相変わらず、鋭い。
切込隊長BLOG「テレビゲーム離れで進む価格帯シフト」>
テレビゲーム離れというのは、テレビゲームに魅力がなくなったという
> 解釈で立っているのだろうが、小学生、中学生のお小遣いに見合った
> 遊び方を提供できないほど高コスト高スペックになっていってしまった
> という進化の代償のようなものを感じてしまう。
単純に面白い/面白くないという議論ではなく、遊びのコストという観点での議論は大切でしょうね。面白い/面白くない論争はどっちかというと、レトロゲー
ム好き(さらにファミコン等のクラシックゲームのエミュ厨)のゲーオタが好む議論のような気がしますね。そんなに昔のゲームがいいというなら、そういう層
にはレトロゲームの移植とリメイクを”あてがって”おけばいいと思いますね。
と、のっけから話がそれましたが、例えば映画館で映画を観たり、映画のDVDを買うという行為が大人にとっては適度な娯楽になり得ても、子供にとっては手
の届きにくい娯楽であるように(夏休みに友だちといっしょに映画館や市民会館に出かけるぐらい)、据置型ゲームもまた手の届きにくい娯楽になりつつある、という傾向は、確かにあるのかもしれません。
「手の届きにくい」というのは、単純な価格ではなく、効果に対する価格ですね。
価格自体はもっと高かった時代もありますが、あの頃は子供同士のコミュニケーション・ツールとしての価値がありましたね。またネットや携帯電話のようなオルタナティブがありませんでした。
コメント欄の13氏の
> いまあるゲームの多くが「ひとりプレイで最大限に楽しめる」設定
> になってるから「交流」というキーワードを思い切り外してるわけで。
という指摘がまさに的を射ていると思います。
(年末商戦をはずして発売されているにもかかわらず)今なお『ポケモン』が圧倒的に強い理由も、子供同士のコミュニケーション・ツールとしての価値を失っていないからでしょう。
ゲームというメディアが不幸なのは、語りやすい文脈で語られすぎてきたということです。例えば「物語のための装置としてのゲーム」ばかり語られたり、1人用ゲームの作品性は
熱心に論じられますが、マルチプレイヤーのゲームは作品性などまったく無いかのごとく、ほとんどの言説空間から無視されています。例えば、ゲーム業界を代
表する著名なクリエイターの大多数が、1人用ゲームの開発者として評価されていますね。
以前、3Dのアクションゲームの売上が全体的に落ちてきている、という点についてコメントしたことがあります。
「3D酔い」とか「欧米人は探索が好きだが、日本人はそうじゃない」とか、「3D空間で遊ぶのは難しすぎる」とか、そういう点がよく理由に挙げられます
が、それは7,8年前の議論から進歩がない、言説空間が貧しいと書きました。単体のゲームだけ見れば、そういう分析が出てくるのでしょうが、日本の子供文化の中でゲームがどういう風に消費されてきたのか、
という点もひっくるめて考えるべきでしょうね。
2Dから3Dに移行した時にアクションゲームは、より1人用ゲームとして完成されすぎてしまいました。たとえば、自宅に友達を呼んで、いっしょにゲームで
遊ぶとします。初代「スーマリ」を始めたとしても、別に全然遊べちゃうわけですよ。ところがね、そこで例えば「マリオ64」だとか「ソニックアドベン
チャー」とかね、まあそういう3Dアクションゲームを始めちゃうと、友達なくしちゃいますよねw いや、なくさない例外もあるかもしれないけど。
でもふつう「なに、お前、俺がここにいるのに、一人の世界はいってんだよ!」って思うのが自然でしょう。1機交代、ステージ制、時間制限、……。かつての
アクションゲームは、複数のプレイヤーが交代して遊ぶための息継ぎ点のようなものが
あったんですよ。だから1人用ゲームでも、1人限定じゃなかった。今は1人用ゲームが完全に1人限定になってしまってますね。
昔は、1人用ゲームだって、2人で遊べたんですよ。1機交代のゲームばかりでしたけどね。
まぁ昔はゲーム機にはコントローラが2つついているのが当たり前でしたしね。
それを最初にやめてしまったのは任天堂(N64)だったと思うんですが、そういう意味ではあのゲーム機から、任天堂の凋落が始まったのはさもありなん、と
いえるのかもしれません。
アナログスティックが付く前と付いた後では、ゲーム機のコントローラの値段って、2倍ぐらい違うんですよ。多人数で遊ぶのにかかるコストがかなり変わって
