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このサイトは、ゲーム開発、およびゲーム周辺の周辺技術や動向について日々考察し、毒舌的に物を書き続けることを通して、「ゲームの未来形」という大テーマに対して、何か考えを深められるといいなあ・・・・・・というサイトです。

2006年11月16日

ノベルゲームの位置づけとこれから

海外のFPSと日本のノベルゲームの類似性

海外のFPSと日本のノベルゲームが似ているという話は、時々見かけますね。
最近では「冬みかんとこたつ猫」さんの以下の記事を見つけました。
冬みかんとこたつ猫 2006-11-02  エロゲーは存在としては日本のコンシューマより海外のPCゲームに近い

エロゲーは存在としては日本のコンシューマより海外のPCゲームに近いと思うけどね。PCゲームなんてPatch当たり前の世界なの初回で買う&買わせるという商売がメインの時点でかなり矛盾している。同じ様なスタイルのゲームが出るって点では特にFPSにその存在形態が近いと思うがバグが大量に出るってのはゲームエンジンの貸し出しが行われないのが大きな原因の一つだろう。FPSではQuakeエンジンUnrealエンジンに代表される様な異常に技術力の高いチームが優れたゲームエンジンを作ればそれをベースに流用&改造する形でゲーム作るのが一般的だし。
会社間でのエンジンの共用は大切だと思いますが、オーバーフローの『Summer Days』が『School Days』のエンジンをそのまま使わずにアージュのrUGPに乗り換えたらしいという話をどこかで目にしたんですが、両社の関係を考えると妥当な話。どれだけ良いエンジンを使っても、ダメな所が作るとギガパッチゲームができてしまうという、イヤな実例を作ってしまいましたね・・・・。
(NScripterや吉里吉里ベースの商業作品はいくつもあります)

海外のFPSと日本のノベルゲームが似ているという認識はボクも持っていて、3年近く前、このブログを始めた頃に1度記事を書いています。
物語伝達の媒体としてのゲーム

「物語伝達の媒体」として捉えた場合に、ゲームがいまいち冒険のしにくいメディアになってしまったのは確かだと思います。実際、RPGとアドベンチャーゲームは、コンシューマーゲームにおいては、タイトル数がかなり減ってしまいました。

それに対してノベルゲームが少人数で開発できて、物語伝達の媒体として盛り上がったという指摘もうなずけます。(略)

実はこれと同じことが、欧米のFPSにもいえるんじゃないか、と思います。以前、「個人サークル的な開発スタジオの限界露呈」でもかきましたけど、ボクは欧米のFPS=日本のノベルゲームという認識をもっています。すごく似ているんですよ。どちらも低い開発費で制作できるゲームエンジンの文化が浸透していました。日本においてノベルゲームが恋愛やセクシャル性をテーマの中核にして物語を構築していったように、欧米においてFPS ゲームは暴力性と戦争をテーマの中核にして物語を構築していきました。(似たり寄ったりの作品が多いのも同じかも)

ノベルゲームとFPSは日米それぞれのPCゲーム文化を代表するジャンルですし、ゲームエンジンができていて、比較的少人数でゲーム開発できるという点でも同じでした(初期〜中期のFPSは可能でした。今は数十人単位の開発チームが必要になっていますが)。ノベルゲームは物語を表現することにかなり比重を置いた特異なジャンルですし、FPSはノベルゲームに比べてゲーム性が高いものの、様式が完成していることもあってか、ストーリーを重視するようになっていきました。

エロゲー界におけるノベルゲームがシナリオを重視し、エロを排除する方向で進化していったように、FPSもまた次々に現れる怪物を撃ち殺しまくる殺戮ゲーム的な路線よりも、ストーリーと映画的な演出を重視する方向に進化していきました。系譜としてはまったく繋がりませんが、進化の過程を比べると、似ている部分がいくつも見つかります。

一番の違いはビジネス的な大きさでしょうか。FPSは数十万本、数百万本クラスのタイトルも存在する巨大な市場を形成しています。一方、ノベルゲームは年間上位10タイトルでも数〜10数万本という状態です。タイトル数はFPSの比ではなく、異常に細分化が進んでいる、とも言えます。でもそれらを累積しても、やはり海外のFPS市場には及びません。まぁ日本市場と欧米市場では規模が違いますし、北米はマニア層のマーケットが大きいですからね。それにコンシューマー市場における存在感も大きいですから。


ケータイでノベルゲームという可能性

オタク向けの物語メディアの最前線(?)は小説→漫画→アニメ→家庭用ゲーム→PC系ノベルゲーム→ライトノベル→ケータイ?ときています。ノベルゲームは『ひぐらし』以降、同人市場で大量に作品が増えていて、正直追いかけきれないですね。あっという間に過当競争になって、なかなかヒットが出にくい状況な気がします。

そういう意味では、次はケータイでノベルゲームじゃねえ?的な話は、時々見かけるんですが、大きな話題はあまり目にしません。エロゲーの移植は割りと進んでいるみたいなんですが、現時点ではエロの部分に比重があるような印象。あとPCゲームの移植ぐらい。
携帯電話用美少女ゲーム製作ブランド Soft house seal (PC用公式ホームページ)

個人的に一番問題だと思うのは、携帯電話だとサウンドを楽しみにくいという点ですかね〜。イヤホンつければいいんでしょうけど、それもちょっと。携帯ゲーム機でも同じような事は言えるんですが、イヤホン装着率はまだ高いかなと思います。つっても音無しでやる人は多いですよね。

ノベルゲームは絵の表現力が限られているので、サウンドの演出がかなり重要です。『ひぐらし』も最初に遊んで感心したのはサウンドの演出でした。ノベルゲームの源流は『弟切草』『かまいたちの夜』のようなサウンドノベルですが、「サウンド」と頭に付くぐらい音の演出が大切でした。没入感を高める上で、非常に効果的にサウンドが使われています。携帯デバイスでノベルが盛り上がらない理由の1つは、ゲームデザイン的には、その辺にもあるのかなと思います。

Posted by amanoudume at 20:51 個別リンク | Comments (6) | TrackBack(0)

2006年09月12日

エンジン話が増えてきましたね

最近、日本のゲーム会社のゲームエンジンに関する記事が増えてきましたね。ここ何年かで日本のゲーム会社が少しずつオープンになってきたというか、自社の開発力(企画力や技術力)をアピールすることに積極的になってきました。

1つは技術が高度化して、職種の専門化が進んできたため、舞台裏に回りがちなパートにも表に出る機会を与えないと、モチベーションを維持しにくいためです。また1つは、自社の特徴を表に出すことで、人材採用の点で有利になったり、パブリッシャーへのアピールを増す狙いがあるからです。

こうした記事は、情報共有という点で大変すばらしいのですが、ちょっと誤解を招きがちな部分もあります。日本の技術者の技術力は以前から高かったんですよね。ただ、それを表に出す機会があまり無かっただけのことです。「ようやく追いついてきた」というのは、商業記事ゆえの煽り文句であって、事実とは数千光年も離れた表現だと思います。

まぁボクが以前は3Dエンジンのプログラムをしていたから言うわけじゃありませんが、日本のライターさんは技術にうとい人が多いから、ついつい「欧米は技術が高い。日本は技術が低い」という安直なイメージで物を書きがちなんですよね。技術的な話は、機密保持契約に触れやすいから、積極的に表で話しにくい。だからおかしなイメージが広がっても、現場の技術者が手を挙げて、否定することが難しいんです。

ボクが聞き及ぶ限りでも、大手以外にも、中小の開発スタジオが自社のエンジンを持ったり、エンジンを共有化することは、そんなに珍しい話ではありません。共有化というより、使いまわしといった方がより正確かもしれませんが。小さな所ほど、開発に余裕がありませんから、1からツールやエンジンを作り直したりせず、同じエンジンを使っていたりします。

そういう誤解を招きがちな表現はありますが、ゲーム会社の技術紹介記事は基本的に好ましいです。誤解が早く解けて、正しい日本のゲーム産業の力が多くの人に理解されるといいですね。技術面でも「日はまた昇る」と言われれば、素晴らしいことこの上なし。

Posted by amanoudume at 00:15 個別リンク | TrackBack(0)

2006年09月03日

幅の広がりが出てきたゲーム開発コミュニティ

今年のCEDECの講義(のレポート)を見るとそう感じます。
例年にもまして、現場のクリエイターの講演が盛況なこと、スクウェアエニックスの和田社長の基調講演があったことなど、イベントしての拡大をハッキリ感じます。残念ながら3年続けて参加できなかったのですが、2001〜2003年頃の内容とは比べ物にならない充実ぶりです。

[CEDEC 2006#07]ニトロプラス弓削田氏が語る,グラフィッカーにとってのプロの仕事
また、東浩紀氏の美少女ゲームについての講演や、ニトロプラスのグラフィっカーである弓削田氏の実践的な講演など、美少女ゲーム方面をカバーしているのも評価できます。

日本にはどうもおかしな偏見があって、美少女ゲームはゲームじゃないみたいな事を言う人たちも世の中にはいらっしゃいます。しかしそういう醜い区分けを行っているのは、世界でも日本ぐらいでしょう。少なくともボクは、欧米のゲーム産業で「バイオレンスゲームは人間の欲望を過度に刺激するくだらないジャンル。あんなものはゲームではない」などと、排斥するような動きを聞いたことがありません。もちろんつまらない意識に囚われているのは、ごくごく一部の人間ですし、そういう人たちが自然消滅しつつあるからこそ、このような流れになっているわけです。

実際、今のPS2市場において、美少女ゲームはかなりのタイトル数が出ていますし、同人発のゲームも無視できない売上を達成しています。国内の総開発能力を高めるためのコミュニティに、美少女ゲーム業界が参加するのは当然のことです。これにさらに、同人ゲームコミュニティとフリーゲームコミュニティを・・・・取り込むところまでいかなくとも、密接な交流をするようになれば、日本のゲーム開発コミュニティは世界最大か最高か最良か、ともかく最上の多様性をもった集団に成長するでしょう。

今後ダウンロード販売やオンラインのゲームコミュニティが成長してくれば、フリーゲーム制作者を取り込む動きは活発になるはず。実際、マイクロソフトはXNA Game Studio Expressのベータ版を公開しました。このような動きは今後も広がると思います。ゲーム開発コミュニティは、ゲーム会社に勤務している人だけのものではありません(そういう限定されたコミュニティも必要ではあるのですが)。色々な方面から多様な人材が集まってくることで、強いコミュニティが生まれて、日本ゲーム産業はますます拡大するはずです。

最近、日はまた昇るを強く感じることが多いですね。


(うーむ・・・・トップページが表示されない不具合が出ていましたが、とりあえず応急対処。Xreaの自動広告とMovableTypeの吐き出すトップページが干渉を起こしていたみたいなんですが、原因がイマイチ不明。3ヶ月に1回ぐらいこういう事が起こるんだよな。バナー広告の表示内容が変わると、自然治癒したりするし・・・・)

Posted by amanoudume at 01:59 個別リンク | Comments (5) | TrackBack(0)

2006年03月29日

ゲームはなかなか最後まで遊んでもらえないメディア

お二人のまとめが現状の的確な洞察

ここ数日、ユーザーの批評とクリエイターについての議論が一気に盛り上がった・・・・かどうかはよくわかりませんが、デジモノに埋もれる日々さんとNao_uさんのお二人がうまくまとめている、と思いました。

デジモノに埋もれる日々さん: レビューに貴賎なし - 客観的な「善悪」を付けたら止められない

しかし、多くの方々が感じ始めているように、そうしたカルチャは2ちゃんねるだけのものではなくなってきています。
(中略) 
 「2ちゃんねる化」とは何か?
彼らの叫ぶ「2ちゃんねる化」とは、すなわち「むき出しの批判」「むき出しの悪意」との対峙を迫られる事象のことに他なりません。

Nao_uの日記: 批判を作者に届けてしまうメディアの進歩の功罪

たぶんもう既に語りつくされているような話だとは思うけれど、現に2chやAmazonが存在していて、はてなブックマークのようなものを作ることが技術的に可能になっている時点で、喫茶店でのダベリトークレベルの批評や批判が製作者側に届いてしまうことはどうやっても避けられない。小学生レベルの批判や、ろくに触りもしないのに「クソ」と決めつけるような陰口はこういったメディアができるよりもずっと昔から変わることなく存在していたけれど、現在はさまざまな情報メディアの進歩によってそれが簡単に作者や他の聴衆にまで届くようになったというだけのことでしかないのだろう。
(中略)
このような現実は、それで飯を食っているような人間であれば諦めて受け入れるしかないのだろうけれど、だからといって趣味で創作物を作る人たちにまで同じことを要求するのは酷なことなのかもしれない。
まぁプロであれば、適応できなければ食っていけないという事だと思うんですよね。もはや世界は変わってしまったんですから。今さら過去には戻れません。


ゲームはなかなか最後まで遊んでもらえないメディア

もう1つだけ付け加えることがあるとすると、ゲームはなかなか最後まで遊んでもらえないメディアだということです。本や映画に比べて、最後までたどり着くのに時間がかかりますし、インタラクティブな娯楽ゆえに「難易度」や「作業」が発生して、途中であきらめてしまう人、途中で飽きてしまう人が出やすいんですね。

ゲーム開発では俗に、「○○分遊んで面白くなければ、プレイヤーは途中で投げ出してしまう」といわれます。ゲームのルールや楽しさをできるだけ短時間で、プレイヤーに伝える必要があります。例えば、カジュアルゲームのように規模の小さいゲームでは、「90秒でルールが把握できること」が大切と言われています。たしか、ボクの記憶では、ファミコン後期の時点ですでに、「ドラクエなら1時間ぐらいガマンしてくれるけど、無名のタイトルは15分が限界。それまでに派手なイベントで引き付けないといけない」というような開発者の発言が雑誌に載っていたはずです。

    ・ゲームの内容とルールを「わかりやすく」すること
    ・ゲームの序盤で、プレイヤーのモチベーションに火をつけること

ゲーム制作の何割かは、この2つを達成することにあると言っても過言ではありません。また、一般に名作といわれるゲームは序盤がよく出来ています。

ゲームは元来、「ユーザーがなかなか最後まで遊んでくれない」メディアです。シューティングゲームやアクションゲームが全盛の時代は、腕前が足りずに最後までたどり着けない人が多かった。その後RPGが日本で浸透したのは、誰でも時間さえ掛ければ最後までたどり着けるからです。しかしRPGでさえ、時間が足りなかったり、途中で作業が面倒になってしまい、やっぱり途中でやめてしまう人はいましたし、今もいるでしょう。

もちろん、他のメディアでも最後までたどり着かない人は存在します。買った本を最後まで読まない人だっていますし、映画だって途中で映画館を出る人はいます。しかし基本的に「最後まで読む/見るのが当たり前のメディア」です。

作り手としては自分の作ったものを最後まで遊んでほしい気持ちは強いですから、当然そうなるように作るわけですが、ゲームというジャンルの「難易度」という特異性がそれを阻むことがあります。RPGでも最後まで物語を進める前に、レベルアップなどの「作業」を要求します。ゲームというのは、本来なら最後まで遊んでほしい作り手自身が容易に最後まで到達させないような仕掛けを用意する、かなり特殊なメディアです。

ですから、ボクは1時間しか遊んでない人の意見も立派な意見だと受け止めるようにしています。自分の作ったゲームが最後まで遊ばれないという事はありますし、最後まで遊んでいない人の意見を読むこともあります。そういう人の意見は、もしかすると、世間様一般での「批評」の水準には達していないのかもしれませんが、最後まで遊ばなかったという事実がすでに1つの評価になりえる、と考えています。

例えば、「難しくてゲームが下手な私は全然先に進めません。つまらない」とか、「レベルアップが大変で、根気が続かない」という意見は立派な評価だと思います。同じようにゲームが上手くない人、根気のない人は、購入の際に大いに参考にできるでしょう。それはとても有意義なことです。

ゲームが上手な人やプレイする時間と根気のある人が、そういう意見を潰すことはできないと思います。しかしゲームが下手な人にアドバイスしてあげたり、その障害を突破したらどれだけ楽しいことが待っているのかを(ネタバレをせずに)嬉々として語って聞かせたり、時間を費やした先の面白さを語ることは可能です。またその結果、最後まで遊んでくれる人が増えることは、作り手にとってありがたいことです。

2年前のエントリーですが、関連する内容を挙げておきたいと思います。
定価分の満足

Posted by amanoudume at 23:39 個別リンク | Comments (4) | TrackBack(0)

2006年03月25日

「クソゲー」という言葉を受け止められない人間がゲームを作るな、と言いたい

批判の仕方/受け止め方

作品への批判の仕方についての議論が盛り上がっているご様子。

naoyaの日記 「作品を批判すること 」

何がそんなに頭に来たかというと、単に自分が面白いと思ったものを批判されてるからというわけではないです。そうじゃなくて人が一生懸命作ったものを安易にクソゲーだとかいってボロクソに書く無神経さが許せない、という感じです。それはもちろん、僕がしょぼいながらもクリエイターというところに起因しているように思うけど。
(中略)
なので、人が作った作品が安易な批判にさらされてるのを見ると嫌な気分になる。作品を批判するということは、その作り手に対して想像以上のダメージを与える行為だから。

Nao_uの日記 「 いいモノを作るためには適切な批判が必要」

極論ではあるけれど、仮にターゲットである人たちの大部分から「良い」と思ってもらえないような独りよがりな価値観の人であるのなら、本人がどう思うかはともかくあまり「クリエイター」と名乗るべきではないように思う。その批判が作品への批判なのか人格への批判なのかが問題なのではなく、「出来上がったものを見て他人がどう感じたのか」こそが一番の重要なポイントなんだろう。
(中略)
それでも、問題点の指摘は必要だし、批判の無いところからはより良いモノは生まれてこない。

ボクは断然Nao_uさんと同意見です。プロのクリエイターはどれだけ口汚い罵倒であっても、批判を受け止めるのが当たり前です。受け止めたうえで、その意見を反映させるかどうかは別ですが、目を閉じたり耳を閉ざしても仕方ありません。現実は変わりません。

世の中には色々な考え方の人がいます。あちこちのゲーム開発者のブログを見ても、この「批判への姿勢」はじつに様々です。ですからボクの意見が絶対に正しいとはいいません。あくまでボクの考え方の表明です、これは。


批判を受け止めるのがプロ

世の中のクリエイターと呼ばれる人々の中には「繊細な」人がいらっしゃって、「ただのクソゲー。つまらん」みたいなストレートな感想にぶつかるとひどく傷ついてしまって、「そんなもん、安易な批判じゃないか」と思考停止してしまいます。また、実際に遊んだのか遊んでないのかを知る手段なんてどこにも無いのに、アンチがユーザーの振りをして叩いていると決め付けたりします。

たしかにネットにおいては、ただ批判するのが趣味な人もいれば、叩くのが自己目的化している人もいるでしょう。しかしだからどうしたのか? そんなもん、ユーザーの勝手なんですよ。そうした意見を読んで、心が傷つくようなプロのクリエイターは、さっさとブロークンハートして、会社を辞めるなり、業界を去るなりしたらいい。

「クソゲー」というのは最短の感想ですよ。大体、娯楽なんてものは究極的には、面白いか、つまらないか、どちらかなんです。「このゲーム、おもしろ」という一言も、百万言費やしてダラダラ誉め言葉を並べたレビューも等価です。「超クソゲー、やめた」という残酷な一言も、一千万言費やしてあらゆる角度から問題点を指摘した解析的レビューも一緒です。

作った側としては、具体的にどこが面白かったか、どこがつまらなかったかを詳細に指摘してもらえれば、次に活かせるからありがたいというだけなんです。自分で長所・短所を見つけるのは、特に客観的に評価するのは意外と骨ですからね。こっちの仕事が楽になるわけですよ。でもそれは「望外の望み」というやつです。棚ボタです。本来感想なんてものは、面白いかつまらないかです。感想に貴賎はありません。いつから「クリエイター様」はそんなに偉くなったのか。


娯楽ってのは面白いか、つまらないか、ただそれだけです

あのですねー、例えばファミコン時代の名作として『ファミスタ』や『スーパーマリオ』がありますね。でもね、ボクはゲームが下手くそな人間で、小学生の頃にはもっと下手くそで、ファミスタで三振ばっかりなんです。9回までやって、1回しかバットを当てられなかったり。ボールが前に転がっただけで、「おっ、おまえwwww今日、うまいじゃん、成長したねプププププ」なーんて、友達に笑われていたわけですよ。『スーパーマリオ』だって、ワープ使っても全然クリアできません。はじめてクリアしたのは中学に上がってからですよ。

そんな人間ですからね、「なんだよ、このクソゲーは・・・・」「ナムコや任天堂って、クソゲーばっかりだな」なーんて思っていたし、言っていました。大体、あの頃の子供は、何らの罪悪感もなく、「クソゲー、クソゲー」連発していたような気がします。一方、今は小学生や中学生だってネットにつなげられて、意見を好き放題書ける時代です。するとあの頃のボクがここにいたら、2chやアマゾンに「ただのクソゲー」と書き込んでいたかもしれません。

タチの悪いクソガキですよ、あの頃の俺。
でもなー、そんなもんでしょ、遊ぶ側なんて。別にかしこまって、正座して、眉間にしわを寄せて、偉大なるクリエイター様のお作りになったスーパー・クリエイティブ作品を遊ばせていただくわけじゃない。パンツいっちょで、ダラーっと寝っ転がりながら遊んで、適当に飽きたらコントローラ投げ捨てて終わりでしょ。

そんなもんだろ、娯楽ってのはさ。そういうことに何か適当な言葉をくっつけて、「批評でござーい」とか「分析でござーい」とか、カッコつけてどうするの? 金出して買ってなくたって、友達の家に行って、ちょっと遊んで「おまえ、こんなの、買うなよ、バッカじゃねw」とか、「これ、つまんねーwwwwww」とか好き放題いう。店頭でゲームを見て、「なんか、これつまんなそう」とか、「相変わらずクソゲーばっかだな」とか、ゲラゲラ笑う。そんなもんでしょうが。ゲームショップの前でかしこまって、礼儀正しくゲームを語るお子様がこの地球上のどこにいるんだよ?

実際、20年前のクソガキ君が今こうしてゲームを作る側に回っていたりするわけで。そんなもんでしょうが。


結局は器の大きさの問題ですよ

ボクは『ファミスタ』のクリエイターに向かって「三振しかしないよ、あんなの。すげー、むかつく」と言ったことはありませんし、そもそも言う機会もありません。『スーパーマリオ』のクリエイターに向かって「あんなの、難しくてできねーよ。クソゲーじゃねーの」なんて言ったことはありませんし、言う機会もありません。しかし仮にそういう機会があったとして、そう言ったところで、これら名作を生み出した方々はちっとも怒らないと思いますね。ハートがブロークンしたりしないでしょう。

だって結局、小僧だったボクはぶー垂れながら遊び続けてたわけですよ。『スーパーマリオ』にしても、中学に上がって、ある時暇つぶしに遊んだらクリアできちゃいましたしね。ずっと遊び続けていたり、ふっと思い出して遊んでみたり。これって、クリエイターの勝ちですよね。まぁ本当は、勝ちとか負けじゃないんですけど。しょせん掌の上って感じ。

要するに娯楽ってのは、ユーザーに「面白い」と思わせるものであって、「面白い」と言わせるものではないし、ましてや「面白い」という一言を百万言のレビューをもって語ってもらうものでもないんです。娯楽のクリエイターってのは「おもしろテスト」を受けて、審査官たるユーザーに点数をつけてもらうために仕事してるんじゃない。点数だの、言葉だのがほしいやつは、小学生に戻ったらどうよ。小学生なら学校のセンセーが「よかった探し」をしてくれるよ。

結局は作品の器の大きさ、クリエイターの器の大きさの問題なんですよ。
たとえ10歳の頃に「つまんねー」と思われても、15歳になったらハマってたみたいな。例えば、そういうもんでしょ、名作って。懐が深い、キャパシティーが大きい、ポテンシャルが大きい作品には、そういう現象を起こす力があります。表層的な言葉や点数に踊らされるのって、結局、作品やクリエイターの器が小さいだけなんですよ。

なんていうか、今回の『FF12』のレビューの件に限らず、器が小さい話が多いよな、最近。いいじゃないの、批評家きどりのゲーオタ君に「クソゲー、クソゲー」言われたってさ。ぶーぶー言いながら、結局最後までやっちゃって、「あれ? お前、文句言ってなかったっけ?」とか仲間に突っ込まれる。で、批評屋ゲーオタ君が「ま、まあ、遊べないことはないからね。ひまつぶしにね・・・・クソだけどさ」なんて、顔赤くして呟いたら、もうシメたもんじゃないですか。

そんなことより、YouTubeあたりで動画を観て、「俺、ムービー観たから遊ばなくていいや。面倒くさそうだしw」とスルーしちゃうようなユーザーがいるかどうかのほうが、よっぽど大問題ですよ。

クリエイターなんてのは、完成させるまで、世の中に出すまでは、そりゃ眉間にしわを寄せてしまうような事もありますけどね、キーキー言って、ワーワー叫んで、ギャーギャー議論するもんですけどね、いざ世の中に出したら、ドーンと構えるしかないんですよ。面白いものを作った自信が本人にあれば、ハートがブロークンしたりしません。どこかに隙があれば、そりゃ心が泣けてくるのかもしれませんが。結局はクリエイター本人の問題ですよ。

Posted by amanoudume at 01:37 個別リンク | Comments (17) | TrackBack(8)
好き・嫌い
Excerpt: 同じ物作りなので、興味深く読み進めた以下の記事。 発熱地帯「クソゲー」という言葉を受け止められない人間がゲームを作るな、と言いたい」 において、 You...
Weblog: Baiasuka's webpage
Tracked: 2006年03月25日 05:21
ちと考えたり?
Excerpt: 面白いと言うか、そらそうだろーな記事見つけたので貼っておくね。 クリエーターがなんやかんやの話。 うんうん。と思いつつ途中でFF12の話になってて...
Weblog: PletiO
Tracked: 2006年03月25日 16:34
[さんま] クリエイターは「批評されること」そのものを問題にしているのではない
Excerpt: 作品を批判すること(naoyaの日記) 「いいモノを作るためには適切な批判が必要」(Nao_uの日記) 「クソゲー」という言葉を受け止められない人間がゲ...
Weblog: 昨日の風はどんなのだっけ?
Tracked: 2006年03月26日 03:40
[ゲーム]それは仕事全般に言えること。
Excerpt: http://amanoudume.s41.xrea.com/2006/03/post_181.html ■個人的にはDAKINIさんの意見に賛成。という...
Weblog: Winterfield Ashhorse
Tracked: 2006年03月26日 12:47
レビューに貴賎なし - 客観的な「善悪」を付けたら止められない
Excerpt: 日曜コラムです、こんばんは。   先週の後半から一気に噴出した議論があります。 naoyaさんがFF12のAmazonレビューに対して、   「無神経な批...
Weblog: デジモノに埋もれる日々
Tracked: 2006年03月27日 12:08
これがお前の物語だ!雑記
Excerpt: 今回のFF12は批判が多いみたいですね。(毎度の事だけど http://naoya.g.hatena.ne.jp/naoya/20060323/11...
Weblog: Wrecage of Diary
Tracked: 2006年03月27日 21:02
本編より熱い? FF12論争
Excerpt: 事の始まりはAmazonのレビューについて、伊藤直也氏が噛み付いたのがキッカケ?...
Weblog: Todasoft Blog
Tracked: 2006年03月27日 22:08
FF12事変:批評に関する諸々の事柄
Excerpt: naoyaの日記:作品を批判することhttp://naoya.g.hatena.ne.jp/naoya/20060323/1143099465 FF12は...
Weblog: Thinking on the Midair
Tracked: 2006年03月29日 00:05

2006年02月14日

ゲームというのはインタラクティブな方法論を使って感情的なゆさぶりを演出するメディアです

「インタラクティビティー」や「手ごたえ」について書いた理由

先週掲載したプレイヤーから「手ごたえ」を奪うゲームの反応がなかなか多いです。少なくない人が漠然と感じていたことだったのかもしれません。

昨年末までは、Web2.0とゲームについての話や、ゲームが外に広がっていく話を書いてきましたが、このところ急に「インタラクティビティー」や「手ごたえ」というものをテーマに書いています。そのあたりの問題意識がどこにあるのかについて、少し書いておきます。

1.ゲームが外に広がっている
   ・ゲーム会社がゲーム以外の事業を広げている。
   ・ゲーム自体の定義が広がっている。実用性ゲームブーム。「非競争ゲーム」が台頭してきた。
   ・オンラインゲームになると、オフラインゲームほどの狭義のゲーム性は要らない。
   ・ゲーム会社のコンテンツがいわゆるゲーム機以外のプラットフォームで動くようになってきた。

   他産業に対しての優位点は何か?
   競争力の源は何か?
   ゲーム開発者にとっての武器は何か?

2.ゲームらしいゲームに元気が無い
   ・例えば、ストーリー系のゲームの進化(?)の1つとして、『アドベントチルドレン』がありえる。
   ・ライトユーザーブームが起きている中、満足にゲームデザインが分析されていない。
   ・例えば、『脳トレ』にしても、実用ソフトの皮をかぶった紛れも無いゲーム。
   ・10年前にも同じようなことがあったが、「ゲームらしくないゲーム」はさほど長続きしなかった。
    その辺りの総括と反省は?

   「ゲームらしいゲーム」の構造のうち、どの部分が古く、機能しなくなってきたのか?
   「ゲームらしくないゲーム」の構造のうち、どの部分が新しいのか? 成功しているのか?
   一過性のブームで受けているものと残るものを見極めないといけない。

3.ゲームのノウハウが他の分野に生きる
   ・ユーザーインターフェースへのこだわりがデジタル家電、セットトップボックスの開発に生きる
   ・Webサービスとの連携、融合
   ・FLASHその他のインタラクティブメディアへの影響

過去20年近く続いた旧来のゲームデザインの効果が薄れてきているのは確かですから、そろそろ今のユーザーに合った形でのインタラクティブメディアの演出、技法、定石、設計(ゲームデザイン)を本気で構築していかなければいけない、ということ。ただ、その一方で、10年前のライトユーザーブームと同じ失敗をもう一度くり返すほど、ボクらは間抜けではない、と信じたいということ。
変化が急激であればあるほど、ある種の冷静さは必要です。


ゲームデザインって・・・・

「ゲームデザイン」という言葉を使うと、どうも旧来の「ゲームらしいゲーム」に限定した話をしているように思われそうです。そういう意味では名前を改めて、例えば「ゲームデザイン2.0」でも、「ゲーム2.0」でも、「インタラクティブメディア演出技法」でもいいのです。
(そういえば、AOGCの講演資料のスライドを見ると、どなたかの講演で「Web2.0のゲーム版→Game2.0」というような記述がありましたね)

ここでゲームデザインは何かというと、こちらの記事のコメント欄で話題になったように、インタラクティブなメディアを通して”感覚的なゆさぶり”を演出することです。

jun氏:
ゲーム製作については良くわからないのですが、上に書いたような”感覚的なゆさぶり”を演出するのが、”ゲームデザインする”ということなのかなぁと思いました。

DAKINI:
基本的にそう考えていただいて構わないと思います。ゲームというのは、インタラクティブな方法論を使って、
感情的なゆさぶりを演出する、とりわけ「面白い」という気持ちを持続させるメディアです。

その目的とするところは過去も現在も未来も変わりませんが、やはり時代と共に「演出技法」の流行り廃りは起こるわけです。特に最近は、旧来型のゲーム、ゲームらしいゲームの元気がなくなっていますから、新しい「演出技法」に対する注目が集まっています。

しかしそれは「演出技法」の問題です。
そもそもの「目的」が変わるわけではありません。ユーザーに「手ごたえ」を感じてもらわなくていい、というわけではありません。確かにある古い様式、古い型は、通用しなくなりつつありますが、ユーザーにいかにして「手ごたえ」を感じてもらうかを追求してきた積み重ね、ノウハウがすべて無効になるわけでもありません。

Posted by amanoudume at 23:54 個別リンク | Comments (2) | TrackBack(0)

2006年02月09日

プレイヤーから「手ごたえ」を奪うゲーム

ゲームって要らないよねという流れを後押しするゲーム

去年は、RPGの続編モノの売上が低下した一方、ムービーだけのFFである『アドベントチルドレン』が大成功したことで、「ゲームなんて要らないよ、ムービーだけ見せてよ」というユーザーの本音が表面化しました(参考:ストーリー神話の崩壊を裏づける? アドベントチルドレンの大成功)。

さて、『FF7』派生作品の1つ、『ダージュ・オブ・ケルベロス』の出来があんまりですね。昔からスクウェアはRPG以外のジャンルはダメ、と言われていましたが、いまだにその体質は変わらないようです。出来の悪いアクション、レース、テーブルゲームに美麗なムービーをつけただけのAQUESブランドの失敗を、全然反省できてないんですねえ・・・・。ネットでの評判も最悪の極み。

このゲームは「惜しい」とか、どこを良くしようとか、そういう次元じゃないです。よくフリーゲームで、RPGツクールで作ったアクションゲームってありますよね。あんな感じです。何もかもが少しずつ悪いというか。せめてもの救いは、RPGしか遊んだことが無いような人向けに、簡単なモードが用意されていることでしょう。このゲームは『FF7』派生作品だけあって、女性ユーザーの購入率が高そうですが、そういう人でもクリアはできそうです。

ただなあ・・・・簡単なのはいいけど、こんなのただの作業じゃない。
これ、別にゲームの部分要らないんですよねえ。『アドベントチルドレン』みたいに映像だけでいいんですよ。
このゲームを遊んだ人の何割が「やっぱりゲーム(の部分)って要らないね。邪魔だね」と感じるのかな。他人の商売を批判する気はさらさらないけど、自分で自分のクビを締めてる気がします。そんなに「映像はすごいけど、ゲームは・・・・」というブランドにしたいのかなあ。


根本的に何かを間違えた商品は悲しい

『新鬼武者』、一般人の興味をひくために実在の有名人を使っていた路線から切り替えて、オタク路線に。いったい何があったんですか? 公式サイトの右上の「茶処ほととぎす」が象徴的。会話デモには、キャラの顔イラストも表示されます。『テイルズ』や『ラングリッサー』じゃないんだからさ。萌えキャラも導入。ネットの掲示板を見ても、「茜たんが・・・・茜たんが・・・・」って、おいおい。

まぁ売上を見れば、「ゲームはマニアしかやらない」という浅薄な市場理解をしたプロデューサーの責任は重いですね。初週売上は前作の約半分だったようです。『鬼武者3』で半減、今回でさらに半減。かつてのミリオンソフトが見る影もなし。スクウェアエニックスの『コードエイジ・コマンダーズ』といい、最近こういうの多いですね。勘違い系オタ向け路線。媚びても売れません。

と厳しめにコメントしましたが、今までにくらべて初心者に優しくしようという姿勢がうかがえるのは評価できます。最初から「超易」「易しい」「普通」の3つの難易度がオープンしていたり、チュートリアルで操作をテロップで表示していたり、RPG要素が強化されていたり。


プレイヤーから手応えを奪うゲーム

ここからは内容の話です。
始めのボス(大魔神みたいなやつ)がいるじゃないですか。そいつを倒すと、つまり手を斬りまくって体力ゲージをゼロにすると、経験値が入ってまあレベルアップなんかして、その後デモが走って、その中で主人公が大魔神の顔面近くに飛び上がってとどめを刺すんですね。
問題点がわかります?

ボスを倒した「手応え」が無いんですよ。
肝心のとどめを刺す手応えをデモがプレイヤーから奪ってるんです。これ、始めのボス戦でしょう。ある意味、一番大切なボス戦ですよね。せっかく簡単にしても、それは初心者にもまず楽しさを知ってもらって、ゲームに入り込んでもらおうという意図ですよね。だったら、肝心の手応えの部分は、しっかり味わってもらわないといけませんよね。デモがプレイヤーの出番を奪ってどうするんですか?

