつてのライトノベル読者(20代後半〜30代)なのですが、やはり数としては中高生が多いからです。ただ、中高生の資金力を考えると、そこまで本以外のグッズを買えるのかという疑問もあります。PSPのソフト販売が低調なのも、中高生の資金力に余裕が無いせいでしょう(彼らはまず、携帯電話にお金を使わなければなりません)。


補足2

電子書籍がDSに向いているといっても、DSのTouch Generations!が成功したのは単に電子化しただけでなく、任天堂のもつゲーム作りのノウハウを活かし、扱いやすく、楽しいものに仕上げたからだ、という事は忘れてはいけないでしょう。ゲーム機で動く「本」は昔からありました。PS1やPS2でも、図鑑、料理本、『家庭の医学』などは発売されています。しかしどれも売れていません。

楽しさはゲーム開発のノウハウの話になり、長くなるので今回は触れません(1月後半〜2月前半の過去ログをオススメしておきます)。機能性にしぼってまとめます。

    1) 電子化の最大のメリットは「検索性」と「繰り返し性」。
      ずっと下がって映像や音楽との併用。
    2) そのうち「検索性」はキーボードが標準のPCに勝てない。
      また調べるのにディスクを入れて起動なんて、とても待てない。
      そこが改善しないと、辞書や事典はPCに勝てない。
    3)「ドリル」は性質上「繰り返し」が求められるので、電子化に向いている。

Posted by amanoudume at 18:08 個別リンク | TrackBack(0)

2006年05月07日

You Tubeで花開くMADアニメ

MADアニメが話題に上りやすくなってきた

MADアニメは昔から存在しましたし、ネットの普及にともなってアップローダーやP2P系ツールで流通していましたが、You Tubeの登場で一段と広い層に視聴されるようになってきたようです。やはりリンクを張れる、すぐに削除されないという点が大きいのでしょうね。ブログやニュースサイトで言及/紹介される頻度が格段に上がっています。

最近だと、『涼宮ハルヒの憂鬱』のエンディング「ハレ晴レユカイ」のMADアニメと、『魔法少女リリカルなのは A's』のMADアニメ、Nanoha A's COMBAT ZEROが話題になっていました。
    ・YouTubeにおける『涼宮ハルヒの憂鬱』MAD映像まとめ
    ・魔法少女リリカルなのはMADスレ

どれだけたくさんの同人誌が作られるかが人気のバロメータの1つであるように、どれだけたくさんのMADアニメが作られるかが人気の指標になる時代がやってきたのかもしれません。

MADアニメの隆盛を見ていると、「クリエイターによるコンテンツ」に不足しがちな即興性をユーザーが補完しているように思えます。コンテンツがユーザー間のコミュニケーション(主に話題)のために消費される現在、あらゆるコンテンツは瞬く間に消費され尽してしまいます。したがってユーザー同士で話題をふくらませる、ネタがどんどん出てくるコンテンツだけが生き残り、人気を集中させることができます。
去年ならこれをコンテンツ2.0とでも呼んだところですが、そういう呼び方はそろそろ時期ハズレな感がありますね。(参考:画質なんかより、話題の共有の方が何倍も重要


MADゲーム、つかMOD

さて、ここで無理やりゲームに話を振ってみると、ゲームの世界にも改造ゲームというのがあって、俗にMODと呼ばれているわけですが、日本ではあまり浸透していません。というのはゲーム機上でゲームを改造するのが難しいため、PCゲームやPC上で動作するエミュレータ(改造マリオ等)で育ってきた文化だからです。日本では、PCゲームはオンラインゲームが浸透するまでは衰退の一途をたどっていましたし、エミュレータもPSP以前はアングラ的な扱いをされていました。

とはいえ、「Web2.0」というキーワードを得て、よりユーザー参加型のゲーム(コンテンツ/サービス)設計をしようという考え方が広がっていますから、MADゲームへの関心も以前より高まっています。古くはファミコン初期にも、『ロードランナー』や『ナッツ&ミルク』、『エキサイトバイク』の面エディットがあったわけですが、オンラインゲームの浸透にともない、ゲーム内部にカスタマイズ性を含める流れが再び強まっています。

20年前の混沌の時代、ゲーム機とPCはかなり近い場所にあったわけですが、ファミコンの成功と共に両者の距離は開いていきました。しかしPCがネットに接続され、それに遅れてゲーム機もネットにつながるようになると、再びあの混沌期に立ち戻りつつある、というのはなかなか面白い事態です。まぁ昨今の『脳トレ』ブームにしても、ファミコン初期の『ポパイのえいごあそび』『ドンキーコングのさんすうあそび』に立ち戻った、と言えるわけですが。原典回帰、混沌再び。

現状のゲームは開発に時間がかかるため、即興性に欠けますからね。そこを補完するものとして、改造ゲームには可能性があります。とはいえ、熱心なユーザーが数ヶ月かけて、改造マリオでプロ顔負けの秀逸なゲームバランスのステージを作ることは、あまり面白い可能性ではないでしょう。それよりも、幅広いユーザーを相手にする商売ではやりにくい超絶難易度のステージが作られたり、CMのパロディを盛り込んだステージが作られたりするほうが、ずっとずっと面白い。


ゲームを遊ばなくてもゲームを語れる時代

しかしゲームの場合、改造ゲームというのが極めて遊びにくい。
元になるゲームソフトを持っていないと遊べなかったり、わざわざインストールしなければならなかったり。面倒が山積みです。これではかなり濃いマニアでないと遊びませんよね。例えば、昔あった『GTA』の仮面ライダーMODにしても、実際に遊んだ人よりも、動画だけ楽しんだ人が圧倒的に多いんじゃないでしょうか。

この障壁を乗り越えるのはなかなか大変だと思います。
というのは、話題としてのゲームという意味では、動画を観るだけで十分だからです。2chの『FF12』関連スレにはYou Tubeでムービー観れば十分だよ、という書き込みが多数あったわけですが、遊んだ気になったり、遊んだふりをして他人と話す分にはそれで十分という認識が広がっていますからね。

You Tubeあたりのプレイ動画(特に神動画)も、自分があそこまで上手くなりたいと思って観ている人はまずいないでしょう。ゲームなんて遊ばなくたって、いくらでも語れますし、そのほうが楽チンですし、タチの悪いことにそのほうが楽しい(かもしれない)のです。ブログで紹介されたMADアニメを観て、元の作品に興味を持ってDVDを購入するという可能性は、まだボクの想像の範囲内なのですが、ブログで紹介されたゲーム動画を観て、元の作品に興味を持ってゲームを購入する可能性は想像を超えています。
その辺りが課題でしょうね。


余談: 遊ばなければならないという弱点をどう越えるか

「遊ばなければいけない」「インタラクティブしなければならない」というのがゲームの最大の特徴にして、最大の弱点です。色々な娯楽がユーザーの時間を奪い合う中、その弱点にどう向き合うべきか。

例えば、任天堂はDS、Wiiと一貫して、両手を拘束する伝統的なスタイルからの脱却、「片手」型のプレイスタイルを提案しています。携帯ゲーム機の人気が高まっている一因に、テレビを観ながら遊べるという点が挙げられていますが、「ねばならない」から「ながら」への転換といえます。

一方で、ソニーのPS3やマイクロソフトのXBOX360の路線は簡単にいえば、より高品質な映像表現を用いて、ユーザーが全神経を注ぎ込んで遊ぶに値するゲームを作ることです。より没入感のあるゲームを作るという、従来からの路線です。これは王道の中の王道です。開発費の高騰などの問題はありますが、なんだかんだ言っても、多くのクリエイターが心情的に賛同し、支持するのは、こちらの路線でしょう。
自分の作った作品は暇つぶしや「ながら」で遊んでもらうよりも、夢中になって遊んでほしい。そう思うのは、作り手のエゴかもしれませんが、率直な気持ちでしょう。毎晩30分ずつ遊ぶユーザーへのフォローをしながらも、面白くて途中でやめられず、明日仕事なのに徹夜で遊んでしまうユーザーを夢想するのは、哀しいかな、人の欲望です。

遊ぶための敷居を下げていく方向性、遊ぶための敷居を乗り越えたくなるだけの高品質な価値を磨き上げていく方向性、どちらが正しいとか間違っているとかではありません。ただ、まぁ、次世代据置ゲーム機のシェア争いという点では、数字による結果は出るんでしょうけど。
しかしボクの今の関心は、どちらの路線が勝つか、ではないんですけどね。

Posted by amanoudume at 02:50 個別リンク | Comments (2) | TrackBack(0)

2006年04月08日

海が赤くなるから、青い海に逃げるわけではない

去年、レッドオーシャンとブルーオーシャンという言葉が急速に広まりました。
ポータブルオーディオプレイヤーの市場や、ゲーム市場を始め、複数の分野で大きな変化が起こったためです。従来路線を続けることへの行き詰まり感が明確になり、新しい市場を切り拓くことの重要性が認識されました。


しかしブルーオーシャンは、ビジネスの観点からの説明が多すぎました。
ブルーオーシャンの重要性が強調されるあまり、同時にややネガティブな認識も広まってしまいました。すなわち、古い海はすっかり赤く染まってしまったから、早く青い海へ逃げ出さなければ!というような理解のされ方です。この海では食えなくなるから、新しい海に旅立とう。開発費が高騰していくから、重厚長大な路線はやめて、軽いゲームを作ろうじゃないか・・・・。

そうした認識はビジネス的には間違いではありません。プロのクリエイティブはビジネス抜きには成り立ちません。市場やユーザーを無視できるのはアマチュアだけです。しかし、一方でコンテンツビジネスは、クリエイティブ抜きでも成り立ちません。そこが面白いところです。

例えば、「このままじゃ、開発費が高騰して回収しきれなくなるから、軽いゲームをジャンジャカ作ろう!」という理屈はとても正しいのですが、そういう経営の論理だけではクリエイティブは回りません。なかなか良いアイデアが出てこなかったり、差別化が難しい「軽いゲーム」市場において、版権以外の武器をもてず、膨大な数のソフトの中に埋没していくことになりかねません。提携や構想だけは立派でも、具体的なコンテンツの内容がなかなか発表されなかったり、何らの差別化要素も持ち合わせていなかったり。

しかし青い海を切り拓くというのは、「食えないから」という後ろ向きな理由ばかりではない、と思います。
MORI LOG ACADEMY: 何故続けているのか

続けているのは、ようするに、まだ会っていない人間がいる、という希望(あるいは予感)みたいなものだろうか。
トヨタは、クラウンを作った。クラウンは多くの人の欲望を満たした。もっと優れたクラウンを作ることがトヨタの使命になった。しかし、トヨタはあるときカローラを作った。カローラは、クラウンよりも小さく安く、シンプルな車である。クラウンのユーザは、「どうしてそんなレベルの低い車を作るのだ?」と怒ったかもしれない。しかし、今まで車に乗れなかった人たちの需要にトヨタは応えた。まだ会っていない人間がいる、という希望とは、たとえばこういう意味である。
この文章は、小説家の森博嗣氏が一生使い切れないぐらいの収入を得てなお、小説を書き続ける理由を語ったものです。さて、去年ゲーム業界に起きた変化をもとに、この文章の一部の言葉を置き換えてみましょう。
続けているのは、ようするに、まだ会っていない人間がいる、という希望(あるいは予感)みたいなものだろうか。
任天堂は、マリオやゼルダを作った。マリオやゼルダは多くの人の欲望を満たした。もっと優れたマリオやゼルダを作ることが任天堂の使命になった。しかし、任天堂はあるとき脳トレを作った。脳トレは、マリオやゼルダよりも小さく安く、シンプルなゲームである。マリオやゼルダのユーザは、「どうしてそんなレベルの低いゲームを作るのだ?」と怒ったかもしれない。しかし、今までゲームを遊べなかった人たちの需要に任天堂は応えた。まだ会っていない人間がいる、という希望とは、たとえばこういう意味である。
もちろん、この「トヨタ」「任天堂」のかわりに「スクウェアエニックス」を入れてもいいし、「マリオやゼルダ」のかわりに「ドラクエやFF」を入れてもいいでしょう。「セガ」や「ナムコ」でも、「ソニー」でも、「マイクロソフト」でもいい。あるいは、他のゲーム会社の名前を入れてもいいでしょう。
人が創作し続けるのは、世界のどこかに「まだ出会っていない人間がいる」からですし、自分の生み出した作品を通して、その人たちと出会える(かもしれない)と信じているからでしょう。

Posted by amanoudume at 01:41 個別リンク | Comments (3) | TrackBack(0)

2006年04月07日

「2.0」がますます浸透

MMORPG2.0って?

去年は、やたらめったら「2.0」が流行りました。Web2.0ブームの影響がありましたし、時代の変わり目を誰もが感じたためですし、古い時代との違いを明確に表せる表現だからです。ゲームの世界でも、例えばうちのブログでも「ゲームデザイン2.0」「ゲーム2.0」といった言葉を積極的に使っていました。

それぞれのブログで定義が異なっていたものの、論文を書く学者でもなければそういう細かい事はどうでも良いわけです。要は新しい変化の到来を誰もが感じたため、わかりやすくいキーワードが求められたということです。今年に入ってからも、アジアオンラインゲームカンファレンスの講演の1つで、「ゲーム2.0」=「Web2.0の考えを取り入れたオンラインゲーム」という説明があったらしいですね。

と思えば、いつのまにか「MMORPG2.0」なる言葉も生まれていたようで。
奥谷海人のAccess Accepted 「GDCで見たゲームの未来像」

MMORPG開発者達の喪失感は,「The Sims Online」「Star Wars Galaxies」「The Matrix Online」などが立て続けに失敗し“メインストリームになり得なかったこと”によるところも大きいはず。そこで,ユーザーを巻き込みながら成長する「Web 2.0」の概念をモチーフにして,訴えられ始めたのが“MMORPG 2.0”である。

 この流れの旗手として挙げられるのが,本連載でも何度か話題にしたことのある「Second Life」というMMOGである。プレイヤーがゲーム内で制作したコンテンツ(Player-Created Contents)の帰属をプレイヤー自身に認めることで,新しい形のゲームとして評判になった。その高い自由度からゲームだけでなく,教育などの分野でも利用されている。とはいえ,確かに開発者が強い自信をのぞかせるほどWeb 2.0的なサービス形態ではあるものの,Second Lifeはまだまだ一部のコミュニティに特化したものでしかなく,“MMORPG 2.0”としてブレイクするにはさらなる発展が要求されるだろう。

「2.0」という言葉が流行るかどうかはともかく、「2.0」的な考え方はじつに色々なところに浸透しつつありますね。mixi的と評価された『おいでよ どうぶつの森』が国内250万本に届こうとしていることを考えても、今後さらに「Web2.0」的な考え方への関心は強まっていくと予想されます。特にオンラインゲームの分野では顕著でしょうね。


流行ってるんだから使えばいい

まぁ去年の年末には、「ゲーム業界にはゲームデザインの言葉があるんだ」とか、「Web2.0なんてただのブームじゃないか」というような、チープな意見も一部にありました。しかし正直いって、言葉にこだわるのって、マーケティング屋と学者ぐらいじゃないですか。マーケティング屋はキーワードを散りばめたプレゼンをするため。学者さんは論文を書くため。そういうつまらないこだわりに、その他の人間が左右される必要は皆無です。

わかりやすい言葉を素直に使えばいい。「2.0」ブームが何年も続くとは思いません。しかし言葉なんて消えたっていいんですよ。言葉で金儲けする人じゃないんですから。面白いものをどんどん取り入れていく姿勢が大切。ゲーム発の言葉かどうかなんて、じつはどうでもいいんです。

例えば、去年最も話題になった『脳トレ』にしても、川島教授というゲーム業界の外の人の研究成果を取り入れているわけです。脳を鍛えるブームにしてもDSが生み出したわけではなく、元々脳ドリルがありました。口の悪い人なら、ブームに乗っかってゲームデザインしたゲームというかもしれません。それは正当な評価ではないでしょうが、1つの見方でしょう。

昔からゲームは、ゲームの外の色々な技術や面白いものを取り入れてきました。そして実際、今そういうソフトがライトユーザーをゲームの世界に引き入れているわけです。だから「2.0」がWeb屋の言葉だから・・・・うんぬんうんぬん・・・・なんてのは、心の狭い意見でしょうね。


おおらかに作って、おおらかに遊んでもらう

一般的に、1つの業界(市場)が縮小する時、2つの反応が起こります。
1つの反応はどんどん狭い世界に閉じこもろうとする動き。「ここからが○○の世界! 絶対」「外の流行り物を取り入れるなんて安易」「○○は高度化しているんだ」「○○の伝統を守れ」・・・・。やれやれです。もう1つの反応は、過去の常識、伝統といったものにこだわらず、面白いものはどんどんツモってくる動き。ある意味、いい加減きわまりない。でも面白ければそれでいいじゃないか。面白いが正義! 

