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このサイトは、ゲーム開発、およびゲーム周辺の周辺技術や動向について日々考察し、毒舌的に物を書き続けることを通して、「ゲームの未来形」という大テーマに対して、何か考えを深められるといいなあ・・・・・・というサイトです。

2006年01月09日

ストーリー神話の崩壊とゲーム業界の「ストーリー病」

ノベルゲーム以外にストーリーなんて要らんよな、と極論

年末年始で結局、ゲーム機ゲームを1本も買わなかったわけですが、「やる気が起きねーなら起きるまでいいや」って悟りの境地に・・・・。
あ、忘れてた! 『DOA4』は買いましたよ、そういえば。1時間も遊んでないけど。このシリーズ、出すたびにゲームの出来が微妙になっていくのはどうなんでしょうね。まあいいです、360は『Geometry Wars』専用機ですから、ええ。

『龍が如く』も評判はいいんですけど、なんか面倒くさいから、馳星周が小説版書いてくれませんかね? 『ワンダと巨像』も結局買ってないし。困ったな。『ワンダ』はデモで物語るゲームでないのは好感がもてますが、巨像と戦うのが面倒くさそうで。最近のストーリー(世界観作りこみ)系ゲームには、じつはあんまり期待してないんですよ。映像やインタラクティブが面倒くさいだけだし。

いよいよ予約が開始された『FF12』は別格としても。まあ『ドラクエ』と『FF』はガキの頃から洗脳されてるわけですし、今さら逃げられないって感じですかね。
『ドラクエ』と『FF』を除けば、ストーリー系はもうノベルゲームだけでいいや、って気がしていて。大して面白くもない映像を見るのって、うっとうしいだけですからね。あとインタラクティブ要らんよ。『FF7 アドベントチルドレン』はその点は素晴らしかった。1時間半しか時間を浪費しなかったし。まーシナリオの出来はアレげでしたが。でもほとんどのゲームがあのレベル以下でしょ、実際。ストーリー系ゲームはダイジェスト版ディスクをつけてくれないかな。


ノベルゲームだけは「泣ける」という人が多い

ノベルゲームだけは「泣ける」という人が多いのはなぜか? についてはABさんが以前、水口哲也氏の講演をベースに考察しておられます。
A.B.: 『ひぐらし』記事その後

『感情のストック&リリース
「何故ゲームで人は泣かないのか?」―それは映画などは感情がどんどんストックしてあるとき規定量を超えてしまうので「泣いてしまう」が、一方ゲームの場合感情のストックがたまった後に、アクションを起こすことでそれをリリースする。従って、人はゲームでは泣かない。受動のメディアと能動のメディアの大きな違いはそれである』

 個人的に、なぜノベルゲーム(というよりビジュアルノベル)に限って「泣いた」というプレイヤーが大量にいるのかずっと疑問だったのだが、これを読んで氷解したような気がする。

 『ひぐらし』は推理ゲームシステムを現実世界側に預け、作品は受動メディアに徹することで感情を大きく揺さぶる事に成功している。それはただの読み物として扱われるという危険と背中合わせではあるものの、読み物として楽しんでも別に問題はない

また、より面白いストーリーを追求すればするほど、ゲーム性が邪魔になっていくという問題点も指摘の多いところで、別の記事で触れています。
シナリオ成果方式とシューティングゲームに関する妄想
結局のところ、ストーリーはゲームを構成する重要な要素ではあっても、その本質にはなり得ない。人間は楽な方に流れる動物だ。よりストレス無くストーリーを消費するため、やがてノベルゲームよりはノベルが、フリーシナリオよりはただのシナリオが求められるようになる。やがてこれらの欲求は小説なり映画なりで代替されるようになり、ゲームを求める者はよりプリミティブなゲームへと回帰していくのだろう。最近のカジュアルゲームの台頭にはこういった背景があるのではないかと思うし、任天堂「レボリューション」の仕様はこの流れを読み切っているとも感じられる。
実際、年末年始で遊んだ『ひぐらしのなく頃に 皆殺し編』の感動量に比肩するゲームなんて、今のゲーム機ゲームには1本も無いんですよ。推理ゲームとしては完全に糞ゲーというか、むしろバカゲーであることを露呈しましたが、そんな欠点をぶっちぎるぐらい面白い。こんなに面白いものが世の中にある一方で、どうして最近のゲーム機ゲームは何億円も何十億円もかけて、大して面白くもないストーリーにプレイヤーを縛りつけるのか。理不尽の一語。


「ストーリー=必要」神話の崩壊

家ゲーRPG板は、今時のマニア層の1つの実態を掴むのに良い場所ですが、ストーリーを教えてもらうスレッド まとめサイトなんてものが出来ているのが現状です。

自分でやるのが面倒だけどストーリーが知りたい、というゲームのストーリーを教えてもらうスレです。
本にしても、数年前の要約本ブームなんてものもありました。それと身近な例を持ち出しますが、会社の同僚が最近アニメを倍速再生で観ていて、「時間が短縮できた〜!」って喜んでいたりするわけです。

