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このサイトは、ゲーム開発、およびゲーム周辺の周辺技術や動向について日々考察し、毒舌的に物を書き続けることを通して、「ゲームの未来形」という大テーマに対して、何か考えを深められるといいなあ・・・・・・というサイトです。

2006年06月09日

ゲーム業界は10年のループを抜け出せるのか?

10年前の光景、ふたたび

去年の11月に「2005年は第2次ライトユーザーブーム元年だった」と指摘し、今年の2月には10年前の状況との類似性を多少の危機感をもって語りました。そして、ますます10年前と似てきたなあ、と思う現象が起きています。

GAME NEVER SLEEPS 「開発者は岩田発言に釣られるな」

俺が絵画を鑑賞できないように、ハリウッド映画しか観ない人がいるように、ゲームを楽しめない人は、どこまでいってもゲームを楽しめないと思う。ゲーム人口拡大も結構だが、軽薄なブームで拡大するのは、流行と広告に左右される、はなはだ不安定なゲームファンだということを忘れてはいけない。
(略)
たとえ、その結果できたものが「大作主義」と揶揄されるものであろうとも、ゲームを支えて来た、そしてこれからゲームを支えるであろう、「ゲームを楽しめる人たち」は、きっと、認めてくれる、答えてくれると信じてゲームを開発していこうと思う。

SFから愛をこめて 「ゲーム開発の個人的な夜明け」

しかし、俺は、どんなにイノベーションのジレンマだの、レッドオーシャンだの言われても、最新の技術をつかって、面白いゲームで、驚くような映像を造りたいという欲望を無視できない。

時代錯誤だと思われてもかまわない。まだ小学生で、ドキドキしながら入ったゲームセンターで見た「ファンタジーゾーン」の美しさに感動し、口がめくれて裏返る「エイリアンシンドローム」のボスに恐怖し、「アフター・バーナー」に小便ちびるほど興奮したあの頃の俺。あの感動に対する恩返しを、同じような感動で返したいと思うのは俺にとって不自然でもなんでもない。

率直にいって、こういう意見のゲーム開発者は他にもいるでしょう。
興味深いのは、たまたまかもしれませんが、最近になって少し声が大きくなってきたことです。つまり、叫ばずにはいられない人が現れ始めた、という事です。なぜかといえば、「ライトユーザー」とか「誰でも遊べるゲーム」とか「ゲーム2.0」という言葉が世の中に浸透し、しかも言葉が広がるだけでなく、市場の結果がついてきたからです。

国内の市場を見ると、据置ゲーム→携帯ゲームのシフトが鮮明になっていて、PS2のソフト市場が急速に冷え込んでいます。据置の市場がそのままで、携帯の市場が大きくなったのなら、理想でした。しかし現実には、古いマーケットが恐ろしい勢いで縮小しています。そのため、何か取り残されたような気持ちになる人も出てくるんでしょうね。しかしこれって、10年前、PS1バブル、第1次ライトユーザーバブルの時にも起きたことなんですよね。

それについては、あれれさんのブログの記事が詳しいので、一読をオススメします。
ゲームのマボロシ 「レイディアント シルバーガン」

頑固一徹に「ゲームらしい骨太なゲーム」を作り続けてきたトレジャーの開発者たちにとって、まさに「時代にとり残された」と身につまされる時代だったのだろうと思います。
(略)
ゲーム業界を閉塞状況から救ったのは、ゲームらしいゲームのクローンではなく、従来のゲーマー層以外をターゲットにした、ライトユーザー向けのゲームだったということです。


いっそゲーム業界2.0?

