ケータイ小説や電子書籍の可能性についてのエントリーをまとめて、「ケータイ小説」というカテゴリーを作りました。去年からたびたび書いてますが、そろそろエントリーもたまってきたので。
去年と比べて変化は3つ。
まず1つ目。ライトノベル作品のケータイへの進出が加速していること。作品数がぐっと増えています。
2つ目はケータイ小説新人賞の乱立が落ち着いてきたこと。ケータイ小説賞は必然的にショートショートが中心になりますが、結局あまり話題になってない印象です。やはりコンテンツとして弱いかな〜と。ショートショートよりも毎日掲載の連載モノの方が集客力は強いみたいです。書籍化もしやすいですし。
3つ目は携帯ゲーム機での電子書籍的なソフトの増加です。『脳トレ』『えいご漬け』『漢検』『旅のゆびさし手帳』『楽引辞典』『お料理ナビ』・・・・。そして電撃DS文庫。DSの実用ソフトブームの盛り上がりがどういう可能性に結実するのか、なかなか楽しみです。この所ゲーム会社以外の参入が目立ってきていますし、売上の縮小が続く据置(PS2)はやらずに、DSに集中している中小メーカーがDS市場拡大の影響をダイレクトに受けて、業績が好調です。
(基本的にケータイ小説はわざわざ本を買って読まないような超ライトユーザーがターゲットで、ライトノベルはキャラクターやイラストに惹かれれば本を買ってくれる程度にはヘビーなユーザーがターゲットです。特に、20〜30代のライトノベル読者はヘビーユーザーです。)
ライトノベルの読者は大きく2つに分けられます。1つはもちろん中高生。数としてはこちらが多いでしょう。もう1つは昔のライトノベルブーム(『ロードス島戦記』『スレイヤーズ』の頃)から読んでいる人たち。20代〜30代で、当然資金力があるため、ライトノベル作品のメディアミックスではこちらの客層に支持されないと、あまり売上が伸びません。
で、このうち前者のユーザーはケータイで文章を読み書きするのに慣れてますから、ケータイというメディアは悪いものではありません。ただ、資金力がないので、ケータイで配信される「外伝」を積極的に購入するかどうかは不明です。後者のユーザーはケータイで本を読むことに抵抗感があると思うので、あまり食いつきは良くなさそうです。実際、上記のブログで、ケータイ小説の可能性に肯定的な意見を書いている人はいても、積極的に読みたいという人は皆無です。
ただ、ケータイ小説は一般に、若い世代ほど抵抗感がなく、読者比率が上がっているようなので、10年後ぐらいにはライトノベルにおいて無視できない市場になっているかもしれません。
ボクの世代=団塊ジュニアのニーズを並べてみます。
ゲームでも同じ事が言えるんですが、大人ユーザーにとっては
個人的には、コミックはもうためずに売るか捨ててしまって、まとめて読みたくなったら漫画喫茶でも行けばいいや、と割り切りました。ハードカバーも正直手を出しにくいです。コミック以外は、文庫もハードカバーも売っても二束三文です。それに場所は取るし、重い。よっぽど読みたい物でない限り、買わない事にしました。例えば、宮部みゆき、浅田次郎、石田衣良の作品はほぼ全部買ってるんですが、ハードカバーで買っていた昔と違って、最近は文庫落ちするまで待ってます。
なんつーか、本を買ったら、テキストファイルのダウンロード権も付いてくるような売り方をしてほしいんですよね。始めは本で読んで、少ししたら捨てちゃう。で、読み返したくなった時には電子化されたものを読む。電子書籍って読みにくいから、最初からそれだと金を出す気がしないんだけど、読み返す分にはまあOK。100〜300円高くてもいいから、どこかやってくれませんかねえ。
個人的には、ケータイ小説はあまり読んでません。以前、有名どころは読みましたが。今はケータイでしか読めない作品の場合に仕方なく読んでいるのが実情です。最近はモバイル2次元ドリームでエロ小説読むぐらい。つっても1ヶ月630円もしますからね。1作品が5、6回に分けて連載され、隔週掲載。つまり3ヶ月かかるんで、1890円。読みたいのは1つ2つなんで、高くてしょうがない。読みたい作品が出たら契約して、連載が終わったら即解約というのをくり返しています。
ま、そういうユーザーが少なくないから、隔週連載なんて引き伸ばし策を取ってるんでしょうが・・・・。ふつうに本で出してくれた方がよっぽど安上がりです(笑 あえて利点を上げれば、ケータイだと挿絵も全然無いし、傍から見てなに読んでるかバレないことでしょうか。通勤途中に読むには向いているかもしれません。そこまでしてハァハァしたいかって気もしますが。
メディアワークス、DS電撃文庫 『アリソン』を発表
ブラヴォォー!!
