Intermezzo「スクウェアエニックス株主総会レポート」
マルチプラットフォーム路線があらためて鮮明化しています。
「イノベーションのジレンマ」の話を引用しつつ、ゲーム機、PC、携帯電話の性能は大多数のユーザーが満足できるレベルに達してきており、どれもがネットワークにつながる状況にあることを強調。(参考:情報考学 Passion For The Future 書評「イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき」)
大多数のユーザーにとっての本当のニーズとは何か?を真剣に考えた結果、ソフトよりもプレイヤーの体験の蓄積であるセーブデータのほうが重要、という明快な結論に達したようです。そこで、スクウェアエニックスは、セーブデータをネットワーク上で一元的に管理するISP的な立場になり、利益を得る戦略なのでしょう。セーブデータにアクセスする手段そのものは、複数のゲーム機、あるいはPC、あるいは携帯電話でもいい。「FF11」がPC、PS2、XBOX360からアクセスできるのは、たしかに説得力のある実例。
関連 次世代で加速するマルチプラットフォーム
次世代機のゲーム、とくにオンラインゲームでは、マルチプラットフォームのタイトルが増加するでしょう。各ハードの性能差が縮まり、シェアの差も縮まるという予想が日増しに強くなっています。シェアの差が縮まるのであれば、単一プラットフォームに供給するのはリスクになります。
各プラットフォームにおいて、CPU性能やGPU性能はまだ差別化のしようがありますが、ネットワーク性能は横並びです。オンラインゲームで最も重要な付加価値は、じつはハードウェアの差別化につながりません。そのため、プロセッサ性能を高めて、他社との差別化を図るという「オフラインゲーム機の勝利戦略」が通じなくなります。
また、セーブデータで商売するという考え方は、以前書いた「プレイデータ中心のゲームデザイン」につながるものです。
関連 プレイヤー中心のゲームデザインから、プレイデータ中心のゲームデザインへ
プレイデータ中心主義に立てば、最近持てはやされている「アイテム課金」「アバター課金」「RMT(リアルマネートレーディング)」は自然な発想です。最初の10年はプレイヤーのスキルを評価する時代、次の10年はプレイヤーのゲームにかけた時間を評価する時代。そしてこれからの10年は、プレイヤーのゲームにかけたお金を評価する時代。お金を評価するというと、ちょっと誤解を招きそうですが。
家庭用ゲームにおいては、これまでは攻略本を買うというきわめて補助的な形でしか、お金は有効利用されませんでした。アーケードではコインを多く投じれば、それだけ機会は多くなりますが、お金をかけたところで、最後までたどり着けるわけではありません。プレイヤーの腕前や、プレイヤーのかけた労力に対してフェアであるべき、という考え方です。
しかしゲームの歴史をふり返ると、「買った人は誰でも最後まで到達する権利がある」という考え方が徐々に強くなっているのです。メディアとしてのゲームが浸透していくにつれて、ゲームを遊ぶ人の年齢の幅が広がるわけですから、自然なことです。
けれども、ゲームは各プレイヤーの差がつくから面白いのですし、いまだに多くのゲームは「競争」原理を取り入れているわけです。そのため、単純にプレイヤー全員に対して、障害を低くするのはうまくないです。また、難易度を下げていくと、プレイボリュームを維持するために、ゲーム自体のボリュームを膨大にせざるを得ません。しかしそうなると、時間の無いユーザーはふるい落とされてしまいます。それに密度の薄いプレイ時間延ばしは、ゲームの価値を下落させます。たとえば、やたらエンカウント率の高いRPG、後半につまらなくてだだっ広いダンジョンが多いRPG、・・・・。
ではプレイヤーごとの差はどこでつけるのか?
腕が無ければ時間を。時間が無ければ・・・・お金。
まあすべてのゲームがそうなるとはいいませんが、攻略本を買う以外の選択肢が提示されて、ゲームを最後まで遊べる人が増えるのは良いことでしょう。もちろん、システムとしてお金そのものを見せるとドギツいので、ゲームマネーのようなポイント制を取る所が多いんじゃないかと思います。
そうそう、カードゲームは新しいゲームデザインの良いヒントになるでしょう。「遊戯王」のようなリアルのカードゲームやアーケードのカードゲーム、オンラインゲームの「アルテイル」。
お金をかけると手持ちのカード(アイテム)が増えて勝ちやすくなる、ただしお金だけですべてが決まるわけではない。プレイデータ中心主義がもたらすものは他にもあると思いますが、それについてはいずれまた書きたいと思います。