『しゃべる!DSお料理ナビ』が非常に好調に動いているようで、それについて書こうと思います。
ここ数年、ゲーム機衰退論が勢いを増していました。
携帯電話でもゲームが動くようになったり、PCとゲーム機の基礎技術が似通ってきたり、据置ゲーム機にネット接続機能が無く、オンラインゲームを展開するならPCが最善のプラットフォームだったからです。ソフトメーカーにとっても、ロイヤリティ制のないプラットフォームは魅力的に見えたのでしょう。例えば、DSとPSPが発売された2004年の年末頃にも、「DSとPSPのどちらが勝つかという議論で盛り上がってるけど、真の勝者は携帯電話」という意見がありました。
長期的な視点で考えれば、その理論は間違いではないでしょう。実際、PCと携帯電話はもはやユーザーの日常に溶け込んでいます。しかし2大プラットフォームの成長で最も伸びたのは、いわゆるゲーム業界ではなく、Web業界でしょう。ゲーム業界がヘビーユーザーに特化したMMORPGの開発に熱中している間に、Web業界の人たちは幅広いユーザーに使ってもらうサービスを開発し続けました。その差が如実に現れています。ゲーム業界でも、遅まきながら反省が始まっていて、素直に「Web2.0的なゲーム」に取り組む動きがようやく活発になってきました(線を引いているのはいつだって業界人の側)。
去年あたりから携帯電話の進化にブレーキがかかってきたような印象があります。1つはバッテリーの問題があるためです。携帯電話はもはやライフラインに等しいものですから、付加的な要素を詰め込みすぎてバッテリー消費が大きくなり、ちょっと使ったらメールが受信できなくなった・・・・では困るのですね。もう1つはナンバーポータビリティの導入によって、携帯キャリア間の競争が激しくなるため、端末コストを抑えたいという思惑が出てきたからです。共通の機能は最低限におさえて、端末ごとに個性を打ち出していく流れが強くなるでしょう。
神尾寿の時事日想 「au夏モデル、ラインアップを見渡すと……」
各キャリアは料金値下げやインセンティブの積み増しなど消耗戦は避けたいと考えているが、MNPの際は価格競争を余儀なくされる。特に端末は、いわゆる「1円端末」という形で投げ売りされるだろう。今年の春・夏モデルは、秋には安売りされる運命にある。その中で、ドコモよりも資金力で劣るauは、少しでも消耗戦の“痛み”を抑えなければならない。そのためには、今年の必須機能の1つであるモバイルFeliCaですら、コスト削減の対象にせざるを得なかったのだろう。結果的に、タッチパネルを搭載したDSや、iPodのような携帯オーディオプレイヤーは、携帯電話の中に吸収される恐れが遠のいています。
専用機が汎用機に吸収されていく、専用機が必需品の中に飲み込まれていく、という理論はとても説得力があります。ワープロが良い例ですし。ただ、子供でもわかるような理論というのは、深く考えずにそこで思考停止に陥るという罠がつきものです。
むしろ最近では、iPodの成功にともない、専用機の再評価が起きていると思います。
本田雅一の「週刊モバイル通信」: PC業界がAppleに学べること
ここまではAppleをつぶさないためにどうするかの話だったが、さらに成長戦略を練るには、もちろん先を読んだ製品計画が重要だ。ここでも興味深いことに、ジョブズとその側近たちは「汎用コンピュータを使う時代から、コンピュータを応用して特定の目的に使う専用機が主流になっていく」と読み、現在へと続く製品企画の基本的なポリシーになっているという。PC業界、AV家電業界には利口な人たちが大勢いたわけで、けれども思考停止の落とし穴に嵌まってしまいました。それを突きつけたのがアップルでした。似たようなことがゲーム業界でも起きたと思います。確かに携帯電話はゲーム会社のビジネスの幅を広げました。携帯電話に手を広げるのは正しい戦略です。しかし「正しすぎる」がゆえに、専用機である携帯ゲーム機への注力を怠ってしまいました。いずれ消えていくもの、と思ってしまい、関心が足りなかった。その結果、「据置→携帯」という流れに乗り切れず、任天堂の一人勝ちが起きたわけです。利口がゆえに正しすぎる。正しすぎるがゆえに穴に落ちる。
その最たる例がスクウェアエニックスでしょう。
スクエニ和田社長に聞く、ネットの未来予想図 (デジタルエンタメ天気予報):NBonline
PCや携帯電話を含むマルチプラットフォームを目指す。もはや特定のプラットフォームが支配的になる時代ではありません。それは正しい。けれども正しすぎるがゆえに穴に落ちる。スクウェアエニックスは携帯電話ゲームを重視したため、DSにもPSPにも積極的ではありませんでした。「DSか?PSPか?」ではなく、「携帯電話だ」というのが答えだったのでしょう。実際、対応タイトルがほとんど出ていません。RPGは開発期間がかかるという事情もあるのでしょうが、『FF3』『ドラクエモンスターズ・ジョーカー』のような有力タイトルが出揃うのは、今年になってからです。
しかし実際には、利口なはずの人たちの予想を裏切って、DSはファミコン以来の大ヒットになりました。去年からソフトメーカーは大慌てで、路線転換を始めています。
ゲーム機はPCと携帯電話に一気に追いついてきました。ゲーム機メーカーもPCと携帯電話の普及に対して、危機感を募らせていたのでしょう。専用機のいいところは、ゲーム機メーカー1社が主導権を握っているため、その気になれば新ハードの投入によって、短期間で方向転換しやすいことです。据置ゲーム機の場合は、一度ハードを出してしまうと5年間は縛られるのですが、携帯ゲーム機の世代交代のスパンは短く、GBA→SP、DS→DS Liteのように上位機種の投入も当たり前になってますから、キャッチアップの速度は上がっています。
またPCで20万本売れた『えいご漬け』がDSでは100万本を越えたのも見逃せませんし、『しゃべる!DSお料理ナビ』が初週12万本以上という好調な滑り出しを見せたのも画期的な出来事です。実用ソフトがこれだけ売れたのは、ゲーム機史上初めての現象です。特に『お料理ナビ』の成功は、非常に面白い可能性を切り拓いたといえます。
長期的に売れると予想した人はいましたが、ここまでのスタートダッシュを切ると予想していた人はほとんどいなかったと思います。忍之閻魔帳の忍さんは「異例づくし」「ゲーム色の薄いツールソフトがこれだけの初動を叩き出すのはDS登場以前には考えられなかったこと」とコメントしています。また、ゲームのマボロシのあれれさんの予想とは、180度反対の結果になっています。実用ソフトが売れるのに必要なのはゲーム的な「面白さ」ではないという事です。ジョークに突っ込むのは野暮ですが、牽強付会なこじつけをしなくても(笑
(作った料理を写真に撮って画像掲示板に投稿していたり、音声合成に色々な文章をしゃべらせたり、積極的に遊んでいるユーザーがいるのは確かですが。)
『お料理ナビ』は、ゲーム業界人がいま一番注目すべきソフトだといっても過言ではないでしょう。いまDSのマーケットで何が起こっているのか、それをより正しく認識するチャンスだからです。この現象を現時点でもっとも良く説明できるのは、新清士氏のこの記事でしょう。
ニンテンドーDSが携帯電話になる日
経済学に「経路依存性」という考え方がある。一旦、消費者に学習された購入の仕方が、その後の消費者の購買行動にも大きく影響を与えるという考え方である。パソコン版の「えいご漬け」の完成度は十分で、パソコンユーザーであればわざわざDS版を買う必要はないだろう。また、同様のソフトはパソコン向けに限らず、携帯電話向けにも無数に発売されている。これと同じ事が20年前にも起こりました。ファミコンの大ヒットによって、パソコンでゲームを作っていた人たちが一斉にゲーム機に雪崩れこんできました。ゲーム機業界は、玩具とアーケードとパソコンゲームからの参入によって形成されたのです。それにもかかわらず、DS版を購入するのは、すでに購買行動としてゲーム機のハードウェアとソフトウェアの両方を購入する習慣が日本の消費者に定着しているからだ。すでに過去に体験したことのある購買行動が学習されているからこそ、拡散していた英語学習用ツールの潜在需要を一気に集約化できたのだ。これが、「えいご漬け」ヒットの理由でもあり、今のDSの大ヒットにも通じる要因ではないだろうか。
現在ではPCゲームというと、濃いオタクの遊ぶものというイメージが普通です。しかし当時はまだパソコンゲームの方が先端的で高度だという認識が強く、「ファミコンはお子様の玩具。大人の楽しむアドベンチャーやロールプレイングはパソコンが主流」という論調が存在しました。
しかしディスクシステムの登場や、『ポートピア』『オホーツク』『ドラゴンクエスト』によって、パソコンゲームの主要な遊びは、ファミコンでも楽しめるものになりました。その後、パソコンにこだわった会社は経営が厳しくなり、多数の会社が消えていきました。一方、早々とゲーム機に移行した会社は、今や世界有数のソフトメーカーに成長しています。スクウェアエニックスやコーエーがいい例でしょう。
大雑把にいえば、ファミコンはPCからゲームを取り込みました。では、ファミコンに匹敵する大ヒットを起こし、多数の中高年ユーザーを獲得したDSは、いったいPCと携帯電話から何を取り込むのでしょうか? それは、実用ソフトなのではないか、と思うのですが、どうでしょうか?
ワープロなどは別にゲーム機を使う必然性はありませんが、PCも仕事ではなく家庭で使う用途が増えてきましたから、その部分はゲーム機に取り込めるでしょう。ゲーム機の優位性が発揮できるアプリケーションが成功しやすいのは確かです。「お料理ナビ」はPCと台所の距離を考えれば、優位性が発揮できますし、携帯電話では画面が小さすぎ、違和感も強いでしょう。電子辞書はすでに強力な商品が多くあり、優位性は安さぐらいで、機械的なキーボードが無い点でDSが弱いです。というか、辞書は仕事で使う人も多いので、さすがに仕事でゲーム機を出す気にはなれないでしょう。DSの実用ソフトは、家庭や電車の中で使う物が当たっています。
もちろん単純に、PCの実用ソフトを移植しても売れないでしょう。ファミコン当時も、パソコンからそのまま持ってきても上手くいきませんでした。堀井雄二氏も、スクウェアも、パソコンゲームのエッセンスをファミコンの流儀に合わせて再構築したから成功しました。現時点で一番巧みなのが任天堂だから、任天堂の実用ソフトが売れているんです。
他のソフトメーカーは、PCや携帯電話の脳トレソフトからの単純な移植が多すぎます。ファミコン世代のゲーム開発者の人は、子供の頃を思い出してください。RPGブームの中、パソコンゲームの単純な移植はクソゲーばっかりだったじゃないですか。同じ過ちがくり返されています。また、ナムコは「とりあえず右脳を付けとけ」という感じが強すぎます。20年ぶりの大チャンスを自ら捨てているように見えて仕方がない(笑
セガだけはちょっと姿勢が違う印象があって、期待できるかもしれないと見ています。『アタマスキャン』が売れるかどうかはわかりませんが、セガトイズの玩具版と同時展開という点が興味深い。これは今まで無かった動きで、セガトイズが脳需要に気づいていたのに、ゲーム部門が見落としていたことを素直に反省したのでしょうね。ソフトメーカーでいま一番面白いのはダントツでセガです。
実用ソフトのヒットについて、プロモーションの効果がまったく無いとは言いませんが、20年前に「ドラクエが売れたのはプロモーションのおかげ」と言ったら笑われますよね。ああ、でも、「ドラクエとFFはジャンプと組んでいるから、勝てるわけがない」と言っていた業界人って、いた気がするな(笑 牙城が築かれるまで、チャンスを見逃していたのはどこの誰なんだ?って、子供心に思ったものですが。
そういう意味では、こちらのコメント欄に書いたのは本気の本気ですよ。
そもそも、ファミコンブームの頃にはスクウェアって小さな会社だったじゃないですか。それが大きくなったわけで。今はDSの勢いがあって、ファミコン以来の規模な訳です。もう一度ファミコン20年を生み出せる機会が目の前にあるのに、旧ファミコン企業を取り込む事に必死になるようなら、愚劣の極みでしょう。スクウェアエニックスはあれだけ理屈は語れるのに、うまく動けていません。大体、あの立ち位置なら「DSのボイスチャットと携帯電話のゲームをつなぐ。子供が友だちの家でDSのドラクエやFFを遊んでいると、親から『そろそろ帰ってきなさい』と電話がかかってくる、なんて事もマルチプラットフォームのうちなら実現できるわけです(笑」ぐらいのことは最低限、言ってほしいもの。カジュアルゲームを携帯電話や家電に移植しました程度では、誰もわくわくしませんよ。今のスクウェアなんてソニーやMSと心中してもらって構わないわけでしょ(笑 これから新しい「スクウェア」が生まれるんだ。ぐらいのビジネスを立ち上げなければいけないわけで。本気で一緒にやっていこうという同志の企業が現れて、一緒にやっていったら、結果としてかつてのスクウェア規模に成長する、というような事がポテンシャルとしてあるわけです。信じられませんか? でもネット企業だって昔はそういわれたでしょうね。あのグーグルだってね。