ライトノベル市場で人気の高い時雨沢恵一&黒星紅白のコンビが手がける『アリソン』がついにインタラクティブな電子書籍に。DS電撃「文庫」という名称が「アリソン1発ではありませんよ。これから電子本を出していきますよ」といっている気がして、興味をそそられます。
税込3360円とお手頃感のある値段も好感。ライトノベルが500〜600円、ビジュアルブックが約1400円、ハードカバーが1200〜1600円、ドラマCDが約3150円という価格帯なので、ファン向けのアイテムとして違和感はありません。
DSではタッチペンを活かしたアドベンチャーゲームが多く、『逆転裁判』『探偵・癸生川凌介 仮面幻想殺人事件』など、ネットで評判の良い作品も集まっています。一方、ノベルゲームはPSPの方が多いというのが現状です。古いDSは画面が暗いため、テキスト中心のゲームは若干つらいですし、大容量なPSPの方が素直に移植しやすいのでしょう。例えば、チュンソフトもサウンドノベルをPSP向けに発売しようとしています。
しかしDS Liteは画面が明るくなりましたから、文字を読みやすいですし、イラストも素直に色が映ります。またLiteの方が従来機にくらべて、本のようにして持ちやすいデザインです。PSPのように起動まで時間がかかる事もありませんし、普通のソフトなら本体を閉じればレジュームが効くので、気軽に中断と再開ができます。ノベルゲームを非常に出しやすくなったと言えます。
小説のメディアミックスというと、コミック、アニメ、ゲームが挙げられますが、実はライトノベルのゲーム化はあんまりうまくいってません。価格が高くて、ファン向けのアイテムとして手を出しにくいこと、ぬいぐるみやフィギュア等の実物系コレクターアイテムと比べてコレクター魂をくすぐりにくいこと、しかし一番の問題は買う前からクソゲーだと思われていることでしょう。
そういう悪いイメージを払拭していけるかという点も、注目していきたいですね。
携帯版の成長で電子書籍は45億円市場に
ここ数年、電子書籍のマーケットが急速に拡大しています。ケータイに慣れた若い年代を中心に、携帯電話で本を読む人は増えていますし、定額制の導入で小説やコミックを購入する人が増えたためです。ケータイ小説の新人賞も増え、一定の盛り上がりをもっています。
また、出版界の電子書籍の売上には含まれていないでしょうが、DSで大成功をおさめたダブルミリオンソフト『脳トレ』『もっと脳トレ』も、川島教授の『脳ドリル』の電子書籍化、と解釈できます。遊ぶ時のDSのもち方はまさに「本」そのものです。また『楽引辞典』や『指さし手帳』は、まさに本をそのまま電子化したものです。
PS1→PS2ときて、ゲームは「映画」のように進化していくものだと思われていました。しかしDSの登場で「本」のように進化していく道筋が切り拓かれつつあります。手頃な値段、興味をひくテーマ、実用性、手軽さ、身近さ、扱いやすさ。「本」の優れた長所とDSの大成功ソフトの長所は一致しています。また長い期間をかけて売れる傾向や、パッケージの重要性の高まり、口コミ型マーケットの形成など、「本」の売り方を参考にできる部分が大いにあります。(参考:ゲームソフトも本の売り方を見習ってもいい)
ゲーム機の世界もいよいよダウンロード販売が当たり前になるため、ますます「本」のマーケットに近づいていきます。ダウンロード販売の可能性は主に3つです。
1.エミュレータ技術によって、過去のソフトの再販売がしやすくなる。
(ゲームソフトのロングテール販売)
2.追加アイテムや追加エピソードなど、パッケージの寿命を伸ばしやすい。
(発売日前後に集中する短期型販売戦略からの脱却)
3.在庫リスクとメディアコストが無いため、低価格で多様性のあるコンテンツを提供できる。
(企画の小回り、作家性を発揮しやすい市場。プロとアマの境界の曖昧化)
特に3番において、インタラクティブな電子書籍というのは、有力なジャンルになり得ます。過去の資産が豊富にあり、インタラクティブ性を付加した場合のメリットがわかりやすく、比較的低コストで作れるからです。ノベルゲームは昔からフリーのゲームエンジンが存在しましたし、それによって同人ゲーム市場が活性化してきました。図鑑や事典も、ある程度フォーマットを決めて1度エンジンを作れば、スキャニングやデータのコンバートで通常のゲームよりもはるかに低コストで制作可能なはずです(多少の調整は必要でしょうが)。
