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このサイトは、ゲーム開発、およびゲーム周辺の周辺技術や動向について日々考察し、毒舌的に物を書き続けることを通して、「ゲームの未来形」という大テーマに対して、何か考えを深められるといいなあ・・・・・・というサイトです。

2004年04月01日

チェックゲームズその3++

ポップ・コラム ナムコ、「ゲーム性中心主義」に回帰
に禿同。最近のナムコの一連のソフトは実にいいムードを放ち始めていると思います。期待感をもっている人は徐々に、しかし着実にふえていますね(この辺りの議論は「チェック・ゲームズその3」
参照されたい)。
> それでは、世間がイメージしているナムコ像とは何だろうか。諸説があるとは思うが、
> 大まかに言うと『ドラゴンスピリット』よりも前、特に『パックマン』や『ディグダグ』や
> 『マッピー』が現役だった時代のナムコということになるのではないかと思う。誤解を
> 恐れずに言えば、「ゲーム性中心主義」、つまり「すべての芸術的要素が“ゲーム性”
> に従属している」時代だった、ということである。
> 大傑作『もじぴったん』をプレイした時にも思ったことだが、「ゲーム性」を核とした
> 諸要素の見事なまでの統一性に、私はナムコの「原点回帰」を感じた。今やそれが
> ゲームの優劣を決定するものでないことは承知しているが、かつて学校帰りに
> 『ディグダグ』や『ゼビウス』で遊んでいた頃のナムコが好きだった私にとっては、
> とても嬉しいことであった。同じ思いを持つ人なら、きっと楽しめる作品ではないだろうか。
もちろん今はまだ黄金期前夜、あるいは前々夜。
売上という数字には、まだあらわれているとは言いがたい。口さがない人は、「ゲーム開発者しか注目しない」などと暴言を吐くかもしれません。あるいは個々
のソフトの売上だけを見て、なにか知ったようなことを口にするかもしれません。大局的な視野をもたない人は哀れ……。
黄金期とは、黄金のソフト1本によって成し遂げられるものではなく、一群、そう、ソフトの群れによって成し遂げられるものです。狭い意味での市場論を越え
たソフト群の質の高まりによって、ブランドは形成されます。「ブランドを作るには5年はかかる」という名言が示すとおり、最初はなかなか、結果が出ないも
の。最初は徐々に、そう、遅々として感じられるぐらい、徐々に評価が高まっていくものです。
その途中過程をさして、「なぜ注目があつまっているのか、わからない」とか「1本数百円の価値しかない」とか、まぁ色々な妄言を口にする人もいることで
しょう。
しかし、すべては時間が証明します。
もしかすると中の人でさえ、そんな繁栄がやってくることを信じられないぐらいゆるやかに、ブランドというものは形成されていくものです。今はまだ、わかる
人にだけわかればいい。時間が進むにつれて、徐々に、確実に、わかる人がふえていきます。そしてあるしきい値を超えた時点で、一気に、誰の目にも明らかに
なるのです。いま目にしているのは、静かな、とても静かな高まり。我々はその目撃証人なのです。
# わからない人はあまり妄言を吐かないほうが、のちのち恥を欠かずにすむでしょう。

Posted by amanoudume at 2004年04月01日 14:36 個別リンク

コメント

以下は妄言です。
チェックゲームズ3、およびこの記事において、
DAKINIさんは、ナムコが「戦略的に」ゲーム性中心主義へと
回帰しているかのように診ているようですが、
ワタシはこれを、単なる「ナムコ開発内でのブーム」程度ではないかと
思っています。
よくありませんか?
何かヒットゲームが出ると、あえて2番煎じ、3番煎じを狙うやり方。
アーケードゲームメーカーの常套手段です。
ワタシもセガに在籍していた際に、よくやりました。
もちろんナムコも、カプコンも、コナミも。
同じ社内のヒット作の2番煎じ・3番煎じもやりましたし、
他社ヒット作の3番煎じも、4番煎じも。
太鼓の達人が売れたので、「直感的な、アーケードライクなゲームを作れ!」
とのオーダーが、上から出たのかもしれません。
あるいは、開発出身のプロデューサーではなく、
マーケティング出身のプロデューサーが何人も配置されたために、
必然的に「分かりやすい」企画ばかりが通るようになったのかも。
もしかしたら、いくつかの少人数プロジェクトが走り始めたために、
プロジェクトチームの分割が一時的に起き、
その結果、ドミノ倒し的に少人数プロジェクトが増えたのかも。
以上、妄言でした。
原因はどうあれ、
小回りの利くチームが、流行に乗ってゲームを作り――そして成功させ、
それが大きなうねりとなって、ゲーム業界自体のモードになる、
というのは十分有り得ます。そういうのって、ちょっと面白いですね。
ナムコさんには、その流れで「アーケードゲーム」の復権を目指してほしいものです。
(↑唐突ですか? でもコレが云いたかったのですよ)

