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このサイトは、ゲーム開発、およびゲーム周辺の周辺技術や動向について日々考察し、毒舌的に物を書き続けることを通して、「ゲームの未来形」という大テーマに対して、何か考えを深められるといいなあ・・・・・・というサイトです。

2006年08月13日

欧米にも広がるプロセッサ性能至上主義の崩壊

DSのもたらす変化が全世界を覆い尽くす

先月の記事でふれたように、DSが全世界でPSPを圧倒しつつあります。日本はご存知のとおり。欧州も『nintendogs』が爆発的にヒットして快調。GBA SPが強すぎた北米でも、DS Liteの発売後は一気にPSPを引き離しました。

また、『脳トレ』が日本で300万本、北米で60万本、欧州で50万本と、400万本を突破したようです(msn 任天堂:「脳トレ」、世界で400万本突破)。『脳トレ』『nintendogs』に代表される新機軸のソフトの成功は、日本だけの局所的な現象ではないことが証明されつつあります。

北米はゲーマー層が多いので、ゲーマーのゲーマーによるゲーマーのためのゲームソフトが十分売れる市場キャパシティがあります。ゲーム系ライターの人たちは、自分自身がゲーマーであるために、ついつい客観的な視点を失い、ゲーマー天国としてのアメリカを嬉々として語りがちです。しかし一方で、日本と同じようにごく普通のユーザーも数多くいるわけです。DSの一連の成功により、欧米マンセー主義者の語る「ゆがんだアメリカ像」とは異なる、本当の北米市場の姿が鮮明になりつつありますね。

EXAPON Becky!: EAがPSPとSCEの不甲斐無さに失望
ついにEAもPSPを見限って、DSへの注力を宣言しました。EAは赤字額が増加しているので、遅まきながら方針の間違いに気づいたようです。

「EAが今までPSPに注力してきたことは疑う余地がない。我々は技術にとらわれていたが、ユーザーはそれよりもゲームの楽しさを求めていることを証明した。注力すべきはゲームの楽しさであることを忘れてはならないと思い、EAはDS用ゲームに注力していくつもりだ。」
プロセッサ性能至上主義にとらわれていたEAも、ユーザー重視に方針転換。DSの路線を強く支持すると語りました。プロセッサ性能至上主義の崩壊は、いまや日本だけでなく、全世界的な現象と捉えて間違いないでしょう。

世の中には不思議な思想の人たちがいらっしゃって、「プロセッサ性能至上主義を否定するのは日本だけ。だからXBOX360のような高性能機を支持しない日本のゲーム会社は、欧米勢に取り残される。いずれ日本のゲーム市場は、技術に優れた欧米にシェアを奪われるだろう」などという妄想をまき散らしておられます。しかし現実はどうか? 欧米ゲーム業界最強のEA、PSPを強く支持していたEAが、自分たちの方針の過ちを認めて、日本発の新しい変化についていくと宣言したわけです。妄念の入る余地はどこにもありません(笑


Wiiへの支持が急速に高まる

もともと欧米勢は、PS3とXBOX360が覇権を争うと考えていて、GCで失墜した任天堂をスルー気味でした。Wiiを強く支持していたのは、親任天堂で知られる欧州のパブリッシャーUbiSoftぐらいでした。ところがE3後は、急激に方針を転換しています。

実際、ソフトは続々と集まっているようで、正式に発表されたリストではないようですが、海外サイトの1up.comでは27タイトルが揃うと報じています。
「過去最強?」強力な27タイトルロンチラインナップ―米国

E3後のこの急速な方向転換は、欧米のゲーム業界人がE3でどれほどWiiに興奮し、未来を感じたかを端的に表しています。E3会場に行った日本人は、同じ空気を肌で感じたわけで、当然この結果も予想していたのではないでしょうか。


一部の日本企業は競争力を失いつつある

しかし世界的な流れを理解しているのか、いないのか、微妙な発言をしている経営者もいらっしゃいます。インテルのCPUの発表会の席上で、「プロセッサ性能至上主義は崩壊している」と言えないのはわかります。が、ハード屋のいないところでは「これからはソフトの時代」と言い、プロセッサ屋の目の前では追従の微笑を浮かべる。そんな企業が「ゲーム機産業からゲーム産業へ」といったところで、いささかの説得力も持たないでしょう。