電子書籍を携帯ゲーム機で展開するのはなかなか理にかなっています。『脳トレ』効果で中高年の人も手にとっていますから、一般の書籍を持ってくるなら圧倒的にDSが正しい選択でしょう。実際、選択を誤ったゼンリンの地図帳や、『実録鬼嫁日記』は発売したことさえ認識されないまま、消えていきました。彼らは大人がPSPを買っていると勘違いしてしまったのでしょう。きっと脳内でしかマーケティングしてないんですね。
DSは中高年、ファミコン世代、大人の女性、子供に強いのですが、中学生・高校生には弱いです。一方、PSPは中学生・高校生の「背伸びアイテム」として売れていて、この層が『モンスターハンター』を支えていると言われています。SFCに対するPC-Engineやメガドライブのようなものです。本当の大人ではなく、早く大人になりたい人のためのゲーム機です。
そのため、ライトノベルに関しては、DSとPSPのどちらで出すかは微妙なところです。というのは、ライトノベルの読者層は中高生とかつてのライトノベル読者(20代後半〜30代)なのですが、やはり数としては中高生が多いからです。ただ、中高生の資金力を考えると、そこまで本以外のグッズを買えるのかという疑問もあります。PSPのソフト販売が低調なのも、中高生の資金力に余裕が無いせいでしょう(彼らはまず、携帯電話にお金を使わなければなりません)。
電子書籍がDSに向いているといっても、DSのTouch Generations!が成功したのは単に電子化しただけでなく、任天堂のもつゲーム作りのノウハウを活かし、扱いやすく、楽しいものに仕上げたからだ、という事は忘れてはいけないでしょう。ゲーム機で動く「本」は昔からありました。PS1やPS2でも、図鑑、料理本、『家庭の医学』などは発売されています。しかしどれも売れていません。
楽しさはゲーム開発のノウハウの話になり、長くなるので今回は触れません(1月後半〜2月前半の過去ログをオススメしておきます)。機能性にしぼってまとめます。
1) 電子化の最大のメリットは「検索性」と「繰り返し性」。
ずっと下がって映像や音楽との併用。
2) そのうち「検索性」はキーボードが標準のPCに勝てない。
また調べるのにディスクを入れて起動なんて、とても待てない。
そこが改善しないと、辞書や事典はPCに勝てない。
3)「ドリル」は性質上「繰り返し」が求められるので、電子化に向いている。
まずタイトルを決めろ、話はそれからだ──というケータイ文学賞
携帯電話で読む「ケータイ小説」。ディスプレイは小さく、「画面上の限られた情報のみで購入を決めるため、タイトルのインパクトが売り上げを左右する」といい、CDの「ジャケ買い」のように「タイトル買い」する傾向があるという。
あー、それはそうかもしれません。
ブログのエントリーに近い感覚でしょうね。タイトルのつけ方ではてなブックマークの登録数が全然違ったり。
ボクも他人の書いたケータイ小説を読むときは、小説登録サイトから目を引くタイトルの作品を選びますね。
去年はケータイ小説を40本ぐらい書いたんですが、今年は0本だなあ・・・・。文章の練習にはなかなか良いんですけどね。
リアルの本にしても、タイトルのインパクト、わかりやすさ、そしてパッケージの装丁で売上が決まるといっても過言ではありませんからね。この辺りの感覚は、従来型のゲームの売り方では実感がわかないかもしれませんが、今後拡大すると予想される長期販売マーケットや、ダウンロード販売のマーケットでは、重要になるでしょうね。
ゲームソフトのダウンロード販売が次世代の販売チャンネルとして、急速に台頭しつつあります。
・SCEはPS3でHDDを前提にした開発を要請している。
・SCEはPSPのアプリのメモステ起動を容認する。
・マイクロソフトの携帯ゲーム機はHDDを搭載し、ダウンロード販売を
前提にした物になる、と予想されている。
・欧米ではカジュアルゲーム市場が成長している。
・マイクロソフトはカジュアルゲーム市場の取り込みに積極的。
・任天堂のバーチャルコンソールにセガとハドソンが参入。
各プラットフォームホルダーの取り組みによって、ようやくメディアレスな時代が現実のものになりつつあります。10年前の予想(期待)に比べればかなり遅れたものの、それでも1つの「夢」が具現化しようとしています。今までは良いアイデアがあっても、「数千円の価値を作らなければならない」ために、数十個のゲームを寄せ集めたり、無駄なストーリーをつけたりと、本来の遊び以外の蛇足部分をたくさん作る羽目になり、本来作り手が楽しんでもらいたい部分以外を作るのに、ものすごく労力を使わなければいけませんでした。
