最近の記事
カテゴリー
過去ログ
検索


このサイトについて
このサイトは、ゲーム開発、およびゲーム周辺の周辺技術や動向について日々考察し、毒舌的に物を書き続けることを通して、「ゲームの未来形」という大テーマに対して、何か考えを深められるといいなあ・・・・・・というサイトです。

2006年07月01日

ゲーム学会について思うこと

だれのなんの遊び?

しらいあきひこのフランスエンタメ研究所@CNET 「日記復活・DIGRA」

ゲーム研究業界的にはアンチゲーム脳のほうが主流です. というか,ゲーム世代のゲーム好きが集まってLudicしてるので,当然といえば当然なのです.
こういうのを「遊びの研究」ではなく「研究者の遊び」と揶揄された時代もあることに注意です.

個人的にはDiGRAは様子見ということにします.なぜなら「地盤のいい学会」というのは金トリ学会としては良いのですが,茶飲み会としても,学術の探求の場としても,たいてい機能しません.たとえば情■処理学会とかは名前も地盤もいいのですが,研究者としては研究会しか利用価値がないです.会報も紙は良いけどうざすぎます,なんと言っても会費が高いのがつらいです.

ちなみに既に日本国内にはゲーム関連学会や大学コースがいくつも立ち上がっています.
しかしその多くが「学者発ゲーム学会」で「研究者の遊び」という印象をぬぐうにはあまりに,ゲーム産業界との足並みが取れていません.

ほぼ同意。ファミコンで育った人間が大人になっているので、そりゃ研究をやろうという人間が現れてくるのは自然なことです。しかしそれが、ゲーマーの雑談以上のものになるかというと、どうでしょうね? 研究者様の分析が、ネット上に感想を掲載しているゲーマーの方々より優れているとは到底思えませんし、その根拠も無いでしょう。そんなもんに妙な箔がついてもしょうがない。

たとえば、生暖かく見ていた「RGN : コンピュータ・ゲームのデザインと物語についての研究会」も、発表者を見ると、ネット上でゲームの感想や分析を書いている人ばかりで、「物語」をテーマに掲げている割に、たとえばストーリー系ゲームのシナリオライターを招いて話を聞くような様子は見られません。最初から現場と徹底的に乖離しているわけです。「遊びの研究」なのか、「研究者の遊び」なのかは言わずもがな。


説得力のある人もいれば、噛み付くだけの人もいる

小野憲史氏のエントリーを読んであらためて思ったのですが、書き方が上手いですね。たとえば「日本のノウハウがどんどん海外の開発者にまねられている予感」「彼らはお手本からマネるのは巧い」あたり。日本のゲーム制作者は1からゲームデザインを生み出すのが得意で、欧米のゲーム開発者はそれをマニュアル化するのが巧い、というのは、それぞれの市場で売れているソフトを見ても感じることです。『God of War』にしても、評価は大変高いものの、日本のいくつかのゲームのいい所取りをしているだけ、ともいえます。

本気で読者を説得しようという気持ちがあるんでしょうね。このエントリーも、日本のゲーム開発の危うい点を簡潔に指摘しています。日本のゲーム開発の現状に危機感を抱いている人は、ゲーム業界および周辺に結構います。ゲームのノウハウの共有化を推進した方がいい、とネット上で発言している人はこういう書き方を見習った方がいいかもしれません(笑

彼らの多くは、その言葉を読んでも、本気で説得しようと思ってるように「思えない」んです。欧米のゲームが好きな人が多いからかもしれませんが、欧米>日本という図式で物を語りたがる傾向があります。すると、日本のゲーム開発を良くしたいのか、それとも欧米ゲームをマンセーしたいのか、どっちかわからない事になります。たとえば、「日本のゲーム開発は遅れている」とか、「日本のゲーム開発者は不勉強だ」とかね。長所は見ない。で、短所だけ大喜びで指摘。で、オマケに「欧米はゲームデザインの学問化が進んでいるんです。だから現場の人間もゲームデザイン学の用語で議論できないと・・・」みたいなことを言い出しちゃう。

半年以上前の話ですが、中には「『Web2.0』という言葉を使うな、学問的な『創発』という用語を使え」などと噛み付いてくる学生さんまでいたわけです。「コンピューターゲームは40年の歴史があり、10数年のwebとは比較するまでもない。同じインタラクティブ・メディアといっても、あまりにも差がある。」なんて発言は、ボクにはゲーム学の象牙の塔化、他メディアへの敬意を忘れた暴言としか思えません。今、Webに毎日触れている人とゲームに毎日触れている人、どっちが多いと思っているんでしょうか?

