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このサイトは、ゲーム開発、およびゲーム周辺の周辺技術や動向について日々考察し、毒舌的に物を書き続けることを通して、「ゲームの未来形」という大テーマに対して、何か考えを深められるといいなあ・・・・・・というサイトです。

2004年02月16日

ゲーム市場(ユーザー)を把握しているEA

ここ数年の米国の市場拡大をドライブしてきた会社の1つは、間違いなくEAだ。(注1)
EAという会社はきわめて「わかりやすい」。今EAが取っているゲーム作りの方法論も、根本はシンプルでわかりやすい。だが、合理性をつきつめた会社がわかりやすいのは当然なのかもしれない。


ゲームに革新性は必要ないというEAのビジネス・ロジック

EAのゲームは、映画の版権タイトルとスポーツゲームが多いが、オリジナルタイトルでも映画ゲームと同様の大作感を演出したものが多い。映画ゲームにしても、毎年映画の新作が出るわけではないから、オリジナルストーリーでゲームを作るのだが、その作り方はきわめて映画的だ。

例えば、007では、「007 ナイトファイア」「007 エブリシング オア ナッシング」といったオリジナルストーリーでも、映画ゲーム並みの演出と金がかかっている。ボンドガールも用意し、実際の俳優をCG化してゲームに登場させている。日本での発表会は、日本人ボンドガールの伊東美咲さんが登場して、話題になった。

もう1つ、EAは売れげな要素を取り込むことにも貪欲である。
「Splinter Cell」で評判を博したサーモビジョン、いわゆるマトリクスエフェクトのゲーム版である「ボンド・センス」(これは「MAX Payne」が最初に取り入れた)、自動車・ヘリ・戦車と多彩な乗り物(「GTA3」などでも顕著だが、欧米のゲームでは多彩な乗り物を乗り回せることが流行っている)と、売れたタイトルの人気ある要素をこれでもか、これでもか、とてんこ盛りにしている。

EAのゲームは実際の所、それほど新規性や革新性はない。これは多くの開発者が感じている事実だろうし、もしかすると、それゆえにEAの方法論を好きではない人も少なからずいるかもしれない。

ゲーム開発は「読めない」といわれるが、すでに成熟した部分も多くあり、そこに比重を置いて作れば、納期性の高いゲーム作りは十分可能だ、というのがEAの考え方の根幹だ。なーに、他の会社が新規要素を実験し実証してくれたら、それをてんこ盛りにすればいいのだ。自らリスクを冒す必要はまったくないじゃないか。あとは、映画的な作り方をすればいい。分業化による、本格感のあるシナリオ、映画的なデモ、……。


ユーザーを見切ったゲーム作り

現在のゲーム市場は、ユーザーの多様化が進んでいる。やや乱暴だが、市場(ユーザー)を3つに分類してみる。

A) ゲーオタ。1つのゲームをかなりやり込んでくれるが、単純な水増しボリュームには否定的。
B) そこそこ遊ぶ人たち。 現代人(特に大人)は忙しい。ゲームを最後まで遊ばない人はかなり多い。
C) ゲームは値段が高いし、あまり遊ばないという人たち(かつてのライトユーザー)

EAは今のユーザーが最後までゲームを遊ばないということをよく理解している。だからEAのゲームはしばしば、最初が一番面白いといわれる構成を取る。ゲームを買った人が全員、最後まで遊ぶわけではない。映画や小説と比べて、ゲームは最後まで楽しんでくれない人がかなり多いメディアである。元々そういうメディアだったが、ここ最近、ますます最後まで遊んでくれなくなっている。大人のユーザーは忙しいし、子供にも他の娯楽がいっぱい提供されている。この単純な事実を開発者はよく忘れがちだ。実際に自分がゲームを遊んだ時のことを考えればわかるはずなのだ。みなさん、最後まで遊んだゲームが何本ある?
 
