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このサイトは、ゲーム開発、およびゲーム周辺の周辺技術や動向について日々考察し、毒舌的に物を書き続けることを通して、「ゲームの未来形」という大テーマに対して、何か考えを深められるといいなあ・・・・・・というサイトです。

2005年04月10日

評論や感想についての話題

ゲームやアニメ、ライトノベルについて、評論や感想を自分のサイトに掲載する行為についての考察を最近よく見かけたので、メモしておきます。
ゲーム
9bit confusionさん 「ゲーム語りと思春期病」
アニメ
萌え萌えアニメ日記さん 「感想を書かない感想サイト」
萌え萌えアニメ日記さん 「お詫びと自己分析」
あにめの18きんさん 店長にっき4/9(土)
ライトノベル
貧乏だけど心は萌えさん 「ライトノベルのレビューに苦しむ理由」

いずれも感想系サイトを続けている間に浮上した問題、続けることのリスクについて言及されています。ただ、ゲームがアニメやライトノベルと比べて特徴的なのは、否定的な意見を書いた時のリスクが過大であるという点です。仮藻録さんが述べておられるように、ゲームは「一神教同士の熾烈な宗教戦争」のような激しさがあり、アニメなどは「多神教的なのどかさ」があります。もちろん、のどかとはいっても、すれ違いや衝突がないわけではないから、悩む方がいるのでしょうけども。

ゲームの言説界が「一神教」的な理由
ゲームがとりわけ「1神教」的になりがちだったり、「宗教戦争」に なりがちな理由は2つあると思っています。1つは、売上やクロスレビューなど、数値化されたデータが表に見えやすいから。ある種の「決着」がつきやすいが ゆえに、非ロジカルな単純な煽り合いができてしまいます。 もう1つは作り手の顔が見えにくく、あたかもソフトメーカーという会社が人格をもっているかのように語られるから。1つのソフトメーカーから出る数本、数 十本のソフトはそれぞれ異なる作家性、異なる個性をもっているはずなのに、「ナムコらしい」「セガらしい」「任天堂らしい」など、すべてが単一の企業文化 で語られがちな土壌があります。 ゲームの特殊な言論土壌については、モリサワジュン氏が指摘しています。 ポップ・コラム ナムコ、「ゲーム性中心主義」に回帰 PS2『塊魂』 > ゲーム会社というのはあくまでも集団組織である。しかし、映画会社やテレビ局 > よりも「作家性」のようなものを期待されることが多い。任天堂やナムコやカプコン > といったメジャーですら、あたかも一個人作家みたいに扱われることも珍しくない > のである。おかしな話だが、映画やテレビに比べてゲームの歴史がまだ浅いことと > 関係しているのかもしれない。

ポップ・コラム 任天堂の暗黒面、全開! 『あつまれ!!メイド イン ワリオ』レビュー
> もっと大きく言えば任天堂そのものが手塚治虫的だと私は思う。一個人である
> 作家と企業をあてはめて考えるのは乱暴だし無理があるんだけど、手塚治虫と
> 任天堂っていろんなところが似ていると思う。

振り返ってみれば、ボク自身もそのような文章を書くことが多いです。
どうもゲームにおいては、企業文化がゲームの内容にあたえる影響が大きい、という考え方が根強いです。先日の忍之閻魔帳さんの以下の記事でも、同じような考え方が根底にあると感じました。
忍之閻魔帳 「メテオス」のスコアが上がらない
> これは先日「ベルウィックサーガ」をプレイした時にも感じたのだが、
> 任天堂の作品に関わっていたクリエーターが他社でソフトをリリースする時、
> クリエーターのやりたいことが明確になる反面、必ずといっていい程詰めが甘くなる。

