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このサイトは、ゲーム開発、およびゲーム周辺の周辺技術や動向について日々考察し、毒舌的に物を書き続けることを通して、「ゲームの未来形」という大テーマに対して、何か考えを深められるといいなあ・・・・・・というサイトです。

2004年04月03日

ペットボトル入りの汗

何が求められているかは難しいわけですが

任天堂が去年に引き続き、今年もゲームセミナーの募集を行うようです
去年のセミナーの様子については、NINTENDO ONLINE MAGAZINE 4月号に紹介されていますね。

今の時代、ゲーム開発の教育にも、色々なアプローチの仕方があると思います。米国では映画学科のようにゲーム大学(DigiPen)
できてますし。専門的な個々の要素を重視するという考え方もあれば、全体を見通す力を養うという考え方もあるのでしょうし。ただ、携帯機という比較的規模
の小さいプラットフォームで、実際にゲーム開発を行うのは、有意義なことでしょうね。
時代の趨勢とはいえ、個々の要素に求められるクオリティが上がって、要素間がアンバランスなゲームが目立ってますが、そういうゲームはいくら莫大な労力を
つぎこんでも、なかなか高い評価は得られませんし、売れません。
例えば、この年度末商戦の結果を見ても明らか。
高いグラフィック技術をつぎ込んだ「鬼武者3」の失墜。逆に、粗さはあるものの強い支持を獲得した「戦国無双」。「GTA」に対する強いリスペクトをもっ
て作られたにも関わらず、サウンドとグラフィックが極めてアンバランスな作品になってしまった「ジャック2」。プレイヤーのツボをつく演出によって最高の
リメイクとの絶賛を得た「ドラクエ5」。
# 売れたと評されたソフトにしても、失敗と評されたソフトにしても、いずれも、際だつものは
# あったわけですが、バランスという視点で見ると、どうなのか、ということですね。
# 売れなかったソフトの売れなかった直接の理由は、広報展開の失敗などの要因が
# 大きいでしょう。とはいえ、総合的なクオリティがそれほどいいとも、正直思いません。

ペットボトルに汗をつめて売れるのは宗教だけ
気をつけなければいけないのは、汗を流して作品を作り上
げるのは娯楽になるけど、汗を詰め込んでユーザーに売りつけるのは娯楽でもなんでもないということです。作り手の汗がプンプンにおう「汗臭いソフト」なん
て誰がほしがるのか? 汗マニアですか?
現在の市場で成功するには”大作感”や”ボリューム感”が重要です。ですから単に労力を軽くして作ればいい、などと主張するつもりは毛頭ありません。
しかし労力のかかったソフトにも、売れるソフトと売れないソフトがあり、売れないソフトを見ていると無性に汗臭さが鼻につきます。汗の臭いがプンプンする
ソフト、あなたはほしいですか? 汗、最高。ハァハァ……とか思いますか? 古来から「汗も聖水」として売れるのは宗教だけです。
汗をペットボトルいっぱいに詰めて売れなかった時に「なんで汗が売れないんだよ。くそっ、市場が悪い。ユーザーが保守的なんだ……」と呟くのは簡単です。
しかしそんなに「汗も聖水」商売がしたいなら、さっさとゲーム作るのやめて、宗教でも始めたらいかがですかね。そのほうがお似合いです。
「市場が悪い」とか「ユーザーが保守的」とかほざく人たちに限って、汗のたっぷり詰まったペットボトルを売ろうとしている罠。
すいません、ちょっと臭うんですが。

