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このサイトは、ゲーム開発、およびゲーム周辺の周辺技術や動向について日々考察し、毒舌的に物を書き続けることを通して、「ゲームの未来形」という大テーマに対して、何か考えを深められるといいなあ・・・・・・というサイトです。

2006年06月17日

ゲーム言説界の性質

なんでゲームは映画のようにならないのか問題

でも、なぜかゲームは、やたらと「これが本流! これにのれない制作者や
ユーザーは時代にのれてない!」とかって煽りが出る。
枯れた知識の水平思考さんが指摘しておられるように、業界人の主張とユーザーの論理、2chレベルの煽りは分けて考えた方がいい気がします。ボクはゲーム開発者ですので、ゲーム業界の特性について少し書いてみます。

1.ゲームには技術に強く依存した部分とそうでない部分がある
アニメや映画も技術の進化はありますが、ゲームほど技術に依存していませんし、技術の進化の速度がゆるやかです。ゲーム業界には「技術が進歩すればゲームデザインも変化するのが当たり前だ」という考え方があります。2D→3Dのようにゲームは技術の進化と共に、ゲームデザインの変革を行ってきたメディアだからです(逆に技術が進化したせいで、ゲームがつまらなくなったという意見も出てきます)。

ゲームの世界では、次世代ゲーム機が出ると当然のように「次世代機ならではの次世代のゲームの登場が待たれる」と言われます。そもそも「次世代ゲーム」という言い方が不思議なわけです。次世代小説とか、次世代映画なんて言葉は聞いたことがありませんよね。

2.技術の進化についていけないと、仕事が無くなるという危機意識がある
ゲーム開発者は技術の変化についていく必要があります。特にプログラマーは危機意識が高いでしょう。新しいハードが出るたびに、新しい技術が出てきますし、年々技術は専門化・高度化していますし、新しいハードではライブラリが変わってしまうため、毎回覚えなおさなければなりません。

デザイナーも同様で、2D→3Dに移行によってドット絵の仕事が減っていき、3Dデザイナーの仕事が増えていきました。そこまで大きな変化でなくても、5年ごとに性能が大幅に向上するため、ツールの新機能を使い、新しい表現を身につけていかなければなりません。

ゲーム機は新しい世代のハードが出ると、数年後には古い世代のハードの市場が無くなってしまいます。すぐに付いていくか、ゆっくり対応していくかはともかく、新しいハードを無視していては、ビジネスも仕事も成り立だないのが現状です。

ゲーム開発者は時流に乗り遅れることに漠然とした危機感を抱きがちです。そのため、ゲーム開発のトレンドが意識されやすいのです。流れに乗り遅れた(と感じた)人が「そんなもん一過性のブームだ!」とか「知ったことか!」と反発する事もあります。しかしそれって結局、ついていけない側が勝手に疎外感をおぼえて叫びだしているだけなんです。だって、ついていっている人たちはついていけてない人なんて、見向きもしませんから。振り向いてほしくて、なんか暴言めいた事を叫ぶんですよね。微笑ましい光景です。

3.プラットフォームを乗り間違えた時のリスクが大きい
ゲーム機の市場は、一番のハードに普及台数が一極集中する傾向があり、当然ソフトの売上も勝ったハードに集中します。ソフトメーカーにとってプラットフォームの選択は死活問題です。実際、スクウェアが任天堂からソニー陣営に移った時は、多くのソフトメーカーがサターンやN64向けに動かしていた開発ラインを一気にPS向けに移しました。ハードの勢い、時流を見極めるのが重要とされ、乗れない会社は負け組とみなされがちです。

例えば、コーエーはPS1対SSの頃にセガ寄りでチャンスロスが多かったのですが、その反省を活かして、PS2では初期から注力し、『三回無双』シリーズの立ち上げに成功しました。もちろんソフトの出来は大前提ですが、投入が遅れていたり、他のハードに出していたら、『無双』シリーズの隆盛は無かったでしょう。

経営判断として、メインプラットフォームには実績のある開発チームを割り当てることが多いため、あまりいい表現ではないのですが、マイナープラットフォームを担当する開発チームを「二軍」扱いするような空気が存在する会社もあるわけです。「もある」というか、そういう話はあちこちでよく聞きましたが。
近年はマルチプラットフォーム化の流れが顕在化しつつありますが、日本国内では実際にはマルチタイトルはまだまだ少ないのが現状です。

4.ゲーム業界は「売ったもん勝ち」の論理が根強い
ゲーム業界は平たく言えば、売上至上主義の伝統があります。集団制作でコストがかかり、しかもその制作費をすべてパッケージ販売で回収しなければならないため、売上本数という数字は長い間、影響力を及ぼし続けています。ヒットが出れば、続編が出ますし、似たようなソフトが乱発される。この傾向はいまだ変わりません。ゲーム会社の経営は、なんだかんだでヒットに依存した体質が慢性化していることも「売上至上主義」の一因です。

ゲーム業界の歴史を振り返れば、ゲーム会社は一部を除いて制作者の名前でソフトを売ろうとしてきませんでした。どちらかといえば、流行りやブームに乗りながら、ヒット作を生み出し、売上を拡大し、会社を大きくし、さらに欧米市場にもシェアを拡大していきました。ゲームがアニメ、コミック、映画と異なり、全世界を席巻した最大の要因は、もちろん面白いのは当然ですが、しかし結局の所、日本のゲームが売れたからです。