全世界的にDSが圧勝しつつある状況が見えてきました。ソニーの第1四半期決算が発表され、ついに公式に「DSに苦戦」しているとのコメントがあった模様です。
PSP販売「DSに苦戦」認める・ソニー決算会見
ソニーが27日発表した2006年4―6月期連結決算(米国会計基準)でゲーム事業の売上高は前年同期比29.1%減と落ち込んだ。携帯ゲーム機「プレイステーション・ポータブル(PSP)」の日本やヨーロッパでの販売不振と、家庭用ゲーム機「プレイステーション2(PS2)」用ソフトの販売数量低下と単価の下落による。日本だけでなく、欧州での苦戦も、もはや隠し通せないレベルに達しています。
例えば、フランスのゲーム販売集計を見てみましょう。1位〜4位までを任天堂のDSタイトルが独占し、トップ10のうち7本がDSタイトルです。『脳トレ』が2位、『nintendogs』のダルメシアン・バージョンが3位に入っています。あれ? これ、どこかで見たことないですか? そうです、日本の週間販売トップ10とよく似ていますね。フランスは欧州の中で最も日本のアニメやゲームの人気が高い国だという点は考慮しなければいけませんが、日本の圧倒的大多数のユーザーに支持された路線が欧州でも徐々に支持を集めてきています。
では次に北米の状況を見てみましょう。北米はGBAがいまだに根強く売れている地域です。去年一番売れた携帯ゲーム機はGBAだった程です。北米の売上集計では、NPDのデータがよく引用されます。NPDの集計は、海外の掲示板によく投稿されていて、2chの海外売上スレなどでログを残してくれています。
北米NPD売上集計
去年のある一時期、「海外ではPSPがDSに勝っている」というようなデマが流れたことがあります。実際には累計普及台数でDSが負けたことはありませんでした。発売当初のPSPの追い上げが凄かったことや、日本より販売が好調だったせいで、そういう誤ったイメージが広がったんですね。ここ半年の月間販売台数を見ると、5月まではほぼ互角で揉み合っていることがわかります。差がついたのは6月です。DSが59万3000台、PSPが22万1000台と圧倒的な差が付きました(NPD6月分の売上データが投稿されたのは海外のこちらの掲示板)。
いったい何が起きたのでしょうか? 簡単すぎますね。
そう、DS Liteが北米で発売されたのです。北米ではGBA SPが非常に人気が高く、そのデザインの流れをくんだDS Liteが売れるのは自明でした。また欧米人の手には小さすぎたタッチペンも、DS Liteでは長く太くなっています。ボクに限らず、多くの日本人ゲーマーが「DS Liteが出れば、北米では決着がつく」と予想していたと思いますが、まさしくその通りの結果に落ち着きそうです。
PSPの問題点は2つあります。
1つはソニーがPS3とPSPの2正面作戦を始めてしまったこと。PS3という多大な開発リソースを要するハードを立ち上げる以上、PSPに自社の有力タイトルを供給するのは難しくなります。実際、PSPの発売前からアナウンスされていた『GT Mobile』はいつまで経っても、影も形も出てきません。
もう1つは北米でのPSPを下支えしていたUMDビジネスが崩壊し始めたことです。
ウォルマートの広報はコメントを拒否しているものの売り場面積はかなり縮小しており、映画スタジオ関係者によれば(そもそも映画ソフトがなくなるので) 「完全撤退も目前」。ユニバーサルスタジオ・ホームエンターテインメントの幹部によれば「(UMDの売り上げは) ひどい。ほとんどゼロに近い。これはソニー爆弾だ」。ユニバーサルはUMDでの新規リリースを全面的に中止、またソニー・ピクチャーズもタイトルをもっと「厳選する」とのこと。まぁ日本のユーザーの感覚からすれば、今まで売れていたのが不思議なぐらいです。UMDなんていう円盤は、先進的な日本のユーザーの目には原始的なメディアに映りました。北米のユーザーは認識が遅れていたようですが、ビデオiPodが登場し、YouTubeが爆発的な成功をおさめている状況ですから、さすがに「こんな原始的なメディア要らないね、未来は無いね」と気づき出したのでしょうね。
2002年〜2004年頃、日本のゲーム市場が縮小し、欧米でのシェアも低下したため、欧米ゲーム開発優位論がはびこりました。たった1、2年現場にいただけの人間、一度もゲームを作ったことのない人間がもっともらしく、「欧米のゲーム開発はすばらしい。日本のゲーム開発は時代遅れ」「欧米こそゲームの中心。日本のユーザーは保守的。欧米のユーザーこそ、真のゲーマー」などと、わめき散らしていました。冷静に考えれば、失笑極まりない。けれども当時はゲーム業界に危機感が広がっていたので、真に受けてしまう人たちもいらっしゃいました。
しかし実際には、日本のゲーム市場の新しい流れが欧米にも広がりつつあります。一方、単純に欧米市場に乗り出したゲーム会社は、欧米のパブリッシャーとの競争で苦戦しています。それもそのはず。自分の好きでもない物を、違和感をおぼえるやり方で作る羽目になれば、結果など知れたものです。中途半端に欧米市場を意識して、日本のユーザーからもそっぽを向かれたゲームも出てきました。
例えば、旧ナムコの開発した『ガンダム』がいい例だと思います。おそらく欧米市場を意識して、TPS的な要素を入れたんでしょうが、そこが日本のユーザーに不評で、目標の100万本にまったく届かない売上で終わりました。また、Unreal Engineを採用した『フレームシティ』は開発中止が発表されました。欧米のゲーム開発の方法論を、よく吟味もせずに取り入れて失敗した代表例です。率直にいって、最近のナムコは欧米マンセー主義者に騙されたとしか思えない、安直な動きが多すぎました。日本有数のゲーム会社の自信はどこに行ったんでしょうか?
10年前、『ポケモン』が海外進出する際、「あんな日本的な感性の作品が海外で受けるはずがない」と声高に主張した人たちがいました。ところが結果はどうでしょう? ゲームは全世界の子供たちから支持されましたし、アニメも北米で最も成功した作品となりました。
20年前、ファミコンが日本で成功し、北米に進出する際も、「コンピュータゲームの本場はアメリカ。日本の玩具が通用するはずがない」と主張した人たちがいたのかもしれません。もし任天堂がその一見もっともらしい理屈に従っていたら、今の家庭用ゲーム機の世界的市場は存在しなかったでしょう。
同じような例はいくつも挙げられます。全世界で600万本以上の出荷を達成した『nintendogs』もその1つでしょう(任天堂2006年3月期決算説明会資料)。日本でミリオンを越え、北米ではさらに売れ、欧州ではさらに驚異的な売上で、今なお売れ続けています。欧州でじわ売れしている『脳トレ』の動向も気になるところです。
日本のユーザーから支持された新しいコンテンツが全世界に広がっていく。ファミコンだってそうでした。慢心は危険です。けれども自信を失い、自分たちの立つ場所を見失うのも非常に危険です。ボクはある時期、日本のゲーム開発者は自信を失いすぎたと思います。そのせいで、おかしな欧米ゲーム開発優位論に惑わされてしまいました。ソフトが売れない時期が少々長く続いたからといって、「市場が保守的。日本のユーザーが悪い。欧米市場マンセー」などと叫び出す。その末路は知れたものです。
巨大な欧米市場は魅力的です。しかしだからといって、日本のゲーム開発者が欧米ゲームの劣化クローンみたいなソフトを一生懸命作っても仕方ないんです。自分たちが信じる、素直に感じられるものを、全世界で売れるように作り上げることが大切です。
ユーザーは適切な方向が見えているのに、一部のゲーム開発者は「見えない、俺には見えない」と叫んでいるのです。目の前にユーザーがいるのに、目をそむけています。滑稽な話です。彼らのすべき事はただ1つです。まっすぐ前を見ろ。たったそれだけで、混迷から脱け出すことができるはずです。
ARTIFACT@ハテナ系 「アニメーターのわずかな個性も許さないアニメファンに絶望した!」
おー、kanose氏対『なのは』ファンの激突!
『魔法少女リリカルなのは』のDVD版での修正をめぐって、両者の見解が分かれてますね。
修正が多すぎるし、違いなんてほとんどわからないよ、こんな違いも許容できないなんて!というkanose氏。求められていない個性を発揮する場じゃないし、DVDを買うファンが喜んでいるならそれでいいんじゃねえのという『なのは』ファン。
最近のアニメファンは統一感ばかり重視していて、個性を許さないよなあと思っていた。うつのみや理作画騒動とか。二次元のキャラクターに感情移入するためには、アニメーターの個性は邪魔なもの。更科さんがよく言う「ノイズ」扱いされてしまう。確かにそういう傾向は感じます。京アニ人気の高まりも、アニメオタクの作画・動画へのこだわりが高まってきたから、という話をよく聞きます。
で、↓これがその作画修正箇所です。
魔法少女リリカルなのはA's DVD版第12話作画修正比較
テレビ版とDVD版を見比べてどう感じるか、って事なんですよね。
俺、この話を何回観たかというと、100回は超えてるんですよね。正確に言うと、劇中歌の『BRAVE PHOENIX』が流れる闇の書のコアとの戦闘シーンを何百回と観てます。まー、Web閲覧しながらとか、ブログ書きながらといったBGVとしてですが。当然、修正箇所はすべて見覚えがあります。全員集合してド派手な必殺技ぶちかましていくこの部分、古きよき時代のFFっぽいんですよねー。
ボクはそれでもDVDを買ったりしない、愛の足りないファンなわけですがorz
ファン以外の人から見たら細かい違いでも、数百回観る人からすれば、大きな違いに思えることもあるんじゃないかな。個人的な印象としては、違いはかなり大きいと思います。
修正ポイントの1つが「ベルカ式作画」。このネタ元はなのは的時空間さんの第00話「ベルカ式」。キャラ修正をある程度度外視して、戦闘シーンに特化した作画のことを指しています。戦闘のかっこよさを重視するか、萌えを重視するかの違い。ボクはかっこいい方がいいんで、テレビ版のはやての方が好みです。ただ、ボクのはDVD買わない客の意見なんで。ちゃんとDVDを買ってくれる萌え重視派の意見を聞いた(と思われる)製作スタッフの判断は適切だと思います。
まぁなんか結局はオタクの世代間の価値観の違いじゃねーの?という気がするんですよね。
旧世代オタ: 作画の違いに個性と価値をも見出せる能力とセンスを持つ
現代オタ: 作品全体の統一感や,十全性(安定)を強く意識し、それを壊すノイズを排除したがる
kaienさんの「知識のオタク世代」→「感性のオタク世代」という分析が的確かも。
Something Orange 「萌えカルチャーと教養主義」
このことについてもう少し深く考えるためには、「昨今のヲタクカルチャーや萌え文化」が、「教養」を重視する岡田斗司夫的なオタク趣味とはあくまで別物だということを理解しておく必要があると思います。そもそもあるキャラクターに「萌える」ということは、きわめて感覚的な行為であるわけです。過去10年間の美少女キャラクターの変遷を理解した上でなければ萌えられない、とかいう性質のものではない。
萌えカルチャーをたのしむためになにより大切なのは、そのキャラクターに深く感情移入しうる感性であって、間違えても知識ではない。
岡田さんの「オタク学入門」では、オタクには上下があり、それはかれの知識量や作品に対する探求度によって測ることができる、という思想がはっきりと打ち出されている。
先週末を振り返ると、『LocoRoco』(のプロモーション)が思ったよりも話題になってましたね。
7億で3万本という数字はやっぱりショッキングなんでしょうし、「これはひどい。」みたいなネタも上がってます。金かけて売れないのは、笑い話にされやすいですからね。広告費じゃなくて開発費の例ですが、シェンムーの70億円とか。
(今日現在、ネット上では早くも存在を忘れられて、『お料理ナビ』や『DSブラウザー』に話題が移っているように思えますが)
『LocoRoco』に始まった事ではありませんが、宣伝費のかけ過ぎがかえってマイナスの効果を生み出す、という認識がポツポツ出ていて、ゲーム業界にも健全な感覚をもった人たちが結構いるなあ、という印象を受けました。こういう(短期的には広告費が削られてしまう)事って、広告屋さんはふつう言わないですからね。なかなか理論化もされません。けれども企業側の認識として、しっかり持っておいた方がいいと思います。
水をやり過ぎると、生えたばかりの芽をダメにしてしまう現象について、最初に言及したのは忍さんかな?
