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このサイトは、ゲーム開発、およびゲーム周辺の周辺技術や動向について日々考察し、毒舌的に物を書き続けることを通して、「ゲームの未来形」という大テーマに対して、何か考えを深められるといいなあ・・・・・・というサイトです。

2005年08月29日

ドッツの成功とコラブームから学ぶこと そして極論としての「クリエイターの終焉」

ドッツの成功

トミーのドッツが流行っているようですね。
    ○はてなダイアリー ドッツとは
    ○.Sドッツ@2ちゃんねるおもちゃ板 @Wiki
功した最大の要因は、ファミコン世代の懐かしがる気持ちをうまく刺激したことでしょうし、ネットの画像掲示板での盛り上がりも大きいでしょう。しかし、そ
れだけが成功の要因ではないと思います。
レゴのような創作系おもちゃとして見てみます。
ドッツは本質的に2次元で、ブロック遊びとしてはレゴよりも簡単です。表現の自由度が狭くなる反面、誰でも時間さえかければ組み立てられます。ちょっとし
た作品をくみ上げるとけっこう大きくなってしまうレゴと違い、あまり場所を取らず、机の上に気軽に置ける大きさなのも、大人にとってはありがたい点です。
また何よりも、お手本(ファミコンのドット絵)がある、という点が大きいです。
創作系で一番敷居が高いのは、1からデザインを起こす所です。
そこが取り払われているため、いろんな人が参加しやすくなりました。ドットゲームの過去の膨大な資産があるため、「どのキャラを、どのドット絵を、再現す
るか?」という部分で、個性を発揮する余地は十分あります。デザインはセンス(頭と心)が必要ですが、大抵の人は手(手間)は動かせます。
クリエイティビティーの部分を薄くして敷居を下げることで、参加者が増えて盛り上がった好例だと思います。ボクが最近、興味を持っているのは、この「薄い
クリエイティビティー」です。というのは、弱い力を集めて大きな力に変換できる「元気玉」の時代には、これまで見過ごされてきたそこにビジネスチャンスが
あると考えているからです。

密度化したクリエイティビティー

こうした「薄い創作」「薄いクリエイティビティー」は他にも例があります。
最近、漫画のコラージュが流行ってます。元々「ジョジョ」「ドラゴンボール」「北斗の拳」といったジャンプ作品のコラージュはかなりの数作られていましたが、「デスノート」コラのブームで飛躍的に大きくなりました。いまや、大量のコラが毎日生み出されています。
ラノベさくら デスノート板
人における「二次創作」とも趣が違い、より即興性、ネタ性が強くなっているのが特徴です(江戸時代あたりの川柳に近いノリなのかな?とも思いますが)。
従来の「二次創作」は同人誌をベースにしていました。逆にいうと、紙に印刷して本にするぐらいには重い、濃いクリエイティビティーが求められましたし、敷
居も高かったわけです。今はネットがあるので、もっと軽い、薄いクリエイティビティーでいい。1冊の本にならないボリュームでも全然オーケーです。何人か
に書いてもらって、1冊にする必要もありません。
またデジタル制作ツールが普及したこともあって、加工/編集がやりやすくなったのも大きいです。絵が描けなくても、カット&ペーストはできるという人は大
勢います。ツールの普及のおかげで、「完全な創作」が非常に活発になりましたが、その数倍〜数十倍の規模で、より薄い創作、より軽い創作、敷居の低いクリ
エイティビティーが広がっているのです。
こういう時代には、旧時代的な「クリエイターと受け手」という構造、あるいはその変形である「クリエイター(+二次クリエイター)と受け手」という構造は
崩れてきます。
ここからはクリエイター、ここからは非クリエイターという区分があいまいになり、「濃い」とか「薄い」とかいう密度の問題になるのです。薄いクリエイティ
ビティーを行う人に対して、適切な言葉はまだ定義されていませんが、ネット上では「職人」と呼ばれるケースが多いように思います。

21世紀のコンテンツビジネス

前回の記事
は、専業でなくても、創作できる時代になってきた、と書きました。というのは、クリエイティビティーに対する報酬の仕組みが多様化してきたためです。その
結果、クリエイティビティーを集積し、対価を与える仕組みとして、会社が説得力を持たなくなりつつあります。少なくとも、会社だけが独占的にその機能を提
供する時代ではなくなったのです。
しかしそこでいう「創作」「クリエイティビティー」とは「完全な創作」のことでした。薄いクリエイティビティーを集積する仕組みは、最初から会社には存在
しません。
また従来、創作系のツールは「完全創作」にフォーカスして作られてきました。深い機能をたくさん用意しておけば、きっと誰かが使いこなしてくれる、という
設計です。しかし本当にそうなのか?という疑問がわいてきます。一定以上の濃度のクリエイティビティーはそれで集まるでしょう。しかしその数十倍の範囲に
広がる、より薄いクリエイティビティーにとって、高すぎる敷居になっていないでしょうか?
20世紀のコンテンツビジネスは、主に「完全創作」にフォーカスしたものでした。著作権のシステムにしても、「完全創作」を対象に理論化され、構築されて
きました。しかし、おそらく21世紀のコンテンツビジネスは、多段階化し、密度の問題となった「クリエイティビティー」に範囲が拡大することでしょう。
その時代には、薄いクリエイティビティーをどうやって集積するのか? どうやってリアルパワー(例えばお金)に変換するのか? どうすればより効率良く変
換できるのか?ということが、重要になります。それがコンテンツビジネスの「次」であり、おそらく「次の10年」で顕在化する変化なのです。

Posted by amanoudume at 2005年08月29日 00:30 個別リンク
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