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このサイトは、ゲーム開発、およびゲーム周辺の周辺技術や動向について日々考察し、毒舌的に物を書き続けることを通して、「ゲームの未来形」という大テーマに対して、何か考えを深められるといいなあ・・・・・・というサイトです。

2006年04月19日

発掘エントリー 「市場価値のないユーザーを相手にするのは大変だ」

はてなブックマークを見ていたら、2年前の記事がwebarchiveから発掘されていたので、そんなにニーズがあるならということで掘り起こしました。以前、古い記事は整理してしまったんですよ。

2年前の記事ですから、当然、現在のボクの意見と異なる部分が少なからずあります。また、参照している記事も古いので、その点は注意してください。

この2年で国内のゲーム市場はどう変わったでしょうか。マニア向けに絞ったゲームを投入した会社は赤い海で溺れつつあり、ライトユーザーに向けてゲームを投入した会社は青い海をおおらかに泳いでいます。いつまでもマニア向けに作っていても、ジリ貧化する、レッドオーシャン化するという主張は当時から続いています。しかし当時は、国内市場のマニア層→海外市場、という予想をしていました。正直、ここまで短期間でライト層が活性化するとは思っていませんでした。

    ↓    ↓    ↓    以下、2年前の記事を発掘したものです    ↓    ↓    ↓

May 11, 2004
市場価値のないユーザーを相手にするのは大変だ

市場価値の縮小している男性オタク層

コンテンツ業界の悩みは深いが、とりわけオタク業界は大変だなあ、とつくづく思う。もはや新しいネタもとくになく、過去の資産を強引に焼き直すしか手がないようだ。
「トップをねらえ2!(仮)」、製作発表!!
かつてオタクに受けた作品の「2」をいまさら制作する、しかもかつての制作者がすでにいなかったり、作品の方向性を根本からねじ曲げていたり。ひどいもんだ。彼らはもう何が当たるのか、まったくわかっていないし、途方に暮れているんじゃないか、と思う。

ここ数年顕著なのは、男性のオタクの市場価値がゼロに近づいているということだ。
その辺は、ギャルゲー市場の縮小、萌え系コンテンツの迷走、エロゲー市場の長期的衰退などに顕著に表れている。また、男性のオタクが中心になって”一定以上の市場形成をなしえた作品が、アニメや漫画に皆無、という事実からもうかがい知れる。ネット上では話題になっても、実際にはたいして売れていない作品が多い。

最近は、女性のオタクが中心になってヒットにつながった作品のほうが多い。たとえば「SEED」「ハガレン」がいい例だ。ジャンプの漫画では「ONE PIECE」や「HUNTER×HUNTER」も無視できない。ここ最近のヒット作はほとんどすべて、女性のオタク層が中心になり、その後有象無象の男ども(あ、俺もふくむけど)が群がって、市場を形成している。男性オタクは市場形成能力を欠き、女性オタクのほうが市場形成能力を維持(増大?)している。

こうした市場動向は、着実に制作 or 供給側の認識を変えつつある。エロゲー業界では、アリスソフトの「大番長」やTYPE-MOONの「Fate/ stay night」、ニトロプラスの「デモンベイン」など、男性キャラ重視の潮流がはっきり生まれ始めている。規模の小ささから市場の動向に敏感にならざるを得ないためか、あるいは制作者側の時代のニーズに対する直感か。(むろん、これには「萌え」から「燃え」という、一部の男性オタクの嗜好の変化も影響しているとは思う)

そうしたニーズに乗れない旧世代制作者は、縮小し、分裂しつつあるオタク(男性)市場を前に途方に暮れているわけだ。その代表がガイナックスであり、その周辺もふくめた一部の古いオタク世代の人たちだ。90年代後半にやたらと出張っていたオタク文化論者の人たちが最近とんと元気がなかったり、クラシックなオタク世界に閉じこもって、全然動向を追えていないのは、単純にかれらがおじさんになったためだろう。

問題は彼らが自分たちのおじさん性にどれだけ自覚的なのか、ということだ。自覚したうえで、旧世代を相手に細々とビジネスをつづける、という確信犯的な選択もありだが、さて、いつまでもつかはあやしいもんだ。そうした彼らの悲惨な現状が、「トップをねらえ2」に顕著にあらわれている、というのは決していいすぎではないだろう。正直、痛々しい。