健全なクリエイティブとライトウェイトな開発、低リスクな販売チャンネルが結びつき、ゲーム業界にとって大きな転換が起こることを強く期待します。フリーゲーム、同人ゲームでは、部分的には作家の名前でソフトが遊ばれ、買われています。ゲーム機向けゲームの世界でも、同じように作家の名前でソフトが買われる動きが広がったらいいな、と思います。
2005年、ゲームソフトの販売構造は大きく変わりました。DSのTouch Generations!の成功にともない、非常に長期間売れるソフトが市場に現れています。3月13日〜3月19日の週間販売データを見てみましょう。DSの『おいでよ どうぶつの森』、『脳を鍛える大人のDSトレーニング』といったソフトがいまだに上位にきています。『やわらかあたま塾』、『だれでもアソビ大全』も根強い。またDSの本体同時発売ソフトだった『さわるメイドインワリオ』『スーパーマリオ64DS』がいまだに50位前後に位置しつづけています。
こうした長期販売傾向はなにも任天堂1社に限りません。バンダイの『たまごっちのプチプチおみせっち』は100万本を越えて、なお根強く売れていますし、ナムコの『右脳の達人 爽解!まちがいミュージアム』もあっさり圏外に消えていった『クイズ野郎』とは異なり、粘り強く売れています。(『クイズ野郎』は論外な出来でしたが、『まちがいミュージアム』はなかなか良い出来で、かなり惜しい。あと一歩練りこめばさらに高い売上水準に届いたろうに)
長期販売は、継続的なテレビCMの効果もありますが、それだけで説明できるものではありません。実際、DSの成功タイトルは電車の吊り広告、ソフトを体験できるスポットの増加、紀伊国屋を始めとする書店でのソフト販売、山手線の電車内の広報など、テレビCM以外の告知チャンネルが目立っています(例外は松嶋奈々子のCMぐらい)。
長期間売れているソフトの特徴の1つは、本を意識したパッケージデザインになっている点です。DSの『アナザーコード』で「さわれる推理小説が誕生!」という本の帯を模したパッケージが始まり、その後Touch Generations!の『脳を鍛える大人のDSトレーニング』『楽引辞典』『やわらかあたま塾』はすべて、同じように本の帯を模したパッケージになっています。また、ソフトの中に折込チラシが同封され、同じ客層をターゲットにした作品を紹介しています。これも、本の世界と似ています。例えば、文庫本を買うと、必ず折込チラシが入っています。
近年のゲームソフトのパッケージ、特にPS2のパッケージは良くも悪くもお高く止まっているものが増えていました。映画の看板のような劇画調というか、作品の格調高さや重厚な雰囲気を伝えるためのものになっていました。本の帯のようなわかりやすさは、年々なくなっていました。一方、本の世界では、重厚な雰囲気のハードカバーにも帯がついて、わかりやすいコピーが書かれています。
それもそのはず、当時のゲーム業界ではゲームソフトの初週販売依存度が高く、ゲームソフトは発売1〜2週間で勝負するものという認識が当たり前だったからです。発売直前に最大限に盛り上がるように広報計画を練ります。言葉は悪いですが、ある意味、売り逃げ型のビジネスモデルといえます。
ゲームソフトはある時期まで、ゲーム雑誌のレビューや特集記事、テレビCMによってソフトを売っていく世界でした。そのため、パッケージはゲームの世界観や雰囲気を表すことが第一とされ、裏面の説明にしてもゴチャゴチャ情報を詰め込むのが当たり前でした。その結果、ゲームショップの棚を見ても、「どれも同じに見える」「ユーザーがタイトルの名前を知っているのが前提」でした。本とは真逆の世界です。
しかし本のように比較的長期間売っていく場合には、店頭での販売が重要になります。本の世界ではよほどのことが無い限り、なかなかテレビCMなんて打ちません。基本的には本屋の店頭で勝負する世界です。パッケージ、帯、折込冊子、棚の並べ方、書店員のポップ、・・・・。こうした事の積み上げが売上につながります。長期販売を狙うソフトはどれも、本の売り方から非常に多くのことが学べるはずです。
2005年に起きたゲームメディアにとっての最大の衝撃はなんでしょうか?
