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このサイトは、ゲーム開発、およびゲーム周辺の周辺技術や動向について日々考察し、毒舌的に物を書き続けることを通して、「ゲームの未来形」という大テーマに対して、何か考えを深められるといいなあ・・・・・・というサイトです。

2006年03月25日

「クソゲー」という言葉を受け止められない人間がゲームを作るな、と言いたい

批判の仕方/受け止め方

作品への批判の仕方についての議論が盛り上がっているご様子。

naoyaの日記 「作品を批判すること 」

何がそんなに頭に来たかというと、単に自分が面白いと思ったものを批判されてるからというわけではないです。そうじゃなくて人が一生懸命作ったものを安易にクソゲーだとかいってボロクソに書く無神経さが許せない、という感じです。それはもちろん、僕がしょぼいながらもクリエイターというところに起因しているように思うけど。
(中略)
なので、人が作った作品が安易な批判にさらされてるのを見ると嫌な気分になる。作品を批判するということは、その作り手に対して想像以上のダメージを与える行為だから。

Nao_uの日記 「 いいモノを作るためには適切な批判が必要」

極論ではあるけれど、仮にターゲットである人たちの大部分から「良い」と思ってもらえないような独りよがりな価値観の人であるのなら、本人がどう思うかはともかくあまり「クリエイター」と名乗るべきではないように思う。その批判が作品への批判なのか人格への批判なのかが問題なのではなく、「出来上がったものを見て他人がどう感じたのか」こそが一番の重要なポイントなんだろう。
(中略)
それでも、問題点の指摘は必要だし、批判の無いところからはより良いモノは生まれてこない。

ボクは断然Nao_uさんと同意見です。プロのクリエイターはどれだけ口汚い罵倒であっても、批判を受け止めるのが当たり前です。受け止めたうえで、その意見を反映させるかどうかは別ですが、目を閉じたり耳を閉ざしても仕方ありません。現実は変わりません。

世の中には色々な考え方の人がいます。あちこちのゲーム開発者のブログを見ても、この「批判への姿勢」はじつに様々です。ですからボクの意見が絶対に正しいとはいいません。あくまでボクの考え方の表明です、これは。


批判を受け止めるのがプロ

世の中のクリエイターと呼ばれる人々の中には「繊細な」人がいらっしゃって、「ただのクソゲー。つまらん」みたいなストレートな感想にぶつかるとひどく傷ついてしまって、「そんなもん、安易な批判じゃないか」と思考停止してしまいます。また、実際に遊んだのか遊んでないのかを知る手段なんてどこにも無いのに、アンチがユーザーの振りをして叩いていると決め付けたりします。

たしかにネットにおいては、ただ批判するのが趣味な人もいれば、叩くのが自己目的化している人もいるでしょう。しかしだからどうしたのか? そんなもん、ユーザーの勝手なんですよ。そうした意見を読んで、心が傷つくようなプロのクリエイターは、さっさとブロークンハートして、会社を辞めるなり、業界を去るなりしたらいい。

「クソゲー」というのは最短の感想ですよ。大体、娯楽なんてものは究極的には、面白いか、つまらないか、どちらかなんです。「このゲーム、おもしろ」という一言も、百万言費やしてダラダラ誉め言葉を並べたレビューも等価です。「超クソゲー、やめた」という残酷な一言も、一千万言費やしてあらゆる角度から問題点を指摘した解析的レビューも一緒です。

作った側としては、具体的にどこが面白かったか、どこがつまらなかったかを詳細に指摘してもらえれば、次に活かせるからありがたいというだけなんです。自分で長所・短所を見つけるのは、特に客観的に評価するのは意外と骨ですからね。こっちの仕事が楽になるわけですよ。でもそれは「望外の望み」というやつです。棚ボタです。本来感想なんてものは、面白いかつまらないかです。感想に貴賎はありません。いつから「クリエイター様」はそんなに偉くなったのか。


