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このサイトは、ゲーム開発、およびゲーム周辺の周辺技術や動向について日々考察し、毒舌的に物を書き続けることを通して、「ゲームの未来形」という大テーマに対して、何か考えを深められるといいなあ・・・・・・というサイトです。

2006年03月10日

結局、FFを買うの?買わないの?

「FF12は買うよ! クリアしてる時間無くても絶対! ガキの頃から洗脳されてるんだし、外せないよね!」などと言っているうちに、発売日が近づいているわけですが、いまだに予約してません。近所のコンビニのレジにPOPが飾ってあって、見るたびに「ああ、そろそろ予約しないと、期限が・・・・」と思うのですが。グダグダと予約しないまま、今日まできてしまいました。このままだと『ワンダと巨像』の二の舞になりそうな予感も。

しかしなんですね、とりあえず今の所「面白いゲーム」は要らんです、もはや。正確にいうと、「面白いけど、疲れるゲーム」は要らないです。たぶんきっとものすごくボリュームもあるでしょうし、作りこみやこだわりもたっぷりで素晴らしいのでしょうけど、最後までやる自信がそろそろ無くなってきました。こだわりとか無くていいし、1000円高くてもいいから、ダイジェスト版売ってくれないかな、マジで。

『FF12』といえば、ファミ通で40点満点らしいという噂が流れていますが、開発チームの前作が『ベイグランドストーリー』だったことを考えれば、まあ納得。それにしてもアマゾンでは発売前から高得点をつけているレビュアーがいるわけですが。発売してなくてもレビューできるというのは、なかなか頼もしいカスタマーがいっぱいで、素敵に愉快です。遊ばなくても内容がわかる『FF』をボクにも売ってほしいですよ、ホント。

実際のところ、買うのか買わないのかは自分でもよくわかりません。サイコロ振って決めましょうか?
なんつーか世の中、「面白い」かわりに面倒くさくて疲れるゲームばっかりです。「面白い」けど面倒くさくなくて疲れないゲームがほしい。良い言葉を思いつかないんですけど、ゲームを「面白い」という時、2種類の面白さがあるんですよね。

    A.遊んでみるときっとすごく面白いのはわかってるんだけど、面倒くさいし疲れる面白さ。
    B.そんなに面倒くさくないし、疲れない面白さ。でもたぶんすごく面白くはないかも。

ゲームというメディアはやはり「面白さ」が大切です。けれどもそれは必ずしもAの面白さを意味しません。かつてはゲームの面白さというのはイコール、Aの面白さのことでした。しかし最近では、Bの面白さを支持する人が増えてきている気がします。

こうした面白さの違いを、ボクは便宜上「面白いゲーム」と「楽しいゲーム」という言葉で区別しています。ボクには『ワンダの巨像』も『FF12』も『新鬼武者』も『戦国無双2』もすべて面白いゲームに見えます。そういうゲームを否定するつもりはないんです。ただ、できればダイジェスト版を出してほしいなあ。ひと口サイズで味わえるのを。価格は同じでいいからさ。そっちのほうが価格が高くても、そっちを買う人って意外といるんじゃないかな?


しかし『FF12』を買っても買わなくても、これは一度飲んでみたいなあ。
PCWatch:サントリー、「ポーション」をイメージした清涼飲料 「ファイナルファンタジーXII ポーション」を発売

Posted by amanoudume at 2006年03月10日 00:15 個別リンク
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コメント

ポーションは話の種に一度は飲んでみる価値があると思いますよ、見た目の青一号と臭いはキツイけど味自体は栄養ドリンクの系統ですから。
個人的には結構好きなんですがネット上の評判を見る限りは「もう二度と飲まない」と言う評が多いですけどね、青一号の発ガン性って言う部分も気になりますし。

FF12本編は発売日には買うつもりはありませんがしばらくしてPS3とか発売された時期にでも遊んでみたい気持ちもあります、なんだかんだ言って日本のRPGを支えたシリーズの新作ですから。