ユーザーの買い手市場という錯覚

市場価値のないユーザー層を相手にするのは大変だなあ、と思う。今はコンテンツがあふれていて、ユーザーが好きなように選べるし、違法コピーもふくめて、かなりユーザーが強い時代だというイメージがある。それは一面の事実なのだが、同時に虚構でもある。

というのは、今コンテンツ制作者&供給者がユーザー(市場)を選ぶようになりつつあるからだ。口うるさいだけで金もろくに落とさないユーザーよりも、もっと簡単にお金を落としてくれるユーザーに、ビジネスのフォーカスが当たるのは自然なことだし、あら探しばかりするお客よりも素直に評価してくれるお客に、制作者が心を傾けるのも自然なことだ。

国内のオタク業界においては、男性オタク→女性オタクという移行は顕著だ。また日本のコンシューマーゲーム業界も、明らかに国内の市場に見切りをつけ始めている。このあたりは、ゲーオタの人なら割と肌で感じていることではないかと思う。日本よりも、欧米で先に新作発表が行われたり、積極的に情報が露出されたり、欧米ユーザーの嗜好性にターゲッティングしたゲームを開発したり、という流れはここ2年ほどで、かなり明確な流れになりつつある。各社とも、全世界におけるローカライズ体制を急速に強化している。

つまり、より強く支持してくれる優良な市場(ユーザー)に対して、より優良なコンテンツとサービスを提供する、市場規模にあったターゲッティングが今後ますます盛んになっていく。そうなると、切り捨てられたユーザーは離れていくかもしれない。そして市場価値はますます縮小し、コンテンツ制作者&供給者はますますより優良な市場に傾いていく。たとえば「ゼノサーガ」のキャラクターデザインの変更などがいい例だろうか。

もはや市場は日本だけではない、という時代がすでに始まっている。その結果、一部では国内コンテンツ制作者とユーザーの間で、ますます乖離が起こるかもしれない。
    ユーザー「買ってほしかったら、もっと○○しろよ」
    制作者&供給者「あ、売れないなあ。よーし、もう国内はどうでも
               いいや。買ってくれる欧米の意見をもっと聞こう」
    ユーザー「俺ごのみじゃねえよ。もう絶対かわねえ」
    制作者&供給者「買わないなら客じゃねえな。買ってくれる人の意見をきこう」
                      :
                      :
もちろん、これはわかりやすくするために、オーバーに書いたわけで、実際ここまで子どもの喧嘩じみた対立はありえないがw、このようなズレは今後拡大していくのではないか、と思う。不幸だが、しばらくはしょうがないと思う。それがビジネスというものだ。
「お客様は神様だが、買わないやつは客じゃない。客じゃないやつの意見は聞く必要がない」
このシンプルな論理だけがビジネスを動かすのだから。

Posted by amanoudume at 2006年04月19日 00:08 個別リンク
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コメント

