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このサイトは、ゲーム開発、およびゲーム周辺の周辺技術や動向について日々考察し、毒舌的に物を書き続けることを通して、「ゲームの未来形」という大テーマに対して、何か考えを深められるといいなあ・・・・・・というサイトです。

2005年03月30日

フォアグラウンドとバックグラウンド

「高性能な処理能力はもちろん、ゲームを前進させる。」に続く、「未来のゲーム」についての話です。ボクは現時点で「未来のゲーム」の方向性として5つのイメージをもっていますが、今回はその1つ「フォアグラウンドとバックグランド」について書きます。


ハードウェアの高性能化がフォアグラウンド処理とバックグラウンド処理の並存を生む

ハードウェアの高性能化によって、ゲームというかゲーム機上のソフトウェアがフォアグラウンド処理とバックグラウンド処理という意識をより強くもつようになるでしょう。これは2年前、Cellの特許が話題になり、PSXが発表された後に、このBLOGの前身のBBSに書いたことです。

高性能化が進むと、複数のアプリケーションを同時に動かす方向にいくのは、例えばPCの例を見ると、自然な流れに思えます。またその先がけという形で、「家電+ゲーム機」という「PSX」が発表されたのは当時興味深かった。結果的にはPSXはゲーム機の部品と家電の部品をほとんどシェアリングできていませんでしたが、まぁ「未来を見せる」という意味はありました。

そういうこともあって、「PSP」の基本ソフトウェアがあらかじめゲームアプリで使えるメモリを制限する、という考え方自体にはボクは肯定的な意見をもっています。(8MBのメモリサイズが妥当か、というような詳細については疑問の余地は大いにありますが)

XBOX2においては、ゲームサービスという括りの中で、フォアグラウンドとバックグラウンドの処理が例示されていて、より一段階進んだ発想として興味深いです。

Xenon向けの最初のゲームでも、フルにCPUを使えるようにしたい。まず、シングル(スレッド)アプリケーションスキルも、(マルチコアで)スケーラビリティを得ることができる。例えば、次世代のユーザーインターフェイス(UI)や、オールウエイズオンサービスなどが、ゲームパフォーマンスに影響せずにバックグラウンドで走ることができるようになる。「Project Gotham Racing」をプレイしながら、バックグラウンドでHaloの新レベルをダウンロードすることもできる。こうした(マルチタスキングの)スケーラビリティは素晴らしい。なぜなら、リソースの競合があまり発生しないからだ。(スレッド同士の)同期はほとんど必要とされない。同期が必要になるのは、例えば、一方でダウンロードしている時に、一方でアップロードをする場合のTCP/IPスタック程度だ。
ハードウェアがプアだった時代には、必然的に単一のゲームソフトを動かすだけでプロセッサの処理もメモリも精一杯でした。けれどもハードウェアが非常に高性能化し、また単体のゲームソフトの内容だけでなく、プレイ環境を支えるゲームサービスや、プレイのスタイルが重要になってくると、単一のゲームソフトだけを動かすという発想ではなくなってきます。これは自然な進化でしょう。


遊びのフォアグラウンド処理とバックグラウンド処理

2年前にBBSで示した例の1つは、ゲームアプリとエージェントソフト(任意たんみたいなもの)を両方常駐させるという形態。他の例を出すとすると、複数のペットゲームを同時に動かすという形態がわかりやすいかもしれません。たとえば携帯機上に、シーマンとピカチュウとペット動物がいて、全部持ち歩けて、ボタン1つで別のペットゲームに切替えられるというプレイ環境。

1ゲーム1ディスクで1度に1枚のディスクを起動するという今のメディア形態では実現しにくいわけですが、例えばゲーム版iPodのようなメディア形態に移行したら、複数のゲームアプリの同時起動はさほど非現実的なものではないでしょう。

それと、当時BBSには書かなかったんですけど、ボクが毎日つけてるメモの中には「インタラクティブ・ゼロコンマ」という言葉が残っています。普通のゲームをインタラクティビティー1、テレビ番組のようなたれ流しをインタラクティビティー0とした時に、0と1の中間、0.3333・・・・や0.8888・・・・といった0.の領域のことです。

ゲームはインタラクティブなメディアといわれてきましたが、それは同時に、「ながら」ができない(しにくい)という特性を生みました。これまでのゲームの大半は、プレイの最中、ずっとコントローラを握っていることを要求するような作りが多かった。全力でゲームに向き合いなさいよ、という思想が支配的なんですね。

まぁムービーの多いゲームだと、ムービーを観ている間はコントローラを床に置けますが、ムービーが長いゲームが「操作するよりムービーを観ている時間の方が長い」と批判される土壌があります。また、(MGSのように)リアルタイムデモ中であっても、カメラを動かしたりできる作りが誉められる土壌があります。コントローラを握りっぱなしにさせようという思想が文化的に非常に強いわけです。

けれども、両手でしっかりコントローラをにぎって、顔をテレビに向けて、全力でゲームに集中するというスタイルそのものが古い、と思うわけです。2年前もそう感じましたし、今も感じています。インタラクティビティー0.というのは、まぁ色々な具現形がありますけども、その1つはちょっと触ったりいじったりしたら、結果が返ってくるとか変化が起きるまでしばらくの間放置しておく、というような遊び方です。触ったりいじっている間はフォアグラウンドの遊びなんですけど、放置している間はバックグラウンドの遊びになるわけです。

当時BBSでは「たまごっち」のような常時通電型のゲーム機の可能性について議論になりました。(その時、伊藤ガビン氏のたまごっちについての考察が話題にのぼりました。伊藤ガビンのあしたのゲー「第七話 携帯液晶ゲーは専用線感覚のタバコ・メディアか?」)「たまごっち」はプレイヤーがゲームを遊んでいない時間まで遊びの時間に組みこんだ良い例ですし、プレイヤーが意識的に操作していない間にコンピュータが動いている面白いゲーム機です。「たまごっち」の場合には単一のアプリケーションしか入っていないので、まぁバックグラウンドという表現は適切ではありませんが、遊びの意識という点では上記のバックグラウンドと同じことです。

「たまごっち」自体はペットの世話で忙しい遊びで、それは今時のユーザーの求める所ではないと思いますが、常時通電という「仕組み」は忙しい遊びだけのためにあるわけではないので、あの仕組みはまだまだ発展の余地があるでしょう。
最近の例でいえば、「nintendogs」のすれ違い通信も、路線としては同じ方向にあるといえそうです。これも単一のアプリしか動いていないという点では、バックグラウンドという表現は適切ではありませんけども。

携帯端末の例では、まだフォアグラウンドとバックグラウンドを同時に動かすほどのハードウェア・リソースが無いわけですけど、いずれ時間が進み、自然に高性能化していけば、自然とそうなっていくんじゃないかと思います。
まぁ高性能化の恩恵というのは、単に絵がきれいになるとか、よりリアルな物理挙動でオブジェクトが動くという、1つのゲームの内容をリッチにしていくことだけではありません。家電+ゲーム機、ゲーム+データダウンロード、実時間連動型の育成ゲーム、バックグラウンドの通信、・・・・。フォアグラウンドとバックグラウンドの処理を同時に走らせることで、遊びのスタイルを変えられるようになれば、それは高性能化の大きな恩恵の1つといえます。

