ITmedia: ニンテンドーDS本体は500万台を突破――ソフトは4本がミリオンセラー
DSの実売台数が500万台を突破し、GBAの14ヶ月、PS2の17ヶ月を塗り替えて、500万台突破の最短記録を更新したそうです(出荷台数は544万台)。また『nintendogs』、『脳を鍛える大人のDSトレーニング』、『やわらかあたま塾』、『おいでよ どうぶつの森』の4本がミリオンを突破し、10年ぶりにライトユーザー市場が活性化したことを証明しました。(記事では、プレゼン資料の写真が掲載されていて、Touch Generations!の女性比率、年齢構成がわかります)
一方、今年はマニア層向けの続編が売上を落としています。ブルーオーシャン市場の急成長とレッドオーシャン市場の競争の激化の両方が起こった一年でした。また北米市場でも市場縮小の兆しが見られ、楽天的な成長神話が崩壊し、レッドオーシャン化が懸念されるようになりました。
ここ最近、ゲーム産業の人々の間で、ゲーム業界におけるイノベーションのジレンマ、ゲーム業界におけるブルーオーシャン戦略についての言及が増えています。しかも日本だけの話ではなく、欧米やアジアの業界人もイノベーションのジレンマやブルーオーシャンについて語り始めています。
●Life is beautiful: 図解、イノベーションのジレンマ
●4gamers: 基調講演でKim Hakkyu氏が強調した「ゲームとBlue Ocean戦略」とは?
●NINTENDO INSIDE: 米国任天堂Reggie Fils-Aime副社長Gamers Summit講演要旨
●Intermezzo「スクウェアエニックス株主総会レポート」
また、FIFTH EDITIONさんの「ゲーム業界のイノベーションのジレンマ」が非常に面白いので、ぜひご一読ください。実際にゲーム業界の「戦略キャンバス」を描いて、ゲーム業界の開発の方向性の問題点を指摘しておられます。
(戦略キャンバスは当然他の描き方もできますし、次世代ゲーム機の比較検討を行ってもいいでしょうし、アクションやRPG等の各ゲームジャンルでの自分のタイトルの戦略キャンバスを描いて、どの部分を重視するかを決める役に立ててもいいでしょう)
で、この戦略キャンバスの何がまずいかっていうとコストをかけるべきでない部分として、グラフィックのみならず、「ゲーム性」を挙げています。そこが一番面白いと感じた部分です。で、今後力を入れるべき部分として挙がっているのが「コミュニケーション」。ボクはこの意見に同意します。と書くと、ちょっと誤解を招きそうですね。怒る人もいるかな?
既存市場で売れるソフト作ろうと思ったら、
グラ、ストーリー、広告、キャラ、ゲーム性とかの
金のかかる部分にコストをつぎこまないといけなくて。しかも、戦略キャンバス自体がどこも似通っているから
どのソフトも似たり寄ったりになるのは避けられないんですね。言いたいのは、もうグラや広告や、ゲーム性とかに
金を使うのやめて、他の新しいポイント作り出して
そこで勝負しなよ、と。2ちゃんやブログはゲームみたいなもんです。
エンタメってのは、「暇つぶし娯楽」ですから。
暇つぶしになればなんでもいい。
この辺は「忘年会の前振りについて」で触れた「ゲームの評価の外部性」とも関係します。
最近のゲームは、プレイヤーへのごほうびと評価という部分のコストが上がりすぎました。ストーリーと付随するムービー、アイテムやステージや隠しキャラなどのやりこみ要素。ある時点において、こうしたボリューム感は市場で成功するために必要でした。しかし今や、ボリューム感は疲れたゲーマー、時間の無いゲーマーにとって、マイナスに働くことさえあります。できる限りゲームの内部でごほうびと評価を与えようという路線は行き詰まってきました。
その逆に評価を外部化することで、ゲーム内の評価を簡略化したソフトが今年、市場で大きな成功を収めています。例えば、『DSトレーニング』の脳年齢は、ゲーム内の仕組みとしては昔ながらのただのスコア制です。ただし川島教授によって、脳年齢という数値に「ただの数値じゃないよ」という保証が与えられています。そこの部分が外部化されているから、ゲーム内は極めてシンプルなのですね。今時ゲームを練習して、ハイスコアを取ることに夢中になる人はほとんどいません。しかし脳年齢なら、毎日プレイします。
『nintendogs』は犬のかわいらしさや、犬を通した家族/友人とのコミュニケーション、すれ違い通信によって、プレイヤーへのごほうびと評価が与えられます。『どうぶつの森』はさらにコミュニケーションに比重のあるソフトです。ゲームの評価の外部性という点では、「実用性」と「コミュニケーション」の2つが大きな保証ですね。
