切込隊長から財布バトンをいただきました。
Q1.どんな財布使ってはります?
茶色の革の財布。社会人2年目の時に購入。
Q2.ズバリ、現在中身の金額は?
1万円札2枚と1000円札3枚。小銭の合計は191円なり。
Q3.ポイント・メンバーズカードあったりして?
財布に入ってるのは、ソフマップぐらい。それと近所の総菜屋のスタンプカード。
メンバーズカードとは言わないかもしれませんが、アイドルマスターのプロデューサーカード。
Q4.診察券あったりして?
歯医者のが1枚。歩いて行ける距離にあると便利ですね。開発末期のお菓子の食べすぎは注意しましょう。
つーかどんなに眠くても歯を磨いて寝ましょう。
Q5.なにかレシートあったりして?
無い。
Q6.なにか割引券あったりして?
無い。
Q7.その他あんなものこんなものあったりして?
名刺、健康保険証。キャッシュカード2枚、クレジットカード2枚、社員証。
Q8.財布おとしたことある?
ガキの頃に2度ほど。
Q9.財布拾ったことある?
ガキの頃に1度。お金が入ってなかったので、そのまま放置。
つかすでに空だったorz
世の中を知った10歳の夏。
Q10.誰の財布の中身知りたい?
ゲーム業界の人の財布の中身は想像がつくので・・・・。
止めちゃいます。
『Fate/ hollow atraxia』がの売上とんでもないことになってる件について。
PC NEWSの売り上げランキングから見る今年のエロゲ
エロゲの売り上げを語ろう 36 (一応、本数ではなくポイント表記)
受注が20万本集まったという噂が流れていましたが。
発売から4日間で14万って・・・・。
エロゲの売上じゃないよなー。エロゲの市場が大きいんじゃなくて、『Fate』が怪物なだけですが。
年間ランキングの方は、順当なところ。
『AYAKASHI』は確かに『Fate』と同日というのは、無謀すぎでした。ボクもスルーしちゃいましたし。
じつは『ワンダ』をスルーした理由も、『Fate』とかぶってたからですが。
(客層はかぶってないと思うので、ボクみたいのは例外でしょう)
『Fate』だけで、20時間+10時間(読み返したり、色々)使ったから、とても無理。
でもやっぱり初週売上は同じぐらいでしたね。『ワンダ』負けちゃうんじゃねーの?と密かに思ってたのは秘密です。
一度買い逃すとどうでも良くなるという昨今のゲーマー心理を身をもって実感。
まぁレビューを読むと、『ICO』とはかなり別物な感じのようですし。
が、そのうち買います。年末年始にでも。でもクリアするかどうかはわかりません。面白いんだろうけど、面倒くさそうな気がして。
それはそれとして、研究用に遊んだ2本。
『God or War』と『サイオプス』。
へたれゲーマー駄文 洋風3Dアクションゲーム『God of War』
・『時間の砂』もそうでした。共通するのは、ハリウッド映画のようなつくりであること。
観客の感情盛り上げ曲線が、ゲーム全体で考えられているように見えます。
ゲーム内の1つ1つの要素は、日本のゲームで見たことあるものなので、クリエイティビティーという点ではさほど尊敬に値するものではありません。ただ、それらの要素を配置し、つなげる「構成術」においては、脅威を感じます。まだハリウッド映画ほどには成熟していませんが、「脚本術」ならぬ「ゲーム構成術」を着実に積み上げているのがわかります。
というか、日本のゲームって「構成」については、悪くなってますからねえ。木を見て森を見ず。1つ1つのゲーム要素においては、日本のゲームのほうが上ですが、「構成」がなってないので、全体として生きてこない。
それと、向こうでもここまで徹底したストレスフリーなゲームが売れるんだなあ、というのを再確認。どういう形で具現されるかは異なってますが、ユーザーのニーズという点では、2、3年前の日本と変わりませんな。
『サイオプス』はゲームそのものよりも、物理エンジン「Havok」とAIエンジン「AI.implant」を両方採用している点でチェック。次世代機では珍しくなくなるのかもしれませんが、PS2で両方使ってるというのはなかなか意欲的。ゲームに活かせてますしね。ゲーム内のネタは『Half-Life2』の影響受けすぎですが。逆にいえば、堅実な方向性ともいえます。(日本版が最近出ただけで、海外版は2004年前半でした。『Half-Life2』より先に発売されてますね。ごめんなさいorz)
●マイクロソフト、広告を新たな収益の柱に
●「サービス化の波に備えよ」--ビル・ゲイツによる話題のメモを全文公開
●「マイクロソフトは広告ビジネスに賭ける」、バルマーCEO
マイクロソフトがWeb2.0の波を無視できなくなり、広告で収入を得るビジネスモデルの 「Windows Live」「Office Live」を発表したことは、みなさんご存知の通りです。現時点では詳細が発表されていないものの、XBOX Liveもまた、広告型のビジネスモデルを導入することを検討しているそうです。
ここ2年ほど、米国のIT産業を中心に「グーグルOS」論が台頭していました。
マイクロソフトの収益源はWindowsとOfficeの売上です。OSやアプリを販売するビジネスモデルのマイクロソフトにとって、無料サービスはビジネスを破壊する天敵です。広告を収益源とするグーグルがWebからデスクトップに無料のサービスを浸透させていくことで、マイクロソフトは自社のビジネスの根幹を脅かされました。
もちろん冷静に考えて、Officeの機能を代替するほどの巨大なWebアプリは現実的とは言いがたいです。またグーグルがクライアントPC用のOSを開発したり、販売することもおそらく無いでしょう。しかしその一方、はたしてOfficeほどの機能が必要なのか? という疑問があります。PCが広く浸透した結果、PCが「仕事」から「生活」「娯楽」の領域に浸透しました。その新領域では、人々は重くて高機能なアプリを使う必要がありません。メールが読めてブラウザが動けば、十分なわけです。さらにiTunesが動けば、音楽ライフも十分です。
PCのビジネスにおいて、インテルやマイクロソフトは最も利益の高い部品(CPUとOS)を支配し、それ以外の部品を他社にまかせました。PCメーカーは価格競争で苦しみ、IBMはPC部門を中国企業に売却しました。マイクロソフトにとって最も脅威なのは、Windowsに対抗するOSではなく、「OSなんて、どれでも変わらない。大切なのはWeb上のサービスだ」という世の中になることです。付加価値の中心がWebサービスに移ってしまうことが、最も怖い変化なのです。
ボクが記憶している限りでは、日本にブログが伝播した当初、真っ先にブログに飛びついた先進的なブロガーの人たちでも、ブログが一般に浸透するかどうかは疑問、という見解が少なくなかったはずです。確かにブログツールを自分でインストールするのは敷居が高い状態でした。
しかしブログのホスティングサービスが始まると、ユーザーはあっという間に増加していきました。ホームページビルダーのようなWebページ作成ツールを買わなくて済み、FTPクライアントで転送せずに済み、過去ログの管理などの苦労が軽減されたからです。無料サービスが有料のクライアントアプリを駆逐する実例といえます。
無料ソフトウェア(サービス)の波の脅威については、FPN 「Googleはネット世界の創造神なのか破壊神なのか」でも非常に面白い指摘をしておられます。
オンラインゲームは急速に「無料化」の方向に進んでいます。無料+アイテム(アバター)課金という形ですね。
●韓国のカジュアルゲームの台頭
●無料MMORPGの台頭
月額会費を支払ってくれるマニア層は限られていて、より多くのユーザーを獲得するには「無料」「軽いゲーム」で、金銭的/時間的な敷居を下げる必要がある、ということをオンラインゲーム各社は悟ったのです。
またコミュニティを育てる重要性がますます認識されています。ポータルサイトとブログやSNSを連携させる動きが活発になっています。参加者を増やして、コミュニティを大きく育て、コミュニティ内で流通する付加価値から収益を上げる。それが最も現代的なオンラインゲームビジネスです。
これは極めてWeb2.0的な方法論ですね。スクウェアエニックスの和田社長が中間決算発表の席で、Web2.0を引き合いに出して、コミュニティから収益を得るビジネスに転換する、と宣言していましたが、今やオンラインゲームの世界において、Web2.0的な考え方は常識となりつつあります。
無料ゲームの浸透は、有料ゲームを基本とするゲーム機ゲームのビジネスを破壊し得るものです。実際、オンラインゲームを遊ぶのは大人のマニアだけという時代は過去の物になり、主婦層や小中学生への無料オンラインゲームの浸透は軽視できなくなりつつあります。また、無料+アイテム課金というビジネスモデルは、「中流」→「上流」「下流」と階層化の進む今の市場にマッチするものです。(参考:下流社会)
無料のサービスが有料のパッケージビジネスを縮小させていく(完全な消滅は無いとしても)という流れは、IT産業でも、ゲーム産業でも、起きている現象です。ゲーム機メーカーやゲーム機ゲーム会社の人たちは、マイクロソフトが10年ぶりの方針転換を宣言した時、どう思ったでしょうか?
