国内で300万本売れた『どうぶつの森』が劇場アニメ化されるそうです。『どうぶつの森』は世界観やゲームの雰囲気が非常にしっかりしていますが、ストーリーらしいストーリーはありません。大抵の場合、ストーリーやキャラクター性の高いゲームのほうが他メディア展開されやすいのですが、なかなか珍しい例ですね。
同じような例は、約10年前の『ポケモン』にさかのぼります。ジャンルはRPGですが、シナリオで楽しませるゲームではなく、ポケモンの収集と交換、対戦というコミュニケーションの部分を楽しむゲームです。
1.世界観や作品の雰囲気が非常にしっかり作られていて、多くのユーザーに共有されている。
2.「わたしの」「ぼくの」キャラクターがいる。
3.コミュニケーションの部分にゲームデザインの比重が置かれている。
ユーザー同士のコミュニケーションツールとして機能している。
4.ゲーム内に特別なキャラクターはいない(または少数)。
5.シナリオは無いか、非常に薄い。
6.数百万人という膨大なユーザーに支持されている。
『ポケモン』のアニメが成功した1つの要因は、アニメがゲームで表現しきれない部分を補完する役割を果たしたことです。また、シナリオやキャラ設定は無いかわりに、多くのユーザーが抱いているポケモン世界へのイメージをうまく捉えました。
また他の例を挙げると、MMORPGも明確なシナリオが無く、まず世界があって、多くのユーザーが体験を共有するコミュニケーション型のゲームです。『FF11』や『ラグナロクオンライン』などは、多数のアンソロジーが発表されていて、熱心なファンの支持があるようです。
ゲームのアニメ化は実の所、あまり成功例がありません。ストーリー性の強いゲームをアニメ化しても、ゲームもまた映像表現の強いメディアのため、補完効果を発揮せず、むしろファンがその出来に失望するケースがかなり多いです。(ノベルゲームは比較的マシなのですが、それはノベルゲームが小説に極めて近いことや、オタク向けに特化しているためでしょう。しかしやはりファン泣かせのアニメ化が後を絶ちませんが)
逆に、ストーリー性の薄い「体験共有型のコミュニケーション型ゲーム」を1次メディアとして、他のメディアへ展開した方が良い補完関係を築きやすい、といえそうです。
しかし現状では、「ストーリー性の強いゲーム」を1次メディアとして、他のメディアへ展開しようと考えるケースがまだまだ多いと思います。例えば、オンラインゲームでは国内有数のスクウェアエニックスも、ストーリー性の強いゲームを主軸にコンテンツ戦略を進めています。
ポリモーフィックコンテンツとして展開された『コードエイジコマンダーズ』、コンピレーション・オブ・FF7として展開された『FF7 アドベントチルドレン』と『FF7 ダージュ・オブ・ケルベロス』、そして3本発表された『FF13』。いずれも複数のゲームをつなぐ展開で、世界観を生み出すプリプロダクションのコストを低減する効果はありますが、ゲーム以外のメディアに幅広く拡大していく感じはありません。
MMORPGにも問題があります。1つはユーザーの時間を大量に奪うことで、そのためにメディアミックスにつき合う時間を制限してしまいます。もう1つは『World of Warcraft』という例外を除けば、MMORPGは会員数が限定されていて、母集団が小さいためになかなか大きなマスパワーにつながらないことです。
すると、単純に言ってしまえば、「軽」〜「中」ぐらいの遊びの規模で敷居を下げて、できる限り幅広いユーザーを取り込み、1から10までをゲーム内で表現するのではなく、プレイヤーの想像力とコミュニケーションにまかせたゲームの方が、コミックやアニメのような他のメディアによる補完効果が大きく、成功しやすいのでしょう。
ここ最近、ストーリー性の強いゲーム、特にRPGの売上が落ち込んできています。ゲームの遊びの部分とデモムービーの相性が悪く、デモムービーの続きを見るためだけに数十時間のプレイを強制されるゲームは次第に敬遠されるようになっています。デモムービーだけで出来ている『アドベントチルドレン』が100万本を越えていることも、今の時代をよく表しています。
・ストーリー神話の崩壊とゲーム業界の「ストーリー病」
・ストーリー神話の崩壊を裏づける? アドベントチルドレンの大成功
今後、ゲームとストーリーの関係はどうなっていくのでしょうか。ボクは主に3つの流れがあると予想しています。
1.従来のストーリ性の強いゲーム
より映画チックになり、開発費が高騰するため、制作できるのは少数のスタジオだけでしょう。ゲームプレイとデモムービーの相性の悪さをどう解決するか、というゲームデザイン上の問題もあります。
またゲーム自体の映像表現が高度なため、他メディア展開した時の補完効果は薄いです。資金力のない会社はアニメやコミック、小説などの版権タイトルを元にゲームを制作するでしょう。1次メディアとしてのゲームの地位がますます地盤沈下を起こす路線です。