ゲームの評価の外部化というのは、Classic 8-bit/16-bit Topicsさんの「ポストモダン化するコンピュータゲーム」の中の以下の箇所に近いと思います。
これまでのところ、日本における脱ゲームモデル志向のゲームデザインはとりわけ「数値化可能な結末」を遠ざける方向、つまりコスティキャン流に言い換えるなら、「ゲーム」と「玩具」の境界領域を目指して突き進んできました。近年では「いっそゲームでなくしてしまったほうが面白いのではないか」というようなラディカルな意見さえ散見されるわけですが、思うにこの域に達した脱モデル化志向こそが、ゲームにおけるポストモダニズムなのではないでしょうか。まぁ評価の外部性という点では、てくてくエンジェル(万歩計ゲーム)の歩数とか、アーケードのダンスゲームの他人に見られる快感とか、先例は当然あります。どちらも多くのライトユーザーを取り込んだゲームという点で共通です。単純に言ってしまえば、ファミコンブームの頃ならゲームが上手くなることに価値を見出した人が大勢いたけど、今では一部の人しか価値を感じないから、ライトユーザーを取り込むなら、プレイの評価の外部化が重要になります。
もう1つ。特にPS1以降、「ゲームらしくないゲーム」という路線が明確になってきたわけですが、そういうゲームはゲームクリエイターブームに乗って一時期は受けたものの、やがてちっとも売れなくなりました。まあ熱心なゲーマーに言わせれば、「結局、格好だけで中身が無かった」とか「所詮くそゲーだったから」ということになるのでしょうし、その指摘はかなり正しいと思います。
やはりディスクにあらかじめ入れる、プリメイドなコンテンツで何とかするという点については、いわゆるゲームの持ってるノウハウや方法論は大したものだと思うんです。ジャンルが様式化されていることも大きいでしょう。ファミコン20年の歴史、蓄積は馬鹿にはできません。
ただ一方で、オンラインになってユーザー自身がどんどんコンテンツを生み出す側に回っちゃうと、そっちの方が面白い。そのことにもう多くの人が気づいているんですよね。例えば、比較的プリメイド性の強い『MGS』シリーズを手がけている小島氏にしても、こう述べています。
国際シンポジウム「インタラクティブ・エンタテインメントの歴史と展望」
小島氏: あくまで個人的な話しなんですけど、ユーザーの皆さんにゲームを楽しんでもらうために、ゲームを作っているんですけど、僕らが敷いたレールよりも、2人で対戦したり、オンラインで何百人と楽しめる方がどうしたっておもろいんですよ。それを実感したくなかったんですが、(開発している間に)わかってしまいました。色々な人と話すんですけど、オンラインになってくると、古い意味でのゲーム性を無理につかわなくても楽しませることができるというのは、もうみんなわかってるんですよね。それを認めたくないという人はいるんでしょうが。(無論、オンラインゲームのゲーム性がゼロというわけではありませんが、かなり薄いし、古典的な意味でのゲーム性がありすぎると、マイナスになることもあります)
「2chの方がゲームしているより面白い」と言われ、ヤフー、グーグル、はてな、楽天といったWebサービスが人々の生活に浸透した今、面白ければそれでいいんですよ。別にいわゆるゲームでなくても全然かまわない。まあとりあえず「ゲーム」という名称で売られるけれども、中身はコンピュータを使った何かでいい。本当はもう、コンピュータエンターテインメントとか、インタラクティブメディアといった方がいい。そうでないと、Webとゲームは違うとかいう、よくわからない話になる。皮膚感覚や実態に理屈が追いつかないのは世の常とはいえ・・・・。
まぁただね、ゲーム屋にも悩みはあるわけです。だってゲーム屋がゲームを捨ててしまったら、何の取り得が残るのか? これまで蓄積したゲームのノウハウは武器ですからね。やはり武器は有効に活用したい。それを使って、何をしようか、どうしようか、というのが現状でしょう。今まさにそういう状況だということを、かなり多くの人が感じ始めています。イノベーションのジレンマとか、ブルーオーシャンという言葉が頻繁に出てくるようになったのも、そのせいでしょう。
追記
あれれさんからトラックバックをいただきました。
狭義のゲームデザインからコミュニケーションデザインへの展望を描き、今後ゲームデザイナーの間で議論が深められるべき道筋を示したすばらしい記事です。
ゲームデザインのこれから(12) コミュニケーションデザイン