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このサイトは、ゲーム開発、およびゲーム周辺の周辺技術や動向について日々考察し、毒舌的に物を書き続けることを通して、「ゲームの未来形」という大テーマに対して、何か考えを深められるといいなあ・・・・・・というサイトです。

2005年04月26日

「ゲーム」の定義を広げようとする「ゲーム機」ホルダー

「ゲーム」の定義を広げようとしているプラットフォームホルダー

Dr.森川の人間風車「N派かS派か」
> フォーマットフォルダー派、つまりN天堂もSニーも憂えたり危機感を感じたり
> しているポイントや、それに対して感じている義務や責任のベクトル、それに
> 今後あるべき方向性みたいなものもよく似ている感じがする。
> 一言で言えば、今のゲームの方向性のままではダメだ。むしろ(従来の)
> 「ゲーム」という範疇で考えるべきではない。ゲームが「害」ばかり与えていて
> 徳になっていない(イメージがある)。そこらあたりをなんとかしないといけない。

プラットフォームホルダーとの仕事が多い森川氏が今さらフォーマットホルダー派であることを表明したところで、特に意外性はありませんし、実質的にはポジショントークだと思いますが、それはさておき。

ここで勘違いしてはいけないのは、別段非フォーマットホルダーが保守的で、フォーマットホルダーが挑戦的、という構図ではない
とです。フォーマットホルダーは自分のフォーマットから利益を得るのだから、自分のフォーマットの価値を高めるのは当然です。非フォーマットホルダーは特
定のフォーマットで利益を得るわけではないから、別段、特定のフォーマットの価値を高める必要はまったくない。もっといいフォーマットがあれば、どんどん
そこへ移っていけばいい。根本的に立場が違います。
ゲーム以外の事をやるという点では、経営体力の無さもあって、むしろソフトメーカーの方が進んでるわけです。
メディアミックスやリスクマネージメントのため、ハードメーカーよりも早い段階から動き始めています。ただし、ソフトメーカーはゲーム機以外のフォーマッ
トで「ゲーム以外の事」をやります。コンテンツそれぞれの特性に合ったフォーマットを選べばいいのです。
一方、ハードメーカーは「ゲーム機」というフォーマットを守るため、自分の「ゲーム機」の価値を高めるため、ゲーム機で「ゲーム以外の事」をやります。
あくまで自分の利益源のフォーマットにリソースを集約します。
プラットフォームホルダーと非プラットフォームホルダーの違いはそんなものです。
振り返れば、最近ハードメーカーが元気です。DS、PSPで展開されている非ゲーム路線、エデュテイメント的ソフトの盛り上がり、従来より幅広い意味での
ゲームの登場、オンラインへの積極的な取り組み、・・・・。
しかしそれらもすべて、ようやくフォーマットホルダーが自分のフォーマットの価値を維持・向上させることに真剣になっただけなのです。逆にいえば、「ゲー
ム機」の相対的な価値の低下にいよいよ危機感をおぼえ始めたのでしょうね。

80年代フォーマット戦争時代と相似する昨今の情勢

DSの「エレクトロプランクトン」「脳を鍛える大人のDSトレーニング」、PSP「Intelligent License」、などなど最近の非ゲームブームはDSとPSPが作っている印象があります。けれども、ABAの日誌「エデュテインメントに名作なし、か?」
ある通り、これは新しい動きではなく、むしろエデュテイメントソフトは昔のほうが多かったのです。
80年代のファミコン初期、PCゲーム最盛期は、「ゲーム機」が勝つのか、「PC」(MSXを一応含む)が勝つのか、ハッキリしない、複数のフォーマット
が競争がしていた時代です。「ゲームって何よ?」という答えはもちろん、漠然としたイメージさえ共有できておらず、何でもありのノリが強かったし、クソ
ゲーも多かった(でも楽しかった)。そもそもゲーム、非ゲームというような区分けがバカバカしくなるような時代でした。
最近は「ゲーム機」というフォーマットが弱体化して、「ゲーム機」以外のフォーマットが活性化しているため、かつてのフォーマット競争の時代に近いノリが
戻ってきています。というのは、強いフォーマットというのは、より幅広い種類のコンテンツを、より多数のより多様のユーザーに提供でき、クオリティ・信頼
性・ボリューム・価格の適切な均衡点を実現しえるものだからです。
今、「ゲーム機」はロイヤリティーやメディアの問題で、柔軟な価格体系を取りにくくなっていますし、暇つぶしの点でも携帯電話ほどの手軽さはなく、オンラ
イン性ではPCや携帯電話にはるかに劣っています。実用性〜半実用性という点でも、たとえばタイピングソフトや、英会話学習ソフトはPCのほうがはるかに
向いています。
「ゲーム機」の上で動くのが「ゲーム」という考え方がいつのまにか浸透し、「ゲーム」の定義はどんどん狭いものになっていきました。そこ
で取りこぼされたコンテンツ、開発者、ユーザー、市場が積もり積もって、新しいフォーマットへ流れていき、徐々に「ゲーム機」フォーマットは弱体化して
いったのです。
やや乱暴にまとめますが、ハードメーカー3社の最近の動きはひっくるめて、ゲーム機フォーマットの付加価値向上であり、再定義といえます。ゲーム機をゼロ
から普及させる(ユーザーを増やしている)時代と、減ってしまったユーザーを取り戻そうとする(ユーザーを増やしている)時代が状況として似てくるのはあ
る意味、自然なことでしょう。もちろん昔と違って、商品に求められるクオリティやボリュームは高いのですが。
携帯ゲーム機戦争にしても、据置ゲーム機戦争にしても、ハードメーカー間の競争という視点で観察するだけでなく、「ゲーム機」フォーマットの価値向上とい
う視点、フォーマット間競争という視点で見ると、とても面白いと思います。
フォーマット競争の結果、どのフォーマットが優勢になるか。現時点では、異なる意見が色々あると思います。しかしこの記事の意図は、フォーマット間競争と
いう視点を提示することにあります。いきなりフォーマットの優劣を議論することではありません。それはまた今後の記事で書きたいと思います。

