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このサイトは、ゲーム開発、およびゲーム周辺の周辺技術や動向について日々考察し、毒舌的に物を書き続けることを通して、「ゲームの未来形」という大テーマに対して、何か考えを深められるといいなあ・・・・・・というサイトです。

2005年02月26日

変化する市場

ゲームマニアのゲーム離れ?
ファミ通巻末の浜村通信氏のコラムがようやく、それなりに読める内容に 戻ってきましたね。 ソニーからの広告費が潤沢なのか、最近はかなり偏向した内容になっていました。発売直後の入手困難な時期に「新幹線の中でPSPで遊んでいるサラリーマン を何人も見かけた」などと書き散らしたり、初期不良についての問題には完全に目をつぶるし、まったくもって1行1行からお金の臭いがプンプンするコラムで した。 その結果、少なからず、信頼性を傷つけていました。特にネットでの評判は一段と落ちていますね。もし今年、部数が落ちることがあるなら、それはここ 2〜3ヶ月のファミ通の偏向性が災いしたといえるでしょう。部数が長期低迷しているとはいえ、歴史ある雑誌なわけですから、正常な誌面に戻っていくことを 期待します。 さて、本題にもどります。 去年の秋頃、「マニアでさえゲームに飽きつつあるのが現状」と書きましたが、浜村氏も同じような見解に達しているようです。

> 時間ができた時は店頭に並んだ新作、話題作に手を出すが、買い逃したソフトは
> それほど追いかけない。ファンとソフトのつき合いが淡白になっている。 (ファミ通より)

> 市場に蔓延する「飽き」の感覚。いまだ惰性として、生活習慣として、ゲームを買い
> 続け、遊びつづけている人たちにとってさえ、そういう層においてさえ、明確に「飽き」の
> 感覚が蔓延している。それが明らかになりつつある。
> (発熱地帯 最先端の市場に蔓延する「飽き」の感覚

この現象には2つの理由があります。1つは中心購買層のゲーマー体力が低下したこと、もう1つは男性オタク市場の特性が変化したことです。今回はその1つ目の理由にしぼって記事を書きます。

