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このサイトは、ゲーム開発、およびゲーム周辺の周辺技術や動向について日々考察し、毒舌的に物を書き続けることを通して、「ゲームの未来形」という大テーマに対して、何か考えを深められるといいなあ・・・・・・というサイトです。

2006年03月31日

米澤穂信を今頃読み始めています


米澤穂信『氷菓』を今頃読んでみました。
千反田かわいいよ、千反田。
・・・・・・・。
・・・・・・・。
・・・・・・・違う、そうじゃない、これはそういう小説じゃない。
さわやか風味のちょっぴりほろ苦な青春ミステリですよ。
いわゆる日常系ミステリというやつ。
人が死ぬような事件はまったく起こりません。
何ごとにも積極的に関わろうとしない、灰色の「省エネ」少年、折木奉太郎は姉の命令で廃部寸前の古典部に入部することに。好奇心旺盛にして活動的、「わたし、気になります」が口癖のお嬢様、千反田に頼まれて、日常のちょっとした謎を解き明かしていきます。
いつのまにか密室になった教室の謎。毎週必ず借り出される本の謎。あるはずの文集をないと言い張る先輩の謎。そして古典部員たちはやがて、『氷菓』という名の文集に隠された33年前の事件の真相にたどり着きます。

廃部寸前の文科系クラブ、部室にたまる高校生、なぜか舞い込んでくる事件、・・・・。
・・・・・・・うあ。
『涼宮ハルヒ』といい、『氷菓』といい、ボクはこのフォーマットに弱い。
だからやっぱり千反田、かわいいと思っちゃうんですよ。

思わず、続編の『愚者のエンドロール』と『クドリャフカの順番 ―「十文字」事件』を注文しちゃいましたよ。


・・・・・・・しかし。
桜庭一樹『GOSICK』にしても、ヴィクトリカはかわいいし。
『GOTH』の森野もたぶんかわいい。
森博嗣のS&Mシリーズにしても、西之園萌絵がいらっしゃるわけですし。
ライトノベル系ミステリにはかわいいヒロインが欠かせないのですよ。
それにどいつもこいつも、微妙にお嬢様入っている気が。

まあなんだ、本来なら無関係のはずの他人の事件に首を突っ込むような遠慮の無さは、世間からズレたお嬢様ぐらいしかあり得ない、ということなのかもしれませんが。

Posted by amanoudume at 01:04 個別リンク | TrackBack(0)

2006年03月30日

ケータイ小説はタイトルが大切

まずタイトルを決めろ、話はそれからだ──というケータイ文学賞

携帯電話で読む「ケータイ小説」。ディスプレイは小さく、「画面上の限られた情報のみで購入を決めるため、タイトルのインパクトが売り上げを左右する」といい、CDの「ジャケ買い」のように「タイトル買い」する傾向があるという。

あー、それはそうかもしれません。
ブログのエントリーに近い感覚でしょうね。タイトルのつけ方ではてなブックマークの登録数が全然違ったり。
ボクも他人の書いたケータイ小説を読むときは、小説登録サイトから目を引くタイトルの作品を選びますね。
去年はケータイ小説を40本ぐらい書いたんですが、今年は0本だなあ・・・・。文章の練習にはなかなか良いんですけどね。

リアルの本にしても、タイトルのインパクト、わかりやすさ、そしてパッケージの装丁で売上が決まるといっても過言ではありませんからね。この辺りの感覚は、従来型のゲームの売り方では実感がわかないかもしれませんが、今後拡大すると予想される長期販売マーケットや、ダウンロード販売のマーケットでは、重要になるでしょうね。

Posted by amanoudume at 00:19 個別リンク | TrackBack(0)

2006年03月29日

ゲームはなかなか最後まで遊んでもらえないメディア

お二人のまとめが現状の的確な洞察

ここ数日、ユーザーの批評とクリエイターについての議論が一気に盛り上がった・・・・かどうかはよくわかりませんが、デジモノに埋もれる日々さんとNao_uさんのお二人がうまくまとめている、と思いました。

デジモノに埋もれる日々さん: レビューに貴賎なし - 客観的な「善悪」を付けたら止められない

しかし、多くの方々が感じ始めているように、そうしたカルチャは2ちゃんねるだけのものではなくなってきています。
(中略) 
 「2ちゃんねる化」とは何か?
彼らの叫ぶ「2ちゃんねる化」とは、すなわち「むき出しの批判」「むき出しの悪意」との対峙を迫られる事象のことに他なりません。

Nao_uの日記: 批判を作者に届けてしまうメディアの進歩の功罪

たぶんもう既に語りつくされているような話だとは思うけれど、現に2chやAmazonが存在していて、はてなブックマークのようなものを作ることが技術的に可能になっている時点で、喫茶店でのダベリトークレベルの批評や批判が製作者側に届いてしまうことはどうやっても避けられない。小学生レベルの批判や、ろくに触りもしないのに「クソ」と決めつけるような陰口はこういったメディアができるよりもずっと昔から変わることなく存在していたけれど、現在はさまざまな情報メディアの進歩によってそれが簡単に作者や他の聴衆にまで届くようになったというだけのことでしかないのだろう。
(中略)
このような現実は、それで飯を食っているような人間であれば諦めて受け入れるしかないのだろうけれど、だからといって趣味で創作物を作る人たちにまで同じことを要求するのは酷なことなのかもしれない。
まぁプロであれば、適応できなければ食っていけないという事だと思うんですよね。もはや世界は変わってしまったんですから。今さら過去には戻れません。


ゲームはなかなか最後まで遊んでもらえないメディア

もう1つだけ付け加えることがあるとすると、ゲームはなかなか最後まで遊んでもらえないメディアだということです。本や映画に比べて、最後までたどり着くのに時間がかかりますし、インタラクティブな娯楽ゆえに「難易度」や「作業」が発生して、途中であきらめてしまう人、途中で飽きてしまう人が出やすいんですね。

ゲーム開発では俗に、「○○分遊んで面白くなければ、プレイヤーは途中で投げ出してしまう」といわれます。ゲームのルールや楽しさをできるだけ短時間で、プレイヤーに伝える必要があります。例えば、カジュアルゲームのように規模の小さいゲームでは、「90秒でルールが把握できること」が大切と言われています。たしか、ボクの記憶では、ファミコン後期の時点ですでに、「ドラクエなら1時間ぐらいガマンしてくれるけど、無名のタイトルは15分が限界。それまでに派手なイベントで引き付けないといけない」というような開発者の発言が雑誌に載っていたはずです。

    ・ゲームの内容とルールを「わかりやすく」すること
    ・ゲームの序盤で、プレイヤーのモチベーションに火をつけること

ゲーム制作の何割かは、この2つを達成することにあると言っても過言ではありません。また、一般に名作といわれるゲームは序盤がよく出来ています。

ゲームは元来、「ユーザーがなかなか最後まで遊んでくれない」メディアです。シューティングゲームやアクションゲームが全盛の時代は、腕前が足りずに最後までたどり着けない人が多かった。その後RPGが日本で浸透したのは、誰でも時間さえ掛ければ最後までたどり着けるからです。しかしRPGでさえ、時間が足りなかったり、途中で作業が面倒になってしまい、やっぱり途中でやめてしまう人はいましたし、今もいるでしょう。

もちろん、他のメディアでも最後までたどり着かない人は存在します。買った本を最後まで読まない人だっていますし、映画だって途中で映画館を出る人はいます。しかし基本的に「最後まで読む/見るのが当たり前のメディア」です。

作り手としては自分の作ったものを最後まで遊んでほしい気持ちは強いですから、当然そうなるように作るわけですが、ゲームというジャンルの「難易度」という特異性がそれを阻むことがあります。RPGでも最後まで物語を進める前に、レベルアップなどの「作業」を要求します。ゲームというのは、本来なら最後まで遊んでほしい作り手自身が容易に最後まで到達させないような仕掛けを用意する、かなり特殊なメディアです。

ですから、ボクは1時間しか遊んでない人の意見も立派な意見だと受け止めるようにしています。自分の作ったゲームが最後まで遊ばれないという事はありますし、最後まで遊んでいない人の意見を読むこともあります。そういう人の意見は、もしかすると、世間様一般での「批評」の水準には達していないのかもしれませんが、最後まで遊ばなかったという事実がすでに1つの評価になりえる、と考えています。

例えば、「難しくてゲームが下手な私は全然先に進めません。つまらない」とか、「レベルアップが大変で、根気が続かない」という意見は立派な評価だと思います。同じようにゲームが上手くない人、根気のない人は、購入の際に大いに参考にできるでしょう。それはとても有意義なことです。

ゲームが上手な人やプレイする時間と根気のある人が、そういう意見を潰すことはできないと思います。しかしゲームが下手な人にアドバイスしてあげたり、その障害を突破したらどれだけ楽しいことが待っているのかを(ネタバレをせずに)嬉々として語って聞かせたり、時間を費やした先の面白さを語ることは可能です。またその結果、最後まで遊んでくれる人が増えることは、作り手にとってありがたいことです。

2年前のエントリーですが、関連する内容を挙げておきたいと思います。
定価分の満足

Posted by amanoudume at 23:39 個別リンク | Comments (4) | TrackBack(0)

2006年03月28日

BBBがアニメ化ってマジですか?