背負わせる看板が重過ぎて不憫な「LocoRoco」|忍之閻魔帳
SCEが本作にかける意欲はハンパではなく、発売前後には、SCEの持つCM枠を全て「LocoRoco」に切り替え、春の戦略タイトルであった「カズオ」の2倍以上、「みんなのGOLF」「グランツーリスモ」並みのCMを投下して、PSPオリジナルのキラータイトルに育てたいとのこと。まぁSCEの担当がしゃべった一言一句をそのまま書いたわけではないのでしょうが、CMを投下して、キラータイトルを育てるという発想がそもそも前時代的だと思うのは、ボクだけでしょうか。テレビCMで可能なのはせいぜい認知を上げるぐらいですし、今は「知る」→「興味を持つ」の比率が大幅に落ちています。
(略)
正直、キラータイトルに据えるには荷が重いような気がする。「LocoRoco」に大規模なプロモーション展開は似合わない。こっそり発売され、口コミで話題になり、好きな人にだけ愛されるタイプの作品で良かったのではないか。(略)要するに「無理をさせると潰れてしまうぞ」ということである。
こちらでも、同じことが言われています。
島国大和のド畜生 「ロコロコのプロモの話」
あと、一部で言われる「ゲームキラープロモ」(過大な期待をかけて逆にゲームの評価を下げる)ってのも実際あるとは思ってる。(評価が下がるだけで売り上げが下がるわけじゃないけど。採算分岐点が上がるので結果苦しい事にはなる。)結果的に口コミが潰れて、長期的には売上にも影響が出そうな気がしないでもないのですが、この議論は危険か。「宣伝が足りなかったからゲームが売れなかった」ならぬ、「宣伝が多すぎたからゲームが売れなかった」って言い訳につながりますし。
『LocoRoco』は「知る」→「興味をもつ」の比率が極端に少ないソフトでした。
何と言ったらいいのか。マスプロモーションは、燃料がすでにある状態であちこちに火を放つ行為に似ています。燃料が少ない状態で、火をつけてもすぐに燃料を燃やし尽くして、すぐに火は消えちゃいますよね。本来ならジワジワと口コミで評判が広がって、中身の話(話題性の燃料)が増えていくはずだったのに、大量のプロモーションによって少量の燃料を使い果たしちゃったんじゃないかな。
ゲーム業界でも「Web2.0」という言葉を抵抗感なく受け入れていく人々が目立ってきました。
1.BBAのSIG-OG第9回はWeb2.0をメインテーマに
ブロードバンド推進協議会(BBA)のオンラインゲーム専門部会(SIG-OG)が第9回研究会を開催。Web2.0時代のオンラインゲームがメインテーマだったようです。
オンラインゲームはWEB2.0をめざすのか? SIG-OG第9回・山口浩氏講演
山口氏は最初に、オンラインゲームはウェブサービスである、という視点を提示した上で、WEB2.0の特徴である「チープ革命」「総表現社会」「マス・コラボレーション」という現象が、オンラインゲームにどのような影響を与えるについて論述した。
韓国MMORPGの行き詰まりは日本の未来を示すのか SIG-OG第9回・魏晶玄氏講演
魏氏はWEB2.0の特性を「開放性」「参加」「共有」「連結」という4つのキーワードで説明。実例として、韓国の検索ポータル「Naver」における「知識in」(チシギン)サービスについて紹介した。
また記事の締めくくりとして、ゲームライターの小野憲史氏が両氏の講演内容をうまくまとめています。
今回の両氏の講演は、共にオンラインゲームを「ゲーム」としてだけ捉えると、視野狭窄を招いてしまう、という点で共通していた。一方でテレビゲームを「ゲーム」としてだけ捉えると、縮小再生産に陥ってしまう、というのは日本のゲーム開発者の共通意識だったはずである(「脳トレ」などのヒットも、こうしたゲームデザインにおけるラジカルな思想が背景にある)。伝統的なコンソールビジネスがオンラインで「テレビゲーム2.0」になりえるか。大きな課題だろう。みなさんもご存知のとおり、任天堂のTouch Generations!、Web2.0のゲームへの取り込み、シリアスゲームへの注目など、ゲームの定義を幅広く捉え直そうという動きがゲーム開発者の間で活発になっています。また、そうしたゲームの定義を広げるようなソフトの中から、市場で大ヒットを飛ばす例が目立ちます。ユーザーもゲームの拡大を歓迎している証左でしょう。
2.Game Watch編集部もWeb2.0時代のオンラインゲームを特集
SIG-OGだけでなく、メディアの側にもWeb2.0への敏感な反応が見られます。Game Watch編集部がWeb2.0時代のオンラインゲームについての連載記事を始めました。色々と模索はあるかもしれませんが、新しい動きに素直に反応しようという姿勢は大いに賞賛すべきでしょう。
アラン・ブラフォードの「OnlineGame 2.0」論
ゲーム系メディアはこれまで、ややゲーム業界用語にこだわりすぎた感があります。そのせいで、世の中の人たちからゲームは特殊だねと思われる反面、時代遅れだね、ビジネスにならないね、無関心でも構わないね、何してるかよくわからないね、と負のイメージが広がっていきました。
世間の人たちに受け入れられている新しい言葉を素直に使ったほうがいいでしょう。最近では、ゲーム開発者も、ゲームメディアも、最近はゲームの外へ向かっていく動きが顕著になってきました。ゲームとそれ以外のメディアの間に、勝手に線を引いていたのは業界人の側なんです。
関係ないけど
「マスプロモーション衰退後の世界」の後編を早く書け!とツッコまれそうですが、それはさておき、
どうでもいいんですが、先々週の週末に薄型PS2を買っちゃいました。いやー、ネタバレスレを読むだけでスルーするつもりだった『ゼノサーガ エピソード3』が急にやりたくなっちゃって、慌ててショップに行きました。大きいのは1台は会社に持っていってあって、もう1台自宅にあったんですが、そっちは壊れてたんで。月曜まで待つのも面倒だし、サクッと。もう使わないかもしれないのにorz
だってコスモスがああなっちゃうと知ったら、やっぱり観ておかないと。戦闘もロードが短くなって、システムも簡略化されて、ムービーゲームとして最適化されてて快適、快適。ゲーム部分はさっぱり面白くないし、ストーリーも微妙ですが、風呂敷を畳もうとした努力は買い。さすがに全部の伏線は回収しきれず、設定資料集でフォローされていたりしますが。まっ、ボクはゼノ信者だからさ、完結しただけでオッケーですよ。なにしろ終わるって、信じてなかったからさ。
でも小さいのはやっぱりいいよね。XBOX360と大きさ比較しても、別次元のサイズですよ。なに詰まってんだよ、この白ブタがぁーっ!とXBOX360にツッコミたくなりますが、「性能がぎゅっと詰まってます」と微妙に生暖かい答えが返ってきそうです。早くダイエットしてくれ。お前を捨てて、買い換えるから。もっともPS3はコレより大きいんだと思うと、薄型PS2とPS3、本当に同じ会社の製品なんだろうかと思います。感性が逆方向じゃねえか。

”ゲームの”ローンチソフトはゲームショウの時に発表されるんでしょうか。『リッジ』と『鉄拳』と『無双』? とっても楽しみですね。PS2、PSPのローンチと比較して、色々と物悲しい気持ちにさせられそうです。
そういえば、PS3みたいなバカ高いゲーム機には、何万円もつぎ込むユーザーが付いている『アイマス』のようなソフトが合っている、という意見をどこかのブログで読んだ気が。『アイマス』はXBOX360に取られちゃいましたし、残るは『三国志大戦』でしょうか。E3で発表していたカメラ使ったカードゲームシステムを使ったらいいのかな?
しかしXBOX360も『アイマス』『お姉チャンバラX』の発表で、にわかにユーザー層が広がってきた感じ。少なくともXBOX360を肯定する話題は、2倍、3倍になった気がします(なんとなくの印象)。
バンダイナムコゲームス、「THE IDOLM@STER」次の舞台はXbox360に!
北米ではXBOX360とPS3がコアゲーマーの争奪戦をくり広げると予想されていますが、日本でもオタ争奪戦が激化しそうです。まっ、普通に考えれば、PS3の圧勝です。アニメファン全員がDVDを買っているわけではないものの、濃いファンは買っています。一般層に魅力が伝わりにくいといわれるブルーレイでも、濃い層を獲得する可能性は高いでしょう。PS3に対抗するXBOX360は、さらに濃度を高めていくしかないでしょうね。
7億円もの巨額の宣伝費をかけたといわれる、SCEJの『LocoRoco』の販売が初週3万本と低調なようです。少し前にプロモーションについての議論がありましたが、やや乱暴に言えば、プロモーションに巨額の資金を投じたところで売れないものは売れないのです。
『ロコロコ』のプロモーションについては、wapaさんが冷静な分析を行っています。
わぱのつれづれ日記 ロコロコの苦戦に見る、プロモーション活動の課題
またゲーム系ライターの小野憲史さんが、ご自身の購入に至るまでの過程を語っておられます。
日々つれづれ 2006-07-20 LocoRoco☆LocoRoco
というわけでポイントは「知り合いがブログで誉めていた」こと。やっぱりレビューより売り上げより身近な人の意見が重要なわけであります。それがないと、いくらCMを見てもウザいだけだっただろうし。事前の体験版配布は、個人的にはマイナスでした。もちろん、プロモーションがどうでも良いわけではありません。自動車や家電の例を引くまでもなく、今時のゲーム開発は広報や営業との連携が不可欠です。しかし経営者の方々はまず、良いコンテンツやサービスを生み出すことに経営資源を集中すべきです。それが第1のミッションだということを忘れた企業は、数年もすれば消え去っているでしょう。
大雑把にいって、消費者が実際に商品を買うまでの段階は、「知る」「興味を持つ」「買う」の3つあります。古い考え方では、まず第1に「知る」人を増やそうとします。そのため、テレビCMなどのマス広告にお金をかけるのが旧来のやり方でした。これは非常にもっともらしい。買ってもらう前にはまず興味を持ってもらわなければならず、それ以前にまず知ってもらわなければいけません。なるほど、子供にもわかる理屈です。
しかし昨今のマーケティングを取り巻く言説を追っていくとわかりますが、ちょっとこの常識が崩れてきています。
情報チャンネルの増加にともない、消費者の関心が分散した結果、チャンネル1つあたりの広告効果が落ちています。
また一昨年〜去年は、ネットと雑誌・新聞、テレビの間の広告費の奪い合い、みたいな話も、よく話題にのぼっていました。またHDDビデオレコーダーの普及にともなって、テレビCMの効果が落ちてきた、という見解が出てきて、あわてて電通が火消しに走るという一幕もありました。
単純に情報チャンネルが増えただけでなく、消費者がマスメディアの言う事を信じなくなってきたという傾向も、よく言われることです。実際、このブログの読者のみなさんも、自分自身や身の回りをふりかえって、実感する所があるのではないでしょうか。
しかしこの結果は、企業にとって頭の痛い結果をもたらします。チャンネル1つあたりの広告効果が落ちているという事は、複数の情報チャンネルを通じて、より大規模に広報展開しなければならないからです。「とりあえずテレビにCM打っとけば、マスへの認知度は大丈夫だろ」なんてことは無いわけです。例えば、DSの一連のプロモーションは、実に多様な情報チャンネルを通して行われていたはずです。より多くの人間に知ってもらうには、1つのチャンネルに資金を集中投下するよりも、複数のチャンネルに資金を投入する方が適切です。
でもねえ・・・・。
CNET Japan 「渡辺聡・情報化社会の航海図:マーケティングは変わろうとしているのか」
マクロではマーケティングの効率が落ちている、投資効率が落ちているというのが素直に導き出せる。巡り巡って消費者にも、直接的には投資家にとって良い兆候とはあまり思えない。広告の費用対効果が落ちているにもかかわらず、広告を出さざるを得ず、過去と同じ水準、あるいは過去より高い水準を保とうと思えば、単純に広告費の負担は増えていきます。しかも昨今のメディアの状況を考えれば、しばらくは情報チャンネルの増加(分散)が進み、広告の投資効率は悪くなる一方のはずです。
上記の各社の施策を見ていても、一つ一つ丁寧に考え抜き、積み上げていった上で実績に繋げていこうというのは分かる。なんとなく垂れ流している金額には見えない。手を抜いているなどということはなく、頑張っているのが手に取るように分かる。
しかし、販管費倍増といった決算内容が出てきていたりするのも事実ではある。
「知る」人のうち、どれだけが「興味を持つ」人になるのか。「知る」→「興味を持つ」の比率がおそろしく悪くなっているのが今の時代の特性です。単純にマス広告に資金を投じるというやり方は、きわめて効率が悪く、資金力をもつ企業ならあるいは可能かもしれませんが、多くのゲーム会社にとっては厳しい話です。
最近増えてきた「マスプロモーション第一主義」の論理に従えば、これから先待っているのは開発費の高騰ならぬ、広告費の高騰。PS3とXBOX360が開発費のチキンレースだとすれば、DSの国内市場は広告費のチキンレースというわけです。「プロセッサ性能至上主義」から脱却した次は「プロモーション費用至上主義」ですか? 笑えない話です。
しかも、開発費はその企業の内部にお金が落ちていきますが、広告費は外に出ていくものです。開発費と広告費のバランスは、商品の性質によって変わってきます。にも関わらず、「開発費を削ってマス広告に回せばバカ売れ」などという馬鹿げた電波理論が流布され、ゲーム業界のマネージャーの方々がそんなもんを真に受け始めたら、日本のゲーム企業は競争力の源泉を失ってしまうでしょう。
つーかね、一般にマス広告の費用対効果に不信感が高まっている状況で、ただひとりゲーム企業だけが時代錯誤な認識で動き始めれば、「いいカモがきた」とテレビ広告屋さんは大喜びですよ。だからボクはゲーム開発者が自ら「プロモ、プロモ、プロモ」と連呼することに大きな怒りを覚えるのです。
マス広告の費用対効果に不信感が高まっている中、マーケティングについての議論が高まっています。一時期は「口コミマーケティング」という言葉が流行りました。企業がプロモーション用のブログやSNSを立ち上げる例もありましたが、いわゆる「炎上」が起こるなど、大失敗するケースもあります。去年のウォークマンAの宣伝ブログの大失敗は記憶に新しいところです。
livedoor ニュース - ドコモPR用「SNS」 10日で「炎上」
こうした浅薄な口コミマーケティングの最大の問題点は、従来の雑誌広告、広告記事の延長線上で、ユーザーの言論をコントロールしようとしていることです。ネットユーザーのマスメディア嫌いは非常に顕著ですが、要はみんな、メディアにコントロールされるのが大嫌いなんです。メディア(企業)側がユーザーを信じなければ、ユーザーもメディアを信じません。「不信」の連鎖がマス広告の効果を破壊しているのが現状です。
[R30]: 「メディアイン」というパラダイム
既存のマスメディア広告の凋落の結果として起こっている、企業側の根本的な認知の誤りを、「メディアアウト」という言葉で明確に定義していることである。メディアアウトとは、まず製品ありきで売り込みを考える「プロダクトアウト」の変化形で、「マス広告やセールスプロモーションの企画がまず先にあり、それに見合わない特性の製品やターゲット顧客はマーケティング戦略の初めから除外されてしまう」ようなビジネス展開の枠組み(パラダイム)を言う。これに対して、Web2.0を前提とした世界では、「どんな情報を消費者に伝え、あるいは伝えないかという決定権が企業から失われている」という現実を認識したうえで、既存のメディアとインターネットとを混同せず、インターネットからは消費者の意見・動向を吸い上げて製品改良や企業活動全体に反映させていくような「メディアイン」のパラダイムに転換すべき、というのが山口氏の言い分である。
ここでも、認識を変える必要性が述べられています。
企業が莫大な広告費を出すことで、自分にとって都合のいい記事をメディアに載せ、ユーザーの意識をコントロールするという手法が通用しなくなっています。ソニーが凋落したのも、マスマーケティングに依存し過ぎ、上記の「メディアアウト」型の企業になっていたためです。
このような認識はボクだけでなく、多くのソニーファンにとって共通のものではないでしょうか。
コデラ ノブログ: 製造業の復権 [ITmedia +D Blog]
ソニーが前体制時に衰退した最大の原因は、販社の意向が強くなりすぎたことだと思っている。出井氏も安藤氏も優秀なセールスマンだったが、それゆえに市場の微細な動向に右往左往して腰の据わった動向が見据えられず、いたずらに現場を混乱させた。
(略)
現体制の場合、松下電器の劇的な復活のような、破壊を伴う改革はあり得ないだろう。まずエンジニアの良心が感じられる製品が発売できるか。製品は、言葉よりも雄弁にその素性を物語るのである。
こうした議論を見ていくと、いくつかのキーワードが浮かび上がります。「信頼」「良心」「製品」。後編ではこうしたキーワードを中心に、マスプロモーション衰退後の世界でどうすべきかについて、思う所を書いてみたいと思います。
うーむ、書く予定だったエントリーを書く前に、他に書くことが出てきて・・・・なかなか書けませんね。
それはさておき、バンナム〜!! 何を考えたらこうなるんですかっ!?