電撃編集部の分析によれば、ソフト市場の寡占化が進んでいるようです。

結果、上位200作品市場における2006年度のメーカー構成比で任天堂は、前年同時期の20.4%から46.4%へと大幅にシェアを拡大。1社で市場全体のおよそ半分を占めている状況です。ちなみに、上位4社(任天堂、コナミデジタルエンタテインメント、バンダイナムコゲームス、スクウェア・エニックス)の顔ぶれは、順位変動こそあるものの前年度と同じという結果になっていますが、4社合計の販売構成比は59.5%から 76.3%へと急伸。ソフト市場は数字だけを見ると4月期が前年同期比59.3%増、5月期が同117.8%増と好調に推移していますが、その一方で、業界の寡占化がこれまで以上に顕著に表れてきているのは非常に気になるところです。
会社という単位で考えると、「任天堂」という名前が目立ちやすいですし、ネット上の一部の人たちは「今のゲーム業界は任天堂とその他だ」などと書いていますが、ボクはそうではないと思います。今はおそろしく変化が速いので、1つの会社の中でも、変化についていっている人たちと変化に戸惑って足踏みしている人たちがいます。

例えば、セガの『ムシキング』や『ラブ&ベリー』のチームは、元々は窓際というか傍流でした。しかし彼らは新しいユーザーを呼び込み、女の子と母親が一緒に楽しめる娯楽を広め、セガの可能性を大きく広げました。今やセガの業績に大きな貢献をしています。(デジタルエンタメ天気予報 「女の子が列をなすあのゲームは何だ?」

また、スクウェアエニックスもオンラインゲームこそ、『FF11』に続く柱を生み出せずに苦しんでいますが、新しいビジネスの「種」を積極的に蒔いています。なかなか「芽」が出ていないのも確かですが、意欲的に自分の体質を改善しようと試みています。例えば、ブログLife is beautifulの中島聡氏のUI Evolution。「ゲーム業界とイノベーションのジレンマ」といえば、このエントリーです。(とはいえ、ミドルウェアの分野では次々に成功をおさめているものの、娯楽サービスの実績という点では、業界が注目する結果はいまだ出ていません)

大手ソフトメーカー以外にも、もっと小規模の会社でも変化は起きています。モバイル&ゲームスタジオは、携帯電話やDSを軽々と渡り歩き、ユーザーの需要をとらえた商品企画で新しいユーザーを獲得しているようです。『脳トレ』ブームが起きるはるか前に、『右脳パーティ』を携帯電話で開発し、その後シンプルシリーズでもリリースしています。着眼点が良く、フットワークも軽いと思います。
モバイル&ゲームスタジオ 遠藤雅伸氏インタビュー(前編)
モバイル&ゲームスタジオ 遠藤雅伸氏インタビュー(後編)

中小規模のゲーム会社の例はまだまだ挙げられますが、さすがに紹介しきれませんので、これぐらいで。ゲーム機市場に限らず、アーケード、PC、携帯電話、家電を俯瞰したとき、新しい変化の先端を走っている会社がいくつも浮かび上がってきます。また、会社全体としては古い体質のままでも、その中で新しい変化に乗った開発チームは当然存在します。会社単位で物を見ると、そういう開発者集団を見逃してしまいます。

そうした人たちをすべてひっくるめて、あえて「ゲーム業界2.0」というのも一興でしょう。今は「ゲーム業界1.0」と「ゲーム業界2.0」が混在している状態です。いま日本では「業界1.0」の市場が急速に縮小しています。すると例えば、ある会社では、「俺はゲーム大好き人間にだけ作るぜ。ライトユーザー、知らねえよ」と言って多額の資金を垂れ流すチームの赤字を、「僕たちの大好きなゲームを、もっともっとたくさんの人に知ってほしい。遊んでほしい」と言って利益をあげたチームが穴埋めする、なんて事が起きてくるわけです。それはとても不健全です。


10年のループを脱け出そう

10年前のライトユーザーバブルの時も、同じような現象が起き、新しい変化に反発するゲーム開発者が現れました。それは個人の考え方の多様性です。しかし残念なことに、いま起きている諸現象は、去年ライトユーザーブームが起きていると書いた時点で、すべて予想した範囲です。所詮10年前の繰り返しにすぎません。正直、ボクは「10年前の繰り返し」「ただのループ現象」を相手に議論するつもりは毛頭ありません。

