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このサイトは、ゲーム開発、およびゲーム周辺の周辺技術や動向について日々考察し、毒舌的に物を書き続けることを通して、「ゲームの未来形」という大テーマに対して、何か考えを深められるといいなあ・・・・・・というサイトです。

2004年04月08日

我々はいまだゲームを知らない

レビューの「的確さ」

こちらのサイトは、非常に秀逸なゲームレビューを多数書かれているようです。
GΛΜΙΛΝ
特にスーパーマリオ、ポートピア連続殺人事件、FF7、逆転裁判のレビューは、瞠目すべき水準に達してますね。(FFシリーズは意外に、作家論が書かれて
ないなあと、再認識しました。)
例えば、スーパーマリオのレビューにおいて、「右に進む」にこだわったゲームデザインにフォーカスしている点。
近年、自由度が高く、取れる行動の多彩なゲームに関心が集まっていますが、プレイヤーをガイドする方法については、甘いゲームが多い。まぁPCゲームをや
り込んでいる人なら、それでいいのかもしれませんが、個人的には5分遊んだだけでウンザリするものも多いです。ゲーム内の各要素を「揃える」ことが結果としてプレイヤーを導き、多くの人が遊べる間口の広さをもたらすという基本は、あらためて学ぶことが多いと思います。

また「逆転裁判」のレビューは的確の極み。あのゲームの肝が証人に証拠(推理)をつきつける時の演出
という意見には禿同。従来アクションや格闘ゲームを得意としてきた会社の開発文化を考えても、大いにうなずける点です。
> 痛いところを突かれ、狼狽する証人。
> これが「バシィィン!」といった感じで、格闘ゲームのようなエフェクト
> と効果音で演出される。
> 音楽も変わり、弁護側の形勢が有利となったことを物語る。
> プレイヤーは、自らの推理と選択によって、法廷という空間を自分のもの
> としたことを体感するのだ。
> この、推理することによってゲームを進めているという実感に起因する
> 快感は、これまでの推理ものゲームでは決して得られなかったものである。
> きわめて秀逸な演出だ。
開発者やマニア層で話題になっただけに、誉めるレビューはかなり多いのですが、ピンとくるレビューがどうも見当たらず、気になっていました。要するに「俺
はこのゲームを誉めたいんだ!」という一言で足りるんですね。他は何もいってません。(別に、「好き好き」という感想なら、それはそれでいいんですが、レ
ビューとしてやられる、と……)
誉めるのは簡単ですが、どこを誉めるかが難しい。そういうことを教えてくれるレビューでした。注1

