そんなわけで『乙女的恋革命★ラブレボ!!』を2周クリア。1周目はダイエット成功したものの、バッドエンド。ああ・・・・。2周目は幼なじみエンドでした。今はお兄ちゃんエンドめざして進めてます。明らかに非モテに属するはずの幼なじみですが、後半で突然モテに「化ける」のはこの手のゲームのお約束ですな。それにしても、こっちが地道にダイエットに勤しんでいるというのに、あんなふざけた理由でたった1ヶ月で大変身かよ。と一瞬、殺意を覚えるぐらいの別人ぶりでした。
しかしひさしぶりに据置ゲームの「恋愛シミュレーション」を遊んでみて思うのは、恐ろしくゲームデザインが古いということ。時の流れをまったく感じさせません。一方で、別に女の子じゃなくて男の子が画面に出てくるゲームであったとしても、そこそこ楽しめちゃっている事実。要するに「パラメータを上げていくだけ」のゲームであって、それが楽しいかどうかなんですよね。そういう基本的な部分は、おそらく手馴れた人たちが作っているだけにかなり秀逸です。
・一番重要な「体重」が一際大きく表示され、「体重」だけがアニメーションしている
・次に重要な「Hara-Heri」(ストレス)がわかりやすく表示されている
・体重、見た目に関連するパラメータがパラメータリストの上方に位置している
・パラメータの上下が非常に明快
その日の行動結果画面が3回続いた後に、トータルの結果画面が入り、
どのパラメータがどれだけ上下したか、2度目の確認になる。
・パラメータが上がった時の演出が音、グラフィック共に良く出来ている
「ぼちぼち」「成功」「レボリューション」の3段階の演出が明確で、
どれもわかりやすい。寒色系単色、暖色系単色、虹のグラデーション。
・ほとんどの画面でステータス画面を呼び出して、体重やパラメータを確認できる
このゲームで特徴的なのは、体重(と腕、足のパラメータ?)に応じて、主人公のシルエットが変化していくことです。ドドリア体型からふくよかな体型をへてモデル体型まで。100kg→45kgになる間に5〜6段階はあるみたいです。
この手のゲームで主人公の顔を極力見せないというのは基本的な文法なわけで、出てくるとしてもエンディングまではどれだけ痩せていても、このトドです。さすがにエンディングでは、やせた現在形の自分自身の姿を見られるわけですが、それまでは頭の中で想像しているしかありません。今時、パラメータの変化だけで、想像するのはつらい。ところがこのシルエット画像が徐々にスタイリッシュになっていくことで、想像が刺激されるんですね。かなりうれしい。
またステータス画面では、1ヶ月ごとのシルエットの変化を確認できますし、「体重」「腕」「足」「筋肉」・・・・といったパラメータの変化をグラフで確認することもできます。自分がどれだけやせたかの変遷を眺めて、にやにや悦に入ることもできるわけです(プリンセスメーカーで、娘の成長を視覚的に確認できるのに近い)。
非常にベーシックな部分がきちんと作られています。パラメータ上げゲームなだけに、パラメータが上がった時のうれしさ、パラメータが上がっていった結果の満足感は重要ですから。しかしこれが別ジャンルになると、最近出来ていないゲームを少なからず見かけます。要は「そのゲームでなにが大切な物なのか」を作り手自身が理解できているかどうか、です。
まぁしかしゲームデザインの根本的な古さは否めません。『ラブレボ』がどうこうと言うより、この「恋愛シミュレーション」というジャンルそのもののデザインが古いんですよね。
1.育成型: プリンセスメーカー型
一定期間でパラメータを上げていき、パラメータがある条件を越えることで、
あるエンディング(未来、職業)にたどり着く。パラメータが上がっていく以外に
プレイヤーに喜びを与えるチャンスが少ない。
2.恋愛+育成型: ときめきメモリアル型
一定期間で育成パラメータを上げていき、育成パラメータがある条件を越えることで、
ある異性を落とす条件が整う。ただし育成以外の要素として恋愛があり、デートに
さそうことで好感度を上げていかなければならない。パラメータが上がっていく以外に
