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このサイトは、ゲーム開発、およびゲーム周辺の周辺技術や動向について日々考察し、毒舌的に物を書き続けることを通して、「ゲームの未来形」という大テーマに対して、何か考えを深められるといいなあ・・・・・・というサイトです。

2006年08月05日

専用機の見直しが進んでいく時代

Life is beautiful 「組み込みLinuxで遊ぶ」のコメント欄の議論がとても面白いです。

ヨドバシカメラに行くたびにPDA売り場が狭くなって行くのを見ていると、やはり、携帯電話、iPod、電子辞書、のように一つのことをキチンとこなすデバイスの方がユーザー・エクスペリエンスの面で優れているのだな、とつくづく思う。
という中島さんの感想に対して、
私の勝手な妄想ですが、電子辞書の流れや市場の拡大を見ていると、そろそろ新世代ワープロ (ワープロ 2.0?)というものが出てくる土壌が整いつつあるような気がしています。
という意見が。それからいくつかやり取りがあって、
「ネットワークに繋がったユビキタスデバイスの時代だからこその専用端末」というのはありかもしれませんね。実際のコンピューティングやソトレージはすべてサーバー側で分散して担当し、逆に人間が触れる端末は、電話をかける、文書を作る、映像を見る、魚釣りゲームをする、などの人間の行動に最適化された専用入出力装置を使うんです。いわゆるデバイス・コンバージェンスとは全く逆の方向ですが、私にはこっちの方がずっとしっくりと来ます。
と1つの方向性を予感させる締めに。

ここでも専用機の見直しが起きていますね。キーとなるのはインターフェイス。そしてネットワークとソフトウェア。
従来の「専用機が汎用機の中に飲み込まれていく」という考え方は、ある時点までは有効だったと思うんですが、iPodとDS以降はちょっと崩れてきた感じですね。技術、特にプロセッサ関連の技術の進歩を考えれば、長期的には「集約」へ向かうのはわかります。問題は「集約」した結果、インターフェイスが悪くなったり、快適さが落ちる事があるということ。
実は「集約」されるかどうかはプロセッサの問題ではないんでしょう。

1.「集約」してもインターフェイスが悪くならないし、快適さが落ちない
かつてのワープロ専用機はこのパターン。キーボードを持つPCに飲み込まれてもインターフェイスへの影響は軽微でしたし、作成した文書データの取り扱いや、動作の快適さ、データの受け渡しの便利さという点で、集約した方が快適でした。

2.「集約」する対象そのものの価値が低い
こっちの例は、携帯電話に飲み込まれた腕時計かな。「価値が低い」というのはちょっと違うか。どっちでも大差ない、という意味です。

据置ゲーム機がPCに飲み込まれるとか、携帯ゲーム機が携帯電話に飲み込まれるという議論をするときには、プロセッサだけでなく、箱(インターフェース、設置場所、使用条件)についても検討する必要があります。プロセッサ性能よりインターフェイス性能の時代。そもそも汎用機=PCだって、実質的にはWeb専用機になってきてるわけでしょう。実は汎用機って幻想だよね、っていうぐらい大胆な視点で、1回物事を整理してもいいかもしれません。

専用機の見直しについては、過去の記事でも書いています。

ところで、今の電子辞書市場の広がりを考えて、それでもDSの『楽引辞典』が『お料理ナビ』ほど売れなかったのは、仕事場でゲーム機を取り出して辞書を引くのはさすがに無理があるとか、色々理由はあるんですけど、やっぱり根本は「不便」だからじゃないかと思います。面白いかどうかってのは、ゲーム屋的なこじつけでしょう。電子辞書という専用機相手では、DSのソフトではさすがに勝てなかったという理解が一番素直かな。手書きも認識率やスピードを考えると微妙ですし。キーボードなら、ハードウェアキーボードのほうがやっぱりいい。