スクウェアエニックスの評価が下がったのは『ダージュ・オブ・ケルベロス』や『FF12』の内容が影響しているほか、やはりE3で『FF13』をPS3向けと発表したのが大きい。あれだけマルチプラットフォーム、マルチプラットフォームと連呼していて、結局はきわめて保守的なPS3オンリー。Wiiに向くソフトではないので、Wii向けに出す必要はありませんが、欧米市場を視野に入れれば、XBOX360への供給も発表すべきでした。言ってることとやってることが違っているから、どんどん影響力が低下しているんです。

旧スクウェアが業界内で一目置かれていたのは、『FF』という大作ソフトを抱えているだけでなく、その売上をもって積極的に影響力を発揮したからです。当時、増上慢をきわめていたお殿様企業・任天堂に天誅ならぬ人誅を加えた英断は、ゲーム業界の発展への大きな貢献でした。色々お騒がせなこともあったけれど、結果的にゲーム業界全体に大きな利益をもたらしたと思います。しかし最近は、そういう英断が見られません。

先の事などわからない、読めるわけがない、という小理屈はわかります。しかしその読めるはずのない未来を読んで、決断をくり返してきたからこそ、ファミコン時代、規模が小さい企業の集まりでも、全世界にゲームを広げることができたのです。選択と集中が競争力の源泉であり、決断こそが経営の責務。にもかかわらず、経営陣の予測能力の低下を合併やマルチプラットフォームという言い訳で補完しているのが現状でしょう。スクウェアエニックスは小回りの悪さを露呈していますし、バンダイナムコも合併以降、ちっとも良い話が聞こえてきません。スケール(規模)でも、スコープ(範囲)でも構いませんが、経営陣の視野の狭さや決断力を「下手な鉄砲も数撃ちゃ」戦略で補おうというのは感心しません。

ゲーム業界の発展のためにどういう英断が求められているのかは自明です。合理的なマネージメントの巧みな欧米企業に対して、日本企業が強みを発揮したのは、決断力、集中力があったからです。力を分散させないマネージメントが競争力につながりました。マルチプラットフォーム主義のEAでさえ、「Wii60」への重心シフトを早々と宣言している中、集中力でさえ欧米企業に劣るのであれば、末路など知れたものでしょう。

最後にYouTubeに投稿されたMADムービーを1つご紹介します。
Console Wars: Episode IV
他にもWii60ネタの動画がいくつも掲載されています。欧米のゲーム業界やゲームファンの動向を知る1つの情報として、参考になると思います。もちろんWii60という言葉を使っている人たちはゲーマーですから、それがすなわち北米ユーザー全体を代表するわけではありません。しかしPS3がゲーマーたちにさえ見捨てられつつあること、ユーザーの幅を広げようとするWiiがゲーマーたち「にも」支持されていることは、感じ取れると思います。

Posted by amanoudume at 2006年08月13日 22:02 個別リンク
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コメント

はじめまして、あさと申します。
XBOX360は映像的に優れたソフトが多いのに売れない。宣伝しているのに売れない。現行機種で最強なのに売れない。
故に「消費者はプロセッサ性能至上主義では無い」と思います。PS3らしさを表現したソフトをSCEは提示する必要があります。しかしPS2より映像が高精細になっただけでは食指が動きません。3年以内に新しい提案が出来るというスクエニに期待します。

映画の様な綺麗な映像をすべての人が、
望んでいるというわけではないって事ですね。
ゲームその物が面白いか面白くないかが重要で、
映像を高精細化=良作とはならないですからね。
高性能なゲーム機でしか出来ないような新しい遊びを、
提案するとかすればまた違うんでしょうけど。

こんにちは。よく読ませていただいてます。
DSの成功はゲーム市場を拡大させる大きな可能性を示しています。
DSはゲーム未開(エントリーユーザー)の地で、
大きなエネルギー(新しいソフト需要)に満ちています。
DSに開発資源を向けるのは適切だと思います。

一方で、既存のPSユーザーはDSに移行しているのでしょうか?
何がDSへの移行を阻むのでしょうか?答えはグラフィックです。
グラフィックは良いに越したことはないはずです。
確かにグラフィック重視では開発費は増加しますが、
確実に効果が上がる資本集約的な側面もあります。
また、技術の蓄積を横断的に生かし進化させることができます。
DAKINIさんは至上主義と言われますが、私は各々部門でそれぞれが努力し、
結果としてグラフィックだけが著しい進化をを遂げのだと思います。
投資効果が得られるグラフィックへ収益配分したと考えられないでしょうか。
ゲーム産業は3DCGを早期に幅広く活かすことに成功しました。
クリエーターは新しい表現手法(演出)を手に入れ、
消費者は3DCGを見る楽しみと3DCGで遊ぶ楽しみ手に入れました。
個人的にも非常に楽しい映像体験でした。市場の変化には逆らえませんし
重要性の低下も否めませんが、今後も映像体験の重要性変わらないと考えています。

