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このサイトは、ゲーム開発、およびゲーム周辺の周辺技術や動向について日々考察し、毒舌的に物を書き続けることを通して、「ゲームの未来形」という大テーマに対して、何か考えを深められるといいなあ・・・・・・というサイトです。

2006年02月09日

プレイヤーから「手ごたえ」を奪うゲーム

ゲームって要らないよねという流れを後押しするゲーム

去年は、RPGの続編モノの売上が低下した一方、ムービーだけのFFである『アドベントチルドレン』が大成功したことで、「ゲームなんて要らないよ、ムービーだけ見せてよ」というユーザーの本音が表面化しました(参考:ストーリー神話の崩壊を裏づける? アドベントチルドレンの大成功)。

さて、『FF7』派生作品の1つ、『ダージュ・オブ・ケルベロス』の出来があんまりですね。昔からスクウェアはRPG以外のジャンルはダメ、と言われていましたが、いまだにその体質は変わらないようです。出来の悪いアクション、レース、テーブルゲームに美麗なムービーをつけただけのAQUESブランドの失敗を、全然反省できてないんですねえ・・・・。ネットでの評判も最悪の極み。

このゲームは「惜しい」とか、どこを良くしようとか、そういう次元じゃないです。よくフリーゲームで、RPGツクールで作ったアクションゲームってありますよね。あんな感じです。何もかもが少しずつ悪いというか。せめてもの救いは、RPGしか遊んだことが無いような人向けに、簡単なモードが用意されていることでしょう。このゲームは『FF7』派生作品だけあって、女性ユーザーの購入率が高そうですが、そういう人でもクリアはできそうです。

ただなあ・・・・簡単なのはいいけど、こんなのただの作業じゃない。
これ、別にゲームの部分要らないんですよねえ。『アドベントチルドレン』みたいに映像だけでいいんですよ。
このゲームを遊んだ人の何割が「やっぱりゲーム(の部分)って要らないね。邪魔だね」と感じるのかな。他人の商売を批判する気はさらさらないけど、自分で自分のクビを締めてる気がします。そんなに「映像はすごいけど、ゲームは・・・・」というブランドにしたいのかなあ。


根本的に何かを間違えた商品は悲しい

『新鬼武者』、一般人の興味をひくために実在の有名人を使っていた路線から切り替えて、オタク路線に。いったい何があったんですか? 公式サイトの右上の「茶処ほととぎす」が象徴的。会話デモには、キャラの顔イラストも表示されます。『テイルズ』や『ラングリッサー』じゃないんだからさ。萌えキャラも導入。ネットの掲示板を見ても、「茜たんが・・・・茜たんが・・・・」って、おいおい。

まぁ売上を見れば、「ゲームはマニアしかやらない」という浅薄な市場理解をしたプロデューサーの責任は重いですね。初週売上は前作の約半分だったようです。『鬼武者3』で半減、今回でさらに半減。かつてのミリオンソフトが見る影もなし。スクウェアエニックスの『コードエイジ・コマンダーズ』といい、最近こういうの多いですね。勘違い系オタ向け路線。媚びても売れません。

と厳しめにコメントしましたが、今までにくらべて初心者に優しくしようという姿勢がうかがえるのは評価できます。最初から「超易」「易しい」「普通」の3つの難易度がオープンしていたり、チュートリアルで操作をテロップで表示していたり、RPG要素が強化されていたり。


プレイヤーから手応えを奪うゲーム

ここからは内容の話です。
始めのボス(大魔神みたいなやつ)がいるじゃないですか。そいつを倒すと、つまり手を斬りまくって体力ゲージをゼロにすると、経験値が入ってまあレベルアップなんかして、その後デモが走って、その中で主人公が大魔神の顔面近くに飛び上がってとどめを刺すんですね。
問題点がわかります?