DSブラウザーは試みとしては面白いです。が、実質的なWeb専用機であるPCや、専用機に近い機能を持ちつつある携帯電話には全然およびません。玩具として買う人はいると思いますが、そこ止まりですよね。で、それはやっぱり面白いかどうかなんて事じゃない。単に快適か不便かという話なんだと思います。

他に専用機があるかどうか、一番優れた専用機を作れるかどうか。そういう視点で整理すると、実用ソフトの方向性を検討しやすいかもしれません。『脳トレ』を買ったユーザーにしてみたら、DSは「脳トレ専用機」でしょう。セガトイズの脳トレ玩具はありましたが、使い勝手も快適さも機能もDSの方が格段に優れていますからね。『えいご漬け』や『お料理ナビ』も同様ですね。

元々カートリッジ方式というのは、1ゲーム1ハードに対して、カートリッジを差し替えれば、「別の専用機」になりますよ、というコンセプトでしょう。ソフトを作っているという考えじゃなくて、専用機を作っているんだぐらいの意識で作らないといけないんじゃないかなあ。そう考えれば、単にPCの実用ソフトを移植するだけでは済まない、と誰でもわかりますしね。

Posted by amanoudume at 2006年08月05日 01:39 個別リンク
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コメント

う〜ん、ワープロの場合は、各メーカーがPCシェア争いへの流れに飲み込まれたって方が感覚的には近いかも。
年輩のかたに多いのですが、現在も愛用し、インクカートリッジを購入してくるお客さんもいるとのこと。
ウチの会社の人にもそういう人がいるんですが、
PCを勧めてみても「使い難い」の一言で却下です(汗
自分もモバイルワープロ使ってた時期があるんで、
専用機ならではの使い易さもわかりますし。

周りが使わなくなると、汎用性の問題が出てきますし、
メールなどで他者と文書データをやり取りしようとしても、
ワープロではそれが出来ない。
というのも大きいですね。

・集約する側の汎用性、利便性が専用性を上回った。

と言う方がしっくり来ます。

DSブラウザーは汎用性・利便性・快適性でPC・携帯には劣りますが、大いに需要を満たす特定のポイントがあると思います。
PCをすでに持っている家庭で、さらに家族用のネット端末を求めている場合、PCより格安で携帯のようにパケット料金がかからないという大きなメリットがあります。
月額300円でペアレンタルコントロールがかけられるサービスもあり、DSでネットを始める子供がいるかもしれません。
なので玩具として捕らえる以上に広がりのある物だと思っています。
私もゲーム機つながりでドリキャスでネットデビューした口です。

>BAN/さん

結局、「使いにくい」と言うユーザーがさほどマスではないから、消えて
しまったということかな、とも思います。
ワープロ世代だと、我慢ならない人もいるとは思いますが、最初から
PCのワープロソフトを使っている若い世代が専用機に流れるほどの
使い勝手の差はないかな、と思っています。

ただ、おっしゃる事もうなずけるわけで、その辺の中高年の需要を狙って、
電子辞書のワープロ2.0化という可能性が議論になったのだと思います。

汎用機に飲み込まれた専用機の代表例の割りに、案外、正確な分析が
なされていないのかもしれませんね。


> ナワヤさん

おっしゃる可能性がゼロとはいいませんが、現時点では、特に
感じません。ペアレンタルコントロールについては、PCでも掛ける
ことは可能ですし。

> PCをすでに持っている家庭で、さらに家族用のネット端末を求めている場合

現実問題、そんなに多いかな?という印象ですね。いや、例は
どこかにあるとは思いますが、例を探してこれるのと、市場が
あるのは全然別の話ですから。

ネット上を見ている限り、現時点では「玩具」という判断が妥当だと
思います。もちろん将来の任天堂の携帯ゲーム機に最初から
標準で付いてくれば・・・・また可能性も広がってくるような気は
しますが。

