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このサイトは、ゲーム開発、およびゲーム周辺の周辺技術や動向について日々考察し、毒舌的に物を書き続けることを通して、「ゲームの未来形」という大テーマに対して、何か考えを深められるといいなあ・・・・・・というサイトです。

2004年02月25日

とりとめもなく、「子供のゲーム離れ」について思う

遊びのコスト

相変わらず、鋭い。
切込隊長BLOG「テレビゲーム離れで進む価格帯シフト」>
テレビゲーム離れというのは、テレビゲームに魅力がなくなったという
> 解釈で立っているのだろうが、小学生、中学生のお小遣いに見合った
> 遊び方を提供できないほど高コスト高スペックになっていってしまった
> という進化の代償のようなものを感じてしまう。
単純に面白い/面白くないという議論ではなく、遊びのコストという観点での議論は大切でしょうね。面白い/面白くない論争はどっちかというと、レトロゲー
ム好き(さらにファミコン等のクラシックゲームのエミュ厨)のゲーオタが好む議論のような気がしますね。そんなに昔のゲームがいいというなら、そういう層
にはレトロゲームの移植とリメイクを”あてがって”おけばいいと思いますね。
と、のっけから話がそれましたが、例えば映画館で映画を観たり、映画のDVDを買うという行為が大人にとっては適度な娯楽になり得ても、子供にとっては手
の届きにくい娯楽であるように(夏休みに友だちといっしょに映画館や市民会館に出かけるぐらい)、据置型ゲームもまた手の届きにくい娯楽になりつつある、という傾向は、確かにあるのかもしれません。

「手の届きにくい」というのは、単純な価格ではなく、効果に対する価格ですね。
価格自体はもっと高かった時代もありますが、あの頃は子供同士のコミュニケーション・ツールとしての価値がありましたね。またネットや携帯電話のようなオルタナティブがありませんでした。

コメント欄の13氏の
> いまあるゲームの多くが「ひとりプレイで最大限に楽しめる」設定
> になってるから「交流」というキーワードを思い切り外してるわけで。
という指摘がまさに的を射ていると思います。

(年末商戦をはずして発売されているにもかかわらず)今なお『ポケモン』が圧倒的に強い理由も、子供同士のコミュニケーション・ツールとしての価値を失っていないからでしょう。

語りやすい文脈で語られすぎてきたがゆえに、うもれていた事実

ゲームというメディアが不幸なのは、語りやすい文脈で語られすぎてきたということです。例えば「物語のための装置としてのゲーム」ばかり語られたり、1人用ゲームの作品性
熱心に論じられますが、マルチプレイヤーのゲームは作品性などまったく無いかのごとく、ほとんどの言説空間から無視されています。例えば、ゲーム業界を代
表する著名なクリエイターの大多数が、1人用ゲームの開発者として評価されていますね。
以前、3Dのアクションゲームの売上が全体的に落ちてきている、という点についてコメントしたことがあります。
「3D酔い」とか「欧米人は探索が好きだが、日本人はそうじゃない」とか、「3D空間で遊ぶのは難しすぎる」とか、そういう点がよく理由に挙げられます
が、それは7,8年前の議論から進歩がない、言説空間が貧しいと書きました。単体のゲームだけ見れば、そういう分析が出てくるのでしょうが、日本の子供文化の中でゲームがどういう風に消費されてきたのか
という点もひっくるめて考えるべきでしょうね。
2Dから3Dに移行した時にアクションゲームは、より1人用ゲームとして完成されすぎてしまいました。たとえば、自宅に友達を呼んで、いっしょにゲームで
遊ぶとします。初代「スーマリ」を始めたとしても、別に全然遊べちゃうわけですよ。ところがね、そこで例えば「マリオ64」だとか「ソニックアドベン
チャー」とかね、まあそういう3Dアクションゲームを始めちゃうと、友達なくしちゃいますよねw いや、なくさない例外もあるかもしれないけど。
でもふつう「なに、お前、俺がここにいるのに、一人の世界はいってんだよ!」って思うのが自然でしょう。1機交代、ステージ制、時間制限、……。かつての
アクションゲームは、複数のプレイヤーが交代して遊ぶための息継ぎ点のようなもの
あったんですよ。だから1人用ゲームでも、1人限定じゃなかった。今は1人用ゲームが完全に1人限定になってしまってますね。
昔は、1人用ゲームだって、2人で遊べたんですよ。1機交代のゲームばかりでしたけどね。
まぁ昔はゲーム機にはコントローラが2つついているのが当たり前でしたしね。
それを最初にやめてしまったのは任天堂(N64)だったと思うんですが、そういう意味ではあのゲーム機から、任天堂の凋落が始まったのはさもありなん、と
いえるのかもしれません。
アナログスティックが付く前と付いた後では、ゲーム機のコントローラの値段って、2倍ぐらい違うんですよ。多人数で遊ぶのにかかるコストがかなり変わって
いるんですよね。もっとも3D空間を操作するのにアナログスティックは自然なデバイスですから、それが悪かったというわけではありませんが。
それにしても、2Dから3Dに移行した影響について、表示だけにしか注目できていない人が意外に多いのは、開発者とライターの両面で、貧しい話ですね。
「何がインタラクティブか。笑わせるな」って感じ。表示にしか目線のいかない、ノンインタラクティブな知性と感性しかもってない人が多すぎる。
結論らしいまとめ方もせず、最後にそんな毒舌を吐いて、今日のところは終わっときます。