んー。まぁお互い大意は通じていると思いますし、別に論争する気は無いと思いますが。
じゃあ、この記事はなんだ?というと、愚痴か嘆きみたいなもんですか?
「SCEって要はプロモだよね」みたいな言説の10年後に「DSって要はプロモだよね?」って言説。ライトゲーム批判の次はプロモ論。次から次へと10年前。ループ現象はウンザリなんですけどね、真面目に。たしか10年前も、新しいゲームのゲームデザインの話がいつのまにかプロモーション論に摩り替わっちゃったんだよな。その後どうなったかは(以下略
さて、ではどうしてそんな荒唐無稽な議論のすり替えが起きたのでしょうか?
要は当時のSCEの生み出したライトユーザー向けゲーム、例えば『パラッパラッパー』のようなソフトを認めることができない人たちがいたからです。ゲーム作りの専門家たる自分たちが理解できない、認められないゲーム・・・・そんな物が素晴らしいはずがない、でも売れてる・・・・そうか、あれはCMで売れたんだ! そうだ、そうに違いない、そうしよう、絶対そうだね決定、決定、大決定!
・・・・・・orz
今からふり返れば、愚劣極まりない行為ですが、当時真顔でそんな馬鹿げた事をやっていた制作者やライターがいるわけです。確かに当時のSCEの広報宣伝力はめざましかったし、他のゲーム会社が学ぶべき点も多かったでしょう。けれども変化に適応することを拒絶し、自分たちの理解の及ばないものを否定するために、空虚空理空論をでっち上げた連中もいるわけです。
BAN/ さんがコメント欄で、ボクの言いたい事を的確にまとめてくださいました。
あ〜、なんか、DAKINI氏の言いたい事が一言で表わせる気がしてきました。「わからない」なら、「わからない」と書くか、何も書かなきゃいいんですよ。無理に「プロモ」などと主張する必要はありません。まー、どうしてもプロモ論をぶちたいなら、そりゃ自由ですけどね。でも今時、結論がテレビCM? CMの投下量が違う?
「わからない(理解できない、したくない)事をプロモのせいにするな。」
おそらく、こういう事ですよね?
「プロモを第一に挙げる時点でゲーム関係者として思考停止している。」と。
プロモと騒ぐ時点で“自分はわかっていない”と垂れ流している。こんなに恥ずかしい事はないだろ、いい加減気付けと。
そういえば、あの頃もテレビCMが騒がれてたっけ。で、10年経った今もテレビCM? ジョークとしか思えないんですが。いや、なんつーか、ゲーム開発者がプロモーションを語るにしても、そんな時代錯誤な話じゃなくって、2006年の話ができないんでしょうか?
あのー、ボクも、マーケティングや広報や販促についての話は、これまでに何度も書いています。でもそれは、他の産業はもっと進んでいるのに、ゲームはこんなに遅れてていいの?とか、ゲームの価格帯やパッケージも変わってきているから、色々と見直した方がいいんじゃないの?というような視点です。(参考:ゲームソフトも本の売り方を見習ってもいい)
ちなみにわからないのに、『ハルヒ』を引き合いに出しているのは、もう何と言ったらいいのか。
ゲームのマボロシ: プロモーションについて補足
「涼宮ハルヒの憂鬱」も、深夜テレビアニメというある種のプロモーション(DVDを売るための)があって、これだけの話題の爆発を引き起こせたと表現することも可能だと思います。なんつーか、脱力全開(訳わからんけど)。テレビアニメはそりゃ全部テレビで流れますがね。ていうか、別に現象が理解できないなら、わざわざ話題にしなきゃいいと思うんですが。マリオ本編とカートの比較もそうでしたが、これも議論のための議論じゃないですか。自分で「極論」と書くぐらいなら、書かなきゃいいのに(笑
※凡百の話題が爆発しないテレビアニメがあっての話ですから、もちろんこれは極論なのですが。
オマケに超理論も完成。携帯電話はテレビCMが打てないから、大ヒットが出ない。
・・・・・・・・・・・・orz
・・・・・・・・・・・・orz
・・・・・・・・・・・・はっ!
わーぉ、スゴイ、最高の理論に拍手。マスマーケティング万歳、パッケージ万歳。なるほどなー。携帯電話では大ヒットが出ないし、パッケージは健在で、ロイヤリティーも搾取し続けられますし、なんともゲーム機メーカーに都合のいいステキ理論ですね!
こりゃ、議論以前の認識差が大きすぎるんだな・・・・。
ふう。やれやれ。もういいや、ウンザリ素敵です。
うちのブログの読者の方々には、今回挙げたYouTubeを巡る4つの記事を一読されることをオススメしておきます。
ゲームのマボロシ 「生活浸透型ゲーム(3)これからどんなゲームを作るべきか」
あれれさんがひさしぶりに更新しておられました。おおむね同意できる、よくまとまった記事だと思います。ボクみたいに煽らないし(笑、この内容と書き方なら、スッと納得できるという人も多いのではないでしょうか。
内容についてはリンク先をご一読いただくとして、これから先は本筋に関係の無いツッコミです。
(なんか誤読する人がいたようなので一応断っときますが、あれれさんの記事の大意には同意していて、瑣末の部分にすげー違和感をおぼえてるわけです。で、同意の部分は「禿同」の一語で済むんですが、違和感のある部分は長くなっちゃうんですね。)
なぜ興味深いのかと言うと、一般に本編マリオよりも、マリオカートの方が売れるのが、過去のプラットフォーム(SFC、N64、GBA、GC)での実績だったからです。ですので今までの傾向に基づくと、Newスーパーマリオの売上は、マリオカートDS並に落ち着いていたはずです。そして実際遊んでみても、NewスーパーマリオとマリオカートDSは、ほぼ同レベルの仕上がりだと感じます。
■売れるソフトの要因その1:プロモーション 僕は両者の違いの1つはプロモーションだったと考えています。特に松島奈々子を起用したCMです。恐らくCM投下量も両ソフトには差があったはずです。すげー違和感。 ジャンルも、1人用メインか対戦メインかも異なる「マリオ」と「カート」を比較。あれこれ語って、結論がプロモーション。それって、どうなんですか? まさか「Newマリオ」と同規模のプロモーションを打てば、「マリオカートDS」も「Newマリオ」と同じだけ売れた、という見解なんでしょうか?
大体、その「実績」と称された恣意的なデータは何ですか? 「Newマリオ」に関して本編マリオを持ち出すなら、そのコンセプトから言って、初代も持ち出さなければ無意味です。もっともファミコン時代にはマリオカートはまだ存在していませんが。だから比較は無意味なんですよね。
比較するなら、同じシリーズで比較した方が健全だと思います。初代とマリオワールドを比べて、「何故お客さんが半分になったんだろう?」とか、「Newマリオはマリオワールドぐらいまでお客さんが戻ってきそうだ」とか。マリオでいえば、最初はただ右に行くだけで良かったゲームが左へ戻れるようになったり、アクションが複雑になったり、わかりにくい物になっていましたよね。2D→3Dでは別物になりましたし、ついていけないユーザーも多かった。そういう所を謙虚に見返したから、2Dゲームで気合いの入った新作を出すという、あまりゲーム業界では類例の無いことをやれたのだと思いますし、操作も思い切ってシンプルに出来たのでしょう。
「カート」でいえば、「何故N64版はSFC版の半分になったんだろう?」とか、「GC版はN64版の半分になったんだろう?」と考える方が健全だと思います。例えば、GC→DSにおける、WiFiへの対応とミッションランはおそらく、そうした流れで出てきたものと推測できます。大人のユーザーは誰かの家に集まってゲームするなんて、なかなかできませんから。
ただ、SFC版との比較でいえば、あれれさんも指摘している女性ユーザーの取り込みが大きいのかもしれません。「女性のユーザーが友達と遊ぶ時の接待ゲーム」としては、今は「マリオパーティ」がありますから。ゲーマーにとっては退屈な作りだと思いますけど、誰でも遊べるという点では優れた面が多々あります(でも最近出しすぎですが)。
DS市場全体のトレンドを言うなら、実はDSで売れているゲームって、基本的に「1人用主体のゲーム」だってことも忘れてはいけませんよね。『nintendogs』『脳トレ』『Newマリオ』『テトリスDS』『ぷちぷちおみせっち』・・・・。携帯ゲーム機って個人の機械、プライベートなものだから、当然といえば当然なんですけど。『どうぶつの森』にしても、あのゲームは本来、タイムシフトのゲームで、異なる生活時間をもった家族がゲームを通してやり取りできる、家庭内掲示板のようなものでしょう。『おいでよ』でWiFiが入ったから、その点が少しぼやけてはいるものの、時間拘束型の対戦ゲームとは違い、同じ時間帯ずっと一緒にいなくてもいいわけです。
DSはコミュニケーション性がクローズアップされがちですが、ゲームデザインの基本構造は多人数同時参加型ではありません。もっとも、それって、ゲームに限りません。電話よりメール。若い世代では、自分だけの時間が欲しいという人が増えている。テレビ番組だって好きな時間に観たい。コミュニケーションもコンテンツもサービスも、時間拘束型よりはタイムシフト型が受け入れられています。
あれれさんに限らず、最近ゲーム開発者のブログを読んでいて気になるのは、成功の原因をプロモーションに求める論調が強くなってきたことです。DS、Touch Generations!、脳トレ、Newマリオ、たしかにどれもプロモーションは上手かったと思います。また、あの任天堂のプロモーションが上手くなったという事が、日本のゲーム会社にとって、どれほど驚異的な(脅威的な)ことかはよくわかります(笑
でも、俺、「プロモーション」って言葉、大嫌いなんだよね。うちのブログも、たくさんの記事がありますけど、プロモーションって言葉そんなに出てこないでしょう。開発者がその便利な言葉を使いすぎるのは危険じゃないですか。例えば、僕はNewマリオを女性ユーザー向けにプロモーションするのは違和感がありませんけど、カートDSを女性ユーザー向けにプロモーションしても、Newマリオほどの効果があったとは到底思えません。
何年か前に、コナミの上月社長が東大でゲームビジネスについて講演した事があって、1ついい事を言っていました。SCEや任天堂のようなプラットフォームホルダーとコナミのようなソフトメーカーのプロモーションの予算は全然違う。でもプロモーションは万能ではない。売れるソフトをもっと売れるようにする効果はあるけど、売れないソフトを売る力は無い。
例えば、『もっと脳トレ』は松島奈々子さんのCMが印象的でした。けれどもそれ以前に『脳トレ』は半年以上にもわたって売れ続けていたわけですよ。じわじわ浸透してきた土壌があって、あるタイミングで派手なことをやると、売上が一気に拡大する。これはよく知られた現象です。口コミで広がったゲームの続編が一気に売れるというケースもあります。『三國無双2』が口コミで伸びた後に、『三國無双3』が出ると、そのタイミングでさらに売上が伸びて100万本を超えました。
『脳トレ』の最初の半年間をロケットの第1段点火、松島奈々子さんのCMを第2段点火とみなすのはわかります。けれども、後から『脳トレ』に注目した人の中には、第1段点火のことを見逃している人がいるわけです。そして「松島奈々子のCMのおかげでしょ。結局、金かけてCMすれば売れるんだよ」と真顔で言う。やー、金かけても売れないもんは売れない例は、去年の年末、ソニーが証明してくれたと思うけどな。