すいませんが、「妄言」のくくりは、掛け値無しの妄言です。
> ゲーム会社というのはあくまでも集団組織である。しかし、
> 映画会社やテレビ局よりも「作家性」のようなものを期待
> されることが多い。任天堂やナムコやカプコンといったメジャー
> ですら、あたかも一個人作家みたいに扱われることも珍しく
> ないのである。
上昇気流に乗っていた時代のセガの経験が、
まさに↑の文章の通りだったなあ、と、
共感を表明するために書いただけです。
(TTNM氏も同時代を共有しているよね?)
コンシューマ的な大作志向よりむしろ、
本能的・直感的・ワンアイデアでも商品として成立する「キャッチーさ」。
こうしたアーケード的なゲームの復権は、
(あるいは、直截的に「アーケードの復権」は)
ある種の閉塞感を打破する決め手になるであろうと確信しています。
とまあ、議題を自分の思っている方向にシフトさせたいだけなので、
もし引っ掛かるモノがなければ、スルーしていただいて結構です(笑

はあ…。別に酔っ払ってないです。
というか「見えない」とか「認めたくない」とか
そういう、「ナムコの最近の傾向」について
言っているのではなく、私が言いたい事の
焦点は、それを語るDAKINIさんの話法・
論法そのものについてなのですが…。

あまりに予防線がきつく、原理的に反証が
不能論法の命題は、言説としていかがな
ものかと感じたので、書き込みました。
議論は、反証可能性というリスクを持った
命題を提示してこそ価値があるのでは
ないでしょうか。

こういう議論のための議論である「メタ議論」を
「議論ごっこ」と感じられるでしたら、見解の
相違としか言いようがないですが…。

別段、ボクはTTNMさんと議論ごっこする気はないのですが。

>そういう論法はちょっとズルイと思いますよ

>リスキーな予言をお願いしたい所です。

>こういう議論のための議論である「メタ議論」を「議論ごっこ」と
>感じられるでしたら、見解の相違としか言いようがないですが…。

まさに見解の相違でしょうね。
内容に価値があるのであって、議論ごっこに価値はないと思っています。

アーケードゲーム(のある種の部分、大きな部分)は
携帯ゲームにすっかり置換されてしまいましたね。

アーケード的なゲームが成立し得たのは
アーケードという身近なハコがあったが為ですし、

低いクオリティの携帯ゲームが成立し得るのもまた
携帯という身近なプラットフォーム故ですし。

高品質なアーケード的なゲームの存続を許す、
流行廃りに左右されない、
パブリッシャーとデベロッパーにとって収益性の高い、
(プラットフォーム・ホルダーの一人勝ちでない)
そんなプラットフォームを切望するワタシです。


携帯ゲームも、インターフェースが洗練され、
キャリアへの上納金が、リーズナブルな額に減りさえすれば、
そっちに突っ込んで行きたくもなるんですがね。

>キャリアへの上納金が、リーズナブルな額に減りさえすれば、

これはもちろん、パケ代のコトを云ってます。為念。

う〜ん、別に煽るつもりで
書いている訳ではないのですが…。
年寄りの説教とお思いでしたら
スルーして下さい。

>内容に価値があるのであって、
>議論ごっこに価値はないと思っています。

いや、内容に価値があっても、
その提示方法に誤謬があれば、
議論そのものが発生せず、
命題を提示した意味を失い
結局は内容の価値も減損してしまうと
思います。それは勿体ない事です。

最初にお断りしておきますが、私は
「ゲーム性中心主義回帰でナムコの
黄金期がくるだろう。今はまだ準備
期間中だが…」という命題には異論は
無いです。
そう考える人も当然いるだろうし、
そういう事もあるかもしれないねぇ、
と考えています。

ただ、それを

>今はまだ黄金期前夜、あるいは前々夜。
>最初はなかなか、結果が出ないもの。
>最初は徐々に、そう、遅々として感じられるぐらい、
>徐々に評価が高まっていくものです。
>すべては時間が証明します。
>もしかすると中の人でさえ、そんな繁栄がやってくることを
>信じられないぐらいゆるやかに、ブランドというものは
>形成されていくものです。今はまだ、わかる人にだけわかればいい。
>時間が進むにつれて、徐々に、確実に、わかる人がふえていきます。