ボスを倒した「手応え」が無いんですよ。
肝心のとどめを刺す手応えをデモがプレイヤーから奪ってるんです。これ、始めのボス戦でしょう。ある意味、一番大切なボス戦ですよね。せっかく簡単にしても、それは初心者にもまず楽しさを知ってもらって、ゲームに入り込んでもらおうという意図ですよね。だったら、肝心の手応えの部分は、しっかり味わってもらわないといけませんよね。デモがプレイヤーの出番を奪ってどうするんですか?

カプコンみたいに長年アクションゲームを作ってきた会社が、こういう事を平然とやっている。おそらく作った人たちは問題とも思ってない。鬼武者チームって、バッサリ感とか、ズバババッサリ感とか言っている人たちなのに。ボクが常々、日本のゲームの質が落ちた、と言っているのはこういう事です。


良く出来ているだけのゲームが多すぎる

分業が進んだ悪影響なのかな、とも思いますが、本当に良く出来ているゲームが増えました。それぞれのパートは全力で仕事をしているはずで、クオリティも高いのに、大して面白くない。この「大して面白くない」というのが非常にくせもので、「つまらない」わけではない。

かといって「面白い」わけでもない。ボクは時々ゲームが「良く出来ている」という言い方をするんですが、それって誉めてないんで。要するに、他に何の誉めるべき点も無い、まぁ労力がかかってるのはわかるし、1つ1つのクオリティが高いのも事実だから、「大して面白くない」というのはあんまりだな・・・・と思って、そう書いているんです。

ネットでは「ゲームがつまらなくなった」ってよく言われてますね。そのほとんどは「マニアの意見」「メディアとしての成熟」「飽食の時代」「批評家の枕詞」で流していいと思います。ただ、100パーセントは流せないんで。やっぱり駄目になってる部分はあると思います。様式だけは一見ちゃんとしてるようで、インタラクティブな演出がおろそかなゲームが本当に増えました。グダグダになってます。


インタラクティビティーを軸に考えるのがゲーム開発者のはず

ボス戦に話を戻します。とどめを刺す時には通常攻撃じゃなくて、特別なアクションやカメラワークを使いたいと、制作者が考えることもあるはずです。それはわかります。ただし方法は色々あるわけで。例えば、『God of War』では、ボスに一定量のダメージを与えると、△ボタンや○ボタンのアイコンが大きく表示されて、タイミング良くそのボタンを押していくと、次々と特殊な専用のアクションでボスに攻撃していくんです。ボスの頭に飛び乗って、剣を突き立てるのも可能。派手なアクションもカメラワークも使えるし、プレイヤーから手応えを奪うこともありません。

これは別に『God of War』が発明したものではなくて、『シェンムー』のQTEの子孫でしょう。また、ボクの記憶違いでなければ、『風のタクト』のガノン戦で、ガノンヘの最後のとどめは確か特殊攻撃でした(Aボタンアイコンが光った時にAを押すと出る)。飛びかかったリンクがガノンの眉間に剣を突き立てます。振り返れば、他にも実例はいくつもあるでしょう。
見せ場を作るのがいけないのではなくて、見せ場がプレイヤーから手応えを奪うから問題なんです。そもそも何のための見せ場なのか、ゲーム全体の中での役割は何なのかを考えれば、本来シンプルな話のはずです。

『新鬼武者』を作ったのが欧米のゲーム開発者で、『God of War』を作ったのが日本のゲーム開発者なら、何も悲しむことはないんですがねえ・・・・。欧米で日本のゲームが売れなくなった? 残酷性が足りない、フォトリアルが足りない、バイオレンスが足りない、FPSっぽさが足りない。なるほどねえ。マーケティングの言葉ってわかりやすいですよね。でもその前にやることあるでしょうに。マーケティングは大切ですが、それ以前の問題が表面化してますよ、日本は。