*単一のコンテンツをリッチにしていく以外の方向というのは、「プレイヤー中心のゲームデザインから、プレイデータ中心のゲームデザインへ」で書いた内容ともリンクします。

Posted by amanoudume at 14:40 個別リンク | Comments (9)

2005年03月29日

口コミもろもろ

図らずも、最近口コミについての気になる記事、状況が3つほどあったので、それらをメモ。

その1 口コミ・ファンタジー

まずは自分の所から。
「メテオス」についての話題がいまだコメント欄で絶えないわけですが、実際のところ、「メテオス」の売れなかった理由の分析という本題からはそれたところで書込みが続いているのが現状。コメント欄については、あまり興味のある議論は起きていません。

ただ、1つ補足しておく必要があると思ったのは、「発売初週だけではわからない」「まだ口コミで伸びるかもしれない」という意見。
電撃オンライン、週間売上ランキング
果から先にいえば、発売2週目にして8位→31位と急転落しているあたり、売上の急落ぶりは明らか。また、発売から数ヶ月たつ「ワリオ」「マリオ」や、先
月発売の「アナザーコード」を週間販売数で下回っていることからも、発売直後の絶賛系感想ラッシュにもかかわらず、販売が伸びていないことがわかります。
もっとも、前評判が非常に高かった割に、発売初週の売上が低かった時点で、すでにこの結果は容易に予想できたことです。というのは、前評判を形成していた
BLOGの多くと、発売直後の絶賛系感想を掲載していたBLOGが、ほとんど同じだったからです。もしそれらのBLOGの売上への影響力があるなら、前評
判を掲載した影響で、発売初週の売上もそれなりに高くなっているはずですから。
口コミというのは、その話題を取り上げるBLOGなりサイトなり個人なりが増えていく、範囲が広がっていくかどうかがキーになります。同
じような場所で何度もくりかえし話題になったところで、客層はほとんど広がりません。
PSPの初期不良の場合は、ゲーム系BLOGが熱心に取り上げただけでなく、ふだんはそういう情報を取り上げないBLOGも反応したわけです。反応した理
由は色々あるのでしょうが、現象面として、話題を取り上げるBLOGが増えていったわけです。たとえば、うちのBLOGにしても、じつに100以上の
BLOGからトラックバックをいただきましたが、そのBLOGを訪れて見てみると、大多数のBLOGがいわゆるゲーム系BLOGではありませんでした。
ボクは単にネット上で、BLOGで、掲示板で取り上げただけで、それで口コミになる、などという楽観的な考えはもっていません。そんな楽観的な話は、率直
にいえば、ファンタジーの領域だと思います。コメント欄を見ると、多数という程ではありませんでしたが、そういうファンタジーを素朴に信じている人がけっ
こういるなあ、と感じました。
まぁ、口コミって、まだまだあいまいに、便利に使われていますからね。
自分の好きな物がそんなに売れてないことが判明した時に、「口コミで売れる」みたいに書く人はけっこういるわけです。「俺が好き」→「売れてほしい」→
「売れる」をつなぐ補強材として使われるわけです。根拠は無いんだけど、「口コミ」というとなにか説明した気になる。そういう便利な言葉なんでしょうね。

その2 フリーゲームの現状と、B級からA級へ

sam113のブログ的生活さんの
「フリーゲームの盛り上がりとは」
「登竜門として機能していないフリーゲーム」
「B級からA級へ 」
「ポリローグ的にゲームを創ることは可能か」
の一連の議論が面白いです。フリーゲームを「フリーゲームを好んで遊ぶ人」以外のより広い範囲に遊んでもらおうという目標を掲げておられます。宣伝にお金
をかけられない以上は「口コミ」ぐらいしか手段がない。そこで口コミ・ファンタジー的な思考停止をせずに、ではどうやれば、それだけの強力な話題性が得ら
れるか?という問題に踏み込んでいるのがすばらしいです。
ここで論じられている「ポリローグ的な創作」が1つの解たりえるかどうかは、検証の余地がかなりありますけど、口コミのメカニズムそのものへと踏み込んで
いかないと、議論・分析・考察は一歩も進みません。非常に興味深い内容でした。
> やはり一番大きいのは、フリーゲームを好んで遊ぶ人とそうでない人の
> 意識のギャップです。つまりはドラクエとFFと三国無双しか遊ばない人に
> どうやって振り向いてもらうか、という話なんですけど、それが出来ない限り
> 僕は永遠にB級止まりなんですね。そりゃお金を掛けられないのは
> どうしようもないんですけど、その代わりこっちは無料なんですから、せめて
> 興味ぐらいは持ってもらいたいかな、と。
> A級の作品しか遊ばない人たちに振り向いてもらうためにもう1つ重要なこと
> として、そもそも作品のことを知って貰わないと始まらない、という問題があります。
> 広告宣伝にお金をかけることが出来ない以上、どうしても口コミ等に頼るしか
> なくなってしまうわけですけど、並大抵の話題性では、従来のマーケットの垣根を
> 乗り越えることは出来ません。従来のマーケットの外部にまで作品を届けるためには、
> それこそ「電車男」ぐらいの圧倒的な話題の爆発力が必要になります。そして
> そのためには、作品の「創り方」を根本から変えないと難しいのではないか、
> と僕は考えています。

その3 「同人ノベルゲームは絵がうまくないほうがいい」論

「スピード感の増した口コミ・ネットワーク」の中で、同人ノベルゲームは絵がうまくないほうがいい?という文章を書いたわけですが、やっぱり同じことを考えている人がいました。

まずは直接的な反応をいただいたさて次の企画はさん。「かっこいい」と「萌え」 次世代の日本コンテンツの展望(前編) というすさまじく意欲的かつ網羅的な記事(の前編)を掲載されています。また、コメント欄で教えていただいたのですが、スタスタ〜すたひろBOX〜さんが「竜騎士07氏の計算」という記事を掲載されていました。

この話題(仮説)については、1)賛同派、2)否定派、3)結果論〜保留派(否定したいが、実際の事例を見ると否定できないので、保留)のだいたい3つの反応がありました。
この話題は、引き続き強い関心をもっています。今後のネット上での新たな意見の登場や議論が楽しみです。

Posted by amanoudume at 07:34 個別リンク | Comments (19) | TrackBack(2)
「同人ノベルゲームは絵がうまくないほうがいい」論
Excerpt: 発熱地帯のエントリ スピード感の増した口コミ・ネットワークにおいて「同人ノベルゲームは絵がうまくないほうがいい」という仮説が提示され、多くの人が似たような意見を持っていることが明らかになったわけですが、私の場合、ちょっと違う意見を持っています。
Weblog: 同人ゲームとかいろいろ
Tracked: 2005年03月30日 14:59
メテオスと口コミ
Excerpt: まあ文句を言いながらも着々とメテオスを進めているわけだが。正直ダルい。 発熱地帯...
Weblog: FLATLINE
Tracked: 2005年03月31日 13:38