前者の反応が強ければ、先鋭的なユーザーを残して、ほとんどのユーザーは離れていき、しだいに市場は先細っていきます。過去には2Dシューティングが、落ちゲーがそういう道を歩みました。
例えば、落ちゲーを作っている人にこう言ってみましょう。「連鎖ってわかりにくいじゃん。ついていけないんだよね。なくさない?」するとどういう答えが返ってくるでしょうか。「はぁ? お前はバカか?wwww 連鎖が無かったらゲームじゃねえだろ。シロウトかよ(プゲラ」ですかね? そういう反応ばかりが返ってくる世界がいずれどうなってしまうのか、ボクたちはいくつも実例を目の当たりにしているわけです。

ボクがよく言うのはできるかぎり「眉間にしわを寄せて作るのはやめようよ」ということです。作り手は眉間にしわを寄せてゲームを作り、遊ぶ人は眉間にしわを寄せてゲームを遊んでいる。ある一時期、ゲームの世界はそういう狭い閉鎖系になりつつありました。作り手はおおらかにゲームを作り、遊ぶ人もおおらかにゲームを遊んでいる。そういう世界で仕事をしたいのですよ。

とある人の名言ですが、「ゲームはバカが作ってバカが遊ぶもの」です。流行ってるものを取り入れるぐらい、軽く、素早く、チャラッと作ってもいいんですよ。実際、ゲームの外の世界の流行りを取り入れて、数ヶ月で作られたソフトがダブルミリオンに到達しようとしているわけでしょう。眉間にしわを寄せてどうするんですかねえ。
ボクは「お茶を飲みながら作って、お茶を飲みながら遊んでもらうのがいいねえ」って、ずっと言っているんですけどね。

Posted by amanoudume at 00:09 個別リンク | Comments (3) | TrackBack(0)

2006年03月01日

ゲームはストーリーよりも日常を描くのに向いているのかもしれない。

物語についての議論

巡回先のとあるエントリーを読んで、なかなか面白い議論だなあ・・・・と思っていたら、よく見るとうちが震源地の1つだったようなので、ちょっと反応しときます。
発熱地帯:『狼と香辛料』→FIFTH EDITION 「物語のトリック」→Something Orange。

FIFTH EDITION 「物語のトリック」

主人公ってのは、一歩歩いたら、地雷が爆発するか、天から隕石が落ちてきて
頭を直撃するような悪運の持ち主でないといけなかったわけだ。
少なくとも、ストーリー漫画の主人公・ヒロインは。
そして、それで助かるのが喜劇スタイルの物語で(少年漫画、バトル漫画といってもいい)
それで死んじゃうのが悲劇スタイルの物語だったのである。

で、なんだけど今日、発熱地帯さんで『狼と香辛料』を読んで、やはり、これが飽きられてしまったのかな、と思い悩んでしまった。

Something Orange 2006-03-01(水)
Something Orange 2006-03-02(木)

リンク先では、村上龍の「全ての物語は主人公が穴に落ちる→穴から這い上がる/穴の底で死ぬという話型で出来ている」ということばを引用し、ほとんどすべての物語がこれに該当することを語っている。
 そして、その上で、このパターンが飽きられはじめているのではないかと懸念を表明する。しかし、ぼくはそれほど心配する必要もないとおもう。
 この物語の基本構造は、単純であるために、強烈な普遍性をそなえている。いまさら飽きられるようなものとも思えない。

FIFTH EDITIONさんは日頃からストーリー系(ドラマ、アニメ、漫画、小説、ゲーム)の未来に強い危機意識を持っておられるので、こういう反応をされるのは至極納得です。確かにストーリー系のコンテンツの売上が落ちているようですし、クリエイターの将来が先細っていく懸念はあります。ぶっちゃけ、ストーリー系コンテンツで10年、20年食っていこうというのは、なかなか覚悟が要る話です。


ゲームはストーリーよりも日常を描くのに向いている

ゲームの話をします。最近、ゲームの本来の楽しみではないストーリーの部分をそぎ落としたライトなゲームが好まれています。DSの大成功が良い例ですが、とても勢いを増しています。一方でストーリ性を追求するゲームは『FF7 アドベントチルドレン』のようにゲーム部分を完全に排除した非インタラクティブな形式に向かっています。また、『ひぐらしのなく頃に』のように選択肢の無いノベルゲームも登場し、選択肢の無いスタイルが広がりつつあります。

いろいろなゲーム系ブログの最近の記事を読んで感じるのは、表現力が上がってくるにつれて、ゲームとストーリーの相性の悪い部分が目立ち始めた、ということです。またボクは、ゲームは「日常」「世界そのもの」を表現するのに非常に適したメディアだと感じています。

ゲームの中で「日常」を表現することにチャレンジしてきたのはいわゆる美少女ゲームです。美少女育成モノには必ずカレンダーがありますし、『To Heart』のようなノベルゲームにさえ存在するわけです。純粋にノベルゲームとしてみれば、カレンダーという形式は不要なのですが、学園生活という日常を描くための演出として外せない物なのでしょうね。逆にいえば、『To Heart』はシナリオの面白さを追求するより、日常を描くことに注力したゲームデザインです。

近年では、『nintendogs』という犬との日常生活をそのまま遊びにしたゲームが全世界で500万本売れ、大成功しています。『どうぶつの森』も村での生活をそのまま遊びにした作品です。MMORPGは数千人で1つの世界を共有し、生活します。
(参考:ポップ・コラム 「死なない子犬と過ごす永遠の時間。ニンテンドーDS『nintendogs』」

『脳トレ』もまた、毎日遊ぶ(トレーニングする)ゲームです。カレンダーにスタンプを押していくという形式は非常に印象的で、1つのスタンダードを打ち立てた感があります。あのカレンダーは、おそらくラジオ体操のスタンプからきているのだと推測しますが、ゲームへのカレンダーの導入は10年以上前に美少女ゲームがやっていたことです。カレンダーは日常の良いメタファーですし、ゲーム進行のテンポとしてわかりやすいんでしょうね。

ストーリー的な起伏を抑えて(あるいは無くして)日常そのものを表現することに特化するという路線は、ここ数年で急速に存在感が確立してきました。ゲーム1.0=非日常、ゲーム2.0=日常という乱暴なくくり方をしても良いぐらいです。ゲームの未来を完全に予想するのは不可能ですが、しばらくは日常ゲームが元気なんじゃないかと思います。


物語は不滅だが、流行り廃りはあるのかもしれない。

・・・・と、物語を否定するような論調ですけど、ボクは別に否定派のつもりはありません。もし否定派なら、あんなに何度もノベルゲームを取り上げたりしません。ただ、ゲームに限れば、今は「日常」派(?)が元気な時代です。数年単位か、あるいはもう少し長い単位での流行り廃りってのはあると思うんですよね。

それと「型」としての物語は不滅でも、メディアの問題があります。例えば、「あずまんが大王」的なもの、4コマ漫画的なものは、普通のストーリー漫画に比べると日常を描くのに適しています。物語の起伏はあまりなくても良くて、日常性を味わいたいというニーズは、いわゆる物語メディアの読み手にも存在します。これは、小説をたくさん読んでいるうちに、筋書きよりもディティールにこだわるようになる事とは別の話です。

けれども以前は、物語の起伏がハッキリした作品を好む人に比べると、少数派だと思われていました。いや実際少数派でしょう。けれども原因は、実は小説や漫画、アニメという非インタラクティブなメディアが「日常」を表現するのに適していないからなのかもしれません。もしかすると、潜在的には「物語の起伏が薄くても、日常性が高いもの」へのニーズがあるのかも。

確かにこの10年を振り返ると、『ときメモ』の構造は『To Heart』に敗れましたし、『To Heart』の構造でさえ物語への欲望の前に押し流されてしまいました。しかしそれは、『To Heart』の構造の問題です。日常を表現するメディアとしてのゲームの適性を、完全に判断することは無理です。日常を表現するという点では、ノベルゲームは最適な形式とは言いがたく、オンラインゲームの方が適していますね。


補足

小説読みを
   ・物語重視派
   ・日常派
   ・ディティール派
と分類できるとしたら、ボクは基本的には「物語重視派」で、最近「日常派」にも片足をつっこんでいる感じです。ディティール派では全然ないです。その域に達するほどには読んでません。例えば、Something Orangeのkaienさんほど、文章にはこだわりませんし、kaienさんの書評を読むたびに、ボクの文章への鈍感さを思い知らされます。

Posted by amanoudume at 22:24 個別リンク | Comments (5) | TrackBack(1)
[story][ゲーム]ゲームは映画や漫画より「面白い」
Excerpt: 『SFを楽しむなら映画よりゲーム』 『発熱地帯: ゲームはストーリーよりも日常を描くのに向いているのかもしれない。』 を読んで。 『[http://d...
Weblog: 煩悩是道場
Tracked: 2006年03月02日 13:43

2006年01月30日

「自意識過剰です」と言えばそれまでですが

「日陰に種は落ちている」の後半に「ゲーム開発者の視線がゲーマーと同じなのが気になる」と書いたのですが、思わぬ反応がありました。正直、あの記事を書いた時にNao_uさんのことはまったく念頭にありませんでした(Nao_uさんのブログは週1程度で巡回していたので、今日ボクの記事に反応していたことに気づきました)。

とはいえ、一般論を書けば誰かには当たるわけで、誰かが「これ、俺のことか? 一応、反応しとこうか」と考えるのは自然ですね。そもそも「一般論」というのは、できる限り多くの人に「これ、俺のことかな」と感じてもらうためのメソッドといえます。ですから、思い当たらない人はスルーすればいいし、思い当たることがある人は反応してくれればいい、と思います。ボクが「一般論」という形式を好むのは、より多くの人に何かを感じてほしいからです。

Nao_uさんの反応にさらに反応するのはやめようかな、とも思ったのですが、1点誤解は解いておきたいと思いました。ボクは別に、ゲーム開発者はブログでゲームの未来やゲームデザインについて語らなければならない、とは考えていません。そんなもん、個人の時間でやってることなんだから、好きにしたらいいと思います。ボクだってエロゲーの話をしたり、ラノベの話をしてるわけですし。

考えていることを全部表に出さないのは当然です。ボクもそうです。基本的にボクは「飯の種」になることは書かないようにしています。ここに書いてるのは、自分が考えたことのうち、出してもかまわないと思っている部分だけ。このブログに書いてあるようなことなんて、ある程度モノを考える人間だったら、誰でも思いつくことばかりです。

「一部のゲーム開発者の視線がゲーマーと同じになっている」と感じたのは、ブログにとどまらず、もうちょっと色々な事象を見てきた結果です。それは例えば、分析といっても「安さ」「実用性(実効性)」以外の要因を挙げられないような人が実際にいることや、脳を鍛えるブームに乗った二番手以降のソフトが『脳トレ』をうまく分析しきれていないことなど、など、など、・・・・。

実際、Nao_uさんに限らず、ブログをつけているゲーム開発者の意識は謙遜されているほど低くないでしょう。少なくとも定期的に考える時間は捻出しているわけですし、ブログ書きは大抵他人のブログの良い読者ですから。

うーん。
自分自身を見つめ直す能力の高い人は、より多くの一般論に反応して、自分自身を高める機会をより多く持ち、一方で本当は反応しなければならない人に限って、一般論を「自分とは無関係」だと思ってスルーしてしまうのかもしれません。難しいもんです。

Posted by amanoudume at 07:11 個別リンク | TrackBack(1)
ゲーム業界人としての視点
Excerpt: 発熱地帯:「自意識過剰です」と言えばそれまでですが 私自身、最近はほとんどゲームをしないので (ギャルゲーだけはやっていますが^^;) 今のコア...
Weblog: 異色プログラマー日誌
Tracked: 2006年01月31日 22:27

2006年01月25日

日陰に種は落ちている

DSで苦戦しているゲームと成功しているゲーム

DSのソフト市場についてネット上の分析を読むと、「従来のゲームは苦戦気味で、新機軸のゲームが売れている」とか、「ゲームゲームしたゲームはパッとしないが、実用性のあるゲームが売れている」といった見解をよく見かけます。

確かにDSはゲームらしいゲームがパッとしません。タッチパネルの導入で新しいゲームを作ろうという試みは、『キャッチ!タッチ!ヨッシー』や『タッチカービィ』などいくつかの例があり、一部のゲーマーから高い評価を得ましたが、それほど広がりませんでした。Web上に転がっているマウスゲームを持ってきたようなゲームも、あまり受けがいいとは言えません(そもそも移動とクリックが分離されているマウスと、一緒になっているタッチペンはかなり違うので、案外持っていきにくいのです)。

タッチパネルの使い方を見ると、既存のゲーム操作をタッチペンで代替しているゲームは苦戦している印象があります。一方、『脳トレ』のように「文字や数字を書く」という動作をそのまま生かせるソフトや、日常的な動作を素直に取り込んでいるゲームが成功しています。
例えば、『たまごっちのプチプチおみせっち』がミリオン。たまごっち人気があってこそ、とはいえますが、実際に遊んでいない人が軽く見ていたりします。「どうせたまごっち(人気に乗っただけ)でしょ・・・・」と判断した人もいたのでしょうね。

ところがボクが発売直後に一通りプレイした感じではなかなか良かった。革新的なゲームデザインはありませんが、「ままごと」感が良く出ていて、素直で楽しい作りです。同様に「ままごと」性をより突き詰めた(と思われる)ゲームとして、タイトーの『クッキングママ』があります。発売されておらず、実際に遊んでいないので、評価はできませんが、「タッチパネルと料理」というのは素直な考え方で、好感がもてます。料理ゲームというと、『俺の料理』が念頭にうかびますが、まだ決定版といえるようなゲームは出ていませんから、ゲームデザインの余地は大いにあるでしょう。


GBA市場に落ちていた種

しかし「ままごと」系ゲームは何も新しいものではなくて、GBAの頃から地味に出ていたんですよね。GBAは女の子の所有率が高いこともあって、女児向けのソフト市場ができていました。職業系のゲーム、占いゲーム、電子手帳的ツール系ゲーム、ペットゲーム、教育系ゲーム(『四角いあたまが丸くなる』など)が出ています。
この市場は、発売直後にしか売れないゲーマー向け(特に男性)の市場とは異なり、棚に置いておけば、じわじわ売れていく傾向があります。また女の子のお客に来てもらうという意味でも品揃え的な価値があります。

しかし一方で、あまり注目されていなかった「日陰市場」だったのも確か。ゲーマーはあまり注目しませんし、ゲーム雑誌もほぼスルーしています。職業系についてはポップ・コラムのモリサワジュン氏が以前取り上げています。さすが。
    ●ポップ・コラム [No.0315] 『まんが家デビュー物語』レビュー
    ●ポップ・コラム [No.0447] DS『まんが家デビュー物語DS』


ところが2005年には状況が一変。ゲーマーが注目し、ゲーム雑誌が特集を組むようなソフトはDSに限らず、2005年を通して元気が無く、それまで脚光を浴びていなかったタイプのゲームの活躍が目立ちました。ペットゲームといえば、『nintendogs』。ままごとゲームといえば、『プチプチおみせっち』。教育系といえば、『脳を鍛える大人のDSトレーニング』『やわらかあたま塾』。電子手帳といえば、バンダイが春に電子手帳ソフトをDSで展開しますね。女児向け玩具をやってるだけあって、ちゃんとわかってます。

後づけの理屈と言われればそれまでですが、DSはGBA時代に地味に続いていた市場に光を当てた、といえます。「種」はGBAの頃にあったわけです。ある日突然、異次元空間から市場がわき出したのではありません。もちろんゲームデザインやクオリティの面で大きな上乗せがあったから成功したのですが。