Posted by amanoudume at 2006年02月09日 20:35 個別リンク
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Listed below are links to weblogs that reference 'プレイヤーから「手ごたえ」を奪うゲーム' from 発熱地帯.
カットシーン
Excerpt: 発熱地帯さんで気になるエントリー。未読の方はどうぞ。 発熱地帯: プレイヤーから「手ごたえ」を奪うゲーム コメント欄のDAKINI氏の発言にも...
Weblog: ゲーム脳日記
Tracked: 2006年02月11日 21:48
確かにその通りですな〜
Excerpt: プレイヤーから「手ごたえ」を奪うゲーム まあ確かに、最近まともに自分もゲームやる気にならないですからね〜 >分業が進んだ悪影響なのかな、と...
Weblog: ごった煮
Tracked: 2006年02月12日 19:04
ねぇねぇTvゲームって
Excerpt: ワタシはRPGの類はほとんどやらないタチですが。 (何本かは買ったのだが未だにやっていない、つまり「積みゲー」状態)
Weblog: いかがに・ぱれす
Tracked: 2006年02月13日 22:51
ゲーム
Excerpt: プレイヤーから「手ごたえ」を奪うゲーム 確かに手ごたえが感じられるゲームというのが少ない気がします。 やってみるとつまらなくはないけど面白いって程...
Weblog: 日々主
Tracked: 2006年02月13日 23:50
ゲームてごたえ
Excerpt: てごたえ  昨日だか一昨日だかに書いた。思い出したので、再び。『キングダムハーツ2』は戦闘がイベント化されてたよ。リアクションコマンドって形で。戦闘は基...
Weblog: ヒゲのある生活
Tracked: 2006年02月14日 17:13
ゲームの手ごたえ
Excerpt: 発熱地帯: プレイヤーから「手ごたえ」を奪うゲーム ゲームとは何ぞや。というお話...
Weblog: JE no hitori chat
Tracked: 2006年02月17日 16:36
ゲームについて考える
Excerpt: どうぶつの森の面白さについて書く為の前フリ。 これも昔から書いたりしてきた事の再構築。 ■ゲームとは何か まずゲームとは何かというと、 ゲームというのは...
Weblog: ボボ日
Tracked: 2006年03月19日 02:30

コメント

インタラクティブな演出で記憶の糸を手繰り寄せると、
「ゼルダの伝説」の最後に弓矢に持ち換えてトドメを刺す…かなぁ?

結局、やってることはFCの頃から変わっていなくて、ハードの性能UPに伴ってクリエーターの脳内イメージの押し付けが露骨になっただけ。
それでも「ゲームじゃなくてもいいよね?」と言われるのは幸せだと思います。
ゲームじゃなければ評価される「映像作品」なんですから。
「ゲーム」にもなれず「映像作品」としても評価されない。
見栄えはするけど「それって楽しいの?」というゲームや
「一発芸で消えていく芸人」のようなスカスカなゲームが確かに増えてますね。

そういうゲームって数年経つと記憶に残ってないんですよね。
(数年も要らないかもしれない)

> インタラクティブな演出で記憶の糸を手繰り寄せると、

ボクの記憶でも最初は初代ゼルダのラストが思い浮かびます。
まぁファミコンの頃は割とインタラクティブな演出が大事にされていました。
映像的な表現力が無かったせいで、そうするしかなかったですし。
RPGにしても、ドラクエの影響が強かった時代ですし。

ゼルダといえば、アイテムではボスにダメージを与えられない、
隙を作るのがアイテムで、あくまで剣で打撃を与える、という様式は、
『時オカ』以降だったかな・・・・? それとも『神トラ』以降?
初代には無かった様式なのは覚えてるんですが、ちょっと曖昧。

まぁマニアの間でも、ファンタジーで剣を振って、ダンジョンで謎解きすると、
なぜか大雑把にゼルダ的と言われる事が多いように思うんですが、
「手応え」という点にあれだけ偏執的にこだわってるゲームもなかなか
無いような気がします。

