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このサイトは、ゲーム開発、およびゲーム周辺の周辺技術や動向について日々考察し、毒舌的に物を書き続けることを通して、「ゲームの未来形」という大テーマに対して、何か考えを深められるといいなあ・・・・・・というサイトです。

2006年08月27日

21世紀なんだからクリエイティブの概念も変わるよな。

子供が楽しめれば、それでいいんじゃないの?

島国大和のド畜生 「ドラえもん2.0に透けるコンテンツ化」
妙に反動的な事を書いてらっしゃるなあ、というのが第一印象。
2.0云々などとよくわからない事を書いておられますが、子供向けの作品ではこの手の「読者からのアイデアを募集」「そして作品に登場」なんて企画はよくある話でしょうに。

ボクがコロコロでドラえもんを読んでいた子供の頃にも、誌面でこういう募集はあったような気がします(アイデア募集→発表で終わっていたか、作品に登場までやっていたかは記憶があいまい)。子供心にハガキを書いた記憶が。いや、もう昔の事なんで、別の作品と勘違いしてるかもしれませんが・・・・。マンガでなくとも、ゲームだって、ファミコンの頃にはゲーム専門誌でアイデア募集というのは、割とよくやっていたはず。

そこにヤフーが絡んでくるあたりが現代的といえば現代的かもしれませんね。
子供が楽しめれば、それでいいんじゃないのかな。まぁ、この企画に胸躍らせてたくさん応募しまくるのが大人ばかりで、作品をいじりやがって!と眉間にしわを寄せるのも大人ばかりなら、なんともシュールな光景ですが。

ネットが普及して、子供向けのメディア展開もネット上で行われるようになると、それが「ナントカ2.0」に見えちゃう罠。「ナントカ2.0」というものに拒否感を抱くクリエイターがいるのはわかりますが、そもそも実際には昔からやっている事のネット版だったり、子供向けの手法の大人版にすぎなかったりします。ボクはガキの時分に、この手の企画を楽しんだ人間なんで、それを今の子供から奪おうとは思いません。いや、もしかすると、今どきの子供の中には「俺の心の名作をいじくりやがって、許せん!」と怒る子がいるのかもしれませんが。

メインユーザーが誰かっていう話でしょ。かつて子供だった大きい人たちを喜ばせるのと、今の子供たちを喜ばせるのと、どちらが大事なんでしょうかね(子供と書きましたが、かつてドラえもんで育った親と子供がいっしょに楽しめるようにという意図もすね。子供向け企画では、親を味方につけるのが常道です)。
ドラえもんの企画についての感想は以上です。『ガンダム』はそこまで愛着無いので、ノーコメント。


オールドクリエイティブっつーと、煽りすぎですが

そもそも作者という概念にしても、昔から今のような形だったわけではないですし、著作権なんて昔はなかったわけです。20世紀には作者とユーザーが分離しているという形態が主流でしたが、それも永遠のものではありません。21世紀には違う形になるでしょうし、実際なりつつあるという実感を抱いている人は少なくないでしょう。

最近の動向を見ていると、徐々にクリエイター=作品の創造者から、クリエイター=祭りの主催者という形に移行してきているのを感じます。同人やネット上でのクリエイティブ、ブログなんかはもうすでにそういう感じですから。そういうスタイルが好きか嫌いかは人それぞれでしょう。世代によっても受け止め方はさまざまでしょうし。別に20世紀的な作者像がいかんという事ではありません。ただ、市場原理が働いた結果、自然と食えなくなっていく可能性はあります。それは仕方ない。

ユーザー参加なんてものは、ネットが普及する前、まだ雑誌が力を持っていた時代からあったんですけどね。ただ、ネットの普及によってユーザーの力が促進されるにつれ、クリエイターとのパワーバランスが変わってきているのは確かでしょう。今は過渡期です。ボクにしたって、20世紀的なクリエイティビティーに浸っていた時間のほうが長いわけで、10年後、20年後の新人からすれば、クラシカルな認識をもったジジイにすぎません。

