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このサイトは、ゲーム開発、およびゲーム周辺の周辺技術や動向について日々考察し、毒舌的に物を書き続けることを通して、「ゲームの未来形」という大テーマに対して、何か考えを深められるといいなあ・・・・・・というサイトです。

2006年07月10日

「鮮度」「ライブ感」の時代

テレビ番組的ということ

最近のゲーム市場の大変化について、ボクは色々な表現をしてきました。
いわく、ゲーム業界2.0である。
いわく、DSにおいて電子書籍の市場が急速に広がっている。
いわく、「求心力→遠心力」の時代である。
いわく、「映画→テレビ」に匹敵する歴史的転換期である。

DSやWiiをテレビ番組にたとえる人は少なくないと思いますが、著名なゲーム制作者では小島氏です。
「Wiiはテレビ、PS3は映画」 by 小島秀夫氏

DSやWiiのゲームは今のTVのよう。人気があるからと言ってバラエティ番組ばっかりでいいのか。もっと映画的なものを目指さないと。
DSの『脳トレ』などをツール系と称す人もいますが、面白さと実用性のバランスを考えると、テレビのバラエティ番組に近いと思います。実際、『楽引辞典』のようにツールに近づけば近づくほど、売れていないからです。他の人も同じような認識を持っているらしく、例えばあれれさんもTouch Generations!の成功作と失敗作を比較して、その結論を導き出していました。クソ真面目に、自己研鑽のためだけにDSを買ったり、プレイしている人は少ないでしょう。そういう意味では、どれだけ従来のゲームらしいゲームと異なっていても、娯楽はやはり娯楽なんです。

最近のテレビ番組とライトユーザー向けのゲームは、傾向がよく似ています。わかりやすさ。適度に役に立つ感じ。できて自慢するよりもできなくて恥ずかしい感じ(脳年齢もそうですね)。「ながら」が可能。軽い。ネタ重視。
TV LIFE ソフィーの業界 最近のクイズ番組って、なぜあんなに問題が簡単なの?

テレビを見てる人も含めて、参加するのがクイズ番組だった。家族が食卓を囲みながら、真剣にクイズに答えるなんて図が、日本のどこの家庭にもあったのだ。
 対して、今やテレビに対しての視聴者の温度はかなり下がっている。スポーツでもドラマでもバラエティでもとにかく分かりやすく、が第一。だからスポーツ中継やバラエティの画面はテロップだらけになり、ドラマはベタな話が多くなる。クイズ番組も同じだ。
 難しい問題の答えを知識として蓄えたり、それに正解してカタルシスを得るというクイズ番組のスタイルは、今や、誰でも知ってる常識問題を答えられない芸人やアイドルを笑うというスタイルへと変化してしまった。
またPS2、PSPでは続編が非常に多いわけですが、バラエティ番組に押されて視聴率で苦戦が続いているテレビドラマに似ています。(TV LIFE ソフィーの業界 新鮮なドラマが見たいのに、最近のドラマは続編ばかり…


あらゆる世界で起きている変化なんだという感覚

ボクが思うに、ゲーム業界の人間の悪癖の1つは、ゲームを特別なメディア、ゲーム産業を特殊な産業、ゲーム市場を特異なマーケットだと考えすぎていることです。その結果、世の中の変化とゲーム市場の変化を結びつける発想がとても薄いのです。ゲーム離れにしても、ライトゲームの成功にしても、その他のあらゆる現象をゲームの言葉、ゲーム業界の常識、過去の出来事との比較で理解しようとします。

また、Web、携帯電話、テレビ、本といった他のメディアで起きた現象がゲームでも起こる、という当たり前の感覚を理解できない人もいます。たとえば、去年ボクがWeb2.0とゲームについての記事を書くと、「そんなのはバブルだ。ゲームとは関係ない」とか、「ゲームの専門用語を使え」などと批判する人たちが現れました。

Web2.0という形でWebサービスがより深く人々の生活に浸透して、楽しさを提供している。だから競合するゲームも変わらなければならないし、ユーザーの変化にゲームデザインを適応させたゲーム群「ゲーム2.0」がヒットしている。あらゆる娯楽が人々の時間を奪い合い、生活により深く浸透しようとしている中、ゲームが生き残るための変化を模索しましょう。・・・・と書いただけなのに、「Webの流行を安易に取り入れてうまくいくわけがない」「ゲームの方がWebよりも歴史が長い。学ぶ事がどれだけあるのか」などと批判するわけです。