2005年03月28日

新しい「文化」を作っていける快感

パワーハートさんや、Nintendo DS ブログ
んが「探偵・癸生川凌介事件譚 仮面幻影殺人事件」の感想を掲載されています。正直、DSユーザーにはあまり注目されていなかったソフトだったと思うので
すが、意外と(失礼)期待できる内容のようです。
ボクは時間がなくて、15分ぐらいしかやってないんで、感想を書く資格は到底ありませんので、感想を掲載されているサイトを紹介するにとどめておきます。
1本1本のゲームをきっちりクリアする時間はないんですが、なるべく多くのDSソフトをさわっておこうと思っているんです。メニューのインターフェイスや
基本操作を試すだけでも、参考になりますので。

「選択+決定」文化と「選択→決定」文化
複数のゲームを遊んだDSユーザーなら気づいていると思いま
すが、DSの現状として、メニュー1つ取ってもまだ標準の操作系は定まっていないんですよね。大きく分けて2つの方法があって、1つはタッチ1回で次の画
面に行くという方法(ZOO
KEEPER、マリオ64DS、タッチ!カービィ)。もう1つはタッチ1回で説明が出て、次の1回で決定になるという方法です(メテオス)。後者の方法に
は、タッチ1回目で「はい」「いいえ」の選択肢が出てくるという物もあります(メイドインワリオ)。
十字キー+ABボタンの世界では、A) カーソルを合わせる → B) 決定する という流れでした。なので、A) カーソルを合わせる
の時点で、何らかの説明を出すタイミングがあったわけです。マウスの世界も同じで、マウスはカーソルに対して、移動量を相対的に与えていくものですから、
A) カーソルがアイコンの上に来る → B) マウスをクリックする という流れがあるわけです。
ところがタッチパネルの場合、画面に対して直接、絶対値で座標を指定します。A) と B) が同時に来るわけです。A) と B)
の間に説明を入れるという手段が使えないんですね。そのため、説明を間に挟むよりタッチして次に進むサクサクさを重視するか、十字キー文化と同様に「選択
→決定」という段取りをつくって説明を挟むか、2通りの方法に分かれているわけです。
また、アドベンチャーゲームでも、画面をタッチして調べる操作が2種類あります。
1つは「アナザーコード」のようにカーソルが画面内に常に表示されていて、1回タッチするとその点へカーソルが移動して、もう1回タッチするとその場所を
調べる、という方法。ある場所を調べるのにダブルタッチする必要があります。
もう1つは「仮面幻影殺人事件」のように画面をタッチすると1回でその場所を調べる、という方法。カーソルは画面内に表示されておらず、十字キーを押した
時点で出現します。
「十字キー文化」も最初は白紙からスタートした
DSが世に出てきた直後、ゲーム開発者にも2種類の反
応があったわけです。まずは素直に自然に新鮮さを感じ取った人。もう一方は単純に「十字キー文化」と比較して、粗探しをしていた人。ファミコン20年です
から、「十字キー文化」ってのはすごくこなれているんですよね。だからついつい最初から完成度が高かったように錯覚してしまう。歴史を忘れちゃてるわけで
す。
例えば、ボクは先日ファミコンミニの「ゼルダの伝説」を遊ぼうとしたんですけど、ファイルの名前を入れてから、先に進めなかったんですよ。セレクトボタン
で「トウロク オワル」に持っていって、先に進むということを思い出せなかったんです。当時はセレクトボタンでメニューを選択するという操作が普通にあっ
たんですが、今はなくなってるから、とっさに思い出せませんでした。
ファミコンが始まった時には当たり前の操作が10年もすればそうではなくなっている。その間に変遷があったわけで、その変遷を作っていくのが作り手であ
り、そうやって「文化」ができていくんです。
この「文化」をフォーマットとか、慣習といってもいいです。
新しい標準のインターフェイスを手に入れた時、そこで次の文化、次の10年を作ることに快感をおぼえる人もいれば、そうでない人もいます。まっさらな白紙
に線を引いていくことを喜ぶ人もいれば、なんでマス目が印刷されてないんだ!と怒る人もいます。まぁ世の中にどちらの人が多いかは知りませんけど、ボクは
前者の人がなるべくたくさんいたほうが面白いと思います。
ちなみに、ボクが作るならという仮定でいえば(つまりボクの好みは)、メニューにしてもアドベンチャーゲームにしても、「タッチは1回」主義です。別段、
この選択が絶対的に正しいなどとはいいませんし、10年後にはどうなってるかわかりません。開発者によって異なる選択をしているのが現状ですから。
個人的に「タッチは1回」が好きな理由は、世の中のタッチパネルがそうなってるからです。券売機とかATMとか、そういう物って基本的に1回さわったら次
へ切り替わりますよね。タッチパネルの利点というのは、選択+決定が1回で済むことなんで、選択と決定で2アクションかかる文化に合わせちゃうのはどうか
な?と思います。そうなると十字キーでいいじゃん、ということになってしまいそうな気がするんです。
まぁ今は、DSのゲームもタッチパネルと十字キーのコンパチ対応のゲームが多いですし、過渡期なんでしょうね。今後どの文化が主流になるか?生き残るか?
を考えると、なかなか面白い。10年後が楽しみですね。

Posted by amanoudume at 13:32 個別リンク | Comments (4) | TrackBack(1)
「選択+決定」と「選択→決定」
Excerpt:  発熱地帯さんにDSソフトのメニューの操作系についての記事が載っていました。 それによると、メニューの操作などで「タッチ1回で次の画面に行くとい う方法(マリオ64DS等)」と、「タッチ1回で説明が出て、次の1回で決定になるという方法(メテオス)」の大きく分け...
Weblog: Clockwork Nest
Tracked: 2005年04月01日 07:51

2005年03月26日

外道、堕つ

(2006年7月6日追記。
ボクは記事が増えすぎると管理が面倒なので、半年、1年経過した時点で、一時的な話題、ニュース、時事的な話題のエントリーは消して整理しています。ただ、この記事は読みたいという方もいらっしゃったので、復活させました。

ソニーはPS3で振動を外しました。小島監督のようなクリエイターがその決定を批判しています。本当の理由は、裁判で負けたからだ、という推測が非常に有力です。そういう視点で今あらためてこの記事を読むと、当時もっと多くの業界人が適切な批判をしておけば、ソニーがその批判に耳を貸していれば、「振動を外す」という最悪の選択をしなくてもすんだのではないか、と痛感します。)


米連邦地裁、プレステ販売中止命じる ソニー側は控訴へ

ブラボォー!!
イマージョン社がソニーによる特許侵害を訴えた裁判で高らかに勝利。特許侵害企業ソニーは、PSとPS2の販売差し止めと約96億円の損害賠償を命じる判決を受けました。イマージョン社は振動コントローラやフォースフィードバックコントローラの技術を積極的に開発し、ゲーム業界に多大な貢献をしてきた企業。DirectXにも採用されており、少なくともハードメーカー程の規模の会社であれば、存在を知らないはずがありません。

