先週掲載したプレイヤーから「手ごたえ」を奪うゲームの反応がなかなか多いです。少なくない人が漠然と感じていたことだったのかもしれません。
昨年末までは、Web2.0とゲームについての話や、ゲームが外に広がっていく話を書いてきましたが、このところ急に「インタラクティビティー」や「手ごたえ」というものをテーマに書いています。そのあたりの問題意識がどこにあるのかについて、少し書いておきます。
1.ゲームが外に広がっている
・ゲーム会社がゲーム以外の事業を広げている。
・ゲーム自体の定義が広がっている。実用性ゲームブーム。「非競争ゲーム」が台頭してきた。
・オンラインゲームになると、オフラインゲームほどの狭義のゲーム性は要らない。
・ゲーム会社のコンテンツがいわゆるゲーム機以外のプラットフォームで動くようになってきた。
他産業に対しての優位点は何か?
競争力の源は何か?
ゲーム開発者にとっての武器は何か?
2.ゲームらしいゲームに元気が無い
・例えば、ストーリー系のゲームの進化(?)の1つとして、『アドベントチルドレン』がありえる。
・ライトユーザーブームが起きている中、満足にゲームデザインが分析されていない。
・例えば、『脳トレ』にしても、実用ソフトの皮をかぶった紛れも無いゲーム。
・10年前にも同じようなことがあったが、「ゲームらしくないゲーム」はさほど長続きしなかった。
その辺りの総括と反省は?
「ゲームらしいゲーム」の構造のうち、どの部分が古く、機能しなくなってきたのか?
「ゲームらしくないゲーム」の構造のうち、どの部分が新しいのか? 成功しているのか?
一過性のブームで受けているものと残るものを見極めないといけない。
3.ゲームのノウハウが他の分野に生きる
・ユーザーインターフェースへのこだわりがデジタル家電、セットトップボックスの開発に生きる
・Webサービスとの連携、融合
・FLASHその他のインタラクティブメディアへの影響
過去20年近く続いた旧来のゲームデザインの効果が薄れてきているのは確かですから、そろそろ今のユーザーに合った形でのインタラクティブメディアの演出、技法、定石、設計(ゲームデザイン)を本気で構築していかなければいけない、ということ。ただ、その一方で、10年前のライトユーザーブームと同じ失敗をもう一度くり返すほど、ボクらは間抜けではない、と信じたいということ。
変化が急激であればあるほど、ある種の冷静さは必要です。
「ゲームデザイン」という言葉を使うと、どうも旧来の「ゲームらしいゲーム」に限定した話をしているように思われそうです。そういう意味では名前を改めて、例えば「ゲームデザイン2.0」でも、「ゲーム2.0」でも、「インタラクティブメディア演出技法」でもいいのです。
(そういえば、AOGCの講演資料のスライドを見ると、どなたかの講演で「Web2.0のゲーム版→Game2.0」というような記述がありましたね)
ここでゲームデザインは何かというと、こちらの記事のコメント欄で話題になったように、インタラクティブなメディアを通して”感覚的なゆさぶり”を演出することです。
jun氏:その目的とするところは過去も現在も未来も変わりませんが、やはり時代と共に「演出技法」の流行り廃りは起こるわけです。特に最近は、旧来型のゲーム、ゲームらしいゲームの元気がなくなっていますから、新しい「演出技法」に対する注目が集まっています。
ゲーム製作については良くわからないのですが、上に書いたような”感覚的なゆさぶり”を演出するのが、”ゲームデザインする”ということなのかなぁと思いました。DAKINI:
基本的にそう考えていただいて構わないと思います。ゲームというのは、インタラクティブな方法論を使って、
感情的なゆさぶりを演出する、とりわけ「面白い」という気持ちを持続させるメディアです。
しかしそれは「演出技法」の問題です。
そもそもの「目的」が変わるわけではありません。ユーザーに「手ごたえ」を感じてもらわなくていい、というわけではありません。確かにある古い様式、古い型は、通用しなくなりつつありますが、ユーザーにいかにして「手ごたえ」を感じてもらうかを追求してきた積み重ね、ノウハウがすべて無効になるわけでもありません。
コメント
はじめまして、最近このサイトを見つけ楽しく読ませていただいてます。
ふと 気になったのですが、ゲームデザインにおいて「感覚的ゆさぶり」と「感情的ゆさぶり」は別もののような気がいたします。
ゲーム制作の関係者では無いのですが、物語を制作する者として「感情的ゆさぶり」はむしろ、ゲームより、「物語」に対して現れるものと思います。
「物語」は作り手がキャラと読者の「情」をいかに制御するか?ということにが配慮がなされているからです。
その「情の制御」をプレイヤーがプレイ(act)することによって発生している事がゲームのすばらしさであり、「感覚的ゆさぶり」そういうことではないでしょうか?
「感覚的ゆさぶり」においては、「緊張と弛緩(ストレスとその解放)」のカタルシスをいかにバランスを取るか?ということが求められている気がします。
つまり「ゲームデザイン」や「物語」では、
・どういう形でプレイヤー(読者)にストレスを与えるか?
・それをどういった形で、解放させてやるか?
をまずもって コンセプトとして考える事のような気がしますし、
「ゲームデザイン」は
・それをゲーム展開の上で どのタイミングに「緊張と解放」を配置するか?
という所のバランスをしっかりと考えることと感じます。
それらの「緊張と解放」のタイミングを強制、作り手が制御しているのが、映画表現やマンガなどの「物語」であり、そのバランスが物語の面白さを作ります。
つまり、物語においての「緊張と弛緩」はプレイヤーにとって受身の存在。ゲームにおいては、それが能動的な存在といえるのではないでしょうか…
本質的に「物語」と「ゲームデザイン」との面白さは別物と思いますし、それを2兎を追ってうまくいったのが「FFシリーズ」であると考えます。
其の他のメディアと比較すると どうしてもゲームの物語は情が表現できてないと感じてしまいます。
その辺もゲームのつまらなさの一因ではないでしょうか…
(ただし、アドベンチャーやビジュアルノベルは別です。)
長文失礼しました。
投稿者: page | 2006年02月15日 04:40
なるほど。
この記事においては、あんまり区別していないで書いていました。
「感情的」と書いている箇所と「感覚」と書いている箇所がありますね(汗
この記事の文意では、両方を含んでいると読んでいただければ。
物語的な演出と、ゲームの演出を区別しようというpageさんの
見解は納得のいくものです。
ただゲームにも感覚的な気持ち良さと、感情的な揺さぶり(達成感、等)の
両方があるような気はしますが。
投稿者: DAKINI | 2006年02月15日 07:14