ゲーム開発者の視線がゲーマーと同じなのが気になる

最近ちょっと気になっているのは、一部のゲーム開発者の視線がゲーマーと同じになっていること。
年末にちょっと書いたんですが、『脳を鍛える大人のDSトレーニング』のゲームデザイン的に優れている点がネット上で全然言及されていなかったんですよね。まぁゲーマーが注目しないのはわかりますし、ふだんゲームデザインについて熱く語っているような人でも、結局は理論武装したゲーム大好き人間ですから、取り上げないのもわかります。お客さんは好きなゲームを語ればいい。

ただ、ゲームで飯を食っているプロのゲーム開発者が、ゲーマーやゲームデザイン論者と同じ視点というのはどうなんでしょうか。そりゃ『ワンダの巨像』はたぶん素晴らしいゲームでしょうし、『龍が如く』も思っていたよりずっと良い出来でしょう。他にも、ゲーム開発者がオススメするゲームはいくつもあります。が、どれもこれもゲーマーと何も変わりません。おまけに「いいゲームなんだよ」「ネットでの評価も高いんだ」とか言っちゃう。まぁ、出来が良いけど売れないゲームを他人に薦めたい気持ちはわからなくもありませんが・・・・ゲーマー心理だよなあ。

「ネットで評判」って、いったい誰に評判なんですかね? 『メテオス』の頃から言ってるんですけど、ゲーム系ブログで絶賛されたところで、そんなに広がりはしないんですよ。毎日ゲームをやっているような人が、毎日ゲームについて書いているブログを巡回しているだけの、そういう狭い世界じゃないですか。
毎日ゲームについて書いているブログと、ふだんゲームについて書いていないブログでは、取り上げられた時の意味も効果も全然違うわけです。ゲーム系ブログに注目されていないソフトのほうが世間では売れていたりします。ボクは「注目されなかったら、むしろ喜んだほうがいいよ」と言っているぐらいです。

ネットの評価も1つの評価ですから、無視しろとは言いません。ありがたいものです。でも仮にもプロが同じ視点しか持てないのだとしたら、そりゃゲームが売れなくなっていくのもわかります。ボクは、プロというのは「より多様なユーザーの視点を持つ」べきだと思います。ゲームを作りたいなんて人間は、そのままでも世間から見れば、十分ゲーオタだし、ゲームに精通してるんです。どれだけ精通しているかを誇るのは素人のやることでしょう。
ゲームが売れないと嘆くあなた、今あなたはどこを見てますか? 『ブルーオーシャン戦略』を買ったあなた、どこを見てますか? 日向ですか、日陰ですか? 

補足
『脳トレ』については、新年早々、ポップ・コラムのモリサワジュン氏が取り上げました。さすが。 日本人だけに許された脳力鍛錬アイテム 『もっと脳を鍛える大人のDSトレーニング』
Posted by amanoudume at 02:22 個別リンク | TrackBack(2)
モリサワジュンがべた褒めされている件について
Excerpt: マラカス電気科学所属のモリサワジュンくんが「発熱地帯」というサイトでべた褒めされている様子。 発熱地帯: 日陰に種は落ちている  http://amano...
Weblog: KQZ on authentic
Tracked: 2006年01月26日 11:33
DSの売れてるゲームの話
Excerpt: かとユー家断絶のリンクから。 発熱地帯:日陰に種は落ちている 計算力が必要なゲーム  DSのゲームはユーザーに必要な能力が違うように思う。  一般的な...
Weblog: ヒゲのある生活
Tracked: 2006年01月28日 11:02

2006年01月21日

DS用「WiFi USBコネクタ」が売れているらしい

「WiFi USBコネクタ」がアマゾンで売れまくっている

ネット販売専門の「WiFi USBコネクタ」の販売が好調らしいですね。
「WiFi USBコネクタ」は無線LANルータを持っていない人がPCに接続することで、WiFiコネクションのアクセスポイントになる装置です。無線LANルータも安くなっているとはいえ、DSのWiFiコネクションを遊ぶためだけなら、これで十分といえます。
WiFiコネクション対応の『おいでよ どうぶつの森』と『マリオカートDS』が堅調に販売を伸ばし続け、『おい森』に至っては150万本を越え、累計200万本突破も現実感を増してきたわけですから、人気が高いのは当然なのかもしれません。

Amazonがアフィリエイター向けに売れ筋の商品を紹介するブログ「Amazon アソシエイト・プログラム ブログ」でも、
売れてます!ニンテンドーDS用「Wi-Fi USBコネクタ」と紹介していました。


今後のWiFiコネクション対応タイトルは?

WiFiコネクション対応タイトルは去年発売された『おいでよ どうぶつの森』と『マリオカートDS』に加え、19日に発売されたタイトーの『ロストマジック』で合計3タイトル。1月26日発売予定のセガの『BLEACH DS』、3月発売予定のマーベラスインタラクティブの『コンタクト』など、サードパーティ製のソフトが続くようです。


しかしWiFiコネクションに対応するソフトがどれか、どこかにまとまってないものか。
Wi-Fiコネクションの公式ページも任天堂発売の2本しか載ってません。うーむ、対応予定ソフトのリストぐらい載せてもいいのでは。さほど高くないとはいえ、周辺機器を買うユーザーにとっては、それを買うとどれぐらいたくさんのソフトで使えるかは重要なポイントなわけです。


PC系オンラインゲーム会社からも熱い視線!

WiFiコネクションといえば、PCを中心にオンラインゲームを展開していたガンホーの森下社長も、インタビューの中で2度にわたって言及するほど。
ガンホー代表取締役社長森下一喜氏インタビュー

世間ではニンテンドーDSが好調ですが、Wi-Fiなどの無線サービスがこれからも大きくなっていくのであれば、ガンホーとしてはハードを選ばず展開していきたいと思っています。
(中略)
私たちは非常にチャンスを感じています。私たちが提供するのはコンテンツなので、ハードは何でもいいわけです。ゲームアーツでは実際にDSのソフトの開発もしていますし、我々としてはあくまでも仮の話ですが、「グランディアオンライン」のミニバージョンや外伝のようなコンテンツをDSに提供してもいいと思っています。我々としてはこういった環境はすごくうれしい話です。素直にこの環境を歓迎したいです。
しかしそれも当然かもしれません。ボクの認識違いでなければ、日本においてオンライン対応タイトルで、ミリオンを越えたソフトはこれまで存在しませんでした。そこに昨年末、『おいでよ どうぶつの森』と『マリオカートDS』が出てきました。『おい森』は150万本を突破して、200万本も見えつつある勢い。(モバイルGB対応の『ポケモンクリスタル』は除いてます)

年頭の記事でふれたように、今や携帯ゲーム機(DS)はPC、携帯電話に続く有力なオンラインゲーム・プラットフォームとして台頭しつつあります。ビジネスモデルの方向性が違うとはいえ、やはり無視はできないでしょうね。

XBOX360はビジネスモデルとしては、PC系のオンラインゲームと親和性が高いものの、国内での普及が厳しい状況では参加するメリットが薄くなっているのが実情。今オンラインゲーム各社はとにかく参加ユーザーを増やしたいと考えていますから。コミュニティへの参加者数がパワーになるという考え方は、Web2.0でもオンラインゲームでも同じです。

Posted by amanoudume at 15:36 個別リンク | TrackBack(1)
【雑】ニンテンドーと通信とどうぶつの森
Excerpt: 相方にゴネられてワールドホビーフェアいけなかったキトリですこんにちは。(つД`) 目的はもちろん「おいでよどうぶつの森」のイベント限定すれ違いアイテムの...
Weblog: 喜鳥庵 -MMO体当たり日記-
Tracked: 2006年01月23日 12:09

2005年12月26日

ゲーム業界に広がる新潮流


ITmedia: ニンテンドーDS本体は500万台を突破――ソフトは4本がミリオンセラー

DSの実売台数が500万台を突破し、GBAの14ヶ月、PS2の17ヶ月を塗り替えて、500万台突破の最短記録を更新したそうです(出荷台数は544万台)。また『nintendogs』、『脳を鍛える大人のDSトレーニング』、『やわらかあたま塾』、『おいでよ どうぶつの森』の4本がミリオンを突破し、10年ぶりにライトユーザー市場が活性化したことを証明しました。(記事では、プレゼン資料の写真が掲載されていて、Touch Generations!の女性比率、年齢構成がわかります)

一方、今年はマニア層向けの続編が売上を落としています。ブルーオーシャン市場の急成長とレッドオーシャン市場の競争の激化の両方が起こった一年でした。また北米市場でも市場縮小の兆しが見られ、楽天的な成長神話が崩壊し、レッドオーシャン化が懸念されるようになりました。

ここ最近、ゲーム産業の人々の間で、ゲーム業界におけるイノベーションのジレンマ、ゲーム業界におけるブルーオーシャン戦略についての言及が増えています。しかも日本だけの話ではなく、欧米やアジアの業界人もイノベーションのジレンマやブルーオーシャンについて語り始めています。

    ●Life is beautiful: 図解、イノベーションのジレンマ
    ●4gamers: 基調講演でKim Hakkyu氏が強調した「ゲームとBlue Ocean戦略」とは?
    ●NINTENDO INSIDE: 米国任天堂Reggie Fils-Aime副社長Gamers Summit講演要旨
    ●Intermezzo「スクウェアエニックス株主総会レポート」

また、FIFTH EDITIONさんの「ゲーム業界のイノベーションのジレンマ」が非常に面白いので、ぜひご一読ください。実際にゲーム業界の「戦略キャンバス」を描いて、ゲーム業界の開発の方向性の問題点を指摘しておられます。

(戦略キャンバスは当然他の描き方もできますし、次世代ゲーム機の比較検討を行ってもいいでしょうし、アクションやRPG等の各ゲームジャンルでの自分のタイトルの戦略キャンバスを描いて、どの部分を重視するかを決める役に立ててもいいでしょう)

で、この戦略キャンバスの何がまずいかっていうと
既存市場で売れるソフト作ろうと思ったら、
グラ、ストーリー、広告、キャラ、ゲーム性とかの
金のかかる部分にコストをつぎこまないといけなくて。

しかも、戦略キャンバス自体がどこも似通っているから
どのソフトも似たり寄ったりになるのは避けられないんですね。

言いたいのは、もうグラや広告や、ゲーム性とかに
金を使うのやめて、他の新しいポイント作り出して
そこで勝負しなよ、と。

2ちゃんやブログはゲームみたいなもんです。
エンタメってのは、「暇つぶし娯楽」ですから。
暇つぶしになればなんでもいい。

コストをかけるべきでない部分として、グラフィックのみならず、「ゲーム性」を挙げています。そこが一番面白いと感じた部分です。で、今後力を入れるべき部分として挙がっているのが「コミュニケーション」。ボクはこの意見に同意します。と書くと、ちょっと誤解を招きそうですね。怒る人もいるかな?


ゲームの評価の外部性

この辺は「忘年会の前振りについて」で触れた「ゲームの評価の外部性」とも関係します。
最近のゲームは、プレイヤーへのごほうびと評価という部分のコストが上がりすぎました。ストーリーと付随するムービー、アイテムやステージや隠しキャラなどのやりこみ要素。ある時点において、こうしたボリューム感は市場で成功するために必要でした。しかし今や、ボリューム感は疲れたゲーマー、時間の無いゲーマーにとって、マイナスに働くことさえあります。できる限りゲームの内部でごほうびと評価を与えようという路線は行き詰まってきました。

その逆に評価を外部化することで、ゲーム内の評価を簡略化したソフトが今年、市場で大きな成功を収めています。例えば、『DSトレーニング』の脳年齢は、ゲーム内の仕組みとしては昔ながらのただのスコア制です。ただし川島教授によって、脳年齢という数値に「ただの数値じゃないよ」という保証が与えられています。そこの部分が外部化されているから、ゲーム内は極めてシンプルなのですね。今時ゲームを練習して、ハイスコアを取ることに夢中になる人はほとんどいません。しかし脳年齢なら、毎日プレイします。

『nintendogs』は犬のかわいらしさや、犬を通した家族/友人とのコミュニケーション、すれ違い通信によって、プレイヤーへのごほうびと評価が与えられます。『どうぶつの森』はさらにコミュニケーションに比重のあるソフトです。ゲームの評価の外部性という点では、「実用性」と「コミュニケーション」の2つが大きな保証ですね。
ゲームの評価の外部化というのは、Classic 8-bit/16-bit Topicsさんの「ポストモダン化するコンピュータゲーム」の中の以下の箇所に近いと思います。

これまでのところ、日本における脱ゲームモデル志向のゲームデザインはとりわけ「数値化可能な結末」を遠ざける方向、つまりコスティキャン流に言い換えるなら、「ゲーム」と「玩具」の境界領域を目指して突き進んできました。近年では「いっそゲームでなくしてしまったほうが面白いのではないか」というようなラディカルな意見さえ散見されるわけですが、思うにこの域に達した脱モデル化志向こそが、ゲームにおけるポストモダニズムなのではないでしょうか。
まぁ評価の外部性という点では、てくてくエンジェル(万歩計ゲーム)の歩数とか、アーケードのダンスゲームの他人に見られる快感とか、先例は当然あります。どちらも多くのライトユーザーを取り込んだゲームという点で共通です。単純に言ってしまえば、ファミコンブームの頃ならゲームが上手くなることに価値を見出した人が大勢いたけど、今では一部の人しか価値を感じないから、ライトユーザーを取り込むなら、プレイの評価の外部化が重要になります。


オンラインになってくると、ゲーム性を無理につかわなくても楽しませることができる

もう1つ。特にPS1以降、「ゲームらしくないゲーム」という路線が明確になってきたわけですが、そういうゲームはゲームクリエイターブームに乗って一時期は受けたものの、やがてちっとも売れなくなりました。まあ熱心なゲーマーに言わせれば、「結局、格好だけで中身が無かった」とか「所詮くそゲーだったから」ということになるのでしょうし、その指摘はかなり正しいと思います。

やはりディスクにあらかじめ入れる、プリメイドなコンテンツで何とかするという点については、いわゆるゲームの持ってるノウハウや方法論は大したものだと思うんです。ジャンルが様式化されていることも大きいでしょう。ファミコン20年の歴史、蓄積は馬鹿にはできません。

ただ一方で、オンラインになってユーザー自身がどんどんコンテンツを生み出す側に回っちゃうと、そっちの方が面白い。そのことにもう多くの人が気づいているんですよね。例えば、比較的プリメイド性の強い『MGS』シリーズを手がけている小島氏にしても、こう述べています。
国際シンポジウム「インタラクティブ・エンタテインメントの歴史と展望」

小島氏: あくまで個人的な話しなんですけど、ユーザーの皆さんにゲームを楽しんでもらうために、ゲームを作っているんですけど、僕らが敷いたレールよりも、2人で対戦したり、オンラインで何百人と楽しめる方がどうしたっておもろいんですよ。それを実感したくなかったんですが、(開発している間に)わかってしまいました。
色々な人と話すんですけど、オンラインになってくると、古い意味でのゲーム性を無理につかわなくても楽しませることができるというのは、もうみんなわかってるんですよね。それを認めたくないという人はいるんでしょうが。(無論、オンラインゲームのゲーム性がゼロというわけではありませんが、かなり薄いし、古典的な意味でのゲーム性がありすぎると、マイナスになることもあります)

「2chの方がゲームしているより面白い」と言われ、ヤフー、グーグル、はてな、楽天といったWebサービスが人々の生活に浸透した今、面白ければそれでいいんですよ。別にいわゆるゲームでなくても全然かまわない。まあとりあえず「ゲーム」という名称で売られるけれども、中身はコンピュータを使った何かでいい。本当はもう、コンピュータエンターテインメントとか、インタラクティブメディアといった方がいい。そうでないと、Webとゲームは違うとかいう、よくわからない話になる。皮膚感覚や実態に理屈が追いつかないのは世の常とはいえ・・・・。

まぁただね、ゲーム屋にも悩みはあるわけです。だってゲーム屋がゲームを捨ててしまったら、何の取り得が残るのか? これまで蓄積したゲームのノウハウは武器ですからね。やはり武器は有効に活用したい。それを使って、何をしようか、どうしようか、というのが現状でしょう。今まさにそういう状況だということを、かなり多くの人が感じ始めています。イノベーションのジレンマとか、ブルーオーシャンという言葉が頻繁に出てくるようになったのも、そのせいでしょう。

追記
あれれさんからトラックバックをいただきました。
狭義のゲームデザインからコミュニケーションデザインへの展望を描き、今後ゲームデザイナーの間で議論が深められるべき道筋を示したすばらしい記事です。
ゲームデザインのこれから(12) コミュニケーションデザイン

Posted by amanoudume at 18:40 個別リンク | TrackBack(2)
ゲームデザインのこれから(12) コミュニケーションデザイン
Excerpt: 発熱地帯: ゲーム業界に広がる新潮流 当ブログを見るような人は発熱さんも巡回コースに入っていると思うので、紹介する意味も無いと思いますが、この1年を総括す...
Weblog: ゲームのマボロシ
Tracked: 2005年12月27日 02:59
オンラインゲームを突き詰めると
Excerpt: 昨年末に書いてた「ゲームの本質シリーズ」でしたが、ちょっと大げさなタイトルだと前々から思っていたのでw、今回からはずします。オンラインゲーなんだけど、これ...
Weblog: ゲームつくりたい
Tracked: 2006年01月02日 17:51

2005年12月24日

忘年会の前振りについて

毎年、忘年会が終わった後の反省が1つあって、それは「全員と話せない」ということです。割と1人の人とずっと話していることが多いため、後で「話ができなかったのが残念です」と感想をいただくこともあります。まぁ忘年会といっても、酒を飲む機会がほしいとか、他の面子に会いたいとか、業界人同士の集まりに参加したいとか、参加理由は人それぞれ色々あるはずですが、人によっては「DAKINIと話がしたい」の比重が大きい人もいらっしゃるわけで、そういう人全員とお話できないのは本当に申し訳ない。orz

一応、今年は「DAKINIと話をしたい人」全員とお話しするのを目標にしたいかな、と考えています。そのため、途中で席を替えることもしばしばあるかもしれませんが、話に興味が無くなったというような理由ではないので、ご容赦いただきたいです。まぁ、そうは言っても、話に熱が入りすぎてると、席の移動なども忘れてしまいかねないので、もしそんな状況になったら、話をしたいとお考えの方は積極的に寄ってきていただければ。

毎度till dawnではあるので、時間はあるといえばあるのですが、初めてお会いする人でそこまでつき合おうという人はなかなかおられないし、今年は開催が早くてまだ仕事納めになってない人もおられると思うので、1次会ではなるべく初めてお会いする方々とお話したいと思います。

忘年会の前振り?