今回の特許はサブマリン特許的なものではまったくありません。最近の「過剰な特許訴訟」を嫌気するムードを利用して、この悪辣な特許侵害を正当化・擁護しようとする人々が一部にいますが、そういう人々に騙されてはいけませんね。悪質な捏造を許してはならない。

昨年、DSの発売時期にあわせて、あるいはPSPの初期不良の発覚にあわせて、ゲーム開発者のBLOGがいくつも立ち上がりました。それらは当然のように「GKのBLOGではないか?」と疑いの目を向けられたわけですが、彼らは必死になって「そうじゃない」と否定していました。

もっとも、中には「管理人」としてコメント欄に書き込んだ際、会社のIPが表示されて、正体が露見していたBLOGもありました。どことはいいませんが、滑稽でしたね(つーか、自分の使っているBLOGがIPを表示するタイプかどうかも知らんで使ってたというね・・・・)。新規BLOGの中には、年が明けてから物の見事に1度も更新されていなかったり、ほんの1、2回更新しただけで、やる気を失ったとか何とかつぶやいている所もあります。

そういうBLOGの一群が、実際に特定の企業に所属している人物によって書かれたかどうかは問題ではありません。別段、会社員がBLOGをつけてはいけない、という法はないですから。しかしネット上の騒ぎに乗じるためだけに、そんな時だけ頻繁に元気よく更新するようなBLOGを、その書き手をはたして信頼できるでしょうか? 継続は力であり、何より雄弁だと思います。

なぜこんなことを書いたのか。それはゲーム機の進化に対して多大な貢献をしてきた企業をおとしめるBLOGが出てくるのではないか、と心配しているからです。イマージョンに対しては、同じハードメーカーの任天堂も、マイクロソフトも快くライセンス契約を結んでいます。サブマリン特許とは違い、知らなかったでは済まないのですよ。
いまやゲーム産業は成熟し、技術も高度化しています。ゲーム産業だけでは、ハードにしろソフトにしろ、先進的な技術の開発はおぼつきません。周辺の、外の産業の人たちから力を借りなければいけません。手を取り合う必要があります。そうすることで、ゲームに新しい技術を導入して、ユーザーに新しくて楽しい体験を提供できるわけです。

よく想像力を働かせてみましょう。
ゲーム産業の外に非常に技術力のある会社があったとします。それはセンサーの技術が優れている会社かもしれませんし、出力デバイスの技術が優れている会社かもしれません。そうした会社には、今回のソニーの行動はどう見えるのでしょうか? ゲーム産業はどう見えるでしょうか? ゲーム産業の会社や人々が、勝手に自分たちの技術をパクり、何年にもわたっていけしゃあしゃあと販売を続け、巨額の利益をかすめ取り、そのうえ「これだからサブマリン特許は・・・・」とか「この特許だったら、なんでもかんでも引っかかる『気がする』」とか「だからアメリカは・・・・」とか、つばを飛ばして悪口雑言を繰り広げる。

技術泥棒がでかい顔をし、擁護される世界に発展があるでしょうか? そんな外道な所業が許されるなら、誰も新しい技術をゲーム産業に提案しようとは思わなくなるでしょう。

よみがえる過去

今回の振動コントローラの1件が根深いのは、任天堂がN64で先に発表した「振動パック」を、SCEのPS振動コントローラがパクったといわれていたからです。かつて良心的なゲーマーが声高に指摘しましたが、現実の競争の中でかき消えてしまいました。

まぁ娯楽の世界の競争というものは、所詮売れた者が勝ちます。負けた者がウダウダいうのはみっともない。ですから任天堂は特に騒ぎ立てませんでしたし、すべては良心的ゲーマーの記憶の中に、ゲーム業界の歴史の底辺に刻まれるにとどまりました。競争はシビアなものですから、ある時期において、そういうことが起きるのは仕方ないでしょう。

それが今になって、こういう形でソニーに鉄槌が振り下ろされた。これだから世の中は面白い。因果応報。ソニーは今、PS1、PS2と続いたソニーの10年のツケを払っているわけです。

10年の清算を迫られているソニー

PS2においては傲慢の極みに達し、開発環境をおろそかにした結果、マイクロソフトにつけいられる隙を作ってしまいました。北米ではXBOX2への支持が予想以上に大きくなりましたし、烏合の衆にすぎなかったマイクロソフトスタジオは独立したクリエイターと協力することで、有望な戦力に変化しました。

暴走ぎみだった半導体工場への投資は、いまやソニーの経営陣が回収に悩まされるお荷物となりつつあります。PSシリーズだけで楽に回収できるはずだったのに、PSXやPSPの失敗によって、他の用途で埋めなければなりません。もはや、計画当初に想定していた「想像上の利益」は無残に崩れ落ちました。

ソニータイマーへの潜在的な怒りに火がついたからこそ、PSPの初期不良は大きく騒がれたのです。それまで故障の多さを放置してきたツケを払ったわけです。つながらないサポートセンターにしても、ふだんから体制を整えていなかったから、いざ事が起こると、とんでもないことになったわけです。この10年間、誠実なユーザーサポートを怠ってきた結果、ああいう騒ぎになりました。

ソニーは昨年来、10年の清算を迫られているといえます。
結果的に経営陣はほぼ総入れ替えになりました。
ゲーム部門に限っても、悪質なパクリ、特許侵害、楽観的すぎた投資計画、怠惰な開発サポート、ユーザーをないがしろにした品質管理とサポート、・・・・。競争を「戦争」にたとえるなら、まさに数々の「戦争犯罪」が表面化し、ソニーに裁きの鉄槌が下っているのです。

戦犯の王は失脚し、敗残兵の王となった。戦犯の王、久多良木氏は失脚しました。社長の最有力候補だった人物が、じつに無様に階段から転げ落ちました。みなが失笑し、冷笑し、嘲笑しました。もはや古巣のSCEに逃げ帰り、PSPの失敗の責任でさらなる鉄槌が下るのを怯えつつ、XBOX2にPS3のシェアを奪われていくのを見つめるしかできない。彼が帰った場所はもはや処刑を待つ囚人たちの群れ、滅びをおそれる敗残兵の群れでしかない。敗残兵の王が何をわめいたところで、もはや歴史の大局は変わりません。

PSPの初期不良と盛大な失敗は鉄槌の第一撃、そしてイマージョン社による特許侵害訴訟は鉄槌の第二撃です。さあ次は第三撃、そして第四撃が振り下ろされます。ズタボロのミンチになるまで、さらなる鉄槌が、さらなるさらなる鉄槌が、振り下ろされるのです。鉄槌、鉄槌、鉄槌、鉄槌、鉄槌、鉄槌、鉄槌、鉄槌、鉄槌、鉄槌、鉄槌、鉄槌、鉄槌、鉄槌、鉄槌、鉄槌、鉄槌、鉄槌、鉄槌、鉄槌、鉄槌、鉄槌、鉄槌、鉄槌、鉄槌、鉄槌、鉄槌、鉄槌、鉄槌、鉄槌、鉄槌、鉄槌、鉄槌、鉄槌、鉄槌、鉄槌、鉄槌が、振り下ろされて、振り下ろされて、振り下ろされて、振り下ろされて、振り下ろされて、振り下ろされて、振り下ろされて、振り下ろされて、振り下ろされて、振り下ろされて、振り下ろされて、振り下ろされて、振り下ろされて、振り下ろされて、振り下ろされるのです。