結局、オールドクリエイティブとニュークリエイティブのどちらが好きか?という事かもしれません。20年後ならニュークリエイティブはただの常識ですが、現時点ではどちらに身を置くか選択できるわけです。選択といっても結果が保証されるわけではありませんが。ボクがどちらを好むかは、このブログの読者なら、すぐにおわかりでしょう。もちろん後者です。

(もし仮にボクがオールドクリエイティブを支持するとしても、ボクぐらいの年齢だと、オールドクリエイティブで引退まで逃げ切れるかという問題があります。うーん、ちょっと逃げ切れないかな、というのが予想。今40代ぐらいのクリエイターなら逃げられるかなと思いますが、30代ではギリギリ逃げられるかどうか怪しい。20代は完全に不可能ですね。)

Posted by amanoudume at 2006年08月27日 23:38 個別リンク
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コメント

ファミコン世代の人なら記憶に残っていると思いますが、
マンガでは「キン肉マン」の読者の考えた超人募集。なんてのがあって、実際に登場もしたし、ゲームではロックマンシリーズが敵ロボットのアイデア募集をやってましたよね。

ドラえもんに関しては、もう原作者がいないという時点で新しいネタが出ないわけですよ。
ネタがないからお終いに出来ればいいけどそうもいかない。
だったら、どうするか?
“ファンを巻き込む”しかないんですよね。

まぁ、ぶっちゃけ言えば、アニメ版ドラえもんだって原作にはないオリジナルストーリーがあるんだし、何を今更?って感じですけどね。

ガンダムについては、アニメ版とORIGIN版はわけて考えるべき…というか、
「安彦良和が描くガンダム」を読みたいんであって、1st厨が納得するかしないかなんてどうでもいいですよ。
彼がやりたいようにやってくれればいいんです。

どうも、言及ありがとうございます。
ちょっと、意味が伝わっていないな、と感じる部分があるので補足しておきます。
 ユーザー参加が昔からあるのは当然知ってますが、そのあり方としての話ですね。原作と既に居たファンへの敬意をどこまで持つか。最初からそういうロジックのものなら特に気にしません。(超人大募集とか)この辺の線引きは個人の心で違うと思うのです。その程度のお話です。

はじめまして、シロウといいます、いつも楽しませてもらっています。

 オールドクリエイティブの作品性が好きなゲームジジイとしては祭りをクリエイティブとするのは、ちょっと考えてしまいます。ニュークリエイティブという祭りの主催者がメインとなってもゲームユーザーは、極端な話60億以上いないわけです。祭りの会場がたくさんあったとしても、MMORPGのような掛け合い、めぐり合わせの楽しさは生まれるでしょうが、それはオールドクリエイティブの創造性に触れる楽しさとは別ですよね。

 ドラえもんが例になっていますが、今のドラえもんというコンテンツはオールドクリエイティブの創造性から生まれたもので、今までのゲームももちろんそうな訳です。

 もし、今後ニュークリエイティブが主流になった時に、ドラえもんのような多くの人になじみのあるコンテンツが生まれるのかという疑問があります。今のDSで顕著なように、大きな祭りの会場がある、もしくは世代、グループごとの祭りの会場が点在しているような光景しか想像できません。

これがクリエイティブの概念が変わるということなんでしょうが、そうであるとするならゲームジジイとしてはさびしいばかりです。

長々と失礼しました。

> BAN/さん

そもそも原作者がいないのに続けている(続けざるを得ない)という
時点で、少し矛盾があるんですよね。


> shimaguniyamatoさん
> この辺の線引きは個人の心で違うと思うのです。
「ドラえもん」と「キン肉マン」の違いですか。少しセンシティブなお話
ですね。いや、わからなくもないんですが。

島国さんが「追記」しておられるとおり、別に島国さんの感想を
否定したいわけではありません。線引きの違いなんだと思いますし。
ボクも最近の「ドラえもん」を観てないし、観たいとも思わない
ですし。

