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このサイトは、ゲーム開発、およびゲーム周辺の周辺技術や動向について日々考察し、毒舌的に物を書き続けることを通して、「ゲームの未来形」という大テーマに対して、何か考えを深められるといいなあ・・・・・・というサイトです。

2006年02月28日

今年はペーパーウェア返上の年?


しかし『FF12』をクリアする暇はあるのでしょうかね。
まあ買うんだけどさ。

これも気になってるんだよなー。
『ロストチャイルド』 (たまソフト)
平成ライダーの影響をもろに受けて、制作を始めたらしいと聞きます。
まあ公式サイトを見れば、それがよくわかると思いますが。
約3年という長期の開発期間をへて、ついに完成。

そういえば、『FF12』『マブラヴ』『ロストチャイルド』『MOTHER3』と、今年は長期開発のソフトが完成することが多いですね。まぁ、いよいよ次世代機戦争が本格開始する年であり、PS2最後の年ですからね。たまっていた物が他にも出てきてもおかしくないです。何度も延期を重ねていると、紙の上でしか出来ていないソフト「ペーパーウェア」と呼ばれるわけですが・・・・って、誤用だったんかい?

そういえば、もう1つ。今年は『新』とか『ニュー』とか付いたタイトルが多いような気がしますね。
   ・『新鬼武者』 (PS2)
   ・『New スーパーマリオブラザーズ』 (DS)
   ・『ニューレインボーアイランド』 (DS)
           :
           :
んー、なんだろう。「続編ばっかり」と言われている現状への一定の反省の表明なのか。それともシリーズに新鮮さを取り戻したいということなのか。去年は「ゲームらしくないゲーム」が新しいユーザーを開拓し、市場を席巻した1年でしたが、今年は「ゲームらしいゲーム」がリフレッシュして、新しいユーザーを取り込んで勢いを取り戻す1年になるでしょうか。

Posted by amanoudume at 00:36 個別リンク | Comments (4) | TrackBack(0)

2006年02月27日

中世の経済小説?『狼と香辛料』


電撃小説大賞の銀賞受賞作。狼神ホロと行商人ロレンスの二人旅。ある銀貨が値上がりするという噂を聞きつけたロレンスは、そのもうけ話に乗るのですが・・・・。中世を舞台にしたファンタジーに見せかけながら、中身は経済小説というのが新しい。したたかな商人同士の駆け引きや、教会の勢力が増していき人が伝説と決別しつつある中世の世界観もしっかり描けています。しかし一番の魅力は自分のことを「わっち」としゃべる賢狼ホロですが。

『お留守バンシー』『火目の巫女』、そして『狼と香辛料』。今回の電撃大賞は総じてレベルが高くて、基本的にハズレがありません。どれを買っても楽しめます。そのかわり衝撃の作品も無いんですけど。ライトノベル全体がそうなってきている感じがします。去年話題になった日日日にしても、その若さと複数の小説賞を受賞したことで注目を集めたものの、良くも悪くも異様に既存のライトノベルに順応しすぎてますし。驚くほど、新しいものを感じません。

そろそろ『次』のトリガーを押すことが大切だと思いますが。
それができる人もなかなかいないのかもしれません。有川浩も、まだ『図書館戦争』は読んでませんが、結局自衛隊小説のようですし。もはやネタですよね。なにを書いても自衛隊小説になるという。笑って受け止められるのも3冊までが限界。次はちょっと時間を置いて、新しいものを書かせないとダメなんですが、編集が作家を潰す実例になるかも?

新伝騎にしても、誰も信じてないでしょう。真顔で信じている人がいても中の人ぐらい。流れを生み出すには、複数の作家が続けて本を書かなければいけないわけで、小説専業でない奈須きのこ氏、竜騎士07氏を引っ張ってきている時点で無理があります。

まぁ娯楽の世界なんてのは、大ヒットする話が無いねえなんて言ってる時に突然出てくるもので。遠からず何か出てくるんじゃないか、っていう気はしてるんですけどね。アンテナの数を2倍にするような感じで見ています。精神論っぽくなりますが、無いと思われている時にこそ「金脈」はあるんですよね。

Posted by amanoudume at 18:06 個別リンク | TrackBack(0)

2006年02月26日

書かずにはいられないというのが真実

クリエイティブというのはただの病気です

情報考学 Passion For The Future 「書きたがる脳 言語と創造性の科学」
自分と無関係とは思えず、とても興味深く読んだ記事。
ハイパーグラフィア(書かずにいられない病)とライターズ・ブロック(書きたくても書けない病)について考察した本の紹介。書かずにはいられない病というのは、身におぼえがあります。実際、お金をもらっているわけでもないのに、こうやってブログを毎日つけているのは何故なんだろう、と考えてみれば、「ただの病気です」と言うほかありません。

確実に言えるのは楽しいということ。
Passion For The Futureさんのもう1つの記事、「ぶっちぎり世界記録保持者の記憶術―円周率10万桁への挑戦」にも同じような事が書かれています。

「続けるのが大事なのではない。続けられるのが大事なのだ」
「楽しくやることが肝心なのではない。楽しくやれるのが肝心なのだ」
根性や努力はまったく不要で、続けられる方法、楽しくやれる方法こそ大切だという。
本当にその通りで、このブログにしても楽しいから書いているだけで、別段「ゲーム開発者の情報共有を促進しよう!」とか、「ゲーム市場の分析を多くの開発者と共有したい!」などとは、微塵も考えていません。たまたま話題がゲーム開発だったり、ゲーム市場だっただけのこと。

去年、夏頃から更新頻度を落としていましたけど、あれは実は年末にこのブログをたたむつもりで、徐々に更新しなくなって消えていこうと思っていたからです。静かに消えていこうかな、と(笑 忙しかったから更新が落ちていたわけでは全然無いんですよ。で、まぁ文章を書きたい病気を鎮めるために、他のブログをこっそり立ち上げたり、小説を書いていました。しかし結局、年が明けても続けちゃってますね。なんていい加減な! そのかわり萌えとかエロとか、かなり内容に変化が出てきましたけど。

時々「ゲーム開発が本業なので、ブログの更新ばかりしていられない」とか、「現在の仕事がずっと忙しいから、ブログなんて書いていられない」とか、「ブログを書いている暇があったら、ゲームを作れと言われてしまいそうですが・・・・」などと、言い訳なのかなんなのか、そんな前置きをする人がいます。まぁ本人は正論を書いているつもりなんでしょうし、一般的にも間違っていないんですが、ボクには強い違和感があります。

文章を書くというのは忙しいから書かないとか、ヒマだから書くということではない。そもそも忙しい時ほど書きたくなるのが普通じゃないのかな? 頭の中から文章を吐き出さないと、落ち着いて眠れませんし。書きたければ、睡眠時間を4時間なのを3時間にしたり、あるいは徹夜して1時間ほど目を瞑っているだけで会社に行ったりすればいいわけで、実際ボクはそうしていたし。

結局のところ、単に病気がどれぐらい深刻かということと、文章を書きたいという獣をいかに飼いならすかであって、もちろんその病気のせいで寿命を縮めるようなこともやってしまうわけです。で、年を食うと、「あっ、不摂生だなあ・・・・」と気づいて、健康を維持しようと頑張る・・・・。

そもそも根源的には、クリエイティブというのは「本業」もクソも無いんですよね。ゲームを作ってもいいし、小説を書いてもいいし、漫画を描いてもいいし、作曲してもいいし、アニメを作ってもいいでしょう。もちろんブログに熱中してもいい。何というかな、自分の中のドロドロしたものを便宜的にメディアで分けたり、ジャンルで分けているだけのことで。

ただ、お金をもらう場合には、こちらから吐き出すだけではいかんので、自分の作りたいモノとユーザーの望むモノのバランスを取らないといけません。プロ意識、「それで飯を食っている」という意識はとても大切です。しかしそれさえも、同人まで視野に入れれば、あやふやになってしまう部分はあって。ある意味、クリエイティブの本来の形に近いことができるようになりつつあるのかもしれません。まだボクの中でも自信をもって結論を出せませんけど。


これからはもっと混ざっていくでしょうね

ボクにとってはあらゆる表現は等価。だから去年末に一瞬持ち上がった「ゲームとWeb2.0」への反論も、心の狭い事を言っているように思えましたし、「はいはい。ただの象牙の塔ね」「伝統工芸ゲーム1.0を守る会、万歳」以上の感想はありません。お金を稼ごうとした時に、「過去の経験・ノウハウの蓄積」というリソースをどう利用していくか?という話なら、建設的なんですがね。

ボクなんかも一応、今の所はゲームで飯を食っていますが、10年後にはわからんわけですよ。近年は少しずつ複数のメディアで活躍するマルチクリエイターが増えていますし。これからはもっと混ざっていくんじゃないかな。ネットのおかげもあって、混ざる速度が加速した気がしています。

ただ、そうなっては困るという人もいるでしょうね。長いことやってきて、ノウハウを溜めた人は、自分のノウハウが無価値になっちゃんじゃないかって不安になるかもしれません。そういう不安をどう取り除くか。単純な新旧対立なんて、みっともないでしょう。古いものと新しいものをどう使い分けるか、どう混ぜていくか。それがマネージャーの手腕で、対立だけならサルでもできるし、新しいものに飛びつくだけならコンビニに行って雑誌でも立ち読みしていればいい。