それは、ミリオンを軽く突破し、現在は200万本を目前に控えた『脳を鍛える大人のDSトレーニング』がファミ通のクロスレビューを受けていないという事実です。ライトユーザー、ゲーマー、ゲーム業界人の間で、最も話題になったソフトを、ファミ通はカバーできなかったわけです。
ここ数年、ネット上ではファミ通のクロスレビューの威信は地に落ちていました。大手ソフトメーカーとクロスレビューの点数が癒着しているという疑念は定期的に話題になりますし、クロスレビューを参考にしている人は減っているといわれています。また多数発売されるiアプリのゲームをカバーしきれません。大手ソフトメーカーのiアプリは掲載されるものの、ダウンロード件数の多いフリーゲームは無視されています。そしてトドメとばかりに、ファミ通のクロスレビューを受けていないソフトがダブルミリオンに達しようとしています。
もはやファミ通のクロスレビューは実売にはほとんど影響せず、ゲーム開発者のプライドを満足させることと、2chあたりの煽り合いの材料にすぎないことが証明されてしまいました。もしも大手ソフトメーカーがファミ通へのクロスレビュー提出をやめてしまったとして、はたしてそれで売上が落ちるんでしょうかね? じつは全然落ちないかもしれませんし、かえっておかしな悪評が立ちにくくなる分、売上が上がるかもしれませんよ。
これも本の世界に近い現象。専門誌を買ってまで本を選ぼうとする人は希少ですし、雑誌のクロスレビューで本を買う人もまずいません。
数年前にも1度書いたことですが、ゲーム業界の「賞」はユーザーにとってあまりに無意味すぎます。本の世界ではまず新人賞があって、作家がデビューするための入口の役割を果たしていますし、本好きにとって受賞作品は新しい作家と出会う良い機会になっています。また、芥川賞・直木賞は本の売上にダイレクトに結びつきますし、受賞作家は新聞連載を始め、仕事の機会が多くやってきます。賞というものが作家のステップアップとして機能しているわけです。
例えば、直木賞を受賞すると、その作家の作品はすぐに帯が差しかわり、「直木賞受賞作品!」であることが大々的にアピールされます。ゲーム業界ではこういう事は起こりません。ゲーム雑誌の片隅や、ゲーム系サイトの1ページを飾るだけで、ゲーム業界人のゲーム業界人によるゲーム業界人のための賞でしかありません。完全に「内輪受け」の世界です。
ボクはこういう賞なら不要だと思います。そんなものはただの文化気どりです。賞というものはクリエイターにとって「内輪受けの栄誉」ではなく、着実なステップアップにつながってほしい。そもそも賞というものがどれぐらいあるかというと、「東京ゲームショウのなんちゃら賞」「文化庁マルチメディアグランプリ賞」「Game Developers Choice Award」と、あとは海外のナントカ賞(ゲーム業界の自称アカデミー賞らしいよ)、プラットフォームホルダーのほにゃららプライズ。そんなところかな?
率直にいって、こういう「賞」はユーザーにとって、あまりにも無関係すぎます。
例えば、ついこの間「Game Developers Choice Awards」が発表され、『ワンダと巨像』が5部門で賞を獲得したほか、『nintendogs』がTechnology部門で受賞しています。他にも『みんな大好き塊魂』『おいでよ どうぶつの森』『バイオハザード4』など、日本勢の作品が何本もノミネートされています。
この賞は世界中のゲーム開発者が選んだ・・・・と言いたいところですが、それはさすがにウソで、IGDA(国際ゲーム開発者協会)メンバーのゲーム開発者が投票で選んだものです。日本ではIGDA加盟者がまだまだ少ないので、基本的には欧米のゲーム開発者が選んだ賞といえるでしょう。ボクも選んだ覚えは無いし、実際、日本だったらこうはならないだろうな、という結果になっています。
海外で評価されているという点では、意味があります。しかしそれがユーザーにとって、どんな関係があるのでしょうか? 興味を示している人がどれだけいるんでしょうか?
ボクはぜひとも、SCEには『ワンダと巨像』をもう一度テコ入れしてほしい。賞をきっかけに販売をテコ入れするのは、確かにゲーム業界では通常ありえません。しかし本の世界では当たり前のことです。今いろいろなことが変わりつつあるゲームの世界において、新しい一歩を踏み出してほしいですね。
そういえば、先日D3パブリッシャーの「SIMPLEシリーズ Awards 2006」が発表されましたが、いわゆる販売ランキングにはなかなか浮上してこないものの、息長く売れているソフトにスポットライトが当たる良い機会でした。しかしこの記事を読む人たちは、SIMPLEシリーズの客層と必ずしも一致しているわけではありません。賞を利用して、店頭においてさらなる販促を行ってもいいかもしれません。