かつて任天堂という会社が増長し、慢心し、ファミコン、スーパーファミコンと続いた10年の清算を迫られました。
10年分の鉄槌を振り下ろされ、据置ゲーム機のシェアを失い、惨めに、ぶざまに、滑稽に、据置ゲーム機の競争で今なお敗北を続けています。

では、この10年の鉄槌が振り下ろされるソニーには、どれだけ惨めで、ぶざまで、滑稽な運命が待受けているのでしょうか。
ブラボォー、ブラボォー!
さあ清算だ、清算だ。
愉快で滑稽なショウタイムはすでに始まっています。

Posted by amanoudume at 20:11 個別リンク | TrackBack(0)

「メテオス」まとめ

「業界ニュース&メモ」の扱いで「メテオス」について書いてきたのですが、予想以上にコメント欄が盛り上がったので、独立した記事にしておきます。この話題をあまたあるニュースの中に埋もれさせるつもりはない、ということです。


素材がもったいないゲームと才能がもったいないゲーム

鼻「パックピクス、隠しジェスチャーまとめ」
練習モードのスケッチブックの中で描ける隠しジェスチャーのまとめ。これらすべてがゲーム内で生かされていないのは残念です。ただ、ボクの感想としては、ゲームそのものが単純なのは、それほど悪印象ではありません。まぁ今の完成形を見て、せっかくの素材がもったいない、という意見はどうしても出てくるんでしょうけどね。開発がナムコだとみんな期待しちゃうのかなあ・・・・。

どっちかというと、「メテオス」のほうが色々思ったことがあります。「メテオス」で一番評価したのは、ダウンロードの時間が短いこと。いま発売されているDSソフトで一番速いかもしれません。これは対戦重視のゲームとして、とてもすばらしい。次に良いなーと思ったのは、予想よりもずっと「ブロックを打ち上げる」感覚が快感だったこと。ブロックを消すというわかりやすい表現をあえて避けたわけですが、演出の磨き上げもあって、かなり気持ちいいです。

一方で、一番気に入らないのはブロックが小さいことです(開発途中で大きくしたらしいですが、まだ小さい)。タッチペンのペン先で隠れてしまい、見えにくく、動かしているつもりがすべって動いていなかったり、行き過ぎちゃったり、とにかく誤操作しやすいんですよ。ちっとも楽しくない。それと、絵がチカチカしまくりで、字が小さくて、とにかく目がつかれて仕方ありません。

縦方向にしか入れ替えられないのも、(企画立案時点で十字キーを前提にしていたので)仕方がないとはいえ、根本的な理不尽さは拭えません。「ゲームのルールだからしかたない」という意見も当然あるでしょう。でもね、ボクは開発者の都合や理不尽を「押しつける」のをルールとはいわないと思うんです。開発者の都合からルールが生まれることはありますが、それで終わってはいけないはずです。プレイヤーが自然とやってしまうこと、やりたいことを素直にうまくゲームのルールに取り込んであげることが大切でしょう。

正直、ボクの中での評価は激しく低いです。まー、偉大な人が作っているので、オブラートに包みますと、「いわゆる『面白い』ソフト」です。つまり「慣れたら面白いけど、初心者やライトユーザーはバッサリ切り捨てた漢気あふれるソフト」という意味です。

ネットでの評判はものすごく高いわけですが、現実は2万本。受注5万本の4割というのは低いでしょう。結局、ハードゲーマー「だけ」が絶賛してオシマイ。あと信者も絶賛してるか。そういうお客はDS界にはほとんどいないので、そういうお客が絶賛するゲームほどDSでは売れないわけです。DSのソフトって、ネット上のレビューの点数と売上が反比例している印象さえ受けます。

DSの現在の客層は、学生(少し)、女性(けっこう)、子供(たくさん)、クラシックゲーマー(そこそこ)、現役ハードゲーマー(極小)、という感じじゃないかと思います。「メテオス」はあの絵作り、フォント、ゲームの難易度がまず女性受けしないでしょう。パズルゲームというジャンルは、女性の比率が高いので、あの絵作りはかなり損しています。また、難易度についていえば、たとえば「ヒトフデ」や「ZOO KEEPER」を楽しんでいる人からしたら、ありえないぐらい忙しく、難しい。絵作りやフォントは、スマブラっぽさも微妙に漂うわけですが、だからといってあのキャラで子供が買うわけもないですし、子供が対戦ツールとして落ちゲーを選ぶとは考えにくいです。「アナザーコード」と異なり、クラシックゲーマーが懐かしさを感じる雰囲気もない。で、最後に残ったのが現役ハードゲーマーです。極小世界。

ボロクソ書きましたけど、あの水口氏から出されたしょうもない出発点から「いわゆる面白い」ゲームを作り上げたのはすごいと思います。桜井氏のゲームを作る才能をあらためて実感させられました。なので、次は「お題を与えられて、その中でつくってみました」的な仕事じゃなくて、隠しサイトでビミョーに言い訳っぽいことを書く羽目になる仕事じゃなくて、本当に作りたいものを作っていただきたいなあ、と切に願います。せっかくの才能がもったいない。ゲーム業界の損失ですよ、これは。

「ZOO KEEPER」と「メテオス」の比較は面白い

この間、知人と話題にしてたんですけど、「メテオス」ってハードゲーマーと信者ばかりが買ってる雰囲気なんですよね。「メテオス」勧めてくるのは大抵ハードゲーマー。その一方で「ZOO KEEPER」はゲームを全然買わないような人が勧めてきた、とか。ゲーム系BLOG見てても、「メテオス」はそのサイトの管理人(すなわちゲーム系
BLOGをやるような濃ゆい人)が自分で選んで買ってきた感じ。その一方で、「ZOO KEEPER」は自分で発見したんじゃなくて、誰か他人から勧められて遊んでみたという感じです。ハードゲーマーとは異なる客層で火がついて、回りまわって、ハードゲーマーの所にも伝わってきたように思えます。

ゲーム性についても「メテオス」は饒舌に語るんですが、一方で「ZOO KEEPER」はほとんど語る言葉がない。「ZOO KEEPER」はいい加減なゲームなので、ゲーム性を語りたい人には物足りないんでしょう。「いい加減」というのはもちろん、ほめているわけです。「無双」や「GTA」などのように、今はいい加減なゲームのほうが求められていると思います。

