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このサイトは、ゲーム開発、およびゲーム周辺の周辺技術や動向について日々考察し、毒舌的に物を書き続けることを通して、「ゲームの未来形」という大テーマに対して、何か考えを深められるといいなあ・・・・・・というサイトです。

2005年01月09日

あるいは推理するゲームの究極解?

「ひぐらしのなく頃に」解決編の第一弾「目明し編」がついにリリースされました。
   公式サイト 07th Storming Party
   アキバ BLOG「ひぐらしのなく頃に 解」メッセサンオー、ホワイトキャンバスで販売始まる」
決編は「目明し編」「罪滅し編」「皆殺し編」とあと1編の合計4編から成るため、謎の一部が明らかになったにすぎません。ですが、ネット上にあがっている
推理の中には、今回明かされた真相のほとんどを当てているものもあり、早くもネット上の推理の再評価が始まっているようです。一部が解明されたものの、煙
に巻かれたままの部分も依然としてあり、まだまだ推理を楽しむ余地は十二分に残っています。買うなら今でしょう!
それにしても、選択肢の1つも存在しないこのノベルゲームが、今までの人生でボクがもっとも推理したゲーム、というのもなかなか面白い事実です。「推理」
をゲームシステムにうまく組み込んだ例は疑うべくもなく「逆転裁判」ですが、正直いうと、ボクは遊んでいる間、あまり頭を悩ました記憶がないんですよね。
「頭を使った」のは確かなんですが、「推理」という程のことは体験した覚えがない。逆に、ゲームシステムから「推理」そのもの、いやゲームシステムそのも
のさえ無くしてしまった「ひぐらし」のほうが純然と「推理」を楽しんでいます。
別段、優劣を決めるつもりも、基準もないのですが、ボクは「ひぐらし」の方法論のほうにより大きな興味がわいています。「ひぐらし」の「推理」を成り立た
せているのは、問題編がリリースされてから解決編がリリースされるまでの時間とネットの存在。そして考えたくなるような謎と物語ですね。
(前編と後編を分けるという構成は、ディスクシステムのアドベンチャーゲームがすでにありますが、単に物語的に2つに分かれていただけで、「ひぐらし」ほ
ど意図的に「推理」させることを誘導していたわけではありません。)
まぁ、もちろん、「そういう構成を取るだけなら、ゲームでなくても小説でできる」という意見も出てきそうなのですが、「ひぐらし」は(ノベル)ゲームゆえ
の没入感あってこそ、成り立っている気がしないでもないのです。

Posted by amanoudume at 2005年01月09日 01:00 個別リンク