さて、せっかくなので、忘年会での話題の前振りを2つほどやっておきます。
1つは国内マーケットの活性化と北米市場の衰退の兆しについて。もう1つはWeb2.0について。
実は今回忘年会を開くにあたって、「いわゆるゲーム屋さんではない人と、Web2.0とゲームについてお話しする」機会になればいいなあ・・・・と密かに思っていて、それで募集の文にも「Web2.0な人でも」とわざわざ入れておいたのですが、まさに願望かなったり。一番楽しみにしています。

説明&解説は一切抜きで、話題だけあげときます。一応、この辺は前提としておきたいなあ、という意図です。

●国内のマーケットが活性化してきた。
    - ライトユーザーを中心に「据置→携帯」のシフトが起きた。
         ・DSは年内に累計500万台突破がほぼ確実(発売から1年と1ヶ月)。
         ・『おいでよ どうぶつの森』は年内100万本ほぼ確実。
         ・『DSトレーニング』は年末年始でミリオン突破確実。
         ・『アソビ大全』はすでに20万本を優に突破している。
    - ライトユーザーの関心は「コミュニケーション」と「実用性」。
    - 年末のDSの爆発的な売上は、来年の潜在市場を生み出した。
     このライトユーザー市場に2本目、3本目のソフトを買ってもらう競争が起こる。
    - マニア層向けの続編タイトルの売上が落ちてきている。
     特に最後の牙城だったRPGでも、売上の低下が見られる。
     スクウェアエニックスの上半期決算で、ゲーム部門が赤字だったのは象徴的。

●北米市場が縮小の兆しを見せた。
    - 2005年の年間合計ではまだ縮小していないかもしれないが、
     9月〜11月の3ヶ月連続で大幅な前年度割れを起こしている。
    - 北米でタイトルの選別が厳しくなっている。
     XBOX360向けソフトはタイレシオは約4本でかなり売れた。しかしリッジは9000本だった。
     (初期ユーザーはPCゲーマー層が多いことや、バンドル効果が大きいことも
     考慮に入れなければならないが、いずれにしても日本のゲーム会社が北米で
     EA等の海外パブリッシャーよりも不利な戦いを強いられるのは確か)
    - 成長神話を力強く主張していたEAでさえ、とうとう落ち込み始めた。
    - 欧米のパブリッシャーはまだ目線がゲームに捕らわれている。「アップル効果」を軽視しすぎ。
     PSPが失速→XBOX360待ち。年末商戦不調→PS3待ち。
     「お客はゲームを欲しがってる。売れないのは別のゲーム機を欲しがってるから」理論。
    - 年率1割減が4年続けば、市場規模は6割強になる。
     市場が縮小するとき、いったいどういう事が起きるのか?を日本のゲーム会社は
     すでに学んでいる「はず」であり、適切なオペレーションを取ると「信じたい」。
    - 「国内市場+北米市場」で回収するつもりの大型案件は、非常にリスキーになっている。
    - XBOX360が出荷不足だったため、結果的にXBOX360のソフト市場の立ち上がりは
     ゆるやかになる。来年前半の据置ゲーム市場は、期待を下回る結果になるかもしれない。

●Web2.0とゲームデザインとポストモダン?
    - まず前提。
     「これからはゲームもWeb2.0」は誤読の極み。すでにWeb2.0。
     流行ってるから取り入れよう、ではない。
     今すでに起きている変化を、うまく表現できる言葉だから使っているだけ。
     ネットゲームも、ネットサービスの1つなのだから、ネットの変化と無縁ではない。
    - Web2.0企業が「Web2.0」という言葉が出てくる前から、存在し、成功したように、
     Web2.0ゲームも、Web2.0ゲームサービスも、すでに存在している。
    - 元々Web2.0という言葉がなぜ流行ったか。
     世の中の色々な変化が肌で感じられた。しかも従来ならリンクしなかった分野が
     ネットを通してリンクするようになった。例えば、iPodはAVプレイヤーだが、
     iTunesはPCクライアントで、iTunes Music StoreはWebサービス。
     「皮膚感覚」ではわかるのだが、言葉が無いと、議論しにくい。
     そこにちょうど「Web2.0」という言葉がはまった。
     現状ではバブル化してきているが、最初からバブルだったわけではない。
     バブル性に目を奪われて本質を見失うようでは、バブルに流されてる人と大差ない。

    - ネットでの最新の話題としては『おいでよ どうぶつの森』。
     E3での発表以降、mixi的と言われてきたが、色々な人が言及を始めている。
         ・どうぶつの森ってなんでこんなにおもしろいわけ?・ネットワーク編
         ・どうぶつの森ってなんでこんなにおもしろいわけ?・共生編
         ・今度こそ「どうぶつの森 2.0」実現か。ネット対応『おいでよ どうぶつの森』
         ・古典だから仕方ない
         特にいしたにまさき氏は『おいでよ どうぶつの森』について、連日エントリーを
         書かれていて、しかも考察が鋭く、面白い。時間があればすべて読んだほうがいい。
         しかしゲーム開発者やゲームデザイン学を研究している学生さんが
         書いたブログよりも、Web2.0系な人の書いた記事のほうが、よっぽど
         鋭いことを書いているという現実。古きを愛する心を否定はしないが、
         「Web2.0なんてバブルだ、ブームだ」と噛み付く前に、もうちょっと
         やることあるんじゃないの?

    - オープンなネットワークはすでにあった。しかしmixiのようなSNSが出てきた。
     小さくてクローズドなネットワークだという人もいた。しかしmixiは会員が200万人を超えた。
     オンラインゲームはすでにあった。MMORPGもあった。
     しかし『おいでよ どうぶつの森』が出てきた。
    - ユーザー層の広がりが面白い。
     従来から根強いファンはいたが、ファン&ライトユーザー→コアゲーマーの流れが見られる。
         ・【西村博之】「おいでよ どうぶつの森」に見る次世代ゲームのありかた
         ・また君か。 「ゲーオタ同調圧力」
         (また君か。さんはある意味対極にあるXBOX Live!とWiFi Connectionを
          両方こなしている点で希少で、面白く読ませていただいてます)
    - 2chでWiFi板が立った。
     小さくてクローズドなはずのネットワークが、大きくてオープンなネットワークの
     住民を取り込んでいる。

    - Web1.0→Web2.0の変化で見逃せないのは、Webがよりリアルに近づいたこと。
     Web1.0の時は、リアル(現実)とネット(仮想現実)の距離が遠かったし、そこが受けた。
     Web2.0では、よりリアルに近い部分に人が集まり出した。
     より生活に密着したことで、多くの人の「感覚」が変わった。この「皮膚感覚」が重要。
         ・mixi (SNS)のような社会性をもったネットワークサービス
         ・ブログが履歴書
         ・アフィリエイト等によるネットで稼げる手段の充実化
         ・携帯電話のようなデバイスによる、いつでもどこでもインターネット
         ・ネット通販の成長

    - ここ最近のゲームの変化もじつは「皮膚感覚」としては同じ。
     ネットゲームも、完全な仮想世界を構築しようというMMORPGから、
     よりソーシャルでよりリアルに近いタイプのネットゲームにシフトしている。
    - テレビ画面の向こう側へ「没入」していく路線のゲームは元気が無くなっている。
    - ゲームの評価を外部に求めるタイプのゲームに未来を感じる。
         ・『脳を鍛える大人のDSトレーニング』の脳年齢
         ・『nintendogs』のワイヤレスコミュニケーション。犬かわいいよ、犬。
         ・『おいでよ どうぶつの森』のコミュニケーション全般。
    - かつてのダンスゲームブームにも言えるが、ライトユーザーを取り込む上で、
     ゲームの評価の外部性は重要。
    - 「ゲームを練習して上手くなることに喜びをおぼえる人」はほとんどいない。
    - ゲームの評価の歴史
         ・スコアによるスキル評価
            →うまい人と下手な人の分化。ゲームが上手い事が自慢にならなくなった。
         ・プレイ時間評価
            →ストーリーの導入やRPG的なシステム、アイテム等の収集など、
              長い間うまくいったが、開発コストの増加が避けられなくなった。
              もっと美麗な映像表現、もっと長大なストーリー、もっと大量のアイテム・・・・。
            →ユーザーの年齢が上がるにつれて、時間がかかることが忌避され始めた。
         ・金銭評価
            →カード式のアーケードゲームや、アイテム課金制のオンラインゲーム。
            →上流と下流の分化にはマッチするが・・・・。問題も多い。
    - ゲーム内でプレイヤーに評価を与えようとする路線が行き詰まってきたため、
     ゲームの外に評価を求める流れは、少なくともしばらく継続すると思われる。

*おまけ
ボクの「ゲームデザイン・オブ・ザ・イヤー」はダントツで『脳を鍛える大人のDSトレーニング』ですね。
しかしこのソフト、ゲームデザイン的に優れている点がネット上で全然言及されていないような気がします。ゲームについて語りたがる層と実際に購入している層がズレているといえば、それまでなんですが。そのうち誰か書くだろうと思っていたのに誰も書かないし、年内に書いておかないとダメかなあ・・・・。

Posted by amanoudume at 16:29 個別リンク | TrackBack(2)
2006年、自分のブログに目標を設定してみる。
Excerpt: 去年を振り返るがまだぜんぜん終わっていないのですが、今年のブログの目標を設定した
Weblog: 日本全国・見たいもんはみたいぞの会ピヨピヨ
Tracked: 2006年01月02日 02:33
R25にどうぶつの森エヴァンジェリストとしてコメントさせていただきました。
Excerpt: 1月19日配布のR25にどうぶつの森エヴァンジェリストとしてコメントさせていただ
Weblog: 日本全国・見たいもんはみたいぞの会ピヨピヨ
Tracked: 2006年01月22日 14:15

2005年12月04日

ゲーム業界人の間に広がる「ブルーオーシャン戦略」

ゲーム業界人の間に広がる「ブルーオーシャン戦略」

少し前に紹介した「下流社会」が割と売れていて、紹介した甲斐があったなあと思ったので、また1冊紹介したいと思います。
最近、あちこちのブログで「ブルーオーシャン」という言葉を目にする機会が増えていますよね。大雑把に言ってしまえば、ゼロサムゲーム的な消耗戦的な競争が続く既存の「レッドオーシャン」ではなく、イノベーティブで競争のない新しい「ブルーオーシャン」で勝負すべきだ、という内容です。

ゲーム業界の人でも読んでいる人が増えていて、オンラインゲーム「グラナダ・エスパダ」の開発者Kim Hakkyu氏や、米国任天堂の副社長Reggie Fils-Aime氏が講演の中で取り上げています。
    ●4gamers: 基調講演でKim Hakkyu氏が強調した「ゲームとBlue Ocean戦略」とは?
    ●NINTENDO INSIDE: 米国任天堂Reggie Fils-Aime副社長Gamers Summit講演要旨

同氏はまず,「例えば,あるMMORPGのクエストが100個以上だと発表すれば,ほかの会社は200個以上だと言うとか, またマップが数Kmに達するゲームだと言えば,ほかの会社はそれ以上のサイズを企てるといったことは,結局全員にとって非生産的な出血競争に過ぎないのです」と述べ,「くだんの書籍で,作者はそんな無意味な競争をRed Oceanと表現しました。そしてそれと相反する状況,すなわち誰も考えつかなかった新しい分野で,競争相手なしに高い成果を得ることがBlue Oceanです」と,とても易しく説明する。

この5年間、「イノベーションのジレンマ」や「ブルーオーシャン戦略」のような本が注目されてきた要因は、結局のところ、アジアが市場としても競争相手としても台頭してきたからなんでしょうね。もう1つは、チープレボリューションによって、誰でも同じような品質の物を作れるようになってしまったことです。
    ○単純な品質向上では(消費者から見て)差がつかない
    ○価格競争が起きやすい
そのため、新しい市場の創造によって企業を成長させよう、という主張が強くなってきたわけです。

また、新しい市場を生み出すのは、必ずしも「技術革新」だけの問題ではない、という指摘も出てきています。そうした「技術はあるが、生まれていなかった市場」を生み出した過去の戦略を分析して、ポイントを整理したものがつまり「ブルーオーシャン戦略」ということになるわけです。

まぁそれをゲームデザインに適用すると、「テトリスの10年」の話につながってくるような気もします。
    ●ゲームのマボロシ 「ゲームデザインのこれから(8) 材料はあるがレシピが無い」
    ●Classic 8-bit/16-bit Topics 「テトリスの10年」

Posted by amanoudume at 00:15 個別リンク | TrackBack(1)
[メディア]ブルー・オーシャン戦略購入
Excerpt: ISBN:4270000708:detail 発熱地帯さんでオススメされていたブルー・オーシャン戦略を購入。 まだ100ページも読んでないのだけれど...
Weblog: dede’s external memory
Tracked: 2005年12月10日 03:30

2005年11月27日

押し寄せる無料ソフトウェアの波

マイクロソフトに押し寄せる無料ソフトウェアの波

    ●マイクロソフト、広告を新たな収益の柱に
    ●「サービス化の波に備えよ」--ビル・ゲイツによる話題のメモを全文公開
    ●「マイクロソフトは広告ビジネスに賭ける」、バルマーCEO

マイクロソフトがWeb2.0の波を無視できなくなり、広告で収入を得るビジネスモデルの 「Windows Live」「Office Live」を発表したことは、みなさんご存知の通りです。現時点では詳細が発表されていないものの、XBOX Liveもまた、広告型のビジネスモデルを導入することを検討しているそうです。

ここ2年ほど、米国のIT産業を中心に「グーグルOS」論が台頭していました。
マイクロソフトの収益源はWindowsとOfficeの売上です。OSやアプリを販売するビジネスモデルのマイクロソフトにとって、無料サービスはビジネスを破壊する天敵です。広告を収益源とするグーグルがWebからデスクトップに無料のサービスを浸透させていくことで、マイクロソフトは自社のビジネスの根幹を脅かされました。

