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このサイトは、ゲーム開発、およびゲーム周辺の周辺技術や動向について日々考察し、毒舌的に物を書き続けることを通して、「ゲームの未来形」という大テーマに対して、何か考えを深められるといいなあ・・・・・・というサイトです。

2006年08月12日

回転が加速していく小さな歯車とサビついてきた大きな歯車

マスプロモーションとネットパワーを巡る議論

最近、マスプロモーション対ネットの口コミパワーという構図の議論が盛り上がっているようです。でも実は、状況の認識はさほど違ってないように思えます。要するに立場や嗜好におうじて、最終的な結論をどっちに持っていくかを変えているだけなんですよね。

ネットユーザーはマスメディア嫌い(不信の)人が多いため、マスプロモを否定して、ネット上の評判を重視する傾向が強いです。最も代表的な意見はデジモノに埋もれる日々さんのこの記事でしょうか。
デジモノに埋もれる日々: 「亀田」と「時かけ」 - メディアの扇動力がネットに圧される時代
実はこの記事は、評判という点を軸に勝敗を判断していて、『ゲド戦記』と『時かけ』でどちらが興行収入が上かという評価軸は、意図的に無視しているんですよね。そりゃさすがに結果は見えてますから。

似たような状況認識にもかかわらず、ビジネスの視点で冷静に数字を追いかけているのが切込隊長。
切込隊長BLOG(ブログ) - 『ゲド戦記』が不評のようなのに商売人根性が炸裂し興行成績は優秀な件についての考察
「瞬間風速型大作志向」はまだ有効だし、ぶっちゃけ、”大きな歯車を回す”ためのそれ以外の手法が出てきてない。けれどもマスプロモ型の手法では、長期間にわたって売れ続けさせるのは難しいので、ますます焼き畑的なプロモーションに頼るようになっていく。しかし焼き畑的な手法では長期的にはジリ貧になる懸念も拭えない。

課題は、これらの話趨性を伴うコンテンツが、質的評価を伴わなかったが故に、長く語り継がれる作品として世間に定着しなくなることにある。むしろ、最近の商業コンテンツで十年どころか数年に渡って消費者のなかにあり続けた作品が見当たらないことが問題だと思える。
 (略)
なかぱ強引に作品を調達した結果、知名度や話題性と釣り合わないクオリティの作品が毎年各季節に投入されてしまう結果になってしまうことは遺憾である。まるで決算時期に大量投下されるPS2ゲームタイトルみたいだ。
デジモノさんが追記に書かれているとおり、状況認識はさほど違いません。デジモノさんは「このままでは・・・・」という変化の部分を強調する立場で、切込隊長は現在形でのビジネスの現実を冷静に書いている立場。


マスプロモーションとネットパワーに対する企業の認識は?

マスプロモーションの効果が薄れているという実感は、大なり小なり誰しもが抱いていることでしょう。

マスプロモーションの衰退はすでに仮説の域を超えて、現実のビジネスの中で真剣に検討されています。また大企業やメディアの側も、ネット上のロコミパワーを決して軽視していません。

「ボクシングの亀田興毅」「ゲド戦記」を巡って、ネット上に不自然な擁護意見が見られるという記事で、なかなか興味深い。あえてネットの多数派の意見と違う立場を取ることで、自分の存在感をアピールしようとしている人もいらっしゃるとは思うものの、それにしたって妙に擁護的な意見を取る人が多い、と感じていました。

ネット上の口コミには、正の話題の広がりと負の広がりがあります。企業にとって正の話題の広がりはまだ信じられるレベルに達していないのかもしれませんが、負の広がりはハッキリ脅威と感じているんでしょうね。どうやって「火消し」するかが企業にとって課題になっています。しかし「目には目を、歯には歯を」では、さらなる疑惑の種を将来に残すと思いますが・・・・。


「瞬間風速型大作志向」が破綻し始めたゲーム業界

こうした諸現象がいち早く顕在化したのがゲーム業界です。切込隊長が指摘している「瞬間風速型大作志向」の限界もすでに見えつつあります。
『戦国無双2』の売上半減のようなPS2市場の衰退、『LocoRoco』のプロモーションの盛大な失敗は、焼き畑的な手法が長続きしなくなる良い証拠です。ゲームはパッケージメディア主体のビジネスなので、消費者のリスクが高く、焼き畑的な手法の効力がいち早く弱まりました。

「瞬間風速型大作志向」の代表ともいえる『FF12』はネット上で評判が2つに分かれ、200万本こそ越えたものの、PS2の普及台数がかなり低かった時期に発売された『FF10』並みの売上でした。「かろうじて判定勝ち」(判定負け?)という感じ。スクウェアエニックスの昨年度の決算の悪さにもつながりました。FF出てこの決算かよ、みたいな。