DAKINIさん、はじめまして。いつも楽しく拝見させて頂いております。ゲーム歴二十年のおっさんゲーマーのysaと申します。今回のDAKINIさんの御意見に我が意を得た気持ちになり書き込ませて頂きます。私も「面白いけど疲れるゲーム」にウンザリしてゲーム離れが加速しています。特にRPGで。面白いと評判のゲームはたくさん知っているのですが、その面白さを味わうための労力を想像するとゲームを始める気力そのものが萎えてしまいます。

そんな最近の私が最後までやれて自信を持って他人に薦められるソフトが「まわる!メイドインワリオ」です。このゲームをGBASPやNDSではなくmicroでやると本当に面白い! 気の向いた時にパッと始めてパッと楽しんでパッと止めています。

現在の大作路線の真逆に有るこのゲームを楽しんでいる自分を見るにつれて「ゲーム(遊び)は良くも悪くも暇潰しなんだなぁ」と感じています。著名なタイトルですからDAKINIさんも既にプレイしていらっしゃるかもしれませんが、このブログを見ている人の中には知らない方もおられるかと思い、御紹介させて頂く次第です。

ところで話は変わりますが、DAKINIさんはレボコンについての意見は書かれないのですか? 最近のたくさんのボタンを使うゲームには付いて行けない私は、レボコンがゲームの原点に戻る流れを作りそうで非常に注目しているのです。開発者サイドの意見も是非聞いてみたいですね。

個人的には使用ボタン数の多さも疲れるゲームの一因になっていると思います。暇潰しという認識でゲームを楽しみたい人間にとって「覚える」という労力を強要するのは、かなりの苦痛なのではないでしょうか。この矛盾がゲーム離れの一因なのかもしれないと、書きながら思い付きました。

面白いけど疲れるゲーム、って意見は賛同しますね。確かに昔のゲームはもっと一時的快楽な遊びだった気がしますが、ハードの進化でなぜか物語性とか継続性が当然のようになっている、っていうのでしょうか。
もちろん、そういうゲームの楽しみもありますけど、クリアに3ヶ月とか半年とかのソフトは年に何本も遊べませんし・・・途中でリタイアすることも多くなりましたねえ。

 携帯ゲームの普及はパッとはじめていつでもやめることが出来る、というゲームが復権してる時代かもしれませんね。よく考えたらドラマ性を求めるなら映画の方がよほど楽だし。
まあ、流行は回るものだからこの価値観も変わるかもしれませんけど

>よく考えたらドラマ性を求めるなら映画の方がよほど楽だし。

ですね。重い物はそれほど多く必要ないですからね。SFCの後期から
10年ほどは、「ゲームでストーリーを語る」派が強かった時代でしたが、
開発コストが増大している事や、プレイヤーのゲームに使える時間が
減っている事など、逆境の時代になりつつありますね。
当面は「ふるい」にかけられていくんじゃないでしょうか。

やっぱり終えるまでに何十時間もかかるのは、物語メディアとしては
歪ですし、付加が重過ぎます。それだけ持たせるために、結果的に
作業性が増したり、開発コストが増大するわけですし。

問題点を克服することがすなわちゲームデザインの進歩だと
思いますが、なんだかんだでまだまだ「問題とも思ってない人」が
多そうなので、しばらくは逆境の時代が続くんじゃないですかね。

正直、なんていうか、今真顔で「ゲームでストーリー」なんて言ってる
人って、頭が悪いと思うんですよ。でも、クリエイターなんて、頭が良い
からいいわけではないですからね。そこが難しい・・・・。
頭が悪い人ばっかりだと会社が持たないんですけども。頭が良い人
ばっかりだと、そもそもゲームを作らなくなっちゃいそうですw

これまでの惰性的制作&クリエイターの願望と、ユーザーの時間&
予算の『調整』フェーズなんだと思います。落とし所が見つかるのに
何年かかるかは知りませんが。見つからなければ衰退するだけです。


