ここ数日、ユーザーの批評とクリエイターについての議論が一気に盛り上がった・・・・かどうかはよくわかりませんが、デジモノに埋もれる日々さんとNao_uさんのお二人がうまくまとめている、と思いました。
デジモノに埋もれる日々さん: レビューに貴賎なし - 客観的な「善悪」を付けたら止められない
しかし、多くの方々が感じ始めているように、そうしたカルチャは2ちゃんねるだけのものではなくなってきています。
(中略)
「2ちゃんねる化」とは何か?
彼らの叫ぶ「2ちゃんねる化」とは、すなわち「むき出しの批判」「むき出しの悪意」との対峙を迫られる事象のことに他なりません。
Nao_uの日記: 批判を作者に届けてしまうメディアの進歩の功罪
たぶんもう既に語りつくされているような話だとは思うけれど、現に2chやAmazonが存在していて、はてなブックマークのようなものを作ることが技術的に可能になっている時点で、喫茶店でのダベリトークレベルの批評や批判が製作者側に届いてしまうことはどうやっても避けられない。小学生レベルの批判や、ろくに触りもしないのに「クソ」と決めつけるような陰口はこういったメディアができるよりもずっと昔から変わることなく存在していたけれど、現在はさまざまな情報メディアの進歩によってそれが簡単に作者や他の聴衆にまで届くようになったというだけのことでしかないのだろう。まぁプロであれば、適応できなければ食っていけないという事だと思うんですよね。もはや世界は変わってしまったんですから。今さら過去には戻れません。
(中略)
このような現実は、それで飯を食っているような人間であれば諦めて受け入れるしかないのだろうけれど、だからといって趣味で創作物を作る人たちにまで同じことを要求するのは酷なことなのかもしれない。
もう1つだけ付け加えることがあるとすると、ゲームはなかなか最後まで遊んでもらえないメディアだということです。本や映画に比べて、最後までたどり着くのに時間がかかりますし、インタラクティブな娯楽ゆえに「難易度」や「作業」が発生して、途中であきらめてしまう人、途中で飽きてしまう人が出やすいんですね。
ゲーム開発では俗に、「○○分遊んで面白くなければ、プレイヤーは途中で投げ出してしまう」といわれます。ゲームのルールや楽しさをできるだけ短時間で、プレイヤーに伝える必要があります。例えば、カジュアルゲームのように規模の小さいゲームでは、「90秒でルールが把握できること」が大切と言われています。たしか、ボクの記憶では、ファミコン後期の時点ですでに、「ドラクエなら1時間ぐらいガマンしてくれるけど、無名のタイトルは15分が限界。それまでに派手なイベントで引き付けないといけない」というような開発者の発言が雑誌に載っていたはずです。
・ゲームの内容とルールを「わかりやすく」すること
・ゲームの序盤で、プレイヤーのモチベーションに火をつけること
ゲーム制作の何割かは、この2つを達成することにあると言っても過言ではありません。また、一般に名作といわれるゲームは序盤がよく出来ています。
ゲームは元来、「ユーザーがなかなか最後まで遊んでくれない」メディアです。シューティングゲームやアクションゲームが全盛の時代は、腕前が足りずに最後までたどり着けない人が多かった。その後RPGが日本で浸透したのは、誰でも時間さえ掛ければ最後までたどり着けるからです。しかしRPGでさえ、時間が足りなかったり、途中で作業が面倒になってしまい、やっぱり途中でやめてしまう人はいましたし、今もいるでしょう。
もちろん、他のメディアでも最後までたどり着かない人は存在します。買った本を最後まで読まない人だっていますし、映画だって途中で映画館を出る人はいます。しかし基本的に「最後まで読む/見るのが当たり前のメディア」です。
作り手としては自分の作ったものを最後まで遊んでほしい気持ちは強いですから、当然そうなるように作るわけですが、ゲームというジャンルの「難易度」という特異性がそれを阻むことがあります。RPGでも最後まで物語を進める前に、レベルアップなどの「作業」を要求します。ゲームというのは、本来なら最後まで遊んでほしい作り手自身が容易に最後まで到達させないような仕掛けを用意する、かなり特殊なメディアです。
ですから、ボクは1時間しか遊んでない人の意見も立派な意見だと受け止めるようにしています。自分の作ったゲームが最後まで遊ばれないという事はありますし、最後まで遊んでいない人の意見を読むこともあります。そういう人の意見は、もしかすると、世間様一般での「批評」の水準には達していないのかもしれませんが、最後まで遊ばなかったという事実がすでに1つの評価になりえる、と考えています。