「ゲームを知っている」という者の安易さ

なぜこの2つのレビューを参照したか、というと、この2本のゲームが「ペットボトル入りの汗」
ふれたゲームの要素間のバランスが取れた、ゲームの要素が「揃った」ゲームだからです。もちろん、先の記事でふれたPS2版「ドラクエ5」もそういうゲー
ムでした。しかし、いくら言葉を並べても、「ドラクエは思い出商品だからね」などと、ヒネた物の見方をする人間はいることでしょう。ではスーパーマリオ
は? 逆転裁判は? それらもただの思い出商品ですか?
「プレイヤーのツボをつく演出」「ゲームの各要素が揃っている作り」という点において、ここ2、3年でこれらのソフトのレベルに達したゲームが何本あった
でしょうか?
これらは、話としては当たり前のことでしょう。誰もが基本だというに違いない。
そう、基本。その割にできていないソフトが多いわけですが。正確には、まったくできていないわけではなく、60点とか70点にはなっています。でも、80
点、90点という域には全然届いていません。
最近、ボクは「欧米のソフトが磨かれてきているのは確かだけど、欧米のソフトがかつての日本の水準に達しているわけではない。日本のソフトが粗くなったせ
いもあって、差がなくなっている」と書きました。我々は日常的にゲームに接しているため、ついつい「ゲームを知っている」と思いがちです。しかし本当にそ
うでしょうか?
かつてスクウェアの坂口博信氏は、「ゲームとして最低限良くできているのは当然として、その上で映像や音楽を映画のような水準に高めたい」と熱く語られて
いました。そしてアクションだの、レースゲームだの、実に色々なゲームが出てきました。その結果はたった数年で出たわけです。それは5年に満たない数年で
した。
どうも最近、ネット上あるいはどこかのイベントでの色々な人たちの発言を読むにつけ、同じような「ゲームを知っている」を目にすることが多くなってきたよ
うな気がするんですね。
# あるいは技術者が「ゲーム? わかってる、わかってる。ところで○○がさ……。
# レンダリングの……がさ。物理の……が」などと語ったりする。まぁ技術者が
# 技術を語るのは自然なことです。けれども、どうしていちいち「ゲームのことは
# わかってますよ」的な言葉が付与されるのか? ただの枕詞なのかもしれま
# せんが、そこにひそむ無意識の傲岸不遜さがえらく気になったりするわけです。
# これは揚げ足取りでしょうか?
で、そのような人たちが本当に「ゲームを知っている」といえるプレイ品質のゲームを作っているのか?
作っていれば、それはもう、何をいうこともありません。けれども、残念ながらそうではないわけです。
もちろん、現在の市場においては、プレイ品質だけで売上は決まらないでしょう。しかし最終的に我々が拠って立つ所は、さわる快感、動かす楽しさしかないの
も事実。ゲーム同士の競争ならともかく、他の娯楽との競争を考えれば、結局それ以外の要素では勝負にならないでしょう。たしかに今、一見頼りになりそうな
豪華な武器が色々と目に映ることでしょう。けれども、まず持てる最大の武器を磨き上げるということを忘れてはならないと思います。
ファミコン20年、たかが20年。
生まれた時にはまだファミコンなんて、この世に存在していませんでしたよ。
我々はいまだゲームを知らない。
成熟? おいおい。
奢るなや。
(注1(アドベンチャーゲームに詳しい人なら、不要な補足でしょうが)
リンク先のレビューを読むと、「逆転裁判」こそがコマンド総当り式を打ち破った最初の革命ソフトであるかのように読めますが、実際はそうではないことは補
足しておきます。先例として「御神楽探偵団」を忘れてはならないでしょう。

Posted by amanoudume at 2004年04月08日 00:43 個別リンク

コメント

はじめまして。冒頭でとりあげていただいたGAMIANの者です。お褒めいただき光栄です。

>はてなダイアリーのほうで、「2」「3」に厳しいことを述べていたり
>しますね。日記は日々の書き流しなので、洗練されてないというか、
>まぁ「愛がない」書き方が多いですね。

言葉を選んでいただき恐縮です。おっしゃる通り、はてなの方は開き直りに近いというか、弛緩しきって書きなぐっているのでお恥ずかしいかぎりです。
特に最近はゲームに食傷気味になってしまっているので、ネガティブ思考になりがちなことは自覚しています。

>アテナさん
たとえばキャラ萌えなどの形で、愛を語るのは悪いことではないと思います。それはそれで力を持つ言葉だと思います。
私が理屈で誉めているのにしても、たとえばギャルゲー萌えのオタクが素直に「○○たん萌え〜」と言うのは恥ずかしいから、「このギャルゲーのゲームシステムはデータベースでポストモダンだ!」とか理屈を言って誉めるのとそう差はないのかもしれません。
一応、http://www.intara.net/og/
の「ゲーム紹介」が愛のあるゲームを理屈で布教しようとしていて、「ゲームについて」が個々のゲームからゲームデザインにおける「普遍」(あるのか?)の
かけらを見つけ出そうという試み(だから厳密にはレビューではない)だったりするのですが、正直割と境界は曖昧ですね。
私も愛があるけれども理屈で誉めにくくて書けてないゲームはたくさんあります。『セプテントリオン』とか『エースコンバット04』とか。
いいところを箇条書きにはできるのですが、クッパの金の斧みたいな決め手を見つけられていません。
DAKINIさんも下の方は書いてくださっていますが、『逆転裁判2』『3』に批判的なことを書いているのはこの辺です。
http://d.hatena.ne.jp/AYS/20031016
http://d.hatena.ne.jp/AYS/20040128
>仮に『2』『3』の難易度で『1』が出ていたとしたら、それをスタンダードだと感じてしまい、『1』の難易度の続編が出たら「簡単すぎ」と叩いたかもしれません。
とは書きました。『1』と同じ難易度だったら……というのはやはり仮定の話でしかないのですが、やや物足りないとは言ったかもしれませんが、叩くというまではいかなかったのではないかと。
問題なのは、『2』『3』の難易度の上昇が、納得のいく難しさでない部分が多々あるというところなのです。
『1』爽快感は、演出・音楽はもちろん素晴らしいですが、簡単な謎というか、自分で謎を解いたように錯覚させる、プレイヤーを無理なく正解に導くデザインにも由来していると思うのです。
その点、『2』『3』はコマンド総当り的部分が増えてしまって、爽快感のための難易度の湯加減は『1』よりも適切でなくなってしまったように思います。
これ以上ははてなの繰り返しになるのでやめておきますが。