いるんですよね。もっとも3D空間を操作するのにアナログスティックは自然なデバイスですから、それが悪かったというわけではありませんが。
それにしても、2Dから3Dに移行した影響について、表示だけにしか注目できていない人が意外に多いのは、開発者とライターの両面で、貧しい話ですね。
「何がインタラクティブか。笑わせるな」って感じ。表示にしか目線のいかない、ノンインタラクティブな知性と感性しかもってない人が多すぎる。
結論らしいまとめ方もせず、最後にそんな毒舌を吐いて、今日のところは終わっときます。
欧米において、MMORPGのビジネスが次々に破綻しています。Mystのオンラインゲーム版である『Uru: Ages Beyond Myst』があまりにもユーザーが集まらず、サービス停止になりました。去年は『Sims Online』が完全爆死、そして『Star Wars Galaxies』も期待にはまったく届かない状態でした。
すでに去年のE3で、過剰なタイトル数が懸念されていました。あまりにも同じような内容、あまりにも工夫のないゲームデザイン、バブリーな状況に乗っかっただけのバブリーなゲームデザイン、サービスがあふれていました。
まだそれがわからない脳天気系開発者や、脳天気系ライターもいましたが……。毎度毎度のE3病で
すね。(なぜ人はE3ではあそこまで愚かになれるのか、興味深いテーマではありますが、ここでは追究しません。あと2ヶ月半もすれば、新しいサンプルデー
タが手に入るでしょう。愚かさをふりまく人々が減ることを期待します)
その時すでに見るべき目をもった開発者は、ダメになると明言していたわけですが、まったくその通りになっていますね。日本においても、『みんなのゴルフ・
オンライン』が爆死。コンシューマーにおけるMMORPGの普及状況は、しばらくは絶望的になりました。SCE的にも、今年はPS2の女性層への拡大、い
きなり頓挫したEyeToyの宣伝、PS10周年、そしてPSPと、他にプロモーションしなければならないテーマが多いため、オンラインゲームに割くプロ
モーション・リソースは去年よりも大幅に削減されるでしょう。実質的には「なかったこと」になっていくでしょう。
明快な現実の前には、百万言(ビジネスロジック)を費やしても説得力は生まれません。
この『Uru』の破綻についての面白い記事がありました。
閑人「MMOゲームはもはやお荷物?」
2chのMMORPG板の書き込みの状況を調べたものです。
> 大抵のユーザーは特定の1タイトルに関連したスレッドにのみ
> 書き込みを行っており、同時に二つ以上のMMOゲームを進
> めるプレイヤーが少ないことが推測できます。
複数のMMOゲームを同時に遊ぶ人は、まずいない、とはいわれていましたが、それが数字の上で示されたといってもいいかもしれませんね。2chとMMOの層はかなりかぶりますし、一定の説得力はあります。
ここ数年の米国の市場拡大をドライブしてきた会社の1つは、間違いなくEAだ。(注1)
EAという会社はきわめて「わかりやすい」。今EAが取っているゲーム作りの方法論も、根本はシンプルでわかりやすい。だが、合理性をつきつめた会社がわかりやすいのは当然なのかもしれない。
例えば、007では、「007 ナイトファイア」「007 エブリシング オア ナッシング」といったオリジナルストーリーでも、映画ゲーム並みの演出と金がかかっている。ボンドガールも用意し、実際の俳優をCG化してゲームに登場させている。日本での発表会は、日本人ボンドガールの伊東美咲さんが登場して、話題になった。
もう1つ、EAは売れげな要素を取り込むことにも貪欲である。
「Splinter Cell」で評判を博したサーモビジョン、いわゆるマトリクスエフェクトのゲーム版である「ボンド・センス」(これは「MAX Payne」が最初に取り入れた)、自動車・ヘリ・戦車と多彩な乗り物(「GTA3」などでも顕著だが、欧米のゲームでは多彩な乗り物を乗り回せることが流行っている)と、売れたタイトルの人気ある要素をこれでもか、これでもか、とてんこ盛りにしている。
EAのゲームは実際の所、それほど新規性や革新性はない。これは多くの開発者が感じている事実だろうし、もしかすると、それゆえにEAの方法論を好きではない人も少なからずいるかもしれない。