既存のユーザーがゲームに要求する水準はかつてないほど高まっています。
ネットは欠点を袋叩きにする文化を生みました。長所を褒めて失敗を許容する人でさえ
声を出せば信者と呼ばれ叩かれかねません。意見にさえ勝ち馬を探す人がいます。
今ほど、ゲームの進化とビジネスモデルの多様性が問われている時はないと思います。
多くの挑戦が失敗に終わるかもしれませんが、挑戦を褒める文化であって欲しいです。
それぞれのハードが長所を伸ばすことでで、ゲーム市場の広がることを望みます。

>凡さん

> 一方で、既存のPSユーザーはDSに移行しているのでしょうか?

移行している人も相当数いると考えるのが妥当だと思います。
凡さんの脳内の「PSユーザー」はいったいどういう人たちでしょう?
まずそこを書くべきではないでしょうか?

PSユーザーのうち、グラフィックに本当にこだわっている人は
ごくわずかだった、というのが今の状況だと思いますよ。
グラフィックにこだわっている一部のユーザーだけが「PSユーザー」
ではないでしょう。


> グラフィックは良いに越したことはないはずです。

ビジネスは費用対効果が問題であって、極端な話、1億上乗せして
1万本しか売上が上がらないのであれば、お話にならないわけです。
「良いに越した事は無い」というのは子供のままごとの論理では
ないでしょうか。

> 挑戦を褒める文化であって欲しいです。

だからこそ、従来のプロセッサ性能至上主義から離れて、新しい
路線を進んでいる人達が注目されているわけですよね。
凡さんの考える「挑戦」ではないのかもしれませんが、これほど
挑戦が評価される時代はひさしぶりだと思います。

また、既存の路線にしがみついている人たちを「挑戦的」と評価
するのはなかなか困難な所業です。相対的に評価が下がるのは
当然であり、そういう淘汰にあらがってこそ、生き残る価値を持つのです。

「保護」しなければ生き残れない多様性など、自然界にも人間界にも
ゲーム界にも不必要だと思います。「保護」する必要などなく、
ユーザーと市場に判断をまかせてそれぞれの路線をいけばいい
と思います。

そして現実に、プロセッサ性能至上主義では生き残れないと判断
した人達が急速に増えているわけですね。
みんな頑張れという言葉は美しいけど、それだけですよね。

競争が素晴らしいというのもちょっと怪しい理屈で、その競争の
せいでソニーはPSPの発売を急いで、PSPの初期不良騒動を
引き起こしましたし、素直な対応ができなかったわけですよね。
競争が害悪になることも多いと思います。

多様性のある競争が大切で、例えばWii60という海外で支持
されている路線にしても、WiiとXBOX360はどちらも全然違う
ハードで、だからこそ多様性の共存として認識されています。
ではPS3はどうかというと、XBOX Live!のパクリみたいな
ネットワークサービスだの、大して性能差もないのにバカ高い
価格だの、多様性ではなく、クリエイティブの寄生のようなハード
じゃないでしょうか。だから要らないという見解が増えているわけ
ですよね。多様性という観点から、PS3は要らない。だからWii60。
きわめてシンプルな話だと思います。

>凡さん

凡さんのご意見で一つ気になるのは、

従来のようなグラフィック

(進化、上位)

3Dのパワーを全開にしたグラフィック
あるいは画素数などを追求した画面

という意識をお持ちであるという点です。
「グラフィックは良いにこしたことがない」という発言でそう感じたのですが、
例えば3Dなぞに関して言えば、これは一概に正鵠とは言えないかと思います。
私自身が3DCGのグラフィックを仕事にしている人間なので言うのもなんなんですが、
3Dは方向性の一つではありますが、映像表現としてはむしろ「画法」に過ぎないのではないでしょうか。
技術としては一定のものですし、表現手法の一つではありますが、実の所、
それ以上でも以下でもありません。
3Dが映像の進化、新たな可能性に見えたのは、単に今まで目にしたことが無い物珍しさが、「画法」を「世界」と錯覚させていたに過ぎません。
今、視聴者はその錯覚から逃れ始めています。
私が携わる映画界で言えば、3Dでも実写でも今、「素材」として見えるならどちらでもよく、ごちゃ混ぜにして構成するのが当たり前です。
「凄い映像」は必要かもしれません。
しかし、映画でもそうですが「凄い」とはCGの事でもセットの規模でもなくなってきました。(無論、そういう凄いも一つの方法としてはありえるのですが)画質ですらなくなっています。
粗く粗く撮った凄い画もあります。