娯楽ってのは面白いか、つまらないか、ただそれだけです

あのですねー、例えばファミコン時代の名作として『ファミスタ』や『スーパーマリオ』がありますね。でもね、ボクはゲームが下手くそな人間で、小学生の頃にはもっと下手くそで、ファミスタで三振ばっかりなんです。9回までやって、1回しかバットを当てられなかったり。ボールが前に転がっただけで、「おっ、おまえwwww今日、うまいじゃん、成長したねプププププ」なーんて、友達に笑われていたわけですよ。『スーパーマリオ』だって、ワープ使っても全然クリアできません。はじめてクリアしたのは中学に上がってからですよ。

そんな人間ですからね、「なんだよ、このクソゲーは・・・・」「ナムコや任天堂って、クソゲーばっかりだな」なーんて思っていたし、言っていました。大体、あの頃の子供は、何らの罪悪感もなく、「クソゲー、クソゲー」連発していたような気がします。一方、今は小学生や中学生だってネットにつなげられて、意見を好き放題書ける時代です。するとあの頃のボクがここにいたら、2chやアマゾンに「ただのクソゲー」と書き込んでいたかもしれません。

タチの悪いクソガキですよ、あの頃の俺。
でもなー、そんなもんでしょ、遊ぶ側なんて。別にかしこまって、正座して、眉間にしわを寄せて、偉大なるクリエイター様のお作りになったスーパー・クリエイティブ作品を遊ばせていただくわけじゃない。パンツいっちょで、ダラーっと寝っ転がりながら遊んで、適当に飽きたらコントローラ投げ捨てて終わりでしょ。

そんなもんだろ、娯楽ってのはさ。そういうことに何か適当な言葉をくっつけて、「批評でござーい」とか「分析でござーい」とか、カッコつけてどうするの? 金出して買ってなくたって、友達の家に行って、ちょっと遊んで「おまえ、こんなの、買うなよ、バッカじゃねw」とか、「これ、つまんねーwwwwww」とか好き放題いう。店頭でゲームを見て、「なんか、これつまんなそう」とか、「相変わらずクソゲーばっかだな」とか、ゲラゲラ笑う。そんなもんでしょうが。ゲームショップの前でかしこまって、礼儀正しくゲームを語るお子様がこの地球上のどこにいるんだよ?

実際、20年前のクソガキ君が今こうしてゲームを作る側に回っていたりするわけで。そんなもんでしょうが。


結局は器の大きさの問題ですよ

ボクは『ファミスタ』のクリエイターに向かって「三振しかしないよ、あんなの。すげー、むかつく」と言ったことはありませんし、そもそも言う機会もありません。『スーパーマリオ』のクリエイターに向かって「あんなの、難しくてできねーよ。クソゲーじゃねーの」なんて言ったことはありませんし、言う機会もありません。しかし仮にそういう機会があったとして、そう言ったところで、これら名作を生み出した方々はちっとも怒らないと思いますね。ハートがブロークンしたりしないでしょう。

だって結局、小僧だったボクはぶー垂れながら遊び続けてたわけですよ。『スーパーマリオ』にしても、中学に上がって、ある時暇つぶしに遊んだらクリアできちゃいましたしね。ずっと遊び続けていたり、ふっと思い出して遊んでみたり。これって、クリエイターの勝ちですよね。まぁ本当は、勝ちとか負けじゃないんですけど。しょせん掌の上って感じ。

要するに娯楽ってのは、ユーザーに「面白い」と思わせるものであって、「面白い」と言わせるものではないし、ましてや「面白い」という一言を百万言のレビューをもって語ってもらうものでもないんです。娯楽のクリエイターってのは「おもしろテスト」を受けて、審査官たるユーザーに点数をつけてもらうために仕事してるんじゃない。点数だの、言葉だのがほしいやつは、小学生に戻ったらどうよ。小学生なら学校のセンセーが「よかった探し」をしてくれるよ。

結局は作品の器の大きさ、クリエイターの器の大きさの問題なんですよ。
たとえ10歳の頃に「つまんねー」と思われても、15歳になったらハマってたみたいな。例えば、そういうもんでしょ、名作って。懐が深い、キャパシティーが大きい、ポテンシャルが大きい作品には、そういう現象を起こす力があります。表層的な言葉や点数に踊らされるのって、結局、作品やクリエイターの器が小さいだけなんですよ。