ゲーム性に対するマジメさというか、プレイヤーにガマンを強いるという意味では、ガマンしない系・・・・・「ZOO
KEEPER」・・・・・「無双」・・・・・|越えられない壁|・・・・・「メテオス」・・・・・「ゼルダ」・・・・・「アナザーコード」・・・・・ガマン系という感じかな。「ZOO KEEPER」と「無双」はたぶん同じ側にありますね。「メテオス」は壁の向こうかな。で、ゲーム開発者やハードゲーマーの中には「ZOO KEEPER」のあのいい加減な感じとか、「無双」の粗い感じが許せない、大嫌いという人がいると思うんですよね。でもボクは大好きですが。

もう1つ話題になったのは、「メテオス」を勧める人たちがどうしてああも必死なんですか?ということ。うーん・・・・購入者における信者率が高いとか、DSはハードゲーマー受けするソフトが少なかったからとか、それぐらいしか理由は浮かばなかったんですけどね。熱心というより必死に見えるのは、話題がBLOG界のごく狭い領域で閉じて循環してるように見えるからかも。

ボクはDSとPSPについて、PSPの初期不良について、BLOGの力ということを熱心に書いてきた人間です。けれども、BLOGで話題になれば絶対に口コミになる、などとは思っていません。あくまでどういう層に話題が流通しているかが重要で、ゲーム系BLOGの生態系の内部だけ流通していても、たいして広がりはしません。目利きが選んだ良い物が口づてで広がる、という旧来の口コミは廃れていると思います。自分が気に入ったけど売れてない物を、「口コミで広がる」とついつい書きたくなる気持ちはわかるんですけど、そういう人たちとの間に冷静な議論はできないですね。もっとも別に冷静な議論なんて、する必要はないんですが。
(参考:「スピード感の増した口コミ・ネットワーク」

相手がGKでも信者でも、BLOG潰しは通用しない

去年はGKのBLOG潰しが話題になりましたが、今度はそれを笑っていた信者の人たちがBLOG潰し、批判潰しを敢行し、見事に失敗しているようです。当BLOGにおいても、売上についてフォーカスしている記事にもかかわらず、コメント欄に押し寄せて、「売上を論じるよりも、『俺が』面白いと思うその事実を大切にせよ」「そもそも売れてないわけではない」「売れなくたって、所詮パズルゲームなんだしいいじゃん」的な書き込みをくりかえし、真剣に議論をしようとしている人たちの議論を乱しています。あまりひどいものは削除もしました。

荒らしが暴れたにもかかわらず、それに負けない有意義な意見がいくつもありました。一部をピックアップさせていただきます。
> 目利きとその他の人の間に価値観のズレが大きくなった。そのために旧来の
> 口コミは通用しなくなり、従来の目利きから見て「いい加減」なものがヒット
> するようになった。という事?
> いかんせん、NDSが狙う客層はそこじゃない。
> NDSはゲーム離れを引き止め、拡販するためのソリューションが出発点ですから。
> それにパズルゲームとか対戦系ゲームとか全般に言えますけど明確な目標が
> 無いんですよね。一応エンディングとかはありますけどそれが主目的じゃないし。
> 腕を上げるというのが主な目標になりますけど、自分で目標を作れないライト
> ゲーマーや時間の無い社会人ゲーマーには少々辛い。
> やり込めば際限なく広がっていく世界ですし。ゲームをクリアする事を目標に
> してる人には通用しない。ライトには受けない。
> ブロックの小ささとか小動物並みの反応速度が要求されるゲームデザインとか
> ジジィには辛いゲームですねえ。まあジジィに限ったことでなく、時代は際限なく
> 「ノンストレス」に向かっている中でメテオスはそれにあまりにも逆行しすぎた存在
> であったかなと。
> メテオスはそこらじゅうでコアゲーマーとメテオス信者が
> 宣伝しろ批評すら許さんという「布教活動」をやっていたようで・・
> 任天堂新聞さんの社説が今日加筆されてますが、
> どうやら信者の行き過ぎた行為に業を煮やしてあの社説を書いたようですね
> これだけ布教とやらをやらかしておいて
> 反動で逆に叩かれまくられないほうがおかしいという話

このBLOGを昔から読んでいる方々は何となく察しておられると思いますが、ボクは「口コミ」、ネット上での話題の広がりに多大な関心をもっています。そういう意味で、去年のPSP初期不良問題は有益なテストケースになりましたし、久多良木氏失脚後のPSPへの関心の急低下は面白かったし、「メテオス」の局所的な異常な盛り上がり、そしてその後の現実世界での市場動向は参考になりました。

以前から書いていることですが、今の時代、単にTVCMだけでゲームが売れる/売れないという論じ方はできません。PS1バブルの頃ならそういう認識でよかったかもしれませんが、SCEJの凋落ぶりを見てもわかるとおり、ソフトの内容がかなりネックになります。といっても、いわゆる「出来の良し悪し」の問題ではありません。ソフトそのものが話題性や、フックの多さ、ユーザーを逃さない作り(ゲームバランス)になっていないと、プロモーションを仕掛けてもたいして広がりません。

口コミの力というものは大きいと思います。ネットで火がつくケースがありますが、どういうケースで火がついて、どういうケースで狭い範囲の話題で終わるのか。そこに注目しています。

Posted by amanoudume at 02:44 個別リンク | Comments (16) | TrackBack(3)
「メテオス」の話題
Excerpt: この記事を見つけて僕もひと言書くことにしました。 →『メテオス』好きな人たちを批...
Weblog: ライター気取りで Go!
Tracked: 2005年03月30日 17:25
「メテオス」
Excerpt: えーっと購入したニンテンドーDSソフト三本目(一本目は「さわるメイドインワリオ」で二本目は「直感ヒトフデ」)なんですが。 「メテオス」ほぼ発売日に買ったのにいままで全く書き込んでいませんでした。 リンク先の発熱地帯さんや2ちゃんねるの掲示板で論争や煽りや.
Weblog: ウナム日月の乱筆乱文お許しください。
Tracked: 2005年04月10日 07:02
メテオス
Excerpt: メテオス ハード :ニンテンドーDS 発売元 :バンダイ 発売日 :2005/3/10 価格  :¥4,800+税 ジャンル:パズル・落ちもの (C)Q ENTERTAINMENT (C)BANDAI 2005
Weblog: 避けられぬ関係 〜テレビゲームのある生活〜
Tracked: 2005年08月25日 11:25

2005年03月09日

高性能な処理能力はもちろん、ゲームを前進させる。

採用発表が相次ぐ「NovodeX」

セガがAGEIA社の「NovodeX」を正式採用したのに加えて、Epic GamesとUbi Softも「NovodeX」を正式採用したそうです。「NovodeX」はゲーム開発者の間で、Havokよりも良い、と評判の高まっている物理エンジンです。登録さえすれば、フリー版のSDKをダウンロードできますから、興味のある方は一度さわってみるといいかもしれません。

ミドルウェアを採用するか、自作するかはさておき、高い処理能力を物理計算に使うのは、インタラクティブメディアとして正しい方向でしょうね。色々な物にさわって反応が返ってくるのはうれしいものです。ゲームデザインそのものに物理計算を使おうとすると、ドツボにはまりそうなので、映像的な演出として採用するケースがまずは多いでしょうね。FPSで敵に弾を当てたら、人体のはじき飛ばされ方を計算してひっくり返るとか、階段から敵を転げ落とすとか。物を移動させて積み上げて道を作るような、パズル的な使い道もあるでしょう。