たとえば、任天堂は経営方針説明会の中で、「Web2.0」という環境変化に対して「WiiConnect24」を打ち出したと説明しています(Q8)。またスクウェアエニックスも、「Web2.0」という環境変化を意識した発言をしています。では、任天堂のWiiConnect24はWebの「安易な流行」に乗った安易なサービスなんでしょうか? まだ全貌も詳細も不明ですけど、それこそ安易に結論は出せないと思います。またスクウェアエニックスはWebの「安易な流行」に乗った安易なオンラインゲーム会社なんでしょうか? ボクにはそうは思えません。


学問の弊害が露呈?

ボクはユーザーが制作の「結果」うまれた「作品」を評価するのは当然の権利だと思いますし、どんなことを言ってもいいと思います。「クソゲー!」の一語でも構いません。お客さんの当然の権利です。ただ、自称研究者が制作の「プロセス」にあれこれ言うのは、ちょっと違和感があります。

別の例を出します。視聴者がアニメを見て、「作画が酷い」とか「シナリオ糞」とか、感想を言うのは当然の権利です。でも、アニメを一度も作ったことのない学生さんがアニメ学という自称学問を勉強して、現場で働いているアニメータの人を捕まえて、「その作画の仕方はイマイチだね。だから日本のアニメは駄目なんだよ。海外のアニメ産業で使われているアニメデザイン用語があるんだけど、それを使ってトークしないと・・・」なーんて説教を始めたら、あまりにもアレげな光景じゃないでしょうか?

勉強の弊害というやつで。エッセンスの詰まった本を読むと、わかった気になっちゃうんですよね。そして用語をいっぱい使うやつがエラいみたいな高ぶった気持ちになる。危機感がある人間ほど、上から物を言いがち。それだけならいいんですが、どんどん視野が狭まって、一般の人の感覚から遠ざかった議論を狭い輪の中で繰り広げる集団になってしまいます。まぁもしかしたら、学会はそれでいいのかもしれませんが。


欧米マンセーは日本の伝統?

欧米のゲーム業界が急速に「産業化」したのを見るに、日本でもいわゆる産官学を推進した方がいいのは頭ではわかるんですが、心は逆。学問化が進んだ結果、単純に欧米のやり方を盲信したり、しょうもない噛み付き方をするゲームデザイン学生さんが量産されても、日本のゲーム開発が良くなるとは到底思えません。逆効果なんじゃないの?とさえ思います。

欧米のゲーム開発者は、日本のゲーム開発者の生み出したアイデアやゲームデザインを高く評価して、敬意を払って、そしてマニュアル化して、自分たちのゲームを良くしているわけです。なのに、お膝元の日本人の自称ゲーム研究者の人たちが欧米の方ばかり見ているんだとしたら、日本のゲームではなく、欧米の本ばかり見ているんだとしたら、それって何なの・・・・? まぁ浮世絵にしても、海外の人が先に評価して、それから日本でも注目を集めたんでしたっけ。これって日本の研究者の伝統ですか?

だから発熱地帯のDAKINIは、ゲーム開発の現場にいる1人として、ゲームデザイン学だの、ゲーム学会だのに協力する気は無いと断言し宣言し明言します。さすがに「そんなもん、要らねえ」と主張する気はないし、積極的に批判しようとは思いません。ゲーム研究について正直に書けば、批判になるのはわかっているから、これまで意図的にスルーしてきました。今回も1回ぐらいは書いておこうかと思っただけです。
しかしまぁ、もう一度噛み付かれたら・・・・無視するわけにはいきませんし、困ったもんですね。

Posted by amanoudume at 2006年07月01日 09:30 個別リンク
TrackBack URL for this entry:
http://amanoudume.s41.xrea.com/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/291

Listed below are links to weblogs that reference 'ゲーム学会について思うこと' from 発熱地帯.