メディア固有の問題というのがあって、そこをおろそかにすると、雑なもの、いい加減なものになってしまいます。ゲームで言うと操作感、インターフェース、手応えかな。例えば、アニメを作っていた人がある日突然ゲームを作ってもいいですし、実際10年前のライトユーザーバブルの頃はそういう事が起きていたんですが、おろそかにしてはいけない部分をおろそかにしてしまうと、結局長くは生き残れません。すぐに消えて、忘れられてしまいます。

    ・「実用性と娯楽のバランスは難しい」
    ・「10年前の状況と似てきましたね」
    ・プレイヤーから「手ごたえ」を奪うゲーム

最近ボクがゲームの手応えについて、ゲームの面白さの重要性について書いているのはそういう理由からです。ライトユーザーブームみたいな時期は、おおらかに受け止めてくれるユーザーが多いから、おおらかに作った物がすごく評価されます。けれどもいい加減に、雑に作った物も、おおらかに受け止められて売れてしまいます。ただ、そういう物は最初はうまくいっても、それほど長続きしません。

「ゲームらしいゲーム」の長く生き残ってきた知恵はバカにしたものではありません。そこら辺をどう使っていくかが手腕なんですね。一瞬輝くだけなら割とできるんですけど、長く生き残ろうとすると、知恵が必要になります。内なる病気を飼いならしつつ、知恵を継続的に蓄積していった人だけが、プロとして長く生き残れるのだと思います。

Posted by amanoudume at 22:39 個別リンク | TrackBack(0)

2006年02月25日

えっと、あの、その、これは一体・・・・もう終わりなのかな? 何というか、そのアレが。

と訳のわからないことを呟いてみたわけですが。
『マブラヴ』というゲームをご存知でしょうか。ええ、もちろんオタにとっては常識ではあるわけですけれどもね。
ああ、しかしまずその前に『君が望む永遠』というゲームの話をしないと。

2部構成のシナリオで、第1部をまるまる体験版として配布するという剛毅な戦略が当たったソフトなんですけどね。第1部(体験版)が最高に幸せな高校生活だったのに、最後の最後に彼女が交通事故で植物人間状態になる・・・・というトンデモな終わり方をしたら、そりゃ気になって第2部(製品版)を買いますがな。まぁシナリオがそれなりに面白かったから、まだいいんですよ。なんだかんだで、「鬱ゲー」ブームと呼ばれた時代の代表作ですし。頭のおかしい元・同級生の看護婦に、映画『ミザリー』のように監禁されて、調教されてしまうシナリオがあるとしても・・・・そんなこと、これっぽちも気になりません。全編、欝ですし。

『君望』の大人気を受け、開発元のアージュへの期待感は自然と高まりました。次回作は王道学園ノベルゲーム『マブラヴ』。そう、ベタベタの王道学園モノだったはずなのですよ、本来は。ところが! 退屈なぐらい王道すぎる学園モノが終わったと思ったら、唐突に始まる第2部! 謎の怪獣の侵攻を受けて滅びつつある人類! ってどこのガン○レード○ーチだよっ! 別にボクが伏字にする理由はゼロなんですが。脊髄反射的にしてしまうぐらい、そっくりです。まぁそれはいいんですけども、王道学園モノだったはずの物語を進めていくと、そのエンディングがあまりに微妙・・・・不幸というかバッドというか。全然謎も伏線も解けてないし。

そしてメーカーからの公式発表。本当は3部作で、2部までしか間に合わなかったから、とりあえず出した。すぐにでも3部を出したいとのこと。うん、そう、『すぐに』出るはずでした。すぐに。それから3年! 3年ってすぐなのかな? とか考えてはいけません、きっと。すぐです。カップめんができるぐらい、すぐ。「もうじき、きっともうじきさ・・・・何度発売延期しても、彼らはきっと・・・・」→「我々は耐えた。そして裏切られた。1度も2度も3度も・・・・快感、そう快感だ」→「永遠に追いつけない蜃気楼。その名はマブラヴ・・・・」ってな感じに、ユーザーには試練が降りかかってきたわけです。

いや、正直もう存在を忘れてましたけどね。ネタみたいなもんで。いわゆるペーパーウェアだと。
しかしついに、とうとう、いつのまにか、『マブラヴ・オルタネイティヴ』が発売されていたのです。
ついに完結。長かった苦難がようやく終わり。我々はあのバッドエンドから解放される・・・・はず・・・・?

しかし・・・・これは・・・・。
ニャー速 「【ネタバレ】ようやく発売のマブラヴオルタネイティヴ」
このグロ画像は何ですか?
あの、前作『マブラヴ』は「王道学園モノを遊んでいたのに、気がついたらガン○レのクローンエロゲーだった」でしたが、今作『マブラヴ・オルタナティブ』は「完結編を遊んでいたら、いきなりグロ画像だった。しかもヒロインの大半がバッドエンド・・・・」。自分で書いていて、訳がわかりません。何ですか、これ? いや、えっと、あの、その、これは一体・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・orz ああ、目の前がパルプンテだよ、こんちくしょう。

追記:
独り言以外の何か 「プレイするつもりがない人向け 『マブラヴ オルタネイティヴ』 概要」

Posted by amanoudume at 00:16 個別リンク | TrackBack(0)

2006年02月24日

二次元エンド。そしてバッドエンドを楽しむゲーム

まさか巡回しているブログで「二次元エンド」という単語に遭遇するとは思いませんでした。
いや、もちろん、現代エロゲーマー(およびエロラノベ読み)の基礎知識ではあるわけですが。
しかし「また君か。」の中の人はエロゲーマーではないようなので、そういう人のブログで遭遇するとはますます意外。

   ・キルタイムコミュニケーションの公式サイト
   ・二次元の本棚

二次元ドリームノベルズって、たしかウガニク氏が立ち上げた企画なんだっけか。エロラノベ市場を活性化させた立役者ですよねえ。
出版社のキルタイムコミュニケーションは、「ゲーム批評」「ユーゲー」を出しているマイクロマガジンと同じマイクログループなんですよね。その絡みで、「悪趣味ゲーム紀行」で有名ながっぷ獅子丸先生が二次元ドリームマガジンで「悪趣味エロ紀行」を連載しているのかな。

二次元ドリームノベルズといえば、『神様家族』で知られる桑島由一氏が別ペンネーム(桑島ユウキ名義)で二次元ドリームノベルズの第1巻を書いていたはず。これかな?



『デビッターズ 返して・勇者さま!』


『神様家族』

まぁ「戦うヒロイン」系のゲームは基本的にバッドエンドを楽しむゲームですからね。
ヒロインが勝っている間は「和姦」しか見られず、負けた時にだけ「陵辱」が見られるわけで。
しかし中には、戦うヒロインが負けても、あと一息という所で、理不尽な大逆転が起こるゲームが何本もあります。そういう「地雷」ソフトのバッドエンドも、「二次元エンド」と言われてますね。ゲームはせっかくマルチエンディングなんだから、二次元エンドはやめてほしいんですが・・・・。

小説の場合、「二次元エンド」しないと先が続きませんからねえ。なかなか難しい。
第1巻「陵辱END」→第2巻「パワーアップして逆転するも数ページでピンチに。最後の数ページで気合いで逆転」→第3巻「陵辱END」→続きが出ない・・・・とか。個人的な願望としてはグインサーガ並みに続けてほしいんだけどねえ。さすがに飽きるか。

Posted by amanoudume at 23:15 個別リンク | TrackBack(0)

2006年02月22日

北米で続くゲーム市場の縮小

北米で続くゲーム市場の縮小

Gamasutra - U.S. Game Sales Down In January, Xbox 360 Sales Slow
北米のゲームソフト市場が前年比で5%縮小したようです。ここ数年拡大し続けてきた北米市場は去年の秋から前年度割れが起きていて、数年前の日本と同じようにゲーム市場の縮小現象が起こるのではないか?という懸念が強まっています。もっとも、基本的に北米のアナリストは非常に強気ですけども。

しかしソフトメーカーはそこまで楽観していないような印象を受けます。例えば、北米ゲーム産業の成長の象徴ともいえるEAにしても、従業員の5パーセントを解雇しました。次世代ゲーム機の立ち上がりも意外と遅い。XBOX360は1月に25万台と堅調なものの、去年からの累計が85万台と少なく、供給能力の低さが改善されたとは言いがたい状況です。

また、去年のE3では2006年3月と言っていたはずのPS3が今の所3月に出る気配を見せません。いつのまにか「春」と言い出しているのが面白いわけですけど、その春にしてもコーエーの松原氏から「春と言われてますが、凄い暑い春になるかもしれませんね(笑)」というコメントが出てきている状況。ちなみにEAの予想は10月以降のようです。

1つ明快なのは、次世代据置ゲーム市場の立ち上がりが当初の予想より遅れていること。先行投資した企業にとって、これは危険な兆候です。ハードの普及台数が少ない時期には、やはり売れるソフトの本数も限界があります。


安易な「北米ゲーム開発優位論」はフェードアウト

また、2005年の国内の市場の変化や、北米ゲーム市場の縮小を受けて、「日本先行論」が勢いを持ち始め、「北米ゲーム開発優位論」が急速に支持を失いつつあります。実際、日本のソフトメーカー各社は北米市場に切り込んだはいいものの、かなり痛い目を見ていますし、一方で国内を軽視しすぎてDSの大ブレイクに代表されるような国内市場の活性化の波に乗り遅れた企業も出ています。