というような形で、「準備期間」の指定範囲を広げてしまうと、
「ゲーム性中心主義回帰でナムコの黄金期がくるだろう。」
という命題の問題提起性・メッセージ性がそれに応じて薄まってしまい、
「黄金期が来るまでは準備期間」という、常に「真」の状態である
ステートメントになってしまいます。
「確かにそれはそうだけど、それで?」という、低質な議論以前に、
そもそも、議論が発生しないものになってしまいます。

少なくともインターネットという公の場で、かつ
議論を奨励する毒舌使いなら、「5年以内に…」とか
範囲を限定して「真/偽」のある命題にし、「これに
ついてどう思うか」と問う矜持が必要なのではないでしょうか。

何についてのスレかは忘れたのですが、
DAKINIさん自身も「命題の有効範囲を限定しないと、
拡散してしまって議論が成立しない」というような類のレスを
返していたような気がしますし。

いや、おそらく、そこの認識が完全にズレてるんですよ。この記事を
アップした時点から、ボクの姿勢は、要は「そういうたぐいの議論をする
気がない」って点で一貫してるんですよ。少なくともこの話題については。

記事の言外に臭わせたつもり&態度で示しているつもりなんですが。

最近、途中で議論を切ってるケースが多いわけですが、というのも
別にここ、ゲーム開発者の議論フォーラムでも何でもないので。

そもそもボクは、これまで将来についての記事を数十個書いて
ますけど、ハッキリ期限を限定して書いた記事のほうが圧倒的に
少ないんですが。何を今さら?というのが正直な印象なんですよ。

あえて違いをいえば、期限を区切ってないことを暗黙にしておくか、
かなりハッキリ「区切ってない」ことを提示しているか、にすぎません。

つまり今回は「議論するつもりは最初からないですよ」ということを
かなり意識的に提示しているわけです。TTNMさんは無自覚にやって
ませんか?という指摘なんでしょうけど、ボクはわかっててやってますよ、
とレスし続けている。
このスレ、そういう流れですよね。


# 別にアナリストでも何でもないので、「2005年の第3四半期にナムコが
# ヒット作を出しますよ、ワハハハ」とかいっても一銭にもなりませんし。
# いや、それが「5年後にはナムコの黄金期がきますよ、絶対。(だから
# 株、買いましょう)」でも同じことです。

元々そんなこと、当てる気はないし、そこを提示する気もないんです。
それは今までずっとそうでしたし、今後もそうです。


ちなみに、
>「ブランドを作るには5年はかかる」という名言が示すとおり、
と書いているわけだから、時間感覚として、どれぐらいのことを
いっているからは提示してると思いますが。

10年後になっても、「ナムコの黄金期はまだ準備期間です。長い
長い準備期間です」とか、20年、30年たってもまだ「いやー、かなり
長い準備期間ですね、ワハハハハハ」というつもりがないのは明らかでは。

それ以上、細かい制限をつけることに意味は感じません。

>ある種の閉塞感を打破する決め手
このBLOG(そして以前のBBS)でも、以前から何度か、商品の形
(価格と内容、ボリュームのつりあい)が限定されすぎていることが、
現在の閉塞感を生んでいるのではないか、という話があがってますね。
以前から玩具系の情報を定期的にチェックしていて、1つ気づくのは、
玩具の商品企画者が価格に敏感だということ。もう1つは「ちょっと
買ってみてもいいかな」と思える価格にすることの重要性です。
気になるe-Toy遊んでレポート (2001年からあります)
http://www.watch.impress.co.jp/game/docs/backno/rensai/e_toy.htm

何度も例にあげて申し訳ないですが、たとえばSCEJの奇抜系ゲームが
PS1→PS2で4800円→5800円になっていることは、やはり気になります。
昨年秋のGC「集まれメイドインワリオ」が、まぁ、GBAで出たソフトが
ベースになっているとはいえ、3800円という手頃感のある価格で
発売され、冷え込みが指摘されていた当時のGC市場において、
けっこうなセールスを記録したことは、記憶に新しいところです。

価格がすべてでないのはわかった上で、「ちょっと買ってみても
いいかな」と思える価格雰囲気をつくることは大切だと思います。
現在の国内のゲーム市場は、新規ソフトに対してやや及び腰な
面が指摘されてはいますが、その要因は必ずしも、ユーザーのみに
起因するものではなく、ゲーム会社の近視眼的な企業論理(開発費
がPS2になって増えたから仕方ない、等)や、広報展開における
続編重視傾向など、負のスパイラルに陥っている感もあります。