Posted by amanoudume at 2004年04月03日 01:51 個別リンク

コメント

あえて議論の文脈から微妙に外して書きますが:
(理由はそう、ジャック2も俎上に上がっているからです)
>売上とクオリティは無関係という主張ですか? 
近年、「雑誌評価的な」クオリティと、売り上げとの相関が崩れているようには感じます。
同様に、広告クオリティと売り上げとの相関も…そして実は、ゲーム単体のクオリティと売り上げとの相関も。
黎明期において、ゲームの完成度=雑誌の評価=売り上げ、という強固な相関が成り立っていたのと比べれば、という意味ですが。
そうしたワタシの視点からすれば、DAKINIさんの元発言
>時代の趨勢とはいえ、個々の要素に求められるクオリティが上がって、
>要素間がアンバランスなゲームが目立ってますが、
>そういうゲームはいくら莫大な労力をつぎこんでも、
>なかなか高い評価は得られませんし、売れません。
これは、ゲーム単体の各要素を指しているような書き方よりもむしろ、もっと広義の、
ビジネスデザイン的要素(ゲームのクオリティ、広告展開、発売時期・施策などの要素を同列に見なす、という意味です)
に焦点をあてた方が、今の時代に即しているのではないかなあ、
と思った次第です。

>鶴見さん

クオリティと売上の議論は、時に絶望と諦観をもって語られることが
非常に多いわけですが、同時にそれは、開発者が「目を背ける」口実
になりやすいという心理的罠にもなります。

ボクが上記の記事を書いた理由の1つは、その罠にはまってないか?
という思いがわいてきたためです。もちろん、例にあげたタイトルだけの
話ではないんですが。


ちなみに、ボクは上記の記事で「クオリティが良ければ売れる」などと
書いたつもりはまったくありませんので。そこは誤解されやすい文章
だったかもしれませんが。いくらなんでも、そりゃ青臭すぎる。

売上→クオリティ と クオリティ→売上 って別でしょう。ボクは
「xxすれば売れる」的なことは一切書いてないつもりですよ。あくまで
「売れていないソフト」の話をしているので。

# もちろん、2万本しか売れてないから2万本のクオリティだとか、100万本
# 売れていたソフトが50万本なら半分のクオリティだとか、そういうことも
# いってませんよ。そういう比例関係は、それこそ黎明期でさえ成り立って
# いませんでした。


ただ、ここで「クオリティ」という言葉の意味はなかなか難しい。
 ○労力がかかっていることなのか?
 ○ある要素が良くできていることなのか?
 ○要素間のバランスが取れており、ユーザーのツボをつくことなのか?
 ○「魅力」があるということなのか?

年度末商戦の大作ソフト、労力という点でいえば、価格以上といって
いいような労力がかかっていましたし、その分良くできてもいました。

しかしその「汗」がユーザーにとってはたして魅力という次元に到達
していたのか? 到達していたソフトもありましたし、到達していな
かったソフトもありました。

> それは広報の問題であると同時に、「魅力」を作れていない開発の
> 問題でもあるのではないでしょうか。広報は良くできていること以上に、
> 魅力を伝えるべきだし、開発は良く作る以前に、魅力を作るべきです。

ではゲームソフトの魅力とは何か?
それは色々な解があると思います。本当に色々あるでしょう……。
けれども、各要素のバランスが取れていなければ、「良くできている」が
「魅力」という次元に達することは、永遠にないんじゃないでしょうか。
それは最低限の出発点ではないですか?

あまり長くなってもあれなので、これで最後にします。

「ユーザーにアピールしやすい
部分の品質」これはもちろん、売り上げに関係あると思います。
ただ、汗臭さと売り上げはまったく関係ないと思います。
というのも、そういう開発者の汗を感じら取れるのは同業者と一部のマニアぐらいなものでしょう。

労力が表に結果としてでなかったから売れない。
というのと汗を見せたから汗臭くなって売れないというのは別物だと感じます。

リスクはでかいという噂なので、あえてコテハンで書いてみます。
明日からどんなリスクが待ってるのかと思うとドキドキ(ポヤッチオ)です。イェー。

>労力が表に結果としてでなかったから売れない。
>というのと汗を見せたから汗臭くなって売れないというのは別物だと感じます。

たぶん通りすがりの言われてる事は順序が逆だと思います。
パブリシティーを考えるとき一番表に出すべきは「ゲームコンセプト」です。汗を見せたという訳ではなく汗くらいしか見せる物が無かったという風に考えてはどうでしょうか?