カプコンみたいに長年アクションゲームを作ってきた会社が、こういう事を平然とやっている。おそらく作った人たちは問題とも思ってない。鬼武者チームって、バッサリ感とか、ズバババッサリ感とか言っている人たちなのに。ボクが常々、日本のゲームの質が落ちた、と言っているのはこういう事です。


良く出来ているだけのゲームが多すぎる

分業が進んだ悪影響なのかな、とも思いますが、本当に良く出来ているゲームが増えました。それぞれのパートは全力で仕事をしているはずで、クオリティも高いのに、大して面白くない。この「大して面白くない」というのが非常にくせもので、「つまらない」わけではない。

かといって「面白い」わけでもない。ボクは時々ゲームが「良く出来ている」という言い方をするんですが、それって誉めてないんで。要するに、他に何の誉めるべき点も無い、まぁ労力がかかってるのはわかるし、1つ1つのクオリティが高いのも事実だから、「大して面白くない」というのはあんまりだな・・・・と思って、そう書いているんです。

ネットでは「ゲームがつまらなくなった」ってよく言われてますね。そのほとんどは「マニアの意見」「メディアとしての成熟」「飽食の時代」「批評家の枕詞」で流していいと思います。ただ、100パーセントは流せないんで。やっぱり駄目になってる部分はあると思います。様式だけは一見ちゃんとしてるようで、インタラクティブな演出がおろそかなゲームが本当に増えました。グダグダになってます。


インタラクティビティーを軸に考えるのがゲーム開発者のはず

ボス戦に話を戻します。とどめを刺す時には通常攻撃じゃなくて、特別なアクションやカメラワークを使いたいと、制作者が考えることもあるはずです。それはわかります。ただし方法は色々あるわけで。例えば、『God of War』では、ボスに一定量のダメージを与えると、△ボタンや○ボタンのアイコンが大きく表示されて、タイミング良くそのボタンを押していくと、次々と特殊な専用のアクションでボスに攻撃していくんです。ボスの頭に飛び乗って、剣を突き立てるのも可能。派手なアクションもカメラワークも使えるし、プレイヤーから手応えを奪うこともありません。

これは別に『God of War』が発明したものではなくて、『シェンムー』のQTEの子孫でしょう。また、ボクの記憶違いでなければ、『風のタクト』のガノン戦で、ガノンヘの最後のとどめは確か特殊攻撃でした(Aボタンアイコンが光った時にAを押すと出る)。飛びかかったリンクがガノンの眉間に剣を突き立てます。振り返れば、他にも実例はいくつもあるでしょう。
見せ場を作るのがいけないのではなくて、見せ場がプレイヤーから手応えを奪うから問題なんです。そもそも何のための見せ場なのか、ゲーム全体の中での役割は何なのかを考えれば、本来シンプルな話のはずです。

『新鬼武者』を作ったのが欧米のゲーム開発者で、『God of War』を作ったのが日本のゲーム開発者なら、何も悲しむことはないんですがねえ・・・・。欧米で日本のゲームが売れなくなった? 残酷性が足りない、フォトリアルが足りない、バイオレンスが足りない、FPSっぽさが足りない。なるほどねえ。マーケティングの言葉ってわかりやすいですよね。でもその前にやることあるでしょうに。マーケティングは大切ですが、それ以前の問題が表面化してますよ、日本は。

Posted by amanoudume at 20:35 個別リンク | Comments (12) | TrackBack(7)
カットシーン
Excerpt: 発熱地帯さんで気になるエントリー。未読の方はどうぞ。 発熱地帯: プレイヤーから「手ごたえ」を奪うゲーム コメント欄のDAKINI氏の発言にも...
Weblog: ゲーム脳日記
Tracked: 2006年02月11日 21:48
確かにその通りですな〜
Excerpt: プレイヤーから「手ごたえ」を奪うゲーム まあ確かに、最近まともに自分もゲームやる気にならないですからね〜 >分業が進んだ悪影響なのかな、と...
Weblog: ごった煮
Tracked: 2006年02月12日 19:04
ねぇねぇTvゲームって
Excerpt: ワタシはRPGの類はほとんどやらないタチですが。 (何本かは買ったのだが未だにやっていない、つまり「積みゲー」状態)
Weblog: いかがに・ぱれす
Tracked: 2006年02月13日 22:51
ゲーム
Excerpt: プレイヤーから「手ごたえ」を奪うゲーム 確かに手ごたえが感じられるゲームというのが少ない気がします。 やってみるとつまらなくはないけど面白いって程...
Weblog: 日々主
Tracked: 2006年02月13日 23:50
ゲームてごたえ
Excerpt: てごたえ  昨日だか一昨日だかに書いた。思い出したので、再び。『キングダムハーツ2』は戦闘がイベント化されてたよ。リアクションコマンドって形で。戦闘は基...
Weblog: ヒゲのある生活
Tracked: 2006年02月14日 17:13
ゲームの手ごたえ
Excerpt: 発熱地帯: プレイヤーから「手ごたえ」を奪うゲーム ゲームとは何ぞや。というお話...
Weblog: JE no hitori chat
Tracked: 2006年02月17日 16:36
ゲームについて考える
Excerpt: どうぶつの森の面白さについて書く為の前フリ。 これも昔から書いたりしてきた事の再構築。 ■ゲームとは何か まずゲームとは何かというと、 ゲームというのは...
Weblog: ボボ日
Tracked: 2006年03月19日 02:30

2006年01月31日

実用性と娯楽のバランスは難しい

売上は大切だが、期待に応えるのも大切

『英語が苦手な大人のDSトレーニング えいご漬け』がかなり売れているようですね。
忍之閻魔帳さんによれば、初週10万本突破は確実なようです。『脳を鍛える大人のDSトレーニング』を連想させるタイトルですし、メニュー等のインターフェイスも似ていますので、『脳トレ』を楽しんだユーザーも少なからず動いたでしょうね。このソフト、元々はPCのソフトで、それが20万本出ているので、DSなら30万本ぐらいはさらっと売れそうです。

まぁ売れるのはいいんですが、満足度というのも大切です。
例えば、FFシリーズで一番人気があるのは『FF7』だと言われています。『アドベントチルドレン』の成功を見ても、いまだに『FF7』の世界観とキャラクターは根強い人気があります。しかしFFシリーズで一番売れたのは『FF8』なんですね。『7』に満足したユーザーが期待して買ったわけです。ところが、『8』があまりに凶悪なゲームバランスだったり、共感しにくいシナリオで、少なくないユーザーが「期待ハズレだった」と感じたため、『FF9』から急に売上が落ちてしまい、それ以後FFシリーズが300万本を越えることはありません。


やや実用寄りの『英語漬け』

このソフト、実用性と娯楽のバランスが実用に寄りすぎです。『脳を鍛える大人のDSトレーニング』や『やわらかあたま塾』と同レベルの楽しさを期待すると、たぶん失望するんじゃないでしょうか。英語力をつけたいという気持ちは、脳を鍛えること以上に切実ですから、これでいい人もいるでしょう。評価は2つに分かれると思います(実際、分かれているようです)。『脳トレ』の楽しさを期待した人の中には、すぐにやめてしまう人も結構いそうです。

最近、DSでは『脳トレ』、『nintendogs』、『おいでよ どうぶつの森』、『英語漬け』といった毎日少しずつ遊ぶスタイルのゲームが増えています。こうしたソフトが実際どれぐらい長期間遊ばれているのか、もし調べられたら、なかなか興味深いデータになりそうです。『英語漬け』は他のソフトと比べて、長期間続かないんじゃないか、というのがボクの予想です。


実用性と遊びのバランスは難しい

理想を言えば、ゲーム機でも娯楽以外の実用的なソフトが出たほうがいいと思うんです。だって、PCで実用以外のソフト(ゲームなど)が出ても、「PCで実用性の無いソフトが出るなんて、おかしい」という人はいないわけですよ。どうしてゲーム機では、「ゲーム機で面白くないソフトが出るなんて、おかしい」と言われてしまうのか。
プラト(英語漬け)に限らず、DSはPCソフトを手がけている会社に新しいビジネスチャンスを提供しました。タブレットPCの普及がまだまだ低調な状況です。例えば、本格的なペイントソフトとは違う、娯楽性をもったお絵描きソフトをもった会社が仮にあったとしたら、DSに巧妙を見出すかもしれません。可能性は大きい。

とはいえ、それはゲーム開発者やビジネスをしている人間の感覚で、ユーザーはまだまだゲーム機に「楽しさ」を求めているのも確かでしょう。特に任天堂を始めとして、いわゆるゲーム会社にはそういうコンテンツを期待する人は少なくない。『英語漬け』に対して、ネット上には「期待と違った」という意見もあれば、「さすが任天堂、面白い!」という意見もあるようです。しかし肯定している人も「買う前には楽しいかどうか、不安だった」と書いている人が多いみたいですね。

ボクは基本的に、ゲーム機で動くソフトが「面白い」必要は無い、もっと自由であってよい、と思います。その方がより多くのソフト制作者に、チャンスがもたらされるからです。ただ、いきなり飛べないのも現実。少なくないユーザーが「期待ハズレ」と感じるのであれば、せっかく膨らんできたライトユーザー市場をシュリンクさせてしまいます。ゲームはゲーム開発者の認識に合わせて進化することはできません。ユーザーの認識と歩調を合わせることでしか、未来に進めないのです。

折りしも、あれれさんも同じような見解に達していました。ゲームのマボロシ 「ゲームデザインのこれから(14) 最終回:なぜゲームは売れるのか」

そのように考えると、少なくともタッチジェネレーションシリーズにおいては、コンセプトの良さとゲームとしての面白さ、両方を兼ね備えたゲームだけが売れた、ということになります。つまり売れた理由は1つではなく2つなのです。
(中略)
ゲームの魅力において中心に存在するのは、やはり「面白さ」です。人々に「面白さ」を届けることができるのが、ゲームというメディアのもっとも大きな利点だからです。


とはいえ・・・

投げかけた課題は大きいものの、英語に馴れるための勉強ツールとしてみれば、手書き入力のおかげもあって良いソフトです。手書き認識もパーフェクトではありませんが(特に「i」や「H」)、いくつになっても学校教育のクセは抜けきりません。手で書くほうが身体にも脳にもなじむのですね。

Posted by amanoudume at 21:35 個別リンク | Comments (12) | TrackBack(1)
脳トレ群は「出来なきゃ“悔しい”」えいご漬けは「出来ると“嬉しい”」
Excerpt: http://amanoudume.s41.xrea.com/2006/01/post_149.html#comment-1155 発熱地帯: 実用性と娯...
Weblog: workshop PCエンジンおしゃれ計画
Tracked: 2006年02月02日 17:46

2006年01月26日

美少女育成ゲームの話が盛り上がっていますね

『アイドルマスター』は久しぶりに現れた美少女育成ゲームです。
美少女育成ゲームは一度廃れたジャンルで、いわば『アイドルマスター』はその復活といえるわけですが、ネットでも議論が盛り上がってますね。
    へたれゲーマー駄文:アーケード流対戦育成SLG『アイドルマスター』
    最強の伊織派blog:アイマスの姿はときメモに似ている(アイドルマスターの萌え構造・黄薔薇革命)

90年代はギャルゲーがホットな時代でした。ハードの性能が向上して美少女と呼べるだけの表現力を獲得し、次にCD-ROMブームによる音声や動画の導入による影響もうまく働き、さまざまなゲームが生まれました。

    ●育成SLG: 『プリンセスメーカー』→『卒業』→アイドル育成ゲーム
    ●恋愛SLG: 『ときめきメモリアル』
    ●ナンパゲーム継承系: 『同級生』
    ●アドベンチャーゲーム発展系: 『EVE the burst error』、『御神楽探偵団』
    ●恋愛ADV?系: 『サクラ大戦』
    ●アニメーション系: 『やるドラ』
    ●ビジュアルノベル系: 『ToHeart』

おそろしく多様なゲームが出てきたと思うのですが、そのほとんどは衰退していき、おそらく一番強く生き残ったのは『ToHeart』の流れでしょう。なぜ『ToHeart』の流れが残ったのかという理由については、最強の伊織派blogさんのエントリーに書かれているとおりだと思います。

 ToHeartは、インタラクティビティによるプレイヤーの主人公化をあきらめた。ToHeart型恋愛ゲームは新しいものを捨て、物語を読ませるメディア、旧来の小説やマンガと同格のものに戻った。
 しかし皮肉なことに、そのほうが技術的に身の丈に合っていた。
 ときメモ型恋愛ゲームに選択肢を出すことを考えると、プレイヤーはそのときとる行動を無数に考えられるのだから、選択肢も無数に増やし、そのリアクションも無数に用意するという無限拡大によらなければ理想に近づけない。
 ToHeart型恋愛ゲームなら、「この主人公だからここはこうする」という正解を用意できる。プレイヤーという無限に背を向けることで、これがストーリーの完成度を上げることにつながった。

 消費者は、ときメモ型の「インタラクティブなバーチャル恋愛」よりも、ToHeart型の「読み物として面白い恋愛物語」を選んで、今に至る。

この辺りの議論は、じつはここ最近続けざまに論じているストーリーとゲーム性の矛盾や、ストーリーとインタラクティビティーの矛盾にも通じる話です。年が明けてからの一連の記事がつながっていることに気づいていた人もいらっしゃるでしょうね。

世の中というものは面白いもので、直接は関係しない複数のメディアやジャンルで、同時に同じような現象が起きたり、似たような問題が浮上したりします。娯楽の「同時代性」とでも言うべきか。ボクにとっては、ゲーム離れも、連続もの低迷も、『アドベントチルドレン』の成功も、DSの大ヒットも、『脳を鍛える大人のDSトレーニング』のヒットも、『アイドルマスター』の成功による美少女育成ゲームの復活も、『ToHeat2』の成功も、『電車男』や『生協の白石さん』の大ヒットも、Web2.0も、どれも無関係ではありません。

FLATLINE 「ゲームにストーリーは必要か?」

インタラクティブムービーとしてユーザーを満足させるべく、こういう環境で揉み込まれていっているのが、エロゲーなわけだ。
私は同級生以降のエロゲ―を知らず、どうしてDAKINI氏のような硬派(っぽい)開発者がエロゲ―を熱く語るのか今の今まで疑問であったのだが、なるほどこういうわけだったのかと思った。
まぁボクが「硬派」かどうかはともかく、数あるトラックバックの中で一連の記事の関連性を指摘したのはFLATLINEさんだけでした。わかりやすく書いてはいないのですが、わかる人にはわかるのですよね。

今、娯楽の世界で何が起きているか。ちゃんと「皮膚感覚」を持った人ならある程度気づいていると思います。ですから1から10まで丁寧に書くつもりはありません。ところで、上にあげた様々な事例。意図的に書いてないものがあるんですが、お気づきでしょうか?

Posted by amanoudume at 05:02 個別リンク | Comments (4) | TrackBack(0)

2006年01月22日

ドラクエの呪縛と盲腸仕様

ふと思ったこと

読者の方はご存知のとおり、ボクのゲーム離れは深刻な状態。
ここ最近、全然RPGを遊んでいないので、少し間抜けなことを書くかもしれません。

以前、『ゼノサーガ エピソード掘戮離押璽牴萍未瞭芦茲魎僂道廚辰燭里、プレイヤーキャラがNPCに接近しただけでNPCが会話を始めていること。実際に操作したわけではなくて、動画を観てそう思っただけなので、じつは立ち止まってボタンを押して会話しているのかもしれませんが。この仕様って、たしか『龍が如く』もそうだったはず。

最近のRPGはみんなこうなっているのかな?とちょっと思った次第。ボクは「NPCの前に立ち止まって、Aボタンを押して会話を始める」という仕様が古臭くて好きじゃないので、気に止まったんですよね。近づくだけで会話が始まるRPGは、昔からごくたまにあったんですが、ようやく「トレンド」と言っていいレベルになるのかなーと。もしかすると、オンラインRPGの影響もあるのかな?

話しかけないとまったく反応しないNPCというのは、自然さという点ではちょっと古臭い。少し手間をかけているRPGだと、プレイヤーキャラが近づくと、視線と首だけは追いかけて、話しかけると全身でプレイヤーキャラの方に向き直りますが。ただ、こういうことにコストをかけてどうするんだ?という議論もあるわけです。

そもそも盲腸仕様だよな

ドラクエならいまだに会話が重要ですから、ボタンを押して会話を始めることにも意味はあるでしょう。
けど、他のRPGって、そもそもNPCとの会話が必要なんですかね? 正直、重要とは思えない。『FF7』の頃から感じてたんですが、『FF』で町の人と会話できる必要性って全然ないでしょう。町の人の生活感が・・・・という理屈もわからなくはないんですが。しかし生活感を感じるようなセリフ、あったっけか?
要はこれ、「盲腸仕様」なんじゃないか?

日本のRPGはファミコンの頃は『ドラクエ』の影響が色濃く、スーファミ以降は『FF』の影響が強かったわけです。流れの中で複雑化した要素もあれば、簡素化した要素もあり、そうやってユーザーのニーズの変化に対応してきました。ゲームのジャンルというのは、ある程度まではユーザーのニーズに適応して、自己変化していくんですけど、限界が出てくるんですね。ある時期から、ユーザーとのズレが埋めがたい大きさになってしまいます。多くのジャンルはそうやって衰退していきました。

「ストーリー神話の崩壊とゲーム業界の「ストーリー病」」「ストーリー神話の崩壊を裏づける? アドベントチルドレンの大成功」で書いたことと関連するのですが、RPGはジャンルとして衰退が始まっていますし、皮肉なことに『アドベントチルドレン』はその現実を突きつけたと思います。体内に抱えた大量の「盲腸仕様」の痛みに耐えられなくなったタイトルが現れ始めています。

「様式」だけが残っている

ゲームデザインの「イノベーションのジレンマ」といえばそれまでですが、かといってそのジャンルを見捨てるのが正しいかというと、結局はクリエイターの作家性というかこだわりの問題な気もします。ボクは面白ければ何でもいいじゃないか派ですが、あえて特定の路線にこだわる人もいるでしょうし、それを全否定するのも難しい。しかし、仮にこだわるのであれば、ジャンルのリフレッシュということを意識しておかないと、だんだん作るのが難しくなるわけです。売れなければ、予算が縮小されたり、降りなかったりするのが現実です。
「盲腸」を取る大胆な外科手術を行う決断と勇気が持てるかどうか。

まあこれって、何もRPGに限ったことじゃないんですが。
ゲームは「様式」というものが非常に強いメディアで、ゲームデザインというのは「様式」をデザインするということでもあります。そのため、「様式」にこだわりすぎる作り手が出てきたり、既存の「様式」の問題点を意識しない作り手が増えたりします。特に日本のゲーム開発の現場では、ファミコン世代以降のゲーム開発者が増えているから、ファミコン以降の「様式」だけはよく知っている人が増えているんです。

どうしてその「様式」が出てきたのかというデザインの意図が残らず、「様式」だけが残ってしまうんですね。
どうして「様式」だけが残ってしまうのか。その理由については考えがありますので、いずれまた書こうと思います。

Posted by amanoudume at 23:32 個別リンク | TrackBack(0)

2005年05月31日

ワイヤレスコントローラは敷居を上げるのか下げるのか

次世代ゲーム機はどれもワイヤレスコントローラを採用しますが、ボクはふだんゲームを遊ぶ時に使ったことがないんで、どれぐらいニーズがあるものなのか、正直あまり実感がないんですよね。で、実際の製品スペックを見てみました。
    Game Watch:「ワイヤレスアナ振2ターボ」をチェック!! (PS2)
    GC用ワイヤレスコントローラ「ウェブバード」製品紹介 (GC)

大体バッテリーが100時間、重さは約210〜220g程度で、乾電池とあわせて260g程度。価格は4000〜4500円程度。コードが無くなる、寝転がりながら遊びやすい(実際遊ぶか?)という利点はあるものの、電池の分だけコントローラが重くなる、電池の長さが心配、といった欠点があります。また振動が弱くなる懸念があるものの、良し悪しの判断は人によるでしょう。

コントローラの高機能化→高価格化

一番気になるのは、コントローラの値段(コスト)がさらに高くなるという点。コントローラにアナログスティックと振動機能が付くようになってコントローラのコストは上昇しました。その結果、昔は標準で2個のコントローラが入っていたのに、今では1個しか入っていないのが当たり前です。買い足さない限り、対戦して遊ぶことができなくなったわけです。買い足すにしてもコントローラ1個あたりの値段が上がったので、敷居が少し高くなりました。
ワイヤレスコントローラになるとさらに値段が上がります。例えば、GCのコントローラを見ても価格が上がっているのがわかると思います。
    HORI デジタルコントローラ ブラック(デジタルキーのみ) 1500円
    ホリパッドキューブ クリアブラック(アナログ+振動) 2500円
    純正ワイヤレスコントローラ「ウェブバード」(ワイヤレス) 4500円

標準で1個しかコントローラが付いてこないとして、4人で遊ぶにはいくらかかるか。
    デジタルコントローラ   1500円×3= 4500円
    アナログコントローラ   2500円×3= 7500円
    ワイヤレスコントローラ  4500円×3=13500円

ゲーム機のコントローラはこれまで、高機能化&高価格化の流れをたどってきました。その結果、TVの前に集まって、多人数で遊ぶ環境をつくるための敷居が上がっているわけです。(とはいえ、最近の子供は自分のコントローラを持って友達の家に集まったりするようですね)

ワイヤレスによるキャパシティの増加

デメリットばかり取り上げてしまいましたが、一方でワイヤレスにするとコントローラの個数を増やしやすいというメリットもあります。PS3はBluetoothで最大7個まで対応します。PSシリーズではマルチタップを使わないかぎり4人対戦のゲームを遊べないという悪環境でしたから、これは良いこと。

また7個までというなら、個人的に主張してる「祖父母・両親・子供の家族6人」のゲームも作りやすいでしょう。高齢者向けの市場開拓は娯楽にたずさわる誰もが意識していることでしょう。孫と子供が遊びにくる時のために、一緒に遊べるゲームとゲーム機本体を買ってもらう、というのも視野に入ってきます。(もちろんコントローラの個数以上に困難なことが山積みです。3世代が一緒に遊べるゲームの難易度の取りかた、今の高齢者はゲーム機に親しみのない世代ということ、今のコントローラは重い、・・・・。)

高齢者向け云々は置いといても、高解像度が前提になれば、画面内の情報量が増えますから、画面内に表示される「プレイヤーの情報」を増やしやすくなります。現在は2〜4人対戦のゲームが大半ですが、6人対戦、8人対戦というより多人数のゲームも増えるかもしれません。そういう状況にもワイヤレスの方が対応しやすいです。(もっとも次世代機ではHD対応はあっても、HD前提にはならないですから、次々世代の話になるかもしれませんが)
ゲーム的に見たワイヤレスコントローラ化の流れは、「敷居は上がるけど、キャパシティが増える」という結論になりそうです。

補足:AV機器的に見たワイヤレスコントローラ化の流れ

ゲーム的に見ると、微妙な気が少しするワイヤレスコントローラですが、AV機器としてのゲーム機を考えれば、利点が多いですね。ゲーム機本体はテレビの横(縦置き)に置くか、ラック(横置き)に入れてしまうと考えると、本体とコントローラがコードで繋がれてると不便ですし、片づけるのも面倒。遊ぶ環境の見栄えの良さでいえば、ワイヤレスのほうが断然優れています。

Posted by amanoudume at 00:10 個別リンク

2005年04月10日

評論や感想についての話題

ゲームやアニメ、ライトノベルについて、評論や感想を自分のサイトに掲載する行為についての考察を最近よく見かけたので、メモしておきます。
ゲーム
9bit confusionさん 「ゲーム語りと思春期病」
アニメ
萌え萌えアニメ日記さん 「感想を書かない感想サイト」
萌え萌えアニメ日記さん 「お詫びと自己分析」
あにめの18きんさん 店長にっき4/9(土)
ライトノベル
貧乏だけど心は萌えさん 「ライトノベルのレビューに苦しむ理由」

いずれも感想系サイトを続けている間に浮上した問題、続けることのリスクについて言及されています。ただ、ゲームがアニメやライトノベルと比べて特徴的なのは、否定的な意見を書いた時のリスクが過大であるという点です。仮藻録さんが述べておられるように、ゲームは「一神教同士の熾烈な宗教戦争」のような激しさがあり、アニメなどは「多神教的なのどかさ」があります。もちろん、のどかとはいっても、すれ違いや衝突がないわけではないから、悩む方がいるのでしょうけども。

ゲームの言説界が「一神教」的な理由
ゲームがとりわけ「1神教」的になりがちだったり、「宗教戦争」に なりがちな理由は2つあると思っています。1つは、売上やクロスレビューなど、数値化されたデータが表に見えやすいから。ある種の「決着」がつきやすいが ゆえに、非ロジカルな単純な煽り合いができてしまいます。 もう1つは作り手の顔が見えにくく、あたかもソフトメーカーという会社が人格をもっているかのように語られるから。1つのソフトメーカーから出る数本、数 十本のソフトはそれぞれ異なる作家性、異なる個性をもっているはずなのに、「ナムコらしい」「セガらしい」「任天堂らしい」など、すべてが単一の企業文化 で語られがちな土壌があります。 ゲームの特殊な言論土壌については、モリサワジュン氏が指摘しています。 ポップ・コラム ナムコ、「ゲーム性中心主義」に回帰 PS2『塊魂』 > ゲーム会社というのはあくまでも集団組織である。しかし、映画会社やテレビ局 > よりも「作家性」のようなものを期待されることが多い。任天堂やナムコやカプコン > といったメジャーですら、あたかも一個人作家みたいに扱われることも珍しくない > のである。おかしな話だが、映画やテレビに比べてゲームの歴史がまだ浅いことと > 関係しているのかもしれない。

ポップ・コラム 任天堂の暗黒面、全開! 『あつまれ!!メイド イン ワリオ』レビュー
> もっと大きく言えば任天堂そのものが手塚治虫的だと私は思う。一個人である
> 作家と企業をあてはめて考えるのは乱暴だし無理があるんだけど、手塚治虫と
> 任天堂っていろんなところが似ていると思う。

振り返ってみれば、ボク自身もそのような文章を書くことが多いです。
どうもゲームにおいては、企業文化がゲームの内容にあたえる影響が大きい、という考え方が根強いです。先日の忍之閻魔帳さんの以下の記事でも、同じような考え方が根底にあると感じました。
忍之閻魔帳 「メテオス」のスコアが上がらない
> これは先日「ベルウィックサーガ」をプレイした時にも感じたのだが、
> 任天堂の作品に関わっていたクリエーターが他社でソフトをリリースする時、
> クリエーターのやりたいことが明確になる反面、必ずといっていい程詰めが甘くなる。

こういう見方は珍しいものではなくて、例えば「ガンダム 一年戦争」でも、「ガンダム」の制作ディレクターが叩かれるのではなくて、中にはナムコという1企業への批判まで出てきています。
数の個性が集まっているはずなのに、ゲームの言論界では、1つのソフトメーカーには1つの「教義」があって、その「教義」の是非を問うとか、個々の作品か
ら現在の「教義」を読み解くとか、個々の作品が「教義」にそっているかどうかを検証する、というような雰囲気があります。
ゲームにおいて作家と作品の結びつきがもっと強くならないと、こうした言論ムードは変わらないんじゃないかと思います。映画の例を見ればわかるとおり、集
団で作っているから作家性がハッキリしないなんてことはないわけです。
ただし、現時点においては、1人の人間の作家性が作品の隅々まで浸透させられるようになっていない、という指摘もあります。
「岩井俊雄 エレクトロプランクトン展」が開催――任天堂の岩田氏と宮本氏も駆けつけた内覧会を紹介 >
これに対して岩田氏は「それは1人の意思で全体をコントロールできるような
> 構造ができた時にそうなると思う。それが今できないのは、何十人の人が
> 何人かの指示で作っている。これは誰々の作品、と簡単には言い切れない
> ものがある。でも一方で、もっと誰々の作品と言っていいものまで、ゲームの
> 文法の中に覆い隠そうとする方向に流れていたかもしれない。」
ゲーム業界では、誰が作っているかの情報が表に出にくい時代が続いていましたし、昔はパブリッシャー=ディベロッパーの会社がけっこう多かったのも確かで
す。今はパブリッシャーとディベロッパーが分離する流れが加速していますから、パブリッシャーの個性を重視→ディベロッパーの個性を重視→開発チームの個
性を重視という風に徐々にシフトしていくんじゃないか、と思います。おそらく今は過渡期なのでしょう。

ネット上における布教活動の有効性

9bit confusionさん 「ゲーム語りと思春期病」(再掲)
まぁボクのBLOGはゲームの作品的な評論はほとんど載せてないんですけど、思春期病ケースファイル3:「世の中わかってねえ奴ばっかりだ!」に該当する書き込みはよく来ますね。

> これはもう単純に、自分の好きなものをけなされると逆上するという病である。
> 程度に差はあれ、誰もが抱えるポピュラーな思春期病と言える。
> ただ、これを病というのは、少し無理があるかもしれない。自分の好きなものが
> 見当違いの批判にさらされているのを見て、黙っていられる方がおかしいだろう。

> だが、100人がプレイして100人が面白いというゲームなど存在しないのもまた
> 事実である。見る人が変われば否定的な見解が示されることもある。そのものを
> 必要としていない人もいる。しかしそれでも、発言者の立場や欲求が明らかで
> あれば、批判的なことを言っていてもそれなりに納得できるものだ。むしろ自分とは
> 異なるものの見方を教えてもらえるチャンスとさえ言える。

> さらに病が進行すると、今度は舞台を2chやゲーム系ブログのコメント欄に移し、
> まったりやっていたところに信者VSアンチ論争を持ち込んでグダグダにしてしまう。

大昔は気長につき合ってたこともあるんですが、最近はお互いに時間の無駄だと思って、無視しています。内容が酷くて場を荒らすようなものであれば、削除することもあります。いくら議論したって、それでゲームが面白くなったり売れるようになるわけではないですしね。

「メテオス」の感想を正直に書いたら思春期病患者が殺到するだろうなあ、とは予想してたんですが、やっぱり来ました。
    1.今週のゲーム業界ニュース&メモ(3/14〜3/20) 素材がもったいないゲームと才能がもったいないゲーム
    2.今週のゲーム業界ニュース&メモ(3/14〜3/20) やっぱり書きたいことは書くべきですな。
    > 昨日の日記、「メテオス」についてお茶を濁していますよね。らしくない。というのは、
    > いま「メテオス」って、BLOGだとものすごく評価が高いでしょう。だから正直に書くと、
    > 反論しにかかってくる人がコメント欄に現われそうで、ウザいから抑えたんですよね。
    3.今週のゲーム業界ニュース&メモ(3/21〜3/27) ようやく冷静な意見が増えてきましたか
    4.「メテオス」まとめ

最初は単に「メテオス」についての正直な感想を書き、次の週に「メテオス」を誉めている人がどういう層か?という評判の伝達経路についての考察を書き、最後にネット上での過激な「布教活動」の有効性についての見解を示しました。まぁその最後の部分にだけリンクを貼られて、「『メテオス』好きな人たちを批判する人」などと分類されてしまったのは正直、苦笑しましたが。

まぁボクの関心は、ネット上での口コミの広がり方にあります。
「メテオス」についていえば、コメント欄でも指摘している方がいらっしゃったように、過剰な布教活動がかえって逆効果になったのかどうか?ですね。「逆効果」だったかどうかは判断が難しいんですが、盛り上がるタイミングが早すぎた印象がありました。
ボクは以前から、発売前の期待度が高いより、発売前の期待度が低いほうがいいんじゃないか、と思っています。盛り上げるベストタイミングは、発売前日(フライングゲット時)じゃないかな。まぁこの仮説はまだ自信をもって語れるレベルには達していませんが。

FLATLINEさんが口コミについて、さらに深く、鋭い考察
おこなっておられます。口コミを「一方通行ではない相互干渉系」としてモデル化し、「ライフゲーム」にたとえるのはなるほど適切ですね。
> この口コミインフラというのは、一方通行でも一本道でもないために、それぞれが
> 相互に説得しあって納得しあう。つまり干渉して連鎖を起こし、まるでライフゲーム
> の様な変化を見せる。そして最終的に全体は平均値へと向かってゆき、いわゆる
> エントロピーの増大によって冷めた世界=平均値を形成してゆくわけだ。
> こうした説得力の連続によって作り上げられた「口コミの評価」というのは、妥当な
> 平均点であるがために、ある程度の信頼感を勝ち得る。
> そして、この平均点を意図的に操作できたなら、世の中勝ち組みになる事が出来る
> のだが、それはあまりに困難な所業である。
口コミをコントロールするのがとても難しいのは、説得したところでゲームが面白くなるわけではないからです。しかしそれでも「説得」しようとする人たちが
BLOGのコメント欄に押し寄せるのはなぜか?というと、面白くないと感じている人に面白いと感じさせることは無理でも、面白くないという意見を黙らせる
ことはできるからでしょう(できると思っている人がいるからでしょう)。つまり低い点数をつけたBLOGを黙らせて、高い点数をつけたBLOGだけになれ
ば、平均点が上がるという考え方です。しかしこの場合、平均点は高く維持できたとしても、話題にするBLOGが広がるわけではありません。結果的にある狭
い範囲だけ妙に沸騰し、その範囲の外に出ると極端に冷え込んでいるという状況になり得るわけです。
ところで、何もわざわざ否定的な感想を書くことはないんじゃないの、という考え方も世の中にはあります。面白いと思った時にだけ感想を書けばよくて、面白
くないと思ったら感想を書くのなんて時間の無駄だよね、という。この考え方は、カドが立たないという点で大変すばらしいです。大抵のサイトでアクセス数が
ふえていくにつれて、こういう風に変化しているような印象を受けます。アクセス数が増えると、その分色々な人が見るようになりますから、しつこく絡んでく
る人も増えてきますし、そういう人の登場でBBSやコメント欄の空気が荒れるのは嫌でしょうしね。
ですが、「絶賛以外は認めない、あるいは否定的な意見は許さない」的なムードって、ボクは不健全だと思うんですよね。体験版配布から発売までの時期、一部
のゲーム系BLOGや掲示板でボクはそういうムードを感じていたんで、ハッキリ感じたことを書くことにしたわけです。トラックバックもいただきましたが、
思ったことを書けたというBLOGが出てきたのは良かったと思います。

Posted by amanoudume at 07:34 個別リンク | Comments (33) | TrackBack(1)
評論される側からの1意見とかー
Excerpt: 発熱地帯さんでゲームの評論について いろいろと特長とか問題点について あげられて
Weblog: さいばーぷらねっと(オープンβ2)
Tracked: 2005年04月10日 13:00

2005年03月30日

フォアグラウンドとバックグラウンド

「高性能な処理能力はもちろん、ゲームを前進させる。」に続く、「未来のゲーム」についての話です。ボクは現時点で「未来のゲーム」の方向性として5つのイメージをもっていますが、今回はその1つ「フォアグラウンドとバックグランド」について書きます。


ハードウェアの高性能化がフォアグラウンド処理とバックグラウンド処理の並存を生む

ハードウェアの高性能化によって、ゲームというかゲーム機上のソフトウェアがフォアグラウンド処理とバックグラウンド処理という意識をより強くもつようになるでしょう。これは2年前、Cellの特許が話題になり、PSXが発表された後に、このBLOGの前身のBBSに書いたことです。

高性能化が進むと、複数のアプリケーションを同時に動かす方向にいくのは、例えばPCの例を見ると、自然な流れに思えます。またその先がけという形で、「家電+ゲーム機」という「PSX」が発表されたのは当時興味深かった。結果的にはPSXはゲーム機の部品と家電の部品をほとんどシェアリングできていませんでしたが、まぁ「未来を見せる」という意味はありました。

そういうこともあって、「PSP」の基本ソフトウェアがあらかじめゲームアプリで使えるメモリを制限する、という考え方自体にはボクは肯定的な意見をもっています。(8MBのメモリサイズが妥当か、というような詳細については疑問の余地は大いにありますが)

XBOX2においては、ゲームサービスという括りの中で、フォアグラウンドとバックグラウンドの処理が例示されていて、より一段階進んだ発想として興味深いです。

Xenon向けの最初のゲームでも、フルにCPUを使えるようにしたい。まず、シングル(スレッド)アプリケーションスキルも、(マルチコアで)スケーラビリティを得ることができる。例えば、次世代のユーザーインターフェイス(UI)や、オールウエイズオンサービスなどが、ゲームパフォーマンスに影響せずにバックグラウンドで走ることができるようになる。「Project Gotham Racing」をプレイしながら、バックグラウンドでHaloの新レベルをダウンロードすることもできる。こうした(マルチタスキングの)スケーラビリティは素晴らしい。なぜなら、リソースの競合があまり発生しないからだ。(スレッド同士の)同期はほとんど必要とされない。同期が必要になるのは、例えば、一方でダウンロードしている時に、一方でアップロードをする場合のTCP/IPスタック程度だ。
ハードウェアがプアだった時代には、必然的に単一のゲームソフトを動かすだけでプロセッサの処理もメモリも精一杯でした。けれどもハードウェアが非常に高性能化し、また単体のゲームソフトの内容だけでなく、プレイ環境を支えるゲームサービスや、プレイのスタイルが重要になってくると、単一のゲームソフトだけを動かすという発想ではなくなってきます。これは自然な進化でしょう。