ボクが危機感をもつ問題は1つです。
かつてゲーム業界は、ライトユーザーブームの後、狭い世界へ突き進んでしまい、国内のゲーム市場が縮小してしまいました。そして開発資金に余裕をなくした各社が続編を短期間に乱発し、新規企画が通りにくくなり、欧米に開発力で追いつかれました。欧米市場での競争力は、劇的に低下しました。この10年で多くの会社が体力を失いました。消えてしまった会社は少なくありません。

またPS2の5年間は、日本において、ゲームデザインの画期的な進歩があまり無かったと言われています。多くのライトユーザーが集まってきた5年間と、ライトユーザーが去っていった5年間、どちらが実りある期間でしたか? 新しい変化を「ただのブーム」と一蹴し、ゲームデザインの変化を恐れて、進化のスピードをゆるめた後半の5年間、日本のゲーム業界はどれだけ多くのものを失いましたか? 成功の甘い蜜を忘れられず、ゲームデザインの検討を怠り、ユニークゲームと自称するデッドコピーを乱発した5年間で、ソニーはどれだけの信頼を失いましたか?

さて、ここで考えてみてください。今年は多くのゲーム会社がDSに集結してライトユーザー市場を大いに盛り上げることでしょう。さながら祭りのように。そして絶頂期を越え、2〜3年経つとブームとして終わりを迎えるのかもしれません。そして再びPS2時代のような市場縮小の時期が数年間やってくるのかもしれません。そんなふうに10年を無駄に、同じようにループした時、はたしてどれだけの会社が消えているのでしょうか? 日本のゲーム会社の国際競争力はどれだけ低下しているのでしょうか? ボクは同じ10年をくり返すことを強く恐れます。今度のループは、日本のゲーム業界にとって、ひどく致命的なものになりかねません。

新しい変化に乗り、ゲームデザインを革新し、ゲーム開発者とユーザーと業界がいっしょに次のステージへ進む。多くのユーザーを獲得したソフトを、ただのブームと切り捨てていては、ゲームの進歩は厳しいでしょう。それは10年前におかした過ちです。同じ失敗を繰り返すのは、さすがにみっともないです。前進を、常に前進を。志のある方々、いっしょに前進しましょう。

Posted by amanoudume at 2006年06月09日 00:56 個別リンク
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コメント

10年前は、派手なCGを使った大作主義のゲームこそが、軽薄なライトユーザー向けのゲームであるとされていたのですけどね。
いったい、大作の支持者はいつからヘビーユーザーになったのでしょうか。
売り上げが伸びているときはライトユーザー向け、売り上げが伸びないときはヘビーユーザー向けでは、ヘビーユーザー向けのゲームを作っているという主張も売れるゲームを作ることができない言い訳にしか聞こえません。
また、その言い訳が世間に対するものではなく自分に対するものであるように聞こえるところが、滑稽でありそれ故哀れでもあります。

> 10年前は、派手なCGを使った大作主義のゲームこそが、軽薄な
> ライトユーザー向けのゲームであるとされていた

歴史の捏造おつかれさまです。
『パラッパラッパー』『アクアノートの休日』『太陽のしっぽ』
『せがれいじり』といった、当時「ゲームらしくないゲーム」と
言われ、ライトユーザー向けとされたゲームのどこが大作主義
なんでしょうか。いささか笑える定義です。

まぁ言葉として「ライト」「ヘビー」がいささか単純に過ぎるがゆえに、
「ヘビー」といっても色々いるだろう、グラフィックを偏重している
類の人間もいたし、ゲーム性にこだわってきた人間もいるんだ、
一緒にするな、という事であれば、わかります。
「ライト」をいくつかに、「ヘビー」をさらにいくつかに分けることは
可能ですが、議論が複雑化するのは避けているということです。
どういう意図で書いているかは、冷静に読まれればわかると思います。

まぁなんですね、別に「ヘビーユーザー」批判なんてするつもりも
ないし、正直どうでもいいので、妄念にかられて、噛み付いてくる
必要は無いですよ。妄想的な被害者意識が強すぎます(笑