ゲーム開発は「読めない」といわれるが、すでに成熟した部分も多くあり、そこに比重を置いて作れば、納期性の高いゲーム作りは十分可能だ、というのがEAの考え方の根幹だ。なーに、他の会社が新規要素を実験し実証してくれたら、それをてんこ盛りにすればいいのだ。自らリスクを冒す必要はまったくないじゃないか。あとは、映画的な作り方をすればいい。分業化による、本格感のあるシナリオ、映画的なデモ、……。
現在のゲーム市場は、ユーザーの多様化が進んでいる。やや乱暴だが、市場(ユーザー)を3つに分類してみる。
A) ゲーオタ。1つのゲームをかなりやり込んでくれるが、単純な水増しボリュームには否定的。
B) そこそこ遊ぶ人たち。 現代人(特に大人)は忙しい。ゲームを最後まで遊ばない人はかなり多い。
C) ゲームは値段が高いし、あまり遊ばないという人たち(かつてのライトユーザー)
EAは今のユーザーが最後までゲームを遊ばないということをよく理解している。だからEAのゲームはしばしば、最初が一番面白いといわれる構成を取る。ゲームを買った人が全員、最後まで遊ぶわけではない。映画や小説と比べて、ゲームは最後まで楽しんでくれない人がかなり多いメディアである。元々そういうメディアだったが、ここ最近、ますます最後まで遊んでくれなくなっている。大人のユーザーは忙しいし、子供にも他の娯楽がいっぱい提供されている。この単純な事実を開発者はよく忘れがちだ。実際に自分がゲームを遊んだ時のことを考えればわかるはずなのだ。みなさん、最後まで遊んだゲームが何本ある?
けれども作っている時には案外、忘れてしまう。開発者はおいしい物を後半に残しているのだが、前半でユーザーのほとんどがやめてしまっている、という不幸なケースは案外多いのである。はたから見ればこっけいかもしれないが、作っている側は真剣なのだ。
ゲーム開発者は、1)買った人の何割が最後まで遊んでくれるのかという点を意識すべきだし、2)最後まで遊ばなかったユーザーがそれでも次を買ってくれる程度の満足感は与えるべきなのだ。というのは、買った人全員が最後までいけるようなバランス調整は、(RPGならともかく)現実にはなかなか難しい。そこまでやさしくしてしまうと、うまい人たちがヌルすぎて、退屈してしまうし、達成感も乏しくなってしまう。
EAはゲームを最後まで遊ばない人たちに満足感を与える一方で、ゲームをやり込む人たちにあり得ないボリュームを提供している。『SSX』『NEED FOR SPPED UNDERGROUND』などのタイトルでは、クリアしても、クリアしても、次々と隠しモードだの隠しステージだのが出てくる。いったい何ヶ月遊べばコンプリートするんだよ!!というアホみたいなボリュームぶりである。
わかりやすくいうと、中国式(あるいはアメリカ式か)の食事の出し方なのである。中国では相手が残すようなボリュームを提供する。食べきれないぐらいの接待をしました、というのを良しとする文化だ(日本は昔は食べ尽くすことを良しとするユーザー文化だったが、今はだんだん残すユーザー文化になってきている、と思う)。ゲーオタと呼べるほどのコアなゲーマーたちがゲップをして、「もう入りません」というぐらいの、ありえないボリュームをつっこみ、「満腹」させるわけだ。
EAの方法論は、ユーザーを満足させるというごく当たり前の、しかし忘れられがちな、実にシンプルな原理に基づいている。EAのブランドも信頼感も、「EAのソフトを買えば、満腹できる」という単純な事実の積み上げによるところが大きいのである(もちろん、積極的に、スポーツのスポンサーになっていることもブランド寄与している)。
いいゲームがすなわち売れるわけではないとはいえ、ユーザーを満足させなければ、長持ちしない。
これは事実だ。いくら宣伝してゲームを売りつけたとしても、ゲームを買ったユーザーが失望すれば、次からは買わなくなる。ゲームを売る上で話題性は大事だ。しかし話題性だけでゲームを買っても、満足しなければ、次は買わない。
(例えば、「スパロボ」シリーズがどうしてあんなに売れるのかわからないという意見を耳にしたことがある。あの作品の良し悪しについては、個人の好みもあるのだろう。しかしネットを巡回して、ゲームの感想を読んでみれば、1つの事実ははっきりする。「スパロボ」シリーズは、買ったユーザーを満足させているという事実だ。何がどうして売れるかはわからなくても、どうして売れ続けるかは明白なのだ。)
いいゲームが売れるわけではない。しかしユーザーを満足させるゲームでなければ売れ続けない。