遊びのフォアグラウンド処理とバックグラウンド処理

2年前にBBSで示した例の1つは、ゲームアプリとエージェントソフト(任意たんみたいなもの)を両方常駐させるという形態。他の例を出すとすると、複数のペットゲームを同時に動かすという形態がわかりやすいかもしれません。たとえば携帯機上に、シーマンとピカチュウとペット動物がいて、全部持ち歩けて、ボタン1つで別のペットゲームに切替えられるというプレイ環境。

1ゲーム1ディスクで1度に1枚のディスクを起動するという今のメディア形態では実現しにくいわけですが、例えばゲーム版iPodのようなメディア形態に移行したら、複数のゲームアプリの同時起動はさほど非現実的なものではないでしょう。

それと、当時BBSには書かなかったんですけど、ボクが毎日つけてるメモの中には「インタラクティブ・ゼロコンマ」という言葉が残っています。普通のゲームをインタラクティビティー1、テレビ番組のようなたれ流しをインタラクティビティー0とした時に、0と1の中間、0.3333・・・・や0.8888・・・・といった0.の領域のことです。

ゲームはインタラクティブなメディアといわれてきましたが、それは同時に、「ながら」ができない(しにくい)という特性を生みました。これまでのゲームの大半は、プレイの最中、ずっとコントローラを握っていることを要求するような作りが多かった。全力でゲームに向き合いなさいよ、という思想が支配的なんですね。

まぁムービーの多いゲームだと、ムービーを観ている間はコントローラを床に置けますが、ムービーが長いゲームが「操作するよりムービーを観ている時間の方が長い」と批判される土壌があります。また、(MGSのように)リアルタイムデモ中であっても、カメラを動かしたりできる作りが誉められる土壌があります。コントローラを握りっぱなしにさせようという思想が文化的に非常に強いわけです。

けれども、両手でしっかりコントローラをにぎって、顔をテレビに向けて、全力でゲームに集中するというスタイルそのものが古い、と思うわけです。2年前もそう感じましたし、今も感じています。インタラクティビティー0.というのは、まぁ色々な具現形がありますけども、その1つはちょっと触ったりいじったりしたら、結果が返ってくるとか変化が起きるまでしばらくの間放置しておく、というような遊び方です。触ったりいじっている間はフォアグラウンドの遊びなんですけど、放置している間はバックグラウンドの遊びになるわけです。

当時BBSでは「たまごっち」のような常時通電型のゲーム機の可能性について議論になりました。(その時、伊藤ガビン氏のたまごっちについての考察が話題にのぼりました。伊藤ガビンのあしたのゲー「第七話 携帯液晶ゲーは専用線感覚のタバコ・メディアか?」)「たまごっち」はプレイヤーがゲームを遊んでいない時間まで遊びの時間に組みこんだ良い例ですし、プレイヤーが意識的に操作していない間にコンピュータが動いている面白いゲーム機です。「たまごっち」の場合には単一のアプリケーションしか入っていないので、まぁバックグラウンドという表現は適切ではありませんが、遊びの意識という点では上記のバックグラウンドと同じことです。

「たまごっち」自体はペットの世話で忙しい遊びで、それは今時のユーザーの求める所ではないと思いますが、常時通電という「仕組み」は忙しい遊びだけのためにあるわけではないので、あの仕組みはまだまだ発展の余地があるでしょう。
最近の例でいえば、「nintendogs」のすれ違い通信も、路線としては同じ方向にあるといえそうです。これも単一のアプリしか動いていないという点では、バックグラウンドという表現は適切ではありませんけども。

携帯端末の例では、まだフォアグラウンドとバックグラウンドを同時に動かすほどのハードウェア・リソースが無いわけですけど、いずれ時間が進み、自然に高性能化していけば、自然とそうなっていくんじゃないかと思います。
まぁ高性能化の恩恵というのは、単に絵がきれいになるとか、よりリアルな物理挙動でオブジェクトが動くという、1つのゲームの内容をリッチにしていくことだけではありません。家電+ゲーム機、ゲーム+データダウンロード、実時間連動型の育成ゲーム、バックグラウンドの通信、・・・・。フォアグラウンドとバックグラウンドの処理を同時に走らせることで、遊びのスタイルを変えられるようになれば、それは高性能化の大きな恩恵の1つといえます。

*単一のコンテンツをリッチにしていく以外の方向というのは、「プレイヤー中心のゲームデザインから、プレイデータ中心のゲームデザインへ」で書いた内容ともリンクします。

Posted by amanoudume at 14:40 個別リンク | Comments (9)

2005年03月28日

新しい「文化」を作っていける快感

パワーハートさんや、Nintendo DS ブログ
んが「探偵・癸生川凌介事件譚 仮面幻影殺人事件」の感想を掲載されています。正直、DSユーザーにはあまり注目されていなかったソフトだったと思うので
すが、意外と(失礼)期待できる内容のようです。
ボクは時間がなくて、15分ぐらいしかやってないんで、感想を書く資格は到底ありませんので、感想を掲載されているサイトを紹介するにとどめておきます。
1本1本のゲームをきっちりクリアする時間はないんですが、なるべく多くのDSソフトをさわっておこうと思っているんです。メニューのインターフェイスや
基本操作を試すだけでも、参考になりますので。

「選択+決定」文化と「選択→決定」文化
複数のゲームを遊んだDSユーザーなら気づいていると思いま
すが、DSの現状として、メニュー1つ取ってもまだ標準の操作系は定まっていないんですよね。大きく分けて2つの方法があって、1つはタッチ1回で次の画
面に行くという方法(ZOO
KEEPER、マリオ64DS、タッチ!カービィ)。もう1つはタッチ1回で説明が出て、次の1回で決定になるという方法です(メテオス)。後者の方法に
は、タッチ1回目で「はい」「いいえ」の選択肢が出てくるという物もあります(メイドインワリオ)。
十字キー+ABボタンの世界では、A) カーソルを合わせる → B) 決定する という流れでした。なので、A) カーソルを合わせる
の時点で、何らかの説明を出すタイミングがあったわけです。マウスの世界も同じで、マウスはカーソルに対して、移動量を相対的に与えていくものですから、
A) カーソルがアイコンの上に来る → B) マウスをクリックする という流れがあるわけです。
ところがタッチパネルの場合、画面に対して直接、絶対値で座標を指定します。A) と B) が同時に来るわけです。A) と B)
の間に説明を入れるという手段が使えないんですね。そのため、説明を間に挟むよりタッチして次に進むサクサクさを重視するか、十字キー文化と同様に「選択
→決定」という段取りをつくって説明を挟むか、2通りの方法に分かれているわけです。
また、アドベンチャーゲームでも、画面をタッチして調べる操作が2種類あります。
1つは「アナザーコード」のようにカーソルが画面内に常に表示されていて、1回タッチするとその点へカーソルが移動して、もう1回タッチするとその場所を
調べる、という方法。ある場所を調べるのにダブルタッチする必要があります。
もう1つは「仮面幻影殺人事件」のように画面をタッチすると1回でその場所を調べる、という方法。カーソルは画面内に表示されておらず、十字キーを押した
時点で出現します。
「十字キー文化」も最初は白紙からスタートした
DSが世に出てきた直後、ゲーム開発者にも2種類の反
応があったわけです。まずは素直に自然に新鮮さを感じ取った人。もう一方は単純に「十字キー文化」と比較して、粗探しをしていた人。ファミコン20年です
から、「十字キー文化」ってのはすごくこなれているんですよね。だからついつい最初から完成度が高かったように錯覚してしまう。歴史を忘れちゃてるわけで
す。
例えば、ボクは先日ファミコンミニの「ゼルダの伝説」を遊ぼうとしたんですけど、ファイルの名前を入れてから、先に進めなかったんですよ。セレクトボタン
で「トウロク オワル」に持っていって、先に進むということを思い出せなかったんです。当時はセレクトボタンでメニューを選択するという操作が普通にあっ
たんですが、今はなくなってるから、とっさに思い出せませんでした。
ファミコンが始まった時には当たり前の操作が10年もすればそうではなくなっている。その間に変遷があったわけで、その変遷を作っていくのが作り手であ
り、そうやって「文化」ができていくんです。
この「文化」をフォーマットとか、慣習といってもいいです。
新しい標準のインターフェイスを手に入れた時、そこで次の文化、次の10年を作ることに快感をおぼえる人もいれば、そうでない人もいます。まっさらな白紙
に線を引いていくことを喜ぶ人もいれば、なんでマス目が印刷されてないんだ!と怒る人もいます。まぁ世の中にどちらの人が多いかは知りませんけど、ボクは
前者の人がなるべくたくさんいたほうが面白いと思います。
ちなみに、ボクが作るならという仮定でいえば(つまりボクの好みは)、メニューにしてもアドベンチャーゲームにしても、「タッチは1回」主義です。別段、
この選択が絶対的に正しいなどとはいいませんし、10年後にはどうなってるかわかりません。開発者によって異なる選択をしているのが現状ですから。
個人的に「タッチは1回」が好きな理由は、世の中のタッチパネルがそうなってるからです。券売機とかATMとか、そういう物って基本的に1回さわったら次
へ切り替わりますよね。タッチパネルの利点というのは、選択+決定が1回で済むことなんで、選択と決定で2アクションかかる文化に合わせちゃうのはどうか
な?と思います。そうなると十字キーでいいじゃん、ということになってしまいそうな気がするんです。
まぁ今は、DSのゲームもタッチパネルと十字キーのコンパチ対応のゲームが多いですし、過渡期なんでしょうね。今後どの文化が主流になるか?生き残るか?
を考えると、なかなか面白い。10年後が楽しみですね。

Posted by amanoudume at 13:32 個別リンク | Comments (4) | TrackBack(1)
「選択+決定」と「選択→決定」
Excerpt:  発熱地帯さんにDSソフトのメニューの操作系についての記事が載っていました。 それによると、メニューの操作などで「タッチ1回で次の画面に行くとい う方法(マリオ64DS等)」と、「タッチ1回で説明が出て、次の1回で決定になるという方法(メテオス)」の大きく分け...
Weblog: Clockwork Nest
Tracked: 2005年04月01日 07:51

2005年03月26日

「メテオス」まとめ

「業界ニュース&メモ」の扱いで「メテオス」について書いてきたのですが、予想以上にコメント欄が盛り上がったので、独立した記事にしておきます。この話題をあまたあるニュースの中に埋もれさせるつもりはない、ということです。


素材がもったいないゲームと才能がもったいないゲーム

鼻「パックピクス、隠しジェスチャーまとめ」
練習モードのスケッチブックの中で描ける隠しジェスチャーのまとめ。これらすべてがゲーム内で生かされていないのは残念です。ただ、ボクの感想としては、ゲームそのものが単純なのは、それほど悪印象ではありません。まぁ今の完成形を見て、せっかくの素材がもったいない、という意見はどうしても出てくるんでしょうけどね。開発がナムコだとみんな期待しちゃうのかなあ・・・・。

どっちかというと、「メテオス」のほうが色々思ったことがあります。「メテオス」で一番評価したのは、ダウンロードの時間が短いこと。いま発売されているDSソフトで一番速いかもしれません。これは対戦重視のゲームとして、とてもすばらしい。次に良いなーと思ったのは、予想よりもずっと「ブロックを打ち上げる」感覚が快感だったこと。ブロックを消すというわかりやすい表現をあえて避けたわけですが、演出の磨き上げもあって、かなり気持ちいいです。

一方で、一番気に入らないのはブロックが小さいことです(開発途中で大きくしたらしいですが、まだ小さい)。タッチペンのペン先で隠れてしまい、見えにくく、動かしているつもりがすべって動いていなかったり、行き過ぎちゃったり、とにかく誤操作しやすいんですよ。ちっとも楽しくない。それと、絵がチカチカしまくりで、字が小さくて、とにかく目がつかれて仕方ありません。

縦方向にしか入れ替えられないのも、(企画立案時点で十字キーを前提にしていたので)仕方がないとはいえ、根本的な理不尽さは拭えません。「ゲームのルールだからしかたない」という意見も当然あるでしょう。でもね、ボクは開発者の都合や理不尽を「押しつける」のをルールとはいわないと思うんです。開発者の都合からルールが生まれることはありますが、それで終わってはいけないはずです。プレイヤーが自然とやってしまうこと、やりたいことを素直にうまくゲームのルールに取り込んであげることが大切でしょう。

正直、ボクの中での評価は激しく低いです。まー、偉大な人が作っているので、オブラートに包みますと、「いわゆる『面白い』ソフト」です。つまり「慣れたら面白いけど、初心者やライトユーザーはバッサリ切り捨てた漢気あふれるソフト」という意味です。

ネットでの評判はものすごく高いわけですが、現実は2万本。受注5万本の4割というのは低いでしょう。結局、ハードゲーマー「だけ」が絶賛してオシマイ。あと信者も絶賛してるか。そういうお客はDS界にはほとんどいないので、そういうお客が絶賛するゲームほどDSでは売れないわけです。DSのソフトって、ネット上のレビューの点数と売上が反比例している印象さえ受けます。

DSの現在の客層は、学生(少し)、女性(けっこう)、子供(たくさん)、クラシックゲーマー(そこそこ)、現役ハードゲーマー(極小)、という感じじゃないかと思います。「メテオス」はあの絵作り、フォント、ゲームの難易度がまず女性受けしないでしょう。パズルゲームというジャンルは、女性の比率が高いので、あの絵作りはかなり損しています。また、難易度についていえば、たとえば「ヒトフデ」や「ZOO KEEPER」を楽しんでいる人からしたら、ありえないぐらい忙しく、難しい。絵作りやフォントは、スマブラっぽさも微妙に漂うわけですが、だからといってあのキャラで子供が買うわけもないですし、子供が対戦ツールとして落ちゲーを選ぶとは考えにくいです。「アナザーコード」と異なり、クラシックゲーマーが懐かしさを感じる雰囲気もない。で、最後に残ったのが現役ハードゲーマーです。極小世界。

ボロクソ書きましたけど、あの水口氏から出されたしょうもない出発点から「いわゆる面白い」ゲームを作り上げたのはすごいと思います。桜井氏のゲームを作る才能をあらためて実感させられました。なので、次は「お題を与えられて、その中でつくってみました」的な仕事じゃなくて、隠しサイトでビミョーに言い訳っぽいことを書く羽目になる仕事じゃなくて、本当に作りたいものを作っていただきたいなあ、と切に願います。せっかくの才能がもったいない。ゲーム業界の損失ですよ、これは。

「ZOO KEEPER」と「メテオス」の比較は面白い

この間、知人と話題にしてたんですけど、「メテオス」ってハードゲーマーと信者ばかりが買ってる雰囲気なんですよね。「メテオス」勧めてくるのは大抵ハードゲーマー。その一方で「ZOO KEEPER」はゲームを全然買わないような人が勧めてきた、とか。ゲーム系BLOG見てても、「メテオス」はそのサイトの管理人(すなわちゲーム系
BLOGをやるような濃ゆい人)が自分で選んで買ってきた感じ。その一方で、「ZOO KEEPER」は自分で発見したんじゃなくて、誰か他人から勧められて遊んでみたという感じです。ハードゲーマーとは異なる客層で火がついて、回りまわって、ハードゲーマーの所にも伝わってきたように思えます。

ゲーム性についても「メテオス」は饒舌に語るんですが、一方で「ZOO KEEPER」はほとんど語る言葉がない。「ZOO KEEPER」はいい加減なゲームなので、ゲーム性を語りたい人には物足りないんでしょう。「いい加減」というのはもちろん、ほめているわけです。「無双」や「GTA」などのように、今はいい加減なゲームのほうが求められていると思います。

ゲーム性に対するマジメさというか、プレイヤーにガマンを強いるという意味では、ガマンしない系・・・・・「ZOO
KEEPER」・・・・・「無双」・・・・・|越えられない壁|・・・・・「メテオス」・・・・・「ゼルダ」・・・・・「アナザーコード」・・・・・ガマン系という感じかな。「ZOO KEEPER」と「無双」はたぶん同じ側にありますね。「メテオス」は壁の向こうかな。で、ゲーム開発者やハードゲーマーの中には「ZOO KEEPER」のあのいい加減な感じとか、「無双」の粗い感じが許せない、大嫌いという人がいると思うんですよね。でもボクは大好きですが。

もう1つ話題になったのは、「メテオス」を勧める人たちがどうしてああも必死なんですか?ということ。うーん・・・・購入者における信者率が高いとか、DSはハードゲーマー受けするソフトが少なかったからとか、それぐらいしか理由は浮かばなかったんですけどね。熱心というより必死に見えるのは、話題がBLOG界のごく狭い領域で閉じて循環してるように見えるからかも。

ボクはDSとPSPについて、PSPの初期不良について、BLOGの力ということを熱心に書いてきた人間です。けれども、BLOGで話題になれば絶対に口コミになる、などとは思っていません。あくまでどういう層に話題が流通しているかが重要で、ゲーム系BLOGの生態系の内部だけ流通していても、たいして広がりはしません。目利きが選んだ良い物が口づてで広がる、という旧来の口コミは廃れていると思います。自分が気に入ったけど売れてない物を、「口コミで広がる」とついつい書きたくなる気持ちはわかるんですけど、そういう人たちとの間に冷静な議論はできないですね。もっとも別に冷静な議論なんて、する必要はないんですが。
(参考:「スピード感の増した口コミ・ネットワーク」

相手がGKでも信者でも、BLOG潰しは通用しない

去年はGKのBLOG潰しが話題になりましたが、今度はそれを笑っていた信者の人たちがBLOG潰し、批判潰しを敢行し、見事に失敗しているようです。当BLOGにおいても、売上についてフォーカスしている記事にもかかわらず、コメント欄に押し寄せて、「売上を論じるよりも、『俺が』面白いと思うその事実を大切にせよ」「そもそも売れてないわけではない」「売れなくたって、所詮パズルゲームなんだしいいじゃん」的な書き込みをくりかえし、真剣に議論をしようとしている人たちの議論を乱しています。あまりひどいものは削除もしました。

荒らしが暴れたにもかかわらず、それに負けない有意義な意見がいくつもありました。一部をピックアップさせていただきます。
> 目利きとその他の人の間に価値観のズレが大きくなった。そのために旧来の
> 口コミは通用しなくなり、従来の目利きから見て「いい加減」なものがヒット
> するようになった。という事?
> いかんせん、NDSが狙う客層はそこじゃない。
> NDSはゲーム離れを引き止め、拡販するためのソリューションが出発点ですから。
> それにパズルゲームとか対戦系ゲームとか全般に言えますけど明確な目標が
> 無いんですよね。一応エンディングとかはありますけどそれが主目的じゃないし。
> 腕を上げるというのが主な目標になりますけど、自分で目標を作れないライト
> ゲーマーや時間の無い社会人ゲーマーには少々辛い。
> やり込めば際限なく広がっていく世界ですし。ゲームをクリアする事を目標に
> してる人には通用しない。ライトには受けない。
> ブロックの小ささとか小動物並みの反応速度が要求されるゲームデザインとか
> ジジィには辛いゲームですねえ。まあジジィに限ったことでなく、時代は際限なく
> 「ノンストレス」に向かっている中でメテオスはそれにあまりにも逆行しすぎた存在
> であったかなと。
> メテオスはそこらじゅうでコアゲーマーとメテオス信者が
> 宣伝しろ批評すら許さんという「布教活動」をやっていたようで・・
> 任天堂新聞さんの社説が今日加筆されてますが、
> どうやら信者の行き過ぎた行為に業を煮やしてあの社説を書いたようですね
> これだけ布教とやらをやらかしておいて
> 反動で逆に叩かれまくられないほうがおかしいという話

このBLOGを昔から読んでいる方々は何となく察しておられると思いますが、ボクは「口コミ」、ネット上での話題の広がりに多大な関心をもっています。そういう意味で、去年のPSP初期不良問題は有益なテストケースになりましたし、久多良木氏失脚後のPSPへの関心の急低下は面白かったし、「メテオス」の局所的な異常な盛り上がり、そしてその後の現実世界での市場動向は参考になりました。

以前から書いていることですが、今の時代、単にTVCMだけでゲームが売れる/売れないという論じ方はできません。PS1バブルの頃ならそういう認識でよかったかもしれませんが、SCEJの凋落ぶりを見てもわかるとおり、ソフトの内容がかなりネックになります。といっても、いわゆる「出来の良し悪し」の問題ではありません。ソフトそのものが話題性や、フックの多さ、ユーザーを逃さない作り(ゲームバランス)になっていないと、プロモーションを仕掛けてもたいして広がりません。

口コミの力というものは大きいと思います。ネットで火がつくケースがありますが、どういうケースで火がついて、どういうケースで狭い範囲の話題で終わるのか。そこに注目しています。

Posted by amanoudume at 02:44 個別リンク | Comments (16) | TrackBack(3)
「メテオス」の話題
Excerpt: この記事を見つけて僕もひと言書くことにしました。 →『メテオス』好きな人たちを批...
Weblog: ライター気取りで Go!
Tracked: 2005年03月30日 17:25
「メテオス」
Excerpt: えーっと購入したニンテンドーDSソフト三本目(一本目は「さわるメイドインワリオ」で二本目は「直感ヒトフデ」)なんですが。 「メテオス」ほぼ発売日に買ったのにいままで全く書き込んでいませんでした。 リンク先の発熱地帯さんや2ちゃんねるの掲示板で論争や煽りや.
Weblog: ウナム日月の乱筆乱文お許しください。
Tracked: 2005年04月10日 07:02
メテオス
Excerpt: メテオス ハード :ニンテンドーDS 発売元 :バンダイ 発売日 :2005/3/10 価格  :¥4,800+税 ジャンル:パズル・落ちもの (C)Q ENTERTAINMENT (C)BANDAI 2005
Weblog: 避けられぬ関係 〜テレビゲームのある生活〜
Tracked: 2005年08月25日 11:25

2005年03月09日

高性能な処理能力はもちろん、ゲームを前進させる。

採用発表が相次ぐ「NovodeX」

セガがAGEIA社の「NovodeX」を正式採用したのに加えて、Epic GamesとUbi Softも「NovodeX」を正式採用したそうです。「NovodeX」はゲーム開発者の間で、Havokよりも良い、と評判の高まっている物理エンジンです。登録さえすれば、フリー版のSDKをダウンロードできますから、興味のある方は一度さわってみるといいかもしれません。

ミドルウェアを採用するか、自作するかはさておき、高い処理能力を物理計算に使うのは、インタラクティブメディアとして正しい方向でしょうね。色々な物にさわって反応が返ってくるのはうれしいものです。ゲームデザインそのものに物理計算を使おうとすると、ドツボにはまりそうなので、映像的な演出として採用するケースがまずは多いでしょうね。FPSで敵に弾を当てたら、人体のはじき飛ばされ方を計算してひっくり返るとか、階段から敵を転げ落とすとか。物を移動させて積み上げて道を作るような、パズル的な使い道もあるでしょう。

「塊魂」は挙動的にめっちゃリアル系というわけではありませんが、「物理」をゲームデザインに取り入れた例として分類してもいいかもしれません。ここまでアグレッシブにゲームデザインに活かす例は、最初は少なそうな気がします。ただ、従来かなりデジタル的というか、アナログ感のないジャンルに、アナログな感覚を持ち込んだらどうなるかは興味があります。

ここでデジタル的というのは、たとえば落ちゲーがブロック単位で物を考えるゲームだというような意味です。そういう割りきりが当たり前の領域に、高く積み上げると不安定になって崩れていくとか、あるいは「砂」のような処理とか、そういう自然な物の挙動を入れるとどうなるのか。パズルゲームというのは、自然さを排除しまくった、記号化の極地みたいな世界ですけど、そこに人間がパッと理解できる自然物と自然の挙動を入れたら、けっこう不思議なものができるような気はします。まぁ製品レベルにまとめるには、苦労が多そうですけどね。
(まぁ、「砂」はいわゆる物理エンジンがサポートしている処理とはまったく別の処理ですけども)

そういうあまり開拓していない部分を掘っていかないと、単純にすごいリアル映像とすごいリアル挙動のゲームばかりになってしまうような気がします。いや、誤解のないように。もちろん、それはそれで立派に需要があると思います。単純に遠くまで描画されるようになった「無双」が遊びたいとか、髪の毛が1本1本描画されてさらさら揺れる「DOA」が遊びたいとか、極限的なグラフィックに達した「GT」が遊びたいとか。ボクはそういう物もほしいですよ。


リアルなグラフィックがもたらす?日米のゲームの立場の変化

それと、ボクが次世代機で興味があるのは、いよいよ日本でも欧米のゲームが売れるようになるのかどうか、という点。日本人のデザイナーのほうが職人的で芸が細かいから、ゲーム機の性能が低い頃は日本のゲームの絵と欧米のゲームの絵は全然レベルが違っていました。PS1やN64の頃の欧米のゲームなんて、半魚人みたいな顔してましたよね。気持ち悪いっつーか、こんなの誰も買わねーよ、みたいな。

PS2ぐらいにハードの性能が上がってくると、そこそこ見られる絵になってきて、日本でも拒絶反応が減ってきたように感じます。「GTA」も洋ゲーの絵は洋ゲーの絵ですけど、受け入れられる水準ですよね。性能だけでなく、EAあたりだとハリウッド仕込みのアーティストが参加するようになったから、水準が上がった部分もあります。

で、それが次世代機クラスになると、かなり実写に近くなって、そうすると割と一般の人が見ても、そんなに拒絶反応が出なくなる・・・・どころか、日本のゲーム以上に受けちゃう可能性もあるんじゃないか、とも思ってます。ハリウッド映画ってみんな見てますよね。あっちのほうがカッコいいというか、上等なものだという感覚が根付いちゃってるわけです。ゲームの絵がリアルになっていくほど、同じ現象が日米のゲームに起きるかもしれません。日本のゲームの絵がオタク臭くて、一般人が敬遠する感じになっていく。欧米のゲームの絵のほうがダイレクトに写実的で、それゆえに一般人がすんなり受け入れていく。

日本のゲームは日本におけるアニメのようになり、欧米のゲームは日本における洋画のようになる。そういう方向に進んでしまうのかどうか、そこが非常に興味深い点です。


おまけ: リアルタイム3DCGは「アニメ」から「特撮」へ

約1年半前に書いた記事を発掘。今読むとあちこちにアラがありますが、参考までに再掲。
[2681] 3DCGは「アニメ」から「特撮」へ 投稿者:DAKINI 投稿日:2003/09/30(Tue) 01:31:44
No.2681 [返信] 下のスレで議論したように、PS2世代の1つのテーマであった「映画とゲーム」は一定の域まで達したといえる。
ではこれから先、リアルタイムCGはどうなっていくのか。
ここ数年のゲームの傾向で明らかに顕著なのは、「現実」を取り込んでいることだ。『GTA3』はもちろんだし、『Half-Life2』のような実写性の
強い(といわれる)作品もそうだ。『Getaway』はロンドンの市街をゲーム内に取り込んだ。
これは前世代に比べて、テクスチャの解像度が上がったり、表示ポリゴン数が上がって空間が広がってきた影響である。また、ユーザーに対して、抽象的な箱庭
を提示するだけでは魅力を感じてもらえなくなったことも大きい。
ではどこまで「現実」に近づいていくのか?
完全なシミュレータ世界であろうか?
いや、そこまではいかない。
何故なら「現実」では面白くないからだ。
そこで半分「現実」で半分「嘘」の世界になる。
一言でいえば「特撮」である。
――ボクは以前、HalfLife2を評して「特撮」といった。先日掲載した過去ログにもそう書いてある。
これまでのリアルタイム3DCGは、そのクオリティを高めるために、非常に膨大な手作業を必要とした。
言ってしまえば「アニメ」に近い。モデリングもテクスチャも配置もアニメーションもすべて手付けである。
まぁパーティクルは計算が入っているが、爆発や煙のスプライトの描きこみはデザイナーの腕が発揮される個所だし、パーティクルの挙動にしても、実際にはか
なり簡易な計算で行われていて、デザイナーやプログラマーの調整の力で、魅力あるレベルに到達している。しかしそれでは作業的に破綻していくのは目に見え
ている。
――ああ……ジブリやIGのように手描きを徹底的に突き詰めていくという考えもありではある。しかし金はかかるが。
だから基本的には、「特撮」化していかざるを得ない。特撮において、セットは作り物である。そこは手作業だ。しかし、それが壊れる様子を”手で描く”とい
う世界ではない。爆発も同じだ。火薬をセットする。巧妙にセットすることだろう。そこに職人芸は存在し得る。それは無くならない。しかし爆発の瞬間瞬間
を”手で描く”ようなことはない。
仕掛けはするが、描きはしない。
そういう世界になっていく。
技術的なキーワードは、物理と自動生成である。
この2つによって、リアルタイムCGは「アニメ」から「特撮」へと進化する。
「アニメ」――手作業による作りこみが日本のお家芸で、今後は物理が入ってくるから、日本は通用しない?
そんなことはあり得まい。
「特撮」とて日本のお家芸ではないか。「仕掛けの作りこみ」と「計算」の融合した世界は、「作業による作りこみ」で世界を席巻したように、再び日本が世界
を席巻する、圧倒する。
ボクはその未来を露ほども疑ってはいない。
# つまり、2004年までは「アニメ」の時代、2005年(あるいはPS3世代と
# いってもいいが)からは、「特撮」の時代へと突入する。本格化する。

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セガが物理計算エンジンミドルウェアを採用するらしい
Excerpt: セガ、次世代家庭用ゲームソフト開発において AGEIA社 の物理シミュレーション技術を採用 AGEIA社のHP。 サンプルがダウンロードできるので遊んで見るといいかも。 発熱地帯さんのblogより。 高性能な処理能力はもちろん、ゲームを前進させる。 AGEIA社の物理エンジン...
Weblog: tablog upper universe
Tracked: 2005年03月10日 16:53
GDC(3月10日)/ゲーマー心
Excerpt: "Rolling the Dice〓The Risks and Rewards ...
Weblog: 六百デザインの「嘘六百」
Tracked: 2005年03月11日 10:34

2005年02月28日

スピード感の増した口コミ・ネットワーク

コアゲーマーが買い逃したゲームを追いかけなくなり、マニア向けのソフトが継続的に売れずに初週依存率が上がっています。この現象には2つの要因がありま
す。1つは中心購買層のゲーマー体力が低下したこと、もう1つは男性オタク市場がますます一過性のネタ重視になってきたことです。1つ目の要因については「変化する市場」の中で書きました。今回は2つ目の要因について、さらさらっと書こうと思います。

成熟したネットワークがもたらすスピード感
個人ニュースサイトやBLOGによって形成されるネット上の口コミネットワークが、一定の成熟段階を超えて、話題の流れるルートが完成してきました。その ため話題の伝播する速度がかなり早くなり、ネット上でアクセス可能なコンテンツが口コミで急速に盛り上がるようになりました。去年の夏から秋にかけて、実 質4ヶ月程度で爆発的に成長した『ひぐらしのなく頃に』は好例でしょう。 一方で、ネタ系FLASHの消費サイクルが短くなっています。「みこみこナース」を代表例とする一昨年の電波ソングブームの頃は、話題の立ち上がりから終 息まで2〜3ヶ月はあったのに、「きみしね」が盛り上がった去年の秋頃はサイクルが1ヶ月半ぐらいになっています。立ち上がりが早いものの、終わるのも早 い。新しい情報がどんどん出てくる一方で、少しでも古くなるとすぐに忘れられてしまいます。
新時代の口コミ
今の男性オタク市場では、コミュニケーションのネタにならない物はすぐに忘れられ、消 えていきます。ネット上での口コミ・ネットワークが成長した結果、口コミの意味が変化しています。良い品質だけれど地味なためにあまり注目されてなかった 不遇の商品が、じわじわと評判が広がって販売を伸ばしていく。それが古い時代の口コミでしょう。 新しい時代の口コミは、話のネタになりやすいか、ネタになる要素が多いかで、口コミ網に乗るかどうかが決まります。また、継続的にネタを創出していける、 可能ならばユーザー自身が勝手にネタを増殖させてくれる構造がのぞましい。そうしないと、あっさり話題が消費されつくして、短期間で消えてしまいます。
同人ノベルゲームは絵がうまくないほうがいい?