最近調子がいいのは任天堂以外ではセガですが、その復活には『ムシキング』『おしゃれ魔女ラブ and ベリー』が大きな貢献をしています。「国内の市場はもう駄目だ。日本は捨てて北米へゴーだ!」「これからは北米、北米、北米。日本のゲーム開発者より北米のゲーム開発者!」という主張がいかに安易なものだったかが、具体的な数字に現れてきたわけです。今年からは少しバランスの取れた議論が行われるでしょうね。(参考:ゲームのマボロシ「日本先行論」

ここ数年、北米市場の成長と国内市場の縮小が続いたため、日本のゲーム開発者は良くも悪くも自信を失ってきました。そういう不安につけ込むかのように「北米ゲーム開発優位論」が悪い形で流布し、焦ったゲーム開発者が安易な北米受けを狙って、日米両方の市場で失敗するというケースも出てきました。日米のゲーム開発者はそれぞれお互いに学べる点があるはずです。一方、人々の不安につけ込んだ議論は常にチープです。チープな議論は復活にはほとんど役に立ちませんし、いざ市場が盛り上がってくれば、みんなの頭から忘れ去られてしまいます。


クリエイティブという面では尊敬できない部分が目立ち始めた

クリエイティブの面でも、北米のゲーム開発者による日本ゲームのパクリが問題化しつつあります。
有名なのは『直感ヒトフデ』で知られるミッチェルの『パズループ』がPupcap Gamesにパクられて、『Zuma』というタイトルで売られたばかりか、ゲーム・オブ・ザ・イヤーまで受賞した事件です。
    ・ウナム日月の乱筆乱文お許しください:Real Arcadeによる盗作問題で揺れた「瞬感パズループ」がDSで任天堂から発売。
    ・IGDA Japan chapter - ニュース:「Puzzloop versus Zuma」進展を見せないものの認知が進む Pupcapアイデア盗用問題

またゲーム界のアカデミー賞といえる「9th Annual Interactive Achievement Awards」が発表されましたが、『ギターフリークス』によく似た『Guiter Hero』が『nintendogs』と並んで、ゲームデザイン部門賞を受賞しています。
    ・ゲーム界のアカデミー賞「9th Annual Interactive Achievement Awards」が決定

ギターフリークスと同じと思われるかもしれないが、本作では5弦になっていたり、トレモロアームを使ったフィーチャーが搭載されているのが特徴だ。アメリカゲームメーカーによる日本産ゲームのアイディア盗用が問題になっている昨今だが、ただコンセプトを持ってきただけのゲームであれば、本作がここまで高評価を得られることは決してなかっただろう。
記者の方はできる限り冷静かつ公平に書こうと努力しておられますが、画面写真の下についたコメント「5弦あればゲーム性も異なっているということか……」に本音がチラリとうかがえます。

まぁゲーム業界というのは、良くも悪くも「売れれば正義」というところがあって、それがゲームを世界的な産業にしたのも確か。売れている北米ゲーム産業が正義、という行き過ぎた論調も、ある時期までは正しかったのかもしれません。しかし今や、繁栄は倣岸を通り越し、クリエイティブは安易なパクリになりました。もちろん、北米のゲーム開発者の大半は、クリエイティブな方々ですし、健全な議論のできる冷静さをもっていると思います。
今後は「日本先行論」と「北米ゲーム開発優位論」が不毛な論争をせずに、むしろお互いに冷静さを維持するための装置として機能することを期待します。

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2006年02月19日

しかし衰退した理由はよくわかる

そんなわけで『乙女的恋革命★ラブレボ!!』を2周クリア。1周目はダイエット成功したものの、バッドエンド。ああ・・・・。2周目は幼なじみエンドでした。今はお兄ちゃんエンドめざして進めてます。明らかに非モテに属するはずの幼なじみですが、後半で突然モテに「化ける」のはこの手のゲームのお約束ですな。それにしても、こっちが地道にダイエットに勤しんでいるというのに、あんなふざけた理由でたった1ヶ月で大変身かよ。と一瞬、殺意を覚えるぐらいの別人ぶりでした。


パラメータ上げゲームとして完成度が高い出来

しかしひさしぶりに据置ゲームの「恋愛シミュレーション」を遊んでみて思うのは、恐ろしくゲームデザインが古いということ。時の流れをまったく感じさせません。一方で、別に女の子じゃなくて男の子が画面に出てくるゲームであったとしても、そこそこ楽しめちゃっている事実。要するに「パラメータを上げていくだけ」のゲームであって、それが楽しいかどうかなんですよね。そういう基本的な部分は、おそらく手馴れた人たちが作っているだけにかなり秀逸です。

    ・一番重要な「体重」が一際大きく表示され、「体重」だけがアニメーションしている
    ・次に重要な「Hara-Heri」(ストレス)がわかりやすく表示されている
    ・体重、見た目に関連するパラメータがパラメータリストの上方に位置している
    ・パラメータの上下が非常に明快
         その日の行動結果画面が3回続いた後に、トータルの結果画面が入り、
         どのパラメータがどれだけ上下したか、2度目の確認になる。
    ・パラメータが上がった時の演出が音、グラフィック共に良く出来ている
         「ぼちぼち」「成功」「レボリューション」の3段階の演出が明確で、
         どれもわかりやすい。寒色系単色、暖色系単色、虹のグラデーション。
    ・ほとんどの画面でステータス画面を呼び出して、体重やパラメータを確認できる

このゲームで特徴的なのは、体重(と腕、足のパラメータ?)に応じて、主人公のシルエットが変化していくことです。ドドリア体型からふくよかな体型をへてモデル体型まで。100kg→45kgになる間に5〜6段階はあるみたいです。

この手のゲームで主人公の顔を極力見せないというのは基本的な文法なわけで、出てくるとしてもエンディングまではどれだけ痩せていても、このトドです。さすがにエンディングでは、やせた現在形の自分自身の姿を見られるわけですが、それまでは頭の中で想像しているしかありません。今時、パラメータの変化だけで、想像するのはつらい。ところがこのシルエット画像が徐々にスタイリッシュになっていくことで、想像が刺激されるんですね。かなりうれしい。

またステータス画面では、1ヶ月ごとのシルエットの変化を確認できますし、「体重」「腕」「足」「筋肉」・・・・といったパラメータの変化をグラフで確認することもできます。自分がどれだけやせたかの変遷を眺めて、にやにや悦に入ることもできるわけです(プリンセスメーカーで、娘の成長を視覚的に確認できるのに近い)。

非常にベーシックな部分がきちんと作られています。パラメータ上げゲームなだけに、パラメータが上がった時のうれしさ、パラメータが上がっていった結果の満足感は重要ですから。しかしこれが別ジャンルになると、最近出来ていないゲームを少なからず見かけます。要は「そのゲームでなにが大切な物なのか」を作り手自身が理解できているかどうか、です。


しかしこのジャンルが衰退した理由はよくわかる

まぁしかしゲームデザインの根本的な古さは否めません。『ラブレボ』がどうこうと言うより、この「恋愛シミュレーション」というジャンルそのもののデザインが古いんですよね。

1.育成型: プリンセスメーカー型
一定期間でパラメータを上げていき、パラメータがある条件を越えることで、
あるエンディング(未来、職業)にたどり着く。パラメータが上がっていく以外に
プレイヤーに喜びを与えるチャンスが少ない。

2.恋愛+育成型: ときめきメモリアル型
一定期間で育成パラメータを上げていき、育成パラメータがある条件を越えることで、
ある異性を落とす条件が整う。ただし育成以外の要素として恋愛があり、デートに
さそうことで好感度を上げていかなければならない。パラメータが上がっていく以外に
プレイヤーに喜びを与えるチャンスがある。

ゲームは基本的に、プレイヤーに「喜び」「快感」を与えるチャンスを増やしたり、その喜び量を増やす方向に進化します(注1)。つまり1→2の進化は自然です。ただ、1と2で変わっていない構造があります。それは、一定期間内にある条件を満たさなければならず、その条件を満たさなければ、それまでのプレイをリセットしなければならない、ということです。

育成ゲームは1つ1つの選択でチマチマ少しずつパラメータを上げていきますが、ある時点で「ああ、これは・・・・もう落とせないな」と気づいてしまうことがあります。しかし直前のセーブデータに戻っても根本的なやり直しが不可能です。すると数時間かけたプレイ時間が完全に無駄になってしまいます。これは厳しい。『アイドルマスター』でさえこの構造から抜けておらず、そのために「お金をかけないとクリアできない」ゲームになってしまっていますし、ユーザーの数を大きく狭めることになりました。

かつて『ToHeart』型に負けた理由の1つがここにあります。あれは、育成要素を排除して、恋愛要素のみを快適に遊ばせることに特化したゲームデザインです。マップ上に出てくるヒロインキャラを選択するだけで、ルートが決まります。つまりプレイヤーは「誰と恋愛したいのか」だけを考えればいいんです。

これは恋愛育成モノに限らず、長いスパンでの制限時間があるゲームでは共通の問題です。例えば、任天堂の『ピクミン』も同じ構造、同じ問題を抱えています。30日間でバラバラになった宇宙船のパーツを集めるという目的でしたが、大抵のプレイヤーはある時点で宇宙船のパーツを集めきれなくなることに気づくんですね。そしてそれまでのプレイ時間をリセットしなければいけません。2回目は慣れていて効率的なプレイが可能ですから、何とかクリアできるでしょう。
これは恋愛シミュレーションも同じで、普通のゲームバランスだと1回目はグッドエンディングを見られないようになっています。パラメータをより効率よく上げていくための方法(攻略ルート)を悟って、2回目以降で誰かを落とすことに成功するはずです。