2.ストーリー性が薄く、世界観や雰囲気がしっかりしていて、コミュニケーション主体のゲーム
実例は、MMORPGのアンソロジー、『ポケモン』のアニメ化など。ゲームで表現しない部分を他のメディアで語る、という良い補完関係にあります。ゲーム内でストーリーをほとんど語らないので、ゲームプレイとストーリーの衝突を起こさなくてすみます。
ゲーム1.0は「ゲームへの求心力」という考え方に基づいていました。さまざまな要素をゲーム内で表現/評価しようとします。一方、ゲーム2.0は「ゲームからの遠心力」という考え方に基づいています。表現や評価をゲームの外部に持っていくことで、コミュニケーションツールとしての手軽さと機能を高めようとします。ストーリーを外部化するのはきわめて2.0的です。
3.インタラクティブな映像表現と草の根映像
ノベルゲーム、FLASHアニメ、MADアニメ、YouTube、電子書籍といった一群。
作家性が強い作品を少数の人間が生み出して流通させていく路線。基本的にPCや携帯電話で発展してきた文化で、草の根パワーが参加できない家庭用ゲーム機では全然発展していません。メディアを越境する個人クリエイターは今後増えていくと思います。個人のクリエイティブの世界では、この線からこっちはゲーム、そっちはアニメ、というような線引きは曖昧で、あまり意味を持たないでしょう。
メディアを越えた影響の実例を1つ。
元々「小説→ゲーム」という形で始まったノベルゲームが、2000年の『月姫』以降、「ゲーム→小説」という逆の流れで影響を与えるようになりました。例えば、その結果、「現代学園異能」というジャンルが誕生しつつあるわけですが、それについては限界小説書評第17回あるいははてなの「学園異能」の解説が詳しいです。
基本的には伝奇をはじめとする少年ジャンプ的な物語(バトルもの)を、どのように美少女ゲームという終わらない学園という舞台(萌え)に組み込むかという点から必然的に導き出された形であり、そのエポックメイカーがTYPE-MOONなのだ。たとえば佐藤心は『月姫』が伝奇的なストーリーを展開しながらも、美少女ゲームに特徴的な「日付カレンダーシステム」を採用しているところに注目している。日付カレンダーシステムを採用されたために、同じ一日の繰り返しが物語形式の基本となり、幼馴染が寝坊がちな主人公を起こしにくる朝→通学路→学校での授業→放課後の個別イベントという『To Heart』的美少女ゲーム形式と、街で起こる吸血鬼事件を描く伝奇的物語がスムーズに融合したというわけだ。Posted by amanoudume at 2006年05月24日 00:20 個別リンク
コメント
私の場合は、昔読んだ『UO』の4コマ漫画を思い出しました。
あれは確かに、他人のキャラクターの話でも読んでいて面白かったと思います。
自分の体験で似たような体験していたりしていなかったりする訳ですが、知らないエピソードがあるのは当たり前(他人の話だから)、でもそういうことってよくあるよね、と他人のキャラクターとしてある程度距離感がある方が共感を得やすいというか。(で、知らないエピソードがあると、自分のキャラクターでやってみようと思ったり)
正直、ほとんど読んだことが分からないのでよく分かりませんが、『FF11』や『RO』のアンソロジーでも、アンソロジーという形式上、大きな物語を展開するというよりも、エピソード集のような感じだと思います。(違っていたらすみません) 多分、どうぶつの森の映画も、大きな物語を展開するというよりも、エピソード集的つくりになりそうではありますね。
というか、DAKINIさんが以前おっしゃった通り、ハルヒなどを見ていて思うに、成功するかどうかを決めるのは、(展開先のメディアである)映画としての出来不出来の差が、商品展開などの理屈付け以前の前提条件ではないかということです。例えば、脳トレというゲームが流行っている中で、ゲームはやらないが、本ならば買う層など存在する訳で、他のメディアでもちゃんと作品世界の話題に参加できる、きちんと雰囲気を味わえるということが重要ではないかと思います。
確かに、一次メディアのファンをいかに満足させるかというのはあると思うのですが、映画マニアなどのメディア固有のファン/購買層を取り込めるかが、本物(?)かどうかの違いのような気がします。アニメファンを取り込めないアニメはやはり失敗だと思います。まあ、別のメディアで作りやすい作品であればあるほど、その前提条件をクリアしやすくなるとは思いますが。
> ゲームのアニメ化は実の所、あまり成功例がありません。
アニメのゲーム化もまだ完全には方法論が確立していないような感じはしますね・・・。
(あえて言うならば、スパロボ形式くらい?)