「おやおや。マイクロソフトもようやく時代の変化に追随してきたね。それにしてもノロい。まるで亀だね」ですか?
「ついにマイクロソフトが本気になったか。ぐずぐずしてはいられないな」ですか?
「ふ−ん。あっちは大変ですなあ。マイクロソフト必死だね(藁」ですか?
「サービス化の波? 何を寝言いってんだ。所詮ブームだよ、ブーム」ですか?
ゲーム機の世界は、PCに比べると、非常によく囲い込まれていますから、守りが堅い、変化の速度が遅いのは確かです。同じPCの上でぶつかり合うグーグルとマイクロソフトと違い、PC(ケータイ)とテレビではプラットフォームが異なりますし、何よりロケーションが異なっています。テレビの前に家族が並んで座っている光景は簡単にイメージできますが、PCを家族が囲んでいる様子は想像しにくいです。
そのため、ゲーム機ゲームの方がゆるやかに縮小させられていくはずです。
ハードウェアとしてのゲーム機が無くなるとは思いません。ただしロイヤリティを中核とするゲーム機ビジネスは衰退するでしょうし、ゲーム機向けのソフト市場や、提供タイトル数、ユーザーのプレイ時間といったものは大幅に縮小していき、ゲーム機向けのビジネスは縮小するでしょう。
本当に致死的なレベルに達するのは5年後ぐらい。 オンラインゲーム市場がゲーム機ゲーム市場に匹敵する規模に成長するのは、それぐらいでしょう。ただし今後、ユーザーの奪い合いが激化していくことを考えると、もう少し前後するかもしれません。
次世代機の5年を経た後、ゲーム機とPCとケータイの市場が横並びになっている可能性はかなり高いわけです。しかしゲーム機が厄介なのは、ライフサイクルの5年間は、(ファームウェアの更新や、型番変更による多少の改造はあるものの)大きくアップデートできないということです。その5年間で、無料のオンラインゲームはますます伸びていきます。
つまり、ゲーム機メーカーはそういう事態を予期して、プラットフォーム競争で勝てるようにしなくてはいけません。
A)ゲーム機ならではの利点をいかす
B)ゲーム機が持たない、PCとケータイの利点を取り込む
例えば、Aの1つはリビングにあることですし、Bの1つはネットヘの接統率ですね。
しかしこういったことは、ゲーム機メーカーが勝手に悩めばいいわけで、ゲーム産業を支えるその他大勢の人間が考える義理は何もありません。基本的に、ソフトメーカーはロイヤリティービジネスに縛られたゲーム機から、PCとケータイヘ重心シフトすればいいと思います。もしもゲーム機メーカーが魅力的なプラットフォームを用意するなら、そちらにも、ソフトを供給してあげればいい。
重要なのは、必要なタイミングで必要な決断ができるかどうかです。マイクロソフトはすでに決断しました。あなたはいつ決断しますか? もうしましたか? 新しい市場は小さい状態からしか始まりません。早い段階で多額の資金を投じても、投資の回収が難しい。しかし市場が本当に大きくなってからでは、取り分が無くなってしまいます。
例えば、iPodの開発が2名の社員に下されたのは、2001年初頭。2001年のクリスマスシーズンに最初のiPodが市場に投入され、それから4年。今やアップルの一人勝ちの状況です。しかし逆にいえば、4年はかかったのです。市場の大きさを認識してから、あわてて動き出した日本のメーカーはどうなりましたか?