他に、布団の中で見たい事もある、という需要もあるみたいなん
ですが、携帯電話で見るという人の方が多いようですしね。

ワープロの場合はこれから始めようとする人が触れる機会はほとんど皆無に近い訳である意味特異な例になると思います。
今で言うなら、携帯電話とデジカメの関係…と思ったけど、
汎用機はなんでも出来る代わりに値段が高く、専用機は特化しているため安いという関係がまったく逆転しているため(携帯の方が安い)参考にならないかもと思ったり…

楽引よりお料理が売れているのは、時期的な問題(後発の方が分母が大きい、ピンクと同時)と、ユーザーが感じる遊びゴコロの差だと思います。
お料理ナビ買って試しに料理をつくろう。というのと、
楽引買って、色々な言葉を調べてみよう。というのでは、料理の方に軍配が上がるのかなと。料理自体がゲームのようなもんですし。
辞書を引くという行為の先には、正しい回答があるだけですが、
料理の場合は答え(作り方)がわかっていたとしても
その工程の先に失敗もあれば大成功もあるわけで。

ワープロに関しては認識がすでに平行線ですね。使い勝手の面で
大きな差は無いというのがボクの認識です。というより、あそこまで
壊滅してしまったのがその証拠では。もちろん中高年のかつての
ワープロ世代には、PCでは使いにくいという人も残ってはいるでしょうが。
しかしこれ以上の議論はただの無駄でしょう。

デジカメは写真を撮るという点では、携帯電話に対して、十分な
使い勝手の優位性を発揮できていると思います。ただしメモ的な
意味での写真という点では、そもそもそういう文化が育まれたのは
携帯電話にカメラが付いてからの事なので、話は別でしょうね。

DSは素晴らしい機械だと思うけど、それこそ専用機には敵わない
部分もある。DSの今の勢いに目を奪われすぎず、その点を冷静に
評価したいですね。DS+ソフトでは、電子辞書という巨大な専用機
市場に食い込むレベルには達しなかった、というだけのこと。


> 楽引よりお料理が売れているのは、時期的な問題

ソフトが売れる/売れないは、時期の問題が無関係とはいいませんが、
ソフトの中身そのもので分析すべきでしょう。BAN/さんの主張では
くだらない「プロモ論」と同じになってしまいます。

タッチジェネレーションのソフトもじわじわ売れていくという流れを
たどっていったわけで。やっぱりソフトの内容の話をしないと。

やっぱり使い勝手では、電子辞書>>>>楽引ですからね。
電子辞書の機能がほしい人はふつうに電子辞書を買うというそれ
だけのことだと思います。

楽引には、電子辞書に期待されているような使い勝手はないし、
それ以外の付加価値も感じさせられなかったという事ですね。

料理自体がゲームみたいな・・・というのはまあ正直詭弁みたいな
もんだと思います。当たっていれば、楽引辞典も「言葉を探すのは
楽しい」とか「楽しく知的好奇心をくすぐられる」とか言う人はいたでしょう。
「旅の指差し手帳」も同様で、旅行自体がゲームみたいなもの、
という人はいたでしょう。

いささかの説得力も感じない、というのがボクの率直な見解ですね。
まぁすべからく、「説明」や「理論」は後づけですが。やや結論を
急いだ分析だなと思いますし、議論のための議論、結論のための
結論という印象をぬぐえません。

実用ソフトを評価するときの評価として素直な物の見方なのか?
ゲーム的な要素を入れなければ、実用ソフトが売れないという
考え方もありますが、それはゲーム屋的あるいはゲーマー的な
思い込みではないかな、と。ボクは一度、大胆にゲーム屋的な、
ゲーマー的な評価法から離れてみたらどうかな、と感じています。

(まぁ、お料理ナビは楽引辞典のように売れないと言っておき
ながら、売れた途端に手のひらを返して、やっぱりゲームでした、
というような思考の仕方も世の中には存在します。なんというか、
線引きの微修正を繰り返すような滑稽さがそこにはあります。
そういう時は、表面的な修正で論理を取り繕うよりも、一度大胆に
引いて見直してみたほうがいい。料理はゲーム? その論法なら
世の中のほとんどすべての物を「xxxはゲーム」といえちゃう訳で。
詭弁じみた論理は好きじゃないですね、心底)

