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このサイトは、ゲーム開発、およびゲーム周辺の周辺技術や動向について日々考察し、毒舌的に物を書き続けることを通して、「ゲームの未来形」という大テーマに対して、何か考えを深められるといいなあ・・・・・・というサイトです。

2006年07月06日

ゲームデザインの構造的変換を示す「遠心力」というキーワード(後編)

ゲームデザインの構造的変換を示す「遠心力」というキーワード(前編)の続きです。

過度の「求心力」が「拘束力」になり、今カウンターが起きている

ファミコン世代の方々は、おそらくゲームで徹夜したことのある人も多くいらっしゃると思います。ゲームにはそういう「ハマる」魅力がありますし、実際ゲームの作り手はハマるゲームを作るように努力してきました。プレイヤーを熱中させ、テレビ画面の向こう側に吸い込んでいくようなゲームが名作と賞賛され、歴史に残ってきました。そうやってハマった経験をもつユーザーは、ヘビーユーザーになる人も多く、ファミコンブームが去った後もゲームを熱狂的に支持してくれました。その中から、ゲーム開発者になった人もいると思います。いや、まー、ボクもその1人だったりしますが(笑

それは決して間違いではありません。ただ、ある時点から、ゲームはその求心力があまりに強くなり過ぎたのではないか、と思うのです。求心力はいつしか拘束力になりました。強制される長いデモムービー、ムービーとムービーの間をつなぐ作業にも似た長時間プレイ、長ったらしいローディング、無意味なまでに冗長なレベル上げ、・・・・。ゲーム内の表現力が高まるにつれて、徐々にプレイヤーをゲームに縛り付けるような作りになっていったのです。

そのため、ゲームの求心力に引き寄せられた人たちと引き寄せられない人たち(求心力に恐れや嫌悪をおぼえる人たち)の間の距離がどんどん開いていきました。それはゲーム離れという形で市場に現れました。また、暴力ゲームへの批判、ゲームレーティングへの批判、「ゲーム脳」のようなトンデモ理論の広がり、MMORPGの廃人問題などが持ち上がりました。これらの批判は個別に議論すべきですが、大枠としては強くなり過ぎた「ゲームの求心力」に対して社会の側から反発が起こった、と捉えられます。

昨今ライトゲームが大変盛り上がっていますが、ライトゲームの手軽さとはプレイヤーをゲームに拘束する時間が短いことです。やや乱暴にいうなら、「求心力」が弱い。ソリティアを何時間も遊び続ける人もいるので、この言い方は正確ではないかもしれません。より正確にいうと、「拘束力」が弱い。すぐに始めて、すぐに終われるゲームが支持されています。


「遠心力」のゲームデザインがコミュニケーションツールとしてのゲームを復活させている

ここでゲーム開発者の鶴見六百氏の興味深い記事を参照します。
六百デザインの「嘘六百」: 又も綴る「子供にゲームをさせよ論」のコト[後編]

「ひとつは、『長時間遊んでいたコト』。これは問答無用にそうですよね。短時間遊んでいただけでは、それに依存するはずもありません。ただし、その内容を詳しく思い出してみると、『1回に長時間、遊んでいたコト』これがマズかったのではないかと考えます。

「そしてもうひとつあります。『実生活とのリンクの仕方』がマズかったのです。先ほど、快感によって脳味噌の『創造力』が活性化されると申しましたが、じゃあそこで生まれた創造力がどこへ向かうのか…これがゲームの中だけで閉じていたらマズいコトになります。

この記事を読んでボクの頭に浮かんだのは、『脳トレ』が「依存」を抑制する方向のゲームデザインになっていることです。つまり1回に長時間遊ばないような作りになっていて、実生活とリンクしています。

ポップ・コラム:日本人だけに許された脳力鍛錬アイテム 『もっと脳を鍛える大人のDSトレーニング』
脳トレの分析はこのコラムがなかなか的確です。1日に何時間も続けて遊ぶような作りではなく、毎日少しずつ遊んでもらう設計ということがわかります。

  • 脳年齢の測定結果が記録に残るのは1日1回だけ。繰り返しプレイしても練習にはなるが、記録は残らない。
  • ゲームを何時間遊んだかではなく、何日遊んだかで、ゲーム内の要素がオープンされる。毎日遊んでスタンプを溜めると、トレーニングが増える。
  • 普通のゲームは遊び続ければゲームが変化するが、時間を置かないとゲームが変化しない(教授のメッセージその他)
また実生活とのリンクについても、「脳年齢」は他人との話題にしやすく、事実『脳トレ』に代表される脳ブームは口コミで広がっていったわけです。

