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このサイトは、ゲーム開発、およびゲーム周辺の周辺技術や動向について日々考察し、毒舌的に物を書き続けることを通して、「ゲームの未来形」という大テーマに対して、何か考えを深められるといいなあ・・・・・・というサイトです。

2006年07月05日

ゲームデザインの構造的変換を示す「遠心力」というキーワード(前編)

発熱地帯:ゲーム業界の構造的変換を示す「遠心力」というキーワード
↑の記事は3年前に書いたもので、実はこのブログを始める前、BBSをやっていた頃に書いた文書です(BBSに投稿したのはたしか2003年の10月頃だったと記憶しています)。それから時間が経ち、ゲーム業界は大きな変化を迎えました。「据置→携帯シフト」や「プロセッサ性能市場主義の崩壊」など、ゲームの受容のされ方、ゲームデザインにまで変化は及んでいます。それをどういう風にとらえるのか、頭を抱えている人も結構いらっしゃるのではないでしょうか。今回の記事は、そういう人たちの頭の整理のために書きました。


「求心力」→「遠心力」

大雑把には「求心力」の時代から、「遠心力」の時代に変わってきたのだと思います。
「求心力」というのは、画面のあちら側、ゲームの内部の表現世界を高めていくことで、ゲームの価値が高まるという考え方です。小さなスプライトから大きなスプライトへ、1枚のBGから多重BGへ、2Dから3Dへ、ローポリゴンからハイポリゴンへ、ただのムービーから映画的なムービーへ。プロセッサ性能が上がれば、新しいゲームが生まれると素朴に信じられ、新しい世代のゲーム機にはより高性能のプロセッサが搭載されてきました。

またゲーム会社はゲーム機、しかもトップシェアのゲーム機に技術と労力をつぎ込むのが正しい戦略でした。ゲーム開発者は厳しい機密保持契約の壁に囲まれ、お互いの情報交換など、あり得ない話でした。ゲーム機は独自規格を採用することが多く、周辺機器はそのゲーム機でしか使えないのが当たり前。セーブデータをPCに持っていくことなど、ほぼ不可能でした。

しかし今や、そのほとんどが逆転しています。
プロセッサ性能至上主義は崩壊し、これまで性能にこだわってきたクリエイターが次々と別の路線への転換を口にしています。たとえば、性能至上主義の権化ともいえる、あの鈴木裕氏でさえ、技術はもう十分と語っています。DSは画面のこちら側、インターフェースの革命によって、ユーザーに新鮮な楽しさをもたらしました。その成功は誰の目にも明らかです。実際、去年の年末に500万台達成したばかりなのに、すでに900万台を突破しています。

ソフトメーカーはマルチプラットフォームが当たり前になり、ゲーム機に限らず、PCと携帯電話にも積極的にマルチ展開するようになりました。ゲーム開発者の技術交流、情報共有はまだまだ課題は多いものの、ここ数年で一歩も二歩も前進しています。PSP、Wii、PS3は、メモステやSDカード、USBなどの標準的な規格を採用しているので、セーブデータをPCに持っていったり、ゲーム機以外の周辺機器を接続しやすくなっています。


ゲームデザインにおける「遠心力」

ゲームデザインのトレンドも大きく変わりました。関連する記事を5つ挙げておきます。

個々の議論については、それぞれの記事をお読みいただくのが一番だと思います。特徴的なのは「外部化」です。ゲームの中の機能・要素をゲームの外に持っていくことで、1つ1つのソフトウェアの規模が軽くなると同時に、コミュニケーションツールとしての機能が高まっています。

1.評価の外部化
プレイヤーのプレイを評価し、ごほうびを与える部分のコストが上がりすぎました。ストーリーと付随するムービー、アイテムやステージや隠しキャラなどのやりこみ要素。ある時点において、こうしたボリューム感は市場で成功するために必要でした。しかし今や、ボリューム感は疲れたゲーマー、時間の無いゲーマーにとって、マイナスに働くことさえあります。