>まあ、流行は回るものだからこの価値観も変わるかもしれませんけど

変わるとは思いますよ。軽いもののブームもそれほど長続きはしない
でしょうね。そこはボクは冷静(冷淡?)に見ています。軽いというのは
ひどく飽きられやすいという危険もはらんでいます。ブームというのは
醒めるからブームというんです。

しかし軽いものが飽きられてきた時に、長い物につき合ってくれるとは
限りません。結局、ゲーム自体から遠ざかっていくのかもしれません。

だから、軽い物でつなぎとめている間に、それまで長い物を作っていた
人たちが反省して、良い落とし所を作ってくれるといいんですけどね。

どこかが稼いでいる間に、別のどこかが次を築くというのが理想です。
まあ、理想は所詮理想。無理でしょうね。ゲームにストーリーが
入ってきて、だんだんと天狗になっちゃってましたからね。
ボクはよく「天狗の鼻が折れたほうがいい」と言っているんですが、
まだ折れ足りないですよね。あと1、2回は折れた方がいい。

「もう求められて無いんだよ。惰性で買ってもらってるだけなんだよ」
という現実を理解することだって、なかなか出来ないでしょう。
哀れで惨めでしょ。それを認めないと、変われない。でもプライドが
許さない。だからなかなか変われない。

そんなこんなで、何年も無駄に空費するんじゃないでしょうかね。
結構前から、このブログで『次』については語っていて、最初はあまり
相手にされなかったんだけど、今ではあちこちのブログで同じような
ことを語ってるわけです。
もはや『次』というより、『今』ですかね。

ただそうなると、軽い物がいいんだ、という主流の論調と、懐古的に
ゲーマー的にゲームを語る論調という構図になってしまって、それは
それでチープです。

ボクの興味はとうの昔に『次の次』に向かっています。でも今の時点で
書いても、誤読されるのがオチだから、積極的には書きません。
わかりやすくも書きません。勘のいい人にだけわかればいいのです。

『次の次』の時代がどうなるかなんてこと、ちゃんと考えたら見える
わけです。そういう人には、なんでこのブログの内容が去年と違うのか
わかると思いますし、見えない人にはわからないでしょうね。

正直、ドラマを語るのとゲーム性(といっていいのだろうか)を究極に開発コストを安価にしたものは、サウンドノベルで十分じゃないかと思ってますけど(W.事実、エロゲの9割がこういう形ですし。
 
 いずれにせよ、DS熱が冷めた時、ゲーム業界にナニが残るかは見モノですな。

ちなみに私も元ゲーム開発職ですが、今はもっと安価で確実に儲かる「パチンコ、パチスロ開発」に主軸を移してます。こっちはギャンブルというものがなくならない限り超安定業種ですから(W。

 しかも実入りがソフトハウスに比べ物にならないぐらいいいですし。(その割にはゲーム開発者さんからは一段下に見られていますけど・・・不思議)

また例のごとく話がずれるのですが。
DAKINIさんの言う『次の次』ってなんだろうと気になっていたのですが、ふと思いついたことを書きます。

正直、どうも、自分としては、据置機、携帯機、携帯電話、PCのマルチプラットフォーム化するという未来像が今一しっくりきませんでした。が、ふと、『メディアミックス』ならぬ、『プラットフォームミックス』の方向性に気がついて、それならありかも知れないと思いました。

要は、各プラットフォームが同じゲームで競合するのではなく、ネットを軸にして、各プラットフォームの特性を生かし、相互に補完関係になるというイメージです。2chで実況しながらTVを見るような関係が理想かも知れません。
例えば、VF5では、PCや携帯と連動する予定だそうですが、ああいう戦略がもっと前面的に出てきそうな感じがします。
(失敗した例では、任天堂のGCとGBAの連動がありますが、あれはネットという要素が抜け落ちていたから失敗したような気がします。)