MOON PHASE 雑記 TVA「BLACK BLOOD BROTHERS」2006年放送予定。
おおおおおおおおおっ。
「あの、うそつきめ。」にして、「あの、うらぎりものめ。」なあざの耕平の吸血鬼小説『BLACK BLOOD BROTHERS』がアニメ化。一気に全巻読み返してしまいましたよ。


・・・・しかしどうせアニメ化するなら、原作の物語が佳境にも達していない『BLACK BLOOD BROTHERS』よりも、すでに完結している『Dクラッカーズ』のほうがいいと思うんですけどね。まぁ完結したシリーズよりも、現在進行形のシリーズのほうがアニメ化による売上拡大が見込めるし、色々と連動がしやすいんでしょうけど。

『BBB』は1巻ではまだ登場人物の数も少ないし、全体像が見えてこないでしょう。2巻以降、急激にキャラクターが増えますし、第一部にあたる3巻まで一気に読んだほうがいいです。とある事情の吸血鬼の兄弟が特区に上陸して数日の物語が第一部。過去編の4巻をへて、5巻からはいよいよ物語が本格的に動き出す第二部がまだ始まったばかり。完結はまだ遠いなあ。

『Dクラッカーズ』は麻薬と悪魔をめぐる少年少女の活劇モノ。なかなか尖がっていて良いです。この作家、ひねくれ者を描くのが上手で、悪役や好敵手が魅力的に描かれています。毎度毎度、主人公を食いかねな・・・・いや、食ってますね、正直。

Posted by amanoudume at 12:22 個別リンク | TrackBack(0)

2006年03月26日

ゲームソフトも本の売り方を見習ってもいい

ゲームソフトのダウンロード販売が当たり前になりつつある

ゲームソフトのダウンロード販売が次世代の販売チャンネルとして、急速に台頭しつつあります。

    ・SCEはPS3でHDDを前提にした開発を要請している。
    ・SCEはPSPのアプリのメモステ起動を容認する。
    ・マイクロソフトの携帯ゲーム機はHDDを搭載し、ダウンロード販売を
     前提にした物になる、と予想されている。

    ・欧米ではカジュアルゲーム市場が成長している。
    ・マイクロソフトはカジュアルゲーム市場の取り込みに積極的。
    ・任天堂のバーチャルコンソールにセガとハドソンが参入。

各プラットフォームホルダーの取り組みによって、ようやくメディアレスな時代が現実のものになりつつあります。10年前の予想(期待)に比べればかなり遅れたものの、それでも1つの「夢」が具現化しようとしています。今までは良いアイデアがあっても、「数千円の価値を作らなければならない」ために、数十個のゲームを寄せ集めたり、無駄なストーリーをつけたりと、本来の遊び以外の蛇足部分をたくさん作る羽目になり、本来作り手が楽しんでもらいたい部分以外を作るのに、ものすごく労力を使わなければいけませんでした。

健全なクリエイティブとライトウェイトな開発、低リスクな販売チャンネルが結びつき、ゲーム業界にとって大きな転換が起こることを強く期待します。フリーゲーム、同人ゲームでは、部分的には作家の名前でソフトが遊ばれ、買われています。ゲーム機向けゲームの世界でも、同じように作家の名前でソフトが買われる動きが広がったらいいな、と思います。


ゲームソフトの販売構造が変わりつつある

2005年、ゲームソフトの販売構造は大きく変わりました。DSのTouch Generations!の成功にともない、非常に長期間売れるソフトが市場に現れています。3月13日〜3月19日の週間販売データを見てみましょう。DSの『おいでよ どうぶつの森』、『脳を鍛える大人のDSトレーニング』といったソフトがいまだに上位にきています。『やわらかあたま塾』、『だれでもアソビ大全』も根強い。またDSの本体同時発売ソフトだった『さわるメイドインワリオ』『スーパーマリオ64DS』がいまだに50位前後に位置しつづけています。

こうした長期販売傾向はなにも任天堂1社に限りません。バンダイの『たまごっちのプチプチおみせっち』は100万本を越えて、なお根強く売れていますし、ナムコの『右脳の達人 爽解!まちがいミュージアム』もあっさり圏外に消えていった『クイズ野郎』とは異なり、粘り強く売れています。(『クイズ野郎』は論外な出来でしたが、『まちがいミュージアム』はなかなか良い出来で、かなり惜しい。あと一歩練りこめばさらに高い売上水準に届いたろうに)

長期販売は、継続的なテレビCMの効果もありますが、それだけで説明できるものではありません。実際、DSの成功タイトルは電車の吊り広告、ソフトを体験できるスポットの増加、紀伊国屋を始めとする書店でのソフト販売、山手線の電車内の広報など、テレビCM以外の告知チャンネルが目立っています(例外は松嶋奈々子のCMぐらい)。


ソフトのパッケージの役割が変わりつつある

長期間売れているソフトの特徴の1つは、本を意識したパッケージデザインになっている点です。DSの『アナザーコード』で「さわれる推理小説が誕生!」という本の帯を模したパッケージが始まり、その後Touch Generations!の『脳を鍛える大人のDSトレーニング』『楽引辞典』『やわらかあたま塾』はすべて、同じように本の帯を模したパッケージになっています。また、ソフトの中に折込チラシが同封され、同じ客層をターゲットにした作品を紹介しています。これも、本の世界と似ています。例えば、文庫本を買うと、必ず折込チラシが入っています。

近年のゲームソフトのパッケージ、特にPS2のパッケージは良くも悪くもお高く止まっているものが増えていました。映画の看板のような劇画調というか、作品の格調高さや重厚な雰囲気を伝えるためのものになっていました。本の帯のようなわかりやすさは、年々なくなっていました。一方、本の世界では、重厚な雰囲気のハードカバーにも帯がついて、わかりやすいコピーが書かれています。

それもそのはず、当時のゲーム業界ではゲームソフトの初週販売依存度が高く、ゲームソフトは発売1〜2週間で勝負するものという認識が当たり前だったからです。発売直前に最大限に盛り上がるように広報計画を練ります。言葉は悪いですが、ある意味、売り逃げ型のビジネスモデルといえます。

ゲームソフトはある時期まで、ゲーム雑誌のレビューや特集記事、テレビCMによってソフトを売っていく世界でした。そのため、パッケージはゲームの世界観や雰囲気を表すことが第一とされ、裏面の説明にしてもゴチャゴチャ情報を詰め込むのが当たり前でした。その結果、ゲームショップの棚を見ても、「どれも同じに見える」「ユーザーがタイトルの名前を知っているのが前提」でした。本とは真逆の世界です。

しかし本のように比較的長期間売っていく場合には、店頭での販売が重要になります。本の世界ではよほどのことが無い限り、なかなかテレビCMなんて打ちません。基本的には本屋の店頭で勝負する世界です。パッケージ、帯、折込冊子、棚の並べ方、書店員のポップ、・・・・。こうした事の積み上げが売上につながります。長期販売を狙うソフトはどれも、本の売り方から非常に多くのことが学べるはずです。


ゲームメディアの役割も変わりつつある

2005年に起きたゲームメディアにとっての最大の衝撃はなんでしょうか?
それは、ミリオンを軽く突破し、現在は200万本を目前に控えた『脳を鍛える大人のDSトレーニング』がファミ通のクロスレビューを受けていないという事実です。ライトユーザー、ゲーマー、ゲーム業界人の間で、最も話題になったソフトを、ファミ通はカバーできなかったわけです。

ここ数年、ネット上ではファミ通のクロスレビューの威信は地に落ちていました。大手ソフトメーカーとクロスレビューの点数が癒着しているという疑念は定期的に話題になりますし、クロスレビューを参考にしている人は減っているといわれています。また多数発売されるiアプリのゲームをカバーしきれません。大手ソフトメーカーのiアプリは掲載されるものの、ダウンロード件数の多いフリーゲームは無視されています。そしてトドメとばかりに、ファミ通のクロスレビューを受けていないソフトがダブルミリオンに達しようとしています。

もはやファミ通のクロスレビューは実売にはほとんど影響せず、ゲーム開発者のプライドを満足させることと、2chあたりの煽り合いの材料にすぎないことが証明されてしまいました。もしも大手ソフトメーカーがファミ通へのクロスレビュー提出をやめてしまったとして、はたしてそれで売上が落ちるんでしょうかね? じつは全然落ちないかもしれませんし、かえっておかしな悪評が立ちにくくなる分、売上が上がるかもしれませんよ。

これも本の世界に近い現象。専門誌を買ってまで本を選ぼうとする人は希少ですし、雑誌のクロスレビューで本を買う人もまずいません。


そろそろ賞というものを見直したほうがいい

数年前にも1度書いたことですが、ゲーム業界の「賞」はユーザーにとってあまりに無意味すぎます。本の世界ではまず新人賞があって、作家がデビューするための入口の役割を果たしていますし、本好きにとって受賞作品は新しい作家と出会う良い機会になっています。また、芥川賞・直木賞は本の売上にダイレクトに結びつきますし、受賞作家は新聞連載を始め、仕事の機会が多くやってきます。賞というものが作家のステップアップとして機能しているわけです。

例えば、直木賞を受賞すると、その作家の作品はすぐに帯が差しかわり、「直木賞受賞作品!」であることが大々的にアピールされます。ゲーム業界ではこういう事は起こりません。ゲーム雑誌の片隅や、ゲーム系サイトの1ページを飾るだけで、ゲーム業界人のゲーム業界人によるゲーム業界人のための賞でしかありません。完全に「内輪受け」の世界です。

ボクはこういう賞なら不要だと思います。そんなものはただの文化気どりです。賞というものはクリエイターにとって「内輪受けの栄誉」ではなく、着実なステップアップにつながってほしい。そもそも賞というものがどれぐらいあるかというと、「東京ゲームショウのなんちゃら賞」「文化庁マルチメディアグランプリ賞」「Game Developers Choice Award」と、あとは海外のナントカ賞(ゲーム業界の自称アカデミー賞らしいよ)、プラットフォームホルダーのほにゃららプライズ。そんなところかな?