ゲームも、ようやくその桎梏から逃れ、「良い」の定義を見直し始めたのかも知れないと思い始めました。
つまり、3DCGの質を高めた「良い」も、
画面を二つにした「良い」も、携帯できるサイズに表現を詰めた「良い」も、実は同じ事なんではないか、と。
性能論が出るたびに思うのです。

確かに目に見える形でプロセッサ至上主義と決別したのはDSですが、
この兆候は、GBA「メイドインワリオ」あたりからちゃんと示されていたんですよね。
「メイドイン〜」では重厚長大から誰でもお手軽路線に、
その次の作品「まわる〜」では、十字キー&ボタンから直感的デバイスへの変貌。
CMも既存のムービーなどのイメージ重視型CMから、触った時の楽しさをアピールする体験型CMへの変化。

「メイドイン〜」がスマッシュヒットを記録した時にこの流れを読めなかった(馬鹿にしていた)人と読めた人の差がその後の2〜3年で決定的になったと思いますね。

ハードの性能進化に基づいた「ゲームらしいゲーム」を作っていれば、
作り手としては安心なのかも知れませんが、
消費者にしてみればそれこそが“ある種の押し付け”になっていた、とも言えるでしょうね。

もちろん、ゲームらしいゲームのニーズは確実にありますが、
それが多数派になるかと言えば現状を見る限りではちょっと厳しいでしょうね。

素人の意見に真摯にレスしていただきありがとうございます。
誤解を招く様な文章で大変申しわけありません。
文章力がないので箇条書きにさせていただきます。
誤解を減らすため過剰(失礼)な説明になるかもしれませんがお許しください。

■はじめに誤解や簡単な質問に答えます。
・まず、DS、Wii(任天堂の挑戦)には最大の賛辞を送ります。
・挑戦や失敗とはSCEのみに向けられたものではありません。
・wii向けソフト開発はサードにとって大きな挑戦ですね。
・PSユーザーとは、PS2、PSP、PSですね。
・既存のと書いているのは、現在遊んでいるハードと言う意味です。
・企業の目的は費用対効果の上げることではなく利益の最大化ですよね。
・グラフィックに固執する必要なんて全くありません。
・競争については言及していませんが、多様性のある競争については同感です。

■>PSユーザーのうちグラフィックに本当にこだわっている人はごくわずかだった、
・グラフィックが良いのは大抵、大作です。大作ユーザーを少数派と言えるでしょうか。
・PS2でPS1のソフトで遊んでる人は少ないはずです。
・なぜ、移植ではなくリメイクなのでしょうか?リメイクの費用はそれ程大きいものでしょうか?

■DSへの移行について
・中高生PSPユーザーの多くが、以前の任天堂のユーザーであること。
・GBAのソフトの所持者が互換性のあるDSに移行するのは妥当であること。
・DS、PSP発売以前の状況を6つ大別しました。(xboxを除く
 1・PS2、GC、GBA全部持っている。(ゲーム愛好者
 2・PS2とGBAを持っている。(ゲーム愛好者
 3・PS2、GC、持っている。(携帯型ゲームが好きではない。
 4・GCとGBAを持っている。(低年齢一般層
 5・GBAしか持っていない。(自室+TVのない低年齢一般層
 6・PS2しか持っていない。(一般層、DVD利用
 7・GCしか持っていない。(子供を含む家族層、携帯型ゲーム禁止
・上記の6番目からソフト需要を奪うことで脱グラフィックと言えそうです。

■PS3について
・少ないPS3のメリットを上げるとするとすれば
1・BD再生。価値のないDVDソフトを買わずに済む。
2・HDDを使用してゲームができる。
3・1080Pでデジタル出力ができる。
・PS3の欠点ですが、
1・テレビがSDの人には向かない。
2・価格が高い 3・パクリである。4・あげればキリがない
PS3には期待しないのが正解だと思います。

■Wiiについて
メリット・コントローラを生かされたソフト。DSとの連動。簡易なネットワーク機能。
デメリット・グラフィックで違いが打ち出せない。PS2とマルチでソフト供給される危険性