なんていうか、今回の『FF12』のレビューの件に限らず、器が小さい話が多いよな、最近。いいじゃないの、批評家きどりのゲーオタ君に「クソゲー、クソゲー」言われたってさ。ぶーぶー言いながら、結局最後までやっちゃって、「あれ? お前、文句言ってなかったっけ?」とか仲間に突っ込まれる。で、批評屋ゲーオタ君が「ま、まあ、遊べないことはないからね。ひまつぶしにね・・・・クソだけどさ」なんて、顔赤くして呟いたら、もうシメたもんじゃないですか。

そんなことより、YouTubeあたりで動画を観て、「俺、ムービー観たから遊ばなくていいや。面倒くさそうだしw」とスルーしちゃうようなユーザーがいるかどうかのほうが、よっぽど大問題ですよ。

クリエイターなんてのは、完成させるまで、世の中に出すまでは、そりゃ眉間にしわを寄せてしまうような事もありますけどね、キーキー言って、ワーワー叫んで、ギャーギャー議論するもんですけどね、いざ世の中に出したら、ドーンと構えるしかないんですよ。面白いものを作った自信が本人にあれば、ハートがブロークンしたりしません。どこかに隙があれば、そりゃ心が泣けてくるのかもしれませんが。結局はクリエイター本人の問題ですよ。

Posted by amanoudume at 2006年03月25日 01:37 個別リンク
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Tracked: 2006年03月27日 22:08
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Excerpt: naoyaの日記:作品を批判することhttp://naoya.g.hatena.ne.jp/naoya/20060323/1143099465 FF12は...
Weblog: Thinking on the Midair
Tracked: 2006年03月29日 00:05

コメント

私もゲーム作ってますけど、自分の作ったゲームをクソゲーと呼ばれても案外平気ですね(w。っていうか、作るまでが自分の仕事で、売り出された後の評価はそれとは「別モノ」という意識があるからかもしれません。ある種、客観的に見てしまう、というか。
 これは責任逃れということではなく、出てしまったソフトはいまさら作り直して売るわけにはいきませんし(不良品による回収ならともかく)出てくるユーザーからの意見を聞くとしたら「次回作に生かす」しかできません。

 確かに自分のゲームがネットで散々に貶されて凹んだこともありましたが、それ以上に「よかった」「面白かった」「ここは次回作はこうしてほしい」という意見がうれしくてゲームを日々作っているのかもしれません。

 もっとも、ユーザーの評価がすごく高かったのに売り上げがアレで営業側から評価されない、というゲームを作ったときの方が悔しいですけどね。給料やボーナスに露骨に影響しますから(W。リアルテンションが下がります。

実際、自分が手応えを感じたものを出せた場合には、どれだけ
叩かれても、楽しんだ人の意見があれば、ノープロブレムですね。

結局、一部の声が大きく聞こえてしまうのは、一部の人間の声が
大きいせいではなくて、そういう声を意識的に、無意識に、拾って
しまう側の心の問題でしょう。叩かれて気になるのは、自分でも
悔いが残ったり、隙がある時だけなんじゃないかな。

企画に転じる前には3Dエンジンのプログラムをしていたけれども、
ミドルウェアを作る立場だと、正直関わった作品が誉められても
叩かれても、何にも思いませんね。そういう「手応えの無さ」を
知っていると、叩かれて悲しいとかいうのは贅沢に思えます。
空虚さや無関心、無視が一番怖い。

まぁ続編モノなんかだと、シリーズの伝統とか色々あったりして、
大変なんでしょうけどね。でも、それこそ叩かれてるうちが華です
からね。見捨てられるのはあっという間。

一般的には、納期が足りなくて悔いが残ったりするんですかね?
しかし短いから悔いが残るわけでもないし。ボクは期間の長い
仕事はほとんど無くて、最長でも1年半には満たないかな? 
正直、1年でも長く感じるからなあ。2年も3年も同じゲームを
作る人の気持ちはよくわからない。