広告はお金のかかる物なので、他にアピールできる物があるのに汗を最優先で表に出す人は普通居ないと思います。
仮にあったとしてもそれは「広告の失敗」ってやつじゃないでしょうか?

>通りすがりさん

言葉を故意にねじ曲げて捉えようとしているあたり、まさしくハンドル名に
ふさわしい内容ぶりだと思います。名は体を表すということを実証されて
ますね。やはりあなたは某掲示板レベルの方でした。議論のための議論、
曲解と曲解のぶつけ合いがしたいなら、そういう場所へ行かれることを
オススメします。

カリガリ博士さんのおっしゃっていることが非常に的確だと思います。


ちなみに、あなたの読解力では何度読んでも無駄かもしれませんが、
ボクが汗臭い実例として、どういうことを挙げているか、もう一度読み
返してみてください。

> 「開発費が凄いんです」とか、「プリレンダがフルポリゴンになりました」
> とか、「ムービーはお金がかかってるんです」とか、「ありえない労力が
> かかってます」とか、年度末商戦でそういうアピールの仕方をした
> ソフトはおおむね、良い結果は得られていないと思います。

どれだけの労力がかかっているかを見抜くことはもちろん、普通の人
には、なかなか無理なことです。もっとも汗臭いソフトは、自ら「汗」
を自慢しているわけですが。別に自慢しちゃいかんとはいいませんが、
そればかりだから、「汗臭い」のですよ。

単に、ユーザーの心に響かない「クオリティ」(カッコ付きです)は
売り上げに響かないという、ビデオゲーム100年の歴史(ン?)を
通じて変わらぬ、ゴールデンルールが、年度末商戦でまたも観測された、
ということですよね?

そんな「クオリティ」=汗をアピールするのは、全くもって汗臭い、
というDAKINIさんのレトリックについては、特に議論すべき点では
ないように思ってます。

>開発者が「目を背ける」口実になりやすいという心理的罠にもなります。

もし目を背けてしまったのなら、それは「仕事」ではないですね。
ビジネス上の目標を設定して、もしそれに到達しなかったのならば、
欠点を見つめて、それを克服すべく努力する――仕事として当然です。


今回、先のコメントでワタシが云いたかったのは、
ユーザーの感じるクオリティ(魅力、と同義に受け取ってください)と
雑誌メディアの評価する「クオリティ」(点数付きショートレビュー)と
制作者あるいは広告担当者の考える「クオリティ」とでは、
微妙な焦点のズレがあるよなあ、という、
議論の流れから微妙に外れた、単なるワタシの所感だったりします(汗

黎明期ウンヌンという書き方は、その焦点のズレが最近殊に顕著なのでは
ないかと、ワタシが感じているコトの表れです。

>そういう比例関係は、それこそ黎明期でさえ成り立っていませんでした。

過去においても、比例関係が成り立っていなかったコトについては同意です。
しかし黎明期においては、雑誌・販売店・ユーザーが一丸となって、
クオリティと売り上げの格差を是正する方向に向いていたように思います。
端的に云えば「クソゲーの駆逐」という共通認識があった、というコトです。

いや、クソゲーの駆逐という認識は今でも変わらないのかもしれません。
ただ、今やクソゲーの定義が拡散し――制作者の技能によって対処できる
範囲を超え、ゲームデザイン/プログラムデザインの失敗ではなく、
ビジネスデザイン的な失敗作を云うようになってきているのかなあ、
と感じています。

ビジネスデザインの根幹を司るのは、依然として「ゲームのクオリティ」
なのですから、この辺りの「ズレ」(もしあるのならば)を議論するコトに
よって、現代における「ゲームのクオリティ」といったモノについて
より深く議論できるのではないか(議論したいなあ)と思っていたワケです。

