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このサイトは、ゲーム開発、およびゲーム周辺の周辺技術や動向について日々考察し、毒舌的に物を書き続けることを通して、「ゲームの未来形」という大テーマに対して、何か考えを深められるといいなあ・・・・・・というサイトです。

2005年05月04日

成長に必要な新しいルール

北米もまた日本の二の舞になるのか?

EAの通期利益がアナリストの予想を下回ったことから、EA
の株価が急落。連動してtake2、Activisionといった欧米のパブリッシャーの株価が落ちているようです。まぁ成長が鈍化・停止すれば、こうい
うことは自然に起こります。
ソフトの価格競争の激化、版権の獲得競争の激化、開発スタジオ等の囲い込み、次世代ゲームへの投資増など、欧米のゲーム産業もコスト増加/利益減少に向
かっていますから、今後は同様のニュースを聞く機会も増えるのではないでしょうか。欧米もますます厳しくなるでしょうね。
次世代ゲーム機で懸念されるのは
    1)ソフトの開発費が高騰する
    2)次世代機のゲームソフトは1000円程度価格が上昇する(といわれている)
    3)ユーザーにとってソフトを買いにくい方向に進む
    4)一方で競争激化によるソフトの低価格販売攻勢も激化する
    5)利益の確保が難しくなってくる
というネガティブスパイラルに陥ってしまわないかという点。日本のゲーム業界がPS2の登場を契機に逆に落ち込んでいったように、XBOX2やPS3の登
場を機に欧米のゲーム産業も衰退が始まるのではないか。そういう予想があります。
次世代ゲームになったからといって、前世代ゲームよりも多く売れるわけではありません。大幅に売り上げを拡大できない以上、コストを落とさないと利益は減
ります。マネージメントの向上や開発環境の改善があったとしても、次世代機ではおよそ2倍の開発規模になるという予想もありますから、それだけ人件費が増
えてしまうと、非常に厳しい。
欧米のゲーム産業ではますます中国へのアウトソーシングが進み、人件費の圧縮が大きなテーマになるでしょう。となると、パブリッシャーは強くなっても、
ディベロッパーはひどい負担を背負わされ、活力を減退させていく可能性がかなりあります。次世代ゲーム機に進んだ時に容易に予想される、こうした問題点へ
の解答はいまだありません。無いものの、先に進まなければならない。
そこで2つの予想が出てきているわけです。1つは日本のようにやはり減退していくのではないかという予想。もう1つはいくつもの問題を乗り越え、産業とし
てより成長するという予想。欧米のゲーム関係者は当然後者の人間が多いわけですが、そのこと自体はあまり説得力を持ちません。
なぜなら、PS1時代末期、PS2が発表された直後の日本のゲーム業界人の反応、発言を思い出せばいい。「永遠に続く成長は無い」。理論ではわかっていて
も、実際に高成長している時に「次に奈落が待っている」と考えるのは難しい。成長への幻想を捨てきれない人たちにとって、減退するという予想は実感の無い
ものでしょう。そして実感をともなわない予想は、彼らにとってあまり説得力を持ちません。説得力を持たない予想は机上の空論として処理され、業界や企業と
いった大きな集団は予想された事態への対処が遅れがちになります。

ゲーム業界には新しいルールが必要になってきた
ここで問題なのは、ではゲームは日本でも欧米でも衰退
化していくのか?ということ。
長期的な視野で見た時の減退を克服するには、業界の既存ルールのいくつかを変更する必要があると思います。それらすべてを論じるのは避け、ここではそのう
ち2つだけを提示することにします。1つは「ゲームソフトはソフト単独の売上で利益を回収する」という利益構造。もう1つは「ゲームソフトはタイトルの名
前や会社の名前だけで買われるもので、作り手の名前などほとんど意味を持たない」という認知構造。
この2つのルールは長い間、ゲーム業界を縛り続けた「常識」です。単純に変わるものではありません。けれども長期的な視野に立てば、その「常識」を書き換
えていかないかぎり、ゲーム産業の末路もまた「常識」として定まってしまうでしょう。ゲームの世界はおよそ10年(ゲーム機2世代)ごとにプラットフォー
ムホルダーのトップが交代し、メディアやプロセッサなどの根幹部分が飛躍的に変化しました。
チャレンジャーは古いルールにかわる新しいルールを持ち込むことで、新しいプラットフォームを成功させました。新しいルールは当初は古いルールを熟知した
人間(一部の開発者、一部の流通関係者)に小馬鹿にされるものです。なぜなら彼らは古いルールブックはよく知っていますが、新しいルールは何も知らないか
らです。彼らは古い出来事を都合よく持ち出して、新しいルールが普及するはずがない、と声高に主張します。
しかしゲームの歴史というものを振り返れば、じつにたくさんの「常識」が、「ルール」が崩れ、新しいルールが打ち立てられてきたのです。今では信じがたい
ことですが、かつては「日本でRPGが売れるはずがない。子供があんなに難しいものを遊ぶはずがない。あれはマニアの遊びだ」という主張が説得力をもって
いた時期があったのです。もしその常識を全員が信じていたなら、世の中に「ドラゴンクエスト」が誕生することはなかったでしょう。
古い常識、古いルールというものは所詮、そんなものです。古いルールに頑迷に固執している者が、現在形のロジカルな議論をしているのか、それとも過去の出
来事を例示することしかできないのか。そこを見ぬかなければなりません。
もちろん新しいルールを打ち立てるのは簡単ではありません。PCで動いていたRPGを単純にそのまま持ち込もうとすれば、「ドラクエ」は失敗していたで
しょう。ファミコンのスペックや、ユーザーのRPGというジャンルへの理解度を考慮して、誰もが楽しめるようなゲームデザインを作り上げたから、「ドラク
エ」は成功しました。新しいルールは単純に新しいというだけでは成功せず、導入において知恵を絞る必要があります。
重要なのは新しいルールを持ち込もうとしている者に知恵があるかどうか、です。知恵ある者は偉大な挑戦者として勝利への階段をのぼっていき、知恵なき者
(あるいは古い知識だけ持っている者)は階段から転げ落ちてフェードアウトしていくのでしょう。