誤解しないでください。決断するか/しないかという話ではない。いつ決断するのか(決断したのか)という話です。
国内のゲーム市場の縮小が続いた結果、簡単にゲームから離れてしまう(と思われている)ライト層よりも、ヘビーゲーマー、マニア層を狙った方がいいのでは、というムードがゲーム業界に生まれていました。 2003年〜2004年、このブログの前身のBBSや、このブログのコメント欄でも、そのような意見がよく出ていました。
「どうせゲームは続編や版権モノしか売れない」
「日本のユーザーは保守的」
「ゲームは所詮ブームだった。ゲームに付いてきてくれるマニア相手にしぼった方がいい」
ボクは当時からそういう論調には違和感をおぼえていました。その違和感は2004年秋にSCEが「スゴイゲーム」というプロモーションを打った時に、さらに大きくなりました。当時は「マニアでさえゲームに飽きているのが現状」という一文を書いたのですが、肌で感じたことではあっても、その現象をうまく説明できませんでした。
(常に”皮膚感覚”は理屈や理論に先行します)
しかしその後、国内のゲーム市場に大きな変化が現れました。
新規タイトルが売れるようになり、むしろ下手な続編よりもずっと売れていますし、商品寿命が短いのが当たり前だったゲーム市場で、驚異的なロングセラーを続けています。またゲーマーの間でも、濃厚なゲームから離れる動きが出てきました。
時間が無い、飽きてきた、ゲームでまで疲れたくない、買ったけど遊んでない積みゲーが増えすぎた・・・・。
話題が消費されるのが早くなり、一度買い逃したゲームは忘れてしまって結局買わない、という傾向が強くなりました。ゲーマー間で共通の話題が減ってきた、とも言われています。つまり「マニアだけはゲームを買ってくれる」という時代から、「マニアでさえゲームに飽きてきた、疲れた、買わない」という時代になってきました。
もちろんマニア層全員がそうなっているわけではなく、いまだに積極的にゲームを購入して、精力的にゲームをこなす人たちも存在しますが、その数は減っていて、市場における影響力が減退しているように見えます。
理由を挙げてみましょう。
●お金をかけずにゲームマニアでいられるようになった
●オンラインゲームの浸透
●ファミコン世代のゲーマー層の年齢が上昇し、時間や小遣いに余裕が無くなった
●ネットの浸透で話題の消費が早くなり、従来型のマニア向けマーティングが通用しなくなった
(商品寿命が短命なので、発売直前に話題性を最大にしようという方法論)
●特に男性向けの市場において、嗜好の分散傾向が顕著になった
●さすがに続編に飽きてきた
先日紹介した「下流社会」で語られていることですが、「中流」が消失し、「上流」と「下流」に分離しつつあります。そして従来の常識「オククやマニアはお金をたくさん使ってくれる」が崩れてしまったのではないでしょうか。
ARTIFACT 「オタク趣味は金をかけなくてもできるようになった」
90年代にオタク論が盛り上がった時には、オタクは声は大きいし、口うるさいけど、お金は使ってくれる人たちでした。それがオタクマーケティングの根幹を支えていた理屈でしたし、日本の一部のゲーム開発者が取り憑かれた妄念でした。
声は大きいし、口うるさいし、お金も使ってくれない人だけを一生懸命相手にしても仕方ないわけです。マニア層といっても、「お金を出す人」と「お金を出さない人」がいるということをハッキリ認識しておかないと痛い目を見ます。
タイトル数が少なくないこともあって、具体的な名前を挙げようとは思いませんが、妙に勘違いしたオククマーケティングに走ったゲームが出てきています。売れている間は「オタクに媚びない」みたいなことを公言していたのに、いざ売上が落ちてくると、大慌てで安易な萌え要素、エロ要素を入れて、それで時代の変化に追随したと思い込んでいる・・・・。いや、それ、もう終わってるから・・・・。すでに発売されて結果が出たものもあれば、春までに発売されてこれから結果が問われるものもあります。
(誤読する人はいないと思うのですが、ボクは別にマニア向けゲームを批判しているのではありません。ブームや市場動向を考えるなと書いているのでもありません。市場動向を気にするなら、”もっとちゃんと、もっと敏感に”気にしようよ、と書いているのです。)
さあ、ここからは与太話です。
いきなり本題に入りますが、10年前のようにライトユーザーブームが再燃すると思いますか?
2005年の国内ゲーム市場における新規タイトルの成功はそれを感じさせるものがあります。DSのTouch Generationsの成功は誰の目にも明らかですが、「ゲームで勉強する」ことの認知度が高まり、PS2『漢字検定』なども動いているという話を耳にしました。また近年、シリアスゲームに注目が集まっているのも確かです。
なるほど、「ゲーム+実用性」という路線はうまくいっています。しかしそれだけにはとどまりません。
例えば、Touch Generations の第2期ソフトの1つ、『だれでもアソビ大全』がかなり好調です。発売2週で10万本を突破し、少なくとも年末年始の期間までは売れ続けそうな感じです。これは、実用とはちょっと違いますし、毎日トレーニングするタイプのゲームでもありませんし、価格は3800円と少し高めです。
この所、市場が「軽いゲーム」を求める傾向が強まっていることを考えても、単にDSの脳を鍛えるソフトがヒットしたという以上の、もっと広い動きなのではないか、と思えます。もちろん、現時点ではまだ十分な力強さはありません。さらなるヒット、さらなるさらなるヒットが続いて、説得力が生まれます。
思えば、10年前のライトユーザーブームは、SCEがPS1を引っさげてゲーム機ビジネスに参入し、大人のユーザーを市場に呼び戻そうとしたことがきっかけとなり、それに多くのソフトが続いて生まれたものです。2006年、ソフトメーカー各社がどういうソフト戦略を取ってくるか。またそれらのソフトがユーザーの支持を得るかどうか。それ次第でしょう。数年後に振り返った時、あるいは2005年は第2次ライトユーザーブーム元年として記憶されるのかもしれません。
国内市場は、国内のソフトメーカーにとって強力な地盤です。長期的な戦略として、海外市場でのシェアを回復していくのは大切なんですが、やはりEAを始めとする欧米列強との競争は厳しく、1、2年でシェアを急伸するのは難しい状況です。
セガなどのソフトメーカーの中間決算を見ても、海外市場での苦戦がハッキリわかります。セガでいえば、国内の『ムシキング』のヒットが収益を支えています。スクウェアエニックスにしても、国内の『FF7 アドベントチルドレン』の売上が大きな貢献を果たしました。
輸出産業において、自国の市場が好調というのは世界的な競争で有利なんですね。
今年に入って国内の景気が上向いているのも、いい兆候です。株式市場では個人投資が活発で、バブルの再来とまで言われてます。もちろん「中流」→「上流/下流」の流れなど、バブル期とは状況がかなり違います。
しかし、ようやくいい風が吹きそうかな? という感じがします。10年に1度の風が近づいていると思います。Web2.0、ライトユーザーブーム、・・・・。チャンスは掴んでこそチャンスなので、掴まなければどうしようもありませんけどね。
なにしろここ数年、ゲーム業界はチャンスロスが多かった。
決算という会社の事情が優先され、年度末にタイトルが集中して、ボーナス商戦にタイトルを投入できなかったり、市場動向を見て始めたはずなのに、開発期間が長すぎてソフトが出る頃には完全に火が消えていたり。要は市場の変化に対して、フットワークが重いんですね。