確かに今のゲームビジネスでプロモーションを無視することはできません。開発者が作ったものをただ出荷すればいいわけじゃない。けどね、百万言のプロモ言葉を並べようとも、無から有が生まれる事はありません。もし生まれると言うなら、それはクリエイティブじゃなくて、詐欺師の論法ですよ。
まー、ボクも作り手だから、作り手がプロモーションのせいにしたがる気持ちはわからなくもない。特に、売れない時にそういう誘惑にかられますよね。けど、それをやったらオシマイだよ、終わりの終わり。最低の最低。最悪の最悪。
ボクの身の回りでも、ソフトの売上が芳しくない例は過去にあって。で、そういう時に「プロモーションが良くなかった」「プロモーションが少なかった」「会社が売ってくれなかった」という開発者がたまにいるんです。ボクはそういう人たちが実に大嫌いで、一言でいえばヘドが出ます。そういう連中を見ると、「水でも砂でもぶっかけてやりたく」なります。
でも仮にプロモーションしやすい、売りやすいソフトを作るべきなんだとしても、「作る」のは開発の仕事です。開発と広報と営業が協力した方がいいのは確かです。3者が違う方向を向いていたら、うまくいくものもいきません。けれども最終責任は開発が負うんですよ。いくら今が混迷の時期だといっても、そんなことも見失っている人間が少なくないのだとしたら・・・・怖気が走ります。
以前、鶴見さんも同じようなことを書いておられたのを思い出しました。
やっぱり、メーカー/パブリッシャーは、流通関係の方に「強力な武器(商材)を渡している」ように確信させねばならんのだなあ、と、改めて気付かされた次第(もちろん、我々制作に関わる人間は、PR/マーケティングの人間に対して同様に「強力な武器(ゲーム素材)を渡している」ように思わせねばならない――というのは実は、この業界で尊敬する上司2人のうちの1人が云った言葉)。そういえば、ボクの尊敬する上司も同じような姿勢を貫いています。売れなかった時に開発の責任だと認められること。売れなかった時にプロモのせいにしない。開発がユーザーに届かなかった、と考える。どこの職場でも、尊敬に値する人物は、根幹に通じるものがあるのかもしれませんね。クリエイターの矜持。やっぱり世の中には、どれだけ誘惑にかられたとしても、言ってはいけない、言ったらオシマイになること、作り手としての最終防衛ラインはあると思うんですよ。
最近のDSの大ヒットを取り巻く言説を読むと、10年前のSCEJを思い出します。SCEJはPSバブル→PS2で、最も売上の落ちた会社の1つです。売れていた頃、彼らのゲームには2つの評価がつきまとっていました。「宣伝がうまいから売れているだけ」「遊びやすい、お手軽な感じ。また普通のゲームとは違うゲームも、感性やアイデアが新鮮」。まぁ色々な評価があるとは思いますが、少なくともボクは後者の評価でした。パラッパやクラッシュが宣伝だけで売れたとは思いません。
では何故、今のSCEJは見る影もなく、売上が落ち込んでいるのか。それは、外野のノイズに負けてSCEJ自身が「宣伝が良かったから売れた」と信じてしまったからです。裏を返せば、「売れないのは宣伝が悪い、流通が悪い、ユーザーが悪い」という事になります。
世の中は常に変化しています。売上が落ち込んだり、思ったほど売れなかったり。そういう事はよくあります。百戦して百勝とはいきません。そういう時に、開発者サイドに正しくフィードバックがかかるかどうかが重要。PS2になって、最初つまずいた。それは仕方ない。ただ、もしもそこで「宣伝が悪い」とか「ユーザーが保守的」という理解をしたのだとしたら、そりゃズレはなかなか埋まらないでしょうね。
もし任天堂が同じ愚をおかせば、数年後の末路は知れたものです。成功こそ最上の猛毒の実例となるでしょう。SCEと任天堂以外の大多数のソフト会社、多くのゲーム開発者にしても、「プロモ」「プロモ」と念仏のように唱えるだけなら、そりゃたどり着くのは極楽浄土ならぬ、何とやらでしょうね。いやはや。
まだまだ試行錯誤の段階とはいえ、ゲーム業界は急速にコミュニティ重視になり、Web2.0との連携を深めています。例えば、XBOX Friendsは米国主導の展開が目立つXBOXでは珍しく、なんと日本独自のサービス。
昨年末はWeb業界の人たちが任天堂のWiFiコネクションに注目していました。ゲームからWeb2.0への注目、Web2.0からゲーム2.0への注目。最近しつこく、しつこく書いてますが、今はゲーム屋とWeb屋がお互いに学び、協調し、競争する時代です。そういえば、この間こんな記事が出ていましたね。
鈴木貴博のビジネスを考える目 「どうぶつの森オンライン」がもし始まれば!? 」
また、アニメとYouTubeが結果的に連動し、『涼宮ハルヒ』がWebマーケティングの大成功例として注目される時代です。Web2.0のセミナーの中で、ハルヒが引き合いに出されるわけです。もはや境界はありません。
涼宮ハルヒのWeb2.0的成功要因分析、ウルシステムズ
大人になった今でもアニメやゲームに触れている人、一時期離れていたけれども最近ゲームに戻ってきた人はかなりいるはずです。ファミコンミニの成功や、Wiiで展開される任天堂のバーチャルコンソールを考えれば、かつてのファミコン世代を狙うのは正しい発想。もちろんゲームセンターCXの成功も大きいでしょうね。
しかし一方で、雑誌というメディアが今時どうなんだ?という気もします。鮮度と情報量では、もはやネットに勝てないでしょう。『ゲーム批評』も消えてなくなっちゃいましたし。ではサイトを作るかといっても、雑誌形式だとそれほどインパクトはありません。ユーザー参加型というのは、大きな可能性があるものの、なかなか冒険しにくいでしょう。コミュニティサイトって、雑誌とは別のノウハウが必要ですから。
また紙媒体のアーカイブ性、閲覧性の良さは、意外と馬鹿にできないんですよね。そういう意味では、アニメもゲームも、もっと新書を頑張ったらいいんじゃないか、と思います。あれぐらいの情報量がギュッと1冊に濃縮されているという所に価値があります。ネットではすぐにまとめサイトが作られますが、何故かというと、ネットは更新頻度が早くて、鮮度は素晴らしいんだけど、まとまりが弱いんですね。リアルタイムで読んでいるうちはいいんだけど、後から追いかけるのは大変です。
そのため分厚い本ほどではないけど、雑誌よりは密度のある媒体がメリットを発揮しやすい。そこでムックぐらいで留めておくか、新書までいくか。ライトノベルの例だと、2004年にラノベ本が出てきて、2006年に新城カズマ氏のライトノベル「超」入門が発売されましたね。
書ける人は探せばいると思いますね。
古株の人間を捕まえてファミコン当時の話を書かせてもいいし、現役のゲーム開発者に書かせてもいい。3人ぐらいの共著でもいいし、何なら少しカラーページがあってもいい。ライトノベルならぬライト新書とかね。まあライト化し過ぎると、本末転倒なんですが。
ところで今日、ちょっと雑談してる中で出た話題。
ゲーム系番組や懐古系番組はこれまで、あまりうまくいってなかったのですが、どうして『ゲームセンターCX』は成功したのでしょうか? 知識自慢や、上手なプレイの披露ではなく、下手の横好きな人のプレイを見世物にしたからです。
この視聴者の優越感は、最近のバラエティ番組全般やクイズ番組にも通じるところがあります。
TV LIFE ソフィーの業界 「最近のクイズ番組って、なぜあんなに問題が簡単なの?」
難しい問題の答えを知識として蓄えたり、それに正解してカタルシスを得るというクイズ番組のスタイルは、今や、誰でも知ってる常識問題を答えられない芸人やアイドルを笑うというスタイルへと変化してしまった。こんなことも知らないのかという優越感と自分は知っていたというカタルシス…とんでもなく低いレベルでの“知”を、いかに視聴者に提供するかが、今のクイズバラエティのテーマなのだ。
一方、海外ではいまだに「ゲームが上手いヤツがカッコいい」という文化が存在しています。XBOX Live!にも反映されていて、上手な人のプレイを鑑賞できるモードが付いていたりします。ゲームが上手いヤツを「ヒーロー」と呼ぶ感覚は今の日本では考えられません。
北米ってマニアックな物の市場が大きいんですよ。
E3がまさにその典型なんですけど、ゲーマーのゲーマーによるゲーマーのためのゲーム業界。そういう人たちの声がデカい。市場全体で見ると、そういう層ばかりではないんですけど、それでも濃いユーザーの市場が大きいから、注目されやすい。欧米でXBOXが強いというのも、この層をまず当てにしているわけですし、MOD云々だって、こういう層がボリュームを持っているからなんです。
まー、向こうのオタクって、日本のオタクとかなり違いますからね。イベントでリュックを背中にしょってるあたりは一緒なんですが、内向的な感じの日本のオタクと違って、アクティブですし、自分たちに引け目を感じてないんですよ。「ゲーム上手い、俺様ちゃんって、もしかして神?」って感じで、往来のど真ん中を堂々と歩きます。日本のオタクって、「いい歳こいて、特技がゲームしかない。うっ・・・・ごめんなさい」って感じで、道の端を歩くでしょう(もちろん比喩ですよ)。
で、ゲーム系ライターの人たちって、普通は自分自身がゲーム大好き人間、ゲーマーでしょう。すると「ゲーマーのゲーマーによるゲーマーのためのゲーム業界」がまぶしく見えちゃう。俺たちの理想世界ここにあり、みたいな。ラピュタは本当にあったんだ、って。そのせいで、欧米マンセー系にハマっちゃう人も現れるんです。「海外では達人のゲームプレイの動画に人気が集まっている」とか、「MODマンセー。日本のゲーム業界はさっそく取り入れよう!」なんて言い出しちゃう。おまけに、欧米のやり方をそのまま持ってこれないと、日本という環境が悪い!なんて言い出す人まで。
北米はそれで成り立っちゃうし、市場が回るんです。でも日本はなかなか回らないんですよ。ボクが欧米のゲーム業界の事情を知っていて、あえて触れない事があるのは、日本では通用しないと思っているからです。
今さらですが、7月2日の日曜日からアクセス解析の設定を変えました。今までは割とズサンで、トップページへのアクセスのみを集計/解析してました。なので、はてなブックマークやニュースサイトから個別の記事に直接飛んできて、その記事を読んで帰った人はまったく捕捉していませんでした。言ってしまえば、常連の読者の人数だけを把握していたわけです。
しかし最近、はてなブックマークの「人気エントリー」に取り上げられる記事が増えていることもあって、1度ちゃんと調べてみたわけですが・・・・トンデモねー! 思った以上に「注目された個別の記事だけを読む人」が多いですね。そっかー、ボクのブログ、こんなに読者いたんだ、って感じ。何を今さらなことを言ってるんだろうね、ボクはorz
特に『ハルヒ』関連がえらい事になってました。もう、うちはゲーム系ブログじゃないな・・・・。ハルヒは別格とはいえ、かけている労力に対するリターンが違いすぎ。うーむ。E3特需(E3の時期になるとゲーム系サイトへのアクセス数が増える)の比じゃないぞ、これ。もうゲーム系ブログやめていいですか?