本当にそこまで時間が無いのか?とツッコミたいわけですが、「時間が無い」以上にガマンしなくなったというのが実情なんじゃないかと思います。ボクもノベルゲームを遊ぶときに、いちいち文章を読んでられないから早送りしまくってますから。早送りせずに遊んだのって、『ひぐらし』ぐらいですね。

そういう気分をこめて、あえて極論すれば、「ノベルゲーム以外にストーリーなんて要りません」。なんで極論するかっつーと、多くのゲーム開発者がいまだに「ストーリー病」にとらわれているからですよ。モチベーションの維持に有用とか、理屈はあるんですが。小理屈は。しかしね、この20年ほどの間に積み上げてきたもので、あって当たり前のものになっただから無いと不安になるというのが実態でしょう。ユーザーはもう要らないと思っている(または、特に欲しがってない)のに、開発者が必要だと必死に思い込んでいるもの。2005年はそれが何か露呈した年でしたよね。


音声認識ゲームにおける例

例えば『nintendogs』は、従来の音声認識ゲームから1段進化したゲームだと思うんですが、それは脱アドベンチャーゲーム化したこと。『ピカチュウげんきでちゅう』や『シーマン』といった音声認識ゲームの古典は、ゲームの中のキャラクターと会話できるという夢を具現化する一方で、技術的な限界にともなうゲームデザインの苦しさも顕在化させました。本来なら自由度の高いはずのコミュニケーションが、「話しかけて気づいてもらおう」「ボールを取ってきてもらおう」「岩をどかしてもらおう」といったタスクを1つ1つこなしていくアドベンチャーゲームになってしまいました。

それでも最初期は、マイクでテレビの中のキャラクターと会話する行為自体が新鮮だったので、『ピカチュウげんきでちゅう』も『シーマン』も50万本以上売れたわけです。ところが後続のゲームも、問題意識皆無のまま、アドベンチャーゲームちっくな構造を踏襲したため、音声認識ゲームは新鮮さを失うと共に、売上を落としていきました。

ロボットの女の子といっしょに生活するXBOX『NUDE』も、1つ1つタスクを提示されてこなしていく構造でした。また、PS2『オペレーターズサイド』やPS2『デカボイス』に至っては、ますますアドベンチャーゲーム化が進み、プレイヤーにとって面倒くさい音声認識部分がストーリーを楽しむ邪魔にさえなっていました。

『nintendogs』は犬という題材の良さや、タッチパネルというもう1つのコミュニケーション手段に助けられたのも大きいのですが、音声認識ゲームからストーリー的な部分を大胆に削っています。下手な会社が作ると、犬が家にやってくるまでのオープニングストーリーを作っちゃったりするわけですよ。それが正しいと信じて。

本来遊びの中心はゲーム内のキャラクターとのコミュニケーションなんだから、それ以外の部分は要らないんです。ただ、それだけではちゃんと遊んでもらえないんじゃないか、商品として成り立たないんじゃないか、という不安があるから、その他の余計な部分を作っちゃうわけです。で、いつのまにか不要な部分が「無いと不安になる」部分になり、必要な部分だと錯覚されていきました。

その錯覚というか信仰をぶち壊したのが『nintendogs』ですよね。国内で100万本、欧州が160万本を超えて世界で一番売れていて、北米が150万本ですね。全世界で400万本以上売れている実績を見れば、誰だって目がさめるでしょう。


いまだに蔓延する「ストーリー病」

ストーリー系ゲームの可能性を完全否定するつもりはありませんが、ゲーム業界はかなり長い間ストーリー病にかかっていたせいで、まだまだ重症のゲームが多いと思います。例えば、DSのタッチパネルとアドベンチャーゲームの相性は良さそう・・・・というのは、誰もが考えることですが、これまで発売されたゲームにしても、今後出るゲームにしても、妙にストーリーが邪魔な感じが。

2年ほど前がピークだと思いますが、ここ数年FLASHのアドベンチャーゲームがネットで話題になってますよね。
脱出系ゲーム リンク集
ところがこの面白さを素直に実現したゲームがいっこうにDSに出てきません。こういうゲームがいいのは謎解きだけですみ、15分〜30分ぐらいで遊べて、余計なストーリー性は無く、純粋に謎解きの部分だけが話題になることです。
これに妙なストーリーをつけたって仕方ないわけですよ。そうなったら、むしろ要らない。遊びたくない。
ストーリーをつけても困らないでしょ、という意見もあるかもしれませんが、冗談じゃない。それをつけたことで失われる物がどれだけあるか、1回でいいから想像してみてください。