やー、こんなこと書いといてなんですが、ボクはゲーム業界、特にゲーム機向けゲーム会社がとんでもないチャンスロスをしてしまうんじゃないか、という気がしてしょうがない。他の娯楽業界、サービス業界の人たちに、いいトコを持ってかれちゃうんじゃないか。今や、ゲームはゲームの世界だけで競争しているわけではありませんから。ゲーム会社には金が集まらなくても、ゲーム会社を買収する会社には金が集まる、というのが現状です。
まぁこういう事を書くと、必ずシニカルな批判が出てくるんですけどね。不景気→好景気、好景気→不景気の時って、なかなか信じてもらえない。おいおい、こんなにゲーム業界がヤバいのに、なに寝言いってんだよ!みたいな。
もう5年ぐらい前になりますが、ボクがネット上でゲームソフトの売上やマーケティングの話を書いていたら、「はぁ? バカか。ゲーム業界は最強。売れて当然」とか、「売上を気にするのはクリエイターじゃない」とか、「マーケティングとクリエイティブは相容れない」とか、怒る人たちがやってきました。聖域を汚すな、このクズがっ!みたいな感じで。
それから数年が経って、彼らは今どこへ行ったのでしょうか。ここ数年で、国内のゲーム会社がどう変わっていったか。それをよく知っているというのがボクの強みですかね。人に話しても誰にも信じてもらえない変化、そういう変化は一気にやってきて、本当にあっという間に変わっちゃうんです。
背中を丸めて「あー、ちっとも儲からないねー。開発費はかかるねえ。ゴホゴホ」なーんてやってれば、それで何かが解決しますか? 1度でいい、あなたの皮膚感覚を総動員して、もう1度市場の変化を感じてみたらどうでしょう? もちろんボクとは異なる見解になるかもしれません。しかしそうだとしても、あなたの思い込みを砕く、新しい発見は得られるかもしれません。
最近は「Web2.0」という言葉が流行っているため、勘所の良い娯楽商品が話題になる時に「おっ、これはWeb2.0的だね」と言うソフト制作者が増えつつあります。まだWeb2.0という言葉を知らない人でも、現代的な皮膚感覚としては理解しているので、「なんか、これ、はてなっぽいね」「おおっ、iTunesっぽい」「アマゾンのオススメ的だよね」「グーグル的!」という反応を示したりします。
話題になったゲームや玩具を挙げてみます。
1. スタイリア
なぜ今,韓国ではカジュアルゲームがブームなのか。業界の重鎮Lee,Won Sool氏に聞く「スタイリア」の事業戦略とビジネスモデル
ポータルサイトでカジュアルゲームを展開する、というのが、韓国オンラインゲーム界のトレンドになっています。よりライトウェイトへという流れですね。しかし特に「スタイリア」は、従来よりもさらにライトウェイトなビジネスモデルを打ち出していて、要注目。
○ポータルサイト側でキャラクターを管理して、個々のゲームではそれを使おう
○ゲーム制作者は、キャラクター制作、コミュニティシステム、課金システムを作成しなくてすむ
○ゲーム性に特化できるので、小さい会社にもチャンスがある
○服やキャラクターなどの共通モデルの売上は、ポータルサイトとすべての開発会社で分け合う
(分配比率は接続者数などを元に算出)
○ゲーム内だけのアイテムの売上は、ポータルサイトと担当製作会社で分け合う
これは日本のゲーム業界でも近い問題があると思いますが,例えば,今何か新しいオンラインゲームをサービスインさせようと思うと,ゲームのルール設計やプログラミング,キャラクターのグラフィックモデルなどに加えて,サーバーの設計やユーザー管理システムなど,必要となる周辺部分のシステムを作らなくてはならなくなり,非常に大規模な開発にならざる得ないですよね。
パズルなどのミニゲームの場合はさらに深刻で,事実上,コストをかけずにコンテンツを制作するというのが非常に難しくなっている。それが有料サービスに耐えうるレベルとなればなおさらで,グラフィックスも含めて,結局はいろいろな部分にコストをかけざるを得ません。これは,オンラインゲームの参入障壁を極めて高くしてしまっている要因だといえます。
2. 20Q
バンダイ、人工知能がプレーヤーの思考を読む! 携帯型グッズ「20Q (トゥエンティーキュー)」
「20問の質問で、ユーザーが頭に思い浮かべた物を当てる」という玩具。
以前、同じことをやる20Q.netというサイトが話題になりました。玩具そのもののアイデアが面白いのはもちろん、ネット上でデータベースを鍛えるという作り方も興味深い。ネットを利用することで、従来なら膨大な人力を集積しなければできなかったアイデアが具現化した実例。
また、「20Q」ほどにはWeb2.0的ではないものの、ネット経由でデータの信頼性を築いたという意味では、「だめんずうぉーかー」も挙げておきます。タカラとインデクスが協力して、メールによるアンケートで1万人分の回答を集めました。
3. Google Maps APIゲーム
Google Mapsでレーシング公開!
(Google Mapsで鈴鹿サーキット試走 で好きな場所に移動するbookmarklet)
Google Mapsが発表された当初、掲示板等で「これでシムシティがやりたい」「車で走りたい」という、Google Mapsゲームの妄想ネタが話題になっていました。
面白いのはゲーム派とインターフェース派の意見の相違です。ゲームとして捉えるか、「コンピュータとネットワークを介した何か面白いモノ」と捉えるか。あるいは「1.0」的か「2.0」的か。ゲーム派よりも、インターフェース派の方が多い、という点が現代的な反応だと思いました。
今やWebサービスは人々の生活に密着するようになり、IT産業は「仕事」から、「生活」「娯楽」の領域に溶け込んできました。オンラインサービスとオンラインゲームは同じフィールドで競合する娯楽同士ともいえます。
その時代において、旧来のゲームデザインというのは、コンピュータとネットワークを介した面白い何かを、あまりにも「狭く」まとめています。その「狭さ」を感じている人たちが、「Web2.0」やゲームデザインのポストモダン化という反応を示しているのでしょう。
(追記)
刺激を受けた方がさっそくドライブオンラインゲームを制作されたようです。
多人数でドライブを楽しめ、近くにいる人とチャットできます。
YappoLogs 「Google Maps APIを使ったonline game作りました」
4. 総選挙はてな
総選挙はてな
[渡辺聡・情報化社会の航海図] 予測市場とオンラインゲーム
純粋な意味でのゲームではないかもしれませんが、今やオンラインサービスとオンラインゲームの境界が溶けている、という現実をはっきりさせた実例です。
*アイドルマスター
IDOL,M@STER WEB
「アイドルマスター」の発表を見た時、流行システムがソーシャルブックマーク的だな、と思ったんですよね。
プレイヤーがアイドルをどう育てるか、売り出すかで、結果的に流行が変動するのかな、と。ある程度までは、多くのプレイヤーが選択したジャンルが流行るんですが、集中すれば飽きられるのが早くなるとか。
プレイヤー向けの説明は一応こうなってます。
流行とは、日本中で活動している全アイドルのイメージをもとに、決定される。実際んとこ、どうやって流行を決定しているのかは不明なんですよね。ただ、過去のプレイ日記を読んでいると、仕組みだけ作って自動で決定させているわけではないみたいな印象。運営者が調整しているのでしょう。プレイヤーのプレイ情報を集めて、それを参考にしている可能性もありますが。
たとえば、日本中の全アイドルのうち、「VOCALイメージ」で活動しているアイドルの数が一番多ければ、世間では「VOCAL系」が流行していることになるのだ。
流行に乗れれば、オーディションでも有利なことが多いぞ。
しかし、流行は、日々刻々と変化する。その変化を読み、対応していくことも重要だ!