■いずれにしても、もうすぐ発売ですね。楽しみです。

>Mrbさん
申しわけありません。上の投稿をする時にレス見逃してました。
即時の反映ではないので上の投稿と意見が離れてしてしまうかもしれません。
ご意見、とても参考になりました。

■>「画法」を「世界」と錯覚させていたに過ぎません。
その通りです。私もそこはゲームにおける3DCGの長所だと思います。
私は単純で騙され易いタイプなのでよく感動してます。
3DCGには、アニメも同様ですが表現に自由を感じます。
多くの表現(アイデア)が生きています。
或いは分りやすいだけかもしれませんが。
表現手法として壁に当たるのはまだまだ早い気がします。

■>性能論
確かに、表現には技術(性能)的な側面と創造的な側面があります。
そして残念ながら、CGには適した解像度があります。
ドット絵が3DCGに劣るとはいえません。
美しく描かれた2DCGの背景が実写に劣るでしょうか?
これらは文化のようなものです。優劣はありません。
ただ、人間は新しい文化には興味(好奇心)がありますし、
一方で、あきっぽいところもあります。

■次世代機と解像度
SDTVにおいてこれ以上のグラフィックは不要です。
ですが、幸か不幸か現在はTVの移行期です。
どちらかといえば、1080P出力においてプロセッサの能力は足りないのです。
近いうちに、LCDはフルHD化していきます。
D2をD5に拡大したグラフィックをユーザーどう感じるでしょうか?

■最後に偏見をこめて
偏見を恐れずにいえば、ゲーム業界には労働集約的な産業であって欲しいです。
たとえば、音楽業界やハリウッドのように一部の才能のために多大なコストを割くのではく、
多くの人が制作に参加してアイデア出し、協力してゲームを作ることに魅力を感じます。
大きい制作費で大作を作り利益を出すのは素晴らしいことだと思います。
多くの制作者を賄うのは誇るべきことです。

■お金は出せません、気持ちだけですが、ゲーム業界は応援しています。

>凡さん

まずハッキリいって、分析の仕方が恣意的ですし、本気で書いて
おられるのだとしたら、視野を広く持ったほうがいいのではないでしょうか。

> ・企業の目的は費用対効果の上げることではなく利益の最大化ですよね。

そのためには、費用対効果を意識する必要があります。
「グラフィックが良いに越したことは無い」という考えで、利益の
最大化ができるでしょうか? 議論のための議論ではなく、現実に
ビジネスを意識していただきたいです。

> ・グラフィックが良いのは大抵、大作です。大作ユーザーを少数派と言えるでしょうか。

大作の魅力はグラフィックが良いことだけではなく、まず面白いと
いうのが第一にあります。
大作のユーザーが多い=グラフィックを求めるユーザーが多い
という論理は成り立たないと思います。

> 5・GBAしか持っていない。(自室+TVのない低年齢一般層
> 6・PS2しか持っていない。(一般層、DVD利用

「どれも持っていない」という層はどこにいるのでしょうか?
DSが最も評価されたのはそういう層を開拓したからですよね。

さらに、PS2=一般層で、GBA=テレビのない低年齢層という仮定も
誤りでしょう。大人でもGBAで遊ぶ人はいたと思いますが?
ちなみに6番のユーザーはかなりDSに流れていると思いますが。

というのはまず6番のユーザーの大半は、例えば1年に1本ウイイレを
買うとか、毎年パチスロゲームを買うだけとか、そういう人たちで
あって、グラフィックがどうとか、そういう部分でゲームを買っている
わけではないからです。

(そもそもPS2=オタク層とPS2=一般層を分離して議論していない
時点で、おかしな話です。凡さんの抱く各ハードへの偏見をもとに
議論しても、何も生産的な議論は生まれないでしょう。)

> 多くの制作者を賄うのは誇るべきことです。

1つのチームに多人数いる必要はまったくないでしょうね。人数が
少ないチームが作るものが面白くないのなら、ファミコン時代の
ゲームはすべてクソゲーなのでしょうか?