その一方、評価を外部化することで、ゲーム内の評価を簡略化したソフトが成功をおさめています。例えば、『DSトレーニング』の脳年齢は、ゲーム内の仕組みとしては昔ながらのただのスコア制です。ただし川島教授によって、脳年齢という数値に「ただの数値じゃないよ」という保証が与えられています。そこの部分が外部化されているから、ゲーム内は極めてシンプルなのですね。今時ゲームを練習して、ハイスコアを取ることに夢中になる人はほとんどいません。しかし脳年齢なら、毎日プレイします。

2.プレイデータの外部化
1個のゲームのセーブデータを複数のソフトで共有しようという流れです。『ポケモン』のデータを『ポケモンスタジアム』に持っていくと3Dの迫力ある戦闘が楽しめたり、『ポケモンダッシュ』に持っていくとマップが増えたり。また古くはファミコンの『ウィザードリィ』で、ターボファイルを使ってセーブデータを引き継げました。1つのセーブデータとそのデータを利用する複数のユーティリティアプリという構造は、1個の巨大なソフトウェアを作るよりも開発のリスクが小さく、より短期間に小回りの利く対応が可能でしょう。

自分のアバターを使って複数のゲームを遊ぶことができるスタイリアのようなオンラインサービスはその発展形といえます。オンラインゲームの主流がMMORPGから「アバター+アイテム課金」型に移行しているのも、興味深い傾向です。1個のデータと小さな多数のソフトウェア。これはWeb2.0にも通じる発想です。

3.ストーリーの外部化
ゲーム内で濃厚なストーリーを語らず、ゲームの外のメディアでストーリーを補完するという流れです。ゲームは世界そのもの、場を表現するのに適したメディアのため、世界観の共有とコミュニケーションの機能を重視し、物語はゲーム以外のメディアに任せます。こうすることで、ゲーム性とストーリーの衝突を回避することもできます。(参考:瞬発力と持続力(2) ゲームの「持続力」

実際、『FF11』や『ラグナロクオンライン』のような大人気MMORPGでは、ゲーム内のストーリーは薄く、プレイヤー同士が共有する世界観が大切。そしてアンソロジーがストーリーの補完の役目を果たしています。『ポケモン』もRPGでありながらシナリオは重要ではなく、アニメによって世界観やストーリーの補完を行っています。『どうぶつの森』もゲーム内部のストーリー性は薄いものの、年末に劇場アニメが公開されます。


前編では、ここ数年のゲーム産業の環境変化、そしてゲームデザインのトレンドの変化を、「求心力から遠心力への変化」としてまとめてみました。後編では、何故このような変化が起きてきたのかについて書いてみたいと思います。

Posted by amanoudume at 2006年07月05日 20:40 個別リンク
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コメント

「内部化(内製)」と「外部化(開放)」ですか。

今までの議論から総括しているのだと思いますが、分かり易い、面白い着眼ですね。

この投稿を読んで最初に思いついたキーワードがフランスの哲学者ドゥールズとガダリが使った「リゾーム」という言葉でした。

ああ、なんか東浩紀さんみたいだ。。。「学者の遊び」になりそうだから、やめとこやめとこ。

いまは全てを最初からクリエーターが一元的に定義・管理しようとしない、できない、ゆるい時代なのかも知れません。LinuxやXMLなどの技術世界を見ても同じように感じます。

言葉遊びになってしまうかもしれませんが、
言い換えてみると「やさしさ」から「寛容さ」へのシフトですね。

誰でもクリア出来るように難易度を下げたり、おまけを増やすデザインではなく、
ユーザーの思うがままをゲーム内外で受け止めるデザイン。

遊ばされるよりも能動的に遊ぶ方が思い入れも深くなりますしね。

本当に分かりやすく、面白く読ませていただきました。

インフラの整備も進んだこともあり、
ゲーム本体とソフトのみで完結していた小宇宙(従来型のゲーム)が、
枠を突き破って大きく拡がりつつあるのが現在の状況でしょう。
中には虚空に放り出されて途方にくれているクリエイターさんもちらほら見受けられます。

いままでの枠の範囲内での進化はクリエイターのみならずプレイヤーをも付いていけない状況を生み出しつつありましたので、
こういう「進化」ではない「変化」が起こるのはある意味必然だったのでしょうね。

この現状を3年前に既に予見されていたというのは驚きです。

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