前回のエントリーが「涼宮ハルヒの憂鬱 第3話」で、今回が「第4話」。更新頻度の如実な低下を物語ってますね。
まぁ時期が時期だけにねえ。とはいえ、E3前のこの時期はニュースが一時的に減るから、話題も無いんですけどね。
強いて言えば、3分ゲーコンテストのあのゲームですか。
日刊良スレガイド 「超怖いゲームみつけた」より。
『愛と勇気とかしわもち』
なつみSTEP系。こういう毒のある世界は好きです。
それはさておき、やっぱり原作未読者へのフォローが無いまま、『涼宮ハルヒの憂鬱』後のエピソードを流すあたり、さすが。しかしこの確信犯的な不親切さが、大方の予想をこえて成功している現象をどう捉えたらいいんですかね? 感覚的には何となくわかるんですが、うまく説明できません。んー、まぁ要するに、世の中にいかに親切なものがあふれているかということ、親切さの過剰な状態なんじゃないかな。もちろんただ単に不親切なだけでも、通用しないんですけどね。
この辺り、dominoの編集後記さんの考察はちょっと興味深いです。
ハルヒ1話目は原作ファン以外にはちっとも優しくない作品であり、原作販促の意味合いは強くない、と捉える事もできそう。でも、アニメ開始以降今までのところ爆発的に原作の文庫は売れているんだよなぁ。角川からの注文FAXにも、何のデータか知らないけどアニメ開始直後の対前週比408%アップ、みたいなことが書いてあったような記憶があるし。ファン以外にはちっとも優しくないのに何故なのだろう『ドルアーガの塔』の引用もなるほど。
話はそれますが・・・・。
そういえば、(げーはな先生が以前から力説しているように)ドルアーガは今の時代の感覚で、冷静に考えたら、ただのクソゲーと言われてもおかしくないわけです。けれどもその場合のクソゲーというのは、クソゲー=不親切=悪ということなんですよね。不親切=悪という論理を意識的にか、無意識にか、生み出したのはたぶん任天堂だと思うんですが。しかしそれがいつのまにか、日本のゲーム業界の常識になり、海外のゲームもPS2以降は非常に親切になる一方。けれどもどうなんでしょうね、この「親切さ」というのは。
最低限度の「親切」と過剰な「親切」の違いを、ちょっと考えてみたい気もしているんです。勘ですが。ええ、勘ですとも。不必要な「親切さ」が逆にユーザーを制限するということもあるんじゃないかなーと。わかりやすい例を出すと、親切心からチュートリアルが30分も用意されているんだけど、30分もチュートリアルやってたら飽きちゃうよ・・・・みたいな。
話を戻すと・・・・。
そうそう、ハルヒの成功を語る上では、You Tubeの普及の波にうまく乗ったことも無視できませんね。第1話放映後には、EDテーマの作画クオリティが話題になり、たちまちEDのムービーがYou Tube上に掲載されたようですし、またたく間にかなりの数のMADムービーが作られ、まとめサイトまで作られています。
参考:YouTubeにおける『涼宮ハルヒの憂鬱』MAD映像まとめ
2chやブログ界隈を見れば、You TubeにおいてアニメのOP、EDムービーが一大ジャンルに成長しているような印象を受けます。おそらくリンクを張れるという利点によるものでしょう。著作権的にはアレげなものの、アニメ制作者を始めとして、映像コンテンツ制作者はYou Tubeから自分のコンテンツの権利を守りながら、同時にYou Tubeを利用してネット上での話題性を高めることを企むべきなのでしょうね。
Posted by amanoudume at 2006年04月26日 00:30 個別リンク
コメント
最近はゲームに限らずこういった親切心、サービス心が無いともうダメ、
な風潮がありますね。
チュートリアルでも最近のを遊んでみると
一本道に押し込まされてる感をたまに抱きますね。
なんつーんでしょうね、親切過ぎて逆にお節介ってやつ?