この構造は今やゲームマニアでさえ耐えがたい。だから恋愛シミュレーションは衰退したわけですし、『ピクミン』は宮本茂氏が前面に出てきた作品の中で、唯一ミリオンに届いていないんですよね(注2)。任天堂はその後、時間制限をなくした『ピクミン2』を出したわけですが。しかし育成モノ、恋愛モノのゲームデザインはいまだに改良されておらず、『ピクミン2』の水準に届いていません。それでは、永遠に『ToHeart』型に勝てないでしょうね。

まぁボクは10年前には、まさにこの「恋愛育成シミュレーション」のシナリオを書いたことがあって。でも今は作ってないから無責任な予想になるんですが、1)この厳しいゲームの構造から脱却すること、2)パラメータを前面に出さない遊びに転換することの2つが未来に続く鍵になるんじゃないか、と思います(注3)。

注1
「喜び」「快感」を与えるチャンスを増やしたり、その喜び量を増やすという事は、演出が入る回数が増え、演出が長くなることにつながります。その結果、ゲームから「軽さ」が失われていきます。昨今、軽いゲームを求めるユーザーが増えているのは、作り手が与えようとする「喜び」「快感」が供給過剰になったせいだと考えられます。そして供給過剰になることで、1つ1つの演出から得られる喜び量、快感の価値が値崩れしているのが現状でしょう。要するに「見慣れた」「飽きた」ということです。

注2
『ピクミン』発売当時、宮本茂氏はファミ通のインタビューの中で「マリオを10、どうぶつの森を1とすると、ピクミンはその中間の5ぐらい」(この数字は優劣ではなくて、いわゆるゲームっぽさのようなこと)と語っていました。2006年現在から振り返ると、任天堂はかなり前から、従来のゲームらしいゲームの構造が通用しなくなっていると考えていたことがわかります。

ゲームデザイン史で見ると、『ピクミン』シリーズはゲームらしくないゲームとゲームらしいゲームの中間を狙った作品で、その両方の利点と欠点をあわせ持った「過渡期」のゲームなのかな・・・・と。その後、DSの時代に入ると、「迷い」がふっ切れたのか、『nintendogs』では大会の部分を除けばゲームらしさがほとんどありません。と同時に、ユーザーのニーズもタイミング良く合致し、『nintendogs』や『おいでよ どうぶつの森』の大ヒットにつながるわけですが。

注3
10年前にもそういうトライはあって、それが一緒に暮らすことを重視した『ルームメイト』や、会話そのもののゲーム性を高めようとした『ノエル』のチャレンジでした。しかしそろそろ再チャレンジがあってもいい頃だとは思うんですが。

1つの方向としては、『ガンパレードマーチ』的な要素を取り入れ、箱庭性を重視したコナミの『ネギま!』。そしてオンライン要素を付加した『ときメモオンライン』。パスワードでやり取りするたまごっち程度のオンライン要素であれ、本格的なMMOであれ、オンラインが突破口だと考えているゲーム開発者は少なくないですね。

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2006年02月16日

これが噂のレボリューション

PS2 『乙女的恋革命★ラブレボ!!』公式サイト
ここ数年、コンシューマーゲーム機では、ギャルゲーを追いやる勢いで乙女ゲーム、ボーイズラブゲームが売れています(一方、エロゲーでは女性向けゲームも増えているものの、まだまだ男性向けゲームが圧倒的に多いです)。

とはいえ、正直自分ではほとんど遊ぶ機会がなかったのも事実。
しかしいつまでも乙女ゲームをスルーするのもどうかと思うわけで、そろそろ・・・・と思っていた矢先、このゲームが引っかかってきました。携帯電話ゲームと連携する『ラスト・エスコート』もなかなかに惹かれるものがありましたが・・・・やはりこのおバカな破壊力には勝てません。

つーか、この生物のどこがどうやったら、「美少女」になるんですかっ。ザーボンさん。
これは確かに「レボリューション」だよなあ。いや、むしろ「エボリューション」(進化)と言うべきか。

しかしそれよりも恐るべきはやはりこの妹の兄。
幼い頃には美少女コンテストを総なめにし、CMへの出演依頼も山のように舞い込んでいた妹を、こんなになるまで放置しておいた「お兄ちゃん」こそ、本当の意味での驚異なのかもしれません。妹がかわいくって仕方ないって、あんた、本気で外見を気にしてないだろ。これが本当の「妹への愛」ですか。何をしても許す、何をしてもかわいいよ、という愛の究極形ですね。まぁこんな「究極」には、正直ボクは到達したくはありませんが。

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2006年02月15日

任天堂、ゲームセミナーの作品を全国に配信

任天堂、「ニンテンドーDS カンファレンス! 2006.春」開催
任天堂が春商戦に向けての発表会を開催。DS Liteの実機を披露したほか、Operaと共同開発しているWEBブラウザ「ニンテンドーDSブラウザー」と「DS地上波デジタル放送 受信カード (仮)」など、新しい商品ラインナップを発表しました。PSPのように本体に標準でつくわけではないものの、タッチペンと2画面でのWebブラウザは、なかなか面白い試みでしょうね。2画面とタッチパネルは他のデバイスに対してDSのもつ圧倒的な優位性ですから、それを活かしたWebブラウザを期待したいものです。

カンファレンスでの岩田社長の講演スライドと講演テキストは任天堂の公式サイトに掲載されています。その中でもなかなか興味深いのは、任天堂が3年前から実施している「任天堂ゲームセミナー」の作品を全国のニンテンドーWi-Fiステーションで配信することです。

PCなどのゲームコンテストであれば、サイト上に作品をアップしておけば、ユーザーに自由に落としてもらったり、意見を聞くことができましたが、ゲーム機では基本的にはそういう経路がありませんでした。できたとしても、特殊な開発キットをもったユーザーでしか実行できず、ゲーム機の最大のメリットである、ゲームユーザーが多い点を活かせませんでした。

ニンテンドーWi-Fiステーションは現在、全国に800箇所設置していて、自宅にネット環境の無いユーザーでもネット対戦が遊べるスポットになっています。また、ネット経由で試遊ソフトをアップデートできるため、体験版の差し替えが頻繁にできるようになったり、試遊回数の集計が可能になったようです。1月だけで114万回の試遊が行われている他、『おいでよ どうぶつの森』のデータ配信を実施したところ、2月2日〜2月13日間だけで47万件のダウンロードがあったそうです。

もはや1つの巨大な配信網といって差し支えないでしょうね。そこを使って、まだプロになっていない人の作品が配信されるのは、非常に面白い試みですし、非プロフェッショナルのゲーム制作者に新しい可能性の1つを提示したといえそうです。

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ニンテンドーDSにウェブブラウザとワンセグ受信カードが登場
Excerpt: DSの好調、DSLiteの発表で盛り上がる任天堂から、新たな発表あった。 ニンテンドーDSに新たな機能をを追加するパッケージが発売される。 2月1...
Weblog: トラックバックの犬
Tracked: 2006年02月16日 00:04

2006年02月14日

ゲームというのはインタラクティブな方法論を使って感情的なゆさぶりを演出するメディアです

「インタラクティビティー」や「手ごたえ」について書いた理由

先週掲載したプレイヤーから「手ごたえ」を奪うゲームの反応がなかなか多いです。少なくない人が漠然と感じていたことだったのかもしれません。

昨年末までは、Web2.0とゲームについての話や、ゲームが外に広がっていく話を書いてきましたが、このところ急に「インタラクティビティー」や「手ごたえ」というものをテーマに書いています。そのあたりの問題意識がどこにあるのかについて、少し書いておきます。

1.ゲームが外に広がっている
   ・ゲーム会社がゲーム以外の事業を広げている。
   ・ゲーム自体の定義が広がっている。実用性ゲームブーム。「非競争ゲーム」が台頭してきた。
   ・オンラインゲームになると、オフラインゲームほどの狭義のゲーム性は要らない。
   ・ゲーム会社のコンテンツがいわゆるゲーム機以外のプラットフォームで動くようになってきた。

   他産業に対しての優位点は何か?
   競争力の源は何か?
   ゲーム開発者にとっての武器は何か?

2.ゲームらしいゲームに元気が無い
   ・例えば、ストーリー系のゲームの進化(?)の1つとして、『アドベントチルドレン』がありえる。
   ・ライトユーザーブームが起きている中、満足にゲームデザインが分析されていない。
   ・例えば、『脳トレ』にしても、実用ソフトの皮をかぶった紛れも無いゲーム。
   ・10年前にも同じようなことがあったが、「ゲームらしくないゲーム」はさほど長続きしなかった。
    その辺りの総括と反省は?