反面、映像的でない部分もあって、そのあたりは『God of War』の
システムの例のように、まだまだ進化させる余地はあるんでしょうね。


「カットシーン」という手法が古いという認識は、海外のほうで広がって
いるのかもしれません。日本もまぁ、気づいてる人はいると思うんですが、
ちょっと遅れているかな。海外では『Half-Life2』の影響が大きいでしょうし。

次世代機になると、ゲーム中でゲームの進行を止めずに、人物や
出来事を進行させていくゲームが増えていくとは思います。
ただ、映像重視派はカットシーンを捨てきれないので、そこで
『God of War』みたいな折衷案を見つけていくのか、あるいはいっそ
『アドベントチルドレン』みたいな方向に進んでいくのか。いずれにしても
中途半端なソフトは生きにくくなるでしょうね。

インタラクティブな演出がやりにくくなった原因に3D化があると思います。
2Dの頃はアニメパターンを増やす事で壊れる様子が描けたのですが、3Dではポリゴンが壊れるようにポリゴンを変形させたりが難しいと思います。それで安直にムービーに頼ったり、演出なしなんて事になって手ごたえがなくなったのかもしれません。XBOXの初期の頃に格闘ゲームで殴られたところが変形するのを売りに作っていたものがあったと思いますが、それも開発失敗したのか良い話を聞きませんでした。

>ふむさん

ご立派な主張があるなら、明らかな偽のアドレスを使わないで主張されたらどうでしょうか? ここは2chレベルの議論をしていただきたい場所ではありません。
掲載不許可とさせていただきます。

>「なんでも」
>「FFは」
>「ドラクエは」

脳内でなにやら議論をしている方のようですね。PS2『God of War』を優れたゲームデザインの例に挙げているように、「昔が良かった」論を主張しているわけではありません。

ちなみにあなたのような方が現れるたびに、ご指摘させていただいていますが、ブログにコメントした場合、IPアドレスが記録に残ります。

自分はポリゴンでの表現が難しいからインタラクティブにしていない。
という考えは違うと思う。
DAKINI氏が言うように2Dの時はそうするしかなかった。
2Dではデザイナーが思い描いた事を表現するには制約が多過ぎたので
インタラクティブにする事でたりない分を補っていた。そしてそれが結果的にゲームとして成立していた。

しかし、3D表現の技術が上がればデザイナーが見せたい事をそのまま表現する事が出来る。その結果、ゲームである必然性がなくなってしまった。

そう、作りたいのはゲームではなくて、ゲームの文法を借りた別のもの。
ただ、手段としてのゲームがあるだけ。
そんなゲームがゲームとして面白いのか?
そんな問い掛けが今必要なのだと思います。

そうですね。
まぁボクが漠然と思っている事は2つありまして。

1つは、ゲームってやっぱりまだ小説とかアニメや映画に比べると、
演出の作法というか基本というか、筋のような物が無い、あるいは
希薄なんだな、ということです。

インタラクティブな演出作法みたいなものが。マニュアル化は好きでは
ないんですが、小説なんかにしても基本はあるわけじゃないですか。
無論、それに沿わない形というのもあっていいんですが、基本が
あって「崩し」があるわけで。最近はただグダグダになっちゃってる
だけのような気が。単純に、そこまで考えてませんでした的なものは、
いい加減なだけですから。

もう1つは、作り手の意志を作品に反映させるための良い手法が
確立されていないまま、規模が大きくなってしまったという事です。
おそらく、ゲームの制作手法の見直しというのが、世界的に、特に
欧米を中心に起こった1つの背景には、そういうものがあります。

これは、ゲームがグダグダ化してる理由の1つでもあります。それは、
ゲームデザインが継承されていないという問題にも絡むんですが、
なぜかというと、昔の人は必ずしも全てを意図していなかったから。

例えば、ゲームに時間制限が入った理由は、アーケードだったので、
途中でプレイをやめて席を立つ客がいても、きちんとタイトル画面に
戻るようにしなければならなかったからです。これが「意図」で、
しかしそれが緊張感とか、そういう物につながったと、後世では
評価されるようになった。しかしそれを全てゲームデザイナーの
意志です、意図です、と言ってしまうと、すごく嘘があるわけです。
ボクはこういうものを「効果」と仮に呼んでます。