コメント

 ゲーム学会も、黙ってアーカイブ作業に邁進してくれればよいのですが(この辺はさすがに民間じゃ限界が。著作権の図書館等の例外が使えないので。予算を外部から引っ張れる図書館である大学図書館を使うには、学会発表の組み合わせが必須。)現時点では、ゲーム学会は他の学会では論文ノルマがクリアできない食い詰め物の集まりとしかなっていません。無条件で欧米至上主義に走るのも、頭の痛いところなのは同感です。発表の中味も見るべきものはほとんどないです。ただ、ゼロではないと思いますが。

 ただ、何とかなりそうなゲーム業界出身の若手研究者も多少はいますので、未来が完全に闇だけともいえないと思います。彼らが表に出てくるのは当分先でしょうけど。

 私もゲーム好きが高じてゲーム開発の仕事するようになったんですが、やはり「ゲームを作るために研究するのとゲームを批評するために研究するのでは180度違う」と思います。

 だから一流大学で「ゲーム学」を勉強し、立派な論文をおさめた割に単純なスクリプトすら組めない、ゲーム開発本体部分をまったく作った経験の無い学生より、3流大学でもいい、スキでスキで同人やコミケでゲーム作っていた人間、あるいは独学でCの勉強してる学生の方を信用します。

 大きい目で見た時にそれが正しいのか知りませんが批評というのは誰がやっても同じです。。

 

分かるよ
日本人(一部の)って自国を批判する事が大好きだからね。
それも批判と言う格好でやってるけど、ただ愚痴をこぼしているだけってのが多い。
謙遜と卑屈を履き違えて自己批判できる賢い人になったつもりなんです。

自国を見下すことに優越感を感じて、ただ不平不満を言うだけなら独り言で済ませばいいのに、悪いところだけ指摘して「じゃあどうすれば良いか」ってことを全く考えない。
自分自身は何も努力していない。

要は自己嫌悪(自国嫌悪)を他の人へ八つ当たりしているだけなんだと思う。

加えて言うと洋ゲーマンセーな人ほど別の場所だと「日本人の欧米コンプレックスは・・」とか「西洋かぶれはうんざり」とか言っていますよ。

こう言う風に自分も責任を負わずに身勝手な批判をする人が最も足を引っ張っているんだと思います。


ただ外国を見習えって事自体は賛成ですが。

なるほど。なかなか考えさせられる記事でした。

日本のゲーム学会に関しては、もう少し整理された視点が必要かもなあ、と個人的にも思っていたのですが、少なくとも私が徘徊している界隈では整理しようとかいう意見はありませんでした。なんというか、小規模の割にはごちゃごちゃしている感じがしますね、日本のゲーム学会は。まあ、私も興味の赴くままにそういう混沌を楽しんできた一人なんですが、もう少し、俯瞰した視点が必要なのかも知れません。

で、私の場合、特に仕組みとその効果が興味が中心なので、日本のゲーム学会はもっと「工学」の面を活性化すべきだ、とは思っていました。(参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A5%E5%AD%A6
> 工学と理学の違いは、理学がある現象を目の前にしたとき
> 「なぜそのようになるのか?」を追求するのに対して、
> 工学は「どうしたら目指す成果に結び付けられるか」を
> 考えることにある。すなわち、工学ではある実験によって
> 一定の関係が得られたら、それがなぜ起こるのかには
> あまり関心を寄せず、その実験式をとりあえず受け入れる。)

しかしながら、ややこしいのは、日本では「文化」が崇高なものであると権威づけられていることです(まあ、それなりに歴史も長い国ですから仕方がない面はあります)。そして、ゲームを一つの文化的文脈として読み解いていこうとする勢力がゲーム学会の中心に近い界隈にいたりするわけです。そんな彼らは、「実学」から数千光年遠い、文化的権威で装飾された、おしゃれな閉鎖的サロンみたいなところで一般人には訳の分からない用語を駆使した訳の分からないおしゃべりをしていたりします。ユリイカ!女の子があこがれるのも分かりますね(涙)

(もちろん、中にはたまに面白い視点や評論があるのは分かりますし、偏見も入っているのであまりまじめに受け止めて欲しくないですが(笑)。実際のところは、「あいまいで未分化、しかも未熟」というのが実情だと思います)

正直言って、米国のゲーム学会の事情はよく分かりませんが、 IGDA Japanの活動などを見ても、米国伝統の(軽薄な(笑))プラグラティズムに基づいた実際的な工学が中心なのであろうと思います。で、当然、日本のゲーム学会の工学は主に米国の後追いをやっているわけですね。

で、ではどうすればいいかという話になるのですが、正直、よく分かりませんね。
ただ、日本にゲーム学会が必要かどうかはともかく、少なくとも、業界から必要とされるような存在になる場合、良く外国から言われているように「伝統」と「最新技術」をうまく組み合わせて日本の身の丈にあった存在になる必要があるとは思いますが。