新旧の概念は完全な対立項ではないんですが、矛盾する部分が
多いという感じで。著作権あたりまで絡んでくると、本格的に対立
しますが。
単にボクが、白黒ハッキリつけて語るのがスタイルになっている
だけですね。それこそ現行のゲーム会社なんて、どこも旧勢力な
わけで、そこで働いている時点で、ボクも立派な旧勢力人間ですから。


> シロウ さん
> もし、今後ニュークリエイティブが主流になった時に、ドラえもんの
> ような多くの人になじみのあるコンテンツが生まれるのか

おっしゃることはわかるんですけど、結局「なじみのある」かどうかは、
オールドクリエイティブかニュークリエイティブかで決まるものではない、
と思います。一般論のように語っておられるが、単にシロウさんが
歳を取ったというだけでしょう。

オールドクリエイティブの時代にも、自分が子供の頃に体験した
作品を普遍的な作品であるかのように感じる人は大勢いました。
大きくなった時に子供の見ている作品を「なじめない作品」と感じるのも
自然なことです。

極端な事を言うと、フォークロアーのような物は作者という概念が
非常に曖昧になっているわけですが、そういうものが人々になじみが
薄かったか濃かったか。ある意味で今よりもっと濃かったわけです。
(そもそも単純な比較さえ難しいわけですが。要は時代と共に、
創作物だの作者だのいうモノはそれぐらい変わっていくという事です。)

ユーザー参加型の企画は子供時代自分も楽しんだ性質なので拒絶感がないのですが、
製作者、スポンサー側の都合で安易にタレントを
ほいほいと作品に登場させるという
最近の風潮には首をかしげる限り。
それで面白くなるなら別ですが、商売っ気が露骨に見えすぎます。

そもそもファンへの敬意ってなんですか?って聞きたいですね。
そしてあなたはどこまでのファンなのかも聞きたい。
アニメの一話一話粗探しして原作へのリスペクトの無いオリジナル要素
でも探してるんでしょうかね。
時間があってうらやましいw

なんだか、話自体は終了気味ですね(まあ、私のコメントは脱線気味なのであまり関係ないかもしれないですが)

> 最近の動向を見ていると、徐々にクリエイター=作品の創造者から、クリエイター=祭りの主催者という形に移行してきているのを感じます。

なるほど。非常に重要な指摘のような気がします。
アニメだけに限定しても、「どう祭りに持っていくか」ということが製作側の課題になっている感じがありますね。

その辺を考えていくと、メディアミックスなどの仕掛けは、「どう祭りに持っていくか」というより、「(祭りの素材として)出来が良い作品によって起こった祭りの結果を最大限に享受するための方法論」であり(なかなかうまい言葉が出てこないですね・・・)、「ある作品が祭りになるか」は、その作品単体の出来不出来がほとんど全てであり、それにかかわった製作者(チーム)の実力に直結している気がします。

結局、祭りの主催者たるクリエイターには「(場の空気を読む力というよりも)観客に協力させて、場の空気を作り上げていく力」、「ライブ(イベント)を盛り上げる力」が必須条件になる、ということなのかも知れません。つまり、今現在の状況においても、お決まりの結論ありきのTVのコメンテーターが発する言説のような白々しさや、臨場感の無いメッセージに我慢出来ますか?というお話だと考えると、我々はもう引き返せないところに来ていると思います。古典は古典に過ぎません(しかしながら古典な訳ですが)。

あと、私の理解力が足りないのでしょうが、上のシロウさんのコメントの意味が正直、よく分かりませんでした。ニュークリエイティブと言っても、「バンドのライブ」や「演劇」などに似たような形式の物も出てくるのではないかと思います(まあ、私が個人的にMMOより、MO的なものが主流になるのでは?と考えている部分があるからかも知れませんが)。