率直にいって、こういう「賞」はユーザーにとって、あまりにも無関係すぎます。
例えば、ついこの間「Game Developers Choice Awards」が発表され、『ワンダと巨像』が5部門で賞を獲得したほか、『nintendogs』がTechnology部門で受賞しています。他にも『みんな大好き塊魂』『おいでよ どうぶつの森』『バイオハザード4』など、日本勢の作品が何本もノミネートされています。

この賞は世界中のゲーム開発者が選んだ・・・・と言いたいところですが、それはさすがにウソで、IGDA(国際ゲーム開発者協会)メンバーのゲーム開発者が投票で選んだものです。日本ではIGDA加盟者がまだまだ少ないので、基本的には欧米のゲーム開発者が選んだ賞といえるでしょう。ボクも選んだ覚えは無いし、実際、日本だったらこうはならないだろうな、という結果になっています。
海外で評価されているという点では、意味があります。しかしそれがユーザーにとって、どんな関係があるのでしょうか? 興味を示している人がどれだけいるんでしょうか?

ボクはぜひとも、SCEには『ワンダと巨像』をもう一度テコ入れしてほしい。賞をきっかけに販売をテコ入れするのは、確かにゲーム業界では通常ありえません。しかし本の世界では当たり前のことです。今いろいろなことが変わりつつあるゲームの世界において、新しい一歩を踏み出してほしいですね。

そういえば、先日D3パブリッシャーの「SIMPLEシリーズ Awards 2006」が発表されましたが、いわゆる販売ランキングにはなかなか浮上してこないものの、息長く売れているソフトにスポットライトが当たる良い機会でした。しかしこの記事を読む人たちは、SIMPLEシリーズの客層と必ずしも一致しているわけではありません。賞を利用して、店頭においてさらなる販促を行ってもいいかもしれません。

とはいえ、たぶんそういうことをしても、まず売れないでしょう。そんなもんです。しかし何ごとも最初はそんなもんです。本の世界では『このミス』がかなり力を持っていますが、あれも最初からそうだったわけではありません。実際の販売につながったから、力をつけたんです。最近では全国の書店員が選ぶ「本屋大賞」というものが出てきて、「本屋大賞」を獲った作品が売れたので、従来の伝統的な小説賞がビビったという話があります。本の世界では、いまだに賞を生かす、育てるということが機能しています。

賞というものは、制作者や業界人の内輪受けのためにあるものではなく、表面だけ他のメディアをなぞってもしょうがない。ユーザーに関心を持ってもらうことで大きく育っていきます。ゲーム会社ならびにメディア、流通が努力して初めて、生きた賞に育ちますし、結果的にそれが新しいチャンスを生み出すのです。ボクはなにも文化的な価値を訴えているわけではありません。そういう積み上げが今後の長期販売マーケットや、ダウンロード販売の時代に意味を持ってくる、と考えているのです。種まきですよ、種まき。しかしなかなか理解されないかもしれませんね・・・・。

Posted by amanoudume at 20:10 個別リンク | Comments (6) | TrackBack(2)
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Excerpt: Valve、BioWare、MSなど業界の先駆者たちが語るデジタル流通の今後【GAME Watch】 なんか変な論争。 アメリカの広大な地域での流...
Weblog: Battle Online
Tracked: 2006年03月27日 00:18
ホーム/2006-03-28
Excerpt: おはようございます。本日は曇りのち雨とのことで、公園の桜が散ってしまわないか心配です。また、今朝体重を量ったら400グラム理由もなく落ちていたので、ちょっ...
Weblog: とんかつ3号 隠れ亭
Tracked: 2006年03月28日 08:09

2006年03月25日

「クソゲー」という言葉を受け止められない人間がゲームを作るな、と言いたい

批判の仕方/受け止め方

作品への批判の仕方についての議論が盛り上がっているご様子。

naoyaの日記 「作品を批判すること 」

何がそんなに頭に来たかというと、単に自分が面白いと思ったものを批判されてるからというわけではないです。そうじゃなくて人が一生懸命作ったものを安易にクソゲーだとかいってボロクソに書く無神経さが許せない、という感じです。それはもちろん、僕がしょぼいながらもクリエイターというところに起因しているように思うけど。
(中略)
なので、人が作った作品が安易な批判にさらされてるのを見ると嫌な気分になる。作品を批判するということは、その作り手に対して想像以上のダメージを与える行為だから。

Nao_uの日記 「 いいモノを作るためには適切な批判が必要」

極論ではあるけれど、仮にターゲットである人たちの大部分から「良い」と思ってもらえないような独りよがりな価値観の人であるのなら、本人がどう思うかはともかくあまり「クリエイター」と名乗るべきではないように思う。その批判が作品への批判なのか人格への批判なのかが問題なのではなく、「出来上がったものを見て他人がどう感じたのか」こそが一番の重要なポイントなんだろう。
(中略)
それでも、問題点の指摘は必要だし、批判の無いところからはより良いモノは生まれてこない。

ボクは断然Nao_uさんと同意見です。プロのクリエイターはどれだけ口汚い罵倒であっても、批判を受け止めるのが当たり前です。受け止めたうえで、その意見を反映させるかどうかは別ですが、目を閉じたり耳を閉ざしても仕方ありません。現実は変わりません。

世の中には色々な考え方の人がいます。あちこちのゲーム開発者のブログを見ても、この「批判への姿勢」はじつに様々です。ですからボクの意見が絶対に正しいとはいいません。あくまでボクの考え方の表明です、これは。


批判を受け止めるのがプロ

世の中のクリエイターと呼ばれる人々の中には「繊細な」人がいらっしゃって、「ただのクソゲー。つまらん」みたいなストレートな感想にぶつかるとひどく傷ついてしまって、「そんなもん、安易な批判じゃないか」と思考停止してしまいます。また、実際に遊んだのか遊んでないのかを知る手段なんてどこにも無いのに、アンチがユーザーの振りをして叩いていると決め付けたりします。

たしかにネットにおいては、ただ批判するのが趣味な人もいれば、叩くのが自己目的化している人もいるでしょう。しかしだからどうしたのか? そんなもん、ユーザーの勝手なんですよ。そうした意見を読んで、心が傷つくようなプロのクリエイターは、さっさとブロークンハートして、会社を辞めるなり、業界を去るなりしたらいい。

「クソゲー」というのは最短の感想ですよ。大体、娯楽なんてものは究極的には、面白いか、つまらないか、どちらかなんです。「このゲーム、おもしろ」という一言も、百万言費やしてダラダラ誉め言葉を並べたレビューも等価です。「超クソゲー、やめた」という残酷な一言も、一千万言費やしてあらゆる角度から問題点を指摘した解析的レビューも一緒です。

作った側としては、具体的にどこが面白かったか、どこがつまらなかったかを詳細に指摘してもらえれば、次に活かせるからありがたいというだけなんです。自分で長所・短所を見つけるのは、特に客観的に評価するのは意外と骨ですからね。こっちの仕事が楽になるわけですよ。でもそれは「望外の望み」というやつです。棚ボタです。本来感想なんてものは、面白いかつまらないかです。感想に貴賎はありません。いつから「クリエイター様」はそんなに偉くなったのか。


娯楽ってのは面白いか、つまらないか、ただそれだけです

あのですねー、例えばファミコン時代の名作として『ファミスタ』や『スーパーマリオ』がありますね。でもね、ボクはゲームが下手くそな人間で、小学生の頃にはもっと下手くそで、ファミスタで三振ばっかりなんです。9回までやって、1回しかバットを当てられなかったり。ボールが前に転がっただけで、「おっ、おまえwwww今日、うまいじゃん、成長したねプププププ」なーんて、友達に笑われていたわけですよ。『スーパーマリオ』だって、ワープ使っても全然クリアできません。はじめてクリアしたのは中学に上がってからですよ。

そんな人間ですからね、「なんだよ、このクソゲーは・・・・」「ナムコや任天堂って、クソゲーばっかりだな」なーんて思っていたし、言っていました。大体、あの頃の子供は、何らの罪悪感もなく、「クソゲー、クソゲー」連発していたような気がします。一方、今は小学生や中学生だってネットにつなげられて、意見を好き放題書ける時代です。するとあの頃のボクがここにいたら、2chやアマゾンに「ただのクソゲー」と書き込んでいたかもしれません。

タチの悪いクソガキですよ、あの頃の俺。
でもなー、そんなもんでしょ、遊ぶ側なんて。別にかしこまって、正座して、眉間にしわを寄せて、偉大なるクリエイター様のお作りになったスーパー・クリエイティブ作品を遊ばせていただくわけじゃない。パンツいっちょで、ダラーっと寝っ転がりながら遊んで、適当に飽きたらコントローラ投げ捨てて終わりでしょ。

そんなもんだろ、娯楽ってのはさ。そういうことに何か適当な言葉をくっつけて、「批評でござーい」とか「分析でござーい」とか、カッコつけてどうするの? 金出して買ってなくたって、友達の家に行って、ちょっと遊んで「おまえ、こんなの、買うなよ、バッカじゃねw」とか、「これ、つまんねーwwwwww」とか好き放題いう。店頭でゲームを見て、「なんか、これつまんなそう」とか、「相変わらずクソゲーばっかだな」とか、ゲラゲラ笑う。そんなもんでしょうが。ゲームショップの前でかしこまって、礼儀正しくゲームを語るお子様がこの地球上のどこにいるんだよ?