世の中を悟った気になって、「いいゲーム作ったってどうせ……」などとほざく開発者がもしいるなら、それは糞ガキの性根だろう。ちょっと小知恵をつけた小中学生が、さかしらにゲーム市場を語ってみせたりするのと同程度だ。小利口な開発者など、さっさとフェードアウトしてしまえ。まぁ勝手に自然淘汰されていくのだろうが。自業自得だ。
何度もやり玉にあげて申し訳ないが、いい例がSCEJだ。PS1時代には新規性のあるソフトを数多く発売し、ユーザーにも受け入れられていたが、PS2時代にはすっかり閑古鳥が鳴いている。ユーザーを満足させ続けた『GT』『みんゴル』以外のタイトルは壊滅的で、ユニークなタイトルを出しても誰も買わないし、そもそも流通から信用がないから、出荷がどれもこれも少ない。
繰り返すが、娯楽の世界ではユーザーを満足させなければ、次が続かない。しかし案外、ゲームはユーザーを満足させるのが難しいメディアなのである。「最後まで遊んでもらう」ということさえ、なかなか難しい(上述したとおり)。
ちょっと前、ゲームそれ自体が娯楽の中で、価値ある遊びとしてもてはやされた時代には、ユーザーはがんばって最後まで遊ぼうとしたかもしれない。しかし今やゲームはone of themになり、そこまで時間をかけるような娯楽ではなくなってきている。
(ノイズの見城こうじ氏が執筆されている見城こうじの空想ゲーム学の第45回「オンリーワンからワンノブゼムへ」と第54回「アドバンテージ喪失の時代」が非常に興味深いです)
だから従来よりも、ユーザーを満足させることが難しくなっている。ゲーム開発者は、自分自身がゲームを遊んでいるスタイル、時間配分を振り返って、より多くのユーザーを、それぞれのスタイルに応じて、楽しんでもらう方法を考えなければならない。(注2)
学ぶべきは表層的な技術などではなく、ユーザーを満腹させるという、ただその姿勢だけだ。
注1)
PCゲームのFPS系大作はそもそもまったく貢献していない。そもそもDoom3やHalf-Life2はここ数年の好景気時代に発売されていない。つまり何も貢献していない。はるかな過去には貢献したかもしれないが、今はしていない。そしてPCゲーム市場は年々縮小している。当然だ。期待作がこうも発売されないのだから。また、コンシューマ市場で成功したFPSはほとんどがオリジナルエンジンであり、そうでない物でも、既存のエンジンを大幅にカスタマイズしたものだ。
欧米市場の成長と、PCゲーム系FPSエンジンとの関係はじつは希薄であり、それを無理矢理リンケージしようとするロジックは最初から破綻している。にもかかわらず、そのような言説を書くゲーム系ライターが何人かいるが、それは「自分が好きなゲーム」を誇大宣伝しようとする精神のなせる所業であろう。あるいはPCゲーム系の開発を提唱しても受け入れられなかったトラウマがなせる所業か。
いずれにしても、個人制作的、少人数制作的な古き良きPCゲーム開発の方法論は、現世代において破綻をきたしつつあり、そのような開発の仕方をとっている会社は過去の名声を除けば、もはやフェードアウトしている。
注2)ユーザーを満足させるというと、しばしば「なら小さな会社はどうしようもないじゃないか」などとのたまう、浅慮な開発者がいらっしゃる。確かに映像的なボリューム感を出すには規模が必要だろう。そんなこと、FFぐらいしかできないかもしれない。
しかし、ゲームのやりがい、やり込みといったものは、全然規模の問題ではない。それはファミコンの頃から存在し、今も大して変わらないものだ。それこそウィザードリィにしろ、「平成のウィザードリィ」たる『魔界戦記ディスガイア』にしろ、『ファントムブレイブ』にしろ、規模は小さい(以前も書いたが、ああいう絵柄のソフトの割にムービー1つないのである)。
また、『無双』シリーズ本編に対して、その半年後に発売する『猛将伝』がある。あれは純粋なデータとしては、それほど追加要素がないが、ゲームのモードを多種類にしたり、個々の武将に思い入れのあるユーザー心理を巧みについて、武将ごとのシナリオを追加したり、うまくツボをついている。
ゲーム本編がすでにできているなら、そこにやり込みの深みを掘り下げることは、+αのコストにすぎないはずなのだ。今はもう、そういうことまで見据えて、ゲーム本編を設計し、スケジュールを練らなければダメなのではないか。ここ最近の例を見れば、むしろ小さな会社のほうが焦点の定まったゲーム作りをして、評価を勝ち得ているケースが少なくないのである。海外においては『GTA』がそうといえるかもしれない。あのチームがグラフィックにこだわっていたら、シェンムーのようになっていただろう。大手のほうが割くべき労力の配分を間違えて、続編をダメにしているケースが目につく。