作り手は期間をほしがるというのは一般的には正しいんですけど、
短いほうが割り切れて好きですけどね。「リッジ」じゃないけど、
ハード発売に間に合わせろみたいなの。身体には悪いんだけどw

長いとどうしても迷走しがちですから。期間が短かったら1週間、
まぁ最長でも1ヶ月が限度ですから。基本的にスパッと決められるし、
それが良いことですから。なんていうかな、これはボクの欠点でも
あるんだけど、ボクは5分で決められるような事を延々と議論
するのが好きじゃないのね。純粋な無駄話、雑談は好きだけど。

んなもん、ボクが決めるよ。根拠は勘で。みたいな。みんな、
ホントに真面目すぎるよなー。議論したって、勘で決めたって、
大して変わんないんだけどね。まぁ仕方ない・・・。人間ってホント、
理屈と仕組みにすがる生き物だから。民主主義とか議論とか。

いつまで許されるかどうかはわからないけど、ボクはなるべく
少人数で短期間でしかやりたくない。作り手の意図が隅々まで
行き届く規模でしか作りたくない。作家性がどうこうという程の事
でもなく、規模が小さかったらそれなりに作り手の個性が自然と
出ちゃうんですよね。それがいい。そんなもんでいい。

大人数で作って、上に立つ人が監督みたいになって、意図を
行き届かせる、それに何年もかかる。そんなのやりたくない。
それってもはや怨念の世界だから。誰がどうやっても、悔いが
残りますよね。そうなると批判を受け入れられなくなる。「俺が
悪いんじゃない」みたいな無責任だけが蔓延して、「俺たちは
あんなに頑張ったのに」という気持ちだけが残って、頑固になる。

「批判への反応」という点では、血の気の多さってのはあるん
ですけど。それとは別に、尾を引くような類の「批判への弱さ」
ってのは、自分でコントロールできない部分が多いから、逆に
批判に弱くなるんじゃないかなあ、と思うんですよ。信じないと
やってられないんだろうね。キモいなあ、キモすぎる。ボクは
そんな怨念を背負いたくない。

そりゃ大人数でそれなりに期間をかけた方が絶対数では売上が
大きいんだけど、そんなもん作ってる間に何本かやってですね、
そのうちの1本がデカく当たればそれでいいわけだし。

変化は辺境からしかやってこないんだからさ。なのに、辺境は
イヤだって思う人が多いんだな。進んで自分からレッドオー
シャンに入っておいて、赤さが度を越えたら文句を言うわけですよ。
なんなんだ。そこは最初から赤かっただろー、「怨念の海」だって
気づけよ、と。

「怨念の海」でハートがブロークンしちゃうのなら、それはもう
最初から間違えていたか、器が足りないかどっちかなんだから、
さっさと自覚できた方がいいんですけどね。

連続で書き込んでしまい申し訳ありません。

>一般的には、納期が足りなくて悔いが残ったりするんですかね?

 私はそういう場合、悔いが残るというより「ひどい目にあわされた(作業量的に)」と、いう印象しか残りませんね。

 最初に決められたスケジュールがあった場合、そのスケジュール内で出来る完成度の作業をするのはプロの条件の一つですし。期間が短ければそれ相応の対処をします。

 あと、私も3年とかのプロジェクトは関わったことがありますが、正直もうやりたくないです。1年半が限界です。3年もあったらハードや時代が変わっている可能性の方が高いし、3年かけて作ったゲームが売り上げ回収見込みできるほど売れるのは一部有名ゲームだけじゃないかと。精神的にも開発環境でマンネリ感が起きます。

 私はクリエイターという言葉が嫌いで、自分を「作業員」だと考えてます。聞こえが悪く感じる人もいるかもしれませんけど熟練作業員だからこそ出来る提案も想像も、そして対処もありますから。

 ゲームを作るという仕事はもっと「直感的で工業的」であってもかまわないんじゃないかと。うんうん言いながら企画を捻る作家性より、ぱっとサンプル作って感覚を確かめるタイプですので。