例えば、「難しくてゲームが下手な私は全然先に進めません。つまらない」とか、「レベルアップが大変で、根気が続かない」という意見は立派な評価だと思います。同じようにゲームが上手くない人、根気のない人は、購入の際に大いに参考にできるでしょう。それはとても有意義なことです。
ゲームが上手な人やプレイする時間と根気のある人が、そういう意見を潰すことはできないと思います。しかしゲームが下手な人にアドバイスしてあげたり、その障害を突破したらどれだけ楽しいことが待っているのかを(ネタバレをせずに)嬉々として語って聞かせたり、時間を費やした先の面白さを語ることは可能です。またその結果、最後まで遊んでくれる人が増えることは、作り手にとってありがたいことです。
2年前のエントリーですが、関連する内容を挙げておきたいと思います。
定価分の満足
コメント
自分が学生時代の時は、映画なんて1800円払ってたかだか2時間、ゲームは5000〜1万円するが数十時間は遊べる。と、
「費用あたりで潰せる時間」
で考えてましたが、社会人になってからは密度という視点が加わりましたね。
ゲームは数十時間かけて一つ、しかし映画では2時間で一つの物語が味わえる(3部構成作品など例外も増えてますが)
となると、映画の方が
「より濃い時間が過ごせる」と。
努力してまでゲームにつき合うヒマ人は多くないんじゃないかな?
もっとも、夢中になれるゲームの場合は
それこそ時間を忘れて没頭するんですけどね(笑)
投稿者: BAN/ | 2006年03月29日 14:22
難しいですよね。
ストーリー的な密度では、映画には絶対に勝てませんから。
今よりももっと安い価格で、数時間で楽しめるものがあっていいと
思うんですが、案外ユーザーがついてきてくれません。例えば、
ダウンロードで1000円で買えるノベルゲームというのがありましたが、
全然聞かなくなりましたから。
ノベルゲームのダウンロード作品は安かろう、悪かろうのイメージが
定着してしまいました。ノベルゲームの世界はまだ大作志向以外は
なかなか厳しい状況です。
客層がマニアに限定されていることもあって、数ヶ月に1度の濃密な
時間を求める人が多いんでしょうね。
実際、ボクにしても、Type-Moon作品は完全にどっぷり浸かりたいですし。
ライトノベルにおける長編と短編集みたいな関係で、もっと軽い物が
出てくるといいのかな、とは思いますけどね。
投稿者: DAKINI | 2006年03月30日 00:10
ゲームの不利な点としては長時間拘束される、いつやめられるかわからないという点も大きいのではないかと思います。
例えば、書籍だと自分の好きなときにやめれますし、映画だと一回2時間などと時間が決まってます。
しかし、ゲームは思ったとおりの時間でやめれないのがやはりつらいなと、
昔の話ですがRPGを出かける前に2時間ほど時間が空いていたのでやったところ、その間セーブポイントがひとつもなく、やめようと思ってもやめれなかったとか、
最近ではMMOを初めてみてパーティーを組んだところ、途中でやめようと思っても拘束されてやめれなく、それ以後やらなくなったりと、そういう点がきつかったりするのではないかなと思います。
ただ、最近のゲーム(自分がやるのはRPGが多いのですが)はそこら辺も考慮されてきているなとは思いますが、例えば、
こまめにセーブポイントが用意されてり、短い時間で区切れたりとか、しかし、それとほぼ比例して難易度も下がってしまう(やり直しが容易になる)という良くない点も出てきてしまって悲しいのですが(FF12とか)
投稿者: FIN | 2006年04月01日 01:09
始めやすいとやめやすいは、実は表裏一体ですね。携帯ゲーム機の場合、
始めやすく、中断しやすく作るのが当たり前です。昨今の携帯ゲーム
市場の盛り上がりの裏にも、携帯ゲームの「始めやすさ」「中断しやすさ」
があるのは確かでしょうね。
>ただ、最近のゲーム(自分がやるのはRPGが多いのですが)は
>そこら辺も考慮されてきているなとは思いますが、例えば、
ですね。
マニア向けのゲームも、2〜3年前から、中断ポイントが増えて、
30分、1時間ぐらいでやめられるような作りの物が増えてきています。
ストーリをある単位で、「○○話」という風に区切ったり、ステージの
大きさを抑えたり、1階ごとにセーブできるようにしたり・・・・。
投稿者: DAKINI | 2006年04月01日 01:58