で、「効果」というものは、当時の商売の環境、市場環境、性能等で
やっていたことなので、「意図」してなかったため、時代が経つに
つれて忘れられてしまいました。

ですから、ボクはゲームデザインを論じるときには、「意図」と「効果」
の両方を論じないといけないと思っています。

例えば、ドラクエのモンスターは容量が無かったせいで、色違いと
いう物が生まれました。容量があれば、きっと全部別の絵になって
いたでしょう。
けれども、同じ絵で、色がだんだん毒々しくなっていくという事で、
モンスターの強さみたいなもの、生態系っぽいものが感じられたり、
モンスターの名前が印象付けられたり。そういう「効果」があったわけで。

つまり「ルール」とか「ゲーム的な世界観」みたいなものがあった
わけです。それはたぶん堀井雄二氏が、限られた性能の中で
色々な判断・取捨選択をした結果ですし、紛れも無く堀井雄二氏の
「感性」に基づいていたとは思いますが、「明確な意図」かというと、
ちょっと違うと思うんですよね。ただ、確かにそれは「作家性」
ではあるんです。

今のゲームのモンスターに、そうした意味での「ルール」「世界観」が
あるかというと、まあ無いわけです。なんか「世界観」といっても、
それは映像の世界で言うところの「世界観」であって、ナントカ
というイラストレーターが描いた下絵にそって3Dモデルを作りました
みたいな事でしかありません。

私は常々「最近のゲームはつまらなくなった」と思っている人間だったのですが、
>そのほとんどは「マニアの意見」「メディアとしての成熟」「飽食の時代」「批評家の枕詞」で流していい
というのはかなり斬新な考え方でした。
なるほど言われてみれば、多くはないけれども「面白い」といえるゲームは現在も存在しますよね。
主観になりますが、「bio hazard4」「God of War」「九龍妖魔学園紀」などは、十分面白いと言えるゲームだったと思います。

それに思い起こしてみればFC時代だって、今で言う「地雷」のような、どうしようもないソフトは多く出ていました。
昔プレイして面白かったソフトのことばかり記憶していて、それで「昔はよかった」と思ってしまっているのかも知れません。

ただ、私のようなゲームオタクにとっては、ゲーム産業が市場として成熟しゲームと言うものが「メジャー」になってしまったため、所謂ターゲット層が「一般人」向けへとシフトして、ゲーム内容もそれにともなって「一般向け」になりつつあるのが、なんとなく物足りなく感じてしまうのかもしれません。

でもゲームにストーリーを持ち込んだときから日本のゲームはそんなもんじゃなかったか。
テキストあるいはデモシーンでストーリーを語りその間にダンジョンなりアクションシーンでプレイヤーは「作業」してきた。
もちろん普通の製作者はその作業が楽しいように敵の行動パターンを工夫したり謎解きに知恵を絞ったりしてきたけれど。
最近そのウェイトがお話を見せることに傾きがちなのは否定できないところだけれど、GOWをベタ誉めするほどには両者に差があるだろうか。

友達からこの記事のリンクを教えてもらい、今日始めてDAKINIさんのブログを拝見しました。
今TOPに表示されている過去に目を通しただけですのでDAKINIさんが書かれた事と被る事があるかもしれませんが、今回のFF7や鬼武者の件とあわせて自分の考えを読んで頂きたく思います。
あくまでも単なる「典型的な最近のゲームはつまらなくなったと思っている1ゲーマー」なのでヘンなことを言っているのかも知れませんが…