管理人さんの発言で「エスパー魔美」で絵を酷評された魔美のお父さんがいったセリフを思い出しました。

「公表された作品については、みる人全部が自由に批評する権利を持つ。
どんなこきおろされても、さまたげることはできないんだ。
それがいやなら、だれにもみせないことだ。 批評の権利があれば、ぼくにだっておこる権利がある!!
あいつはけなした!ぼくは怒った!それでこの一件はおしまい!! 」

作り手のひとにはものを作って世に出す以上は必ず持ち上げられもし、落とされもするんだということは心にとめておいてほしいと思います。

ここで怨念云々言って熱くなっている奴もなんだかなw
>「クソゲー」という言葉を受け止められない人間がゲームを作るな、と言いたい
ここまで言い切るのもずいぶんとウンコな態度だな
というか、クリエーター云々といっているが当のFF12の作り手は何の反応もしてないだろ。
結局はてめえの意見の押し付け合いだろ
ここもここのコメントも含めてな。
メジャーってのはまあ批判を受けやすいし
批判はしやすいわな。ただ「糞ゲー」ってのも安易な批判というか批判にすらなってないただのわけで、まあたしかに相手にするだけ無駄だわな。
全てが安易な方向に流されていくのかね、世の中衆愚の極みだわな。
というか、当のゲームの作り手からは何も聞こえてこないんだが。
ユーザー同士の言い争いだろうにw
最後に言おうか、批判を受け止めない奴がゲームを作ってもよし。
批判を受け止めないプロが居たってよいし、いるだろうね。

てめえの信条どうあれ、結局はそれの押し付けだよな君の意見も。気付けよ
作り手というのはいつから偉くなったんだだと?w
じゃあ、聞き返したいな。作り手というのはいつから聖人君子になったのかと。
「俺の批判(実は批判にすらなってない愚痴)を聞けよ」というエゴとエゴの拡大装置のネット様様だわな。

>いち消費者さん

>メールアドレス: (偽のアドレスは受け付けません)

と書いてあるとおりですので、メールアドレスを修正した上で再投稿していただけないでしょうか?
そうしていただけない限り、掲載許可はしかねます。

ただし、コメント内容は読ませていただきました。
あなたも何か誤読されているようですので、こちらのsilviaさんの
コメントとボクのレスを読んでいただければ、誤解が解けるかと思います。
http://amanoudume.s41.xrea.com/cgi-bin/mt/mt-comments.cgi?entry_id=277

また、文面から何かよくわからない情念というか、思い込みのような
ものを感じましたが、ボクはこの記事において、FF12について
何らの評価も書いていないのですが?
どこかにFF12の内容を評価する記述があったでしょうか?

ボクは単純に、『プロ』の作り手とユーザーの感想の関係について、
意見を表明しているだけです。もう一度冷静に読み直してみて
いただけませんか。

(繰り返しになりますが、再投稿される際には、くれぐれも本当の
メールアドレスを記述してください。ちなみにMovable Typeでは、
コメントした際にIPアドレスが記録に残るようになっています)

ある意味で、自分の中の「おもしろい」を信じて、周りの意見を何も聞かずに突っ走れる人が最強なのかもしれませんね。

走らせてもらえるかどうかは別問題ですが。

発熱地帯の意見は時々カチンと来るけど、それでもずっと読んでるようなもんだなw

まあ最近クソゲーと評価されるゲームは

・ バグが多い
・ バランスが取れていない
・ ストーリーに推敲の跡が見られず、いかにも一発書きっぽい
・ エンディングまで見た後でも、シナリオライターが何を言いたかったのが理解しかねる
・ 自己満足臭プンプンで共感することができない
・ システム面でクリエイターとしての拘りが見られない
・ 明らかに手を抜いていると思われる個所が目立つ

このあたりの何項目かを踏んでいるゲーム、
もしくは、

・ 発売日延期したにも関わらずそれほど良くない出来
・ ゲームシステムの拘りが限度を越えているため、ある程度プレイしても満足感が得られない
・ 詰め込みすぎたためにストーリーがチンタラしてしまい、プレイに時間がかかりすぎる