『脳トレ』のみならず、ゲーム2.0と呼ばれるゲームがどれも、いわゆるWeb2.0と共通した部分をもち、コミュニケーションツールとして機能している点は見逃せません。まぁ考えてみれば、何時間もゲームに没頭し続けていたら、そりゃコミュニケーションする時間は無くなります。そのゲームの中で閉じた評価(レベル、ゴールド、レアアイテム、・・・・)では、いくらスコアを上げても、そのゲームを知らない人とは共通の話題にしにくいです。

しかし本来、ゲームはコミュニケーションツールとしても機能していました。ファミコンブームを思い出してください。子供たちは高橋名人にあこがれ、必死に連射の練習を繰り返しました。ドラクエの攻略はクラスの大きな話題になり、ドラクエを買ってもらえないとクラスで孤立すると泣き喚く子供のため、親が長い行列に並びました。子供たちは攻略法や裏技について情報交換し、雑誌にはそうした情報がぎっしり載っていました。当時は「求心力」と「遠心力」のバランスがうまく取れていたのだと思います。
今のDSブームは、「求心力」に傾きすぎた状態からの揺り戻し、と言えます。かつてのファミコンブームに類似しているのも自然なことです。

今回はここ数年の諸現象を「求心力」と「遠心力」というキーワードで説明してみました。もちろん大雑把な議論であることはボクも承知しています。ただ、1つ1つの現象に目を奪われて、大局を見失ってしまった方々には、このような整理の仕方は有用なのではないか、と思います。

Posted by amanoudume at 2006年07月06日 22:54 個別リンク
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コメント

話がかみ合っていないかもしれませんが最近、TV「ゲームセンターCX」の
DVDが売れて非常に人気があるのも拘束力が弱いのも一つあると思っています。

収録では、何十時間かかっても番組は一時間で終わる。最悪、前編後編で
二時間で必ず終わります。

この時間が読めるのが社会人にとってうれしい(笑)

これを衛星放送だからといって本当にクリアするまで延々と流し始めたら
人気は出なかったと思います。

また挑戦するソフトもFC、SFCというのが画面の情報量が少なく
単純で非常にわかりやすい。

最近の高性能のハードのゲームが悪いとはいいませんが、画面の派手さ、
情報量の多さでやってる本人はともかくはたから見ている人からすると
何をやっているのかわからない事があるからです。

時間が読める、自分が無理してやらなくてもいい、美味しいところが
みれるなどFF7ACと共通するところがあり、これも一つのゲーム
の形だなと思ってDVDを見ながら楽しんでいます(^^ヾ

「求心力に引き寄せられた人たちと引き寄せられない人たち(求心力に恐れや嫌悪をおぼえる人たち)の間の距離がどんどん開いていく」という表現、まさに的確だと思います。

私は「かつての歌謡曲(アイドルやベスト10番組等)の隆盛と崩壊」を連想しました。
登場した当初は家族や友達との話題共有に欠かせない存在で非常に高視聴率だった「ベスト10番組」が、
いつしか特定の層に向けての情報のみに偏る事となり、
(これは芸能プロダクションによる組織票の存在が大きい)
特定の層とは距離を置く人々との溝が徐々に深まり、
遂には「アイドル歌手」という名の商品もろとも市場から消え去ってしまったのです。
これこそ「求心力を強化し過ぎた余りに陥った袋小路」の好例だと思えます。

やはり健全な市場を維持する為には「老若男女問わず楽しめる」という基本に立ち帰らなければなりません、
(勿論「全てのソフトがそうであるべき」というわけではありませんよ)
そのことに「市場崩壊前」によくぞ気付いてくれたものだと、
任天堂には本当に感心しております。

うーむ。
まだ完全に理解した訳ではありませんが、自分なりの消化を試みてみます。

求心力が求められていた時代(というか、遠心力を意識しなくても良かった時代)というのは、コンピュータが性能的・価格的に(それなりに)制約されていた時代のお話であり、その制約が、求心力にある程度のセーブをかけていたということなのかな、と。だから、ゲーム(業界)は、どうしたら自身(に固有の場所、機械、時間、・・・)が、いかにして、客に御足労を願うか、客を独占するかだけを考えていれば良かったということです。まあ、映画的ですね。

そして、遠心力が求められるようになった背景には、当然、コンピュータが性能的・価格的な制約から(かなり)自由になったということがあるのでしょう。ですから、偏在化(ユビキタス)したコンピュータ空間において、自身の情報遺伝子?をどこまで自身のフレームの外部に拡散させることができるか、というのが作品の大きな評価基準の一つになっているということなのだと思います。(例えば、沢山引用されているブログが良いブログであるという判断基準とか)