ゲーマー体力で見る市場の変化
去年、多くのゲーム系サイトで「積みゲー」という言葉が頻発するようになりました(「積みゲー」という言葉自体は以前からありましたが、去年あたりから急 増しているように感じています)。大雑把にいえば、まずファミコン世代の年齢が上がって、ゲームをやりつくす時間がなくなったり、自由に使えるお金が減っ たり、他の娯楽にお金を使うようになったためです。 おっさんゲーマー、ロートルゲーマーと自称する人たちが増えていて、そういう層は軽いボリュームの物を遊びたいと思っているのは確かでしょう。この辺のま とめは、NGMさんの「シューティングばかりで他のゲームを遊ばないと、ジャックはロートルになる」が 非常に参考になります。「ファミコンミニ」を始めとした、「なつかしさという間口の広さ+シンプルなボリュームのゲーム」路線が成功しているのも、社会人 ゲーマー(特に30歳以上のゲーマー)のゲーマー体力が落ちているのが要因の1つです。 また「パチスロ」を支えているのもゲーム世代で、単純で奥の深いゲーム性が受けている、とよくいわれます(もちろんギャンブル性も、継続性や中毒性を維持 する要因ですが)。FLASHなどのフリーゲーム人気もシンプルなゲームを求めるニーズの高さを示しています。 特にコアゲーマーはシンプルなボリュームで深いゲームを求めていて、たとえば「ドリラー」「塊魂」「キャッチ!タッチ!ヨッシー!」といった深いゲームを 高く評価しています。また、80年代のアドベンチャーゲームを今の表現力とタッチパネルでよみがえらせた「アナザーコード」に注目が集まったりします。 「ヒトフデ」もシンプル性が逆に目立ったゲームですね。この手のゲームが多いのが、DSがコアゲーマーから支持されている理由でしょうね。 客層を分析すると、DSは20代後半〜30代、PSPは10代後半〜20代前半によく売れました。ゲーマー体力という観点で見ると、ゲーマー体力が落ちて いてシンプルなゲームを求めるユーザーはDSを選択し、遊ぶ時間の多い学生など、まだまだゲーマー体力があり余っているユーザーがPSPを選択している、 といえます。
コアゲーマーとライトユーザーのズレ
ただ、コアゲーマーとライトユーザーには若干のズレがあります。 深いゲームは一方で、深い技術をゲーマーに求める傾向があるため、ライトユーザーはそこでふるい落とされてしまいます。中毒性は必要なものの、同時に考え なければならない要素の数が多くて複雑だったり、習熟にかかる労力が多大になると、とたんにユーザーの幅を狭くしてしまいます。そのため、シンプルなボ リュームで深いゲームはあまり大きくは売れません。この辺は「プレイヤー中心のゲームデザインから、プレイデータ中心のゲームデザインへ」で 議論したとおりです。 ライトユーザーはミニゲームぐらいの深さがちょうどいい。例えば、DSでは「メイドインワリオ」や「スーパーマリオ64DS」などミニゲームが目立ちます が、あれぐらいでないとついていけない。PCのアクセサリーでは「ソリティア」や「マインスイーパー」。FLASHでは「艦砲射撃」とか。中毒性や常習性 が高く、延々やり続けることもできるものの、軽く遊ぶこともできて、1日1回遊んで、それも数分〜10数分ぐらいで、「おっ!今日は昨日よりスコアがのび た」ぐらいが程よいんじゃないか、と思います。 最近、ネット上で「難易度」や「やりこみ」についての議論が起きている背景には、コアゲーマーのゲーマー体力の低下の問題があります。単純に「難易度やや りこみは過去にもあった議論」というのは、今起きている変化に対して鈍い気がしますね。似た議論が過去にあったとしても、それが今起きているのだとした ら、どうしてその議論が起きているのか、背景を考えたほうがいいです。そうでないと変化の予兆を見逃すことになりかねません。変化に鈍感な人たちは例え ば、「スゴイゲーム」などと、ズレたことをわめき出す。
次の10年のプレイ・モチベーションとは?
コアゲーマーとライトユーザーにズレがあるとはいえ、それ にしても、この「ゲーマー体力の低下」は幅のやりこみという「現在」の方法論と矛盾します。 > 幅のやりこみを重視するゲームは、「何かを集める/空白を埋める/ファッション性に > 結びついたコレクション性/RPG的なキャラ育成」を、プレイヤーのモチベーションとしています ファミコン20年、大雑把にくくるなら、最初の10年はスコアがプレイヤーのモチベーションを牽引し、次の10年は収集とストーリーが牽引してきました。 スキル主義の10年、労力(コスト)主義の10年といってもいい。しかし次の10年はプレイヤーのモチベーションをどうやって牽引するのか? 収集とス トーリーでは保たなくなりつつある、と思います。今はとりあえずそうするけど、そろそろ次の方法論を考えなければならないのでしょう。 例えば、集めるというモチベーションは、集める対象が集めてうれしいものでなければならないため、アイテムにゲーム内で意味をもたせたり(武器など)、ミ ニゲームをあげたり、数十体の乗り物を用意したり、10種類をこえるゲームモードを用意したり、アホみたいにこれでもか、これでもか、とやりこみ要素の物 量を作っているわけです。作る側がどんどんしんどくなっていく。そして作る側がしんどいだけでなく、ユーザーもボリュームがしんどくなりつつあります。 また、ストーリーの続きを知りたいというモチベーションにしても、RPGはもうプレイするのが面倒だから、ムービーだけ売ってくれ、という意見が増えてい ます。「ドラクエ」ぐらいになるとオリンピックみたいなもので、お祭りとして遊んでくれますが、それはふだんはスポーツ番組なんて見ない人でもオリンピッ クになると見るようなもので、RPGというジャンル自体は停滞感が濃くなっています。伝統あるシリーズはまだ保っていますが、新しいシリーズを立ち上げよ うとしてもうまくいかない。ジャンルとしては惰性的な様相が強くて、あまりいいムードではありません。 もちろんスコアアタックの楽しさが無くなっていないように、集める楽しさやストーリーを追いかける楽しさが無くなるわけではありません。楽しさの原理とし て、空白を埋めたくなる欲求、続きを知りたくなる欲求は不変のものです。この10年はその構造で我々ゲーム開発者は食うことができました。だがそろそろ作 る側も遊ぶ側もしんどくなっていて、かといって最初の10年の構造(スコアなど)に先祖がえりするのも難しい。だから新しい構造を考えなければならない。 今後3年ぐらいで転換するイメージじゃないか。 ただ、遊びの原理に普遍性があるように、答えは今すでに見えている範囲内に存在しているはずです。その中のどれかを中心にすえて、新しい構造を作ることに なるはずです。ゲームの構造はかつて、上手い人と下手な人が両方楽しめるように変化しましたが、おそらく今度は、時間がある人でも時間が無い人でも両方楽 しめるように変化するのでしょう。 現在のMMORPGは労力(コスト)主義の究極形ですが、ゆえにいわゆる「廃人」問題にこの思想の問題点がよく表れている、ともいえます。オンラインゲー ムは大量時間消費型から別の形態への移行を模索している最中ですが、同様の変化がコンシューマーゲーム一般に起きていくのでしょう。 Posted by amanoudume at 2005年02月26日 00:29 個別リンク
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コメント