このへんを踏んでいるゲームばかりかと。
下の項目を解決するのは難しいですが、上の項目は時間と気合をかければある程度解決するはずです。
最近は少なくなりましたが、PS初期に大量発生した「クソゲー」なんていうのは、その大半が努力の足りなさでそう評価されたのではないかと。
努力の産物が結果クソゲーと評価されたなら、原因は下の項目のどちらかだと思います。
評価する人間との相性が合わなかっただけでしょう。運悪く変な奴に当たったんだと思いましょう。

とまあ、製作者サイドの気持ちなんか無視した書き込みをしてしまいました。

ところでテストプレイはシッカリとやってますか?
デバッガーに相応の発言権を与えていますか?
ライターが権利を無駄に多く占めていたりしませんか?
いえ、何でもないです。

売るために売る商品、という物。

感情的な物の見方とは全く別な物の見方ですが
どんな業界でも一年間に使われる金額の総額というのは大体決まっています。
例えば、ゲーム業界は成長業種では無いですから、前年比5%の伸びで前年業界全体で10億
円の売り上げがあったら、今年の売り上げは10億円かける1.05と予想が立てられる訳です。
誤差はあると思いますが、倍になったりはしないでしょう。
そう言う業界の中で売り上げを確保しようとしたら、ユーザーのニーズ、流行、ジャンル
プラットフォーム、営業戦略、広告戦略、生産本数、生産タイミング等様々な要素によっ
て売り上げが上下します。ユーザーの意見、というのはその様々な要素の一つにすぎない
(極端な話をしてます。なんだとこの野郎という感情的な反論は押さえてください。)と思
います。
プロだったら、全体の成果を見渡して、きわめて論理的もしくは打算的に物事を捉えて感
情を切り捨てる部分は切り捨てろ、そう言う物の見方もあると思います。
「えー、それじゃ面白くないじゃん」と思う人もいるかもしれませんが、お金を稼ぐ、と
いうのは、本質的につまらない物だと思います。(もちろん面白くお金を稼いでいる恵ま
れた人も居るでしょう。)
ゲームというのは感情を揺さぶるメディアとこのブログにもありましたが、お金を稼ぐ、
というのは感情を切り捨てた先にも必要な要素がある、とも言えると思います。
なんだか、ゲームという物に対する情熱とか熱意とか言う物と180度反対の方向にある意
見ですけど、お金(制作費)を出す側の意見というのはこういう認識だと思います。
例えばあなたが友達10人と1000万ずつ出し合って、制作費一億円のゲームに投資するとし
たら、いかに面白いゲームを作るかではなく、いかに売れるゲームを作るか、という物の
見方になると思います。
一つの意見として参考までに聞いてもらえたらと思いますが。

> ぉご さん

・始めて15分(〜最長1時間)で面白いと思えない

というのも「クソゲー」と呼ばれやすい条件でしょうね。何時間遊んだら
ゲームを的確に論じられるのか、基準は無いと思いますが、俗に
○○分遊んで面白くなければプレイヤーが投げ出してしまう、とは
よく言われますね。

○○分のプレイでそのゲームのすべてを論じる事は不可能ですが、
プレイヤーが投げ出す恐れはあります。少なくとも通常のプロの
開発者であれば、そういう認識は持っていると思います。

ゲームは元来、「ユーザーがなかなか最後まで遊んでくれない」
メディアです。シューティングゲームやアクションゲームが全盛の
時代は、腕前が足りずに最後までたどり着けない人が多かったです。
その後RPGが日本で浸透したのは、誰でも時間さえ掛ければ最後まで
たどり着けるからです。しかしRPGでさえ、時間が足りない/
途中で作業が面倒になって飽きるために、やっぱり途中でやめて
しまう人はいますね。

本などでも最後まで読まない人はいないわけではないし、映画だって
途中で映画館を出る人はいますけど、基本的に「最後まで読む/
見るのが当たり前のメディア」です。

作り手としては最後まで遊んでほしい気持ちは強いですから、当然
そうなるように作るわけですが、ゲームというジャンルの「難易度」
という特異性がそれを阻むことがあります。