例えば、据置機のゲーム1.0的ゲーム本編が中心ではあるけれど、携帯機のゲーム2.0的なゲームでもレベル上げをすることが出来る(ただし、おのおのは独立した作品である)。しかも、PCで見ることの出来る企業のサイトでは、アクセサリ集などのダウンロード販売や様々なイベントが行われる(物語性の薄いゲームに対しては、物語メディアで物語を補完するという意味でビジュアルノベル(エロゲー?)を展開しても良いかも)みたいなイメージでしょうか。ゲームであることにこだわる必要のないプラットフォームもある訳ですし。

また、商品展開的にも、大規模ソフトウェアの据置ゲームを開発している間に、先行して携帯機で小規模ソフトウェアを展開させ、ファン層を作り上げておくとか。まあ、軽く考えただけですが、いろいろ応用は利きそうな気がします。
(最近のエロゲー関連の動き(PC→PS2への移植)も考えてみれば面白い動きだったかも知れないですね)

奇しくも、今、ネットではFF12のフライングゲットが話題になっています。
私もプレイ体験記をちょっと目にした程度ですが、正直、ちょっと欲しくなりました。
これも一種の無自覚な『プラットフォームミックス』現象なのかも知れません。

もう一つ。以前のコメントで私は『据置機は貴重な体験を提供すべし!』と書いた訳ですが、結局、ライブ性というか、2ch風に言えば、『その時でしか味わえない』面白い『祭り』(イベント?)に参加出来ることが一番貴重な体験なのかも知れないなと思いました。そういったイベント性を上げるという意味では、TV番組やラジオ番組との連動ももう少し前面的に出てきても良いのかも知れません。あと、麻雀ゲームのように、何をプレイさせるかではなく、誰とプレイさせるかにリソースを割くとか。まあ、アイディアだけならいくらでも沸くような気がしますね。

ボクの意図した『次の次』とは少しズレるんですけれども、とても面白い話だと思います。

以前に1、2度、データ中心主義のゲームデザインという事を書いたのですが、
例えばポケモン本編が携帯機で存在して、そのデータでもっと迫力のある
バトルが楽しめるスタジアムがあり、データを管理するユーティリティとして
ポケモンボックスがあり、という構造はおっしゃっている事に近い、と思います。

もちろんこうした構造は、PCではすでに存在するわけですが、今後は1つの
ユーザーデータを取り囲むようにして、各プラットフォーム上のアプリケーションが
存在するようになるのでしょうね。すなわちユーザーデータの利便性を高める形で、
各アプリ群が展開されていくのかな、と。

韓国のオンラインゲームサービスのスタイリアは、アバターを各ゲームで使用
できるらしいのですが、アバターの付加価値を高めるために各ゲームが存在する
ともいえるわけです。
http://www.4gamer.net/news.php?url=/news/history/2005.11/20051113183406detail.html

各プラットフォームのアプリで1つのユーザーデータをシェアする方がユーザーを
囲い込みやすいです。ただ、わずらわしさや運営コストの問題も出てくるので、
最初はメディアミックスに乗っかる形で、あまりデータバインドしないでおいた方が
色々とやりやすい気もしますね。

たびたび持ち出しますが、ポリモーフィックコンテンツみたいな、ああいう理屈
倒れになってしまう懸念もあるわけです。なんていうか、ヒットというものは、
なかなか狙って出るものではなく、1つのメディアで人気が出たからこそ
他のメディアに飛び火していくものです。ただ、最初から複数のメディアで
展開させた方が仕掛けが大きくなって好ましいという考え方があって、
色々な理屈をつけるんですね。「仕掛け」があればいけるという・・・・。

まぁそれで動いてくれるユーザーなんてものは所詮たかが知れているんですけど、
仕掛けが大きいと美味しい思いがができる人がいらっしゃるから、そういう人達は
「仕掛け万歳、仕掛け万歳」と叫びながら踊るんですね。

そういうチープな事ではなく、あくまでユーザーの自然なニーズを伸ばす形で
各プラットフォーム上のアプリが広がっていくことが重要だと思います。

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