生まれて初めてRPGやシミュレーションゲームを手にした時、説明書と睨めっこしながらあーでもないこーでもないと自分で自分を一生懸命「開拓」していく感じがまた面白かったというのもありますね。
まぁ最近はそうしたものを出すと「クソゲー」もしくは「マゾゲー」というレッテルを即効で貼り付けられるのがまかり通ってますが。
これなんだろう?と思って、ある程度開拓してみたら「そうか、そういうことか!」と感じさせるコンテンツはもう出ないのでしょうかね。
投稿者: あんごるもあ | 2006年04月26日 18:55
はじめまして。いつも楽しく読ませてもらっています。
すいません。実は私、ハルヒ原作未読で新規購入者です。今読んでます。いいつけを守らず4巻まで買わず一巻だけです。すいません。
購入のきっかけは、やはりYou Tube(とこのサイト)ですね。そこからamazonで購入しました。amazonで購入という点が大きく、ネットで話題になったものを、購買意欲がなくなるうちに注文できるのが災いでした(笑)。
http://gamersta.at.webry.info/200604/article_3.html
こんな意見もありますし、
今後書籍やゲームの売れ筋は、おっしゃるとおりネットでの話題性がキーポイントになるかも知れませんね。
投稿者: arumamis | 2006年04月26日 20:43
見る機会があったので、見たのですが、確かに面白いですね。> ハルヒ
面白かったので、今、原作を読んでいるところです。
原作未読で見た人間としては、アニメは突き放し具合が想像力を刺激するつくりになっているように感じました(アニメ自体のクオリティが高いので余計、理解したくなります)。私もアニメを見て原作が読みたくなり買ったクチなのですが、人間には根源的欲求として、欠けたものを埋めたいという欲求があるのではないかとかと思います。テトリス的欲求というか。
あと、シーケンシャルな作りになっていないので、先が読めず、だらだらと惰性で見るような感じでないこともエヴァと同じ匂いを感じましたね。
まあでも、それもあくまで、制作会社が王道の演出技術に自信があるからできた演出のような気がします。王道的な文法をきちんと押さえた上でないと、それを意図的にずらす意味がないでしょうし、製作側の意図外のところで文法がずれているのは、視聴者は単なる『不出来』としてしか見なしてくれないと思います。
(でも確かに、DAKINIさんの言う
> 親切さと不親切さ
という−私は『不親切=ツン(突き放し)、親切=デレ(フォロー)』みたいなニュアンスだと解釈しましたが−鑑賞者を引き付ける作品の態度のバランスの問題は確かにあるかも知れませんが。)
そういう意味では、
> 不親切=悪という論理を意識的にか、無意識にか、生み出した
任天堂がブルーオーシャン戦略を取っているのも面白いですね。アニメというレッドオーシャン市場でのハルヒの戦略と比べると対照的だと思います。
要は、ゲームに関心がない人に関心を持たせることを主眼とした戦略(ただし、コアユーザも満足させる構造)に対して、コアユーザーをさらに濃くすることを主眼とした戦略(ただし、原作未読の人も取り込む構造)という対比です。一般層が大多数のリアルワールドで話題になっているという現実と、濃い人間の声が大きいネットで話題になっている現実の対比という意味でも面白いと思います。
言うのは安しですが、後者の戦略を取れば、枯れた市場といわれる2Dシューティングの復活もやり方によっては可能なのかもしれません。個人的には、ハルヒブームが一般層へどこまでどのように波及するか興味があります。
まあ、任天堂が狙っているのはちびまる子やクレしんであり(究極的にはサザエさんか)、エヴァやガンダムではないと言われれば、そうなんでしょうが、なんかそうすると、最終的には、ゲーム会社には自分の立ち位置を問われるような気がしますね。そういう意味では、小さなお友達を主眼において、大きなお友達も楽しめるプリキュア的立ち位置のゲームメーカーがもっと増えても良いような気もします。(でも、ファミコンの頃のゲームメーカーってもともとそういう立ち位置だったような。やはり、中高年層を中心に狙っていくべきなのか?)
投稿者: bin3336 | 2006年04月26日 23:09
>あんごるもあさん
> なんつーんでしょうね、親切過ぎて
> 逆にお節介ってやつ?
そういうのはよくありますよね。
中には、本末転倒な物もあります。
例えばタイトル画面から『ゲームの説明を聞く』を選べるんだけど、
説明がムービーと音声になっていて、いちいち読み込みが入る、と。
で、よくわかんないキャラがしゃべって説明してくれるんだけど、
妙に長くて聞いた端から忘れそうで、終わってタイトル画面に戻る
ときにまたローディングが入るから、その間に忘れちゃう・・・・という。
本人達はきっと、自分達がファミリー層を取るために最善の努力を
していると思い込んでいるんだろうなあ・・・・と想像すると、まさに合掌。
>arumamisさん
>今後書籍やゲームの売れ筋は、おっしゃるとおりネットでの
>話題性がキーポイントになるかも知れませんね。
世代が進むごとにその傾向は強くなっていくでしょうね。高齢者にしても、
時間だけは膨大にあるので、ネットがある程度は浸透していくでしょうし。
>bin3336さん
>制作会社が王道の演出技術に自信があるからできた
おっしゃる通りですね。
クオリティがブランド化しつつある京アニだからできたことだと思います。
>最終的には、ゲーム会社には自分の立ち位置を問われるような
究極的にはそういう事ですよね。
任天堂にはガンダムやエヴァは逆立ちしても作れないでしょうし。
ただ、その作家性が個人という単位ではなく、会社という本来、
人格性を持たない単位で評価・ブランド化されすぎているのが、
ゲーム業界の厄介なところです。
個人的には、本における出版社程度には、会社のカラーが薄まって、
個々の作品や作り手の個性でモノを世に出せるようになってほしい、
と思います。
>小さなお友達を主眼において、大きなお友達も楽しめる
>プリキュア的立ち位置のゲームメーカー
スクウェアエニックスあたりは、ポテンシャルとしては、ファミリーと
マニアをうまく取れるような気がしています。マニアックな人たちに
支持されている一方で、ドラクエのような安心感のあるブランドも
持っていますから。
とはいえ、まぁ今のクリエイティブの戦略を見る限り、そうしたポテン
シャルを生かすのは無理でしょうね。『FF12』と『KH2』があって、
あの決算というのは厳しい話ですが、かといってファミリー層を取れる
ほど(RPG以外の)クオリティが高くないですからねえ・・・・。
「DQとFF以外はクソゲー」と言われていた時代から、あんまり
進歩してないのが残念ですね。
投稿者: DAKINI | 2006年04月27日 00:47