オマケ:年末年始遊んだノベルゲーム

   ●ひぐらしのなく頃に解 皆殺し編
   ●処女はお姉さまに恋してる
   ●終末によせて
   ●贋紙幣事件

↓の記事で紹介されていた短編ノベルゲームを何本か遊びました。
窓の杜 - 【週末ゲーム】特別企画:年末年始に“短編ノベルゲーム”はいかが?
個人的に気に入ってるのは『終末によせて』ですかね。

激しいストーリー展開はありません。2ヶ月ほど前に世界の終わりが宣言され、終わりの日まであと7日間という世界を舞台に、4人の男女の出会いを淡々と描いたやさしい物語です。雰囲気がとてもよいのですが、もう1つ気に入ったのはどうして世界が終わるのか?を全然書いていない点。宇宙から神を名乗る存在がやってきたとか、巨大隕石が地球に接近してきたとか、そういう「説明」を一切していないんですね。そんなもの要らんのです。

そして「説明」が無いがゆえに、この物語について、世界について、好きなように解釈と想像をめぐらすことができます。しつこいようですが、不要なものがあることで失われる物があるんです。クリエイターにとって時に必要なものは勇気なんでしょうね。

Posted by amanoudume at 2006年01月09日 13:56 個別リンク
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コメント

変な話、最高のストーリーって、「最高の脚本」に「最高の選択肢」を選ぶことによって発生しますよね。だから、一定レベル以上になると選択肢そのものがストーリーを堪能するじゃまになるという話ですか。

・・・わかるなぁ。サクラ大戦の第一話で、ヒロインが主人公を励ますシーンが結構楽しいけど、あれは攻略本を見ないと想像も付かないような選択肢を連続して選ばなきゃ駄目でしたし。その選択肢を選ぶことがゲームだろ?という意見より、そんな手間を考えたら、はじめっから見させてくれと思いますモンね。

まあ言いたい事は2つありまして。今回は1)を強調してますが。

1)ストーリが無い方がいいのに、無駄についているソフトが多すぎないか? それが喜ばれてると思い込んでないか? 実はそれ、あなたの錯覚と思い込みとオナニーですよ、という話。

2)ストーリーを必要とするゲーム。まさしくゲームというメディアを使って、物語りたい、世界を描きたいというゲームのゲームデザインが止まってしまった。いつのまにか色々なものを「当たり前」と思い込んでしまった。しかし本当にそうなのか? RPGにおける戦闘システムを含めて、もう一度ゲームデザインを見直すべき時期がきているんじゃないの?

日本におけるRPG(和製RPG)は、アドベンチャーゲームの問題点(行き詰まる、多くの人が遊べない)を解消し、より良い物語メディアのためのゲームデザインとして誕生しました。事実ドラクエ1はコマンド式アドベンチャーゲーム的な要素を残しています。

ゲームデザインというのは当然、作り手の目的があって生まれるわけですが、今やRPGも発展し、あまりにも「常識」が増えすぎました。しかしその「常識」が時代に合わなくなり、部分的に機能不全を起こしているにも関わらず、ゲーム開発者側の問題意識が低いのが現状でしょう。結果として、女性ユーザーを取り込んでいる『キングダムハーツ2』を除いて、2005年の続編RPGの売上低下が起きました。

今の日本の子供たちが、ゲーム性よりもストーリー重視のRPGを好んでいたのは事実。例えば、手軽に筋を楽しみ、その間にアクション感覚の戦闘が組み込まれているような、テイルズオブシリーズのようなものがそれなりに売れたのは、直視しなきゃいけないと思う。
今の子供には、RPGなんかで、「何をやっていいのか分からない」ような自由度を、必要としていない。
ゲーム性とは言うものの、所詮コンピュータゲームなんかは、結局のところコンピュータ開発者の用意したルールのなかで、乱数による決定なんかもユーザー側から隠された状態で処理されるのだから、言うほど大したものでもない。
どっちにしろ開発者のルールをアンフェアな形で強要されるのだから、じゃあ、とてっとり早く筋を楽しむ傾向に向かっても仕方ないだろう。
でも、大人は違う。アンフェアであっても、ある程度は「お約束」として了解できるし、どこかで見たような、子供だましの筋を今さら繰り返されても苦痛なだけ。ゲーム性を楽しめるのは、ユーザーが大人だから。子供は「お約束」を好まない。水戸黄門や時代劇を見るのは大人であって、子供じゃない。
ストーリー傾向のゲームが廃れ、ゲーム性を求めたゲームが売れるということは、単にゲームのユーザーが、子供から大人へと移っているだけのことだと思う。今の子供は、例えばウィーザードリィのような自由度とゲーム性の高いRPGには見向きもしない。つまり、ストーリー神話が崩壊しているのではなくて、日本の子供は、コンピュータゲームというジャンルから離れつつある、というだけでは?
高価で非生産的なコンピュータゲームから子供が離れるという、実に素晴らしい傾向に、今あるのだと思う。

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