投稿者: bin3336 | 2006年05月25日 23:02
究極的には、1次メディアがどれだけ2次メディアを作りやすくとも、
実際の2次メディアの品質が低ければ、成功は難しいでしょうね。
ただ2次メディアの品質が良くても、それだけで成功しないのも確かです。
おそらく
・2次メディアの品質が「低くない」
・1次メディア→2次メディアの際に、話題を共有しやすい、
話題を発信するユーザーが多い。
という2点が重要なのかな、と。
「高い」ではなく、「低くない」というのがボクの認識です。もちろん
高いに越した事はありません。おっしゃるとおり、ハルヒのケースは
それを実証しています。ただポケモンのアニメなどを見るに、
「低くない」で十分なのかな、と。
*ポケモンに関して付け加えると、以下の2点もポイントですね。
・母親と子供がいっしょに楽しめる
(平成ライダーの成功でも指摘されてますが)
・ストーリーが楽しめない子供でも楽しめる
(例えば、人間同士が話している時に、足元で
じゃれあうポケモンを映している。スケール感も
わかるし、子供も喜ぶ)
**「xxxxxが楽しめない子供でも楽しめる」
同じ事はじつはゲームでも言えて、例えば任天堂のゲームは
動かしているだけで楽しい部分が丁寧に作られていて、ゲームを
クリアできないような年齢の子供が遊んでも、キャッキャッと
動かしていたり。昔のファミ通DVDで、「5歳の子供にピクミンを
遊ばせる」という特集があって、なかなか興味深い映像でした。
子供向けゲームを作っている会社でも、対象年齢より低い子供が
遊んだときに楽しめるゲームを作れている所は意外と少ないですね。
投稿者: DAKINI | 2006年05月25日 23:16
>1.従来のストーリ性の強いゲーム
>ゲームプレイとデモムービーの相性の悪さをどう解決するか
お手本となるプレイ動画がゲームと同時期に販売なんて事が起こるかもしれません。
FF13なんかはプレイ動画を集めてDVDPGとして「PS2でも遊べる!」として同時販売しても結構売れるかもしれません。
投稿者: 44A | 2006年05月27日 16:51
そういえばいつの時代から「アクションゲームにさえストーリー(ムービー)が必要」になったんですかね?
久々に出たスーパーマリオやりながらふと思いました。
今のアクションゲームからイベントシーンを抜いたらもっと安価に開発できる気がしますけど・・・
投稿者: こもの | 2006年05月28日 00:03
>44Aさん
> FF13なんかはプレイ動画を集めて
> DVDPGとして「PS2でも遊べる!」として同時販売しても
FF13は「FinalFantasy AdventAdult」がBlueRay,DVD,UMDで発売
予定ですよ(嘘
まぁPS3の普及速度によっては、PS2でも楽しめるバージョンを出す
可能性はゼロではありませんね、実際。
先日の決算発表での和田社長の発言は、「FF10-2という続編は
FFブランドを下げたという点で失敗だった。出すなら、同じ世界観を
使った異なるジャンルで出して、ファンを維持・拡大したい」という
趣旨だと思いますが、FF7DCは失敗だったという反省は無いの
かなあ・・・・。
ていうか、RPG以外ほとんど評価されてない、出来が酷い、という
現状は反省しないとねえ。ムービー付ければ、売れた時代じゃ
ないですし。
PS1のCGムービーブームというのは、結局、CG表現を多用した
映像が映画とゲームぐらいで、それが珍しかったことが1つ。そして
当時は実質的には、CDサイズのディスクというスマートなメディアで
映像を見られたのはゲームだけだったんですよね。CD-Vは普及
してませんでしたし。ディスクで映像が見られるという事自体が
スマートだったわけで。
そしてDVDが当たり前になると、映画もアニメもドラマもディスクで
見られるようになり、ゲームのCGムービーブームは(一般消費者
の側では)終焉していたのでした。業界人は気づかずに、数年間、
そこに無駄な労力を注いでいましたが。
>こものさん
そうですね。特に3Dアクションになると、どれもデモムービーの
誘惑に耐えられませんよね。どうもみんな、インタラクティブな漫画
映画を作りたいらしい。
任天堂でさえGCのマリオ、ゼルダはそっちに引っぱられた感が
ありますし。まー、その結果、自爆したんで、GC時代の任天堂は
まさに自業自得ですが。
あの失敗があってようやくふっ切る事ができたのかな?とは思い
ますね。他社はそこまで盛大な失敗が出来て・・・・んー、いや、
結構失敗してますね。まぁ失敗から学べる場合と学べない場合が
あるんでしょうね。
投稿者: DAKINI | 2006年05月28日 02:05