ネコのおと リレーノベル・ラブバージョン
富士見書房および富士見ミステリー文庫が誇る7人の作家によるリレー小説。2話目までは普通に『ROOM No.1301』と『まぶらほ』をやってるんですが、3話目で作者自身が登場してからタガが外れたような暴走が始まります。リレー小説に名作無し。つーか、累乗的に矛盾点が増えていき、最後に破綻に向かう運命なのか。
しかしどうせならリレー小説じゃなくて、クロスオーバーを書いてほしい気がするんですが、ダメですかねー。同人的なノリ&お祭り的趣旨としては、そっちの方がいいんじゃないかなー。その場合は、リレー体制ではなく、1人の作家が中心になって執筆しないと完成しなさそうですが。
ところでクロスオーバーの最古って、ルパン対ホームズでいいんでしょうかね?
Posted by amanoudume at 2006年12月22日 00:43 個別リンク
コメント
仏教に、ヒンズーの神々が取り込まれたりするのもクロスオーバーかもしんない。とかも思います。
童話なんかも、縦横無尽にクロスオーバーしてますし。
それはそれとして、伝承ではなく作品として、私も思い浮かぶのはルパン対ホームズぐらいが最古です。
投稿者: とんび | 2006年12月24日 00:16
近代〜現代に至る「作家」主義の台頭は、集団における伝承性の
排除によって成立しました。すなわち「才能ある個人による創作物」
という幻想を生み出したわけです。
(伝承性を求めるニーズもあり、それを人口的に生み出そうとしたのが
クトゥルフ神話といえますが)
ところが同人創作の世界のように、「作家」の特権性を無効化する
ような流れが年々強くなっています。
ノンフィクションっぽさや、ライブ感など、生っぽいものを求めている
ユーザーは本当に増えています。
といっても、「ネットに真実がある」→「真実を求めるユーザーが多い」
という図式ではありません。「電車男」=やらせ論なんてのもありますが、
そんな事にこだわるのは古臭い人間だけでしょう。大多数の人に
とって、真実かどうかなんてどうでもいいんですから。
人の汗臭さやわずらわしさを排した、「人の気配」を感じさせるものを
求めるようになっています。
20世紀まで有効だった「クリエイター」の概念は瓦解しつつあります。
数多くのパフォーマーがネット上に存在する時代ですからね。
ある意味、大昔に戻りつつあるともいえますね。個人の創作物への
尊厳みたいなものも揺らいでいますが、まあ古い価値観だと「不敬」
なんですが、さらに大昔の価値観であれば、「敬」も「不敬」もないわけで。
その辺りが今後、混じっていくと思います。ケータイ小説のコミュ
ニティである「魔法のiらんど」を見ると、これはもはや古い意味での
小説ではないなと思います。創作=コミュニティのログというと、やや
行き過ぎた結論かもしれませんが、そういう流れが一部にできて
きていますね。
投稿者: DAKINI | 2006年12月24日 03:18
「ネコのおと」は私も読みましたが、やはりDAKINI さんと同じような感想でした。
リレー小説ってのはほとんど読んだことがないのですが、うまく作るのは難しいジャンルなのかな?
それこそ、書いてる内の5人の作家さんは知っている名前なので購入したんですが…、どうもお話の中に作家本人が出てくる、というのが肌に合いませんでした。(あざの耕平さんが好きなのでちょっと期待したのですが)
つーか最初クロスオーバーっぽいものかと思って買ったので…。
(最古のクロスオーバーは私もルパン対ホームズくらいしか思い浮かばないですね)
余談ですけど、私はDAKINI さんのライtノベル関係のエントリーもよく読ませてもらっていますよ。
あるていど読んでいる本が重なっている(「され竜」とか「BBB]は私も好きですし)ので、ここで紹介された本とか読んでみることもちょくちょくあったり。
投稿者: 流練 | 2006年12月25日 01:54
>お話の中に作家本人が出てくる
これをやると安っぽくなるんですよね。禁じ手にすべきだったと思います。
富士ミスらしい安っぽさ、というコンセプトなのかなあ・・・・。
シェアードワールド物は最近また増えてますが、クロスオーバー物は
あまり見かけないなあ、と思いますね。
昔、「リナインバースVSオーフェン」があったぐらいでしょうか。
投稿者: DAKINI | 2006年12月25日 02:31