もちろん冷静に考えて、Officeの機能を代替するほどの巨大なWebアプリは現実的とは言いがたいです。またグーグルがクライアントPC用のOSを開発したり、販売することもおそらく無いでしょう。しかしその一方、はたしてOfficeほどの機能が必要なのか? という疑問があります。PCが広く浸透した結果、PCが「仕事」から「生活」「娯楽」の領域に浸透しました。その新領域では、人々は重くて高機能なアプリを使う必要がありません。メールが読めてブラウザが動けば、十分なわけです。さらにiTunesが動けば、音楽ライフも十分です。

PCのビジネスにおいて、インテルやマイクロソフトは最も利益の高い部品(CPUとOS)を支配し、それ以外の部品を他社にまかせました。PCメーカーは価格競争で苦しみ、IBMはPC部門を中国企業に売却しました。マイクロソフトにとって最も脅威なのは、Windowsに対抗するOSではなく、「OSなんて、どれでも変わらない。大切なのはWeb上のサービスだ」という世の中になることです。付加価値の中心がWebサービスに移ってしまうことが、最も怖い変化なのです。

ボクが記憶している限りでは、日本にブログが伝播した当初、真っ先にブログに飛びついた先進的なブロガーの人たちでも、ブログが一般に浸透するかどうかは疑問、という見解が少なくなかったはずです。確かにブログツールを自分でインストールするのは敷居が高い状態でした。
しかしブログのホスティングサービスが始まると、ユーザーはあっという間に増加していきました。ホームページビルダーのようなWebページ作成ツールを買わなくて済み、FTPクライアントで転送せずに済み、過去ログの管理などの苦労が軽減されたからです。無料サービスが有料のクライアントアプリを駆逐する実例といえます。

無料ソフトウェア(サービス)の波の脅威については、FPN 「Googleはネット世界の創造神なのか破壊神なのか」でも非常に面白い指摘をしておられます。

ゲーム機ゲーム会社に押し寄せる無料オンラインゲームの波

オンラインゲームは急速に「無料化」の方向に進んでいます。無料+アイテム(アバター)課金という形ですね。
    ●韓国のカジュアルゲームの台頭
    ●無料MMORPGの台頭

月額会費を支払ってくれるマニア層は限られていて、より多くのユーザーを獲得するには「無料」「軽いゲーム」で、金銭的/時間的な敷居を下げる必要がある、ということをオンラインゲーム各社は悟ったのです。
またコミュニティを育てる重要性がますます認識されています。ポータルサイトとブログやSNSを連携させる動きが活発になっています。参加者を増やして、コミュニティを大きく育て、コミュニティ内で流通する付加価値から収益を上げる。それが最も現代的なオンラインゲームビジネスです。

これは極めてWeb2.0的な方法論ですね。スクウェアエニックスの和田社長が中間決算発表の席で、Web2.0を引き合いに出して、コミュニティから収益を得るビジネスに転換する、と宣言していましたが、今やオンラインゲームの世界において、Web2.0的な考え方は常識となりつつあります。

無料ゲームの浸透は、有料ゲームを基本とするゲーム機ゲームのビジネスを破壊し得るものです。実際、オンラインゲームを遊ぶのは大人のマニアだけという時代は過去の物になり、主婦層や小中学生への無料オンラインゲームの浸透は軽視できなくなりつつあります。また、無料+アイテム課金というビジネスモデルは、「中流」→「上流」「下流」と階層化の進む今の市場にマッチするものです。(参考:下流社会

無料のサービスが有料のパッケージビジネスを縮小させていく(完全な消滅は無いとしても)という流れは、IT産業でも、ゲーム産業でも、起きている現象です。ゲーム機メーカーやゲーム機ゲーム会社の人たちは、マイクロソフトが10年ぶりの方針転換を宣言した時、どう思ったでしょうか?

「おやおや。マイクロソフトもようやく時代の変化に追随してきたね。それにしてもノロい。まるで亀だね」ですか?
「ついにマイクロソフトが本気になったか。ぐずぐずしてはいられないな」ですか?
「ふ−ん。あっちは大変ですなあ。マイクロソフト必死だね(藁」ですか?
「サービス化の波? 何を寝言いってんだ。所詮ブームだよ、ブーム」ですか?

ゲーム機の牙城は堅固だが・・・・

ゲーム機の世界は、PCに比べると、非常によく囲い込まれていますから、守りが堅い、変化の速度が遅いのは確かです。同じPCの上でぶつかり合うグーグルとマイクロソフトと違い、PC(ケータイ)とテレビではプラットフォームが異なりますし、何よりロケーションが異なっています。テレビの前に家族が並んで座っている光景は簡単にイメージできますが、PCを家族が囲んでいる様子は想像しにくいです。

そのため、ゲーム機ゲームの方がゆるやかに縮小させられていくはずです。
ハードウェアとしてのゲーム機が無くなるとは思いません。ただしロイヤリティを中核とするゲーム機ビジネスは衰退するでしょうし、ゲーム機向けのソフト市場や、提供タイトル数、ユーザーのプレイ時間といったものは大幅に縮小していき、ゲーム機向けのビジネスは縮小するでしょう。

本当に致死的なレベルに達するのは5年後ぐらい。 オンラインゲーム市場がゲーム機ゲーム市場に匹敵する規模に成長するのは、それぐらいでしょう。ただし今後、ユーザーの奪い合いが激化していくことを考えると、もう少し前後するかもしれません。

次世代機の5年を経た後、ゲーム機とPCとケータイの市場が横並びになっている可能性はかなり高いわけです。しかしゲーム機が厄介なのは、ライフサイクルの5年間は、(ファームウェアの更新や、型番変更による多少の改造はあるものの)大きくアップデートできないということです。その5年間で、無料のオンラインゲームはますます伸びていきます。
つまり、ゲーム機メーカーはそういう事態を予期して、プラットフォーム競争で勝てるようにしなくてはいけません。
    A)ゲーム機ならではの利点をいかす
    B)ゲーム機が持たない、PCとケータイの利点を取り込む

例えば、Aの1つはリビングにあることですし、Bの1つはネットヘの接統率ですね。
しかしこういったことは、ゲーム機メーカーが勝手に悩めばいいわけで、ゲーム産業を支えるその他大勢の人間が考える義理は何もありません。基本的に、ソフトメーカーはロイヤリティービジネスに縛られたゲーム機から、PCとケータイヘ重心シフトすればいいと思います。もしもゲーム機メーカーが魅力的なプラットフォームを用意するなら、そちらにも、ソフトを供給してあげればいい。

重要なのは、必要なタイミングで必要な決断ができるかどうかです。マイクロソフトはすでに決断しました。あなたはいつ決断しますか? もうしましたか? 新しい市場は小さい状態からしか始まりません。早い段階で多額の資金を投じても、投資の回収が難しい。しかし市場が本当に大きくなってからでは、取り分が無くなってしまいます。
例えば、iPodの開発が2名の社員に下されたのは、2001年初頭。2001年のクリスマスシーズンに最初のiPodが市場に投入され、それから4年。今やアップルの一人勝ちの状況です。しかし逆にいえば、4年はかかったのです。市場の大きさを認識してから、あわてて動き出した日本のメーカーはどうなりましたか?

誤解しないでください。決断するか/しないかという話ではない。いつ決断するのか(決断したのか)という話です。

Posted by amanoudume at 00:19 個別リンク | Comments (4) | TrackBack(1)
ホーム/2005-11-28
Excerpt: おはようございます。だんだんとボウリングにハマってきた今日この頃です。土曜日は5ゲームも投げてしまいました。友人には「お前らアホだなw...
Weblog: とんかつ3号 隠れ亭
Tracked: 2005年11月28日 07:43

2005年11月19日

最近話題になったWeb2.0なエンターテインメントまとめ

最近は「Web2.0」という言葉が流行っているため、勘所の良い娯楽商品が話題になる時に「おっ、これはWeb2.0的だね」と言うソフト制作者が増えつつあります。まだWeb2.0という言葉を知らない人でも、現代的な皮膚感覚としては理解しているので、「なんか、これ、はてなっぽいね」「おおっ、iTunesっぽい」「アマゾンのオススメ的だよね」「グーグル的!」という反応を示したりします。
話題になったゲームや玩具を挙げてみます。

1. スタイリア
なぜ今,韓国ではカジュアルゲームがブームなのか。業界の重鎮Lee,Won Sool氏に聞く「スタイリア」の事業戦略とビジネスモデル
ポータルサイトでカジュアルゲームを展開する、というのが、韓国オンラインゲーム界のトレンドになっています。よりライトウェイトへという流れですね。しかし特に「スタイリア」は、従来よりもさらにライトウェイトなビジネスモデルを打ち出していて、要注目。
    ○ポータルサイト側でキャラクターを管理して、個々のゲームではそれを使おう
    ○ゲーム制作者は、キャラクター制作、コミュニティシステム、課金システムを作成しなくてすむ
    ○ゲーム性に特化できるので、小さい会社にもチャンスがある
    ○服やキャラクターなどの共通モデルの売上は、ポータルサイトとすべての開発会社で分け合う
       (分配比率は接続者数などを元に算出)
    ○ゲーム内だけのアイテムの売上は、ポータルサイトと担当製作会社で分け合う

これは日本のゲーム業界でも近い問題があると思いますが,例えば,今何か新しいオンラインゲームをサービスインさせようと思うと,ゲームのルール設計やプログラミング,キャラクターのグラフィックモデルなどに加えて,サーバーの設計やユーザー管理システムなど,必要となる周辺部分のシステムを作らなくてはならなくなり,非常に大規模な開発にならざる得ないですよね。
 パズルなどのミニゲームの場合はさらに深刻で,事実上,コストをかけずにコンテンツを制作するというのが非常に難しくなっている。それが有料サービスに耐えうるレベルとなればなおさらで,グラフィックスも含めて,結局はいろいろな部分にコストをかけざるを得ません。これは,オンラインゲームの参入障壁を極めて高くしてしまっている要因だといえます。

2. 20Q
バンダイ、人工知能がプレーヤーの思考を読む! 携帯型グッズ「20Q (トゥエンティーキュー)」

「20問の質問で、ユーザーが頭に思い浮かべた物を当てる」という玩具。
以前、同じことをやる20Q.netというサイトが話題になりました。玩具そのもののアイデアが面白いのはもちろん、ネット上でデータベースを鍛えるという作り方も興味深い。ネットを利用することで、従来なら膨大な人力を集積しなければできなかったアイデアが具現化した実例。

また、「20Q」ほどにはWeb2.0的ではないものの、ネット経由でデータの信頼性を築いたという意味では、「だめんずうぉーかー」も挙げておきます。タカラとインデクスが協力して、メールによるアンケートで1万人分の回答を集めました。

3. Google Maps APIゲーム
Google Mapsでレーシング公開!
Google Mapsで鈴鹿サーキット試走 で好きな場所に移動するbookmarklet

Google Mapsが発表された当初、掲示板等で「これでシムシティがやりたい」「車で走りたい」という、Google Mapsゲームの妄想ネタが話題になっていました。

面白いのはゲーム派とインターフェース派の意見の相違です。ゲームとして捉えるか、「コンピュータとネットワークを介した何か面白いモノ」と捉えるか。あるいは「1.0」的か「2.0」的か。ゲーム派よりも、インターフェース派の方が多い、という点が現代的な反応だと思いました。

今やWebサービスは人々の生活に密着するようになり、IT産業は「仕事」から、「生活」「娯楽」の領域に溶け込んできました。オンラインサービスとオンラインゲームは同じフィールドで競合する娯楽同士ともいえます。
その時代において、旧来のゲームデザインというのは、コンピュータとネットワークを介した面白い何かを、あまりにも「狭く」まとめています。その「狭さ」を感じている人たちが、「Web2.0」やゲームデザインのポストモダン化という反応を示しているのでしょう。

(追記)
刺激を受けた方がさっそくドライブオンラインゲームを制作されたようです。
多人数でドライブを楽しめ、近くにいる人とチャットできます。
YappoLogs 「Google Maps APIを使ったonline game作りました」

4. 総選挙はてな
総選挙はてな
[渡辺聡・情報化社会の航海図] 予測市場とオンラインゲーム

純粋な意味でのゲームではないかもしれませんが、今やオンラインサービスとオンラインゲームの境界が溶けている、という現実をはっきりさせた実例です。


*アイドルマスター
IDOL,M@STER WEB
「アイドルマスター」の発表を見た時、流行システムがソーシャルブックマーク的だな、と思ったんですよね。
プレイヤーがアイドルをどう育てるか、売り出すかで、結果的に流行が変動するのかな、と。ある程度までは、多くのプレイヤーが選択したジャンルが流行るんですが、集中すれば飽きられるのが早くなるとか。
プレイヤー向けの説明は一応こうなってます。

流行とは、日本中で活動している全アイドルのイメージをもとに、決定される。
たとえば、日本中の全アイドルのうち、「VOCALイメージ」で活動しているアイドルの数が一番多ければ、世間では「VOCAL系」が流行していることになるのだ。
流行に乗れれば、オーディションでも有利なことが多いぞ。
しかし、流行は、日々刻々と変化する。その変化を読み、対応していくことも重要だ!
実際んとこ、どうやって流行を決定しているのかは不明なんですよね。ただ、過去のプレイ日記を読んでいると、仕組みだけ作って自動で決定させているわけではないみたいな印象。運営者が調整しているのでしょう。プレイヤーのプレイ情報を集めて、それを参考にしている可能性もありますが。

Posted by amanoudume at 23:00 個別リンク | Comments (6) | TrackBack(3)
ホーム/2005-11-21
Excerpt: 土曜日は、久々に築地の勝どき寿司大で、3500円おまかせコースを食べた。前に食べたのは2年ほど前?いや、3年ほど前だったかな? 場内に...
Weblog: とんかつ3号 隠れ亭
Tracked: 2005年11月21日 08:03
[Clip] RSSの拡張仕様SSE(Simple Sharing Extensions)、Web 2.0+ゲーム、ガリバーのSNS「GAZZ!」
Excerpt: 中野です。11月22日のクリップです。 Ray Ozzie: Really Si...
Weblog: アークウェブ ビジネスブログ
Tracked: 2005年11月22日 17:29
Web2.0とゲーム
Excerpt: 興味深い記事がありました。 最近話題になったWeb2.0なエンターテインメントまとめ ゲームと巷で話題のWeb2.0の関連性に関してですね。 ■さんな...
Weblog: アデンの騎士 -リネージュ2日記-
Tracked: 2005年11月23日 15:14

2005年11月16日

Web2.0の本質は「人力」の集積回路

コンピュータが苦手なことは人間がやろうじゃないか

Web2.0の本質は「人力」の効率的な集積にあります。それを明確に表しているのが、アマゾンの新サービス「Amazon Mechanical Turk」とブログの普及です。

    ●Amazon Mechanical Turk
    ●人工人工知能 (Artificial Artificial lntelligence)

このタスク部分だけは人間がやるが、タスクの入力とタスク結果の取得はソフトウェアでできるので、人間と機械の協働による「マン=マシン・システム」になるわけだ。

サービスのサブタイトルになっている「Artificial Artificial Intelligence(人工的な人工知能)」というのも、ソフトウェアの仕事の一部を人間が代行する、ということを指すのだろう。

アマゾンの「Amazon Mechanical Turk」が面白いのは、コンピュータが人間のタスクを肩代わりするのではなく、コンピュータが苦手な処理を人間が肩代わりすることです。アマゾンの「Amazon Mechanical Turk」は人工人工知能(Artificial Artificial lntelligence)という考え方に基づいています。
要するに、人工知能の進歩なんて待ってたって、いつまで経っても「人間のように曖昧な、感性的な判断が要求される処理」はできないし、まぁ遠い将来はできるのかもしれないけど、コンピュータが苦手なことは人間がやってしまおうよ、ということです。

    ●Speed Feed 「Web2.0に関する考察ノート:前編」

Webは、HTML文書がURLによるハイパーリンクで結びついた世界であるが、Web2.0はこれまでに比べて(=Web1.0に比べて)、XML含有率(?)が遥かに高いのが特長である。