プレイヤーに喜びを与えるチャンスがある。
ゲームは基本的に、プレイヤーに「喜び」「快感」を与えるチャンスを増やしたり、その喜び量を増やす方向に進化します(注1)。つまり1→2の進化は自然です。ただ、1と2で変わっていない構造があります。それは、一定期間内にある条件を満たさなければならず、その条件を満たさなければ、それまでのプレイをリセットしなければならない、ということです。
育成ゲームは1つ1つの選択でチマチマ少しずつパラメータを上げていきますが、ある時点で「ああ、これは・・・・もう落とせないな」と気づいてしまうことがあります。しかし直前のセーブデータに戻っても根本的なやり直しが不可能です。すると数時間かけたプレイ時間が完全に無駄になってしまいます。これは厳しい。『アイドルマスター』でさえこの構造から抜けておらず、そのために「お金をかけないとクリアできない」ゲームになってしまっていますし、ユーザーの数を大きく狭めることになりました。
かつて『ToHeart』型に負けた理由の1つがここにあります。あれは、育成要素を排除して、恋愛要素のみを快適に遊ばせることに特化したゲームデザインです。マップ上に出てくるヒロインキャラを選択するだけで、ルートが決まります。つまりプレイヤーは「誰と恋愛したいのか」だけを考えればいいんです。
これは恋愛育成モノに限らず、長いスパンでの制限時間があるゲームでは共通の問題です。例えば、任天堂の『ピクミン』も同じ構造、同じ問題を抱えています。30日間でバラバラになった宇宙船のパーツを集めるという目的でしたが、大抵のプレイヤーはある時点で宇宙船のパーツを集めきれなくなることに気づくんですね。そしてそれまでのプレイ時間をリセットしなければいけません。2回目は慣れていて効率的なプレイが可能ですから、何とかクリアできるでしょう。
これは恋愛シミュレーションも同じで、普通のゲームバランスだと1回目はグッドエンディングを見られないようになっています。パラメータをより効率よく上げていくための方法(攻略ルート)を悟って、2回目以降で誰かを落とすことに成功するはずです。
この構造は今やゲームマニアでさえ耐えがたい。だから恋愛シミュレーションは衰退したわけですし、『ピクミン』は宮本茂氏が前面に出てきた作品の中で、唯一ミリオンに届いていないんですよね(注2)。任天堂はその後、時間制限をなくした『ピクミン2』を出したわけですが。しかし育成モノ、恋愛モノのゲームデザインはいまだに改良されておらず、『ピクミン2』の水準に届いていません。それでは、永遠に『ToHeart』型に勝てないでしょうね。
まぁボクは10年前には、まさにこの「恋愛育成シミュレーション」のシナリオを書いたことがあって。でも今は作ってないから無責任な予想になるんですが、1)この厳しいゲームの構造から脱却すること、2)パラメータを前面に出さない遊びに転換することの2つが未来に続く鍵になるんじゃないか、と思います(注3)。
注1
「喜び」「快感」を与えるチャンスを増やしたり、その喜び量を増やすという事は、演出が入る回数が増え、演出が長くなることにつながります。その結果、ゲームから「軽さ」が失われていきます。昨今、軽いゲームを求めるユーザーが増えているのは、作り手が与えようとする「喜び」「快感」が供給過剰になったせいだと考えられます。そして供給過剰になることで、1つ1つの演出から得られる喜び量、快感の価値が値崩れしているのが現状でしょう。要するに「見慣れた」「飽きた」ということです。
注2
『ピクミン』発売当時、宮本茂氏はファミ通のインタビューの中で「マリオを10、どうぶつの森を1とすると、ピクミンはその中間の5ぐらい」(この数字は優劣ではなくて、いわゆるゲームっぽさのようなこと)と語っていました。2006年現在から振り返ると、任天堂はかなり前から、従来のゲームらしいゲームの構造が通用しなくなっていると考えていたことがわかります。