>うみゅさん

玉石混交といいながら、石が99.9%以上なのは、最初は仕方ない
のかもしれませんね。ボクもそこまで期待してません。それはいいん
ですが、現場に噛み付く事だけ元気だったり、欧米礼賛する事だけ
大喜びだったり、本読んだ僕ちんが遅れてる現場を啓蒙してやるぜ
って、はしゃいでたりするのはね・・・・。

やはり就業経験が無いのが一番の原因かもしれませんね。少なく
とも3〜5年は現場で働いてみてほしい。そうでないと、頭でっかちな
ものになってしまうと思います。

理論の世界からすれば、現実の現場は泥沼に見えるのかもしれ
ませんが、そこに下りていくのが本当の研究じゃないのかな、と。
文献いじりが研究だという考え方は違和感がありますね。


>komo さん
ですね。結局、クリエイティブというのは最終的には、青臭い言い方
ですが、情熱とか、粘りとかそういう物が力を発揮しますよね。

<補足というか話が逸れまくり>
あ、うーん、「情熱」というと、ネットのどこかには怒る人もいるかな(笑
若い企画者が情熱ゆえに、暴走したり、電波企画に走る事もよく
あるため、ネット上では「情熱」うざいと公言しているベテラン開発
者の方、ブログをよく見かけます。情熱だけが売りの人間が一番
うざい、みたいな。

えっと、そういう人達のおっしゃる事は重々わかります。実際、日本
では、その辺りを適度に枯らすための伝統的な手段として、「下積
み」という制度(?)がゲームやアニメには存在します。

1、2年で燃え尽きる人をふるいに掛けているわけです。下積み
というのは、前時代的だとは思うんですが、1つの「必要悪」
だったと認識しています。

けれどもゲーム開発において、プロジェクトの肥大化が進んだため、
元々無自覚に行われていた「下積み」が不必要に長期化されて、
その害悪の部分が顕著になってしまった、と思います。

今は若い人にチャンスを与えるという事を相当自覚的にやっていか
なければならない時代です。

まぁ難しいのは確かで、これはボクの持論なんですが、経験の浅い
人にどれだけ「失敗」させてあげられるかが大切なんだと思います。
「失敗」というと非常にネガティブに聞こえますが、誰でもしてきたこと
ですし、人間って失敗しないとなかなか身につかないんですよね。
これは自分自身を振り返ってもそう。偉い人や、ベテランの人の
言葉よりも、自分が失敗してそれを痛感して、反省して身につけた
事の方がはるかに財産になっています。

マニュアル化とか、ノウハウの伝授という事をどれだけやったと
しても、やっぱり自分自身がやってみて、それで失敗して身に
つけた事には到底及ばないでしょう。なんていうか、育成という
時に、小ぎれいな方法ばかりクローズアップされがちなんです。
みんな、カッコいい事や、美しい事を言いたいですからね。
(この辺から、今回のエントリーの内容とも絡むんですが)

別にボクはマニュアル化やノウハウの共有を否定するつもりは
ありませんが、それが魔法の箱のように扱われかねないのは、
危険なことだと思います。

もしかしたら欧米はキレイなやり方でいいのかもしれないけど、
日本ではうまくいかないと思います。

ボクは常日頃、これだけ飽きもせず、テキストを書き続けていて、
理屈をこね続けていますが、だからこそ、キレイな理屈の限界と
いうものをよく理解しています。

嘘じゃないですか、そんなの。消毒済みの砂場のようなものと
いうか。虫取り網を持って雑木林に行くかわりにデパートで昆虫
標本を買い与えるようなものというか。

>白菜の煮付けさん

日本のゲーム市場の縮小が顕著になり、海外でのシェアが落ち
始めた時期に、調子に乗って海外マンセーしてた連中の罪は深い
なあ、とボクは結構本気で思っています。たぶらかさちゃったソフト
会社の人も割と多いんじゃないかな。

2002年〜2003年は、似非科学というか、似非ゲーム開発論がとても
横行した時期で、本当に・・・・くそったれ。

その悪影響の1つが日本市場の軽視という形で現れて、その結果、
日本でのゲーム離れに取り組んだ任天堂のひとり勝ちという事態に
なったわけです。いかに多くの人たちが、似非ゲーム開発論者、
似非欧米ゲーム専門家に騙されたかという。

また別の悪影響が、妙な海外受け狙い。比重が海外に寄るのは
いいですし、海外のユーザーが楽しめるように作るのは正しいです。
ただ、妙な理論を真に受けて、おかしな物を作り上げて、欧米でも
日本でもそっぽを向かれちゃったり。