よって、遠心力が求められる時代には、どこまで身近な存在としてあり続けるか、というか、どこまで周囲の風景として溶け込ませることができるかというのが問題になる、ということでしょうね。まあ、TV的ではありますね。

で、求心力が求められた時代、性能的・価格的な制約から、ゲームはゲームというメディアの特性を最大限に引き出すことが求められた訳ですが、遠心力が求められる時代にも、ゲームがゲームである意味(ゲームで表現する理由)を別の方面から問われている訳ですね。

要は、自分から仕事を見つけ、社会から必要とされる存在にならなければ、ゲーム(と呼ばれているもの)は社会的に窓際社員(伝統工芸化?)になるか、(ゲーム脳などを理由に)リストラされるとか、という話なんだと思います。(身にしみる話です)

そして、ゲーム(という概念)にこだわらないという立ち位置もあると(しかし、なんらかの形式をとらないと、訳の分からないもので終わってしまうおそれが多い)。えーと、なんだか、何を言いたいのかよく分からなくなってきましたが、とりあえず、能動的に動かないとだめなような気がしてきました。

>ほたるいかさん

>やはり健全な市場を維持する為には「老若男女
>問わず楽しめる」という基本に立ち帰らなければな
りません、

これって、もの凄く難しいですよね〜(^-^;
正直、
ドラクエ8でさえこれが可能かどうか・・・。

一時間遊んでくれればわかるって、いいたいです
けど若い人ならともかく果たして中高年の人が
コントローラーを握ってTVの前にまで座るればいい
ですけど多分無理な気がします。

今でこそ任天堂が、DS「脳トレ」やWii
「Wii Sports」
で形を見せてくれますけど、これらがなかったら一体
どんなものなのか全く予想がつかなかったと思います。

DS「脳トレ」で私の周りでも5人以上、今まで絶対に
ゲームに触ろうとしなかった高齢の人達が遊んで
いるのを見たり聞いたりして正直ビビりました。
任天堂恐るべし。

SONYが、PS3で「老若男女問わずしめる」なおかつ
PS3の性能が必要なものを提示出来れば光明が
見えてくるんと思います。

果たしてSONYがそういう発想で考えているのか、
それとも今までの延長線で考えてくるのでしょうか?

パソコンを一気に身近なものにしたWINDOWS95
みたいなものが提示出来ればいいんですけどそれは無理か(^^ヾ

個人的には、PS3にカメラをつけて人間の動きをとり
こんで、自分をゲームの中の主人公にするとか、
ゴルフのスイングをチェックするとかかとにかく人間
の個人のデータ取り込んでなんかするっていうのが
面白いかなと思っています。

それ以外だと、アダルト系ですか・・・(^-^;

 非現実性から現実性に関心を持つようになっている。
 プレイヤー(ここでいうプレイヤーはゲーム、若しくはアニメや小説、ドラマを見て自分がその世界に入り込んだように妄想に耽っている人を指す)がゲーム内世界で起こる事をそのゲーム内で完結させようとすることを拒否し、それを実社会でも何らかの形で反映させたいと願うようになった。
 自分一人の空想のままで終わらせるのではなく、実際に存在するもの…例えば能力の向上や他人との対話。このブログでの意見を借りると、『脳を鍛える大人のDSトレーニング』でいう、漢字の書き取り等を行うことで得られる脳年齢(技能)の向上。『ドラクエ』でいう、皆がやっているであろう『ドラクエ』世界を自分も体験することで得られる他人との知識の共有(コミュニケーション)というようなもの…を求めるようになってきた。
 少し前まではバーチャルネットアイドル(ときめきメモリアルの藤崎詩織のような)が話題になるほど大きな存在であったが、現在、ゲーム等のキャラクターを見て、そのキャラクターのフィギィアに夢中になる人や『メイド』というものに萌え(憧れ)てメイド喫茶に通うような人が出てきたと注目されている。
 そういうのを見ていると、プレイヤーは徐々に現実を求めるようになっているのではないか。空想世界から一歩踏み出し、現実世界に関心の持ち始めてきているのだろう。
 要するに、夢見るだけでなく実際に行動することが美徳だと考えられるようになっているのだと自分なりに纏めて見ました。今後、非現実で体験したもの或いはそこにあったものを現実に実現させようとする試みは続くものと思っています。今は非現実性からの脱却の時代なのかもしれません。
 
 最も、妄想には浸らず、現実をしっかりと見据えている人にとっては、非現実に捉われてしまう人には気味悪さだけを感じてしまうのでしょうから、こんな変化はどうでもいいことなんでしょうけどね。

 初投稿でありますが、長々と失礼しました。

 

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