特に、ゲームデザイン/プログラムデザイン的な価値は「優劣」として
(少なくとも我々制作者にとっては)誰の目にも明らかですが、
ビジネスデザイン的においては「優劣」ではなく
「メジャー/マイナー」という価値観も混ざってきやすい
(すり替えてしまいやすい?)ので、議論百出、面白いのかなあ、と(笑


我々制作者は、ガソリンを燃焼させてパワーに変換する
内燃機関のような物だと思っています。ゲーム業界を駆動する、内燃機関。
熱効率は悪くとも、排気量さえ上げれば(大量のガソリンを食って)
強大なパワーを出すコトはできます。

でも、ユーザーが求めていないパワーを売り物にしても、
1980年代の「ターボブーム」の時ならいざしらず、
21世紀に売れる車にはなりませんやね。
フェラーリは、排気量やパワーで売れてるワケじゃなく、
エンジンの官能性と、所有欲を満たすブランド力とで売れてるワケですから。

おっしゃる通り、ゴールデンルールの再認識というのがボクの
記事の根幹をなすものです。まぁしかし、ゴールデンルール
ゆえに度々、それが忘れられ、それが再認識されを繰り返す
ものとも思います。

いってしまえば、この記事の対象は、比較的若いゲーム開発者
世代(ボクも含む)ということになるのでしょうね。


> しかし黎明期においては、雑誌・販売店・ユーザーが一丸と
> なって、クオリティと売り上げの格差を是正する方向に向いて
> いたように思います。端的に云えば「クソゲーの駆逐」という
> 共通認識があった、というコトです。

なるほど。
その開発者、雑誌、販売店、ユーザーの共通認識にズレがある、
というお話は、現状をうまく言い表していそうですね。

A)開発内での要素間のアンバランスも、B)リリースグループ内
(開発、広報、営業等)での各担当のアンバランスも、C)ゲーム
業界層(ゲーム会社、雑誌、小売店)の不一致も、近年の顕著な
傾向だと思います。簡潔にいえば、大規模化と多様化が原因
なのかもしれません。

いずれもスケールが違うので、自然と処方箋が異なりますね。
ボクの記事の主眼はまずもって、A)の段階の克服にありました。
無論、同時並行的に対処されてよいものですから、B)とC)に
ついての議論もまたあっていいものだと思います。

B)に関しては、自動車産業の例を引くならば、かつては自動車
産業も高コスト体質で、経営が悪化しており、コスト削減と品質の
トレードオフの中で、企画→開発→試験→製造→広報→販売
までの流れを効率化した歴史があります。

開発の初期 or 途中段階において、複数の部署の意見を寄せ合う
(大前提として、まとめ役になるプロデューサーが確立されなければ
なりませんが)必要があるのかもしれませんね。

C)については、なかなか答えのない問題だと思いますが、開発者の
個人サイトが徐々に増えていくことが、結果的に状況の改善の一助に
なるといいなあ、と”漠然と”思ってはいます。


ところで、個人的には、ファミコン黎明期の頃のハドソンの「キャラバン」
や、仕込まれていた「隠しキャラ」「裏技」的なものから学ぶことは多い
と感じています。

当時、市場について、それほど小難しい理屈はなかったと思いますが、
開発、雑誌、ユーザーにとって、魅力的かつ話題性があり、楽しい
”ゲーム内要素”だったはずです。

もちろん、現在でもなお、雑誌社との協力は当然続いていますが、
黎明期のような一致した盛り上げは、あまり観られないなあ、と
感じています。

開発側の仕掛け方が甘い、と思ってるんですけどね。それは、
開発者がかっこつけすぎ、なんじゃないか、とも思うのです。

通りすがりさんへ

さっきは「通りすがり」と呼び捨てにしてすいません。
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし。」
という言葉があります通り、敗因の追求はいつの世も重要です。
開発・パブリシティも皆がんばったのになんで売れないんだろうと思う気持ちは非常に理解できますけど、敗因と真摯に向き合うことは次に繋げる上でも非常に重要ですよ。