「塊魂」は挙動的にめっちゃリアル系というわけではありませんが、「物理」をゲームデザインに取り入れた例として分類してもいいかもしれません。ここまでアグレッシブにゲームデザインに活かす例は、最初は少なそうな気がします。ただ、従来かなりデジタル的というか、アナログ感のないジャンルに、アナログな感覚を持ち込んだらどうなるかは興味があります。

ここでデジタル的というのは、たとえば落ちゲーがブロック単位で物を考えるゲームだというような意味です。そういう割りきりが当たり前の領域に、高く積み上げると不安定になって崩れていくとか、あるいは「砂」のような処理とか、そういう自然な物の挙動を入れるとどうなるのか。パズルゲームというのは、自然さを排除しまくった、記号化の極地みたいな世界ですけど、そこに人間がパッと理解できる自然物と自然の挙動を入れたら、けっこう不思議なものができるような気はします。まぁ製品レベルにまとめるには、苦労が多そうですけどね。
(まぁ、「砂」はいわゆる物理エンジンがサポートしている処理とはまったく別の処理ですけども)

そういうあまり開拓していない部分を掘っていかないと、単純にすごいリアル映像とすごいリアル挙動のゲームばかりになってしまうような気がします。いや、誤解のないように。もちろん、それはそれで立派に需要があると思います。単純に遠くまで描画されるようになった「無双」が遊びたいとか、髪の毛が1本1本描画されてさらさら揺れる「DOA」が遊びたいとか、極限的なグラフィックに達した「GT」が遊びたいとか。ボクはそういう物もほしいですよ。


リアルなグラフィックがもたらす?日米のゲームの立場の変化

それと、ボクが次世代機で興味があるのは、いよいよ日本でも欧米のゲームが売れるようになるのかどうか、という点。日本人のデザイナーのほうが職人的で芸が細かいから、ゲーム機の性能が低い頃は日本のゲームの絵と欧米のゲームの絵は全然レベルが違っていました。PS1やN64の頃の欧米のゲームなんて、半魚人みたいな顔してましたよね。気持ち悪いっつーか、こんなの誰も買わねーよ、みたいな。

PS2ぐらいにハードの性能が上がってくると、そこそこ見られる絵になってきて、日本でも拒絶反応が減ってきたように感じます。「GTA」も洋ゲーの絵は洋ゲーの絵ですけど、受け入れられる水準ですよね。性能だけでなく、EAあたりだとハリウッド仕込みのアーティストが参加するようになったから、水準が上がった部分もあります。

で、それが次世代機クラスになると、かなり実写に近くなって、そうすると割と一般の人が見ても、そんなに拒絶反応が出なくなる・・・・どころか、日本のゲーム以上に受けちゃう可能性もあるんじゃないか、とも思ってます。ハリウッド映画ってみんな見てますよね。あっちのほうがカッコいいというか、上等なものだという感覚が根付いちゃってるわけです。ゲームの絵がリアルになっていくほど、同じ現象が日米のゲームに起きるかもしれません。日本のゲームの絵がオタク臭くて、一般人が敬遠する感じになっていく。欧米のゲームの絵のほうがダイレクトに写実的で、それゆえに一般人がすんなり受け入れていく。

日本のゲームは日本におけるアニメのようになり、欧米のゲームは日本における洋画のようになる。そういう方向に進んでしまうのかどうか、そこが非常に興味深い点です。


おまけ: リアルタイム3DCGは「アニメ」から「特撮」へ

約1年半前に書いた記事を発掘。今読むとあちこちにアラがありますが、参考までに再掲。
[2681] 3DCGは「アニメ」から「特撮」へ 投稿者:DAKINI 投稿日:2003/09/30(Tue) 01:31:44
No.2681 [返信] 下のスレで議論したように、PS2世代の1つのテーマであった「映画とゲーム」は一定の域まで達したといえる。
ではこれから先、リアルタイムCGはどうなっていくのか。
ここ数年のゲームの傾向で明らかに顕著なのは、「現実」を取り込んでいることだ。『GTA3』はもちろんだし、『Half-Life2』のような実写性の
強い(といわれる)作品もそうだ。『Getaway』はロンドンの市街をゲーム内に取り込んだ。
これは前世代に比べて、テクスチャの解像度が上がったり、表示ポリゴン数が上がって空間が広がってきた影響である。また、ユーザーに対して、抽象的な箱庭
を提示するだけでは魅力を感じてもらえなくなったことも大きい。
ではどこまで「現実」に近づいていくのか?
完全なシミュレータ世界であろうか?
いや、そこまではいかない。
何故なら「現実」では面白くないからだ。
そこで半分「現実」で半分「嘘」の世界になる。
一言でいえば「特撮」である。
――ボクは以前、HalfLife2を評して「特撮」といった。先日掲載した過去ログにもそう書いてある。
これまでのリアルタイム3DCGは、そのクオリティを高めるために、非常に膨大な手作業を必要とした。
言ってしまえば「アニメ」に近い。モデリングもテクスチャも配置もアニメーションもすべて手付けである。
まぁパーティクルは計算が入っているが、爆発や煙のスプライトの描きこみはデザイナーの腕が発揮される個所だし、パーティクルの挙動にしても、実際にはか
なり簡易な計算で行われていて、デザイナーやプログラマーの調整の力で、魅力あるレベルに到達している。しかしそれでは作業的に破綻していくのは目に見え
ている。
――ああ……ジブリやIGのように手描きを徹底的に突き詰めていくという考えもありではある。しかし金はかかるが。
だから基本的には、「特撮」化していかざるを得ない。特撮において、セットは作り物である。そこは手作業だ。しかし、それが壊れる様子を”手で描く”とい
う世界ではない。爆発も同じだ。火薬をセットする。巧妙にセットすることだろう。そこに職人芸は存在し得る。それは無くならない。しかし爆発の瞬間瞬間
を”手で描く”ようなことはない。
仕掛けはするが、描きはしない。
そういう世界になっていく。
技術的なキーワードは、物理と自動生成である。
この2つによって、リアルタイムCGは「アニメ」から「特撮」へと進化する。
「アニメ」――手作業による作りこみが日本のお家芸で、今後は物理が入ってくるから、日本は通用しない?
そんなことはあり得まい。
「特撮」とて日本のお家芸ではないか。「仕掛けの作りこみ」と「計算」の融合した世界は、「作業による作りこみ」で世界を席巻したように、再び日本が世界
を席巻する、圧倒する。
ボクはその未来を露ほども疑ってはいない。
# つまり、2004年までは「アニメ」の時代、2005年(あるいはPS3世代と
# いってもいいが)からは、「特撮」の時代へと突入する。本格化する。