けれども作っている時には案外、忘れてしまう。開発者はおいしい物を後半に残しているのだが、前半でユーザーのほとんどがやめてしまっている、という不幸なケースは案外多いのである。はたから見ればこっけいかもしれないが、作っている側は真剣なのだ。

ゲーム開発者は、1)買った人の何割が最後まで遊んでくれるのかという点を意識すべきだし、2)最後まで遊ばなかったユーザーがそれでも次を買ってくれる程度の満足感は与えるべきなのだ。というのは、買った人全員が最後までいけるようなバランス調整は、(RPGならともかく)現実にはなかなか難しい。そこまでやさしくしてしまうと、うまい人たちがヌルすぎて、退屈してしまうし、達成感も乏しくなってしまう。

EAはゲームを最後まで遊ばない人たちに満足感を与える一方で、ゲームをやり込む人たちにあり得ないボリュームを提供している。『SSX』『NEED FOR SPPED UNDERGROUND』などのタイトルでは、クリアしても、クリアしても、次々と隠しモードだの隠しステージだのが出てくる。いったい何ヶ月遊べばコンプリートするんだよ!!というアホみたいなボリュームぶりである。

わかりやすくいうと、中国式(あるいはアメリカ式か)の食事の出し方なのである。中国では相手が残すようなボリュームを提供する。食べきれないぐらいの接待をしました、というのを良しとする文化だ(日本は昔は食べ尽くすことを良しとするユーザー文化だったが、今はだんだん残すユーザー文化になってきている、と思う)。ゲーオタと呼べるほどのコアなゲーマーたちがゲップをして、「もう入りません」というぐらいの、ありえないボリュームをつっこみ、「満腹」させるわけだ。

EAの方法論は、ユーザーを満足させるというごく当たり前の、しかし忘れられがちな、実にシンプルな原理に基づいている。EAのブランドも信頼感も、「EAのソフトを買えば、満腹できる」という単純な事実の積み上げによるところが大きいのである(もちろん、積極的に、スポーツのスポンサーになっていることもブランド寄与している)。


何がどうして売れるかはわからないが、どうして売れ続けるかは簡単だ

いいゲームがすなわち売れるわけではないとはいえ、ユーザーを満足させなければ、長持ちしない
これは事実だ。いくら宣伝してゲームを売りつけたとしても、ゲームを買ったユーザーが失望すれば、次からは買わなくなる。ゲームを売る上で話題性は大事だ。しかし話題性だけでゲームを買っても、満足しなければ、次は買わない。

(例えば、「スパロボ」シリーズがどうしてあんなに売れるのかわからないという意見を耳にしたことがある。あの作品の良し悪しについては、個人の好みもあるのだろう。しかしネットを巡回して、ゲームの感想を読んでみれば、1つの事実ははっきりする。「スパロボ」シリーズは、買ったユーザーを満足させているという事実だ。何がどうして売れるかはわからなくても、どうして売れ続けるかは明白なのだ。)

いいゲームが売れるわけではない。しかしユーザーを満足させるゲームでなければ売れ続けない。
世の中を悟った気になって、「いいゲーム作ったってどうせ……」などとほざく開発者がもしいるなら、それは糞ガキの性根だろう。ちょっと小知恵をつけた小中学生が、さかしらにゲーム市場を語ってみせたりするのと同程度だ。小利口な開発者など、さっさとフェードアウトしてしまえ。まぁ勝手に自然淘汰されていくのだろうが。自業自得だ。

何度もやり玉にあげて申し訳ないが、いい例がSCEJだ。PS1時代には新規性のあるソフトを数多く発売し、ユーザーにも受け入れられていたが、PS2時代にはすっかり閑古鳥が鳴いている。ユーザーを満足させ続けた『GT』『みんゴル』以外のタイトルは壊滅的で、ユニークなタイトルを出しても誰も買わないし、そもそも流通から信用がないから、出荷がどれもこれも少ない。