ゲームデザイン史で見ると、『ピクミン』シリーズはゲームらしくないゲームとゲームらしいゲームの中間を狙った作品で、その両方の利点と欠点をあわせ持った「過渡期」のゲームなのかな・・・・と。その後、DSの時代に入ると、「迷い」がふっ切れたのか、『nintendogs』では大会の部分を除けばゲームらしさがほとんどありません。と同時に、ユーザーのニーズもタイミング良く合致し、『nintendogs』や『おいでよ どうぶつの森』の大ヒットにつながるわけですが。
注3
10年前にもそういうトライはあって、それが一緒に暮らすことを重視した『ルームメイト』や、会話そのもののゲーム性を高めようとした『ノエル』のチャレンジでした。しかしそろそろ再チャレンジがあってもいい頃だとは思うんですが。
1つの方向としては、『ガンパレードマーチ』的な要素を取り入れ、箱庭性を重視したコナミの『ネギま!』。そしてオンライン要素を付加した『ときメモオンライン』。パスワードでやり取りするたまごっち程度のオンライン要素であれ、本格的なMMOであれ、オンラインが突破口だと考えているゲーム開発者は少なくないですね。
Posted by amanoudume at 2006年02月19日 17:06 個別リンク
コメント
確かに、ゲームシステムにも衰退の要因は求められると思いますが、
恋愛物というジャンル自体が持つ問題もあるかなと言う気もします。
恋愛物の場合、もうゴールは決まっているじゃないですか。
ただ、その道中と一緒にゴールする相手が違うだけで。
そこに奇抜さやどんでん返しが介在する可能性も低いし、それをやったら恋愛物じゃなくなっちゃいます(笑)
そういった恋愛物の宿命を、その道中の幅を広げる(=ヒロインを増やす)ことでカバーをしようとするも、
今度は「すべてのヒロインを攻略しないと真のエンディングが見れない」等としてしまうため、結局は長い一本道のゲームでしかない。というジレンマに陥ってしまうのではないかと思うのですがどうでしょう?
「nintendogs」や「ぶつ森」の成功もありますし、先のエントリーにもあった「日常を描くライトノベル」の流行もありますので、
ルームメイトのようなシステムも今なら面白いかもしれませんね。
投稿者: BAN/ | 2006年02月20日 23:57
そうですね。
純ゲーム性の部分だけで問題を指摘することもできますし、
BAN/さんのおっしゃるような問題もあると思います。
まぁ根本的にこのジャンルは、未来がどうなるかわからない、
シナリオの分岐を楽しむという物とは違う性質のものなのかな、
と思います。そちらを極めていくと、小説になったり、あるいは
ノベルゲームで一時期流行った「鬱ゲー」のような物、修羅場
ゲームのような物になるのかな、と。
ポップ・コラムのモリサワジュンさんが『nintendogs』の回で指摘
しているように、日常そのものがゲームになるという事が最近の
潮流です。
ノベルゲームもブームが来たのは『ToHeart』以降で、『ToHeart』
というのは、恋愛というもの、日常というものを極めて快適に
遊ばせてあげる、プレイヤーの楽しみたい事を素直に遊ばせて
あげるというのが出発点だったと思いますが、それから書き手の
エゴもあり、プレイヤーの飽きもあって、ストーリー型にだんだん
移っていって、泣きだったり欝だったりと色々ありました。
ただ数年たって、ひさしぶりに『ToHeart2』が出ると、わーっと
売れるみたいな事が起きました。
日常をゲームシステムを切り落とすことで遊べるようにしたのが
『ToHeart』型とすると、一方で『アイマス』はグッズの方がうまく
回っているというのは、ゲームは気持ちよく日常を味わえないので、
周辺のグッズで補完しているような気もしなくもないですね。
アイドルとの(芸能界的)日常を味わいたいのに、余計なシステムが
付きすぎている、という気がしなくもないです。
小説のようなメディアは、1冊でそれなりに起承転結があって欲しい
とお客さんが求めますから、ゲームこそ日常を表現できるメディア
なのかな、という思いはありますね。
投稿者: DAKINI | 2006年02月21日 02:02