例えば、同人ノベルゲームについては、絵が下手なほうがうまくいっている、という事実があります。先日、同人ノベルゲームにくわしくない人に、TYPE-MOONの『月姫』の絵と、07th Storming Partyの『ひぐらしのなく頃に』の絵
見せたところ、「なんでこの絵で売れてるのかが理解できない」という反応でした。かといって絵が無いノベルゲーム(背景のみ、またはサウンドノベルのよう
なシルエット)は、シナリオの評判がいくら高くても、あまり広がりません。その時思い当たったのは、カラオケボックスが広がってから、カラオケで歌いやす
い歌のほうがヒットしやすくなったように、同人ノベルゲームでは絵を描きやすいほうが盛り上がりやすいんじゃないか、という仮説です。
元々の絵が上手いより、「これなら自分でも描けそう」「自分のほうが上手い」と思える絵のほうが、たくさんの人が絵を描きやすい。『月姫』や『ひぐらし』
は、ネット上のイラスト、漫画が大量に日産されているのはそのせいではないか、と。「隙」があったほうがみんなが乗っかりやすい。乗っかってもらえれば、
あとはユーザー自身が勝手にネタを増殖させてくれます。

Posted by amanoudume at 04:00 個別リンク | Comments (15) | TrackBack(1)
[マンガ][アニメ][小説][フィギュア] 稚拙なモノの需要
Excerpt: 昨日出会ったいろんなエントリー等からいろいろ感じたことをまとめてみよう。まず発端はファウストメールマガジン、現在最新29号の一節。まだバックナン バー化されていないので長めの引用失礼。 ==== [http://mm.kodansha.net/backnumber/index.html:title] http://mm.kod...
Weblog: 結婚未遂
Tracked: 2005年03月16日 02:16

2005年02月26日

変化する市場

ゲームマニアのゲーム離れ?
ファミ通巻末の浜村通信氏のコラムがようやく、それなりに読める内容に 戻ってきましたね。 ソニーからの広告費が潤沢なのか、最近はかなり偏向した内容になっていました。発売直後の入手困難な時期に「新幹線の中でPSPで遊んでいるサラリーマン を何人も見かけた」などと書き散らしたり、初期不良についての問題には完全に目をつぶるし、まったくもって1行1行からお金の臭いがプンプンするコラムで した。 その結果、少なからず、信頼性を傷つけていました。特にネットでの評判は一段と落ちていますね。もし今年、部数が落ちることがあるなら、それはここ 2〜3ヶ月のファミ通の偏向性が災いしたといえるでしょう。部数が長期低迷しているとはいえ、歴史ある雑誌なわけですから、正常な誌面に戻っていくことを 期待します。 さて、本題にもどります。 去年の秋頃、「マニアでさえゲームに飽きつつあるのが現状」と書きましたが、浜村氏も同じような見解に達しているようです。

> 時間ができた時は店頭に並んだ新作、話題作に手を出すが、買い逃したソフトは
> それほど追いかけない。ファンとソフトのつき合いが淡白になっている。 (ファミ通より)

> 市場に蔓延する「飽き」の感覚。いまだ惰性として、生活習慣として、ゲームを買い
> 続け、遊びつづけている人たちにとってさえ、そういう層においてさえ、明確に「飽き」の
> 感覚が蔓延している。それが明らかになりつつある。
> (発熱地帯 最先端の市場に蔓延する「飽き」の感覚

この現象には2つの理由があります。1つは中心購買層のゲーマー体力が低下したこと、もう1つは男性オタク市場の特性が変化したことです。今回はその1つ目の理由にしぼって記事を書きます。

ゲーマー体力で見る市場の変化
去年、多くのゲーム系サイトで「積みゲー」という言葉が頻発するようになりました(「積みゲー」という言葉自体は以前からありましたが、去年あたりから急 増しているように感じています)。大雑把にいえば、まずファミコン世代の年齢が上がって、ゲームをやりつくす時間がなくなったり、自由に使えるお金が減っ たり、他の娯楽にお金を使うようになったためです。 おっさんゲーマー、ロートルゲーマーと自称する人たちが増えていて、そういう層は軽いボリュームの物を遊びたいと思っているのは確かでしょう。この辺のま とめは、NGMさんの「シューティングばかりで他のゲームを遊ばないと、ジャックはロートルになる」が 非常に参考になります。「ファミコンミニ」を始めとした、「なつかしさという間口の広さ+シンプルなボリュームのゲーム」路線が成功しているのも、社会人 ゲーマー(特に30歳以上のゲーマー)のゲーマー体力が落ちているのが要因の1つです。 また「パチスロ」を支えているのもゲーム世代で、単純で奥の深いゲーム性が受けている、とよくいわれます(もちろんギャンブル性も、継続性や中毒性を維持 する要因ですが)。FLASHなどのフリーゲーム人気もシンプルなゲームを求めるニーズの高さを示しています。 特にコアゲーマーはシンプルなボリュームで深いゲームを求めていて、たとえば「ドリラー」「塊魂」「キャッチ!タッチ!ヨッシー!」といった深いゲームを 高く評価しています。また、80年代のアドベンチャーゲームを今の表現力とタッチパネルでよみがえらせた「アナザーコード」に注目が集まったりします。 「ヒトフデ」もシンプル性が逆に目立ったゲームですね。この手のゲームが多いのが、DSがコアゲーマーから支持されている理由でしょうね。 客層を分析すると、DSは20代後半〜30代、PSPは10代後半〜20代前半によく売れました。ゲーマー体力という観点で見ると、ゲーマー体力が落ちて いてシンプルなゲームを求めるユーザーはDSを選択し、遊ぶ時間の多い学生など、まだまだゲーマー体力があり余っているユーザーがPSPを選択している、 といえます。
コアゲーマーとライトユーザーのズレ
ただ、コアゲーマーとライトユーザーには若干のズレがあります。 深いゲームは一方で、深い技術をゲーマーに求める傾向があるため、ライトユーザーはそこでふるい落とされてしまいます。中毒性は必要なものの、同時に考え なければならない要素の数が多くて複雑だったり、習熟にかかる労力が多大になると、とたんにユーザーの幅を狭くしてしまいます。そのため、シンプルなボ リュームで深いゲームはあまり大きくは売れません。この辺は「プレイヤー中心のゲームデザインから、プレイデータ中心のゲームデザインへ」で 議論したとおりです。 ライトユーザーはミニゲームぐらいの深さがちょうどいい。例えば、DSでは「メイドインワリオ」や「スーパーマリオ64DS」などミニゲームが目立ちます が、あれぐらいでないとついていけない。PCのアクセサリーでは「ソリティア」や「マインスイーパー」。FLASHでは「艦砲射撃」とか。中毒性や常習性 が高く、延々やり続けることもできるものの、軽く遊ぶこともできて、1日1回遊んで、それも数分〜10数分ぐらいで、「おっ!今日は昨日よりスコアがのび た」ぐらいが程よいんじゃないか、と思います。 最近、ネット上で「難易度」や「やりこみ」についての議論が起きている背景には、コアゲーマーのゲーマー体力の低下の問題があります。単純に「難易度やや りこみは過去にもあった議論」というのは、今起きている変化に対して鈍い気がしますね。似た議論が過去にあったとしても、それが今起きているのだとした ら、どうしてその議論が起きているのか、背景を考えたほうがいいです。そうでないと変化の予兆を見逃すことになりかねません。変化に鈍感な人たちは例え ば、「スゴイゲーム」などと、ズレたことをわめき出す。
次の10年のプレイ・モチベーションとは?
コアゲーマーとライトユーザーにズレがあるとはいえ、それ にしても、この「ゲーマー体力の低下」は幅のやりこみという「現在」の方法論と矛盾します。 > 幅のやりこみを重視するゲームは、「何かを集める/空白を埋める/ファッション性に > 結びついたコレクション性/RPG的なキャラ育成」を、プレイヤーのモチベーションとしています ファミコン20年、大雑把にくくるなら、最初の10年はスコアがプレイヤーのモチベーションを牽引し、次の10年は収集とストーリーが牽引してきました。 スキル主義の10年、労力(コスト)主義の10年といってもいい。しかし次の10年はプレイヤーのモチベーションをどうやって牽引するのか? 収集とス トーリーでは保たなくなりつつある、と思います。今はとりあえずそうするけど、そろそろ次の方法論を考えなければならないのでしょう。 例えば、集めるというモチベーションは、集める対象が集めてうれしいものでなければならないため、アイテムにゲーム内で意味をもたせたり(武器など)、ミ ニゲームをあげたり、数十体の乗り物を用意したり、10種類をこえるゲームモードを用意したり、アホみたいにこれでもか、これでもか、とやりこみ要素の物 量を作っているわけです。作る側がどんどんしんどくなっていく。そして作る側がしんどいだけでなく、ユーザーもボリュームがしんどくなりつつあります。 また、ストーリーの続きを知りたいというモチベーションにしても、RPGはもうプレイするのが面倒だから、ムービーだけ売ってくれ、という意見が増えてい ます。「ドラクエ」ぐらいになるとオリンピックみたいなもので、お祭りとして遊んでくれますが、それはふだんはスポーツ番組なんて見ない人でもオリンピッ クになると見るようなもので、RPGというジャンル自体は停滞感が濃くなっています。伝統あるシリーズはまだ保っていますが、新しいシリーズを立ち上げよ うとしてもうまくいかない。ジャンルとしては惰性的な様相が強くて、あまりいいムードではありません。 もちろんスコアアタックの楽しさが無くなっていないように、集める楽しさやストーリーを追いかける楽しさが無くなるわけではありません。楽しさの原理とし て、空白を埋めたくなる欲求、続きを知りたくなる欲求は不変のものです。この10年はその構造で我々ゲーム開発者は食うことができました。だがそろそろ作 る側も遊ぶ側もしんどくなっていて、かといって最初の10年の構造(スコアなど)に先祖がえりするのも難しい。だから新しい構造を考えなければならない。 今後3年ぐらいで転換するイメージじゃないか。 ただ、遊びの原理に普遍性があるように、答えは今すでに見えている範囲内に存在しているはずです。その中のどれかを中心にすえて、新しい構造を作ることに なるはずです。ゲームの構造はかつて、上手い人と下手な人が両方楽しめるように変化しましたが、おそらく今度は、時間がある人でも時間が無い人でも両方楽 しめるように変化するのでしょう。 現在のMMORPGは労力(コスト)主義の究極形ですが、ゆえにいわゆる「廃人」問題にこの思想の問題点がよく表れている、ともいえます。オンラインゲー ムは大量時間消費型から別の形態への移行を模索している最中ですが、同様の変化がコンシューマーゲーム一般に起きていくのでしょう。
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2005年01月09日

あるいは推理するゲームの究極解?

「ひぐらしのなく頃に」解決編の第一弾「目明し編」がついにリリースされました。
   公式サイト 07th Storming Party
   アキバ BLOG「ひぐらしのなく頃に 解」メッセサンオー、ホワイトキャンバスで販売始まる」
決編は「目明し編」「罪滅し編」「皆殺し編」とあと1編の合計4編から成るため、謎の一部が明らかになったにすぎません。ですが、ネット上にあがっている
推理の中には、今回明かされた真相のほとんどを当てているものもあり、早くもネット上の推理の再評価が始まっているようです。一部が解明されたものの、煙
に巻かれたままの部分も依然としてあり、まだまだ推理を楽しむ余地は十二分に残っています。買うなら今でしょう!
それにしても、選択肢の1つも存在しないこのノベルゲームが、今までの人生でボクがもっとも推理したゲーム、というのもなかなか面白い事実です。「推理」
をゲームシステムにうまく組み込んだ例は疑うべくもなく「逆転裁判」ですが、正直いうと、ボクは遊んでいる間、あまり頭を悩ました記憶がないんですよね。
「頭を使った」のは確かなんですが、「推理」という程のことは体験した覚えがない。逆に、ゲームシステムから「推理」そのもの、いやゲームシステムそのも
のさえ無くしてしまった「ひぐらし」のほうが純然と「推理」を楽しんでいます。
別段、優劣を決めるつもりも、基準もないのですが、ボクは「ひぐらし」の方法論のほうにより大きな興味がわいています。「ひぐらし」の「推理」を成り立た
せているのは、問題編がリリースされてから解決編がリリースされるまでの時間とネットの存在。そして考えたくなるような謎と物語ですね。
(前編と後編を分けるという構成は、ディスクシステムのアドベンチャーゲームがすでにありますが、単に物語的に2つに分かれていただけで、「ひぐらし」ほ
ど意図的に「推理」させることを誘導していたわけではありません。)
まぁ、もちろん、「そういう構成を取るだけなら、ゲームでなくても小説でできる」という意見も出てきそうなのですが、「ひぐらし」は(ノベル)ゲームゆえ
の没入感あってこそ、成り立っている気がしないでもないのです。

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2004年12月11日

ラチェット3遊んでます。

「ラチェット3」を遊んでます。
「ジャック」シリーズは欠かさず買っているんですが、じつは「ラチェット」シリーズは1本も買ってないうえ、ほとんど遊んでなかったんですよね。せいぜい30分とか1時間ぐらいで、しかもゲームよりも技術面(Continuous LODの技術など)を確認するのが主でした。この年末は多数のソフトが出ることもあって、「どうせこいつやらねーだろ」と見抜かれたのか、ソフトが会社に送られてきました(w
今、少しずつ遊んでいるところです。

「銃+アクション」の見事な融合

3Dアクションゲーム(ここではいわゆるPlatformer系に限定しています)に銃の要素が入り始めたのは、99年に発売されたN64「ドンキー64」からだと思います。その後2002年夏の「スーパーマリオサンシャイン」、2002年年末の「ラチェット&クランク」シリーズへと続きますが、銃の要素については、明らかに「ラチェット」シリーズが一番良くできていますね。

「マリサン」はポンプの操作性が複雑なうえに、正確な狙いが要求されたり、微妙な操作を強いられる箇所があって、うれしさよりつらさが先に立ちます。銃を当てるというより、水を放射していたら的に当たる、という感触で、イマイチうれしさが薄く、爽快感より作業感が強い。とはいえ、水の表現はとてもきれいです。

ラチェットは銃がショットガン的で当たりが広め。一番最初の銃でもまあまあ当たりますし、ガラメカ(武器)が豊富なので、射程の長さや範囲、威力がパワーアップしていく楽しみがあります。銃周りの操作性がこなれているうえ、チュートリアルも段階的で非常に丁寧。おぼえたことを段々活かせる作りもあります。

「ドンキー64」や「マリサン」では、素手で戦うという従来の世界観と武器の要素がうまく組み合わさっておらず、ゲームの構造の中で中途半端な扱いになっています。一方、新しいタイトルのラチェットは、世界観、ゲーム設計ともに武器の要素をまったく違和感なく消化しており、完成度が高いです。武器を集める/使うゲームでは、プレイヤーがどこに快感や楽しみをおぼえるのか、きちんとゲームが設計されています。ゲームのアイデンティティがしっかり確立されていて、この点では「ジャック」シリーズをはるかに凌駕しています。
(「ジャック×ダクスター」はマリオとゼルダの影響を受けつつ、なんとなくゲームとしてのアイデンティティや存在価値があいまいでした。そして実際「ジャック2」以降、迷走の感があります)

現代的なアクションゲームの1つの解答=RPG的要素+対戦

武器の購入や、HPの最大値アップなど、RPG的な成長要素のおかげで、ゲームバランスに幅が出ています。ユーザー層の拡大によって、画一的なゲームバランスでは多くのユーザーに楽しんでもらいにくくなっていますから、アクションゲームへのRPG的要素の導入は現代的なゲームの1つの特徴といえます。(Platformer系ではありませんが)こうした要素は最近の成功作「ピクミン2」にも見られます。敵をコツコツ倒して借金を返せるし、スプレーをたくさん作ってゴリ押しすることもできます。
(関連:新時代の難易度

もう1つ重要なのが「対戦」。
去年、このBLOGの前身のBBSの頃、3Dアクションゲーム(Platformer)はいつの間にか、子供たちのコミュニケーションツールとしての機能が低下してしまった、と書きました。昔は2人が同時に同じ画面で遊べなくても、「2人モード」の選択肢が用意されていましたし、1機交代やステージごとに交代するなど、いっしょに楽しむことができました。「マリオ64」以降、3Dアクションゲームは残機やステージの概念がややあいまいになりましたし、より1人で没頭する作りになったため、友だちと一緒に遊ぶのが難しくなりました。友だちが家に遊びにきている時に、初代スーパーマリオを始めてもいっしょに楽しめますが、突然マリオ64を始めて一人で夢中になっていたら、友だちなくしますよ。

「1人でしか楽しめなくなってしまった」「子供のコミュニケーションツールとして弱くなった」点を解決する方法として、「対戦」モードを入れるのは良い案だと思います。先ほど例にあげた「ピクミン2」にも対戦モードがありましたし、GBAで成功している「マリオアドバンス」シリーズも必ずマリオブラザーズをつけていて、数人で遊べるようになっていました。そういえば、先日発売された「スーパーマリオ64DS」にも対戦モードが入っているようですね。

「ラチェット3」では、FPSっぽい対戦モードが入っていて、この点でも現代的なゲームといえます。日本版では海外版と違ってオンライン対戦ができないようですが、日本の子供たちのプレイ環境を考えると、妥当な決断でしょう。FPSっぽいのは日本のユーザーを考えるとやや厳しいものの、本編のゲーム内容からの自然な派生ですし、十分楽しめるのでは。案外、子供って適応力がありますから。N64「007ゴールデンアイ」は意外と子供に遊ばれていましたしね(値崩れしていてソフトを手に入れやすかったとか、当時あまりソフトが揃ってなかったせいもあるのでしょうが)。

補足1: その他
「マリサン」のポンプによるホバーと同じように、「ラチェット」もジャンプ後のホバリングが可能になってますね。DS「スーパーマリオ64DS」も、ヨッシーのふんばりや、ルイージのバタバタにて、ジャンプ後のホバリングが実現されているようです。もはや、ジャンプした後のホバリングは3Dアクションゲーム(Platformer)のジャンプの基本になった、といってよさそうです。3Dゲームはどうしても距離感がつかみにくいので、こういうフォローは必要なんでしょうね。

補足2: Continuous LOD
LODとはLevel OfDetail(詳細度)の略で、必要におうじて物体のディテールを変更し、計算処理を軽くする技術のことです。3Dのゲームでは、ポリゴン数の多いモデル、少ないモデルを用意しておいて、物体が遠くにある時はポリゴン数の少ないモデル、物体が近くにある時はポリゴン数の多いモデルを表示することが多いです。こうすることで、より少ない描画処理で、より多くのオブジェクトを表示することが可能です。

よく用いられる方法では、2〜3段階程度、ポリゴン数の異なるモデルを用意しておきます。が、ポリゴン数の多いモデルと少ないモデルは当然形が違いますから、切り替えた時にバレやすいです。そこで、Continuous LODの登場です。単純に粗いモデルを細かいモデルに切り替えるのではなく、粗いモデルから細かいモデルに「差分」情報を追加していくことで、なめらかに形状を変化させ、ポリゴン数の変化に気づきにくくなるわけです。考え方としては以上ですが、ハードの特性、そのゲームにおける効率的なやりかたを考慮して、プログラム的な実現方法は何通りもあります。

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2004年11月30日

RPGの終わりの始まりか、始まりの終わりか。

堀井雄二氏がかなり昔からドラクエをフル3D化したがっていたのは割と有名な話・・・・だったはずなんですけど、PS1「ドラクエ7」が保守的な作りに
なっていたこともあって、割と忘れられているのかもしれませんね。
日々つれづれさんの11月29日の日記
> 「(「VII」は)実は「マリオ64」のような3Dアドベンチャーの形も考えているんです。
> 元々僕はAVGを作っていたのですが、限界を感じてRPGに転向しました」
> (ゲーム批評14号)。

物語伝達の媒体としてのゲーム
> 宮本:N64のはじめの頃、ドラクエの堀井さんにマリオの
> 試作品を見せたんですよ。堀井さんも、一気に3Dに走
> るんですよ。 この感じでドラクエがやれたら全然違うって。
> でもやっぱりまともにここに入ってくるとドラクエじゃなくなる
> から、まだまだですよ、って止めたんですが、止めたせいで
> PSへ行っちゃったかもわかりませんけど(笑)。正直すぎた
> かも。
> あの冷静な堀井さんでさえもほとんど現実に近い感じの
> ところに自分のキャラクターを全部置いてみるということに
> すごく興味を持っていました。
> 糸井: したいんですよ、たぶん。
> 岩田: たぶん、シナリオを書くひとの本質的な欲望だと思いますよ。
ほぼ日MOTHER3開発中止座談会
り引用)
堀井雄二氏が「ドラクエ7」で本当に作りたかった部分は、戦闘が始まるまでの最初の島の冒険(数時間)だったんじゃないか、と思います。あのアドベン
チャーゲーム的な部分だけを3Dで作ろう、というのが当初の願望だったんじゃないか、と。かなり想像入ってますが。
PS1の性能を考えると、やりたいことを抑えたのは適切な判断だったと思いますが、おそらく「次はガマンしたくない」というフラストレーションがプログラ
ム開発会社の変更、という事態に至ったんじゃないかな。箱庭アクションゲームが世に出てから8年、前作「7」からのスパンは4年、レベル5と出会ってから
ならおそらく3年未満、ドラクエのエンジンのベースになったと思われる「ダーククロニクル」の発売からは2年。構想という意味では、ゲーム史史上最長の熟
成期間であり、同時に、開発の規模や制作されたボリュームを考えると、非常にハイスピードの開発だったともいえます。熟成された欲望と若い開発パワーの理
想的融合。
アドベンチャーゲーム→和製RPG→ドラクエ8。ドラクエと名のつく以上、それはRPGと呼ばれざるを得ませんし、RPGとして商品化されざるを得ません
し、RPGとして消化されざるを得ませんが、そこに宿った「欲望」は「第3段階の何物か」なのでしょう。それゆえに、これは明らかに未来への道なのでしょ
う。

補足1 未来のゲーム今、ちょっと「未来への不信感」みたいなものがゲーム業界にありますね。ハードの性能が上がっても仕方がないとか、
開発費がかかってしょうがないとか、リアリティを突き詰めるのが是か非かとか、まぁ色々いわれていますよね。MMORPGも欧米では縮小ぎみですし。ビジ
ネスの話をすると、確かにあまりいい未来がない。しかし本質的な問題は、未来に何をつくりたいか?という「欲望」があるかないか、なんですよね。ここでい
う欲望は、グラフィックチップの性能が上がってプログラマーが喜ぶ、みたいな話ではなく、どういう世界を、どういう娯楽を生み出したいのか、という強い願
望とビジョンのことです。
特に日本では、未来感が不足しているムードなわけです。不景気だとか、開発力の効率化がどうこう言われてますが、もっとも深刻なのは「未来のゲーム」を生
み出す欲望力が弱くなっていることです。要素技術の話はできます。2年後にこれぐらいグラフィック処理が上がるから、そうしたらこういうことができるね、
とか、そういう話は。しかしそこで止まってしまう。
「Half-Life2」が去年、あまりFPSに興味のない人にまで注目されたのは、そこに「未来のゲーム」があるという感じが(E3の時点では)あった
からです。もっとも、延期だの流出だの、ゴタゴタしているうちに、化けの皮が剥がれちゃいましたけど。
補足2 始まりの終わりシームレスなRPGは、例えば大多数のMMORPGのように、HDDのある状況では割と実現されていますが、それ
以外の状況では不完全すぎる物ばかりですね。いまだにユーザー層が限定的ですし。ゲーム性の要素や、技術的な要素はあるけれども、数多くのユーザーが楽し
める娯楽には結実していない。雑な言い方をすれば、「ドラクエ登場前のRPGと同じ状況」でしょう。
いわゆる「和製RPG」を開始したのはドラクエですが、世の中にはRPGというものはすでに存在していたわけです。当時、ボクは小学生だったのですが、
PCゲーム雑誌などで開発者やライターの人が「RPGは昔からあった。新しくもなんともない」「ファミコンのRPGなんてショボい」「本当のRPGはこっ
ち」等々、書きまくっていたわけです。ボクは子供心に思ったんですよ、そんなに先進的な”PCのRPG”はどうしてドラクエほどワクワクしないし、楽しく
冒険できないんだろう、と。
もちろん、その後、彼らがどうなったかは歴史が教えるところです。消えちゃいましたよね。
彼らは表層を見て物をいったり、1つの要素を取り出してみて、これは新しいとか、古いとかはいえました。知識はありましたし、それに振り回されちゃう程度
には知恵もありました。けれども、真にあたらしい物の誕生の瞬間を理解することはできませんでした。フェードアウトしちゃったわけです。
おそらく今、ボクらが目にしているもの、体験しているものは、劇的かつ瞬間的に終わる「誕生」ではありません。かなり長い年月をかけて、真にあたらしい物
へと至る第一章であり、なだらかに浮上する飛翔なのでしょう。なぜなら、タイトルの重みというものがあるから、「ポートピア」が出た時や「ドラクエ」が出
た時のようには、あたらしく始められないからです。しかし、そうであっても、今回の「一歩」は非常に大胆な前進。
巨大な3D空間を移動するゲームは珍しくもありません。けれども、それならなぜ、ワクワクしないのか。作業感が増して、つらくなっていくのか。要素はあれども、娯楽に達せず。かくして「ドラクエ8」によって、はじめて娯楽という領域に達しました。

補足3 ドラクエ1に見るアドベンチャーゲームの名残り
「物語を語る媒体としてのゲームの系譜」
り抜粋
ドラクエ1はウィザードリィとウルティマの混合物として語られることが多いのですが、アドベンチャーゲームからの進化という側面もあります。和製RPGの
場合は。それはドラクエ1のメニューとコマンドのシステムが、明らかにアドベンチャーゲームチックなことと無縁ではありません。コマンドを選んでなにかが
起きるということを徹底しています。「とびら」や「はなす」→「ひがし」など

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2004年11月27日

さよなら「箱庭ゲーム」

本当に眠れないゲーム
結局のところ、フライング・ゲットしてる人、割といますよね。つーか、大っぴら には前日販売しないにしても、予約者が直接行けば売ってくれる店はけっこうあるんですよね。というわけで、昨日から徹夜でドラクエをやり続けているわけで すが……。 「FF」「MGS」「真・三國無双2」も夜通しつづけたゲームではあるんだけど、それでもさすがにこの時間にはいったん寝てしまっていました。でもドラク エはやめられません……。困った。やめる「隙」が見つからないんだよね。ロードが長いとか、ストーリーがタルくなったとか、突然戦闘のバランスが悪くなっ て嫌になったとか、詰まったとか、エンカウントにうんざりしたとか、そういうプレイを中断したくなるような欠点がまったくないわけですよ。完成度が高すぎ る。 戦闘の読込みはありえないぐらい速いし。PS2界最速かも。戦闘のテンポも、全然良いし。エンカウント率も低め。戦闘のバランス調整はさすがの一言。ボス 戦は全体的にちょいヌルめ(テンションシステムは逆に戦略性が単純になってる感が……)。アンチが2chに書き散らしてる「3D酔い」はまったく感じませ ん。もっともボクは今まで3D酔いしたこと1度もない人なので、参考にならんかな?
さよなら「箱庭ゲーム」
フィールドがきれいです。歩いていて楽しい。遠景にだんだん近づいていって、 徐々にはっきり見えてくる感じがすごくいい。この広大さはたまらない。巨大な3D空間をシームレスにつなげるというゲームは何本も世に出ていますが、この 高みに達したソフトはこれが初めて。突き詰めるとこういうところまで来れる、という偉大な実例。 「ゼルダの伝説 時のオカリナ」は自然美の箱庭が楽しめた。「ジャック×ダクスター」はより広大な箱庭が楽しめた。「GTA3」は都市という箱庭が楽しめ た。「Half-Life2」は物理エンジンによって、より精緻な箱庭を楽しめた。しかしいずれも大小はあれ、「箱庭」ゲームにすぎない。「ドラクエ8」 は「箱庭」を超えた。 ブラボー! ゲームの進化、万歳。そしてすべての「箱庭ゲーム」にさようなら。あらゆる「箱庭ゲーム」はもはや数ランク価値の下 がった、古臭いゲームになってしまった。
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ドラクエ8
Excerpt: 発熱地帯: さよなら「箱庭ゲーム」 ↑こちらの初見を読んで、改めてわくわく。 ドラクエ8が発売されていましたネ。 すっかり忘れていましたが、都心では賑わっていたようで。 ドラクエ7からけっこうすぐに発売された(延期がなかった)のが、よく考えればめずらしい...
Weblog: テキストダブ〜ン
Tracked: 2004年11月28日 00:56

2004年11月22日

ゲーム制作者の無意識をデータ化する

まんがたうんにドラクエ8制作者インタビュー掲載
「ドラクエ8」大特集。ロングインタビューが掲載されています。
他のあらゆる続編モノが評価、面白さ、売上を落とし、「劣化続編」という言葉が当たり前のものになりつつある中、「ドラクエだけは堕ちない」という期待感
がいまや日本中にみなぎっていますよね。このインタビューを読むと、ドラクエの製作陣はスタジオジブリに通じるところがあると思いました。
> 今のゲームはハードが進化して、みんなが技術にとらわれ過ぎてしまい、面白いもの
> を評価する原点を忘れています。「何が面白いんだ?」ということをふまえないとダメ
> ですよ。ドラクエは堀井さんがいて、そこに着目しているから限界はこないと思います。
よくある「技術批判」ではないことに注意。やりたいこと(=面白いこと)があって、それを実現するために技術を惜しみなく使うということであって、技術が
あって、この技術を使うとこういうことができるよ、ではない。
> 現在のゲーム開発は大型化し、チームごとに複数のリーダーがいるのが普通ですが、
> ドラクエは堀井さんがすべてに目を通す昔ながらの作り方で、統一された世界観を
> 作り上げているんです。さらに堀井さんは素人の目線でゲームを作っています。
単純に古臭いやり方を継承しているだけ、というようなネガティブな受け取り方をする人もいるかも。でも、じつはやれることは徹底的にデータ化(マニュアル
化)していて、「感性」みたいなあいまいなものだけで、大人数を動かしているわけではない。
> ドラクエの開発で特徴的なのは、すべての開発工程で堀井が目を通すことだ。
> ゲーム機の性能が上がり、ゲーム開発が分業化していく中でもこれだけは変わ
> らなかった。そこで日野は「堀井さんの脳みそをデータにすること」に取り組んだ。
> 全作品をDVDで録画し、攻撃から敵がダメージを受けるまでの時間、コマンド
> が表示されるタイミングなどを記録。そのテンポの中でキャラクターの動きを映像
> 化した。日野は「テキストで表現されているものは、すべて作った」という。 >
私の役目は、堀井さんが無意識に作っていたことをデータ化することでした。
> 例えば、「じゅもん」を唱えて音がしてからダメージが至るまでの時間を計った
> 上で、そのズレがどこまで許されるのかを追究したりしました。
日本のゲーム制作者には「テンポ」や「リズム」を重視する人がかなり多い。他人のつくったゲームを分析する時でも、アイデアや骨格をあーだこうだ語るより
も、リズムやテンポをほめる発言が目につきます。ゲーム制作者が無意識にやっていたことを分析して解体してマニュアル化する作業は、次の世代につなげる上
ではじつは無視できないことなのかも。
マニュアル化については、欧米のほうが進んでいますが、一方で彼らは映画をマニュアル化した時の手法を元にしすぎているから、当然取りこぼしも多い。中途
半端に学術的な説明を入れすぎていたり(論文は書けても、モノはでてこない)、制作工程の効率化に比重を置きすぎていたり。工程の効率化という点では、彼
らから学べることはいっぱいあるんですよ。でも「ゲーム性」とか「面白さ」を作る部分は、まったく学ぶ価値がない。
ファミコン20年などといって、1つの時代が終わりを告げたかのように去年言われましたが、脈々と生き残っているものはまだまだあるわけで、「ゲーム性」
や「面白さ」という点では、しっかり日本の中を見つめたほうがいい。浮わついた目線を外へずらしているうちに、せっかくの秘伝のタレを腐らせてしまわない
ように。
(関連記事:我々はいまだゲームを知らない

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2004年11月18日

ゲーム内恋愛が欧米でもトレンドに?

まー、BLOGの更新状況を見ていればバレバレなんだけど、今年は春から秋までずっと忙しかったんですよね。そのせいで今ごろになって、あれこれ情報収集
に励んでいるのですが、ゲーム内恋愛が欧米のゲームでもトレンドになりつつあるんでしょうかね? 前からあるにはあったんでしょうけど、このところ目立つ
なあと感じます。
Singles「Sims」
の大人の恋愛版というふれこみのソフト。見知らぬ2人が1つ屋根の下で共同生活を行うという同居生活シミュレーション。ロマンチックからエロチックへ……
セクシャルな表現もあります。これが出た当時は、「こういうのも出るようになったのか」ぐらいの感想でしたが……。日本版ではかわいい(?)女の子キョウ
コちゃんが追加されていますが、これ、どう見ても日本人じゃなくて、あそこの国の人……。
Playboy:The Mansion
雑誌「PLAYBOY」の創刊者にして、稀代のモテ男、ヒュー・ヘフナーになって、雑誌を出版し、女の子たちの写真を撮影し、有名人を集めたパーティを主催するゲーム。有名人はわがままぞろい。好みのちがう彼らに食事や女の子をあてがって、満足させないといけない。

Leisure Suit Larry約10
年ぶりの続編で、初めての3D化。
「女の子とダンスする」「カクテルをすばやくミックスする」「飲み比べする」「テーブルテニス」などのミニゲームをこなして、女の子の好感度をあげてい
く。ミニゲームをこなしていって、女の子と仲良くなるというと、「きみしね」に通じるところがありますね。「きみしね」はもっとバカゲーセンスだし、いや
らしい感じは抑えてますが。
Sprung
北米におけるDSの初期タイトル。Sims系恋愛ゲームとは違って2Dのデートアドベンチャーで、2人が会話する時に上下画面にそれぞれの表情が表示されるという変わったシステム。これは男性と女性の主人公がいるみたいです。まぁどっちも日本人が好む絵柄ではないんですけど。
それにしてもDSというハードは、ゲーム開発者になんとなくエロチックだなと思われてるんだろうか? プラットフォームホルダーが任天堂でさえなければ、一気にそっちに流れ込んでしまいそうな気も。PS1時代のSCEぐらいのバランス感覚が理想なのかも。

Grand Theft Auto SanAndreas (PS WORLD コラム)
あのGTAも、恋愛要素を導入。ボクが遊んだわけではないので、どの程度のボリュームかは今ひとつ不明。じつは、この記事を書くきっかけが「GTAでもこういう要素を取り入れるほど、メジャーなニーズがあるのか?」と思ったから。
> 恋愛できる(意表をついたフィーチャーだが、ゲームのなかで彼女をつくることができる。
> 彼女とデートを重ねて親密度を上げていくのだけど、放っておくと「ワタシ淋しいの」
> などと電話がかかってくるなど、とても芸がこまかい(笑)。

4Gamer.net ウォーレン・スペクター氏の語る「ゲームストーリー」
た、今年のGDCで、「The Love
Story」という講義が行なわれています。もし自分がラブストーリーのあるゲームを作ったらどうなるか?を有名クリエイターが企画発表。「Star
Wars
Galaxies」のラフ・コスター氏や、ウィル・ライト氏が参加して、ハーレクイーンロマンスの要素をいれたMMORPG、「Battlefield
1942」と映画「カサブランカ」を組み合わせた「一人称視点のキスゲーム」などのアイデアが披露されたそうです。まぁ、この講義はお遊びのノリが強いで
すけど。
こういうゲームが出てきた背景には、「Sims」の影響はもちろんあるんでしょうし、ゲームを遊ぶ層の高年齢化も大きな要因でしょう。ただ、やっぱりまだ
ジャンルとして歴史が浅い印象はぬぐえません。バリエーションが少ないし。それと、なんとなく、欧米の恋愛ゲームは、男性臭というか親父臭が抜けない印象があります。まー、そのうちもっと広がるのかな、と思いますが。


補足1: エロチックな例なら
日本のゲームメーカーは今の所、欧米でSims系恋愛ゲームを出していないはずです。が、「恋愛」という括りでないなら、「DOA」シリーズが欧米でもなかなかいいセールスをあげていたり、コナミがコナミ版DOAこと「ランブル・ローズ」を制作したりと、例はありますね。

補足2: 韓国ゲームはエロい
あと、今回はふれませんでしたけど、「萌えとエロ」というと韓国ゲームが今注目でしょうね。「マグナカルタ」もキム・ヒョンデ氏のエロかわいい女の子で売
れている部分がありますから。男性向けの恋愛ゲームだけでなく、日本同様、女性向けの恋愛ゲームもけっこう出ていて、その点は欧米よりも進んでいる印象が
あります(ちょっと目に止まったのは「化粧」をテーマにした恋愛ゲーム「Love」)。

Posted by amanoudume at 05:15 個別リンク | TrackBack(1)
Trans’ 〜僕とあたしの境界線〜
Excerpt: http://www.trans-b.com/  おそらく、日本で唯一の「女装シミュレーションゲーム」 『Trans’ 〜僕とあたしの境界線〜』のサイトです。    内容はオリジナリティ高いですし、絵 ...
Weblog: h_handaiの日記
Tracked: 2004年11月22日 11:56

2004年11月04日

怖い、怖い、怖すぎる「ひぐらしのなく頃に」

最近やたらと評判の「ひぐらしのなく頃に」、今週にはいって、ようやくプレイしました。
怖い、怖い、怖すぎます。怖いとは聞いていましたが、ここまでとは……。
凄い、本当に凄い、「TYPE-MOONの次」といわれるのもよくわかりました。
ここ数年のミステリ系ノベルゲームの中で、最高に面白いです。これだけやみつきになって読んだのは、「かまいたちの夜」以来だと思います。

公式サイト07th Storming Party
りあえずは、体験版(110MB)がありますので、それを落として遊んでみるのはいかがか。
キャラの絵がクセがあるし、前半は人によっては好みがわかれるかもしれませんが、そこは耐えて後半まで読み進めてみてください。後半になって、世界が一転
します。その「落差」がなんとも恐ろしい……。ノベルゲームが大好きな人は遊んでみて、まったく損はないでしょう。未プレイなんて、ありえないですよ、
まったく。
このノベルゲーム、ゲームといいながらも基本的に選択肢なるものは一切存在しません。物語は選択肢によって分岐しません。しかしプレイヤーは提示された事
件について、さまざまな推理をおこない、ネット等を通して意見を交わし合い、この事件を心ゆくまで楽しむことができます。
物語はまだ完結しきっていません。「鬼隠し編」が平成14年の夏コミで発表されて以来、「綿流し編」、「祟殺し編」、「暇潰し編」の4編が発表され、いよ
いよ次回から解決編にあたる「目明し編」が始まります。解決編はさらに「罪滅し編」「皆殺し編」ともう1編あり、全4編。おそらく、早くとも完結は再来年
になることでしょう。いまだネット上では、さまざまな推理が交わされている状態。今ならまだ心ゆくまで、どっぷりと推理する時間があります。ねむれぬ夜へ
ようこそ・・・。

参考サイト

レビューや参考サイトは非常に膨大なので、ボクが遊ぶきっかけになったものだけ。
かーずSPさん 同人ゲーム「ひぐらしのなく頃に」レビュー
げいむ乱舞界さん 製作者突撃インタビュー
ひぐらしLinksコマイズムさん

補足
今年の5月に体験版をネットで配布、フリーゲーム紹介サイトで火がつき始め、夏コミ直後にブレイク。オンリー即売会の開催決定、コミックアンソロジーの発売決定、特別設定資料集「ひぐらしのなく頃に 特別編 雛見沢村連続怪死事件 私的捜査ファイル(仮)」の発売決定と、まったくもって、どえらい勢いです。
Posted by amanoudume at 13:02 個別リンク