とはいえ、たぶんそういうことをしても、まず売れないでしょう。そんなもんです。しかし何ごとも最初はそんなもんです。本の世界では『このミス』がかなり力を持っていますが、あれも最初からそうだったわけではありません。実際の販売につながったから、力をつけたんです。最近では全国の書店員が選ぶ「本屋大賞」というものが出てきて、「本屋大賞」を獲った作品が売れたので、従来の伝統的な小説賞がビビったという話があります。本の世界では、いまだに賞を生かす、育てるということが機能しています。
賞というものは、制作者や業界人の内輪受けのためにあるものではなく、表面だけ他のメディアをなぞってもしょうがない。ユーザーに関心を持ってもらうことで大きく育っていきます。ゲーム会社ならびにメディア、流通が努力して初めて、生きた賞に育ちますし、結果的にそれが新しいチャンスを生み出すのです。ボクはなにも文化的な価値を訴えているわけではありません。そういう積み上げが今後の長期販売マーケットや、ダウンロード販売の時代に意味を持ってくる、と考えているのです。種まきですよ、種まき。しかしなかなか理解されないかもしれませんね・・・・。
携帯電話での物販が急速に伸びているそうですが、電子書籍の市場もまた急成長しています。その原動力は携帯電話の電子書籍市場の成長にあります。
ケータイWatch 「携帯版の成長で電子書籍は45億円市場に」
調査では、2005年3月時の国内における電子書籍の市場規模は約45億円、前年比2.5倍となっている。内訳は、パソコンやPDA向けが約33億円、携帯電話向けが約12億円。また、市場を牽引する端末が従来のパソコン・PDAから携帯電話にシフトしつつあるとしている。音声通話よりもメールでのコミュニケーションに慣れ、ケータイで文字を読み書きすることに抵抗感の少ない「ケータイ世代」の年齢が上がってきたことや、定額制が浸透してきた(新規加入者の4分の1が定額制)おかげでコミックの配信がやりやすくなったことが要因でしょう。
今年だけでも、小説とコミックを配信するサイトはかなり増えていますし、ケータイ小説を公募する文学賞もいくつか立ち上がっています。しばらくは成長が続くのではないでしょうか。また、上記の記事でいうところの「電子書籍」の分類には入ってませんが、Touch Generations!の「DSトレーニング」や「楽引辞典」も電子書籍といえるかもしれませんね。実際、通常のゲーム流通とは別に、一部の大型書店などで販売されています。
「電子書籍」というと、一般的には、単に紙データをPDFやテキストファイルの形式に電子化した物を指すことが多いわけですが、この記事ではもっと幅広い意味で「本」を捉えています。
電子化やインタラクティビティーの付与によって、小説、漫画、アニメ、ゲームの境界が溶けていくと考えている人は少なくないでしょう。Webマンガ、Webアニメーションの盛り上がりについては、竹熊健太郎氏が熱心に語っていますね。
●コラム「たけくま月評」第1回 デジタルマンガの現在(いま)
●コラム「たけくま月評」第2回 デジタルマンガの現在(いま)−2−
個人制作アニメとして大ヒットした新海誠の「ほしのこえ」なども、その止め桧を多用した独特の演出はデジタルコミックの延長的表現と考えることもできる。今後はマンガ・アニメ・ゲームの垣根がなくなり、それらが融合した地点に新たな表現が生まれるのだと思われる。デファクトスタンダードになるフォーマットが何か? 既存のパッケージ流通からネット配信にどういう風に移行していくのか? などの議論はあるでしょうが、「本」レベルの価格帯と多様性を持ったデジタルコンテンツ市場が生まれつつあるという認識は、かなり広がっていると思います。
今は既存メディアの人たちがそれぞれの領域からそこへ突入している状況です。
出版の人たちは電子書籍から、ゲームの人たちは携帯電話ゲームやオンライングーム、低価格ソフトから、映像の人たちは動画配信から。そして草の根のクリエイティブの人たちがノベルゲームやFLASHを通してクリエイティブを発揮し、そこに商業の人たちの熟い目線が注がれています。
講談社、『ファウスト vol.5 奈須きのこ、竜騎士07対談より
脚本から演出から絵からすべて一人でやっている、というのは竜騎士07さんの世界を表現できる人がいなかったからなのかもしれないんですけど、一番大きい理由は一人ですべてをつくるためのツールとしてノベルゲームが最適だったからだと思うんです。映画、アニメ、マンガ、色々と表現方法はあると思うんですけど、ノベルゲームが一人でやるには一番適しているんじゃないかと思いますね。一人で作品をつくる、という点では、『ほしのこえ』の監督の新海誠さんが竜騎士07さんの立ち位置に一番近いと思うんですよ。
この1年、日本ではテレビ局周辺が騒がしくなってますね。ネット企業によるテレビ局の買収、HDDビデオレコーダーの普及による「視聴率神話」の崩壊、国民のマスコミヘの不信感、地上派デジタルの是非、ビデオiPodの発売とiTunesでの動画配信開始など、話題に事欠きません。
