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このサイトは、ゲーム開発、およびゲーム周辺の周辺技術や動向について日々考察し、毒舌的に物を書き続けることを通して、「ゲームの未来形」という大テーマに対して、何か考えを深められるといいなあ・・・・・・というサイトです。

2005年07月03日

構造的に「提灯」化せざるを得なくなる雑誌とライター?

AMDのインテル提訴が飛び火

AMDが日米でインテルを提訴した一件が飛び火して、ネット上で面白い展開を見せています。提訴内容の中には、インテルがPC雑誌編集者に圧力をかけて、掲載予定だったAMD製品の記事を削除させたり、ベンチマーク記事の内容を変更させた、と書いてありました。

これにインプレスが噛みついたことで、騒ぎが大きくなりました。
DOS/V POWER REPORT 「日本AMDのインテルに対する損害賠償請求訴訟に関して」

DOS/V POWER REPORTと同誌編集スタッフは、製品メーカーならびに第三者からの一方的な意見により掲載予定記事を削除、変更した事実はないことを明言いたします。今後もメーカーと読者の中間に立ち、公平な視点から情報を発信してゆく所存です。

また、PC系ライターの元麻布氏が、AMDはPC雑誌の名誉を毀損した、と怒りをあらわにしています。
元麻布春男の週刊PCホットライン 「PC雑誌はインテルの圧力に負けたのか」

筆者は発表会の場において、この「PC雑誌」の具体的な媒体名について質問したが、回答を得ることはできなかった。また、訴状に
は具体的な媒体名があるのか、ということも質問したが、こちらも答えは得られなかった。これでは、弊誌を含む不特定の媒体がインテルからの圧力により記事
の内容を変えているように受け取られてもしょうがない。
筆者は、この訴状の要旨にある「編集者」ではなく、一介のライターに過ぎない。しかし、長年に渡り、各社の各種の媒体に記事を書いてきたが、少なくともイ
ンテルからの圧力で自分の原稿がボツになったことはないと信じている。また、編集者から原稿の内容を変えるように依頼されたことはない。おそらく、他の多
くのライター諸氏も同じだと思うし、編集者/編集部も同様だと思う。

しかし名指しで批判されたわけでもないのに、ここまで強く反応したのは今の所インプレスだけ。個人ブログ並みの過剰反応っぷり。それが逆にインプレスあやしいんじゃねーの?という疑いを呼んだようです。
    ●【元麻布】提灯ライター総合スレPart11【大噴火】
    ●「PC雑誌の名誉を毀損したAMD」by元麻布春男
    ●【PC】AMD、独禁法違反でIntelを提訴【06/28】
直いって、ボクにはAMDの主張が正しいのかどうか、とか、インプレスが怪しいのかどうか、なんて判断できません。というのは、ふだんPC雑誌を読んでま
せんから。ライターの書く記事をまともに受け取ったことも一度もありませんし。しかし騒ぎ自体は興味深く見守っています。
ちなみに「Intelの独占禁止法違反の疑い  リンク集」さんの「インテル広報からの圧力」という記事よれば、すでに廃刊した「パソコン批評」にはインテルからの圧力がかかっていたらしいです。ただし、AMDの訴状の中にある「圧力がかかってAMDの記事を削除した雑誌」がパソコン批評かどうかはわかりません。

構造的に「提灯」化せざるを得なくなる?
「提灯記事」というのは、雑誌業界において、古くから指摘されてきた問題です。存在する決定的な証拠は無くとも、ほとんどの読者が実在を疑っていません。 疑い深い読者にとって、メディアやライターの書く記事はつねにグレーです。ライターの方々は色々な読者の目につねにさらされているわけで、それはもう大変 な仕事でしょう。けれども、だからこそお金を払ってもらえる仕事になるのだ、ともいえます。視線に耐えることが、プロとしての最低限の条件でしょう。 こうした問題を考えるとき、ふと思い出したのがこの記事です。 犬にかぶらせろ! 『マックパワー』のリニューアルって……
事実一冊丸ごとタイアップという雑誌は少なくない。『Title』なんかはそうで、編集長に特集を決める権利など与えられていない。広告営業が半年先までの特集を決め、編集者による企画会議なんて実質タイアップの内容を決めるだけと聞いた。

この方式だと雑誌が店頭に並ぶ前にペイできているので、実際売れなくたって構わない。


引く出版不況の末、雑誌記事が記事広告化して、売れなくても広告だけで食っていける世界になりつつある、という話。もちろん、あらゆる分野で雑誌がこうい
う形態になるとはいいませんが、長期的な部数の落ち込みをカバーできないなら、潰れるしかないわけで、消滅よりは広告雑誌化する道をえらぶのも無理はない
でしょう。
長期的には、雑誌は中立性、客観性よりも、広告化、もしくは提灯化せざるを得ない気がします。日本人はメディアに中立性、客観性を強く求める人が多いので
すが、実際にはそれはかなり幻想で、主観の入らない表現/伝達/メディアなどありえません。どうしてもフィルタはかかるでしょう。もしかからない、と言う
人がいるなら、その人こそフィルタの権化なのですよ。
ですからボクの見解をのべるなら、メディアやライターに偏りがあるのはかまわないのです。それを読者がわかってさえいれば。「あの編集部はいつも○○寄り
なんだよな」「あのライター、○○の提灯だね」という評判をブログなり何なりで敷衍させていけばいい。
もし本当にそのメディアが提灯で、それ以外の価値が無いなら、読者は自然と離れていきます。読者のいない場所で、延々と叫び続ければいい。逆にそのメディ
アにある種の偏りがあったとしても、それ以外の価値がきちんと発揮されていれば、読者は残るでしょう。

Posted by amanoudume at 2005年07月03日 07:43 個別リンク

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