ですから、1時間しか遊んでない人の意見も立派な意見だと、ボクは
受け止めるようにしています。

2年前のエントリーですが、関連する内容を挙げておきたいと思います。

・定価分の満足
http://amanoudume.s41.xrea.com/2004/03/post_10.html

> Dさん

おっしゃっている事は至極まっとうだと思います。というより、
ボクは別にユーザーの意見を至上のものとして受け入れろと
いうような事は書いていません。

silviaさんのコメントとボクのレスを読んでいただければ、誤解は
解けるかと思います。
http://amanoudume.s41.xrea.com/cgi-bin/mt/mt-comments.cgi?entry_id=277

ユーザーの意見を聞くけど、『判断』するのは作り手です。意見を
聞くのと、言いなりになるのは当然別のことです。

ただ、商売とユーザーの意見は必ずしも対立項ではありません。
1本だけ出して売り逃げするならともかく、評判が悪ければ、結局
次に響いてきますから。

例えば、ゲーム会社によって品質やサポートの信頼感が違う
というような話は、ユーザーレベルではよく出ますよね。現在の
ゲーム業界を見渡しても、厳しい状況に陥っている会社とそうで
ない会社は、やはり積み上げてきたものに差が無いとは言い
切れません。

例えば、去年の任天堂のTouch Generations!にしても、あれを
SCEJがやっていても、あれほど成功はしなかったでしょう。それは
単純に10年間で何を積み上げてきたかが違うからでしょう。

もっと規模の小さい会社の場合でも、固定ファンがついていて
買い支えられている所とそうでない所の差はどこにあるのか?
とか、考えるべきポイントはあります。

さて、メールアドレスに関してですが、貴サイトのBBSへ投稿するに当たって、メールアドレスの入力が任意ではなく強制となっているにも関わらず、取得した情報の用途並びに、万一の漏洩など管理に関する責任を明記していません。

もしも、メールアドレスの入力を強制するのならば管理人の責任を事前に宣言するのが筋というものです。

これは管理人への要望ではなく公開質問なので、BBSへこの原文を全てコピー&ペーストした上での回答を要求します。

管理人の回答が、当方が信用に値するものであることを期待します。

いつからそんなにTVゲームは小難しくなったのでしょうね?

ゲーム消費者として思うのは

おもしろいゲームがしたい

マーケティングなんて関係ない
難しい論理なんて関係ない

> いち消費者さん

なるほど。
しかしよく考えると明記していないブログのほうが多いような気がします。
その辺りは検討しましょう。

すぐに回答するとすると、メールアドレスについては、基本的には
別段、何の用途もありません。単純にスパム対策、荒らし対策で
やっているだけです。管理は、ごく常識的に、個人間でメールを
やり取りしたのと同じ扱いだとお考えください。

自分のアドレスを教えたくないけど、相手にはメールしたい、という
事はできませんよね。それと同じ考え方です。強制がイヤなら、
投稿しなくてもいいですよ、という事です。
別にお金を取ってブログを運営しているわけではありませんから。
このブログのコメント欄は、こちらの認識としては、BBSではなく、
公開メールフォームに近いですね。

別のとこでも、書き込んだけど。つまらないといって、騒ぐ時点でその作品にはまってる。B級映画といっしょ、つまらないのに最後までみて嬉しそうにつまらなかったよと語る人ほどはまってる。金払った時点で負けだし、クリエイターも金もらったら、それなりの覚悟というか、もって欲しい。
アマゾンにレビューした時点で、そいつは酷い評価であれ、はまってるよ。

重要なことを忘れてました
今回の記事には共感しました

あとクリエイターはクリエイティブなもの作ってるものなんだからいちいち批判なんて
気にしてらんないって人多いんですか?

もう1つ世に言う傑作を作ったチーム
は何かほかのチームと違うとこってありますか?それともあまり変わらないんですか?それとも運ですか?

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(コメントを投稿しても、管理人が承認するまでは表示されません。すぐに反映されない、最悪24時間以上かかる事もあります。ご了承ください。)