そうそう、当時は「日本のゲーマーは所詮萌えがあればいいん
でしょ」的なお馬鹿な発言をしていた連中も結構いました。萌えを
取り入れた「新鬼武者」の結果を見るまでもなく・・・・。アニメ、ライト
ノベル、ネットという物にユーザーが奪われたわけで。そんな事も
わからないんですよ・・・・。

今のPS2市場の冷え込み、据置ゲーム機市場の崩壊を欧米マンセー
連中は説明できるんですかね。できないでしょう。
んー。まぁボクも、「そんなのに騙されるゲーム開発者の自己責任だな」
と最近はそう思うようになりましたけどね。藁にもすがりたいって状況
なのはわかるけど、藁なら何でもいいって訳じゃないのにね。


>bin3336 さん

ボクは単純に、本を訳すのをやめよう、が一番いいと思います。
そんな時間があったら、自分で書きなさい。目の前にゲームは
いくらでもありますし、欧米のゲーム開発者たちから尊敬されて
いるクリエイターの発言が雑誌やネットで、母国語で読めます。

なのに本を書こうとしない。で、向こうの権威(?)の書いた本を
訳して読んだりしているわけです。まぁきっと彼らなりの理屈は
あるんでしょうさ。海外はすでに多くの文献があるから、それを
後追いした方が効率的だとか、なんとか、そんな理屈が。

まぁあまり何度も例に出すと、槍玉に上げちゃってる感じで、
よろしくないんですが、典型的なので、もう一度リンクを張ります。
(彼個人を批判するつもりはありません)

http://d.hatena.ne.jp/ConquestArrow/20050414/1113443470
>英語の文献を当たっていると日本の開発者のゲームデザインに
>触れた発言、例えば宮本茂氏などの発言に出くわすことがある。
>「Mr.Shigeru Miyamoto saids...」という具合にだ。こういう文献に
>出会うたびに私は虚脱感に襲われる。何故、これが日本語で
>読めないのか。恐らくその話が発せられたときの言語は日本語
>である。その話を一旦英語に訳してニュアンスがそぎ落とされた
>後に、再びそれを日本語に訳して読む、という事ほど滑稽なこと
>もあるまい。どうしてストレートに理解できないのか。

で、彼のやっている事は、日本人クリエイターの発言から、ゲーム
デザインの理論化を行う試みではなくて、英語のゲームデザイン
本を読んだり、感想を書いたりすることなわけです。訳わかりませんよ、
ホント。未熟でもいいから、堀井雄二論を書くとか、宮本茂論を書く
という発想は無いわけです。

あの、欧米の本を読むの禁止とはいいません。けれども訳す前に、
輪読する前に、読む前にやることないの? 海外のゲーム研究者
からしたら、ヨダレの出るような環境にいるはずなのに。

歴史が浅くて、権威もほとんど無い研究領域なのに、初手から本は
無いか? 権威は無いか? これはもはやジョークの世界ですよ。

 私にとってゲームを作るうえでの一番の教科書は数年前に廃刊になった「マイコンBasicマガジン」でしたね。

 それこそネットも情報も無い時代、ゲームを趣味で作るのは独学しかない、という状況のプログラマーにとってゲームの研究というのは雑誌に投稿されている「他人の作ったプログラムを打ち込み、解析し、手探りで理解する」ということでした。それによって技術者としての実力を身につけ、さらに高度な能力を手にいれることが出来ました。

 それに比べて上記にあった「ゲーム研究」というのはいったい現場で何の役に立つのでしょうか?

 まさかこれを修めた人は、いきなり自分が他の開発者を手足のように使い、宮本茂の気分でゲームが作れると思ってないでしょうなあ・・・?

 ゲーム学会とは単なる「歴史科」ですか?

