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このサイトは、ゲーム開発、およびゲーム周辺の周辺技術や動向について日々考察し、毒舌的に物を書き続けることを通して、「ゲームの未来形」という大テーマに対して、何か考えを深められるといいなあ・・・・・・というサイトです。

2006年02月12日

物語は終わっても、日常は続く

最近読んだ本のうち一部を紹介。

半分の月がのぼる空6

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シリーズ最終巻。基本的には5巻できれいに幕を閉じていて、この巻は後日談に当たります。作者の橋本紡が書いているとおり、物語としては完全に蛇足です。6巻の終わりにしても、5巻のきれいな終わり方に比べれば、平凡なものです。ただ、それでも書くというところに、橋本紡の作家性があるのかな、とも思います。あとがきから抜粋します。

ただ、どの時点だったかは忘れましたが、『半分の月』という物語を綴るうちに、僕はこの巻を書いておきたいと思うようになっていました。裕一と里香が生きる場所は、病院ではありません。病院とは通り過ぎる場所であって、裕一と里香はやがて日常に戻っていきます。たとえ蛇足であろうと、物語としての美しさを壊すことになろうと、その日常という名の舞台で彼らがどう生きていくかを書いておきたかったわけです。
次のシリーズは、「そこら辺にいる平凡な若者の平凡な日々をひたすら平凡に描くつもりです」と予告していますが、この作家、小説を書くたびに、ファンタジーやSFや非日常的な出来事が抜け落ちて、日常に近づいているんですよね。

面白いのは、女の子が宇宙戦艦だったり、最終兵器だったりする作品よりも、ずっと病院に入院している女の子との物語『半分の月がのぼる空』の方がずっと売れていることです。読者が受け入れている、少なくとも一部の読者が受け入れているのは、興味深い現象です。物語が終わっても、キャラクターたちの日常はだらだらと続きます。受け手がそういうものを認める、いやむしろ期待するところまで来ているんでしょうね。

ストーリーの小説の時代ではなく、キャラクターの小説の時代だから、という今さらな認識に至ります。小説というのは、割とストーリーの型とか完結性がきちんとしているメディアです。起承転結のような型も、割合しっかりしています。ノベルゲームの場合は、型が崩れているものも多くて、『To Heart』以降の作品を持ち出すまでもなく、ダラダラした日常を描くのに向いています。ノベルゲームには、ストーリーを重視するか、キャラクターを重視するかという潮流がありますが、とりわけ後者の作品では日常描写が重視されます。また、『Fate』のようなストーリー重視派でも、同人が日常分を補完し、ファンディスクが日常分を補充し、というケースが往々にしてあります。
ボクは何となく、そうしたノベルゲームの日常性がライトノベル(の主に読者)に影響を与えているような気がしています。


火目の巫女

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電撃小説大賞銀賞。和風伝奇もの。物語はオーソドックスですが、文章力が高く、面白い。すげえ鬱展開ですが。いや、「鬱」と書くとよくないですね。主人公は基本的に前向きですし、頑張り屋さんですし。ただ、努力しても報われないし、何の役にも立たないし、無力です。無力感小説というべきか(無気力感小説ではないので!)。

ある種のリアリティーがあって。それが普通のライトノベルとは違うところですね。ライトノベルでは「無能」や「平凡」な主人公がいても、何だかんだ理由をつけて、活躍させたり、役に立たせるじゃないですか。それが物語だし、小説だと信じられているような力場があって。それが帯の橋本紡のコメント、「電撃らしくない作品だと思う。いい意味でも、悪い意味でも、電撃らしくない」につながるんでしょうね。

この終わり方で続きを出すというのがすごいけど、ライトノベルは受賞作品をシリーズ化するのが当たり前になってますからね。電撃hpの作者インタビューによると、4〜5巻ぐらい続けて最後は希望を持たせたいらしい。『火目の巫女』という作品がどうなるかはともかく、これを書き続けた先に、この作家が化けるかもしれないし、ずっとこのままかもしれない。

(2chの創作文芸板のコテハンでもあるらしく、あとがきに隠された「どう見ても〜」とか、2ch系作家っぽさを発揮してます。すでにはてなのキーワードにも。作者の小説サイトはこちら

それにしても巫女といえば、火ですよね。どの作品も鬱っぽい展開や、復讐があるのも定番。まぁ日本において「神を祀る」という行為は、神の怒りや恨み、呪いを回避するための手段ですし、異能は恐れられ、隔離され、崇められるものです。一神教の世界での「信仰」とは根本的に別物ですからね。


お留守バンシー

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電撃小説大賞金賞。ライトノベルブームもピークに到達し、応募総数3022作品という未曾有の応募数に達した第12回電撃小説大賞の頂点を飾った作品。しかし3000というのはちょっと尋常じゃない。1次選考突破だけでも、他の小説賞の応募総数ぐらいはあるんじゃないの?

だじゃれなタイトル名というのは、どうかと思わなくもないですが、ほのぼの系で誰にでも楽しめるタイプの小説。完成度が非常に高いですね。深沢美潮(フォーチュンクエスト)の路線が好きな人なら、間違いなく楽しめるでしょう。巧い。ただ、新人らしくないとも言えます。良くも悪くも、化けるということはない気がします。


野ブタ。をプロデュース

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テレビドラマが話題になってたので、まずは原作本を買ってみたわけですが、確かに面白いんですけど、そこまで人気が出るほどかな? オチが明るくないしなあ。で、公式サイトを見に行ったら、テレビドラマは全然設定違うんですね。なるほど。ドラマって原作小説からの改変度が大きいですよね。いずれDVDで観ようかな。ボクはほとんどテレビを観ない人なんですよねー。

Posted by amanoudume at 2006年02月12日 13:47 個別リンク
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