実際、20年前のクソガキ君が今こうしてゲームを作る側に回っていたりするわけで。そんなもんでしょうが。


結局は器の大きさの問題ですよ

ボクは『ファミスタ』のクリエイターに向かって「三振しかしないよ、あんなの。すげー、むかつく」と言ったことはありませんし、そもそも言う機会もありません。『スーパーマリオ』のクリエイターに向かって「あんなの、難しくてできねーよ。クソゲーじゃねーの」なんて言ったことはありませんし、言う機会もありません。しかし仮にそういう機会があったとして、そう言ったところで、これら名作を生み出した方々はちっとも怒らないと思いますね。ハートがブロークンしたりしないでしょう。

だって結局、小僧だったボクはぶー垂れながら遊び続けてたわけですよ。『スーパーマリオ』にしても、中学に上がって、ある時暇つぶしに遊んだらクリアできちゃいましたしね。ずっと遊び続けていたり、ふっと思い出して遊んでみたり。これって、クリエイターの勝ちですよね。まぁ本当は、勝ちとか負けじゃないんですけど。しょせん掌の上って感じ。

要するに娯楽ってのは、ユーザーに「面白い」と思わせるものであって、「面白い」と言わせるものではないし、ましてや「面白い」という一言を百万言のレビューをもって語ってもらうものでもないんです。娯楽のクリエイターってのは「おもしろテスト」を受けて、審査官たるユーザーに点数をつけてもらうために仕事してるんじゃない。点数だの、言葉だのがほしいやつは、小学生に戻ったらどうよ。小学生なら学校のセンセーが「よかった探し」をしてくれるよ。

結局は作品の器の大きさ、クリエイターの器の大きさの問題なんですよ。
たとえ10歳の頃に「つまんねー」と思われても、15歳になったらハマってたみたいな。例えば、そういうもんでしょ、名作って。懐が深い、キャパシティーが大きい、ポテンシャルが大きい作品には、そういう現象を起こす力があります。表層的な言葉や点数に踊らされるのって、結局、作品やクリエイターの器が小さいだけなんですよ。

なんていうか、今回の『FF12』のレビューの件に限らず、器が小さい話が多いよな、最近。いいじゃないの、批評家きどりのゲーオタ君に「クソゲー、クソゲー」言われたってさ。ぶーぶー言いながら、結局最後までやっちゃって、「あれ? お前、文句言ってなかったっけ?」とか仲間に突っ込まれる。で、批評屋ゲーオタ君が「ま、まあ、遊べないことはないからね。ひまつぶしにね・・・・クソだけどさ」なんて、顔赤くして呟いたら、もうシメたもんじゃないですか。

そんなことより、YouTubeあたりで動画を観て、「俺、ムービー観たから遊ばなくていいや。面倒くさそうだしw」とスルーしちゃうようなユーザーがいるかどうかのほうが、よっぽど大問題ですよ。

クリエイターなんてのは、完成させるまで、世の中に出すまでは、そりゃ眉間にしわを寄せてしまうような事もありますけどね、キーキー言って、ワーワー叫んで、ギャーギャー議論するもんですけどね、いざ世の中に出したら、ドーンと構えるしかないんですよ。面白いものを作った自信が本人にあれば、ハートがブロークンしたりしません。どこかに隙があれば、そりゃ心が泣けてくるのかもしれませんが。結局はクリエイター本人の問題ですよ。

Posted by amanoudume at 01:37 個別リンク | Comments (17) | TrackBack(8)
好き・嫌い
Excerpt: 同じ物作りなので、興味深く読み進めた以下の記事。 発熱地帯「クソゲー」という言葉を受け止められない人間がゲームを作るな、と言いたい」 において、 You...
Weblog: Baiasuka's webpage
Tracked: 2006年03月25日 05:21
ちと考えたり?
Excerpt: 面白いと言うか、そらそうだろーな記事見つけたので貼っておくね。 クリエーターがなんやかんやの話。 うんうん。と思いつつ途中でFF12の話になってて...
Weblog: PletiO
Tracked: 2006年03月25日 16:34
[さんま] クリエイターは「批評されること」そのものを問題にしているのではない
Excerpt: 作品を批判すること(naoyaの日記) 「いいモノを作るためには適切な批判が必要」(Nao_uの日記) 「クソゲー」という言葉を受け止められない人間がゲ...
Weblog: 昨日の風はどんなのだっけ?
Tracked: 2006年03月26日 03:40
[ゲーム]それは仕事全般に言えること。
Excerpt: http://amanoudume.s41.xrea.com/2006/03/post_181.html ■個人的にはDAKINIさんの意見に賛成。という...
Weblog: Winterfield Ashhorse
Tracked: 2006年03月26日 12:47
レビューに貴賎なし - 客観的な「善悪」を付けたら止められない
Excerpt: 日曜コラムです、こんばんは。   先週の後半から一気に噴出した議論があります。 naoyaさんがFF12のAmazonレビューに対して、   「無神経な批...
Weblog: デジモノに埋もれる日々
Tracked: 2006年03月27日 12:08
これがお前の物語だ!雑記
Excerpt: 今回のFF12は批判が多いみたいですね。(毎度の事だけど http://naoya.g.hatena.ne.jp/naoya/20060323/11...
Weblog: Wrecage of Diary
Tracked: 2006年03月27日 21:02
本編より熱い? FF12論争
Excerpt: 事の始まりはAmazonのレビューについて、伊藤直也氏が噛み付いたのがキッカケ?...
Weblog: Todasoft Blog
Tracked: 2006年03月27日 22:08
FF12事変:批評に関する諸々の事柄
Excerpt: naoyaの日記:作品を批判することhttp://naoya.g.hatena.ne.jp/naoya/20060323/1143099465 FF12は...
Weblog: Thinking on the Midair
Tracked: 2006年03月29日 00:05

2006年03月23日

越境の時代

ライトから一般向けへ 人気作家の“越境”続々

若者向けで実力を磨き、大人向け小説で活躍する例は過去にも多い。80年代に全盛だったコバルト文庫などの少女小説から唯川恵、桐野夏生らの近年の直木賞作家が登場、森絵都、あさのあつこら児童文学のスター作家が一般小説に進出してきた。ライトノベル出身作家の活躍も、それに続く動きになるかもしれない。
まったくその通りで、ライトノベルから一般小説に舞台を移す流れがますます加速していくと思います。
ライトノベル出身の作家が高く評価されるようになった先例といえば、直木賞を受賞している村山由佳や、乙一でしょうか。村山由佳は『もう一度デ・ジャブ』で、「ジャンプ小説・ノンフィクション大賞」の佳作を受賞し、その後ジャンプノベルで『おいしいコーヒーのいれ方』シリーズを執筆しています。乙一は『夏と花火と私の死体』で、同じくジャンプ小説大賞からデビューしています。2002年の『GOTH』で一気に脱ライトノベルに成功した感があります。

両氏とも、ライトノベル界の花道は歩んでおらず、もともと一般小説よりでした。ジャンプノベルというライトノベルの辺境出身なのは興味深いですね。まさしく「変革は常に辺境から起こる」の実例か。

橋本紡オフィシャルblog 「パスタと越境。」

今のライトノベルはパラダイスです。さまざまな「実験」が容認され、読者がそれをおもしろがってくれる。作家と読者の距離の近さ。市場の密度。ジャンルとしての熱気。ライトノベルで一定以上の支持を得た人間は、その外に出たくなくなってしまう。

僕自身、正直に言ってしまえば、ずっとライトノベルだけ書いている方が楽です。バカなことしてるね、とライトノベル関係者から言われることもあります。半分の月の続編を書いておけよ、と。

それでも外に出たがる作家が現れてきていることが、逆にライトノベルのジャンルとしての成熟を表しているのかもしれません。

越境する作家、橋本紡の一般小説第1作、『流れ星が消えないうちに』。ライトノベル的なケレン味を完全に捨てた作品で、一般小説としてもかなり地味。死者の思い出に浸っているという点で、似たようなセカチュー以上に感傷的な印象を受けます。ていうか、もっとずっと地味です。エアーズロックのような装置を持ち出すような派手さも無いし、童貞を捨てるまでの俗っぽいあれこれも無いし。もっと大人向けといえるかも。

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2006年03月21日

Viva Pinataあるいはレア2.0か

北米のファミリー市場を取りにきたマイクロソフト

  ・米Microsoft、Rareの新作「Viva Pinata」を発表 2006年末に全世界で発売予定
  ・XNEWS Games -Viva Pinataについてシェーン・キム氏のインタビュー-
社内ブログではちょっとしか触れなかったのですが、このソフト、けっこう注目しています。
ぬいぐるみっぽい四角い毛(Fur)の質感がとてもユニークです。シェーダーの善用例。PS3的な絵作りとは方向性が異なるものの、次世代機という水準を満たし、明るくて楽しそうな雰囲気がよく出ている素敵な絵作りです。前世代機でしつこく毛(Fur)にこだわってきた1つの成果かもしれません。

日本で受ける造詣かといわれればたぶん受けないでしょう。けれども北米ではアニメも展開するようですし、コアゲーマー以外の市場を取る!というマイクロソフトの強い意気込みを感じます。初代XBOXの時は、お膝元の北米でさえ、ファミリー市場への進出が不十分でした。いよいよ本気で乗り出すつもりでしょう。ファミリー市場といえば任天堂ですが、ここ数年北米では退潮傾向が鮮明になっていますから、他陣営が「根こそぎ奪い」にきたら、厳しい結果になるかもしれませんね。まぁそれはそれで運命でしょう。


欧米のゲーム開発者の路線転換のきっかけになる?

『どうぶつの森』の影響を色濃く感じますが、元々レアは任天堂と蜜月関係にあった開発会社ですから、自然な影響でしょうね。それにしても、従来のレアの路線である3Dアクションゲーム、FPSとは方向性が大きく異なります。良くも悪くもマニアックだったレアが、このソフトをどう仕上げてくるのか、どれぐらいゲーム1.0っぽいのか2.0っぽいのか、興味深いです。

面白いのは『どうぶつの森』のフォロワーとも言えるタイトルが、日本ではなく欧米から生まれつつあることです。しかしよく考えてみれば、欧米ではすでに同じような傾向のゲームとして、ウィル・ライト氏の手がけた『シムズ』があります。海外において『シムズ』シリーズは大成功していますし、『シムズ』のフォロワーといえるタイトルも何本も出ています。また、MMORPGのような仮想世界での生活を楽しむゲームもかなり浸透しています。日本以上に、開発者がライフ(生活)ゲームを受け入れやすい、作りたがる土壌が存在したのかもしれません。

もっとも、PCゲームに詳しい人に言わせれば、なにを今さら・・・・ではあるのでしょう。PCでは伝統的に、シミュレーションゲームが数多く発売されていましたから。もっとも欧米のコンシューマ市場では、あまり成功例がなく、PCゲームの劣化移植がせいぜいでした。というのは、テレビの解像度がPCのディスプレイに比べて格段に低かったり、ゲーム機がネットワークに繋がっていなかったり、良い入力デバイスが無かったりしたためです。

次世代据置ゲーム機になると、こうした問題点のいくつかは改善されますから、PCで培ってきたその種のゲーム資産を活用できるようになるでしょうね。コンシューマーゲームの開発者にも、ゲームデザインの幅を広げようという動きが出てくるかもしれません。レアの『Viva Pinata』はその先触れになるのかも?