「テレビの次」といえば、久多良木氏が一時期はそのような夢を語っていたこともあったと思いますが、e-distribution構想の失敗(始まりすらしなかった……)、PSBBの失敗、PSXの失敗、と何度も失敗してきました。またPS3にルータ機能をつけるのを諦めたことも、「家庭の娯楽の中心にPSがある」という思想からすると、情けない話。ビジョナリーが夢が枯れてどうするのか。枯れたビジョナリーに価値は無い。
家電の中にCELLを溶かしていく話にしても、久多良木氏がソニー本体に及ぼせる影響力が制限されている現状では、説得力がありません。そもそもソニー自体がデジタル家電の分野で負け続けている状態では、普及も何もないでしょう。
今やソニーに代わり、アップルこそが次々と新しい「未来」を切り拓いています。
ビデオポッドキャスティングが既存のテレビ放送、地上派デジタルを代替する選択肢になり得るという、Life is beautiful 「アップルにして欲しい次の革命」は非常に刺激的でした。(ポッドキャスティングはアップル自身が生み出したのではなく、iPodを中心としたエコシステムが広がる過程で、ユーザーから生み出された、という点が非常に現代的な現象だと思います)
またアップルがテレビに接続可能なMac mini を出す可能性を指摘しておられますが、ボクもHDDビデオレコーダー的な製品をアップルが出してくれないものか、と願ってやみません。 あるいは日本の家電メーカーがiPod対応してくれてもいいのですが、自分たちの領域が脅かされることを恐れて、やらない気がします。
テレビに出力できないPSPと違い、iPodはドックを通してテレビ出力できるのも良い点ですね。現時点で絶対に必要な機能ではないものの、布石としてはかなり重要。 PSP がテレビ出力できない最大の理由は、おそらく映画産業への配慮なのでしょうが、既得権保護に寄りすぎて中途半端な製品を作ってしまうのは、ウォークマンと同じ失敗パターンです。
昨晩、ビデオiPodが届いたのですが、思っていたよりも薄くて驚き、想像以上に液晶が大きくてうれしい。HDDの中に自分のライブラリーを詰めていく作業が楽しくて仕方ない。気持ち悪いぐらいニコニコしながら、電車に乗ってましたよ。持っていてうれしくてしょうがない、それが「本物」ですよ。単純な大きさの比較なら、PSPの方が上ですが、あんな重い物片手では観られませんからね。 iPodで液晶画面の比率がもっと大きくなるなら大歓迎ですが。
ソニーはさっさとUMDを外して、別にゲーム機能も要らないので、ボタン類もはずして、小型HDDを積んでタッチパネルになってるPSPを出してほしい(見た目的には、液晶画面しかないようなシンプルなデザイン)。重さもやはり200gは切ってほしい。
ボクはUMDもBlue-RayもHD DVD も全部どうでもいい。ディスクという時点で古臭くってしょうがない。映画産業の「既得権保護」のためだけに存在するメディアに思えます。以前から何度も書いてますが、早くディスクレスにしてほしい。アプリケーションを切り替えるたびに、ディスクを入れ替えないといけないなんて、プアな体験をユーザーに強制するのはそろそろやめにしてほしい。自分が「原始人」になった気がします。
ボクはじつのところ、XBOX360もPS3もレボリューションもどれも要らない。まあゲーム業界にいる身としては買っておくかなあ……ぐらいの気持ちで買うだけ。 XBOX360 の「ハイデフ」もPS3の「映画みたいなゲーム」もレボリューションの「革命的なインターフェース」もどれも素晴らしいとは思いますが、なんでデイスクなんだ?という思いがしてしょうがない。3社ともそれぞれ方向性は違うものの、最新技術を使って一生懸命、「石器」を作っているようにしか見えません。そろそろ原始時代から先に進んでもいいんじゃないの?
PCや携帯電話と違ってゲーム機のネットヘの接続性が低いとか、今のネットの帯域では大容量を供給するのは厳しいとか、互換性を保つためとか、「理屈」はわかるんですけどね。所詮、既得権サイド(ゲーム機メーカー)の論理です。ソフトメーカーにしてみれば、そんな「理屈」は知ったこっちゃありません。大手ソフトメーカーがPCや携帯電話への重心シフトを表明したり、ゲーム機市場が崩壊していると発言しているのが現状。
ゲーム開発者にしても、会社という枠、ゲーム機ビジネスという古い枠に囚われてはいるものの、新しい世界にソフトを送り出したいという思いを抱いている人は少なくないでしょう。
クリエイターズファイル南治一徳さん
今は、iPod とかにもゲームが入っていますけれど、たとえば iPod用のゲームとか作れたら面白いなとか思いますね。この発言は共感の極み。(参考:ゲームクリエイターは次世代ゲーム機の夢を見るのか?)