Web2.0の本質は「人力」の効率的な集積にあります。それを明確に表しているのが、アマゾンの新サービス「Amazon Mechanical Turk」とブログの普及です。
●Amazon Mechanical Turk
●人工人工知能 (Artificial Artificial lntelligence)
このタスク部分だけは人間がやるが、タスクの入力とタスク結果の取得はソフトウェアでできるので、人間と機械の協働による「マン=マシン・システム」になるわけだ。アマゾンの「Amazon Mechanical Turk」が面白いのは、コンピュータが人間のタスクを肩代わりするのではなく、コンピュータが苦手な処理を人間が肩代わりすることです。アマゾンの「Amazon Mechanical Turk」は人工人工知能(Artificial Artificial lntelligence)という考え方に基づいています。サービスのサブタイトルになっている「Artificial Artificial Intelligence(人工的な人工知能)」というのも、ソフトウェアの仕事の一部を人間が代行する、ということを指すのだろう。
●Speed Feed 「Web2.0に関する考察ノート:前編」
Webは、HTML文書がURLによるハイパーリンクで結びついた世界であるが、Web2.0はこれまでに比べて(=Web1.0に比べて)、XML含有率(?)が遥かに高いのが特長である。ブログが普及する前にも、htmlベースのWebページを解析する技術はありましたが、その精度はかなり低いものでした。 「htmlのみのWeb→XML含有率の高いWeb」というのは、人間がコンピュータに歩み寄ったといえます。しかもそれを人間が意識する必要がなく、ホームページビルダーでホームページを作って、FTPでアップするより、ブログの方が手軽でした。Blogは(XML準拠である)XHTMLで書かれているし、Feed、タグはXMLそのものであるから、Web上のXML比率がどんどん高まっているのだ。これはWeb上の情報の検索性が高まることを意味するし、サイト同士のデータの相互利用(つまりWebサービス)が容易になるというメリットがある。 XMLは、一般ユーザーがこれまでのブラウザ経由で見るには少々都合が悪いが、プログラム同士のコミュニケーションには最適である。
ここで重要なのは、
○ブロードバンド(常時接続)によって人力を集めやすくなった
○人力を何らかの形に変換するための技術が出てきた
○「軽い」人力で良いため、敷居が下がった
ことです。低い敷居で行われた小さな仕事を、コストの低いネットワークを介して集積する「元気玉」の仕組みです。
コンピュータは量的な複雑さにはかなり強いものの、判断の曖昧さについては滅法弱いです。人工知能系のゲームに成功例がほとんど無いのもそのためで、群れ系のAIは比較的うまくいってますが、あれは1体あたりのクオリティが問われず、ちょっとした演出で「らしく」見せやすいからです。
次世代ゲーム機ではプロセッサの処理能力が上がりますが、そうした進化は数百、数千個の物体の物理挙動を計算するのは得意でも、「人間のように曖昧な判断」がサクッとできるようになるわけではありません。さらに先には、ネットワーク経由の分散コンピューティングが待っているのかもしれませんが、これも同じことですね(リアルタイム応答がまだまだ難しいので、やれることはかなり限定的でしょう)。
次世代ゲームではよく「物理とAI」がテーマに上がりますが、ここでいう「AI」というのは、プレイヤーキャラが近づいただけでNPCが反応するとか、表情の表現がセリフやプレイヤーの取った行動に応じた適切なものになるとか、演出装置としてのリアリティを保証するためのものが大半です。
テーブルトークRPG→ウィザードリィの例を引くまでもなく、コンピュータゲームは遊び相手がいなくても、1人でも遊べるという特性を元に進化してきたメディアです。ゲームデザイン、ゲーム評論においても、1人用ゲームの方が評価されやすい、注目されやすい傾向があります。
しかしその一方で「対戦ゲーム」や「アイテム・モンスター交換」「マップエディタ」のように、「人力」を遊びに取り込んできたのも確かです。
そしてネットワークの利点の1つは「人力」を集積しやすいことです。
そのため、オンラインゲームにおいては、テーブルトークRPG的な時代に少し戻ったともいえるMMORPGというジャンルが出現しました。GMという職種も復活しました。また、対戦やランキング、エディタで制作した物の発表などが盛り上がりやすいです。ユーザーを共同開発者として利用するという点では、アーケードの「ロケテ」の考えを受け継いだともいえる「オープンβテスト」があります。
Web2.0的な考え方は、オンラインゲームの登場と共にすでにあった、とも言えますし、「人力」利用という発想そのものはゲームの原初からあった・・・・いや「遊び」というものの中に根源的に含まれている、と言ってもいいでしょう。つまり「昔語り」をしようと思えば、いくらでもできてしまうのですが、ボクはそういう思い出遊びみたいな事をしようとは思いません。
クリエイティブにおいて大切なのは、何が変わっていないかではなく、(技術や環境に)どんな変化があったおかげで、それまで諦めていたことができるようになるのか、過去に失敗したことにチャンスが巡ってくるのか、という事です。(→補足2)
では、Web2.0という変化から学べることは何でしょうか?
ボクはWeb2.0の本質を「人力」の”集積回路”と書きました。つまり「人力」を集めるだけでなく、「集積回路」というに値するほど効率よく集める「仕組み」なのです。
今、オンラインゲームは作るのが大変というイメージが強いです。
しかしWeb2.0においては、「ライトウェイト」が重要な要素です。ということは、「ライトウェイト」でないオンラインゲームの開発については、Web2.0から学べることがかなり多いのです。
(以前、ゲーム業界の中で比較的Web2.0的な企業として、スクウェアエニックスとガンホーを挙げました。が、同時にMMORPGはヘビーウェイトすぎるので、その部分はWeb2.0的とは言いがたい、という指摘もしました。いくつかの企業では、Web2.0的な要素を部分的に実現しつつあります。しかしそうした企業であっても、まだまだそうした要素を、成長エンジンにはできていなかったりします。)
例えば、ネットヘの接続率が低い場合と高い場合では、対戦ゲームの作りも変わります。
接続率が高ければ、1人用モードや、人間のかわりのCPU対戦は作らなくても良くなります。コミュニティとマッチングに付加価値があるのだから、対戦部分以外の開発労力は最小限にしようということです。例えば、ハンゲームのようなサービスがそれに当たります。
一方、家庭用ゲーム機のネットゲームのように接続率が低い場合には、1人用モードをかなり作りこまないと、商品として出しにくかったりします。そこでかなり開発リソースが割かれてしまいます。
(対戦ゲームの種類によっては、1人用の練習モードがかなり強く要望される物があります。ハンゲームにも練習のための1人用モードがついたゲームはあります。またオンラインサービスの利用者数が多くないと、マッチングだけで解決できないケースが増えるので、1人用やAIを作らざるを得ない事もあるでしょう。Web2.0的にいえば、まさしく参加者の数がパワーになります)
まぁこれは、手短に説明しやすい例にすぎません。Web2.0の考え方から得られるものは実に多岐に渡ります。ゲーム業界は率直にいって、多くの課題を抱えています。特に日本においては、成長が停滞しています。10年前は3DCGを積極的に取り入れることで、産業の成長エンジンとしました。
では次は何を成長の原動力とするのでしょうか? ゲーム産業が取り込むことに失敗し、別の産業がうまく取り込んで成長エンジンにしたもの、それは何でしょうか? Web2.0企業が非常に伸びているのは何故でしょうか? その原動力は何ですか? その競争力の源泉をオンラインゲームは取り込めないのか? 開発費の高騰やゲーム離れというゲーム業界の課題にとっての有効な解になるのではないか? という視点が大切です。