大量投下プロモーションの権化だったSCEは完全に失墜しました。PSPの初期不良への対応を誤り、「それがPSPの仕様だ」発言で、久多良木氏は多くのユーザーから嫌われ、それが現在のSCE(PS3)批判の土壌を作りました。当時、ネットの初期不良騒動はPSPの販売に影響しない、などと馬鹿げた業界人論理をふりかざす人もいましたが、今となってはユーザー無視の姿勢が根本的な誤りだったことは明らかです。


現時点でのまとめ

現時点では、以下のようにまとめるのが妥当でしょうか。

特定の層に限定した場合

  • 特定の層に限定すると、マスプロモーションは非常に効きにくくなっている。口コミパワーの影響もかなり強く現れる。
  • キーワードは「信頼」と「良質感」。
  • 点火した時によく燃えるためにはある程度の話題の「種火」が必要。
  • 最初の火の勢いも大切なので、ゲームの場合は初期出荷数がある程度ほしい。5〜10万本程度が目安?
  • 火が燃え広がるには、コンテンツヘのアクセス容易性がポイントになる。多少の障害があった方が「観たい」という気持ちが強まる効果はあるかもしれないが、障害が大きいと火を消してしまう。ゲームソフトの場合は価格。『ハルヒ』はテレビ放送を見逃した人でもYouTubeで観られたのが大きい。『時かけ』は上映館数が少なすぎるので、話題になってるけど観ないでもいいか、と思った人も多いのでは。
  • ネットでの話題性が現実の売上につながるかどうかは、話題がホットなタイミングで商品を出せるかどうかが重要。DS『きみ死ね』は、FLASHが一番多く作られ、話題性がピークだったのは発売1ヶ月前。発売された時には話題が消化されてしまっていた。『ハルヒ』は例えば、「ライブアライブ」が放映されて、劇中歌が話題になった週にCDが発売されて、売上に大きく貢献した。

ある範囲を超える場合

  • ある範囲を超えた広い層を相手にする場合、ロコミパワーの影響が限定的。ロコミはその性質上、興味や思考を同じくする者同士で伝播するため、その範囲を越境する時に大幅に「減衰」する。
  • 旧来のマスプロモーションの効果は年々低下しているが、他の有効な手段が見つかっていない。
  • そのためコンテンツ業界の焼き畑化がますます加速している。ブランドの低下など、長期的なスパンでのジリ貧化をもたらす。

全体的な状況

  • 嗜好の細分化が進んでいる。ネット普及以前は、最大公約数的なアプローチが有効だった。しかしネット普及以後は、あるマイナーな嗜好でも、かき集めれば全国で数千人、数万人、数十万人の規模になり、ビジネスにしやすくなった。
  • ただし数百人ぐらいでは、さすがにビジネスにはならない。敷居は下がったが、やはり存在する。
  • 当然プロモーションの方法は異なるし、より口コミシフトが進んでいく。
  • 嗜好の細分化が進むことで、結果的に「特定の層」という集団が増えていく。供給側のリサーチとユーザー側のサーチが上がっていくので、従来よりも多数の「特定の層」が浮かび上がる。
  • ロングテールの議論と似ている。
  • マスプロモーションの必要性が薄い、特定の層向けのコンテンツ供給がより低コストで可能になる。
  • しかしこのビジネスでは「大きな歯車」は回らない。大きな歯車に乗っかっている人たちが「あれは小さな歯車」と小馬鹿にしている間に、大きな歯車のシェアは低下していく。
元気な「小さな歯車」に対して、弱っていく「大きな歯車」というのが基本構図。「大きな歯車」に乗っている人たちが全員、「小さな歯車」に乗っかれるわけではなので、「大きな歯車」を回す新しい仕組みが求められています。でもなかなか見つからないので、「コンテンツ業界はお先まっ暗じゃね?」「強くなるユーザー。弱くなるコンテンツ供給者」なんて、言われちゃってるわけですよね。


補足: 『ハルヒ』と『時かけ』

個人的には、『ハルヒ』と『時かけ』を同列に並べたデジモノさんの記事には違和感をおぼえました。ネット上で評判が良かったことや、その割に観られない人が多いことなど、確かに共通点はあります。しかし実際に文庫本、DVD、CDの売上につながった『涼宮ハルヒの憂鬱』と、上映館数が増えているとはいってもまだ非常に少ない『時かけ』は違うもの。

多少評判が良いぐらいの作品は、それこそ季節ごとに現れているような気さえします。問題は『ハルヒ』がその中で頭1つも2つも抜け出た理由。いくつか挙げられるでしょうが、大きいのは『ハルヒ』にはYouTubeがあったが、『時かけ』には無かったということです。実の所、ボクは『時かけ』はいまだに観ていません。近所でやってたら行ったかもしれないけど、遠いんで。あれぐらいの評判の良さでは、この距離は越えられません。
『時かけ』はYouTubeが存在しなかったifの世界の『ハルヒ』に似ている、というのがボクの印象です。

Posted by amanoudume at 2006年08月12日 00:00 個別リンク
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コメント

> 元気な「小さな歯車」に対して、弱っていく「大きな歯車」というのが基本構図。「大きな歯車」に乗っている人たちが全員、「小さな歯車」に乗っかれるわけではなので、「大きな歯車」を回す新しい仕組みが求められています。