また、『御神楽』などを含めた、「推理」がいかにゲームデザインされてきたかという歴史観としては、
http://d.hatena.ne.jp/AYS/20031008
書きましたが、『逆転裁判』の法廷パート全体が、(「ゆさぶる」という情報の引き出しの要素もありますが)基本的にプレイヤーの推理のみ(!)によって進
行するという、これまでのアドベンチャーゲームとは一線を画すゲームデザインがなされていたことを私は大きく評価したいのです。
それは『ポートピア』的なシステムに推理システムを付加したなどというレベルではなくて、『ポートピア』的なシステムを一度白紙に戻して新たに構築したデ
ザインだと思います。
しかもそれは、技術の進歩が可能にしたことではない、というところも特に素晴らしい。
発言の矛盾を見つけて、それをアイテム使用によって指摘するという『逆転裁判』のこの法廷パートのシステムは、『ZORK』の時代から作ろうと思えば誰に
でも作れた。にもかかわらず、(私の知る限り)四半世紀もの間、誰も作らなかった。誰も思いつかなかった。
この発明には素直に拍手を送りたいと思います。
『御神楽』のような先達あってこそ、なのかもしれませんが。

>DAKINIさん
 右側のリンク柱ですね。中身は対談なんですが<逆転裁判レビュー いつものようにおっしゃられているのはわかります。改めて「レビュー」と「感想」の違
いには注意しないといけないなあと思ったので、自戒の念を込めて。
 ああ、そう言っていただけるととても嬉しいです<逆転裁判購入 GBAであのゲームが出たというのは、文庫本を持ち歩くようにゲームを遊ぶ、という意図
もあったのだと思います。
 先の話の続きにもなりますが、「続編希望!」と言ってるのは、単にその作品の続きが見たいだけではなく「この流れを消してはいけない」と思っているとこ
ろもあります。Space Channel
5もそんな意味を込めて応援してました。そういう意味ではパクリ上等でもなんでも出して欲しいですよ、ええ。
>AYSさん
 はてなダイアリーの方も拝見させていただきました。こちらも当サイトの対談にて書いていますが、3においては明らかに「ゲーム内で呈示された状況だけで
はわからない」と思ったところがありましたね。2もあったにはあったんですが、それよりもファンの「あれは違う!」という声に反論したいという思いが強
かったので、敢えてスルーしています。