Posted by amanoudume at 2004年02月25日 14:38 個別リンク
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コメント

ここ数年、子供が学校の休み時間に遊ぶのを想定して
通信対戦前提のゲームも作ってきたのですが、
2chとかでは、「対戦する相手がいないから、1人で
長く遊べるようにしろ」とかの注文も良くつくんです。
そんな全てを要求されても…。
まあ、2chに書き込んでいる時点で子供じゃないんですが。

論点ずれてませんw>子供じゃないんですが
それがすべてでは。
これだけユーザーの年齢層が広がっている以上、誰かが文句をいうのは避けられないでしょうね。
あと、ボクはマルチプレイヤーゲームには1人用のモードは要らないとか、そういうことをいったつもりはまったくないんですが。
例に出した「ポケモン」にしても、1人用の部分はきっちりできているわけですから。成功したマルチプレイヤーゲームは、1人用のモードがちゃんとできてい
るというのも、また過去の実績が教えるところです。
作る方のシンドサはもちろんおっしゃる通りですけどね。
ただ、1人で遊ぶモードをなくせば(つまりCOMをなくせば)、マルチプレイヤーゲームを作るコストはぐっと軽減される、というのは事実ですよね。でもそ
れを商品として売るのは難しいですね。
というのは、ユーザーは、コンピュータが人間のかわりを”ある程度”してくれることを期待してしまうからなんですよ。当然だと思ってるわけですw まぁ辛
いんですけどね。
コンピュータゲームはその原点からして、そうですから。RPGが一番わかりやすいのですが、数人集めなければ遊べなかったテーブルトークRPGを1人で遊
べるようにした、すなわちコンピュータが遊び相手になってくれるという点が、「売り」だったわけです。
そういう意味では、マルチプレイヤーゲームをきちんと作るより、1人”限定”ゲームを作る方が楽な面はあって、そっちに流れてしまったという背景もあるの
でしょうね。
リソース上の諸々の制約、プログラム的な厄介さ、フォローしなければならない特殊条件の増加、……。厄介な点はたくさんあります。
まぁ結局は、売れなきゃ始まらないということではないですか。要求されるだけまだマシということもいえますしね。
それだけ苦労が多い割に、やっぱり不当に評価が低いと思いませんか? マルチプレイヤーゲーム。

あと、単純にマルチプレイヤーゲームが増えることはいいことだと思ってはいますけど、それだけがボクのいいたいことではないんです。
「ちゃんと完成度の高いマルチプレイモード」を1人用ゲームに入れろとまでは、さすがに主張できないですしね。
ただ、ファミコンの頃の「1機交代」「ステージ交代」のように、コストの安いやり方はあるわけで、せめてそれぐらいでもいいから、1人”限定”ゲームか
ら、1人用ゲームぐらいの水準には戻せないのか、ということです。
例えば、SCEJの「ICO」って、2周目以降は、女の子を2Pで動かせるんですよ。かといって画面分割するようなことはなくて、少年から一定以上は離れ
られないし、視点はあくまで少年が主体だったんです。
なーんとなく、元々はデバッグ目的で入れていた「女の子操作モード」を完成直前にオマケとして入れちゃった的な要素なんですよね。
「ICO」の場合は2周目以降のオマケとしてしか使えてないんですが、安い対応でも、やりようはあるだろう、ってことです。
# でも、これを最初から「ICOは2人同時プレイが!!」とか言い出すと、
# 文句がついちゃうんでしょうね。
# うまいネーミングというか設定が必要でしょうね。そういうことも、
# 企画の仕事のはずです。本来は。