当たり前ですが、上記のようなエンタテイメントでは、同じ演目においてほとんどの場合、メンバーもシナリオも決まっている訳ですが、目の前にいる観客の反応は一回一回違うわけで、当然、演者はそれに対応します。要は、オールドクリエイティブでなくても素材の使い回しが利く方法はあると思うし、全てのプレイヤーが共有体験が出来る訳ではないが、共通体験が出来る物を作ることは出来るのではないかと思うのです。勘違いな説明かもしれませんが、自分の中で整理し切れなかったので書いてみました。

> がど さん
> 安易にタレントをほいほいと作品に登場させる

んー、それもボクの子供時代にはよくあった気がします。
そもそも、ドラえもんは子供に向けた作品で、作者にしても
そういうアイデア募集、タレント起用(出演)を肯定していた
と思うんです。妙な聖典化をする方が原作(の精神)に失礼な
気もします。


> @ さん
> そもそもファンへの敬意ってなんですか?って聞きたいですね。

まぁ筆が滑ったんじゃないでしょうか。「作者への敬意」「ファンへの
気配り」といった意味ではないかと。
島国さんは、割とセンシティブな事を書いておられるな、と思います。


> bin3336さん
> なんだか、話自体は終了気味ですね

そもそも大した話ではないですからね。
2.0云々などと『余計な事』を書いていなかったら、たぶん反応しな
かったと思います。ゲーム業界人が2.0云々と書くと、高確率で
ボクはリンクして言及してコメントします。2.0に批判的な内容で
あれば、確率はさらに飛躍的に高まるでしょうね。

現実にはすべての記事にコメントしたりリンクする時間はあり
ませんが、どこかに覚えておいて、いずれ機会があれば言及し
まくる、という事もあるかもしれません。

> 我々はもう引き返せないところに来ていると思います。

リアリティをどこで担保するかという点に関しては、確かに引き
返せないレベルまで来ているような気もしますね。

はじめまして、takaといいます。
面白そうな議題だったので、島国さんのところから飛んできました。

DAKINIさんのおっしゃってる「2.0的なもの」あるいは「ニュークリエイティブ」なんですが、今後それがスタンダードなものになるかどうかは不確定でしょう。

DAKINIさんは基本的にそれがスタンダードになるとお考えなのでしょうが、まずその段階で島国さんとは感覚がずれてる気がしますね。

私個人としては凡百の「ニュークリエイティブ」は優秀なひとつの「オールドクリエイティブ」の前にはかなわないと考えております。昔話や御伽噺に関しては現在残っているものの何十倍、何百倍もの話が散逸してしまっていることを考慮すべきでしょう。

さて、今回の問題の発端となった「ドラえもん」に関してなのですが、ドラえもんは「非常に優秀なオールドクリエイティブ」と考えてもいいでしょう。作者がすでに亡くなっていることも考慮すると、島国さんは「作品」として出来上がっているものを単なる「コンテンツ」として消費してしまうのがよくないとおっしゃているのではないでしょうか?そしてそこに垣間見える商業主義的な打算が好きではないと。

作者が生きているうちは読者参加さえも作品の内部構造として取り込めるでしょうが、作者亡き今では抵抗をおぼえる人も多いことと思います。

最後に。DAKINIさんは著作権の概念も時代と共に変わるとおっしゃっていますが、少なくとも「オールドクリエイティブ」なものに関しては20世紀的な著作権概念を適用すべきではないでしょうか?昔は著作権がなかったとはいえ、著作権という概念が生まれてきた過程を考慮すべきでしょう。

>takaさん

> 今後それがスタンダードなものになるかどうかは不確定でしょう。

未来の事ですから、「不確定」といえば「不確定」ですね。それが
どうかしたのでしょうか? 