DAKINIさんは「ゲームの要素間のバランスが取れた」とおっしゃっていますが、まさにその辺りの視点の差が、私のような単なるユーザーと、プロとして
ゲームに取り組んでいる方との差かとは思います。
パッケージとして、商品としてとらえる度合いの差、といいますか。
『御神楽』に関してですが、特にDAKINIさんに反論するという意味ではないのですが、私の視点の表明という意味で念のため繰り返しておきます。
『御神楽』は従来的なアドベンチャーゲームのフォーマットに、推理という(本来コントローラー操作できないはずの)要素をいかに持ち込むかというゲームデ
ザインがなされたという意味では十分に評価しているつもりです。
対して、『逆転裁判』の法廷パートは、伝統的なアドベンチャーゲームのフォーマットというのは無視されている。ほぼ白紙の状態から、「推理」というものを
ゲームデザインするにはゼロからどうシステムを構築するか、という挑戦がなされたように感じるのです。
「RPGを作ろう、じゃあマップと経験値とモンスターだ」「AVGを作ろう。じゃあコマンド選択とフラグのシステムはもう確立しているから、あとはお話と
ウリになる要素を考えよう」的な発想じゃなくて、「推理をゲームにするにはどうすればいいのだろう?」という根本からの発想法だと思うのです(実際は「裁
判をゲームにするには?」だったようですが)。これは、黎明期のゲームでは前例がなかったので当たり前の発想法だったのですが、最近ではジャンルが確立し
てしまって、なかなか出てきにくい、きわめて挑戦的な姿勢だと高く評価したいのです。(GBAだから、AVGだからこそできたともいえるでしょうが)
私の目には、『御神楽』はアドベンチャーゲームの「改良」であり、『逆転裁判』は推理ゲームという新たなゲームデザインの「発明」というように映るわけで
す。
#この辺はもう個人の見方のさじ加減に由来してしまいますが。
#「メッセージが流れて、適切なコマンド選択をするとフラグが立って、またメッセージが流れる。その繰り返し」
#と記述してしまえば、『ポートピア』も『御神楽』も『逆転裁判』もいっしょになります。
パズルゲームで言うなら(時系列と影影響関係が逆なのであまりいい例ではありませんが)、『御神楽』は『テトリス』に連鎖などといった要素を付加した『ぷ
よぷよ』で、『逆転裁判』は落ちものパズルを発明した『テトリス』という感じです。
もちろん『ぷよぷよ』はいろいろな意味で素晴らしいのですが、やはりゲームデザイン史的な位置づけからすると、『テトリス』のヴァリアント、ということに
なってしまいます。
『テトリス』と『ぷよぷよ通』、どっちが長く遊べるかというと『ぷよぷよ通』だと思います。しかも二人で遊べるし。
特にファミコン版の『テトリス』は出来が悪かったので、商品としては『ぷよぷよ通』の方が明らかに素晴らしいです。DAKINIさんの「バランス」の視点
では、この辺でジャッジが行われるのだと思います。
ただ、ゲームデザイン史的な観点で見るとやはり『テトリス』は発明で、『ぷよ』は改良だろうと。
改良は改良で、もちろん評価すべきなのですが、私はこうした区別はします。
とはいえ、『逆転裁判』が『テトリス』のように後のゲームに影響を与えるか否かは微妙ですけど。
#なお、特に私のコラムの参考にしたわけではありませんが、『逆転裁判』のゲームデザインの試行の跡はこちらで読めます。
http://www.capcom.co.jp/newproducts/consumer/gbasaiban/column/column_1.html
http://www.capcom.co.jp/newproducts/consumer/gbasaiban/column/column_7.html
http://www.capcom.co.jp/newproducts/consumer/gbasaiban/column/column_9.html
#いま発見したのですが、さらに『御神楽』の原点に迫った指摘も!(笑)
http://www.ipc-tokai.or.jp/~otake/mikagura/mikagura.htm

「惜しかったなあ」的な史観でいえば、同じ作り手がリメイクして完成させた(あるいは深めた、ポピュラリティを得た)例をよく考えます。
GAMIANで書いたのは、『ヘラクレスの栄光3』→『FF7』ですが。
あるいは『スウィートホーム』→『バイオハザード』、『メタルギア』(MSX)→『MGS』などがすぐに思い浮かびます。
いずれも、オリジナルの段階で一部で高く評価されたものばかりですが。
あるいは協力と対戦を併存させていた『マリオブラザーズ』とか。(後で『バルーンファイト』の原型『ジャウスト』が起源らしいと知りましたが)
「『ZORK』の時代から作ろうと思えば誰にでも作れた」というのは、『逆転裁判』の法廷パートの基本システム(証言の任意の箇所に証拠品をつきつけるこ
とのみによって展開するゲーム)のことのみを指します。これはファミリーベーシックでも作れるかもしれない、ということです。
もちろん、特定の人物に証拠品をつきつけるとフラグが立つゲームはたくさんあったわけですが、それだけで推理ゲームを作ってしまった例はなかったと思うの
です。
もちろん演出面など、パッケージトータルで言えば、GBAでしかなしえなかったことは理解しているつもりです。
ところで、『スーパーマリオ』が『パックランド』の影響を受けているというのは、宮本茂本人が認める発言をしているのをどこかで読んだ記憶があります。
GCで『パックマン』が出たのも、その辺に理由の一端がありそうな気がします。
#ところで、DAKINIさんがリンクされていたこの文書 http://www.n2gdl.net/bookshop/gametips48/gametips48.htm 、どなたか有償版をご覧になりました?
#微妙に胡散臭い気もするので、誰かの勧めなしに購入する気になれないのですが……。

長文すいません。

まさしく受け取り方の違いが出ているわけですが、AYSさんの
張られている開発者日記は、ボクも当然すべて読んでますよ。
そのうえで、それをもって「改良」と取るか、「発明」と取るか、
という違いじゃないですか。正確には「改良」と「発明」の中間
みたいなところでしょうけど。