人間は学ぶこともできるし、学ばないこともできます。成長することもできますし、停滞することもできます。あなたはどちらを選ぶのか、ゲーム産業はどちらを選ぶのか。
ボクはユーザーにとっても、開発側にとっても、「軽さ」が重要だと考えています。
Web2.0的というと、ユーザーにエディタを配って……というのがわかりやすいですし、上では対戦ゲームを例に出しましたが、ボクが一番関心があるのは「もっと軽い人力」です。Webサービスでいえば、ブログよりもソーシャルブックマークに関心があります。
ところで今回はほとんど触れませんでしたが、Web2.0的な世界と言うのは、開発とマーケティングが融合した世界だとも思います。開発プロセスの中でコミュニティを作るわけですから、当然といえば当然です。ユーザーを共同開発者にすると同時に、熱烈なエヴァンジェリストにするからです。その辺りはいずれまた・・・・。
アイデアと実現性というのは別個のものです。アイデアとしてはあったけど、当時の技術では実現できなかったことは山のようにあります。また市場やユーザーの環境が整っていないために、惜しくも失敗したけれども、環境が整っていれば成功したであろうアイデアも数多くあるでしょう。
アイデアと実現性(技術の成熟)の例としては
○「パワプロ」はSFC並みにスプライトが動かせて初めてあのゲーム性が実現できた
○サウンドノベルはSFC並みのサウンドや漢字表示が最低限必要だった
などが挙げられます。
最近、実用的なソフト、脳を鍛えるソフトが成功していますし、ここ最近シリアスゲームヘの注目も高まっていますが、20年前にエデュテイメントブームというものがありましたし、10年前にもマルチメディアブームの中で『EMIT』のような半実用的なソフトが出ていました。しかしここにきて、かつてない成功を収めています。
「アイドルマスター」にしても、10年前の美少女育成モノ、アイドル育成モノの復活ですし、ナムコの萌え3D路線がついに実ったともいえます。
そこで「10年前にもあったね」「20年前にもあったね」というのは「歴史家」「学者」の仕事として、価値があることだと思います。ゲームデザインの系譜は興味深い。しかし「クリエイター」の仕事ではないと思います。
あくまで個人的な考えになりますが、ボクはクリエイターというのは普通の人よりも「諦めが悪い人」だと思っています。作品をより良くしたいという欲望だけでなく、一度掘ったテーマについても、もっと良い描き方があったのではないか、今の技術なら当時あきらめたことができるのではないか、俺ならこうしたのに、という「諦めの悪さ」が溜まっていくんですね。過去の仕事や昔のゲームについての知識は、ただの昔語りではなく、ただの経験値でもなく、次のチャンスを狙う生きた状態で残っていくはずです。つまりずっと考え続けているんですね。自分の仕事については特にそうですし、他人の仕事でも問題意識を共有することもあります。
ゲームは特に技術が絡むので、そういう残り方になりやすいんですが、他のジャンルでもそうで。ボクは今の会社に入る前に、ちょっとアニメの仕事に絡んだことがあって、そこでその道何十年というベテランの人と一緒に仕事しましたけど、過去の仕事というのをとにかく忘れないですね。
まぁ、クリエイターなら誰でもそういう性質がありますが、よりクリエイティブな人ほど忘れないし、諦めが悪いし、往生際が悪い。ボクが他人に対して「この人にはまだまだ、かなわない」と思うのは大抵、自分以上の底知れない「諦めの悪さ」に直面した時ですね。昔と同じ部分を語るのは学者や歴史家の仕事で、クリエイターは昔との違いに注目する生き物だと、ボクは思います。
近所のゲームショップでXBOX360を予約してきました。
しかし最近全然ゲームやってないんで、たぶん1時間ぐらいしか触らないような気がしますが。箱から出さなかったらどうしよう(w
結局、「ローグギャラクシー」も買う予定からはずしたし、年末他に何を買おうかな・・・・。「ワンダ」はそのうち。
なんつーか、今年は「プロの作ったゲーム」と「インディーズゲーム」のプレイ時間の比率が逆転しそうな感じ。
いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや、別段、プロの作ったゲームの質が落ちてるんじゃないですよ。良く出来てると思います。思いますが、もうわざわざ時間を割いてまでチェックする必要性を感じなくなってきてます。「良く出来てるゲームの作り方はもうお互いわかってるんだしさー、そろそろ他のものを見せ合わないと」って感じ。
XBOX360に話を戻すと、日本では盛り上がってないですね。
まぁでも、「手に入らなかったら、かっこ悪いなー」と思って予約してきたわけですが。つーのも、何台出荷されるかよくわからないですし、FF11需要が意外とあるかもしれませんから。さすがに10万台ぐらいしか出荷されなかったら品切れになるでしょうし。
一方、北米ではXBOX360への期待感が高まっていますね。
年末商戦での売上でPS2を追い抜き、「Halo2」というキラータイトルを成功させたマイクロソフトは、その勢いをもって一気にXBOX360を立ち上げます。焦るソニーは、E3において経営者自らが「XBOX1.5」と連呼するなど、その怯えっぷりを全世界に知らしめました。
●ZAKZAK 「Xbox360」発売前にネット流出
●Punch Jump XBOX360は3ヶ月で300万台販売
●Punch Jump XBOX360の初回出荷台数は40万台
北米での次世代ゲーム機の競争、トップがマイクロソフトになるかソニーになるかは、人それぞれ意見は異なるでしょう。しかし(仮にソニーがトップを守るとしても)ソニーの北米でのシェア低下は避けられない、という見解がゲーム業界関係者の大多数を占めているはずです。現時点で、ソニーがPS3でもPS2の時と同等のシェアを維持する、と考えているゲーム業界関係者は、北米のことを何も知らないといっていいでしょう。
(XBOX360は量産開始がぎりぎりだったと言われていて、おそらく年内の出荷台数は初代XBOXを下回ると思います。初代XBOXより好調であるにも関わらず、出荷が間に合わずに実売台数では初代を下回る、という可能性が高いです)
XBOX360の影響はすでにゲーム市場にも現れています。北米のゲーム市場が9月に20%減、10月に24%減の前年割れを起こしました。その原因が「XBOX360発売前の買い控え」にあるという分析が出ています。
●次世代機待ちでビデオゲーム売上が減少
●Game Spot 10月のゲーム売上が24%低下
また、XBOX360の買い控えのため、PSPの販売が落ち込んでいる、という分析もあるようです。
北米においては、「日本の2月〜3月前半の状況」が長引き、PSPが累計販売台数でDSにかなり肉薄していました。月間販売台数でPSPがDSに勝っていました。しかし9月の月間販売台数では、どうやら再びDSがPSPに勝ったようです。ボクは以下のような分析をしていました。
・8月下旬に「nintendgos」が発売された
(日本では「nintendogs」発売以降、DSが急伸し、勝負がついた)
・日本に比べて少し割高だったDSの価格が値下げされた
・PSPのメディアプレイヤー機能への需要が一段落しつつある
しかしXBOX360と(携帯ゲーム機にしては価格の高い)PSPの客層がかぶっているため、買い控えが起きている、という分析も、なるほど聞いてみればかなり納得がいきます。携帯機と据置機の違いがあるとはいえ、しょせん財布は1つです。
これは1つの重要な認識を与えてくれます。
それは、XBOXブランドはPSブランドを食うだけのパワーを持ちつつある、ということです。「PSP!PSP!PSP!」と連呼する声は徐々に小さくなり、「360!360!360!」という声にかき消されつつあります。
日本とはあまりに状況が違うので、冷静に受け止めるのは難しいかもしれませんが、よく耳をすましてみましょう。北米から何か聞こえてきませんか?
