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このサイトは、ゲーム開発、およびゲーム周辺の周辺技術や動向について日々考察し、毒舌的に物を書き続けることを通して、「ゲームの未来形」という大テーマに対して、何か考えを深められるといいなあ・・・・・・というサイトです。

2004年01月27日

物語伝達の媒体としてのゲーム

ARTIFACT「新しい物語伝達メディア」
コンテンツの制作コストと企画の自由度や個性は反比例する、という一般論で、それはその通りですね。「物語伝達の媒体」として捉えた場合に、ゲームがいまいち冒険のしにくいメディアになってしまったのは確かだと思います。実際、RPGとアドベンチャーゲームは、コンシューマーゲームにおいては、タイトル数がかなり減ってしまいました。

それに対してノベルゲームが少人数で開発できて、物語伝達の媒体として盛り上がったという指摘もうなずけます。ただ、けっこう似たり寄ったりの作品が多かったような気も。(企画の自由度と、実際に多様であることには差があるんでしょうね。まぁこれは、作る側の動機の問題ですけど。)

実はこれと同じことが、欧米のFPSにもいえるんじゃないか、と思います。以前、「個人サークル的な開発スタジオの限界露呈」でもかきましたけど、ボクは欧米のFPS=日本のノベルゲームという認識をもっています。すごく似ているんですよ。どちらも低い開発費で制作できるゲームエンジンの文化が浸透していました。日本においてノベルゲームが恋愛やセクシャル性をテーマの中核にして物語を構築していったように、欧米においてFPSゲームは暴力性と戦争をテーマの中核にして物語を構築していきました。(似たり寄ったりの作品が多いのも同じかも)

物語伝達の媒体としてのFPSという話は、洋ゲー好きな人たちが熱心に語ってくれたりもしているんですけど、ノベルゲームとの相似性については、ほとんど誰も語ってません。まぁ単純に、どちらも押さえている人が少ないせいでしょうけど。それと、FPSは技術的なコンテクストで語られすぎているせいもあるでしょうね(その割に、プロの洋ゲー系ライター諸氏の書く技術話は、本当の技術者からみると、笑いたくなるようなレベルの技術理解ですけど)。

ゲーム性も強いため、物語伝達媒体としては、ノベルゲームより劣っているのも確かです。ただ、映画を頂点とする映像文化をもつ米国などでは、そういう混在した形でしか、表出できなかったのかもしれません。しかし、FPSなどのゲームエンジンを使って、ショートムービーを作る「マシニマ」文化は、そのフラストレーションから生まれたのかも。(参考:3Dゲーム技術を使ったアニメ映画『マシニマ』の可能性

日本のノベルゲームで起きた現象が、(直接的な影響はなかったでしょうが)「現象論」として、欧米でも起きているといえるでしょう。あくまで系譜論ではなく、現象論です。
(ボクは、ゲーム系のコンテンツは現象論としては日本のほうが欧米よりも2,3年進んでいると思っています。また実際、多くの若い開発者の人たちと話してみて、共有している認識でもあります。)

ただ、ARTIFACTさんがノベルゲームについて、「これもそろそろ新鮮味が薄れてきた面が強い」といわれているように、ノベルゲームはもはや物語伝達の媒体として、フォーカスアウトしつつあります。おそらくFPSも同様でしょう。それは、「Half-Life2」や「Doom3」という延期タイトルが証明しつつあります。求められる品質が向上し、開発規模が大きくなりすぎています。
(そういう意味では、去年の段階でFPS系エンジンに乗っかって物語伝達を行ったり、ゲームを作っていくことをマンセーしたゲーム系ライターたちは、時代錯誤の極みといえるでしょう。)

では次が何かというと、その答えを先に出すのはやはり日本でしょう。欧米はもう2,3年あがいた結果、次のフィールドに移行していくのでしょうね。

■1/27追記
ARTIFACTさんの記事のほうで、「ゲームを物語の面だけで語るという傾向」について追記されていました。物語伝達媒体としてのゲームという視点は確かにファミコン時代からある伝統的なものです。

「物語伝達の媒体としてのゲーム」という視点は、初期〜中期のRPGにおける議論、リーフ作品を始めとするノベルゲームにおける議論が確かに顕著でした。言及の多さという点では、この2つの時期がトップでしょうか。もちろん実際には、初期のアドベンチャーゲーム(分岐性)、ギャルゲー草創期(仮想恋愛というテーマ、マルチエンディング性)、「やるドラ」を始めとするアニメ的なゲーム、なども歴史的には無視できないところです。しかしゲームマニアとゲーム業界内では言及されていると思うのですが、ゲーム外の人からはあまり言及されてない気はします。

糸井重里氏は、ゲームを東氏よりも広く受け止めているのか、「ほぼ日刊イトイ新聞」
中で宮本茂氏との議論をたびたび行ってますね。実は、ゲームの外の人で、ここまでの広さでゲームとつき合えている人ってほとんどいないのが現状です。そこが糸井氏の立ち位置のうまさでしょうね。(しかし糸井氏のゲーム観は古い世代のものだなと感じることも多いです。ファミコン世代以降のユーザーの心理を捉え切れていない気がします)

物語伝達としてのゲームの1つとしてRPGがあったとして、それがそろそろ1つの結論を出しつつありますね。例えば糸井重里氏の関わった「MOTHER3」というタイトルがあって、ものすごい時間がかかった結果、一度中止になって、そして携帯ゲーム機で新たに再開しました。興味がひかれるのは、開発中止座談会のこの部分

宮本:N64のはじめの頃、ドラクエの堀井さんにマリオの試作品を見せたんですよ。堀井さんも、一気に3Dに走るんですよ。 この感じでドラクエがやれたら全然違うって。でもやっぱりまともにここに入ってくるとドラクエじゃなくなるから、まだまだですよ、って止めたんですが、止めたせいでPSへ行っちゃったかもわかりませんけど(笑)。正直すぎたかも。あの冷静な堀井さんでさえもほとんど現実に近い感じのところに自分のキャラクターを全部置いてみるということにすごく興味を持っていました。
糸井: したいんですよ、たぶん。
岩田: たぶん、シナリオを書くひとの本質的な欲望だと思いますよ。
で、今ドラクエ8が完全に3Dになって開発が進んでいるわけで、それが発売された時にRPGって1つの結論が出るというか、大きな区切りに達すると思うんですよね。で、そういう十数年にわたるRPGの流れを誰かまとめてくれないかな、と思いますよ。それは本にするに値するし、たぶん10年後も残っていい本になるはずです。ゲーム業界のライターにどれだけ期待できるのかわかりませんけど、そういう腰の入ったものを書ける人がいたらいいなと思います。今ボクの知る限りはいないですけどw まぁまだ多少の時間はあるんで、出てきてほしいなと期待しますね。

Posted by amanoudume at 2004年01月27日 03:37 個別リンク
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新しい物語伝達メディア
Excerpt: ■1/26追記 FPSとノベルゲームの類似というのは面白い指摘でした。ゲームに関しては、ご指摘の通り、もちろん物語以外の要素も強いと思ってます。元の文章をちょっと書き直しました。
Weblog: ARTIFACT −人工事実−
Tracked: 2004年01月26日 15:01

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