個人的な認識としては、快適さ、便利さ、楽しさの3点が重要で、
優先順もこの順番でしょう。ゲーム的な面白さは不可欠のものでは
ないと思います。一方で、ゲームで培ったインターフェイスのノウ
ハウや、楽しい演出は制作の役に立つでしょう。

ワープロに関する認識の違いというよりも、要因は一つではないと思うんですよ。
専用機が専用機としてのアイデンティティを保てなくなった瞬間から急速にしぼんでいく訳で。
PCが急速に普及していく中、安定期に入ったワープロよりも今後急成長が見込めるPCに開発資源を移したと見る事も出来るでしょうし。
当時はPCはなんでも出来る魔法の箱とさえ言われてましたから。
ユーザーも「ならPCでいいじゃないか」と。
ま、そういう人の多くはワープロにも余り触れてないわけですが。
#自分はそういう人に
「なんでも出来るけど、やってくれるわけじゃないから、やる気にならなきゃ何も出来ない箱だよ(笑)」
と言ってました。

楽引きの時期に付いても同様で、それを主原因にするつもりはないです。
しかし、ビジネスユースに向けて発信出来るDSのパッケージがあれば
それに呼応する形で楽引のようなソフトも売れる可能性はあります。が、
DSはそこまでビジネスユースライクにはなれないし、なるつもりもない。
そこを機能的に足りないと言うかそちらに行くと遊びが足りなくなると言うかの違いかと。

> それ以外の付加価値も感じさせられなかったという事ですね。

この一語がすべてを表わしてるとも言えますね。
付加価値が利便性か遊びゴコロか、
多分両方でしょう。


正直、「お料理ナビ」は動向を読むのが難しいソフトでした。
DSが女性層にも売れている事や、脳トレの次の一手としての料理というフック(つまり料理=ゲーム論)を考えると売れてもおかしくない。その場合は軽く10万は越えるだろう。
しかし、紙媒体と比べると高価な事やDSを買ってまでのソフトか?を考えると爆死もありうる。
つまり、売れる要因と同じくらい売れない要因も備えていたわけで、その両側面を発売前に語っていた人は見当たらないですよね。

お料理ナビが“面白い”のは、“現実(リアル)を仮想世界にフィードバックする”というゲームの常識の正反対をやった事です。
“ゲーム内の出来事を現実世界にフィードバックする”言葉だけ聞くとただの電波ですが(笑)
料理だとそれが手軽にできる。だから面白い。
これこそゲーム2.0と言ってもいいんじゃないかな?とは言い過ぎか。


> 大胆にゲーム屋的な、ゲーマー的な評価法から離れてみたらどうかな、と感じています。

自分の経験則では、売上予想の際、ゲーマー的な視点を加えれば加えるほど精度が下がり、それを切り捨て、過去の売上やら市場規模、発売時期などデータを重視していけば精度は上がっていくんですよ。
でも、それでは一ゲーマーとしてちっとも面白くない訳で(笑)

やっぱり議論のネタになるような話の一つもないと…ま、それで飯食ってないからこそノンキに言えるのかも知れませんが。

>ワープロ

で、そろそろ議論のネタも出尽くしたので、もう飽きたというのが
正直なところなんですが?