違っていたら恥ずかしいのですが。
シンヤさんの言ってるのはRPGの大作などの話かと思ったんですが。
FFシリーズなどが古参ユーザーの趣味からかけ離れた作品を作っていたときの言い分も新規ユーザー、ライトユーザーの獲得でしたし。
以前はゲーム性を求めるのはマニアだけで、ライトユーザーは派手なCGムービーを見せた方が喜ぶという主張が多かったと思います。
シンヤさんが皮肉ったのは結局、派手なものを作りたいだけの開発者のことで、DAKINIさんに向けられたものでは無いんじゃないかなと思ったのですが。

シンヤ氏の言ってる事もあながち間違いじゃないと思いますよ。

10年前はDAKINI氏が挙げた「軽いゲーム」もシンヤ氏の言う「大作主義のゲーム」もライトユーザーの掘り起こしが出来てたハズなんですよ。

でも、10年経った今、大作主義のゲームをヘビー向けと開発側が開き直るのはいかがなものか?って事じゃないかと思うのですが。

大作主義ってまっとうな進化系のゲームを作っているように見えるけど
それは前進とは言えないんじゃないか。
言葉を借りるなら

> 成功の甘い蜜を忘れられず、ゲームデザインの検討を怠り、ユニークゲームと自称するデッドコピーを乱発した

ということです。

おそらく、感じ方は違えども言いたい事は双方同じなんじゃないかって気がしますよ。

もっとも、シンヤ氏の発言がエントリーの内容ではなく、
DAKINI氏へ向けられた皮肉の意であるなら自分の解釈がまったく見当違いなものになってしまいますが。

まず、
http://d.hatena.ne.jp/IDA-10/20060609/1149813499
によると、GAME NEVER SLEEPSの管理者さんとSFから愛をこめての管理者さんは同一人物であるようですね。一部の文章が修正されたりしていますが、あえて、一部の開発者側の本音が出たと捉えると面白いです。

で、私も一ユーザーとしてかなり煽りが入っていますが、コメントしてみたいと思います。

思うに、自らゲーム大好き人間である業界人が「自分がユーザー側だった時の理想のゲーム」を夢見て制作するということは、自分の過去の美しい思い出を自らの手で再現するというノスタルジーであり、クレしんのオトナ帝国の敵役と同じモチベーションなのではないでしょうか。

ですので、彼には『今までに想定していないロジックで』、わくわくする未来を作るという意思がないということです。(皮肉なのは、おそらく、彼がノスタルジーに浸っているゲームの開発者はゲームに興味のない人にもゲームをやらせようという意思で動いていたと場合が多いということです。女性を取り込もうとして有名な「パックマン」の例は有名ですが、例えば、ゲームに興味のない人を取り込むために「ファンタジーゾーン」はかわいいパステルカラーとユニークなデザインであるべきだったのであり、「アフターバーナー」はやけに人目につく動く大型筐体と派手な画面ではなかったのではないか?という話です。「エイリアンシンドローム」も同様です。)

繰り返しますが、彼には『一昔前のマーケティングの想定を超えるロジックのゲーム』を作ることができません。
しかし、現実には『ゲームに興味のない人に興味を持たせるための最も効果的な方法論はすでに変わっている』訳です(もちろん、さらに変わる可能性はあります)。つまり、表現者のエゴで過去の方法論にこだわる人間は、「過去のゲームデザインを引きずる」訳です。

要は、彼の表現者としてのテーマは「売れそうなモチーフをどのように落とし込んで面白いゲームを作るか」でなく、「過去のゲームに与えてもらった美しい思い出と同じ感動をどのように今のゲームで再現するか」であるということです。

その結果、彼はユーザーを取り巻く状況が変わっていることを(おそらく無意識でうすうす感じているものの)避けており、『ゲームという表現形式そのものを愛するファンのみに向けて作品を作る』ことになる訳です。例え、ゲームという表現形式にこだわる人間がいかに少なくなっても、です。もちろん、10年前との最大の違いは、ネットという怪物の存在です。で、歴史は繰り返されるのか、という話になる訳ですが。