   「ゲームらしいゲーム」の構造のうち、どの部分が古く、機能しなくなってきたのか?
   「ゲームらしくないゲーム」の構造のうち、どの部分が新しいのか? 成功しているのか?
   一過性のブームで受けているものと残るものを見極めないといけない。

3.ゲームのノウハウが他の分野に生きる
   ・ユーザーインターフェースへのこだわりがデジタル家電、セットトップボックスの開発に生きる
   ・Webサービスとの連携、融合
   ・FLASHその他のインタラクティブメディアへの影響

過去20年近く続いた旧来のゲームデザインの効果が薄れてきているのは確かですから、そろそろ今のユーザーに合った形でのインタラクティブメディアの演出、技法、定石、設計(ゲームデザイン)を本気で構築していかなければいけない、ということ。ただ、その一方で、10年前のライトユーザーブームと同じ失敗をもう一度くり返すほど、ボクらは間抜けではない、と信じたいということ。
変化が急激であればあるほど、ある種の冷静さは必要です。


ゲームデザインって・・・・

「ゲームデザイン」という言葉を使うと、どうも旧来の「ゲームらしいゲーム」に限定した話をしているように思われそうです。そういう意味では名前を改めて、例えば「ゲームデザイン2.0」でも、「ゲーム2.0」でも、「インタラクティブメディア演出技法」でもいいのです。
(そういえば、AOGCの講演資料のスライドを見ると、どなたかの講演で「Web2.0のゲーム版→Game2.0」というような記述がありましたね)

ここでゲームデザインは何かというと、こちらの記事のコメント欄で話題になったように、インタラクティブなメディアを通して”感覚的なゆさぶり”を演出することです。

jun氏:
ゲーム製作については良くわからないのですが、上に書いたような”感覚的なゆさぶり”を演出するのが、”ゲームデザインする”ということなのかなぁと思いました。

DAKINI:
基本的にそう考えていただいて構わないと思います。ゲームというのは、インタラクティブな方法論を使って、
感情的なゆさぶりを演出する、とりわけ「面白い」という気持ちを持続させるメディアです。

その目的とするところは過去も現在も未来も変わりませんが、やはり時代と共に「演出技法」の流行り廃りは起こるわけです。特に最近は、旧来型のゲーム、ゲームらしいゲームの元気がなくなっていますから、新しい「演出技法」に対する注目が集まっています。

しかしそれは「演出技法」の問題です。
そもそもの「目的」が変わるわけではありません。ユーザーに「手ごたえ」を感じてもらわなくていい、というわけではありません。確かにある古い様式、古い型は、通用しなくなりつつありますが、ユーザーにいかにして「手ごたえ」を感じてもらうかを追求してきた積み重ね、ノウハウがすべて無効になるわけでもありません。

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2006年02月12日

物語は終わっても、日常は続く

最近読んだ本のうち一部を紹介。

半分の月がのぼる空6

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シリーズ最終巻。基本的には5巻できれいに幕を閉じていて、この巻は後日談に当たります。作者の橋本紡が書いているとおり、物語としては完全に蛇足です。6巻の終わりにしても、5巻のきれいな終わり方に比べれば、平凡なものです。ただ、それでも書くというところに、橋本紡の作家性があるのかな、とも思います。あとがきから抜粋します。

ただ、どの時点だったかは忘れましたが、『半分の月』という物語を綴るうちに、僕はこの巻を書いておきたいと思うようになっていました。裕一と里香が生きる場所は、病院ではありません。病院とは通り過ぎる場所であって、裕一と里香はやがて日常に戻っていきます。たとえ蛇足であろうと、物語としての美しさを壊すことになろうと、その日常という名の舞台で彼らがどう生きていくかを書いておきたかったわけです。
次のシリーズは、「そこら辺にいる平凡な若者の平凡な日々をひたすら平凡に描くつもりです」と予告していますが、この作家、小説を書くたびに、ファンタジーやSFや非日常的な出来事が抜け落ちて、日常に近づいているんですよね。

面白いのは、女の子が宇宙戦艦だったり、最終兵器だったりする作品よりも、ずっと病院に入院している女の子との物語『半分の月がのぼる空』の方がずっと売れていることです。読者が受け入れている、少なくとも一部の読者が受け入れているのは、興味深い現象です。物語が終わっても、キャラクターたちの日常はだらだらと続きます。受け手がそういうものを認める、いやむしろ期待するところまで来ているんでしょうね。

ストーリーの小説の時代ではなく、キャラクターの小説の時代だから、という今さらな認識に至ります。小説というのは、割とストーリーの型とか完結性がきちんとしているメディアです。起承転結のような型も、割合しっかりしています。ノベルゲームの場合は、型が崩れているものも多くて、『To Heart』以降の作品を持ち出すまでもなく、ダラダラした日常を描くのに向いています。ノベルゲームには、ストーリーを重視するか、キャラクターを重視するかという潮流がありますが、とりわけ後者の作品では日常描写が重視されます。また、『Fate』のようなストーリー重視派でも、同人が日常分を補完し、ファンディスクが日常分を補充し、というケースが往々にしてあります。
ボクは何となく、そうしたノベルゲームの日常性がライトノベル(の主に読者)に影響を与えているような気がしています。


火目の巫女

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電撃小説大賞銀賞。和風伝奇もの。物語はオーソドックスですが、文章力が高く、面白い。すげえ鬱展開ですが。いや、「鬱」と書くとよくないですね。主人公は基本的に前向きですし、頑張り屋さんですし。ただ、努力しても報われないし、何の役にも立たないし、無力です。無力感小説というべきか(無気力感小説ではないので!)。

ある種のリアリティーがあって。それが普通のライトノベルとは違うところですね。ライトノベルでは「無能」や「平凡」な主人公がいても、何だかんだ理由をつけて、活躍させたり、役に立たせるじゃないですか。それが物語だし、小説だと信じられているような力場があって。それが帯の橋本紡のコメント、「電撃らしくない作品だと思う。いい意味でも、悪い意味でも、電撃らしくない」につながるんでしょうね。

この終わり方で続きを出すというのがすごいけど、ライトノベルは受賞作品をシリーズ化するのが当たり前になってますからね。電撃hpの作者インタビューによると、4〜5巻ぐらい続けて最後は希望を持たせたいらしい。『火目の巫女』という作品がどうなるかはともかく、これを書き続けた先に、この作家が化けるかもしれないし、ずっとこのままかもしれない。

(2chの創作文芸板のコテハンでもあるらしく、あとがきに隠された「どう見ても〜」とか、2ch系作家っぽさを発揮してます。すでにはてなのキーワードにも。作者の小説サイトはこちら

それにしても巫女といえば、火ですよね。どの作品も鬱っぽい展開や、復讐があるのも定番。まぁ日本において「神を祀る」という行為は、神の怒りや恨み、呪いを回避するための手段ですし、異能は恐れられ、隔離され、崇められるものです。一神教の世界での「信仰」とは根本的に別物ですからね。


お留守バンシー

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電撃小説大賞金賞。ライトノベルブームもピークに到達し、応募総数3022作品という未曾有の応募数に達した第12回電撃小説大賞の頂点を飾った作品。しかし3000というのはちょっと尋常じゃない。1次選考突破だけでも、他の小説賞の応募総数ぐらいはあるんじゃないの?

だじゃれなタイトル名というのは、どうかと思わなくもないですが、ほのぼの系で誰にでも楽しめるタイプの小説。完成度が非常に高いですね。深沢美潮(フォーチュンクエスト)の路線が好きな人なら、間違いなく楽しめるでしょう。巧い。ただ、新人らしくないとも言えます。良くも悪くも、化けるということはない気がします。


野ブタ。をプロデュース

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テレビドラマが話題になってたので、まずは原作本を買ってみたわけですが、確かに面白いんですけど、そこまで人気が出るほどかな? オチが明るくないしなあ。で、公式サイトを見に行ったら、テレビドラマは全然設定違うんですね。なるほど。ドラマって原作小説からの改変度が大きいですよね。いずれDVDで観ようかな。ボクはほとんどテレビを観ない人なんですよねー。

Posted by amanoudume at 13:47 個別リンク | TrackBack(0)

2006年02月09日

プレイヤーから「手ごたえ」を奪うゲーム

ゲームって要らないよねという流れを後押しするゲーム

去年は、RPGの続編モノの売上が低下した一方、ムービーだけのFFである『アドベントチルドレン』が大成功したことで、「ゲームなんて要らないよ、ムービーだけ見せてよ」というユーザーの本音が表面化しました(参考:ストーリー神話の崩壊を裏づける? アドベントチルドレンの大成功)。

さて、『FF7』派生作品の1つ、『ダージュ・オブ・ケルベロス』の出来があんまりですね。昔からスクウェアはRPG以外のジャンルはダメ、と言われていましたが、いまだにその体質は変わらないようです。出来の悪いアクション、レース、テーブルゲームに美麗なムービーをつけただけのAQUESブランドの失敗を、全然反省できてないんですねえ・・・・。ネットでの評判も最悪の極み。

このゲームは「惜しい」とか、どこを良くしようとか、そういう次元じゃないです。よくフリーゲームで、RPGツクールで作ったアクションゲームってありますよね。あんな感じです。何もかもが少しずつ悪いというか。せめてもの救いは、RPGしか遊んだことが無いような人向けに、簡単なモードが用意されていることでしょう。このゲームは『FF7』派生作品だけあって、女性ユーザーの購入率が高そうですが、そういう人でもクリアはできそうです。

ただなあ・・・・簡単なのはいいけど、こんなのただの作業じゃない。
これ、別にゲームの部分要らないんですよねえ。『アドベントチルドレン』みたいに映像だけでいいんですよ。
このゲームを遊んだ人の何割が「やっぱりゲーム(の部分)って要らないね。邪魔だね」と感じるのかな。他人の商売を批判する気はさらさらないけど、自分で自分のクビを締めてる気がします。そんなに「映像はすごいけど、ゲームは・・・・」というブランドにしたいのかなあ。


根本的に何かを間違えた商品は悲しい

『新鬼武者』、一般人の興味をひくために実在の有名人を使っていた路線から切り替えて、オタク路線に。いったい何があったんですか? 公式サイトの右上の「茶処ほととぎす」が象徴的。会話デモには、キャラの顔イラストも表示されます。『テイルズ』や『ラングリッサー』じゃないんだからさ。萌えキャラも導入。ネットの掲示板を見ても、「茜たんが・・・・茜たんが・・・・」って、おいおい。

まぁ売上を見れば、「ゲームはマニアしかやらない」という浅薄な市場理解をしたプロデューサーの責任は重いですね。初週売上は前作の約半分だったようです。『鬼武者3』で半減、今回でさらに半減。かつてのミリオンソフトが見る影もなし。スクウェアエニックスの『コードエイジ・コマンダーズ』といい、最近こういうの多いですね。勘違い系オタ向け路線。媚びても売れません。

と厳しめにコメントしましたが、今までにくらべて初心者に優しくしようという姿勢がうかがえるのは評価できます。最初から「超易」「易しい」「普通」の3つの難易度がオープンしていたり、チュートリアルで操作をテロップで表示していたり、RPG要素が強化されていたり。


プレイヤーから手応えを奪うゲーム

ここからは内容の話です。
始めのボス(大魔神みたいなやつ)がいるじゃないですか。そいつを倒すと、つまり手を斬りまくって体力ゲージをゼロにすると、経験値が入ってまあレベルアップなんかして、その後デモが走って、その中で主人公が大魔神の顔面近くに飛び上がってとどめを刺すんですね。
問題点がわかります?