Blogは(XML準拠である)XHTMLで書かれているし、Feed、タグはXMLそのものであるから、Web上のXML比率がどんどん高まっているのだ。これはWeb上の情報の検索性が高まることを意味するし、サイト同士のデータの相互利用(つまりWebサービス)が容易になるというメリットがある。 XMLは、一般ユーザーがこれまでのブラウザ経由で見るには少々都合が悪いが、プログラム同士のコミュニケーションには最適である。

ブログが普及する前にも、htmlベースのWebページを解析する技術はありましたが、その精度はかなり低いものでした。 「htmlのみのWeb→XML含有率の高いWeb」というのは、人間がコンピュータに歩み寄ったといえます。しかもそれを人間が意識する必要がなく、ホームページビルダーでホームページを作って、FTPでアップするより、ブログの方が手軽でした。
ここでも、コンピュータが苦手なことは(アルゴリズムの進歩を待たずに)人間がやってしまおう、という発想が根幹にあります。

ここで重要なのは、
    ○ブロードバンド(常時接続)によって人力を集めやすくなった
    ○人力を何らかの形に変換するための技術が出てきた
    ○「軽い」人力で良いため、敷居が下がった
ことです。低い敷居で行われた小さな仕事を、コストの低いネットワークを介して集積する「元気玉」の仕組みです。

補足1: コンピュータに向いていること/いないこと

コンピュータは量的な複雑さにはかなり強いものの、判断の曖昧さについては滅法弱いです。人工知能系のゲームに成功例がほとんど無いのもそのためで、群れ系のAIは比較的うまくいってますが、あれは1体あたりのクオリティが問われず、ちょっとした演出で「らしく」見せやすいからです。

次世代ゲーム機ではプロセッサの処理能力が上がりますが、そうした進化は数百、数千個の物体の物理挙動を計算するのは得意でも、「人間のように曖昧な判断」がサクッとできるようになるわけではありません。さらに先には、ネットワーク経由の分散コンピューティングが待っているのかもしれませんが、これも同じことですね(リアルタイム応答がまだまだ難しいので、やれることはかなり限定的でしょう)。

次世代ゲームではよく「物理とAI」がテーマに上がりますが、ここでいう「AI」というのは、プレイヤーキャラが近づいただけでNPCが反応するとか、表情の表現がセリフやプレイヤーの取った行動に応じた適切なものになるとか、演出装置としてのリアリティを保証するためのものが大半です。

ゲームにおける「人力」利用

テーブルトークRPG→ウィザードリィの例を引くまでもなく、コンピュータゲームは遊び相手がいなくても、1人でも遊べるという特性を元に進化してきたメディアです。ゲームデザイン、ゲーム評論においても、1人用ゲームの方が評価されやすい、注目されやすい傾向があります。
しかしその一方で「対戦ゲーム」や「アイテム・モンスター交換」「マップエディタ」のように、「人力」を遊びに取り込んできたのも確かです。

そしてネットワークの利点の1つは「人力」を集積しやすいことです。
そのため、オンラインゲームにおいては、テーブルトークRPG的な時代に少し戻ったともいえるMMORPGというジャンルが出現しました。GMという職種も復活しました。また、対戦やランキング、エディタで制作した物の発表などが盛り上がりやすいです。ユーザーを共同開発者として利用するという点では、アーケードの「ロケテ」の考えを受け継いだともいえる「オープンβテスト」があります。

Web2.0的な考え方は、オンラインゲームの登場と共にすでにあった、とも言えますし、「人力」利用という発想そのものはゲームの原初からあった・・・・いや「遊び」というものの中に根源的に含まれている、と言ってもいいでしょう。つまり「昔語り」をしようと思えば、いくらでもできてしまうのですが、ボクはそういう思い出遊びみたいな事をしようとは思いません。

クリエイティブにおいて大切なのは、何が変わっていないかではなく、(技術や環境に)どんな変化があったおかげで、それまで諦めていたことができるようになるのか、過去に失敗したことにチャンスが巡ってくるのか、という事です。(→補足2
では、Web2.0という変化から学べることは何でしょうか?

よりライトウェイトに

ボクはWeb2.0の本質を「人力」の”集積回路”と書きました。つまり「人力」を集めるだけでなく、「集積回路」というに値するほど効率よく集める「仕組み」なのです。

今、オンラインゲームは作るのが大変というイメージが強いです。
しかしWeb2.0においては、「ライトウェイト」が重要な要素です。ということは、「ライトウェイト」でないオンラインゲームの開発については、Web2.0から学べることがかなり多いのです。

 (以前、ゲーム業界の中で比較的Web2.0的な企業として、スクウェアエニックスとガンホーを挙げました。が、同時にMMORPGはヘビーウェイトすぎるので、その部分はWeb2.0的とは言いがたい、という指摘もしました。いくつかの企業では、Web2.0的な要素を部分的に実現しつつあります。しかしそうした企業であっても、まだまだそうした要素を、成長エンジンにはできていなかったりします。)

例えば、ネットヘの接続率が低い場合と高い場合では、対戦ゲームの作りも変わります。
接続率が高ければ、1人用モードや、人間のかわりのCPU対戦は作らなくても良くなります。コミュニティとマッチングに付加価値があるのだから、対戦部分以外の開発労力は最小限にしようということです。例えば、ハンゲームのようなサービスがそれに当たります。
一方、家庭用ゲーム機のネットゲームのように接続率が低い場合には、1人用モードをかなり作りこまないと、商品として出しにくかったりします。そこでかなり開発リソースが割かれてしまいます。

(対戦ゲームの種類によっては、1人用の練習モードがかなり強く要望される物があります。ハンゲームにも練習のための1人用モードがついたゲームはあります。またオンラインサービスの利用者数が多くないと、マッチングだけで解決できないケースが増えるので、1人用やAIを作らざるを得ない事もあるでしょう。Web2.0的にいえば、まさしく参加者の数がパワーになります)

まぁこれは、手短に説明しやすい例にすぎません。Web2.0の考え方から得られるものは実に多岐に渡ります。ゲーム業界は率直にいって、多くの課題を抱えています。特に日本においては、成長が停滞しています。10年前は3DCGを積極的に取り入れることで、産業の成長エンジンとしました。

では次は何を成長の原動力とするのでしょうか? ゲーム産業が取り込むことに失敗し、別の産業がうまく取り込んで成長エンジンにしたもの、それは何でしょうか? Web2.0企業が非常に伸びているのは何故でしょうか? その原動力は何ですか? その競争力の源泉をオンラインゲームは取り込めないのか? 開発費の高騰やゲーム離れというゲーム業界の課題にとっての有効な解になるのではないか? という視点が大切です。
人間は学ぶこともできるし、学ばないこともできます。成長することもできますし、停滞することもできます。あなたはどちらを選ぶのか、ゲーム産業はどちらを選ぶのか。

ボクはユーザーにとっても、開発側にとっても、「軽さ」が重要だと考えています。
Web2.0的というと、ユーザーにエディタを配って……というのがわかりやすいですし、上では対戦ゲームを例に出しましたが、ボクが一番関心があるのは「もっと軽い人力」です。Webサービスでいえば、ブログよりもソーシャルブックマークに関心があります。

ところで今回はほとんど触れませんでしたが、Web2.0的な世界と言うのは、開発とマーケティングが融合した世界だとも思います。開発プロセスの中でコミュニティを作るわけですから、当然といえば当然です。ユーザーを共同開発者にすると同時に、熱烈なエヴァンジェリストにするからです。その辺りはいずれまた・・・・。


補足2: 「昔語り」と「クリエイティブ」の違い

アイデアと実現性というのは別個のものです。アイデアとしてはあったけど、当時の技術では実現できなかったことは山のようにあります。また市場やユーザーの環境が整っていないために、惜しくも失敗したけれども、環境が整っていれば成功したであろうアイデアも数多くあるでしょう。

アイデアと実現性(技術の成熟)の例としては
    ○「パワプロ」はSFC並みにスプライトが動かせて初めてあのゲーム性が実現できた
    ○サウンドノベルはSFC並みのサウンドや漢字表示が最低限必要だった
などが挙げられます。

最近、実用的なソフト、脳を鍛えるソフトが成功していますし、ここ最近シリアスゲームヘの注目も高まっていますが、20年前にエデュテイメントブームというものがありましたし、10年前にもマルチメディアブームの中で『EMIT』のような半実用的なソフトが出ていました。しかしここにきて、かつてない成功を収めています。
「アイドルマスター」にしても、10年前の美少女育成モノ、アイドル育成モノの復活ですし、ナムコの萌え3D路線がついに実ったともいえます。

そこで「10年前にもあったね」「20年前にもあったね」というのは「歴史家」「学者」の仕事として、価値があることだと思います。ゲームデザインの系譜は興味深い。しかし「クリエイター」の仕事ではないと思います。

あくまで個人的な考えになりますが、ボクはクリエイターというのは普通の人よりも「諦めが悪い人」だと思っています。作品をより良くしたいという欲望だけでなく、一度掘ったテーマについても、もっと良い描き方があったのではないか、今の技術なら当時あきらめたことができるのではないか、俺ならこうしたのに、という「諦めの悪さ」が溜まっていくんですね。過去の仕事や昔のゲームについての知識は、ただの昔語りではなく、ただの経験値でもなく、次のチャンスを狙う生きた状態で残っていくはずです。つまりずっと考え続けているんですね。自分の仕事については特にそうですし、他人の仕事でも問題意識を共有することもあります。

ゲームは特に技術が絡むので、そういう残り方になりやすいんですが、他のジャンルでもそうで。ボクは今の会社に入る前に、ちょっとアニメの仕事に絡んだことがあって、そこでその道何十年というベテランの人と一緒に仕事しましたけど、過去の仕事というのをとにかく忘れないですね。

まぁ、クリエイターなら誰でもそういう性質がありますが、よりクリエイティブな人ほど忘れないし、諦めが悪いし、往生際が悪い。ボクが他人に対して「この人にはまだまだ、かなわない」と思うのは大抵、自分以上の底知れない「諦めの悪さ」に直面した時ですね。昔と同じ部分を語るのは学者や歴史家の仕事で、クリエイターは昔との違いに注目する生き物だと、ボクは思います。

Posted by amanoudume at 18:48 個別リンク | Comments (8) | TrackBack(6)
レボのアイディアを2chへカキコ。
Excerpt: 新企画。ゲームに関するアイディアを2chに書き込んでみる。 2chへの書き込み。 http://game10.2ch.net/t6.tblog.jp/?eid=59986est/read....
Weblog: 才能のないプログラマ
Tracked: 2005年11月17日 01:05
Amazonと機械仕掛けのトルコ人(前編)
Excerpt: Amazonが Mechanical Turkというけったいな名前のWEBサービスを始めたという。 18世紀、毛皮のローブをまといターバンを巻いた「機械仕掛けの
Weblog: メディア探究
Tracked: 2005年11月19日 15:28
あれれ氏への返答コメントのコト
Excerpt: あれれ氏のブログ「ゲームのマボロシ」で、先日書いた「ネット*゛ャル」が採り上げら...
Weblog: 六百デザインの「嘘六百」
Tracked: 2005年11月21日 02:42
[コラム]人力の集積回路
Excerpt: ここで重要なのは、     ○ブロードバンド(常時接続)によって人力を集めやすくなった     ○人力を何らかの形に変換するための技術が出てきた     ...
Weblog: kawasakiのはてなダイアリー
Tracked: 2005年11月24日 12:31
Web2.0/関連記事
Excerpt: 概要 Web2.0とは? Web2.0の技術的観点 Web2.0 とは †7つの分類と要素MAP Web2.0時代に、ユーザーが経験しておくべき10の...
Weblog: apus (PukiWiki/TrackBack 0.3)
Tracked: 2005年11月25日 02:30
[Web2.0関連]Web2.0の本質は「人力」の集積回路
Excerpt: 前のエントリに関連するような記事です。しかし、「人力の集積回路」とは良い表現ですね。
Weblog: 雑多なメモ
Tracked: 2006年03月12日 11:35

2005年11月12日

ゲーム2.0

何でもかんでも「2.0」と付けてしまう「2.0」ブームは相変わらずなので、今回は「ゲーム2.0」とか言ってみます。我ながら、安直ですね。「Game Design2.0」は割と真面目でしたが、今回は酔っ払った勢いで書いた半分ネタなので、そのつもりで。この分だと次は「ゲーム機2.0」などと書きそうですが、さすがにしつこいか。

2005年はゲームデザイン史において重要な年だった

さて、「ゲーム2.0」などと書き出した1つの理由は、今年に入って新しいタイプのゲームの台頭が顕著になってきたからです。「nintendogs」「DSトレーニング」といった新機軸のゲーム、ゲーム的でないゲームが、急激にゲーム市場を席巻する一方、それら新しい潮流のゲームを除いた市場が停滞しています。

市場の変化、時代の変化、といえばそれまでですが、実際に変化を感じている業界関係者は少なくないでしょう。また、いくつかのゲーム開発(ゲームデザイン分析)系ブログでも、この変化を敏感に意識しておられるようです。

  ●ABAの日誌 「プログラマ兼ゲームデザイナはもう古い」

ただ、上で挙げられているNintendogsがこの論文の定義でいうゲームかというと、どうも違うんだよね。Nintendogsは論文中のゲーム図における無期限シミュレーションに当たるため、ボーダーラインケースに位置づけられ、ゲームではない別の何かという扱いになる。

なのでLost Gardenのアーティクルに戻って考えると、要するにこの論文中でゲームと定義されるようなものを再生産しているようじゃダメ、せめてボーダーラインケースまで離れたものを視野に入れてデザインしないとね、という主張にも思える。

  ●Nao_uの日記 「コンピュータゲームのポストモダン化の進行」

自分もポストモダン的なものの無条件の受け入れにはやや抵抗があるものの、長い目で見れば「純粋な古典的ゲーム」も衰退していく運命にあるのだろうなぁ、ということは実感している。

  ●Classic 8-bit/16-bit Topics 「ポストモダン化するコンピュータゲーム」

日本における脱ゲームモデル志向のゲームデザインはとりわけ「数値化可能な結末」を遠ざける方向、つまりコスティキャン流に言い換えるなら、「ゲーム」と「玩具」の境界領域を目指して突き進んできました。近年では「いっそゲームでなくしてしまったほうが面白いのではないか」というようなラディカルな意見さえ散見されるわけですが、思うにこの域に達した脱モデル化こそが、ゲームにおけるポストモダニズムなのではないでしょうか。

そうはいっても、ヴィデオゲームの脱モデル化はもはや避けられない潮流であるように思われます――近年発展しているシリアスゲームという領域も、また別の軸からの脱モデル化ではないかと考えられるので、なおのこと。

新しいゲームの台頭に対して、どういうスタンスを取るかは人それぞれなので、別段とくに議論しようとは思いませんが、ゲームそのものの世代交代のようなものが起きつつある、という認識が広がってきているのは確かです。(今はまだ、日常的にゲームデザインについて考察している人々に限定されてはいますが)

ゲーム機の両手系インターフェースはそれほど特権的なものではない

もう1つは、PCオンラインゲームと携帯電話ゲームの台頭がゲームデザインに与える影響について。
「ゲーム機」ゲームの開発者や、ファミコン世代のゲーマーの中には、携帯電話ゲームをかなり嫌っている人がいます。嫌いというと語弊があるかもしれませんが、生理的に合わないらしい。何が受け付けないかというと、インターフェース。ゲーム機向けに設計されたゲーム機コントローラと違い、携帯電話は操作感、レスポンス、インターフェースの統一性という点で明らかに劣っています。

ボクもファミコン世代のゲーム開発者ですから、感覚的にはそうした主張に共感できます。
ただ同時に、世の中の一般の人たち、とくに若い人たちは、そこまでこだわってない、というのも事実だと思います。

日々つれづれ 2005-11-10

最近とみに感じるのは、今の30代(ファミコン世代)と10代(携帯電話世代)では、ゲームの手触り感に対する認識がまったく違うんだろうなあってこと。

ゲーム機のコントローラの特権性というのは、
  ●人間工学的に「ゲーム」に最適化された専用機ならではのデザイン
  ●それまでのゲーム経験による「慣れ」
の2つに依存しています。ゲーム機ゲーム開発者やゲーム機ゲーム論壇では、前者の比重が高いように言われるものの、ぶっちゃけ、実際には後者の比重がかなり高いんじゃないか、とボクは思ってます。

ブロードバンド普及後の今、子供の頃からパソコンがある家庭は珍しくありませんし、携帯電話も中学生いや小学校高学年ぐらいから持つようになりつつあります。家庭にあるコンピュータといえば、ファミコンぐらいだった世代と、若い頃から携帯電話やパソコンに触れていた世代では、当然、携帯電話やパソコンへの「慣れ」が違います。

例えば、ケータイ小説の市場。上の年代のユーザーは、携帯電話のあの小さな画面で本を読む気はしない、とネガティブな反応を示しますが、携帯電話でメールを読み書きしている若い世代ほど、抵抗感が無いようです。かくいうボクも、以前はケータイで本を読もうとは思わなかったのですが、毎日読むうちに慣れました。

また、ゲームにしても、実際問題、困るのはアクションゲームぐらいなもので、その他のジャンルのゲームは携帯電話でもさほど困らないでしょう。ドラクエはゲーム機だから100%楽しめる、携帯電話では100%楽しめない、などという人はいるでしょうか?