  ゲームの腕重視 → ヘタな人が楽しめない
→ ゲームにかけた時間重視 → 忙しい人が楽しめない
→ ?????重視
私のようなロートルゲーマーには納得しやすい話でした。
私がもっと楽しめるゲームが増えてくれる事を期待してます!

いや、良い話でした

プレイする時間がない人向けに簡略化版を発売してくれるといいんですが・・・。
例えば、GT4→肥大化しているGTモードをシンプルにし、その上で全車種・全コース・チューン・レース設定等自由にプレイできるもの。
大作RPG→寄り道・お使いイベント・アイテム合成等の面倒なシステムなどをカットしてメインストーリーをテンポ良く進められるように編集したもの。
バイオ・零などのA・AVG→パラメータやアイテム改造の簡略化・コンプリート作業の削除などで純粋に恐怖やストーリーに没頭してプレイできるようにした
もの。
今現状の傾向では、
高品質なソフト→水増しボリューム過多・余計な要素、作業が苦痛・面倒。 時間がない人には遊び尽くせない。
意外と制限されることが多く、自由に遊べないこともある。
手軽なソフト→基本のつくりそのものがショボイので、満足感がない。
中途半端なソフト→面倒な上に、さほど満足感もない。
コストパフォーマンスも兼ねてボリュームにこだわる人が多いのも事実ですが、それとは別にもっと短時間で密度の濃い楽しみが味わえるゲームを求めていま
す。

>言い方を変えるならゲーマーの実力の低下
ていうか、ゲーマー体力って、肉体的な体力のことじゃなくて、
ゲームの実力のことを指しているんだと思うが・・・
ゲームを遊ぶ根気とかも含む
文脈的に明らかだし、リンク先の記事読めばわかるだろ・・・
ろくに読まずに批評家ぶって勘違い指摘。
痛いヤツだな。
最近多いけどな、こういうヤツ。
ここも人が増えて、痛いヤツが増えたのが残念だ・・・

今年は暖冬だから、早めに春厨がわいたんだろ。
なんてな。
だが内容に関する話をしないと荒れるぞ。
>プレイする時間がない人向けに簡略化版を発売してくれるといいんですが・・・。
ゲーマーとしては完全同意
ボリューム主義は中古に売られにくくする為もあって、もう一工夫必要かもしれん。
簡略版の発売は、通常版の発売の後にするとかな。
ゲーマー体力落ちてる人間なら、発売日すぐに買いたいという欲求も低いんじゃないか。
半年ぐらいで廉価版出すぐらいなら、簡略&廉価版を出した方がいいよな。

>シューティングばっかりやってるようならロートル
工房の時点にて自分はオサーンゲーマー認定の模様です。
ボリュームのあるゲームって何というのか・・・手が出しにくいんですよね。
何でかは自分でもよく分からなかったんですが前回のプレイデータの記事と今回の記事で納得。
そういえばシレンとかもシューティングに良く似た性質持ってますけどやはりオサーンとかマニアとかが多いんでしょうか。

私も古参ゲーマーでDSでゲームに帰ってきた口です。私がきついなと思い始めたのは、マルチエンディグが出てきたあたりからでしたね。DSであらためて、
ロードの無い快適さに納得しました。ただ、今のところ懐古欲が満たされただけのような気もしてます。
やはり、nintendogsに期待ですね。このソフトが新しい提言になれば面白いでしょうね。