「クソゲーハンター」って言葉が生まれるくらい飛びぬけて駄目なゲームを探すのは難しいですよね。「品質」という意味でのクオリティーは今は団子状態だと思います。
何の標識も無しにその団子状態から抜けるのには非常に難しいと思いますが、他に楽な道は無いのでがんばりましょう。
我々は売れてなんぼの商売ですから。

>ボクの記事の主眼はまずもって、A)の段階の克服にありました。
>無論、同時並行的に対処されてよいものですから、B)とC)に
>ついての議論もまたあっていいものだと思います。

ああ、まさにB)とC)に議論を移行できないか、という投げかけだったワケです。

ワタシ(あるいはDAKINIさんをはじめとする制作者サイドの人間)にとっては
A)は(困難ではあるけれども?)実行して当然なコトですし、
周囲の経験者の助言、あるいはフォーカステストなどを活用することによって
克服する手がかりを(各社で)ノウハウとして持っているだろうな、と
思っています。

>ところで、個人的には、ファミコン黎明期の頃のハドソンの「キャラバン」
>や、仕込まれていた「隠しキャラ」「裏技」的なものから学ぶことは多い
>と感じています。

子供向けソフトに関しては、《ミュウ@ポケモン》の例でもわかるように、
ノウハウは連綿と続いているように思いますよ。
というか、ラチェット&クランクでも、ガンガンやってます(笑

ただ、大人向けは…難しい。
ファミコン世代がそのまま上へとシフトした、現在のゲーム消費を担っている中心層は、
嗜好が極めて狭く、なおかつ分散している上に、目が肥えているため、
決まったステレオタイプで狙うコトは可能でも、
新規の題材で食い込むのは極めて難しい、という印象を持っています。

と書くと、

>「市場が悪い」とか「ユーザーが保守的」とかほざく人たちに限って、
>汗のたっぷり詰まったペットボトルを売ろうとしている罠。
>すいません、ちょっと臭うんですが。

に、そのまま該当してしまうのですが(笑
でも…やはり難度が高いのは、厳然とした事実だと思ってます。
そして、新たな市場を開拓する、という選択肢だってあるだろう、とも。


>「クソゲーハンター」って言葉が生まれるくらい飛びぬけて駄目なゲームを探すのは難しいですよね。
>「品質」という意味でのクオリティーは今は団子状態だと思います。
>何の標識も無しにその団子状態から抜けるのには非常に難しいと思いますが、
>他に楽な道は無いのでがんばりましょう。
>我々は売れてなんぼの商売ですから。

カリガリ博士さんの発言には、上から下まで同意します。

せめて、雑誌メディアが「標識」になってくれればラクなのになあ、
と考えるワタシは、ナマケモノでしょうか?(笑
我々が雑誌メディアをカルティベートするコトはできないものでしょうか?

DAKINIさんが「糞ライター」をやり玉に挙げるのも、その一環かとは思いますが、
ワタシ自身、自分なりのやり方が出来ないモノかと、模索中だったりします。

> 子供向けソフトに関しては、《ミュウ@ポケモン》の例でもわかるように、
> ノウハウは連綿と続いているように思いますよ。

そうでしたね。成功しているソフトは、やっぱりちゃんとやること
やってますよね。「ポケモン」「ラチェット」「スマブラ」あたりは、
プロの仕事を感じさせる展開だと思います。

やれてないシリーズ物は、必然的に、子供から忘れられて、
売上を落としているんでしょうね。古参のシリーズ物の場合、
それこそファミコン時代からつき合って大人になったユーザーも
いるので、この辺り、悩みは深いのでしょうが、中途半端に
なれば結局売上も中途半端、枯れてしまうのでしょう……。


>題材選び

ボクが子供の頃、学校で横山光輝の三国志が流行ってまして、
当時の子供たちは、コミック、小説、光栄のゲームの3本柱で、
「三国志」の世界観をすり込まれたものです。

その子供たちが大きくなった今、「無双」シリーズを筆頭として、
歴史上の人物の「キャラクター性」をさらに高めたゲームに食い
ついているのは、なるほどなあ……という気はしています。