ボスを倒した「手応え」が無いんですよ。
肝心のとどめを刺す手応えをデモがプレイヤーから奪ってるんです。これ、始めのボス戦でしょう。ある意味、一番大切なボス戦ですよね。せっかく簡単にしても、それは初心者にもまず楽しさを知ってもらって、ゲームに入り込んでもらおうという意図ですよね。だったら、肝心の手応えの部分は、しっかり味わってもらわないといけませんよね。デモがプレイヤーの出番を奪ってどうするんですか?

カプコンみたいに長年アクションゲームを作ってきた会社が、こういう事を平然とやっている。おそらく作った人たちは問題とも思ってない。鬼武者チームって、バッサリ感とか、ズバババッサリ感とか言っている人たちなのに。ボクが常々、日本のゲームの質が落ちた、と言っているのはこういう事です。


良く出来ているだけのゲームが多すぎる

分業が進んだ悪影響なのかな、とも思いますが、本当に良く出来ているゲームが増えました。それぞれのパートは全力で仕事をしているはずで、クオリティも高いのに、大して面白くない。この「大して面白くない」というのが非常にくせもので、「つまらない」わけではない。

かといって「面白い」わけでもない。ボクは時々ゲームが「良く出来ている」という言い方をするんですが、それって誉めてないんで。要するに、他に何の誉めるべき点も無い、まぁ労力がかかってるのはわかるし、1つ1つのクオリティが高いのも事実だから、「大して面白くない」というのはあんまりだな・・・・と思って、そう書いているんです。

ネットでは「ゲームがつまらなくなった」ってよく言われてますね。そのほとんどは「マニアの意見」「メディアとしての成熟」「飽食の時代」「批評家の枕詞」で流していいと思います。ただ、100パーセントは流せないんで。やっぱり駄目になってる部分はあると思います。様式だけは一見ちゃんとしてるようで、インタラクティブな演出がおろそかなゲームが本当に増えました。グダグダになってます。


インタラクティビティーを軸に考えるのがゲーム開発者のはず

ボス戦に話を戻します。とどめを刺す時には通常攻撃じゃなくて、特別なアクションやカメラワークを使いたいと、制作者が考えることもあるはずです。それはわかります。ただし方法は色々あるわけで。例えば、『God of War』では、ボスに一定量のダメージを与えると、△ボタンや○ボタンのアイコンが大きく表示されて、タイミング良くそのボタンを押していくと、次々と特殊な専用のアクションでボスに攻撃していくんです。ボスの頭に飛び乗って、剣を突き立てるのも可能。派手なアクションもカメラワークも使えるし、プレイヤーから手応えを奪うこともありません。

これは別に『God of War』が発明したものではなくて、『シェンムー』のQTEの子孫でしょう。また、ボクの記憶違いでなければ、『風のタクト』のガノン戦で、ガノンヘの最後のとどめは確か特殊攻撃でした(Aボタンアイコンが光った時にAを押すと出る)。飛びかかったリンクがガノンの眉間に剣を突き立てます。振り返れば、他にも実例はいくつもあるでしょう。
見せ場を作るのがいけないのではなくて、見せ場がプレイヤーから手応えを奪うから問題なんです。そもそも何のための見せ場なのか、ゲーム全体の中での役割は何なのかを考えれば、本来シンプルな話のはずです。

『新鬼武者』を作ったのが欧米のゲーム開発者で、『God of War』を作ったのが日本のゲーム開発者なら、何も悲しむことはないんですがねえ・・・・。欧米で日本のゲームが売れなくなった? 残酷性が足りない、フォトリアルが足りない、バイオレンスが足りない、FPSっぽさが足りない。なるほどねえ。マーケティングの言葉ってわかりやすいですよね。でもその前にやることあるでしょうに。マーケティングは大切ですが、それ以前の問題が表面化してますよ、日本は。

Posted by amanoudume at 20:35 個別リンク | Comments (12) | TrackBack(7)
カットシーン
Excerpt: 発熱地帯さんで気になるエントリー。未読の方はどうぞ。 発熱地帯: プレイヤーから「手ごたえ」を奪うゲーム コメント欄のDAKINI氏の発言にも...
Weblog: ゲーム脳日記
Tracked: 2006年02月11日 21:48
確かにその通りですな〜
Excerpt: プレイヤーから「手ごたえ」を奪うゲーム まあ確かに、最近まともに自分もゲームやる気にならないですからね〜 >分業が進んだ悪影響なのかな、と...
Weblog: ごった煮
Tracked: 2006年02月12日 19:04
ねぇねぇTvゲームって
Excerpt: ワタシはRPGの類はほとんどやらないタチですが。 (何本かは買ったのだが未だにやっていない、つまり「積みゲー」状態)
Weblog: いかがに・ぱれす
Tracked: 2006年02月13日 22:51
ゲーム
Excerpt: プレイヤーから「手ごたえ」を奪うゲーム 確かに手ごたえが感じられるゲームというのが少ない気がします。 やってみるとつまらなくはないけど面白いって程...
Weblog: 日々主
Tracked: 2006年02月13日 23:50
ゲームてごたえ
Excerpt: てごたえ  昨日だか一昨日だかに書いた。思い出したので、再び。『キングダムハーツ2』は戦闘がイベント化されてたよ。リアクションコマンドって形で。戦闘は基...
Weblog: ヒゲのある生活
Tracked: 2006年02月14日 17:13
ゲームの手ごたえ
Excerpt: 発熱地帯: プレイヤーから「手ごたえ」を奪うゲーム ゲームとは何ぞや。というお話...
Weblog: JE no hitori chat
Tracked: 2006年02月17日 16:36
ゲームについて考える
Excerpt: どうぶつの森の面白さについて書く為の前フリ。 これも昔から書いたりしてきた事の再構築。 ■ゲームとは何か まずゲームとは何かというと、 ゲームというのは...
Weblog: ボボ日
Tracked: 2006年03月19日 02:30

復旧・・・・

うーん、http://amanoudume.s41.xrea.com/からindex.htmlに飛ばない症状が出ていました。
http://amanoudume.s41.xrea.com/index.htmlを直接指定すると飛べるんですけどね。
原因がよくわからないんですが、そういえば以前も1度起きたことがあったのを思い出しました。
何となく、XREAのバナー広告とMovable Typeの吐き出したhtmlが干渉を起こしたのかなあ・・・・と思うんですが。
(Movable Typeの最新バージョンをインストールした時のトラブルも、バナー広告との干渉が原因だったので)

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2006年02月08日

そもそも『つよきす』はツンデレゲームではないわけですが

ARTIFACT:ペットを食べるヒロインに萌えられるか? 『つよきす』はツンデレだけではなかった!

やっぱり「ペットを食う素行の悪いヒロイン」というのは珍しいんだなあ、と再確認。
ErogameScape−エロゲー批評空間− 『つよきす』 (ネタバレあり)
でも言及されてますが、やはりカニ(蟹沢きぬ)はかなりユニークな存在ですよ。乱暴、口汚いといっても、いわゆる不良娘系(鮎川まどかタイプ)とは違いますしね。しかしカニのようなキャラは、このライターさん以外には書けないような気がします。口汚いけど、愛されるというのは、書き手に言葉のバランス感覚が要求されますし。

きゃんでぃそふとのヒロインは、キャラの立ち方がすごい。これは、お姉ちゃん6人というふれこみの『姉、ちゃんとしようよっ!』にもいえることです。ツンデレと言うと、いかにも「典型的」という感じがしますが、その実、ヒロインの誰もが典型的なキャラクターに落ちてません。それをストーリー展開や膨大な設定という手段によらず、日常描写で成しとげたのは、明らかにライターの力量でしょう。人間というのはどれだけ「平凡」「典型的」といったところで、一人一人の日常には差異があり、個性があります。日常描写によってキャラを立たせるというのは、まさしく王道です。

それにしても『つよきす』は一般(ってどこの一般だ?)には、ツンデレゲームとして認知されているわけですが、実際に遊んだ人は知っている通り、狭い意味での「ツンデレ」には当たらないヒロインが多いんですよね。公式サイトを見ると、