> 多くの人が制作に参加してアイデア出し、協力してゲームを作る
> ことに魅力を感じます。

人数が多ければ多いほど、ゲーム全体に占める1人あたりの担当
分野が制限され、結果的に歯車化していくことが、少なくとも現時点の
ゲーム開発ではよくある話です。

凡さんは自ら「素人」と書かれていますので、あえて厳しく書くと、
素人の思い描くゲーム制作像(妄想)をベースにした議論でしか
ありません。

> ■お金は出せません、気持ちだけですが、

はい。妄想や夢や気持ちだけで、産業は回りません。
このブログやコメント欄は、そのような夢の世界のお話をする
場所ではなく、現実の世界、現実のビジネス、現実のゲーム
開発について議論する場所だということをご理解いただければ
幸いです。

その点をご理解した上でなら、凡さんの参加を歓迎しますが、
妄想と現実の区別をつけていただけないのであれば、以後の
投稿に関しては、掲載許可をしない可能性があります。

グラフィックが凄いから大作…ではなく、大作だからグラフィックも綺麗にしなければならない。
の方が正しいような気がします。

それとグラフィックの凄さと言われますが、現行機においてはグラフィックの凄さはともすればムービーの凄さと同義にもなってしまいますよね。

ムービーであればそれに特化したチームなり外注先でこなすことも可能でしょうが、
シームレス化が当たり前になった時はゲームの作り方も変わってくるような気がします。

果たしてそれでどう凄くなるのか…今まではゲーム画面とムービー画面との差からその凄さを感じることが出来ましたが、
シームレスになると凄さが当たり前になってしまい、映像に対する感覚が麻痺してくる(慣れてくる)可能性も考えられますね。

最近の映画でVFXが凄いと言われても昔ほど驚かなくなったという感覚。
そこに対して資源を突っ込むことはメーカーとして得策なのか?

プロセッサの進化というのは刺激の一つでしかなくて、同じ刺激ばかりでは飽きてくるのは当然の事。
そこに気付かずに相も変わらず同じ刺激を求め続けたことが「崩壊」に繋がっていくのだと思います。

はじめまして、とりと申します。
そもそも、プロセッサ性能至上主義というものはいつからあるものなのでしょうか。
ファミコンからPS2まで、確かに性能は上がり続けていますが、それぞれの世代で最も性能が高いハードが勝ち続けてきたわけではありませんよね。
性能の進歩も、だいたいは価格が4万円ほどに押さえられる範囲でした。
そういう意味では、6万円以上もしてしまうPS3は、むしろこれまでの流れから逸脱しているのではと思うのです。
しかし「今まで続いてきた性能進化を止めてはいけない」という、まるで昔からそういう流れが主流だったかのような声も聞こえます。

PS2が圧倒的なシェアを握っているという不利な状況の中でXBOXが意外な健闘をしたということから、そういう主義が生まれたのでしょうか。

(前に投稿した時の名前を忘れてしまいましたので、違う名前かもしれません。)

私はPS3の値段はゲーム機で標準的なビジネスモデルであるロイヤリティをとっていくモデルを
見直していくためのものかと思っていました。(素人の推測ですが)
けれども、やっぱり違うんでしょうか?

そうではなくて、ただの殿様商売なんでしょうか?

新規参入としてゲーム業界に新しい風を吹き込んだはずのソニーがゲーム業界の足をひっぱてるのだとしたら悲しいです。

>とりさん

徐々に高まっていったと思います。ファミコン→スーファミの移行で
さえ、プロセッサ性能に依存したものでした。そういう意味では、
ファミコン以後のハードはすべてプロセッサ性能依存主義でした。

とはいえ、それが強烈に意識され、度を越え始めたのは、ソニーが
ゲーム機用のプロセッサのために工場を建設したり、半導体事業の
てこに使い出してからかと。

ゲーム機のためのプロセッサから、プロセッサのためのゲーム機に
なっていたんですよね。

また、性能向上させるためのコストが昔より高くつくようになったのも、
大きいでしょうね。過去のゲーム機の1世代分に相当する性能
ジャンプを満たすには、より高いコストがかかるようになりました。
そこまでしても、現実には360もPS3も、「そんなにスゴイのか?」
という疑問の声が出るわけですよね。


> Tさん

ロイヤリティ制度の撤廃については、個人的には期待したいところ
ですが、それならとっくに漏れているわけですよね。もちろん発売
までの間にそういう発表が無いとは言い切れませんが。

しかし現実的に考えれば、ロイヤリティ制を取っ払うだけの余裕が
ソニーにあるとは思えないし、本体価格を抑えるほうを選択すると
思います。

いくらロイヤリティが安くても、普及しないハードには誰も出したがり
ませんからね。そもそもロイヤリティが無いだけなら、すでにPCが
あるわけです。

莫大な普及台数を達成したハードで、ロイヤリティ制度がなくなるので
あれば、すばらしい可能性が開かれると思いますが。

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