5.ゲーム業界は作家の名前でソフトが売れない
ゲームの世界はいまだ制作者の名前でゲームが売れません。ブランドはタイトルや会社にくっついています。
あたかも会社に人格があるかのような語られ方がするのがゲーム言論界の不思議なところです。それがいわゆる信者論争の起きやすさにつながっているのでしょう。
ポップ・コラム:ナムコ、「ゲーム性中心主義」に回帰

ゲーム会社というのはあくまでも集団組織である。しかし、映画会社やテレビ局よりも「作家性」のようなものを期待されることが多い。任天堂やナムコやカプコンといったメジャーですら、あたかも一個人作家みたいに扱われることも珍しくないのである。おかしな話だが、映画やテレビに比べてゲームの歴史がまだ浅いことと関係しているのかもしれない。
こういう「会社=人格」という考え方に加えて、ファミ通や電撃、メディアクリエイトの売上集計をユーザーが簡単に閲覧できるため、煽りあいが起きやすいのかもしれません。ユーザーの手による売上累計サイトは珍しくありません。

10年前のPS1ブームでは「ゲームクリエイター」ブームが起きて、若いクリエイターが雑誌やテレビに登場し、ゲームについて語ったりしていました。クリエイターに脚光が当たった良い時期でしたが、開発者の力が強くなった結果、利益に対する開発費が増大し、経営が悪化する会社が増えて、多くの会社がマネージメント重視に転じていきます。スクウェアの経営危機と坂口博信氏の退陣は有名な事例でしょう。ここ数年、日本のゲーム会社はマネージメントの論理が強くなり、スケジュール、開発費、売上見込みについて厳しくなっています。

番外:枯れたジャンルは単館上映に近いかも

しかし2Dシューティングの制作者とユーザーの現状を見ると、単館上映に近いものを感じます。「好きだから作る」と「好きだから遊ぶ」の均衡。とはいえ、やはり完全な均衡はないようです。新規ユーザーが増える見込みがほとんどなく、さらなる縮小に向かって微減し続けていたため、良くも悪くも少し売ることに傾いて、結果的に2Dシューティングが萌えまくりになっていますね。

ノベルゲーム、パズルゲーム、2D格闘ゲーム、2Dシューティングといった技術の変化の速度やその影響がゆるやかになったジャンルほど、単館上映のような世界が生き残りやすいのかもしれません。

Posted by amanoudume at 2006年06月17日 14:00 個別リンク
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コメント

>> でも、なぜかゲームは、やたらと「これが本流! これにのれない制作者や
>> ユーザーは時代にのれてない!」とかって煽りが出る。

煽った一人としては、いささか居心地が悪いですね(笑)
まあ、でもユーザーの一人としては日本のゲーム業界にがんばってもらいたい(世界をリードしてもらいたい)思いがあるのは正直なところです。

で、ちょっと思ったことを書きます。

ゲームに求められるのは基本的に娯楽性だとは思いますが、ゲームの場合、それを支えるのに『(システム面での)機能美』が求められると思います。その『機能美』は、アーティスト的ではなく、エンジニア的に支えられます。そして、日本では芸術家の地位は高いですが、技術者の地位は低い現実があります。

PS1における「ゲームクリエーター」ブームも、「ゲームクリエーター」と呼ばれる人たちがアーティスト的に捉えられていたような気がします(で、未だにゲーム開発者をアーティスト的に扱っていることにSCEの限界があると思います。音楽業界的発想や映画業界的発想の限界というか)。

誤解を恐れずに言えば、今のライトユーザーブーム(?)において(いや、ゲームというメディアは元々そうなのかも知れませんが)ユーザーはソフトの作家性よりも機能性を見ていると思います。そして、制作者はそれを本能的に知っていると思います。
しかしながら、それを演出する任天堂は技術者の地位向上などはあまり考えてなさげです。

よって、その辺の風土(?)をどう変えるか、が、日本のゲーム業界の(というか日本の)課題の一つであると思います。

・・・と書いて、気が付いたのですが、また煽りになってしまいました(笑)

それを言うなら、うちのブログこそ煽りの総本山の1つです(笑
産業論としてゲームを見る視点は、最近は珍しくないと思いますが、
それでも誤解を受けがちですね。産業の課題、期待をこめた文章を
書くと、それを読んで「煽り」と捉える人が出てくるのは仕方ないこと
でしょう。根本的な視点の広さの違いはあると思います。

産業論としてゲーム業界を語るという点では、ライターの中では
新清士氏が最も際立っていると思います。正直言うと、考え方は
合わないんですが。
http://it.nikkei.co.jp/digital/column/gamescramble.aspx

逆にアニメなどは、制作会社の立場が弱いというか、広告代理店に
食い物にされ過ぎていて、産業論の不足を感じます。アニメ産業を
憂える意見はたびたび目にするんですけど、現実的な説得力・実行
力に欠けるような印象です。自社でコンテンツの制作から流通までを
コントロールするのが当たり前のゲーム業界とは大きく違いますね。

日本では一息ついた感がありますが、まだまだ変化に対応して
いない会社も多いことですし、ゲーム業界を憂える人々が積極的に
発言していくのは大切なことだと思います。

# まぁ「お前がもっと穏健な言い方をすればいいんだよ!」という
# 突っ込みは無しの方向で(笑 これでも昔に比べると、随分丸く
# なったと思うんですが、過敏な人はいくらでもいますからね。

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