そもそも日本企業は、大学に実学なんて求めちゃいないんですよね。
まぁ時代によって変化はあったんでしょうが、ボクは工学系出身なん
ですが、大学に学生を鍛えてもらおうなんて企業は思ってないし、
大学も学生を本気で鍛える気は無さそうでしたね。

現場を知らない教官が少ない時間で、遊びたがってる学生相手に
指導して、どれほどのものが身につくのか。わかりきってますから。

人材育成のノウハウにしたって、企業の側にあるわけで。大体、
工学を活かす分野、たとえば自動車、家電といったものは、日本の
企業が圧倒的に強いわけです。大学が強いかどうかはさておきね。
そんなもんですよ。

遊び過ぎて使い物にならなくなると困るから、そこだけはヨロシクね、
っていうのが企業の本音でしょう。日本企業は概ねそう思っている
んじゃないかなー。

だからゲームデザイン学の自称研究者さんたちが、真顔で実学
なんて言ってるのを見ると、ちゃんちゃらおかしいんですけどね。
結局、日本が強いのは企業で、例えばトヨタ、例えば松下、かつての
ソニー、といった存在です。企業が合併を繰り返して巨大化しましたし、
企業の内部に「知」を蓄積するのが現実的だと思いますよ。

あとはまぁ、文化論に走って、閉じたサロンでも何でも勝手にやって
くれたらいいし、あるいは実学もどきを実践を知らない教官が実践を
知らない学生に教えるという、日本の伝統的な大学教育を行えば
いいんじゃないですかね。お遊戯は好きなだけやったらいいと思います。

どうも話が混線してるっぽいです。

1・ゲームの学会は学術の探求の場としてどの程度のものなのか
2・そもそも研究者の研究は産業界に貢献できるのか
3・ゲーム学会は欧米至上主義なのか

と、いう論点が整理されずに話が進んでるような。

あと、「海外のゲーム研究が先行しているのでそれを重要視する」のと「海外のゲームを重要視する」のが同じ「欧米マンセー」でくくられてる気もします。

----------

で、ちょっと違うのかなーって思うとことか。

>だからゲームデザイン学の自称研究者さんたちが、真顔で実学なんて言ってるのを見ると、ちゃんちゃらおかしいんですけどね。結局、日本が強いのは企業で、例えばトヨタ、例えば松下、かつてのソニー、といった存在です。

日本の企業の話をすると。

過去には粗悪品の代名詞だったこともあった日本のメーカーが世界でも最高のレベルの品質管理が可能になったのは、アメリカのデミング博士の提唱した品質管理の手法を取り入れたことがはじまりだったりします。日本企業はこの理論を積極的に取り入れて、アメリカ以上の成功を収めました。

舶来のものだろうが、なんだろうが、役に立つものなら取り入れればいいんじゃないでしょうか。アメリカ人は物事を概念的に捉えてマニュアルに落とすのが得意です。日本のメーカーはそれをグダグだいわずに「おお!これは使える!」って言って本国のアメリカ人より一生懸命学んで、その上でマニュアルの使えない部分は変更して、独自の品質管理法に発展させてしまったわけです。(wikipediaの生産技術とかを参照。)

別に「妄信」しなければいいんじゃないですか。アメリカの理論でもなんでも使えるものは使えばいいし、使えなかったら気にしなければいいだけで。

----------

>欧米の本ばかり見ているんだとしたら、それって何なの・・・・?

先行研究をおさえとこうってだけの話なんじゃないのかなぁ。いままでに何が研究されてきたのかっていうことをきちんと踏まえた上で、こういう新しい発見がありました、っていうのがあって始めて論文になるわけで。まずは先行研究をおさえるっていう地道な段階からはじめてるって見方が現実的な気がします。

>日本人クリエイターの発言から、ゲームデザインの理論化を行う試み

それは必要ですよね。しかも日本人研究者がやる必要ある。

>未熟でもいいから、堀井雄二論を書くとか、宮本茂論を書くという発想は無いわけです。
そういえば、たしかRGNの人の誰かが宮本茂論書いてましたよ。

------

まぁなんにせよ、学会って名乗ったから自動的に権威が生まれるというわけでもないでしょう。権威に値するような成果を出していけば自然と権威が生まれるでしょうし、そうでもなかったら権威は生まれないわけで。そんなにカリカリする必要はないんじゃないでしょうか。

>ねずさん

はじめまして。
おっしゃっている事はほぼ同意ですし、
ボクと大きく違いないと思いました。
ただ、ねずさんは研究側に寛容でいらっしゃる。ボクは見切ってる、
というただそれだけの違いですね。

>先行研究をおさえとこうってだけの話

それだけで終わってたら、話になりませんが(笑
まぁいずれにしても、そんな風に言い訳はいくらでも出来るんですよね。
だからタチが悪い。

欧米ゲームをマンセー、欧米のゲーム研究をマンセー、そして足元は
見ない。見ない言い訳はいくらでも出てくる。口も回る。でも日本の
ゲームを語る口は回らない(笑

>別に「妄信」しなければいいんじゃないですか。

使える物は使えばいいのは当然のことです。逆に言えば、使えない
ものを擁護する必要もないわけで、日本でのゲーム研究を擁護する
必要もありません。

日本のゲーム研究者が欧米のゲーム研究の後追いにすぎないなら、
そんなもんに投資する必要も協力する必要もありません。日本の
ゲーム会社が海外の大学に投資するという手段もあるわけですよ。

