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このサイトは、ゲーム開発、およびゲーム周辺の周辺技術や動向について日々考察し、毒舌的に物を書き続けることを通して、「ゲームの未来形」という大テーマに対して、何か考えを深められるといいなあ・・・・・・というサイトです。

2004年07月22日

「ゲーム」クリエイターは絶滅しても誰も困らない

島国大和のド畜生の7月23日の日記
> 狭義ゲーム性ってのは「努力に対する褒賞のシステム」って事になるのだけれど、
> もう誰も、ゲームで得られる褒賞(ステージクリアとかシナリオが進むとかの達成感)に、
> 努力するほど魅力を感じて無いんですよ。
そのとおりだ!!
散々、何度も何度も書いてきたことなのですが、本当にそのとおりですね。これを勘違いしている自称、他称の「ゲーム」クリエイターがじつに多いですね。だ
からいまだにそういうきわめて狭く、チープでつまらなく、古臭く、進歩性がなく、ただつらいだけの「ゲーム」が量産されています。
結局は「考える」ということをしない。かつてあった規定の路線をそのままなぞるだけの「無思考」系人間が多いということでしょう。別に、俗にいう「続編」
が多いとか少ないとか、「版権タイトル」が多いとか少ないとか、そういう表層的な話ではないんです。名前と外っつらだけが「新規」で、中身の発想が古臭い
のであれば、何の意味があるのか。張りぼてじゃないですか、そんなもの。
表層的な「新規性」議論だの、「続編」論争だの、そんな浅い話じゃなくて、単純に「娯楽」を提供できているのかということのほうが重要なんですよ。ゲーム以前にまず娯楽でしょ。「ゲーム」クリエイターの前にまず、「娯楽」クリエイターだってことを忘れちゃってる人はもう救いがたいですから。

「新時代の難易度」だとか、他にもいくつもの記事でかいているとおり、今は新時代のゲーム認識が必要な時代です。それがもてないようなゲーム開発者は絶滅してかまわないと思うんですよ。ボクはまったく興味がもてないし、存在してもしなくてもまったく気にならない。

つまり雑草とかゴキブリといっしょなんですよ。「絶滅」「絶滅」といったところで、どうせ無くならないぐらい吐いて捨てるぐらいいるんだから、もう「絶滅」と百万回ぐらい連呼したってかまわない。ですから市場淘汰されたらいいと思います。市場はきわめて健全であり、市場が保守的なんてほざく人間はしょせん、絶滅寸前の脆弱な種にすぎません。種の多様性? おいおい、淘汰は自然の現象であり、必然だよ。自然をゆがめるな。保護しなきゃいけない価値観なんぞ、多様性とはいわんのですよ。

Posted by amanoudume at 2004年07月22日 18:40 個別リンク
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Listed below are links to weblogs that reference '「ゲーム」クリエイターは絶滅しても誰も困らない' from 発熱地帯.
[ゲーム] 「努力に対する褒賞のシステム」
Excerpt: 発熱地帯のエントリーで紹介されていたのですが、島国大和のド畜生の2004年7月23日の日記より、いやよくぞ言ってくれたという感じなのですが、エンディングがない系のゲームについて、ゲームメーカーの売り文 ...
Weblog: 昨日の風はどんなのだっけ?
Tracked: 2004年07月24日 04:19