繰り返すが、娯楽の世界ではユーザーを満足させなければ、次が続かない。しかし案外、ゲームはユーザーを満足させるのが難しいメディアなのである。「最後まで遊んでもらう」ということさえ、なかなか難しい(上述したとおり)。

ちょっと前、ゲームそれ自体が娯楽の中で、価値ある遊びとしてもてはやされた時代には、ユーザーはがんばって最後まで遊ぼうとしたかもしれない。しかし今やゲームはone of themになり、そこまで時間をかけるような娯楽ではなくなってきている。
(ノイズの見城こうじ氏が執筆されている見城こうじの空想ゲーム学の第45回「オンリーワンからワンノブゼムへ」第54回「アドバンテージ喪失の時代」が非常に興味深いです)

だから従来よりも、ユーザーを満足させることが難しくなっている。ゲーム開発者は、自分自身がゲームを遊んでいるスタイル、時間配分を振り返って、より多くのユーザーを、それぞれのスタイルに応じて、楽しんでもらう方法を考えなければならない。(注2)

学ぶべきは表層的な技術などではなく、ユーザーを満腹させるという、ただその姿勢だけだ。


注1)
PCゲームのFPS系大作はそもそもまったく貢献していない。そもそもDoom3やHalf-Life2はここ数年の好景気時代に発売されていない。つまり何も貢献していない。はるかな過去には貢献したかもしれないが、今はしていない。そしてPCゲーム市場は年々縮小している。当然だ。期待作がこうも発売されないのだから。また、コンシューマ市場で成功したFPSはほとんどがオリジナルエンジンであり、そうでない物でも、既存のエンジンを大幅にカスタマイズしたものだ。

欧米市場の成長と、PCゲーム系FPSエンジンとの関係はじつは希薄であり、それを無理矢理リンケージしようとするロジックは最初から破綻している。にもかかわらず、そのような言説を書くゲーム系ライターが何人かいるが、それは「自分が好きなゲーム」を誇大宣伝しようとする精神のなせる所業であろう。あるいはPCゲーム系の開発を提唱しても受け入れられなかったトラウマがなせる所業か。
いずれにしても、個人制作的、少人数制作的な古き良きPCゲーム開発の方法論は、現世代において破綻をきたしつつあり、そのような開発の仕方をとっている会社は過去の名声を除けば、もはやフェードアウトしている。

注2)ユーザーを満足させるというと、しばしば「なら小さな会社はどうしようもないじゃないか」などとのたまう、浅慮な開発者がいらっしゃる。確かに映像的なボリューム感を出すには規模が必要だろう。そんなこと、FFぐらいしかできないかもしれない。

しかし、ゲームのやりがい、やり込みといったものは、全然規模の問題ではない。それはファミコンの頃から存在し、今も大して変わらないものだ。それこそウィザードリィにしろ、「平成のウィザードリィ」たる『魔界戦記ディスガイア』にしろ、『ファントムブレイブ』にしろ、規模は小さい(以前も書いたが、ああいう絵柄のソフトの割にムービー1つないのである)。

また、『無双』シリーズ本編に対して、その半年後に発売する『猛将伝』がある。あれは純粋なデータとしては、それほど追加要素がないが、ゲームのモードを多種類にしたり、個々の武将に思い入れのあるユーザー心理を巧みについて、武将ごとのシナリオを追加したり、うまくツボをついている。

ゲーム本編がすでにできているなら、そこにやり込みの深みを掘り下げることは、+αのコストにすぎないはずなのだ。今はもう、そういうことまで見据えて、ゲーム本編を設計し、スケジュールを練らなければダメなのではないか。ここ最近の例を見れば、むしろ小さな会社のほうが焦点の定まったゲーム作りをして、評価を勝ち得ているケースが少なくないのである。海外においては『GTA』がそうといえるかもしれない。あのチームがグラフィックにこだわっていたら、シェンムーのようになっていただろう。大手のほうが割くべき労力の配分を間違えて、続編をダメにしているケースが目につく。

Posted by amanoudume at 2004年02月16日 00:33 個別リンク
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