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このサイトは、ゲーム開発、およびゲーム周辺の周辺技術や動向について日々考察し、毒舌的に物を書き続けることを通して、「ゲームの未来形」という大テーマに対して、何か考えを深められるといいなあ・・・・・・というサイトです。

2006年08月22日

プレイに制限をかけるゲームが増えている

かなり前の話になりますが、ABAの日誌さんのこの記事を読んで、なるほどなと思った箇所がここ。

脳トレとかもそうだけど、こういった極端な緩急をシステム側から強制的にプレイヤーに与えるのが、昨今のゲームの流行りなのかなあ。カルチョビットは脳トレと違って日ごとの制約などはないけども、プレイヤーからのインタラクションを積極的に禁止するという点ではさらに進んでいる。
旧来のゲームは基本的に、ユーザーがゲームを買った後はぶっ通しでクリアしても、ちまちま進めてもかまわない、勝手にしてください、という作りでした。一方、『脳トレ』や『nintendogs』はプレイヤーに制限を課す作りになっています。一度に数十時間、連続プレイして、ゲームを攻略し終える、という構造ではありません。

もう1つ、プレイヤーに制限をかけたゲームとして、『ひぐらしのなく頃に』を挙げたいですね。4編の出題編と4編の解答編から成り、ゲーム中には基本的に選択肢はなく、したがって何をどうしようと、否、何をどうしようもない。プレイヤーはほぼ半年ごとに発売される新作が出るまでの間、推理しているしかない、という構造。最初から出題編と解答編が一緒になっていたなら、つまり普通のノベルゲームだったなら、『ひぐらしのなく頃に』はここまでヒットすることはなかったでしょう。

『脳トレ』の例と『ひぐらし』の例では、それぞれ目的も効用も異なっていますが、どちらもここ最近のゲームの潮流を体現しています。一度の連続プレイでクリアされないような、かつそれが自然にプレイヤーに受け入れられ、その構造が楽しさを提供する。非ストーリー系ゲームとストーリー系ゲームの両方で、具現形が生まれているのが興味深いですね。

プレイに制限をかけるゲームは、制限のかわりに何をプレイヤーに提示しているのかというと、遊び方です。これらのゲームはプレイに制限をかけることで、プレイスタイルを「提案」しているのです。人々の生活が多様化し、ゲームの楽しみ方も多様になってきた時代だからこそ、「このソフトはこういう風に楽しむものです」という事を自然な形で(強制と感じさせずに)提案するソフトがヒットしやすいのかもしれません。プレイスタイル提案型というと、Wiiも遊ぶ姿を強く意識したゲーム機で、それが期待感を集めているのは面白いですね。


(それにしても『脳トレ』の大きな特徴は、脳を鍛える生活というスタイルを提案した事にあるにも関わらず、単純に昔ながらのIQ系ゲームをDSに移植するゲーム会社が後を絶たないのは・・・・。IQ系ゲームなんて昔からあるわけで、しかし『脳トレ』で急激にブレイクした原因はどこにポイントがあったのか。その部分の分析をまるでしていないんですよね。結局、表層だけを見ている制作者が少なくないという事なんでしょうね。)

Posted by amanoudume at 2006年08月22日 01:38 個別リンク
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コメント

えーと、我ながら電通あたりに毒されて陳腐なことを書いているかもなあ、とか思いつつコメントします。

で、ぱっと思ったのは、「ライフスタイルの提案」もかねている場合もあるのかなと。
『カルチョビット』のある生活、とか、『脳トレ』のある生活、とか。

『nintendogs』や『どうぶつの森』、『お料理ナビ』もそんな感じのような。
(逆に、『FF12』のある生活、とか、『ロコロコ』のある生活、さらに言えば、『英語漬け』のある生活、みたいな表現はイメージしにくい気がします。UOのようなMMOだと「ブルタニア(内)での生活」というイメージでしょうが。)

要は、「(平凡な)日常生活自体に楽しみを与えるシステムとしてのゲームの存在意義」というか、その辺の感覚が大きさというか。

もちろん、わざわざゲームをしにゲーセンに足を運ぶ価値観、非日常的な「場」を求める価値観というのも現実にあります。が、ゲームらしいゲームが売れないというよりも、現代におけるゲームの存在意義を見失った、設計ミスのゲームが売れていないだけなのでは?という疑念も湧いてくるような。(と、いつもの癖で煽ってしまいましたが)

ハルヒのある生活・・・。
そういえば、ハルヒが毎週放送されていたときは楽しかったな、とか。

制限を掛ける事を意図的に仕込んでいるとすれば、
「制限を掛けることによる集中力の持続」をゲームに当てはめ、意図的にそれ狙っているのかもしれませんね。

長時間のドラマを見るのはめんどくさいけど、短時間の連続ドラマならなんとなく見続けてしまう感覚を意図的に取り込んだと。

一気にやり込むと冷めるのも早いが、少しずつ進めていくと案外長続きするというのは誰にでもある感覚ですしね。
「このゲームを一気にやってしまおう!」という人ほど飽きっぽくて、まったりプレイの人はなんだかんだいって同じゲームをずっとやっている気がします。

そういえば、脳トレ批判をしていた層って“一気にクリア型”の人に多いような…

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