最初を思い出そう

そもそもテレビゲームとは何か?を考えると、それは「十字キー+ABボタン」ではなくて、単にテレビという装置が家庭にものすごく普及しているからそれにぶら下がっただけの娯楽機械なわけでしょう。であれば、今はテレビ以外にも、ブロードバンドにつながったパソコンと、個人のネットワークにおいて無くてはならない携帯電話がこれだけ普及し、生活に密着しているのですから、それにぶら下がってもいい。面白ければ、それでいいわけです。それが娯楽なんじゃないか。

昔はテレビにはコンピュータが載ってませんでしたが、パソコンと携帯電話には最初から載っているので、ハードをぶら下げる必要は無くて、ソフトを乗せればいい。ソフトメーカーがゲーム機を離れて、パソコンと携帯電話に重心シフトしていくのは、娯楽を提供する者の感覚として、至極まっとうです。家庭用ゲームはそもそも「生活密着」を基本としていたはずです。ゲームの作り手は、伝統工芸ゲーム機ゲームを守る会の会員ではないのですから。

携帯電話ゲームというのは、当初はゲーム会社の「おいしい小遣い稼ぎ」として注目されましたが、開発費も徐々に高騰し、ユーザーも増えて定着した結果、ゲーム開発者にとっての選択肢の1つとして確立しつつあります。それを今なお「ただの小遣い稼ぎ」と思っている人は、ちょっと感覚が古いのではないか。いずれ、過去のソフト資産を移植しつくした後に、フェードアウトしていくだけでしょう。
振り返れば、ファミコンだって、最初はアーケードゲームメーカーや、パソコンゲームメーカーの「小遣い稼ぎ」だったわけです。

ゲームクリエイター2.0

まぁ現在は転換期であり、過去と未来が共に存在する時期です。
そのため、「ゲーム1.0」を愛する人、その伝統を守ろうとする人の声はかなり大きいでしょう。しかし、それはいずれ小さくなっていく声です。

「ゲームクリエイター1.0」の中には、時代の変化を感じて、「ゲームクリエイター2.0」に変わった人もいるでしょう。あるいは、「いや俺はずっとこの伝統を守り続けていくよ」と「1.0」に留まる人もいるでしょう。ある程度ベテランの人であれば、それでもいいかもしれません。「1.0」が明日、明後日すぐに消えて無くなるわけではありません。しかし若いクリエイターがあと20年食っていくには厳しいでしょう。(まぁでも伝統工芸で食うってのは、そういうことですね)

ゲーム開発者はやはり、年を取っていくと淘汰されやすいのですが、なんだかんだで開発者の年齢に幅が出てきているのも事実です。ですから、全員が「2.0」である必要はありません。逆にいえば、「1.0」の伝統に縛られる必要もありません。

結局のところ、若いクリエイターにとって、「伝統」のインターフェースの上で「伝統」のゲームデザインを継承していくのが魅力的なのか、世の中に浸透しているインターフェースの上で「未知」の新しいゲームデザイン、操作系の文法を作り出していくことが魅力的なのか、ということなのかもしれません。
継承者か、創造者か。答えは人それぞれでしょう。

Posted by amanoudume at 00:06 個別リンク | TrackBack(1)
ネット*゛ャル2.0のコト
Excerpt: すっかりフェードアウト組の鶴見ではあるが、流行に追いつこうとWeb2.0とゲーム...
Weblog: 六百デザインの「嘘六百」
Tracked: 2005年11月14日 19:34

2005年10月29日

Game Design 2.0

ゲームデザインも2.0ってことでひとつ

最近はどうも「2.0」ブームらしく、何でもかんでも「2.0」と付けられるようです(YAMDAS Project:2005年は「2.0」の年だった)。その中でも一番ホットで一番話題にのぼっているのが「Web2.0」でしょう。Web2.0とゲームデザインについては、社内ブログでは触れていますが、こちらでは触れていませんでした。あれれさんの記事に触発されて、こちらにも書いておこうかと思います。

と言っても、Web2.0的な考え方のいくつかについては、「成功しているソフト企業の共通点」「プレイヤー中心のゲームデザインから、プレイデータ中心のゲームデザインへ」といった過去の記事で書いています。


ユーザーデータ中心のゲームデザイン

Web2.0について最もよくまとまっているのが、Zopeジャンキー日記さんのWebのターニング・ポイントをとらえた重要文献、ティム・オライリーの 「Web 2.0とは何か」という記事です。

The Long Tail
ロングテール

Data is the Next Intel Inside
データが次の「インテル・インサイド」

Users Add Value
ユーザが価値を付加する

Network Effects by Default
ネットワーク効果はデフォルトで

Some Rights Reserved
一部権利保有

The Perpetual Beta
永久にベータ版

Cooperate, Don't Control
コントロールするな、協力せよ

Software Above the Level of a Single Device
単一デバイスのレベルを超えたソフトウェア

ここで1つ重要なポイントは「データ」です。クリエイターが作るプログラムでも、グラフィックでも、シナリオでも、サウンドでもなく、ユーザーが生み出したデータにこそ、付加価値があるという考え方です。
ユーザーデータ中心のゲームデザイン、すなわちユーザーデータを使って何をするか? そしてユーザーデータの価値をどうやって高めるか? ユーザーデータの利便性を向上させるツールやアプリ群をどう展開するか?という視点でゲームを設計することが、これからは重要になります。

好例はやはり何といっても「ポケモン」でしょう。「ポケモン」のROMカートリッジの中にユーザーデータという付加価値が入っています。だから中古に売られにくい。
GBAの「ポケモン」のカートリッジに入っているユーザーデータを管理するためのソフトとしてGC「ポケモンボックス」があり、単にデータを管理することしかできないにも関わらず、20万本以上売れました。また「ポケモンスタジアム」シリーズは、基本的には、より迫力ある戦闘を楽しむためのソフトですが、それが数十万本売れています。
フォームにまたがっているのが特徴です。
(ユーザーデータ中心主義については、「プレイヤー中心のゲームデザインから、プレイデータ中心のゲームデザインへ」でも詳しく書いていますので、参考にどうぞ)

ところで、ユーザーデータにこそ付加価値がある、という話、どこかで聞いたことありませんか? そう、スクウェアエニックスの和田社長がよく語っておられる考え方ですね。
INTERMEZZO 「2005スクウェア・エニックス定時株主総会レポート」

ユーザにとってもっとも大切なのはセーブデータの方。ゲーム自体は中古や借りてくることもできるが、セーブデータはそうではないからだ。セーブデータのほうを商売にすればよかったんだろうと思う。いかにお客さんがカスタマイズしたものが重要か。(中国市場では、ディスクは無料でばらまいていて、プリペイドカードで「ログインする権利」販売している。) これがつまり、コミュニティが重要だということだと思う。
スクウェアエニックスは、ゲーム業界の中で最もWeb2.0的に評価できる会社です。現時点の最大の問題点は、頭に体がついていっていない点でしょうか。従来の大作シリーズの開発にマンパワーを割かれて、わかっているけど、なかなか開発できない案件、踏み出せない事業が多いように見受けられます。

「ポケモン」はユーザーデータ中心のゲームデザインとして優れていますが、企業全体として見れば、任天堂を始め、ソニー、マイクロソフトのようなゲーム機メーカーは(Web2.0的にいえば)かなり遅れています。ゲーム機というハードを抱えるために、取りえる選択肢が制限されているのですね(参考:「ゲーム機メーカー3社は「次の10年」の負け組になるのか?」)。とはいえ、ハード、ソフト一体型の企業であるアップルが、Web2.0の代表格ではないにしても、そのポイントのいくつかを本能的に押さえているのは事実です。そこにヒントがあるのは明白でしょう。


何のためのマルチプラットフォームか?

もう1度、「ポケモン」を引き合いに出します。映画館や万博会場との連動も興味深い事例です。ユーザーデータをさまざまなロケーションにもっていくことで、新しい楽しさが得られる。これは、ユーザーデータの利便性を高める娯楽設計です。

また、最近スクウェアエニックスを始め、少なからぬソフトメーカーが携帯電話とPCの連携の可能性を指摘しています。またナムコの「アイドルマスター」はアーケードと携帯電話の連携の成功例になりました。自分の育てているアイドルからのメールが携帯電話に届くというのはまさに王道です。
1つのプラットフォームでも遊びが提供されているものの、複数のプラットフォームを通して、さらにもっと面白い遊びが提供される。これは「Software Above the Level of a Single Device(単一デバイスのレベルを超えたソフトウェア)」に合致するものです。

ユーザーがデータを持ち歩く、出かけた先で持っているデータから楽しさを得られる、どこにいてもネットワーク経由で自分のデータにアクセスできる。これが娯楽における「真のロケーションフリー」です。そういう娯楽を実現するためには、マルチプラットフォームがきわめて重要です。というのは、ロケーションによって最適なプラットフォームが異なるからです。ユーザーは常に、最適なプラットフォームを選択する「自由」が与えられるべきです。
そういう意味で、Life is beautiful 「パーベイシブ・アプリケーションという世界観」はわくわくする話でした。

自分の音楽ライブラリー(コンテンツであると同時にユーザーデータ)を外に持ち出せることが、iPodの成功を導きました。アップルがもしもiPodをMacにしか対応させていなかったら、iPodの成功はありませんでした。ユーザーの選択の幅を縮める「抱き合わせ」的な方法論は、うまくいきません。任天堂のGCとGBAの連動、ソニー製品の「ロケーションフリー」、共にごく一部のマニアの人は喜んだかもしれませんが、大多数の人はスルーしました。
なぜか? ユーザーから選択の自由を奪っているからです。重要なのは、データであって、プラットフォームではありません。


コミュニティ→クリエイション

Web2.0的な考え方をしている企業は、スクウェアエニックスの他にもあります。Web2.0の考え方とオンラインゲームは非常に相性が良く、オンラインゲーム企業の勝ち組であるNHN Japan(ハンゲーム)、ガンホーもまたWeb2.0的といえます。

4gamers [TGS2005#59]ガンホー森下氏にインタビュー。 2005年10月末に明かされるポータル&コミュニテイ事業

森下氏
「コンテンツ」としてゲームや音楽,映像,アニメーションがあり,それから「コミュニティ」があって,最終的には「クリエイション」という形で,いろいろな同人活動とかイベント的なものも活性化する。それがまたコンテンツとなり,コミュニティが生まれて,クリエイションにつながっていくという風に,ずうっと循環が続いていく。

4Gamer:
なるほど,同人活動も含めてですか。

森下氏:
インターネットの特徴は,ユーザー自身が参加できるということです。オンラインゲームにしても,最初にメーカーが設定を作り,世界観を作って提供するけれども,実際に動き出してからは我々が面白さを付加するのではなくて,プレイヤー自身が"面白く"なっている,つまり"コンテンツ"になっているんです。

オンラインゲーム、特にMMORPGは多くのユーザーが参加し、多数のユーザーデータ(キャラクター、アイテム、バーチャルマネー)が接触することで、さらに付加価値が生まれます。オンラインゲームの運営については、まだまだ「絶対の成功法則」はないと思いますが、「ユーザを共同開発者として信頼する」「Cooperate, Don't Control(コントロールするな、協力せよ)」といったWeb2.0の考え方は参考になるでしょう。
(しかしMMORPG=Web2.0のゲームへの最良の応用例ではありません。開発や運営において、まったくもって「ライトウェイト」ではありませんし)

そして、さらに重要なのは、コミュニティからクリエイションが生まれるダイナミズムを利用しようという発想です。大切なのは、オープン性と一部権利保有です。今は魅力あるソフト、プラットフォーム、コミュニティがいくつもあって、互いに参加者を奪い合っている状況です。そのため、すべてを握ろうという強欲は、大きなコミュニティを生み出しません。

提供者が10の力を提供して、10の歯車を回して、5のリターンを得ようとするのが古いビジネスだとすれば、提供者が1の力を提供して、ユーザーコミュニティに100の歯車を回してもらって、10のリターンを得ようとするのが新しいビジネスです。ボクが常々、「ロイヤリティを取り、勝手アプリを許さないというゲーム機ビジネスは古臭い、可能性を狭めている」と主張しているのも、同じような理由からです。


ゲームデザイン2.0まとめ

本当は、Web2.0のデザインパターン1つ1つについて事例を参照し、考えられる応用例を提示していくべきですが、そこまでやってると、1つの記事におさまりません。最近の更新頻度を考えると、いつになるかわかりませんので、ボクが考える「ゲームデザイン2.0」を列挙しておきます。

<ユーザーデータ>
    ●付加価値はソフト(プログラムや素材データ)ではなく、ユーザーデータにある。
    ●ユーザーデータ中心のゲームデザイン
    ●ユーザーデータを取り囲むように商品展開
    ●ユーザーデータの付加価値を高める手段の1つは「生活密着」
    ●もう1つの手段はコミュニティ
    ●コミュニティはクリエイションにつながる
    ●真のロケーションフリー。パーベイシブ・アプリケーション。RIA。
    ●デバイスの境界を越える。マルチプラットフォーム。

<コミュニティ>
    ●参加する人数が増えれば増えるほど、付加価値が上がるデータを握る。
    ●すべての権利をコントロールし、すべての権利をクローズドにする考えは古い。
    ●クリエイティビティー。
     オープンソース、フリーゲーム「ZOO KEEPER」「Every Extend Extra」、同人ゲーム「ひぐらしのなく頃に」。

<短い開発>
    ●シンプルなインターフェースとシンプルな機能。従来「最低限必要と思われた機能をあえて1つ減らす」勇気。
    ●常に「最低限の機能」を意識することで開発負荷が軽くなる。
    ●短い開発サイクルで世の中に出す。開発スピードで「パクリ」企業を引き離す。
    ●短い開発期間が、健全な試行錯誤を継続的に可能にし、モチベーションを維持しやすくする。
     フリーゲームの世界における「3分ゲーコンテスト」や「土日までにつくるスレ」の成功。
    ●パッケージ→サービス(短い期間でのアップデート)。
     ユーザーからのフィードバックをどれだけ短期間に反映させるか。
     そこに付加価値が生まれる。永遠のβ版。
    ●「たくさんの機能(ニーズ)を盛りこむことで、たくさんのユーザーを獲得できる」から
     「最小の機能に抑えることで、圧倒的多数のユーザーにリーチする」

<ネット時代のプロモーション>
    ●口コミ、ネット流通などのネット効果は今や当たり前のもの。
    ●新規タイトル(版権モノではない)では、発売前と同等かそれ以上に、発売後のプロモーションが重要。

Web2.0と照らし合わせると、こんな所かな、と思いますが、正直まだかなり不完全です。これ以外にも「これからのゲームデザイン」=「ゲームデザイン2.0」で重要な考え方はいくつかあります。その辺を書くかどうかは、約束できませんが、最後に関連しそうな過去の記事をあげておきます。

    ●成功しているソフト企業の共通点
    ●プレイヤー中心のゲームデザインから、プレイデータ中心のゲームデザインへ
    ●ゲーム機メーカー3社は「次の10年」の負け組になるのか?
    ●そして「新規ソフトが売れない」は死語になった
    ●プレイデータ中心主義がもたらすもの


★お知らせ

スパムトラックバック対策のため、今週、MovableTypeを3.2にしました。以前のバージョンと異なり、スパムコメントや荒らし対策の機能が強化されていますので、コメント欄をテスト的に再オープンしたいと思います。コメントとトラックバックを投稿しても、すぐには表示されません。管理人が承認したもののみ、表示されます。