掘り進まれた鉱脈をさらに掘るには何が必要なのか。

目に見える形での積み重ね
以前にゲームが文化か否か?という意見を書きましたが、オタク文化の衰退と、欧米とは方向性を違えた日本的なゲームの嗜好性について少し書いてみたいと思います。
掘り尽くされた鉱脈として一番わかりやすいゲームのジャンルはシューティングだと思いますが、このライバルすら撤退したジャンルに挑戦する企業が少ないのは何故なのか?
シューティングではヒットを飛ばせないのか?シューティングに新しい可能性は無いのか?。結論は、解りません(オイ。正確には私には才能が無いので解りません。
もっと言えば、真剣に大量のサンプルをとって研究するだけの根性も無いので解らないです。
シューティングゲームというのはインベーダーの時代からゲームの黎明期に盛んだったジャンルですが、難易度・インタラクティブ性との融和、システムの改良などが出尽くして発展性があまり無くなったため、ほとんど目が向けられなくなったジャンルです。
では本当に終わりなんでしょうか?掘り尽くされた鉱脈をさらに掘り進むにはまず、最後に掘り進んだ坑道まで辿り着かなくてはなりません。それは過去の作品を一通りプレイしてみるのが一番早いのかもしれませんが、全部のゲームをプレイするのは現実的ではありませんし、ゲームをプレイして受けるインスピレーションがストレートに制作者の表現したかったことにつながるとも限りません。
シューティングゲームの今後の可能性を知るには、それまでのシューティングゲームに対して誰にでもわかりやすく、目に見える形で一応の結論を出す必要があると思います。
それは積み重ねたものをまとめる、ということですが、それがイコールゲーム学、というものでは無いでしょうか?
わかりやすくシューティングゲームを例にして話を進めましたが、日本のオタク層が海外のマニア層が嗜好するゲームに手を出す、という展開に関しても、日本のオタク層が好むゲームと海外のゲームについて体系的にまとめられていたら、それを目にしたゲーム開発者が日本でFPSをヒットさせるような橋渡しをするゲーム、そんなミッシングリンクが登場していたかもしれません。
私は現場の人間ではありませんので、ゲームの制作現場でジャンルの選定やゲーム性についてどのような議論が交わされているか解りませんが、ゲームを作る側だけではなく、プレイヤーも参加でき、ゲーム性や表現について研究・発表が出来るような場所が必要なのかもしれません。
そんな事に何の意味があるのかと思う人も多いと思いますが、ダメならダメ、良いなら良い、ゲーム性やゲームの方向性について、きちんとした結論に辿り着く迄の時間がかなり短縮されるのでは無いかと私は思います。そして、ビジネスとしての動きが非常に加速している現代においては結構重要なんじゃないかと。

この発掘エントリーと
http://www.4gamer.net/news/history/2006.04/20060421235540detail.html
4Gamerのこの記事を読んで、少し思った事を書いてみました。

あー。
ボクは別に好きでゲーム学をやる人はそれはそれでいいと思い
ますが、それが役に立つとは微塵も思いませんね。

ちょっと時間が無くて言及できてないのですが、そのGLOCOMに
ついては特に評価してません。東氏のノベルゲームについての
過去の言及を見れば、東氏にゲームデザインを語る知的資産も
能力も無いのは明らかですし。
(まぁ、別に何も期待して無いから、勝手にやってればいいと思い
ますが)

いい例かどうかはわかりませんが、別に文学部がヒット小説を生み
出すために存在するわけではないのと同じといいますか。

>ゲーム性やゲームの方向性について、きちんとした結論に辿り着く迄の時間

うーん、こういう物は議論で「結論」が出るものではないと思います。
逆にそうなったら終わりでしょうね。

過去を振り返ってまとめるだけが限界でしょう。結論出せるのは、
ゲームデザインの天才だけでしょうね。

それと、身も蓋もありませんが、ゲームデザインの議論だけで
市場での可能性が議論できるとも思いません。

ボクはマーケットの議論について、商品を作ったり売ったりしてない
人が議論するのは、やはり限界があると思います。アカデミズムが
市場を語っても説得力を感じませんしね。そんなことより過去を
まとめたらいいんじゃないでしょうか。

例えば日本で300万本売れたソフト、といったら、FFやドラクエ、あるいは最近だと任天堂DSの「脳トレ」みたいに「超メジャー」じゃないですか?ファミ通はじめゲーム雑誌ではバンバン特集が組まれ、あらゆる層が買い求める
 ですが海外を視野に入れると意外とコンスタントに出ているんですよね。
 私が開発に参加したゲームも昨年300万本の売り上げがありました。ですが、日本の売り上げは5万程度・・・当然、雑誌などではほとんど取り上げられませんでした。
 それを考えると「日本っていうのはゲーム市場の大きさでいくとローカルになっている」とつくづく思いますね。

 今後中国やアジア市場の拡大を考えると、ますます「日本人相手にした商売だけではどうにもならない」ことがわかります。が、未だに日本人ユーザーには洋ゲー(といいつつ日本人が開発してますけど)に拒否反応を示している方も多いみたいで・・・

 別に日本ゲームが悪いとは言いませんが、もうちょっと海外ゲームに視野を広げてくれると、別の楽しみも増えるんじゃないかと思うのですが・・・2ちゃんやネットに代表される「口だけで結局買わない」のはもったいないと思いますけど。

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