正直ボクには、どうして彼らがそこまでゲームを聖域化するのか、理解できませんでした。彼らがブログを書かず、ヤフーもグーグルもWikipediaも知らないなら、まだわかります。でも彼らは日常の中で、ブログを書いていたりするわけです。つまり生活とゲームが乖離していて、しかもその事に無自覚なんです。

ゲームで起きていることは他のメディアでも起こりえるし、他の多くの世界で起きていることはゲームでも起こるのです。例えば今、ゲームの世界ではライトゲームが支持されています。けれどもこれは、単にゲームの中だけの話ではありません。同じような傾向が、テレビ番組、本、Webといった他のメディアでも現れています。そうした広い視点で見れば、この現象がどれぐらいのスパン続くものなのか、1年程度で消えるものなのか、それとも5年なのか、あるいは10年続く長期傾向なのか、理解できるはずです。


強度より鮮度

ガガガトーク 第1回 冲方丁 - 神山健治(4)

神山:しかし、これっていうのは、もはや創作する根拠があったから作家になった、ということでもなくなりつつあるってことでしょう。いよいよ意味わからなくなってくるよね? なんかもう、とりあえず世の中に活字を垂れ流さなければならないんで、そのシステムに乗っかる人間をさらってこい、みたいな話になってきますよね。
(略)
神山:ハリウッドだって、すごい映像をつくるための便宜上として脚本があるんだよ? あのすごいインフラを使い続けなければならないから、物語を捻り出してるわけで。だから、どんどん過去の作品を焼き直したりしてるわけででしょう。
(略)
神山:ケータイやブログとかノンフィクション性があるものは、情報の鮮度が高い。これは、刺激が強いから魅力的ですよね。フィクションは、そういうものに勝っていかなきゃいけないんですよ。ちょっとくらいのどこかで見たことある風景だったら見向きもされない。相当強固な“見たことある”でなくちゃいけなくて、さらにやっぱり何度見てもいいなーってものじゃないと勝てない。でも今はそういう強度のある作品が少ないんだと思うよ。
この記事の「鮮度VS強度」という対立軸は、非常に鋭い視点だと思います。これは、「遠心力VS求心力」「テレビVS映画」「バラエティVSドラマ」と言い換えてもいいでしょう。ライトゲームが売れる、ストーリー系ゲームの元気が無い、といったゲーム市場で起きた変化は、Webでも、携帯電話でも、テレビでも、ライトノベルでも起こっているんです。

すなわち今は「強度より鮮度」の時代です。
かつてテレビは映画からユーザーを奪い、コンテンツ産業の中心の座に落ち着きました。そして今テレビを脅かしているのがYouTubeです。鮮度という点でいえば、YouTube>>テレビ>>映画です。より鮮度、ライブ感のあるメディアやフレームワークがユーザーの支持を集めています。このブログの『ハルヒ』関連記事をお読みになってきた方々には同意していただけると思いますが、『涼宮ハルヒ』の大ヒットも「ライブ感」がとても大切なポイントになっています。

ゲーム機はパッケージメディアで、その上リリーススパンが長くなっていたため、鮮度という点で最悪のメディアになっていました。「据置→携帯」のシフトも、携帯ゲーム機のほうが鮮度が優れているのが一因です。次世代据置ゲーム機はすべてオンラインに標準対応します。そこで重要なのは鮮度(ライブ感)です。ようやくゲーム機はライブ感を演出する強力な手段を手にすることができるのです。

Xbox360、PS3、Wiiすべてに同じことが言えますが、現時点では特にWiiの「Wii Connect24」に注目が集まっているようですね。

鮮度、ライブ感という点で、ゲーム機はやっとWebサービスに追いつくことができるのかもしれません。
ゲーム機は今「映画→テレビ」に差し掛かっている段階です。一方、Webの世界はすでに「テレビ→YouTube」の段階。圧倒的に差がついています。しかし3年後には、ゲーム機もまた「テレビ→YouTube」の転換を迎えているのかもしれません。時代の変化に付いていけるなら。

Posted by amanoudume at 2006年07月10日 23:24 個別リンク
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コメント

非常にどうでもいい揚げ足取りですが,揚げ足取りにもなってないかもしれませんが,別の意味をもつWebサービスという専門用語が存在します.むしろそちらの定義の方がおかしいという意見もあるかもしれませんが,念のため.

このコメントは表示して頂かなくても結構です.