補足:非ゲームへの注目
上で述べてきたように、20年前から非ゲームの流れはありました。が、欧米で
は最近「シリアスゲーム」という名称で、「ゲームの非ゲーム的利用」「ゲームの教育利用」「非ゲームソフト」に注目が集まっています。
ここ数年で「GTA」などの暴力ゲームが社会的批判を集め、ゲーム=悪という論調が高まっていますから、ゲームの有用性を積極的に主張しようという流れが
カウンターとして強くなってきたのでしょう。欧米では映画につづく娯楽産業として、大学でのゲーム学科の設立や、ゲーム研究学会の立ち上げなど、急速に
ゲームの学術研究、産学共同が進んでいます。一連の流れの中で「シリアスゲーム」は大きなテーマになっているようです。(市場として盛り上がっているのと
は違うので、注意) シリアスゲームジャパン
Game Watch 「IGDA日本の新氏ら、日本におけるシリアスゲームの動向を発表」
> 「シリアスゲーム」というのは、教育や医療、経営、政治など、社会問題に
> 対応するゲームのことです。ゲームの持つ面白さを生かしながら、娯楽として
> だけでなく、さらに多方面へのポジティブな効果をもたらそうというのが、
> 研究の主題となっている。世界的に研究が進められており、今回のGDCでも、
> 2日間にわたって「Serious Game Summit」という大枠が取られており、
> その中に約30のセッションが設けられている。
シリアスゲームというと、お堅いイメージがありますが、「シムシティ」「太鼓の達人」「桃太郎電鉄」「三国志」「タイピング・オブ・ザ・デッド」「スー
パーマリオのセーター」「ポパイの英語遊び」「ドンキーコングJR.の算数遊び」など多岐にわたります。普通のゲームとして作られたけれども有用性があ
る、というゲームも、最初から実用性を意図した作られたゲームも両方含みます。
まぁ正直、こじつけっぽい物もありますが、ともあれ日本だけでなく欧米でも、ゲームのポジティブなイメージを広げようとする動きが活発になっているのは面
白い現象です。逆にいえば、ゲームのネガティブなイメージが広がっている、という危機感がそれだけ強いわけですが。 -----
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Posted by amanoudume at 2005年04月26日 15:16 個別リンク

コメント

> 「人生の貴重な時間をゲームで浪費しちゃってていいの?」ということですね。
> 大人になるほど、どうしてもこのことが気になってしまうようです。
非常に良いまとめですね。感服。
BLOGにおいてヘビーゲーマー論が多く出てきた、
ヘビーゲーマー自身による自分語り、自己定義が出てきたのも、
その事に気づいたせいでしょうね。
人生の貴重な時間をゲームで浪費しちゃっていいの?
  →「ああ、Yesだ!」(A)
  →「しんどいが、ゲームは好きだ。シンプルなゲーム求む」(B)
  →「いやっす」(C)
色々なBLOGを見ると、(A)と(B)の意見が目立ちます。
実際には(C)の人もいるのでしょうけど、そういう人は
BLOGでゲームについての立ち位置を語ろうとも思わないのでしょう。