2004年11月02日

日本流「馴れ合い開発文化」と欧米流「カッチリ分業開発文化」

EAのレッドウッドスタジオで働いている女性アーティストの方へのインタビューが、今月の「CG
World」に掲載されていますね(P.110〜)。EAの分業体制の一端がうかがい知れる内容になっています。EAのゲーム開発の方法は現在、かなり注
目を集めていますから、すでに「よく知っている」という人も少なくないでしょうが。
この方はライティング専任とのことで、プリレンダーや、ゲーム内マップのプリライティング(頂点カラーやテクスチャへの焼き付け)等を担当されているよう
です。仕事の流れを簡単に説明されていました。
  リードモデラーによる叩き台の作成と、その後の詳細化と作業分配(レベルのゾーン分け)。
  イントラネットを通しての映画素材へのアクセス。
  1シーンごとにライティングデザイナーを配置。
等々。
しかし一番印象的だったのは、「ここをこうしたら、もっと良くなる」という会話が映画制作より少ない、という話。世界観と方向性がアートディレクターに一
任されていて、線引きが明確になっているそうです。EAはやっぱりそうなのか。どっちかというと、日本は役割の区分があいまいな部分があって、プログラ
マーやデザイナーからもアイデアが出てきて、それを吸収して良い物にしていく、という文化が強いです。なので、そこまでカッチリと仕事を分けてしまう文化
は違和感がありますね。
まぁ大局的には、EA的な流れに進んでいかざるを得ないんでしょうけど。
最近は、ゲーム開発について、あちこちで議論されたり、情報が出てくるようになってきました。
今は日本的な「馴れ合い開発文化」の悪い面がすごく出ていて、欧米流「カッチリ分業開発文化」の良い面がクローズアップされていますよね。
(欧米でも、比較的小規模なスタジオで、組織作りがうまくいっていない所は発売延期の常習犯、ソフト流出の温床になってます。また年々、PCゲーム市場が
縮小しているとおり、そういう欧米流「同人的開発文化」は徐々に追いやられているのが実情。)
クリエイティブ系の職場論ではありませんが、デルと日本企業「楽しい職場」の対比をしたこの記事がなかなか面白いです。梅田望夫・英語で読むITトレンド 「楽しい日本の会社」にアンチテーゼを突きつけるデル
ここで「楽しい職場」対「楽しくない職場」論をぶつのもいい。けれど、事態はそんなに単純ではありませんね。最近では、そもそも「楽しい職場」って本当に
楽しいのか?という話も浮上していますから。(この辺は、「ほしのこえ」の登場や、「ほしのこえ」に対する押井守の強い否定を取り巻く議論が参考になりま
す)
「馴れ合い開発文化」は、効率性の面で欧米流「カッチリ分業開発文化」に押され、クリエイティブの面で「同人的開発文化」に押され、両方の板ばさみになっ
て、ここ数年は悪い面ばかりが表層化していますね。

Posted by amanoudume at 15:20 個別リンク | TrackBack(1)
部活動的ゲーム開発スタイルの落とし穴
Excerpt: 日本の仕事文化って部活動的で,落とし穴もあると思う。ゲーム開発においては,深刻な問題かもしれない
Weblog: ゲーム屋ケンちゃん
Tracked: 2004年11月22日 15:42

2004年08月08日

ここ7ヶ月間のゲーム業界シェア(国内)

「データの祠」さんにここ7ヶ月間のゲーム業界のシェアが掲載されています。

踏みとどまれるかどうかという競争
1位が任天堂でシェア2割、2位がポケモンでシェア1割。あわせて3割かよ。 しかし任天堂が強すぎるというより、他がダメになってるだけですけどね。市場が厳しくなっている中、維持できている者とズルズル落ちていっている者の差が 出始めているのでしょう。日本のゲーム業界のみんなに落下重力がかかっていて、あとはどれだけ落ちないで踏みとどまれるか。そういう競争になっています。 別に任天堂がひとり素晴らしわけでもなんでもない。どこが一番マシか、という状態なんですよ。 スクエニ、カプコン、コナミ、バンダイはまだ踏みとどまれています。しかしその中でコナミは以前にくらべて、順位や存在感が落ちています。きびしい時代の 始まり。ズルズル落ちるか、踏みとどまるか、この1〜2年が節目になるんじゃないかな。
「ユニーク」という言葉をつぶやく者が一番マンネリな罠

SCEJは9位。もはや見る影もない。PS1時代の成功体験にもっともしがみついている会社。「バブルの時代の一発屋さん」たちに権限をもたせすぎているのが問題なのでしょうね。一発屋さんたちはかつてはユニークなソフトを作っていたのかもしれませんが、いまや「ユニークゲーム」というジャンルのソフトを作っているだけ。「ユニーク」という言葉の定義から明らかなとおり、「ユニーク」という基準は常に変動するんです。

影響力のありそうな人物がこういうことをいっているようではねえ……
まぁインタビューしたライターの文章のまとめ方の問題なのかもしれませんが。インタビューされる側とする側の現状認識がもろに出ていますね。以前、「昔は
売れていたけど、今はサッパリなギャグマンガ家」へのインタビューを読んだことがありますが、内容がそっくりです。とても笑える。さすがは「ユニーク」で
いらっしゃる。やーれやれ。
まぁ、厳しいですよね、「ユニーク」というのは。うっかりすると、「今のSCEは1回受けたギャグを何度もくりかえす痛いオヤジ」なんていわれてしまう。
もう2〜3年いわれ続けてますが、いまだに反省がありません。「保守的」という言葉を愛するように連呼する人間がもっとも「保守的」というのと、よくにた
症状でしょうね。やーれやれ。

なぜ逆転したのか、答えは明白
ナムコとセガはコーエーより順位が下ですか。この数年で逆転してしまい
ましたね……。ナムコは「塊魂」を始め、いいソフトも作ってるんですけど、雑なソフトの数がはるかに上回っています。みんな「ナムコ」という名前で出され
ているわけですよ。もう少し自分にきびしくあってほしい。今年〜来年が正念場でしょう。
セガにいたってはサミーに負けてるし。そりゃ去年ああいうことになるわけですよ。納得の極み。「売れる」とか「売れない」以前に、どうしてあそこまで「楽
しくないソフト」をいっぱい世に出しているのか。まぁ他のゲーム開発者のBLOGを読むと、「開発者のこだわり」とか、「硬派なゲームづくり」なんかはあ
るらしいですね。
しかし、遊んでいてつらいだけのソフトばっかりですよ。たまに「つらくないソフト」が出たかと思えば、「つらくないけど楽しくもないソフト」ですし。
「ちっ、今時のユーザーちゃんにあわせて、ラク〜にしてやったぜ。感謝しろよ」などと舌打ちしながら作ったようなソフト。あるいは「オタクなユーザーちゃ
んにあわせて、女の子を出してやったぜ。釣られて買えよ、バカめ。中身はむつかしーけどな。ケケケ」みたいなソフトもありましたね、去年の年末。
あるいは「オタクに媚びなきゃ売れねーから、媚びてやったぜ。ありがたく受け取れよ、ホラ」ってソフトもありますねえ。……ああ、これはナムコもよくやっ
てしまうんですよねえ。お客に「寄生」して生きている分際で、やたら偉そうというか。いったい何様なんだろうなー。ゲームって娯楽のはずなんだけど、ボクの知らない間に別の何物かにかわってしまったんでしょうかね?

地球上でどれだけの人間がゲームをつくっていると思っているのか

以前「我々はいまだゲームを知らない」
もかきましたが、ゲームづくりの腕、あきらかに全体的に落ちてきてますよ、日本は。欧米が良くなったのはたしかですが、それだけで差がうまったんじゃな
い。日本が落ちたんです。
まぁ日本のゲームって、「普通にできている」ことはできているんです。でも「普通」って言葉は最悪なんですよ。要するに他が劣化したら、ずるずるずるずる
「普通」の基準も劣化していくわけじゃないですか。「普通でいいよ」って言ってると、結局、自分の基準より下のものしかできないんです。いつのまにか劣化
して、売上も下がって、また劣化して、また売上も下がって……。
「自分が劣化している」と自覚しないと、ずるずる落ちる一方なんです。劣化重力というものをつねに自覚していないといけない。それを忘れ
たらダメですよ。自分が普通だとか、劣化しないとか、そういう錯覚に身をゆだねていたらダメです。人間、生きていたら、どんどん劣化していくんです。
一昔前はともかく、今はもう欧米でも、中国でも、韓国でも、台湾でも、インドでも、中東でも、世界中のあちこちでゲームが作られているわけです。地球上で
いまどれだけの人間がゲームを作っていると思っているのか。「普通」なんてものは、別に日本人が作らなくたって、もっと安く他の地域で作れるわけです。
「どこでだって作れるようなゲーム」はまさしくどこでだって作れるんです。そんなもの、日本人の開発会社にふらずに、もっと安い地域の開発会社にふればい
い。
日本がゲームを作らなくても世界は何も変わらないのであれば、その会社がゲームを作らなくても何も変わらないのであれば、お前1人がゲームを作らなくたっ
て何も変わらないのであれば、本当に仕事なんてなくなっちゃうんです。いまや、それが可能な時代になったんですから。
これはボクの人生論ですが、ボクらは「地球にいったい何人の人間がいると思っている? お前1人がいなくたって地球の重さは変わらない」という言葉を突き
つけられて生きているんです。それに抗って生きられないなら、さっさとフェードアウトしたほうがいい。生きてたって何の意味もない。数十億の人類なんても
んより、人間1人のほうが重い。そのありえない価値を立証してこそ、人生は意味をもつ。
結局、自分の価値を立証できない国が、会社が、開発者がどんどん落ちている、それだけのことなんですよ。たとえば20位に「日本一ソフトウェア」の名前が
しっかり入っていますね。日本中ぜーんぶひっくるめて、それで20位ですよ。数年前にはありえなかったランキング。いまやそれが現実のものになりました。
なぜか?
簡単ですよ。
踏みとどまって価値を立証してきた者と、ずるずる落ちていった者の違い。ただ、それだけです。

Posted by amanoudume at 08:35 個別リンク | TrackBack(1)
2nd Q はダラダラだったなー。
Excerpt: 第2四半期はかなり下方修正しなけりゃいけないですが。単純に中だるみ。なので、どっかに書いておかないと忘れるので、プロフィールに書きます。まずは、 基本的なことを。 朝は6時に起きる 暇があったら本を読む 1分以内に終わることはスグやる まずは、基本的で実...
Weblog: kenyamの日記:wah-wah pedal
Tracked: 2005年06月19日 14:51

2004年07月22日

「ゲーム」クリエイターは絶滅しても誰も困らない

島国大和のド畜生の7月23日の日記
> 狭義ゲーム性ってのは「努力に対する褒賞のシステム」って事になるのだけれど、
> もう誰も、ゲームで得られる褒賞(ステージクリアとかシナリオが進むとかの達成感)に、
> 努力するほど魅力を感じて無いんですよ。
そのとおりだ!!
散々、何度も何度も書いてきたことなのですが、本当にそのとおりですね。これを勘違いしている自称、他称の「ゲーム」クリエイターがじつに多いですね。だ
からいまだにそういうきわめて狭く、チープでつまらなく、古臭く、進歩性がなく、ただつらいだけの「ゲーム」が量産されています。
結局は「考える」ということをしない。かつてあった規定の路線をそのままなぞるだけの「無思考」系人間が多いということでしょう。別に、俗にいう「続編」
が多いとか少ないとか、「版権タイトル」が多いとか少ないとか、そういう表層的な話ではないんです。名前と外っつらだけが「新規」で、中身の発想が古臭い
のであれば、何の意味があるのか。張りぼてじゃないですか、そんなもの。
表層的な「新規性」議論だの、「続編」論争だの、そんな浅い話じゃなくて、単純に「娯楽」を提供できているのかということのほうが重要なんですよ。ゲーム以前にまず娯楽でしょ。「ゲーム」クリエイターの前にまず、「娯楽」クリエイターだってことを忘れちゃってる人はもう救いがたいですから。

「新時代の難易度」だとか、他にもいくつもの記事でかいているとおり、今は新時代のゲーム認識が必要な時代です。それがもてないようなゲーム開発者は絶滅してかまわないと思うんですよ。ボクはまったく興味がもてないし、存在してもしなくてもまったく気にならない。

つまり雑草とかゴキブリといっしょなんですよ。「絶滅」「絶滅」といったところで、どうせ無くならないぐらい吐いて捨てるぐらいいるんだから、もう「絶滅」と百万回ぐらい連呼したってかまわない。ですから市場淘汰されたらいいと思います。市場はきわめて健全であり、市場が保守的なんてほざく人間はしょせん、絶滅寸前の脆弱な種にすぎません。種の多様性? おいおい、淘汰は自然の現象であり、必然だよ。自然をゆがめるな。保護しなきゃいけない価値観なんぞ、多様性とはいわんのですよ。

Posted by amanoudume at 18:40 個別リンク | TrackBack(1)
[ゲーム] 「努力に対する褒賞のシステム」
Excerpt: 発熱地帯のエントリーで紹介されていたのですが、島国大和のド畜生の2004年7月23日の日記より、いやよくぞ言ってくれたという感じなのですが、エンディングがない系のゲームについて、ゲームメーカーの売り文 ...
Weblog: 昨日の風はどんなのだっけ?
Tracked: 2004年07月24日 04:19

2004年06月11日

新時代の難易度

週間ソフト販売(5月31〜6月6日)
見てふと考えたこと。
「GTA: Vice
City」が好調ですね。このペースなら40万弱までは確実。その上も視野に入っているでしょう。日本市場においてしっかりと地歩を固めつつあります。ス
テレオタイプな意見として、日本のユーザーは保守的で、欧米のゲームには拒絶反応を示す、というものがあります。しかし現実はどうなのか? 現実は今、ボ
クたちの目の前に存在します。
まぁ世の中には「GTAは例外」という声もあるようですが、そういう理解はきわめて浅い。日本市場は着実に変わりつつあり、面白い物は面白いと認めていま
す。要は、面白くもないし、魅力もたいしてないのに、労力をかけて「良くできたソフト」とやらを作っている時代遅れのカビた開発者が言い訳しているだけで
しょう。毒舌系のゲームサイトの方々がよく口にされるとおり、まさに「負け犬は去れ!」ですよ。

全世界で共通の傾向
最近、日本でも、欧米でも、1つの明確な傾向がありますよね。
針の穴を通すような作業を強いられるアクションゲームや、使い古されたネタを「探索性」と称して押しつけられる3Dゲームや、作業感の強いアクションゲー
ムはもはや売れなくなりつつあります。3Dの箱庭がめずらしかった時代とは違うわけです。今となってはたいしてうれしくもない作業を延々やらされる、そん
なゲームを喜ぶのは一部のゲーオタとか、開発者とか、一部の子供だけでしょう。いったい何年前の発想で物作りをしているのやら。そういう保守的な人間にか
ぎって、やれ市場が保守的だの、ユーザーが保守的だのとほざく。やれやれ。
日本では「三國無双」、欧米では「GTA」の登場の頃から、ユーザーがアクション系のゲームに求める楽しさ、難易度の傾向は変わってきています。一度楽し
いものを知ってしまったら、どうしてもどれるのか? 世の中には楽しいものがいっぱいある、という事実から目をそむけてはいけない(見城こうじの空想ゲーム学 第54回「アドバンテージ喪失の時代」)。目を背けて、旧来の発想の殻に閉じこもったソフト、開発者はフェードアウトしていきます。

1つのキーワードは「難易度」
ランキングを見ると、「ピクミン2」も毎週3万本以上、安定して売れているようですね。年末以外は壊滅的と評されるGC市場において、健闘をつづけていま す。これもまた、難易度という点において、優れたソフト。他にはナムコの「塊魂」もそうです。今売れているソフトを見ると、いくつかのキーワードが浮かび ますが、その1つが「難易度」。 この難易度というのは、単純にやさしければいい、という話ではありません。プレイヤーの労力(入力)に対する楽しさ(リターン)が現代的なバランスを保てているソフトだということです。多少極論をいってしまえば、この1年で発売されたソフトを「難易度」という軸で分類してみればいい。きっと見えてくるものがあります。

たとえば「ピクミン2」については、こんな書き込みが某所にありました。

> 時々「2は少しヌルイねぇ」っていう話題が出るけど
> そのヌルイがツマラナイに直結していないのがすごい気がする
>
> 初心者にも普通にクリアできる程度の難易度で
> 上級者も「ヌルイ」といいつつまんざらでもなく楽しめる
> 初心者ばかり意識してゲームとしてつまらなかったり
> 上級者ばかり意識して間口が異様に狭いゲームはいくらでもあるけどね

「たった1つの穴」を通らせて、どうするよ?
次に「塊魂」の例をあげましょう。「塊魂」のディレクター、高橋慶太氏はインタビューの中で、「抑圧と開放」といったゲームデザインを堅苦しいと語りまし た。「ここへ行かなければ大きくできない」ような、ゲーマーにしかわからないようなレベルデザインは排して、適当に動かしていても塊が大きくなるような大 らかな設計にしたとか。 今、「ゆるさ」「おおらかさ」というものがゲームに求められ始めています。それを直感し、理解し、実現した開発者は成功をおさめ、現実に背を向けた開発者 は先細っていく衰退の道を歩み、売れない言い訳をつぶやきつづけます。 「ゆるい」といっても、単にゲームとしてできていないわけではありません。ゲームにネタを仕込むことと「たった1つの穴」を通過するため の手順を作ることは本当は別なんです。でもいつの間にか、世の中には、同じことだと考えている人がふえてしまいました。なぜなら、作り手にとってみれば、 そのほうが「きちんとできあがっている」感じがするからです。ゆるくすると、できていないんじゃないか、と怖くなる。そこでキュッとしめちゃうんです。 するとどうなるか? 穴を通過するための手順を見つけるまでの時間は人それぞれ。けれども「プレイの幅」はとても細くなります。細い穴を通ったときに達成 感がある? なるほど。でもプレイヤーはその穴を通りたかったんだろうか? 通って楽しかったんだろうか。苦労をした→いい思い出だった→ふーん、本当 に?
穴を通らせるのが娯楽なのではない。楽しませるのが娯楽

こちらのレビュー
よれば、「ピクミン2」にはRPG的なゆるさが入っているようです。敵をコツコツ倒して借金を返せるし、スプレーをたくさん作ってゴリ押しすることもでき
ます。そういうゴリ押し可能な作りを美しくない、とか、謎や仕かけが無意味になると感じるゲーム開発者もいるかもしれません。
でも、例えばRPGをして、「なんだよー、レベル99まで上げたら、ボスキャラの弱点を探ったりする楽しさが無くなるじゃないか。戦闘の戦略性もまるでな
いよ。レベルアップなんて要らないよ」などという人、いるでしょうか? 日本において、アドベンチャーゲーム→RPGと移行した理由がここにあるんです
よ。アドベンチャーゲームは「行き詰まる」「行き詰まったらやることがなくなる」という問題を解決できませんでした。そのために、RPGという、よりゆる
い方向へ進んでいきました。
ゆるくしたらRPGは、物語系ゲームは崩壊したんでしょうか? しませんでしたよ。ゆるく作ることをヒステリックにおそれる必要はないんです。「無双」
「GTA」「塊魂」「ピクミン2」、こういったタイトルはいずれも成功をおさめているじゃないですか。おかしな妄念にとりつかれてゲームを作る必要はない
んです。
難易度についての妄念に囚われているか、自由な発想で作れるか。それが新時代のゲーム開発者とそうでない開発者を分けることになるのでしょう。
関連記事
同じような話は過去にもかいてきました。

「定価分の満足」
> しかしまぁ、「顧客満足度」っていう指標はあまりにもありきたりすぎて、
> ネットを見ても、「わかってる」とか「よくいうよね」とか、サラっと流しちゃう人が
> 意外と多いような気がしてます。でもわかってる人が本当に多いんだったら、
> 今ゲームはこんなことになってねえよ。もうちょっと真面目に売れなかった
> 理由、不評だった理由を考え直せ、ってことですね。もちろん、宣伝や
> 話題性って要素は大きいですよ。

チェック・ゲームズその3
> 遊ぶ側はもっと「ゆるさ」を求めているんでしょう。「無双」「GTA」を始め、
> 近年ヒットしたゲームはいずれも、「ゆるさ」がありました。売上を大きく
> 落としている続編タイトルは、まぁそれぞれの完成度も要因でしょうが、
> 「ゆるさ」がないんだと思います。

「ゲーム市場(ユーザー)を把握しているEA」
> EAは今のユーザーが最後までゲームを遊ばないということをよく理解している。
> だからEAのゲームはしばしば、最初が一番面白いといわれる構成を取る。
> この単純な事実を開発者はよく忘れがちだ。実際に自分がゲームを遊んだ時の
> ことを考えればわかるはずなのだ。みなさん、最後まで遊んだゲームが何本ある? 
> けれども作っている時には案外、忘れてしまう。開発者はおいしい物を後半に
> 残しているのだが、前半でユーザーのほとんどがやめてしまっている、という不幸な
> ケースは案外多いのである。はたから見ればこっけいかもしれないが、作っている
> 側は真剣なのだ。

Posted by amanoudume at 18:47 個別リンク | TrackBack(2)
マニアにうれしい・初心者に優しい
Excerpt: 投稿タイトルは確か昔(今も?)秋葉原にあった基盤ゲーム屋さんが看板に書いていたキャッチコピーです。 発熱地帯:新時代の難易度 興味深かったのでクリッピングしました。 「この難易度というのは、単純にやさしければいい、という話ではありません。プレイヤ...
Weblog: 海驢blog
Tracked: 2004年06月12日 12:17
新時代のゲームデザインとは
Excerpt: 以前の管理者さんのサイトではおさがわせしてしまったことがあります。 自分がちょっ
Weblog: ビデオゲーム妄想論議
Tracked: 2004年06月18日 15:55

2004年04月22日

物語を語る媒体としてのゲームの系譜

こちらのサイトがギャルゲー、エロゲーの歴史をまとめています。
初心者のための現代ギャルゲー講座

物語媒体としてのゲームという意味では、アドベンチャーゲーム→サウンドノベルというのが1つのメインストリールです。コンシューマーの場合、アドベンチャーゲーム→RPG
いうもう1つのメインストリームもありますが。
(ドラクエ1はウィザードリィとウルティマの混合物として語られることが多いのですが、アドベンチャーゲームからの進化という側面もあります。和製RPG
の場合は。それはドラクエ1のメニューとコマンドのシステムが、明らかにアドベンチャーゲームチックなことと無縁ではありません。コマンドを選んでなにか
が起きるということを徹底しています。「とびら」や「はなす」→「ひがし」など)
傍流として、アドベンチャーゲーム→御神楽少女探偵団→逆転裁判という流れもあるわけですが、残念ながら売上、一般での話題性(ゲーオタの間での話題性は
あるが……)の面で、とてもメインストリームとはいいがたい。

プレイヤーがテキストを読まない
アドベンチャーゲームがある程度そろった後、何が起きたかというと、
プレイヤーがーテキストをきちんと読まなくなったんですよね。フラグを立てるための単純作業、そして画面に表示される文章。プレイヤーはしだいにこの作業
に慣れ、飽きてしまいました。そこで、ビジュアル的な形式をふくめて、読ませる(or
読みたくなる)ような作りに変わったのがサウンドノベル(ビジュアルノベル)でした。
(過去に何度も引用してますが)
TINAMIX INTERVIEW SPECIAL Leaf 高橋龍也&原田宇陀児 (前篇) 2ページ目>
高橋:ノベルゲームにした利点で言うと、あの当時は単純に全画面表示の
> テキストが目新しいと思ったんです。それが売りになると思っただけだったん
> ですけど、採用した上でのメリットは文字を飛ばす人がいなかったということ(笑)。
> その頃のアダルトゲームでも良いシナリオは結構あったんです。僕はわりと
> 細かく読んでいた方なので「シナリオ良いのになんで話題にならないんだろう」
> と思っていたんですけど、どうやらみんな飛ばして読んでいるらしい。当時の
> ゲームだと文字飛ばし機能は絶対標準装備でしたから。でも『雫』とか『痕』
> はさすがに飛ばす人はいなかったんです。あれは読み飛ばすと全く意味のない
> ゲームですから。
もう1つの方向は、登場人物の会話を読ませるようなゲームシステムの導入です。御神楽少女探偵団の推理トリガー、そして逆転裁判の裁判シーンへと続くわけ
です。ただ、この流れは決定的な解を生み出せているとはいいがたい。それが、御神楽や逆転の不完全さともいえます。
たとえば逆転裁判の探偵パートや、「2」「3」における諸問題にそれが現れています(ネタの問題もふくめて続けるのが苦しいとか、推理だけじゃボリューム
が埋まらないとか)。ここでボクがいっている不完全さというのは、作品および商品パッケージとしてまとめるうえで、従来の(問題のある)やり方を取らざる
を得ない、ということです。
まぁだから、この系譜のゲームがあまり売れていない(一部のオタクと業界人ぐらいしか反応してない)現状はわかるのです。やはり、まだ「次の進化」へ届き
きってない、というのがボクの評価。手厳しいかもしれんけど、「進化」だの「発明」だのという言葉は、それぐらいの跳躍をして、はじめて成り立つ概念で
しょうね。

Posted by amanoudume at 16:28 個別リンク

2004年04月16日

モチベーションの危機? その2

続編の論理とモチベーションの維持

「CG World」今月号、じつは今頃読みました。制作の解説は正直それほど面白いとは思わなかったんですけど(注1)、
稲船氏のコメントは興味深かったですね。特に続編におけるスタッフのモチベーションの維持についての部分が。
鬼武者シリーズは2チームの並行開発体制で、「1」の開発中にすでに「2」の開発が始まっていたらしいです。「1」を出してから間をおかずに「2」を出
し、シリーズの定着を図るためだったとか。あの有名な、FFの偶数チームと奇数チームの並行開発が思い浮かびますね。
  1→→→→→→→3
     2→→→→→→→新作
納期厳守のため、「2」はあえて「1」の”ただの続編”に制限し、そのかわり「2」が終わった後はオリジナル新作の開発を約束。「1」のチームには3年の
期間を与え、フルポリゴン化などの新しい挑戦を許す。スケジュールを明確にし、与えるものをハッキリ提示することで、続編開発のモチベーションを維持す
る。
この考え方は、稲船氏がロックマンシリーズの開発でつちかったものだそうです。なるほど。確かに1つのシリーズを延々作っていると、どうしてもモチベー
ションは低下していきますし、新しいアイデアが出なくなってきます。
とはいえ、企業としては続編は必要。経営の論理と開発スタッフのモチベーションのつり合いの取り方は、続編と版権タイトルが急増し、パブリッシャーとディ
ベロッパーの対立感が高まっている欧米のゲーム業界に1つの指標を与えたといえるでしょう。
日本においては、ナムコやカプコンを筆頭に、続編主義の脱却を提唱する会社は着実に増えており、日本が続編の温床であるかのようなプロパガンダ・イメージは、徐々に現実にそぐわない過去のものになりつつあります。とはいえ、経営の現実とモチベーションの両立の一例として、大いに参考になるのは確かでしょう。

開発者の露出とモチベーションの維持

「鬼武者」といえば、開発者の露出に積極的だったことが印象的でした。
特に「CGWorld」においては、白黒ページにおける9ヶ月間の密着取材記事、4月号と5月号の2
カ月連続の特集が組まれており、露出の多い他社(ナムコ、セガ)と比べても格段の露出ぶりでした。一般に、専門誌への情報露出は、(ユーザーに対してでは
なく、人材市場に対して)企業のブランドイメージを高める効果に加え、開発者のモチベーションを高める効果があるといわれています。
現在のゲーム開発は大規模化しすぎており、なかなか作った実感を得にくい面があります。そういう意味では、パートの評価も必要になってきてますね。アニメ
や映画のような集団制作においても、監督や脚本だけが評価されるわけではなく、映画ではVFXなどの特殊効果制作班やカメラマン、アニメでは(声優は特殊
例としても)作監や原画が評価されることがあります。
もちろん、作品トータルの評価というのがもっとも重要視されるべきですが、今後ゲーム開発の分業化が進むなかで、部分の評価というものも自然と求められる
のでしょうね。(注2
(一方で、現在リリースされているゲームを俯瞰した時、トータルの完成度の低下が起きているのも事実。ボクのBLOGもどちらかというと、トータルの完成度を重視する傾向があります。)

雑誌への露出、CEDECやGDCへの講演参加はよく、「開発情報の共有」という大儀を掲げることが多いのですが、ゲーム開発者のモチベーションを高め、成長をうながす
いう側面があることも指摘しておきます。これはとくに開発マネージメントという観点で、無視できない効果があると思います。
昨今では、欧米流の開発マネージメントが流行ってきています。良いところは見習うべきですけど、すでに「パブリッシャーとディベロッパーの対立」など、あ
ちらでは大きな問題が表面化しており、後から追いかける分、単純に方法論をコピペするのではなく、改善された方法論を実施すべきでしょう。
特に、日本は開発者を会社組織内に抱えこむ文化ですから、モチベーションの維持は欧米以上に重要視されなければなりません。これは、製造業をはじめとする多くの他産業で組織改革をおこなった結果、全体的に士気が下がっていることを見ても、おおいに危惧されることです。

売れなければ不幸
この3年間、たびたび書いてきたように、ボクは個人的に稲船氏を高く評価し、尊敬しています。 というのは、売れなければダメということをちゃんといっているから。 > こういう業界ではよくクリエイターが言ってますよね。「こだわりがすべてです」 > みたいなこと。でもこだわっているのはあたりまえなんだから、口にするのは > やめようよ、と。こだわってます。お金も使ってます。そういうところはどうでも > いいんですよ。大事なのは自分たちが一生懸命作った作品をどうやってみんなに > 見てもらうのか。 > 売れなければ不幸です。 これはもうその通りで、売れないと不幸なんです。でもまぁ誰だって、自分が不幸だとは思いたくないから、目をそらすんですね。やれ、ユーザーが保守的だ の、タイミングが悪かっただの、ハードが悪いだの、作りにくいせいだの、世の中が悪いだの、景気が悪いだの、……。もっともらしい理由なんて、いくらでも ね、思いつくんです。それで納得しようとする。これは不幸な心理状態ですよ。 目をそらしたら、次もダメですね。直視しないと一歩も先に進めません。 そこを乗り越えられるかどうか。(注3) これはボクの想像がかなり入ってるんですけどね、「ロックマン」って最初は良かったけど、一時期すごくダメになってたじゃないですか。その横で「スト供 が出て、「バイオ」が出て、華やかなもんでしたよね。で、けっこう肩身が狭かったんじゃないかと、勝手に想像しちゃってるわけです。 挫折とまではいわないけど、かなり苦しい時代があったはずで、そういう時代があったから、モチベーションの話や、売れなきゃダメという話が出てくるんだと 思うんですよ。昨日、今日ゲームの世界に入ってきた人間が「金、金」いってるのとは説得力がまったく違う。 もちろん、勝手な想像です、これ。 一般論としても、苦しい時代を知っているのは強い。今の時代の経験がバネになって、次の時代の飛躍につながる。今の状態は世界産業としてゲームが一段階成 長するためのつらい経験値かせぎのようなものなのでしょう。 そしてそこを乗り切るには、売ること、売れることを重視しないとダメ。売れているから好きに作れるわけで、売れなくなれば結局好きには作れなくなる。当然 です。子供の遊びではないのですから。 注1フルポリゴンの3Dアクションアドベンチャーでどんなツールが必要になるかって、正直、どこが作ってもそう変わらないはずなんです よ。で、やっぱり変わらないなあ、と。もちろん作っている人間が違うわけだから、インターフェイス類やフローに細かな違いはあって、そこはちょっと興味深 く読みましたけど。比較として。 1つ疑問なのは社内での共有状況かな。鬼武者部署(第二開発部)で、ツール制作が各ラインから独立していて、複数ラインで共有されているのは、今時の制作 環境を考えれば当然。けど、他部署(バイオやデビルメイクライの部署)との共有はどうなってたのかな?という点。さすがに記事にはそこまで書いてなかった ので。まぁさすがに共有できてなかったら、ただの質の悪いジョークですけど。 注2詳しくは「その3」で書こうと思ってるんですが、最近一部のメディア、ライターに「あら探し」的な評価や、ファミコン懐古主義的な論 調が見受けられるのが気になるところです。論理的な文章というより、一過性の気分で物を書いているような。眉間にしわを寄せてゲームをレビューしてる顔が 見えるような、ね。手加減は無用(論理的なら)ですが、愛は必要でしょう。 注3商品としても作品としても、もっともいびつな印象を受けるのは、オープニングムービーの部 分。まぁ開発者病、CG屋病の目で見れば、すごいムービーですが……。鬼武者のオープニングムービーといえば、SIGGRAPHに入選したり、CG関係者 の間では話題になってますが、何だかそれが目的になってしまっている印象を受けます。結果として入選するのは素晴らしいことだと思うんですが。 ゲーム本編とほとんど関係がなく、ゲーム本編への導入としてプレイヤーの気持ちを高める役割があるでもなく、単体で完結しているような内容。これは、 SIGGRAPH入選予定ムービー(鬼武者3付き)か、鬼武者3(SIGGRAPH入選予定ムービー付き)なんでしょうか? ゲーム本編のプリレンダムービーを作った余力で、遊びでやったというならともかく、本編のプリレンダムービーのほうがレンダリング品質や映像の作りが悪 かったり。鬼武者シリーズって、元々そういう傾向はあったけど、輪をかけてひどくなってる。 # まさか、「CG村」で話題になることがゲーマーに対してアピールになる、と本気で # 思いこんでたりはしないと思うけど。もしそう思ってたら、ただの職業病だよ……。 映像重視にしたって、例えばスクウェアとか、ちゃんと本編に貢献する形で、というかゲーム体験そのものに貢献する形でプリレンダムービーを使っているわけ で。SIGGRAPH入選はしないけどな。でもどっちが娯楽として王道を行っているかは明らかだろ。 映像重視? ただのSIGGRAPH重視だろ。 内容も、くさった日本の特撮映画みたいだったし。なんつーか、「雨宮慶太にハリウッド級の予算を与えたら、ゴイスーな映画ができて、ハリウッド級の映画が 日本でもつくれちゃうぜ。らっぴー」みたいな痛い勘違い系だよな。メジャーな予算でマイナー作品つくってるような……。まぁ鬼武者3は全編そんな感じのセ ンスなんだけども。普通の人が見て、ほしいと思うような映像なのか、という。
Posted by amanoudume at 00:25 個別リンク

2004年04月14日

モチベーションの危機?

「クリエイティビティーの危機」について書こうかと思ってたんですけど、それに関連する話題として、まずは「モチベーションの危機」について。
虚妄の成果主義…仕事の満足は「給与より達成感」
> −−それでも成果主義を導入する企業は多い
>  「幻想を抱いているからです。優秀な人材が集まるといわれますが、間違い。
> 就職活動でも、最初は給与水準も気にするでしょうが、最後は面接の雰囲気や
> 会社のビジョンが決め手になる。

>  −−給与制度の問題ではないと
>  「給与制度をいじるのは禁じ手。仕事内容や公平な評価で社員をやる気に
> できないと認めているようなもの。優秀な社員には、トップ自らが高級料亭ででも
> ねぎらって、経営への意見や疑問を聞くだけで、社員は『期待されている』とやる
> 気が出ます。実際、うまい会社は、トップが研修で『会社をこうしたい』とビジョンを
> 話したり、社員の質問に直接答えたりしています。コンサルタントから導入を勧め
> られた経営者は、『バカにするな!』と怒るべきです」

技術系の45%やる気減退 3年前と比較、民間調査
> 成果主義賃金の導入や人員削減が進む中、ソフトウエアやハードウエアの開発、
> 設計など技術立国日本を支える技術系社員の45%が、3年前に比べて仕事
> へのモチベーション(やる気)が下がったと考えていることが13日、リクルートがネット
> 上で運営している「Tech総研」の調査で分かった。

> 低下の理由(複数回答)は、職場の人間関係の悪化を挙げた社員が69%で
> 最も多く「事業戦略の閉塞(へいそく)感が増した」(65%)、「評価・待遇に不満」
> (64%)が続いた。

アニメ界の「寅」が下請けビジネス変えた プロダクション・アイジー社長 石川 光久さん(45歳)
> ――でも、単純作業を嫌う人はいるでしょう。
> 石川 与えるものをはっきりさせればいい。アニメーターに必ずチャンスを与えるのが
> うちの社訓です。その代わり、人を感動させるのが仕事なんだから、感動させられ
> なければ、次のチャンスはないかもしれない。一方、会社には忠実な歯車も必要。
> 工程管理などをする裏方はだれもやりたがらないから、お金などで報いる。

梅田望夫・英語で読むITトレンド「従業員の満足度と企業経営の両立を図るAdobe」>
(1) マネジメントとの間でのトラストが存在すること、(2) 仕事に誇りを持てること、
> (3) 同僚との関係をエンジョイできること。この3点である。
> 「Great place to work」は、ぬるま湯と紙一重の関係にあるわけだが、
> 「You have to be tougher. We identify weak performers. We help them
> either up or out of the company. That was something that the
company > didn't have a very rigorous process [for] in the past.」
> 彼はそこを改め、過去になかった「up or out」(昇進するか去るか)のルールを導入した。
まぁ個人的には、多少の成果主義は必然だと思います。どんなシステムにしたって、評価や待遇の不満は出るものですし。ただ、それ以前に「採算性」を社員一
人一人が意識するような体制は必要でしょうけど。極端な話、ゲーム開発でいえば、モデルが動いているのを見たら、ポリゴン数やデータサイズだけじゃなく
て、お金が見えるぐらいが理想。そんなん考えてたら作れん、という意見はあるでしょうし、いきすぎは危険ですけど。
でも、もうそういうことに適応できない人間は要らないんだ、っていう話はしなきゃダメなんでしょうね。個性幻想というのがあって、「俺の変わりはどこにもいない」という妄想があるわけですけど、「いや、いくらでもいるんだぞ」という現実を突きつける必要があるわけですよ
米国にも中国にも、お前のかわりなんていくらでもいるんだ、っていうね。
まぁこんなことを書くと、感情的になる人もいらっしゃるかもしれませんが。
しかしボクは「売れないとダメだ」とずっと書いてきました。以前のBBS、さらに以前のサイトから一貫して。2、3年前にはまだ甘っちょろい認識の人が多
くて、そういうことを書くと、「売上厨」「売上しか頭にないのか」と叩かれたりしましたけどね。今、こういう状況になって、そういうことをいっていた人た
ちははたしてこの業界に生き残っているのでしょうか? あるいは今もまだそういうことを主張できるのでしょうか?
たしかにつらいでしょう。つらい……。でもそこを越えてこそ届く場所もある、と思います。それこそ幻想かもしれんけど。

Posted by amanoudume at 16:58 個別リンク

2004年04月10日

プロジェクトの肥大化している今、見切りが重要?