>ナオさん
>BAN/さん

より正確にいえば、10年前のライトユーザーブームの原動力は、
3DCGの表現力とムービーでした。そしてゲーム業界外から、
クリエイターを呼び込びました。それについては、下記のエン
トリーで述べています。
http://amanoudume.s41.xrea.com/2006/02/10_2.html

技術的な進歩や容量の増大がそのままユーザーの拡大に
つながった時期といえます。

以前のエントリーでもちょっと書きましたが、当時、普通の映像は
ビデオテープという古臭い媒体に記録されるだけで、ゲームの
ムービーだけが小さなディスクにエレガントに記録されていました。
CD-Vもほとんど普及してませんでしたし。そういう意味で、アニメ
でもプリレンダCGでも、ムービーそのものがえらく持てはやされた
時代でした。

またサクラ対戦が100万本売れたり、ガイナックスが人気を
集めるなど、まだオタクに市場パワーがあった時期です。

FFが300万本を越えた時点では、その支持者の中に、単に
話題になっていたから買った人がいたのは確かですが、かなりの
数がその時点で参加して、抜けていった人も多いし、いまだ
残っている人も多いわけです。残っている彼らをライトというのは
語弊があります。端的にいって、FF7は女性オタクの層をかなり
取り込んでいますね。

とはいえ、RPGマニアとその他のジャンルのマニアには、当時
すでにかなりの温度差がありました。
RPGはいまだに「売上で優劣を競う」文化が残っていたりしますし。
テイルズ対スタオー対ゼノ対キンハー対ギャラクシー対・・・・みたいな。

より精密な議論をしようとすれば、マニアの細分化と定義をすべき
でしょうね。しかしボクはマニア間の内ゲバ的な細分化議論は、
興味ないです。勝手に「俺はそんな浮ついた連中と違う。」とか
何とか議論していればいいと思います。マニアのアイデンティティー
論争には興味ありません。ボクはユーザーの立場や、1人の
ゲーオタとしてブログを書いているわけではないので、そこに
加わろうとは思いません。ボクはあえて大括りで議論しています。
ですから、引っかかるマニアの人もいらっしゃるかもしれません、
という事です。

>bin3336さん

ほぼ全文書き直していますね。まぁ所詮感情を吐き出しただけ
だった、という事なんでしょうね。しかしボクはかのブログの中の
人を批判したつもりはありません。誤解の無いように「ループ
現象に興味は無い」と書いておいたのに。自意識過剰でいらっ
しゃる。(苦笑 

>一部の開発者側の本音が出たと捉えると面白いです。

ていうか、実際、同じような意見の開発者は少なくないと思い
ますよ。それについて、ボクは以前の↓のエントリーの末尾で
書いています。
http://amanoudume.s41.xrea.com/2006/05/you_tubemad_1.html
> 一方で、ソニーのPS3やマイクロソフトのXBOX360の路線は
> 簡単にいえば、より高品質な映像表現を用いて、ユーザーが
> 全神経を注ぎ込んで遊ぶに値するゲームを作ることです。
> より没入感のあるゲームを作るという、従来からの路線です。
> これは王道の中の王道です。開発費の高騰などの問題は
> ありますが、なんだかんだ言っても、多くのクリエイターが
> 心情的に賛同し、支持するのは、こちらの路線でしょう。
> 自分の作った作品は暇つぶしや「ながら」で遊んでもらうよりも、
> 夢中になって遊んでほしい。そう思うのは、作り手のエゴかも
> しれませんが、率直な気持ちでしょう。毎晩30分ずつ遊ぶ
> ユーザーへのフォローをしながらも、面白くて途中でやめられず、
> 明日仕事なのに徹夜で遊んでしまうユーザーを夢想するのは、
> 哀しいかな、人の欲望です。