360! 360! 360! 360! 360! 360! 360! 360! 360!
そう、360という声がハッキリ聞こえてきます。さあ、もう一度耳をすまして。
360! 360! 360! 360! 360! 360! 360! 360! 360!
今や、「360」という歓声が全米を覆い尽くそうとしています。
これは、XBOXシリーズがPSシリーズを駆逐する第一歩となるでしょうか。
北米におけるトップの座から日本のゲーム機メーカーが蹴り落とされ、米国のゲーム機メーカーが王座に座る。そういう時代の先触れなのでしょうか。
さあ、全米は360だ! 歴史は変わりつつあります。
何でもかんでも「2.0」と付けてしまう「2.0」ブームは相変わらずなので、今回は「ゲーム2.0」とか言ってみます。我ながら、安直ですね。「Game Design2.0」は割と真面目でしたが、今回は酔っ払った勢いで書いた半分ネタなので、そのつもりで。この分だと次は「ゲーム機2.0」などと書きそうですが、さすがにしつこいか。
さて、「ゲーム2.0」などと書き出した1つの理由は、今年に入って新しいタイプのゲームの台頭が顕著になってきたからです。「nintendogs」「DSトレーニング」といった新機軸のゲーム、ゲーム的でないゲームが、急激にゲーム市場を席巻する一方、それら新しい潮流のゲームを除いた市場が停滞しています。
市場の変化、時代の変化、といえばそれまでですが、実際に変化を感じている業界関係者は少なくないでしょう。また、いくつかのゲーム開発(ゲームデザイン分析)系ブログでも、この変化を敏感に意識しておられるようです。
ただ、上で挙げられているNintendogsがこの論文の定義でいうゲームかというと、どうも違うんだよね。Nintendogsは論文中のゲーム図における無期限シミュレーションに当たるため、ボーダーラインケースに位置づけられ、ゲームではない別の何かという扱いになる。なのでLost Gardenのアーティクルに戻って考えると、要するにこの論文中でゲームと定義されるようなものを再生産しているようじゃダメ、せめてボーダーラインケースまで離れたものを視野に入れてデザインしないとね、という主張にも思える。
●Nao_uの日記 「コンピュータゲームのポストモダン化の進行」
自分もポストモダン的なものの無条件の受け入れにはやや抵抗があるものの、長い目で見れば「純粋な古典的ゲーム」も衰退していく運命にあるのだろうなぁ、ということは実感している。
●Classic 8-bit/16-bit Topics 「ポストモダン化するコンピュータゲーム」
日本における脱ゲームモデル志向のゲームデザインはとりわけ「数値化可能な結末」を遠ざける方向、つまりコスティキャン流に言い換えるなら、「ゲーム」と「玩具」の境界領域を目指して突き進んできました。近年では「いっそゲームでなくしてしまったほうが面白いのではないか」というようなラディカルな意見さえ散見されるわけですが、思うにこの域に達した脱モデル化こそが、ゲームにおけるポストモダニズムなのではないでしょうか。そうはいっても、ヴィデオゲームの脱モデル化はもはや避けられない潮流であるように思われます――近年発展しているシリアスゲームという領域も、また別の軸からの脱モデル化ではないかと考えられるので、なおのこと。
新しいゲームの台頭に対して、どういうスタンスを取るかは人それぞれなので、別段とくに議論しようとは思いませんが、ゲームそのものの世代交代のようなものが起きつつある、という認識が広がってきているのは確かです。(今はまだ、日常的にゲームデザインについて考察している人々に限定されてはいますが)
もう1つは、PCオンラインゲームと携帯電話ゲームの台頭がゲームデザインに与える影響について。
「ゲーム機」ゲームの開発者や、ファミコン世代のゲーマーの中には、携帯電話ゲームをかなり嫌っている人がいます。嫌いというと語弊があるかもしれませんが、生理的に合わないらしい。何が受け付けないかというと、インターフェース。ゲーム機向けに設計されたゲーム機コントローラと違い、携帯電話は操作感、レスポンス、インターフェースの統一性という点で明らかに劣っています。
ボクもファミコン世代のゲーム開発者ですから、感覚的にはそうした主張に共感できます。
ただ同時に、世の中の一般の人たち、とくに若い人たちは、そこまでこだわってない、というのも事実だと思います。
日々つれづれ 2005-11-10
最近とみに感じるのは、今の30代(ファミコン世代)と10代(携帯電話世代)では、ゲームの手触り感に対する認識がまったく違うんだろうなあってこと。
ゲーム機のコントローラの特権性というのは、
●人間工学的に「ゲーム」に最適化された専用機ならではのデザイン
●それまでのゲーム経験による「慣れ」
の2つに依存しています。ゲーム機ゲーム開発者やゲーム機ゲーム論壇では、前者の比重が高いように言われるものの、ぶっちゃけ、実際には後者の比重がかなり高いんじゃないか、とボクは思ってます。
ブロードバンド普及後の今、子供の頃からパソコンがある家庭は珍しくありませんし、携帯電話も中学生いや小学校高学年ぐらいから持つようになりつつあります。家庭にあるコンピュータといえば、ファミコンぐらいだった世代と、若い頃から携帯電話やパソコンに触れていた世代では、当然、携帯電話やパソコンへの「慣れ」が違います。
例えば、ケータイ小説の市場。上の年代のユーザーは、携帯電話のあの小さな画面で本を読む気はしない、とネガティブな反応を示しますが、携帯電話でメールを読み書きしている若い世代ほど、抵抗感が無いようです。かくいうボクも、以前はケータイで本を読もうとは思わなかったのですが、毎日読むうちに慣れました。
また、ゲームにしても、実際問題、困るのはアクションゲームぐらいなもので、その他のジャンルのゲームは携帯電話でもさほど困らないでしょう。ドラクエはゲーム機だから100%楽しめる、携帯電話では100%楽しめない、などという人はいるでしょうか?