欧米のコンシューマーゲーム開発者にはいつまでも、映画版権とスポーツゲームとFPSばかりに目を向けていてほしかったんですがねえ。いつまでも好きなだけレッドオーシャンで泳いでいてくれよなー。欧米ではパブリッシャーの統廃合が進んだり、パブリッシャーが保守的な案件を好むようになったため、企画の自由度が低下していました。そこが日本勢のつけ込む隙だったんですけどね。ふーむ。


蛇足
日本でも、企画の自由度が上がってきた会社が元気ですよね。狭い意味でのゲームの縛りから脱した任天堂。『ムシキング』『おしゃれ魔女』やセガトイズ関連もふくめて全方位に「数撃ちゃ当たる」ができるようになってきたセガ。一方で、企画の自由度が低下している会社は危うげなムードになっています。何でもかんでも『無双』一色になっているコーエーや、予算を厳しく縛りすぎて企画の自由度が低下しつつあるコナミ、ナムコ。

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2006年03月19日

日曜日の読書

日曜日の読書。

1.ブラック・ラグーン5

ついに5巻が発売。ロックの日本里帰り編もこの巻で完結。日本の出来事とは思えないぐらいの銃撃戦。人が死にまくり。戦争マニアがやることはどこでも変わらないってか。

『ブラック・ラグーン』は、日本の商社のサラリーマンが運び屋兼海賊のラグーン商会に人質にされ、会社からは死んだ人間として見捨てられてしまったものの、機転とやけっぱちの度胸をきかせて生き残り、暴力と犯罪の世界に踏み込んでいく物語です。

拳銃マンガ大好き人間には間違いなくオススメできます。『ヘルシング』のような戦争狂気も存分にブレンドされていて、撃撃撃撃撃撃撃撃撃撃撃のアクションシーンは爽快の一言。その一方で、裏社会のやりきれない現実も描かれています。4月の新番組でアニメが始まりますが、どこまでそのまま描くんでしょうか。いやー、楽しみです。


2.C.M.B.

推理マンガの名作となった『Q.E.D.』シリーズの姉妹編にあたる新シリーズ。『Q.E.D.』が大好きな人は読み逃しのないように。どちらも読んだことのない人には、とりあえず『Q.E.D.』をオススメしておきます。基本構成として、1冊につき2つに事件を描いています。推理物としてなかなか読ませますし、1つのエピソードで巻をまたぐこともないので読みやすい。
『Q.E.D.』はちょうど最新刊23巻が出たところです。


3.サンダーガール

あ、ちなみにまだ買ってません。手を出そうかどうか思案中。
この作家の前のシリーズ『吸血鬼のおしごと』は、途中で読むのやめちゃったんですよね。すげー、ダーク展開に向かってたんで・・・・。ヒロインの顔、すり下ろしとか。で、今日本屋で最終巻をぱらぱらっと立ち読みしたら、やっぱりダークエンドでしたorz まぁ1巻の頃から、そういう「匂い」はあったんですけどね、ダークな終わり方しかできないタイプなんじゃないのか、この人。

『サンダーガール』も一見、元気の良さそうなタイトル&イラストですけど、あっという間に鬱展開になりそうで。いや、むしろ、いつ暗黒面に落ちるかドキドキの緊張感を楽しむのが真のファンなのか。今度は「グロ作家」の汚名(?)返上でがんばってほしい気が。ネットでの2巻までの感想を読む限り、今のところは大丈夫みたいですが・・・・。

別に、終わり方がバッドエンドな小説は嫌いではないんだけどね。ライトノベルの場合は、王道を外している感が強くて、イヤなのかも。馳星周あたりの暗黒小説はジェットコースターのように落ちていく感覚がたまらないんだけど、この作家の作品はそういう「落ちる快感」も無いしなあ。

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2006年03月18日

終わらない物語は読者の願望だが、同時に読者を疲弊させる

土曜日の読書。

1.とある魔術の禁書目録7
魔術と科学の2つが存在する近未来を舞台にした異能バトル物の第7巻。このシリーズは巻によって、魔術師が主体の事件と超能力者が主体の事件が起きます。この巻は魔術師がらみの話で、十字教の各宗派が色々と登場。イギリス清教、ローマ正教、天草式十字凄教の3つの魔術組織が1人のシスターを巡って争います。展開はあまり意外性は無いかな。それでも最後にみんなが教会に集まってくるあたりは、やはり盛り上がります。相変わらず熱い。

2.とある魔術の禁書目録8
3巻、5巻の続きの超能力者がらみの事件。
主人公がいつもと違う点が新鮮。熱い話ってのは根本的にはマンネリズムだから、飽きさせないで読ませ続けるのは大変です。しかし今の所は、なんだかんだで毎回読ませてくれます。

でもシリーズ全体の物語は、そんなに進んでません。ていうか、終わりってどんな感じになるのかもよくわかりません。学園都市の秘密が明らかになったり、学園都市理事長が表舞台に上がってくるのはまだまだ先の事になりそう。飽きないうちに終わらせてくれることを期待しておきます。

3.リアルバウトハイスクール13
番外編的な「サムライガール・天魔降臨編」が終了。大風呂敷を広げていた割にあっさり終わってしまいました。そして南雲慶一郎の妻、烈飛鈴(リー・フェイリン)がいよいよ登場。嫁が出てきたところで、ラブコメ分が足されたりしないのがこのシリーズらしい。

しかし本が薄い・・・・。166ページって。
物語全体としては、この間、中ボス京極を倒したことだし、今後はラストバトルに向かって進んでいくんでしょうが、20巻ぐらいまでは引っ張りそう。

4.まぶらほ 〜ふっかつの巻・ほくとう〜
富士見ファンタジア文庫は基本的に、長編でシリアスに物語を進行させ、(ドラゴンマガジン連載の)短編集で番外編的な読みきりを連発するスタイルです。その中で『まぶらほ』は長編がちっとも面白くなくて、いつのまにか短編が主体になってしまった例外です。短編のこの永遠のマンネリズムっぷりは凄まじい。たぶん作者は終わらせるつもりはなくて、人気が磨耗しきるまでずっとこのまま続けるつもりなんじゃないか、と思います。まぁマンネリというのも悪い物ではなくて、気楽に読めるんですが。

それはそうと、富士見の長編と短編の同時進行という方式は、もはや足かせになっている気がします。というのは、毎月短編を書くのに作家のパワーが割かれて、長編の進行が遅くなったり、短編があまりにもマンネリすぎるからです。

富士見に限った事ではありませんが、ライトノベルで一番問題なのは、物語がなかなか終わらないことです。人気が無くて3巻ぐらいで続きが出なくなるか、人気があって10巻を超えても全然終わらないか。人気のある作品はなるべく引っ張りたいのはわかるんですが、そのためにいつまでも付いてきてくれる読者しか残らなくなって、読者層が限られてしまうのは問題です。いつまでも終わらない物語はある意味で読者の願望ですが、同時に読者を疲弊させます。

きちんと終わらせたほうが作品の最終的な評価は高くなると思うんですけどね。例えば、あざの耕平『Dクラッカーズ』の評価が高いのも、いい所できちんと終わったからでしょう。今やってる『BLACK BLOOD BROTHERS』はかなり大風呂敷を広げているだけに、10巻は楽に超えそうなのが怖いですね。

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2006年03月17日

結局、買ってません。

気がつけば発売日。

ゲーム系サイトを見ると、何となく、PS3発売延期に話題を持っていかれた気がしつつ。
すでに200万本以上を出荷!『FF XII』発売/Gpara.com:ゲームニュース
とはいえ、初回で200万本以上を出荷しているあたり、さすがの一言。

「完成まで莫大な時間と人をかけてきました。いろいろとありすぎて、一言では言えませんね」と話し「振り返るとタイトルを発表した2000年の時には、オンラインゲームでした。その後、オフラインとなり、紆余曲折があって本日に至りました」と感無量といった様子でコメントしていた。
そういえば、オンラインゲームになるはずでしたか。FF11をオフラインにしたような・・・・という意見を耳にしますし、その名残りはあちこちに見受けられるのかもしれませんね。

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ホーム/2006-03-17
Excerpt: おはようございます。いやぁ、昨日はあまりにも外の風邪がうるさくて何度も夜中に目が覚めてしまったんで、少々寝不足気味です。ホント、窓ガラスとか割れるんじゃな...
Weblog: とんかつ3号 隠れ亭
Tracked: 2006年03月17日 08:15

2006年03月16日

そして現実に

Game Watch:「PS Business Briefing 2006 March」開催。久夛良木氏、PS3の11月上旬全世界同時発売を実現するための施策を説明
うちのブログでも去年の秋から「普通に考えたら出ない」と書いてきましたし、様々な人々が「春には出るわけない」と散々言っていたので、正直今さら感があります。特に目新しい情報は無いですね。
  ・11月上旬に全世界同時展開
  ・1ヶ月で100万台の生産体制にチャレンジ
  ・2007年3月までに600万台が目標
  ・HDDには標準対応。脱着式。標準搭載するかどうかは言及せず。ソフト側はHDD対応を前提としてほしい。
   2.5inchのシリアルATA規格の60GB
  ・次世代HDMIのサポート
  ・ネットワークはハード発売時期にあわせて導入したい