書き下ろしの長編ではシリアスな本筋の物語を展開し、雑誌連載の短編ではコメディな日常を描く、というフォーマットを富士見ファンタジア文庫が確立させて以来、ライトノベルは短編小説を活性化させてきました。その後も、短編連作の形式で1つの物語を描き出した「ブギーポップ」の登場や、電撃文庫において短編の地位を確立させた「キノの旅」のヒットによって、ラノベにおける短編の地位は維持されてきました。
ラノベの根本にある「読みやすさ」が短編のボリュームと相性がよかったこと、「キャラクター小説」としてのラノベが日常を描く形式を必要としたこと、この2点がラノベにおいて短編の地位を堅固にした理由だと思います。
そして今、ケータイ小説の台頭によって、ショートショートに脚光が当たりつつあります。
「ネット小説、ケータイ小説への関心の高まり」で書いたように、ケータイ小説の賞が次々と設立されています。(出版社がケータイ小説に関心を持ち始めたのは、2003年あたりからだと思います)。
ケータイ小説についてのニュースもよく目につくようになってきました。
○ケータイWatch:イートレックジャパン、「ステーション文庫新人賞」大賞発表
○asahi.com:絵文字はお断り 「ケータイ小説」、北海道文教大が募集
○「MY CAFE eBookSpot」の夏のケータイ小説、累計アクセス126万を突破
ショートショートは本としてはあまり見かけなくなりましたが、ケータイというメディアが普及したことで、手ごろなボリュームとして認識されるようになったわけです。ただ、全体としてみると、ケータイ小説は女性の読者が圧倒的に多いような印象を受けます。
そのせいか、男性オタク向けの小説はまだまだケータイ小説への進出が遅れている感がありますね。
きちんと調べたわけではないんですけど、パッと見つかったのは「絶対少年〜神隠しの秋〜穴森」」だけでした。一方、ラノベでも女性読者の多いコバルトはケータイ小説サイト(PCでも閲覧可)をやっています。
電撃文庫は「電撃hp読者参加企画」として、ショートショートを募集していますが、とくにケータイ向けには掲載していないみたいです。ちょっともったいない気がするものの、(男性オタクには)需要無いのかなあ・・・・。以前は「電撃short3」1つだったのを、3つに増やしているぐらいですから、この手の企画は安定したアクセス(および電撃
hpの購買)を見込めるのでしょうね。
萌え漫画やパロディー漫画が4コマという形式と相性がよかったように、萌え小説もショートショートと相性がいいんじゃないか、と勝手に思ってるんですが、どうなんでしょうね? 内容もきちっと話のオチをつけるんじゃなくて、4コマ漫画レベルでいいと思います。(そういえば、オタク向けの4コマ漫画が目立ち始めたのって、いつ頃でしたかね?)
しかし萌え系にしても、一般(または女性向け)にしても、ケータイ小説のショートショートは単独の商品としてはまだまだ弱いのが実情です。萌え系の電撃はあくまで「読者参加企画」ですし、一般のケータイ小説賞にしても、客
寄せ企画としての意味あいがまだまだ強いです。今のところ、本という形で「出版」することが出版社の基本のビジネスなわけで、そうなると何十本も書かないと1冊の本にまとまらないショートショートはビジネス価値が低いのでしょうね。
実際、試みに、とあるケータイ小説賞に送ってみたところ、受賞しても「もっと長いものを書いてください」と言われるわけです。(まあ逆にいえば、そこらのブロガーが「ちょっと書いてみた」程度で通ってしまうほど、まだまだ競争が少ない世界なのです)
ケータイ小説に関心があるなら、ケータイ小説関連のニュースを掲載されている携帯小説評論家♪たまの携帯小説を読もう!さんが参考になります。ちょっと宣伝多いけど・・・・。
最近、出版社やコンテンツ配信ベンダのネット小説への関心が高まっているのを感じます。
ヤフーが文学賞を設立。第1回の応募は7月14日〜9月30日で、「あした」をテーマにした未発表の小説が対象。長編でもなく、短編でもなく、6000字(原稿用紙15枚)〜8000字(20枚)と長めのショートショートです。
まず出版関係者などからなる選考委員会が10作品を選び、特設サイトで11月中旬〜12月中旬まで一般公開して、ネットで投票してもらう。最高得票作品に「Yahoo!JAPAN賞」(賞金20万円)をおくるほか、作家の石田衣良氏が「選考委員特別賞」(同)を選ぶ。発表は06年1月で、受賞作は小学館の文芸誌「きらら」にも掲載される。小学館の「きらら」といえば、ケータイサイト「モバイル☆きらら」にて、500字〜1000字のショートショートを毎月、募集しています。携帯電話の画面は現状では、あまり長い文章を読むのに適さないこともあり、ケータイ小説の公募ではショートショートが対象になることが非常に多いです。
プロの作家が小説を掲載する場合には、大きな作品を30話〜50話に分けて、毎日掲載することが多いです。その場合は、1話あたり2000字(原稿用紙5枚)程度になります。新聞小説に近い感覚でしょうか。ただ新聞小説は1年ぐらい続きますが、さすがにそこまではひっぱらず1ヶ月〜2ヶ月程度ですね。
ネット小説、ケータイ小説に注目が集まる理由は、
○携帯電話が電子書籍のプラットフォームとして、有望になってきた
○若いケータイ世代の関心を引き寄せられるという期待感がある
○ケータイ小説における「Deep Love」の成功や、2chから生まれた
「電車男」の成功が後押し? (「電車男」は成立のしかたが特殊ですが)
といった理由が挙げられます。
関連:
○ITmedia 「ケータイ小説の「女王」が企業から注目される理由」
○ITmedia 「“携帯+書籍”〜KDDIの狙い」
○ケーススタディ:ケータイ小説「Deep Love」