「そんなこと、いってもユーザーは続編と大作しか買わない」(メーカー)
→ 「宣伝は売れ線だけに絞ろう」(メーカー)
→ 「え?そんなソフト出てたの。へー」(ユーザー)
→ 売れない → ……以下、ループが続く

まぁ、あらゆるケースがそうであるとはいいませんが、今はそもそも
「出ていることさえ知らない」ようなユーザーとゲーオタの二極化が
すごい気はしています。みなさーん、そこまでゲームは注目されて
ませんよー!って感じですw


# 現時点では、市場はボリューム感を求める傾向があります。
# いきなり”理想の市場”になるわけでもなし。そういう意味では
# 苦しい時期ですね。>アーケード的なゲーム

# とはいえ、「ゲームをもっと簡単にしよう!」的な話は、例えば
# 任天堂がやたらと主張しているテーマですし、ナムコも「太鼓」の
# ヒット以降、色々いっていた気もしますし、SCEも「EyeToy」以降、
# にたようなことはいっていますし、そちらの方向への回帰あるいは
# 関心の高まりは感じますね。

>鶴見さん
別にナムコが企業戦略的に「塊魂」を開発したと書いたつもりは
ありませんが。
ボクには、鶴見さんが議論のための議論をしようとしているか、
あるいはその「アーケードゲーム」の復権という願望に結びつける
ために無理やり書いているようにしか思えません。
「ゲーム性中心主義」という言葉を使っている記事は、ボクとは
全然無関係のライターの方が書かれたもので、同じようなことを
考えていた人を見つけたうれしさを発端にこの記事を書きました。
ちなみに「もじぴったん」は鶴見さんの妄言とは違った経緯で
生み出されたはずです。「塊魂」は公言されていなかったと
思いますが、まぁ、「太鼓みたいなゲームを作れ」的な発想で
あれが出てくるかというと……、鶴見さんが「妄言」と書かれて
いる通りではないでしょうか。
ゲーム会社というのはすべからく、後付け的な側面をもっており、
企画が通って世に出るまでの過程はヒット作による後押しも
あれば、それまでの開発傾向からの反動もあれば、企業内の
体質という要素もあります。もちろん、実際に製品を市場に出す
という過程の中で、商品にふさわしい市場はどこか?的な議論は
当然出てくるでしょうから、まったく戦略性がない、ということも
ありません。
中途半端な「すべて戦略だった」論も、逆にすべては「たまたま」
論もどちらも違和感を覚えるものです。
ゆえにこそ、参照した記事内において
> ゲーム会社というのはあくまでも集団組織である。しかし、
> 映画会社やテレビ局よりも「作家性」のようなものを期待
> されることが多い。任天堂やナムコやカプコンといったメジャー
> ですら、あたかも一個人作家みたいに扱われることも珍しく
> ないのである。おかしな話だが、映画やテレビに比べて
> ゲームの歴史がまだ浅いことと関係しているのかもしれない。
という風に書かれているのだと思います。

ええ〜っ。
そういう論法はちょっとズルイと思いますよ。
「黄金期が来るまでは長い準備期間」という
のは、「黄金期」が来れば「それ見たことか!」
来なければ「まだ長い準備期間中…」と
コメントすれば良い、どちらに転んでもOKな
命題です。
「良いものもあるし、悪いものもある」のような、
言説としては何も言っていないのに近いと思います。
ここは一つ、「5年後には、1年間に原点型
ゲームが3本ミリオンヒットする、ナムコの
黄金期が来るぜ!」ぐらいのリスキーな
予言をお願いしたい所です。

はぁ?
あの、あなたがやりたいのは議論ごっこなんでしょうか?そういう低質な
議論で、本題からそれてもしょうがないから、したくないから、あえてこう
書いているのがわかりませんか?
そういう文脈を理解することさえできない人とは、議論しても無価値だと
思います。あまり恥をかかれないほうがよろしいですよ。それとも昼間から
酔っぱらってらっしゃいますか?
ちなみに相手の言葉を別の言葉に置き換えて(ex「良い物もあるし悪い物もある」)、
その置き換えた言葉を揚げ足取りする手法は、ただの相手に絡むためだけの手法です。
# 「見えない」という人、あるいは「認めたくない」という人を相手に
# する気はありません。だって「見えない」し、「認めたくない」んですから。
# 酔っぱらいの相手はうんざりです。同じ内容の繰り返しなら、削除します。