色んな要因があるよね、というのは当然として、そんな話を何度も
やり取りしても退屈の極みですね。

その中で主原因は何か?という焦点がボケてしまうし、議論が
退屈です。「色んな要因がある」といってしまえば、どんな意見も
それなりに成り立つわけで、それこそ議論のための議論もいくらでも
可能になります。好きじゃないですね。

ゲーム→現実という流れは、脳トレ以降、顕著になってきた傾向だと
思いますから、取り立ててお料理ナビだけが面白いとは思いません。

タッチジェネレーションのソフトはほとんどそういう傾向を持っています。
その中で売れた物と売れない物が出てきている。

> これこそゲーム2.0
結局言葉遊びになっていきますよね?
そういうのは、あれれさん所にでも行ってやったらどうですか。
さよなら。

> やっぱり議論のネタになるような話の一つもないと…

ボクが一番嫌いなのは「議論のための議論」です。続けることが
目的の議論は、意味を感じませんし、ここでやる必要も無いこと
かなあ、と。

> 発売時期などデータを重視していけば精度は上がっていくんですよ。
> でも、それでは一ゲーマーとしてちっとも面白くない訳で(笑)

と、おっしゃる割には、お料理ナビの売れた要因として、ピンクを
持ち出していましたね。

もういいんじゃないですか?
正直、説得力の無い書き込み、同じことの繰り返しをやられても、
何の面白みもありません。

ワープロの話は横に置いておいて、と。

DSブラウザー、試してみましたよ〜。

2画面表示とかよく考えているなあと思いましたし、DSの特徴である(つまりDSブラウザーそのものの特徴でない)無線LANへの接続設定のしやすさがいいなあとは思いました。

しかしPCでユーザーエクスピリエンスを積んでしまったユーザー(自分)にはちょっと厳しいです。それがない人には別の見方が出来るかもしれませんが。

コンテンツがPC向けのものをそのまま、というところでユーザーエクスピリエンスについては10も20もギャップが生じてしまうのだから、難しいのは分かっていますけどね。所詮、専用機にもなってないダウンサイズスペック機というところでしょうから。

でも逆に、逆に、ですよ。DSブラウザー専用のブラウザーゲームが作られてたら、どうなるか?とは思いましたね〜。苦手な縦スクロールとか一切なしでね。

DSブラウザーにFlashプレイヤーが入って、DSブラウザー向けに逆転裁判やZoo Keeperや、「成分分析」みたいな占いっぽいのでも、とにかく軽いインタラクティブなゲームが作られたら、ですよ。話は全然違ってくるのではないかと。Flashでオーサリングできる人口は大きいわけですから、ブログコンテンツ並みの低い参入障壁でDS向けゲームが出てきて、それこそWeb2.0のゲームプラットフォーム、「Game2.0(?)専用機」にになれた、なっちゃった、なったらなったで任天堂は地盤変化を引き起こして自分自身も業界も大騒ぎ、になったんぢゃないかなあ、なんて妄想もします。

>ぶらりんさん

無料のPSPのブラウザーではFlashが動くのに有料のDSのブラウザーで
動かないという時点で、さすがにショボーンですよね。まぁやっぱりDSでは
Flashをスムーズに動かすのは厳しいという事なのかな?と推察しますが、
Flashがさくさく動いて、YouTubeの動画も普通に観られるぐらいになれば
ちょっと心が動きますが、まあ将来の楽しみに取っておくべきでしょうかね。

くたたんではないですが、やはり生態系が作られないと厳しいですね。
PCも携帯も生態系が生まれてますから。そこがゲーム機の閉鎖的な
ところで、任天堂の過去20年間の限界でもありますね。色々と手を広げて
いるように見えながらも、結局はファミコンビジネスの再来でしかない、
というのが今のDSであって。

ファミコン当時も無数の可能性がありましたが、ゲーム機のロイヤリティ
制度を始めとする色々な制約によって、多数の可能性を殺してきた結果、
普及台数では先行していたはずなのに、PCと携帯電話に抜かれてしまった。

真の意味で、岩田任天堂が山内任天堂を越えたといえるのは、新しい
ゲーム機ビジネスを立ち上げられた時であって、DSの今の成功で
満足して、旧来のビジネスに留まるようであれば、その末路など知れたもの
でしょうね。しょせんは、一時期の栄華に目がくらんで、20年の大計を
考えることのできなかった企業として、歴史に残ることでしょう。

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