それはそうと、春以降、ハルヒとゲームの両方を取り扱っていてハッキリ感じたのは、ゲームって今マニアの間での話題作が無いなあ、ってこと。市場全体でいえば、DS Liteが馬鹿みたいに売れてるし、『Newスーパーマリオ』『テトリスDS』とゲームらしいゲームも好調に売れているんですが、マニア発の話題作が全然見当たりません。ごく一部の間で評判がいいソフトはありますが。それがホントにミニマムなんですよね。すげー小さい固まりがあちこちにバラバラに散らばっている感じ。
いや、別にさ、『ハルヒ』だって一般に届くとは微塵も思わないんですよ。でもアニオタの間では独占的・圧倒的に話題になりました。ポストエヴァかどうかの論争はさておいても、00年代の代表的な作品にはなったし、少なくともマニア層は「席巻した」。『ハルヒ』以前/以後という認識さえ生まれるかもしれない。
今そういうものがゲームにあるのか、というのが疑問なんです。去年の『ワンダ』も『ICO』のファン+α止まり、『FF12』にしても、話題だったかというと疑問です。いや、市場規模は『ハルヒ』より断然大きいはずですが。ゲーオタ界を席巻したという感じは全然ありません。ネットの一部で評価について論争があったし、擁護派の人がクリアしたら「なんだ、あの中途半端なストーリーは!」とコロッと転じたり、微笑ましい一幕はあったけどさ。
まあ理由は色々とあるんでしょうね。
ハードの交代期だから注目作が出てきにくいとか、ソフトよりハードの方が話題になってるとか。
つーか、良くも悪くもクタタンやイワっちほど立ってるキャラって、今のマニア向けゲーム市場に存在するの? まー、ぶっちゃけ、ゲームやるよりゲーム機戦争というメタゲームの方がずっと面白いんだろうね。クタタンより面白いキャラなんて、テレビゲームの中には存在しないよね、みたいな。こういったブログを見ても思いますが、ネタが尽きないあたり、ライブ感もばっちりですよね。
結局、ネット時代のユーザーの、しかもマニア層の需要を満たすほど、ゲームが話題を創出できていないんですよね。すぐに消費されてしまうし。仮想現実なんぞより、半現実や現実の方がよほど面白い。そう言われても仕方ない現状。鮮度不足、ライブ感不足。ディスクに焼いただけの中身ではユーザーの消費速度にはるかに及ばない。MMORPGがどうの、対戦がどうの、という以前に、もっと単純な話として、鮮度不足を補う手段としてネット対応が必要になってきた。そこがポイント。MMORPGや対戦マッチングなんて、じつはどうでもいい各論。
「10年前の状況と似てきましたね」のコメント欄でボクが書いたことを再掲します。
>なにかこう、他業種にも参考になるような気がしましたので。例えば、ゲームウォッチの頃を思い返してみてください。容量が無かったため、多くのゲームは内容が短く、同じステージをくり返していました。そこで敵のスピードや出現頻度を徐々に上げていくことで、変化を作りました。難易度変化は単調上昇ではなく、ある周期で上昇しては一度低下し、しかし長期的には上昇している、という緩急がついていました。グラフィックを増やさないで変化をつけることに工夫があったわけです。ゲームというのは元々少ないリソースで何度も反復して遊ばせるという事をやってきたメディアですから、その辺りのノウハウはやはりかなりの物があると思います。10年前に、ゲームらしくないゲームの一大ブームが起きたのですが、ディスク内のリソースで楽しませるという点では、やっぱり「いわゆるゲーム」にはなかなか勝てなかった。2、3年もしたら飽きられてしまいました。
今は、ネットの常時接続が当たり前になってきて、継続的に内容が更新されるようになったため、Web上のさまざまな娯楽に対して、「限定されたリソースで最大限楽しませる」というゲームの優位性が薄らいでいる状態です。
しかし、ゲーム開発者も学んでいますから、今後オンライン対応が進むことで、ゲームが巻き返していくのかな、と思います。また同時にWeb上のサービスもゲームから「ゲームデザイン」を学んでいくのかな、と思います。
ゲームも謙虚にWebサービス等他業種から吸収すべきノウハウがありますし、同時にWebサービス等の他業種もゲームから謙虚に学ぶことがあるのでしょうね。
しかしユーザーの消費の速度が上がったため、ゲーム開発者の持つノウハウの優位性は今や急速に瓦解しています。また「より少ないコストで鮮度を保ち続ける」ノウハウを、ゲーム開発者はほとんど持っていません。オンラインゲームでさえ、まだまだ稚拙な段階にあります。雑誌、テレビ番組、Webサービスといった産業の持つノウハウには全然及びません。また、鮮度を保つためのあらゆる努力を供給者が行うのは無理があります。そこでユーザークリエイションが重要になるわけで、ゲーム業界の中から「Web2.0」という言葉が飛び出してくるのも自然なことです。
平たく言えば、
ゲーム1.0時代のノウハウ = 限られたリソースで最大限ユーザーを飽きさせない
ゲーム2.0時代のノウハウ = ユーザーコミュニティによって鮮度を保ち続ける
という事です。ゲーム屋はWebから鮮度の技術を学び、Web屋はゲームからインタラクティブの技術を学ぶ。お互いに学びあい、協調しあい、そして競争する。今はそういう時代です。
今回の内容は「You Tubeで花開くMADアニメ」の続きと言えます。さて現状、ゲーム業界はYouTubeの足元にも及びません。
というのは、話題そのものに加わるための敷居を下げる必要があるからです。MMORPGが伸び悩むのも当然です。参加者の間でしか話題が回らず、しかも参加する敷居が高いんですから。有料課金もそうだし、アイテム課金制にしたって始めるの面倒でしょ。MODにしても、改造というコンセプトに立つがゆえに、ソフトを買わなきゃ動かせません。でも、それってホントは論外なんですよね。海外ではそれでも成り立っちゃって、所詮あんな程度で満足しちゃいました。で、それを見てマンセーしてる日本人もいるわけ。信じられない。
例えば、『ハルヒ』のDVDを買わなければ、YouTubeで『ハルヒ』の動画を観られないし、『ハルヒ』のMADアニメも観られない、なんて馬鹿げてるでしょ。ところがゲームの世界では、そういう比較をできない人が結構いる。そういう事をやったら駄目だと最初から思ってるんです。「Web2.0なんてPCゲームはとっくにやってる。MODがある」とか真顔で言っちゃう。あれだけ長いことやってて、あんな程度にしか広がらないことに、疑問を持たない。もっと広がるはずだよね、とは思わない。
それが今のゲーム業界の病気なんです。
複雑な仕掛けと大量の仕込みで物事を動かすのが当たり前になっちゃった。だからWeb2.0が注目されても、「ゲームの方がWebより歴史が長いんだ。あんな単純な仕組みから学ぶ事なんて無い」などと真顔で書くゲームデザイン学生が湧いてきちゃう。単純な仕組みでゲームの何倍もの参加者を動員できるなら、そこは大いに尊敬するところでしょうに(笑 いつのまにか、複雑な仕組みを作ったらエラいとか、たくさんの人間がかかわって一緒に汗を流すのが美しいとか、そんな価値観がはびこっちゃった。今のライトゲームブームにしても、ゲーム業界の「複雑な仕組みを考えた俺は天才。ついてこれないユーザーが悪い」「作り手の流した汗は聖水」という歪んだ考え方へのカウンターと言えるんですがね。
最近のゲーム市場の大変化について、ボクは色々な表現をしてきました。
いわく、ゲーム業界2.0である。
いわく、DSにおいて電子書籍の市場が急速に広がっている。
いわく、「求心力→遠心力」の時代である。
いわく、「映画→テレビ」に匹敵する歴史的転換期である。
DSやWiiをテレビ番組にたとえる人は少なくないと思いますが、著名なゲーム制作者では小島氏です。
「Wiiはテレビ、PS3は映画」 by 小島秀夫氏
DSやWiiのゲームは今のTVのよう。人気があるからと言ってバラエティ番組ばっかりでいいのか。もっと映画的なものを目指さないと。DSの『脳トレ』などをツール系と称す人もいますが、面白さと実用性のバランスを考えると、テレビのバラエティ番組に近いと思います。実際、『楽引辞典』のようにツールに近づけば近づくほど、売れていないからです。他の人も同じような認識を持っているらしく、例えばあれれさんもTouch Generations!の成功作と失敗作を比較して、その結論を導き出していました。クソ真面目に、自己研鑽のためだけにDSを買ったり、プレイしている人は少ないでしょう。そういう意味では、どれだけ従来のゲームらしいゲームと異なっていても、娯楽はやはり娯楽なんです。
最近のテレビ番組とライトユーザー向けのゲームは、傾向がよく似ています。わかりやすさ。適度に役に立つ感じ。できて自慢するよりもできなくて恥ずかしい感じ(脳年齢もそうですね)。「ながら」が可能。軽い。ネタ重視。
TV LIFE ソフィーの業界 最近のクイズ番組って、なぜあんなに問題が簡単なの?
テレビを見てる人も含めて、参加するのがクイズ番組だった。家族が食卓を囲みながら、真剣にクイズに答えるなんて図が、日本のどこの家庭にもあったのだ。またPS2、PSPでは続編が非常に多いわけですが、バラエティ番組に押されて視聴率で苦戦が続いているテレビドラマに似ています。(TV LIFE ソフィーの業界 新鮮なドラマが見たいのに、最近のドラマは続編ばかり…)
対して、今やテレビに対しての視聴者の温度はかなり下がっている。スポーツでもドラマでもバラエティでもとにかく分かりやすく、が第一。だからスポーツ中継やバラエティの画面はテロップだらけになり、ドラマはベタな話が多くなる。クイズ番組も同じだ。
難しい問題の答えを知識として蓄えたり、それに正解してカタルシスを得るというクイズ番組のスタイルは、今や、誰でも知ってる常識問題を答えられない芸人やアイドルを笑うというスタイルへと変化してしまった。
ボクが思うに、ゲーム業界の人間の悪癖の1つは、ゲームを特別なメディア、ゲーム産業を特殊な産業、ゲーム市場を特異なマーケットだと考えすぎていることです。その結果、世の中の変化とゲーム市場の変化を結びつける発想がとても薄いのです。ゲーム離れにしても、ライトゲームの成功にしても、その他のあらゆる現象をゲームの言葉、ゲーム業界の常識、過去の出来事との比較で理解しようとします。
また、Web、携帯電話、テレビ、本といった他のメディアで起きた現象がゲームでも起こる、という当たり前の感覚を理解できない人もいます。たとえば、去年ボクがWeb2.0とゲームについての記事を書くと、「そんなのはバブルだ。ゲームとは関係ない」とか、「ゲームの専門用語を使え」などと批判する人たちが現れました。
Web2.0という形でWebサービスがより深く人々の生活に浸透して、楽しさを提供している。だから競合するゲームも変わらなければならないし、ユーザーの変化にゲームデザインを適応させたゲーム群「ゲーム2.0」がヒットしている。あらゆる娯楽が人々の時間を奪い合い、生活により深く浸透しようとしている中、ゲームが生き残るための変化を模索しましょう。・・・・と書いただけなのに、「Webの流行を安易に取り入れてうまくいくわけがない」「ゲームの方がWebよりも歴史が長い。学ぶ事がどれだけあるのか」などと批判するわけです。
正直ボクには、どうして彼らがそこまでゲームを聖域化するのか、理解できませんでした。彼らがブログを書かず、ヤフーもグーグルもWikipediaも知らないなら、まだわかります。でも彼らは日常の中で、ブログを書いていたりするわけです。つまり生活とゲームが乖離していて、しかもその事に無自覚なんです。
ゲームで起きていることは他のメディアでも起こりえるし、他の多くの世界で起きていることはゲームでも起こるのです。例えば今、ゲームの世界ではライトゲームが支持されています。けれどもこれは、単にゲームの中だけの話ではありません。同じような傾向が、テレビ番組、本、Webといった他のメディアでも現れています。そうした広い視点で見れば、この現象がどれぐらいのスパン続くものなのか、1年程度で消えるものなのか、それとも5年なのか、あるいは10年続く長期傾向なのか、理解できるはずです。
神山:しかし、これっていうのは、もはや創作する根拠があったから作家になった、ということでもなくなりつつあるってことでしょう。いよいよ意味わからなくなってくるよね? なんかもう、とりあえず世の中に活字を垂れ流さなければならないんで、そのシステムに乗っかる人間をさらってこい、みたいな話になってきますよね。この記事の「鮮度VS強度」という対立軸は、非常に鋭い視点だと思います。これは、「遠心力VS求心力」「テレビVS映画」「バラエティVSドラマ」と言い換えてもいいでしょう。ライトゲームが売れる、ストーリー系ゲームの元気が無い、といったゲーム市場で起きた変化は、Webでも、携帯電話でも、テレビでも、ライトノベルでも起こっているんです。
(略)
神山:ハリウッドだって、すごい映像をつくるための便宜上として脚本があるんだよ? あのすごいインフラを使い続けなければならないから、物語を捻り出してるわけで。だから、どんどん過去の作品を焼き直したりしてるわけででしょう。
(略)
神山:ケータイやブログとかノンフィクション性があるものは、情報の鮮度が高い。これは、刺激が強いから魅力的ですよね。フィクションは、そういうものに勝っていかなきゃいけないんですよ。ちょっとくらいのどこかで見たことある風景だったら見向きもされない。相当強固な“見たことある”でなくちゃいけなくて、さらにやっぱり何度見てもいいなーってものじゃないと勝てない。でも今はそういう強度のある作品が少ないんだと思うよ。
すなわち今は「強度より鮮度」の時代です。
かつてテレビは映画からユーザーを奪い、コンテンツ産業の中心の座に落ち着きました。そして今テレビを脅かしているのがYouTubeです。鮮度という点でいえば、YouTube>>テレビ>>映画です。より鮮度、ライブ感のあるメディアやフレームワークがユーザーの支持を集めています。このブログの『ハルヒ』関連記事をお読みになってきた方々には同意していただけると思いますが、『涼宮ハルヒ』の大ヒットも「ライブ感」がとても大切なポイントになっています。
ゲーム機はパッケージメディアで、その上リリーススパンが長くなっていたため、鮮度という点で最悪のメディアになっていました。「据置→携帯」のシフトも、携帯ゲーム機のほうが鮮度が優れているのが一因です。次世代据置ゲーム機はすべてオンラインに標準対応します。そこで重要なのは鮮度(ライブ感)です。ようやくゲーム機はライブ感を演出する強力な手段を手にすることができるのです。
Xbox360、PS3、Wiiすべてに同じことが言えますが、現時点では特にWiiの「Wii Connect24」に注目が集まっているようですね。
ゲームデザインの構造的変換を示す「遠心力」というキーワード(前編)の続きです。
ファミコン世代の方々は、おそらくゲームで徹夜したことのある人も多くいらっしゃると思います。ゲームにはそういう「ハマる」魅力がありますし、実際ゲームの作り手はハマるゲームを作るように努力してきました。プレイヤーを熱中させ、テレビ画面の向こう側に吸い込んでいくようなゲームが名作と賞賛され、歴史に残ってきました。そうやってハマった経験をもつユーザーは、ヘビーユーザーになる人も多く、ファミコンブームが去った後もゲームを熱狂的に支持してくれました。その中から、ゲーム開発者になった人もいると思います。いや、まー、ボクもその1人だったりしますが(笑
それは決して間違いではありません。ただ、ある時点から、ゲームはその求心力があまりに強くなり過ぎたのではないか、と思うのです。求心力はいつしか拘束力になりました。強制される長いデモムービー、ムービーとムービーの間をつなぐ作業にも似た長時間プレイ、長ったらしいローディング、無意味なまでに冗長なレベル上げ、・・・・。ゲーム内の表現力が高まるにつれて、徐々にプレイヤーをゲームに縛り付けるような作りになっていったのです。