んー。
そこまで結論を出すのは非常に早計ではないでしょうか。
「アナザーコード」も「ヨッシー」も、「ゲーマー」から叩かれてるのではなく、
ゲーマー体力が落ちたロートルゲーマーは好意的、
ゲーマー体力があり余っている若いゲーマーは否定的なのだと思います。
単純に「ゲーマー」と「ライト」の2分法で考えるのは大雑把すぎて、
現実の市場からはかけ離れていると思います。
賛否両論が激しいのは主に2chだと思いますが、
あそこではその2分法がよく用いられますね。
信者の人たちが自分の支持するハードに「ライトが集まっている」と
主張する光景は日常茶飯事です。
まぁ煽り合いするならわかりやすいんですが。
ロートルユーザーを呼び戻すという意味では、ファミコンミニ>DSと続く
任天堂の路線はうまくいっていますが、現実には、DSもPSPもまだまだ
ライトユーザー層を呼び戻せていないと思います。
PSPも、マニアからすれば、なんであんなの中途半端な機能でほしいの?
となりますが、見かけがいいからほしい、という人だっているわけで、
そういう人もライトユーザーなわけです。
両ハードとも、ライトユーザーの取り込みはこれから本格化すると思います。
DSの方が一歩リードしているかもしれませんが。
また、ヨッシーはGBA「万有引力」を考えれば、ヨッシーを冠したゲーム
としては普通なんじゃないでしょうか。「アナザーコード」も「逆転裁判」等で
規模が判明した、国内アドベンチャーゲームの売上規模を越えるとは思いません。
・・・・ああ、ただ、DSはまだエミュが揃ってないから、今ならエミュに食われることが
ないのがプラスに働くかもしれませんね。
DSはソフト市場が今ひとつ元気が無い、という指摘は少なくない。
現状程度で、「今のゲーム市場がゲーマーではなくライトによって浮動」
とは到底いえないでしょう。もちろん、これからそうなってほしいと思いますし、
そのための一番の期待はDSに集まっていると思います。

昔はゲームセンターが中心だったから5分でルールをマスターできるゲームが多かったんだろうと思いますが、家庭用が中心になって重いゲームが増えました。
ドラクエはデータを次世代に持ち越せないのがもったいないし。MMORPGはそう言う点はいいので、毎日一時間だけ遊べば十分なように工夫して作ってもら
いたい。

どこぞのニュースサイトからとんできて、このコラムとコメントだけを読んでの感想です。
MSXでゲームに開眼し、MMOにも手を出した経験のある30+αの者ですが、ご指摘の通り現在はシンプルで深いゲームを求め、今のゲームからの何らかの
変革を期待してDSを購入しています。
ゲーム体力を実力と解するコメントもあったようですが、私はゲームに割ける時間と解しました。
MMOをやっていた時代は、雑誌を読んで臭った(感じた)ゲームに手出しできない、という状態もありましたが、今は臭ったゲームも積んでいる状態で
(RPGを筆頭に)、どちらの状態がが良いのか分からなくなっています。
やりこめる懐を持つゲームを希望しているのにその時間をとれない現実との差、しかし今ハマっている、簡単にやり直せるフリーソフトの洞窟物語のようなゲー
ムに2,3時間費やす矛盾もあったりします。
でもゲームをやっているその時間を楽しんでいるということは昔も今も変わりはないつもりです。
今思いついたのですが、ひとりが生涯で楽しめるゲームの数というのは、決まっているのでは?
多くの時間をゲームに割けるときは多くのゲームを消化でき、徐々にゲームに時間を割けなくなっていくということなのですが、今の自分にきっちり当てはまる
かな(泣)。
ゲームに「飽きていないのにプレイできない」結構つらいです。
うだうだ書きすぎてまとめられなくなりましたが、しがらみを感じずゲームができた若い頃に戻りたいと思ったというまとめで勘弁してください

俺もロートルゲーマーな為、最近の映像重視のゲームは始める前からためらってしまう事が多いね。まぁ、一度手をつけて見るとどこかでプレーしたゲームのオ
マージュである事がほとんどなのでプレーで手間取る事は無いが、どこかでプレーしたゲームに似てると気付いた時点でしらけてしまい。元の似ているゲームに
思いを馳せてしまう。やはりゲームに新鮮さを求めるものとしてはテレビゲームってジャンルではもう楽しめないのかもしれない。

今のゲームを作ってる人の狙いやコンセプトが知りたい。
ロートルとライト・どちらの層も取ろうとして、結局出来上がった物が、難しくて量も多い。
結果失敗する。
かといって、自分の作りたいものに反して狙おうとは思わない。
かつて好きだったゲームを追いかけてる。
そんな人たちなんですかね?