かなりXBOX360およびXBOX Live!を意識していますね。脱着式HDDへの標準対応を表明し、ネットワークサービスをハード発売と同時期にスタートというのは、XBOX360を連想させます。基本的にはXBOX360の映像をもっと綺麗にしたもので、その上でPSブランドとか、PSシリーズの互換性、といった付加価値がつくので、XBOX360には勝てる、という戦略なのでしょう。欧米市場の大きさを考えれば、対XBOX360を意識した内容もうなずけます。

一方、日本ではXBOX360が初代よりも厳しい状況ですから、事実上PS3とレボリューションの一騎打ちになります。とはいえ、この両ハードは目指している方向が明らかに違いますから、本当に一騎打ちになるのかどうか。
  土俵その1: PS3 対 アップル(リビング製品) 対 XBOX 360
  土俵その2: レボリューション 対 DS (対 従来型の据置ゲーム機)
という気がします、何となく。

PSPについては、ソフトのメモステ起動、GPS対応、テレビ電話機能、公式PS1エミュレータなど、色々と話題は打ち出したものの、どれも開始時期が秋以降と遅く、パンチが弱いのは否めません。携帯ゲーム機のシェア争いは事実上決着がついたため、今後PSP専用タイトルが増えにくいと予想されます。ソフトメーカーが離れていっても、コンテンツを維持できるようにするための施策、という印象ですね。
「ところで『GT Mobile』ってどうなったの?」という質問は禁句ですか?

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3月15日のPS3&PSPの発表についてのまとめ
Excerpt: なんかどっかにいいまとめないかなぁ~と考えていたら 発表を伝えるまとめとしていいページをみつけました。
Weblog: 社会人ゲーマの日々
Tracked: 2006年03月16日 07:15
ホーム/2006-03-16
Excerpt: おはようございます。昨日、家の前の公園で、桜の木がつぼみを膨らませているのを確認しました。花見は着実に近づいてますよ、みなさん。レジャーシートやその他の手...
Weblog: とんかつ3号 隠れ亭
Tracked: 2006年03月16日 08:22

2006年03月14日

最近読んだライトノベル

先週末に読んだライトノベルはえっと・・・・。

1.とらドラ!
『わたしたちの田村くん』の竹宮ゆゆこの最新作。『田村くん』が面白かったという人は絶対買い。相変わらずテンションの高い、勢いのある文章です。エロゲーライター出身の作家(桑島由一、竹宮ゆゆこ、ヤマグチノボル)は、文章がどこか似ているなあという気がするんですが、何だろう、テンションかな? この3人では読みやすさでは桑島由一、テンション(ノリ?)は竹宮ゆゆこが優れているかな。

2.とある魔術の禁書目録(インデックス)
3.とある魔術の禁書目録2
4.とある魔術の禁書目録3
5.とある魔術の禁書目録4
6.とある魔術の禁書目録5
7.とある魔術の禁書目録6
「熱い話」とは聞いていたんですが、本当に熱い。ぶっちゃけそれ以外の部分は欠点だらけな気がしますが、ここまで毎回毎回熱いバトル話を書けるなら、それはやっぱり才能です。

8.リリアとトレイズ〈3〉イクストーヴァの一番長い日〈上〉
正直、『アリソン』で終わっておけばよかったと思うんですが。惰性で買ってます。いやー、でも次で終わるよねえ。さすがに。

9.半分の月がのぼる空 one day
5巻と6巻の間のエピソードです。
裕一と里香の退院する日、ふたりで花見に行った日の出来事が50ページほどの絵本として綴られています。

10.ROOM NO.1301 しょーとすとーりーず・つー
番外編のエピソードをおさめた短編集。あとがきでは、ついに9巻で鈴璃が登場する宣言がなされましたよ(本編の少し近未来を描いた1巻と2巻のプロローグで登場したのみで、本編の時間軸には未登場。それ以後、あとがきで作者とトークするだけの役目に・・・・)。ちなみに現在は7巻なので、あと2巻です。がんばれ!

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2006年03月11日

SOS

『涼宮ハルヒの憂鬱』のオフィシャルサイト
このサイトが大変話題になっているわけですが、原作を知らない人にはいったい何のサイトなのか訳がわかりませんよね、きっと。
そもそもSOS団ってなによ?という感じでしょうし。
カウンターが絶対に2桁なことや、ソース見ると generator が HARUHI HP EDITOR 0.1 になってることなど、あちこちクオリティ高いっす。

アニメは『フルメタルパニック』同様、原作者の谷川流氏が構成原案およびアニメオリジナルの脚本を担当。さらに京アニの『AIR』のスタッフが制作を担当。すげえ気合いだ! ライトノベル原作アニメの最大級の大物物件だけに、期待は否が応でも高まりますが・・・・。

4月からアニメが放映開始されるので、今のうちに原作を読んでおくのも良いと思います。ちなみに主人公のキョンがSOS団のサイトを立ち上げる話は、初短編集『涼宮ハルヒの退屈』に収録されている「ミステリックサイン」です。

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2006年03月10日

結局、FFを買うの?買わないの?

「FF12は買うよ! クリアしてる時間無くても絶対! ガキの頃から洗脳されてるんだし、外せないよね!」などと言っているうちに、発売日が近づいているわけですが、いまだに予約してません。近所のコンビニのレジにPOPが飾ってあって、見るたびに「ああ、そろそろ予約しないと、期限が・・・・」と思うのですが。グダグダと予約しないまま、今日まできてしまいました。このままだと『ワンダと巨像』の二の舞になりそうな予感も。

しかしなんですね、とりあえず今の所「面白いゲーム」は要らんです、もはや。正確にいうと、「面白いけど、疲れるゲーム」は要らないです。たぶんきっとものすごくボリュームもあるでしょうし、作りこみやこだわりもたっぷりで素晴らしいのでしょうけど、最後までやる自信がそろそろ無くなってきました。こだわりとか無くていいし、1000円高くてもいいから、ダイジェスト版売ってくれないかな、マジで。

『FF12』といえば、ファミ通で40点満点らしいという噂が流れていますが、開発チームの前作が『ベイグランドストーリー』だったことを考えれば、まあ納得。それにしてもアマゾンでは発売前から高得点をつけているレビュアーがいるわけですが。発売してなくてもレビューできるというのは、なかなか頼もしいカスタマーがいっぱいで、素敵に愉快です。遊ばなくても内容がわかる『FF』をボクにも売ってほしいですよ、ホント。

実際のところ、買うのか買わないのかは自分でもよくわかりません。サイコロ振って決めましょうか?
なんつーか世の中、「面白い」かわりに面倒くさくて疲れるゲームばっかりです。「面白い」けど面倒くさくなくて疲れないゲームがほしい。良い言葉を思いつかないんですけど、ゲームを「面白い」という時、2種類の面白さがあるんですよね。

    A.遊んでみるときっとすごく面白いのはわかってるんだけど、面倒くさいし疲れる面白さ。
    B.そんなに面倒くさくないし、疲れない面白さ。でもたぶんすごく面白くはないかも。

ゲームというメディアはやはり「面白さ」が大切です。けれどもそれは必ずしもAの面白さを意味しません。かつてはゲームの面白さというのはイコール、Aの面白さのことでした。しかし最近では、Bの面白さを支持する人が増えてきている気がします。

こうした面白さの違いを、ボクは便宜上「面白いゲーム」と「楽しいゲーム」という言葉で区別しています。ボクには『ワンダの巨像』も『FF12』も『新鬼武者』も『戦国無双2』もすべて面白いゲームに見えます。そういうゲームを否定するつもりはないんです。ただ、できればダイジェスト版を出してほしいなあ。ひと口サイズで味わえるのを。価格は同じでいいからさ。そっちのほうが価格が高くても、そっちを買う人って意外といるんじゃないかな?


しかし『FF12』を買っても買わなくても、これは一度飲んでみたいなあ。
PCWatch:サントリー、「ポーション」をイメージした清涼飲料 「ファイナルファンタジーXII ポーション」を発売

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2006年03月09日

PS3はDSに勝てるのか!?

ふと気がつくと、次世代据置ゲーム機対決ではなくて、ソニーの牙城(PS3) 対 任天堂の牙城(DS)のガチンコバトルの構図になってるような気がしないでもない今日この頃。

夕刊フジBLOG:DS絶好調も「任天堂独裁は避けたい」のホンネ

PS3の発売時期は今春の予定だが、米国最大手のソフトメーカー「エレクトロニック・アーツ(EA)」の幹部が「発売は秋」と発言したため業界内外が混乱、発売元のソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)は火消しに追われた。ただ、「EAが根拠もなく発言するはずがない。SCEからはそろそろ公式に何らかのアナウンスがあるのでは?」と関係者は言う。

だが、「発売時期がわかっても、すぐに参入するかどうかはわからない」と前出の幹部は言葉を濁す。理由は「ゲーム業界には上場会社も多く、回収の見込みが立たない状況でソフト開発に巨額の金を投資して失敗すれば、株主代表訴訟の危険性もある」からだ。その一方で、「スーパーファミコン全盛期のときのような、任天堂の“独裁状態”は避けたい。だから、PS3にはなんとか頑張ってほしいのだが」と本音もチラリ。

なんだか微妙に立ち位置のわからん記事だなあと思いますが、それはさておきゲーム業界に詳しくないメディアの間ではすでに「DS対PS3」の構図ができあがってるんでしょうかね? ていうか、PS3って大本命のはずだったのに、いつのまに「なんとか頑張ってほしい」と言われるポジションに落ちているんでしょうか?