この“小さな歯車”と“大きな歯車”、違う言葉に置き換えるといろいろ応用出来そうですね。
ゲームでいうなら携帯ハードと据置ハードとかコミュニケーション型ゲームとスタンドアローン型ゲームとか。

現状では大きな歯車は次第に過去の遺物になってしまうのかなという気もします。

回す以前に、そういった歯車がもはや作れなくなっているんじゃないかと。

>元気な「小さな歯車」に対して、弱っていく「大きな歯車」というのが基本構図

これって、結構いろんな現象について
見れる構図なのかもしれませんね。
巨大爬虫類(恐竜)と哺乳類、
大艦巨砲主義と航空機、
巨大企業とベンチャービジネス、
大型電算機とパーソナルコンピュータ。
(自分の趣味で言うと「カメラ」なんかも
そうでした)

いつの時代も、魁としてあるのは
「元気で小さな」新しい存在で
それもやがては「恐竜的進化」を遂げた
後に、身動きが取れなくなって衰退し
次の新しい「元気で小さな」モノたちに
取って代わられてゆく………………

ハルヒと違って時かけは「これから」というイメージですね。個人的に。

 時かけの場合、現在上映館が少ないです。これはゲド戦記に食われて仕方ないことですが内容に関してはどの層にもオススメできるエンターテイメント作品です。今後DVDの売り上げもありますし、細田監督がナウシカで一躍有名になった宮崎監督のように今後アニメ監督として活躍できる可能性も秘めているかと。

 ちなみにナウシカも公開当時はさほどヒットしなかったのですが、TV放送で一気に火がついた作品です。それ以降、日テレとの蜜月時代が始まるのですが。

 「いいものの評価はいつの時代も最初は口コミ」です。マスコミの洗脳のような大量CM投下だけでどうとでもなる時代は終わりかけていると感じますが・・・

>BAN/ さん
>ひふみーさん

大きな歯車は大きいゆえに、組織としてのパワーがあり、影響力も
大きいという特性があるため、なかなかそれに代替するものというのは
見えにくいのでしょうね。


>かもさん

ネット上での現象として、ハルヒと時かけを同列に論じるのは違う
でしょう、と言いたかっただけで、時かけの内容がどうこう言うつもりは
ありません。実際、書いているようにボクは観てませんから。
細田監督がこの先を期待されている方だというのも、違和感ない
話です。

> ちなみにナウシカも公開当時はさほどヒットしなかったのですが、
> TV放送で一気に火がついた作品です。

マイナーな物や「話題になったけど観られなかった物」が、多くの人に
観てもらう機会を得て、ヒットにつながるという流れは、昔からあったん
でしょうね。

大きな歯車は、作品自体よりマスプロの方が重要という本末転倒になっているから、壊れている気がするんですが。
実際、例に挙げている大きな歯車作品は作品として完成度が低いものが多いのに対して、小さな歯車の方はある程度出来
が良いものが中心です。小さな歯車の方だって無数の失敗が転がっています。これじゃあ議論としてはおかしいと思います。大きな歯車の方には、ヒットした海猿を取り上げるべきかと。

>しゅんさん

> 大きな歯車は、作品自体よりマスプロの方が重要という本末転倒になっている

という事も含めて、ボクは書いているのですが。冷静になってもう
一度記事を読み返してみていただけないでしょうか。

大きな歯車を回してきた人たちは、歯車の大きさゆえに、無理
やりにでも展開を「大きく」せざるを得ない状況に陥っている、ということです。

また小さな歯車に失敗が無いなどと、どこにも書いていませんが?
小さな歯車にも失敗は当然ありますが、その小ささゆえにロー
リスクです。

海猿って、元々「大きな歯車」でしたっけ?
よくある「原作付きの映画」がヒットしてドラマ化、そして再映画化と
少しずつ歯車を大きくしていった作品なのでは?
小さな歯車が成功によって大きくなるのは自然な流れですが、
その大きくなった歯車を身の丈以上に大きく回し続けようとするとどこかに無理が生じる。
という骨子だと思うんですけど。

元々「大きな歯車で無理やり世間を動かすのには限界があるように、小さな歯車で動かせるものにも限界がある」という趣旨の内容の文面かと読んでおりましたが・・・
だとしたら「海猿」に関しては「身の丈にあったサイズの歯車だった」ということじゃないでしょうか?確かにヒットはしましたが、世界的に注目されるとか、一大ブームになったとは言い切れません(せいぜい芸能人邦画としては、のレベル)

 もっとも、いつの時代も「ヒットした後に利益や名声がついてきて次に繋がる」ものです。それには時間がかかります。最初からでかい歯車であることはありませんし、ロコロコみたいなのは「借り物」の歯車かと。あの宮崎監督ですら、「カリオストロの城」を作ったのは40代後半です。

そういえば昔ムトゥーってのがあったなぁ。

と、このエントリを読んで思い出しました。

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