初めまして。一筆失礼します。
次は“(自分だけの○×を)創る&見せる10年”になるのではないでしょうか?
スコアという数値や、収集したという成果の標本がそうであるように、プレイヤーは何か「自分だからできた」という結果を求めてゲームにその気持ちを叩きつ
けていると思うのです。
その「自分だからできた」は数値⇒穴埋め、ときて、次はもっと複雑で多様な……、絵や演奏のような『1から創り上げる(と錯覚し得るだけの要素を備え
た)』ものではないかと。
そしてネットという場は、そんな思いを投げかけるに、実に適した場所だと思います。

んー やっぱ社会人ゲーマーになると
シンプルで単純なゲームの方がいいですねー
体力というよりも 時間がないってことが大きいですね
ゲーム雑誌でゲームをみても(そもそも買わなくなりましたが)
RPG シュミレーションなど時間の掛かるものは絶対に購入対象にならないですし 
(ここ数年ゲーム買ってないなあ)
大学時代はそれこそ
新作を購入したとき バイトや講義がないときは
寝食を忘れてプレイするくらいのゲームジャンキーでしたが、、今は全くぷれいしないなあ
ゲームが売れなくなっているのはネットゲームの発展と
ネット関係のインフラの整備が大きいのでは?
ネットゲームはゲーム自体に飽きてしまっても
そのゲームで出来た仲間とチャットするだけで楽しいですし
ネット巡回してるだけで楽しいですしねー
そもそも多ジャンルの娯楽が比較的手軽に
手に入るようになってますし それなりにメインであった若い購買層の人口が減りつつありますから

 積みゲーの人、廻りにもいます。
私は、そういう人の家で出だしだけをやって、「運命の出会い」があると、数ヶ月ゆるゆるとそのゲームをやり続けるというパターンです。
 シナリオ付きのゲームは、キャラクタの立ちだけに頼っているモノと、大作に2分されていますかね。地味で良質な推理モノとかもあるみたいですが。
 大作は問題ないとして、キャラクタゲームはとにかくシナリオの平均的出来を改善すればまだまだ行ける(というか欲しい)んじゃないかなあ。
 メディアミックスなら、新シリーズとしてやりやすいし。
 
 MMOは私も撤退したクチです。
時間を割ける人と、そうでない人の共存と言えば、囲碁や将棋やゴルフなんか、当てはまりそうですね。
 下手な人でも、とりあえず対等に勝負できます。
 でも、アイテムや能力がご褒美のMMOは、コレと真逆の展開になりますからねえ・・。
 操作もおぼつかない初心者の豆鉄砲対正確無比の熟練者の巨砲、と言う「厳しい現実社会」(笑)が待ってたりするわけです。
 かといって、プレーする立場になると、やはりご褒美は欲しい。
 ご褒美をステータスにした場合、なにかこう、=廃人、というイメージになってしまうのも良くない。(=手腕、がやっぱり理想ですよね。ボンバーマンオン
ラインなんか、近いモノがあるのかなあ・・・いろんな意味で単純すぎて続かないんだけど)
 参加人口や、歴史の短さもあるんでしょうけど、もちろん、プレイヤーの腕が第一という、懐の深さとかも。
 ただ、たとえば、立派に生業を営んでる人が、MMOでも強かったりしたら、それは一種憧憬というか、驚きの対象になりうるのかなあと、これは蛇足です
が。
寝起きの書き散らしでした。
すみません。

連投すみません。
MMOに関して。
 間欠的な参加者でも、ある程度楽しめるシステムの物もあると思うんですが、料金体系が「月額プレーし放題」しか無いのは、残念だなあと思ってもいます。
 時間額システムがあれば、やってみたい物はいくつかあるんですよね。

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