「日陰に種は落ちている」の後半に「ゲーム開発者の視線がゲーマーと同じなのが気になる」と書いたのですが、思わぬ反応がありました。正直、あの記事を書いた時にNao_uさんのことはまったく念頭にありませんでした(Nao_uさんのブログは週1程度で巡回していたので、今日ボクの記事に反応していたことに気づきました)。
とはいえ、一般論を書けば誰かには当たるわけで、誰かが「これ、俺のことか? 一応、反応しとこうか」と考えるのは自然ですね。そもそも「一般論」というのは、できる限り多くの人に「これ、俺のことかな」と感じてもらうためのメソッドといえます。ですから、思い当たらない人はスルーすればいいし、思い当たることがある人は反応してくれればいい、と思います。ボクが「一般論」という形式を好むのは、より多くの人に何かを感じてほしいからです。
Nao_uさんの反応にさらに反応するのはやめようかな、とも思ったのですが、1点誤解は解いておきたいと思いました。ボクは別に、ゲーム開発者はブログでゲームの未来やゲームデザインについて語らなければならない、とは考えていません。そんなもん、個人の時間でやってることなんだから、好きにしたらいいと思います。ボクだってエロゲーの話をしたり、ラノベの話をしてるわけですし。
考えていることを全部表に出さないのは当然です。ボクもそうです。基本的にボクは「飯の種」になることは書かないようにしています。ここに書いてるのは、自分が考えたことのうち、出してもかまわないと思っている部分だけ。このブログに書いてあるようなことなんて、ある程度モノを考える人間だったら、誰でも思いつくことばかりです。
「一部のゲーム開発者の視線がゲーマーと同じになっている」と感じたのは、ブログにとどまらず、もうちょっと色々な事象を見てきた結果です。それは例えば、分析といっても「安さ」「実用性(実効性)」以外の要因を挙げられないような人が実際にいることや、脳を鍛えるブームに乗った二番手以降のソフトが『脳トレ』をうまく分析しきれていないことなど、など、など、・・・・。
実際、Nao_uさんに限らず、ブログをつけているゲーム開発者の意識は謙遜されているほど低くないでしょう。少なくとも定期的に考える時間は捻出しているわけですし、ブログ書きは大抵他人のブログの良い読者ですから。
うーん。
自分自身を見つめ直す能力の高い人は、より多くの一般論に反応して、自分自身を高める機会をより多く持ち、一方で本当は反応しなければならない人に限って、一般論を「自分とは無関係」だと思ってスルーしてしまうのかもしれません。難しいもんです。