ボクはゲーム開発者以外の人の書かれた文章を参照することがたびたびありますが、こちらの記事もそのひとつ。
「どうやって2割を見切る?」Throughさん)

短期リリース主義の台頭
プロジェクトを運営する時に、短いスパンで途中リリースしていくほうがいい、という意見は、割とよく聞きます。最近よくいわれる「モニター」「フォーカス テスト」重視にも適合することです。(最近よくいわれるのは、ナムコの岩谷氏の影響でしょうね)。    最後の最後にしか遊べない   →遊んでみたら、うまくいってない部分が見つかる   →ヤバー   →でも時間切れでそのまま発売 みたいなケースが多いんじゃないか、との指摘は最近増えてますね。特定の会社にかぎった話ならともかく、ほとんどすべての会社に当てはまるんじゃないか、 という。 とはいえ、続編の場合は別として、ゲーム開発において短期リリースが0回ということはありません。試作→本格始動の時や、ショウへの出展の時など、やっぱ り何かしらあると思うんですよ。最近ネット上なんかでいわれているのは、要は、その辺をもうちょっとシステマチックというか制度的にやっていったほうが、 クオリティの面でも、開発効率の面でもいいんじゃないか、という話です。 ここまでは開発論なのですが、欧米ではパブリッシャーとの関係において、短期リリース主義が台頭しています。ゲーム開発のプロジェクトが肥大化している 今、リスク軽減が時代の傾向。パブリッシャーチェックの回数が増えているみたいですね。ここでいうチェックとは、たとえば、開発の途中段階で売れそうにな かったら潰す、という判断のことです。 まだ”運営法として”、どの程度定着しているかはビミョーですが。 # パブリッシャーの都合で開発中止なんて、よくあるさ。とっくに定着してるよ、と # ツッコまれそうですので、念のために。「運営法として」と書いているのは、パブリ # ッシャー側のいい加減な、適当な判断ではなくて、判断基準、判断方法などが、 # 制度的にできているという意味です。(たとえばモニターを取ること含めてですね)
仕様の見切り

また、「仕様の2割を切る」という意見も、きわめて現代的な作り方
と思います。
ゲームとプロジェクトの肥大化にともなって、あまり重要でない仕様を実装するコストが上がっています。さらに、ROMカートリッジの頃より容量が豊富なた
め、重要でない仕様の実装が(容量という)数字で見えにくくなってもいます。メディアだけでなく、RAMやプロセッサの実行処理でも同じです。正確には、
見せる手段もあるけれど、全体の器が大きくなっているから、神経質になりにくい。
精神論的な開発論、あるいはファミコン時代懐古主義的開発論からすると、仕様を切るというのは、まるでとんでもない凶悪犯罪をおかしたかのように
かれる危険性はあります。……ああ、もちろんあえて誇張していってます。ただ、プラットフォーム問わず、最近の(結果が)うまくいってないゲームを見る
と、うまく仕様を切れていない印象があるんですよ。ゲームの焦点がボケすぎてます。結果的に広報展開もボヤけたものになり、当然ユーザーの印象には残ら
ず、市場的な結果は芳しくないものになります。
また、これは上記の「調整」重視の流れにも合致します。「調整」するには当然モニターを取って、その結果を反映するための時間を確保しなければなりませ
ん。そのためには仕様のプライオリティ、見切りによって、開発リソースを集中する必要があります。


深堀りは危険

個人的には、アイデアを「深堀り」しないことも重要だと思っています。
新要素入れてみた→あんまり面白くないなあ→ひねって色々入れる→なんか作業がスゲー増えて複雑になる→ゲームの元々の焦点(or テーマ)からはずれてしまう→結局、どういうゲームかわけわかんない→遊んでて遊びにくいだけのゲーム完成→広報展開も当然失敗

掘っていって金脈にぶち当たりそうになかったら、そこで止めちゃうのも1つの勇気。掘った分を埋めちゃうか、そのままにしておくかは意見がわかれるかもしれません。ただ、残しておいてもいいと思うんですけどね。体裁は整えるにしても。
まぁ、古典的なゲーム性議論や、システム論からすると、深堀りしない姿勢は批判を受けそうなんですが。でも深堀りしすぎて、本末転倒の結果になってしまうのはもったいない。あえて
言調にいきますけど、大して意味のない要素なんて、ゲームにはいくらでもあるじゃない。ゲーム性理論的に、理屈的に美しいゲームって、案外実際にはつまら
んし(実際にはノイズ的な部分で、ポピュラリティにつながっていたり)。ゲーム性理論しか見ないと、結局ファミコンまんせーで、そこから先に進めなくなる
愚に陥りますわなー。
もちろん、まったく掘らなきゃ何にも出てこないんで、掘ることを否定しているわけじゃありません。ただし、作品のテーマを見失いそうな危険を感じたら、そこで引くのも大切。穴を掘る汗は美しいけど、流した汗をペットボトルに詰めて売るわけにもいかんしね。
(汗の話をすると、ちょっと前の「汗」の記事を思い出す人もいるでしょう。あの時俎上にあげた「鬼武者3」「ジャック2」をイメージする人がいるかもしれません。けど、ボクは両タイトルを”アイデアの深堀りをしすぎたソフト”だとは思ってません。誤解のなきよう)


まとめ

んー、で、最後にネット上であがっているゲームの現代的な作り方をまとめてみると、
  1)徹夜的な開発スタイルを愛好しないこと
  2)企画要件を整理して、本当に効果的なことに注力すること
  3)商品としてのテーマを明確にすること
  4)迷走しかかる自覚があれば時には「深堀りを諦める」勇気をもつこと
といったところでしょうか。


納期性という観点からも、仕様の見切りは大切です。納期を守るためにはもちろんスケジュール管理はとても重要です。けれども、やはり仕様を作る側(企画)
が仕様を見切り、仕様を受ける側(プログラマとデザイナー)がそのための情報を”適切に”フィードバックする必要があるのでしょう。
とはいえ、「どうやって2割を見切る?」にあるとおりで、そんなやり取り・すりあわせ自体が難しいというのも現実。「プログラマーの言い訳」という言葉
は、本当に言い訳の場合もあるし、率直な現状報告の場合もあり、的確な判断は意外に難しい。……と、参照記事の議論の繰り返しになりますが、そこで短期リ
リースが肝要ということになるのでしょうね。
諸注意(あ、ちなみに、ボクは「XP信者」は好きでないので、そういう人はコメント欄に書き込まないでください。「禁句」の方向で。削除
対象かもしれません。JAVAはキライじゃないけど、JAVA信者はキライの法則といっしょ)

Posted by amanoudume at 12:54 個別リンク

2004年04月08日

我々はいまだゲームを知らない

レビューの「的確さ」

こちらのサイトは、非常に秀逸なゲームレビューを多数書かれているようです。
GΛΜΙΛΝ
特にスーパーマリオ、ポートピア連続殺人事件、FF7、逆転裁判のレビューは、瞠目すべき水準に達してますね。(FFシリーズは意外に、作家論が書かれて
ないなあと、再認識しました。)
例えば、スーパーマリオのレビューにおいて、「右に進む」にこだわったゲームデザインにフォーカスしている点。
近年、自由度が高く、取れる行動の多彩なゲームに関心が集まっていますが、プレイヤーをガイドする方法については、甘いゲームが多い。まぁPCゲームをや
り込んでいる人なら、それでいいのかもしれませんが、個人的には5分遊んだだけでウンザリするものも多いです。ゲーム内の各要素を「揃える」ことが結果としてプレイヤーを導き、多くの人が遊べる間口の広さをもたらすという基本は、あらためて学ぶことが多いと思います。

また「逆転裁判」のレビューは的確の極み。あのゲームの肝が証人に証拠(推理)をつきつける時の演出
という意見には禿同。従来アクションや格闘ゲームを得意としてきた会社の開発文化を考えても、大いにうなずける点です。
> 痛いところを突かれ、狼狽する証人。
> これが「バシィィン!」といった感じで、格闘ゲームのようなエフェクト
> と効果音で演出される。
> 音楽も変わり、弁護側の形勢が有利となったことを物語る。
> プレイヤーは、自らの推理と選択によって、法廷という空間を自分のもの
> としたことを体感するのだ。
> この、推理することによってゲームを進めているという実感に起因する
> 快感は、これまでの推理ものゲームでは決して得られなかったものである。
> きわめて秀逸な演出だ。
開発者やマニア層で話題になっただけに、誉めるレビューはかなり多いのですが、ピンとくるレビューがどうも見当たらず、気になっていました。要するに「俺
はこのゲームを誉めたいんだ!」という一言で足りるんですね。他は何もいってません。(別に、「好き好き」という感想なら、それはそれでいいんですが、レ
ビューとしてやられる、と……)
誉めるのは簡単ですが、どこを誉めるかが難しい。そういうことを教えてくれるレビューでした。注1

「ゲームを知っている」という者の安易さ

なぜこの2つのレビューを参照したか、というと、この2本のゲームが「ペットボトル入りの汗」
ふれたゲームの要素間のバランスが取れた、ゲームの要素が「揃った」ゲームだからです。もちろん、先の記事でふれたPS2版「ドラクエ5」もそういうゲー
ムでした。しかし、いくら言葉を並べても、「ドラクエは思い出商品だからね」などと、ヒネた物の見方をする人間はいることでしょう。ではスーパーマリオ
は? 逆転裁判は? それらもただの思い出商品ですか?
「プレイヤーのツボをつく演出」「ゲームの各要素が揃っている作り」という点において、ここ2、3年でこれらのソフトのレベルに達したゲームが何本あった
でしょうか?
これらは、話としては当たり前のことでしょう。誰もが基本だというに違いない。
そう、基本。その割にできていないソフトが多いわけですが。正確には、まったくできていないわけではなく、60点とか70点にはなっています。でも、80
点、90点という域には全然届いていません。
最近、ボクは「欧米のソフトが磨かれてきているのは確かだけど、欧米のソフトがかつての日本の水準に達しているわけではない。日本のソフトが粗くなったせ
いもあって、差がなくなっている」と書きました。我々は日常的にゲームに接しているため、ついつい「ゲームを知っている」と思いがちです。しかし本当にそ
うでしょうか?
かつてスクウェアの坂口博信氏は、「ゲームとして最低限良くできているのは当然として、その上で映像や音楽を映画のような水準に高めたい」と熱く語られて
いました。そしてアクションだの、レースゲームだの、実に色々なゲームが出てきました。その結果はたった数年で出たわけです。それは5年に満たない数年で
した。
どうも最近、ネット上あるいはどこかのイベントでの色々な人たちの発言を読むにつけ、同じような「ゲームを知っている」を目にすることが多くなってきたよ
うな気がするんですね。
# あるいは技術者が「ゲーム? わかってる、わかってる。ところで○○がさ……。
# レンダリングの……がさ。物理の……が」などと語ったりする。まぁ技術者が
# 技術を語るのは自然なことです。けれども、どうしていちいち「ゲームのことは
# わかってますよ」的な言葉が付与されるのか? ただの枕詞なのかもしれま
# せんが、そこにひそむ無意識の傲岸不遜さがえらく気になったりするわけです。
# これは揚げ足取りでしょうか?
で、そのような人たちが本当に「ゲームを知っている」といえるプレイ品質のゲームを作っているのか?
作っていれば、それはもう、何をいうこともありません。けれども、残念ながらそうではないわけです。
もちろん、現在の市場においては、プレイ品質だけで売上は決まらないでしょう。しかし最終的に我々が拠って立つ所は、さわる快感、動かす楽しさしかないの
も事実。ゲーム同士の競争ならともかく、他の娯楽との競争を考えれば、結局それ以外の要素では勝負にならないでしょう。たしかに今、一見頼りになりそうな
豪華な武器が色々と目に映ることでしょう。けれども、まず持てる最大の武器を磨き上げるということを忘れてはならないと思います。
ファミコン20年、たかが20年。
生まれた時にはまだファミコンなんて、この世に存在していませんでしたよ。
我々はいまだゲームを知らない。
成熟? おいおい。
奢るなや。
(注1(アドベンチャーゲームに詳しい人なら、不要な補足でしょうが)
リンク先のレビューを読むと、「逆転裁判」こそがコマンド総当り式を打ち破った最初の革命ソフトであるかのように読めますが、実際はそうではないことは補
足しておきます。先例として「御神楽探偵団」を忘れてはならないでしょう。

Posted by amanoudume at 00:43 個別リンク

2004年04月03日

ペットボトル入りの汗

何が求められているかは難しいわけですが

任天堂が去年に引き続き、今年もゲームセミナーの募集を行うようです
去年のセミナーの様子については、NINTENDO ONLINE MAGAZINE 4月号に紹介されていますね。

今の時代、ゲーム開発の教育にも、色々なアプローチの仕方があると思います。米国では映画学科のようにゲーム大学(DigiPen)
できてますし。専門的な個々の要素を重視するという考え方もあれば、全体を見通す力を養うという考え方もあるのでしょうし。ただ、携帯機という比較的規模
の小さいプラットフォームで、実際にゲーム開発を行うのは、有意義なことでしょうね。
時代の趨勢とはいえ、個々の要素に求められるクオリティが上がって、要素間がアンバランスなゲームが目立ってますが、そういうゲームはいくら莫大な労力を
つぎこんでも、なかなか高い評価は得られませんし、売れません。
例えば、この年度末商戦の結果を見ても明らか。
高いグラフィック技術をつぎ込んだ「鬼武者3」の失墜。逆に、粗さはあるものの強い支持を獲得した「戦国無双」。「GTA」に対する強いリスペクトをもっ
て作られたにも関わらず、サウンドとグラフィックが極めてアンバランスな作品になってしまった「ジャック2」。プレイヤーのツボをつく演出によって最高の
リメイクとの絶賛を得た「ドラクエ5」。
# 売れたと評されたソフトにしても、失敗と評されたソフトにしても、いずれも、際だつものは
# あったわけですが、バランスという視点で見ると、どうなのか、ということですね。
# 売れなかったソフトの売れなかった直接の理由は、広報展開の失敗などの要因が
# 大きいでしょう。とはいえ、総合的なクオリティがそれほどいいとも、正直思いません。

ペットボトルに汗をつめて売れるのは宗教だけ
気をつけなければいけないのは、汗を流して作品を作り上
げるのは娯楽になるけど、汗を詰め込んでユーザーに売りつけるのは娯楽でもなんでもないということです。作り手の汗がプンプンにおう「汗臭いソフト」なん
て誰がほしがるのか? 汗マニアですか?
現在の市場で成功するには”大作感”や”ボリューム感”が重要です。ですから単に労力を軽くして作ればいい、などと主張するつもりは毛頭ありません。
しかし労力のかかったソフトにも、売れるソフトと売れないソフトがあり、売れないソフトを見ていると無性に汗臭さが鼻につきます。汗の臭いがプンプンする
ソフト、あなたはほしいですか? 汗、最高。ハァハァ……とか思いますか? 古来から「汗も聖水」として売れるのは宗教だけです。
汗をペットボトルいっぱいに詰めて売れなかった時に「なんで汗が売れないんだよ。くそっ、市場が悪い。ユーザーが保守的なんだ……」と呟くのは簡単です。
しかしそんなに「汗も聖水」商売がしたいなら、さっさとゲーム作るのやめて、宗教でも始めたらいかがですかね。そのほうがお似合いです。
「市場が悪い」とか「ユーザーが保守的」とかほざく人たちに限って、汗のたっぷり詰まったペットボトルを売ろうとしている罠。
すいません、ちょっと臭うんですが。

Posted by amanoudume at 01:51 個別リンク

2004年04月01日

チェックゲームズその3++

ポップ・コラム ナムコ、「ゲーム性中心主義」に回帰
に禿同。最近のナムコの一連のソフトは実にいいムードを放ち始めていると思います。期待感をもっている人は徐々に、しかし着実にふえていますね(この辺りの議論は「チェック・ゲームズその3」
参照されたい)。
> それでは、世間がイメージしているナムコ像とは何だろうか。諸説があるとは思うが、
> 大まかに言うと『ドラゴンスピリット』よりも前、特に『パックマン』や『ディグダグ』や
> 『マッピー』が現役だった時代のナムコということになるのではないかと思う。誤解を
> 恐れずに言えば、「ゲーム性中心主義」、つまり「すべての芸術的要素が“ゲーム性”
> に従属している」時代だった、ということである。
> 大傑作『もじぴったん』をプレイした時にも思ったことだが、「ゲーム性」を核とした
> 諸要素の見事なまでの統一性に、私はナムコの「原点回帰」を感じた。今やそれが
> ゲームの優劣を決定するものでないことは承知しているが、かつて学校帰りに
> 『ディグダグ』や『ゼビウス』で遊んでいた頃のナムコが好きだった私にとっては、
> とても嬉しいことであった。同じ思いを持つ人なら、きっと楽しめる作品ではないだろうか。
もちろん今はまだ黄金期前夜、あるいは前々夜。
売上という数字には、まだあらわれているとは言いがたい。口さがない人は、「ゲーム開発者しか注目しない」などと暴言を吐くかもしれません。あるいは個々
のソフトの売上だけを見て、なにか知ったようなことを口にするかもしれません。大局的な視野をもたない人は哀れ……。
黄金期とは、黄金のソフト1本によって成し遂げられるものではなく、一群、そう、ソフトの群れによって成し遂げられるものです。狭い意味での市場論を越え
たソフト群の質の高まりによって、ブランドは形成されます。「ブランドを作るには5年はかかる」という名言が示すとおり、最初はなかなか、結果が出ないも
の。最初は徐々に、そう、遅々として感じられるぐらい、徐々に評価が高まっていくものです。
その途中過程をさして、「なぜ注目があつまっているのか、わからない」とか「1本数百円の価値しかない」とか、まぁ色々な妄言を口にする人もいることで
しょう。
しかし、すべては時間が証明します。
もしかすると中の人でさえ、そんな繁栄がやってくることを信じられないぐらいゆるやかに、ブランドというものは形成されていくものです。今はまだ、わかる
人にだけわかればいい。時間が進むにつれて、徐々に、確実に、わかる人がふえていきます。そしてあるしきい値を超えた時点で、一気に、誰の目にも明らかに
なるのです。いま目にしているのは、静かな、とても静かな高まり。我々はその目撃証人なのです。
# わからない人はあまり妄言を吐かないほうが、のちのち恥を欠かずにすむでしょう。

Posted by amanoudume at 14:36 個別リンク

おそらく未来の1つのかたち

日本のゲーム開発者と欧米のゲーム開発者に起きつつある(環境的・心理的・関心的)状況を見ると、チープな二項対立的比較がなんともチープなものに思える
ことがあります。

梅田望夫・英語で読むITトレンド「連載1周年:日本にとって米国のIT産業は絶対ではなくなった?」
この記事の前半部を読んで、そういう思いがますます強くなりました。日本と欧米の違いについて、ここ2〜3年、じつにさまざまな言説が登場しました。技術
的優劣、市場の成長と縮小、革新性と保守性、……。しかしそのどれもが、かならずしもしっくりくるものではありませんでした。
例えば、欧米をマンセーしたり、日本を保守的と断じる人の多くは、ゲーム業界をドロップアウトした人、権力争いで敗れて追い出された人、自分自身は続編ば
かりつくっている人、ゲームの出来が悪いとパブリッシャーの悪口を平然と公言する人で、はっきりいって説得力は乏しいです。
> 最近IT産業全体で感じるのは、日本とアメリカの「関心の方向」が
> 違ってきたな、ということである
日米の開発、日米の市場を語るうえで、この「関心の方向が違ってきた」という言葉が重要な気がしています。
ボクは昨年後半から、梅田望夫氏のBLOGをたびたび参照するようにしていますが、その最大の理由はゲーム産業で必死になって、欧米優位論を唱えている人
たちの言葉よりも、一見ゲーム産業とは遠い存在である梅田氏の言説のほうが、日米の状況をはるかに的確にとらえているように感じられるからです。正しく
は、梅田氏はIT産業についてコメントしているわけですが、かなりの部分、米国のゲーム産業について当てはめられるように感じています。
# おそらくは、立場や感情、うらみつらみのないすがすがしい言説であるがゆえでしょうね。
> 日本はインターネットの「こちら側」に、米国はインターネットの「あちら側」に
> イノベーションを起こそうとしている、そこが日米の違いの本質ではないかということ
> 明らかに「こちら側」の世界、つまり、携帯電話、カーナビ、コンビニの
> POSシステム、高機能ATM、デジタル三種の神器(薄型テレビ、DVD
> レコーダー、デジカメ)等々といった世界は、日本が圧倒的に先行し、
> アメリカの遅れや無関心は目を覆うばかりだ。しかし「あちら側」については、
> アメリカが世界に差をつけて大きく先行している。
今回は「気がする」という、かなりあいまいな感想にとどめておきます。詳細な議論については、今後おいおい書いていくつもりです。欧米優位論者だとか、
「俺はそう思わない」などという人と議論する価値は現時点では、まったく感じません。つまらない議論は、敏感な者にしか察知できない”予兆の時期”にやる
べきではなく、誰の目にもわかりやすい根拠が多く顕在化する時期におこなうほうがいいでしょう。
このテーマについては、敏感な者だけがわかればいいというのがボクの現時点での考えです。
ボクのサイトの読者なら、現在日本のゲーム業界には、好んで「二項対立論」をばらまく存在、たとえばゲーム系糞ライターがいることはご
承知のとおり。そういう言説は一種の病原菌のようなものであり、「自然治癒」は現実にはなかなか困難ですから、適度なカウンター言説もまた必要になりま
す。
(中立論は一見、冷静なようでいて、本心ではどちらかを擁護しているケースが多く、それが透けて見えると、いやらしさを感じます。それもまた中立病という
病でしょう)
病原菌あふれる現在、今しばらくは「殺菌」という意識を念頭に置く必要を強く感じます。手をゆるめるつもりはまったくありません。

Posted by amanoudume at 02:20 個別リンク

GDC2004開催

GamasutraにもGDCの講演記事がふえています。
「Cross-Platform User Interface Development」
なるプラットフォームの開発において、ユーザーインターフェイスの制作について苦労する点を解説しています。基本的には、PCとコンシューマーの違い
(ディスプレイとTVの違い、等)がメインのため、大半の日本のゲーム開発者にとって、直接得られるものは少ないかもしれません。
「Building Big Licensed Games with Big Teams」
近年、欧米において、急速に版権タイトルが増大しており、「欧米では版権タイトルが少なく、オリジナリティーのあるソフトが多い」という古い認識はもはや的外れなものになっています。

そうした状況下、欧米の開発チームは大規模な人員による納期性の高いチーム運営を強いられています。日本の版権タイトルの多くは、映画ほどの巨額の資金が動きませんから、日本の開発者が直接、この運営方法から得るものは少なそうですが。

「Growing a Dedicated Tools Programming Team: From Baldur's Gate to Star Wars: Knights of the Old Republic」
発会社の規模にもよりますが、ツール等の開発環境の整備にかかる人員は年々増大しつつあります。ツールプログラミングチームは一般的に、ゲーム開発チーム
とは異なり、1つのプロジェクトのことだけを考えればよいわけではなく、複数のプロジェクトからの要望(よく矛盾する)に対処しなければなりません。
BioWareといえば、PCゲーマーの間では名を知られたソフトメーカーです。この講演では、ツール専門のプログラマーを社内でもつことが、開発人月を
どれだけ軽減できるかを語っています。ツールチームの受け持つさまざまな役割、開発のどの時期にどんな仕事が発生するか、ツールプログラマに求められるス
キル、ツール開発チームの運営、士気の維持について解説しています。
欧米の開発に比べて「会社」という枠組みが強かった日本では、ツールチーム(専属であれば1人もふくむ)はそれほど珍しい存在ではなく、この講演から直接
的に日本の開発者が得られることは少ないかもしれませんが。
自ら限界と時代の変化を告げるジョン・カーマック

> 今回非常に悲壮に聞こえたのは,「我々(id Software)は,自分自身の成功が作り
> 出した罠にかかった状態で,もはや抜け出せないだろう」という彼の言葉だ。
> つまり,id Software社そのものが"最先端のゲームエンジンを使ったFPSを作る精鋭
> チーム"というブランドになってしまっており,彼はその呪縛に囚われてしまっているというのだ。

> 彼は,開発サイクルとコストが肥大していく現代において,もはやプログラマー個人の
> 能力ではどうすることもできないのを直視しているようだ。「『Commander Keen』や
> 『Wolfenstein 3D』を作っていたときは,6人で自宅にコンピュータを並べて徹夜していた。
> FPSやRPGでは,もうそのようなゲーム作りをすることは不可能だろう

現在のPCのFPSゲームがはまっている罠を的確かつ率直にのべた発言ですね。FPSエンジンの問題点については、すでに何度かのべている通りです。FPSエンジン界の頂点に立っていた人物の口からこのような言葉が飛び出したのは、勇気と誠意ある態度といえます。

ソニー、GDCにて「PS2は2010年まで続ける」と宣言
際、PS2が発売されてからも、PS
Oneはかなり売れていたわけです。低価格ゲーム機市場というものが欧米では確実に誕生していましたし、日本でもかなりの子供がPS1で遊んでいました。
ところが少なくないソフトメーカーは、価格が高く、大人しかもっていない段階のPS2に子供向けのタイトルを投入し、爆死させた苦い経験がありましたね。
EAのジョン・シャッパート氏もまた、次世代機が出ても現行機の市場はすぐに消えないから、一気に移行すると機会損失になると語っていました(この記事の末尾)。

パックマンの生みの親であるナムコの岩谷徹氏 ゲーム開発における心構えや取り組む姿勢について語る
基本的にはCEDECでの講演と同じようですね。

「ゼルダの伝説」のフランチャイズの進化について ”ゼルダらしさ”を損なわず、継承と変革を判断する
海外でブランド力のある「ゼルダ」のプロデューサーの講演だけに、非常に注目度が高かったようですね。関連記事として、講演の中で公開されたゼルダシリーズのタイトル別売上がこちら

「Game Developers Choice Awards」
「Game of the
Year」がスターウォーズゲームかよ! うーん、まぁ今の米国の状況を端的にあらわしているともいえますが。続編と版権タイトルの著しい増加。え? 海
外にはオリジナリティーあふれるゲームが多くて、日本とは違う? へー。いつの時代の話ですか、それ。
もはや、くだらない妄想的根拠をもとに、欧米の優位性を語れる時代ではなくなったのです。続編と版権タイトルの増加、スケジュールと予算の締付けの激化、
人件費の安い地域へのアウトソーシングの増加、パブリッシャーとディベロッパーの対立、……。
nVIDIAのGDC2004講演資料
nVIDIAは早くも講演資料を配布開始したようです。

進む欧米での開発アウトソーシング
近、何度も書いている”ゲーム開発のアウトソーシング”について。日本ののみならず、欧米でも同様の流れはやはり加速しているようですね。仕事はより安い
地域に。日本のゲーム開発者が苦しいとよくいわれますが、欧米のゲーム開発者にも雇用、賃金といった問題は押し寄せ始めているといえるでしょう。

Posted by amanoudume at 01:00 個別リンク

2004年03月26日

まず自分が満足できるかどうかが大切。

RPGの神様、語る
ファミ通の堀井雄二氏のインタビュー読みました。いやー、リメイクというものにかけるドラクエチームの意気ごみが伝わってくる内容でした。 > 今回これだけ作り込めたのには、やっぱりリメイクだからっていうのがありますね。 > 完全新作の場合、終わりがなかなか見えなくて、制作過程での力の配分が > 難しいんですが、リメイクだと最初から雛形があるので、力の配分がしやすい > んですよ。リメイクのいちばんのメリットがこれですよね。 ゲームのリメイク論がここに集約されてますね。さすが!! それにしても、ドラクエ5のリメイクは今までのリメイクと比べても、かなりクオリティが高いですな! 特に戦闘がすばらしすぎます。2Dスプライト→3D ポリゴンで、モンスターが動く、動く。モンスターのやられっぷりが見事。モンスターを倒すのがとても気持ちいいです。快感。
開発者なら誰でも共感できるはずの感覚
この「終わりがなかなか見えなくて」「制作過程での力の配分が 難しい」という感覚は、おそらくほとんどのゲーム開発者が体験し、共感できることでしょうね。 それはけっして単純な無計画性ということではなく、ゲームがある一線を越えるにあたり、必ず通過するポイントのようなものかもしれません。昔、「デスマー チにもならないようなゲームは糞ゲーでしかない」などと冗談をどこかでいったことがあります。もちろん、この言葉はタチが悪すぎます。ボクもデスマーチを マンセーするつもりはまったくありません。 しかし新しい何かを生み出そうとするなら、先の見えない領域へ足を踏み入れていくしかないのは確かです。それはもちろん、ドラクエにかぎらず、あらゆる ゲームについていえることです。たとえばFFもそうでしょうね。 FF10のシームレスバトルやフルポリゴンマップの導入、FF11のオンラインゲーム化、FF12の戦闘の完全なシームレス化。FF10→FF10-2の ようなケースは別として、基本的に1作ごとにツールもエンジンも使い捨て、ありえない人力と労力をかけて生み出されているわけで、だからこそ多くの開発者 から絶大な敬意が向けられているのでしょうね。

また、先日日本でも発売された「ジャック2」からも、開発元Naughty Dogの苦しさとの戦いが読み取れるわけです。単純に、スケジューリング性、計画性、開発の効率化という文脈だけで解釈できるソフトではないでしょう。※※

世の中に「うまくやってのけるコツ」みたいなものがあって、それにしたがったなら、たちどころに効率よく、素敵なゲームができあがるなどということはないわけです。もちろん無駄は省くべきですし、適切な教育、伝承も必要でしょう。

けれども最終的には、それぞれの個人が「自分のコツ」「自分の味」を生み出していくしかない。逆にいえば、別に誰か先人から、すばらしいノウハウとやらを教わらずとも、自分の中で「自分ルール」「自分のコツ」「自分の法則」が生まれる瞬間があります
それが生まれれば、効率というものは付随的に上がるものですし、そういう瞬間を何回も迎えたゲーム、そういうスタッフが数多くいるゲームは自然と良いもの
になるはずです。なぜなら、過去のどのような名作も最初はなにもなかったし、どのような名開発者も最初は何ももたなかったわけですよ。

単なる自己満足ではいけないが、自分が満足できるのは大事
効率というのは重要なものです、特に現在は
ますます重要になってきています。けれどもまずは良くできたゲーム、面白いゲームを作るのが第一であって、例えば「効率はよかったし、スケジュールは完璧
に守れていたけれど、ちっとも面白くないゲーム」にしかならなかったら、それではかけた労力が完全に無駄になってしまいます。
娯楽というものはまず第一に面白いかどうかということが大切。
その上で効率化があるわけで、そこをはき違えてしまうと、結局、面白いゲームが少ない → ゲームに対する注目度や関心が下がる → ゲーム市場が縮小 → いくら効率化しても収入がそれ以上にへってダメになる → 安さだけなら他の地域が有利 → 雇用縮小 → 
界縮小、となってしまいます。
どちらも重要ですが、優先順位を勘違いしてはいけません。「いいからまず、面白いゲームを1本でもいいから作ってからいえ」というのは、まぁ、乱暴な言い
草ではありますが、真理です。というより、やっていて手応えが得られない仕事なんてのは、百万言ならべたって、ダメです。もしそうなら、さっさと辞めたほ
うがいい。国内でも、海外でも、そう問いつめたい会社はいくつもあります。
などと書くと、不毛な議論が巻き起こりそうな気もしますが。
しかし、一度しかない人生、決して巻き戻せない時間。自分がかけた労力が自分の満足のいく形になる(面白いゲームになる)ということがまず大切ではない
か、と思います。まずそこからです。
精神論として読まれる危険性は承知であえてこう書きました。結局、百万言、開発論をならべたところで、最終的には自分自身の問題でしかあ
りません。それで満足できるのか、というね。日本であれ、欧米であれ、中国であれ、どこの地域のどんな開発者の言葉を、講演を、BLOGを引っぱってきた
ところで、それで自分が満たされるわけではない。最後の最後には自分の人生、自分で考え、自分で決めるしかありません。
シナリオがあるからとか、コンスタントに出ているからとか、そのような根拠で、あたかもFFが上記の苦しみと戦っていないかのような曲
解をする人も、世の中にはいらっしゃるのかもしれません。しかし、身を削って、ありえない労力をつぎ込んだからこそ、シリーズがコンスタントに世に出るわ
けで、そういう素直な解釈をしたいものですね。

※※
Naughty
Dogの「ジャック×ダクスター」はとても良くできた作品でした。けれども、任天堂の「マリオ64」「ゼルダの伝説」や、レアの「バンジョー・カズーイ」
などの先行作品をよく勉強した結果の集大成という印象もいなめず、決定的な革新性にはとぼしかったのも事実です。
しかし「ジャック2」はそれまでの3Dアクションゲームではやられていなかった「GTA」的な方向性へ「挑戦」した果敢なソフトであり、そのために「終わ
りがなかなか見えなくて」「制作過程での力の配分が難しい」苦しみをより強く味わった
はまちがいないでしょう。それはまともなゲーム開発者なら、実際のゲームをやってみれば、よくわかるはずです。
結果的には、「ジャック1」に比べれば完成度は落ちましたが、届かなかったことへの不満は、開発者の次のプロジェクトへの意欲を高めたはずですし、簡単に
は文書化できない何かを得るきっかけになったはずです。
そういう意味では、単純に「ジャック1」と「ジャック2」を並べるのは作り手に対してあまりに失礼だし、「ラチェット1」から1年で制作された「ラチェッ
ト2」と簡単に並べることもできはしないでしょう。(完成度だけでいえば、あきらかに「ラチェット2」のほうが「ジャック2」より優れてはいますが、それ
がすべてではない)

Posted by amanoudume at 17:36 個別リンク

2004年03月25日

チェック・ゲームズ++

作品についての感想はすでに書いたので、今回は現象論とその最大要因を中心に書きたいと思います。
ARTIFACTさんが「ジャック2」についてのインプレッションを掲載されていました。

より庇護欲をそそるタイトルになった
「ジャック2」が「ジャック1」に比べて面白いのは、辛い点をつける人間とマンセーする人間にわかれていることですね。辛い点をつけている人は、狙いどお りに作れていないこと、難易度調整が悪いこと、音楽が悪いことの3点を主に指摘しています。マンセーする人は、「GTA」との比較は無意味としたうえで、 3Dアクションアドベンチャーとしての完成度の高さと面白さ、ビジュアルの質の高さを絶賛しています。2chでは後者の人が多いように見えます。 どちらにも共通するのは、「GTA」的な面白さは期待できない、という評価。 この点を、狙いどおりに作れていないと考えるか、それは括弧にくくるかの違いですね。(個人的には、作り手が狙っているとおりに作れたなら、絶賛したいん ですけど、狙っているとおりに作れなかったことを軽やかにスルーしてまで誉めたいとは思いません。) ちなみに、ARTIFACTさんでは、 >舞台となる街がかなり作り込まれていて、自由に動けるため、『GTA』のようなゲームとよくいわれており とありますが、「ジャック2」が「GTA」と比較されがちなのは、一見似ているからというより、E3での発表において、制作者が「GTA」のようなフリー ローミングソフトをめざしたと語ったからだと思います。 http://www2u.biglobe.ne.jp/~nanko/news.cgi?id=2003051401 # 2chでいわれているように、「ゼルダの伝説 時のオカリナ」のハイラル平原に # たとえるほうが実態に近いとは、思います。