ボクはせいぜい「逆転裁判」は「テトリス」→「ぷよぷよ」レベル
だと思ってるので、そこら辺に認識の違いがあると思います。

ボクは「テトリス」の革新性というのは誰が見ても、それまでの
ソフトとハッキリ違いがわかるようなインパクトがある、というもの
ではないかと思います。普通のあまりゲームが知らない人が
見た時、『ポートピア』も『御神楽』も『逆転裁判』も”いっしょに”
見えるんじゃないですか? ゲーオタ的には違いが一目瞭然だと
しても。「サウンドノベル」をアドベンチャーゲームから派生した系譜で
語った時、あれは”大きな”進化だと思いますけど(システム的には
テキストアドベンチャーがあったじゃん、っていわれそうですけどね)。

# この「誰が見ても」というあたりが、AYSさんがおっしゃるように、
# ボクら2人の商品に対する姿勢・見方の違いかもしれませんね。


それと、細かいことかもしれませんが、
>「推理をゲームにするにはどうすればいいのだろう?」という根本
>からの発想法だと思うのです(実際は「裁判をゲームにするには?」
>だったようですが)。

この部分の意図がさっぱりわからないんですがw
「発想法だと思う」と書いておいて、実際にはそうではない、
と書いてらっしゃいますし。その後、開発者の開発日記を
掲載されてますけど、これムジュンしてませんか?

# どうもAYSさんは、ご自分の「発明」「発想」という言葉に
# 振り回されているようにも思えるんですが……。

AYSさんは「私の視点の表明という意味で」と書かれてますから、そういう
傾向のある人なんだなあ、と受け取っておきますw

しかしまぁ……。
ボクがAYSさんのレビューに注目したのは、ありがちなシステム
議論好きとはちがった議論をやっておられるところだったんですが。

# 例えば、ボクは「発明」と書いたり、「革新的」という言葉を連発する
# タイプのレビューって、あまり信用しないようにしてるんですよ。
# 正確には「いかにもユーザーさんらしい」書き方だなあ、という
# 苦笑なんですけど。
# もちろん、それはそれで、有意義な意見だとは思います。
# ただ、まぁ、お互い無理に議論する必要はないかなぁ、と。
# 実際、このスレの議論、そろそろ「蛇足感」が出てますし。

> それだけで推理ゲームを作ってしまった例はなかったと思うのです。
> もちろん演出面など、パッケージトータルで言えば、GBAでしか
> なしえなかったことは理解しているつもりです。

立場の表明をしておくと、結局、ボクはあまり「システム」
議論を好まないし、興味がないということですね。演出を
ふくめた議論には興味があるんですけど。

前述の
Articles: ゲーム開発者による「レベルX」総括〜今のゲーム・昔のゲーム〜
http://www.igda.jp/modules/xfsection/article.php?articleid=21
の例でいえば、ボクはパワプロはSFCでなければできないと
答えたデザイナーさんのような立場で、AYSさんはできますと
答えたプロデューサーや「サウンドノベル」がファミコンでできる
と答えた麻野さんの立場だということでしょうね。

ボクは「パックランド」より、その影響を受けて生まれた
「スーパーマリオ」に興味がある、ということです。


そういえば、「GTA」の作者は「パックマン」の影響を受けている、
と、どこかで講演されてましたね。オリジナル信仰がいまだに
強い中、起源をあえて表明し、敬意を払う姿勢はすばらしいものが
ありますね。さすが。

>「御神楽」
「御神楽」云々書いたのは、AYSさんのレビューに文句がある、
ということではなくて、「逆転裁判」のユーザーの場合、それほど
アドベンチャーの系譜をご存じない人もいらっしゃるようなので、
一応システム的にはそういうものがありましたよ、ということです。
システムが新鮮さを生み出すのか、(演出をふくめた)完成度が
生み出すのか。普段から「このシステムは惜しかったなあ……」
という風に思ってゲームを見ているか、「これはうまく機能して
ないし、結局変わってないな。ただの付加だよね」という風に思って
見ているかの違いにすぎないかもしれません。前者は飢えたw
制作者的な見方といえますし、後者はユーザー的な見方とも
いえますね。
>『御神楽』のような先達あってこそ、なのかもしれませんが。
ボクはそう思ってます。「届いていない」のはおっしゃる通りだと思います。
「思いつかなかった」というより「届かなかった」というほうが的確かなあ、
とは感じています。
「系譜論」でつづる場合には、落ち穂拾い的に見ていったほうが
いいとは思います。ただ、AYSさんの場合、「逆転裁判」単体の
作品論として語られていますから、評論としての瑕疵に当たるわけ
ではありません、無論。
# ちなみに系譜論の場合は、歴史的資料として後々参照される
# 可能性があり、情緒、感動よりも「配慮」を重視したほうがいい
# ような気はしています。
>、『ZORK』の時代から作ろうと思えば誰にでも作れた
うーん、ま、これについては、アイデアというものを「跳躍性」を重視
して語るか、それとも系譜性をもって語るかの違いのような気はします。
スーパーマリオとパックランドの話とか。
http://www.n2gdl.net/bookshop/gametips48/gametips48.htm