ゲームに対してアクション性を求める人と、ムービーてんこもりを求めている人というのは全く別の層だと思います。
それを無視して一つのゲームで開発者のやりたいことを詰め込んだために「アクションゲームの美味しいところをムービーが横取り。ユーザー指くわえてみているだけ」とか「アクションゲームなんてやったこと無い人がいきなり高難易度のシーンに放り出されて詰まる」というような、ストレスを感じるような場面が出来てしまうのだと思います。
今回のDCFF7では難易度設定があるだけマシだとは思いますが、アクションゲームをプレイしない人でもクリアできるように調節した結果、「少しでもアクションをかじっている人には単調で退屈、アクションをやらない人にはただの障害物」というようなどうしようも無いものが出来てしまったり。

さらにPS2以降で大作扱いされているアクション系ゲームというのは、DAKINIさんが仰るような「ゆるさ」や「おおらかさ」というものを勘違いしていると思います。
アクションゲームにRPGの要素を入れる事で、確かにヘタな人でもキャラクターを強化する事で先に進めてエンディングまでたどりつけるようになりましたが、逆にレベルを上げることを前提に作り、ちょっと上手い人がスムーズに進むと急に敵が強くなって殆どダメージが与えられなくなって来た道を逆行してレベルあげをする必要が出来たり、
ヘタな人は何度もマップを行ったり来たりして同じパターンで現れる敵を何度も倒しつづけつつ進む必要があったり。
自分自身、「ヘタ〜少しかじった程度」の腕前しか持っていないためにゲームによってこのどちらかのパターンにハマります。

面白い文芸作品(ゲーム、映画、小説など)は皆、atmosphereに破綻がないと思う。
作品へ没入するのに妨げとなる要素は全て、atmosphereを破綻させる要素なのだと思う。

ゲームは作品か製品か?

DAKINIさんの文章を読んでなるほどなと思うところがあったので少し書いてみます

>インタラクティブな演出作法みたいなものが。マニュアル化は好きでは
>ないんですが、小説なんかにしても基本はあるわけじゃないですか。

この表現を読んでピンと来る物があったのですが、スクウェアの映画版FFの事です。
この作品は知っての通り大枚をはたいて制作されましたが、結局刺激的な映像を羅列した
だけで、演出とか映画の作法に則って作られなかった為、退屈な出来だった、という評を
見たことがあります。それを読んだとき、ふーんなるほどなぁとそのときは思いましたが
上の表現を見て、あ、丁度同じ事がゲームでも起きて居るんだなと。
同時にゲーム制作現場の一流のスタッフですら、こうした表現技法をきちんと習得してい
ないのでは?という疑念が湧きました。
私はゲームという物は作品と製品の中間に位置する物だと思っています。
たとえば5年前の技術と今の技術で作られたゲームなら、ゲーム性が同一でも技術が進
んでいる方がおもしろい。映像的な「見せ方」もそれなりに工夫がされていることもあり
ますが

製品的な作り方の作法は確立していますが、作品的な作法は確立していない、というより
個々の作り手によるところが大きいんだなと。

例えば小島氏の「メタルギア」が期待されるというのは最低限その作法が確立しているか
らというのはあるのかもしれませんね。
体系づけられた最低限の品質保証をする部分が個々の「作家性」によってしまっていると
いうか・・・。

ただ、シューティングゲームがそうであったように、最低限の作法が確立してしまうと
それ以上は突き詰めようが無くなるジャンルもあるような気がします。
行き着くところはストーリーと演出になってしまうんじゃないかと。

とりとめのない話になってしまいますが、小説は文化ですよね?映画も文化です。
そう言って異論を唱える人は居ないと思います。
じゃあゲームは?残念ながら日本のゲームは文化になってないと思います。
DAKINIさんの言うとおり、最低限の作法という物が作られてないから。
もっと言えば、ハードにもっとも遠い部分(ユーザーにもっとも近い部分)が体系づけら
れた学問化してないから。
(最終的にはDAKINIさんの書いたとおり作家の感性による部分が大きすぎるから。)
学べば才能が無くても一定レベルの「製品」が作れるようになる学問の様な物がもっと
必要なのかもしれません。
そしてその部分は「工業製品」としての部分でやってるから良いんだ、という勘違いが
今のなんだかよく分からないゲームの氾濫につながっているような気がします。