表層的な部分で、確かに嗜好は分散化していますが、原体験性
(子供時代に何に洗脳されてきたか)に注目するという方法もあり
かもしれません。


>新たな市場を開拓する、という選択肢

規模の割に、意外とパッとしなかった印象のGDCでしたが、
GDCで一番面白かったのは実はSCEAの人の講演でした。

Game Watch「SCEAの基調講演でPSP対応ソフトの
画面が初公開される」
http://www.watch.impress.co.jp/game/docs/20040327/scea.htm

スライド資料
> PlayStationに比べてユーザー層が
> やや若年層へシフトしているPS2
http://www.watch.impress.co.jp/game/docs/20040327/scea32.htm

PS2のユーザー年齢がPS1の頃より上がっている日本の状況と
比べると、非常に面白かったですね。歳を食えば、なかなか新規の
商品に手が出にくくなるのは、なにもゲームに限ったことではなく、
漫画や小説なんかでもそうで、わりと自然な現象だと思います。

つまり1つの解は、ティーンエイジャーをゲームに取り込むことに
あります。特に高校生〜大学生の取り込みは肝要でしょう。

率直にいって、ケータイ、ブロードバンドという2大強敵がいる
日本といない米国で、この差がつくことは当然とさえいえます。
これは日米のゲーム開発者の能力の上下の問題ではありません。

というわけで、すごい強敵と戦わなければならないボクら日本の
ゲーム開発者は大変ですけど、ですけど、きっとこの強敵を倒すと
経験値がいっぱい、ゴールドがいっぱい手に入って、日本のゲームが
娯楽としてレベルアップするんじゃないか、と思います。

 ハンドルでここに書き込むリスクが大きいというのであれば、こちらと相互にリンクさせていただいているウチはどれほどリスクを背負っているのでしょう(笑)。

 さて、本題についてはほとんど結論が出ているのですが、個人的には「努力の過程を自慢されても困る」と言うのが感想です。
 「俺はこんなに練習してるんだ」というスポーツ選手が結果を出していればまあいいんですが、万年負け選手がそれを言っても……ねえ。

> 雑誌メディアが「標識」になってくれればラクなのになあ

 と考えてしまうのは我々ユーザーも同感でして。雑誌に限らず広告も、ですけど。

補足:
ボクの「汗臭いゲーム」に対して、通りすがりさんは「オナニーゲーム」
と書かれていましたが、微妙にニュアンスが違います。
ちなみに、ボクは以前から何度か書いてますが、鬼武者シリーズの
プロデューサーである稲船氏を尊敬しています(その発言に対して)。
例えば、GCとXBOXを指して「作りやすいしか売りがないようなハード
なんてどうしようもない」と語ったのはその通りだと思いますし、実際
その通りの結果に終わりました。また全世界で発表会を開催した
理由も感銘を受けるものでした。
ユーザーに対してアピールできるものは何か?ということを念頭に
置かれた発言が多いと思います。
そういう視点でいえば、「労力しか自慢にならないようなソフト」は、
どうなんでしょうね?
(「作りやすさしか売りのないハード」って、どうよ?と同じような
考え方ができませんか? 結局ユーザーにとって、何が大切で、
何が魅力なのか?が重要だということ)
「開発費が凄いんです」とか、「プリレンダがフルポリゴンになりました」
とか、「ムービーはお金がかかってるんです」とか、「ありえない労力が
かかってます」とか、年度末商戦でそういうアピールの仕方をした
ソフトはおおむね、良い結果は得られていないと思います。
それは広報の問題であると同時に、「魅力」を作れていない開発の
問題でもあるのではないでしょうか。広報は良くできていること以上に、
魅力を伝えるべきだし、開発は良く作る以前に、魅力を作るべきです。

