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このサイトは、ゲーム開発、およびゲーム周辺の周辺技術や動向について日々考察し、毒舌的に物を書き続けることを通して、「ゲームの未来形」という大テーマに対して、何か考えを深められるといいなあ・・・・・・というサイトです。

2006年05月29日

ネットの自律進化の可能性か、時間の歪みか、神か?

なんだか『NEW スーパーマリオ』が怒涛の怒涛の怒涛のように売れているようで、ミリオン上等、ダブルミリオン早くも見えたってな勢いですね。思わず、マリオアドバンスシリーズの頃からの総括として、「ゲームの王道を復活させた任天堂の周到な戦略」などという記事を書き出すところでした。しかしそういうのは誰か他の人が書きそうな気がするので、やっぱり今日もハルヒの記事を書きます。

ネットマーケティングの大成功例になったハルヒ

CNET Japan Blog - 渡辺聡・情報化社会の航海図:”広告”はしばし一休み?

まず、当然プロモーションでも本編でもコンテンツに触れないことには始まらないので、なんらかの接触から始まるのは当然として、何を出すかはユーザーが何を受け取れるのか、どういう風に受け止められるのかの理解と信頼があって初めて出来るものとなる。この先ユーザー側の反応は、相互理解に近い読みが成立しているかしていないかで変わってくるところであり、”書いてもらう”といったアプローチとは若干異なる感覚になる。享受と交信の起き方が変わってしまう訳である。

商材にも拠るので一概には言えないが、一言で伝わるようにする、分かってもらえるように言葉を凝らすということが必ずしも正解ではないというのが最近周囲で普通にやりとりしているところとなる。

ぬわっ、なんと渡辺聡氏の「情報化社会の航海図」がハルヒについて書いています。すげー、びっくり。
まぁ『ハルヒ』はネット上の口コミマーケティングにおいて、絶対に無視できない事例ですからね。引用文中の最後の2行がとても重要な示唆を含んでいます。以前、親切さと不親切さについて書いた時に気になった疑問への手がかりになってくれそうです。

それでは次に、渡辺氏の記事の中で言及していた、みたいもん!!さんの記事を見てみます。
[mi]みたいもん!!: 涼宮ハルヒが起こしたYouTubeの憂鬱、ネットマーケティングの大成功例。

3『涼宮ハルヒの憂鬱』の話は原作の順番通りになっていない
原作を読んでいるものは、うっかり解説したくなる。原作を読んでないものはその解説を読んで、原作が欲しくなる。そして読んで解説したくなる。それをまた読むものがいて、原作が欲しくなる。以下、無限ループ。そしてネットに言説は増殖していくわけです。

4YouTubeの存在
YouTubeには既に放送された全話アップされているだけではなく、英語字幕までついたものまでアップされてます。それにハルヒはキー局放送じゃありませんから見たくても見れない人がいっぱいいるわけです。ネットのハルヒに関する言説を見た人は実際の放送が見たくて仕方がなくなる。その欲望のはけ口をYouTubeが支えているわけです。

『涼宮ハルヒ』の成功の要因を一通り、整理しておられます。
『ハルヒ』の事例においては、ユーザー・コミュニティによる補完力と、知識の空白を埋めたい人間の欲求の2つが大きなポイントになっています。

「信頼」が前提になりつつあるネットマーケティング

『ハルヒ』で最も特徴的なのは、自分たちの作品がネットによって補完されることを作り手が非常に「信頼」していることです。ハルヒを見て戦慄しないクリエイターがいれば、よほど鈍感でしょう。表現物というもの、とりわけそれなりに大きなメディアで流通する表現物は、すべからく「わかってもらおうとする」努力の産物です。

しかしそれは「わかってもらえないんじゃないか」という不安や恐怖の裏返しです。要するに、受け手の受容能力を「信じていない」ことに立脚しているのです。その不信の上に、説明があり、装飾があり、あるいは逆に「最小の説明」を追及した極小の説明があります。

ところが『ハルヒ』は、自分たちが語らないことをネットやその他のユーザーが補完してくれることを、明らかに大前提にしています。だからこそ登場人物の紹介もやらないで、いきなり自主制作映画を再現したような第1話を流しましたし、放映順が原作どおりの順番ではないわけです。このどちらの「不親切」も、供給側はほとんど何もフォローしていません。ネット上の原作ファンが「勝手に」解説やフォローを始めたのです。

「わかってもらえないんじゃないか」という不安に基づいた、従来のコンテンツ制作の常識からすれば、明らかに違う次元のセンスが感じられます。まぁ、キー局の放送ではないことがスタッフを開き直らせた、という一面はあったのかもしれません。しかし、勇気とか無謀とかそんなチャチなもんじゃねえ! もっと、おそろしいものの片鱗を味わいました。ユーザーを信頼し、コミュニティを信頼するWeb2.0の精神に通じるものを感じます。この「アグレッシブな信頼性」が作り手の感性のレベルで浸透しつつあること、アニメの世界で具現化したことは、とても興味深いです。

Posted by amanoudume at 2006年05月29日 23:12 個別リンク
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コメント