こういう見方は珍しいものではなくて、例えば「ガンダム 一年戦争」でも、「ガンダム」の制作ディレクターが叩かれるのではなくて、中にはナムコという1企業への批判まで出てきています。
数の個性が集まっているはずなのに、ゲームの言論界では、1つのソフトメーカーには1つの「教義」があって、その「教義」の是非を問うとか、個々の作品か
ら現在の「教義」を読み解くとか、個々の作品が「教義」にそっているかどうかを検証する、というような雰囲気があります。
ゲームにおいて作家と作品の結びつきがもっと強くならないと、こうした言論ムードは変わらないんじゃないかと思います。映画の例を見ればわかるとおり、集
団で作っているから作家性がハッキリしないなんてことはないわけです。
ただし、現時点においては、1人の人間の作家性が作品の隅々まで浸透させられるようになっていない、という指摘もあります。
「岩井俊雄 エレクトロプランクトン展」が開催――任天堂の岩田氏と宮本氏も駆けつけた内覧会を紹介 >
これに対して岩田氏は「それは1人の意思で全体をコントロールできるような
> 構造ができた時にそうなると思う。それが今できないのは、何十人の人が
> 何人かの指示で作っている。これは誰々の作品、と簡単には言い切れない
> ものがある。でも一方で、もっと誰々の作品と言っていいものまで、ゲームの
> 文法の中に覆い隠そうとする方向に流れていたかもしれない。」
ゲーム業界では、誰が作っているかの情報が表に出にくい時代が続いていましたし、昔はパブリッシャー=ディベロッパーの会社がけっこう多かったのも確かで
す。今はパブリッシャーとディベロッパーが分離する流れが加速していますから、パブリッシャーの個性を重視→ディベロッパーの個性を重視→開発チームの個
性を重視という風に徐々にシフトしていくんじゃないか、と思います。おそらく今は過渡期なのでしょう。

ネット上における布教活動の有効性

9bit confusionさん 「ゲーム語りと思春期病」(再掲)
まぁボクのBLOGはゲームの作品的な評論はほとんど載せてないんですけど、思春期病ケースファイル3:「世の中わかってねえ奴ばっかりだ!」に該当する書き込みはよく来ますね。

> これはもう単純に、自分の好きなものをけなされると逆上するという病である。
> 程度に差はあれ、誰もが抱えるポピュラーな思春期病と言える。
> ただ、これを病というのは、少し無理があるかもしれない。自分の好きなものが
> 見当違いの批判にさらされているのを見て、黙っていられる方がおかしいだろう。

> だが、100人がプレイして100人が面白いというゲームなど存在しないのもまた
> 事実である。見る人が変われば否定的な見解が示されることもある。そのものを
> 必要としていない人もいる。しかしそれでも、発言者の立場や欲求が明らかで
> あれば、批判的なことを言っていてもそれなりに納得できるものだ。むしろ自分とは
> 異なるものの見方を教えてもらえるチャンスとさえ言える。

> さらに病が進行すると、今度は舞台を2chやゲーム系ブログのコメント欄に移し、
> まったりやっていたところに信者VSアンチ論争を持ち込んでグダグダにしてしまう。

大昔は気長につき合ってたこともあるんですが、最近はお互いに時間の無駄だと思って、無視しています。内容が酷くて場を荒らすようなものであれば、削除することもあります。いくら議論したって、それでゲームが面白くなったり売れるようになるわけではないですしね。

「メテオス」の感想を正直に書いたら思春期病患者が殺到するだろうなあ、とは予想してたんですが、やっぱり来ました。
    1.今週のゲーム業界ニュース&メモ(3/14〜3/20) 素材がもったいないゲームと才能がもったいないゲーム
    2.今週のゲーム業界ニュース&メモ(3/14〜3/20) やっぱり書きたいことは書くべきですな。
    > 昨日の日記、「メテオス」についてお茶を濁していますよね。らしくない。というのは、
    > いま「メテオス」って、BLOGだとものすごく評価が高いでしょう。だから正直に書くと、
    > 反論しにかかってくる人がコメント欄に現われそうで、ウザいから抑えたんですよね。
    3.今週のゲーム業界ニュース&メモ(3/21〜3/27) ようやく冷静な意見が増えてきましたか
    4.「メテオス」まとめ

最初は単に「メテオス」についての正直な感想を書き、次の週に「メテオス」を誉めている人がどういう層か?という評判の伝達経路についての考察を書き、最後にネット上での過激な「布教活動」の有効性についての見解を示しました。まぁその最後の部分にだけリンクを貼られて、「『メテオス』好きな人たちを批判する人」などと分類されてしまったのは正直、苦笑しましたが。

まぁボクの関心は、ネット上での口コミの広がり方にあります。
「メテオス」についていえば、コメント欄でも指摘している方がいらっしゃったように、過剰な布教活動がかえって逆効果になったのかどうか?ですね。「逆効果」だったかどうかは判断が難しいんですが、盛り上がるタイミングが早すぎた印象がありました。
ボクは以前から、発売前の期待度が高いより、発売前の期待度が低いほうがいいんじゃないか、と思っています。盛り上げるベストタイミングは、発売前日(フライングゲット時)じゃないかな。まぁこの仮説はまだ自信をもって語れるレベルには達していませんが。