なるべく頻繁にチェックして承認作業できればいいのですが、たぶん平均的には1日1回ぐらいになると思います。コメントしてから表示されるまで24時間ぐらいかかることもある、ということはご了承ください。コメント欄を掲示板がわりにして議論することは難しいと思います。また、ボクからのレスは期待しないでおいてください。

荒らしへの対応ですが、投稿されたものから不適切なものを削除するのではなく、不適切なものは(管理人が承認しないので)最初から表示されないとお考えください。不適切なものとは、いわゆる荒らしのほか、言葉遣いが粗い、スレ違いの話題、などです。

Posted by amanoudume at 07:58 個別リンク | Comments (6) | TrackBack(2)
ホーム/2005-11-02
Excerpt: 最近レイザーラモン住谷がいろんな番組に出るけども、バク天以外ではなかなかパッとしないなと思ってます。バク天の彼はイキイキしてるし、太田のいぢり方も愛情を感...
Weblog: とんかつ3号 隠れ亭
Tracked: 2005年11月02日 07:38
ネット*゛ャル2.0のコト
Excerpt: すっかりフェードアウト組の鶴見ではあるが、流行に追いつこうとWeb2.0とゲーム...
Weblog: 六百デザインの「嘘六百」
Tracked: 2005年11月14日 19:34

2005年08月23日

「かめはめ波」から「元気玉」の時代へ

アフィリエイトとチープ革命のもたらした変化

Life is beautiful 「AdSense と アフィリエイトが可能にする「チープ起業」革命」が非常に面白かったです。会社レベルでアフィリエイトで利益を出すという話は、世の中にはアフィリエイトで年商1億円という会社があるので、聞いてもびっくりはしませんでしたが、アフィリエイトによって起業が低リスク化したという視点はなるほどと思いました。

最も興味深かったのが、「『はてな』のビジネスがVCから全く資金調達せずに回っている」と言う話である。インターネット・バブルの崩壊後にGoogleやYahooが広告収入で黒字化した、というだけで偉いのに、「はてな」のような所が、(自分で広告主を集めるのではなく)Google の AdSense と Amazonのアフィリエイトでそれなりの売り上げが上がって、その資金でさらなる開発投資ができてしまうという事実は、私にとっては「目からうろこ」の衝撃であった。
10人前後の社員と会員30万人以上のホスティングサービスを支えるサーバーの維持費が、アフィリエイトで回るという事実は、説得力があります。それは「起業資金をためるなり、親戚からかき集めるなり、スポンサーを探して東奔西走しない限り、起業なんてできない」という既存のイメージを覆すからです。
今まで、「インターネット・ビジネスはそれなりの資金が無ければ始められないので、その点ではベンチャー・キャピタルからの資金が集めやすい米国のベンチャー企業の方が圧倒的に有利」と頭から信じ込んでいた私が、この事実を認識してから少し見方を変えた。こんなチープな(=巨額な設立資金を必要としない)ビジネスの立ち上げ方が可能であれば、日本の起業家たちにもまだまだチャンスはあるように思える。
これは単に金額だけの変化ではない、と思います。新しいビジネスを起こすことが、今の仕事を維持したまま可能になった、という点が非常に大きいです。思えば、GREEを立ち上げた田中良和氏にしても、大手IT関連企業の社員を続けながら、「趣味」でサービスを立ち上げたわけです(「それでいい、楽しいから」――7万人の町「GREE」を一人で作ってる会社員)。この時点のGREEはアフィリエイト単体ではコストを支えられなかったものの、「趣味」の金額と時間で、数万人規模のサービスを運営できていました。
7万人超のコミュニティサイト。企業が維持するのも大変な規模だが、開発やサポートは田中さん一人だ。田中さんはある大手IT関連企業の社員。といってもGREEは仕事とは無関係。作業は終業後や休みの日などに行う。サーバ費用などはすべて自己負担だ。
たしかにブログブーム以降のネット企業は、他の仕事を持っている人が個人の資金でサーバーを立ち上げて、サービスを立ち上げる例が多いような気がします。その背景には、ブロードバンドの普及と、サーバーコストの低下があります。

「かめはめ波」から「元気玉」へ

かつて「起業」というと、ご大層なイメージがありました。「挑戦」とか「飛び出せ」みたいなカッコいい言葉が目についた反面、リスクが高いという印象を植えつけてしまいました。一部の人が煽りすぎたため、逆にそれ以外の人が引いてしまったわけです。数年前の「週末起業家」ブームも、現在の仕事を辞める(いずれ辞める)という目標を暗黙の前提としていた感があって、やはりまだリスクが高い印象がありました。

今はもっと、その辺のリスク感が大幅にへって、もっとライトな感覚になってきたのかな?と感じています。「起業」「副業」まではいかずとも、アフィリエイトを始めとするネット副収入は一大ブームになり、ブログブームの大きな原動力になりました。「起業」ほどのリスクはイヤだが、趣味の延長戦上として「副業」してみようか、「副業」ほど重い負担は抱えたくないが、ちょっとした「小遣い稼ぎ」はしてみたい。もちろん「あわよくば・・・・」という気持ちをもつこともできる。

そういう風にローリスクになって、敷居が下がった分、参加者が増えたんじゃないかと思います。
2000年ぐらいまでは、ハイリスクを背負わせて、高い労力を引き出して、そのかわりハイリターンを与える、という「一定以上の能力をもった人を長く働かせて、大きな労力を引き出す」という仕組みがうまく回っていました。それは、大企業といってもいいですし、もっと広く捉えれば、ふつうの会社の仕組みそのものです。

ところが最近は、能力の敷居を下げて、個人のちょっと空いた時間と労力をネットで集めて、「塵は積もれば」で大きな力にして、利益を出す・・・・という仕組み(アフィリエイトなど)が成功するようになりました。

アマゾンやグーグルが構築したネットインフラは、「リアル元気玉」と捉えるとわかりやすいです。ネットの浸透にともない、「みんな、オラにちょっと力を分けてくれ」というリアル元気玉が実現しました。ネットの本質は弱くて小さい力(少しの労力、ちょっとした表現、少しの空き時間、少量の注文)を集積して、強くて大きな力(多大な労力、大量で多様な表現、大量の時間、ロングテール現象による大量の注文)に変換できる点だと思います。
(「元気玉」すなわちグーグルの技術革新については、梅田望夫氏のウェブ社会[本当の大変化]はこれから始まるを大いに参考にさせていただきました。)


補足?予告編?

クリエイティブの世界でも、「副業」「副収入」化現象は進んでいて、元々商業の世界にいた人が会社が潰れたのをきっかけにして、ふつうの会社に入って安定した収入を得ながら、空いた時間で同人活動するというケースが増えています。総制作時間はどうしても減ってしまうでしょうけど、不安定な会社にいて理不尽な指令で健康を崩しながら、自分が作りたいと思ってないソフトを下請けで作るよりも、よっぽどいいんじゃないか。・・・・という考え方が可能になっています。

それはつまり、クリエイティビティーを集積する仕組みとして、「会社」というものが説得力をもたなくなってきた、ということなのですが、長くなるのでまた今度書こうかな、と思います。ただ、「会社を通さなければ、世の中に作品を流せない」という時代には、働く人間のクリエイティビティーは半ば自動的に集積できていたわけですが、その大前提が崩れてしまうと、会社経営においても、「社員のクリエイティビティーを結集しつづけるにはどうしたらいいのか?」をつねに意識しなければならないのでしょうね。

Posted by amanoudume at 00:15 個別リンク | TrackBack(1)
[ネタ] 金は稼ぎたいがな
Excerpt: ■「かめはめ波」から「元気玉」の時代へ アフィリエイトとチープ革命のもたらした変化 [かーずSPさん] アフィリエイトの収入だけで会社が運営できるとは。これは俄然やる気が出てきましたYOーーーーー・・・と言いたいところだけど、商品リンクばっかりの個 人サイトって...
Weblog: おいでまい ぶろぐ
Tracked: 2005年08月25日 15:10

2005年02月15日

プレイヤー中心のゲームデザインから、プレイデータ中心のゲームデザインへ

2種類の「やりこみ」

平日に呑みにいってしまい、帰宅したら即寝ちゃいましたよ。
「あー、頭イテえ・・・・」と思いながら、朝になってBLOGを更新。

ゲーム開発者やハードゲーマーのBLOGを見渡すと、「キャッチ!タッチ!ヨッシー!」(通称キタヨ)がかなり話題になっています。同じヨッシー系の「万有引力」や、E3等での事前の話題性だけは高かった「ジャングルビート」がほとんど語られていない現象と比べて、格段の差を感じます。全体的に、かなり肯定的な論調ですね。
とはいえ、話の主軸は、ゲームソフトの内容や出来よりもむしろ、「2005年に任天堂があの価格であのボリュームのソフトを出したこと」にあるようです。

ネット上の議論では、駄研「やりこみの原因」ABAの日誌「やりこみ要素のないゲームをやりこむ」が非常に興味深かったです。どちらのBLOGでも、「やりこみ」という言葉がレビューによって異なる意味で使われていて、誤解や混乱を招く危険がある、と指摘されています。
ABAさんの分類によれば、俗に「やりこみ」という言葉は2種類あります。

> システムとして用意されている、幅広い(隠し)要素を網羅するためにやりこむ(幅のやりこみ)
> シンプルなシステムのゲームで、ひたすらスコアアタック、タイムアタックをやりこむ(深さのやりこみ)

この分類に従えば、ヨッシーは幅のやりこみがほとんど無く、深さのやりこみに特化したゲームと言い表せます。ABAさんが指摘されているように、たしかにゲーム開発者は深さのほうを評価する傾向がありますね。

> このスレでは挑戦やりこみの方が支持されているっぽい。まあそりゃ開発者
> コミュニティだからなあ。開発者は深さ優先のシンプルシステムゲーが好きだよね。
> そのほうが作るのが面白いし。(ABA Games)

ただ、ゲーム開発者の好みとは逆に、市場を見渡すと、深さ優先のゲームよりも、幅優先のゲームのほうが売れているんですよね。

ストイックなゲームは生きづらい時代

ここ数年の口コミゲーム、じわ売れゲームである「無双」「GTA」「メイドインワリオ」「ピクミン2」「魔界戦記ディスガイア」はいずれも、深さよりも幅を優先したゲームになっていますし、一方で「ドリラー」「塊魂」「ヨッシー」といった、開発者の評価は高いけど、市場的にはそれほど売れてないゲームは、いずれも、幅よりも深さを優先したゲームになっています。

深さ優先のゲームは、ゲームの目的、プレイヤーに提供するモチベーションがストイックすぎる(古典的すぎる)ため、ゲーム開発者やコアゲーマーにばかり売れて、それ以外の層にはなかなか広がりにくい傾向があります。どこまでスコアを取れるか? どこまでタイムを削れるか? という目的そのものの訴求力が狭いため、たとえ「塊魂」のように、大らかなコースデザインをしたとしても、ユーザー層はやっぱり狭いのです。

もちろん単純なスコアアタック、タイムアタックの楽しみそのものが、ユーザー全員から失われたわけではないと思いますが、そういう楽しみは今はFLASH等のフリーゲームで享受できます。WEBブラウザ上で動作するため、空いた時間にすぐ遊べるという点では、携帯ゲーム機をはるかに凌駕していますし、手軽さ・気軽さという点でも、数千円のゲームよりはるかに優れています。深さは足らないかもしれませんが。

しかし多くの人にとっては、スコアアタックにハマるといっても、ゲームウォッチに毛の生えたゲームで十分なように思えます。現状では実装されているゲームが少ないものの、ネット上でのランキングシステムや、FLASHベースのネット対戦が十分整備されれば、もうコンシューマーゲームが逆立ちしても実現できない娯楽サービスになるわけです。
今、プリミティブなゲームやストイックなゲームはどんどんフリーゲームの領域に流れていて、コンシューマーゲームという領域は、ストイックなゲームには生きづらい場所になってますね。

プレイデータ中心のゲームデザイン

幅のやりこみを重視するゲームは、「何かを集める/空白を埋める/ファッション性に結びついたコレクション性/RPG的なキャラ育成」を、プレイヤーのモチベーションとしています。よくいわれるとおり、ゲームを遊んだ結
果の大半がプレイヤー自身に反映される(ゲームの腕が上がる等)のではなく、ゲーム内に結果が蓄積されていくゲームのほうが好まれています。

アーケードはこうした変化を柔軟に受け入れていて、オンラインのテーブルゲームでランキングが出たり、格闘ゲームでも、ICカードに対戦結果が残ったり、段位がもらえたり、コスチュームをそろえて自キャラをカスタマイズできるようになってますよね。おそらくコンシューマーでも同じような「性質」の変化が起きてくると思います。アーケードに比べると、どうしてもオンライン対応が進みにくいため、まったく同じ経路はたどれないでしょうが、個々のパッケージを中心にしたゲームソフトから、プレイデータを中心にしたゲームサービスになっていくと思います。

プレイデータ中心という考え方は、2年前に(このBLOGの前身で)一度書いたことがあります。その時も例にあげましたが、一番わかりやすいのは「ポケモン」ですよね。「ポケモン」というコアのソフトがあって、それを遊んだ結果のプレイデータ(ポケモンデータ)があります。そして、プレイデータを管理する別のソフトとしてGCの「ポケモンボックス」があり、より臨場感のあるバトルを楽しむための「ポケモンコロシアム」があります。最近では、DS「ポケモンダッシュ」がポケモンデータから、コースデータを生成できました。

あくまで中心にあるのはプレイヤーのプレイデータで、個々のアプリケーションではない。プレイデータをどう使うかという点から、色々なアプリケーションやサービスが広がっていく。そのためには当然、プレイデータの価値を高めなければなりません。より高い価値を感じさせるには、プレイデータが以下の項目を満たしている必要があるでしょう。労力の代価が適切に反映されること、プレイデータが他のプレイヤーと比較可能なこと、プレイデータが他のプレイヤーと交換可能なこと、プレイデータの格付けやランキングが存在すること、プレイデータに継続性/継承性があること。また、サービスの展開を考えると、プレイヤーのもつプレイデータのデータ量が増加し、プレイヤーがプレイデータに愛着をもつのが望ましい。

こういう発想、こういう構造でゲーム(サービス)をデザインし、構築していくことが、コンシューマーゲームの突破口の1つになると思います。あえて、誤解をまねきかねない表現でまとめるなら、「プレイヤー中心のゲームデザインから、プレイデータ中心のゲームデザインへ」の転換が起こりつつあるのでしょう。

補足

例えば、オンラインゲームについても、コミュニケーションツールとして捉えるよりも、プレイデータ中心の考え方で捉え直したほうが、より実態が浮き彫りになるかもしれません。コミュニケーションツールとか、チャットの進化形として捉えるから、MMORPGの問題点(「廃人プレイ」や「長時間プレイを強いるレベルの上がりにくさ」)もわかりにくくなる。

プレイデータ中心に考えてみれば、プレイデータと遊ぶ労力のバランスが取れておらず、プレイデータの格付け方法が粗いだけ、と問題点がハッキリします。オンラインとオフラインとか、少人数オンラインと多人数オンラインとか、そういう区分ではなくて、プレイデータ中心のゲームデザインとして、どれだけ洗練されているか?という視点で捉えたほうが、問題点が整理しやすいし、ゲームデザイン上の課題も見えてくると思います。
あえていってしまえば、オンラインゲームなんてものは、プレイデータの価値をより高めるサービスを展開するための手段にすぎないわけです。

Posted by amanoudume at 14:58 個別リンク | Comments (18) | TrackBack(2)
ゲームスタイル
Excerpt: ■プレイヤー中心のゲームデザインから、プレイデータ中心のゲームデザインへ 今作られてるゲームをやっているよりも、昔の単純なファミコンのゲームをやっているほうが最近おもしろいなぁって思うんだよなぁやっぱり。なぜか最近はダ ウンタウン熱血物語が自分の中で流行.
Weblog: デジタルエイジ_ブログ
Tracked: 2005年02月18日 14:55
費やした時間に報いるデザインのコト
Excerpt: インフルエンザのA/B型?に連チャンで罹ってしまい、その間に大量の仕事がキューに...
Weblog: 六百デザインの「嘘六百」
Tracked: 2005年02月18日 22:36