真に「届いた」作品(逆転裁判、スーパーマリオ)の場合、
「思いついた」という栄誉性をそれほど重く見なくても、十二分
に讃えられると思います。

まぁ、レビューというものは、作品が登場してからの時間が
経過すれば、自ずと変化するものであって、スーパーマリオも
10年後、20年後だから見えてくるものもあったわけですし。
今は「逆転裁判」という至高のソフトが世に出てきて、まだ数年。
”熱いレビュー”が多いのは自然な言説現象ですし、それどうこう
いうつもりはありません。今には今できることを、10年後
には10年後に
できることをすればいいと思います。


ちなみに、やや技術論になりますが、「逆転裁判」はファミコンでは
”技術的には”できなかったと思いますよ。

Articles: ゲーム開発者による「レベルX」総括〜今のゲーム・昔のゲーム〜
http://www.igda.jp/modules/xfsection/article.php?articleid=21>
―― 「実況パワフルプロ野球」シリーズ(1994〜 コナミ)の
> 取材をした時、あのバッティングシステムは、ファミコンでは
> 表現できますかと伺ったんです。プロデューサーの方はできる
> でしょうと答えられたけど、デザイナーの方はできないと答え
> られた。理由を聞いたら、ファミコンではあの大きなキャラクターを
> ストレスなく動かすのは無理だと。
> 麻野:だから何をもってできると言えるのか、同じものを開発した
> 人間でも観点が違うと変わってくる
まぁこれはまさに観点の違いによって変わってくることですね。
しかし作品がいつ出てきてもおかしくなかったけど……という
物言いはやや危険かもしれません。IFの話ですから。
うん、まぁ、制作者は
  「思いつく/思いつかなかった」
  「届いた/届かなかった」
  「できた/できなかった」
ということを分けて考える人は、けっこういると思います。これは立場や
日常的になにを考えているかの違いによるものでしょうね。

>レビューとしてやられる、と……
 ごめんなさいごめんなさい。サイトの方では特に深く考えることなく「レビュー」と言う単語を使っておりました。中身は「面白かったー!」というだけのお
話なんで、ちょっと書き方を直しておこうかと思います。確かにレビュー=評論ですもんねえ。
 そういえば逆転裁判2が出た当時、あっという間にファンが「逆転裁判とはこうあるべきだ!」みたいな意見を構築していたのには驚きました。多くは「○○
はこんなキャラクターじゃない」という方向性の意見だったですが、それでトリックにまで文句を付けはじめるとなると……ねえ。シリーズものを作るのはそれ
はそれで大変な事なのだな、と思いました。

あれ……、そうなってましたっけ?>「レビュー」という単語
誤解はないと思いますが、念のため。
ボクが批判的なのは、いつものように、同じ業界の人たち(ライター&
開発者)のレビューであって、それ以外の記事はふくんでませんので。
より正確には、「逆転裁判」を高く語るために他のゲーム or ゲーム
業界全体を貶めているレビューがありまして、それがずっと気になって
いたんです。なんでそんな文章になっちゃうのかなあ、と。
で、ちょっと考えたのは、書いている本人がどこを誉めたらいいか
よくわかってないのに分析家ぶろうとしているせいなんじゃないか、と。
「誉める」ことが目的化して、さらに暴走しちゃってるのかなあ……と。
# 例によって、あえて対象のサイトのURLは張ってないんですが。
じつはボクが「逆転裁判」を購入した理由は、アテナさんの記事を
読んだからだったりします。
当時、ボクは携帯機には、まるっきり興味ない人間だったので、
話題になってても、GBAという1点でスルーしてたんですよ。
「GBA? おいおい、ありえない」みたいな。
>シリーズものを作るのはそれはそれで大変
くだんのサイトも、掲載されているレビューはすばらしいのですが、
はてなダイアリーのほうで、「2」「3」に厳しいことを述べていたり
しますね。日記は日々の書き流しなので、あまり洗練されてません。
というか、まぁ「愛がない」書き方が多いですね。
AYS--Let’s follow them.
http://d.hatena.ne.jp/AYS/