国内では、「ジャック2」は前作よりも、マニアックな人気を得たような印象があります。前作よりも歯ごたえがある点、前作よりもダークな点、前作よりもマイナーになってしまった点が、ハードゲーマーやゲーム業界人の庇護欲をそそるのでしょうね。「こんなに良くできたゲームがなんでこんなに売れないんだ」という気持ちになるのでしょう。しかしこの状況は、開発元のNaughty Dogのこれまでの実績を考えると、幸せとは言いがたいです。

前作が体験版を大量に配ったうえ、初週売上が10万前後だったはずなので、今回の初週出荷が2万数千、実売1万強という数字は完全にマイナータイトルになってしまったことを意味します。

売る気の欠如したパブリッシャー

要因はいくつもありますが、まず第一にSCEJに売る気がほとんどなかった(と思われる)点を指摘しておきます。雑誌での記事掲載も全然少ないし、広告も目にした記憶がとんとなく、前作のような大々的な体験版配布もなし。前作にくらべて、圧倒的に金抜きのリリースでした。まぁ、年末に発売できたにもかかわらず、年末商戦からはずした時点で、それは明確でしたが。

SCEJの海外ゲームの取り扱い方は、数年前にくらべて、あきらかにずさんになっているように感じられます。最近では、「EyeToy」もまたずさんなローカライズ、ずさんな広報展開の「被害」に遭いました(参考:EyeToy、コケた?)。
まぁ、数年前にくらべて、良質なソフトが国内から供給されているというなら、こういう変化も理解できるのですが……。PS1時代に誕生したシリーズ物を次
々と枯らしている状況で、わざわざ海外からもってきたタイトルを枯らしている、そのソフト戦略は理解に苦しむところです。
パブリッシャーとして、いい加減な真似をしすぎていますね。Naughty Dogの社長にして、「ジャック」シリーズのディレクターであるJason
Rubin氏は、「ジャック3」を最後に、Naughty
Dogを去ることを明らかにしています。その理由を直接語ることはしていませんが、D.I.C.E.2004の講演において、パブリッシャーとディベロッ
パーの対立について語っています。もちろん、具体的にSCEをやり玉にあげているのはいうまでもありません(参考:Tara Reid and the Future of Game Development )。

米国版には日本語のデータが入っていました。元々、Naughty Dogは各市場向けのバージョンを同時開発している会社です。

ありえないようなエピソード
Naughty Dogといえば、SCEAの有力ディベロッパーの1つ。その社長のJason Rubin氏がSCEAのE3祝賀パーティの招待客リストにはいっていなかったそうです。びっくり。いや呆れてしまいました。しかも、彼が祝賀パーティに 参加するためには、それから何度も連絡をとり、長い間待たされたり、確認に時間がかかったりしたそうです。これは想像ですが、おそらく記事のニュアンスか らして、彼は「Jason Rubin? ん、だれだ、そいつ?」的なあつかいを受けたのでしょう。なんたるひどい侮辱! 日本では、著名な開発者が会社組織の上位にくることがめずらしくない、という特殊性はあるものの、「小島秀夫って、だれよ?」「堀井雄二って、だーれ?」 「鈴木裕、はぁ?」なんて話はついぞ聞いたことがありません。(開発者全員が等しく、大切にされるわけではありませんが) Jason Rubin氏がこのエピソードを紹介したのは、なにも個人的な恨みを公の場で話すことで、憂さ晴らしをしたかったのではないでしょう。どんなに謙虚な人で あれ、作品をつくっている人間、表現者は誰であれ、最低限の「自負」をもっているものです。それがなければ、自分の表現でお金を取ることなど到底できはし ません。そして、それを踏みにじられ、ツバを吐きかけられれば、ささやかにして当然の怒りを覚えるのは当然ですし、おおらかな、そう非常に寛大な心でそれ を許し、忘れるにしても――ボクはJason Rubin氏がそのような大人物の器だと勝手に信じていますが――、自分自身がきちんと評価されるあたらしい場所を求めるのはまったく自然な欲求でしょ う。彼は奴隷ではない、1個の表現者なのですから。
口コミはまだまだ健在だが、求められていないソフトはそこに乗りようがない
ARTIFACTさんの記 事で少し気になったのが、 > 非ゲーム業界人で「良作のゲームを発掘しよう」という人がすごく減ってしまった という一文。 これは、ちょっと疑問。ゲーム市場において、口コミ網はいまだ健在。今となっては堂々の大作となった「無双」シリーズも最初は口コミソフトでしたし、最近 の例でいえば「魔界戦記ディスガイア」もそう。「GTA」だって、じわじわ売れたわけですし。そもそも「良作のゲーム」という定義自体、あいまいなので、 そこを議論しないと話がまったく噛み合わない気はしますが……。 「ジャック2」ははっきりいって、今の日本のユーザー(口コミ網を形成しているようなコア層)の求めている方向のソフトではないし※※、求めていないようなソフトが話題にならないのは、別に最近だけの話ではないと思います。 (自分が注目したソフトが話題にならないと、状況論などの大きな話に帰結させたくなる気持ちはわかるんですが、それはどうかな……と思います。)

※※求めている方向のソフトではない、について簡単に補足しておくと、今の日本の市場(特に大人市場)では「部活ゲーム」は売れなくなってきています。「ジャック2」は部活ゲームの文法から(制作者の意図および失敗した結果として)はみ出した部分はあるのですが、はみ出した結果、「スパルタ部活ゲーム」になってしまっていて、結果的に限られた猛烈部活好き(ゲーム体育会系)にしか受けにくくなっています。

部活ゲームとは
(コメント欄にて、加野瀬さんからご指摘を受けて追加いたしました。ありがとうございます。)

「部活ゲーム」という言葉は、元々はポップ・コラム もはや面白さは売れ行きを左右しないのか。
補助輪付きスノボゲー『1080°SILVER STORM』
の中の言葉でした。

> 任天堂特有の部活っぽさ(慣れるまでまっすぐ走ることすらできない
> 『マリオ64』に代表される造り)
> 私は部活っぽい方が好きだし、前作の「スノーボードは腰で乗る」感覚
> からするとリアリティはかなり控えめになってしまった

ボクは「部活」ゲームというのは、
    1)最初にある程度練習する or 慣れる必要がある、
    2)ゲーム内に課題が多く存在し、その課題を「反復練習」で克服することで、
      プレイヤーに達成感を与える作り、
    3)一般の人には難しい、
ゲームだと考えています。2)の部分は、どんなゲームにも存在する要素ですが、”特に”その部分が
強いゲームを指しているつもりです。

Posted by amanoudume at 01:44 個別リンク

2004年03月22日

チェック・ゲームズその3

「塊魂」、日曜日に近所の別の店に行って買ってきました。
ゲームショウの体験版の頃よりずっと遊びやすくなっている気がします。
L3とR3の同時押し(はっきりおぼえてませんが、体験版にはなかったはず?)や、
王子ジャンプがいいですね。
世界観が素敵極まってますしね。
王子様も、王様も素敵ですね。
王様の台詞がすばらしすぎます。電波な人、ボクは大好きですね。
電波テキスト、マンセー。
「ドリラー」「もじぴったん」「太鼓」「塊魂」と、
まぁクセの強いものも混じってますけど、
親しみやすいラインナップが揃ってきましたね。

復活への予感を日増しにふくらませるナムコ
往年のナムコのイメージが徐々に蘇ってくるのを予感させま
す。
一時期、CGを前面に押し出しすぎて、最初は良かったけど、「かっこいい→え?実はアニオタ?→怖い→とっつきにくい」と、イマイチ手の伸ばしにくいブラ
ンドになってましたが、最近はいいムードが出てきました。
しかし現在、PS2がファミリー層を十二分に取り込んでいるとは言いがたいため、この手のソフトは不利な状況が続いています。「太鼓」はそれでも売れたわ
けですが、本来のポテンシャルはもっと大きかったはず。
一方、ファミリー層に強いとされるGCも、ソフト市場が活性化しているとは言いがたいわけで、こういう状況だと、ファミリー層を余さず取り込むためにはマ
ルチプラットフォームが妥当な戦略なのでしょうね。「もじぴったん」「ドリラー」はそうなっていましたし、「太鼓」もまぁ「ドンキーコンガ」という形に変
わって出てきたといえるわけで、実際40万本弱の実売を達成していました。
プラットフォームホルダー同士のあさましい競争になど縛られず、むしろその競争を利用するぐらいの姿勢で、すばらしいソフトがファミリー層へ浸透していく
ことを期待したいです。長期的に見れば、それが子供のゲーム離れを防ぐ効果をもたらし、ゲーム市場の地盤沈下を防ぐはずです。分裂した市場に対して、機会
損失をおこさずにゲームを売っていくことは、非常に重要なテーマだと思います。
「厳しさ」ではなく、「ゆるさ」に向かった素敵なゲームデザイン
話がそれましたね。
このゲーム、「転がして物を巻き込む」というアイデアぐらいなら、誰でも考えつきそうなものですけど、実際まとめるのは大変だったと思います。物理系の技
術って、誰でも思いつくんだけど、実際ゲームにまとめるのは非常に厄介ですよね。多くの会社が関心をもっているにも関わらず、なかなか製品にならないの
が、困難さを証明しています。
その難業を成し遂げたのは、さすが!の一言です。
あまり厳密なゲーム性にこらずに、原理的な楽しさをのばす形でシンプルにまとめたことが、空中分解しなかった最大の勝因だと思います。ゲーム的にはかなり
覚えゲーですけど、にもかかわらず、シビアな難易度にならずにゲームに「ゆるさ」が生まれているのが素晴らしい。音楽(歌)もいい感じで、ゆるーい気分で遊べます。オブジェクトのデザイン、王子様のデザイン、王様の台詞、全部がゆるゆる、ユンユンな感じで、まったりと楽しめます。

チェック・ゲームズその2
書いたとおり、今クラシカルな「いい子、いい子」ゲームって、割と行き詰まってきてますよね。例えば、1つの現象としては、難易度的に失敗するケースがか
なり増えています。無論、それはいろんな要因がありますし、たまたまということもあるでしょう。ただ、3D化にともない、またユーザー層が拡大するについ
て、またユーザーの生活スタイルが変化するにつれて、タイトなゲームが成功しにくくなっている気がします。
遊ぶ側はもっと「ゆるさ」を求めているんでしょう。「無双」「GTA」を始め、近年ヒットしたゲームはいずれも、「ゆるさ」がありまし
た。売上を大きく落としている続編タイトルは、まぁそれぞれの完成度も要因でしょうが、「ゆるさ」がないんだと思います。
物理を利用したゲームって、大抵、「厳しい」方向にいっちゃうんですよね。レースゲームやスポーツゲームが顕著で、物理性の高いゲームほど、難しく作って
ます。「塊魂」はそっちにふらず、「ゆるめる」方向にいってますね。これが面白い点ですね。(もしかすると、そこで好き嫌いは分かれるのかもしれませんけ
どね)
もちろん、そのゆるさが逆にゲームとしては、物足りなさにつながる危険もあります。ゲームその物を解く達成感は少し薄くなっているんですけど、雪だるま式
に大きくなっていく塊がその分、達成感を満たしてくれる。そこでバランスが取れていますね。そこのさじ加減は微妙で、そこが大きく化けるか、そこまで届か
ないかの1つの分水嶺になるのでしょう。

売れてほしいソフトだから、商品論がもうひとふんばりほしかった
商品という意味で1つ苦しいな、と思
うのはボリューム。
作品としてはこれはこれでいいし、個人的にはあまり時間もないから、こんなもんでいいんですが、作り手が口コミでじわじわ浸透していくことを狙っているな
ら、もっとボリュームはあったほうがいい。口コミソフトの1つの大前提はボリューム。「こんな物も巻き込めるんだ」というのが楽しさの1つなだけに、ボ
リュームを用意するにはひたすらオブジェクトの物量勝負になって、つらいのはわかります。でも、そこが口コミ・ヒットになるかどうかのネックだと思うと、
実に残念。
好きなように遊べばいい、というのは、作品論としては正しいかもしれないけど、商品論としてはまちがい。売れてほしいソフトだからこそ、あえて書きます
が、ボリュームはもっとあったほうが良かった。それと、2Pモードはメインメニューから行ける作りのほうが良かった気もします。まぁ、おまけですよ、って
ことなんでしょうけど、接待ゲームとして使えるなら、ボリューム不足は補える可能性もあるだけに、もっと練ってほしかった気がします。
大変素敵な作品なのはまちがいないです。ただ、商品として見た時、もうひとふんばりしたら、大ヒットする確率が上がったと思うと、やや残念ではあります。もちろん、現状でも化ける確率はまだまだあります。がんばってほしいですね。

Posted by amanoudume at 18:52 個別リンク

2004年03月21日

チェックゲームズその2

この記事はチェック・ゲームズその1
続きです。
街に出ると、いよいよ本編の始まり。
街を行き交う人間の数は多いし、建物も単調ではないし、見晴らしもいい。明らかにグラフィックは「GTA3」をぶち抜いてますね。さすがはNaughty
Dog。より完成度の上がったダイナミックLODは、LODの存在をほとんど感じさせません。この分野での先頭を突っ走っていますね。デザインの方向性に
ついては好みが分かれそうですが、この技術力をベースにゲームを作りたいと感じる開発者は少なくないでしょうね。

「ストーリーとアクション」の融合という夢
「ストーリーとアクションの融合」という夢を見るのも、う
なずけるところ。実際、「ジャック2」の世界観は「FF7」のミッドガルドの影響を受けている気がします。
デモシーンの数は前作とは比較にならず、キャラクターの表情も大変豊か。キャラクターもきちんと立ってますし、毒もあります。ただ、(狙っている年齢層が
比較的高いことを考えると)ストーリー自体の面白さや盛り上げ方という点で、まだまだという印象です。
まぁ「FF」も相当長いこともがいてましたし。「10」でようやく落ち着いたかな、と感じました。しかし「7」や「8」でさえ、一応テーマはあったわけで
す(当時は「自分探し」が多かったですね)。「ジャック2」はテーマがなかなか見えてこないのがつらいところです。後半は盛り上がるという噂をネット上で
目にしました。しかし、そういう構成でいいのかなあ……。
個人的な知識のおよぶ範囲で、アクションゲーム側の人間が「ストーリーとアクションの融合」を夢見て、成功した例はほとんど知りません。だからこそ挑戦す
る価値があるといえばあるんでしょうけど。「シェンムー」は壮大な風呂敷をたためなかったし、世界観も微妙でした。
また、「夢」までいかずとも、アクションゲームが全般的にストーリー性が強くなる傾向がたしかにあります。しかし評判を見ると、あまりうまくいっていない
ようですが。たとえば「マリオサンシャイン」は「マリオがなんで裁判なんだよ」という批判が海外であがってましたね。世界観レベルで、違和感を感じさせる
ものはうまくいかないんでしょうね。
「GTA」は1つの模範
システム的に「GTA」を取り入れるのはいいことですね。
あの規模の開発スタジオで街1つをゲーム内に実現できたという、割り切った設計は、学ぶところの多い「風呂敷のたたみ方」だと思います。昔は日本のほうが
「たたみ方」うまかったんですけどね。
「ジャック2」も、街の人と話せないシステムは成功していますね。こんなもん、いちいち会話する仕組みだったら、膨大なメッセージデータは必要になるし、
会話の時には専用のカメラがほしくなったり、そうしたらフェイシャルアニメをさせたくなったり、しゃべらせたくなったり、とめどがなくなっちゃいますか
ら。「シェンムー」はそっちに行って大失敗しました。
大体、別にそんなこと、ちっとも楽しくないし。ドラクエぐらいじゃないですか、今でもそれを楽しめるゲームって。勘違いするなよ、「お前は堀井雄二大先生
さまなのか」と。会話させているような作りのゲームは、ゲームのフィールドがある規模をこえたら、完成しなくなってますね。
乗り物は気持ちいいですね。SF的な世界のため、空飛ぶ自動車が交通手段になっていて、地上の道路(通行人が歩いている)と空中(車が走っている)の2層
構造になっています。空中はスピード感があがるし、爽快感があります。
街では、画面に「GTA3」そっくりのレーダーが出ます。このレーダーはもはや、3Dシティアドベンチャーには欠かせない要素かも。かなり便利。
「GTA」のシステムはあるが、「GTA」の楽しさはない
システム面では、「GTA」を参考にして、
うまく風呂敷をたたんでいます。さすがはNaughty
Dogという仕上がり。ただ、残念ながら「GTA」の楽しさを取り込めているとはいいがたい。街の中の移動がそれほど楽しくない。理由は3つ。
一番大きいのはBGM。「リッジレーサー」のようなレースゲーム、「GTA3」のような(本質的には)ドライブライフゲームはいずれも、BGMが移動を楽
しいものに変えてくれました。しかしこのゲームはBGMがショボい(よくおぼえてないが、前作もショボかった気がします)。サウンドがグラフィックに釣り
合ってないのはNaughty
Dogの伝統なのか? クラッシュバンディクーもそうだったか?(CMの音楽はかなり頭に残っていますが、ゲーム本編はおぼえてません)
日本の名作ゲームのほとんど、さらにいえばJason
Rubin氏がリスペクトしているいくつかのゲームはすべて、サウンドが非常に重要な役割をはたしています。ゲームの謎解きなど、直接的なギミックに使っ
たゲームは少ないかもしれませんが、ゲームの楽しさを演出する上で、サウンドはとても重要な役割をはたしてきました。Jason
Rubin氏は(日本のゲームに対して)勉強家だという認識でいたので、非常に残念。辛辣なことをいえば、”よく見ているが、なにも聞いていなかった”の
でしょう。
もうひとつは交通の密度と街路の複雑さです。なんでこんなにぶつかるんだろう?というぐらい、車とぶつかります。もちろんこれは、街のどのエリアかで変
わってきますが、一番最初に車に乗れる場所があの密度というのは、ちょっとつらい。まさかとは思うけど、「いっぱい出さないと技術的に恥ずかしい」とかい
う理由ではないですよね。まぁそんな意図ではなくて、素直に密度感を出したかっただけなのでしょうけど。その割に車が壊れやすいのが楽しさをそいでいま
す。
また、「GTA3」のアメリカ的な整理された街並みと違い、迷路っぽい街並みのため、なかなか街並みが頭に入りません。街中を軽快にかっ飛ばすドライビン
グというより、うまく車や地形をよけて走るレースゲームになっています。
最後に気になったこと。クリムゾンガードがすぐに駆けつける上、あちこちから銃で撃たれるため、しょっちゅう追い回されているような気分になります。犯罪
者に甘い都市ではなく、やたらと厳しい都市になっていて、自由にやろうという気になりません。時には、空中のクリムゾンガードと地上のクリムゾンガードから撃たれることもあって、理不尽な思いは強いです。俺、そんなにここにいてはいけないんですか? 

最初は銃をもたず、少し遊んでいると手に入ります。パワーアップもしますし、まぁ街中で暴れまくるのは強くなるまでのおあずけ、ってことなんでしょうが、その頃にはプレイヤーは淡々とゲームを進行させていくことになれきっています。

挑戦と完成度の狭間で
目的の付与と自由の提供って、むずかしいテーマですよね。「GTA」にしても、一歩まちがっていたら、ただのおつかいゲームになっていたわけで。ゲームに おいて、寄り道させるように作る、大らかに作るって、かなり厄介。ある意味、矛盾していますから。 従来のゲームは、できるだけ早く目的を達成させて、達成できたらごほうびをあげたり、「いい子、いい子」とほめてあげていたわけで、それはもはや完成の域 に達しつつあります。「ジャック1」もそういう意味では、非常に完成度が高いゲームでした。ただ、そういうゲーム作りでは、煮詰まってきているのも確か。 ユーザーから支持を得られなくなってきています。日本だけじゃない、欧米でもそう。 「無双」も、「GTA」も、そうした中で新しい流れとしてあらわれたゲーム。いまだ大半のゲームは、クラシカルな作り方から脱却していません。そうした状 況下で、あたらしい要素をどん欲に取り込もうとする挑戦的姿勢はすばらしい。凡俗の開発チームの凡俗なゲームとは比較になりません。けれども超一流という 水準で見た時、「ジャック1」に比べて完成度がかなり落ちているのは残念なことです。 とはいえ、その辺は当然「ジャック3」で修正されるのでしょうし、3Dアクションゲームの新次元を切り拓いてくれると期待しています。
Posted by amanoudume at 10:46 個別リンク

チェック・ゲームズその1

チェックしなければいけないゲームがじつに多い……さすがは年度末商戦ですなー。
一番注目していた「塊魂」が近所のお店で売り切れていたし、Havokっぷりを確認したい「アトム」もなかったので、「ジャック2」だけ買って帰ってきま
した。あんまり情報が出てない気がしますが、気のせいかな?
『ジャック×ダクスター2』開発者インタビュー!

じつは最初は買うつもりがなかったんですよね。会社でちょっと遊べばいいだろうな、って。
で、まずは会社で20分ぐらいしか遊んでない時点での感想。じつはこれだけを載せようかと思ってたんですけどね。

気になったのは導入部
前作とくらべてすごく気になったのは、ゲーム冒頭のチュートリアルの部分(脱出 ミッション)。 悪い意味で、一昔前の欧米のPCゲームに近づいたような。ストーリーの都合かもしれませんが、一番最初に、まず楽しいものをもってきたほうがいいし、最初 の部屋からいきなり、どこへ行っていいのかわからないのですが……。グラフィックもいきなりショボい屋内を見せられても……。 先に進んでいって、行き場が無くなって、「あれれ……」と思って、そこで90度回ったり、180度回って振り返ったりして、「ああ、こっちなのね……」と わかって、そっちへ進む。うーん……。ナビゲーションが無いわけではなくて、進んでいくと声が聞こえてきて、操作を教えてくれます。そういう丁寧さはある んですよね……。 実際には普通に3Dアクションやってる人ならすぐに出られる程度ですよ。まぁ、ボクは基本的にヌルゲーマーはいってるので。ゲームはけっ こう遊んでいるほうですけどね、なかなか上達しないんですよ。ヘタの横好き系ゲーマー。そこは割り引いて読んでほしーです。最初の部屋でどれぐらい迷った かは秘密ですよ。 (この文章を書いている最中に、チュートリアルを繰り返してて、プレイ開始直後のカメラに出口が映っていることに気づきました@3回目。おお、そういうこ とは、ちゃんとやってるなあ。他に気になる物がいくつもあるのがなあ……。いきなり奈落に落ちたし) もうひとつ気になったのは、SF的な世界観なので、機械類が多いんですよ。それはいいんですけど、チカチカ点滅しているものが多すぎ。「おっ!」と思っ て、近づいても何も起きないし。ゲーム用のナビゲーションなのかどうかわからず。どうも違うらしい。開かない扉も、ただの書き割りなのか、今は開かないだ けなのかわからず。 今時、ゲームチックに記号性あふれた絵作りするのが正しいとはもちろんいいません。 が、これってゲームの内容次第ですね。昔のバイオハザードやFFみたいなプリレンダの背景のゲームだったり、俯瞰的なカメラが中心のゲームなら、ある程度 なんとかなりますしね。あとは迷っても、それが苦にならない内容ならOK。 このゲームは、もうちょっと(プレイヤーを直感的に誘導できる)自然なデザインにしたり、わかりやすくすべきなんじゃないか、と思うんですけど。まぁ矢印 を描けばいいとは思いませんが。 そうこうして数分遊んで屋内を脱出すると、街に出られます。……って、これって、なんとなくどこかで遊んだような気がしたんですが、N64「ゼルダの伝説 ムジュラの仮面」のチュートリアルもこういう構成でしたっけ? あんまり覚えてないんで、どっちが丁寧かは比較できません。 まぁ、そんなわけで、最初の5分、10分、20分、30分、1時間で何を見せるかの設計が、ちょっと印象悪かったです……。
商品としての位置づけって、むずかしい
ただ、商品としての位置づけしだいで、評価は変わりますね。 たとえば激ムズだった「スーマリ2」って、あれを最初に遊んだ人にとってはただの糞ゲーに思えたかも。でも初代「スーマリ」をクリアした人向けの上級ゲー ムとしてなら、商品として十分成り立ってますよね。あの当時はそもそも続編というものがあまり無かったので、「2」がどういう商品であるべきか?というこ とがほとんど未定義でしたね。 本編の発売から半年〜1年ぐらいで出るなら、こういう位置づけの商品はありでしょうね。無双が出てしばらくしてから「猛将伝」が出るようなもの。 うーん、まぁ、いきなり広い世界に投げ込んでも混乱させるだけだったり、いい物を見せても効果的でなかったりするのはたしかです。あえて、冒頭は抑えると いうのも確立した手法。 問題はどれぐらいの時間なら、耐えられるかなんですが……。ドラクエやFFみたいな王様のゲームか、かなり浸透しているキャラクターが出るなら、こういう 作りでもいいんでしょうけどね。でも王様のゲームは絶対にこういう作りはしないと思うけど(だから王様になった)。 シリーズ物において、2作目は重要なのですが、一方で非常に難しい……。ついつい難しくしてしまいがちな罠。初心者と前作経験者の両方を満足させなければ なりません。間口を広げるのと知っている人にストレスなく、かつ歯ごたえを感じてもらうのって難しい。この辺は、日本の多くの開発者が抱えている課題です ね。 ※ところで、なぜ「マリオ」「ゼルダ」を引き合いに出したかというと、開発者のJason Rubin氏が両作品をリスペクトしていると公言しているからです。「FF」もおそらくリスペクトしてるんじゃないかな。公言はしてなかったはずですが、 「ジャック2」はかなり影響を受けているように思えました。「ドラクエ」を引き合いに出したのはボクがリスペクトしているからですが。 ……で、いよいよ本編たる街について書こうと思ったところで、続きます。
Posted by amanoudume at 00:08 個別リンク

年度末商戦感想のはずが……

年度末商戦でたくさんソフトが出ている割には、爆死と撃沈が多い気がするのは俺だけですか?
生活かかっている小売店の方々は、「気がする」とかしないとか、そんな悠長なことを思う余裕なんてないんでしょうけど。
まだ発売してないものの、やっぱり「ドラクエ5」にユーザーの関心と欲望が吸い取られている気がしますw
「ドラクエ」から逃げたバンダイ(「スパロボMX」)
賢すぎる……。
近所のお店に足を運ぶたびに店頭のドラクエのデモに見入ってしまいます。「くさったしたいがグワァッ!と襲ってくるんですよ、グワァッと」などと、実演ま
じりに会社で話したり。いや〜、大の大人が「グワァッと」などといいながら、くさったしたいですよ。糞恥ずかしいですね、まったく。ははははは。

欲望をダイレクトに刺激する進化とは何か?
しかし、そういえば、「ドラクエ7」が出てから、「ドラク
エは2Dでいいんだ」とか「GBAで十分」などという発言がネット上でいわれるようになりましたが、今回のドラクエ5を見れば、そんな発言は世迷い言にす
ぎなかったことがまざまざと実感できますね。もちろん世迷い言を口にしていた人たちの大半は、実際にはゲームを買わない「アマチュア・ゲーム批評家」だっ
たり、「俺プロデューサー」な人たちばかりでした。
本当にドラクエファンがそんなことを望んでいるのか?
望んでいないでしょう。
望んでいる進化は今、店頭にいけば見られるわけですよ。
# まぁユーザーの人数は膨大ですから、「世迷い言」を本気で希望する
# ユーザーもいるのかもしれませんし、「自称ドラクエファン」を騙って、
# 妄言を書き散らす人もいるのでしょうね。世の中には本当にいろんな
# 人がいるものですよ……。
実際のところ、「ポケモン」のようなRPGは別として、伝統的なRPGは携帯ゲーム機では、今ひとつ成功していないんですよね。「ドラクエ」のリメイク
も、据置機には全然とどいていません。元々家でゆったりじっくり遊ぶものなのに、外で遊べるといわれたって、そんなもん、別にうれしくもない。液晶も暗い
し。ハードの進化とともに画面が明るくなっているとはいえ、まだまだ暗いでしょう。
器をいかに大きく見せるか? 娯楽の真髄、ここにあり
「ドラクエ」のリメイクはこれまで、本編の新作
が発売して約1年後に、同じエンジンを使って作るというのが通例でした。SFCのドラクエ6の後のドラクエ3、PS1のドラクエ7の後のドラクエ4。でも
今回のドラクエ5はドラクエ8を待たずして発売されます。開発元も、ドラクエ8を手がけるレベルファイブとは違い、「トルネコ」シリーズの実開発を手がけ
るマトリクス。
ファミ通に掲載されていた和田社長の言葉によれば、「トルネコ」も「ドラクエ5」も「剣神ドラゴンクエスト」も、それらすべては「ドラクエ8」への壮大な
る布石だとか。「傲慢かもしれないが、ドラクエからすべてのゲームは始まった」「日本の代表から世界の代表へ」等々、大変な意気込みよう。
もちろん、そのまま鵜呑みにすることはできません。所詮ハッタリ。
しかしむなしく響くハッタリではなく、説得力を感じさせる、だまされてもいいと思えるハッタリ。現実に対する言い訳に満ちた世迷い言とは次元が違います。
ハッタリというのは、それに乗っかる人々が全員本気で100%信じているわけではないのです。「だまされてみよう」と思う、そういう期待感に満ちた言葉、
スケール観を感じさせる言葉、それが本当のハッタリ。
# ですから、他人の言説をいちいち「どうせハッタリだろ」などと指摘して
# 回るのは、まるで小知恵のついた子供がさかしらにふるまうようで、
# 滑稽の極み。いい歳こいた大人がやっている姿を目にすると、思わず、
# 哀れみの念がこみ上げてきます。
# 娯楽にたずさわる人間にとり、ある意味「ハッタリ」とは最大級のほめ
# 言葉。たとえば、PS2の垂直立ち上げは、両手で拍手喝采すべき、
# 見事な「ハッタリ」。巧妙なハッタリが人を騙すのではない。騙されても
# いいと思えるハッタリが人をだます。
# そんなこと、娯楽の基本のはずなのですがね。
着実にユーザーを変化にならしていくエニックスの見事さ
「トルネコ」シリーズでまず、ドラクエのモン
スターのポリゴン化を行い、開発会社にもノウハウを蓄積。次に、「ドラクエ5」で完全なポリゴン化を実現。フィールドは従来のシステムに近いものであり、
安心感を抱かせますが、所々、細かい部分でにくい演出が入っています。そして戦闘は、元々3D向きといわれる鳥山明氏のデザインの魅力を存分に発揮したも
の。生き生きとした動きが期待感を高めてくれます。注1)
そして、ドラクエ5には、ドラクエ8のムービーが入っており、期待感を高めるとともに、ユーザーをならしていく。「7」の時は逆に、あまりに変化が無さす
ぎるために、発売直前までほとんど情報を出していませんでした。まったく対照的な流れですね。やはり真にすばらしいものは過剰な隠蔽行為をせず、適切な情
報公開をするものですね。それが王道です。王道はどうせ誰もが歩めるものではない。だから過剰な隠蔽は無用なのですよ。
(もちろん、娯楽には驚きという要素がある以上、適切な隠蔽は必要ですがね)
「ドラゴンボールZ」の米国での大ヒットもあり、鳥山明デザインの3D化が米国で成功し得ることは実証済み。また日本のRPGは、「キングダムハーツ」
「ゼノサーガ」が共に日本より海外のほうが売れていますし、「FF」も日本での売上にかなり近い売上を達成しています。
で、あれば、ドラクエもそれに続き得ると考えるのは、それほど見当はずれなことでもありません。世界観が合わない? それなら「ポケモン」が全世界でヒッ
トしたのはなぜですかね?
すべての布石は整い、あらゆる物がドラクエ8へと収斂していく。「ドラクエ」作品も、それ以外も、すべての流れがドラクエ8を後押しする。実際にはそんな
陰謀も大計画もありはしません。が、そんな錯覚さえ引き起こす、それが「マジック」というものであり、本来日本の多くのゲームが内包していた魅力なんです
よ。底の見えたソフトはつまらん。底の見えないソフトこそ、娯楽の最奥の奥の奥の最奥、頂点の極みの極みの頂点なのでしょう。
それにしても、年度末商戦感想のはずが……ドラクエ5の感想になってしまいましたなw
注1)もちろん些末な話をすれば、ポリゴン数であったり、テクスチャの解像度であったり、そういう部分で突っ込める点はあるでしょう。些
末系開発者(技術者とデザイナー両方)にありがちな行為ですが。ドラクエ5が発売されたら、そういう人たちがウジ虫のようにわいてこないか、心配ですね。
まだ実体験してないから断言はさけますが、ドラクエはシリーズの伝統として、戦闘の読み込みを非常に重要視しているわけで、RPGの場合、そういう観点も
ふくめないとダメ。
   「俺ならもっとポリゴンを出せる」「俺ならもっとキレイに作れる」
……ハイハイ、すごいでちゅね。
きっとあなたが作ったそのドラクエは、とっても素敵なロード時間なんでしょうね。是非とも一度最後まで遊んでみてくださいね、自分ひとりで。
自分の能力をひけらかしているつもりが、単に「木を見て森を見ず」な愚かさをひけらかしているだけ、という無様な人間にはなりたくないものです。

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2004年03月14日

ユーザーの”無料感覚”とオンラインゲームビジネスのズレ

「抱き合わせ」的言説のあふれるオンラインゲーム(3/14、加筆しました)

オンラインゲームについて語られる言説は、非常に「抱き合わせ」感の強いロジックが多く、大抵がうさん臭いわけですが、そのサービスは大雑把には3つに分けられます。

  A)オフラインのマルチプレイヤーゲームのオンラインへの拡張(数人〜十数人規模の対戦・協力・交換)
  B)データの更新(デバッグ以外のパッチ)
  C)コミュニティ機能(MMORPG)

この3つを「抱き合わせ」的に語る人は大抵、信用ならないわけですw

A)オフラインのマルチプレイヤーゲームのオンラインへの拡張
オンラインゲームのうちMMORPGを除く、いわゆるマルチプレイヤーゲームの延長線上にあるもの。現在スポーツゲームのネットワーク対戦や、FPSで実 現されている種類のサービス。これは、そう遠くないうちに普及するかなという感じです。子供の頃と違って、大人になるとなかなか集まれないから、「ネット ワーク越しのマルチプレイヤーゲーム」そのものには需要も価値もあるでしょう。 広がったユーザーの年齢層に対して、それぞれの生活スタイルに合った提案をしていくという姿勢はすばらしいことです。ただ、問題は所詮そんなもの、大多数 のユーザーにとっては特別なお金を払うだけのサービスで はない、ということです。それは忘れてはならないでしょうね。 通信系サービス(回線およびプロバイダ)が定額化、低価格化したこともあり、ほとんどのユーザーにとって、たかだか「ネットワーク越しのマルチプレイ ヤー」なんてものは無料でそれぐらいできるだろ、という感覚のものにすぎません。わざわざクソ高いHDDを1万数千円出して買ったり、マッチングサービス に月々数百円出すほどの価値なんてない。オフラインゲームのマルチプレイヤーが、オンラインに拡張される程度のことは、「当然の進化」で あって、余計なお金を払うような特別なサービスではないんですよ。 ユーザーのニーズとゲーム会社側の思惑のズレはそこにありますね。 ゲーム会社側はその「たかだかのオンライン・マルチプレイ」でお金を取りたいと思っているんですけど、そんなもん、子供の頃からゲームで育ってきた人間に とってみれば、当然の進化なわけですよ。そこで課金されたって「税金」取られているような気分にしかなりません。 実際、これは、国内におけるPS2のオンラインゲームの爆死っぷりによく現れています。特に「みんなのGolfオンライン」が顕著ですね。あれがやるべき は、PSBB Unitの抱き合わせサービスではなくて、単純なオンライン対戦だったはず。まぁそんなこと百も承知で、政治的にああいう仕様になった可能性は大ですが。 結局、FPSでオンライン対戦=無料が常識なのと同様、オンライン・マルチプレイ自体は無料が常識ということにならざるを得ないでしょうね。そのため、次の時代に求められるのは、ユーザーが勝手にサーバーを立てられるような仕組みをふくめて、限りなく低コストで「オフラインマルチプレイ→オンラインマルチプレイ」を実現することです。 ビジネスにせよ、技術にせよ、徐々に(遅々と)ではあれ、そちらに向かっていると思います。
B)データの更新

コンテンツ制作者がこれでお金を取りたいというのは当然の要求ですし、比較的ユーザーにも理解されやすいサービスだと思います。
もっとこちらに特化したオンラインゲームがあってもいいと思いますね。
サービスをややこしく肥大化させたゲームが多すぎますよ。