そのため、ゲームの求心力に引き寄せられた人たちと引き寄せられない人たち(求心力に恐れや嫌悪をおぼえる人たち)の間の距離がどんどん開いていきました。それはゲーム離れという形で市場に現れました。また、暴力ゲームへの批判、ゲームレーティングへの批判、「ゲーム脳」のようなトンデモ理論の広がり、MMORPGの廃人問題などが持ち上がりました。これらの批判は個別に議論すべきですが、大枠としては強くなり過ぎた「ゲームの求心力」に対して社会の側から反発が起こった、と捉えられます。
昨今ライトゲームが大変盛り上がっていますが、ライトゲームの手軽さとはプレイヤーをゲームに拘束する時間が短いことです。やや乱暴にいうなら、「求心力」が弱い。ソリティアを何時間も遊び続ける人もいるので、この言い方は正確ではないかもしれません。より正確にいうと、「拘束力」が弱い。すぐに始めて、すぐに終われるゲームが支持されています。
ここでゲーム開発者の鶴見六百氏の興味深い記事を参照します。
六百デザインの「嘘六百」: 又も綴る「子供にゲームをさせよ論」のコト[後編]
「ひとつは、『長時間遊んでいたコト』。これは問答無用にそうですよね。短時間遊んでいただけでは、それに依存するはずもありません。ただし、その内容を詳しく思い出してみると、『1回に長時間、遊んでいたコト』これがマズかったのではないかと考えます。この記事を読んでボクの頭に浮かんだのは、『脳トレ』が「依存」を抑制する方向のゲームデザインになっていることです。つまり1回に長時間遊ばないような作りになっていて、実生活とリンクしています。「そしてもうひとつあります。『実生活とのリンクの仕方』がマズかったのです。先ほど、快感によって脳味噌の『創造力』が活性化されると申しましたが、じゃあそこで生まれた創造力がどこへ向かうのか…これがゲームの中だけで閉じていたらマズいコトになります。
ポップ・コラム:日本人だけに許された脳力鍛錬アイテム 『もっと脳を鍛える大人のDSトレーニング』
脳トレの分析はこのコラムがなかなか的確です。1日に何時間も続けて遊ぶような作りではなく、毎日少しずつ遊んでもらう設計ということがわかります。
『脳トレ』のみならず、ゲーム2.0と呼ばれるゲームがどれも、いわゆるWeb2.0と共通した部分をもち、コミュニケーションツールとして機能している点は見逃せません。まぁ考えてみれば、何時間もゲームに没頭し続けていたら、そりゃコミュニケーションする時間は無くなります。そのゲームの中で閉じた評価(レベル、ゴールド、レアアイテム、・・・・)では、いくらスコアを上げても、そのゲームを知らない人とは共通の話題にしにくいです。
しかし本来、ゲームはコミュニケーションツールとしても機能していました。ファミコンブームを思い出してください。子供たちは高橋名人にあこがれ、必死に連射の練習を繰り返しました。ドラクエの攻略はクラスの大きな話題になり、ドラクエを買ってもらえないとクラスで孤立すると泣き喚く子供のため、親が長い行列に並びました。子供たちは攻略法や裏技について情報交換し、雑誌にはそうした情報がぎっしり載っていました。当時は「求心力」と「遠心力」のバランスがうまく取れていたのだと思います。
今のDSブームは、「求心力」に傾きすぎた状態からの揺り戻し、と言えます。かつてのファミコンブームに類似しているのも自然なことです。
今回はここ数年の諸現象を「求心力」と「遠心力」というキーワードで説明してみました。もちろん大雑把な議論であることはボクも承知しています。ただ、1つ1つの現象に目を奪われて、大局を見失ってしまった方々には、このような整理の仕方は有用なのではないか、と思います。
発熱地帯:ゲーム業界の構造的変換を示す「遠心力」というキーワード
↑の記事は3年前に書いたもので、実はこのブログを始める前、BBSをやっていた頃に書いた文書です(BBSに投稿したのはたしか2003年の10月頃だったと記憶しています)。それから時間が経ち、ゲーム業界は大きな変化を迎えました。「据置→携帯シフト」や「プロセッサ性能市場主義の崩壊」など、ゲームの受容のされ方、ゲームデザインにまで変化は及んでいます。それをどういう風にとらえるのか、頭を抱えている人も結構いらっしゃるのではないでしょうか。今回の記事は、そういう人たちの頭の整理のために書きました。
大雑把には「求心力」の時代から、「遠心力」の時代に変わってきたのだと思います。
「求心力」というのは、画面のあちら側、ゲームの内部の表現世界を高めていくことで、ゲームの価値が高まるという考え方です。小さなスプライトから大きなスプライトへ、1枚のBGから多重BGへ、2Dから3Dへ、ローポリゴンからハイポリゴンへ、ただのムービーから映画的なムービーへ。プロセッサ性能が上がれば、新しいゲームが生まれると素朴に信じられ、新しい世代のゲーム機にはより高性能のプロセッサが搭載されてきました。
またゲーム会社はゲーム機、しかもトップシェアのゲーム機に技術と労力をつぎ込むのが正しい戦略でした。ゲーム開発者は厳しい機密保持契約の壁に囲まれ、お互いの情報交換など、あり得ない話でした。ゲーム機は独自規格を採用することが多く、周辺機器はそのゲーム機でしか使えないのが当たり前。セーブデータをPCに持っていくことなど、ほぼ不可能でした。
しかし今や、そのほとんどが逆転しています。
プロセッサ性能至上主義は崩壊し、これまで性能にこだわってきたクリエイターが次々と別の路線への転換を口にしています。たとえば、性能至上主義の権化ともいえる、あの鈴木裕氏でさえ、技術はもう十分と語っています。DSは画面のこちら側、インターフェースの革命によって、ユーザーに新鮮な楽しさをもたらしました。その成功は誰の目にも明らかです。実際、去年の年末に500万台達成したばかりなのに、すでに900万台を突破しています。
ソフトメーカーはマルチプラットフォームが当たり前になり、ゲーム機に限らず、PCと携帯電話にも積極的にマルチ展開するようになりました。ゲーム開発者の技術交流、情報共有はまだまだ課題は多いものの、ここ数年で一歩も二歩も前進しています。PSP、Wii、PS3は、メモステやSDカード、USBなどの標準的な規格を採用しているので、セーブデータをPCに持っていったり、ゲーム機以外の周辺機器を接続しやすくなっています。
ゲームデザインのトレンドも大きく変わりました。関連する記事を5つ挙げておきます。
個々の議論については、それぞれの記事をお読みいただくのが一番だと思います。特徴的なのは「外部化」です。ゲームの中の機能・要素をゲームの外に持っていくことで、1つ1つのソフトウェアの規模が軽くなると同時に、コミュニケーションツールとしての機能が高まっています。1.評価の外部化
プレイヤーのプレイを評価し、ごほうびを与える部分のコストが上がりすぎました。ストーリーと付随するムービー、アイテムやステージや隠しキャラなどのやりこみ要素。ある時点において、こうしたボリューム感は市場で成功するために必要でした。しかし今や、ボリューム感は疲れたゲーマー、時間の無いゲーマーにとって、マイナスに働くことさえあります。
その一方、評価を外部化することで、ゲーム内の評価を簡略化したソフトが成功をおさめています。例えば、『DSトレーニング』の脳年齢は、ゲーム内の仕組みとしては昔ながらのただのスコア制です。ただし川島教授によって、脳年齢という数値に「ただの数値じゃないよ」という保証が与えられています。そこの部分が外部化されているから、ゲーム内は極めてシンプルなのですね。今時ゲームを練習して、ハイスコアを取ることに夢中になる人はほとんどいません。しかし脳年齢なら、毎日プレイします。
2.プレイデータの外部化
1個のゲームのセーブデータを複数のソフトで共有しようという流れです。『ポケモン』のデータを『ポケモンスタジアム』に持っていくと3Dの迫力ある戦闘が楽しめたり、『ポケモンダッシュ』に持っていくとマップが増えたり。また古くはファミコンの『ウィザードリィ』で、ターボファイルを使ってセーブデータを引き継げました。1つのセーブデータとそのデータを利用する複数のユーティリティアプリという構造は、1個の巨大なソフトウェアを作るよりも開発のリスクが小さく、より短期間に小回りの利く対応が可能でしょう。
自分のアバターを使って複数のゲームを遊ぶことができるスタイリアのようなオンラインサービスはその発展形といえます。オンラインゲームの主流がMMORPGから「アバター+アイテム課金」型に移行しているのも、興味深い傾向です。1個のデータと小さな多数のソフトウェア。これはWeb2.0にも通じる発想です。
3.ストーリーの外部化
ゲーム内で濃厚なストーリーを語らず、ゲームの外のメディアでストーリーを補完するという流れです。ゲームは世界そのもの、場を表現するのに適したメディアのため、世界観の共有とコミュニケーションの機能を重視し、物語はゲーム以外のメディアに任せます。こうすることで、ゲーム性とストーリーの衝突を回避することもできます。(参考:瞬発力と持続力(2) ゲームの「持続力」)
実際、『FF11』や『ラグナロクオンライン』のような大人気MMORPGでは、ゲーム内のストーリーは薄く、プレイヤー同士が共有する世界観が大切。そしてアンソロジーがストーリーの補完の役目を果たしています。『ポケモン』もRPGでありながらシナリオは重要ではなく、アニメによって世界観やストーリーの補完を行っています。『どうぶつの森』もゲーム内部のストーリー性は薄いものの、年末に劇場アニメが公開されます。
前編では、ここ数年のゲーム産業の環境変化、そしてゲームデザインのトレンドの変化を、「求心力から遠心力への変化」としてまとめてみました。後編では、何故このような変化が起きてきたのかについて書いてみたいと思います。
アニメの放映もいよいよ最終回を迎えましたが、原作者の谷川流×賀東招二の対談や、監督インタビューが雑誌に掲載されていて、それぞれ一読の価値があります。
■ザ・スニーカー8月号
1)原作者である谷川流の書き下ろし脚本『サムデイ イン ザ レイン』を完全掲載。
2)また、谷川流と『フルメタルパニック』の賀東招二が対談。
賀東氏は第11話『射手座の日』の脚本を担当。
谷川氏、いっそフルメタを1話やってもいいじゃないか(笑
「ハルヒと思って観てたら一話まるまる『フルメタ』だったみたいな」
(注:賀東氏は『ふもっふ』『セカンドレイド』を京都アニメーションでアニメ化してもらっています。脚本をすべて自分で手がけるなど、がっちり協力体制を築いていた珍しい例。通常、ライトノベルのアニメ化に際し、原作者はそこまで関わりません。投げっぱなし、名目だけの監修、シナリオ構成だけお手伝い、・・・・。京アニのスタッフとも仲が良く、今回も会議の中で脚本家として名前が出てきたとか。)
あの構成にした理由は、まず『憂鬱』のラストを最終話にすることが決まった。その間のエピソードをどうするかという時に、短編エピソードを入れていくしかないが、時系列がゴチャゴチャになる。原作のプロットを変更して、短編の時系列を長編の間に持ってくるのは、嫌だった。短編は『憂鬱』の後の出来事だから、キャラの心情が変わってしまう。
第1話はふつうに『憂鬱』の第1話を持ってくることもできたが、これから時系列がゴチャゴチャになるのに1話をまともにしても不親切。最初からメチャクチャになると明示した方がいいと考えた。(短編の並びは)サイコロ振って決めたわけではなく、計算されたメチャクチャさ。
(注:おそらく涼宮ハルヒのアニメ化で厄介だったのは2点。キョンのモノローグという独特の文体をアニメでどう表現するか。これはそのままやるというストレートにして大胆な方法で解決。もう1つは、長編だけでは14話分の放映を満たさないのに、短編はすべて『憂鬱』が終わった後の物語だということ。時系列順にすると、長編→短編ときて、最後が短編という締まりの悪い構成になってしまいます。過剰なまでの親切主義が逆に作品を損ねることも多い昨今、親切さと不親切さのバランス感覚は見事でした。)
■Megamiマガジン、アニメ版監督インタビュー
要約がこちらに掲載されています。
監督:
『笹の葉ラプソディ』をやらなかったのは、長編『消失』とセットだから。
『エンドレスエイト』はやるつもりだったものの、『憂鬱』が全5話から全6話になったのでカット。
個人的には『ヒトメボレLOVER』をやりたい。
谷川流:
アニメ化で一番印象が変わったのはハルヒ。イメージが広がった。
書き下ろし脚本では、原作の1人称を崩して3人称のパートを入れた。
(注:やはり第2期で『消失』のアニメ化を期待してしまいます。3年前の七夕という、ハルヒ世界にとって最も重要な出来事が今回は描かれませんでしたからね。アニメ版ハルヒでは、カメラの使い方が巧み。随所に「キョンの視点」が挿入され、原作の「1人称性」をうまく表現しています。またキョンのいない場所では物語の進行が描かれません。これも小説の1人称と同じですね。ノベルゲームのアニメ化でも、この手法は使えるのでは?
小説では人称は非常に重要な枠なのに、映像化の際にそれを意識しない場合が圧倒的に多いですね。『ひぐらし』のアニメ版は、それで大きく失敗していました。圭一の心理がきちんと描かれ、視聴者と圭一の心理が一致することが重要なのに、ふつうに客観的に描いて、上滑りしまくり。アニメ版『Fate』も同様の失敗をしていますね。)
DSを震源地としたライトユーザーブームはただのブームではなく、大きな地殻変動であり、それはかつて映像メディアで起こった「映画→テレビ」の歴史的転換期に匹敵する。過去の2つの記事で書いてきたこのビジョンが、急速に日本のゲーム業界人の共通認識になりつつあります。
たとえば、コナミの小島監督も同じような認識を持っておられるようです。テレビ的、テレビのバラエティ番組的な軽さと日常性を追求したDSやWiiが多くのユーザーから支持を集めることは、皮膚感覚として感じ取っているみたいですね。世の中の変化についていけず、本質的な変化を「一過性のブーム」と断じるゲーム開発者が少なくない中、変化を鋭敏に察知するセンスはさすがの一言。
けれども小島監督は周知のように大の映画好きで、映画的なゲームの制作者です。『MGS4』をPS3向けに制作している小島監督にしてみると、現在のPS3不利の状況、「映画→テレビ」への大転換は好ましいとはいえません。そのため、たとえ世の中の状況がどうあっても、映画的なゲームを作り続けたいという決意を宣言したようです。
わぱのつれづれ日記: 「Wiiはテレビ、PS3は映画」 by 小島秀夫氏
* PS3は映画館、Xbox360はDVD、WiiはTV。『ポセイドン・アドベンチャー』の例を出しているように、自ら資金をかき集めてでも作りたい。その意志はさすが。日本の映画産業人も、かつてテレビが台頭してきた折、このような境遇に陥ったのだと思います。そしてテレビを批判し、映画に金をかけようと必死に訴えたのでしょうね。しかし大多数の日本人がどちらを選んだのか。ボクたちはその結果を知っているわけです。
* DSやWiiのゲームは今のTVのよう。人気があるからと言ってバラエティ番組ばっかりでいいのか。もっと映画的なものを目指さないと。
* PS3バッシングがあるが、それでみんな本当にいいのかと。PS3みたいな道を切ってしまうと、もう伸びない。
* 映画業界でも、昔お金をかけた大作が売れない時代があった。そんな状況でポセイドン・アドベンチャーは大作として作ろうとして反対されたが、自ら資金をかき集めて作り、大成功した。そういう例もある。
* ただし、現時点ではPS3は高い。アンケートの反応を見ても厳しそう。
これから日本のゲーム開発者は、一時的に「映画派」と「テレビ派」に分裂していくのかもしれません。
そして急速にユーザーの支持を失いつつある「映画派」のクリエイターは必死になって「テレビ派」を批判するようになるでしょう。かつての歴史を知るボクたちは、その悲しい末路を予想済みです。おそらく彼らも悟っています。だから余計に、必死に、噛み付くのです。先月、とあるゲーム開発者が「岩田社長は胡散臭い」だの、「岩田社長は秋元康」だの、何の論理性もない批判を行いました。そのブログのコメント欄には、批判が殺到し、一晩で文面は180度正反対なものに書き換えられました。書き換えられる以前の文章の一部を引用します。
だいたい、最近、岩田発言が胡散臭い。まったく新しい体験だとか、ゲームの未来とか、ゲーム人口拡大だとか、胡散臭いことこの上ない。なんだそれ。あーあれか、あなたは秋元康か?