FLATLINEさんが口コミについて、さらに深く、鋭い考察
おこなっておられます。口コミを「一方通行ではない相互干渉系」としてモデル化し、「ライフゲーム」にたとえるのはなるほど適切ですね。
> この口コミインフラというのは、一方通行でも一本道でもないために、それぞれが
> 相互に説得しあって納得しあう。つまり干渉して連鎖を起こし、まるでライフゲーム
> の様な変化を見せる。そして最終的に全体は平均値へと向かってゆき、いわゆる
> エントロピーの増大によって冷めた世界=平均値を形成してゆくわけだ。
> こうした説得力の連続によって作り上げられた「口コミの評価」というのは、妥当な
> 平均点であるがために、ある程度の信頼感を勝ち得る。
> そして、この平均点を意図的に操作できたなら、世の中勝ち組みになる事が出来る
> のだが、それはあまりに困難な所業である。
口コミをコントロールするのがとても難しいのは、説得したところでゲームが面白くなるわけではないからです。しかしそれでも「説得」しようとする人たちが
BLOGのコメント欄に押し寄せるのはなぜか?というと、面白くないと感じている人に面白いと感じさせることは無理でも、面白くないという意見を黙らせる
ことはできるからでしょう(できると思っている人がいるからでしょう)。つまり低い点数をつけたBLOGを黙らせて、高い点数をつけたBLOGだけになれ
ば、平均点が上がるという考え方です。しかしこの場合、平均点は高く維持できたとしても、話題にするBLOGが広がるわけではありません。結果的にある狭
い範囲だけ妙に沸騰し、その範囲の外に出ると極端に冷え込んでいるという状況になり得るわけです。
ところで、何もわざわざ否定的な感想を書くことはないんじゃないの、という考え方も世の中にはあります。面白いと思った時にだけ感想を書けばよくて、面白
くないと思ったら感想を書くのなんて時間の無駄だよね、という。この考え方は、カドが立たないという点で大変すばらしいです。大抵のサイトでアクセス数が
ふえていくにつれて、こういう風に変化しているような印象を受けます。アクセス数が増えると、その分色々な人が見るようになりますから、しつこく絡んでく
る人も増えてきますし、そういう人の登場でBBSやコメント欄の空気が荒れるのは嫌でしょうしね。
ですが、「絶賛以外は認めない、あるいは否定的な意見は許さない」的なムードって、ボクは不健全だと思うんですよね。体験版配布から発売までの時期、一部
のゲーム系BLOGや掲示板でボクはそういうムードを感じていたんで、ハッキリ感じたことを書くことにしたわけです。トラックバックもいただきましたが、
思ったことを書けたというBLOGが出てきたのは良かったと思います。

Posted by amanoudume at 2005年04月10日 07:34 個別リンク
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http://amanoudume.s41.xrea.com/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/36

Listed below are links to weblogs that reference '評論や感想についての話題' from 発熱地帯.
評論される側からの1意見とかー
Excerpt: 発熱地帯さんでゲームの評論について いろいろと特長とか問題点について あげられて
Weblog: さいばーぷらねっと(オープンβ2)
Tracked: 2005年04月10日 13:00

コメント

騒がれすぎると逆に冷めやすいのね。
「じわ売れ」は「じわじわ」広がるからいつまでも続く。
意図的に沸騰させようとするとかえって話題を消費しつくしてしまう。

作家と作品の結びつきが強いのは、桜井作品ですかね。
他にコレと言ったものが、なかなか浮かばない。

スマブラでかなり有名になった節があると思いますが、
それ以前でも、「桜井カービィ」という言われ方があったりとかしますし。
「桜井信者」なんてことも言われますしね。

「メテオス」が異常に推されたのも、その辺が絡みそうな気もします。

ドラクエは相当昔から堀井氏とエニクスの名前は出ていたと思いますが、8では開発元のレベルファイブの名前も(6や7の会社に比べ)よく取り上げられていたように感じました。