攻略キャラは全員、強気っ娘。 コンセプトは「ツンデレ」
とありますが、実際ヒロインは全員「強気っ娘」ですが、「ツンデレ」というわけではありません。

このカニにしても、別に主人公に対して「ツン」としてはいなくて、逆に好意は最初から明示していますから。狭い意味での「ツンデレ」、つまりちゃんと主人公に「ツン」してくるのって、いかにも不良娘っぽい椰子なごみぐらい。主人公が淡い憧れの気持ちを抱いている、という設定の霧夜エリカ(お嬢様にして生徒会長)にしても、主人公のことを眼中に入れてないだけで、わざと冷たい態度を取ったりしません。よっぴー(佐藤良美)は、主人公のことをこっそり狙っている、にっこりムッツリエロ娘ですし。

『姉、ちゃんとしようよっ!』シリーズがそうであるように、主人公は周囲の女性(の大半)から好意を持たれています。本気でツンなのは椰子なごみ1人。態度が厳しいという意味では、鉄乙女さん。最終的に全員が「デレ」の状態になるのは確かですが、強気っ娘ゲームというのが正確なところ。そういう意味では、典型的なツンデレ娘を期待すると、少し意外に思えるかもしれません。

でもまぁ魅力的なら、なんだっていいんですよね。カニはカニなんだし。去年はツンデレブームでしたから、「ツンデレ、ツンデレって聞き飽きたよ。食傷ぎみ」という人もいらっしゃるかもしれません。が、カニは遊んでみる価値があると思います。PS2版の予約がすでに始まっているようです。

PS2版

Posted by amanoudume at 20:03 個別リンク | Comments (3) | TrackBack(0)

2006年02月07日

意外と最後までやってない人が多い!? 『Fate』を再びオススメ

むむっ・・・・

ここ2、3日の間に発覚したのが、『Fate / stay night』をセイバールートしかクリアしてない人が身の回りに2人も!! なんですとー!? ・・・・うーむ、意外とそういう人いるんだなあ、と思いました。この確率だと、他にもいるんじゃないかと思いましたですよ。あうあう。

確かにノベルゲームとしてはあり得ないぐらい長いからなあ、『Fate』。セイバールートだけでも、20時間前後はかかりますし。普通のノベルゲームにしてもすべてのエンディングを見ない人は多いし、ギャルゲーでも1人落としたら終えてしまう人もいますから。というわけで、このブログを読んでいる人の中にも、そういう人が割といるんじゃないか、と思いました。

アニメを観ている人は早めに原作を終わらせておくことをオススメします。アニメはおそらく第1部のセイバールートをベースにしたものだと思いますが、油断はできません。第5話の学校での凛との追いかけっこは第2部、Unlimited Blade Worksのシーンでしたから、第2部のネタばれぐらいはあるかもしれません。あの出来の悪いアニメを見てネタばれされてしまうのは、とても悲しいことです。アニメの展開が進む前に、すべてクリア、せめて第2部までは終わらせておくことをオススメします。


3部構成の『Fate』

『Fate / stay night』は基本的に、3つのシナリオをすべてクリアしないと、終わったことにならないのです。実際、Fate(セイバールート)、Unlimited Blade Works(凛ルート)、Heavens Feel(桜ルート)の3つのルートは、好きな順番で進めることはできず、順番にオープンされていきます。すべてのルートで登場人物と舞台設定は同じですが、展開はそれぞれ完全に異なります。

7人の魔術師が7人の使い魔(サーヴァント)と契約し、1つの聖杯をめぐって殺しあう聖杯戦争。あるルートでは序盤で退場して一見ただのザコに見えるサーヴァントでも、別の展開(ルート)の時はその真価を発揮して、戦いの鍵をにぎる大活躍をします。同じ駒と盤で3つのまったく異なる物語をつむぐだけでも、おそろしく大変なことですが、1部から2部、そして3部へと続く過程で、物語がより深化していくのです。

Fate(セイバールート)はまさに王道の一語をつけるにふさわしい少年漫画的バトルであり、ボーイ・ミーツ・ガーツです。そこには極上のエンターテインメントがあります。しかしUnlimited Blade Works(凛ルート)には、第1部以上の窮地と燃える展開が用意されています。時間が無い人でも、Unlimited Blade Worksまでは遊んだ方がいい。

第3部は第1部、第2部とは趣の違う作品。聖杯戦争の裏話。血生臭い戦争でありながら、英雄たちの活躍する心躍るバトルの連続だった『Fate』という物語は最後にして、英雄らしい英雄を排除した徹底的な人間の物語に変わるのです。それまでの物語が豪奢できらびやかな宮殿を描いたのなら、地下深くには宮殿を築き上げた人足たちの無数の白骨が放棄されたもう1つの宮殿があった・・・・というような感じでしょうか。


DVD版がもうすぐ発売、そして年末にはPS2で

『Fate / stay night』といえば、いよいよDVD版が3月29日に発売されます(TYPE-MOONがDVDに移行したのは『hollow atraxia』以降です。PC美少女ゲームはロースペックの環境に考慮するため、メディアの移行がゆるやかに進みます)。そのタイミングで購入するのもありでしょう。

DVD版の発売でさらにユーザーが増えるでしょうね。また、CD-ROM版の生産終了を前に、駆け込みで需要が入ったようで。アニメが始まった影響もあるんでしょうが、発売から2年たっても相変わらず売れ続けてるあたり、怪物というほかありませんね。
REVの日記 "FateDVD版の話。いまだに売れてるCD版。"

『Fate』は18歳以上向けの作品ですが、1シナリオ1箇所程度でさほどエロシーンもありません。とはいえ、それでも不愉快だという人は、年末に発売される予定のPS2版をオススメします。ただ、PCからPS2に移植されると、解像度が低くなって読みにくくなりますし、メモリが少なくてローディングが頻繁に入りますから、どうしても快適さは劣るんですけどね。PC版とPS2版を合わせて20万本以上売った『To Heart2』を越えて、PC版とPS2版の合計で40万本は射程圏内。ハーフミリオンいったら、すごいですね。しかしそれもありえる世界でしょう。


まず小説で作家をチェックするのもよし

しかしノベルゲームというのは、自分に合うかどうかわからないのに値段が高いわけです。自分が好きになれるかどうか、簡単にチェックしておきたいという人もいるはず。シナリオライターの奈須きのこ氏の小説が講談社から出版されているので、それを読んでみるのもいいかもしれません。同人時代の初期作品だけあって、文章はまだ磨かれていない部分もありますし、『月姫』『Fate』と比べると娯楽性が低いのですが、より作家性が強く出ている、トンガっている作品です。その本もかなりぶ厚いのですが、ゲームを遊ぶよりは短時間で済むと思います。

はてなダイアリー - 空の境界とは

Posted by amanoudume at 21:59 個別リンク | Comments (3) | TrackBack(2)
エンゲージ・リンク
Excerpt: 灼眼のシャナ††巻を買ってきました。
Weblog: くらげのいる景色
Tracked: 2006年02月10日 00:31
[Fate]Fate stay/night 原作テキストからのアニメ化の問題は?
Excerpt:  この前の続き。  この前((http://d.hatena.ne.jp/utumi_k/20060213/p1 迷惑投稿者のコメントを残しているのはご...
Weblog: もけー日記
Tracked: 2006年02月23日 01:06

2006年02月06日

キッパリ!そしてスッキリ!

自分を変えよう、新しい自分を見つけよう、生活を変えよう、・・・・というような本はいつも本屋に並んでいますし、割と人気の安定したジャンルのようです。その中でも、どんな本が売れているのでしょうか。ボクが上大岡 トメさんの『キッパリ!』を買ったのはこの本が30万部突破した頃ですが、第2弾の『スッキリ!』を買った時には115万部を突破していました。

『キッパリ!』では、5分間でできる自分を変えるための工夫を60個紹介しています。
1つ1つは「迷った時は勇気がいる方を選ぶ」「急いでいる時こそ字を丁寧に書く」「キレイな水を1日2リットル飲む」「夜空を見上げる」といったもので、実行は難しくない小さなこと。共通しているのは、やってみたら気持ち良いということ。ご大層な心理学も、コーチングも、理論もいりません。やってみたら気持ち良いことを、たくさん積み上げれば、それだけで自分を変えられる!という提案です。とてもわかりやすい。

本のタイトルどおり、中身もキッパリ!しているのが多くの読者から支持された理由でしょう。もちろん、本というのは内容だけでは売れません。『キッパリ! たった5分間で自分を変える方法』も『スッキリ! たった5分間で余分なものをそぎ落とす方法』もタイトルと表紙が魅力的です。

    ・わかりやすくてインパクトのあるタイトル
    ・タイトルは中身を簡単に説明している
    ・もっとも重要な部分は大文字で
    ・明るく、ポジティブで、楽しい表紙

また、ページのレイアウトもわかりやすく構成されています。1つのアイデアにつき見開き2ページを使い、右ページの右端に、アイデアを太く大きく書いていて、その隣に4コマ漫画が描かれ、その後に解説の文章が続きます。そして左ページの左端には、締めのコメントが簡潔に、これまた太く大きく書かれています。つまり中の文章をほとんど読まずにパラパラ見るだけで、書かれているアイデアがわかります。

売れている本からは、じつに多くのことが学べると思います。コンテンツを提供する側はついつい出し惜しみをしがちで、おいしい所はなるべく後半に取っておいて、ユーザーを最後まで引っ張ろうとします。また、できる限り自分の作ったものをすべて見せたいと考えるものです。