> 凡百の「ニュークリエイティブ」は優秀なひとつの「オールドクリエイティブ」の前には

そもそも数多ある昔話の中から生き残るという過程を、もっと
スピーディにダイナミックに展開させた物がニュークリエイティブ
なのですから、「石がいっぱいあるね」というのは、ボクがいうところの
ニュークリエイティブが何かというのをtakaさんが理解されていない
と思います。
takaさんの言葉を借りるなら、それこそ「感覚がずれてる」ですね。

> 今回の問題の発端となった「ドラえもん」

作者が望まない事を死後に行ったというなら、話はわかりやすいの
ですが、生前に認めていたこと、積極的にやっていたとも思えることを
死後にやることが問題だというのはちょっと理解できないですね。

> 20世紀的な著作権概念を適用すべきではないでしょうか

時代と共に変わってしまえば、その「すべき」という考えも変わるわけです。
「オールドクリエイティブ」を無理に「ニュークリエイティブ」的に扱う
必要はないと思いますが、そうやって頑迷にふるまった結果、
「オールドクリエイティブ」は衰退するかもしれないし、そうなった時には、
「オールドクリエイティブは古い時代らしい扱いをすべき」という考え方が
骨董品化して、成り立たなくなっているでしょうね、おそらく。

今回の本題は、たいした生産性のある話ではないと思っていたんですが、なんだかまだくすぶっている人も結構いるみたいですね。ついでといっては何ですが、むずむずしてきたので、私も思っていることを整理したいと思います。

まず、某ラジオで聞いた話ですが、「非常に優秀なオールドクリエイティブ」である、聖書の話なんですが、『ダヴィンチ・コード』上映時に抗議デモに繰り出していた熱心なキリスト教徒がいたそうです(ネタバレですが書いてしまいますと、『ダヴィンチ・コード』はキリストに子孫がいたという話です)。このドラえもん論争において、なんだか私はその話を思い出しました。

要は、安易な商業主義や聖書と矛盾する設定の映画で、「俺たちの聖書を侮辱するな(=汚すな)」という訳ですね。他言語に訳されたときに誤訳された部分もあるという話を聞いたこともありますが、聖書自体がどこまで本当の原典に基づいているかなんて疑問はどうでも良い訳です。現在の聖書が、信仰の対象である訳ですから。

島国さんは、

> 原作を神聖視をするわけじゃないけれど

おっしゃっていますが、私はむしろ下の発言に本音を感じました。

> 既に世に出て、名が売れ、何万というファンが居る作品を、軽々しく変に弄くるな!という感情がどうしても押さえられない。
> やはり一番気になるのは、原作(藤子先生だけでなく過去のアニメシリーズ含む)への敬意の問題かな。

私は問題の本質は、まさに個人の信仰心の程度の問題だと思いますね。
自主制作SSは許されるのか?エロ同人誌はダメなのか?ドラえもんのパチスロはダメだよねえ?
ぶっちゃけ、作者がどう思っているなんて関係ない。安易な商業主義が許せない。他人が冒涜するのが許せない。新しい読者は、俺の信仰の対象である原典を読まなくてはいけない。
まあ、でも、それって程度の差はあれ、ファン(信者)心理としては当たり前だと思います。世の中には好きなキャラのエロ同人誌が許せないファン(信者)なんかもいるわけですから(私もエヴァがパチスロ化したときには複雑な心情になりましたし、愛のないゲーム化には失望しました)。

で、最初の『ダヴィンチ・コード』に戻しますと、私には、DAKINIさんは(超革新派の)ビジネスの歯車を回そうとする興行主の心理、島国さんは(超保守派の)抗議デモをするキリスト教信者の心理なんじゃないかと思われるわけです。

大抵の人は、どちらの心情も理解できるでしょう。もちろん、どちらを味方するかは個人によって違うでしょうが。よって、結論を出そうとして議論するのが非生産性的であることも理解できると思います(まあ、私の立場は書かなくても分かると思いますが)。

原作者の意向なんて、昔から原作者自身にも尊重されて無いでしょう。
シャーロックホームズ・シリーズなんてコナン・ドイルが本当に書きたい歴史小説が売れない腹いせに主人公を殺したってのに、結局推理小説しか売れないもんだから、実は生きてたことにして、続きを書いたくらいですから。

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