PS3とDSはハードの台数シェア争いという点では直接競合しませんが、世間への認知度や、ふだんゲームをしない人をどれだけ巻き込めるかという点では競合関係にあると言えるかもしれません。確かに日本国内は「据置→携帯」シフトが鮮明になっています。しかし据置も、少なくとも今しばらくは盛り上がってもらわないと困ると思います。さすがに。

とはいえ、将来展望としては、ソフトメーカー各社は「据置ゲーム機中心時代」から、新しい時代への転換を図らなければいけないでしょうね。新しい時代には、据置ゲームの存在感が低下し、携帯ゲーム機、携帯電話、PCオンラインといったマルチプラットフォームの存在感が増大するでしょう。これはおそらく不可避の未来。けれども急激にこの変化が進むと、ソフトメーカー各社が対応しきれず、莫大な機会損失、投資損失が生まれる懸念があります。

その他のPS3とDS関連の記事はこんなところかな?
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

ZAKZAK:ソニー復活大勝負…年末商戦へPS3本格投入
えっと・・・・いつのまに「年末商戦」になってるんでしょうか?
まあ「新春」という言葉はありますけどね。ええ。

ITmedia +D Games:やっぱり運がよかったんだ、と思う
週間アクセスランキングのトップ10の記事のうち、8つをDSが占めてます。おそろしい認知度と注目度ですね。

Wired News:ニンテンドーDS対戦サービス、利用者100万人突破
XBOX Live!が100万人突破するのは1年8ヶ月かかりましたが、DSは4ヶ月弱で突破。有料のXBOX Liveと無料のWiFi Connectionを単純比較はできませんが、最近のネット界隈の考え方は「ユーザー数はパワー」ですし、無料のサービスを体験した人が増えれば、有料のXBOX Live!もいつまでも古い体質のままではいられないでしょうね。

探偵ファイル:あなたも新型PSを体験しよう
PS関連というか・・・・。

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ホーム/2006-03-09
Excerpt: まーるさんかく、しかーくー、まーるさんかく、しかーくー みっつのほしがー、あ〜ったとさー、うーちゅうのはてのー まーだむこー、まーだむこー、まーだむこーぉ...
Weblog: とんかつ3号 隠れ亭
Tracked: 2006年03月09日 08:25
ゲームはエンターテインメント
Excerpt: う〜ん、発熱地帯さんでも取り上げられていますが、 確かに夕刊フジBLOGの内容は何が言いたいのか 最後までよく分からないですね。 こういうメディ...
Weblog: 異色プログラマー日誌
Tracked: 2006年03月09日 22:11
DSvsPS3?
Excerpt: PS3はDSに勝てるのか!?(発熱地帯) ゲームはエンターテインメント(異色プロ...
Weblog: FLATLINE
Tracked: 2006年03月10日 17:21

2006年03月08日

流れ星が消えないうちに

橋本紡の初めての非ライトノベル作品。恋人を失い、玄関でしか眠れない「わたし」。亡くなった恋人の親友で、現在の恋人の「僕」。3人の関係を描いた愛とゆるしの物語です。

『猫泥棒と木曜日のキッチン』と比べても、ますます物語の起伏が無くなっています。冒頭の一文が一番インパクトがあるんじゃないかなあ、というぐらい。さすがにここまで起伏が無くなってしまうと、たぶん売れ線からは遠ざかってしまうんでしょうけど。でもこういうのを書きたいんでしょうね、本人は。

橋本紡には、2つの作品の流れがあって、1つは『半分の月がのぼる空』のようにまだライトノベルの枠内にとどまった作品群。そしてもう1つは、『毛布おばけと金曜日の階段』『猫泥棒と木曜日のキッチン』のような文学的な作品群。『流れ星が消えないうちに』は後者の流れに属しています。

どちらの流れでも特徴的なのは、親の存在感が希薄だったり、親が情けなかったり、子供が親を捨てたりすることです。『半分の月がのぼる空』の主人公とヒロインは共に、父親を亡くしています。『毛布おばけ』の主人公も、父親を交通事故で失っていて、母親は心が折れて病院に入ることになり、残された「わたし」とお姉ちゃんは二人で暮しています。『猫泥棒』では、父親はいなくなっていますし、母親にしても小説の冒頭が「お母さんが家出した」です。『流れ星』の主人公である菜緒子は、九州に転勤した父親、母親、妹とは離れて暮しています。もっともこの本では、母親と喧嘩した父親が彼女の所に家出してくるのですが。

なんだろう、この親の不在感みたいなものと家族っぽい人間関係の両方に、妙に説得力を感じてしまいます。リアリティーというか、信じられる感じがするんですよね。昔っからボクは「擬似家族」モノには弱いんですがね。しかし「擬似家族」モノに弱いというのは、それはつまりリアルの家族を信じていないからかなあ、なんてことも思ったりするわけですが・・・・。

もう1つの特徴は、家の中の場所についての独特の感覚。『毛布おばけ』では、「わたし」とお姉ちゃんとお姉ちゃんの恋人は毎週金曜日、階段の踊り場にケーキやお菓子を並べて、ちょっとしたパーティをします。『流れ星』では、主人公は玄関に布団を敷いて寝ています。他の場所では寝つけないのです。階段にしても、玄関にしても、人が入ってきて出て行く場所であり、通過点です。おそらくずっとそこに居ることはできない。しかし少なくとも小説の開始時点において、彼女たちはそこにいないと生きていくことはできないのでしょう。

場所と機能のズレというのは、どう書くかによって小説家の感性が非常によく出ますね。橋本紡はどんどん上手くなっています。はたしてどこまでたどり着くのか。ぜひとも「曜日シリーズ」は続けてほしいですね。

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2006年03月04日

「ゲームらしいゲーム」のレッドオーシャン化鮮明に

低迷するPS2続編ソフトたち

昨年末からソフト売上でDSソフトが目立ち始め、「ゲームらしくないゲーム」の盛り上がりが鮮明になっています。その一方、「ゲームらしいゲーム」の売上が明らかに低迷しています。先週発売の『戦国無双2』の初週販売数は前作の約半分でした。『新鬼武者』も前作の『鬼武者3』と比べて、初週販売数が半減していました。PS2続編ソフトの売上低下がますます顕著になっています。

シリーズが続編を重ねれば、徐々に飽きられてきてユーザーが減っていくのは仕方ないことかもしれません。けれどもここにきて、急激に大きく落ちこんでいます。9掛け、9掛けで落ちていたのが突然5掛けで落ちている感じです。

そんな中、『モンスターハンター2(ドス)』が前作、前々作をはるかに上回る好調なスタートを切りました。PSP版が売れたことが成功につながりました。ゲーム内容からいって、単純にテレビ画面で遊んでみたいという気持ちはよくわかりますし、連動要素もあります。


ユーザーの奪い合いが鮮明に?

さて、2月のソフト市場を見ていると、『鬼武者』と『無双』が共に売上を大きく落とし、『モンハン』が大幅に売上を伸ばしています。やや大雑把な分析ですが、『鬼武者』と『無双』に飽きたユーザーが『モンハン』に流れ込んでいるように思えます。なんつーか、カプコンとコーエーの間でユーザーの奪い合いをしている構図がわかりやすいですよね。コーエーは『戦国無双』で『鬼武者3』からお客をうばい、今度はカプコンが『モンハン』で『戦国無双2』のお客をうばい、ついでに『新鬼武者』のお客もうばってしまった、と。

  2004年2月頃: 『鬼武者3』 → 『戦国無双』
  2006年2月頃: 『戦国無双2』『新鬼武者』 → 『モンスターハンター2(ドス)』

ゲーム離れが進んでいるといっても、「ゲームぐらいしか趣味が無い」「時間があったらまずはゲーム」という人だって、まだまだいます。数百万人はいないかもしれませんが、たぶん数十万人はいます。そういうユーザーは年齢が上がっていくにつれて減少していますから、確実にジリ貧化は目に見えています。けれどもある日突然半分になるわけではありません。少しずつ減ってきたのが、ようやく無視できないレベルに達しただけなんですよね。

で、減少しつつあるゲーマー層を奪い合う競争がますます激化しているんですが、市場のキャパシティは昔ほどないので、タイトルごとの勝ち負けが非常にハッキリ出るようになってきました。ゲーマー人口はいきなり半減しませんが、あるタイトルの売上は突然半減することがあるんです。まさにレッドオーシャン。しかも各社が決算前にソフトを集中させるものだから、不必要に競争が激しくなっています。決算が不安な企業は、タイトルを乱発するから、他社どころか自社タイトル同士でのユーザーの奪い合いも苛烈を極めます。

まこなこ 「必死なコーエー」
特にコーエーはPS3に注力しているイメージがあるだけに、PS3が発売延期すれば、それだけ影響を受けるでしょうし、ご自慢のオンラインゲーム事業もそれほどうまくいっているようには見えません。『無双』で稼いでいるうちに、次のビジネスを掘り起こせるかどうか。タイムリミットは近いです。

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ゲームらしいゲーム
Excerpt: 「ゲームらしいゲーム」のレッドオーシャン化鮮明に:発熱地帯 DAKINIさんが言わんとしている事はわかるのですが、 「ゲームらしいゲーム」「ゲームらしくな...
Weblog: ボボ日
Tracked: 2006年03月08日 18:40

2006年03月03日

ヴァリスがついにエロゲーに

なんということでしょう・・・・。
ビキニ鎧といえばこのゲーム、というあの『ヴァリス』がエロゲーになって発売されるそうです。
シリーズ全部遊んでるボクとしては悲しいような、何気にうれしいような。

とはいえ、公式にエロ同人やってどうするんだ、おいっ!というツッコミは多そうです。
なんつーか、テクモが10年後DOAのエロゲーを出すような行為です。スラッシュドットでも指摘されてるように、売れなくなったアイドルがAVに移ったような印象ですなあ・・・・。