欧米のゲーム研究者のほうが日本のゲーム研究者よりも真摯で、
言語の壁さえ乗り越えてくるのなら、日本のゲーム開発者も彼らに
向かって話すという可能性もあるかもしれませんね。欧米のゲーム
研究者が取り上げれば、日本のゲーム研究者も注目するんだろうし(笑


>そんなにカリカリする必要はないんじゃないでしょうか。

現場の人間の率直な感想と意見を述べるのは、それはそれで良い
ことだと思います。
駄目なものは駄目ですからね。口をつぐむ必要はありません。
むしろ駄目という認識が広がっていないのであれば、より強くより
声高に主張したくなりますね。ボクはそういう性格です(笑

>「遊びの研究」なのか、「研究者の遊び」なのかは言わずもがな。

上手いコト云うなあ。その云い回し、今度使わせてもらいます(笑)。
ワタシも以前、とある学術的ビデオゲーム評論とされる本(名前すら出したくない)を読んで、「現場でなら網羅的に判るコトを、なんでワザワザ外から眺めて『これぞ解釈論でござい』と、不十分なまま排泄しちゃうんだろう?」と呆れかえったコトがあります。
個人的な感想を云えば、基礎となる文化史的アーカイブ的アプローチは遅れに遅れ、よって人文学問的アプローチは稚拙に過ぎ、重要な工学的アプローチはクローズドで、かなり八方ふさがりな、閉塞感を覚えています。

とはいえ、今後10年のゲーム業界の有りようを色々と思考実験すると、
・脳生理学的アプローチによる「ゲームプレイという現象」の解析
・政治的に「ゲーム側を代表する」学術団体の存在
は必要になるだろうなあ、と考えています。これらはゲーム業界からは生まれ得ないモノかな、と。
特に後者は…最近で云えば「バーチャル社会の弊害から子供を守る研究会」とやらを警察庁あたりが主催しているワケですが、そこに集められた「有識者」とやらには、もちろんゲーム側を代表する人間はいないワケです。学術的にではなく、政治的に…「結論ありき」で議論が進められようとしている。まあ、公的な「有識者による研究会」というのはそもそもそういうモノではありますが、せめて、ゲームのコトを識っている団体なり人間なりを立てられるぐらいのゲーム業界ではあってほしい(なんちゃらアナリスト、とかじゃなくて、浜村さん的な人だな)。

えーと、話が大幅に逸れてしまいましたが、ゲーム業界における産学連携…というか、ゲーム産業と連携し得る学会の存在は、やはり必要だと思いますヨ。現状はともかく。

ぼくはねずさんじゃありませんが。
上記URLに書いてあることはゲーム先進国のひとつである日本が、
ゲームの学問化が著しく立ち遅れていることを問題にしているんだと思いますが。
先行研究、それも日本人の著名クリエイターの研究を英文で読まなければならない、
だからこそ日本でゲーム学会を・・・ってかんじで決して欧米マンセーの論旨ではないと思います。

まあでも一番最初にやってたゲームにおける死がなんちゃらは、
現場レベルじゃ全く役に立たないのはわかりますけどね。

始めまして。よくこのサイトは読ませて頂いています。

確かに、自国と言うか所属してる所の悪口を「ここがダメなんだよw」と嘲る人、いますねぇ・・・

それはそうと、こういう学会って、学問として共通する事とか、先人の発言とか、理論とか、そうした物をまとめるべきだと思うのですが、大局観を持って、そういう試みをされているんでしょうか?