勘違いされると困るので書いておきますが、別に匿名で書くなという
意味ではありませんので。他の方々も基本的にハンドル名ですしね。
内容があまりに短く、書き捨てのようなハンドル名だったので、論じるに
値せず、として消しました。
リスクでかいですか?
まぁそう感じるのは自由ですけど、ボクがそれに合わせるつもりは
ありません。しかし、業界人率が異様に高いとはいえ、実数として
数千人が見ているような規模では全然ないし、気にしすぎでしょう。
今後の「通りすがり」書き込みについては、削除する可能性があることは
明言しておきます。
>極論
というより、あえて説明不足の書き方をしている、というのは認めます。
しかし……。
通りすがりさんのコメントを読んで思うのは、売上とクオリティは
無関係という主張ですか? あるいは、「ユーザーにアピールしやすい
部分の品質」は売上に無関係でしょうか?
そういう風に読めるんですが。もし「そうだ」というなら、ボクと通りすがり
さんがいくら議論しても、ただの平行線で終わるでしょうね。
ゲームの大小を問わず、売れないゲームすべてを「汗臭いゲーム」
というつもりはもちろんありません。とりわけ大規模なゲームについて
いっているのは、文脈からおわかりかと思います。年度末商戦の
タイトルを何本も見ていて、その”観察結果”を書いているつもりです。
# ちなみに昔のサイトはともかく、このBLOGは「釣り堀」として運営して
# いるつもりはありません。
#
# ですので、最近はコメントの議論も控えめにしています。控えめという
# のは、それ以上議論しても、平行線になりそうな場合に、「もう書か
# なくていいですよ」等のレスをつけたり、削除したり、といった対応の
# ことです。コメント欄を釣れた魚の「魚拓」にするつもりはありませんので。

予想どおり、あまりきちんと記事を読まれていない書き込みがありましたので、
削除いたしました。
関係者の方かどうかはわかりませんが、ただの「通りすがり」程度の低質な
書き込みを相手にする気はありません。すべてをタイミングのせいにしたい
考え方は感情としてはわかりますが、議論に値するとは思えません。
># 売れなかったソフトの売れなかった直接の理由は、
>広報展開の失敗などの要因が大きいでしょう。とはいえ、
>総合的なクオリティがそれほどいいとも、正直思いません。

>汗くささ
どのタイトルのどの辺が汗臭いかは、あえて書いてない、ということは
さすがに読み取れると思うのですが……。
(それに無自覚な人に対して、それを自分の目と頭で考えてみましょうよ、
というのが主旨なので。でもいつもの表面的な饒舌ぶりと比べると不親切かな?)
まぁさすがに本気で発売タイミングだけのせいだと思っているわけ
ではないと信じますが。
「ジャック2」については散々書いたので、「鬼武者3」について簡単に
書くとすると、2週目以降の売上のあまりといえばあまりの急落っぷりは、
本当に商品(パッケージ)として無問題だったのでしょうか? そういえば
「鬼武者3」は感想かいてなかった気が……書く気が起こらなかったのが
正直なところ。
映像については、あれをどう評価するかで、その人の「開発者病」の
重症度がわかるんじゃないかな、とだけ。
# まぁ、ネットを見回したところ、大体「この人はこういうだろうなー」
# というのは当たってました。

釣っておいて消去ですか・・・。
>労力のかかったソフトにも、売れるソフトと売れないソフトがあり、売れないソフトを見ていると無性に汗臭さが鼻につきます。
広報展開の失敗などの要因が大きいと予防線は張ってあるものの、この部分で売り上げと汗臭さを関連付けているわけで、売れないゲームは製作者のオナニー
ゲームだとは、ちょっと極論すぎですね。
どうでもよい部分に拘るのではなく、本当に重要な部分にリソースや労力を集中するべきだというのは同意できるのですが、それと売り上げとを関連付けること
には同意できません。
#ちなみに通りすがり以外でここに書き込むのはリスクでかすぎです。じゃあ書き込むなというのはごもっとも。つい釣られてしまいましたね。