ボクはいずれゲームが「作家」の名前で売れるメディアになる
事を確信していますし、期待していますが、それが近い将来か
どうかは断言できません。というのは、ゲームがまだ「作家性」
「作家の感性」を作品の隅々にまで行き届かせるための方法を
確立していないからです。

シナリオみたいな物はいまだ無いわけです。それが無いから、
開発コストが読みにくかったり、プロジェクトの迷走が起きやす
かったりします。

比較的、作家性を行き届かせられるジャンルって、いまだに
ノベルゲームぐらいでしょう。まぁノベルゲームはシナリオありき
の世界なので、特殊ケースですが。エロゲーのシナリオは
通常、どれぐらいの枚数のCG(人物、差分、背景)を必要と
するか、見積もる材料になります。


>学べば才能が無くても一定レベルの「製品」が作れるようになる
>学問の様な物がもっと必要なのかもしれません。

うーむ。まぁ理想はそうなのかもしれませんが、「映画」や「小説」
にしても、才能が無いと作れませんよね。

ボクが「演出作法」と言っているのは「起承転結」とか、そこらに
転がってる「小説の書き方」1冊程度の事です。そんな程度さえ、
ゲームはいまだ確立してないんです。

どんなメディアでも、最後は「作家の感性」です。ただ、ゲームは
小説あたりに比べると、作家の感性を行き届かせるための段取りが
多すぎるんです。

小説は文字を書けて文章が書ければ、まあ最低限の条件を満たし
ちゃいます。コツというのは当然あるわけですけれども、世間には
世の中の本をちょっと読んだだけで体得しちゃう人がいるわけです。

ある日読書にめざめて、生まれて初めて小説を書いて、文学賞を
受賞するなんて事がある世界ですし。まぁ人間は割と日常的に
言葉を読み書きしてますから、その辺りも勘案しなくてはいけないん
でしょうけど。

んー、まぁ・・・・
どこまでが基本の作法なのか、どこからがノウハウの話なのか、
というのも線引きしにくいんですけどね、ゲームの場合は。
上で書いた「手応え」の話は割と「基本の作法」な感じかな。

あとはプレイヤーに先に結果を教えない、というのも作法ですかね。
プレイヤーが先に教えられてしまった情報をなぞるだけ、にはしない。
テキストもそうですし、ヒントの出し方はわかりやすい実例ですよね。
他にも、演出技法、例えば効果音をどこで入れるか、という点も
含まれるでしょうね。

例えば、ええっと、確か何年か前のファミ通のインタビューで、
宮本茂氏が語っていた事に「爆弾を爆発させた後、正解効果音を
いつ鳴らすか?」という話があったと思うんですが・・・・。

んー、ただ、それはDさんのおっしゃる
>体系づけられた最低限の品質保証をする部分が個々の
>「作家性」によってしまっているというか・・・。
という実例かもしれませんね。

追記:
GDCでの講演の中でも触れられていました
http://watch.impress.co.jp/game%2Fdocs/20040325/zelda.htm
>例えば、壁にボムを置き、ボムの爆発によって先に進める道が
>見つかるというシーンがあったとする。このとき、壁にボムを仕掛け、
>ボムが爆発したタイミングで謎解き正解音を鳴らすと、宮本
>チェックでNGとなる。ボムが爆発し、煙が収まって先の道が見えた
>瞬間に謎解き正解音を鳴らすのが宮本氏の考える正解となる。

>ボムが爆発した段階では、ボムの爆発による煙によってどう
>いった変化が起こったのかプレーヤーはわからない。しかし、
>その段階で謎解き正解音を出すと、なぜ謎解きに正解したのか
>プレーヤーは把握できない。それに対し、ボムが爆発し、煙が収
>まった段階で謎解き正解音を鳴らせば、プレーヤーが変化に
>気づいた段階で謎解きが正解だったことがわかる

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