要は、「沸いてくる」と予想された通りに沸いてきたのが、たまたま、
あそこのブログだった、という事です。彼一人をどうこう言うつもりは
ありません。所詮、ループ現象ですから。ボクは「ああ、やっぱり
くり返されたか・・・成長の無い業界だな」と思っただけの事です。

>彼はユーザーを取り巻く状況が変わっていることを(おそらく
>無意識でうすうす感じているものの)避けており、『ゲームという
>表現形式そのものを愛するファンのみに向けて作品を作る』
>ことになる訳です。

んー、そうですね。まぁ、上で述べたように、そういう開発者は
少なくないと思います。まー、人それぞれ色々な考え方があって、
好きにしたらいいと思います。ボクはそういう人たちをさして、
「伝統工芸ゲーム1.0を守る会」などと言っていますが、批判
してはいません。

ただ、区別はしておきたいので、そう言っているだけです。ただ、
なんだろう、bin3336さんがおっしゃるように、「無意識でうすうす
感じていること」があるがゆえに、批判されてると被害妄想に
なるのかな?(笑 だからブログで叫びだして、ふと冷静になると、
真っ赤になって、エントリーをほぼ全文書き直しちゃうんでしょう。
いやいや、まったくもって微笑ましい事です。本当に好きにしたら
いいんじゃないでしょうか。自意識に従って。いくらでも叫び、
書き直し、叫び、を繰り返したらいいと思います。

そもそも
「ライトユーザは脳トレしか遊ばない」
「ヘビーユーザは脳トレなど遊ばない」
というのが既に幻想では?

今の流れについていけない人が
「脳トレしか楽しめない人=ライトユーザ」
「脳トレを楽しめない人=ヘビーユーザ」
と勝手に決めつけることで(ユーザ側も業界人側も)保身しているだけに見えます。

>exor さん

おっしゃる通りですね。
ライトやヘビーなんて関係ないと言いながら、実際にはおそろしい
決め付けをしている開発者もいるわけです。

岩田社長の講演の中で、『脳トレ』ユーザーが次に買ったソフトに
ついての資料が公開されましたが、『マリオカート』と『Newマリオ』が
それぞれ2割という数字は、興味深い結果です。


まー、なんというか、ブームが起きれば、安易な企画が出てくるのは
世の常で、何でもかんでも「脳を鍛える」をつけて売ろうという安直な
人々もいるでしょう。けれどもなー、なんていうの、ファミコンブームの
頃と違って、ブームを利用してやろう、乗りこなそうという開発者が
少ないのはなんなんでしょうね。

あの『ドラクエ』だって、最初から国民的RPG、不朽の名作だった
わけではありません。外枠だけ見れば、ジャンプという雑誌の全面的な
バックアップ、人気漫画家の起用、という、いかにもなメディアミックス
企画だったわけです。堀井氏に限らず、当時ファミコンブームに乗り
ながら、うまくチャンスを掴んで、巧妙に「本当に自分のやりたい企画」
を通して、成功をおさめた方々は何人もいらっしゃると思います。

ボクが「波を乗りこなす」という言い回しを何度も使っているのは、
そういう過去の歴史を意識してのことです。波に飲み込まれた人、
流された人、飲み込まれたくなくて批判的な叫び声をあげている人
ばかりなんですかね。

それと、今回ボクがリンクしたブログの人に限らないんですが、
なんつーか、「ゲーム純愛主義」とでも言うんでしょうか、不思議な
思想、幻想を抱いている人がいらっしゃいますね。
(ゲームへの「愛」じゃなくて、「純愛」というのがポイントです。)

ゲームを純粋に愛している開発者が、ゲームを純粋に愛している
ユーザーのために、ゲームを純粋に愛しているスポンサー(や上司)
から純愛資金をもらって、ゲームを作るべきだ。ゲームを純粋に
愛せない人間はどうせゲームに対して不誠実で、すぐに浮気を
するから、そんな人間を相手にしても仕方ない。純粋な愛さえあれば、
他には何もいらないんだ、みたいな。

このエントリーのライトユーザーとヘビーユーザーの違いっていうのは、ゲームに対する信用の深さの違いではないでしょうか?