ボクが言いたいのは1つです。
かつて映画人がどれだけテレビを批判しても、大多数のユーザーはテレビを支持しました。そして口から唾を飛ばし、必死にテレビを罵る彼らは、尊敬を失い、ますます自分たちの拠り所を失っていったのです。日常的な映像娯楽として、人々の間に浸透していくテレビ。それに対して彼らがすべきことは、ただ素晴らしい映画を生み出すことだったはずです。それができないなら、泣き喚くよりは沈黙のほうがまだマシでしょう。
去年顕著になった「据置→携帯」へのシフトも、たまたまDSが存在しているからそう言えるのであって、もし無かったら「ただの第2次アタリショック」だったわけです。据置ゲームに飽きた人は携帯ゲームが無ければ、単にゲームそのものから離れていくだけです。「ゲーム離れ」とはそういうものです。PS3が支持を失っているのはPS3の問題であって、DSやWiiやXBOX360が原因ではありません。他のゲーム機があっても無くても、ユーザーは欲しくなければ買いません。そんなこともわからないゲーム開発者は、ゲーム機が注目されていた10年前の感覚を引きずっているのでは? 時代錯誤もはなはだしい。
米国のメディア産業の中心はハリウッドの映画産業、日本はテレビ局、とよく言われます。これはそれぞれの地域の消費者の特性を表しているのかも知れません。日本では「据置→携帯」シフトが鮮明になり、インタラクティブな映像メディアであるゲームもテレビ的な方向へ大きな一歩を踏み出しました。
その特性を挙げてみましょう。
このブログを読んでいらっしゃる方は多岐に及びます。ゲームではなく、アニメやライトノベルに興味のある方、ゲームが大好きな方、ゲーム業界の人々。そして中には、ゲーム会社や開発スタジオの経営者やマネージャー、アナリストの方々もいらっしゃいます。そうした方々からメールをいただくこともあります。日々このような拙文をご愛読いただきありがとうございます。さて、皆様方に申し上げたいのは、もはやゲーム産業の未来は示されつつあるということです。
日本のコンテンツ産業の中心は映画会社でしょうか、テレビ局でしょうか? これからTBSに、日テレに、フジテレビになるのは一体どこのゲーム会社でしょうか? かつて日本のゲーム会社(旧スクウェア)は映画に多大な資金を投入して経営破たんを起こしましたが、映画的なゲームの制作に熱心な会社に投資すべきでしょうか、それともテレビ的なゲームに路線変更した会社に投資すべきでしょうか?
勘のいい方はすでに感じ取っていることと思います。まさしく2006年こそ、ゲーム産業2.0、ゲームビジネスの新しい始まりの年なのです。
ところで「映画派」のゲーム開発者は、多大な資金を使い、結局は日本映画のように衰退するのでしょうが、それでオシマイなのでしょうか? いいえ、そうではありません。今、日本の映画界が少し元気を取り戻していますね。テレビ局主導の映画作りによって日本映画が復調しつつあるように、いずれは「テレビ派」のゲームが、ゲーム会社が、ゲーム制作者がその骨を拾い、残骸を乗り越え、未来を切り拓いていくことでしょう。映像メディアの過去から現在に至る歴史が、ゲーム産業の未来を指し示しているのです。
しらいあきひこのフランスエンタメ研究所@CNET 「日記復活・DIGRA」
ゲーム研究業界的にはアンチゲーム脳のほうが主流です. というか,ゲーム世代のゲーム好きが集まってLudicしてるので,当然といえば当然なのです.ほぼ同意。ファミコンで育った人間が大人になっているので、そりゃ研究をやろうという人間が現れてくるのは自然なことです。しかしそれが、ゲーマーの雑談以上のものになるかというと、どうでしょうね? 研究者様の分析が、ネット上に感想を掲載しているゲーマーの方々より優れているとは到底思えませんし、その根拠も無いでしょう。そんなもんに妙な箔がついてもしょうがない。
こういうのを「遊びの研究」ではなく「研究者の遊び」と揶揄された時代もあることに注意です.個人的にはDiGRAは様子見ということにします.なぜなら「地盤のいい学会」というのは金トリ学会としては良いのですが,茶飲み会としても,学術の探求の場としても,たいてい機能しません.たとえば情■処理学会とかは名前も地盤もいいのですが,研究者としては研究会しか利用価値がないです.会報も紙は良いけどうざすぎます,なんと言っても会費が高いのがつらいです.
ちなみに既に日本国内にはゲーム関連学会や大学コースがいくつも立ち上がっています.
しかしその多くが「学者発ゲーム学会」で「研究者の遊び」という印象をぬぐうにはあまりに,ゲーム産業界との足並みが取れていません.
たとえば、生暖かく見ていた「RGN : コンピュータ・ゲームのデザインと物語についての研究会」も、発表者を見ると、ネット上でゲームの感想や分析を書いている人ばかりで、「物語」をテーマに掲げている割に、たとえばストーリー系ゲームのシナリオライターを招いて話を聞くような様子は見られません。最初から現場と徹底的に乖離しているわけです。「遊びの研究」なのか、「研究者の遊び」なのかは言わずもがな。
小野憲史氏のエントリーを読んであらためて思ったのですが、書き方が上手いですね。たとえば「日本のノウハウがどんどん海外の開発者にまねられている予感」「彼らはお手本からマネるのは巧い」あたり。日本のゲーム制作者は1からゲームデザインを生み出すのが得意で、欧米のゲーム開発者はそれをマニュアル化するのが巧い、というのは、それぞれの市場で売れているソフトを見ても感じることです。『God of War』にしても、評価は大変高いものの、日本のいくつかのゲームのいい所取りをしているだけ、ともいえます。
本気で読者を説得しようという気持ちがあるんでしょうね。このエントリーも、日本のゲーム開発の危うい点を簡潔に指摘しています。日本のゲーム開発の現状に危機感を抱いている人は、ゲーム業界および周辺に結構います。ゲームのノウハウの共有化を推進した方がいい、とネット上で発言している人はこういう書き方を見習った方がいいかもしれません(笑
彼らの多くは、その言葉を読んでも、本気で説得しようと思ってるように「思えない」んです。欧米のゲームが好きな人が多いからかもしれませんが、欧米>日本という図式で物を語りたがる傾向があります。すると、日本のゲーム開発を良くしたいのか、それとも欧米ゲームをマンセーしたいのか、どっちかわからない事になります。たとえば、「日本のゲーム開発は遅れている」とか、「日本のゲーム開発者は不勉強だ」とかね。長所は見ない。で、短所だけ大喜びで指摘。で、オマケに「欧米はゲームデザインの学問化が進んでいるんです。だから現場の人間もゲームデザイン学の用語で議論できないと・・・」みたいなことを言い出しちゃう。
半年以上前の話ですが、中には「『Web2.0』という言葉を使うな、学問的な『創発』という用語を使え」などと噛み付いてくる学生さんまでいたわけです。「コンピューターゲームは40年の歴史があり、10数年のwebとは比較するまでもない。同じインタラクティブ・メディアといっても、あまりにも差がある。」なんて発言は、ボクにはゲーム学の象牙の塔化、他メディアへの敬意を忘れた暴言としか思えません。今、Webに毎日触れている人とゲームに毎日触れている人、どっちが多いと思っているんでしょうか?
たとえば、任天堂は経営方針説明会の中で、「Web2.0」という環境変化に対して「WiiConnect24」を打ち出したと説明しています(Q8)。またスクウェアエニックスも、「Web2.0」という環境変化を意識した発言をしています。では、任天堂のWiiConnect24はWebの「安易な流行」に乗った安易なサービスなんでしょうか? まだ全貌も詳細も不明ですけど、それこそ安易に結論は出せないと思います。またスクウェアエニックスはWebの「安易な流行」に乗った安易なオンラインゲーム会社なんでしょうか? ボクにはそうは思えません。
ボクはユーザーが制作の「結果」うまれた「作品」を評価するのは当然の権利だと思いますし、どんなことを言ってもいいと思います。「クソゲー!」の一語でも構いません。お客さんの当然の権利です。ただ、自称研究者が制作の「プロセス」にあれこれ言うのは、ちょっと違和感があります。
別の例を出します。視聴者がアニメを見て、「作画が酷い」とか「シナリオ糞」とか、感想を言うのは当然の権利です。でも、アニメを一度も作ったことのない学生さんがアニメ学という自称学問を勉強して、現場で働いているアニメータの人を捕まえて、「その作画の仕方はイマイチだね。だから日本のアニメは駄目なんだよ。海外のアニメ産業で使われているアニメデザイン用語があるんだけど、それを使ってトークしないと・・・」なーんて説教を始めたら、あまりにもアレげな光景じゃないでしょうか?
勉強の弊害というやつで。エッセンスの詰まった本を読むと、わかった気になっちゃうんですよね。そして用語をいっぱい使うやつがエラいみたいな高ぶった気持ちになる。危機感がある人間ほど、上から物を言いがち。それだけならいいんですが、どんどん視野が狭まって、一般の人の感覚から遠ざかった議論を狭い輪の中で繰り広げる集団になってしまいます。まぁもしかしたら、学会はそれでいいのかもしれませんが。
欧米のゲーム業界が急速に「産業化」したのを見るに、日本でもいわゆる産官学を推進した方がいいのは頭ではわかるんですが、心は逆。学問化が進んだ結果、単純に欧米のやり方を盲信したり、しょうもない噛み付き方をするゲームデザイン学生さんが量産されても、日本のゲーム開発が良くなるとは到底思えません。逆効果なんじゃないの?とさえ思います。
欧米のゲーム開発者は、日本のゲーム開発者の生み出したアイデアやゲームデザインを高く評価して、敬意を払って、そしてマニュアル化して、自分たちのゲームを良くしているわけです。なのに、お膝元の日本人の自称ゲーム研究者の人たちが欧米の方ばかり見ているんだとしたら、日本のゲームではなく、欧米の本ばかり見ているんだとしたら、それって何なの・・・・? まぁ浮世絵にしても、海外の人が先に評価して、それから日本でも注目を集めたんでしたっけ。これって日本の研究者の伝統ですか?
だから発熱地帯のDAKINIは、ゲーム開発の現場にいる1人として、ゲームデザイン学だの、ゲーム学会だのに協力する気は無いと断言し宣言し明言します。さすがに「そんなもん、要らねえ」と主張する気はないし、積極的に批判しようとは思いません。ゲーム研究について正直に書けば、批判になるのはわかっているから、これまで意図的にスルーしてきました。今回も1回ぐらいは書いておこうかと思っただけです。
しかしまぁ、もう一度噛み付かれたら・・・・無視するわけにはいきませんし、困ったもんですね。
(コメント欄の方もずいぶん色々と書いていますので、ぜひご一読を)
今週のファミ通は、スクウェアエニックスの和田社長と浜村通信氏の対談、宮本茂氏へのインタビュー、となかなか読み応えがある内容ですね。宮本茂氏のインタビューは、カートリッジ型のゲーム機が登場する以前から現在までのゲーム開発の歴史を振り返る内容。まさしく簡にして要を得るという感じです。必読級。
またスクウェアエニックスの和田社長が、これだけ長く熱く語るのはなかなか珍しい。これも過去からの発言の総括として読み応えがあります。ただ、同時に「やっぱり開発に理解されてないんだな〜」というのがよくわかります。ボクは以前から、スクウェアエニックスは経営と開発がズレているように見える、と書いていますが、問題を再確認できましたね。対談の中でも、理解されないもどかしさや、ゲーム開発者の頑固さに苦労している様子がうかがえます。
んー。厳しい言い方をすれば、社員を説得するのは経営者の重要な仕事なんです。でもそうは言っても、和田社長は開発者出身ではないですし、古くからいた人でもないので、説得に時間がかかるのは仕方ないんでしょう。無理に説得はできない、自分自身で気づかせるのが大切、という言葉通りでしょうね。
確かあれれさんも以前指摘しておられましたが、旧スクウェアが開発の暴走で経営破たんしたため、結果的にチーフ・クリエイティブが不在なのが尾を引いていますね。例えば、最近上り調子の任天堂にしたって、岩田社長と宮本茂氏の仲が悪かったら、とっくの昔に空中分解してるでしょう。経営と開発の歯車が一致して、うまく回り出すまでにあと何年かかるか? 成果が出てくるまでに仮にあと3年かかるとすると、かなりギリギリなんじゃないかな・・・・。
それはともかく、ちゃんと語るのはいいことですね。というのは、傍から見ていると、どうも発言がちゃんと伝わってないですし。メディアを通して記事になる過程で、発言が適当に要約されちゃうんですよね。これはもう、仕方のないことです。株主総会のレポートがネットに上がるぐらい、熱心なファンがいる会社ですし、任天堂みたいに発言をどこかにアップしたらいいんじゃないの、と思っちゃいます。
わかりやすい例なので、よくスクウェアエニックスを持ち出すんですけど、これってゲーム会社すべてに共通する課題です。「クリエイティブマネージメント」というのが非常に重要な時代になっているんです。何となく大切なことはみんなわかってるんですが、数字にしにくいから難しい。本当は「コストマネージメント」「リソースマネージメント」と肩を並べるぐらい大切。経営に近い部分で、どういう方面へ打って出るかという部分も含むし、モチベーション管理もそうですし、人材の育成も包含します。もちろん小野憲史氏の言うような「日本人によるノウハウの蓄積」も含むでしょうね。