ゲーム画面のインパクトも大きかったですし、大きなタイトルを開発した会社の名前が出てくるのは良いなと思います。

開発元を知っていると今後買う時の目安にもなりますし。…ってこれは、やっぱり会社を一人格的に見る風習そのままですか…。

「メテオス」の感想を正直に書いたら思春期病患者が殺到するだろうなあ、とは予想してたんですが、やっぱり来ました。

か、削除されたコメントは読んでいないので、断定は出来ないけど、それほどひどいコメントは見当たらなかった。自意識過剰なんじゃないだろうか。一度サイトを閉じて冷静になってみることをオススメする。
むしろ、信者 荒らし とレッテルばりを多用するDAKINIのほうがはるかに荒らしっぽい。

「サイトを閉じろ」
典型的な信者&荒らしを実演してくれてるな。

藁タ。
こういう記事に脊髄反射のコメントを返すあたり、
頭に血が上った信者の愚かっぷりを露呈してるなw

うは!
思春期病の被害について語ってる記事に荒らし発生。
これってネタですよね?
それとも真性?

不快な投稿は消しておきたいという気持ちもわかるのですが、削除しないで残した方が晒しに出来て良いと思いますよ?

> 一度サイトを閉じて冷静になってみることをオススメする。

この台詞、よく見かけますが、もはやテンプレートになってるんでしょうか。

「一度サイトを閉じて」
まさにDAKINI氏の言う「面白くないという意見を黙らせることはできる」と思っているのでしょうね。本音が直接出ている点が単純明快。

「冷静になってみることを」
自分が冷静でない事を糊塗しようとしているが、失敗している例。

考えてみると物語が重視されるRPGでさえ、ドラクエの堀井雄二氏を除けば、ほとんど作家性が認められてない気がします。FFもクオリティの象徴やブランドという意味合いが強いですし。

作家性が重視されるのはむしろ同人ノベルゲームの世界かも。。。

『ひぐらしのなく頃に』がコンシューマ移植決定だそうです。
http://www.dengekionline.com/g-net/news/200504/10/gn20050410_alchemist.htm

発売時期、機種、ともに未定。コンシューマでアルケミストから発売されることだけは確定しているが、それがPS2なのか、DCの可能性はあるのか、はたまたPSPなどの携帯ゲーム機か。キャスティングも合わせて不明な部分が多い。

エニックス、ガンガン系3誌に漫画連載開始の上、コンシューマー移植かよ。こりゃアニメ化も時間の問題では。

ノベルゲームの世界では同人→商業や同人→コンシューマーという道はできた。他ジャンルに先駆けて、作家性時代に突入?

最近のゲームは、以前よりも随分作家性が認められていると思います。
映画の場合でも、監督の名前よりも主演俳優の方がはるかに扱いが大きい場合が少なくないですし。

ただゲームって、作り手の顔が見えることが嬉しい娯楽なのかどうか、結構考えさせられます。
たとえば玩具に作家性が必要なのかどうか(ある物もありますが)。

最近のGKのトレンド

イタい任天堂信者を演じる。

他プロバイダで接続しなおして自分で叩く。

これももうパターン化してますな。

意見の多様性を許容しないと口コミが広がらないという説は面白い。
つっこむ「隙」さえ与えなければ、かえってつまらない物に見える罠。

氏の言う「否定的な意見も書くべき」はもっともだと思います。
ですが、氏は否定的な意見だけを選んで書いているように見受けられます。

↑結局、肯定的な意見を書けという押し付けだよな。
じゃあ君は、肯定的な意見だけを選んで書いているように見受けられるとほかのブログにコメントしてるのかい?

>否定的な意見だけを選んで

信者君、ブログ潰し乙。
事実無根の難癖はやめようぜ。
氏の「メテオス」についての最初の記事では先に良い点を挙げているのだが。

http://amanoudume.s41.xrea.com/cgi-bin/mt/archives/000300.html「メ
テオス」で一番評価したのは、ダウンロードの時間が短いこと。いま発売されているDSソフトで一番速いかもしれません。これは対戦重視のゲームとして、と
てもすばらしい。次に良いなーと思ったのは、予想よりもずっと「ブロックを打ち上げる」感覚が快感だったこと。ブロックを消すというわかりやすい表現をあ
えて避けたわけですが、演出の磨き上げもあって、かなり気持ちいいです。
否定的な意見が少しでも書かれると、途端に「否定的な意見だけ書いている」と難癖をつける。信者の典型的行動。
結局は肯定的意見だけを書け、と押し付けている。言論脅迫魔。

>「絶賛以外は認めない、あるいは否定的な意見は許さない」的なムードって、ボクは不健全だと思うんですよね。

というスタンスなら、メテオス騒ぎの時のコメントは一つも削除せずに残しといた方が説得力ありましたね。残念。

否定的な意見は容認するが、場を荒らす意見は認めない。普通の対応だと思うが?

