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このサイトは、ゲーム開発、およびゲーム周辺の周辺技術や動向について日々考察し、毒舌的に物を書き続けることを通して、「ゲームの未来形」という大テーマに対して、何か考えを深められるといいなあ・・・・・・というサイトです。

2006年02月14日

ゲームというのはインタラクティブな方法論を使って感情的なゆさぶりを演出するメディアです

「インタラクティビティー」や「手ごたえ」について書いた理由

先週掲載したプレイヤーから「手ごたえ」を奪うゲームの反応がなかなか多いです。少なくない人が漠然と感じていたことだったのかもしれません。

昨年末までは、Web2.0とゲームについての話や、ゲームが外に広がっていく話を書いてきましたが、このところ急に「インタラクティビティー」や「手ごたえ」というものをテーマに書いています。そのあたりの問題意識がどこにあるのかについて、少し書いておきます。

1.ゲームが外に広がっている
   ・ゲーム会社がゲーム以外の事業を広げている。
   ・ゲーム自体の定義が広がっている。実用性ゲームブーム。「非競争ゲーム」が台頭してきた。
   ・オンラインゲームになると、オフラインゲームほどの狭義のゲーム性は要らない。
   ・ゲーム会社のコンテンツがいわゆるゲーム機以外のプラットフォームで動くようになってきた。

   他産業に対しての優位点は何か?
   競争力の源は何か?
   ゲーム開発者にとっての武器は何か?

2.ゲームらしいゲームに元気が無い
   ・例えば、ストーリー系のゲームの進化(?)の1つとして、『アドベントチルドレン』がありえる。
   ・ライトユーザーブームが起きている中、満足にゲームデザインが分析されていない。
   ・例えば、『脳トレ』にしても、実用ソフトの皮をかぶった紛れも無いゲーム。
   ・10年前にも同じようなことがあったが、「ゲームらしくないゲーム」はさほど長続きしなかった。
    その辺りの総括と反省は?

   「ゲームらしいゲーム」の構造のうち、どの部分が古く、機能しなくなってきたのか?
   「ゲームらしくないゲーム」の構造のうち、どの部分が新しいのか? 成功しているのか?
   一過性のブームで受けているものと残るものを見極めないといけない。

3.ゲームのノウハウが他の分野に生きる
   ・ユーザーインターフェースへのこだわりがデジタル家電、セットトップボックスの開発に生きる
   ・Webサービスとの連携、融合
   ・FLASHその他のインタラクティブメディアへの影響

過去20年近く続いた旧来のゲームデザインの効果が薄れてきているのは確かですから、そろそろ今のユーザーに合った形でのインタラクティブメディアの演出、技法、定石、設計(ゲームデザイン)を本気で構築していかなければいけない、ということ。ただ、その一方で、10年前のライトユーザーブームと同じ失敗をもう一度くり返すほど、ボクらは間抜けではない、と信じたいということ。
変化が急激であればあるほど、ある種の冷静さは必要です。


ゲームデザインって・・・・

「ゲームデザイン」という言葉を使うと、どうも旧来の「ゲームらしいゲーム」に限定した話をしているように思われそうです。そういう意味では名前を改めて、例えば「ゲームデザイン2.0」でも、「ゲーム2.0」でも、「インタラクティブメディア演出技法」でもいいのです。
(そういえば、AOGCの講演資料のスライドを見ると、どなたかの講演で「Web2.0のゲーム版→Game2.0」というような記述がありましたね)

ここでゲームデザインは何かというと、こちらの記事のコメント欄で話題になったように、インタラクティブなメディアを通して”感覚的なゆさぶり”を演出することです。

jun氏:
ゲーム製作については良くわからないのですが、上に書いたような”感覚的なゆさぶり”を演出するのが、”ゲームデザインする”ということなのかなぁと思いました。

DAKINI:
基本的にそう考えていただいて構わないと思います。ゲームというのは、インタラクティブな方法論を使って、
感情的なゆさぶりを演出する、とりわけ「面白い」という気持ちを持続させるメディアです。

その目的とするところは過去も現在も未来も変わりませんが、やはり時代と共に「演出技法」の流行り廃りは起こるわけです。特に最近は、旧来型のゲーム、ゲームらしいゲームの元気がなくなっていますから、新しい「演出技法」に対する注目が集まっています。

しかしそれは「演出技法」の問題です。
そもそもの「目的」が変わるわけではありません。ユーザーに「手ごたえ」を感じてもらわなくていい、というわけではありません。確かにある古い様式、古い型は、通用しなくなりつつありますが、ユーザーにいかにして「手ごたえ」を感じてもらうかを追求してきた積み重ね、ノウハウがすべて無効になるわけでもありません。

Posted by amanoudume at 2006年02月14日 23:54 個別リンク
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コメント

 はじめまして、最近このサイトを見つけ楽しく読ませていただいてます。
 ふと 気になったのですが、ゲームデザインにおいて「感覚的ゆさぶり」と「感情的ゆさぶり」は別もののような気がいたします。
 ゲーム制作の関係者では無いのですが、物語を制作する者として「感情的ゆさぶり」はむしろ、ゲームより、「物語」に対して現れるものと思います。
 「物語」は作り手がキャラと読者の「情」をいかに制御するか?ということにが配慮がなされているからです。
 その「情の制御」をプレイヤーがプレイ(act)することによって発生している事がゲームのすばらしさであり、「感覚的ゆさぶり」そういうことではないでしょうか?

「感覚的ゆさぶり」においては、「緊張と弛緩(ストレスとその解放)」のカタルシスをいかにバランスを取るか?ということが求められている気がします。

つまり「ゲームデザイン」や「物語」では、

 ・どういう形でプレイヤー(読者)にストレスを与えるか?
 ・それをどういった形で、解放させてやるか?

をまずもって コンセプトとして考える事のような気がしますし、
「ゲームデザイン」は

 ・それをゲーム展開の上で どのタイミングに「緊張と解放」を配置するか?

という所のバランスをしっかりと考えることと感じます。

 それらの「緊張と解放」のタイミングを強制、作り手が制御しているのが、映画表現やマンガなどの「物語」であり、そのバランスが物語の面白さを作ります。

 つまり、物語においての「緊張と弛緩」はプレイヤーにとって受身の存在。ゲームにおいては、それが能動的な存在といえるのではないでしょうか…

 本質的に「物語」と「ゲームデザイン」との面白さは別物と思いますし、それを2兎を追ってうまくいったのが「FFシリーズ」であると考えます。

 其の他のメディアと比較すると どうしてもゲームの物語は情が表現できてないと感じてしまいます。
その辺もゲームのつまらなさの一因ではないでしょうか…
(ただし、アドベンチャーやビジュアルノベルは別です。)

長文失礼しました。

なるほど。
この記事においては、あんまり区別していないで書いていました。
「感情的」と書いている箇所と「感覚」と書いている箇所がありますね(汗

この記事の文意では、両方を含んでいると読んでいただければ。
物語的な演出と、ゲームの演出を区別しようというpageさんの
見解は納得のいくものです。

ただゲームにも感覚的な気持ち良さと、感情的な揺さぶり(達成感、等)の
両方があるような気はしますが。

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