ヘビーユーザーっていうのは、一度や二度裏切られても過去に強烈な体験をしている為か、「次は素敵なゲームに出会えるかも」と思ってゲームを買い続けてくれる人。
ライトユーザーは一度裏切られたらゲームというジャンル自体を見限りる人。

と勝手に想像してみました。

去年完全新規タイトルで売れた「龍が如く」の広告展開は、ユーザーに「もう一度だけゲームを信用してくれませんか?」ってメッセージを送り続ていたように思えます。
そういう意味ではDSの広告展開とちょっと似てますね。

オタクやマニアというのはいつの時代もある意味純粋ですから。
ただ、そういう人達が作った作品に満足できるのも、ある程度そういう人に近しい人種というのもまた事実でして。
いいとか悪いとか優れているとか劣っているとかじゃなくて、そういうもんなんだと自分は思ってます。

>カリガリ博士

そうですね。
PS1で集まってきたライトユーザーが、PS2の登場前後で大幅に減り、
日本のゲーム市場が縮小していったわけですが、その要因として

1)
ゲームのプレイ時間が長い事が素晴らしいという考え方が蔓延し、
時間を大量に奪った割に、達成感や満足感が低いゲームが増えた。

2)
PS2初期に、PS2の開発の困難さから、出来の悪いゲームが
連続して発売されたことがあり、ゲームに対する信用が下がった。

などが考えられるかもしれません。BBSの頃に、そんな事を
書いたような記憶があります。


>黒箱さん

ん、まあ、そういう事でしょうね。
そういうタイプのクリエイターもまた、必要ではあるのでしょう。
数が多いと、狭い世界、閉じた世界になっていくと思いますが。
それ以前に、長期的には会社の経営が苦しくなるかもしれませんが。

とはいえ、「こだわり」というのも大切なものです。ユーザーの声が
強くなっている昨今、言い方を間違えたり、こだわりの出し方を
勘違いすると、叩かれやすいですけどね。
でも、貫く姿勢をカッコいいという見方もあります。

まぁしかし、純愛なら純愛でいいんですが、リンク先のブログのように、
一晩で内容をほぼ全面書き直して、内容も感情も修正してしまう
軽薄な覚悟は、まさしく「感情の迸り」「感情のゲロ」という印象。
主張ではなく、「感情のゲロ」だったと自分で認めたようなものです。
がっかりですな。

たかだかブログで、そこまで繊細な反応をする感性も、速やかに
「感情のゲロ」を掃除しておく小利口さも素敵といえます。
いや、そのカッコ悪さでさえ、1つの個性ですからね。それさえも、
支持する人はいるでしょう。なかなか奥が深い(笑

ちなみに、ボクは何度も書いてるように、批判はしていません。
「ゲロ」のたとえでいえば、春になったら新人歓迎会が多くて、
電車で吐くヤツは出てくるじゃないですか。毎年くり返される光景
であり、「ループ現象」にすぎません。そんなもの、1つ1つ批判した
って仕方ないでしょう。馬鹿馬鹿しいことです。

ただ、世の中には人の書いたものを、信者対アンチみたいな文脈で
しか捉えられない方々もいらっしゃって、ただの「現象論」を書いても、
誤解されることはあります。

リンク先の文章を見て『横スクSTG(格ゲーでも可)が古いなんていわせない!!!!』と一人で気張ってる開発者の姿が思い浮かんできました。
今の大型化が進むゲーセンが正しい、とは口が裂けてもいえませんが、少なくともSTGも格ゲーも時代遅れになってることは認めないと。
ただそんだけです。乱文失礼。

PS3とXBOX360はゲーム画像を、よりリアルでバーチャルな方向へ。Wiiはゲームの遊び方を、よりリアルでバーチャルな方向へ進んでる中...........はたして、今のゲームユーザーに受けられるのはどれでしょうね。