例えば、革新側ゲーマーの主張で、
「アクション、シューティング、RPGなど、決まったジャンルが既にあるように考え、レシピにしたがって、「60fps」を保ち、「爽快感と緊張感のバランス」を取り、「昔のRPGにあったレベルアップの楽しさ」を再現し、「ファミ通」で分かってると言ってもらう。それだけでいいのか?」という意見があり、

保守側ゲーマーから
「新しいと言うが、ゲームでやる意味が無いじゃないか!やりたい事は分かるけど、基本ぐらい考えてくれ!」
とあるとして、ゲームデザイン論は、どちらに取っても正しい答えを提示できないとならないはずですよね。そういう意味では学問は必要なのでしょう。

現状は、感覚だけで作り、感覚だけで観想を言う、そんな感が強いです。

マニュアルはあっていい。
過去にあるもので、表現する方法をいちいち考えるのは時間の無駄でしかない。
プログラムが打てなくてもいいから、プログラム的に可能かどうか考えて研究を進めてもらいたい。

が、それが出来る段階なんでしょうかね?未だにコンピュータを使った遊びであるゲームと、ボードゲームやらが混同される状況で。
確かに、Newマリオとかバーチャファイター5とか、基本が変わらない伝統芸能のようになれば、それもアリなのでしょうが。

ところで海外追従って最近のゲーム業界に極端ですね。
海外に売り上げで劣っているなら、打開策は考えるべきなんでしょう。
高性能ハードを使えないなら研究すればいい。
しかし、なぜか海外に同化したがる論者が比較的多いですね。

ただ単に、かつてはライトユーザーブームを叫び、それが頓挫したら海外追従主義を叫ぶという、アンチゲーム、アンチ日本ゲームのような感すらある批判に、保守的で良いはずの大作までも狂ってしまう。

このゲーム業界の脆弱さがどこから来るのか謎です。
長文、乱文失礼いたしました。

>鶴見さん

鶴見さんが嘆いていた例の本は幸運な事に未読なのですが、ボクも人文学問的な
アプローチはまったくお話にならないと思いますし、期待していません。
ゲーム評論して食べていけたらなあ、というゲーム世代の願望&妄想に過ぎません。

工学的なアプローチは、日本のゲーム開発の現場がクローズドかオープンかという
以前に、そもそもどの程度工学的なのか、という疑問があります。

まぁValveのプレイデータログ収集のような手法が次世代ゲーム機で一般的に
なれば、ますます工学的な手法を適用しやすくなります。それを機に日本でも開発の
現代化が進むのか、単に欧米との格差がさらに拡大するのか。ただ、ログデータは
当然各企業の重要な資産ですし、ノウハウですから、研究者には提供しないか、
しても大して重要ではない部分だけでしょうね。


>・脳生理学的アプローチによる「ゲームプレイという現象」の解析

そういえば、この間、『やる気を生む脳科学』を紹介しておられましたね。こちらでは
まだ反応していませんが(反応しようとは思っていたのですが)、社内ブログの方に
ありがたく紹介させていただきました。

まぁ、ぶっちゃけ、ボクにしても、あの「啓蒙してやろう」的な電波な姿勢さえ無ければ、
ゲーム学会なんてスルーしておきたい話題です。相手にする価値も無い。ボクは
工学系出身なんですが、研究者の人達は企業の研究開発の現場に対して、そんな
愚かしい姿勢ではいませんでした。

大学でやれる研究の限界も弁えていましたし、だからこその連携、協力という姿勢を
貫いていました。でも正直な所、欧米のゲーム研究の成果を取り入れるのに、日本の
研究者なんて要らないんですけどね。間に入ってもらう必要なんて無いのに。何を
勘違いしてるんだか・・・・。

DAKINIさん鶴見さん
引用もとのしらいです
いつも拝読しております。

補足までに
「研究者の遊び」はロシアの心理学者エリコニンの著書「遊びの心理学」において、中世から現代までの遊び研究について触れられていたものを引用したものです。
昔から「遊び」を研究する人はたくさんいて、ちゃんと「何が遊びか」を定義しないで遊んでしまうので、世間的には『研究者の遊び』として揶揄されてしまうという歴史がきちんとあるのですが…。

★wikipediaの「遊び」関連項目は私が書いたものです。拡充希望。

ゲーム学会については、欧州側から「ふーん」と見ているだけなのですが、せめて、方法論、実装、歴史、評価方法などきっちりと分けて研究してもらいたいものですね。

明日からSIGGRAPHです。
http://www.sandboxsymposium.org/
このシンポジウムから参加してきます。

気がついたらGuitarHero2のトーナメントとかカラオケ大会とか追加されているところがアメリカ人というかなんというか。

CMUのETCやSCEAの人が事務局やってたりして、いろいろ面白いオフライン情報交換が出来そうです。

ではまた。

コメントを投稿

(コメントを投稿しても、管理人が承認するまでは表示されません。すぐに反映されない、最悪24時間以上かかる事もあります。ご了承ください。)