Posted by amanoudume at 00:01 個別リンク | Comments (40) | TrackBack(2)
セガが物理計算エンジンミドルウェアを採用するらしい
Excerpt: セガ、次世代家庭用ゲームソフト開発において AGEIA社 の物理シミュレーション技術を採用 AGEIA社のHP。 サンプルがダウンロードできるので遊んで見るといいかも。 発熱地帯さんのblogより。 高性能な処理能力はもちろん、ゲームを前進させる。 AGEIA社の物理エンジン...
Weblog: tablog upper universe
Tracked: 2005年03月10日 16:53
GDC(3月10日)/ゲーマー心
Excerpt: "Rolling the Dice〓The Risks and Rewards ...
Weblog: 六百デザインの「嘘六百」
Tracked: 2005年03月11日 10:34

2005年03月08日

時代は天下二分へと加速

まぁ乾杯!乾杯!だけで済ませておいてもよかったのですが、もうちょっと書いておきます。

一夜明けて、憶測流れる

昨日、ソニー経営陣刷新のニュースが流れて以来、いろいろな憶測が流れていますが、おおむね
  (A) 反主流派による「実質的なクーデター」 (大賀氏の黙認、示唆があった?)
  (B) 経営陣刷新に見せかけた出井氏による院政の始まり。傀儡を打ち立て、自分と安藤氏だけは顧問になり、残りの旧経営陣は追っ払う
  (C) 経営の正義がつらぬかれた画期的な出来事
ぐらいに分類できるでしょうか。

あらかじめ宣言しておきますが、真顔で(C)を主張してもつまらないのでしませんし、そんな人とは議論するつもりがありません。ボクは断然(A)を主張しますが、(A)も積極的クーデター派と消極的クーデター派に分かれそうですね。

  (A−1) 社長レースに敗れた井原氏の一発逆転ねらい。外国人をトップにすることで、大リストラをやりやすくし、汚れ役を引き受けてもらう。数年後に政権をつぐ。
  (A−2) 大賀氏の示唆。出井氏はとっくに見限っていたし、引き時を誤っていると考えていた。以前は久多良木氏を評価していたが、今は失望している。失望の理由はPSXの失敗、PSPの失敗、ソニーブランドを傷つけたなど多数。

個人的な好みからいえば、A−1を推したいところですが、ZAKZAKの記事
は大賀氏が何らかの影響をおよぼしたのでは?という推測を取り上げています。
> 「2月28日の日本経済新聞で、数年前、大病に見舞われた大手メーカー
> 元首脳の話として、≪退任前に社外取締役を起用し、後継者の能力が
> 落ちれば更迭するための起爆装置を埋め込んだ(中略)株価はこのところ
> 低迷したままなのに、社外取締役は現経営者の『知人』ばかりになったのか、
> 起爆装置は作動しない≫という内容の記事が掲載された。これが大賀氏の
> ことではないかと推測されている」(業界関係者)
> つまり、現体制に強い不満を持つ大賀氏が、何らかの形で今回の人事を
> 動かしたのではないかとの見方が強まっているのだ。真相は藪の中だが、
> 出井氏らが語るような、クリーンな経営刷新ではないことだけは確実なようだ。 
クーデター説の中には、日経ビジネスの「それがPSPの仕様だ」発言も罠だったという見方もあるようです。ふだんはあまりソニー非難をしない日経が、露骨
なまでに久多良木氏を皮肉った記事を掲載し、すみやかに海外にも報道。この不自然な報道姿勢の裏には、政権転覆までは考えておらずとも、久多良木氏の失点
を増やしておこうという、反久多良木派の目論見があったのでは?という意見。
まぁそこまで陰謀論で語ってしまうのもどうかと思いますが、所詮対岸の火事ではあるわけで、色々な憶測・想像をめぐらして楽しむのも一興かもしれません。

縮小に向かう?CELL路線とPSシリーズ

後藤弘茂のWeekly海外ニュース「久夛良木氏のポジションがCellにもたらす影響」
久多良木氏のソニーグループ全体への影響力が下がった今、Cellの先行きは不透明感を増しています。一番推進していた人が失脚し、経営陣の中に長期的な
ビジョンをもっている人がいなくなった以上、将来的な投資は縮小に向かうと考えるのが妥当でしょう。すでに投資をした分は回収しなければなりませんが、逆
にいえば、投資した分だけ回収できれば、それ以上博打は打たずにさっさと風呂敷を畳みたい、というのが本音でしょうね。
Cellは当初65nmから立ち上がるはずでしたが、日経エレクトロニクスのCell特集記事からの情報では、90nm版からスタートする公算が高いらし
いです。新プロセスの立上げには時間がかかるため、無難な判断といえますが、それでは65nmプロセスのラインはどうなるのか? この時期に久多良木氏が
影響力を失ったため、65nmのラインの規模縮小の可能性も出てきました。まぁタイミングがタイミングなだけに今さら止まらないとしても、その先の
45nmラインへの投資は凍結する可能性が高そうです。
おそらく新経営陣にはCellアーキテクチャを将来にわたって育てていくつもりは無い、と思います。あくまで久多良木氏が強引に推し進めた投資分の回収が
優先課題で、半導体部門は久多良木氏の将来構想からは大きく後退したものに落ち着くのでしょう。最悪、5,6年後の売却さえありえないとはいえません。
(現時点ではそんなことは決していわないでしょうけど)
技術論としては、PS4ではCellほどアグレッシブなCPUを作れるとは思えず、プロセッサレベルでのゲーム機ごとの個性はますます無くなっていくので
しょう。ますますPCに近くなっていくんでしょうね。
プラットフォーム競争でいえば、対任天堂よりも、対マイクロソフトにおいて大きな影響が出てくるでしょうね。PS1時代のSCEのように、ゲーム部門が純
粋にゲーム部門単独で利益を上げていくことが求められるでしょうから、資金力の勝負でますます不利になります。
PS3対XBOX2の競争の行方にもよりますが、ゲーム部門が十分なシェアをとれず、十分な利益を上げられないのであれば、PS4は予算縮小のもとで競争
しなければならないでしょうし、最終的にはゲーム機ビジネス撤退もありえない話ではないでしょう。もちろんその間に、ソニー新首脳部がゲーム事業の失敗を
理由に、久多良木氏をSCEからも追い落とす、というイベントが入るわけですが。
もちろんこれは可能性の議論。しかし「日増しにリアリティをおびてきた新時代の天下二分の構図」「天下二分の構図にまた一歩」
論じた未来がますます身近なものとして感じられますね。
天下二分の記事をはじめて書いたのは去年の秋。それから半年ばかりでこの状況。半年前に久多良木氏の失脚を予見した人が何人いたでしょうか? これから半
年でいったい何が起こるでしょうか? 最初の記事を書いて、たかだか1年ちょっとで、いったいどれほどこの未来が具現化するのか。非常に楽しみです。

Posted by amanoudume at 00:04 個別リンク | Comments (7) | TrackBack(1)
GDC(3月9日)/嗚呼痛恨は鶴見に輝く
Excerpt: さてGDCも鶴見にとっては今日からが本番。朝イチから早速レクチャーに吶喊だ。 "...
Weblog: 六百デザインの「嘘六百」
Tracked: 2005年03月10日 14:17