う〜ん、YouTube的な方向にシフトするには、まだまだコンテンツが追いついていないかも知れないですね。

YouTubeのそれは、リアルタイムでMADビデオを共有する楽しさなわけですから、
面白い元ネタとそれを加工するツールや職人さんが必須なわけで。

オンラインゲームにおけるユーザーによるゲーム内遊戯が比較的それに近いと思いますが、それが次の流れになるためには、その元であるゲーム自体の懐が深くならないと…
別エントリーの話でいうなら「遠心力」ですね。

「ハルヒ」も元のアニメに力があったからこその広がりですから、まずはゲームそのものが面白くならないと駄目だと思います。

> BAN/ さん

> YouTube的な方向にシフトするには、まだまだコンテンツが追いついていない

そうですね。
まあ、3年後にゲームもYouTube云々は、「どうせ駄目だろうけど」
という感じで書いてます。

あー。
でも「PCゲームにはMODがある。とうの昔にYouTubeなんぞ超えている。」
とか真顔で言う人がいるかも(笑
ま、それぐらい本質を理解できない、痛い人がいるのが今のゲーム業界です。

Web2.0が話題になった時も、「そんなことはゲームはとっくの昔にやっている」
と真顔で言ってる人が湧いてきたからなあ。じゃあなんで、ゲーム企業から
ヤフーやグーグル級の会社が出てきてないの?とか、あれだけの参加者を
獲得できないでいるの?とかは考えないという。流行と馬鹿にする人ほど、
流行の中で浮かんでいるキーワードだけ拾って「本質」をわかった気になりがち。

ボクがあれほど「軽さ」「軽い参加」「軽いクリエイティブ」と書いてるのにねえ。
まぁゲーム業界版Web2.0っていった時に「Second Life」を挙げる人が
割と多いという時点で、ね。本質を見失ってるなあ、と思います。いや、
あれももちろん含まれていいんだけど。そこが一番大事なポイントじゃないん
だけどなあ(苦笑という。

MADアニメ=MODと捉えるのはいいけど、MOD=YouTubeと捉える人には、
どう説明したらいいんだろう、と本気で思います。ま、フェードアウトするのを
待つのが一番かな(笑 死ななきゃ直らない病かもしれないし。

HOTで興味深い記事でした。
今後も更新を楽しみにしております

> ま、フェードアウトするのを待つのが一番かな(笑
> 死ななきゃ直らない病かもしれないし。

ふと頭を「クリエーター2.0」って言葉がよぎりました(笑)

時代が変わる時って、それを受け容れられない人達が声高に叫ぶ時でもあるんですよね。
客観的に見て、そういう声があちこちで上がり始めた時に
「ああ、確実に時代は変わっているんだな」って認識で間違いないんじゃないかと思います。

ゲームという歴史が浅いコンテンツでさえも“老害”は避けられないってことですかね?
(古いものが悪いと言うわけではなく、取り残されている事を認められない事)

2.0ブームで一番新鮮な驚きだったのは、「2.0」という言葉そのもの
でした。つまり以前の物は「1.0」だと切って捨てちゃってるわけで。
すごく若いなあ、と思います。

ゲームも昔はそうだったはずなんですが、いつの間にやら伝統
工芸の世界になっていますね。切り捨てちゃいけない物がいっぱい
になってしまいました。ボクが「2.0」を多用するのは、そういう現状
への皮肉です。

所詮わかりたくない人は理解を拒んで消えていくんだし、だったら
最初から「2.0」(さよなら1.0)と言っていた方が明快でいいよね、
という。

まぁハンゲームなんかを見ても、昔ながらのゲームにアバターと
アイテム課金という新しい仕組みを組み合わせて、今のユーザーを
大量に引き込んでますよね。

ゲーム1.0でも、Web2.0のような仕組みと絡めることで、ゲーム2.0の
ような感覚で娯楽を提供できるわけです。

だから正確には、
  ゲーム2.0 = (新生ゲーム1.0)+純ゲーム2.0
なんでしょうけどね。

だから古い物を完全に切り捨てるわけではないんです。
でも、古い人って、ゴチャゴチャうるさいじゃないですか。
すると、うるさいよ、1.0野郎って、言いたくなりますね(笑

まぁ年齢が問題じゃなくて。例えば、学生なのに、まだ若いのに、
「Web2.0という言葉を使うな。ゲームデザイン学用語を使え」
なんて言い出す人もいますからね。結局は変化に強いか弱いか、
好奇心旺盛かどうか、でしょうね。

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