イーアンツ「ヴァリスX」ダウンロード販売で登場!
スラッシュドット ジャパン | よみがえる夢幻戦士〜ただし18禁で

思い起こせば、80年代は「ビキニ鎧のファンタジー系美少女戦士」と「レオタードスーツのSF系美少女戦士」が流行ってましたね。当時のエロガキも成長して、今ではエロゲーやエロ小説の中でビキニ鎧やレオタードスーツと戯れているわけです。二次元ドリームノベルズの成功や、近年の変身ヒロインブーム、『雷の戦士ライディ』のような復刻ブームは、いずれもこの辺の層をターゲットにしています。

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[正しい性差]名コメント紹介――「エロゲーもゲームも同列」
Excerpt: http://amanoudume.s41.xrea.com/2006/03/post_170.html >はっきり書いておきますが、エロゲーもゲー...
Weblog: The Perfect Blog
Tracked: 2006年03月20日 22:49

2006年03月01日

ゲームはストーリーよりも日常を描くのに向いているのかもしれない。

物語についての議論

巡回先のとあるエントリーを読んで、なかなか面白い議論だなあ・・・・と思っていたら、よく見るとうちが震源地の1つだったようなので、ちょっと反応しときます。
発熱地帯:『狼と香辛料』→FIFTH EDITION 「物語のトリック」→Something Orange。

FIFTH EDITION 「物語のトリック」

主人公ってのは、一歩歩いたら、地雷が爆発するか、天から隕石が落ちてきて
頭を直撃するような悪運の持ち主でないといけなかったわけだ。
少なくとも、ストーリー漫画の主人公・ヒロインは。
そして、それで助かるのが喜劇スタイルの物語で(少年漫画、バトル漫画といってもいい)
それで死んじゃうのが悲劇スタイルの物語だったのである。

で、なんだけど今日、発熱地帯さんで『狼と香辛料』を読んで、やはり、これが飽きられてしまったのかな、と思い悩んでしまった。

Something Orange 2006-03-01(水)
Something Orange 2006-03-02(木)

リンク先では、村上龍の「全ての物語は主人公が穴に落ちる→穴から這い上がる/穴の底で死ぬという話型で出来ている」ということばを引用し、ほとんどすべての物語がこれに該当することを語っている。
 そして、その上で、このパターンが飽きられはじめているのではないかと懸念を表明する。しかし、ぼくはそれほど心配する必要もないとおもう。
 この物語の基本構造は、単純であるために、強烈な普遍性をそなえている。いまさら飽きられるようなものとも思えない。

FIFTH EDITIONさんは日頃からストーリー系(ドラマ、アニメ、漫画、小説、ゲーム)の未来に強い危機意識を持っておられるので、こういう反応をされるのは至極納得です。確かにストーリー系のコンテンツの売上が落ちているようですし、クリエイターの将来が先細っていく懸念はあります。ぶっちゃけ、ストーリー系コンテンツで10年、20年食っていこうというのは、なかなか覚悟が要る話です。


ゲームはストーリーよりも日常を描くのに向いている

ゲームの話をします。最近、ゲームの本来の楽しみではないストーリーの部分をそぎ落としたライトなゲームが好まれています。DSの大成功が良い例ですが、とても勢いを増しています。一方でストーリ性を追求するゲームは『FF7 アドベントチルドレン』のようにゲーム部分を完全に排除した非インタラクティブな形式に向かっています。また、『ひぐらしのなく頃に』のように選択肢の無いノベルゲームも登場し、選択肢の無いスタイルが広がりつつあります。

いろいろなゲーム系ブログの最近の記事を読んで感じるのは、表現力が上がってくるにつれて、ゲームとストーリーの相性の悪い部分が目立ち始めた、ということです。またボクは、ゲームは「日常」「世界そのもの」を表現するのに非常に適したメディアだと感じています。

ゲームの中で「日常」を表現することにチャレンジしてきたのはいわゆる美少女ゲームです。美少女育成モノには必ずカレンダーがありますし、『To Heart』のようなノベルゲームにさえ存在するわけです。純粋にノベルゲームとしてみれば、カレンダーという形式は不要なのですが、学園生活という日常を描くための演出として外せない物なのでしょうね。逆にいえば、『To Heart』はシナリオの面白さを追求するより、日常を描くことに注力したゲームデザインです。

近年では、『nintendogs』という犬との日常生活をそのまま遊びにしたゲームが全世界で500万本売れ、大成功しています。『どうぶつの森』も村での生活をそのまま遊びにした作品です。MMORPGは数千人で1つの世界を共有し、生活します。
(参考:ポップ・コラム 「死なない子犬と過ごす永遠の時間。ニンテンドーDS『nintendogs』」

『脳トレ』もまた、毎日遊ぶ(トレーニングする)ゲームです。カレンダーにスタンプを押していくという形式は非常に印象的で、1つのスタンダードを打ち立てた感があります。あのカレンダーは、おそらくラジオ体操のスタンプからきているのだと推測しますが、ゲームへのカレンダーの導入は10年以上前に美少女ゲームがやっていたことです。カレンダーは日常の良いメタファーですし、ゲーム進行のテンポとしてわかりやすいんでしょうね。

ストーリー的な起伏を抑えて(あるいは無くして)日常そのものを表現することに特化するという路線は、ここ数年で急速に存在感が確立してきました。ゲーム1.0=非日常、ゲーム2.0=日常という乱暴なくくり方をしても良いぐらいです。ゲームの未来を完全に予想するのは不可能ですが、しばらくは日常ゲームが元気なんじゃないかと思います。


物語は不滅だが、流行り廃りはあるのかもしれない。

・・・・と、物語を否定するような論調ですけど、ボクは別に否定派のつもりはありません。もし否定派なら、あんなに何度もノベルゲームを取り上げたりしません。ただ、ゲームに限れば、今は「日常」派(?)が元気な時代です。数年単位か、あるいはもう少し長い単位での流行り廃りってのはあると思うんですよね。

それと「型」としての物語は不滅でも、メディアの問題があります。例えば、「あずまんが大王」的なもの、4コマ漫画的なものは、普通のストーリー漫画に比べると日常を描くのに適しています。物語の起伏はあまりなくても良くて、日常性を味わいたいというニーズは、いわゆる物語メディアの読み手にも存在します。これは、小説をたくさん読んでいるうちに、筋書きよりもディティールにこだわるようになる事とは別の話です。

けれども以前は、物語の起伏がハッキリした作品を好む人に比べると、少数派だと思われていました。いや実際少数派でしょう。けれども原因は、実は小説や漫画、アニメという非インタラクティブなメディアが「日常」を表現するのに適していないからなのかもしれません。もしかすると、潜在的には「物語の起伏が薄くても、日常性が高いもの」へのニーズがあるのかも。

確かにこの10年を振り返ると、『ときメモ』の構造は『To Heart』に敗れましたし、『To Heart』の構造でさえ物語への欲望の前に押し流されてしまいました。しかしそれは、『To Heart』の構造の問題です。日常を表現するメディアとしてのゲームの適性を、完全に判断することは無理です。日常を表現するという点では、ノベルゲームは最適な形式とは言いがたく、オンラインゲームの方が適していますね。


補足

小説読みを
   ・物語重視派
   ・日常派
   ・ディティール派
と分類できるとしたら、ボクは基本的には「物語重視派」で、最近「日常派」にも片足をつっこんでいる感じです。ディティール派では全然ないです。その域に達するほどには読んでません。例えば、Something Orangeのkaienさんほど、文章にはこだわりませんし、kaienさんの書評を読むたびに、ボクの文章への鈍感さを思い知らされます。

Posted by amanoudume at 22:24 個別リンク | Comments (5) | TrackBack(1)
[story][ゲーム]ゲームは映画や漫画より「面白い」
Excerpt: 『SFを楽しむなら映画よりゲーム』 『発熱地帯: ゲームはストーリーよりも日常を描くのに向いているのかもしれない。』 を読んで。 『[http://d...
Weblog: 煩悩是道場
Tracked: 2006年03月02日 13:43

この春は積みゲーが多くなりそうな・・・・

なら、別に買わなくてもいいんじゃねーという気もしますが、気になってるソフトを並べてみると、うぐぐぐぐぐぐ・・・・毎月じゃないかっ!

3月16日 PS2 『ファイナルファンタジー12』 (スクウェアエニックス)
3月24日 PC 『ロストチャイルド』 (たまソフト)
4月21日 PC 『プリンセスワルツ』 (PULLTOP)
5月25日 PS2 『つよきす』 (プリンセスソフト)

どうでもいいけど、今たまたま視界の隅に入ったんで思い出したけど、XBOX360が全然稼動してません。ていうか、なんかボクの買うべきソフトはあるんでしょうか? 正直、ハイデフといって一番わかりやすいのってエロゲーだと思うんですけど。今度こそ解禁してほしいなあ。美少女ゲームで解像度が増える、大画面になるというのは単純にうれしいですからね。大画面+高解像度の映像世界の象徴たる360に、もっともふさわしいコンテンツでしょうに。

あるいは、ゲームのことはまったく無知だけど、Windowsと聞くと「ああ会社で使ってるパソコンのことか」ぐらいはわかるおっさんをターゲットにしたらどうなのかねえ。ゲーマーの間の評価は(一部の洋ゲーマーを除いて)最低なわけですから、もうその辺はスパッとあきらめて、「会社ではWindows、家に帰ったらXBOX360」という本来の野望をダイレクトに打ち出したらいいのに。

あの「Windows95」騒ぎを演出したマイクロソフトがどうしてここまで駄目なのか。95の時はパソコン持ってないのにCD-ROMを買ったお客がいたほどなのに。自分で自分が負ける土俵に乗っかっている気がしますよ。一番ゲームから遠い会社が一番ゲーマー寄りというのも不思議なもんですな。

Posted by amanoudume at 00:54 個別リンク | Comments (1) | TrackBack(0)