ITmediaのイー・アクセス、「定額IPモバイル電話」に意欲に
よれば、イー・アクセスが「定額IPモバイル電話」に向けた実験を開始すると発表。具体的なスケジュールは未定なものの、最初の1年で実証実験を行い、2
年後には東京、大阪などの大都市圏でサービスを開始することを狙っているそうだ。
携帯電話のグローバルワイヤレスネットワークは、ネットワーク構築にコストをかけているため、それを回収する意味でも、そうそう定額化は難しい。とはいえ
競争の激化にともない、流れとしては確実にそちらに向かいつつある。
一方、定額IPモバイル電話は、ワイヤレス端末でホットスポットにアクセスし、ホットスポットからは既存の定額ネットワーク(ADSL網)に乗せるため、
定額サービス化がやりやすいとされている。この場合、データ通信がベースになっているため、音声通話は音声データのやりとりという形になる。
両者の向かうところは結局、定額化された低価格なワイヤレスネットワークサービスであって、どちらが先にそこにたどり着き、顧客を獲得するかの勝負にな
る。現時点では、ADSL事業者は実験段階であり、実質的な勝負は起きていない。ただ、今後2年間でもっともフォーカスが当たる競争領域なのは間違いな
い。
ゲーム業界においても、GBAのワイヤレスアダプター、ソニーのPSPのワイヤレスLANなど、携帯ゲーム機のワイヤレス通信搭載はスタンダードになりつ
つある。携帯ゲーム機はこれまで、全世界共通の規格だっ
た。TVのNTSC、PALのような区別はないし、任天堂とソニーの2陣営は存在するが、携帯電話に比べればベンダの数が少ないから、各ベンダにあわせて
開発しなければならない負担も少ない。
そういう開発のしやすさと、すでに獲得しているユーザーの人口を考えれば、比較的短期間にワイヤレスネットワークゲーム市場が成立する可能性はかなり高い
と期待できる。さらに、任天堂とソニーの競争がその流れをさらにブーストするだろう。マイクロソフトは完全にフェードアウトしそうだが。まぁいつだってマ
イクロソフトは後から他社の真似をするしか芸がないのだ……。
ちょっと古い話題になってしまいますが、Passion For The Future「企画がスラスラ湧いてくる アイデアマラソン発想法」が
面白かったです。ボクもこういうことはやっているので、他人がどういう方法を採っているのか、という点は多少興味があります。
アイデアマラソンというのは単純にいえば、1日最低1個の発想を毎日ノートに書いていき、数千数万蓄積していくことです。根本はそこで、記述の方法の詳細
は人によって色々あり得るでしょう。例えばこの著者の人とボクが採っている方法は、多少の違いがありますし。
(とはいえ、この「アイデアマラソン」の著者のように20年間欠かさずにマラソンしてきた人の方法論は読むに値する価値はあるかもしれません)。
ボクは検索性を重視しているので、テキストファイルに書きためていますし、この著者の人のいう「1個の発想」よりも大きな単位で「1個の発想」をとらえて
います。というのも、最初は短く書いていたんですが、かなり詳細に書いておかないと、メモを読んでも、後々思い出せなかったり、その時の勢いが再現できな
かったりしたからです。記録の仕方自体も、数ヶ月ごとに方法を見直して、改良を加えることにしています。
こうした毎日のメモの効能の1つは、思考のサブアセンブリをたくさん作れるということで、すぐに形にならないとしても、なりそうな状態のものが毎日たまっ
ていきます。しかし実の所、溜まっていった結果(メモ)そのものよりも、毎日考えた結果、思考に筋力がつくことにむしろ価値の本質があるのでしょう。
すでに成功している人であれ、これからの人であれ、毎日考えている人とそうでない人には、圧倒的な差があります。ちょっとした雑談程度であれ、真面目な議論であれ、話していて明らかに有意の差が出ます。(もちろん、考えてない人は常にその現実に無自覚です)
考えてない人は、見通しが狭いですね。先々のことについて何をいっても、そのほとんどが外れていく。また、反省能力がないので、いっこうに良くならない。