そもそもテレビゲームとは何か?を考えると、それは「十字キー+ABボタン」ではなくて、単にテレビという装置が家庭にものすごく普及しているからそれにぶら下がっただけの娯楽機械なわけでしょう。であれば、今はテレビ以外にも、ブロードバンドにつながったパソコンと、個人のネットワークにおいて無くてはならない携帯電話がこれだけ普及し、生活に密着しているのですから、それにぶら下がってもいい。面白ければ、それでいいわけです。それが娯楽なんじゃないか。
昔はテレビにはコンピュータが載ってませんでしたが、パソコンと携帯電話には最初から載っているので、ハードをぶら下げる必要は無くて、ソフトを乗せればいい。ソフトメーカーがゲーム機を離れて、パソコンと携帯電話に重心シフトしていくのは、娯楽を提供する者の感覚として、至極まっとうです。家庭用ゲームはそもそも「生活密着」を基本としていたはずです。ゲームの作り手は、伝統工芸ゲーム機ゲームを守る会の会員ではないのですから。
携帯電話ゲームというのは、当初はゲーム会社の「おいしい小遣い稼ぎ」として注目されましたが、開発費も徐々に高騰し、ユーザーも増えて定着した結果、ゲーム開発者にとっての選択肢の1つとして確立しつつあります。それを今なお「ただの小遣い稼ぎ」と思っている人は、ちょっと感覚が古いのではないか。いずれ、過去のソフト資産を移植しつくした後に、フェードアウトしていくだけでしょう。
振り返れば、ファミコンだって、最初はアーケードゲームメーカーや、パソコンゲームメーカーの「小遣い稼ぎ」だったわけです。
まぁ現在は転換期であり、過去と未来が共に存在する時期です。
そのため、「ゲーム1.0」を愛する人、その伝統を守ろうとする人の声はかなり大きいでしょう。しかし、それはいずれ小さくなっていく声です。
「ゲームクリエイター1.0」の中には、時代の変化を感じて、「ゲームクリエイター2.0」に変わった人もいるでしょう。あるいは、「いや俺はずっとこの伝統を守り続けていくよ」と「1.0」に留まる人もいるでしょう。ある程度ベテランの人であれば、それでもいいかもしれません。「1.0」が明日、明後日すぐに消えて無くなるわけではありません。しかし若いクリエイターがあと20年食っていくには厳しいでしょう。(まぁでも伝統工芸で食うってのは、そういうことですね)
ゲーム開発者はやはり、年を取っていくと淘汰されやすいのですが、なんだかんだで開発者の年齢に幅が出てきているのも事実です。ですから、全員が「2.0」である必要はありません。逆にいえば、「1.0」の伝統に縛られる必要もありません。
結局のところ、若いクリエイターにとって、「伝統」のインターフェースの上で「伝統」のゲームデザインを継承していくのが魅力的なのか、世の中に浸透しているインターフェースの上で「未知」の新しいゲームデザイン、操作系の文法を作り出していくことが魅力的なのか、ということなのかもしれません。
継承者か、創造者か。答えは人それぞれでしょう。
本の紹介を1つ。
巡回中に見かけることが多かった、話題の本が『下流社会』(三浦展)。
ゲーム市場を分析する上でどれぐらい役に立つかは保証できませんが、一般論として押さえておくべきレベルの本でしょうね。
国民のほとんどが自分を中流と意識する1955年体制から、階層化の2005年体制へと移行し、消費の質が変わるというマーケティング本。これからは商品も上流マーケティングと下流マーケティングが必要になると主張するわけだ
「下」の趣味として三浦さんが引く統計は次のようなものを挙げている。
パソコン・インターネット、AV機器、テレビゲーム、音楽コンサート鑑賞、スポーツ観戦。
どこか「下」なのか?ちょっと不思議に思えるチョイスである。
三浦さんはこれをこう解説する。
「パソコンというと『デジタルディヴァイド』と言われて、お金のある人は持てるが、お金のない人は持てず、よって所得によってパソコンを使えるかどうかに差がつき、ひいては情報格差がつく、という懸念があった。しかし、今やパソコンは接続料さえ払えば何でも手に入る最も安い娯楽となっており、低階層の男性の最も好むものになっているようである。(・・・)パソコンを所有し、それで楽しむという点では階層差はなく、むしろ趣味がパソコン・インターネットである者は『下』ほど多いというのもまた事実なのである。」
この本の要約とか感想は、優秀なブロガーの方々がすでにまとめていらっしゃいますから、今さらボクが書く必要もないと思います。
そこで、この本を読んで、ゲーム市場の場合はどうなのか?について考えたことを、グダグダと列挙してみます。
ただ、1つの記事としてまとまった文章を提示するつもりはなくて、キーワード列挙、メモ書きという形を取らせていただきます。
●TVゲームとパソコン(ネット)は共に、安価な娯楽、暇つぶしとして浸透している。
逆に言えば、この2つは時間の奪い合いをしている。これは前提。
●ゲーム市場における「上流マーケティング」と「下流マーケティング」って何よ?
●そもそもゲーム市場における「上流マーケティング」はありえるのか?
○PSX以降の「ゲーム機を高い値段で売りたい」路線がうまくいっていない
消費者は「ゲーム機はあくまでゲーム機」と捉えている
「あれだけの機能、性能があれば、○万円でも安い」という論理が通じない
PSPの値段、XBOX360の割高感、……。
○GTForceはあの値段で10万台以上売れた
「GT」はブランドタイトル。個々のソフトにプレミアムを載せる方がわかりやすい。
鉄騎コントローラも含めてよいかもしれない
(たかが1〜2万円のコントローラを「上流」と位置づけていいの? 違う気もする。要検討)
コントローラは付加価値がわかりやすい
○とはいえ、過剰な豪華版、限定版は危険 (これは「上流」マーケティングとは違うと思う)
忍氏の「「粗大ゴミ」化するだけの限定版に存在意義無し」は良い指摘
モッコスの事例を引くまでもなく・・・・。ファンは最も激しく愛してくれるが、最も怒る存在。
●「下流マーケティング」の方がわかりやすい
○中古市場
中古市場の拡大
ユーザーの求める「手頃な価格」とゲームの提供する価値が釣り合っていない
→単純に「50時間遊べるから5000円出そう」ではない。
どちらかといえば、「10時間でいいから、1000円にしてくれ」という感覚も考慮。
価格と時間と価値とボリュームの4つのバランス。
○低価格ソフト
安ければ単純に売れるわけではない(前提)
ソフトやジャンルによって、値頃感というものがある。
『地球防衛軍』は際立った
Touch Generationsの影響で、ゲームで学習するという体験が認知された
→『漢字検定』等の学習効果のあるソフトも売れている
○廉価版
Best版の方が売れた、「もじぴったん」
→パズルゲームの「手ごろな」価格は2000円〜4000円程度か
Best化が早すぎる問題
→良し悪しは市場が判断すること。
ただしシリーズのブランド力を落とす危険性があり、売上動向は興味深い
→開発コストのかかるPS3では、この傾向に拍車がかかるのではないか?
○無料ゲーム
ネットゲームは実は無料で遊べる
βテスト、フリーゲーム、アイテム課金型(ハンゲーム等)
小中学生でも自宅のパソコンでネットに接続し無料ゲームを遊んでいる
「ネットゲームは敷居が高い」はPCでは急速に過去の戯言になっている
参考:デジモノに埋もれる日々「一般向けにはもっとカンタンなモノを」のそのウソホント?