面白い意見を拝見させてもらいました。

技術の進化と共にゲームに対する捕らえ方が変わってきていることに、思考法が古い開発者や業界の人間は気づかないのです。

ネットワークが不可欠とされる現代社会でパッケージを売るというビジネスモデルを20年先まで今と変わらない質量で続けていくのは難しいのに。。。

周りの人間がDSで何万本売れたとかそういうこと言ってるのは正直目先しか考えてないような気がしてます。

それでは失礼します。

>DAKINIさん
市場の枠組みと経緯を丁寧に分析されていると感じました。実際この話題に限らずブログの大半の意見に素直に賛同できます。一方で話題後段の「10年のループを脱け出そう」は、悲観的すぎるように見うけられます。

以下理由としていくつか挙げてみます。

・新規に開拓されるライトユーザーの層が10年前と今とは異なっている点。
10年前のライトユーザー開拓時は、主に10代から20代の「学生、フレッシュマン層」を、特に女性を中心に開拓されてます。現在のライトユーザー開拓は、「子供世代を軸に、その親世代にあたる会社員、主婦層」を男女を問わず開拓しています。
両者の違いは「家庭」の有無にあります。子供世代を軸にしているため、新規ユーザーをとりこみ続ける試みが可能となり、一過性のブームであり、他の世代を排除した挙句、当のライトユーザーにも去られた前回の状況とは異なる様に感じられます。
また、社会人としての時間的制約から、ゲームを止めていた旧ゲーマ層をゲームに再び呼びこむ契機となった点も注目できると思います。
開拓されるライト層が2重、3重になっていることは、少なくとも急激なブーム終了を避ける要因になると思われます。

・任天堂が供給側の意識改革を図り、消費者の「安価で面白い」に答えようとしている点。
DAKINI氏の概念で言うところの「瞬発力」を必然的に切り捨てた経緯を経ながらも、携帯ゲームは発展を続けてきました。
何故か?それは、ソフト単価の価格に比して「面白い」ゲームが多いからでしょう。携帯ゲームは本質的には開発側にとっては、不便な市場です。単価が安く、ソフトの瞬発力が無い(画面は小さく、かつては色は白黒ですらあった)。そんな中で瞬発力以外で勝負することを運命付けられた場合どうゲームの持続性を保つか、システム設計とストーリーの練りこみとジャンルの開拓等が死活問題になりました。
さらに単価の安さは、コストカットが死活問題となりました。現在任天堂の「ソフト」が全盛なのも、この不便な環境を余儀なくていた時代の遺産だと思われます。この遺産を象徴するゲームがポケモンでありマリオでありゼルダなのだろうと思われます。
このような経緯を踏まえているため、安価で面白いゲームを創るノウハウを確立した上で、ユーザーに呼びかける強みがあります。また、供給側へは、成功例を身をもって示すことで業界全体の意識改革を迫る形となっています。

・「体感性」を軸にゲームの概念を再編成しようとしている点。
DSの棒、WIIのリモコン。そのままです。これらは、私見ですが、海外市場でも受け入れられると確信します。なぜか?国内外を問わず、旧来の市場と住み分けつつ、安価で面白いノウハウにより、新規の市場が確立されると感じるからです。
上記で述べた安価で面白いノウハウの確立は、これまでは、個々ばらばらに発展していったノウハウだと思われます。システム設計とストーリの練りこみとジャンルの開拓を例としてあげましたが、これらを融合させる指針を、任天堂は「体感性」を軸に融合できる可能性を提示したのだと思われます。
それに答えるかのように、DQの御三家が揃い踏みで、嬉々として「剣神DQ」の開発に取り組んでいるのは、良い兆候だと思われます。彼らは、クリエータとしてだけでなくゲーマーとしても知られてますが、彼らの嗅覚は「体感性」に可能性を感じたと思われます。

結局、市場戦略や動向は漠として見えないけれどそれなりに存在して、それなりに具体化できるノウハウがあって、それなりに何とかなるのではと感じるわけです。

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