最近やたらあちこちでハルヒハルヒとうるさいので、YouTubeでざっと流して見てみました。

…裏設定山盛りの萌えアニメといった感じで、エヴァに似た空気を感じました。

あと、最近のアニメって最終話だけDVDで売ったりするんでしたっけ?
それと似た状態を毎週、意図的に作ってるところはあざといなと。
ピースの足りないジグソーを売って、完成させたきゃこれも買えと残りのピースも買わせるような。
(そういえばエヴァも意味不明なTV最終話→映画で総括、という流れでしたっけ)

多分、閉鎖空間とやらは、かなり後まで視聴者を釣る餌になるんでしょうね。
まあ、自分としてはもう結構ですが。
ともかく「オタクはこうすれば喜ぶだろ?」的な臭いが鼻についてなんとも。

>exorさん

まぁ最初からスネた物の見方をする人であっても、YouTubeを通して
つい見てしまう程に、ハルヒの勢いがあるという実例ですね。

祭りは素直に楽しんだ方が人生効率的だとは思いますが、それも
人それぞれですからねえ。

>ともかく「オタクはこうすれば喜ぶだろ?」的な臭いが鼻についてなんとも。

なんだかんだで、観ているようじゃあ、利口ぶれませんよ。
利口ぶるなら最初から観ないことですね。

まぁ適度な数で、拒絶者やアンチが出るのも、ブームや祭りの
典型的な一現象ですが。それさえハルヒ祭りの一光景に過ぎません。

エントリーありがとうございます。このブログのハルヒエントリーがなければ、ハルヒの面白さに気づくことはありませんでした。とても感謝しています。

というか、9話もすごいですねえ。

この9話を見て、さらにスタッフの原動力はなんだろうか?と気になって仕方がありません。

確かに!「勇気とか無謀とかそんなチャチなもんじゃ」ありませんね。

いやあ、ホント面白い!

9話の実験っぷりは凄まじいですね。
キョンの一人称で書かれた原作に合わせて、アニメも基本的には
キョンの目の前でしか物事が進行しないわけですが、9話だけは
あえてキョンがいない時の部室の様子を描いています。カメラ
アングルがああなのも、「3人称」である事を示しているんでしょうね。

(古泉と長門のクールさが笑えます)

第5話でもカメラとキョンの心理を連動させたり、カメラについては
かなり冒険的な作品だと思います。

ぶっちゃけDAKINI氏が繰り返し勧めるので、試しに見て忌憚なき意見を書いたわけですが。
鋭い斬り返しを期待していたものの、DAKINI氏が「ハルヒ信者」丸出しでがっかりです。

ハルヒも商業作品としては評価してますよ。このような熱狂的な信者を産む作品として。
設定と伏線を山盛りにして理屈っぽいマニアに食いつかせる手法はエヴァを彷彿とさせます。
やはり角川のマーケティング技術の粋でしょうか。

また、エヴァの時代は、マニアは謎本など商業側が提供する情報を漁ったものですが。
ハルヒの時代ではBlogやYouTubeなどでマニア自らが情報を提供する側に回ったわけで。
それを踏まえて、
「ハルヒは、エヴァ2.0である」
とでも言っておけばDAKINI氏もご満悦でしょうか。

んー。
なんだか典型的なアンチの言動を繰り返しておられますね。
すでに書いたとおり、何かを強く礼賛した時、必ず沸いてくる
典型的なコメントですねえ。典型的なアンチには典型的な
信者レスで十分です。


>ハルヒの時代ではBlogやYouTubeなどでマニア自らが情報を提供する側に回ったわけで。

ユーザー自身が話題を自己増殖していく部分、コミュニティへの
「信頼」をベースにした部分が重要なわけで。それをして、旧来の
「釣り」と同レベルにしか見られないのであれば、そんな感性の
持主と価値ある議論は生まれないでしょう。
理解できないなら、理解できないと言えばいいんだけど、それが
できないからアンチ的な発言をついついしちゃうんでしょうかね。
悲しいものです。

今後メディアミックスする際に既にネットで流行ってたのか、いないのかが重要になるのかねぇ。

exorさん言ってる事がめちゃくちゃですよ
>最近のアニメって最終話だけDVDで売ったりするんでしたっけ?それと似た状態を毎週、意図的に作ってるところはあざといなと。
そんなアニメほとんどありませんし、毎週引きを作るのは普通ですよ。一話完結物以外認めてないんでしょうか?
>ピースの足りないジグソーを売って、完成させたきゃこれも買えと残りのピースも買わせるような。
アニメはただですよ〜あと徐々に全体が明らかになるのも普通ですよ。最初からすべての謎が明らかになってないと嫌なんでしょうか?ほとんどのドラマやアニメがDVDを売れなくなってしまいます。
>多分、閉鎖空間とやらは、かなり後まで視聴者を釣る餌になるんでしょうね。
ホントに流し見なんですね。そこには誰も釣られてませんし、製作側もそこで勝負しようとは思っていないでしょう。