C)コミュニティ機能(MMORPG)
正確にいえば、MMORPGはA)〜C)のすべての機能をゲームプログラムと結合したサービスなんですよね。純粋な意味でのコミュニティ機能は、現状では やはり無料ですね。 これもまた、A)でのべた”ユーザーの価格感覚”と”ゲーム会社側の思惑”がズレている可能性はかなり高い。例えば、特定のゲームのファンサイト、メー カーの公式BBSは無料です。 また「Sims」や「どうぶつの森」のようなコミュニティ系ゲームでは、無料でコミュニティの場が提供されていますね。「Sims」のアルバム掲示板、 「どうぶつの森」の写真掲示板などの成功例は記憶に新しいところです。 現在のMMORPG系のビジネス的な問題の1つは、こうした”ユーザー的には無料感覚”のサービスをごちゃ混ぜにすることで、お金を取ろうとしていること にあります。きちんと分解してみれば、その大半が無料で提供すべきサービスであり、そうならない限り、大きなビジネスにはなりにくい、「永遠の可能性ビジネス」に陥る懸念があるわけです。

というより、実際日本を含めて、大多数の市場では、すでにβユーザー問題といった形で、この懸念が顕在化していますね。
これはTVゲーム機かPCゲームかという問題では、ありません。実際、欧米のPCゲーム界が縮小し、MMORPGが爆死しまくっているわけですよ。家庭用ゲーム機と家庭におけるPCゲームの文化が根づいた地域では、上記のような”金銭感覚”の問題が付きまといます。

ユーザーの”金銭感覚”にマッチするアーケード型ビジネス
さて、マルチプレイヤーゲームは無料で遊べないと……と書きましたが、例えばアーケードにおいては、「対戦」の場を提供することで、かなりお金を取れてい た時期があります(ゲームのプレイ料金に包含される形でしたが)。 中国でのオンラインゲームビジネスが好調なことを見ても、アーケード型ビジネス、ネットカフェのようなビジネスでは、ユーザーの金銭感覚と提供されるサー ビスがつり合いやすいですね。 だから中国でPCのオンラインゲームが成功したからといって、そのまま日本や欧米でもPCのオンラインゲームが同じような成功をおさめるとは限らない、と いうことです。それはあまりに貧弱なロジック。究極の牽強付会。”家庭用PCゲーム”と”アーケード的運営のPCゲーム”を一緒にするな、と。 また、現時点でさえ懸念の声が上がっているように、中国のオンラインゲーマーは年齢層がかなり限定されており、日本のアーケードがたどった紆余曲折を今後 たどる羽目になる公算は高いでしょう。対戦格闘ブームの時点でアーケードの未来を語っちゃうのが愚かなように、ここ2、3年の動向だけで中国のオンライン ゲーム市場の未来を語ってしまうのもまた馬鹿馬鹿しい(数年後には「失笑の極み」になっているかもしれない)。
サービスにおいては”金銭感覚”が重要
家庭用ゲーム機――TVゲーム機であれ、PCであれ、大雑把に は「家庭用ゲーム機」といって差し支えないわけですが、国家的な支援なくして、そこで普通に会費制のオンラインゲームビジネスを成立させた事例はほとんど ありません。わずかな成功例と無数の爆死タイトル。成功例にしても、それほど大きな旨みは上がっていません。 オンラインを絡めて成功したソフトは基本的に”会費無料”であり、ユーザーの金銭感覚にぴったりマッチしたものぐらいです。 参考: 切込隊長BLOG「オンラインゲーム市場概観」

補足:個人的には、A)のオンライン拡張されただけのマルチプレイヤーゲームは、ユーザーを維持するための「当然の進化」にすぎず、そこで
通常以上の特別な料金を取ろうという考え方はセコすぎると思います。供給者側の「取りたい」気持ちはわかるんですが。ゲームは2D→3D、あるいはより映
像表現を極めていく「当然の進化」で法外な特別料金を取れていませんし、それはオフライン→オンラインであっても同様でしょう。例えば、「みんなの
GOLFオンライン」などは、無理やりPSBBUnitを使うようにしたセコいサービスに見えます。
家庭において、オンライン・マルチプレイヤーゲームはいずれ当たり前のものになるでしょう。しかしそれは、「有料」オンライン・マルチプレイヤーゲームが
当たり前になるという意味ではありません。
MMORPGは、単純な「オフライン→オンライン」拡張とは異なるサービスですが、かといって1000円以上もの価格を月額課金しても、それほど巨大な市
場が築けるわけでもない、赤字にならないのがニュースになるぐらいショボいビジネスです。
TVゲーム機および家庭用PCの世界では、MMORPGビジネスは月額課金よりも、年会費ぐらいのシステムでないと、回りにくい気はしますね。ユーザーが
会費を払っていることを忘れられる期間、という意味でも。
月額課金できちんと回っているサービスは、基本的に電気料金などの生活に必要な料金と、フィットネスクラブや英会話スクールなどの実用性が高く、スポット
型のサービスぐらいです。それが大半のユーザーにとっての”当たり前の金銭感覚”じゃないかと思います。極端なことをいえば、単純に娯楽価値があるかない
か、だけでは、月額課金は成功しないとさえいえます。

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2004年03月03日

定価分の満足

少し前に、「ゲーム市場(ユーザー)を把握しているEA」でふれたテーマに関連して。
あの記事で「今時のユーザー(じつは昔もだけど)は最後までゲームを遊ばない」と書いたのですが、そこから派生するテーマが2つあります。1つはそういう人に次も買ってもらう、というけっこう無茶げに聞こえる話。もう1つは、なるべく多くの人にゲームを最後まで遊んでもらう、という話。課題としては後者のほうが圧倒的にわかりやすく、ある意味健全ですよね。ですから、今回はそちらについてだけ書きます。

よくいわれる議論なんですが、「最後まで味わってもらえるかどうか」というのが課題になるメディアは、ゲームぐらいですね。映画もまぁつまんなかったら途中で出るってことはありえますし、小説も途中で読むのをやめるってことがなくもない。でも、圧倒的大多数の人は大抵の場合、ちゃんと最後までたどり着く。ゲームはこの比率が断然低い、といわれていますし、実際そうでしょう。

にも関わらず、意外なことに、この問題についてきちんと公の場で話をしている人って、ほとんどいないんですよね。ボクが知る範囲では、任天堂の山上氏ぐらいなんですよね。当たり前すぎて忘れるってことかもしれませんが、その当たり前のことができてなかったりするのが現実
# 他にそういう話を公言している開発者の人がいたら、是非おしえてください。

「罪と罰」〜地球の継承者〜 クリエイターの炎を消さずにゲームに命を吹き込むとは?

やはりゲームを買ってくれた人の8割以上の人に満足していただかないと、「よかった」という声は響かないですからね。つまり、買ってくれた人の8割以上の人に、ゲームの最後まで行ってもらう必要があるんですね。ところが、「初めてシューティングゲームをやる人に最後まで行ってもらっていいのか?」という作り手側の疑問も出てくるんですね。そのときに、単純にそう考えるのはよくない、と。やはり買ったものは最後まで味わえて初めて定価分の満足をしてもらえるわけで、最後まで味わってもらえる工夫を作り手側が提供してあげなければいけないでしょ、と。

「ファイヤーエムブレム」を噛み砕け

はい。やはり、買ってもらった方全員にね、最後まで遊んでほしいんです。これは個人的な意見になりますが、僕は、4800円を払って買ったゲームがあって、そのゲームが難しくて半分までしか遊べなかったら、「2400円ぶんを返せ!」と言いたい。

まぁ、最後まで遊んでもらうための手法ってのは、具体論としては、じつに色々あると思います。パッと思いつくだけでも:
  1)クリアまでの時間・手間を短くする → ただしすぐに中古に叩き売られるリスクがある
  2)ストーリーをつける (モチベーションの維持) → 本末転倒すると、開発費の増大をまねきやすい
  3)RPG的な成長要素を入れる (難易度の吸収とデッドロックの排除) 
  4)チュートリアルとヒントを充実させる
  5)ブーストをつける (何回か同じ場所でミスを繰り返したら、パワーアップが与えられたり、イージーモードが出現する、など)
  ……等々。

他にもまだまだ挙がるでしょうね。
もちろん、いわゆる「最初から最後」ってのがほとんど無いゲームもあるわけですけど。ただ、そうしたものもある程度は、共通の考え方で作り磨き上げることで、きっちり遊んでもらえるでしょうね。

しかしまぁ、「顧客満足度」っていう指標はあまりにもありきたりすぎて、ネットを見ても、「わかってる」とか「よくいうよね」とか、サラっと流しちゃう人が意外と多いような気がしてます。でもわかってる人が本当に多いんだったら、今ゲームはこんなことになってねえよ。もうちょっと真面目に売れなかった理由、不評だった理由を考え直せ、ってことですね。もちろん、宣伝や話題性って要素は大きいですよ。

けれども、今ゲーム業界って、続編とキャラ物がじつに多いわけですね。ということは、まぁ宣伝や話題性はもちろんあるけれども、前作に満足したから買う、不満足だから買わない、という要素もかなり大きいわけです。だって続編とキャラ物ばっかりなんだから。

たとえばガンダムゲームの売上が堅調です。でもそれは、ここ数年、ガンダムゲームの品質が安定していて、ボリュームもしっかりあって……ということをちゃんと積み上げているのがすごく大きいんですよ。実際、評判はかなり上がっているでしょう。そこで、「ゲーム市場(ユーザー)を把握しているEA」で書いた、なんで売れたのかはわからなくても、なんで売れ続けるのかは明らかだ、という話につながるんですけどね。

# まぁゲームがメインメディアではなく、サブメディアになっちゃってることに対しては苦い思いはありますけどね、やはり。ただ、少なくとも、一定以上の満足度を維持できなければ、サブメディアとしてさえ認めてもらえないんですよ。数千円もするものですから。

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2004年02月25日

とりとめもなく、「子供のゲーム離れ」について思う

遊びのコスト

相変わらず、鋭い。
切込隊長BLOG「テレビゲーム離れで進む価格帯シフト」>
テレビゲーム離れというのは、テレビゲームに魅力がなくなったという
> 解釈で立っているのだろうが、小学生、中学生のお小遣いに見合った
> 遊び方を提供できないほど高コスト高スペックになっていってしまった
> という進化の代償のようなものを感じてしまう。
単純に面白い/面白くないという議論ではなく、遊びのコストという観点での議論は大切でしょうね。面白い/面白くない論争はどっちかというと、レトロゲー
ム好き(さらにファミコン等のクラシックゲームのエミュ厨)のゲーオタが好む議論のような気がしますね。そんなに昔のゲームがいいというなら、そういう層
にはレトロゲームの移植とリメイクを”あてがって”おけばいいと思いますね。
と、のっけから話がそれましたが、例えば映画館で映画を観たり、映画のDVDを買うという行為が大人にとっては適度な娯楽になり得ても、子供にとっては手
の届きにくい娯楽であるように(夏休みに友だちといっしょに映画館や市民会館に出かけるぐらい)、据置型ゲームもまた手の届きにくい娯楽になりつつある、という傾向は、確かにあるのかもしれません。

「手の届きにくい」というのは、単純な価格ではなく、効果に対する価格ですね。
価格自体はもっと高かった時代もありますが、あの頃は子供同士のコミュニケーション・ツールとしての価値がありましたね。またネットや携帯電話のようなオルタナティブがありませんでした。

コメント欄の13氏の
> いまあるゲームの多くが「ひとりプレイで最大限に楽しめる」設定
> になってるから「交流」というキーワードを思い切り外してるわけで。
という指摘がまさに的を射ていると思います。

(年末商戦をはずして発売されているにもかかわらず)今なお『ポケモン』が圧倒的に強い理由も、子供同士のコミュニケーション・ツールとしての価値を失っていないからでしょう。

語りやすい文脈で語られすぎてきたがゆえに、うもれていた事実

ゲームというメディアが不幸なのは、語りやすい文脈で語られすぎてきたということです。例えば「物語のための装置としてのゲーム」ばかり語られたり、1人用ゲームの作品性
熱心に論じられますが、マルチプレイヤーのゲームは作品性などまったく無いかのごとく、ほとんどの言説空間から無視されています。例えば、ゲーム業界を代
表する著名なクリエイターの大多数が、1人用ゲームの開発者として評価されていますね。
以前、3Dのアクションゲームの売上が全体的に落ちてきている、という点についてコメントしたことがあります。
「3D酔い」とか「欧米人は探索が好きだが、日本人はそうじゃない」とか、「3D空間で遊ぶのは難しすぎる」とか、そういう点がよく理由に挙げられます
が、それは7,8年前の議論から進歩がない、言説空間が貧しいと書きました。単体のゲームだけ見れば、そういう分析が出てくるのでしょうが、日本の子供文化の中でゲームがどういう風に消費されてきたのか
という点もひっくるめて考えるべきでしょうね。
2Dから3Dに移行した時にアクションゲームは、より1人用ゲームとして完成されすぎてしまいました。たとえば、自宅に友達を呼んで、いっしょにゲームで
遊ぶとします。初代「スーマリ」を始めたとしても、別に全然遊べちゃうわけですよ。ところがね、そこで例えば「マリオ64」だとか「ソニックアドベン
チャー」とかね、まあそういう3Dアクションゲームを始めちゃうと、友達なくしちゃいますよねw いや、なくさない例外もあるかもしれないけど。
でもふつう「なに、お前、俺がここにいるのに、一人の世界はいってんだよ!」って思うのが自然でしょう。1機交代、ステージ制、時間制限、……。かつての
アクションゲームは、複数のプレイヤーが交代して遊ぶための息継ぎ点のようなもの
あったんですよ。だから1人用ゲームでも、1人限定じゃなかった。今は1人用ゲームが完全に1人限定になってしまってますね。
昔は、1人用ゲームだって、2人で遊べたんですよ。1機交代のゲームばかりでしたけどね。
まぁ昔はゲーム機にはコントローラが2つついているのが当たり前でしたしね。
それを最初にやめてしまったのは任天堂(N64)だったと思うんですが、そういう意味ではあのゲーム機から、任天堂の凋落が始まったのはさもありなん、と
いえるのかもしれません。
アナログスティックが付く前と付いた後では、ゲーム機のコントローラの値段って、2倍ぐらい違うんですよ。多人数で遊ぶのにかかるコストがかなり変わって
いるんですよね。もっとも3D空間を操作するのにアナログスティックは自然なデバイスですから、それが悪かったというわけではありませんが。
それにしても、2Dから3Dに移行した影響について、表示だけにしか注目できていない人が意外に多いのは、開発者とライターの両面で、貧しい話ですね。
「何がインタラクティブか。笑わせるな」って感じ。表示にしか目線のいかない、ノンインタラクティブな知性と感性しかもってない人が多すぎる。
結論らしいまとめ方もせず、最後にそんな毒舌を吐いて、今日のところは終わっときます。

Posted by amanoudume at 14:38 個別リンク | TrackBack(0)

2004年02月16日

ゲーム市場(ユーザー)を把握しているEA

ここ数年の米国の市場拡大をドライブしてきた会社の1つは、間違いなくEAだ。(注1)
EAという会社はきわめて「わかりやすい」。今EAが取っているゲーム作りの方法論も、根本はシンプルでわかりやすい。だが、合理性をつきつめた会社がわかりやすいのは当然なのかもしれない。


ゲームに革新性は必要ないというEAのビジネス・ロジック

EAのゲームは、映画の版権タイトルとスポーツゲームが多いが、オリジナルタイトルでも映画ゲームと同様の大作感を演出したものが多い。映画ゲームにしても、毎年映画の新作が出るわけではないから、オリジナルストーリーでゲームを作るのだが、その作り方はきわめて映画的だ。

例えば、007では、「007 ナイトファイア」「007 エブリシング オア ナッシング」といったオリジナルストーリーでも、映画ゲーム並みの演出と金がかかっている。ボンドガールも用意し、実際の俳優をCG化してゲームに登場させている。日本での発表会は、日本人ボンドガールの伊東美咲さんが登場して、話題になった。

もう1つ、EAは売れげな要素を取り込むことにも貪欲である。
「Splinter Cell」で評判を博したサーモビジョン、いわゆるマトリクスエフェクトのゲーム版である「ボンド・センス」(これは「MAX Payne」が最初に取り入れた)、自動車・ヘリ・戦車と多彩な乗り物(「GTA3」などでも顕著だが、欧米のゲームでは多彩な乗り物を乗り回せることが流行っている)と、売れたタイトルの人気ある要素をこれでもか、これでもか、とてんこ盛りにしている。

EAのゲームは実際の所、それほど新規性や革新性はない。これは多くの開発者が感じている事実だろうし、もしかすると、それゆえにEAの方法論を好きではない人も少なからずいるかもしれない。

ゲーム開発は「読めない」といわれるが、すでに成熟した部分も多くあり、そこに比重を置いて作れば、納期性の高いゲーム作りは十分可能だ、というのがEAの考え方の根幹だ。なーに、他の会社が新規要素を実験し実証してくれたら、それをてんこ盛りにすればいいのだ。自らリスクを冒す必要はまったくないじゃないか。あとは、映画的な作り方をすればいい。分業化による、本格感のあるシナリオ、映画的なデモ、……。


ユーザーを見切ったゲーム作り

現在のゲーム市場は、ユーザーの多様化が進んでいる。やや乱暴だが、市場(ユーザー)を3つに分類してみる。

A) ゲーオタ。1つのゲームをかなりやり込んでくれるが、単純な水増しボリュームには否定的。
B) そこそこ遊ぶ人たち。 現代人(特に大人)は忙しい。ゲームを最後まで遊ばない人はかなり多い。
C) ゲームは値段が高いし、あまり遊ばないという人たち(かつてのライトユーザー)

EAは今のユーザーが最後までゲームを遊ばないということをよく理解している。だからEAのゲームはしばしば、最初が一番面白いといわれる構成を取る。ゲームを買った人が全員、最後まで遊ぶわけではない。映画や小説と比べて、ゲームは最後まで楽しんでくれない人がかなり多いメディアである。元々そういうメディアだったが、ここ最近、ますます最後まで遊んでくれなくなっている。大人のユーザーは忙しいし、子供にも他の娯楽がいっぱい提供されている。この単純な事実を開発者はよく忘れがちだ。実際に自分がゲームを遊んだ時のことを考えればわかるはずなのだ。みなさん、最後まで遊んだゲームが何本ある?
 
けれども作っている時には案外、忘れてしまう。開発者はおいしい物を後半に残しているのだが、前半でユーザーのほとんどがやめてしまっている、という不幸なケースは案外多いのである。はたから見ればこっけいかもしれないが、作っている側は真剣なのだ。

ゲーム開発者は、1)買った人の何割が最後まで遊んでくれるのかという点を意識すべきだし、2)最後まで遊ばなかったユーザーがそれでも次を買ってくれる程度の満足感は与えるべきなのだ。というのは、買った人全員が最後までいけるようなバランス調整は、(RPGならともかく)現実にはなかなか難しい。そこまでやさしくしてしまうと、うまい人たちがヌルすぎて、退屈してしまうし、達成感も乏しくなってしまう。

EAはゲームを最後まで遊ばない人たちに満足感を与える一方で、ゲームをやり込む人たちにあり得ないボリュームを提供している。『SSX』『NEED FOR SPPED UNDERGROUND』などのタイトルでは、クリアしても、クリアしても、次々と隠しモードだの隠しステージだのが出てくる。いったい何ヶ月遊べばコンプリートするんだよ!!というアホみたいなボリュームぶりである。

わかりやすくいうと、中国式(あるいはアメリカ式か)の食事の出し方なのである。中国では相手が残すようなボリュームを提供する。食べきれないぐらいの接待をしました、というのを良しとする文化だ(日本は昔は食べ尽くすことを良しとするユーザー文化だったが、今はだんだん残すユーザー文化になってきている、と思う)。ゲーオタと呼べるほどのコアなゲーマーたちがゲップをして、「もう入りません」というぐらいの、ありえないボリュームをつっこみ、「満腹」させるわけだ。

EAの方法論は、ユーザーを満足させるというごく当たり前の、しかし忘れられがちな、実にシンプルな原理に基づいている。EAのブランドも信頼感も、「EAのソフトを買えば、満腹できる」という単純な事実の積み上げによるところが大きいのである(もちろん、積極的に、スポーツのスポンサーになっていることもブランド寄与している)。


何がどうして売れるかはわからないが、どうして売れ続けるかは簡単だ

いいゲームがすなわち売れるわけではないとはいえ、ユーザーを満足させなければ、長持ちしない
これは事実だ。いくら宣伝してゲームを売りつけたとしても、ゲームを買ったユーザーが失望すれば、次からは買わなくなる。ゲームを売る上で話題性は大事だ。しかし話題性だけでゲームを買っても、満足しなければ、次は買わない。

(例えば、「スパロボ」シリーズがどうしてあんなに売れるのかわからないという意見を耳にしたことがある。あの作品の良し悪しについては、個人の好みもあるのだろう。しかしネットを巡回して、ゲームの感想を読んでみれば、1つの事実ははっきりする。「スパロボ」シリーズは、買ったユーザーを満足させているという事実だ。何がどうして売れるかはわからなくても、どうして売れ続けるかは明白なのだ。)

いいゲームが売れるわけではない。しかしユーザーを満足させるゲームでなければ売れ続けない。
世の中を悟った気になって、「いいゲーム作ったってどうせ……」などとほざく開発者がもしいるなら、それは糞ガキの性根だろう。ちょっと小知恵をつけた小中学生が、さかしらにゲーム市場を語ってみせたりするのと同程度だ。小利口な開発者など、さっさとフェードアウトしてしまえ。まぁ勝手に自然淘汰されていくのだろうが。自業自得だ。

何度もやり玉にあげて申し訳ないが、いい例がSCEJだ。PS1時代には新規性のあるソフトを数多く発売し、ユーザーにも受け入れられていたが、PS2時代にはすっかり閑古鳥が鳴いている。ユーザーを満足させ続けた『GT』『みんゴル』以外のタイトルは壊滅的で、ユニークなタイトルを出しても誰も買わないし、そもそも流通から信用がないから、出荷がどれもこれも少ない。

繰り返すが、娯楽の世界ではユーザーを満足させなければ、次が続かない。しかし案外、ゲームはユーザーを満足させるのが難しいメディアなのである。「最後まで遊んでもらう」ということさえ、なかなか難しい(上述したとおり)。

ちょっと前、ゲームそれ自体が娯楽の中で、価値ある遊びとしてもてはやされた時代には、ユーザーはがんばって最後まで遊ぼうとしたかもしれない。しかし今やゲームはone of themになり、そこまで時間をかけるような娯楽ではなくなってきている。
(ノイズの見城こうじ氏が執筆されている見城こうじの空想ゲーム学の第45回「オンリーワンからワンノブゼムへ」第54回「アドバンテージ喪失の時代」が非常に興味深いです)

だから従来よりも、ユーザーを満足させることが難しくなっている。ゲーム開発者は、自分自身がゲームを遊んでいるスタイル、時間配分を振り返って、より多くのユーザーを、それぞれのスタイルに応じて、楽しんでもらう方法を考えなければならない。(注2)

学ぶべきは表層的な技術などではなく、ユーザーを満腹させるという、ただその姿勢だけだ。


注1)
PCゲームのFPS系大作はそもそもまったく貢献していない。そもそもDoom3やHalf-Life2はここ数年の好景気時代に発売されていない。つまり何も貢献していない。はるかな過去には貢献したかもしれないが、今はしていない。そしてPCゲーム市場は年々縮小している。当然だ。期待作がこうも発売されないのだから。また、コンシューマ市場で成功したFPSはほとんどがオリジナルエンジンであり、そうでない物でも、既存のエンジンを大幅にカスタマイズしたものだ。

欧米市場の成長と、PCゲーム系FPSエンジンとの関係はじつは希薄であり、それを無理矢理リンケージしようとするロジックは最初から破綻している。にもかかわらず、そのような言説を書くゲーム系ライターが何人かいるが、それは「自分が好きなゲーム」を誇大宣伝しようとする精神のなせる所業であろう。あるいはPCゲーム系の開発を提唱しても受け入れられなかったトラウマがなせる所業か。
いずれにしても、個人制作的、少人数制作的な古き良きPCゲーム開発の方法論は、現世代において破綻をきたしつつあり、そのような開発の仕方をとっている会社は過去の名声を除けば、もはやフェードアウトしている。

注2)ユーザーを満足させるというと、しばしば「なら小さな会社はどうしようもないじゃないか」などとのたまう、浅慮な開発者がいらっしゃる。確かに映像的なボリューム感を出すには規模が必要だろう。そんなこと、FFぐらいしかできないかもしれない。

しかし、ゲームのやりがい、やり込みといったものは、全然規模の問題ではない。それはファミコンの頃から存在し、今も大して変わらないものだ。それこそウィザードリィにしろ、「平成のウィザードリィ」たる『魔界戦記ディスガイア』にしろ、『ファントムブレイブ』にしろ、規模は小さい(以前も書いたが、ああいう絵柄のソフトの割にムービー1つないのである)。

また、『無双』シリーズ本編に対して、その半年後に発売する『猛将伝』がある。あれは純粋なデータとしては、それほど追加要素がないが、ゲームのモードを多種類にしたり、個々の武将に思い入れのあるユーザー心理を巧みについて、武将ごとのシナリオを追加したり、うまくツボをついている。

ゲーム本編がすでにできているなら、そこにやり込みの深みを掘り下げることは、+αのコストにすぎないはずなのだ。今はもう、そういうことまで見据えて、ゲーム本編を設計し、スケジュールを練らなければダメなのではないか。ここ最近の例を見れば、むしろ小さな会社のほうが焦点の定まったゲーム作りをして、評価を勝ち得ているケースが少なくないのである。海外においては『GTA』がそうといえるかもしれない。あのチームがグラフィックにこだわっていたら、シェンムーのようになっていただろう。大手のほうが割くべき労力の配分を間違えて、続編をダメにしているケースが目につく。

Posted by amanoudume at 00:33 個別リンク | TrackBack(0)

2004年01月27日

物語伝達の媒体としてのゲーム

ARTIFACT「新しい物語伝達メディア」
コンテンツの制作コストと企画の自由度や個性は反比例する、という一般論で、それはその通りですね。「物語伝達の媒体」として捉えた場合に、ゲームがいまいち冒険のしにくいメディアになってしまったのは確かだと思います。実際、RPGとアドベンチャーゲームは、コンシューマーゲームにおいては、タイトル数がかなり減ってしまいました。

それに対してノベルゲームが少人数で開発できて、物語伝達の媒体として盛り上がったという指摘もうなずけます。ただ、けっこう似たり寄ったりの作品が多かったような気も。(企画の自由度と、実際に多様であることには差があるんでしょうね。まぁこれは、作る側の動機の問題ですけど。)

実はこれと同じことが、欧米のFPSにもいえるんじゃないか、と思います。以前、「個人サークル的な開発スタジオの限界露呈」でもかきましたけど、ボクは欧米のFPS=日本のノベルゲームという認識をもっています。すごく似ているんですよ。どちらも低い開発費で制作できるゲームエンジンの文化が浸透していました。日本においてノベルゲームが恋愛やセクシャル性をテーマの中核にして物語を構築していったように、欧米においてFPSゲームは暴力性と戦争をテーマの中核にして物語を構築していきました。(似たり寄ったりの作品が多いのも同じかも)

物語伝達の媒体としてのFPSという話は、洋ゲー好きな人たちが熱心に語ってくれたりもしているんですけど、ノベルゲームとの相似性については、ほとんど誰も語ってません。まぁ単純に、どちらも押さえている人が少ないせいでしょうけど。それと、FPSは技術的なコンテクストで語られすぎているせいもあるでしょうね(その割に、プロの洋ゲー系ライター諸氏の書く技術話は、本当の技術者からみると、笑いたくなるようなレベルの技術理解ですけど)。

ゲーム性も強いため、物語伝達媒体としては、ノベルゲームより劣っているのも確かです。ただ、映画を頂点とする映像文化をもつ米国などでは、そういう混在した形でしか、表出できなかったのかもしれません。しかし、FPSなどのゲームエンジンを使って、ショートムービーを作る「マシニマ」文化は、そのフラストレーションから生まれたのかも。(参考:3Dゲーム技術を使ったアニメ映画『マシニマ』の可能性

日本のノベルゲームで起きた現象が、(直接的な影響はなかったでしょうが)「現象論」として、欧米でも起きているといえるでしょう。あくまで系譜論ではなく、現象論です。
(ボクは、ゲーム系のコンテンツは現象論としては日本のほうが欧米よりも2,3年進んでいると思っています。また実際、多くの若い開発者の人たちと話してみて、共有している認識でもあります。)

ただ、ARTIFACTさんがノベルゲームについて、「これもそろそろ新鮮味が薄れてきた面が強い」といわれているように、ノベルゲームはもはや物語伝達の媒体として、フォーカスアウトしつつあります。おそらくFPSも同様でしょう。それは、「Half-Life2」や「Doom3」という延期タイトルが証明しつつあります。求められる品質が向上し、開発規模が大きくなりすぎています。
(そういう意味では、去年の段階でFPS系エンジンに乗っかって物語伝達を行ったり、ゲームを作っていくことをマンセーしたゲーム系ライターたちは、時代錯誤の極みといえるでしょう。)

では次が何かというと、その答えを先に出すのはやはり日本でしょう。欧米はもう2,3年あがいた結果、次のフィールドに移行していくのでしょうね。

■1/27追記
ARTIFACTさんの記事のほうで、「ゲームを物語の面だけで語るという傾向」について追記されていました。物語伝達媒体としてのゲームという視点は確かにファミコン時代からある伝統的なものです。

「物語伝達の媒体としてのゲーム」という視点は、初期〜中期のRPGにおける議論、リーフ作品を始めとするノベルゲームにおける議論が確かに顕著でした。言及の多さという点では、この2つの時期がトップでしょうか。もちろん実際には、初期のアドベンチャーゲーム(分岐性)、ギャルゲー草創期(仮想恋愛というテーマ、マルチエンディング性)、「やるドラ」を始めとするアニメ的なゲーム、なども歴史的には無視できないところです。しかしゲームマニアとゲーム業界内では言及されていると思うのですが、ゲーム外の人からはあまり言及されてない気はします。

糸井重里氏は、ゲームを東氏よりも広く受け止めているのか、「ほぼ日刊イトイ新聞」
中で宮本茂氏との議論をたびたび行ってますね。実は、ゲームの外の人で、ここまでの広さでゲームとつき合えている人ってほとんどいないのが現状です。そこが糸井氏の立ち位置のうまさでしょうね。(しかし糸井氏のゲーム観は古い世代のものだなと感じることも多いです。ファミコン世代以降のユーザーの心理を捉え切れていない気がします)

物語伝達としてのゲームの1つとしてRPGがあったとして、それがそろそろ1つの結論を出しつつありますね。例えば糸井重里氏の関わった「MOTHER3」というタイトルがあって、ものすごい時間がかかった結果、一度中止になって、そして携帯ゲーム機で新たに再開しました。興味がひかれるのは、開発中止座談会のこの部分

宮本:N64のはじめの頃、ドラクエの堀井さんにマリオの試作品を見せたんですよ。堀井さんも、一気に3Dに走るんですよ。 この感じでドラクエがやれたら全然違うって。でもやっぱりまともにここに入ってくるとドラクエじゃなくなるから、まだまだですよ、って止めたんですが、止めたせいでPSへ行っちゃったかもわかりませんけど(笑)。正直すぎたかも。あの冷静な堀井さんでさえもほとんど現実に近い感じのところに自分のキャラクターを全部置いてみるということにすごく興味を持っていました。
糸井: したいんですよ、たぶん。
岩田: たぶん、シナリオを書くひとの本質的な欲望だと思いますよ。
で、今ドラクエ8が完全に3Dになって開発が進んでいるわけで、それが発売された時にRPGって1つの結論が出るというか、大きな区切りに達すると思うんですよね。で、そういう十数年にわたるRPGの流れを誰かまとめてくれないかな、と思いますよ。それは本にするに値するし、たぶん10年後も残っていい本になるはずです。ゲーム業界のライターにどれだけ期待できるのかわかりませんけど、そういう腰の入ったものを書ける人がいたらいいなと思います。今ボクの知る限りはいないですけどw まぁまだ多少の時間はあるんで、出てきてほしいなと期待しますね。

Posted by amanoudume at 03:37 個別リンク | TrackBack(1)
新しい物語伝達メディア
Excerpt: ■1/26追記 FPSとノベルゲームの類似というのは面白い指摘でした。ゲームに関しては、ご指摘の通り、もちろん物語以外の要素も強いと思ってます。元の文章をちょっと書き直しました。
Weblog: ARTIFACT −人工事実−
Tracked: 2004年01月26日 15:01

2004年01月08日

企画的感性と映像的感性の両方が高いレベルで結合した、極めて現代的な成功

NEED FOR SPEED UNDERGROUNDの成功はおおいに励まされる出来事

ryuo webさんの「GTの対抗馬?」によると、「NEED FOR SPEED UNDERGROUND」の売上が大変好調なようです。全世界での販売本数が400万本。リアルな車を使ったレースゲームは、「GT」の一強皆弱状態が続いていましたが、一気に第2位の地位まで登り詰めたことになります。

昨今、「GT」と張り合うような方向のリアルな車ゲームはどれもあまりうまくいっていません。
このゲームは、改造車による夜間の公道違法レースという素材の選び方、そして夜の街の雰囲気が見事。 企画的感性と映像的感性の両方が高いレベルで結合した、極めて現代的なゲーム
あり、優れたソフトといえそうです。ああ、またもEAですよ。こんちくしょう。いいゲーム出しすぎ。
息の長いシリーズ物ですが、とりわけ高評価を目にしたのは今回からです。単に綺麗とかそういう水準ではなくて、描くべき世界を把握した上でのグラフィック
が何ともすばらしい。ライトのエフェクト、路面の反射、モーションブラー。夜の街のあやしい雰囲気がしっかり表現されています。ブラー系の高速感に興味が
ある人は必見。
また、すでに王者ともいうべきタイトル「GT」が一強皆弱状態の中で、成功を収めたことは、多くの開発者にとって、励まされる出来事でしょう。成功する余
地はまだあるのです。

(ゲームの紹介はここまで。以下、開発についての意見が続きます)

現代的な開発へきちんと狙い(企画)があって、世界観と作風があり、それを実現するためにグラフィックがあり、デザイナーとプログラマーが
努力する。本来そういうものですし、日本はそういう作り方ができていたはずです。ところが、最近は(まぁ一部ですけど)単純にフォトリアルにしただけの、
いったいどういう狙いがあって、どういう作風で映像を作り出そうとしているのか、作り手自身が全然考えていないような良く出来ているだけのタイトルが目に
つくことがあります。海外にもそういうゲームはいくつもあります。
今後はシェーダーだといわれていますが、シェーダーの時代というのはそれぞれのタイトルが狙いと作風をもち、その作風を実現するだけの自由度が与えられる
いう点が重要なわけです。昔はnVIDIAもそういうことをきちんといっていました。
GPUメーカーのサンプルシェーダーをゲームに組み込みましたとか、誰もがやっているようなシェーダーを入れてみましたとか、しかも自分じゃできないの
で、nVIDIAから人を派遣してもらいましたとか……。どうしてそういう本末転倒の極みのようなことになってしまうのか。
お勉強しかできない人間はすっこんでろ、と。どうも最近は変な風潮があって、やれゲーム開発者に必要なのは数学だとか物理だとかそういうお勉強だ、という
議論があります。そんなもんは、いずれ外に出せばすむものなんですよ。実際、今PCゲームの世界ではGPUメーカーにやらせているでしょう。かなり乱暴的
な書き方をしますが、そんなもんはどうでもいいんです。
重要なのは、どういう狙いでどういう作風で作るか。そしてそれを実現するために何をどう使うかということであり、その応用力なわけです。お勉強に一生懸命
です→とりあえず教科書的な実写的表現です→無個性です→でも納期あるし、疲れちゃったし、そのままGOです→労力いぱーいかけて完成→市場に埋没。
企画的感性と映像的感性の高いレベルでの結合、あるいは企画的感性と技術的感性の高いレベルでの結合こそ、現代的なゲームづくりであり、求められているこ
とではないですか。そのための方法論はいくつもありえますが、スタッフがマルチスキル的にならざるを得ないと思います。映像をわからないプログラマーと、
技術をわからない企画と、そういうことではだめ。
もちろん、そりゃプログラマーはうまい絵は描けませんし、企画はプログラムを組めません。それはいい。そこまでは必要ない。そこまでスキルが無くとも、感
性は養えるはずです。やれ企画がヘボだの、やれプログラマーが技術不足だの、そういうつまらない罵りあいは論外。自分自身が
ルチスキル的に感性を養うという努力を通して、はじめて高い水準にたどり着ける、と覚悟すべきです。

Posted by amanoudume at 12:11 個別リンク | Comments (4)