しかし今や、そういう種類のゲームは時代に合わなくなりつつあります。ユーザーは自分の望むタイミングで、望む密度の情報を得たいと考えているからです。コンテンツをどう楽しむかはユーザーの権利で、作り手の都合よりもユーザーの都合が優先されたほうがいい。ゲーム中のあらゆる要素にできるだけ簡単にアクセスでき、短時間で楽しみたい人にも、ディープに楽しみたい人にも、それぞれに見合った形で提供される。
売れている本がそうであるように、去年売れた携帯ゲームもまた、そういう構造になっていたはずです。

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2006年02月03日

10年前の状況と似てきましたね

最近気になること

振り返ってみると、去年末あたりから『脳トレ』のゲームデザインについての言及が増えています。
ネット上でゲームデザインがきちんと評価されてないなあ・・・と嘆いたり、ポップ・コラムでついに『脳トレ』が紹介されたのを喜んだり、『えいご漬け』と『脳トレ』の違いの議論がコメント欄で盛り上がったり、欧米のゲーム業界で注目を集めていることに触れたり。

どうしてかというと、漠然とした危機感のようなものを感じていたからです。
それは何かというと・・・・、『脳トレ』が大ヒットして、みんなそれにならって、脳を鍛えるゲームや学習ゲーム、実用性の高いゲームを作り始めているけど、ちゃんとゲームデザインを分析できてるのかなあ、意外とできてないんじゃないか?ということ。世の中に出てきつつある、色々な会社の後追い商品を見て、そう感じたんです。ネット上で言及されていたのが、価格/ネーミング/宣伝手法といったマーケティング要素ばかりなのも気になってました。

『脳トレ』は実用性がクローズアップされがちですが、じつは実用ソフトの皮をかぶったゲームで、ゲームデザインが非常に良くできているわけです。それは「常識」とは言いませんが、「共通認識」ぐらいのものにはなっている、と勝手に思っていたんですよ。そんなこと、わざわざ書くまでもないし、当たり前だし、だからわざわざ誰も書かないんだって。ところが、ちょっと不安になってしまいました・・・・。

もちろん、わかってる人はちゃんとわかってるんですよ。話しても通じますし。ネットでも、例えば、毎日愛読させていただいているラヴフールのtakanabeさん。
ラヴフール 2006-02-02

脳トレが、実用ソフトの振りをした完璧なゲームの作法であるのに対し、えいご漬けはゲーム要素よりもドリル的な落としどころ。要するにあんまりゲームっぽくなく、DSでやる実用ソフトと言う感じだ。
(略)
脳トレが売れたことで、いろんな会社が似たようなゲームを出してくるけど、やっぱり気になるのは、実用性云々ではなく、脳トレがいかにゲームとしてちゃんとできていたかっていうのが、ライトユーザーの体感レベルの意見が聞きたい。
たぶん、大多数のゲーム開発者はわかってると思うんです。ただ、プロの世界で100%じゃないというのは、ちょっと論外なんですけど。まぁブームだからなあ・・・・。どこの会社もおそらく、ブームがさめるまでに、考える間もなく、早く作れ、早く出せって感じなんでしょうね。


10年前のライトユーザーブーム

去年の11月に「10年ぶりにライトユーザー市場が活性化してきた」「2005年は第2次ライトユーザーブーム元年だった」と書きました。クリスマス週前後のDSの空前の売上や、年が明けてからの品薄騒動を見ても、ひさしぶりにライトユーザーが戻ってきた、と断言していいでしょう。

10年前のライトユーザーバブルを起こしたのはSCEでした。『パラッパ』がミリオンを突破して、大変な勢いがありました。タイトルごとのクオリティの差は当時から激しかったものの、現在のSCEと比べれば、はるかに勢いがあり、売上が大きく、人気もブランドもありました。

当時、ボクはまだ今の会社にいなくて、アニメの人と一緒にゲームを作っていたり、アニメやゲームのシナリオを書いていたんですが、その時のおかしな空気はよくおぼえています。CD-ROMが本格的に普及したことや、ゲーム業界以外のクリエイターが作ったゲームが大ヒットした影響で、外の世界のクリエイター(映像クリエイター、アニメータ、小説家、・・・)が持てはやされていました。ゲーム会社も、ゲーム業界以外のクリエイターを公募したり、ファンドを設立しました。

「ゲーム業界の人間の感性ではダメ。ゲーム業界の外の感性がないと、ライトユーザーは捕まえられないんです」「ゲームなんて知らなくていいんです。知ってると新しい物を作れない。思いつくままに企画してください」なんて、いい年こいた大人たちが真顔で言っていたわけです。腐臭のただよう企画書でも、映像系のクリエイターの名前がつけば、大手ソフトメーカーのプロデューサーがやってきて、話を進めたり。今振り返ると、みんな脳みそゆだってましたね。


「ゲーム」にこだわる必要はないが、「面白さ」にはこだわった方がいい

状況はよく似ているわけです。「ゲーム業界の外の感性」が「ゲーム業界の外の実用性」になり、「ゲーム以外のクリエイター」が「ナントカ教授」になっただけで。ゲーム業界の外から色々な人がやってきて、ゲーム業界の外の「感性」や「実用性」をもたらしてくれて、ビジネスチャンスが広がるのはいいことです。多様なソフト制作者に多様なチャンスがある、それがより良いプラットフォームです。

しかしボクらの仕事というのは娯楽を作ることにあるわけです。狭い意味での「ゲーム作り」にこだわる必要はありませんが、「面白さ」にはこだわった方がいい。でなければ、結局ボクらは長持ちしません。実用品を作るなら、それを専業でやっている人たちには到底かないません。「面白さ」を商売にしているから、ボクらは食べていけるんです。ライトユーザーを引きつけるため、ゲーム業界の外の「感性」や「実用性」を取り込むのは基本的に良いことです。しかしそこに「面白さ」を足し合わせるのがボクらの仕事なんで。本業がおろそかになるのは怖いです。

10年前のバブルは、2〜3年で弾けてしまいました。バブルというとネガティブな表現ですが、勢いがあったからこそ出てきた物もあります。次の段階に進むためには、通らなければならないステージでしょう。しかし結果的に失った物もあります。例えば、ライトユーザーバブルの震源地だったSCEは、バブルが終わったら、すっかりダメになりました。ブランドも地に落ちました。それはなぜかと言うと、ボクは「ゲーム業界の外の感性」を「面白い」より優先したからだと思います。


うまく波を乗りこなしましょう

『脳トレ』は「ゲーム業界の外の実用性」と「面白さ」のバランスが非常に優れていました。けれども「実用性」に重きを置いたソフトが次々と世に出てくる中、おそらく「ゲーム業界の外の実用性」にかたよったソフトが市場にあふれかえると思います。DSに限らず、PSPでもゼンリンが地図ソフトを出すなど、実用系ソフトのブームは急速に広がっています。

これだけ勢いがあれば、ソフトは売れていきます。実用ソフト全体も売上が底上げされているでしょう。例えば、『えいご漬け』も発売週だけで、PC版の売上20万本を越える26万本を突破しました(電撃売上集計)。それだけの勢いがあります。ただ、10年前のライトユーザーバブルの時も、「ゲーム業界の外の感性」にかたよったソフトが勢いで売れていたわけです。

勢いがあるのは悪いことではないし、ソフトが売れるのは良いことです。正しいことです。後づけで色々な理論も出てきます。正しいことを正しく理論づけするのは、じつに簡単です。しかし正しいからこそ、ブレーキを踏めなくなってしまうんですね。最初は踏めるんです。しかし1年後、2年後にはどうか? 社内ブログでも、ほぼ同じ内容の記事を書いてるんですが、じつは波に乗った後のほうが生き残るのは難しいんですよね。うまく波を乗りこなしましょう。

Posted by amanoudume at 23:29 個別リンク | Comments (10) | TrackBack(2)
10年前と似た状況なのだそうだ
Excerpt: 以前http://d.hatena.ne.jp/Schuzak/20050916で書いたように、最近のゲームは時としてハイエンドよりもポータブル機のゲーム...
Weblog: Schuzak’s Blog
Tracked: 2006年02月03日 06:14
海苔の日 抹茶の日
Excerpt: 【その他】ガチャピンとムック禁断の関係 公式のフジテレビグッズって… ガチャピンとムック禁断の関係-続報 続報は、*2006年3月18日追加* ...
Weblog: 風の道 - 日記保管庫
Tracked: 2006年03月18日 08:25

2006年02月01日

欧米のゲーム業界でも話題になっている『脳トレ』

日本で大成功をおさめた『脳を鍛えるDSトレーニング』と『やわらかあたま塾』が北米でも展開されるようです。『脳トレ』は4月17日、『あたま塾』は5月30日。また、北米版の『脳トレ』には数独が入っているみたいです。
数独は新聞への掲載などをきっかけに、欧米で人気が盛り上がったパズル。欧米向けのアレンジとしては適切でしょうね。

一般ユーザーへの認知はこれからですが、欧米のゲーム業界では去年から話題になっています。健康のためのゲームというテーマに注目が集まりつつあり、その中で認知学習を促進するソフトとして『脳トレ』がよく話題になっているそうです。実際、ゲーム開発系ブログのLost Gardenでも、まったく新しいジャンルを切り拓いたソフトとして紹介しています。

Posted by amanoudume at 00:17 個別リンク | Comments (6) | TrackBack(0)