Posted by amanoudume at 2005年05月04日 00:48 個別リンク

コメント

ナムコとバンダイが経営統合、国内外で続くゲーム業界再編の波
http://pcweb.mycom.co.jp/news/2005/05/04/101.html

> 米Microsoftが米EAや他のゲームメーカーの買収を画策しているなどの
> 噂も流れており、依然として業界の動きは予断を許さない。

もしMSがEAを買収したら、欧米でのシェア争いは一瞬で勝負が着きますな。

DAKINI氏は、かつての映画がTVという新しいライバル
に対してどのような立ち位置を得たか、ということから
次の時代を発想したんじゃないでしょうか。

プラットフォームごとにハイエンドとローエンドを使い
分けるという考え方をしてみましょう。
映像娯楽の場合は、TVがロー、映画はハイという
構造になっています。
それをゲームに置き換えると、最近のDAKINI氏の
論調だと、携帯電話やフラッシュはローエンド、
テレビゲーム機はハイエンドとなるのでしょう
(携帯ゲーム機はそのちょうど中間でしょうか)。

映画は、興行収入よりも、その後のレンタル、セル
(ビデオ、DVD)、テレビ放映権料、各種ライセンス
商品などからの利益の方が圧倒的に多いと言います。
テレビゲームも、まずは圧倒的なクオリティを持つ
ことでブランド力を持ち、それを他メディアや
他プラットフォームに活かすことで何度も利益を得る
構造にすることができれば、映画並の高コストでも
充分利益を得ることができるでしょう。

※かつはまずアーケードで利益を得て、テレビゲーム
 でさらに儲けるという構造があり、それがアーケード
 寄りゲームメーカー(セガ、ナムコ、コナミ、タイトー)
 の隆盛の源でしたが・・・。

そして映画は作り手の地位がテレビなどに比べて
社会的に非常に高く、尊敬されています。
このことが、映画のブランド力を保つ理由の1つに
なっています。
作り手を文化人として高く評価する背景には、
作品の素晴らしさもさることながら、アカデミー賞
のような催しで作り手を表彰したりなど、興行側が
作品の社会的地位を高めるための努力も少なく
なかったのだろうと思います。

おっしゃる通りです。

ハリウッド映画は総収入に占める興行収入の割合が2割を切っていると聞きます。
ゲームにおいても、キャラクターのライセンス料は一定の収入になっていますが、
とてもとても総収入のうちソフト単体の売上が2割なんて状況には程遠い。
それほど巨額でも大きな比率でもなく、肥大化していく開発費を支えられる
水準ではないでしょう。

まあ例外として、ポケモンぐらいの規模になれば、大抵の開発費は賄える
でしょうけど。もっともポケモンはゲーム単体でとてつもない売上を得ていますが。

また、ポケモンのメディアミックスの成功の要因は、ゲーム側ではなく、
主に小学館とアニメにある、という分析/見方が主流ですよね。

まぁハリウッドも最初から今のようなビジネスを取っていたわけでは
ありませんから、今後ゲームも映画並みにブランドメディアになりえる
可能性はあります。

とはいえ、悲しいかな、ここ数年は、ゲーム以外のメディアで
誕生した版権を使ってゲームを作る動きのほうが強いですね。
セカンドメディアとしてではなく、ファーストメディアとして、
強さを発揮していけるかどうか。
それが長期的な命題でしょう。

EAは映画の人気にあやかることで手堅い利益を
得ていますが、面白いのはその映画自体がセカンド
メディアだということです。
たとえばロードオブザリングや007などです。
ただ面白いことに、映画化されると、映画化された
映像が本家のような扱いになることがあります。
版権の宝庫のように語られるディズニーですら、物語
自体からオリジナルという例は少ないのではないか
と思います。

つまり映像化されていない作品の場合は、セカンド
メディアであっても比較的「本家」に近い立場を取り
やすいのではないか・・・、と想像しています。
ただ小説→映画の場合は、原作が良ければ映画も
良い物に仕上がる確率は高いですが、ゲームの
場合はそれが当てはまらないのが難しいところ
ですね。(版権ゲー=クソゲーの図式がつい最近
までありましたし)

ただ「原作の人気にあやかる」のではなく「良い原作
を探す(ゲームにした時に面白くなる)」という発想が
大事なのではないか、とは思っています。

> 「永遠に続く成長は無い」。理論ではわかっていても、
> 実際に高成長している時に「次に奈落が待っている」
> と考えるのは難しい
EAの拡大路線もかつてのスクウェアやコナミを思い出します。
EAが巨大化する一方、パブリッシャーの統廃合も起きているので、
単純な繁栄ではなく、日本のPS2時代と同じ現象も起きています。
そういう意味では、ぼやぼやしてるうちに衰退の時代に突入した
日本よりはなだらかに衰退するんじゃないかと予想します。
持ち直しも早いのでは。

Haloみたいに同じようなシステムで複数ゲーム作ればいいと思いますけどね。
ドラクエ9、ドラクエ9.1、ドラクエ9.2みたいに。
一つ一つは少し安めで。