異議あり!
http://d.hatena.ne.jp/AYS/20040128#p1
ゴドーを待ちながら
http://d.hatena.ne.jp/AYS/20040129#p1

2、3が1と同じ難易度だったら、それはそれで、なんか文句つけて
そうな気はするんですが。まぁ所詮IFですけどね。

シリーズ物の難易度は、制作側には常々悩みの種ですが、意外と
議論されないテーマだったりはします。制作側の問題でしかない、
というのが一番大きな理由でしょうけど、他に2つ理由がありますね。

1)ゲームは歴史が浅いこともあって、シリーズ物が軽んじられる
傾向があります。その辺は「日本は続編が多くて、保守的」という
論調にも通じるところがあります。

2)いずれの意見にも理があって、正論に聞こえるためです。
ユーザーが全員初めて、という条件ではないので、正解が複数
あるんですよ。みんな自分の正解には、正しい理屈を構築するし、
それができちゃうんですよねw

これが小説だったら、普通は1巻から読むので、それで済むん
ですけど、ゲームの場合、流通の都合からいって、そういう文化は
根づきにくい。「逆転裁判」の再販売はよくがんばってるなあ、と
感心します。それでも限度はありますね。

こちらこそ、はじめまして。
過去ログを読ませていただいたところ、以前のサイト(毒舌BBS)
時代から、読んでいただいているようで、恐縮の至りです
(「アニメ」→「特撮」の記事ほか)。
スーパーマリオにしても、「2」はとんでもない難易度でしたし、
「3」以降では右へ右へ一貫性が崩れている等、”初期ゲーム
デザインの純粋性”が崩れてはいますね。
このあたり、「続編のどこを変えて、どこを変えないべきか」という
問題は、主に制作側の抱える課題であり、ユーザー側に立った
場合に考えなくてもいい点だとは思ってます。感想としては。
評論という意味でのレビューの場合、やや引いた視点も必要
でしょうから、「異なるユーザーの異なる正解」があり得る状況に
ついて、配慮がほしいかな、と思うことはたまにあります。もちろん、
手加減せい、といっているわけではありません。
別にAYSさんのレビューが間違っているなどといいたいわけでは
ありません。ただ、「1」に比べると、必然的に的確さが落ちている
ような、one of them的になっている気はしました。(ユーザーの条件の
違いが発生するので)
# ただ、別段彼ら(開発者)が「2」「3」の問題点に無自覚であった
# という印象はありません。
「逆転裁判」の場合、「謎をプレイヤーが解く」という部分が強いため、
単純な物語の変更だけでは済みませんし(推理のネタ出し)、商品
として続編に求められる要件(確立したキャラクター性への配慮、
前作との整合性、ボリューム、難易度)も1作目よりも複雑化して
います。そうなると、当然「商品としての不純さ」のようなものが
入ってくるのはしかたないかな、という気はしています。
……ま、これはやや制作者寄りすぎる言い方ですけどね。そこは
自覚的にやってます。というのは、シリーズ物については、あまり
そういう寄り方をした評論を見かけないものですから。

読者のみなさまへ:
上記2つの投稿から察せられるとおり、まさしく微妙な差異は、
視点の違いによって生まれたものであり、どちらが正しいとか、
どちらが鋭いとか、そういう差異ではありません。
制作者とレビュアーの違いと大雑把にいってもいいし、上記引用中に
あるとおり、制作者の中でも「プロデューサー/ディレクター/シナリオ
/プログラム/グラフィッカ/サウンド」それぞれの立場で見れば、
違いが生まれるものです。
このような差異は、お互いの言説がある一定の水準を超えた場合に
「ハーモニー」として起こることです。そしてそこにこそ、我々が文章を
オープンにした場合の最大リターン、最もうれしい価値があるといえます。
# 無論、これはAYSさんの非常に的確なレビューがあったからこそ
# 到達した水準なのは言うまでもありません。
# アクセス数にはボクもビックリしました(汗
# 今年の始めはその半分ぐらいだったんですが、
# いつの間にかまた増えてたみたいですね(^^;