ところでメテオス教団の信者諸君は揚げ足取りと難癖つける事しかできないのか?
まともな書込みが1つもないぞw

もはや「メテオス」の売上が浮上する事は無いから、その恨みをこうして叩き付けている訳ですヨネ。信者ってコワ・・・・。

http://www.tokyo-nazo.net/~monami/log/20050408.html
>負の方向の話題でアクセス数を増やそうとしても続かない。アクセス数アップの努力は性の方向しかありえない。

ブログ潰しで一時的に否定的意見を抑えても続かない。売上アップの努力は正の方向しかありえない。
とも読めるな。

>>否定的な意見を選んで〜
上記のようにコメントしただけで言論脅迫魔扱いされるとは思いませんでした。
なぜかメテオス信者と思い込んでおられるようで、見当違いのコメントを返す方もいらっしゃるようです。
エントリに対する否定的な意見を徹底して否定し、レッテルを貼る行為こそ言論脅迫ではないでしょうか?

っていうか、「性」じゃなくて「正」ですってばー。
でも、「性」でも合ってるような気がorz

任天堂新聞さんのところはついに社説の更新を止めてしまいましたね。
主観的視点で書くのをやめるとまで"書かされて"ます。
かなり譲ってる感じですし、相当圧力(というより誹謗中傷でしょう)がかかって
管理人さんが耐え切れなくなったって格好でしょうかねぇ・・。
掲示板も抗議が殺到しているようで閉鎖したままですし。
http://mother.s35.xrea.com/x/news/2005_newtnn.html

メテオス絡みで続行が厳しくなったのかは知りませんが
どれだけメテオス厨とでもいうような輩が圧力をかけ続けてたかが想像できますね。
そもそも評論は主観的な視点で書くべきものなのですが
メテオス厨にとってはそうしてメテオスを批判されるのが許されないんでしょうね。
言論統制や誹謗中傷も容赦しないんであればGKと変わりませんね。

>> 上記のようにコメントしただけで

肯定的意見と否定的意見の両方が書かれたブログに対して、「否定的意見しか書いてない」と難癖をつけている点が指摘されているのだろ。
都合の悪い点には応えず、「否定的意見だけを選んで」書いているからメテオス厨扱いされるんだろ。

メテオス信者 VS アンチメテオス信者
メテオス厨 VS メテオス厨被害者の会
アンチメテオス叩き VS メテオス叩き

この程度の売上のゲームでコレだけの信者とアンチを作ったという意味では
メテオス&桜井の持つパワーはたいしたもんだと思う。
(いい意味でも悪い意味でも)
惜しむらくは支持する方も叩く方も、一般的なユーザーとかけ離れた場所でやっている事ですね。
つまり有益な議論になっていない。
これを機にゲームの作家論とか盛り上がってくるといいのに。

単に信者とアンチが盛り上がってるだけ。
作家論のような内容は無く、擁護対アンチの不毛な叩きあい。

ここのトラックバックの1つにクリエイターの饒舌さが
「飯野賢治っぽい」という感想があったが、過去にも
その手の信者対アンチの激突はあった。

「しゃべりたがる」クリエイターでは珍しくない現象。
ゲハ板の三上信者対アンチや、小島信者対アンチが不毛なのと同じ。
激突が盛り上がる → クリエイターが饒舌
程度の法則しか成り立たない。

(饒舌なクリエイターは短命という法則もありますな。)

だから、信者とアンチの叩き合いから一歩抜け出せないのかと。
アンチは別として、信者と揶揄されるほどそのソフトが好きなら、
アンチを作るような活動は逆効果なのに。
信者とかアンチとか言い出す時点で思考停止=議論終了って事ですかね。

妄想?粘着?GK?

あ、削除されちゃいましたね。荒らしか。

ブログなんて書いている人が本当にダメで内容がつまらないなら、誰も読まなくなる。
本気で嫌なら放っておくのが一番なのだがな。
負の方向の話題でアクセス数を増やそうとしても続かない。アクセス数アップの努力は性の方向しかありえない。
http://www.tokyo-nazo.net/~monami/log/20050408.html

放っておけないのは脊髄反射なのか、それとも書いている事が的確なので、勢力が増えるのを恐れているのか。

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