一応ヲタクとして情報フォロー。長いけど。

>>裏設定山盛りの萌えアニメ
>>設定と伏線を山盛りにして理屈っぽいマニアに食いつかせる手法

昨今のアニメ業界では、
1:一般向けアニメ
2:ヲタク向けの濃ゆいアニメ
の二極化が著しくなっています。
特に2は、
新規客なんか考えず、
原作ファンのみにターゲットを絞り、
コアな作品作りに徹したモノまで出てきています(例:ハルヒ)
対象を「理屈っぽいマニア」より更に狭い「原作ファン」にまで絞り込んでいるんです。
売るためとはいえ、アニメ作るのも大変だなぁ、と視聴者(ヲタク)側からも思うこと然り。

2の弊害ってスゴいですよ。
今、放映されているアニメって、短編長編あわせて80本あるんですが、
(今期の4月新番に限っても60本)
アニメ・オリジナルの作品は一桁しかないですから。
ほとんど原作付き。ドラマかよ。
ある程度人気が出ることを実証された作品しか作らないようになってます。


>>あと、最近のアニメって最終話だけDVDで売ったりするんでしたっけ?
それは、「あのね商法」でググるとよくわかります。
ヲタの立場としては、
「発売は半年後なので忘れてます。」
ってなもんです。
半年前に大人気だった「ぱにぽにだっしゅ!」もこないだDVD最終巻が出たけど、
自分、全然見なかったし。
(注:ぱにぽにだっしゅは、DVD化に際し、大幅な作画改変を行っている。追加エピソードはなし)


>>そういえばエヴァも意味不明なTV最終話→映画で総括
あれは単に、最後のTV版二十五話・二十六話が放映に間に合わなくて……ンガググ。


>>ハルヒの時代ではBlogやYouTubeなどでマニア自らが情報を提供する側に回ったわけで。
自分としては、
「作った作品をちゃんと見てくれている人がいて、
 いいものはいいと、みんなが伝えてくれるようになった」
と思い、とてもうれしく思ったものです。
まぁ、「GUN道」のように、間違った方向に突き抜けた作品もありますが(笑

単に今回のハルヒというアニメの放送形態が実験的だった、ってことであり、それ以上でもそれ以下でもありませんよ。
もちろん、京都アニメーションというブランドとクオリティーに自信があったからこそ、あんな滅茶苦茶(褒め言葉)なことが出来るわけで、凡百の三流萌えアニメだったら「訳がわからない、もう見ない」で終了だったのでしょう。その辺、単なる話題つくりだけのアニメとは違うと思います。

 もっとも・・・ちょっと私もついていけないのが事実ですけどね・・・原作を読め、ってことなのでしょうが・・・うーん、とりあえず最終回まで見た後に考えます。面白い番組であることには間違いないので。

>やはり角川のマーケティング技術の粋でしょうか。

そうです。
>(そういえばエヴァも意味不明なTV最終話→映画で総括、という流れでしたっけ)
なのも、ナディアの無人島編の作画がアレな感じだったり、一話まるまる使い過去の絵を使いまわしてミュージカルをやったのも、トップをねらえの最終巻が遅れまくったのも、オネアミスの翼が大赤字だったのも、すべてマーケティングの為なんです!

exorさんがアンチっぽいコメントを書くのもきっとマーケティングの一環なんでしょうね。

そして今、私がコメントを書いているのも実はマーケティングの一環です!

ハジメマシテ

ハルヒについて、私は原作を知りません。知る予定も、ネットで解説を読む予定も今のところありません。

原作を知ればこそ「ギャラリーの信頼」「視聴者を振り回し」と言われていることと思われますが、私の様な無知な人間は「振り回されている」とは思わないのではないでしょうか?

不親切と言われていますが、とりたてて不親切とは感じませんでした。
「原作と比べて不親切」なのかは私には解りません。唐突度は高いですが、二話以降で人物紹介はされていたので、親切な部類では?と思ったり。
原作と違うことを行っても、原作を知らない人にとってはどうでもいいことです。

流石に一話は話が酷くて切り捨て候補のトップに上げましたが、
続き物の作品としては、各話終了時に、「続きが気になる?」の問いに、たとえそれがギリギリのラインであれ「Yes」と答えさせることが出来れば及第点。

興行全体では作品が占める割合は半分程度(残りは宣伝)らしいですから、、作為的に原作ファンを煽り、計算尽くで宣伝を半分代行させたのなら、制作サイドは凄いなと。

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>なんだかんだで、観ているようじゃあ、利口ぶれませんよ。
>利口ぶるなら最初から観ないことですね。

知らないで批評するのと、知った上で批評するのでは次元が違うと思いますが、如何でしょうか?

私は観もしないで批評する人より観た上で批評する人の方が好きです。

・原作ファンのために大胆な試みを行った
   ↓
・出来が良く原作ファン以外の支持も得た

ということでしょうか。
そのプロセスの上でなら、「ユーザーへの信頼」の意味も確かに理解できます。
少々穿ちすぎた見方をしたようですみません、冷静な情報フォローに感謝します。

そう考えると、原作ファン以外の人にまでブームを波及させる一助となったWebの力の大きさを、改めて感じさせられます。

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